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熱心党の最後の砦

101松代:2005/05/24(火) 11:56:01
また、最後にもう一度釘を刺しておきますが、知そのものや教養に対して敬意を抱くことと、知識や教養を備えている人に敬意を抱くことは全く別物です。むしろ、知識や教養を備えていると思われる「人物」に対する敬意など、抱かないほうがよいのです。
>>87などはその点を勘違いした発言だと思われますが、私達は知識や教養を備えていると思われる「人物」に対する敬意を抱くように求めたことはありません。

それどころか、知識や教養を備えていると思われる「人物」に対する敬意を抱くことは、反対に知そのものや教養に対する敬意を損なうことにつながりかねません。

研究という世界では、おうおうにして「○○という研究者は人間として全く尊敬できないが、彼の研究は素晴らしい」とか、その反対に「いい人で知識も教養もあるけど、研究は間違いだらけ」なんてことがあります。ところが、知識や教養を備えていると思われる「人物」に対する敬意を抱き始めると、人物が研究そのものよりも優先することとなってしまい、研究者が致命的な間違いを犯した場合に、取り返しのつかない事態が生じます。

つまり、客観的、科学的根拠によらず、人物によって言説の成否を判断するという、恐ろしい事態が生じるのです。

ココからは蛇足ですが、過去にはルイセンコが知識や教養を備えていると思われる「人物」に対する敬意を「個人崇拝」へと転化し、やりたい放題の悪行を働いていますが、最近でもチョムスキーが似たようなことをやっています。

チョムスキーが、穏当にいってもポル・ポト派の虐殺を隠蔽するかのような、ほとんどうそ八百に近い言説を垂れ流していたことは、山形浩生氏の研究からも明らかです。ところが、知識や教養を備えていると思われる「人物」に対する敬意のあまり、チョムスキー擁護派はそのことに目をつぶるか、あるいは山形氏と右翼ジャーナリストの古森義久とを「故意に混同」して、右翼がチョムスキーつぶしを図ったかのようなウソをばらまいています。

これは「新しい教科書をつくる会」に代表される右翼が、南京虐殺や従軍慰安婦問題を隠蔽する時の手口と全く同じで、研究という観点からはお話しになりません。知識や教養を備えていると思われる「人物」に対する敬意が、危険な行動を正当化することは、こういった事例からも明らかですね。


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