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ネット、メディア規制関連情報スレ11

759。・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2011/07/08(金) 15:33:53 ID:bA09Z3Cs
●第2期黄金時代
それから約10年後。成長した元小中学生たちはアニメクラブを組織し、独力で日本アニメの翻訳や字幕入りビデオの作成を活発にするようになっていた。
特に熱心な連中は会社までつくり、日本のアニメ会社から正式ライセンスを取得してイタリア語版の制作・販売を手がける集団まで出現した。
オタクたちの地道な活動が実り、イタリアの各局は再び日本アニメを放映するようになった。今度は巨大ロボットものが中心ではなく、スポーツ・美少女・ギャグ・少女ものなど各分野が放映されてバランスが取れていた。
たとえばキャンディ・キャンディは女の子層に絶大な人気を得た。
こうしてイタリアでは第2期黄金時代をむかえる。ファン層も広がり、子供だけではなく青年層の視聴者が多くなったのもこの頃である。

●第2期氷河時代
購買力のあるファンが増えると同時に、第二期ブームを終息させる原因となった活動が増えてきた。過激な暴力表現や性表現を含むアニメの輸入・販売が急増したのである。
一般に海外ではアニメの暴力表現に対する規制は非常に厳しい。これが映画であれば多少の暴力表現はあってもあまり問題にならないのだが、アニメではそうはいかない。「アニメは子供向け」という強固な先入観があるためである。
ブームが復活し、放映作品や販売作品が増えるにつれて再び反発も強くなっていく。ブーム復活後3,4年もすると日本アニメは暴力的でおまけにチャイルド・ポルノという固定観念が形成されてしまった。
市民団体は日本アニメの放映・販売に猛烈な抗議を繰り返すようになり、マスコミと知識人は再びアニメ叩きに精を出すようになった。最後には議員たちまでバッシングに加わった。
こうして各放送局はまたしても日本アニメの放映を自粛するようになった。ごく一部の作品を除いてイタリアの放映プログラムから日本アニメは姿を消した。視聴率や作品の販売は好調だったにもかかわらず。

第2期氷河時代の到来である。イタリアおたく達はふたたび地下活動に戻る。
この苦難の時代、一部のイタリアのオタクたちはアニメ作品の海外版制作(英語版やフランス語版)の受注に活路を見いだすようになる。英語版アニメのクレジットを見ると妙にイタリア語の人名が多い作品があるのはこのためである。
また別のおたくグループはファンクラブの強化に走った。同人誌の作成はもちろん、日本語の共同学習から字幕ビデオの作成・販売、自主放映会の開催、といった地道な布教活動である。

●第3期黄金時代
1995年頃になると再び状況が変わってくる。ECの放送自由化政策が本格化し、おまけにケーブルTVや衛星放送も普及し、各TV局の視聴率競争が非常に厳しくなってきたのだ。
各局にとって、低コストで一定の視聴率を確保できる日本アニメはのどから手が出るほどほしい。しかし社会の反発が強くて放映できなかった。
掟破りを最初に実行したのはローカル局だった。イタリアではローカル局の力が強く、キー局に負けないほどの視聴率を誇っている。しかし、資本力に乏しいローカル局は競争激化のためになりふりかまっていられなくなっていたのだ。

こうしてローカル局はこぞって日本アニメの放映を再開した。こうなると黙っていられないのが衛星放送の各局で、こちらも日本アニメの放映をはじめた。
放映再開後のアニメの視聴率は好調だった。オタクたちも再び水面下から浮上し、公然と活動しはじめる。第3期黄金時代の開始である。
第3次ブームの特徴はファンの年齢層のさらなる拡大と、オタク同士の国際的な交流が活発化した点である。
日本にいるとあまり実感できないのだが、たとえば海外のアニメ雑誌というのはたいてい多国籍で販売されている。衛星放送のアニメ番組は少ない場合でも三ヶ国語以上で放映されている。国境をまたがるアニメファンクラブはめずらしくない。
イタリアおたくたちの活躍はめざましかった。迫害と受難を耐え抜いてきたイタリアおたくたちは筋金入りになっていたのだ(笑)。




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