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原 発

186NAME:2016/03/12(土) 01:35:46
【福島第1原発事故 5年目の真実】「日本政府はこれだけしかできないのか」…米国務省調整官はこう不安を抱いた 80キロ退避勧告経緯
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%90%e7%a6%8f%e5%b3%b6%e7%ac%ac%ef%bc%91%e5%8e%9f%e7%99%ba%e4%ba%8b%e6%95%85-%ef%bc%95%e5%b9%b4%e7%9b%ae%e3%81%ae%e7%9c%9f%e5%ae%9f%e3%80%91%e3%80%8c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%94%bf%e5%ba%9c%e3%81%af%e3%81%93%e3%82%8c%e3%81%a0%e3%81%91%e3%81%97%e3%81%8b%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%84%e3%81%ae%e3%81%8b%e3%80%8d%e2%80%a6%e7%b1%b3%e5%9b%bd%e5%8b%99%e7%9c%81%e8%aa%bf%e6%95%b4%e5%ae%98%e3%81%af%e3%81%93%e3%81%86%e4%b8%8d%e5%ae%89%e3%82%92%e6%8a%b1%e3%81%84%e3%81%9f-%ef%bc%98%ef%bc%90%e3%82%ad%e3%83%ad%e9%80%80%e9%81%bf%e5%8b%a7%e5%91%8a%e7%b5%8c%e7%b7%af/ar-AAgEfT7#page=2

東京電力福島第1原発事故の発生から5年。産経新聞は米原子力規制委員会(NRC)委員長だったグレゴリー・ヤツコ氏や、米国務省で日本との間で調整役となったケビン・メア氏らにインタビューを行った。日本政府の決定より格段に広範囲に及ぶ「50マイル(約80キロ)退避勧告」に至る経緯など、関係者からは対応をめぐってさまざまな思いが聞かれた。(肩書はいずれも当時)(ワシントン 小雲規生、加納宏幸)

誤情報「決定的なものでなかった」 □原子力規制委(NRC)委員長 グレゴリー・ヤツコ氏

 米ワシントンで取材に応じたヤツコ氏は、発生当初は十分な情報がなく、「在日米国人に対して日本政府の勧告に従うよう呼びかけていた」という。 NRCが「80キロ退避勧告」に転じたのは3月16日朝。福島原発4号機の使用済み核燃料プールが崩壊したとの情報が入った直後で、2号機の原子炉で放射線を閉じ込める能力が失われた可能性もあった。 ヤツコ氏はこれに加え、最悪のシナリオのシミュレーションや原発から北西に40〜48キロの地域で高い放射線量が測定されたことを「80キロ退避」を決断した理由に挙げた。

 4号機のプール崩壊の情報は後に間違いだったことが判明。しかし、「それはひとつの要素で決定的なものではなかった」とし、退避勧告の規模を修正する必要はなかったとした。「80キロ退避」が日本政府の信頼を損ねたと批判されることについては、「日本政府への信頼は原発事故が起きたその日のうちに失われていた」と語気を強めて反論。事故を防げなかった日本政府や東京電力の対応の甘さを厳しく批判した。 一方、ヤツコ氏は米国内の対応についても言及し、「原発関連産業は16キロ以上離れていれば、事故時でも汚染は生じないと説明してきた」とした上で、「それは明らかに真実ではない」と述べ、米国における緊急対応計画の不十分さを批判した。


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