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三毛猫ナナ

1ヤスツ:2004/02/20(金) 04:41
【三毛猫ナナ】(みけねこなな)

反戦平和論からMMOGの掲示板に至るまで、そこかしこで見かける。
談話室2にも不定期に出没する。http://jbbs.shitaraba.com/study/2500/

文体、改行位置、約物(カギカッコなど)の使い方に特徴がある。
また、哲学、法学の専門用語を多用する。
基本的に鼻持ちならない。
目的はディベート(相手の鼻っ柱を折ること)にあり、議論が目的ではない。

談話室2に、三毛猫ナナの行動様式を論評したスレがある。http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=2500&KEY=1063971263

反戦平和議論ガイドに寄せられた評価。
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/dic/guide.cgi?action=view&data=660

2ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/03(水) 22:22
久々に猫が沸いてますが、「三毛猫ナナ」と「ナナ猫」は別人スか?(^^;)

3みにゅうりょく@kaimei:2004/03/03(水) 22:48
>>3
噛み付いてるトコ見ると、別人かと。

4ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/04(木) 00:01
そうすると、次のブームは三毛猫ナナっすかねぇ。

5○○番長:2004/03/04(木) 01:12
【擬似コテサンプル集】

三毛描ナナ
≡毛猫ナナ
三手猫ナナ
三毛苗ナナ

6ヤスツ </b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/03/04(木) 18:14
とりあえず、改めて三毛猫ナナを考える上で、談話室にまとめられている三毛猫ナナ論をこちらに転載します。
以後、こちらで扱えるように、ということで、オリジナル版の発言者名もそのまま持ってきますので、そこんところよろしく。

7未人力(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:15
1 名前:未人力[sage] 投稿日:2003/09/19(金) 20:34
三毛猫ナナさんは、何を言っているのかよくわかりません。
たぶん、社会学、哲学、法学に秀でているのでしょう。
しかし、わからないままではナナさんは意志の疎通ができ
ない宇宙人と同じ扱いを受けることは免れないでしょう。
そこで、三毛猫ナナさんは「何を怒っている」のか、ナナ
さんの言い分(根拠?)は何なのか、ナナさんは何を言い
たいのかを、みんなで解読してみましょう。

ところで、「不正義な態度」ってなに?

2 名前:未人力[sage] 投稿日:2003/09/19(金) 20:36
基本的なことから。
社会学ってなに?
何を研究する学問で、何を目的にしていているのですか?
三毛猫ナナさんの社会学は、他の社会学とは違うのですか?
今更でしょうけど、よくわかりません。
よろしければ、手取り足取り教えてください。

教えていただけなければ、自分で調べて自分で納得します。

3 名前:未人力[] 投稿日:2003/09/21(日) 21:08
http://society.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1063453165/206

>社会学/ポスト・モダン社会学の話について、どうも理解が進まなかったので(というのは、壱学生氏の説明を聞いて、という意味ではなく、ポスト・モダン社会学を標榜する猫氏の
>言い分を読んでもさっぱりわからなかったので(笑))、そちらの筋の方にかいつまんで教えていただいてきました。
>要約すると、
>・ポスト・モダン社会学は、5年くらい前のブーム(今は流行ってないそうです)
>・イマドキそれを標榜しているまともな学者はあまり多くないと思われる(昔、それがブームだった頃に教わった学生ならいるかも)
>
>建築のほうのポスト・モダニズム(1980年頃の最新の思想で、これまた建築の世界では過去の流行の一現象を指して言う)と同様、思想の世界の「ポスト・モダン」も、どうも最新ではなくて「過去のもの」らしいです。

転載です。
ナナさんの主張は時代遅れとのことですがどうですか?

8蒼穹(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:15
4 名前:蒼穹[sage] 投稿日:2003/09/28(日) 23:50
まあ、猫氏の話は難解過ぎる・・・ってか、わざとそうしてる?って疑問が沸きますが。
専門用語の羅列・引用の乱発・・・等々により、私のようにROMってる人間には
凡そ理解不可能な主張に堕してしまっています。

上記のような指摘って、今までにそれこそウンザリする程に指摘されてるのに、
猫氏は全くその指摘を省みる事をしないですね。

これって、つまりは「演説がしたいだけ」という理解でよろしいんでしょうか?
少なくとも、対立する主張を持つ人間を「説得」しようという姿勢が皆無に
見えてしょうがないんですが。

9未入カ(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:16
5 名前:未入カ[] 投稿日:2003/09/30(火) 02:32
とりあえず、「強制は絶対悪か?」スレで得られた三毛猫ナナの生態としては、

「結論を出すことが議論の目的ではない」
「問い続けることが大切」
「問うことを途中で止めた人間の負け」
「普遍的真理と統一理論の探求が目的」

だそうですつ。

「普遍的真理と統一理論」というのは、「他者との間に合意を作っていくこと」
ではなく、映画「ハイランダー」のように「他者をどんどん駆逐していくこと」に
よって構築されるもの、というのが猫理論の第1法則のようですつ。

6 名前:未入カ[] 投稿日:2003/09/30(火) 07:51
三毛猫ナナの生態から見られる「三毛猫ナナ的社会学」の観察その2。

三毛猫ナナ的社会学の視点では、「客体」がないですつ。
当人の弁をそのまま借りるなら、
「あらゆる主張には、主体しかなく、第三者、客観的視点というものは存在しない」
となりますつ。

しかし、実際には「対立するニ者を当事者とした場合、必ずその「当事者の視点を
共有しない第三者」としての客体は実在しますつ。
ですが、三毛猫ナナ的視点では、この「客体の視点」を認識することができません。
なぜか。

これは、三毛猫ナナが「自身の視点を主体におくことにこだわりすぎるが故」のパ
ラドクスと予想できますつ。

主体の視点で相手を見た場合、自分以外が「主体」の視点を持つことはないですつ。
本来は、自分の視点以外の視点は全て「客体の視点」となるはずなのですつ。
が、三毛猫ナナは「自分が主体の視点を持つように、自分以外の全ても同様の
主体の視点を持つ」と定義していますつ。それぞれが個別に主体の視点を持つ
ということは、「個々の視点の保有者の認識」としては間違いではないですつ。
が、三毛猫ナナが自身の主体とその視点を固定した場合、三毛猫ナナは自分の
主体的視点以外について、「語ってはいけない」のですつ。本来は。

ここが重要な三毛猫ナナのパラドクスを示している点と思いますつ。
三毛猫ナナが「自分の説」「自分の視点」として、自分を主体とした視点を維持する
場合は、三毛猫ナナからの視点に「限って」、三毛猫ナナの理論は成立するですつ。
ただしこれが、三毛猫ナナが三毛猫ナナ以外の視点を語ろうとした段階で崩壊する
ものでもあるですつ。

10未入カ(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:17
7 名前:未入カ[] 投稿日:2003/09/30(火) 07:51
三毛猫ナナが、三毛猫ナナ以外の視点を語るには、二つの方法があるですつ。

ひとつは、あくまでも「三毛猫ナナを主体とする視点からの見方」を描写する場合。
この場合、三毛猫ナナは「主体の視点」を維持しなければならず、主体の視点を
維持する限りは、「三毛猫ナナからは見えないもの、こと」について論じることは
不可能になるですつ。相手の考えていること、相手の主張、その裏付け、相手が
置かれている状況などなど相手にしかわからないことは、主体の視点に立つ限り
は「(相手の視点に立って)確かめることができない」のですつ。
三毛猫ナナは「客体の視点」を否定していますので、三毛猫ナナが自分の主体の
視点以外について語ることは、彼の理論はこれを否定しているのですつ。
ですから、三毛猫ナナは「他人の理論を、他人の客体の視点から批判する」こと
そのものができなくなってしまいますつ。

もうひとつは、素直に客体の視点(客観視)を認めることですつ。
実は、「相手について、三毛猫ナナが語ること」が、すでに「客体の視点」を認めて
いることになるですつ。相対的に見て、「相手(の主体)の外からの説諭の全て」
は、「相手にとっては客体的視点」になるですつ。

三毛猫ナナにとっての主体的発言は、相手(相対者)も同じ主体的発言をした場
合に、相互に相手に対しての客体的発言になるですつ。
それは鏡に映したように、相手と自分に対してまったく同じ効果が起こることにな
るですつ。そのとき、三毛猫ナナが相手について論じるとき、「相手の視点」に
立った場合、それは三毛猫ナナが「相手の主体的視点を乗っ取った」ことになる
ですつ。しかし、「主体的視点」というのは、委譲することも貸すこともできないは
ずのもので、「主体的視点を、他人が論じる」という現象が起きた時点で、すでに
「相互に客体的視点を持ち合っている」ということの証明になりうるですつ。

しかし、三毛猫ナナはこれらの本来三毛猫ナナ的理論の中では禁忌に当たるこ
とを自ら犯しているですつ。そのうえで、「客体の視点」や「第三者」の存在を、
当然のように否定していますつ。
なぜそのパラドクスが成立しうるのか?

三毛猫ナナは、「主体」の設定点を、論じる内容に合わせて(自分の都合のいい
ように)変えているからですつ。
自説を語るときには、当然「三毛猫ナナ」の視点から語りますつ。
例えば未人力氏の説を語るときは、「客体から」ではなく、未人力氏の主体の視点
を乗っ取って語るですつ。彼にとってはこれも「主体」になりますつ。
さらに、総論を語る場合は、「総体」を見下ろす視点、本来はこれが「客観」と呼ばれ
るはずのものですが、これすら「総体にとっての主体的視点」と見なし、さらにその
視点を乗っ取っているのですつ。

三毛猫ナナが語る全ては、三毛猫ナナ「個人」の主体の視点であると同時に、
三毛猫ナナ以外の主体(本来は客体)の視点までもを「自分の主体の視点」で
あるかのように論じてしまっていることによって、「客体の否定」と「広げすぎた主体」
を自分のものにし、あのわかりにくいワールドが構成されていると見なすことができ
ますつ。

11未入カ(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:17

8 名前:未入カ[] 投稿日:2003/09/30(火) 08:01
ここまでの考察を踏まえて、ひとつ例えをしますつ。

客としてラーメン屋に入った三毛猫ナナと相手Aがいるとしますつ。
ここで、ラーメンがうまいかまずいかの議論になりますつた。
三毛猫ナナはラーメンがまずいと主張し、相手Aはうまいと主張。
三毛猫ナナはラーメンがまずいことを証明するために、相手Aがその
ラーメンをうまいとする論理的な説明をせよと相手にせまりますつ。

相手Aの説明内容はこの際なんでもよいのですつが、相手Aがなんら
かの説明をしたとしますつ。
三毛猫ナナは相手Aの説明内容の如何に関わらず、「自分(三毛猫
ナナ)が相手Aであるかのように、相手Aの【うまい理由】を否定」しま
すつ。これは、相手の視点を乗っ取っていると言えますつ。

さらに、三毛猫ナナはこのラーメンのまずさを立証するために、「ラー
メン屋として間違っている」「店の立地が悪い」「店主の生い立ちに
問題がある」「ラーメンを求める姿勢に行き詰まりがある」「ラーメン
を作る態度が不正義である」など、店の成り立ちについても論じは
じめますつ。
しかし、本来は「店がどうであるか」は、店側(店主)の主体の問題
であって、客である三毛猫ナナが論じる問題ではないのですつが、
三毛猫ナナは、「店主の主体」を乗っ取って、ここでも「自分が店主
であるかのように」、【主体的】にラーメン屋の店のひどさを論じはじ
めるですつ。

本人はその場合も「自分(三毛猫ナナ)の主観的な感想だ」と強弁
しますつ。しかし、「主観的な感想」を述べるのに、「主体の視点」
を乗っ取ってしていいというわけではないわけで、ここでも三毛猫ナ
ナは、「自分以外の(本来は相手にとっては客体の)視点をすべて、
自分の主体の視点」であるかのように便利に使うことで、「神の視点」
すらも「自分の主体の視点」と言い張ることになりますつ。

例を取ってみてもわかりにくい話ですつ。
スマソ。

12NamelessCult(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:18
9 名前:NamelessCult[sage] 投稿日:2003/09/30(火) 17:14
猫とムは、共通点が多いんですつよね。
・自分だけが全てにおける絶対正義である
・都合の悪い質問には絶対に答えない。 はぐらかす、話題転換、スルーなど
・感情的になると文が荒れる(他人を呼び捨てにする、「〜〜しなさい」と命令口調になる。 このへんが、二人が教職ではないかと邪推される最たる理由)
・ソース主義的な議論ができない(ムは最近この方法を勉強しつつありますつが、まだ慣れていない様子)
・他人を批判すると、その内容がそっくりそのまま自分に当てはまる
・一貫して言動が矛盾している

逆に、相違点は
・ムは尻馬ライダー
 逃亡癖がひどい

・猫は異常なまでの権威主義
 終わった議論を無理矢理蒸し返して続けようとする

こんなところですつかねえ。

10 名前:NamelessCult[sage] 投稿日:2003/09/30(火) 18:54
猫は辞書を引こうとしない。
また、辞書の内容よりも脳内妄想を優先する。

‥‥‥ってことは、国語/英語の教職ではないですつな。
理系に弱いところを見ると、物理化学や数学でもなさそう。

13未入カ(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:19
11 名前:未入カ[] 投稿日:2003/10/01(水) 00:07
国語、英語、物理化学、数学でもないとすると、音楽か体育ですか?(藁

14NamelessCult(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:19
12 名前:NamelessCult[sage] 投稿日:2003/10/01(水) 00:43
音楽、体育、社会科系、あたりですつか。
一番怪しいのは社会科系(読んでる本とかがアレ系なのが多い)だと思いますつけれどね。

15未入カ(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:20
13 名前:未入カ[sage] 投稿日:2003/10/05(日) 09:01
三毛猫ナナの根本にあるものを、いくつか引いてきました。

●デュルケム以降の社会学の基本的命題
「国家とは、単なる個人の集合体ではない。ということは、個人の信念の算術的
合計は、国家の政策とはなりえない」

●マンデヴィルの背理
各個人はみんな、めいめいの私利私欲の追及という悪徳の発揮にのみ思いが
あって、社会全体のことなど少しも考えない。それなのに、市場機構における予
定調和の鉄則は結果として最大多数の最大幸福という美徳が達成される。個人
における悪徳の追及は、結果として全体としての最大多数の最大幸福という美徳
を達成してしまうことになる。

●ケインズの背理
マンデヴィルの背理の逆に、個人が自分自身を富ませるために貯蓄をする。消費
をそれだけ手控える、そういう消費が減るということは、有効需要がそれだけ減る。
消費が減ったぶんの何倍かだけ国民総生産すなわち国民所得が減る。社会全
体が貧しくなってしまう。

16未入カ(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:21
16 名前:未入カ[sage] 投稿日:2003/10/06(月) 03:33
「不正義な態度」についての解明を考えてみました。

いわゆる「正義」というのは、「(自分の)基準に基づく行動」であって、「善なる行動」
と必ずしもイコールではありません(多くの場合はイコールになると思いますが、そ
れは【自分にとって】であって、相手にとっての善なる結果とイコールではないケー
スは多々あるでしょう)。

で、不正義な態度というのは、そのまま受け取ると「基準を満たさない態度」もしく
は「基準=正しい」に沿わない態度、となります。

三毛猫ナナ社会学では、

「正しい」の対語は「悪い」になるようです。
一般的には「正しい」の対語は「間違い」「違い」です。
(「正しい」は基準を満たさない、という意味で「善/悪」はありません)

どうも三毛猫ナナの脳内辞書/脳内変換は、広辞苑などの一般辞書とは内容が
異なるようです。三毛猫ナナ語辞典の編纂を提案します(w

17NamelessCult(ヤスツによる転載):2004/03/04(木) 18:22
23 名前:NamelessCult[sage] 投稿日:2003/10/13(月) 00:16
( ̄-  ̄ ) ンー、強制スレでの猫の痴態を見てて思うこと。

あの、

「自分でわけのわからない題目を唱えておきながら」
「相手がそれを理解しないと焦れる」

という矛盾した行動、これ本気っぽいですつね。 スタイルとかではなく。
つまり、

「物事を簡単に噛み砕いて話せない」

タイプの馬鹿、というか。
学歴が高い香具師に多いタイプなんですつよねえ。 高校時代の某教師を思い出しますつ。
「自分が理解できるのに周りに理解できない、という事実そのものが理解できない」
っていうタイプ。
多くの場合、それってのはあくまでも「知識」であって、「理解している」のではないのですつけれどね。
きちんと「理解」しているもの、てのはきちんと説明できるものですつから。


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