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文 化

1NAME:2013/09/12(木) 22:20:15
文 化

2NAME:2013/09/12(木) 22:21:01
顔に入れ墨で入浴拒否のマオリ女性「異なる伝統思いやって」
2013.9.12 21:02
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130912/trd13091221040010-n1.htm

北海道恵庭市の温泉施設で、顔の入れ墨を理由に入浴を断られたニュージーランドの先住民マオリのエラナ・ブレワートンさん(60)が12日、共同通信の電話取材に応じ「とても驚いた。東京五輪ではニュージーランドから同じような入れ墨をした選手がたくさん来る。日本人は自分たちと異なる伝統に思いやりを持ってほしい」と話した。

 ブレワートンさんは入れ墨について「母親や先祖を表す家紋のようなもの」と説明。「施設では、入れ墨はファッションだと言われた。そのことに怒りを感じている」とも語った。 また「別の温泉施設では、日本人からとても親切にしてもらった」と述べた。

3NAME:2013/09/12(木) 22:25:35
スイスに「黒人差別存在」 年収74億円、米セレブと知らず…店員「あなたには買えない」
2013.8.11 09:33
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130811/erp13081109360001-n1.htm

【ニューヨーク=黒沢潤】米国の女性人気司会者で大富豪のオプラ・ウィンフリーさん(59)が、スイス・チューリヒのブティックで高級バッグを見せてもらおうとしたところ、店員から「あなたには買えない」と拒絶されていたことが分かった。 アフリカ系米国人のウィンフリーさんは、移民問題などを抱えるスイスに「(黒人差別が)存在する」と米テレビ番組で指摘。慌てたチューリヒ観光局が謝罪する事態に発展した。

 ウィンフリーさんは7月下旬、友人の大物米国人歌手、ティナ・ターナーさん(73)の結婚式に出席するため、ターナーさんが住むスイスを訪問した。 米ABCテレビなどによると、ウィンフリーさんは、ワニ皮製の高級バッグ(約3万8千ドル=約370万円)を見せるよう言ったが、女性店員に「いいえ。これは(価格が)高過ぎます」と断られた。再度頼んだが、「あなたの感情を傷付けたくありません」と言われたため、「たぶん私には買うお金がないのね…」と店を出たという。

ウィンフリーさん推定年収は約74億円、資産も約2700億円の超セレブ

メディアで大活躍のウィンフリーさんの昨年度の推定年収は7700万ドル(約74億円)で、資産も同28億ドル(約2700億円)と、高級バッグを購入できない身分ではない。店側は「誤解があっただけ。人種差別ではない」と釈明するが、米国では知らない人がいないセレブがスイスで受けた“仕打ち”に、ウィンフリーさんは怒りをあらわにしている。

4NAME:2013/09/16(月) 13:42:11
宮崎駿監督が引退、「風立ちぬ」最後に スタジオジブリ発表
2013.9.1 22:23
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130901/ent13090122240009-n1.htm

アニメ映画監督の宮崎駿さん(72)が公開中の作品「風立ちぬ」を最後に引退すると、製作会社スタジオジブリが1日、発表した。イタリアで開催中の第70回ベネチア国際映画祭会場で、同社の星野康二社長が明らかにした。6日に東京で宮崎監督が記者会見を開くという。

 「風立ちぬ」は同映画祭コンペティション部門に出品。1日夜の公式上映に先立って開かれた記者会見で、星野社長が引退を発表した。宮崎監督は今回の映画祭に出席していなかった。

 「風立ちぬ」は宮崎監督の5年ぶりの新作で、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の設計者の半生を基にしたフィクション。7月20日に公開され、配給元の東宝によると、公開から37日間で640万人を動員、興行収入は80億円を超えた。(共同)

5NAME:2013/09/16(月) 13:43:11
「奇跡に近い仕事ぶり」 宮崎駿監督引退表明 年齢的に限界?
2013.9.2 22:18
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130902/ent13090222210018-n1.htm

アニメ映画監督の宮崎駿(はやお)さん(72)が、公開中の作品「風立ちぬ」を最後に引退することが判明し、2日、関係者に波紋が広がった。映画監督の引退表明は極めて異例のためで、その背景に自ら細部に関わる「宮崎スタイル」の限界を指摘する声も出ている。

 「映画監督はスポンサーが付かなくなるなど、自然に引退する人がほとんど。『最後のつもりで』と制作に臨む人はいるが、引退を明言した例は聞いたことがない」 映画評論家の佐藤忠男氏(82)はこう話す。アニメ評論家の氷川竜介氏(55)も「アニメ映画監督を含めクリエイターは生涯現役が基本」とする一方、「スタジオジブリは実質的に宮崎さんの個人工房。年齢的な限界があったのでは」と推測する。

 氷川氏によると、アニメ作画の細部は監督がスタッフに指示して制作するのが普通だ。だが宮崎さんは膨大なコンテに加え、1秒24枚とされる原画の核となる部分を手書きし、出来上がった作品の人物の表情なども自身で直すこだわりを貫いてきた。 こうした手法で長編を制作する監督は宮崎さん以外おらず、映像研究家の叶精二氏(48)は「50代でもありえない奇跡に近い仕事ぶり。いつ引退してもおかしくないと思っていた」と激務をおもんばかった。

 映画監督で評論家、樋口尚文氏(51)は「時代の歯車に合致しない異物感のような作品を送り出してきただけに、引退表明も宮崎さんなりの何かの表現かもしれない」と話した。

6NAME:2013/09/16(月) 13:44:00
宮崎駿監督『風立ちぬ』は“遺言”か…周囲の“無理解”に嫌気?
2013.9.7 07:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130907/wlf13090707010002-n1.htm

「ゼロ戦」へ寄せる強い思い

 宮崎監督の父は一族で経営する「宮崎航空興学」の幹部だった。航空部品が並ぶ工場を毎日のように眺めていた幼い頃の宮崎監督は、ある日、工場にゼロ戦の風防が置いてあるのを見て、こう感動したという。「とても美しい」と。

 以来、飛行機好きの趣味は高じ、航空機の知識はもちろん、世界の航空産業の歴史から航空戦史などの膨大な知識を習得。アニメーターとして活躍する一方、模型雑誌に航空漫画の連載を持つなどその博覧強記ぶりを披露してきた。

 だが、本業のアニメ監督としては、第一次大戦期のイタリアを舞台に、ブタに姿を変えた戦闘機パイロットを主人公に描いた「紅の豚」(平成4(1992)年)で、戦闘機をテーマにした以外、「風の谷のナウシカ」(昭和59(1984)年)や「天空の城ラピュタ」(61年)などに一部、飛行シーンを入れたぐらいで、“あえて”戦闘機をメーンに描く映画作りは避けてきた。つまり戦闘機ものは封印してきたのだ。

宮崎監督のフラストレーションに「一番好きで描きたいものを描かないか」

長年、宮崎監督の映画作りを支えてきた盟友、鈴木敏夫プロデューサーはそんな宮崎監督のフラストレーションに気づいていたはずだ。まだ心身ともに元気だとはいえ、70代を迎えた監督に、「そろそろ遺書を書いておけば」という意味も込められていたのだと思う。「一番好きで描きたいものを描かないか」と背中を押したのだ。そして宮崎監督は「風立ちぬ」を製作する意志を固めた。

「ハイジ」で世界へ

 宮崎監督は駆け出し時代、アニメーターとしての転機ともいえるテレビアニメを制作している。昭和49(1974)年に放送された「アルプスの少女ハイジ」だ。 テレビアニメ史上初という海外ロケをスイスで敢行。演出は高畑勲監督、作画監督は小田部羊一さん。そして宮崎監督は場面設定・画面構成を担当した。

 実は3人は元東映動画で仲の良かった先輩後輩。理想のアニメ作りのため東映動画を3人一緒に飛び出した“戦友”でもあった。 後に日本アニメ界を牽引する3人が心血を注いで作り上げた「アルプスの少女ハイジ」は来年1月で放送開始から40周年を迎えるが、今だに再放送が繰り返される傑作として語り伝えられる。 小田部さんが当時を振り返り、こんな話を教えてくれた。「3人でよくアニメ作りをめぐって口論しましたよ。でも仲は良かった。3人の思いは共通していましたからね。世界に通用するアニメを作ろうという思いです」

当時、あの手塚治虫だけ…まさにゼロ戦「米国(ディズニー)と戦おう」3人で独立

7NAME:2013/09/16(月) 13:44:36
当時、ディズニーなどとまともに戦おうと考えたアニメーターが日本にどれほどいただろうか。この3人と漫画家、手塚治虫ぐらいだったのではないか。また、そんな彼らを見て関係者の多くは冷ややかに見ていたはずだ。できるはずがないと。 テレビや映画で数々の名作アニメを手掛け、その卓越した技量を証明しながらも宮崎監督が世間で、映画監督として認知されたのは意外に遅い。「風の谷のナウシカ」で一躍脚光を浴びたのはベテランの域に入った43歳のときなのだから。

世界と戦った日本技術

 ハイジの制作に臨む際、「世界で戦おう」と決意したとき、宮崎監督の脳裏には、「風立ちぬ」の主人公、堀越二郎の姿が浮かんでいたのではないかと想像できる。 まだ豊かでない小国・日本で、世界を相手に戦い、誰もなし得なかった偉業を達成した先人の後を追うことで、彼は「世界と戦うことは決して無謀ではない」と信じ続けることができたのではないか。

 第二次大戦の頃、日本の航空機技術、航空産業は世界から致命的な遅れをとっていた。そんな時代に堀越は、米英など世界列強を驚愕(きょうがく)させる高性能の戦闘機「ゼロ戦」を開発した。堀越は完成したゼロ戦を見てこんな感想を残している。「自分がこの飛行機の設計者であることも忘れて“美しい”と心で叫んでいた」

殺人兵器の開発者をなぜ賛美するのか 一部マスコミから批判も

ゼロ戦設計者を描いたことで、宮崎監督は一部のマスコミなどから、「殺人兵器の開発者をなぜ賛美するのか」などという批判にさらされている。「美しいものを作りたい」という創造者(クリエーター)としての堀越の純粋な情熱に宮崎監督は惹かれ、「風立ちぬ」を作ったというのに。

 “遺言”は世代交代へのバトンを引き継ぐメッセージとも受け取れる。 自らが道標(みちしるべ)となり、世界と戦うことは無謀ではないと示してくれた先人への感謝の思い、恩返しを込めて。そして日本の子供や若者たちが、決して夢をあきらず、堀越や自分の後に続いてくれるようにと願いを込めて…。

 その思いが通じない世の中ならば、彼はもうアニメ映画を作る意味は見い出せないと感じ取ったのかもしれない。 「僕の時代は終わった」と言いながらも、彼は会見でこう言った。「まだやりたいことはある…」 「風立ちぬ」から何を学ぶか。見る者自身が問われている

8NAME:2013/09/16(月) 13:45:33
「ハイジ」は最初“三つ編み”だった…アルプス・ロケハンで「そんな少女いない」と変更、宮崎駿監督の盟友が明かす新事実
2013.9.14 12:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130914/wlf13091412000006-n1.htm

「実際にスイスの山へ行って分かりました。三つ編みの女の子はいなかった。アルプスの大自然は厳しい環境で、ただ笑っている可愛いだけの女の子では生きてはいけないとも知らされました」。ハイジのキャラクターデザイナーであり、全52話の作画監督を務めた小田部さんはこう打ち明けた。 「これがロケハン後に描き直したスケッチです」。小田部さんが指で示した、そのイラストはテレビでも馴染み深い少女の顔だった。

スポ根アニメ全盛、ハイジに冷視線…宮さん「前例なき手法で挑む」

3人の若き巨匠

 ロケハンメンバーのなかに作画監督の小田部さんのほか、監督の高畑さん、場面設定・画面構成担当の宮崎さんがいた。 後に日本のアニメ界をリードする3人が力を合わせ、当時のアニメ界の常識に挑みながら作り上げたのが「アルプスの少女ハイジ」だったのだ。

 「3人は元々、東映動画の仲間でした。アニメ映画を作る手法を、そのままハイジの制作に生かそうと決めたんです。だから当時のテレビアニメの作り方としては斬新で画期的だった」と小田部さんは振り返る。 東京芸大卒業後、東映動画に入った小田部さんの同期が高畑さん、その4年後輩が宮崎さん。「よく3人で、世界に通用するアニメを」と話していたという。

 ロケハンから帰国後の翌年1月6日。第1回の放送が始まった。 当時のアニメはスポ根(スポーツ根性もの)が主流だった。「アルプスでの日常生活が淡々と描かれ、派手なアクションなどは一切ない。果たして子供たちに受けいれられるのか?」。こう冷ややかにとらえるアニメ関係者は少なくなかったという。 しかし、小田部さんは言う。「私たちには自信があった。日常生活を丁寧に描くことで子供たちに伝わるものは大きいはずだ」と。

 放送開始から数カ月。小田部さんたちの不安をよそに、「アルプスの少女ハイジ」は視聴率25パーセントを超える日曜ゴールデンタイムの不動の人気番組となっていった。だが、「実は現場の私たちにとってはそれどころではなかったんですよ」と小田部さんは苦笑した。

高視聴率の裏で

 実は放送開始前に完成していたアニメのセル画は4話分までだったという。「高畑監督も宮(宮崎)さんも、作画監督の私に次々と難しい注文をつけてくる。結局、毎週放送ぎりぎりまで何度も描き直す作業が続きました」。徹夜が当たり前の状況になり、このとき発症した小田部さんの腰痛は今も完治していないという。

おなじみ空中ブランコ…背景も同時に動く精緻さ実現

例えば、ハイジがアルプスの山を登るシーン。ハイジなどキャラクターだけでなく、雲や山など背景も同時に動く高度な描写テクニックが初めてテレビアニメに採り入れられた。「おかげで描くセル画の枚数が増え、作画監督の仕事は激増していたんです」

 高畑さんはその後、アニメ映画の傑作「火垂るの墓」を監督。宮崎さんはスタジオジブリを創設し、「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」など数々のヒット作を製作する。 そして小田部さんは「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」などの作画監督を務めた後、ゲーム界へと転身。「スーパーマリオブラザース」シリーズのキャラクターデザインの監修などを務めている。

いまだ現役

 アニメ史を塗り替えたハイジは放送開始から来年でちょうど40周年を迎える。その節目の今年、2本の新作映画が注目の的となっている。 現在公開中の宮崎監督作品「風立ちぬ」と、11月23日から公開される高畑監督作品「かぐや姫の物語」だ。「風立ちぬ」は、今年のイタリアのベネチア国際映画祭のコンペ部門にノミネートされ、改めて日本アニメの力量を世界に示した。

 「2人ともまだ現役の第一線で新作映画を発表しているなんて本当に凄いよね」と話す小田部さん自身、ゲーム界などの一線で活躍中。先月、大阪高島屋(大阪市中央区)で開かれた特別企画展「アルプスの少女ハイジとスイス展」では、新たに描きあげたハイジのスケッチ画などが披露された。

「ハイジ、まだまだ進化。宮さん、引退宣言後も…」

「まだハイジは進化していますから」とアトリエで描き続ける小田部さん。宮崎監督も長編アニメ制作からの撤退を表明したが、「まだやりたいことがある」と創作の継続を表明、3人の“70代の挑戦”はまだまだ続きそうだ。

9NAME:2013/09/16(月) 14:34:08
アニメに革新を…3人の“異才”
「アニメは子供向け」 アトム以来の常識を覆した「ガンダム」の“コペ転”
2013.9.16 12:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130916/wlf13091612000003-n1.htm

アニメはしょせん子供のもの−。昭和38年に放送が始まった国産初のテレビアニメ「鉄腕アトム」以来の既成概念を打ち破ったのが、「機動戦士ガンダム」だった。

 世代を超えた支持を実証するように、昭和54年の放送から30年以上が経った今も、その人気は健在だ。昨年4月には東京・台場に、全長18メートルの実物大ガンダム像を設置したテーマパーク「ガンダムフロント東京」がオープン。今年3〜5月には、ガンダムをデザインしたメカニカルデザイナー、大河原邦男さん(65)の特別展「超・大河原邦男展−レジェンド・オブ・メカデザイン−」が兵庫県立美術館(神戸市中央区)で開催された。

 アニメの枠を超えて熱狂的なファンを獲得し、30年以上の時が過ぎてもなお支持されるこの傑作アニメは、どのようにして生み出されたのだろうか。 「子供向けではない、大人の鑑賞に耐えうるアニメを作ろう」。こう呼びかけたのは、総監督を務めた富野由悠季(よしゆき)さん(71)だった。富野さんは登場人物を造形するキャラクターデザイナーに、「宇宙戦艦ヤマト」などの制作に携わった安彦良和さん(65)を指名。そしてロボットなどをデザインするメカデザイナーに抜擢されたのが、昭和47年放送のテレビアニメ「科学忍者隊ガッチャマン」でメカのデザインを担当し、メカ専門のデザイナーとしてデビューした大河原さんだった。

「ヒットするかどうかは分からないけれど、これはすごいアニメになるぞ、という確信はありました」と、大河原さんは当時を振り返る。

 スペースコロニーに住む宇宙移民のジオン軍と地球連邦軍が戦争を繰り広げるというストーリーを、富野さんが考案。安彦さんは主人公のアムロやそのライバル、シャアなど個性豊かな登場人物の造形を担当した。そして、大河原さんはアムロが操縦するガンダムなどのデザインを手掛けた。後にアニメ界に次々と革新をもたらす3人の“異才”が結集し、画期的な分業体制で名作を生んだ。

 当時、3人は30代。その後、富野さんはアニメ映画の監督や小説家として、安彦さんは漫画家として活躍。大河原さんはメカニカルデザイナーという職業を確立した。ガンダムで頭角を現した3人は、それぞれの才能を開花させた。

 大河原さんは「ガンダムの制作は、当時のアニメ界への挑戦でした。その成功がアニメ制作の構造自体を変革する転機となったんです」と、その意義を語る。当時、アニメ番組のスポンサーの多くは玩具メーカーだった。メーカーはアニメに登場するメカを玩具にして販売し、番組は玩具をPRする役割を担っていた。「玩具の購入対象は子供なので、当然、アニメに登場するロボットなどのメカは子供向けにデザインするのが常識でした。富野さんはこの“常識”をガンダムで変えたかったんです」

10NAME:2013/09/16(月) 14:35:08
変形して合体する荒唐無稽な子供向けのロボットの概念を覆すデザインを、大河原さんは富野さんから求められた。あくまでリアルに。それは、大河原さんが求める理想のデザインでもあった。 リアルなロボットを目指してデザインしたガンダムは商品化される際、大人も楽しめるミリタリー模型として販売された。対象は子供から大人も含めた幅広い年齢層へと広がり、市場は一気に拡大した。

 「実はデザインに一番力を入れたのは、敵メカのザクでした」と大河原さんは打ち明ける。「ガンダムと違って商品化の予定がなかったので、自由にデザインできたからですよ」 ガンダムの放送後、ザクの模型はガンダムに匹敵する人気を集め、その後のスポンサーの意向やアニメ制作の常識をも大きく変えた。

11NAME:2013/09/18(水) 10:54:52
あのアニメも…勝手に韓国発祥に
「何でも反日」のくせに日本のアニメをパクる韓国の“恥知らず”…マジンガーZ、ドラえもん、挙げ句は「韓国発祥」と言い出すタチの悪さ
2013.9.18 07:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130918/waf13091807010000-n1.htm

ワンパターンな「反日」論理ばかりをかざす韓国だが、アニメをめぐる事情をみると、日本を真似(まね)る“パクリ国家”という実像も見えてくる。日本の人気漫画を自国発祥だと言い張るだけでなく、今夏には、日本発のアニメキャラクターを真似た像を、竹島(島根県隠岐の島町)に建設しようと計画した。すべてを「反日」に帰結するロジック同様、要するに韓国の創造力の乏しさを示してもいる。

文化も、スポーツも基準は「反日」

 スタジオジブリの宮崎駿監督(72)が長編映画からの引退を表明したことをめぐって、韓国メディアは当初、「憲法や原発などの政治的発言が呼んだ波紋に負担を感じた」「安倍晋三政権の右傾化に失望した」などの憶測を伝えた。 韓国では日本のアニメが人気で、とくに宮崎アニメは「崖の上のポニョ」や「ハウルの動く城」などの近年の作品だけでなく、1970年代に初めて監督を担当した「未来少年コナン」などのファンも少なくないという。

 聯合ニュースは引退報道の直後、宮崎監督が今年7月に「自民党の憲法改正議論を正面から批判した」とし、「安倍政権の右傾化の歩みに失望したのではないか」との見方を伝えた。 サッカー東アジア・カップ男子日韓戦で韓国応援団が「歴史を忘れた民族に未来はない」とハングルで大書された横断幕を掲げ問題が示す通り、韓国は文化、スポーツに限らず、すべて政治行動とつなげ「反日」へと結びつける。結論だけはいつも「反日」と決まっている韓国のロジックには、いい加減うんざりする。

4年後にパクった偽マジンガーZ…“偽の竹島”を防衛?!

宮崎監督は9月6日、東京で記者会見を開き、「僕の長編アニメーションの時代ははっきり終わった」などと述べた。聯合ニュースは「引退理由は年齢によるものであることを示唆した」との見方を報じたが、会見中、韓国メディアは公開中の「風立ちぬ」に触れ、「ゼロ戦」をめぐり、韓国で話題になっているなどと問い掛けた。

 これに対し、宮崎監督は「映画を見ていただければ分かると思っていますので、いろいろな言葉に邪魔されないで映画を見ていただけたらいいなと思います」と答えている。

12NAME:2013/09/18(水) 10:55:49
偽マジンガーZを竹島に?!

 日本のアニメをめぐっては今年7月、パクリ国家という韓国の別の“顔”も明らかになった。 韓国が不法占拠している竹島に、韓国人の彫刻家、韓国の彫刻家キム・テッキ氏が、韓国の人気アニメの主人公「ロボット・テコンV」の巨大造形物を竹島に設置しようとしたのだ。

 キム氏は「愛国と正義」と銘打って、テコンVを島の守り神にしようと計画。高さ13メートルの像を造り、像にはトロンボーンを吹かせようとした。そのうえ、対日解放記念日の8月15日から数日間、島に設置するため、募金活動まで始めた。 「ロボット・テコンV」は1976年に制作された韓国ロボットアニメの草分け。ところが、顔などは多少異なるものの、内容は日本で72年から放映された永井豪氏の人気漫画「マジンガーZ」そっくり。要するに、真似(まね)たのだ。 しかし、そんなものを愛国のシンボルにしようという行為に、批判が起きないはずがない。インターネット上などで「恥ずかしい」との声が相次ぎ、結局、中止となった。

ドラ、キャプ翼、けいおん…韓国の子供も信じる“ウリジナル”

竹島にはこれまでも虎の彫刻など、韓国側によってさまざまな造形物が設置されてきた。キム氏は韓国メディアに対し「良い趣旨を持って始めたのに残念だ」などと述べているが、本当に現状を理解しているのだろうか。

人気アニメはことごとく被害に…

 どんな優れた技術でも他国など外部に流出すれば、真似され、取り込まれて、新たな技術として生まれ変わる。それは古代から変わらぬ優れた技術の運命かもしれない。だが、アイデアを盗むだけのパクリは違う。新たな技術に生まれ変わったり、進展するといった創造性がない。どこまでも真似ているだけで、中味がない。

 大阪も真似ることが文化にまでなった地域だが、韓国のアニメにかかわるパクリはとにかくひどい。

 例えば、藤子・F・不二雄氏の「ドラえもん」や高橋陽一氏のサッカー漫画「キャプテン翼」などは、舞台が韓国になり、登場人物も韓国人になった。人気漫画「けいおん」も同様だ。これらの漫画は韓国発祥だと、韓国の子供たちが信じているというから、さらに恐ろしい。 どんな事柄でも結論だけが「反日」になるロジックと、日本のアニメさえも自国の発祥だと言い張る論理はどこか似ている。要するに、単なる独り善がりでしかない。

13NAME:2013/09/19(木) 03:48:05
[高畑勲 宮崎駿 ふたりの50年] (2)本格追い求めた「ハイジ」
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/cnews/20130712-OYT8T00714.htm

午前4時半。早朝のアルプス山系で、宮崎駿監督が目にしたのは牛の群れだった。 「子供が小屋の戸を開けると、牛が勝手に出てきて群れを作りながら、放牧場に向かう。毎日同じ時間に。その時気づいたのは、牛の歩調が日本の牛より遅いということだった」

 1973年7月、宮崎は高畑勲監督、アニメーターの小田部羊一とスイスを訪ねた。目的は、翌年からテレビ放送されるアニメーション「アルプスの少女ハイジ」のロケハン。ヨハンナ・シュピリの児童文学を映像化するのに、演出の高畑、画面構成担当の宮崎、キャラクターデザイン担当の小田部は、アルプス地方の風物、習慣を見て、作品に生かそうとしたのだ。

「誰も来ないような山小屋の扉はいつもは開いているのか、閉まっているのか。ヨーロッパではどちらにするかは重要な意味があるんです」と宮崎。高畑、宮崎の「ハイジ」にかける思いはそれほど強かった。

 高畑の初劇場用長編「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年)公開後の71年、2人は東映動画(現・東映アニメーション)を退社し、Aプロダクション(現・シンエイ動画)に移籍。短編映画「パンダコパンダ」などを完成させた後、「ハイジ」の準備に入るため、73年に小田部と3人でズイヨー映像に移った。 高畑は「『ハイジ』がアニメーションになるとは思ってなかった」という。少女の山小屋での生活をつづった19世紀の小説は、日常描写が基本で「飛躍が何もなく、実写でやるのが当たり前と思われた」からだ。

 しかし、1年間、全52話の制作が決まると、高畑は「実写ではできない表現力を生かしたもの」を目指そうとした。日本のアニメーション作品として、初めてロケハンを試みたのも、意気込みの表れだった。海外での放送が視野にあったことも大きい。宮崎は「日本を舞台にした外国映画で、畳の上を下駄で歩いたり、部屋の中に提灯(ちょうちん)がぶらさがったりしているのがあった。スイスの人に『これは変だ』と思われるものだけは作りたくなかった」と明かす。 毎週放送される作品の質を維持するためには、膨大な仕事量をこなさなければならなかった。プロデューサーだった中島順三は「彼らの仕事ぶりは驚異的だった」と振り返る。

 1話に使用されるカット数は約320。宮崎が画面のレイアウトを決め、作画監督も兼ねた小田部が原画を修正。高畑は演出の指示を出し、全工程を統括した。「1日50カット描くだけでも大変なのに、宮さん(宮崎の愛称)はほんの少しのカメラアングルの違いを、2枚の絵を描いて高畑さんに相談する。要求があるから応える、応えてくれるから要求するという関係」と、中島の目には映った。 量産体制が当たり前だったテレビアニメーションの世界で、「ハイジ」は「スタッフがかかわれてよかったと口をそろえる」(中島)作品になった。その仕事に報いたのは、世界中の子供たちの笑顔だった。 (2013年7月19日 読売新聞)

14NAME:2013/10/23(水) 18:07:53
NHK「プロフェッショナル」で宮崎駿スペシャル
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/gnews/20130820-OYT8T00654.htm
NHK総合のドキュメンタリー番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で8月26日午後10時から「宮崎駿スペシャル『風立ちぬ』1000日の記録」が放送される。

 新作映画「風立ちぬ」の制作に取り組む宮崎監督の姿を3年間にわたって密着取材。東日本大震災の被災地を訪ねる姿をはじめ、ファンタジーを捨てて実在の人物を描く新境地に挑む様子を克明に追っている。「女の子が元気になりましたとか、あっちの世界にいきましたとか、そういう話を作る時じゃない」と強く語りながら映画と格闘する姿が公開される。73分の拡大版。(2013年8月20日 読売新聞)

爆笑問題がスタジオジブリ探検!高畑勲・宮崎駿の不思議な関係、「かぐや姫の物語」を制作現場公開
【探検バクモン「魔法のアニメーション工房 第1話」】  総合/デジタル総合 10月23日(水) 22:55 〜23:19
http://www.j-cast.com/tv/2013/10/21186634.html

宮崎駿の長編アニメ引退が報じられた翌日、爆笑問題が「スタジオジブリ」を訪れた。宮崎の「お達し書き」などのお宝をくぐり抜けると、30年にわたって宮崎と高畑勲の両監督を支えてきた名物プロデューサー・鈴木敏夫が待っていた。 鈴木は宮崎引退の裏話や78歳とは思えない高畑の生活、宮崎と高畑の「不思議な関係」などを語り、実物のオスカー像やベルリン映画祭の「金熊」を披露する。爆笑問題は今秋公開の「かぐや姫の物語」を制作中の高畑の仕事場を訪れた。 高畑は原画を使いながら「アニメの演出術」を明かす。日本人とアニメーションの関係から、日本の絵巻物や浮世絵とアニメの共通点を探る。*探検バクモン

15NAME:2013/10/23(水) 18:51:39
南柯(なんか)の夢
はかない夢。また、栄華のむなしいことのたとえ。槐夢(かいむ)。槐安の夢。

◆昔、中国で、淳于(じゅんうふん)という人が、酔って古い槐(えんじゅ)の木の下で眠り、夢で大槐安国に行き、王から南柯郡主に任ぜられて20年の間、栄華をきわめたが、夢から覚めてみれば蟻(あり)の国での出来事にすぎなかったという、唐代の小説「南柯記」の故事から。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%8D%97%E6%9F%AF%E3%81%AE%E5%A4%A2&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=13897500

16NAME:2013/10/29(火) 18:32:27
伝説のフェス「BEATCHILD 1987」の真実に迫る映画公開
http://natalie.mu/music/news/97081

伝説のロックフェス「BEATCHILD 1987」の模様を収めたドキュメンタリー映画「ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987」が、10月26日から期間限定上映されることが決定した。

「BEATCHILD 1987」は1987年8月22日から翌23日にかけて、熊本・野外劇場アスペクタで行われたオールナイトの野外ロックフェス。佐野元春 with THE HEARTLANDやBOOWY、尾崎豊、THE BLUE HEARTS、渡辺美里、岡村靖幸など計13組の国内アーティストが、豪雨の中12時間にわたり熱演を繰り広げたことで、一部のロックファンの間では“史上最低で、最高のロックフェス”と呼ばれている。

今回の映画では監督を佐藤輝、音楽監督を佐久間正英が担当。ステージ上のアーティストたち、企画・運営していたスタッフたち、そして7万2000人の観衆たちにスポットを当て、26年前の真実に迫る。なお映画の主題歌にはウラニーノの「音楽はあるか」が起用された。

「ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987」はテレビ放送、DVD化、ネット配信などの予定は一切なし。「FUJI ROCK FESTIVAL」より10年も前に開催された大型ロックフェスの様子を、ぜひ劇場で確認してほしい。

「ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987」

公開日:2013年10月26日(土)より、期間限定プレミアム上映
上映劇場:イオンシネマ、TOHOシネマズ、Tジョイほか全国80館
料金:全国共通前売鑑賞券 2000円 / 当日券 2500円
チケット発売:2013年8月22日(木)より、イープラス、全国のファミリーマート店内Famiポートにて
映画本編出演者:THE BLUE HEARTS / RED WARRIORS / 岡村靖幸 / 白井貴子 & CRAZY BOYS / BOOWY / The Street Sliders / 尾崎豊 / 渡辺美里 / 佐野元春 with THE HEARTLAND(以上出演順)

※文中にてバンド名を「BOOWY」と表記していますが、2つ目のOは/付きが正式表記となります。

17NAME:2013/10/29(火) 18:33:35
佐野元春、BOOWY、尾崎豊ら出演『BEATCHILD 1987』、予告映像初公開
http://www.47news.jp/topics/entertainment/oricon/movie_anime/131947.html

BLUE VACATION
http://mojim.com/jpy111323x9x9.htm
だってガラスのジェネレーション
いつもきまって イミテーション

18NAME:2013/11/04(月) 05:25:10
豪雨の中でロックの時代が始まろうとしていた 1987年の伝説フェス『BEATCHILD』が映画化
リアルサウンド 10月12日(土)10時23分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131012-00010001-realsound-ent

すさまじい映画である。「フェスバブル」と言われるほどさまざまなフェスティバルが全国に乱立し、運営のノウハウや観客の経験値も十分に行き渡り、インフラも整備され、隅々まできっちりと管理された昨今では考えられないほど、ずさんで、不用意で、未熟で、それでも膨大な熱量と、誰にも止められない勢いと、時代が音をたてて変わろうとしている、震えるような予感だけがある。そんな伝説的なイベントを記録したのが『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987』だ。

 1987年8月22日から23日にかけて熊本県阿蘇山のふもとでおこなわれた、オールナイトの野外ロック・フェスの嚆矢とも言えるイベント『BEATCHILD』。ブルーハーツ、レッド・ウォリアーズ、BOOWY、ハウンド・ドッグ、ストリート・スライダーズ、尾崎豊、渡辺美里、佐野元春、岡村靖幸、白井貴子と、当時のメジャー・ロックの一線級が勢ぞろいしたラインナップ、72000人という観客の多さもさることながら、このイベントを伝説としたのが、イベントの開始前からほとんど絶え間なく降り続けた土砂降りの豪雨、いや「爆雨」である。文字通りの泥沼と化した会場、雨を避けるスペースもなく、今のフェス客のような雨具の備えさえもない。ただの野外コンサートのつもりで気軽に来てみれば、そこは爆雨と寒さ、水浸しになった会場という地獄が待っていたわけだ。夏台風の襲来で2日目が中止になった第1回フジロックを思い出す人も多いだろうが、当時はインターネットによる情報共有もなかったから、現場の混乱は比較にならないほど大きかったはず。なにより驚かされるのが、ステージに雨を避けるための屋根もないという事実だ。観客も、アーティストも、叩きつける爆雨になすすべもなく、ずぶ濡れになりながら12時間という長丁場を走り抜ける。今にしてみれば中止になってもおかしくない、というか当然中止にすべき状況なのに、最後までやりきったからこそ伝説になったわけだが、深刻な事故や死者が出ても不思議でない極限状況で、手を抜かずに全力でプレイしたアーティストにも、イベントを支えた裏方にも、最後まで耐えた観客にも、本当に頭がさがる。

 26年間変わらぬ甲本ヒロトの体型。26年間変わらぬ岡村靖幸の芸風。屈託なく笑う尾崎豊。気迫で圧倒する大友康平。爆雨の中でも決してスタリッシュなポーズを崩さない氷室京介。とりわけ感動的なのは、爆雨の中、モニターは使えず、ギターもベースも死んでドラムとキーボードしか聞こえないという状況で、ずぶ濡れになりながらもたったひとりで歌いきった白井貴子のライヴだ。ステージに上る前の、いますぐにでも逃げ出したいと言わんばかりのこわばった表情が、ステージに出た途端に満面の笑みとなり、爆雨をものともせずしなやかに躍動する。たとえどんなに最悪な状況であれ、絶対に手を抜かず全力で演奏し、観客を楽しませる、というプロ根性は素晴らしく、この白井のプレイこそがイベント全体の空気を決めた感がある。以降のアーティストたちの演奏はどれも文句なしの熱演と言って差し支えないものだ。空前のインディーズ・ブームからバンド・ブームへ。バブル経済の狂乱が日本を覆い尽くそうとしていた。80年代を支配したニューミュージックの時代が終わり、ロックの時代が始まろうとしていた1987年の刻印、目前に迫った祭りの季節の高揚の予感が、どのアクトからも感じられる。このイベントを支えたのは、自分たちが新しい時代を切り開きつつあるという72000人の意気込みだったのかもしれない。

 12時間に及ぶ地獄のような、あるいは天国のようなイベントのクライマックス。夜が明け始め、最後のアクトとして登場した佐野元春の時にだけ、雨があがる。そこで演奏された「サムデイ」は、正しく伝説として語り継がれるものだろう。

 演奏のみならずオフステージの舞台裏のアーティストの表情やスタッフの奮闘まで押さえた映像の数々は、よくぞ残っていたと言える貴重なもの。やたら感傷的なだけで押し付けがましいナレーションは、はっきり言って邪魔なだけだが、それを差し引いても十分に鑑賞の価値はある。ビデオ・ソフト化もTV放映も予定がなく、劇場に足を運ぶしか見る手段がないのは、そうでなくては権利関係の調整がつかなかったからだろうが、なによりこれは映画館の大きなスクリーンで「体験」すべきだ。

■映画情報 公開日:2013/10/26(土)より、イオンシネマ、TOHOシネマズ、Tジョイほかで全国一斉公開
出演者:ザ・ブルーハーツ、RED WARRIORS、岡村靖幸、白井貴子、ハウンド・ドッグ、The Street Sliders、BOOWY 、尾崎豊、渡辺美里、佐野元春(出演順) 監督:佐藤 輝 音楽監督:佐久間 正英

19NAME:2013/11/04(月) 06:42:47
BEAT CHILD ①
http://blog.m3.com/BackToTheStreet/20070703/1

豪雨だった数日前、僕に突然一通のメールが届いた。見知らぬアドレスで、『ビートチャイルドの件』とあった。あの日と同じ豪雨の中で、何かを感じて僕はドキリとした。そう言えば、2年ほど前に某巨大掲示板のマイナーなスレッドに僕は連絡先のメルアドを残してきていた。それを見たんだろうと思うが・・・もうスッカリ忘れかけていた。

【ビートチャイルドのビデオをお持ちの方、是非お譲りください。下記アドレスにご連絡を・・・】と書いてみたら、親切な熊本の女性がTV放送された【ビートチャイルド・コンサート マザーズ事務所所属バージョン】のビデオテープを譲ってくれた。僕はHDDに録画して時折楽しんでいる。

それから2年後、再びのメール。明けてみると・・・『ビデオを入手されましたか? 伝説のビートチャイルドの映像を是非観たいんです。譲ってください。』という内容だった。まだあの掲示板が残っていたとは・・・ 彼はコンサートの行われた年にはまだ小学生だったという。「ボウイ」のファンらしく、残念ながら「ボウイ」は映っていなかったが、僕は喜んで贈る事にした。ダビングしながら先程108分間(コンサートは12時間)の映像を観てみたが、演奏の映像よりも嵐の中の観衆の映像の方が遥かに素晴らしい。自分の姿がもしも映っていたら・・・一生の宝だと思う。後で書くが、とにかく凄まじい野外コンサートだった。

この素晴らしいコンサートを覚えている人は恐らく現在 42〜55歳くらいではなかろうか? 「DVD化を是非して売り出して欲しい」と佐野元春さんの公式サイトに以前メール出したけど読んでくれただろうか? 絶対に参加した7万人(多分20万枚)には売れるので、著作権など難しい問題も多いだろうけど、佐野さんを中心にDVDを出して欲しいものだ。

21NAME:2013/11/05(火) 10:54:56
なぜ今「おしん」なのか…軟弱な日本人に“喝”を、橋田壽賀子氏は「著作権料いらぬ」とまで言った
2013.11.5 07:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131105/wlf13110507010001-n1.htm

世界を巡ってきた中沢さんの頭には、すぐに3つの明確な理由が浮かんだという。

 (1)ニートなど何もせずとも食べていける国は日本ぐらいだが、今後の日本はこれでいいのか。 (2)困難を前にするとすぐに挫ける。簡単にやめ、家出し、時に死を選ぶ。日本人はなぜ弱くなったのか。 (3)見た後で心に残る、作品から得たものを家に持ち帰ることができる映画が減った。心に飛び込む作品を作れないものか。 そのすべてを表現できるのが「おしん」だと思ったという。

橋田さんは「本当にやるの?」と聞いた。一から資金集めをして映画を作る難しさを知っていたからだ。「僕、単独ででも、責任を持ってやります」と答えると、橋田さんはその場で了承してくれた。「著作権料はいらないから、とまで言ってくださった。もちろん、そのお言葉に甘えませんでしたが」と笑う。

“スパルタ撮影”に耐え…トイレで泣く

 主役のおしんは、オーディションで宮崎出身の濱田ここねちゃんを選んだ。「いまの時代の子供に、ドラマ撮影当時と同じことができるのか、という挑戦でもありました」と中沢さん。 プロデューサーの意図をくんだ山形出身の冨樫森監督は、“スパルタ撮影”を敢行。山形での1カ月半以上の撮影期間、両親と離してたった1人で挑ませ、自宅への電話も禁じた。冨樫監督は「奉公に出たおしんと同じ状況を作ろうと。この映画はここねが、おしんになろうとした過程の記録でもあります」と語る。

 吹雪の中、着物にわらの靴を履かせて歩かせた。雪に足をとられ、本当によろけていたほどだった。ここねちゃんは「毎日、家に3通手紙を書いて送っていました。早く撮影を終わらせて、家族に会いたいと頑張った」と笑う。 が、撮影期間、ここねちゃんは愚痴も泣き言も一切漏らさず、涙も見せなかった。「朝、暗い顔で現場に現れたことは一度もない。映画が完成した後、実は、明るく『トイレに行く』と言って一人で泣いていた、と知った。すごいです」と監督。中沢さんも「彼女は普通の子。でも今の普通の子だってやるときはやる、ということを見せてくれ、とうれしかった」

22NAME:2013/11/06(水) 23:27:23
日本食は有力な「輸出産業」だ ユネスコ無形文化遺産登録で意気込む
2013年11月4日 16:00更新
http://money.jp.msn.com/news/j-cast/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e9%a3%9f%e3%81%af%e6%9c%89%e5%8a%9b%e3%81%aa%e3%80%8c%e8%bc%b8%e5%87%ba%e7%94%a3%e6%a5%ad%e3%80%8d%e3%81%a0%e3%80%80%e3%83%a6%e3%83%8d%e3%82%b9%e3%82%b3%e7%84%a1%e5%bd%a2%e6%96%87%e5%8c%96%e9%81%ba%e7%94%a3%e7%99%bb%e9%8c%b2%e3%81%a7%e6%84%8f%e6%b0%97%e8%be%bc%e3%82%80

国連教育科学文化機関(ユネスコ)が「和食 日本人の伝統的な食文化」を無形文化遺産に登録する見通しになった。日本政府が2012年3月に行った登録申請について、事前審査を行うユネスコの政府間委員会の補助機関が新規登録を認めるよう勧告した。文化庁によると、過去の事前審査で勧告された提案が覆されたケースはなく、2013年12月上旬に開かれるユネスコの政府間委員会で正式に登録される見込みだ。

■TPPで国内農産物に危機感

これまでユネスコの無形文化遺産に登録された食文化は、フランスの美食術、スペインやイタリアなどの地中海料理、メキシコの伝統料理、トルコのケシケキ(麦がゆ)の4つで、和食(日本食)が認められれば世界で5つ目。日本食がユネスコの無形文化遺産に認められれば、日本の農水産業や外食産業にとっても朗報だ。政府は外務省、農林水産省、文化庁が連携し、和食の無形文化遺産登録を目指してきた。それは海外で和食の知名度が上がり、愛好家が増えることによって、和食に使う日本の農水産物や加工食品などを海外へ輸出できるというソロバン勘定もある。

環太平洋パートナーシップ協定(TPP)でコメや乳製品など農水産物の関税が撤廃された場合、海外から安価な農水産物の輸入が増え、国内農水産物の消費は縮小する可能性が高い。これに危機感をもつ政府は「攻めの農林水産業」と称して、国内の農水産物の輸出を増やすことで、国内消費の減少分を穴埋めする戦略を描いている。海外では中国の富裕層はじめ、日本の「安全でおいしい」高級食材を購入するケースが増えているからだ。

■海外の日本食レストランが急増している

外務省と農水省によると、海外の日本食レストランは2013年3月時点で約5万5000店。2006年の約2万4000店から倍増した。地域別に最も多いのは、アジアの約2万7000店で、北米の約1万7000店、欧州の約5500店、中南米の約2900店と続く。日本貿易振興機構(JETRO)などの調査では、外国人が最も好きな外国料理は日本料理で、外国人観光客が来日前に最も期待するのは日本食だという。

23NAME:2013/11/07(木) 23:02:30
“天才”引退の真相は…上岡龍太郎氏を徹底分析 作家、戸田学氏が「話芸一代」出版
2013.11.7 10:35
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131107/wlf13110710420006-n1.htm

「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才」を自称。桂米朝や藤山寛美に愛され、やしきたかじんや上沼恵美子、島田紳助氏ら関西を代表する人気タレントが一目置いた存在ながら、本人の著作や対談集はあっても、その芸について語られることはほとんどなかった。

↑ コイツは天才でも何でもない。 トークでも、気の効いた発言を思いつかず、間が空くのが怖くて苦し紛れに喋っていた。それがバレないうちに引退した。 でも既にバレている。www

24NAME:2013/11/08(金) 13:08:39
ラジオ特別番組「BEATCHILD RADIO〜音楽はあるか〜」
限定配信中!
http://www.beatchild.jp/popup/special.html

〜東北コミュニティFMにて絶賛放送中〜 1987年当時のBEATCHILDを取材した、音楽評論家・ノンフィクション作家の田家秀樹さんが、
アーティストや現場スタッフなどの関係者をゲストに迎え当時を振り返る、30分の特別番組。

25NAME:2013/11/29(金) 06:12:15
「差別的言葉で名誉毀損」NHKに賠償命じる 台湾先住民族ら逆転勝訴 
2013.11.28 23:05 [不祥事]
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131128/trl13112823060006-n1.htm

 日本の台湾統治を扱ったNHKの番組内容で名誉を傷つけられたとして、出演した台湾先住民族のパイワン族や視聴者ら計42人がNHKに損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で東京高裁は28日、「人間動物園」という言葉が台湾先住民族の女性に対する差別的表現で、名誉を傷つけたと認定、100万円の支払いを命じた。1審東京地裁判決は原告側の全面敗訴だった。

 1審で原告側は計約1億1000万円を請求していたが、原告数の減少に伴い2審では計710万円の支払いを求めていた。 判決などによると、平成21年4月5日に、NHKスペシャル「シリーズJAPANデビュー」の第1回「アジアの“一等国”」で放送。1910年にロンドンで開催され、パイワン族の生活状況を紹介した日英博覧会の写真に「人間動物園」とテロップを表示し、「イギリスやフランスは植民地の人々を盛んに見せ物にし、日本はそれをまねた」と紹介した。

 賠償を認められたパイワン族の高許月妹(こうきょ・げつまい)さん(83)の父はこの博覧会に参加。高許さんはNHKのインタビューに応じた。 1審は「人間動物園」の表現について、「過去の歴史的事実として紹介したにすぎず、番組が原告の父親を動物扱いしているものではない」と認定。しかし、2審で須藤典明裁判長は「深刻な人種差別的意味合いを持つ言葉で、パイワン族が野蛮で劣った人間で動物園の動物と同じように展示されたと放送した」とし、1審の判断を覆した。

26NAME:2014/01/04(土) 09:13:30
『JJ』のカバーで振り返る「モテ顔」の歴史・80年代編
2013年12月19日
http://lifestyle.jp.msn.com/beauty/beauty_awards/beauty_idea/%e3%80%8ejj%e3%80%8f%e3%81%ae%e3%82%ab%e3%83%90%e3%83%bc%e3%81%a7%e6%8c%af%e3%82%8a%e8%bf%94%e3%82%8b%e3%80%8c%e3%83%a2%e3%83%86%e9%a1%94%e3%80%8d%e3%81%ae%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e3%83%bb80%e5%b9%b4%e4%bb%a3%e7%b7%a8#image=25

29NAME:2014/01/06(月) 08:32:28
親に売られてた子供時代のきゃりーぱみゅぱみゅ(本名:竹村桐子)

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