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三毛猫ナナ

18スレ汚しの匿名希望(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:22
25 名前:スレ汚しの匿名希望[sage] 投稿日:2003/10/13(月) 01:41
>>24
ところが宮台真司は、猫のようなタイプを以下のように批判しています。むしろ対抗してるんぢゃないかと思うんですがねー。(ニヤニヤ

http://www.miyadai.com/texts/virtual/01.php

(引用始め)
ところが、人文社会科学系のあらゆる学問が例外なくそうであるように、問題意識専攻型で成立した学問も、しばらくすると大学に講座ができます。
そうすると、大学人事の網にかかるように、過去10年ぐらいの論文を適当に読んで業績をでっちあげる、「社会を研究する」というよりも「社会学を研究する」ことによって社会学者を名乗る人間が…これは社会学者に限りませんよ、どんな領域にも起こることですが…、必ず増えていくことになります。

「自己準拠」というのは実は社会システム理論の中で非常に重要な概念ですが、社会学者が社会を参照するのではなく、もっぱら社会学だけを参照する、その結果、社会学者の中だけでコミュニケーションが閉じていくということが起こっています。
さらにその結果として、例えば皆さんを含めて、一般の方々から見ると、社会学者の発言を実際聞くと、社会学者は「社会を知っている人」というよりもむしろ「社会学を知っている人」という色彩が強くなります。

あるいはもっと極端なケースでは、社会を知らないことの埋め合わせとして社会学を知っているというふうに、つまり社会を知らないことの埋め合わせに社会学が使われていくことがあります。
つまり逆から言えば、社会学を知っているがゆえに社会を知らない人とかですね、そういう滑稽な現象が広範に広がっていくことになります。
(引用終わり)

19未入カ(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:23
26 名前:未入カ[sage] 投稿日:2003/11/11(火) 02:06
三毛猫ナナ論法の方程式。

1.三毛猫ナナが間違った「公式」を提唱する
2.他の論客が、「公式の間違い」を一斉に反論する
3.三毛猫ナナは間違った「公式」を守るために、間違った「検算」をする
4.業を煮やした他の論客が、公式の欠陥を検証するために「仮定として、
  三毛猫ナナの公式に代入値を入れた例(当然、公式が間違っている
  のだから、もちろん正しい解が得られない)」を挙げ、公式の欠陥を指
  摘する
5.三毛猫ナナは、「(自分の掲げた公式の欠陥は棚に上げ)間違った答
  え」をなじることで、検算した人間の能力が低いように印象づけようと
  する(文献著者の名前を列挙するなど)

対立論客の挙げている例証の多くは、「公式が間違っているのだから、
間違った結果にしかならない」ことの証明を目的にしているのだが、その
元になっている「欠陥のある公式」を正しく運用できる(?)のは自分だけ、
という前提に基づいて、「公式の運用能力の低さ」をなじることで、公式
の欠陥を否定する。

さしずめ、「リコールされるような欠陥車を作っておいて、まっすぐ運転で
きないのは運転技術がヘボだからだ」と強弁するようなもの。

20未入カ(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:23
28 名前:未入カ[sage] 投稿日:2003/12/25(木) 14:34
三毛猫ナナの普遍性の低さ。

三毛猫ナナの「学説」は、専門用語を含んでわかりにくい。
対立する論客が別の用語を使っての言い換えや、別の表現での平易化をすると、
三毛猫ナナ自身が理解している内容と完全には合致しなくなる。
このため、三毛猫ナナは「全然わかっていない」「全く違う」と反論する。

三毛猫ナナの「学説」は、概念を伝えるものではなく、用語の羅列の順番を、オリジ
ナル通りに反芻しないと通じない(と本人が考えている)ものであって、同じ概念を
別の平易な表現で説明できることを、三毛猫ナナ自身は決して認めない。

認めると「学説」としての価値が下がるから。

21NamelessCult(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:23
29 名前:NamelessCult[sage] 投稿日:2003/12/26(金) 01:33
( ̄-  ̄ ) ンー
するってーと要するに、だ。

理解されない鳴らされないで、
「私の言うことが理解できないのですか?」
と人を馬鹿にし、実際に理解されると
「違います」
ととりあえず否定してまた新しく屁理屈をこねくり回す。

猫にとっての「議論」というのは、
「他人を見下すためだけのツール」
ということなんですつかねえ?

22未入カ(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:24
30 名前:未入カ[sage] 投稿日:2003/12/26(金) 02:16
三毛猫ナナにとっての議論とは。

基本的には、「独り言」である。

独り言は自分の中で完結しているものであり、自分自身はその独り言を
理解できているから、自分にわかる用語や引用、省略について補足が
必要ない。

しかし、自分にだけわかる自分言語を使っての独り言に、他人が介入
してくると、「自分言語の解説を、自分以外に理解できるようにしなけれ
ばならない」というジレンマが発生する。

そこで「自分言語の解説」を綿密にする方向ではなく、「自分の独り言
に介入する他人を許さない」方向で、処理を行おうとする。
三毛猫ナナの「議論」のスタイルが、第三者の理解を得るという謙虚な
「位置」ではなく、他人の鼻っ柱を挫くという高圧的な「地位」にあるのは、
独り言を邪魔する部外者・障害原因を、暴力で取り除くため。

独り言は誰もいないところで一人でする分には害はない。
ただし、他の誰かが介入できる場所で独り言を言うのは、「会話」や相
互理解を目指す論者には、迷惑な話である。

気持ちよく語っている最中の他人の介入を嫌う、という点に於いては、
「独り言」と「演説」は同レベルであるが、演説が「他人を感化する」とい
う達成目標を持つのに対して、独り言は「聴衆すら不要」である点が、
よりパーソナルな態度であると言えよう。

いずれにしても、議論の態度ではない。

23ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/07(日) 23:23
さて、三毛猫ナナの活動が活発化してきましたね。
三毛猫ナナについては、その行動様式や思考パターンがほぼ解明されているように思います。

「他者を理解できていないが、自分は相手を理解できているつもりで、お前は自分と違う。俺こそが正しい」
「社会学(専攻している本業の社会学者によると、20年以上は遅れている古典的な)を前提に、自分を客観的な視点に置いて他者を観察した気になっている」

これまでに見られた基本的な主張は、

●「法には根源的な根拠はない」
●「意志の決定は、狂気に基づく(逆説的には、正常な状態では意志の決定はできない)」

ほとんどこれに尽きますね。
後は、相手に反対するために持ち出してくる都合のいい条文/学説解釈。
類似例を引用して、「すでに過去に解決されている」という結論を引っ張り出してきますが、経過をかみ砕いて説明する能力に乏しい。
「説明」と演説を間違えていて、「人にものを教える」ができないタイプ。

図書館司書タイプで、目次、目録、書名、著者名、文献名には通じていますが、「言い換えて説明する能力」に乏しく、自分の知らない単語による説明は一切理解できません。
学んだことを暗記しているが、暗記しているだけで理解が及んでいないようです。

特徴としては『 』と、小難しい言い回し。

こんなとこでしょうか。

24○○番長:2004/03/07(日) 23:58
>●「法には根源的な根拠はない」

その通りだと思いますよ。「根源的」と云うより「絶対的」乃至は「必然的」とした方が
正確なんでしょうけど、それは措いときましょうか。猫に云っても解らんだろうしw
そう云ってしまえば、倫理や道徳、人権ですら、「根源的な根拠」は無い事に。
果は決定や選択ですら、根拠無きものになる。ディベート用のニヒリズムですね。
ちなみに、「方には根源的な根拠はない」と云う説も、「根拠」無き言説なんですよね。
ニヒリズムの矛盾や怖さを解ってない、ネット議論ヲタ特有の物言いでしょう。

>●「意志の決定は、狂気に基づく(逆説的には、正常な状態では意志の決定はできない)」

これも部分的には賛成。選択時のモラトリアムと決定との間には、断絶した一線があると
思う。決定の瞬間には、それまでの逡巡を全て捨て去らねばなりませんから。
ですが、それは心理的な真実であり、社会について考える場合、どれほどの意味を持つのか
不明。

猫の云うマルクスの「疎外」や統計学の知識は甚だ怪しい。
きちんと社会学を修めているのか、それすら疑わしく思います。

25ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/08(月) 00:03
で、最近の傾向として。

三毛猫ナナは、かつてはぼーんと共闘したかと思えば叩いてみたり、武蔵を尻に乗せてみたりしていましたが……。
売買春問題では、対して自己主張はしていなくて、基本的に「外周をうろうろ」して、外側からちょっかいを出している、といったカンジ。

例によって、「自分は社会学者で、バカを導く方法の研究をしているんだヽ(`Д´)ノ」という主張を繰り返しています。
でもなー。「自分は社会学者で」っていう暗喩(笑)を除けば、私なんかもわりと近いことを志向してるんじゃないかと思いますが(笑)
もちろん、それは猫から見れば『似て非なるものであって、同じではありません』になるわけですが(^^;)

まあ、人間つーのは、自分を複製することができたとしたって、まったく同じにはならない。他人なら何をか況や。
でも、「似た意見の集合」や「徒党化」はできるから、共同体っていうのができていく。
近似値の意見というのは、この場合完全に同一でなくても「概ね同じ」と見なしていい。

が、猫はこの「概ね同じ」「概念の共有」ができないのですね。
単語まで同一でないものは、同じではないし、完全に同じ以外は「近似値として概ね同じ」は認められない(^^;)

猫が「自分の望んだ方向にバカを導く方法」を研究しているのだとすると、少なくとも猫には無理でしょうね。
「近似値」を受け入れられないし、望んだ方向にレミングスを誘うための「説明」ができないから。
結局は、問題の周辺をぐるぐる回って、わかったような導いたような気分に落ち着いて「俺の思ったとおりだ」と満足する、というところかな。

でも、それで幸福感や充足感を感じられているのだとしたら、三毛猫ナナ当人は、かなり幸せな脳を持った生物ということになるんじゃないかなあと思います。
第三者はその幸せを共有できないけど(^^;)

26ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/08(月) 00:10
>>24
社会学については、ずいぶん前に「学生時代に教授に散々泣かされた(比喩じゃなくて)」という発言を読んだ記憶があるんですよねー。
そのときの前後の解説(子細はもう忘れましたが)から、三毛猫ナナは世に言う「女だてらに社会学を修めた」という印象を持ったんですよ。
ただ、フェミ論に絡んでこないのは、ボロが出るからじゃないのか、と(フェミ論て主観論になりがちだし)。

三毛猫ナナの主張については、

「だからなんだ」
「それがどうした」

で片付いちゃうんですよ(^^;) 端的には(^^;)
「意志の決定は狂気に基づく」云々は、なんだったかな、哲学者か何かの言説(これも元は何かの比喩)を、「言葉通りに鵜呑みに引用」しているものが元で、そこから引っこみが付かなくなったというか、「意訳」ができなかったらしい、というか……。

この話は例えて言うと
・「鵜呑み」というのは「鵜が丸飲みするように、言われたことをそのまま受け取り、言葉に託された暗喩を読みとらないこと」
という意味なのに、
・「鵜呑み」というのは「鵜のように丸飲みすること」
というところで理解が終わっちゃってる。

暗喩を読みとるとか、喩え話が何を意味しているかを読みとったり、また喩えたりする力が甚だ弱い。
言葉(大江健三郎的に言えば、口語より文語(笑))に対する盲信と絶対的盲従つー奴でしょうか。
日本語を喋るのにはあまり向いていない人なのかもしれませんね。

27ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/08(月) 00:12
そういえば、最近の三毛猫ナナは、

・武蔵は切り捨て
・イカフライ女史は、「ヤスツと同種の侮蔑の対象」
・うろちい氏は「自分と同じことを目指している同志」
・壱学生氏は「視野狭窄」

という位置づけみたいですね。
当然、ヤスツは「分かった風なクチをきくだけの、まるでもののわかってない奴」という位置づけ(笑)

28○○番長[TRACKBACK]:2004/03/08(月) 00:16
猫の云う「疎外」
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1072167364/r30
>>例えば>>2の『貧困の原因は、人間の能力差によるもの』
>>『だから、貧困、底能者は、それに相応しい職業に付けば
>>良い』
 >
 >これは、マルクスの言う『疎外』そのものです。
 >(疎外とは『社会法則は、人には自由に変えられないのに、
 >変えられると思い行動すること』です)


MATUO'S PAGE
http://www.std.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/naiyou1.html
疎外論の基本論理:マルクス・エンゲルスがフォイエルバッハから引き継ぎ、
『ドイツ・イデオロギー』で完成させた疎外論の論理は次のようなものである。
1.人間は他の動物と同様の感性的存在であるが、観念によって他者と協働することで
  はじめて生活することができる点が人間に固有の本質である。
2.しかし、人々が社会の協働関係全体の中の各々特殊な部分に閉じこもり、
  たがいの情報交流が制約されてしまうと、社会の協働関係を司る観念は、
  個々人が自発的に作り出したわけではない外的なものとして個々人に無理やり
  押し付けられるようになる。社会的協働関係は、このようにしてしか展開できなくなる。
3.上述のようになると、社会の協働関係を司る観念は、もともと個々人の感性的生活を
  満たすためにあるはずなのに、逆に個々人の感性を抑圧するようになる。つまり
  人間固有の本質が、現実の生身の人間個々人には疎遠なものとなり、かえってこれを
  抑圧するものになる。これを疎外と言う。
4.協働秩序が疎外となると、各自の自発性に残されるのは利己的な感性的欲望だけになる。
  そこで、個々人は各自の感性的・物質的条件にかられて、疎外された秩序観念から
  逸脱する。疎外観念は人々の感性的状況を完全に反映しているわけでないから、
  ある程度の逸脱は許される。しかしその逸脱がすぎると、抑圧されて引き戻され、
  大きな目で見ると疎外観念どおりの秩序が実現される。
5.疎外観念は、個々人の感性的条件が変化しても、容易にそれを反映できない。しかし、
  人々の感性的条件の変化が十分進行すると、人々が総体として一定の方向に
  逸脱するようになっていき、それがある限度を超えると、旧来の疎外観念が崩壊し、
  もっと人々の感性状況をよく反映した疎外観念に取り替えられる。
6.疎外をなくすためには、人々が互いの感性状況を把握しあい、社会全体の協働秩序を
  個々人みなの自発的合意によってコントロールすることが必要である。

29○○番長[TRACKBACK]:2004/03/08(月) 00:26
猫の統計学
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1072167364/r33
>実際に因果関係の有無は、無作為抽出により選び出した
>(例えば1000人)サンプルを元に、平均値、標準偏差を
>だし、規定の公式により出された数値が棄却率と比較し
>てどうかを見なければ解りません(社会調査の初歩的なことです)

そもそも因果関係の判定は、統計学の範囲ではありません。
群間の有意差、相関関係は解りますが、因果関係は解らない。
だいたい社会調査なんてものはバイアスと交絡因子で満ち溢れ、
自然科学畑の人間から見れば噴飯ものの報告が多い。
難しげな事を云ってますが、上記の文章は何を云いたいのか
よく解らぬ代物です。教科書の用語を羅列したとしか思えませんねw

30○○番長:2004/03/08(月) 00:34
>>25
>例によって、「自分は社会学者で、

この前提からして嘘臭いw
学者らしく無いんですよね。もちろん僕も学者ではありませんが、一応●●学会と
名の付くものに属してますので、学者の言説がどんなものか位は心得ている積りです。
敢て云おう!!社会学系ネット議論ヲタだと!!(ギレン風に

>でも、それで幸福感や充足感を感じられているのだとしたら、三毛猫ナナ当人は、
>かなり幸せな脳を持った生物ということになるんじゃないかなあと思います。

禿同。ドーパミン出まくってるんと違いますか?或はポン中なのやも知れずw

31ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/08(月) 00:35
>>28
えーと、つまり

●社会に参加しないで引きこもっていると、他の人と利害を共有できません。

1.社会(共同体=協働)に参加すると、自分の利害や他人の利害に接する機会ができ、他人と「よく似た損得」を共有できるようになる。
2.それによって、社会に参加した多数によって「暗黙のルール」や「明示的なルール」ができてくる。
3.ところが社会に参加しないヒッキーは、社会に参加していないが故に、参加している人々と共通の利害を持たず、引きこもった自分にとってのみ都合のいいルールを社会のそれより優先させようとする。
4.ひきこもりが一人か二人(少数)のうちは、社会の共通のルールのほうが優先するので、それに馴染めないヒッキーは「社会のルールを強制される」ことになり、抑圧される。
5.が、ひきこもりが多数になっていって、それ以前の「社会のルール」よりも、(例えば)「個人の趣味を優先する」などの新ルールが多数を占めてくると、「ルール(や、利害、価値観)を共有する社会」とは、「ヒッキー社会」を意味するようになり、旧来の価値観と新価値観が逆転(旧価値観が崩壊)する。
6.ヒキコモリによる新ルールによって社会が崩壊しないようにするためには、ヒッキーを社会に参加させることで、社会にすでに参加している他の人々との間に「共通の利害、価値観、ルール」を育てることが重要。その場合の「社会への参加」が強制になってしまってはダメで、あくまで本人が社会に参加する意志を持たなければダメ。

とゆうようなことでしょうか?(^^;)
なんか、猫論とずいぶん違う解釈になってしまいましたが、私の理解は誤っていますでしょうか?(^^;)

32○○番長:2004/03/08(月) 00:48
>>26
>社会学については、ずいぶん前に「学生時代に教授に散々泣かされた(比喩じゃなくて)」

アフォだから、教養課程の社会学で赤点連発やったんと違いますか?
それで散々泣かされたと。あ、猫だから「鳴かされた」ですねw
フェミニズムには何の興味も湧きません。そもそもあれは学問なんでしょうか?
何でもかんでも「ジェンダーから見た〜」「フェミニズムと〜」って付ければ
本になり、教職・評論家で飯を食えるのなら、随分と楽な商売やないですかw

>三毛猫ナナの主張については、

>「だからなんだ」
>「それがどうした」

>で片付いちゃうんですよ(^^;) 端的には(^^;)

云ってはならぬことを!!終ってしまうじゃないっすか。
細く長く、生かさず殺さず、しゃぶり尽さねばなりません。
レモンの種が泣く様な絞り方をしては楽しみが減ると云うものですw

>この話は例えて言うと
>・「鵜呑み」というのは「鵜が丸飲みするように、言われたことをそのまま受け取り、
>  言葉に託された暗喩を読みとらないこと」
>という意味なのに、
>・「鵜呑み」というのは「鵜のように丸飲みすること」
>というところで理解が終わっちゃってる。

だから出てくる言葉は基本的にゲロだと。しかも消化不良。原形そのままでドバーッ!!
理解と云うより知識の「貯蔵」ですな。急速冷凍旨味そのままってか?
ゲロ吐きの称号は、猫にこそ相応しいと思いますた。

33ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/08(月) 00:56
>>30
実は……お世話になっている知己に社会学者(本職)の方がいらっしゃるのですが、以前に三毛猫ナナが「ポストモダンがどうこう」という話を言い出したときに、この知己に「これこれこういうわけで」と事情を説明して「社会学から見てどうですか」教えを乞うたのです。
そしたら、「それは20年くらい前の流行です」、と(^^;)

さらには、その人の学生時代に丁度そういうブームがきてたんじゃないか、と。
今も現役で社会学をやっている(仕事で)人がそれだとしたら、遅れすぎというか古典に入る、と。

この見解を下敷きに人となりを憶測すると、

・80〜88年くらいの間に学生として社会学を学んでいる。
・卒業後も研究を続けているのだとすると、メインストリームからは離れたところにいる(冷遇されている?)。
・卒業後は続けていないのだとすると(修士で終わったとか)、「手塚治虫が戦後直後の知識でブラックジャックを描くようなもので、現代はDr.コトーやブラックジャックによろしく、の時代である」という喩えが当てはまる。
・文献の引用(一部のみの解釈)が多いのは、学生時代の教科書を引っ張り出しながら文章を拾っているせいではないかと思われる。(枝葉末節に拘泥するところは、特定のページを開いているからで、用語に固執するのは教科書にそう書いてあるから(笑))

こんなところかな、と思うわけですがいかがなものでしょう。

34○○番長:2004/03/08(月) 01:05
>>31
いつもながらの巧みな比喩。笑いながら拝読しましたw
仰せの通りですわ。

疎外論って名前からして厳めしい。不安を煽る立てるかの如く。
何やら小難しい言葉をちりばめてありますが、実は大した事を云ってない。
太ったら服が合わなくなる。ダイエットするのはストレスなので、服の方を
合せていきましょう。サイズには気を配って下さい。腹がつかえると大変だから。

35ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/08(月) 01:07
その社会学者(本職)氏が侮れないところは、反戦スレをチェックしているとゆうこと(笑)
「ヤスツって、○○○さんでしょ?」「うっ!」「文体と対応、処理でわかります」「ううっ!」

社会学というのは、「これが、THE社会学」というものはないんだそうで、社会学者と呼ばれる人たちの手法もやり方も本当に人それぞれ。
ただ、「社会を理解するための学問」というところは共通しているような気がしました。
「社会に自らコミットして、社会を思い通りに制御しよう」というのは、社会学とは違うんじゃないかと(それって政治であり、政治学であり、それこそ壱学生氏の分野なんじゃないですかね(^^;))。
社会学者が「客観視」を言い出せるのは、観察対象に観察者自身がコミットしないからなんじゃないかと。
ひたすら観察、ひたすら分析という学問で、口を開いて観察対象に影響を与えないようにする(自分の意志が観察対象に反映されないようにする)からこそ、その対象に対して「客観的な分析や考証」ができるわけで。
(社会学といっても、「社会」全体を見ているわけではなく、ネットだったり新聞だったり音楽の流行だったり地域社会だったり、テーマや手法はいろいろあるらしいです)

「バカの壁の向こうにいる相手を、自分の思い通りにコントロールしようとする」という目論見を持った時点で、それは社会学じゃなくて政治学と「実務行政」の分野の話になるわけで、その意味でも猫は社会学の徒とは言えないですね。
観察対象にコミットしてるし、しかも自分の思い通りの行動を取らせる、という「行政、施政」にも失敗している。

社会学には、「社会の中に参加し、積極的にコミットすることで、社会がどのように動く/変化するのかを観察する」という流行もあったらしいんです。20年くらい前に。
猫がやってるのは、その20年前の流行なんじゃないのかなぁ、と。

でもそれって……結局、「社会を動かすイニシアティブと方法論を握ることを目指す」ってことですよね?
政治学、政治、行政と、それはどう違うわけ? という疑念が残ります。いつも。
そういう突っ込みをすると、「自分はおまえらをモルモットに研究をしているのだ」と言い張るんだろうなあ。
その論文をどこに出すの。誰が読むの。点を今更貰ってどーすんの。つうか(笑)

私などは、彼らのような人々を見ていると、「実生活や職業」にいろいろ役立って元が取れたりお金が儲かったりするんですけど(笑)

36ねーむれすかると:2004/03/08(月) 01:20
こうしてまとめてみると、ムも猫もまるっきり病人そのものですな _| ̄|○

37ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/08(月) 01:34
あと、猫が勘違いしている点は……

重要なのは、「相手の意志を変えること」じゃないんですよ。
相手の意志を変えようと変えまいと、望んだ結果が得られればいいわけで。
もちろん、相手の意志を変えられるのがベストではあるわけだけど……。

喩えると、

・お母さんは娘にニンジンを食べさせたい(目的)
・娘はニンジンが嫌いだ
・娘がニンジンを好きになり、自発的に食べるのがベストだ
・お母さんは娘にニンジン食べなさい!と強要することで、娘がニンジンを好きにならなくても無理矢理食べさせることはできる。(目的の達成)
・この場合、「にんじんを好きにさせる」ことが目的なら、前述の方法は成功とは言えない。が、お母さんの目的は、「ニンジンが好きになるのはベストな解決だが、ベターな解決として、嫌いなままでもいいから、食べさせる」ことにある。

猫は、「ニンジンを好きにさせようとして、相手自身の意志を変えさせようとしている」んですよね。
でも、相手の意志を変えなくても、ニンジンを食べざるを得なくする方法というのはある。
例えば、「ニンジン以外の食糧を与えない」「ジューサーでジュースにし、シロップを混ぜて飲ませる」「パンに焼き込む」などなど。
ニンジンを自覚してニンジンを好きになるということはないかもしれないけど、ニンジンを摂取させることはできる。
そのように、「相手の意志の如何に関わらず、目的を達成させる」のが政治なんじゃないですかね。

相手の意志を変えることが目的なんだったら、相手を尊重(なだめすか)して、相手が「自分の自発意志でそうしたのであって、他人の強制を受けたわけではない」と思いこむようなやり方を選ばないと。
結局、猫のとっている方法は、「強制」または「相手のプライドを奪うことで、相手を支配し圧倒しようとする」という、いちばんレジスタンスを作りやすい方法なんじゃないかと思いますがねぇ。

38○○番長:2004/03/08(月) 21:27
しかし猫が現れると談話室は大荒れになる脳。
他スレの進行も完全ストップ。猫スレと売春武蔵スレのみが活動中。

武蔵&猫ヨ。汝ラヲ嵐呼ブ“コテハン”ト命名ス。

39○○番長:2004/03/14(日) 23:49
猫出てきましたね。
ヤッス氏が猛攻撃w
あの威勢の好い文体。好きですわw

40ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/15(月) 00:13
猫は、ヤスツまたは壱学生氏など、「狙っている獲物」が登場すると、途端に反応して顔を出しますよね。
しかも主に揚げ足取りで(笑)

ふだん、ほとんど顔を見せない割にあの反応の良さ……を考えると、たぶん黙ってROMってんでしょうね(^^;)

AとBの議論を、上(外部)から見下ろすCという立場を取ることで、自分はAもBも理解した上でそのうちの気に入らないほう(笑)(例えば、うろちい氏がAで壱学生氏がBなら、Bのほう)を「客観的(または、当事者ではない第三者)な立場から判断すると、Aが正しくBは間違い」という、ジャッジメントを、頼まれもしないのにする。
  C
  ↓
 A≠B
で、猫自身は実は「AともBとも言えない」とか「Aだが例外があり完全にAとは言えない(逆も)」とか「その決断を下すのは狂気である」とかなんとか……実は、猫は言葉を重ねている割に「何も言っていない」んですよ。

「だからなんだ」
「おまえはどうだ」

という、主体的な意見を求められると社会学的なうんたら(自分を当事者にしない)と言って逃げるのは、自分は議論に踏みいらないこと(議論者A,Bから距離を取ること)によって、下がった所は「双方を理解しており、裁定を下せる立場」にあると勘違いしているわけで。

やはりこれは、社会学をかじった学生崩れの弊害とは言えますまいか。

41ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/15(月) 00:19
壱学生氏が議論にはさほど踏みいらないが、としながら意見を述べるのは、「議論の仕方」「論じるべき主題と前提の置き方」が間違っている場合の訂正がほとんど。

猫の場合、自分もそれと同じことをしている……という誤解によって、「A,B双方の意見を理解できた上で、一方を支持、一方を批判している」と思いこんでいるのが問題。

壱学生氏の説明は理路整然としていて、「ああ、なるほどな」と思わされるところが多い。
もし仮に氏の意見が間違っていたとしても、説明する能力(相手に意志・主張を伝える能力)が高いが故に、我々は「ああ、なるほど」と思いこんでしまう(笑)

猫の説明は、専門用語をかみ砕けていない(当人が)ので、同じ概念を他の状況や言葉に置き換えることができず、相手に理解させることができない。
でも、「専門用語による正解を並べたから、自分は責任説明を果たしている」と信じており、「相手が理解できないのは相手が悪い」として、理解を引き出す=同意を導き出すということができていない。
ムの中の人もそうだったけど、自分の主張に賛同が欲しいなら、相手に理解させるような説明をしなければ無意味だし、そのようにして「主旨を理解した上で賛同する人間」を増やさないと、自分の意見は主流派にはならない。

……ということを、もう少し学ばないと、世の中は思い通りにならないと思うんですが(^^;)

42ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/18(木) 00:17
今、三毛猫ナナvs壱学生氏という構図になってますが……

三毛猫ナナは、「いなくなってから罵倒」で、ムの中の人を貶しまくり(笑)

43○○番長:2004/03/19(金) 00:19
武蔵タンを引合に出さねば、自分が一番下になってしまうからじゃないッスか?
しかも相手は壱学生氏。下手な理屈をこねくり回しても、通じる相手じゃ
無いでしょうし。

相手の立場に立たずとも、公的領域における議論のルールさえ解っていれば、
充分議論になるはずなんですがね。猫タンはまた意味の無いこと云ってるなぁ。

44ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/19(金) 10:22
三毛猫ナナは、どうしても壱学生氏よりも「上」に立ちたいんでしょうな。
今回もまた、「政治学よりも社会学のほうが上だ」といういつもの理論をまき散らしてるような……。

例えば、アメリカが日本より軍事力が大きいことを根拠に、アメリカで今日生まれたばかりの赤ん坊と日本の浜口京子が闘ってもアメリカの赤ん坊が勝つって言ってるようなものなんだよなあ、と。

社会学の徒である自分は正しく、政治学の徒である壱学生氏は、政治学の分野の外に出てこないので、政治学は社会学の中に内包された一分野に過ぎないのだ、(社会学のほうが広い分野をカバーしているのだ)と言いたいんでしょうか?

その一方で、社会学的見地から「相手を自分の言いなりにさせたい」と言ってみたり(それは政治の分野(笑))、やっぱり政治/政治学への憧れか妬みがあるんじゃないんですかね(^^;) あの社会学崩れ猫は。

45ねーむれすかると:2004/03/21(日) 02:01
うーん。
やっぱり、猫式論戦(あくまでも「議論」とは呼べませんな、アレは)ちゅーのは、やっぱり

 「他者を見下すためのツール」

でしかない、ってことを再認識しますなあ。
なんか、「ムと同じところには堕ちたくない、自分は違う!」みたいなこと書いてたけど、とっくに同レベルだし。

46百拾四:2004/03/21(日) 19:54
あ〜もう、猫の「私が貴方を目覚めさせてあげましょう」的なレスには
ムカムカするぜ!
独善を地で行ってる椰子には見えねーんだろうが、レスの一言一言が
全部自分に当てはまるじゃねーか!
(たまにはいいでしょう。論理的に分析せずに感情で話してもw)

47百拾四:2004/03/21(日) 20:40
>私は世界に主体的に意味を与える様になるのです。

あかん!こいつ自分のことを教祖かなんかと思いこんどる...

48○○番長:2004/03/21(日) 20:53
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1069786698/721
>壱学生さんはまるで『客観的事実・視点』がのごとくに
>物事を語られますが、客間的事実・視点に立っていると
>思っているのも結局は壱学生さん本人でしょう?

>つまり結局はドコまで行っても『自分から』『主観』か
>らは逃れられないのです。

http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1069786698/727
>主観から逃れられないのは私も同様ですよ。
>唯、その事実性を認識した上で、自己の領域の限界を認めた
>上で、反省的に立場を捉え直し社会現象を見直せる事ができ
>るから、私は世界に主体的に意味を与える様になるのです。

この手の客観性否定、いわゆる独我論の亜流について何時も思うことは、
客観性否定ですら主観的な言説に他ならないと云う事。
壱学生さんが主観の内にあると猫は云うが、それも猫の主観。主観に過ぎぬ事を
なぜ滔々と云い立てるのか?それは猫の云う「決定」などではなく、どこかに
超越的な視点を置いているからでしょう。独我論や客観性否定なぞ容易く出来る
ものではないと思う。それは自己言及のパラドックスにも似た隘路に行き着く。

この手の言説は何時も自家撞着になるんですよね。得意げに話す当人が気付かぬだけで。
例を挙げれば、

◆懐疑主義 → 「懐疑」だけは信じるという矛盾
◆諸行無常 → 「諸行無常」だけは無常にならぬ矛盾

ポストモダンもこの範疇にある空論でしょう。それは客観的な立場に刃を突きつけ、
より洗練されたものにする役割があるけれど、それ単体では矛盾と停止の論理でしかない。
鬼面人を驚かす類のディベートテクニックに過ぎぬと考えますが如何?

49hyaku:2004/03/21(日) 21:27
>>48
>自家撞着…同じ人の言動や文章が前とあととで矛盾すること。

難しいことはワカランのだが、言ってることが全部自分に当てはまるってのが、
現在進行形自家撞着なんでねーの?w
それに気付かないってーのは、余程自己を顧みてないってことだわな。
だいたいぼーん氏は猫に救われたのか?w
そーいう風に、全部自分の手柄にできるっつうのが、何様ですか?ってことよね。w
んで、現在は壱学生氏に粘着していると...

(ところで、研究対象のカキコのリンク貼る時には、最初のh抜いてね。小心者のオレからのお願いです。w)

50百拾四:2004/03/21(日) 21:28
わるい、49はオレじゃ。

51○○番長:2004/03/21(日) 21:32
非リファレンスモードだから好いかって思ったが、管理人うろちいさんには
解るんやね。これからはh抜きリンクとしますスマソ・・・

52○○番長:2004/03/21(日) 22:16
>>49
骨御大の揚足取っただけでしょ?救われて無いよw
まだ自説を堂々と押出すだけ、骨御大の方がマシだと思う。
猫はインチキ評論してるだけやんw

53ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/21(日) 22:32
それですね。猫氏には、「自説」がない。

「自説=主観」だと思っていて、「自説を述べない=主観に立っていない」と思っているのでは?
だとすると、
「過去の学説や他人の論評=客観」だと思っていて、「他人の学説を紹介している=’(自分は)客観に立ってものを言っている」と思っているのでは?

>>49-51
特に存在を公開しているわけではありませんが、別に隠れてこそこそ陰口を言っているわけでもありませんので(笑)、見られて困ることは何もありません!
と、日記には書いておこう。

54○○番長:2004/03/21(日) 23:01
>>53
猫の言に従うなら、「過去の学説や他人の論評=客観」ではあり得ないんですがねw
それも猫の主観ですしね。

55○○番長:2004/03/21(日) 23:12
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1069786698/727
>貴方の様に自己の人間関係等で培った社会の拡大版を世界
>と錯覚・世界を曲解する者が、コレに気づく事を指して私
>は『覚醒』と呼んでいるのです。何か人を越える特別なモ
>ノになる・視点を得ることを指しているわけではないので
>す。

猫理論によればこれも主観に過ぎない。
あらゆる言説は主観の枠内にあると云う者は、そもそも他者に有効な
働きかけを出来ない筈なんですよ。理窟の上では。自説に忠実であれば。

56ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/21(日) 23:38
しかし、猫氏は「たいしたことを言っていない」のに、どうして「たいしてもったいぶった言い方」になっちゃうんでしょうかねぇ(^^;)
もう何度となく出てきた話題ですからスルーでOKですが、他人の学説、他人の主張を、自分の言葉に咀嚼できてない点で、猫が何言ってんだかってことになっちゃうと思うです。

またそこで、「相手の視点が判っている」と言いながら、相手のボキャブラリに合わせた言葉選びができるほどには、説明能力が高くない。
私は、かつてこれほど「比喩がへたくそ」な人はお会いしたことがありません。(比喩がどんどん論点から外れていく人は何人か見てきましたが(^^;))

いつか猫発言で、「なるほどね」と膝をポンと打つ日が来ることを切望している、として私の弁論を終わります(菅直人風に)

57百拾四:2004/03/22(月) 04:53
猫は、社会学が自分の全てであり拠り所である。
「たいしてもったいぶった言い方」は、実際の生活で培われたものと思われる。
大したことも言ってないのに実生活では誰も指摘しない(できない)とすると、自分はこれでいい、と思うようになるんでは?
大学の講師、それも教授クラスではないだろうか。(教授の中にもDQNなヤシは結構いるからね。)
毎日生徒の批評や点数つけをやっているから、言ってることが「採点」のようになる。だから自分の意見が言えなくなる。
いつも自分より下の者とばかり接しているから、自分は上位だと思い込む。
けど、こーいう教授はカゲで生徒から嫌われているのは間違いない。w
しかし自分は生徒を「覚醒させてあげよう」と思っているから、多少悪口が耳に入って来ても気にならない。
掲示板に登場する論客も、未熟な自分の生徒位にしか思ってないから批評・採点しようとしているんではないか?

万人にわかるようにしゃべれないのは、社会学部の中だけでしか生活していないから。
社会学をやっている人間は、(多分)猫が引っ張って来る文献は読んでいるだろうから、あれだけの言い方で意味は(だいたい)通じるのでは?

「可哀相な小羊を覚醒させてあげよう」「私には世界が見えている」とする独善性は、おそらく猫がキリスト教信者だからでは?
彼女の学校はミッション系だと言っていた。(骨氏との議論中に)
っつうか、本当の信者かどうかはあやしい。信者だと思い込んでいるフシあり。

とにかく「自己の人間関係等で培った社会の拡大版を世界と錯角・世界と曲解」しているのは猫自身なのだ。w
「社会学部の世界」を掲示板の世界に押しつけてくるのだから。

58ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/22(月) 14:00
>>57
「社会学」という井戸の中に暮らしていて、「自分の周囲の人間関係を拡大したものが世界の全て」だと思いこんでいるのだとしたら。

……また、当人の自己撞着つーか自己批判通りじゃないですか_| ̄|○
あれほど吐いた唾が自分に当たりまくりの人っていうのも珍しいなあ(^^;)

>キリスト教徒
キリスト教のよくないとこですよね。その「教えてやる」「してやる」ていうの。半島人の「してあげる」なみに(笑)

ただ、ムの中の人と同様、この猫の人もかなり幸せなんでしょうかね。自分にとっては向かう所敵なしなわけですから。

どちらにしても、彼/彼女の場合、「人のしたことにケチを付ける」のが社会学だと思ってるフシがありませんか?
という話をその道の専門家に聞いたら「ンフフン」と笑われそうなんですけど(笑)

>社会学の世界に身を沈めているかどうかについて。
本当に社会学をやってるんだったら、今時「ポストモダン」はないと思うんだけど、そのへんはどうなんでしょう?
「未だにポストモダン」の可能性はありますが(笑)<だから流行に乗り遅れていて、学会の中央に出ていけないんだな(笑)

私思いますに、わりと「引用文献」や「自分内はやり言葉」が転々と変わっていくところを見ると、「社会学の論文を読みあさっている」のか、「社会学ヲタ」のどちらかなのでは、とも思えてきます。
また、「他人の業績について、同じ世界(の末端)にいる自分の業績であるかのように、門外漢に指し示して優位を感じる」というアレ。
本物の専門家だったら「自分の研究」を礎にするもんだと思うんだけど、他人の論文を拡大再生産するだけというあの行動は、どうしても「学生か学生崩れ」っぽさを感じられてなりませんです。

59百拾四:2004/03/22(月) 18:29
>……また、当人の自己撞着つーか自己批判通りじゃないですか_| ̄|○
>あれほど吐いた唾が自分に当たりまくりの人っていうのも珍しいなあ(^^;)

(爆 
いや、ほんと。あの人のレスは読み直してみる価値大ですよ。全部自分に当てはまるから...(笑

>キリスト教のよくないとこですよね。その「教えてやる」「してやる」ていうの。

はい!もー僕、キリスト教徒は好きくナイもんで...(笑
ただ、本当にキリスト教の信者かどうかは解らないっすよ。
でも、あの人妙に、西洋を高く日本を低く見ているとこあるでしょう。
以前も「日本人の民意が低い」どーのこーので、ヤスツさんと言い合ってましたよね。
日本のキリスト教信者って、そういう面ないっすか? キリスト教カコイイ、日本ダサイみたいな...w

あと一度変な言葉使いましたよ。

−−−−−−−−−−−−−−−
(談話室2 うろちいからのお知らせスレ)
91 名前: 三毛猫ナナ 投稿日: 2003/08/31(日) 13:54
(略)
#彼らに交渉の席に付いて頂くためには私は魔女の誹り
 を受けても構いません。
−−−−−−−−−−−−−−−

「魔女の誹り」って...w
完璧キリスト教でしょう? 普通じゃこんな言葉あんまり出ないですよね。
だから、キリスト教の信者かどうかは解らないけれど、キリスト教にはカブレているような気がします。w


>また、「他人の業績について、同じ世界(の末端)にいる自分の業績であるかのように、門外漢に指し示して優位を感じる」というアレ。

壱学生氏に粘着したり、どのスレでも同じこと言ってるのを見ると、実生活で聞いてくれる人がいないんじゃないか?と想像しています。
だって「かまってちゃん」でしょう?w
また事ある毎に「私はこんなにエライのよ」ってのを出すのは、昔チヤホヤされていたアイドルが落ちぶれたかのような哀愁がありますね。w
門外漢に対してしか優位に立つことができないんでは?

60百拾四:2004/03/22(月) 18:33
>本当に社会学をやってるんだったら、今時「ポストモダン」はないと思うんだけど、そのへんはどうなんでしょう?

そうなんですよね。僕も社会学のことは全くわからないんで、そのへんなんとも言えないんっすよね〜。
だから、彼女/彼の知識が大学で教えられる程のものなのかについても、評価できるだけの知識も持ってない。
ただ、僕が「講師か教授でないか?」と推測したのは、猫が登場した頃にそれっぽいことを言ってたからなんです。
以下は僕が猫と対決した時に保存しておいたログなんですが、これはまだ猫が骨氏と議論してた頃で、2chでも評判が良かった頃のものです。

−−−−−−−−−−−−−−−
(談話室2 αに軸足をおいて考えるスレ)
97 名前: みけねこナナ 投稿日: 2003/06/29(日) 21:06
残りは次回には駄目なのかい?
一度に話さなければ本当にいけないのかい?
大学のゼミですら年単位で勉強するのにねー

ていうか学生を問い詰める教授って人気ないのよねー
社○学を学ぶマナーって日常のとは違うから、新ゼミ
生と教授がよく揉めるのよね『お前は学ぶマナーが出来
てないのに講義にクレームつける資格はない』って感じ
でさ、まぁ大抵ゼミ生は余所へ移るけどねー。

まぁその教授にしてみれば自己満足で講義してるからヘ
ッチャラなんでしょうけどねー。


(反戦スレ21で、骨氏の悪口)
201 :みけねこナナ :03/07/21 20:01
レポートの提出を求めているのに提出物は感想文では
評価としてはF(不可)しかつけ様がありません。
(2ch風に言うならば『カエレ!(・_・#)』かな?)

私はそれを承知した上で意見交換していましたけどね
ちょっと厳しくすると最近の子はすぐに逃げますからね(汗
−−−−−−−−−−−−−−−

他にも言ってたかもしれませんが、今んとこすぐに出せるのはこれだけ。
この当たりを読んで、猫は大学で教えているのかな〜と。

ヤスツさんの知り合いの社会学者は、「ポストモダンは20年位前のもので、もう古い」って仰ってたんですよね〜。
やっぱその辺りは本職の人に聞かなきゃ解らないかもですね。
学会内の対立とかもあるかもしれないし、未だにポストモダンを標榜している日本の社会学派もあるかもしれないし。

あと、大学の教職事情についてですが、アメリカと違って日本は「教授」の地位を手に入れたら親方日の丸とか、以前聞いたことがあるよ〜な気がします。(査定システムが殆どないとか何とか。)
だから新しい学説を取り入れたり切磋琢磨しなくても、仕事はなくならないかも...
でもなー、教授って論文書いてナンボの仕事でしょう? 
授業の評判は査定に入らなくても、論文は書かなきゃならんのではないかな〜。
しかしあんな奴が大学で教えているとしたら、日本の将来は暗いですね。w
ひょっとして研究生崩れとか...教授になれなかった夢を掲示板で見ているとか...

61ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/25(木) 02:30
今、やたらと壱学生氏の挑発してる猫は、ホンマもんなんでしょうかね?
なんとなく、以前に比べて(以前にも増して)グレードが落ちてるような気がするのは気のせい?
改行幅が妙に揃ってないし。マシン環境変わったか、中の人が変わったかしたかな。

>>60
私としましては、その「すぐに逃げた学生」が猫だったんではないか、やたら叱られた教授の態度を「真似る」ことで、遁走「させられた」(笑)鬱憤を晴らしているんじゃないか、とも疑ってしまいます(^^;)

62ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/25(木) 04:57
それと、猫が壱学生氏に絡む理由を想像してみますと……

壱学生氏は確か「アメリカ外交史が専攻の院生だ」という話がちらほら。
猫が壱学生氏を下位に置く理由があるとしたら、

・猫は専門は違うが講師か助教クラスで、院生より格上だと確信している(百拾四氏説)
・猫は政治学とは犬猿の仲(笑)の社会学閥だから、政治学閥(だろうと猫は決めてかかっている)壱学生氏に負けるわけにはいかない
・政治学は「人を動かすこと、人の動かし方を煮詰めて、結果を出すための方法論や経過を煮詰め、実践に応用させる」のに対して、
 社会学は「動いた人の航跡/軌跡を元に結果を眺める、夏休みの自由研究的学問(アリンコの観察日記を、人間に置き換えるような)」なので、
 実社会への干渉度/影響度は社会学のほうが政治学より低い。そのことから政治学を妬んでいる
(壱学生氏以外の論者に対しても高圧的な態度を採るのは、自分が観察者で他の論者を観察対象のアリンコだと思っているから。
 でも、社会学者として観察に徹するなら、呪文を唱えながら人間のステージに降りて来ちゃダメでしょ(笑))

63ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/25(木) 05:03
三毛猫ナナは「社会学の学徒」を自称しているようなんだけど、自己弁護のために引き合いに出すジャンルは、

・法学
・哲学(思想家)

がぽこぱこと。
宗教に関しては、どうも表面的な理解(というか、参考書に出てくる単語の暗記程度の)しかないような気も。

もし、くだんの「ポストモダンは20年前の流行」だとすると、猫は20年前に18〜22歳前後。現在の年齢は30台後半から40台前半。
ネカマ説も未だ晴れないんだけど、女(確か、以前に自称してた記憶があるし(教授に泣かされたとかそういう、恨み言のついでで))の可能性も未だ晴れない。

とりあえず、「読解力の薄さ」と「説明能力の低さ」が、性差に起因するものなのか、「立脚点への盲信」からくるものなのか、個性なのか(笑)、そのへんが興味が惹かれるところですね。

64ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/25(木) 18:00
ところで、武蔵の中の人が海外渡航する(らしい)のと連動して現在出没中の三毛猫ナナの人が活動停止した場合、やっぱり「何かが疑わしい」と思われますか?

65百拾四:2004/03/25(木) 18:33
>>64
現在の「三毛猫ナナ」の中の人が昔からの「三毛猫ナナ」の中の人なら、
ムとは別人と思われ。

以前ムは、猫の言ってることが難しすぎるんで文句をつけたことがあります。
ムは、猫のことはあまり好きでなかったんではないかという印象がありました。

66ねーむれすかると:2004/03/25(木) 23:18
>>64
>>65
ムも猫も、お互いを忌避してるようですね。

ムは猫のことを、「小難しい意味不明の屁理屈だけ述べる奴」として近づきたがらない。

猫はこのあいだムを「論点を絞れない」「感情論で問題提起をしているだけ」(どちらも意訳)とばっさり切り捨てたばかり。

という状況ですから。

67ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/25(木) 23:53
>>66
そのわりに、正面切って相手に直接は言わない(笑)

「それでも論陣としては、敵の敵は味方ってことで、恩情を掛けている」んですかね(^^;)
双方とも(笑)

68百拾四:2004/03/28(日) 22:04
うーん、2chでの壱学生氏の論によると、
あの読解力では、教授か講師の可能性はぐっと低くなるなあ。
やはりヤスツ説が有力ですかねー。

69○○番長:2004/03/28(日) 23:47
大神さんが来たんで、ネコ大ハッスルだな。
獲物が現れたとでも?軽くあしらわれているが、めげずに粘着ようやるわw
ポストモダンでは飽き足らず、ついに龍樹まで出すか!!
単なる学説ヲタの雰囲気だけどな〜。大学は出てるんやろけど…。

70ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/29(月) 17:15
猫が湧いてますねぇ>あのスレ

ttp://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1066104361/392
>中田氏も疑問を示されてますが『従軍』と言う言葉
>概念を特定な価値観に拘って見るから、大神氏とは
>話が出来ない、正確に言えば【私は自己を理解してま
>すが、大神氏は自己と自我の区別すらついていない】
>からだと推測されます。
>
>だから大神氏の回答には『一般的』とか『常識』と
>言った『自意識の産物』で『曖昧』な表記が多いの
>です。

……私は自己を理解してますが、大神氏は自己と自我の区別すらついていない……

「私」と「大神氏」の入る位置がまちがっていますね(^^;)
コレ。

71百拾四:2004/03/29(月) 19:17
>>70
全く事情を知らない新入社員に、ライバルの悪口を吹き込むイケズなお局の図と全く変わらんですね。
んなこと言う奴の方が信用されないのに...
思いっきり恥さらしてんの、多分わかってないんでしょーね。w
もうアフォかとヴァカかと...人間関係1からやり直せと...

72ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/30(火) 22:43
「じゃあどうすればいいんですか?」という問いには絶対に答えず、「それを私が答える義務はありません」と逃げるに、韓国のGDP。

「間違いは指摘するが、改善方法は示さない」といういつもの態度に、温厚なヤッスさんもデンプシー・ロールです(笑)

戦争と性−進駐軍慰安婦スレについては、NewComerさんの信用を取り戻すため(笑)に、猫が何らかのバッシングを仕掛けてくるのではないかと期待しているのですが(そして、それは事前に指摘された「三毛猫ナナ学」の説明にすべて当てはまる行動)、それによってNewComerさんたちの信用を猫が勝ち取ることができるのか、それとも猫がNewComerさんたちをも敵視するに至るのか。
そのへんが今後の見所です。

「大神と意見が対立している」

「大神を叩く発言をすれば、後々自分の発言が採用されやすくなるに違いない」(と、計算)

「猫の行動についての考察を、複数URLのソース付きで先手を打たれる」

「猫の弁解が入る前に、NewComerさんから【指摘了承】のレス」

「さあて、来週のサザエさんは?」

【三毛猫ナナ、構造主義に走る】
【三毛猫ナナ、ウェーバーに頼る】
【三毛猫ナナ、愚民を鼻で嗤う】

の三本です。見てくださいねー!





んがぐく。

73百拾四:2004/03/31(水) 00:06
>>72
爆笑!

74○○番長:2004/03/31(水) 18:27
>>72
猫の逃げ道塞ぐの旨いッスねw

75○○番長:2004/04/04(日) 11:12
ttp://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1069786698/820
>それはあくまで猫の立てた仮説ですよね?
>その論理が理論となるか否かを、実践と実証を繰り返
>して確かめなければならないのです。

実践と実証を繰り返したとて、猫理論に従えば主体的に選び取った、
つまり主観に過ぎない筈なんだが…。

ttp://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1066104361/r444
>つまり、大神氏は自らの主観を、さも客観的歴史的
>事実と語る事には問題性があるのです。
>(そもそも、客観的視点など(言語論的転換以降)存在
>しないという事は学術的に見て常識ですけどね)

猫が選び取った「実践&実証主義」ですからねぇ。
実証するには何か基準が要るんですが、その基準さえ主観的なもの。
実践と云うが、何を以って実践と云うかも基準無しには考えられない。
でもその基準すら主観なんだから、今後猫が何を云おうと、それは猫の
主観に過ぎませんで一件落着と。めでたしめでたし(嗤

76○○番長:2004/04/04(日) 11:19
いやそもそも、客観的視点なぞ存在しないと云う言明も、主観に過ぎない訳だから、
客観的視点の存在を否定出来ないなぁ。

多分共通了解とか合意とか間主観性とか、そう云うものを持ち出す悪寒がw
でもそれとて主観なんですよね。

他者と関ろうと思えば、客観的立場が存在し得ると仮定せねばならない。
そうしないと人は何も語れなくなってしまう。客観的真実はあると「仮定」
した上で、誰も客観的立場には立てぬと考える必要があるのでは?
その意味で真実は暫定的且つ可変的。全ては主観に過ぎぬとする言説より、
よほど有意義だと考えますけどね。

77ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/04/04(日) 13:09
フィールドワークをした時点で主観が入るし。
しなくたって、観測という行為そのものが観測対象に影響を与えるし。
素粒子物理学の公式が、そのまま猫に当てはまるというのは、当意即妙(笑)

78ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/04/04(日) 13:12
猫ができることは、
「黙ってこっそり観測対象をROMし、自分がROMってることを観測対象どころか、自分以外のあらゆるものに知られてはならない(知られた時点で影響を与えてしまうし、猫の主観ということを猫自身が認めざるを得なくなる)」
つまり、「真性ROMとなり、一切の意志表現をしないこと」によってのみ、猫自身が標榜するところの「主観を介在させない」が成立する。(猫が主観を表明しなければ、猫の主観は生まれてこない)
でも、猫が猫以外のものに「主観の表明の禁止」を求めるとその時点で「猫の主観」が他者に影響を与えることになってしまうので、猫自身はそれをできない。
第三者が猫の思った通りになるのを、猫自身は手を出さず口を出さず、心の中で期待するしかできない。
猫理論というのはそういう態度を採らないと破綻してしまうものなのですね。

79百拾四:2004/05/06(木) 14:36
談話室 テロ対策スレ

377 名前: ヤッス 投稿日: 2004/05/06(木) 14:15
今までの談話室のパターンから、今後の展開を予言。
・別スレ立てた時点で、親スレ「テロ対策」は停止。
・三毛猫ナナは「法律と道徳」スレでウェーバーを引き合いに従来主張を繰り返す。
・猫は「政府と国民の関係」スレもウェーバーを引き合いに従来主張を繰り返す。
・猫は「ボランティア活動」スレもウェーバーを引き合いに従来主張を繰り返す。


死ぬほとワロタ!

80ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/05/06(木) 15:11
見たいですよね(笑)
ウェーバーに基づく「ボランティア活動」論(笑)

81(;´д`):2004/05/06(木) 23:10
バカ猫は統一教会の回し者でわ?
キリスト教を引き合いに出しすぎですよ。
価値観の押し付けがいけないというような言動をしておいて自分はキリスト教の教えを押し付けようとしているダブルスタンダード。
誰かじゃないけど反吐が(ry

82ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/05/07(金) 01:16
キリスト教の話は最近急に持ち出すようになってきましたよね。
どこかでキリスト教の本でも読んだか、誰かにキリスト教的社会道徳で「言い返せないこと」を言われて、鵜呑みにしてんじゃないすか(笑)

法 → 社会道徳(公衆道徳) → 個人の道徳(良心)

となるべきところが、どうしてもあの猫は「社会道徳」という観念を軽視しすぎ。
今回の三馬鹿&家族バッシングだって、「法」に基づいた制裁じゃなくて、「社会道徳」に基づいた自然発生的な制裁ではないでしょうか。
「法に基づいて悪くない」のは誰もが了解してるから法に基づいた制裁は行われていませんし。
「社会道徳に反した行動」をしているから、社会道徳を共有している多数の人間が、それから外れた行動を取っている者(=人質と家族)に、社会道徳に基づいた社会的制裁(のような効果を伴う世論)を浴びせている、っていう図式だと思います。

どうしても「共同体(社会)は個人を束縛するワルイもの」「市民/個人は、それらの束縛から脱した自由な(好き勝手な)もの」としたいらしいんだけど……矛盾を感じます。

「法の制約がない(力、人治に頼る)時代」→「封建による人治(領主が法)」→「個人が共同体を営むために、法による法治を導入」っていう方向に進化してきたわけでしょう?

つまり、法(及びその母体としての社会道徳)っていうのは、「個人は個人としてのみ生活することはできないから、共同体を作っていく。共同体の維持と共同体と個人の距離(関係、義務、権利)を明確にするために法が必要」つー方向で進化してきているわけなのに、そこで共同体を異常に軽視するあの猫はなんなの、と。
何もかもつながらねえーー!

83(;´д`):2004/05/07(金) 01:34
まぁ…猫だし…。人間の常識が通用しないのは仕方ないのかも…。
バカのくせに人語を解するのが厄介なところですな。

84○○番長[TRACKBACK]:2004/05/07(金) 02:18
     す べ て は 猫 の 主 観 で す 。
     
     押 付 け な い で 下 さ い !!

で、終りなんですよね。客観的な事実など存在しないらしいですから。
それとあっさりスルーされてるけどw、


http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1080104485/r342
>『法は最低限の道徳』だから『法に触れなければ何をしてもよい』のです。
>何をするかは各々が自己決定して、自己責任を負うのですから。

DR
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1080104485/r350
>「他人の行為にケチをつけるのは個人の信条の自由に反する」と言う主張も、
>「他人の行為にケチをつける」という、法的に問題のない他人の行為に対し
>ケチをつける行為に他ならない事には気づいているのだろうか…

DRさんの呟きは、猫にとって致命的なはずなんですがね。

85○○番長:2004/05/07(金) 02:20
いかん!!
TRACKBACKが掛ってしまった。
スレストさんおながいs(ry

86ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/07(月) 05:54
久々に談話室に猫が湧いてます。
と思ったら反戦スレにも湧いてます。
その流れで小泉運スレにも湧かないかなあと思ってみたりしました。

87百拾四:2004/06/07(月) 15:58
>>86
コピペにマジレスするとは、猫のカマッテ度は高いと見える。
しかしもう誰もかまってくれないようで。w

小泉運スレ、面白いが2〜3日休むとログが膨大になってしまふ...
先程やっと追いついた。
しかし運スレにまで猫が来て、何書くのか、ちと楽しみではある。
あそこまでコテで出現するのだろうか?
コテ使わなくても、文体で大体わかるだろうが、
そうなったらヤスツさんもコテで勝負するの?w

88ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/09(水) 08:06
>>87
運スレにコテで書くのは、基本的にまとめページの業務連絡(笑)関連のみです。
普段は無党派さんで書いてます。
あそこは「猫をかまってくれる人」がいっぱいいそうです(^^;)

89百拾四:2004/06/09(水) 11:54
>>88
きのうは祭りで、またログ増えた。_| ̄|○
そういえば、1人粘着してた厨がいましたが、
それを見ても、みんなかまってくれそうですねー。ニヤニヤ

90ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/08/15(日) 12:08
ああ、もう……
ついまた猫をかまってしまった。

今回は、「神様じゃないよ。あたしゃ神様だよ!」という戦法できやがりました(笑)
ドリフかっつーの!(^^;)


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