したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

規制推進派とオタクとの関係性について

1松代:2002/11/12(火) 00:36
一部の規制推進派と同様に一部のオタクもまた「法的に認められた愛しあう二人の生殖目的のセックス」を頂点とするセクシュアリティのカースト制を自明としています。

また、一部のオタクと一部の規制推進派はセクシュアリティのカースト制によって「萌え」ますが、セクシュアリティのカースト制に対するオタクと規制推進派の関係は全く正反対のものです。具体的に説明すると、オタクは自らがロリとかペドとか二次コンとかいう「下位カーストにあること」を自覚することで萌え、対する規制推進派は自らが正当な「上位カーストにあること」を自覚することで萌えます。

セクシュアリティのカーストは相対的な概念なので、どっちか一方だけでは萌えません。

オタクは自分のカーストをレベルアップするよう上位カーストへ挑戦し、そして「敗北することで自分のカーストを確認」し、萌えます。

規制推進派は下位カーストからの挑戦をあえて受け、そして「勝利することで自分のカーストを確認」し、萌えます。

規制推進派とオタクは、セクシュアリティのカーストを共有しているばかりでなく、自分達が萌えるために「互いを必要としている」と言えます。

オタクが表現の自由にこだわり、また規制推進派がやたらとその部分を刺激したがるのは、セクシュアリティのカーストを確認するためです。また、彼らの勝負は出来レースであり、結果は決まっています。

そればかりか、規制推進派とオタクはセクシュアリティのカースト維持という点で利害が一致しているため、セクシュアリティのカースト制を否定するような動きに対しては「双方が感情的に」反撃するでしょう。

セクシュアリティのカーストを自明としている一部の規制推進派と一部オタクの議論は、議論のようにみえて議論ではありません。議論によって結論を見いだすつもりは全くなく、議論を「継続することが目的」なのですから、迂闊に結論を出さないよう「わざと難解で穴の多い論理を展開」することも多々あります。

一部の規制推進派と一部のオタクは「共依存関係」にあり、彼らの議論は「痴話げんか」と言えます。

25カマヤン:2003/02/07(金) 04:25
>>23

>突き詰めてしまえば、強者からの承認を求めるのがヤンキーで、
>弱者からの承認を求めるのがオタクと言えないか?

「父性的なものからの承認を、素朴に希求する」のがヤンキー、
「母性的なものからの承認を、屈折したかたちで希求する」のがオタク、
という言い方のほうが、妥当かと。

逆算的に以下のようなことが判るですね。
ヤンキーは、父権を認めている、母親との関係は良好である、父親との関係は悪い。
オタクは、父権が不在している、母親との関係は悪い。

男児視点枠組ではあるから、女児視点枠組からの検討は、それはそれで別に
必要なのでしょうが。


「消費行動」を、「物品購買」に限定して、論を立てることを、明言しておいたほうが、よいかと。

「消費」という言葉はしばしば多義的だから、物品購買にのみ視点を絞ってみているわけですな。

26松代:2003/02/07(金) 12:14
>>25

>「父性的なものからの承認を、素朴に希求する」のがヤンキー、
「母性的なものからの承認を、屈折したかたちで希求する」のがオタク、
という言い方のほうが、妥当かと。

同意します。


>「消費行動」を、「物品購買」に限定して、論を立てることを、明言しておいたほうが、よいかと。
自己承認欲求と買い物との関連ですが、消費行動という単語には「受動的情報消費者」つまり「受け手」という意味が入ってくるため、激しい呪的闘争が巻き起こります。

問題となっているのは「金銭を媒介とした自己承認システム」であり、またお買い物自己承認の背景には「制作者絶対主義に対するプロテスト」という感情も存在しているため、消費者という単語を使用すると二重に意味が混乱します。

おまけその1
生まれた時から購買行動による自己承認に囲まれて人生を送った青少年が、手っ取り早く「売る側」にクラスチェンジする、つまり他者を承認する側に回ろうと選択したのが援交だったと、そう定義することが可能になります。というか、多分そうだと思う。

おまけその2
これはオタクもヤンキーも同じですが、購買行動による自己承認を自明としている人々(非ムラ社会的な人々)に対して、ムラ社会的な制作者の絶対的な優位を自明とする活動をどれだけ展開しても、絶対的に破綻します。
なぜ「絶対的に破綻」するかは、おいおいアップしていくつもりですが、士農工商で作り手の側である農民と職人が承認よりも上に置かれていたことなどを考えれば、何となく想像はつくと思います。。

27カマヤン:2003/02/09(日) 02:01
ちょっと、チャチャ入れ的に、おもいつきを。

1 ヤンキーとオタクの対比

1−1
ヤンキーの自画像は、思春期的である。ヤンキーの自画像は、十代後半である。
ヤンキーは、超自我が貧弱である。ので、逆説的に、超自我的なものを要求する。

1−2
オタクの自画像は、前思春期的である。オタクの自画像は、十代前半ないし十代未満である。
オタクは、超自我的なものに押し潰されている自己イメージを持っている。

2 規制派とオタクの類似性、規制派とヤンキーの類似性

「規制派」は、人間を外枠から規制する必要がある、という人間像を持っている。
その人間観は、ヤンキーの人間観に通底する。

http://jbbs.shitaraba.com/news/bbs/read.cgi?BBS=535&KEY=1042061916&START=88&END=88&NOFIRST=TRUE
を書いたときには、「オタクと規制派の類似性」に気づいた気がしたんだけど、
オタクと規制派の類似性は、文としてまとまらなかった。また考えておくです。

28松代:2003/02/10(月) 00:12
オタクにとってヤンキーは敵であり、マンガ規制が始まるまでは「規制推進派を味方として捉えていた」と思います。
学校の中で暴れ回り、バイクに乗って安眠を妨げる、ゲーセンにたむろして小遣いを巻き上げるヤンキー達はオタクの敵であり、無法なヤンキーを取り締まる警察や生徒指導教員、地域の防犯パトロールなどは、オタクにとって「頼れる味方」だったんじゃないかと思うな。

オタクも規制推進派もヤンキーも、人間性を否定している点では共通しているでしょう。
法律や社会規範などによって外からがんじがらめに縛らない限り、人間は「まともな社会人」として暮らせないという、二重の意味で全く情けない人間観を自明としている。

つまり、まともな社会人という「架空の理想的な人間像」を設定しない限り、どうやっていきていけばいいのかを決めることができず、そればかりか架空の理想的な人間像から外れた生き方を「強制的に排除」しない限り、自分の生き方をコントロールすることができないという情けなさです。

オタクもヤンキーも「世間の目」を基準軸にして生きているという点では同じですが、世間の目を「無条件で是認」している点において、オタクと規制推進派は同じの精神的土台を持っているといえますな。

29カマヤン:2003/02/10(月) 05:50
スレの主旨からは外れますが。

「オタク」と「一般人」の二分法議論は、「エスニック」問題議論に似ていると思う。
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=1274&KEY=1044301813&START=36&END=36&NOFIRST=TRUE
「誰が」境界線設定しているのか、と、境界線操作により「誰が」トクをするのか、の、
枠組自体を問う必要があると思う。

「統合」か「分離」か問題
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=1274&KEY=1044301813&START=19&END=21
A;「統合」:「一般人」社会へ「オタク」は進出するべきだ、という考え。
「オタク」も「一般人」同様に「企業戦士」としてアンデンティファイするべきなのか?
B;「分離」:現代社会から「撤退」するべきだ、という考え。
「オタク」は「引篭る」べきなのか?

「オタク/一般人」図式は、設問の「虚偽命題」に注目するべきだと思う。
「一般人らしさ」「オタクらしさ」の「二項対立」を生む構造自体を問うべきだ、と、
考えるべきだと思う。

以上、スレの主旨からは外れてます。
人格類型論はまた別な文脈になるので… 混乱を招いたらスマソ

30鳥山仁:2003/02/10(月) 06:03
初期のオタク論(1980年代)>
中森明夫が開始した、マンガマニア内部での差別論で、
その実態は美少女願望のある男性の逆差別。
その趣旨を要約すると、
「オシャレな少女漫画を読んでいる奴はセンスがある」
というトンデモ論で、そのルーツは橋本治だと思われる。
この論争をきっかけに、「少女漫画を読んでいる男は気持ち悪い」
「あいつらは女になりたがっているんじゃないのか」
というトランクセクシャル差別がマンガ読者の間に再燃し、
(一種の保守反動と思われる)
中森と大塚の両名はマンガ業界からパージされる。
また、この論争を誌面で展開した雑誌は例外なく衰退した。
しかし、マンガ業界に残った美少女願望男性に根強く支持されたため、
未だにアカデミックな装いで復活してくるゾンビみたいな理屈である。

31鳥山仁:2003/02/10(月) 06:05
後期のオタク論(1990年代)>
宮崎勤事件以来、マスコミを通じて広まった差別論で、
その実態は精神病患者、特に幼児回帰願望のある精神病患者に対する差別。
初期のオタク論と決定的に違う点は、初期では賞賛の対象であったはずの
「美少女願望」が、ジェンダー的な観点から(正当な?)差別に転じている部分で、
ロリコンやマンガアニメを見ている「幼稚な奴ら」は性的にも異常だから、
どんな犯罪をしでかしてもおかしくない、というイメージを植え付けた。

この事件をきっかけに、初期のオタク論でパージされた大塚と中森が復帰。
今度はオタク擁護論を展開する。
後期のオタク論が、美少女願望のある男性に対する差別だったので、
彼らが擁護側に回ったのには論理的な一貫性があったが、
これをマッチポンプと言わずして何をマッチポンプというのか。

この論争は差別する側も差別される側も、精神病の問題を隠蔽するという点において、
共犯関係にあるのが最大の特徴である。
従って、オタクの特徴を並べていくと、抑鬱神経症や統合失調症、
強迫神経症などの諸症状に類似する、
という非常に馬鹿馬鹿しい結論を得ることができる。
また、精神病を隠蔽する為の社会層の設定という意味では、
オタクという概念は後の引きこもりに発展解消してゆくことになる。

ぶっちゃけた話、オタクも引きこもりも精神病をタブー視する
日本の社会環境が生み出した概念であると考えた方が説明がしやすい。
米国でオタクを意味するナーズという概念の底流に、
人種差別が潜んでいるのと一緒である(と思われる)。

32鳥山仁:2003/02/10(月) 06:07
個人的な見解>
初期のオタク論を展開する際には、
トランスセクシャルの問題を
事前に把握しておく必要があると思われる。
マンガというカテゴリーに限定するのであれば、
「なぜ美少女を描く漫画家が存在するのか?」
「なぜ美少女の出る漫画を購入する読者がいるのか?」
という問いかけを行うことが、問題認識を深める第一歩になる。
その際に手塚治虫が描いた「リボンの騎士」は、
非常に重要な参考資料となりうるだろう。
手塚が宝塚の熱心なファンであったことも見逃せない事実である。
絵は最も手っ取り早い、変身願望を成就させる手段なのだ。

後期のオタク論を展開する際には、
精神病に関する知識をある程度把握しておく必要がある。
宮崎がビデオの代理録画のサークルからもパージされていた
(そして、その直後に犯罪を犯した)事実を無視すべきではない。
彼はオタクの世界にも居場所がない存在だった。
精神病患者を健常者として裁くために、
オタクというカテゴリーは非常に重要な役割を担っていた。
精神病なら情状酌量の余地があるが、
オタクなら普通の刑事犯として裁くことができる。

また、精神病にかかっている人間も自分がオタクであると
自己認識さえすれば、「実は病気ではないのか?」という
不安から逃避できるので非常に都合がよい。

33СТАЛКЕР:2003/04/26(土) 00:19
ちょっと外れるけど、
ここで言うヤンキーとオタとかの積極的人間と消極的人間の分類って、
そんなにキレイにあてはまるものではないように思うんですが。
あくまで「どっち寄りか」という傾向の問題であって、
実際には両端の間の人間が大半ではないかと思うんだけど、
そのことを前提としての議論ということですか?

3433:2003/04/26(土) 01:47
でも的確な指摘であるようにも思いました。
自分にもそう言う面があるなと思ったり。
特に、
>オタクは自己を無条件で受け入れてくれる慈愛に満ちた母親的存在を求めている
>オタクは何事にも干渉されて育ったため、自分が干渉されるのは大嫌いなくせに干渉することが特別な存在の証しであり、愛の証しだと考えている
>オタクは自己を無力な存在だと勝手に思いこんでいて、簡単にできるはずのことにさえ手を出さず、他者が成功しているのを観てあの時やっておけばよかったと後悔する
とかが。なんかこう、言われたくない痛いところと突かれたというか、
「抑えてるのにそこまで言わなくてもいいじゃないか〜」みたいな。

35松代:2003/04/26(土) 02:00
>>33-34

的確だという評価はありがたく受け止めますが、学問的に練り上げたもんじゃないし、それどころか「単なる個人的な思いこみ」に近い代物なので、そんなに真剣に受け止めないほうが精神的に良い結果をもたらすと思います。
って、かなり無責任ですけどね…

心からヤンキーのひとって、そうそう多くないと思います。
また、たい〜ほされた銀蝿の翔ちゃんは心からのヤンキーだったかもしれないけど、ヤンキーでジャンキーじゃ洒落にもならないね。

同じように、心からおたの人はそんなにいないと思うけど、ヒッキーはたくさんいるから、思ったより多いかもしれない。

いずれにしても、おたとヤンキーは相対的な人間の傾向を示す概念です。というわけで、グラデーションのようなもんだと、そう思っていただいて結構です。
たいていの人は、オタとヤンの要素を合わせ持っていますし、ひどい人は「情況によって変化したりする」と考えます。

36松代:2003/05/01(木) 14:43
規制推進派は漫画の読み方がわからないらしい
規制反対派は文章の読み方がわからないらしい

問題なのは、どちらも統計データの読み方がわかっていないことだ

37松代:2003/09/02(火) 11:09
>>23
自己レスage
あんまりにもわかりやすいニュースがあったので、空気入れ替えをかねてポストします。

>ドイツのベルリンで、盗んだクレジットカードなどで約3200万円相当の買い物を続けていた男(38)に、詐欺や偽造の計468件の罪で7年6カ月の禁固刑が言い渡された。裁判所は「お金には興味がなく、店で“お客様は神様”と扱われることに満足感を求めていた」などと述べた。

http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200308300009.html

買い物行動、特に買い物依存症と被承認欲求との関連性について、深く研究した人はいないのかな?
即売会での買い物量を誇るオタクなんか、ニュースのおっさんとおんなじ心理状態だと思うな。

38СТАЛКЕР:2003/09/02(火) 12:05
>>36
 規制反対ですが、小説が中心なので「文章の読み方が分からない」と言われるとあの〜とか思ったり。
 漫画読む人は小説を読まないというのも、ちょっと人それぞれじゃないとか思ったり。

 ささいな事だと思いますが〜

>>37
 買い物依存症の人は大抵個人てきなストレスがあり、そのストレスのはけ口に買い物をするのでちょっと違いますよ。
 あ、即売会で買った物量を誇るためだけに購入しているのなら、いえますけど。
 その為には大量に買ったときにすごい褒められた経験が必要ですね。

 買い物依存症は買い物をするときに丁重に扱われ、その時の認められたや嬉しいと言う気持ちを味わいたいためにドツボにはまっていくことです。
 研究した人がいるかどうかについてはわかりませんがいると思いますよ。
 でも、3200万円相当か、それだけあったら、モスバーガーが十個買ってもお釣り来ますね。

39松代:2003/10/11(土) 01:30
オタクと規制推進派との共通点として、以下の3点を挙げることが可能です。

共通点1:共同体意識を自明とする
共通点2:権威主義、エリート主義
共通点3:異者、特に弱者に対する感情移入の欠如

これらの要素は、例えばオタクなら「と学会」なり、規制推進派なら「APP」や「矯風会」なりの活動によく現れているので、いまさら取り立てて説明の必要はないでしょう。

ポイントは、オタクと規制推進派は「両方ともこれらの要素を内包している」コトです。

まぁ、これらの要素だけでもかなり大きな問題をはらんでいるのですが、以下のようにより深刻な問題を引き起こしています。

問題A:共同体内部で階級差別が横行する

問題B:共同体内部の弱者や共同体の外にいる人間に対する容赦なき攻撃が横行する

これらの点についても、例えばオタクなら「と学会」なり、規制推進派なら「APP」や「矯風会」なりの活動によく現れているので、いまさら取り立てて説明の必要はないでしょう。

さて、ココからがネタなのですけど、オタクと規制推進派との間には、もうひとつの共通点が有ります。

共通点4:自らのことを平等で開かれた民主的な存在だと信じ込んでいる

これについても、特に説明はしません。
ただ、最近でもとある掲示板で「情報の階層的独占」を激しく攻撃し、さらに「情報の共有化を推進するよう」繰り返し求めていた人物が、こともあろうにエリート教育に直結する「教育内容の歯止め制限撤廃」を主張していたのには、滑稽さを通り越して痛々しくなりました。
もちろん、エリート教育とは「情報の階層的独占」に他なりませんから、彼の脳内において「これまでの言動」と「教育内容の歯止め制限撤廃」とが、どのような形で共存しているのかを知りたいところではありますが、まぁそういうのは下衆の詮索ってところでしょう。

それにしても、人間とは文字通り矛盾に満ちた存在ではありますね。

40カマヤン:2003/10/12(日) 04:34
>>39
わりとどうでもいいことだけど、「教育内容の歯止め」を撤廃することと、
「情報共有化」は、両立不可能な概念なんですか?

41鳥山仁:2003/10/12(日) 07:54
カマヤンさん>
教育内容の歯止めは残したまま、
飛び級制度を採用するのが最も現実的な方法だと思いますよ。
これなら、早く高度な教育を受けたいという選択肢は、
本人と親の熱意如何にかかってくるわけだし、
他の人間が巻き添えになることもありません。

教育内容の歯止めは設けておかないと、
教育=エリート養成サバイバルゲーム
になっちゃうから、個人的には絶対反対です。
別に世の中の誰も彼もがエリートになりたいワケじゃないですし、
チャラチャラ遊んで楽しく暮らしたいという私のような人間にとって、
教育権が国家にある状態で教育内容の歯止めが無くなるのは、
ただでさえ教育機能を果たしていない学校が、
もっと駄目な場所になるのと同義です。

その代表的なものがフランスの教育制度だと思いますし、
http://www.ambafrance-jp.org/japanese/info_generales_j/imagefrance_j/societe/Scolaire.pdf
このシステムを日本が採用したら……と思うとサブイボが出ますね。
まあ、今の日本の制度も似たり寄ったりなんですが。

42鳥山仁:2003/10/12(日) 08:30
つーか、時間が空いた時にでも、
一度直接会って話をしたかったんですが、
カマヤンさんはエリートか学術人になりたいんですか?

素人が新理論を立てて既存の学会から承認され易いのは、
社会学の周辺分野に限られていますし、
その為には資料の収集とフィールドワークに従事せにゃあかんから、
マンガ関係の人間や作業に時間をとられるのは致命的なのでは?

釈迦に説法するみたいで猛烈に嫌なんですけど、
マンガ(サブカル)でアカデミズムっていうのは、
色んな意味でオタクを商業的に搾取するための方便でしかないし、
真に受けると人生を棒に振る可能性の方が高いっすよ。

まあ、そこに金脈が眠っているという可能性に賭けている、
というスタンスなら止めようとは思いませんけど、
そっち方面で成功したのが、大塚英志、小熊英二、唐沢俊一ぐらいで、
しかも全員が編集者を経験している(唐沢の場合はちょい特殊だけど)
って事を忘れないでくださいね。
元編集者は、ただの描き手とは持ってるコネと情報量の桁が違うですよ。

彼らはそういうバックボーンを前面に出さないだけでも、
十分に詐欺的だってことは頭に入れておいた方が良いです。
冗談抜きで心配しています。

43田中博美:2003/10/12(日) 11:29
お久しぶりです。

とりあえず教育史の観点から言わせてもらうと、教育内容の歯止めと
エリート養成サバイバルは関係してますが、それほど大きな問題では
ないのです。実際のところ、大正時代から昭和の戦前の頃の方が
エリート養成のサバイバルは激しかったと言われてます。サバイバルが
緩くなっているにも関わらず弊害だけが大きくなって来たのが戦後です。

どういうことかと言うと、今はエリート教育を受ける気の無い者にまで
受けなければならないシステムがあること。教育内容の上限を設けると
自主的に学ぶことさえ制限されてしまうこと。この二点が本来の
問題なんです。

教育内容の歯止めを撤廃するかどうかについて、賛成か反対かを言うのは
それほど意味があるわけではないんです。

44カマヤン:2003/10/12(日) 23:58
>>42
「エリート」という言葉の定義が私には判らない。
スレ違いっぽいので、このスレで続けるのはどうかな、という気がするけど。

45松代@管理人:2003/10/13(月) 02:22
このスレッドには「歯止め制限」を設けていません。
発言内容についていけない人がいたとしても、議論を中止する理由にはなりません。

わからない人は無視して教育、もとい議論を進めてくださっても結構です。

46鳥山仁:2003/10/13(月) 03:26
田中さん>
教育権が私人にあるなら、歯止めはそれほど大きな問題ではないと思います。
また、日本は戦前戦後を通して教育権を国家の権利としていたのに、
戦前の方がエリート養成サバイバルが厳しかったのも事実ですし、
経済問題で進学できなかった人の数が多かったので、
それほど歯止めに意味がなかったという田中さんの説には説得力があります。

しかし、戦前にも陸軍士官学校→陸軍大学という、
国家に教育権のある場所で歯止めがなかった故に、
国を滅ぼすほどの弊害が発生していた事実があることを、
お忘れではないでしょうか?

もちろん、この場合の「歯止め」は、
過度の受験戦争に対する「歯止め」と意味は微妙に異なりますが、
その点をふまえた上でも、教育権と教育の上限設定には、
一考の余地があると私は考えています。

カマヤンさん>
エリートの語源はユダヤ教の選良
から来てるんでしたっけ?

47カマヤン:2003/10/13(月) 04:02
>>45
なんか「歯止め制限」と「つまづき回避」がセットであるという前提を、松代さんは
持っているような気がする。

テクニカルには、「歯止め制限」することは「つまづき回避」に全く役に立たないのだけど。
webで何回かAAの書き方講座をしていたとき、「つまづき回避」講義をしつっこくしていたのは
オレだけだったので、「つまづき回避」には鈍感な人が多いんだろうな、という気がするけど。

「つまづき回避」の講義のできない人による教授は、主観的に「歯止め制限解除」だとしても
客観的にはオタクの一人遊びだな、という気はする。
「つまづき回避」は、わりとテクニカルに科学化できそうな気がするんだが、なんか、科学化されて
ないように感じるんですよね。

48鳥山仁:2003/10/13(月) 04:52
カマヤンさん>
いや、教育権が国家にあって歯止め制限が無くなると、
自動的に全学生が学業サバイバルゲームの対象になっちゃうから、
止めて欲しいというだけであって、
つまずき回避とは全くの別問題だと思うんですけど。

ただ、つまずき回避はテクニカルに解消できる可能性はある、
という点には同意します。
たとえば、中学の物理や数学が基本的に暗記科目である、
という認識のある教師と無い教師では、
生徒の学習効果は全然違ってくるでしょう。

私は途中でその事実に気づいたから、
かろうじてセーフだったけど、
気づかない人は本当に苦しんだと思います。

49СТАЛКЕР:2003/10/13(月) 11:09
>自動的に全学生が学業サバイバルゲームの対象になっちゃうから、
学業サバイバルゲームがなんでいかんのか、私にはわからないんですが。
問題は学業サバイバルゲームじゃなくて、それ以外の選択肢が狭められすぎているってことなんじゃないかな、と思うわけです。
そもそも高校全入状態に近いいまが変なわけで、社会に広い受け皿があれば、サバイバルゲームでも問題ないのでは?

50田中博美:2003/10/13(月) 21:34
鳥山さん>
>教育権が私人にあるなら、歯止めはそれほど大きな問題ではないと思います。
その通りなのです。教育権が私人にあれば問題はないはずです。


>しかし、戦前にも陸軍士官学校→陸軍大学という、
>国家に教育権のある場所で歯止めがなかった故に、
>国を滅ぼすほどの弊害が発生していた事実があることを、
>お忘れではないでしょうか?

もしかして、陸軍が政党としての機能を持っていた点について
言われているのでしょうか? この場合は政治の道具であるべき
軍隊が口を挟んではいけないという基本的なことを教えてなかった
ことが原因かと思います。

51鳥山仁:2003/10/15(水) 18:42
49さん>
うーん。
それは戦前の学制に近い制度なんでしょうか?
確かに、労働人口に第1次産業の占める割合が高ければ、
学業がダメなら単純労働に従事するという意味において、
社会に受け皿はできますけど・・・そういう社会がお好みですか?
第3次産業が主体だと、専門教育かそれに近い環境が必要なのは、
パソコンソフトの一例をとっても明らかで、
私の構築している社会イメージと49さんのイメージは、
かなり食い違っているような気がします。
できれば、具体的な受け皿のイメージが欲しいです。

52鳥山仁:2003/10/15(水) 19:00
田中さん>
エリート教育の欠陥の一つは、それが政治に直結すると、
成績重視の安易な選民思想につながることで、
陸軍大学はその象徴でした。

卒業時の席次が階級に直結し、
実務での失敗が出世に直接影響しないと言うのは異常で、
さらに将校は政治参加すべきであるという、
ソ連も真っ青な指導をやっていたわけですから、
これで国がどうかならないと考えるほうが間違っています。

陸大の事例は国費でエリート教育を行う弊害が全て現れており、
これを抑制しようと考えるのは当然のことでしょう。

本来、教育権は私人に帰するものであり、
どんな勉強をするかは本人と親の意志に委ねられるべきです。
教育によって得られた情報は資本の一変形だから、
知識を得るためになされる投資は、
個人の財産によるのが当然だと思います。

要するに、どんな本を買うのかは本人の選択次第であって、
漫画を買うのも本人の意思なら、
同じお金で哲学書を買うのも本人の意思ってことですね。
また、そういった前提があるからこそ、
表現の自由や思想の自由にも意味があるわけで、
国家による教育は、あくまでもセーフネットや福祉の一環である、
ととらえるのが健全な教育観でしょう。

53鳥山仁:2003/10/15(水) 19:12
問題は私人が教育の選択を決定する際に、
その幅をどうやって確保するかという点と、
教育に投資する資本が不足していた場合、
それをどうやって解消するのかという点で、
前者は図書館や有志の人が、どれだけ書籍や情報を、
公的にオープンにしているか、
あるいはそれらの情報に触れやすい環境を作っているのか、
という環境整備の充実度が焦点になります。

日本はセクショナリズムが発達した社会なので、
情報が共同体ごとにクローズになる傾向が強く、
情報が極端に少ない共同体の内部住人が、
その事実に気づかないと言う悲劇が発生しやすい、
という問題を抱えています。

後者の問題は奨学金制度の充実や、
教育ローンの拡充で補填するしかないでしょうね。
いずれにせよ、難しい問題です。

54田中博美:2003/10/15(水) 22:14
鳥山さん>
陸軍を例にして書かれているわけですが、論点が全くずれてます。
鳥山さんの言われるエリート教育は、私から見れば、隔離された教育に
相当します。

陸軍の問題は「教育の達成の評価」の問題として考えられます。
これはエリート教育とは無関係に起こります。

それと、エリート教育には本人の意思と保護者の協力は必須です。これを
抜きにしてエリート教育は不可能と言っても差し支えがありません。
教育の効果を飛躍的に高めるのに必要なことは説明するまでもないでしょう。

いずれにしても、エリート教育を行うべきかどうかを議論するまでに
解決すべき問題が山積してます。個人的な意見ですが、エリート教育の
是非を問う必要はないと考えてます。

根本的なことを言いましょう。代議士の先生に声を大にして言いたいのですが、
『どのような大人に育てるか、教育の目的を決めてから議論してください』
各党のマニフェストを読みましたが、触れているのは自民党と保守新党のみ。
社民党に至っては子どもの人権のために議論することを拒否してますね。

55鳥山仁:2003/10/16(木) 06:55
田中さん>
いや、論点はずれてないですよ。
問題を整理しましょう。

先ず、江戸期の学校は寺子屋、私塾形式が主流で、
教育権は原則として私人にあった。
これなら、歯止め制限を設ける必要はありません。
どうしてかというと、ニーズに合わない教育機関には、
質量共に人が集まらないので、自然衰退してしまうからです。
この、学校のランクが人気によって決定され、
駄目な学校は淘汰されてしまうというリスクがあることによって、
教育機関と社会には明確な相関関係が発生します。
学校制度の自由競争化ですね。

江戸末期から明治初期を下支えした人材の多くは、
こうした私塾出身者が主流を占めており、
江戸期の学制が相当に成功したことを示しています。

ところが、明治時代になると、
カリキュラムの問題から私塾が壊滅状態になって、
教育権の主体が国家に移行してしまう。
しかも、その理由はキリスト教系の私学校を、
政府が強く警戒したためだと言われており、
スタートの段階で宗教問題を孕んでいたわけです。
(続く)

56鳥山仁:2003/10/16(木) 07:42
こうなると、学校はイデオロギー教育の機関になってしまいます。
しかも、税金で運営されているから倒産もしません。
倒産しないから、教師は浮世離れした戯言を言っていても、
許されちゃうわけです。公務員だから。

加えて、戦前の陸軍士官学校、海兵学校、陸軍大学と師範学校は、
生徒の月謝も無料でしたから、授業を受けている側も一種の公務員です。
だから、親の経済力が直接的に影響することもありません。
特に陸軍士官学校→陸軍大学コースはその傾向が強く、
電波ちゃんが淘汰されることなく国家の要職を占める、
という怪現象を発生させました。

こんな場所でまともな社会的判断能力なんてつくわけもないのに、
戦前の首相の約半数は陸軍大学出身、あるいは海兵学校出身者でした。
これで国政の方針がどうにかならないと考える方が変です。

この点を指して、田中さんは「隔離された教育」とおっしゃっている訳ですが、
そういう倒産しないから浮世離れしている「隔離された場所」で、
歯止めが無くなるとどんな現象が発生するのかを、
シミュレーションしてくださいな、と私は言いたいわけです。
(続く)

57鳥山仁:2003/10/16(木) 08:02
余談になりますが、敗戦による官僚制改革の不徹底によって、
戦後教育のシステムにも戦前の悪癖が残っているのは周知の通りで、
教育委員会とPTAは神道系(右翼)、それ以外の教職は日教組(左翼系)
という対立構造を作り出してしまいました。

これが、日本の子どもたちが見る右翼VS左翼の原点でしょう。
だから、日本では成績が良かったり、校内活動が活発で、
現場の教師から可愛がられていた子どもは左翼かクリスチャン、
不良かいじめられっ子だったことが原因で学校からスポイルされたり、
反対に教育委員会やPTAの覚えめでたい
子どもは右翼(神道系)のグループに所属する傾向が強いんですよね。
これは、オタクとヤンキーの対立構造にもつながっています。

教師にもスポイルされたいじめられっ子は右翼系オタクに、
教師に可愛がられたけど仲間内でいじめられた子どもは左翼系オタクに、
不良で学校を追い出された奴は右翼系ヤンキーに、
町の有力者の師弟で素直に育つと右翼系エリートになるわけです。

しかし、右翼系の教育関係者も、左翼系の教育関係者も、
どちらも公務員ですから、見た目のイデオロギーを除けると、
社会主義という本質が出現します。
この点をもっと追求していかないと、
日本における教育問題の本質は見えてきません。

親の教育への関心や経済力に関しては、
締め切りのせいで体力が尽きたので、
次の機会にお話ししたいです。
申し訳なし。

58松代:2003/10/16(木) 12:53
>>54
>根本的なことを言いましょう。代議士の先生に声を大にして言いたいのですが、
>『どのような大人に育てるか、教育の目的を決めてから議論してください』
>各党のマニフェストを読みましたが、触れているのは自民党と保守新党のみ。
>社民党に至っては子どもの人権のために議論することを拒否してますね。

人権という視点に立って考えるならば、教育の目的を公が設定し、私に選択の余地がない社会は問題外です。

また、同じく人権的視点に立つならば、理想の人間像を設定する、あるいは設定するよう求めることもまた問題外と言えます。

理想の人間像を設定、あるいは解釈する立場の人間は、あたかも教義や教義に基づいた生き方を解釈し、信徒に押しつける、または信徒がどの程度教義に基づいた生活を送っているか判断する宗教指導者のごとく、他者に対して強大な権力を握ることとなります。

このことは人権侵害の温床となります。

また、理想の人間像を求め、受け入れる人間は、理想の人間像を共有しない他者を軽んじる傾向が強く、また善意から理想の人間像を他者へ押しつける傾向も強く見られます。

これは他者の内心に自由を犯しており、端的な人権侵害です。

まともな政党であれば、このような人権軽視の政策をマニフェストに盛り込むはずもないのですが、その意味では自民党と保守新党がまともな政党ではないことが明らかになったと言えます。

また、社民党が人権擁護を強調しているのも、伊達ではないことが明らかになったと言えます。

鴻池代議士も教育の歯止め制限撤廃に類する政策を掲げていましたが、理想の人間像を求める点といい、歯止め制限の点といい、ごりごりの健全育成論者とオタクの教育論が見事にかぶるというのは、規制推進派とオタクとの共通点というスレの趣旨に「あまりにも合致しすぎて」いて、ただもぅ笑うほかないですなぁ〜

59田中博美:2003/10/16(木) 17:06
鳥山さん>
お互い、見ている方向が違うだけで意見が違っているわけではないと
思います。どちらかと言えば、私は「なぜ、歯止め撤廃」という
意見が出ること自体を問題視してます。反対により回避されれば
済むと考えてません。

公教育に目的がある以上、それに相応した学習内容があるわけで、何を
教えてもよいということにはなりません。それを忘れていることが
最大の問題です。

松代さん>
どうも、教育の話は人権保護の立場の人達には理解されてないことを
忘れてました。その辺まで書いておきます。

税金により公教育を行う以上、その目的を設定するのは当然です。
税金を個人が勝手につかってはならないのですから、それを個人のための
教育に用いることは許されません。例えば、「犯罪を減らす」という目的なら
「倫理観を獲得できるように促す教育」を行うために公教育は使うべきです。
54に書いた教育の目的とはこのことです。国家が国民のためにあることを
考えれば、異論はないと思います。

子どもは大人に成長する過程は自分なりの理想の人間像、倫理観と言っても
よいでしょう、を獲得する必要があります。一見、理想の人間像を設定することは
人権に反すると思われますが、公教育でそれを設定し、そこから各自が理想の姿を
持てるようにする「過程」が大切なのです。結果論で言うなら、社民党の
マニフェストでは、その教育の機会を奪うことになります。国家の設定した
理想の人間像に"反発する機会"を子どもから奪うことは子どもを不孝にします。

60田中博美:2003/10/16(木) 17:13
最後の段落の1行目ですが、

誤) 子どもは大人に成長する過程は〜
正) 子どもは大人に成長する過程で〜

と訂正しておきます。意味が通らなくなってしまっているので。

61СТАЛКЕР:2003/10/16(木) 18:49
公教育が理想の人間像なんて設定するんだったら、その分税金返してくれよ。
一年前のイラクで理想の人間像は誰ですか? フセインです。
北朝鮮において理想の人間像は誰ですか?  金正日です。
もし公教育が設定する理想の人間像が、松代さんや鳥山さんだったらどうしますか?
(嫌いな人は多分怒るだろう、税金も使われることだし)
この前のF1鈴鹿グランプリを見て「俺は将来佐藤琢磨みたいになりたい」って子供が
言ったとして、公教育から与えられた情報とは関係ないよね。
理想の人間像なんて、公教育以外でいくらでも探せるよ。
さすがに子どもが犯罪者を尊敬して、犯罪者になるのはまずいけど、
殺人者にならないために理想の人間像を公教育が設定する必要があるの?
理想の人間像に反発する機会をなんでわざわざ設定する必要があるの?

62田中博美:2003/10/16(木) 20:13
61>
ごめんなさい、言い忘れてました。と言うか、言わなきゃ解らない
ことでしょうか。

理想の人間像なんて、いくらでもあります。公教育で示されるのは
教材としての一つに過ぎないですよ(苦笑)。ですから松代さんや鳥山さんを
設定してもらっても構わないです。でも、松代さんや鳥山さんのどこを
取り上げて設定するかは、説明する必要があるでしょう。

嫌いな人は怒ると言われてますが、なぜ怒るのかを説明出来るように
なる必要があります。説明できるように学習することは必要ですよ。

「佐藤琢磨みたいになりたい」、大いに結構なことだと思います。
でも、佐藤琢磨氏のどこを見ているのですか?
それを理解することは必要です。

解ってもらえましたか?

63СТАЛКЕР:2003/10/16(木) 20:57
理解できません

64СТАЛКЕР:2003/10/16(木) 21:40
>>62

>嫌いな人は怒ると言われてますが、なぜ怒るのかを説明出来るように
>なる必要があります。説明できるように学習することは必要ですよ。

>「佐藤琢磨みたいになりたい」、大いに結構なことだと思います。
>でも、佐藤琢磨氏のどこを見ているのですか?
>それを理解することは必要です。

カントの『判断力批判』や『純粋理性批判』を子供たちに理解させるようなものですね…

65СТАЛКЕР:2003/10/16(木) 21:51
 子どもは大人に成長する過程で自分なりの理想の人間像、倫理観を持つことはありうるとして
 何故、
>公教育でそれを設定し、そこから各自が理想の姿を持てるようにする「過程」が大切なのです
 の説明がされていません。
 具体的に言うとどのように公教育でそれを設定するのでしょうか?
 設定と言われましても具体的な『何』を指すのか不明瞭です。
 また、何故設定する必要があるのかが説明されてません。

66СТАЛКЕР:2003/10/16(木) 22:16
 話の腰を折ります。
 エリート教育=優生学みたいなもの。ファシズム。無理やり東大生教育。全て天才レベル。
 というイメージがまとわり尽きますが、要は民族優生学と言う言葉があるかは分かりませんが、将来の日本人の知能の平均レベルを天才や世界でトップクラスになるように教育しようということでしょうか?
 ここでいう理想像とはエリート教育を踏まえた理想像なわけですよね。

67田中博美:2003/10/17(金) 00:07
65>
質問に丁寧に答えると、スレの範囲からずれますし、私が教育心理学の講義を
してしまうことになります。もし、よければ、メールでお聞き下さい。

68松代@管理人:2003/10/17(金) 00:21
>>67
多少の脱線は大いに結構です。
田中さんによる教育心理学の講義も大いに結構です。

ただし、講義とおっしゃるからには、出典と参考文献は「常に明記」してください。

自分自身、田中さんの教育心理学的背景に疑問を持っています。
率直に申し上げて、霊友会に代表される仏教系の「子育て訓」が背景にあるのではないかと疑っています。
仏教系の子育て訓は経験則に裏打ちされてはいますが、哲学的な体系を持たず、また学問的な実証にも堪えられない、老人の処世訓程度のモノですが、石原慎太郎が打ち出した「心の東京革命」に多大な影響を与えているように、無視できない力を持ってもいます。

田中さんの発言には、人間の判断能力を過剰に低く見積もるところや、教員や親によるこどもへの過干渉及び力関係の差による支配力の行使に対して、あまりにも無頓着に過ぎる傾向が見受けられます。
その意味からも、教育心理学的背景を明らかにして欲しいと思います。

69鳥山仁:2003/10/17(金) 00:58
田中さん>
教育に関する基本認識が、私と田中さんの間で、
それほどずれていないというのは私も同感です。
恐らく、価値観の違いが論点の違いにつながっているだけでしょう。

個人的には、モデルを自明とした模倣or反動形成は、
承認欲求を自明としている段階で不可ですが、
これは私の信念の範疇に入る問題なので、
それを推奨する田中さんや、
個人史において適切なモデルが存在しなかった、
とおっしゃっていたカマヤンさんを批判しようとは思いません。
ただし、他者に模倣を強制するような発言は、
慎んで頂けると幸いです。

70田中博美:2003/10/17(金) 08:21
松代さん
脱線許可ありがとうございます。
出典ですか…、実のところ、自分の教職を学んだ際の講義ノートです。
多少、私の価値観も入れてます。今回は区別しておきます。

>>65
人間が社会的な動物だということは敢えて説明するまでもないと思いますが、
その社会性を確保するために自分なりの理想の人間像や倫理観を持つと
考えられてます。
ところが、日本では「自分なり」のものではなく一方的に(社会的な圧力という人も
います)理想の人間像や倫理観を持たされることが大半です。その方が個人で倫理観の
確立するより失敗がなく犯罪が少なくなります。そういうメリットがあるものの、
意識的に価値観を確保したわけではないため、他人の価値観を受け入れることに
鈍感になりますし、人権の意識がほぼ皆無になります。少し前に物議を醸した
「独身女性が子どもを育てずに年金をもらうのは、いかがなものか」という発言が
ありましたが、これは「女性は結婚をして子育するべき」という価値観を疑い無く
受け入れてしまっている結果と言っても差し支えないでしょう。
そのため、理想の人間像や倫理観を自ら確立させていくことが必要だとされてます。
そうでもしないと人権意識は育ちません。また、自分の価値観を自ら獲得しておけば
他者の価値観の受け入れは容易です。様々な価値観の中から自ら選んだ経験があれば
他の人の価値観を受け入れることが出来るのですから。しかし、価値観の獲得に
失敗することがあります。「借りた金は返さなくてはならない」の価値観がありながら
「金を盗んではいけない」の価値観が希薄になってしまった場合…、これって
強盗の論理です。このような危険も孕んでます。

松代さんが58で言われているのは、前者を公教育で行った場合です。もちろん、
こんなことは論外です。規制推進派はこの価値観の持ち主と言っても差し支え
ないです。一方、規制反対派には、同じ要領で「基本的人権」を疑いもなく
受け入れている人が多数います。規制推進派と反対派の間で議論が成立しない
原因はここに一因があります。

私が公教育で行うように主張しているのは後者の方です。


それと私の発言が人間の判断力を低く見積もっていることですが、判断力を高める
ことが教育の目的の一つであるため、最初は低いと見積もらざる得ません。最初から
高いことはあり得ませんし、そもそも高ければ教育は不要です。また、教育を
行う以上、教える側には「権威」が必要です。教える側が教える立場であることの
根拠と言い換えてもよいです。もちろん、それは「権力」とは違います。よく、
教師の権威を否定される方がおられますが、否定した結果が学級崩壊なのですよ。

鳥山さん>
モデルを使うべきとは思いますが、自明であることには反対です。むしろ、
自明でないことを学ぶべきだと先には書いてます。

71СТАЛКЕР:2003/10/17(金) 11:06
>>70
 倫理観はまず家庭内から学び、同年代の社交の場で修正追加し、さらには修正追加し、順々に大人になっていくものだと思うのですが。
 
 ところで、公教育で理想像を設定するとはどうやって設定するのか具体的には何のことというのが説明されていないように思います。
 70で説明されているのは何故しなければならないかですよね。
 
 あと、講義ノートからとありますけど教育学論の講義ですか?

 さらに、些細な事だけど規制推進派や規制反対派とは、教育の歯止め関連のですか?

72田中博美:2003/10/18(土) 11:13
こういった掲示板では引用を多用した方がよいのでしょうか?

>>71
倫理観は家庭内から学び始め、順次追加修正していくということでよいのです。
これはよい質問だと思います。これまでの説明は、その追加修正の方法に問題があるので、
その方法を公教育で教えるべきとの指摘です。現状では内心の自由を確保できてません。

先では公教育での理想像の設定方法や具体的に何のことかという説明はしてません。
教室で一方的に教え込むという先入観で反発されている方が多いようですね。
どういう方法でもよいんですよ。

国民栄誉賞とか叙勲制度はその一つと言ってもよいです。理想の人を選び、
表彰するという方法を使っているのですから。

講義のノートは教育心理学, 青年心理学, 教科教育法が主ですね。少し応用も
入れてます。言い忘れていて申し訳なかったのですが、規制推進・反対派は
主にコミックの表現規制を指してます。

73СТАЛКЕР:2003/10/18(土) 13:28
>>72
>こういった掲示板では引用を多用した方がよいのでしょうか?
 引用を多様というか知識が何処から来ているのか、出典がどこかです。
 その方面での知識の無いものにとってはデマかネタかと思われる可能性があります。
 虚偽の事実かかん違いかそうでないのかを示すために、何処からの知識とか、アドレスの記述とかを示す必要があると思います。

>先では公教育での理想像の設定方法や具体的に何のことかという説明はしてません。
>教室で一方的に教え込むという先入観で反発されている方が多いようですね。
>どういう方法でもよいんですよ。
 例えば、エジソンの伝記など色々な伝記を読んで、読書感想文を書かされると言う課題も理想像の設定方法とみていいのでしょうか?
 国語の授業や道徳の授業も倫理観や理想像の設定になるということですか。
 
>教室で一方的に教え込むという先入観で反発されている方が多いようですね。
 どういった意味か分からないので勝手に判断してはいけないと思い質問したのですがいけませんでしたか。
  
>言い忘れていて申し訳なかったのですが、規制推進・反対派は
主にコミックの表現規制を指してます。
 そうでしたか。いきなり出たので、このスレッドの話かと思いました。

7473:2003/10/18(土) 13:57
 あ、名前に71と書いておくの忘れました。


 あと、公教育で理想像を設定する理由はともかく、何故、理想像という言葉が出たのか不思議です。
 理想像が社会で生きていくうえで必要なのでしょうか?
 倫理観はともかく理想像が何故必要なのかが不思議です。
 理想像とは父親は大事か、母親は好きかとかそういうことではないですよね。この人のようになりたいという願望でしょうか?
 それとも、尊敬する人ですか?それとも違うような気がしますが実は分かりません。

75松代:2003/10/18(土) 14:06
>>72
73氏も指摘しておりますが、自分が「出典と参考文献は『常に明記』してください」と断ったのは、田中さんの意見が「他者による実証を経たもの」か、あるいは「個人による独自の見解」なのかを区別する必要があったためです。

また、出典と参考文献を明記することによって、他者がその意見を追跡証明することが可能となるのですが、明示されていなければ追跡証明は不可能です。

田中さんの発言内容から、実証研究における証明とまでは行かなくとも、主張の裏づけとなる資料の例示や1次資料の扱いは既にご存じのことと思われます。

例え講義録が出典であったとしても、個人情報を曝さない範囲で実証された主張かそうでないかの例証や、背景となった理論の紹介は可能です。引用の可否についてはおまかせしますし、大学教育においてレポートなどを作成した経験があれば、引用範囲の設定などは理解しているハズなので、その辺についてもおまかせします。

とにかく、他者による理論の追跡証明が可能となる参考文献なり一時資料の例示を強く求めます。
このままでは、何処までが田中さんによる個人的かつ独自の見解なのか、何処からが教育現場において実証された理論なのかがさっぱりわかりません。

76田中博美:2003/10/18(土) 16:00
>>75
一次資料ですが、適当なところから、探してきます。何日かお待ち下さい。

教育心理学関連の本を探せば、たいてい書かれていることですが、
私自身が大学に在席しているわけではないため、すぐに探しには
行けません。

77田中博美:2003/10/22(水) 18:04
予告どおり、資料を探してきました。

社会性の発達について
井上健治 久保ゆかり編「子どもの社会的発達」東京大学出版会,1997
(近所の図書館から適当なものを見繕って来ました)

公教育での倫理観の取扱について
村田昇編著「道徳教育論(新版)」ミネルヴァ書房, 1990
(大学で使ったテキストです)

少なくとも最低限の教育心理学の知識が無いと読めないと思います。
「ピアジェ」と言われて名前を知らないようなら、そちらから勉強される
ことをお勧めします。

お詫びですが、上に書いた本は大学のテキストレベルのものであって、
最初に発表された論文である一次資料から四次程度まで下がったものです。

7873:2003/10/23(木) 21:41
>>77
 しつこいですが、公教育での理想像の設定方法がどうでもいいといわれても色々考えられて迷いますよ。
 例えば、国民栄誉賞が公教育の設定に入るのなら、時のアイドルも公教育の理想像の設定に入りませんか?
 幼児に読み聞かせすることや、運動会やお遊戯も含めて、色んなものが設定方法はなんでもいいということですか?
 公教育で設定するというのは幼稚園や小学校の話になりそうですね。
 
 あと、理想像についてなのですが、
 一年一度、小学生だか幼稚園児だかの将来どんな職業につきたいかというのアンケートの結果発表を新聞やテレビなどで見ます。
 ですが、理想の人間像って考えた事ありません。 
 なので取り立てて必要な事なのかと不思議に思います。
 それとも、将来どんな職業につきたいのかと聞かれることも理想像の設定の一つでしょうか?

 あとは心理学はほとんど知りませんが、図書館行って77の資料で確認します。

79田中博美:2003/10/23(木) 22:33
>しつこいですが、公教育での理想像の設定方法がどうでもいいといわれても
>色々考えられて迷いますよ。例えば、国民栄誉賞が公教育の設定に入るのなら、
>時のアイドルも公教育の理想像の設定に入りませんか?

一定の理想を示す必要があることだけは解っているのですが、どのようなものが
よいかとか、どのように教えるかということがそれほど大切なことだとは考え
られてません。まだよく解ってないことでもあり、私が受けた講義の先生は
「親と学校で統一させる必要はないんじゃないか」と話されてました。

国民栄誉賞は受賞の理由があります。大切なのは「受賞の理由」です。
時のアイドルに同様のものがあるのでしょうか?
#個人的にはある人もいると思います。

>それとも、将来どんな職業につきたいのかと聞かれることも理想像の設定の一つでしょうか?

それが「教材の一つとして使われるなら」という条件付ですが、そのように
考えて貰ってかまいません。「なぜ、その職業に就きたいと考えるのですか?」との
問いが加わるなら、理想像の設定と考えてよいと思います。この辺は私の見解です。

80松代:2003/11/07(金) 02:21
規制反対派オタクには、以下のように考えている人間がたんまりいる

−自分が社会から認められないのは、自分が「オタク」だからだ。もし「オタク」が社会的に認められたなら、自分は社会から高く評価されるだろう−

規制推進派女権論者(フェミニストと呼びたくない連中ね)には、以下のように考えている連中がたんまりいる。

−自分が社会から認められないのは、自分が「おんな」だからだ。もし「おんな」が社会的に認められたなら、自分は社会から高く評価されるだろう−

81松代:2003/11/07(金) 11:49
規制推進派も規制反対派も時系列順に物事を把握し、議論を展開しない、あるいはできないという点が共通している。
どちらも現実を通時的に把握できないのかもしれない。

82松代:2003/11/18(火) 01:15
ずばりいいましょう
規制推進派もオタクも在日と創価学会が大嫌いでしょう
規制推進派フェミは、口では人権がどうのなんてきれい事いってるが、永住外国人の地方参政権問題には、消極的に反対してるでしょう

うそだと思うなら、今後の表現規制反対活動において、公明党や永住外国人の地方参政権獲得を目指す「社民党系NPOグループ」との共闘を呼びかけてごらん。
袋だたきにされるよ。

83СТАЛКЕР:2003/11/18(火) 03:29
2chなんか見てると消極的ながら
公明党や社民党系と共闘しても良いと思う人達は居るみたいですが
それでも大分消極的ですね

84СТАЛКЕР:2003/11/18(火) 05:37
自分語りのアイデンティティが崩壊するからね

85松代:2003/11/18(火) 13:34
規制推進派も反対派オタクも、活動の目的は同じだ。

どちらも自分の信奉する価値観、あるいは文化を他者、それもできるだけ権威のある他者に承認させ、賞賛させる事が第一の目的だ。
さらには 自分の信奉する価値観、あるいは文化を共有しないものに対して、自分の信奉する価値観、あるいは文化を強要する事が第二の目的。
最後に、自分の気に食わない価値観、あるいは文化を否定し、貶め、さらには抹殺するのが第三の目的だ。

うそだと思うなら、規制推進派や反対派オタクに、文化的多元主義をどう思うか、少数派の価値観に敬意を払っているかを聞いてみたらいい。

規制推進派にしても、反対派オタクにしても、他者の価値観や文化に対して「敬意のかけらも示さない」という点は共通している。

86СТАЛКЕР:2003/11/18(火) 15:07
>松代さん
それはひょっとしてギャグでいっているのか?(AA略)とでもいいたくなるような。
規制賛成派だけでなく、反対派にもヘンなイメージ付けして、どういう意図があるのかわからなくなるような書き込みが最近多いような気がします。
なんというか、ヒトリゴトというか、掲示板に書いていながら読者を想定していないというか。
選挙結果がそんなにショックでしたか?

87松代:2003/11/18(火) 19:25
≫86
ネタ半分、マジ半分ってところだけど、なにか?
以前より、それこそこの掲示板を立ち上げたときから同じ事を繰り返し言ってるのだが、そんなにおかしいかな?
ただ、カマヤンさんは「婉話法を無視する」そうだし、アソコの板じゃこの芸風は嫌われるっぽいんで、こっちの板に「明確な形で表現」してるだけだよ。

88СТАЛКЕР:2003/11/19(水) 02:38
>>87
半分は当たっているようには感じますけれど、あなた自身も少数を無視している
ご意見なのでは?
木を見て森を見ずの逆を行かれていると言いますか。
私は規制反対派であり、同時にオタクに分類されるものと思われますが
在日の方が即座に嫌いだとか言う事はありえないです。
中には私の嫌いな人も居れば嫌いじゃない人も居るでしょうが、
そんなものは会って個別に判断する以外に方法は無いですし。
永住外国人の地方参政権に関しても良いと考える方で、
創価学会に関しては、個人的な事情で好きではないと。
このような価値観ですね。
従って、
>文化的多元主義をどう思うか
良い事だと思う。
しかし、自分と異なる価値観を一様に受け入れられるとは限らない。
但し、自分又は社会に明白な被害、損害を与えない物であるならば
一切その行為に対して圧力を加えないようにしようと思う。
>少数派の価値観に敬意を払っているか
払うよう努力はしているが完全に徹底できるとは思えない。
ってな所でしょうか。

>他者の価値観や文化に対して「敬意のかけらも示さない」
これは、分析していけば誰でも当てはまる物があるでしょうね。
イスラム教徒から日本人を見れば、酒は飲む、肌は露出する、
豚は食うと、ユダヤ教徒から言えばえびは食うかには食うタコも食う、
仏教徒から見れば肉、魚を食う信じられない人種だ………って言う方も
中には居られるでしょう。
全ての物に必ず敬意を払える人間なんて居ますかね?
誰しも独自の価値観を持っているのですから、合う合わないもあるのが
当たり前で、それが逆に価値観の多様性を顕しているとも言えますし、
又、すべてを端的に容認すれば良いとも思いません。
それに完全な人間なんて滅多に居ないでしょう。

おかしいと言うより、だから何が言いたいのかな?って言う所なんですよ。
仮にあなたの主張を実現させたいのであれば
オタク云々以前にですね、差別が許せないって言うのならそれをしている人を
ダイレクトに批判すれば良いのだし、何で駄目なのか、どうすれば無くせるのか
何をすれば良いのかってのを書けば良いんじゃないかと。
それをしたければ、ですけどね。

それから、価値観及び文化強要に関しては、確かにオタクも推進派も同じ面が
有るでしょう。
しかし、結果として出てくるものは全く別です。
更に先になればどうなるかは解りませんけれども、
例えばアニメの良さを知れ、と言う行為と、アニメ何ぞと言うものを
愛好する等と言うのは恥じるべき事だ、有害なんだ、と言う事を知れ(?)
と言う二つの思想、広げていけば結果は如何でしょう。
オタク側にしても規制をするな、とは言っても、実害が無いのであれば
規制論を一言も言うなとまでは言わないと思いますよ。
言った所で実害が無いのであれば、放置する人間が大半を占めると思いますし、
それが結果的に、その価値観を黙認する事に形式上なるのであって、
多様性の保全に繋がる訳ですから単純に同列で語ると言うのは変だなぁと。

89СТАЛКЕР:2003/11/19(水) 03:42
>>88
僕なんかは「アニメを観ないと駄目だ」って言われて辟易したクチなんですけど
同じように漫画の読み方がどうこうと言う人たちを見ていると
健全な青少年であれと強要する人たちと何が違うのかと考えさせられます
どうして漫画を自由に読んで、解釈してはいけないんでしょうか?
そりゃ会員一人一人は違うんでしょうけど、公式の発言を見る限りでは
そういった意味を持ち得る言葉がたくさん使われているな、と思うのです

僕は漫画を読みます
でも、漫画を読んでいることを認めてもらおうとは思いません
受け入れるだなんて、なんで他の人に認められないといけないのか疑問です
たのむから無視してください
それによって不利益を被るんだったら動いたって良いです
でも、「良いことだから」といって構われると気持ち悪いです
悪いことだと言われたら、悪くない証拠を見つけてきて渡しますけど
僕は静かに漫画を読みたいんです
そして、面白くなくなれば読むのをやめます

だから規制推進派は嫌いですが、規制反対派も嫌いです
賛美するか排除するかで、どっちも極端すぎます
AMIとか人を追い出すことが多いし、見ていて正直ひどすぎるって感じます

僕はどっちにも荷担したくないので
反対派を潰すだけっぽいココでデータ出しとかやってます
松代さんも怒りにかられすぎだと思ってますけど

90СТАЛКЕР:2003/11/19(水) 07:26
86を書いたものです。
私が言っているのは、規制推進派とか、反対派とか、そのグループ分けの中に入る人個々の個性を無視して,一律に,賛成派はこうである,反対派はこうである、とするきめつけがひどすぎやしませんか、ってことです。
それは、在日はこうである、創価はこうであるとして、変な論陣を張る人と本質的に変わらない態度じゃないか、と思うのですよ。
批判するなら、個人名、団体名を上げて言うべきだと思います。難しいとおもうけど、そうでないとレッテル貼りにしかならないんじゃないでしょうか。

91СТАЛКЕР:2003/11/19(水) 07:44
カコログ嫁
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/news/410/1037028995/r9-10

92СТАЛКЕР:2003/11/19(水) 10:47
>>91
ようするに、
「自分たちも他人から決め付けを食らっている。
 だから、俺も決め付けをしてやる。」
と。

93松代:2003/11/19(水) 12:26
まぁ、振り返ってみると、いささか度を越していましたかね。
もともとは洒落ではじめたことだったんですけど、洒落のつもりで洒落を忘れちゃ洒落になんないってンで、お洒落でもなんでもないただの野暮天でしたね。

>>91さんが指摘しているように、意趣返しって側面も全然なくはないんですけど、それよりは「同じヤルなら洒落っ気を出しなよ」って気持ちがあって、でもこれじゃ「唐澤某」とおんなじなんだよね。

あぁやだやだ、野暮やいやだね。
みっともないね。

さておき、真面目な話をすれば、正に「ミイラ取りがミイラになった」わけで、お世辞にもほめられたものではありません。人権侵害の救済を訴える団体が、犯罪被疑者や精神障害者、外国人を始めとする人々の人権を軽視したり、あるいは証言の自由を求める人々が自分の気に食わない言説を片っ端から規制したりと、同じような人々は少なくないのですけど、そういう事例をあげつらっていた自分が前車の轍を踏んだのですから、二重の意味でタチが悪いですね。

猛省してます。

また、怒りに駆られていることも事実です。
これは、選挙結果よりもそのことに対する「反応」が原因でして、この板にも書いたように、今ごろになって社民党執行部批判を展開したり、選挙の実務までいろいろ知っていながらミスリードを繰り返し、やはり今ごろになって「選挙先述の再検討」とかいいはじめる左翼系活動者に対する怒りは激しいものがあります。

グリーントライアングルが最も熱心に応援した候補が急遽出馬を決めた石塚さとしさんであり、また土井党首と選挙区がかぶる中川ともこさんであり、おふたりの当落予想を踏まえたうえで応援を決めた事を考えていただければ、どのような覚悟で選挙戦に望んだのか、多少でも伝わってくるかもしれません。

特に、掲示板における鎌ヤンさんの言動は、目に余るものがあります。
鎌ヤンさんが婉曲話法を無視すると「明言する」のは、精神面での危険信号であり、これまで受けた恩義を考えると、そっとしておくのが人の道にかなう行動なのでしょうが、そうはいっても腹の虫が治まらないのも事実です。

とりあえず、他人に迷惑をかけないよう措置を講じつつ、公開の場でやり取りできないかどうか探ってみます。

今回は皆様にご迷惑をおかけしました。
改めておわび申し上げます。

9488:2003/11/19(水) 15:46
>>89
>「アニメを観ないと駄目だ」
そりゃまぁ災難でしたね(^^;
ただ、この台詞、似たような事は私も言った事は有ります。
と言うのも中身を全く知らない状態で安易に批判を行う人が居たからでして、
別段、興味が無い人に勧誘を行った(?)と言う事ではないのですが。
しかしまぁ、漫画の読み方にまで口出しするような人が居るとは呆れますね。
漫画であれ小説であれ映画であれ、解釈は読み手の自由だし、
それが私からすると正しい楽しみ方だと思いますから、
読み方云々に口を出すってのはどう言うつもりなんだろうと思います。
勿論、独自の解釈を持ち寄って互いに意見交換を行うと言う楽しみ方は
有りますが、押し付けではないですし。

>漫画を読んでいることを認めてもらおう
私も全くありません。
ただ、個別の作品の中に自分の好きな作品が有って、その作品の良さ、
楽しさを伝えたいと言う事は思いますけれども、別段無理な勧誘もしないですし。
そもそも、空気吸うのと同じでわざわざ認めてもらわねばならんような
性質の物では無いですからね。
しかし、規制反対派と仰いますが、そんな人ばかりなのですか?
私も規制反対派に属していますがそのような目に遭遇した事は有りませんが。

AMIが人を追い出す、と言うのは実力行使ではないが結果的にと言う事でしょうか。
私も疎外感は感じますし、それに対して怒りや呆れを感じた時期はありましたが
今となってはどうでも良い事になっています。
私は自分の愛好する趣味及び仕事、生きる糧が侵害されるのであれば
それに対して反旗を翻すだけの話で、憎かろうが腹が立とうが
結果的に自分の守りたいものが守れれば良いと言うだけですので。
後は理に叶っていない事、筋が通らない事へも怒りを覚える事は有りますが
それはともかく、先記の部分こそがオタク的自己中思想と言われる
部分かもしれませんが、自分はそうじゃ無いと断言できる人が居たら
驚きの部分でも有ります。

95СТАЛКЕР:2003/11/19(水) 17:43
>>松代
いつも少数派の意見繁栄とかいうが
面倒になるとオタクと規制推進派はおんなじとかいってごまかしてるダロ
突っ込まれるとネタとか言い訳するか、だんまり決め込んでるダロ

夜羽が仕事を理由にロビイングさぼった時
どういう反応したか思い出せよ
日ごろの言動は、自分にも跳ね返ってくるんだよ

オタクちゃんねるでもわざわざローマ人の話持ち出して
多様な部族を十把一絡げにして支配とか
明言するといいながら婉曲話法じゃないか?

ローマ帝国やキリスト教ってAMIの隠喩だろ

団体間の相互不干渉とかいいながら
遠まわしにねちねちやってるのな

卑怯クサ

>>94
>しかし、規制反対派と仰いますが、そんな人ばかりなのですか?
>私も規制反対派に属していますがそのような目に遭遇した事は有りませんが。

AMIコラム読んでる?
マンガの読み方がわかんないヤシは規制推進派でペドファイルなんだって

>AMIが人を追い出す、と言うのは実力行使ではないが結果的にと言う事でしょうか。
陰湿にいじめぬいて「結果的に」おいだしてるな
AMI掲示板の管理人にしたって、いづらくなって辞めたそうだ
その辺のことを知りたければ、ココの管理人に聞いてみたらドウヨW)

コミケのオタクが結集すれば政治が変るとかいうくせ
都合が悪くなるとオタクの多様性ダトサ

卑怯クサ

96松代@管理:2003/11/20(木) 12:58
######******.adsl.ppp.infoweb.ne.jpさん
かねてより何度も注意していますが、グリーントライアングルは団体間の相互不干渉を原則としています。
他団体の運営や内情に関する発言は、団体間の相互不干渉原則に抵触する恐れがあり、当禅道魂板では厳しい態度で接しています。
また、現在は「山口弁護士」を責任者として、東京都青少年健全育成条例に反対する署名活動が準備されています。
グリーントライアングルとしては、もし「署名主体に迷惑がかからない」ようであれば、基本的には賛同する考えですし、たとえ「賛同を拒絶された」としても、自体を静観する考えでまとまっています。
微妙な人間同士の微妙な鞘当てが進行している最中に、あまり他団体を刺激するような発言をアップされると迷惑です。
他の掲示板で、掲示板へのアクセス禁止措置に対する議論がなされている最中でもあり、また大手プロバイダの可変IPという事情を考慮して、今回は警告に留めますが、自重していただけない場合はインフォウェブ規制を発動する可能性が有ります。

他団体の問題点を指摘するなら、もう少し言葉を選ぶか、やはり「婉曲に」やってください。
よろしくお願いします。

97田中博美:2003/11/20(木) 22:22
「青少年健全育成基本法案/青少年有害環境自主規制法案」スレの
215番、松代さんが書かれていることを受けて、レスを返させてもらいます。

>>77において紹介させてもらった文献ですが、原論文へ遡れないものを
選んでません。確かにレポートを書くのにこのようなものを資料にすれば
問題でしょうが、オンライン上の議論ですし、必要があれば読まれている人は
自分で遡ってください。間違いなく原論文まで遡ると大変な数になると思いますし、
そこまで私に要求されても困ります。

また、このスレで書かせてもらった内容は初歩的なことです。そして、肝心な
ことですが、学究的に解っていないことが多々ある分野であることも理解して
下さい。

>>78で73さんが「公教育での理想像の設定方法がどうでもいいといわれても
色々考えられて迷いますよ。」と書かれてますが、現場では試行錯誤してました。
教える方も迷っていたんですよ。大学の講義の初っ端に先生に
「"何を教えるべきか"は解らない」と言われてます。ただ、次のような例えを
されました。「あなたと、あなたの妻と母親と船に乗っていたのですが、
沈没しそうになり、一人しか助けられません。どちらを助けるべきですか?」
この答えを出せるようにするのが道徳教育なのだと。
そして、その答えを教える宗教なのだと。

98田中博美:2003/11/20(木) 22:26
ごめんなさい、>>97の最後の行が間違ってました。

(×)そして、その答えを教える宗教なのだと。
(○)そして、その答えを教えるのが宗教なのだと。

99赤城君@漫画喫茶:2003/11/25(火) 15:02
以前から書き込み出来ないのですが、何故でしょうか。善処御願いします。

田中博美様
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_top.cgi/3fc2ee42051bb0104951?aid=&tpl=dir/01/01050000_0016_0000000001.tpl
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4041/seki/bn.html
何故、貴方は公教育に於ける理想像を設定するに際して、教育基本法を蔑ろにし、「道徳教育」や「宗教」を持ち出すのですか?答えて下さい。

100松代@皮肉半分本気半分:2003/12/08(月) 11:57
みなさぁ〜〜ん、12月4日から10日までは、人権週間になっているんですよぉ〜〜
しってましたかぁ?
自分は、駅でティッシュをもらうまで、すっかり忘れてました。人権は大事ですね〜
なんて、サヨク文化人的な(校長先生の挨拶的でもあるね)つかみはおいといて、人権週間にちなんだイベントや研究発表やティッシュ配りが各地で行われています。
その中に、以下のような興味ぶかいお話しがありました。最後まで読むとこの擦れにポストした意味がわかるので、ちゃんと読んでね。

ある「特定の人種、国籍、宗教、性別、出自、職業等を差別する表現」の規制、及び民族情化やレイプを初めとする「直接的に他者へ危害を加えるよう命じたり教唆したり、あるいは他者への直接的な危害を容認する表現」の全面禁止を目的とした国際的な取り決めの話が再燃してるそうです。

これは、アメリカや日本におけるアラブ人や外国人差別があまりにひどいことから、ヨーロッパの人権活動家が提案しているとされていますが、具体的なことはまだよくわかりません。ただ、既に大半の国が「特定の人種、国籍、宗教、性別、出自、職業等を差別する表現」を規制しており、事実上は 民族情化やレイプを初めとする「直接的に他者へ危害を加えるよう命じたり教唆したり、あるいは他者への直接的な危害を容認する表現」の全面禁止が主要目的でしょう。

アメリカや日本におけるアラブ人や外国人差別がきっかけとされているように、基本的には「極右封じ込め」が目的のようです。

目新しいところとしては、公人が公的な場所で「特定の人種、国籍、宗教、性別、出自、職業等を差別する表現」を全面的に禁止することと、規制対象を「物品の販売にまで拡大する」こと、そしてSM表現を「直接的に危害を〜〜する表現」に加えようとしていることでしょうか。

事実を記録したドキュメンタリーと、事実をもとにしたノンフィクションは「報道の自由」から容認され、ノンフィクションが規制の対象をなるため、アニメだろうがマンガだろうがおかまいなしに規制されるのですが、オタク方面で引っかかるのはレイプや人体損壊を含む、いわゆる「鬼畜ポルノ」ぐらいでしょうね。

でも、そういった「鬼畜ポルノ」を制作している作家団体は国際的な批判にさらされるでしょうし、人権を擁護するという観点からは「極右と同レベルに扱われる」でしょう。

とはいえ、先に述べたような国際的な取り決めが実現したとしても、日米は「批准どころか署名すらしない」とみられているし、オタクが大好きなあの「石原都知事」や「小林よしのり」が身を挺して大反対キャンペーンを展開するのはまちがいないので、安心といえば安心です。

もし、本当にこのような事態となれば、名実ともに「オタクと規制推進派は共同戦線を構築する」ので、全くもってすんばらしいといえましょうナ〜

101悟空:2003/12/09(火) 09:29
>100
目的が一致するなら共闘しちゃまずいのかな。
社民や層化やキョーサンとでも共闘するんだから、石原やコバと一緒に戦ってもいいんじゃない?

102悟空:2003/12/09(火) 17:35
今気づきましたが、sage忘れすみません。

103松代:2003/12/11(木) 10:59
自分は共産党との共闘には反対しつづけていたし、今でも反対ですよ。
また、社民党についても「人を選ぶべき」と考えていたし、選挙の時だって「執行部主流派」はパスしてるんだね。
なんちゅうか、いくら目的が同じだからって、誰でもいいっていうわけじゃないでしょ。

でまぁ、現在の政治情況から考えて、もはや公明党以外に「実効性のある反対活動のパートナーとして」頼れる政治勢力は存在しないワケで、以前にも書いたけど「創価学会が大嫌いなオタクさんを山ほど抱えている」規制反対派は、この先どうなっていくのかが非常に興味ぶかいところです。

石原や小林との共闘したら、公明党との共闘関係は構築できないし、反対に公明党と共闘していたら石原や小林は共闘どころじゃないでしょう。それどころか、石原や小林がオタクを真面目な政治勢力としえ扱うのかという、極めて根本的なところさえも疑問ですよね。最低でも、社民や公明の一部議員は、オタクを「真面目な政治勢力」として認識し、話を聞いたりしたけど、石原はどうなのかな?
小林にしてもそうなんじゃない?

一方的な片思いで、石原や小林と肩を並べて「共闘したつもりになってる」なんてことになったら、
目も当てられないだろうね〜

それにしても、目的のためならカルトとでも共闘するAPPと、目的のためなら極右とでも共闘するオタクって、やっぱり似てるよ。

創価学会が大嫌いってのも、規制推進派とおんなじだね。
おもしろいね〜

104K・MURASAME:2003/12/15(月) 20:57
>>103
>松代さん
積極的に共闘するかどうかの違いはあるにしろ、とりあえず敵ではない相手と
潰し合っても仕方がないでしょう。
ただ私にとって共産はまだ距離が近く、石原氏や小林氏は遠い。

なお、小林氏はかつて(1995年ころ)同人参加者をアマチュア、プロじゃないとの
理由で罵倒しています。
しかし、岡田斗司夫氏との対談では適当に話を合わせていました。

創価学会(含む公明党)には、盗聴法以来さんざん痛い目に遭っており、
しかも気にくわない雑誌を図書館から閉め出そうと働きかける、個人情報保護法案
で自らのスキャンダルを守ろうとするなど個人的に極めて問題が多い。また、
自民党との相互依存を深めているように思えるのも減点材料。
敵に回すべきではないのは確かですが………。

105松代:2003/12/16(火) 11:12
>>104
>K・MURASAMEさん
確かに、現状では敵とはいえない相手とつぶしあったり、自分とは異なる意見を持つ存在をむやみに敵視するのは馬鹿げています。しかし、同時にあまりにも価値判断の隔たりが大きい相手とは共闘できないというのも、また真実なのではないでしょうか?
少なくとも辻本議員をはじめとする「フェミニズム原理主義者」とでもいいたくなるような社民党一部議員の政治姿勢は、自分及びグリーントライアングル参加者の価値観とは全く相容れないものがありましたし、その後のスキャンダルや疑惑への対応という部分については、全くお話にならないほどに幼稚でお粗末なものだったといえます。とはいえ、社民党全体としては敵といえないどころか、共闘できる部分が多々あったので、総選挙ではごらんのような対応となりました。
これは民主党においても同様で、党内には「明確に敵視すべき対象」が存在していたにもかかわらず、全体として「まだましな選択肢のひとつ」であることはまちがいなかったため、とりあえず「消極的推薦」という対応をさせていただきました。
では、共産党と社民党や民主党との相違点はどこにあったのかというと、最大の相違点は「排外主義に染まっているか否か」であり、少なくとも自分は「排外主義」に傾斜している団体と共闘する考えを持ったことがありません。また、これからも持たないでしょう。さらに付け加えるならば、日本共産党は非常に「農本主義」的な団体でもあり、その意味からも全く相容れない存在です。
外国を始めとする「異なる価値観を持つ人々を排除する」という点で、共産党は石原や小林を始めとする極右とほとんど同じです。以前、米不足から外米を緊急輸入した際に、共産党は赤旗紙上で「外米排除キャンペーン」を展開し、中には「完全なでっち上げ記事」も含まれていたと指摘されています。さらに、日本共産党は結党時に「党員資格として日本国籍を要求」し、最も有力な活動勢力であり死の弾圧に耐えぬいた「朝鮮半島出身者を意図的に排除」したという過去もあります。
公明党については、浜四津氏の党内発言力が低下しつつあるように見えるなど、 K・MURASAMEさんが指摘した点以外にも危険要素を数多くはらんでいますが、支持母体との関係から「国際協調主義の看板を下ろすことはありえない」と判断しており、その意味では「共産党よりもはるかにましな選択肢」であると判断しています(排外主義に傾斜しつつある現在の民主党よりもマシといえます)。
続く

106松代:2003/12/16(火) 11:14
続きというか、擦れの主旨に戻すためのネタフリ
自分及びグリーントライアングル参加者の最大公約数的意見として、排外主義に傾斜した勢力とは「全く共闘できない」し、それどころか「敵対関係に陥る可能性が極めて高い」という認識が有ります。自分がオタクを揶揄しつづけ、また「オタクと極右はおんなじ」と皮肉るのも、両者が排外主義という価値観を共有しているためです。

岡田斗司夫の名前が出たのに引っかけて指摘するなら、いわゆる「マンガ系オタク」のアメコミ蔑視には度を越したところが有り、表現規制関連の活動では必ずといって出る「50年代のアメコミ規制」についても、アメコミの流通事情を全く考慮しない馬鹿げた「常識とされる妄言」がまかり通っています。岡田斗司夫をはじめとする排外主義オタクは、90年代以降に爆発的な発展を遂げたアメコミの作品性を故意に無視することが多く、また日本の多様性を失った日本のマンガが作品力を失いつつある点からも目をそらしつづけています。

繰り返しますが、オタクも極右及び極左規制推進派も、排外主義という価値観を共有しており、アメコミ蔑視や流通という側面を故意に無視するのはその表れと観ています(排外主義に染まっていると、価値観の多様性を前提とする流通業界の事情が理解できない)。

ついでに指摘しておくと、他団体の掲示板で意味不明のやり取りが延々続いていますが、これはオタクさんが「被承認欲求を満たすために掲示板で発言することを自明にしている」うえ、さらに「こどもの自主性を全く認めず、親や社会の保護下に置くことを自明にしている」ため、あんな意味不明の電波発言を繰り返す迷惑人物ひとりいなすことができないと観ています。

これは「被承認欲求を満たすために社会に発言することを自明にしている」うえ、さらに「こどもの自主性を全く認めず、親や社会の保護下に置くことを自明にしている」と言い換えるなら、規制推進派と価値観を共有している訳で、個人的な見解ですが「オタクがオタクでありつづけるかぎり」あのような意味不明のやり取りは続くと考えます。

なんだか、擦れの主旨からハズレた政治話の方が長くなっちゃいましたけど、これは擦れのお約束なので、うっとおしかったら適当に無視してください。

107松代:2003/12/17(水) 16:44
気になることもあったので、いろいろ嗅ぎ回った結果、12月に入ってから掲示板が荒れたのは、エロが嫌いなオタクさんが暴れているのだろうと考えるようになりました。根拠を示すと、他団体の人に怒られるから、ココではいいません。

エロ嫌オタクにしても、規制反対オタクにしても、煮たもの同士だから面白いね。

そもそも、行政が「なんの根拠もなく民間の企業活動を規制できるのか?」とか、あるいは行政が「民間の企業活動を規制する際に、根拠を市民に開示しなくてもいいのか?」といった、極めて基本的な事項でさえ、エロ嫌オタクと規制反対オタクの間で認識の相違があるのに、両方とも自分の考えを相手も共有してると勝手に思いこんでるから、変な意味で話が噛み合ってる。

もちろん、行政が民間の企業活動を規制するためには一定の根拠が必要だし、行政が根拠とする理由を市民に公開しなければならない。だからわざわざ審議会を開き、その様子を市民に公開しているワケだが、そういう観点から突っ込む人はいなくて、憲法の条文を素人が解釈するという愉快だけど下手くそな知的サーカスを全世界にさらけ出してるんだね。

また、審議の過程でも包括指定は実効性に乏しく、既に導入している東京以外の自治体では効果があがっていないと、行政の側も認めていることが明らかとなっているのに、何故かそのことを持ち出す人がいない。

どうやら、エロ嫌オタクにしても、規制反対オタクにしても、包括指定が大好きで、効果があることにしておきたいらしい。

それにしても、署名活動に人手が足りないだの、女性作家に署名協力を呼びかけたらサイトを閲覧して「ひかれちゃった」だの、きな臭い話がぷんぷん漂っているというのに、みんなひまなのかね?
それとも、エロ嫌オタクにしても、規制反対オタクにしても、卯月妙子もびっくりのWEB依存症だったのか?

やおい系作家さん達が署名サイトを閲覧した時の反応が爆笑モノなのだが、ここでそのことを言うと某氏に怒られるからいいません。

まぁ、みんなでなかよく頑張っておくれ。

108御津麻呂:2003/12/19(金) 00:22
>女性作家に署名協力を呼びかけたらサイトを閲覧して「ひかれちゃった」
>やおい系作家さん達が署名サイトを閲覧した時の反応が爆笑モノ
それは私のバナーの所為なのでしょうかね?

109松代:2003/12/19(金) 11:10
>>108
女性作家が引いちゃった件は、紹介した時の具体的な情況が不明なので、何ともいえません。
たぶん違うと思いますし、自分も違っていたらいいなと願っています。

やおい系作家さんの爆笑反応については、明確にバナーが原因ではありません。

ちょこっとだけお話しすると、小説は大丈夫だから安心とか、そもそもヤオイはコンビニにおいてないから関係ないとか、わかってるんだかわかってないのかよくわかんないような反応をした末、取り敢えず「ゲイ関係が安全なら、おとなむけ檄エロ18禁は安心」という正しいのか正しくないのかよくわからない理解に到達したという感じです。

また、複数のやおいおねぇさんが「自転車のかごにポスティングするというアイディアに激怒」していたことも爆笑事項のひとつです。ただ、この件については「方法を提示したまでで具体的な活動手法は個々の参加者の判断に委ねられる」という、自称関係者なる人物のコメントが公式見解として流通しているそうで、自分も問題の掲示板発言をチェックしているため、もはや「何を言ってもムダ」と判断しています。

御津麻呂さんがバナーの件を気にしていたから、バナーが原因では無いことを立証する材料のひとつとして提示したにすぎず、その他の意図は全く有りません。

110松代:2003/12/19(金) 11:21
そういやぁ、オタクと規制推進派には以下の共通点があったねぇ〜

★論理の矛盾や破綻を指摘され、第三者的視点からは「論破された」ような情況に陥っても、そのことに気がつかず、同じ主張を繰り返して議論をループさせる。

111СТАЛКЕР:2003/12/19(金) 12:15
>>108
 本人ではありませんがそれは絶対にないと思います。

>>109
>「ゲイ関係が安全なら、おとなむけ檄エロ18禁は安心」という正しいのか正しくないのかよくわからない理解に到達したという感じです。
 ああ、よく分からない反応です。
 なんだかなもう。

112御津麻呂:2003/12/19(金) 17:27
>>109>>111
ありがとうございます、安心しました。
ヤオイ系のサイト様ですが、私の知る限りでは協力頂いているのは
一箇所のみですね。
日頃の交流が無い分なかなか辛いです。
>「ゲイ関係が安全なら、おとなむけ檄エロ18禁は安心」
本当に難解ですね。。。

113СТАЛКЕР:2003/12/20(土) 14:01
>>112
やおい系だけど告知してるよ。
801板の該当スレはなんか全然建設的でないがあそこのことだろうか。

114СТАЛКЕР:2003/12/21(日) 23:24
>>100
>そしてSM表現を「直接的に危害を〜〜する表現」に加えようとしていることでしょうか。


この話は事実でしょうか?
現在ヨーロッパではSM的な表現は表現の自由の範囲に入るとして許されてますよね?

115松代:2003/12/23(火) 17:40
>>114

ご質問の意図がよくわからないので、要領を得ない答えになっているかもしれませんが、簡潔に情報を提供させていただきます。
Q1
>この話は事実でしょうか?

A1
事実です。
北京の女性会議においても地味に取りざたされていたようですが、今度は「極右封じ込めの一環」として再浮上してきたようです。日本においても、水島広子議員などがSM表現への規制を訴えかけていますが、国際的な流れに乗ったものといえましょう。

Q2
>現在ヨーロッパではSM的な表現は表現の自由の範囲に入るとして許されてますよね?

A2
SM的な表現だからといって規制されることはなくなりましたが、芸術性が認められないSM表現は「日本でいうところの猥褻表現」とみなされ、ゾーニング規制の対象となっているとみてまちがいないでしょう。ただ、欧州各国間で統一された基準が存在するワケでもないので、個々の国別に異なった対応がなされています。結論からいえば、SM表現が表現の自由文脈において、無条件に流通を許されている訳ではありません。

補足
アート文脈において、SM表現が主要な存在とみなされているか否かという点においても、かなりの部分で疑問が残るといわざるをえません。日本ではメイプルソープやスチュアートの人気が高く、また「イイザワコウタロウ」を始めとする一部の写真評論家がやたらとSM表現を持ち上げた結果、SM表現がモダンアートの中核に確固たる地位を築いたかのように錯覚している人が少なく有りません。しかし、21世紀のヨーロッパにおいてもSM表現はまだまだメインストリームとは言いがたい存在で、それどころか「サブカルのさらに傍流の支流」みたいなもんだと切って捨てる保守的な美術評論家が力を持っているというのが現状でしょう。
アートマーケットにおいても、SM表現には熱心で資金力のあるコレクターがいるため、ややもするとびっくりするほど値上がりすることがありますが、権威のある公共施設における買い上げ実績となると、実ははまだまだ承認を得たとは言いがたい情況に有ります。
結論からいえば、非常に熱心だが小数のファン、あるいは評論家によって支えられているものの、多数派の支持を得たとは言いがたいのがSM表現を取り巻く情況でしょう。そして、この事実は作品に対する芸術性の高低を判断し、司法の取り締まりを逃れるか否かという点において、非常に重要な基準となります。

116114:2003/12/23(火) 19:14
>>115
情報ありがとうございます。
SM的な表現規制の推進派に関しては児童ポルノ法の創作物規制とはまた違った団体・人間が多そうですね。
ただ反対に加わるのも実写系の方々を含め多いのではと思います。

>北京の女性会議においても地味に取りざたされていたようですが、今度は「極右封じ込めの一環」として再浮上してきたようです。

この「浮上」というのは具体的にどこかの会議でしょうか?

>SM的な表現だからといって規制されることはなくなりましたが、芸術性が認められないSM表現は「日本でいうところの猥褻表現」とみなされ、ゾーニング規制の対象となっているとみてまちがいないでしょう。

つまり発禁処分のようなものは受けていないということですよね?
あとアメリカに関しても州によってSM表現の扱い方は違いそうですね。

117114:2003/12/23(火) 19:53
ヨーロッパではすでにヘイトスピーチは規制対象になってますね。
http://www.wired.com/news/business/0,1367,56294,00.html
(昔からヘイトスピーチや歴史修正主義の規制をしていたドイツやフランスの状況を見ますと、ヘイトスピーチへの規制が極右の封じ込めになるとも思えませんが。)

ただSM的な表現はこの規制対象に入っておらず、
松代さんのいうところの「ヘイトスピーチと同時にSM的な表現への規制をしようとする動きがある」というのはいまいち理解できません。
もし目的が極右封じ込めであるならば別にSM的な表現を規制する必要はないし、
ヨーロッパにおいてもヘイトスピーチとSM表現は峻別されてるからです。

たとえばサドの小説などはフランスにおいて合法的な扱いをされているし、
ドイツはとてもSMのサイトやビデオが多い事で有名です。

118松代:2003/12/23(火) 19:58
>>116

>この「浮上」というのは具体的にどこかの会議でしょうか?
オフレコ情報を含んでいるため、これ以上の情報は勘弁してください。hotwiredあたりでナチスグッズかなにかで検索していただければ、周辺情報は入手できると思います。後は、そこからご自身でたぐって欲しいところですが、ドイツ語での検索を覚悟してください。

>つまり発禁処分のようなものは受けていないということですよね?
不存在の証明を要求するのは勘弁してください。恐らく、ここ数年というスパンでも、発禁処分になった作品を見いだすことは可能と思います。しかし、それがどのような文脈で発禁処分となったかについては、また別問題であることも申し添えておきます。

119松代@追加:2003/12/23(火) 20:04
日本語では、水島広子議員の発言などから規制文脈の流れが追跡可能です。
何故か、水島議員はWEBでの広報活動に不熱心なので、具体的なソースを探るためには、オフラインでの接触を覚悟してください。

なぜ、ヘイトスピーチとSMがごっちゃにされはじめたのかについては、女性という集団的人権の定義を打ち出した一部フェミニストの活動や、また北京会議に出席した人々の「その後」を追跡すれば、なんとなくわかると思いますが、納得はできないでしょう(自分自身、全然納得していません)。

120114:2003/12/23(火) 23:48
>>118、119
>オフレコ情報を含んでいるため、これ以上の情報は勘弁してください。hotwiredあたりでナチスグッズかなにかで検索していただければ、周辺情報は入手できると思います。後は、そこからご自身でたぐって欲しいところですが、ドイツ語での検索を覚悟してください。

残念です。
規制反対運動にとってかなり重要な動きだと思うので、できれば詳しい情報が知りたいですね。
そもそも国際的な取り決めとはなんであるかとか、いったいどこの国を中心にそういう動きが起こっているのかとか。

ナチスグッズで検索したところで下のような記事しか出てきません。
http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/20001218205.html
http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/20021113208.html
ちなみに私はこの事に関してはアメリカの判断が正しいと思います。


>恐らく、ここ数年というスパンでも、発禁処分になった作品を見いだすことは可能と思います。

というよりフランスやドイツなどでSM的な性表現を発禁にする法律はあるのでしょうか?


>日本語では、水島広子議員の発言などから規制文脈の流れが追跡可能です。

水島議員は規制反対派の一部と接触があるようなので、
SM表現が男性だけでなく女性にも楽しんでる人が大勢いることなどを踏まえて説得したほうがいいですね。

121松代:2003/12/24(水) 00:37
>>120
いささか認識にズレがあるようですね。
まず、ジェンダースタディ、あるいは女性学という文脈において、SM表現は「女性に対する冒涜」であり、また「男性という支配的ジェンダーを固定化するための方便」ととらえられてきた過去が有ります。最近では、フェミニストの間でもこのような認識は見直されつつあり、女性学者の中にもSM表現を肯定的に捉える向きが有りますが、まだまだ主流とは言いがたい情況に有ります。
確かに、SM表現に対してヨーロッパ諸国は北米諸国よりもはるかに寛容ですが、ジェンダースタディ、あるいは女性学という文脈からSM表現に否定的な人権活動者が多数存在していることを忘れてはなりません。

次に、極右封じ込めからSM表現規制という流れですが、極右団体が音楽や演説CDを含むナチスグッズを資金源としており、物販規制の目的は資金源を絶つこととされている点と、欧州以外、特に「日本とアメリカにおけるSM表現」の関係性に注目しなければならないでしょう。

====ココからはマツシロ個人の想像(妄想)です====

水島議員が代表格ですが、日本各地の男女共同参画推進事業において、SM表現の規制が何回か取りざたされています。9・11テロという大事件があったので、偶然という可能性も高いのですが、それでもなおヨーロッパにおける規制論議と、日本における規制論議がシンクロしているかのようにみえる点は気がかりです。

特に日本のSM愛好者はナチスグッズを好む傾向が強いうえ、SM愛好者に民族右翼や右翼趣味者が多数含まれている点から、事情を知らない外部の人間に対して「SM愛好者は極右である」という誤解(いや、理解なのかもしれませんが)をもたらすことは容易でしょう。

ジポ法の経験から、日本の規制推進派がマッチポンプ的に「外圧」を利用した可能性を捨て去る事が出来ず、現在は地味に確認を取っているところです。微妙なネタなので、詳細が判明するまでは開示可能な情報が制限されますが、義理界のほどよろしくお願いいたします。

>というよりフランスやドイツなどでSM的な性表現を発禁にする法律はあるのでしょうか?
海外の法律について語るに足る専門知識を持ち合わせていませんが、いわゆるSMマニアから日本式の緊縛表現が流通可能なのはオランダだけという話を聞いたことがあります。これは、レイプ表現を規制する目的から、女性を「縄で拘束して性交する」描写が禁じられているそうで、その他にも「拘束されている人間とのインターコース」を全面禁止している国は少なくないそうです。いわゆるSM表現が官憲にやられる時は、たいてい「暴力表現規制」や「レイプ」容疑で捕まっているそうなのです。SM的な性表現を禁止する法律の有無については知りませんが、レイプ容疑で発禁になった事例はあるそうです。

122114:2003/12/24(水) 01:03
>>121
>まず、ジェンダースタディ、あるいは女性学という文脈において、SM表現は「女性に対する冒涜」であり、また「男性という支配的ジェンダーを固定化するための方便」ととらえられてきた過去が有ります。

それは知っています。
SM的な表現を含めて性表現を擁護しようとしているフェミニストも最近は増えているようなので、
その辺の論理も使って規制派を説得する必要がありそうですね。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/omth2/biblio/gender-sexuality.htm
マッキノンやドウォーキンに激しく対立するフェミニストとしては、もうひとり、パット・カリフィアを挙げておかなければならない。
『パブリック・セックス−−挑発するラディカルな性』(東玲子訳、青土社、1998年)である。
カリフィアは、ポルノを擁護し、セックスワーカーとともに闘うレズビアンSMフェミニスト。


>いわゆるSMマニアから日本式の緊縛表現が流通可能なのはオランダだけという話を聞いたことがあります。これは、レイプ表現を規制する目的から、女性を「縄で拘束して性交する」描写が禁じられているそうで、その他にも「拘束されている人間とのインターコース」を全面禁止している国は少なくないそうです。
>これは、レイプ表現を規制する目的から、女性を「縄で拘束して性交する」描写が禁じられているそうで、その他にも「拘束されている人間とのインターコース」を全面禁止している国は少なくないそうです。


少なくともネット上においてはオランダ以外のヨーロッパの国で日本の緊縛画像を扱っているサイトはいっぱいありますよ。
また手錠などを使ったSM画像も大量にあります。
それとレイプ映像に関しても規制する法律があるというのはあまり聞きません。
カンヌ映画祭ではかなり過激なレイプシーンがある映画が放映されました。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/cannes/2002/25.html

どこの国かわかりませんが、そのレイプ容疑で発禁になったというのは演技ではなく本当にレイプをした映像であるからではないですか?

123114:2003/12/24(水) 01:12
海外の表現規制関連の情報は本当に入ってきにくいですね。
ネット規制関連の情報は比較的入ってきやすいのですが・・・
世界的な表現規制反対団体のネットワークができるのが理想ですね。

124松代@擦れの流れに戻すためのネタフリ:2003/12/24(水) 01:55
ジポ法や青少年有害環境なんちゃら基本法の時にも経験したのだけど、規制話が出た時の反応が既視感に満ちあふれていたので、擦れの流れを戻すためにもネタにさせていただきます。

マンガ&アニメ&ゲームファンの皆さんもそうだったんだけど、自分の好きなメディアが規制の対象になると聞いた時、やたらとそのメディアの「芸術性が高い事」や「多くの人々から支持されている事」を強調するんだね。確かに、芸術的価値が定着していれば司法判断に影響するけど、規制推進派の連中はそんな事全然おかまいなしだし、多くの人々から支持されていようがいまいが、司法判断にはこれっぽっちぐらいしか影響しない。まして、規制推進派の連中にしてみれば、人気があるからこそ規制するってぐらいのもんだ。

でまぁ、規制対象となったメディアが本当に芸術的で、多くの人々から支持されているかとなると、ぶっ茶けた話、疑問なのですよ。

ジポ法や青少年有害環境なんちゃら基本法の時には、もっぱらエロマンガやエロゲーが槍玉にあがったんだけど、マンガやゲーム全体からしてみれば、小さなサブカテゴリーに過ぎないことはファンの人々がいちばんよくご存じのことと思う。

ところが、規制推進派はそのサブカテゴリーが「あたかもジャンル全体を代表しているかのように」騒ぎたて、不健全な問題表現が「ものすごい人気を獲得しているかのように」煽って、また一般とはかけ離れた感覚を持つ「芸術家連中が問題表現を承認しちゃったかのように」誤解して、いますぐにでも規制しないと大変なことになるというワケだな。

つまり、規制推進派にとっても規制対象となるメディアが「芸術的で人気を集めているほうが好都合」といえるのだね。

実際、芸術的でもなければ人気も集めていない、ごく一部のマニアむけメディアということになれば、わざわざ規制しなくてもいいという話になり、行政が規制を発動する大義名分を失うわけだね。

ところが、規制反対活動に関わる人々の中には被承認欲求ではちきれそうになってる人がたくさんいるから、自分の愛好するメディアを「芸術的でもなければ人気も集めていない、ごく一部のマニアむけメディア」などと、口が裂けても言わないワケよ。それどころか、規制されそうになればなるほど、声高に「メディアの芸術性や人気を主張する」ものだから、変な意味で規制推進派と話が噛み合っちゃうんだな。

個人的には、これまでの規制でSM表現が槍玉に上がらなかった理由のひとつとして、SMは「ごく一部のマニアむけメディア」という認識があったのだろうと思う。もし、自分の推測が当たっていて、今回の規制論議が日本人によるマッチポンプだったとするならば、SMの芸術性や人気を集めている点を主張するのは逆効果じゃないかとも思う。

実際、ホンマもんの大変な表現(例えばタイ直輸入のおもしろ写真満載週刊誌)はフリーパスに近い情況なんだが、それらは芸術的でもなければ人気も集めていない、ごく一部のマニアむけメディアだからじゃないかと思うんだけどね。

いずれにしても、規制推進派もオタクも、規制対象となるメディアが「芸術的で人気を集めていることにして欲しい」という点で共通してるんだよ。

皮肉な言い方をすると、規制推進派は規制対象となるメディアを「規制しなければならないと思うほどに承認している」わけだな。

良かったね、承認されたよ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板