したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

竹 島

1NAME:2012/07/09(月) 15:31:45
竹 島

102NAME:2014/05/02(金) 20:46:28
竹島=日本、反響呼ぶ戦う島根県
戦う島根県、「竹島」及び腰の国を尻目に「日本の領土」と次々発信…韓国無反応「勝てないものには反論しないのがあの国の特徴」
2014.5.2 07:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140502/waf14050207000002-n1.htm

韓国が不法占拠を続ける竹島(島根県隠岐の島町)について、同県が「日本固有の領土」を主張するさまざまな取り組みに力を入れている。県の竹島問題研究会は今年の「竹島の日」(2月22日)に合わせ、韓国の主張への反論も盛り込んだ啓発本「竹島問題100問100答」を出版。歴史的事実などに裏打ちされた「竹島=日本」の根拠を数々示し、国内で反響を呼んだが、韓国側から反論はなかったという。 一方、今年も竹島の日式典に首相の出席が見送られるなど、及び腰に映る国の対応や進展しない現状に地元では不満も強まっている。(坂田弘幸)

「勝てない主張に反論しない」都合の良い韓国

 「竹島問題100問100答」は、同県が設置し識者らでつくる「竹島問題研究会」が、これまでの研究成果を一般向けに分かりやすくまとめた啓発本だ。韓国側も韓国領有を主張する「独島問題100問100答」を出しており、その主張にも反論する内容に仕立てた。 「竹島問題−」では、島根県が竹島を領土編入した経緯や、昔の絵図や日本地図などに登場する竹島など、日本領有の証拠となる資料の解説などが行われている。また、「韓国の主張に反論する」という章も設け、「日本の竹島領土編入前に韓国が竹島を実効支配した証拠はあるか」「韓国はなぜ日本海を『東海』にしたいのか」など韓国側の主張の説明とその反論にも力を注いだ。 韓国側の主張も意識した内容だけに、反論も予想されたが、同研究会座長の下條正男・拓殖大教授は「韓国側はほとんど反応していない」と現状を語る。さらに、「韓国側の特徴として、勝てないものには反論しない」とし、「韓国側が今後、どこを突いてくるか楽しみ」と余裕も見せた。

“明治期に奪われた”と主張する韓国…島根県が証拠提示、反響

103NAME:2014/05/02(金) 20:47:52
国の態度が煮え切らないなか、竹島に対するこうした同県の積極的な情報収集、発信の取り組みは内外に評価されている。 同県で行われている独自の竹島教育で、副教材などの資料を求める声が全国の教育現場などから寄せられているのはその一例だ。

竹島漁労の実態解明へ

 韓国側の反論がほとんど出てこないなか、島根県は明治期における竹島周辺での漁業実態の調査に力を入れる方針だ。同県が竹島を領土に編入した明治38(1905)年より前に、隠岐の住民が竹島周辺で漁業を行っていたことを示すことで、県の竹島編入について「島を奪われた」とする韓国の主張への反論になるとしている。 中でも注目されているのは、隠岐の島町内で「八浦屋(やうらや)」の屋号で活動していたとされる商家。これまで活動の様子がよく分かっていなかった。

 同県の竹島編入の経緯については、竹島でアシカを捕っていた地元の水産業者、故中井養三郎(1864〜1934年)が明治37年、アシカの乱獲防止などのため竹島の所属を明確にしたほうがいいと、領土編入を政府に願い出たのがきっかけとされる。 また、竹島問題研究会の住民への聞き取り調査で、中井が竹島漁労に参入する前の明治30年頃、すでに竹島で漁業が行われていた実態が分かっている。

 それ以前はどうか。隠岐の島町の八幡昭三さん(85)が、当時の様子を父から聞いていた。「明治20年代後半、隠岐から朝鮮に出かけて貿易する人がいた」「旧五箇村福浦(現隠岐の島町)に『八浦屋』という家があり、朝鮮への行き帰りに竹島でアワビを捕って売っていた」−などと証言している。

「竹島の日」に見せた国のあいまい対応に地元は不満

研究会は証言の裏付けにあたり、「八浦屋」が「八幡(やわた)」の姓だったことを確認。また、同県浜田市の廻船帳などから八浦屋が明治初期に北前船の廻船業を営み、同20年代後半には竹島でアワビ漁をしていた可能性が高いことも分かった。 研究会の山崎佳子委員は「八浦屋は隠岐の竹島漁労の先駆者。遅くとも明治20年代後半には、竹島は隠岐の漁業者の生活圏となっていた」と話す。

「竹島の日」国のあいまい対応に不満

 こうした活動が熱を帯びるのも、政府の対応が及び腰に映るからだ。 「(竹島問題に対する国の姿勢について)あまり変化があったと思わない。このままでは、この(『竹島の日』)式典が形骸化してしまう」 竹島のある隠岐の島町の松田和久町長は今年の式典後にこう語り、地元の思いと政府の対応の差にいらだちをみせた。 松江市内で開かれた「竹島の日」式典には約500人が出席。政府は、県が招待状を送った首相や外相らの出席を今年も見送り、昨年に続いて内閣府政務官を派遣した。 「竹島は歴史的事実からも、国際法上も明らかにわが国固有の領土であり、竹島問題の解決は主権に関わる極めて重要な課題だ。竹島は地元の皆さまにとってふるさとであり、生活の一部だ。政府として、竹島に寄せる思いを重く受け止めている」 政府を代表してあいさつした亀岡偉民内閣府政務官は、竹島における国の立場を明言した。

まだ足りぬのか! 「竹島=日本」の証拠まだまだ収集・発信

104NAME:2014/05/02(金) 20:48:37
ところが、式典後、報道陣に今後の対応を問われると、「諸般の事情を検討する」などと、あいまいな発言に終始した。 竹島をめぐっては、文部科学省が今年1月、中学、高校の教員向けの学習指導要領解説書改定で「わが国固有の領土」と明記することを決定。式典で、同県の溝口善兵衛知事も「政府が取り組みを強化し、竹島問題をめぐる活動は新しい局面に入った」と、安倍晋三政権の姿勢を評価した。

 しかし、式典には首相らの姿はなく、今後の対応についても、しっかりとした道筋は示されないまま。「式典の形骸化」を心配する松田町長の発言は、竹島問題の早期解決を願う地元の声を代弁している。 同県では「竹島問題100問100答」の発行後も、「竹島=日本」の証拠を積極的に集めている。こうした取り組みは、国の煮え切らない態度に対する地元の反動ともいえ、国の奮起を期待してのことでもある。

105NAME:2014/05/02(金) 20:51:45
対馬仏像、日本へ返還の訴え却下
対馬の仏像返還の訴え棄却 原告僧侶らに「提訴の資格なし」
2014.5.2 19:52
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140502/kor14050212190005-n1.htm

【ソウル=加藤達也】長崎県対馬市から仏像2体が盗まれ韓国に持ち込まれた事件に絡み、2体のうち海神(かいじん)神社の「銅造如来立像」(国指定重要文化財)について、韓国の市民団体が韓国政府を相手に日本への即時返還を求めた行政訴訟の判決で、ソウル行政裁判所は2日、訴えを却下した。 原告は、海外にある朝鮮半島由来の文化財を取り戻す市民団体の代表も務めている僧侶の慧門(へムン)氏。

 韓国文化財庁は、検察の決定を待った上で返還の適否を判断するとしていた。慧門氏らは1月、窃盗事件の刑事裁判が終了し「(検察が)証拠品として管理する必要がなくなった」と訴訟を起こした。 行政裁は判決理由で「原告は返還を求める権利があるとの具体的根拠を提示できていない」と指摘、所有者でない原告に提訴資格はないとした。 判決について慧門氏は「韓日関係改善の契機にもなっただろうに残念だ」と話しているが、団体はそもそも、請求権問題が「完全かつ最終的に解決した」と定めた1965年の日韓請求権協定を無視して文化財返還運動を主導してきた。今回も盗まれたもう1体の「観世音菩薩坐像」には言及していない。

106NAME:2014/05/30(金) 21:29:32
竹島は「日本の景勝地」昭和初期には認知裏付け 国の旅行ガイドで紹介
2014.5.9 11:49
http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/140509/plt14050911490012-n1.html

昭和9年に旧鉄道省が発行した旅行ガイド本に、島根県の竹島が紹介されていた。昭和初期には竹島が日本の景勝地として認知されていたことを裏付ける。 旧鉄道省(現・国土交通省)が昭和9年に発行した旅行ガイド本「日本案内記」の中国・四国編で、竹島(島根県隠岐の島町)が紹介されていることが8日、島根県の調査で分かった。国の機関の観光本で竹島の記載が見つかった最初の例とみられ、県の竹島問題研究会は「昭和初期に竹島が国内の景勝地の一つと国も認めていた証拠」としている。

 日本案内記は昭和初期、東北編や中部編、近畿編などに分けて出版。鉄道駅ごとに沿線の見どころを紹介し、年中行事や産業、モデルの旅行日程などを記載している。 竹島は中国・四国編の鳥取−米子間の駅周辺の紹介に続いて登場。隠岐の一部として取り上げられ、「隠岐島の西北一五七粁(キロメートル)、日本海中にあり、二箇の岩嶼(がんしょ)より成り、断崖峭立(しょうりつ)、處々(ところどころ)に洞門あり、海底深くして(とうびょう)困難である」と記している。 「海驢(あしか)の蕃殖地(はんしょくち)で、西郷町(現隠岐の島町)の竹島漁撈会社がその捕獲を営んで居る。住民はない。この島は洋人の称するリヤンクール岩で、邦人はもと松島と呼んだが、明治三十八年島根県の所属となって、現名に改まった」と続き、「日本海大海戦(日露戦争)の際、我が艦隊は露国の第二艦隊をこの附近で追撃捕獲した」と記述している。

日本案内記は、研究会の関係者が国内の図書館などで戦前の観光関係の書物を調べた際に見つけた。昭和17、29両年に改訂版が出るなど広く活用されていたことも確認。研究会は「全国に広まった旅行ガイド本で竹島が取り上げられ、当時の多くの人が景勝地の一つとして認識していたことがうかがえる」としている。

107NAME:2014/06/09(月) 00:42:06
戦う島根県、「竹島」及び腰の国を尻目に「日本の領土」と次々発信…韓国無反応「勝てないものには反論しないのがあの国の特徴」
2014.5.2 07:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140502/waf14050207000002-n1.htm

韓国が不法占拠を続ける竹島(島根県隠岐の島町)について、同県が「日本固有の領土」を主張するさまざまな取り組みに力を入れている。県の竹島問題研究会は今年の「竹島の日」(2月22日)に合わせ、韓国の主張への反論も盛り込んだ啓発本「竹島問題100問100答」を出版。歴史的事実などに裏打ちされた「竹島=日本」の根拠を数々示し、国内で反響を呼んだが、韓国側から反論はなかったという。 一方、今年も竹島の日式典に首相の出席が見送られるなど、及び腰に映る国の対応や進展しない現状に地元では不満も強まっている。(坂田弘幸)

「勝てない主張に反論しない」都合の良い韓国

 「竹島問題100問100答」は、同県が設置し識者らでつくる「竹島問題研究会」が、これまでの研究成果を一般向けに分かりやすくまとめた啓発本だ。韓国側も韓国領有を主張する「独島問題100問100答」を出しており、その主張にも反論する内容に仕立てた。 「竹島問題−」では、島根県が竹島を領土編入した経緯や、昔の絵図や日本地図などに登場する竹島など、日本領有の証拠となる資料の解説などが行われている。また、「韓国の主張に反論する」という章も設け、「日本の竹島領土編入前に韓国が竹島を実効支配した証拠はあるか」「韓国はなぜ日本海を『東海』にしたいのか」など韓国側の主張の説明とその反論にも力を注いだ。 韓国側の主張も意識した内容だけに、反論も予想されたが、同研究会座長の下條正男・拓殖大教授は「韓国側はほとんど反応していない」と現状を語る。さらに、「韓国側の特徴として、勝てないものには反論しない」とし、「韓国側が今後、どこを突いてくるか楽しみ」と余裕も見せた。

“明治期に奪われた”と主張する韓国…島根県が証拠提示、反響

国の態度が煮え切らないなか、竹島に対するこうした同県の積極的な情報収集、発信の取り組みは内外に評価されている。 同県で行われている独自の竹島教育で、副教材などの資料を求める声が全国の教育現場などから寄せられているのはその一例だ。

竹島漁労の実態解明へ

 韓国側の反論がほとんど出てこないなか、島根県は明治期における竹島周辺での漁業実態の調査に力を入れる方針だ。同県が竹島を領土に編入した明治38(1905)年より前に、隠岐の住民が竹島周辺で漁業を行っていたことを示すことで、県の竹島編入について「島を奪われた」とする韓国の主張への反論になるとしている。 中でも注目されているのは、隠岐の島町内で「八浦屋(やうらや)」の屋号で活動していたとされる商家。これまで活動の様子がよく分かっていなかった。 同県の竹島編入の経緯については、竹島でアシカを捕っていた地元の水産業者、故中井養三郎(1864〜1934年)が明治37年、アシカの乱獲防止などのため竹島の所属を明確にしたほうがいいと、領土編入を政府に願い出たのがきっかけとされる。

 また、竹島問題研究会の住民への聞き取り調査で、中井が竹島漁労に参入する前の明治30年頃、すでに竹島で漁業が行われていた実態が分かっている。 それ以前はどうか。隠岐の島町の八幡昭三さん(85)が、当時の様子を父から聞いていた。「明治20年代後半、隠岐から朝鮮に出かけて貿易する人がいた」「旧五箇村福浦(現隠岐の島町)に『八浦屋』という家があり、朝鮮への行き帰りに竹島でアワビを捕って売っていた」−などと証言している。

「竹島の日」に見せた国のあいまい対応に地元は不満

108NAME:2014/06/09(月) 00:43:13
研究会は証言の裏付けにあたり、「八浦屋」が「八幡(やわた)」の姓だったことを確認。また、同県浜田市の廻船帳などから八浦屋が明治初期に北前船の廻船業を営み、同20年代後半には竹島でアワビ漁をしていた可能性が高いことも分かった。 研究会の山崎佳子委員は「八浦屋は隠岐の竹島漁労の先駆者。遅くとも明治20年代後半には、竹島は隠岐の漁業者の生活圏となっていた」と話す。

「竹島の日」国のあいまい対応に不満

 こうした活動が熱を帯びるのも、政府の対応が及び腰に映るからだ。 「(竹島問題に対する国の姿勢について)あまり変化があったと思わない。このままでは、この(『竹島の日』)式典が形骸化してしまう」 竹島のある隠岐の島町の松田和久町長は今年の式典後にこう語り、地元の思いと政府の対応の差にいらだちをみせた。 松江市内で開かれた「竹島の日」式典には約500人が出席。政府は、県が招待状を送った首相や外相らの出席を今年も見送り、昨年に続いて内閣府政務官を派遣した。 「竹島は歴史的事実からも、国際法上も明らかにわが国固有の領土であり、竹島問題の解決は主権に関わる極めて重要な課題だ。竹島は地元の皆さまにとってふるさとであり、生活の一部だ。政府として、竹島に寄せる思いを重く受け止めている」 政府を代表してあいさつした亀岡偉民内閣府政務官は、竹島における国の立場を明言した。

まだ足りぬのか! 「竹島=日本」の証拠まだまだ収集・発信

ところが、式典後、報道陣に今後の対応を問われると、「諸般の事情を検討する」などと、あいまいな発言に終始した。 竹島をめぐっては、文部科学省が今年1月、中学、高校の教員向けの学習指導要領解説書改定で「わが国固有の領土」と明記することを決定。式典で、同県の溝口善兵衛知事も「政府が取り組みを強化し、竹島問題をめぐる活動は新しい局面に入った」と、安倍晋三政権の姿勢を評価した。 しかし、式典には首相らの姿はなく、今後の対応についても、しっかりとした道筋は示されないまま。「式典の形骸化」を心配する松田町長の発言は、竹島問題の早期解決を願う地元の声を代弁している。 同県では「竹島問題100問100答」の発行後も、「竹島=日本」の証拠を積極的に集めている。こうした取り組みは、国の煮え切らない態度に対する地元の反動ともいえ、国の奮起を期待してのことでもある。

109NAME:2014/06/13(金) 23:54:33
米韓が「東海」呼称問題でワークショップ 一般参加の日本大使館員が反論
2014.6.13 08:23
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140613/amr14061308230001-n1.htm

【ワシントン=加納宏幸】韓国政府が日本海の名称に、同国の呼称「東海」の併用を求めている問題で、韓国の財団などが12日、ワシントンで研究集会を開いた。韓国政府関係者や米国の韓国研究者が次々と併用論を展開する中、招待を受けずに一般の参加者として出席した日本大使館の職員が「日本海は国際的に確立した唯一の呼称」との日本の立場を説明した。 研究集会はジョンズ・ホプキンス大高等国際問題研究大学院(SAIS)米韓研究所と韓国の東海協会が共催。韓国側出席者らが「東海呼称問題や慰安婦問題に関心を持ってほしい」と、支持を呼び掛けた。 パネルディスカッションでも米国の研究者が「日本海呼称は日本統治の遺産」「植民地時代の後の地名変更はいくつも例がある」などと発言。日本大使館員は「複数の名称を使うと混乱が生じる」と述べた。

110NAME:2014/12/19(金) 17:26:32
竹島でサザエ漁の写真みつかる 日本の生活圏の証拠また一つ 韓国占拠前の昭和初期
2014.12.19 12:52更新
http://www.sankei.com/west/news/141219/wst1412190036-n1.html

韓国が不法占拠する前の昭和初期、竹島(島根県隠岐の島町)で採ったサザエが隠岐の島町で缶詰やボタンに加工され、販売されていたことが19日、県竹島問題研究会の調査で分かった。当時の工場の写真が見つかり、証言などから裏付けた。研究会は、韓国が竹島に警備隊を常駐させて不法占拠した昭和29年より前に、同町の住民が竹島を生活圏としていた有力な証拠の一つとみている。

 発見された写真は、サザエ加工会社「森山缶詰」の工場での作業風景を写したとみられる数点。うち2点の裏面にはそれぞれ「昭和十三年一月 釦(ぼたん)工場半分」「十三年一月 缶詰工場半分」と説明書きがあった。 同社社長を務めた故森山秀之助さんの長女、手崎りえ子さん(70)=千葉県白子町=方で今秋、見つかった。手崎さんは「(森山さんは)『竹島に何度も行った』と話していた」と証言。研究会は、別の漁業者の日誌からもサザエ漁のため竹島に行った事実を確認しており、工場のサザエは「竹島産」と結論づけた。 研究会は「竹島の漁獲物を利用した経済活動が隠岐で行われていたことがより明確になった。わが国の領土であることを補強する有力な資料」としている。

111NAME:2015/01/11(日) 21:24:24
竹島でサザエ漁の写真みつかる 日本の生活圏の証拠また一つ 韓国占拠前の昭和初期
2014.12.19 12:52更新
http://www.sankei.com/west/news/141219/wst1412190036-n1.html

韓国が不法占拠する前の昭和初期、竹島(島根県隠岐の島町)で採ったサザエが隠岐の島町で缶詰やボタンに加工され、販売されていたことが19日、県竹島問題研究会の調査で分かった。当時の工場の写真が見つかり、証言などから裏付けた。研究会は、韓国が竹島に警備隊を常駐させて不法占拠した昭和29年より前に、同町の住民が竹島を生活圏としていた有力な証拠の一つとみている。

 発見された写真は、サザエ加工会社「森山缶詰」の工場での作業風景を写したとみられる数点。うち2点の裏面にはそれぞれ「昭和十三年一月 釦(ぼたん)工場半分」「十三年一月 缶詰工場半分」と説明書きがあった。 同社社長を務めた故森山秀之助さんの長女、手崎りえ子さん(70)=千葉県白子町=方で今秋、見つかった。手崎さんは「(森山さんは)『竹島に何度も行った』と話していた」と証言。研究会は、別の漁業者の日誌からもサザエ漁のため竹島に行った事実を確認しており、工場のサザエは「竹島産」と結論づけた。 研究会は「竹島の漁獲物を利用した経済活動が隠岐で行われていたことがより明確になった。わが国の領土であることを補強する有力な資料」としている。

竹島産のサザエを扱ったとみられる森山缶詰の缶詰工場内の写真。裏面に「十三年一月 缶詰工場半分」の説明書きがある(島根県竹島問題研究会提供)
竹島産のサザエを扱ったとみられる森山缶詰のボタン工場内の写真。裏面に「昭和十三年一月 釦工場半分」の説明書きがある(島根県竹島問題研究会提供)

112NAME:2015/02/24(火) 02:19:47
韓国領に竹島の記載なし 130年前の中国の書物
2015.2.7 16:01更新
http://www.sankei.com/west/news/150206/wst1502060090-n1.html

中国で1882年に作られた韓国の歴史や地理などをまとめた書物「東藩(とうはん)紀要」に、わが国固有の領土で韓国が不法占拠する竹島(島根県隠岐の島町)の記載がないことが6日、県竹島問題研究会の調査で分かった。研究会は「当時の李氏朝鮮の宗主国だった清が、竹島を李氏朝鮮の領土と認識していなかったことが分かる」と話している。

 研究会などによると、当時の韓国は李氏朝鮮の時代で、宗主国の清と君臣関係にあった。書物は、李氏朝鮮の内乱後、清が支配を強化しようと、清の役人が李氏朝鮮の地理、歴史、制度などの資料を集めて編纂(へんさん)。研究会関係者が昨秋、台湾の出版社が1972年に出版した復刻版を入手した。

 韓国は、昔の地図にある「于山(ウサン)」が現在の竹島と主張。同書にある地図「朝鮮輿地(よち)図」と「江原道(カンウォンド)図」では、朝鮮半島の東側にある鬱陵島のすぐ東に「于山」が描かれ、同書の説明で「鬱陵島旁有于山」と鬱陵島の近くに于山があるとした。しかし、実際の竹島は鬱陵島の南東約90キロと離れており、位置や方角も異なる。また、同書で示す朝鮮の範囲とする経度では、竹島は入らないという。

113NAME:2015/06/14(日) 18:16:20
「独島が日本の領土」になっている! 今度は米国務省領事局のHP上で・・・韓国外交部の対応に懸念=韓国ニュース
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%80%8C%E7%8B%AC%E5%B3%B6%E3%81%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%EF%BC%81-%E4%BB%8A%E5%BA%A6%E3%81%AF%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E5%8B%99%E7%9C%81%E9%A0%98%E4%BA%8B%E5%B1%80%E3%81%AE%EF%BD%88%EF%BD%90%E4%B8%8A%E3%81%A7%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E9%9F%93%E5%9B%BD%E5%A4%96%E4%BA%A4%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E3%81%AB%E6%87%B8%E5%BF%B5%EF%BC%9D%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/ar-AA9Oubo#page=2

複数の韓国メディアは16日、米国国務省領事局が、国務省内のホームページ(以下、HP)上に掲載する地図で、「韓国名:独島」を日本領土の「竹島」として表記していることが確認されたと報じた。 記事によると、今年初め、米国中央情報局(CIA)が、「ザ・ワールド・ファクト・ブック」を1月4日に公開した時、「竹島(韓国名:独島)」や「日本海(韓国名:東海)」の表記と同じだったと指摘。現在、過去の歴史問題で日韓関係が悪化している中、米国に対し、韓国の外交部の対応が「ザル」ではないかとの懸念が出ていると報じた。

 11日、ワシントン外交筋によると、米国国務省領事局は、昨年10月31日に同HPを更新。同HP内の「韓国旅行情報ページ」において、添付された地図を「韓国名:東海」ではなく「日本海」と表記し、鬱陵島の右にあるべき「竹島(韓国名:独島)」を表記していなかったという。 一方、米国国務省領事局は、同HP内の「日本旅行情報ページ」においては、「リアンクール(Liancourt)」と表記しており、また、同HPで、日本とロシアが領土だと主張する「北方領土」においては、関連事項の要点ををまとめ記載していたが、「竹島」については、説明すらなかったと報じた。

 続けて、記事は、米国中央情報局(CIA)に続き、米国国務省でさえ、このような表記をし、韓国外交部の対応があまりにも「雑」なのではないかという指摘も出ていると伝えたほか、ワシントン在住のある専門家は「領事局がこのような地図を使ったということは国務部の内部でさえ、竹島に対する正確な情報の共有ができていないということを意味する」と懸念を示したと報じた。

 この報道に対し韓国のネットユーザー達は「独島は明らかに韓国の地です」「このままじゃ本当に奪われる」「全て奪われ、何を残してあげれるのか。子孫たちに」など、自国領土であることを強く訴えるコメントのほか、「外交部は何のために作ったのか」「米国は韓国の友好国を装い、日本の友好国であることがわかったでしょ?」「力もない大韓民国!自国の領土も守れないくせにどうやって国民を守るのか?」など米国政府や韓国政府ならびに、両国関係に対する批判など、様々なコメントが寄せられた。(編集担当:李樹香)(写真は韓国日報の16日付報道の画面キャプチャ)

114NAME:2016/03/23(水) 03:59:57
【竹島を考える】
歴史論争で勝ち目ない韓国、「対外宣伝工作」に戦術変更 下條正男・拓殖大教授
2016.3.22 15:00更新
http://www.sankei.com/west/news/160322/wst1603220005-n1.html

竹島問題は今、新たな局面を迎えている。韓国側は「独島(竹島の韓国名)は韓国固有の領土」と標榜(ひょうぼう)し、竹島を所管する慶尚北道を中心に、攻撃的な対外宣伝工作に乗り出したからだ。 3月14日付の『慶北毎日』(電子版)などによると、慶尚北道では今後、韓国観光公社の海外支店31カ所、在米の韓国学校千校余りと協力関係を構築し、500人の外国人リーダーを選抜して、「独島広報」に活用するという。

歴史論争避け、宣伝工作選択した韓国

これは、島根県竹島問題研究会が『竹島問題100問100答』を刊行し、昨年8月に『最終報告書』をまとめたことと無関係ではない。竹島が歴史的に韓国領でなかった事実が明らかにされ、韓国側では戦術の変更を余儀なくされたからである。 だが、韓国側の「独島は韓国固有の領土」の宣伝文には意味がない。竹島を「固有の領土」と言えるのは、「無主の地」であった無人島を1905年に領有した日本だけである。1952年、韓国政府が「李承晩ライン」を宣言した当時の竹島は、すでに「無主の地」ではなかったからだ。韓国側が竹島を「固有の領土」とするためには、1905年以前に、竹島が韓国領だった確証を示さなければならなかったのである。 しかし、韓国側は歴史領域での論争を避け、対外宣伝工作を選択した。

「見える」のは、独島か鬱陵島か

ではなぜ、韓国側は歴史論争を忌避したのか。それは、韓国側には伝統的に歴史を演繹(えんえき)的に捉える傾向があるからである。 1954年、韓国政府が竹島を武力占拠すると、日本政府は国際司法裁判所への付託を提案したが、韓国政府はその際、竹島を日本による「韓国侵略の最初の犠牲の地」とする「歴史認識」を示して、提案を拒絶した。 以来、韓国側は、「独島はわが領土」とする先入見を根拠に、文献を読むことになる。そのため、『世宗実録』の「地理志」や『新増東国輿(よ)地勝覧』(いずれも朝鮮で編纂(へんさん)された地誌)などに「見える」という記述があると、韓国側では「欝陵島から独島が見える」と解釈し、竹島を韓国領である証拠とした。 ところが、17世紀に日本と朝鮮が欝陵島の領有権を争った際、朝鮮側ではその「見える」を「朝鮮半島から欝陵島が見える」と解釈し、欝陵島を朝鮮領とする論拠としていたのである。

文献批判怠る韓国

 この事実を島根県のウェブサイト(『実事求是』)で明らかにすると、慶尚北道の独島研究組織の議長を務める崔長根教授は、3月3日付の『大邱日報』(電子版)で「下條の主張は捏造(ねつぞう)した論理」として、「日本政府の独島政策は、下條の論理をそのまま反映している」と非難。名古屋大学の池内敏氏も『竹島-もうひとつの日韓関係史』(中公新書)を刊行して、その一部で私を論難したのである。

だが両氏は、文献を恣意(しい)的に解釈しただけで、文献批判を怠っていた。崔氏は「1454年に編纂された『世宗実録』の「地理志」が、1530年に編纂された『新増東国輿地勝覧』に影響を与えたとするのは、驚きの論理だ」と私を批判した。 しかし、『世宗実録』の「地理志」は、実際に『東国輿地勝覧』が編纂される過程で参考にされていた。 それは、『東国輿地勝覧』の一部となる『慶尚道続撰地理志』の序文で「我が世宗朝、また地理誌を撰し、これを史館に蔵す。その規模節目に於いて詳らかかつ尽くせり」とし、今その「前志を続撰し、以て闕略を補す」としているからだ。 これは『世宗実録』「地理志」に続けて、不足の部分を補筆した、との意味である。

115NAME:2016/03/23(水) 04:01:07
島根県の竹島研究を「論破した」と錯覚?

 この崔氏と五十歩百歩の解釈をしているのが、池内氏だ。池内氏は逆に、「下條の論じ方」は、「後世の解釈を前代に持ち込んでいるという点で誤りである」と批判したのである。だが『新増東国輿地勝覧』と『世宗実録』「地理志」には、竹島(独島)に関する記述は一切ない。 そこで、竹島問題の核心的文献となるのが、1770年に刊行された『東国文献備考』だ。『東国文献備考』の分註には、「于山島は所謂倭の松島なり」とあるため、韓国側では「後世の解釈を前代に持ち込んで」、『世宗実録』「地理志」と『新増東国輿地勝覧』にある于山島を松島(現在の竹島)と解釈し、竹島が韓国領である証拠としてきたのである。

だがその分註は、改竄(かいざん)された事実が明らかにされ、韓国側には竹島(独島)を韓国領とする歴史的根拠がなくなってしまった。池内氏はその事実には触れず、韓国側の主張に沿って『世宗実録』「地理志」や『新増東国輿地勝覧』を解釈し、私の解釈を論難することで、島根県の竹島研究を論破したと錯覚したのである。

「夷を以て夷を制す」のが得意な韓国

 池内氏はその著書の後半で、竹島問題研究会の塚本孝氏らの研究に言及しているが、いずれも詭弁(きべん)を弄しただけである。 韓国(及び中国)では「夷(い)を以て夷を制す」戦術が得意なようで、外国人を用いて対外宣伝をしてきた。 かつては、『史的検証竹島・独島』(岩波書店)と『竹島=独島論争』(新幹社)を刊行した島根大名誉教授の故内藤正中氏が、その役割を果たしてきた。だがそれは、もろ刃の剣。荒唐無稽な論理は、それが蟻の一穴にもなる。 近年、韓国側が対外宣伝工作に重点を置くようになったのは、歴史論争では勝算がないことに気づいた証左である。

116NAME:2016/05/11(水) 00:53:29
対馬の仏像、「日本に戻せ」と韓国政党が会見へ 「盗品返還しないと話にならない」
2016.5.10 20:49更新
http://www.sankei.com/world/news/160510/wor1605100036-n1.html

韓国の小政党「日帝・慰安婦・人権政党」は10日、長崎県対馬市の観音寺から2012年に盗まれ韓国に持ち込まれた同県指定有形文化財「観世音菩薩坐像」について、韓国政府に日本への返還を求める記者会見を12日にソウルで開くと明らかにした。

 政党側は「日本に謝罪と反省を求める(韓国の)立場として、盗品であることが明白な仏像を返還していないのでは話にならない」と主張している。同党は慰安婦問題などで日本政府に対応を求めている。 仏像をめぐっては、数百年前に日本に略奪されたとして所有権を主張する韓国の寺が、韓国政府に引き渡しを求める訴訟を韓国で起こしている。(共同)

117NAME:2016/05/13(金) 23:49:53
韓国のウソ暴く衝撃スクープ写真、これが昭和28年の竹島だ…軍施設なし、義勇兵・英雄視の“神話”打ち砕く重大資料
2016.5.13 11:00更新 (1/4ページ)
http://www.sankei.com/west/news/160513/wst1605130002-n1.html

韓国が不法占拠を続ける竹島(島根県隠岐の島町)をめぐり、同町が島内に建設を進めてきた調査研究施設が、近くオープンする。その施設に、ある写真が重要な資料として展示されることになった。それは、産経新聞社が昭和28年12月に竹島を上空から撮影し、翌29年元日付朝刊にスクープとして記事とともに掲載したものだ。現在、竹島には韓国が多くの施設を建設しているが、この写真にはそうした構造物が全く写っていない。つまり、韓国による「国家主権侵害」が本格化する以前、かつて隠岐の漁民が目にした竹島の「原風景」が写っており、「戦後、守備隊が日本の侵略から島を守った」とする韓国のウソを暴く資料としても注目されそうだ。

不当な李ラインに憤り、空から竹島取材

 写真が撮影された28年当時はどんな時期だったのか。日本が第2次大戦に敗れたあと占領下でサンフランシスコ平和条約に調印したのが26年9月。翌27年1月、韓国が日本海の公海上に「李承晩ライン」を一方的に引き、竹島を自国内に取り込んだ。 日本は同年4月に主権を回復し、平和条約の発効で竹島が自国領と確定したが、韓国は竹島に近づく日本の巡視船を銃撃した。そんな頃だった。 写真は29年1月1日の本紙紙面(10面)を飾った。「波高き李ラインを飛ぶ」との主見出し。記事は「巡視船への銃撃、漁船の拿捕(だほ)、船員の抑留…暗い話題を生んだ李ライン水域には、水産日本の深刻な課題が横たわっている、外交交渉による解決への期待をかけられた日韓会談もその後再開をみぬまま、“暗い現実”を今年に持越して了(おわ)った」という書き出しで始まる。

118NAME:2016/08/14(日) 20:58:13
竹島が日本の領土である根拠
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-164.html

韓国による竹島強奪の歴史と真実
http://hayabusa2.blog.fc2.com/blog-entry-324.html

119NAME:2016/08/14(日) 20:59:44
【竹島上陸】
韓国議員らは日本の抗議に「あきれる」「無礼だ」と反発、上陸強行の構え崩さず「日本は反省の姿勢示せ!」
2016.8.14 15:50更新
http://www.sankei.com/world/news/160814/wor1608140020-n1.html

【ソウル=名村隆寛】日本の朝鮮半島統治からの解放記念日に当たる「光復節」の15日に、韓国の超党派の国会議員団が竹島(島根県隠岐の島町)への上陸を計画していることに日本政府が13日、韓国政府に抗議したことに対し、韓国の議員団は強く反発しており、予定通りに竹島上陸を強行する構えだ。

 韓国の聯合ニュースによると、竹島上陸を計画している「国会独島(ドクト=竹島の韓国での呼称)訪問団」の団長を務める与党セヌリ党の羅卿●(=王へんに援の旧字体のつくり)(ナ・ギョンウォン)議員は「わが領土を訪問することへの日本のこうした抗議にはあきれる。予定通りに独島を訪れ、団長としての役割を果たす」と述べたという。

 また、最大野党「共に民主党」の金鍾民(キム・ジョンミン)議員は「韓国の領土である独島に韓国の国会議員が訪問することに対し、『行くな』というのは無礼だ。光復節に(日本は)反省の姿勢を示すべきだ」などと反発した。

 訪問団は、セヌリ党と、共に民主党のほか、第2野党「国民の党」の計約10議員で構成され、15日午前、竹島に上陸するという。日本政府は議員らの竹島上陸計画に対し13日、韓国外務省と在日本韓国大使館に強く抗議している。

120NAME:2017/02/23(木) 22:02:46
【竹島を考える】
戦時中の米軍地図に“動かぬ証拠”…竹島を「Take」と表記 「独島」呼称、認識されず
2017.2.22 20:26更新
http://www.sankei.com/west/news/170222/wst1702220088-n1.html

第二次大戦中、米国が竹島(島根県隠岐の島町)について「Take」と表記した地図が見つかり、島根県に寄託されていたことが22日、分かった。当時、日本の統治下にあった朝鮮半島について、この地図では「鬱陵=Utsuryo」など元の表記を日本語読みした地名の記載が大半。竹島の呼称が一般化していたことを示す資料となりそうだ。

 島根県竹島対策室によると、地図は、米国軍が戦時中の1945(昭和20)年5月に制作した布製の航空図「エスケープマップ(脱出地図)」(83センチ×78センチ)。日本侵攻に参加するパイロットらが遭難したり撃墜されたりした際に使用するよう携帯させた。 400万分の1の縮尺で、一方の面には日本と南シナ海、もう一方の面には東シナ海が描かれ、季節ごとの風向きが異なる色で図示されている。竹島問題の研究者が大阪府内の古書店で見つけ、島根県に寄託した。 地図では鬱陵島や済州島などは「Utsuryo」「Saishu」などと表記されているが、竹島は「Take」と記載。竹島をめぐり、韓国政府は日本が編入する1905(明治38)年より前から「独島」と呼ばれていたと主張するが、少なくとも1945年当時の米国側に、この島は「独島」だという認識はなかったとみられる。

島根県竹島問題研究顧問の下條正男・拓殖大国際学部教授(日本史)は「『独島』という呼称が、当時の米国には認識されていなかったということ。こうした事実の積み重ねが、竹島が日本固有の領土であることの立証につながる」と話している。

121NAME:2017/02/23(木) 22:06:05
【竹島の日】
寒さに体寄せ合った15歳の抑留生活 「李承晩ライン越えた」韓国に拿捕された元漁船乗組員・小川岩夫さん…「日本政府の姿勢は冷淡」 
2017.2.22 13:27更新
http://www.sankei.com/west/news/170222/wst1702220047-n1.html

韓国による竹島の不法占拠は、1952(昭和27)年の「李承晩ライン」宣言が出発点だ。この線を越えたとの理由で昭和29年11月、乗っていた漁船が拿捕(だほ)され、韓国で約8カ月の抑留生活を強いられた元漁船乗組員の小川岩夫さん(78)=松江市=は、「竹島の日」を迎えるたびに怒りがこみ上げる。

■人権侵害どころか「わずか8畳に21人、部屋の隅に排泄用の樽」

 バリバリバリ-。昭和29年11月、島根県浜田市の底引き漁船「第2大和丸」に乗り、長崎・対馬沖で漁の準備をしていた小川さん。韓国警備艇の激しい銃声を聞き、慌てて船内に逃げ込んだ。網でつながった「第1大和丸」ともども拿捕された。

 中学卒業後の29年8月、船に乗り始めて数度目の航海。釜山港で船から降ろされると、海洋警察へ。検事局に連行されて取り調べを受けた。「『李ラインに入ったか』と聞かれたが、15歳で下っ端の私が李ラインなど知るはずもなかった」 留置場を経て刑務所に収監。刑務所内は劣悪な環境で、わらの布団と毛布が与えられただけで、厳しい寒さが体にこたえた。8畳ほどの板間に21人が詰め込まれて、すし詰め状態で「部屋の隅に排泄用の樽(たる)が置かれ、最年少者の私はそれを抱きかかえる形で寝なければならなかった」ことが辛かった。

風呂たった1度…日本政府から「日当1000円。補償も謝罪もなく…」そして

風呂は1度だけ

 20日ほどが過ぎ、小川さんを含めた数人の乗組員は郊外の収容所に移った。食事は、石が交じった丸麦のご飯と岩塩を溶いた湯。ここでも毛布1枚しかなく寒くてたまらず、男同士で体を寄せ合い震えていた。わずかな楽しみは、近所なら自由に外出できたことだった。30年6月に釈放されるまでの8カ月間で風呂に入ったのは1度だけ。日本政府の接触はなく、「帰国後、政府からは抑留期間中の日当として1日千円分が出ただけ。ほかの補償やわびもなかった」。

 小川さんはその後も漁に出た。31年4月には、浜田から一緒に出漁した船が拿捕され、五島列島付近まで一目散に逃げたこともあった。平成2(1990)〜5年頃は、かにかご漁船に。漁場までは竹島付近を通るルートで、「ヘリポートや警備の隊員がひなたぼっこをする姿などがよく見えた」と振り返る。

体験を語り継ぐ

 国が記念日を定め、式典を主催する北方領土。米トランプ政権に対しても「日米安保の対象」と言質を取り付けた尖閣諸島-。これらに比べ、島根県主催の記念式典で首相や閣僚の出席もなく、領土権の確立に向けて有効な手立てを打ち出せていない竹島に対する国の姿勢はあまりに冷淡だ-と嘆く。「拿捕当時、政府が真剣に交渉していたら、抑留生活も無駄じゃなかったのに」。

 抑留体験者が高齢化し、生存者も少なくなる中、語り継いでいく必要性を痛感している。

122NAME:2017/10/12(木) 23:04:24
韓国の独善主張を論破せよ、「竹島」が日本領である証拠を集め続ける島根県の「努力」…“竹島問題100問100答”で啓蒙図る地元の“意地”
2014.1.8 07:00更新
http://www.sankei.com/west/news/140108/wst1401080084-n1.html

日本固有の領土でありながら、韓国の不法占拠が続く竹島(島根県隠岐の島町)。一昨年8月の李明博大統領(当時)の不法上陸や、現在の朴槿恵(パククネ)大統領の対日非難などから注目される中、同県が韓国側の主張の論破に懸命だ。県は「日本の領土である『証拠』を提示することが重要」として、竹島を日本領とした古地図などを収集。今春に一般向け啓発本「竹島問題100問100答」も発行するなど、固有の領土に対する理解度アップを図る。(坂田弘幸)

日本領とする根拠など解説

 「100問100答」は研究者らでつくる島根県の竹島問題研究会が、竹島の日(2月22日)にあわせて発行する。

 研究会の委員16人を中心に専門分野ごとに分担。これまで収集、蓄積してきた竹島問題に関する地図や古文書などをもとに、1問1答形式で「竹島問題のいろは」を解説する。中身は明らかにされていないが、竹島の概要など基本的事項から日韓の主張の違い、日本に帰属する根拠などを分かりやすく解説したものになるとみられる。

 竹島は日本領という事実を認識していても、詳しい背景までは知らない人らも多い。「100問100答」は、正確な知識を持ってもらえるよう工夫された内容になりそうだ。

123NAME:2018/03/30(金) 18:02:49
竹島を「日本の領土」明記、韓国政府撤回求める
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e7%ab%b9%e5%b3%b6%e3%82%92%e3%80%8c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e9%a0%98%e5%9c%9f%e3%80%8d%e6%98%8e%e8%a8%98%e3%80%81%e9%9f%93%e5%9b%bd%e6%94%bf%e5%ba%9c%e6%92%a4%e5%9b%9e%e6%b1%82%e3%82%81%e3%82%8b/ar-AAvgCLD?ocid=iehp

【ソウル=水野祥】日本の文部科学省が30日に告示した2022年度から実施する高校の学習指導要領で、島根県・竹島(韓国名・独島)を日本の領土と明記したことを受け、竹島の領有権を主張する韓国外交省は30日、「不当な主張を盛り込んだ指導要領を確定したことを強く糾弾する」との声明を発表し、撤回を求めた。 同省の林聖男(イムソンナム)第1次官は30日、長嶺安政・駐韓大使を同省に呼んで抗議した。

124NAME:2019/07/28(日) 16:01:15
韓国が竹島の表示に抗議、五輪組織委サイト 日本側受け入れず
2019.7.23 20:33政治政策
竹島問題
https://www.sankei.com/politics/news/190723/plt1907230043-n1.html

韓国が不法占拠を続ける竹島(島根県隠岐の島町)をめぐり、韓国政府から日本政府に今月中旬、東京五輪・パラリンピック組織委員会の公式サイトの地図で表示された竹島について抗議があったことが23日、日韓関係筋への取材で分かった。日本側は「竹島は国際法的にも日本固有の領土だ」などとして受け入れなかった。

 関係筋によると、韓国外務省から在韓日本大使館に抗議があったのは、大会組織委の公式サイトで聖火リレーのルートや日時を紹介するページの日本地図。竹島のほか、ロシアと領土問題がある北方領土についても表示されている。

 韓国外務省は「独島(トクト)(竹島の韓国での呼称)が日本の領土であるかのような記載で遺憾だ。2018年平昌(ピョンチャン)五輪では五輪精神に反するとの日本の抗議があり、その求めに応じて削除した」などと申し入れた。さらに、「(組織委の)サイトに日本海との表現があり遺憾だ」との主張もあったという。

 日本海の呼称をめぐり、韓国は北朝鮮とともに「東海」への改称や併記を求めている。日本側に応じる考えはないが、国際水路機関(IHO)の要請を受けて韓国、北朝鮮の2国と協議を進めている。

125NAME:2019/09/17(火) 23:28:45
「竹島は韓国領」記念コイン発行は「事実ではない」 菅長官、韓国報道を否定
2019/09/17 12:41
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%8c%e7%ab%b9%e5%b3%b6%e3%81%af%e9%9f%93%e5%9b%bd%e9%a0%98%e3%80%8d%e8%a8%98%e5%bf%b5%e3%82%b3%e3%82%a4%e3%83%b3%e7%99%ba%e8%a1%8c%e3%81%af%e3%80%8c%e4%ba%8b%e5%ae%9f%e3%81%a7%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%84%e3%80%8d-%e8%8f%85%e9%95%b7%e5%ae%98%e3%80%81%e9%9f%93%e5%9b%bd%e5%a0%b1%e9%81%93%e3%82%92%e5%90%a6%e5%ae%9a/ar-AAHoISE

アフリカ・タンザニアの中央銀行が竹島(島根県隠岐の島町)は「韓国の領土」と明記した記念コインを発行したとの韓国の報道があり、菅義偉(すがよしひで)官房長官は17日午前の記者会見で、そうした記念コイン発行はなかったと報道内容を否定した。「在タンザニア日本大使館が直ちに同国外務省に事実関係を確認したところ、『中央銀行を含め、タンザニア政府としてそのような記念コインを発行した事実はない』との回答があった」と明かした。

 その上で「今後とも竹島は歴史的事実に照らしても、国際法上も明らかにわが国固有の領土であるとの一貫した立場に基づいて適切に対応していきたい」と強調した。

126NAME:2023/01/22(日) 20:34:42
韓国の竹島領有権主張に大反論 戦後の米国製地図など33点が示す歴史の真実
2023/1/10 06:00
https://www.sankei.com/article/20230110-AJBOCFZ56RMPRCUZFNAQCER3RY/

韓国による不法占拠が続くわが国固有の領土、竹島(島根県隠岐の島町)を日本領と明示した戦後の日本や米国の公的地図を集めた特設サイトが、元外務省所管の外交・安全保障のシンクタンク「日本国際問題研究所」のホームページに「竹島古地図コレクション」として掲載された。調査にあたった島根大の舩杉力修(りきのぶ)准教授(歴史地理学)は「戦後、平和条約を起草した米国が竹島を日本領と認識していたことを改めて裏付ける、重要な資料だ」としている。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板