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フェイク『男』のチラシの裏

1フェイク『男』:2005/11/21(月) 00:33:20 ID:Xekm5jMQ
私の鑑定文の中にたまに出てくる前置きのジョジョ考察だとか一口メモなど、
自分自身でも何を書いたか把握してない文章の数々を保存するためのスレ。

その他、私への質問などがあれば受け付ける予定。

319フェイク『男』:2017/02/01(水) 22:49:55 ID:mZmSwf.g
732:フェイク『男』投稿日:2017/02/01(水) 22:10:08.57 ID:u2upE8kC
ジョジョにおけるスタンドの強さというものはしょせん局所的なものに過ぎず、大局的な強さはまた別に存在する。
たとえ時間を支配する「世界」や「キングクリムゾン」であろうとも、操る時間は精々数秒から十数秒といったところで、
確かに単純な殴り合いには飛びっきり強いものの、本体が豪語する「世界の支配」だとか「帝王」などといった言葉には程遠いものだ。
これらのスタンドはあくまでも本体の邪悪さや強大さの象徴であると考えるべきであろう。
例えば、DIOが部下を支配する力は「世界」よりも当人のカリスマ、財力、吸血鬼としての技術である肉の芽などが主であり、
部下の支配に「世界」を活用しようとするならば、蜘蛛の巣を破らずに誰かの背後に回るとか、誰かを階段から降ろすとか、そういう感じになる。
ディアボロの「キングクリムゾン」も、未来に開いた落とし穴を予見して避けることが出来るのは十数秒程度の話で、
彼が実際に危険を避ける手段は、正体を隠して「謎のボス」を演じるとか、二重人格の片割れであるドッピオを隠れ蓑にするとかだ。
しかしこの世界には、個人が局所的な戦いを経ることで大局的な力を直に得るような手段も無くはない。
「レクイエム」とか「天国へ行く方法」とか、そういうものを邪悪な存在が勝ち取れば、恐ろしい事態になるだろう。

320フェイク『男』:2017/02/01(水) 22:50:19 ID:mZmSwf.g
745:フェイク『男』投稿日:2017/02/01(水) 22:23:40.68 ID:u2upE8kC
特に時間を操るスタンド能力には、大抵は近距離であるスタンド像の射程、大抵は世界丸ごとである時間操作の射程、それ以外に「実際の影響力の射程」とでもいうべきものが考えられる。
最も分かりやすい例は、四部終盤の「二秒ほど時を止められる」承太郎が、吉良を攻撃するためには「5m」まで近づかなくてはならないという場面だ。
この時点での「星の白金」の影響力の射程は5mである。承太郎が時を止めれば全世界で時が止まるものの、地球の裏側では何も変わらない、だから実際の影響は無いという考え方だ。
この場合は5mという距離だけで説明できるが、では「バイツァダスト」はどうだろうか。これの影響射程は「川尻早人が影響を与えられる範囲」であり、実際の距離だけでは判別できない。
バイツァダストが時を戻すだけでは世界は何も変わらない。放送事故や間違い電話をする人間は何度でも同じ時間に同じことを繰り返す。ただ、早人が動けば、例えばずっと寝坊していた仗助が早起きできたりする。
早人が影響を及ぼせる範囲だけが、時の繰り返しにより別の出来事を生じさせうるのだ。(また、その中でも「破壊の運命」は固定されているが、これも早人の影響射程の中でなければ意味が無いので同じことである)
さて、それでは「キングクリムゾン」や「マンダム」はどうだろうか。これらのスタンドは時間を操ることで人間の記憶に混乱を生じさせる。だが全世界の人間に混乱が生じているとは考えにくい。
これらのスタンドで人々の記憶に異変が生じるのにも、恐らく固有の射程距離があるものと思われるが、これもひょっとしたら「影響射程」の概念で説明が付くかもしれない。
ディアボロやリンゴォの時間操作能力は、それぞれいわば「運命を改変する」能力と言える。それらの改変に関わっている者だけが、記憶や認識に混乱を来たしてしまうのだという見方だ。

321フェイク『男』:2017/02/01(水) 22:50:29 ID:mZmSwf.g
594:フェイク『男』投稿日:2017/02/01(水) 22:43:22 ID:mZmSwf.g
スタンドの持続力というものは長くなるほど曖昧になるようだ。例えば時間停止は二秒、五秒、九秒、「マンダム」で時間を戻すのは六秒、と一桁秒ならば厳密に時間が決まっている。
これが十秒を超えると、キングクリムゾンの時飛ばしは十数秒、パープルヘイズのウィルスが人間を殺害するのは三十秒以内、同じくウィルスが光で死滅するのは数十秒と、途端にアヤフヤとなる。
これはメタ視点で説明するなら、一秒二秒を争うスタンド戦で何分、何時間という時間を厳密に区切ることに意味は無く、また漫画という媒体で厳密に区切った時間をいつもいつも演出することは難しいということではないかと思われる。
作中理論で説明するなら、そもそもスタンド能力とは心身の調子で出力が上下するものであり、数秒程度の能力ならまだしも、十数秒となるとその時々で持続時間は一定しない、といったところだろうか。
ただ、持続力の設定もそれなりにの目安にはなる。例えば「マン・イン・ザ・ミラー」の持続力Dは、鏡の中に閉じ篭ったまま何日も籠城戦は出来ない、程度の意味なのだろう。

322フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:36:37 ID:32ZaGZsg
622 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 21:56:14.87 ID:F8keNgw2
タロットの0番目である(あるいは番号を持たないともされる)「愚者」は、自由、純粋、発想力、天才、自分勝手、原始以前の何もかもが未分化な混沌、生まれる前の状態、無限の可能性などを暗示するとされる。
また解釈によっては、タロットの番号の順序には、無限の可能性を示す「愚者」が始まりを象徴する「魔術師」と出会い旅を始めることで、やがて完成を意味する「世界」に目覚めていくという物語があるそうだ。
いずれにせよ、タロット全体を通じて独特の立ち位置にあるカードと言えるだろう。ジョジョ三部の「ザ・フール」も変幻自在の砂のスタンドであり、その本体は強制的に旅へ参加させられたという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、ジャンケンに勝ち続ければどこまでもスタンド能力を得られるというまさに無限の可能性を持ち、その本体は大人を乗り越えたいという純粋だが自分勝手な感情で動く「ボーイⅡマン」が、
六部では、原始的な生物に知性とスタンド能力を与えることで誕生した新生物であり、他の者たちに連れられて刑務所内での生活を送る中で知性の在り方に目覚めていった「フーファイターズ」が、
七部では、スタンド自身はほとんど何もせず、本体を励ましたりちょっとした発想を与えるだけで、50億人に一人の幸運という無限の可能性を秘めた本体の資質を活かす「ヘイ・ヤー」が、「愚者」の暗示と言えるだろう。

323フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:37:00 ID:32ZaGZsg
624 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 21:59:20.23 ID:F8keNgw2
タロットの1番目である「魔術師」は、起源、機会、感覚、創造、無気力、裏切り、空回りなどを暗示するとされる。また伝統的な解釈では、この魔術師とは奇術師のことであり、限定された舞台の上でのみ万能に振る舞う存在という意味合いもあるそうだ。
ジョジョ三部の「マジシャンズレッド」も、炎を操る能力を活かして様々な攻撃手段や感知能力を作り出すなど万能に振る舞い、その本体は占い師として他者に物事の気付きや切っ掛け、行動の機会を示唆するという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、本体の創造物である漫画を元に発現し、他者の記憶を自由自在に閲覧・改竄するという精神面において万能な能力を有し、その本体は一つの世界を独自に作り上げる漫画家である「ヘブンズドアー」が、
六部では、物体を内部から自由自在に分解して組み立て直すという物質面において万能な能力を有し、その本体は恋人の裏切りを切っ掛けとして罪人となり、希望を見出してからもしばらくは空回りの状態が続いた「ダイバーダウン」が、
七部では、六部以前と七部以降の世界観の大きな違いである平行世界の存在を暗示する能力であり、その本体は聖なる遺体を砂漠から見つけ出したことで物語の始まりとなった「D4C」が、「魔術師」の暗示と言えるだろう。

324フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:37:16 ID:32ZaGZsg
626 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:03:23.50 ID:F8keNgw2
タロットの2番目である「女教皇」は、直感、知性、聡明、秘密、神秘、少女性、悲観、無神経、現実逃避、疑心暗鬼、ヒステリーなどを暗示するとされる。また、下記「教皇」との対比として、下から上へと積み上げる人間世界の知恵を意味する。
ジョジョ三部の「ハイプリエステス」も、金属に化ける能力を活かしてカミソリや水中銃など人間の知恵の産物に化ける高い聡明さを有し、その一方で攻撃は正確でありつつもヒステリー的なほどに荒々しいという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、本能的な直感によってスタンドを発現し、自分の身を守るために自分自身を透明にすることで、逆に自分が誰からも守られなくなってしまうという自己矛盾を抱えた「アクトンベイビー」が、
六部では、対象を小さくする能力で他者からその存在を隠すことにより、脱獄のために知恵を尽くして調査を行い、その本体は友人との人付き合いにおいて屈折した感情を抱く「グーグードールズ」が、
七部では、肉を操る能力を活かして攻撃、傷の治療、変装などを巧みにこなし、その本体は聡明ながらも、過去の経験から聖なる遺体にすがるしかないという悲観的な状況にある「クリームスターター」が、「女教皇」の暗示と言えるだろう。

325フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:37:31 ID:32ZaGZsg
598 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:14:40 ID:32ZaGZsg
タロットの3番目である「女帝」は、繁栄、豊穣、母権、愛情、情熱、豊満、女性的魅力、生殖の力、虚栄心、嫉妬、感情的、浪費、怠惰などを暗示するとされる。成熟した女性的な力の象徴である。
ジョジョ三部の「エンプレス」も、人面疽として相手に憑りつき食物をむさぼることで成長したり、その本体は美しい女性の姿を被って上っ面だけ美人を装ったりと、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、女性的魅力の象徴である髪の毛を更に長く豊かに伸ばして自由に操作し、その本体は美人で愛情深く自分をハッキリ持っているが、非情に感情的で嫉妬深い「ラブデラックス」が、
六部では、物体を増やすという繁栄の効果と増やした物体は一つに戻れば破壊されるという浪費の二面性を持ち、その本体は家族愛ゆえに復讐の道を歩んだ「キッス」が、
七部では、いくらでも金銭を稼ぐことが出来るもののそれらを全て時間内に消費しなければならず、その本体は聖なる遺体を守るために存在していた「シュガーマウンテンの泉」が、「女帝」の暗示と言えるだろう。

326フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:37:42 ID:32ZaGZsg
599 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:15:24 ID:32ZaGZsg
タロットの4番目である「皇帝」は、支配、安定、男性的、権威、行動力、意思や責任感の強さ、父権、統治、同盟、横暴、傲慢、独断的、意志薄弱、無責任などを暗示するとされる。成熟した男性的な力の象徴である。
また解釈によっては、神による世界の支配を助けるために、神に代わって人々を治める者が「皇帝」であるともいう。
ジョジョ三部の「エンペラー」も、弾丸の軌道を操ることで飛道具を安定して命中させる能力であり、その本体は仲間を重視して安定した戦いをするが、状況によっては簡単に態度を変える無責任な姿勢という、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、戦術的な作戦展開により安定して戦場を支配するミニチュア軍隊の能力であり、その本体は実の父に代わって父親的存在として責任を負い、目的のためとはいえ他者を踏みつけにする横暴で独断的な性格だった「バッドカンパニー」が、
六部では、作中で初めて地球を超えて宇宙空間にまで能力の支配を広げ、本体自身を照準とすることで安定した攻撃を可能とし、その本体は刑務所の支配者である看守の一員にして、囚人たちを見下し切っている傲慢な性格だった「プラネットウェイブス」が、
七部では、磁力によって射程範囲内での攻撃、防御、敵の束縛全てにおいて支配的な威力を発揮し、その本体は横暴な父親を頂点とするいびつな家族愛によって統治されている「トゥーム・オブ・ザ・ブーム」たちが、「皇帝」の暗示と言えるだろう。
(参照:ブンブーン一家について…>>163の最上段)

327フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:37:55 ID:32ZaGZsg
601 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:16:00 ID:32ZaGZsg
タロットの5番目である「教皇」は、心の広さ、援助、慈悲、連帯、協調性、信頼、規律の遵守、束縛、独善、お節介などを暗示するとされる。また、上記「女教皇」との対比として、天から地へと下される神の法を意味する。
ジョジョ三部の「ハイエロファントグリーン」も、触脚による長い射程距離と感知能力、攻撃用の飛道具と一通りのことがそこそこ出来る援護向きの性能で、一方で他者を縛り付けたり操ったりも可能という、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、料理を食べた相手を健康にするという援助専門の能力であり、その本体は基本的に心優しく、料理人として信頼できる確かな腕前を持つが、料理のこととなるととても決まりに厳しくなる「パールジャム」が、
六部では、記憶とスタンドをDISCにすることで他者に力や知識を与え、あるいは意思を奪って命令通りに動かし、その本体は弟妹への慈悲を持ちながらも非常に独善的で、最終的には全人類に運命という規律を強制するに至った「ホワイトスネイク」が、
七部では、自身のみならず自然界が有する様々な音の力を借りて戦い、その本体は故郷の部族から独りよがりとして排除されながらも、法律に則って部族を助けようとした「イン・ア・サイレント・ウェイ」が、「教皇」の暗示と言えるだろう。
(参照:イン・ア・サイレントウェイについて…>>176

328フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:38:06 ID:32ZaGZsg
602 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:16:17 ID:32ZaGZsg
タロットの6番目である「恋人」は、恋愛の発生、肉体の発育、誘惑との戦い、深い結びつき、絆、魅力、結婚、不道徳、失恋、空虚などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「ラバーズ」も、対象の脳内に潜り込むことで一方的に本体から対象への肉体的な結びつきを作り出し、その本体は他者の仲間意識や絆に付け込んだ戦い方を得意とする、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、対象そっくりに変身して一方的に本体から対象への絆を作り出して操り、その本体は他者の仲間意識に付け込んで不意討ちを仕掛けたり、単なる憂さ晴らしや不道徳な目的のために能力を使っていた「サーフィス」が、
六部では、本体から対象への好意によって一方的に肉体的な結びつきを作り出して強制的な心中自殺を起こし、その本体はどれだけ他者の善意を受けても考え方を変えなかった「ハイウェイ・トゥ・ヘル」が、
七部では、自身や他者の肉体をバラバラにしつつもロープによって一つに結び付け、その本体は人生の旅の中で帰る場所や愛する人を探し求めていた「オー! ロンサム・ミー」が、「恋人」の暗示と言えるだろう。

329フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:38:17 ID:32ZaGZsg
604 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:17:08 ID:32ZaGZsg
タロットの7番目である「戦車」は、侵略と勝利、突進力、開拓精神、負けず嫌い、暴走、不注意、独断専行、焦り、好戦的、復讐などを暗示するとされる。感情と勢いのままに突っ走る若者の象徴である。
ジョジョ三部の「シルバーチャリオッツ」も、破壊されても本体のダメージとはならず時間が経てば再生する剣や鎧を活かして、真っ先に敵へと斬り込むことを得意とする、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、空間を削るという圧倒的な破壊力を有し、更に瞬間移動という場を制圧する付随効果まで備える能力だが、下手に使えば本体の自滅を招き、その本体は性格上ミスをしやすいという「ザ・ハンド」が、
六部では、唾のような些細な飛道具から対象自身を、そして周囲の全てを無重力と真空の影響下にしていき、その本体は理知的に能力を活用する一方で、感情のままに力を振るう「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」が、
七部では、空間を越えて対象の監視や攻撃、吊るし上げを行い、その本体は少年ながらも開拓精神に燃える「ワイアード」が、「戦車」の暗示と言えるだろう。
(参照:ポークパイハット小僧について…>>72の二段目)

330フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:38:37 ID:32ZaGZsg
605 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:17:27 ID:32ZaGZsg
タロットの8番目である「力」は、挑戦、強い意思、秘められた本能、決断力、勇気、持久戦、潜在能力の引き出し、甘え、人任せなどを暗示するとされる。力の使い方と限界を知っている成人の象徴である。
ジョジョ三部の「ストレングス」も、動物である本体の野性的なパワーと強固な意思を解放したかのような巨大さである一方で、その本体は能力の強大さに守られ慣れているためか追い詰められるとヘタレるという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、電力という外部の力を利用することで絶大なパワーを発揮する一方で、その本体は戦闘の最中ですらどこか真剣さに欠ける立ち振る舞いだった「レッドホットチリペッパー」が、
六部では、他者の肉体の力や闘争心、戦闘への賛美をどこまでも強力に引き出す一方で、その本体は戦いに加わらず遠巻きに隠れているだけの「サバイバー」が、
七部では、他者を恐竜という原始の生物に立ち帰らせてその力を振るわせる一方で、その本体は恐竜になることなく高みの見物に徹する「スケアリーモンスターズ」が、「力」の暗示と言えるだろう。

331フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:38:50 ID:32ZaGZsg
606 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:17:39 ID:32ZaGZsg
タロットの9番目である「隠者」は、経験則、忠告、深慮、単独行動、神出鬼没、秘密の知識を隠す者、閉鎖性、陰湿、消極的、悲観的、邪推などを暗示するとされる。人生の旅を終えた老人の象徴である。
ジョジョ三部の「ハーミットパープル」も、念写を通じて隠された秘密を暴き、三部の旅そのものを成立させるのに不可欠な情報をもたらしたスタンドであり、その本体は心理戦やトリックなどの豊かな経験を裏打ちとする、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、写真の中という閉鎖的な空間で陰湿に他者を攻撃し、その本体は幽霊となった後も何かと息子を援け、神出鬼没に町中を飛び回っていた「アトムハートファーザー」が、
六部では、暗殺風水という神秘の知識により敵味方問わず忠告を与え、その本体は長年の経験によりこの援けを上手く活用するも、結局は脱獄など出来ない刑務所の中で頂点を目指すという閉鎖的な展望を抱いていた「ドラゴンズドリーム」が、
七部では、記憶をそのままに時を戻すことで敵味方平等に物事への気付きや切っ掛けを与え、その本体もまた公正な振る舞いを心掛けるが、その目的は他者との強制的な決闘という陰湿で閉鎖的なものだった「マンダム」が、「隠者」の暗示と言えるだろう。

332フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:39:01 ID:32ZaGZsg
607 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:17:50 ID:32ZaGZsg
タロットの10番目である「運命の車輪」は、定められた運命、運命の変転、転換点、幸運の到来、出会いと別れ、情勢の急激な悪化、すれ違い、アクシデントの到来などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「ホウィール・オブ・フォーチュン」も、山中に敷かれた道路という状況での戦いにおいて、その環境を乗り越えて周辺の岩場すらも走破する自動車を駆使し、事故に見せかけて攻撃を仕掛けるという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、交通事故で重体となり入院という危機的状態を引っ繰り返すべく、遥か遠隔地の敵から養分を奪って本体にまで転送し、その本体もまた他者との戦いや出会いによって成長を果たした「ハイウェイスター」が、
六部では、気流を読むことで運命を見通すかのように弾丸の命中先を予測し、スタンド自身によってその弾道を大きく変化させる一方で、その本体は過去の出会いと別れに心を縛られ、復讐の悪感情を燃やし続ける「マンハッタントランスファー」が、
七部では、縦横の座標によって位置を厳密に定めることで、本体の攻撃を対象へと正確に転送し、その本体は逆にほとんど何も話さず、戦闘相手に一切の利益を与えないように努めた「チョコレートディスコ」が、「運命の車輪」の暗示と言えるだろう。

333フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:39:11 ID:32ZaGZsg
608 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:18:05 ID:32ZaGZsg
タロットの11番目である「正義」は、公平・不公平、公正・不正、均衡・不均衡、善意、誠意、偏向、一方通行などを暗示するとされる。また、これらは人間世界の常識や道徳ではなく神の視点からの秩序を象徴するとされる。
ジョジョ三部の「ジャスティス」も、現実に左右されない一律の幻覚の中で、生者も死者も等しく操り人形と化し、その本体も己の善意や誠意に従って戦いや復讐に身を投じたという、ある意味で暗示通りの能力だった。
そして四部では、純粋な善意により他者に常識を超えた運勢を与えるが、その活用と維持はあくまで当人の努力次第という公正さを必要とし、その本体も人間の身でありながら童話の魔法使いのような超越的な視点を志していた「シンデレラ」が、
六部では、賭け事に際して公平・公正に取り立てを行い、スタンドそのものは一方的に対象を攻撃できる無敵状態ながらも、その本体は賭け事の取り決めの裏を掻くという不公平・不正な手段を用いていた「マリリンマンソン」が、
七部では、無力な少女がその涙を引きちぎることで、人間の感情や常識を超えた干渉により他者を一方的に操るという絶大な力を発現し、その本体は聖なる遺体に関して人知を超える大役を果たした「チケットゥライド」が、「正義」の暗示と言えるだろう。
(参照:チケットゥライドについて…>>226の上段)

334フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:39:21 ID:32ZaGZsg
609 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:18:23 ID:32ZaGZsg
タロットの12番目である「吊られた男」は、修行、忍耐、奉仕、努力、試練、着実、抑制、妥協、徒労、痩せ我慢、自暴自棄などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「ハングドマン」も、作中では反射物の表面から一方的に敵を攻撃する自由自在な能力として描写されてはいたが、そもそもどうあがいても反射物に映ったものにしか干渉できず、
また反射物から別の反射物へと飛び移るのも出来るかどうかはそれらの反射物の挙動次第であり、飛び移る最中は一瞬だが完全に無防備で、もしも飛び移るのに失敗して映るべき反射物が全く無くなってしまった時はどうするのか、
もしかしたらその時点で本体もろとも死んでしまうかもしれないということまで考えていけば、意外と暗示通りの能力だったのかもしれない。……まあ、鏡は壁に吊るされているものだから吊られた男、程度の発想だったのかもしれないが。
さて四部では、鉄塔の内部に最低一人の住人を捕らえ、生きていくだけでも一苦労という生活を強制するが、慣れれば鉄塔の仕組みを活かして意外と楽しい毎日を過ごすことが出来るかもしれない「スーパーフライ」が、
六部では、刑務所の壁という巨大な抑制の象徴に同化して発現し、攻撃対象の記憶能力を大きく制限することで、対象を抑えつけはするが囚人としての生活は継続させる上、スタンド使いの脱走をも防ぐという重要任務を担う「ジェイルハウスロック」が、
七部では、自身では全く動けず外部の状況を把握することも難しくなるが、あらゆる攻撃を無効化して反撃の機会を忍耐強く待つことが出来る「20thセンチュリーボーイ」が、「吊られた男」の暗示と言えるだろう。

335フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:39:34 ID:32ZaGZsg
611 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:19:01 ID:32ZaGZsg
タロットの13番目である「死神」は、停止、終末、破滅、清算、死の予兆、消滅、死屍累々、風前の灯火、死と再生、再出発、新展開、起死回生などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「デスサーティーン」も、眠りという一日の終わりと翌日の始まりの狭間を狙い、夢の世界の中では破壊も再生も自由自在だが、その本体は現実世界では全く無力な赤子という、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、憑依対象にただ破滅と死しかもたらさず、スタンド自身は別の肉体へと転移して再始動し、その本体はスタンドを産み出すだけで何も成せず終わってしまった「チープトリック」が、
六部では、まるで悪霊とでも表現すべき透明なゾンビを死体から作り出し、天国へ行く方法などという法外な儀式を再始動させた能力でもあり、その本体も社会に破滅をもたらすだけの犯罪者だった「リンプビズキット」が、
七部では、雨を空中に停止させることで攻撃を行い、あるいは自分自身の肉体をもバラバラにして再生させ、その本体は自分の死が決定してもなお最後まで戦い続けた「キャッチ・ザ・レインボー」が、「死神」の暗示と言えるだろう。

336フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:39:44 ID:32ZaGZsg
613 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:19:23 ID:32ZaGZsg
タロットの14番目である「節制」は、調和、自制、節度、献身、調整、中庸、倹約、浪費、消耗、生活の乱れなどを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「イエローテンパランス」も、生物を食らって強化していく暴食と浪費の権化ではあるが、養分を無駄なく活用する能力という見方も出来なくはないし、一方で本体はひたすら乱れた言動の下品な男という、まあ暗示通りの能力だった。
そして四部では、無数の群体が相互に協力して様々なものを運び、時にはゴミのように捨てられていたものを拾って再利用し、その本体は基本的に優しく素直ではあるが、金銭欲が絡むと困った一面を見せる「ハーヴェスト」が、
六部では、敢えて攻撃対象の召使いのように振る舞うことで相手の隙を付け狙い、周囲の生物や道具を上手く利用することで敵を溶かすという消耗戦を行い、その本体は元警官ながらも予言を信じて犯罪者となったというロクでもない「ヨーヨーマッ」が、
七部では、11人の男たちが節度を守り調和を保ち互いに互いを助けて戦いに臨むも、その本体の一人一人はただの殺し屋程度の力でしかなく、次々と仲間を消耗していくこととなった「タトゥーユー!」が、「節制」の暗示と言えるだろう。

337フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:39:58 ID:32ZaGZsg
614 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:19:37 ID:32ZaGZsg
タロットの15番目である「悪魔」は、暴力、錯乱、裏切り、堕落、束縛、誘惑、悪循環、嗜虐的、憎悪、嫉妬心、恨み、憤怒、覚醒などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「エボニーデビル」も、本体の恨みのエネルギーによって活動し、人形に宿って敵を不意討ちしたり、小型で非力なスタンドではあるが激しく嗜虐的な暴力を振るうという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、本体が罠を仕掛けたり言葉巧みに対象の心理を誘導したりして、相手の罪悪感を責め立てることで、その精神をスタンドで束縛しどんどん悪循環に陥らせる「ザ・ロック」が、
六部では、本体の深い憤怒や憎悪の心から覚醒し、あらゆる生物を原始的な姿へと堕落させる悪魔の虹を辺りに巡らせ、あるいは本体の悲しみを風雨に変えて荒れ狂わせる「ウェザーリポート」が、
七部では、バルーンアートという可愛らしい姿に反して激しく嗜虐的な暴力を振るうが、自動操縦のため敵に騙されて本体の望まぬ相手を攻撃してしまったこともある「チューブラーベルズ」が、「悪魔」の暗示と言えるだろう。
(参照:ウェザーリポートについて…>>4の最上段など)

338フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:40:10 ID:32ZaGZsg
615 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:19:58 ID:32ZaGZsg
タロットの16番目である「塔」は、事故、旅の中止、危険や失敗、崩壊、災害、悲劇、惨事、転落、緊迫、突然のアクシデント、天変地異などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「タワーオブグレー」も、人間の舌という急所を専門に狙うことで小型のスタンドでも的確に対象を殺害し、その本体はDIOの復活以前から何度も大事故を起こして火事場泥棒などを繰り返していたという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、小さな毒針により生物をドロドロに崩壊させるという凄惨な攻撃を行い、その本体たちは放置しておけばネズミ算式に殖えて大災害に繋がる恐れもあった、考えようによっては吉良よりも遥かに危険な「ラット」が、
六部では、全人類の宝であるはずの創作物たちを転用して無差別に世界中で事故や災難を巻き起こし、その本体は一応プッチ神父を守るという目的を掲げつつも、ほとんど社会への復讐のために暴走していた「ボヘミアンラプソディ」が、
七部では、小さな部品を抜くことで物体を凄惨に破壊し、その本体はネアポリス王国の国王暗殺を企むという、ヴァレンタイン大統領とは無関係だがこれはこれで大きな災難である「僕のリズムを聴いてくれ」が、「塔」の暗示と言えるだろう。

339フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:40:21 ID:32ZaGZsg
617 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:20:50 ID:32ZaGZsg
タロットの17番目である「星」は、希望、明るい前途、鋭い洞察力、ひらめき、霊感、願いの成就、失望、絶望、高望み、自信過剰、見損ない、現実逃避などを暗示するとされる。
ジョジョの作者である荒木氏は主人公の姓である「ジョースター」について、「スター」の部分は希望の星のような発想による命名であると語っており、
まさしく漫画の主人公というものは希望に満ちた存在だし、前途は明るく願いは叶うべきで、特に単純な力による解決を良しとしないジョジョの主人公ともなれば、ひらめきや洞察力は何より重要に違いない。
その一方で、あまりに過剰な表現をし過ぎれば、しょせん漫画の主人公などというものは空想の産物、高望みの現実逃避であると、読者を失望させることになりかねないという一面もある。
そしてそんな主人公たちのスタンドもまた、強く逞しい不屈の力で皆の希望となり、鋭い洞察力を活かせるような応用力を備え、時には新たな能力に成長して願いを叶えるような能力ばかりなのである。
そういうわけで、ジョジョ三部の「スタープラチナ」を始めとして、四部の「クレイジーダイヤモンド」、六部の「ストーンフリー」、七部の「タスク」と、三部以降の歴代主人公は全て「星」の暗示だとしておく。
(参照:主人公のスタンド能力の傾向…>>46の最上段)

340フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:40:32 ID:32ZaGZsg
618 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:21:02 ID:32ZaGZsg
タロットの18番目である「月」は、嘘や裏切り、水のトラブル、未知の世界への恐怖、不安定、幻惑、潜在的な危険、欺瞞、隠れた敵、失敗、過去からの脱却、徐々に好転、優れた直感、漠然とした希望などを暗示するとされる。
ジョジョ三部の「ダークブルームーン」も、水中という特殊環境での戦いを得意とし、その本体は恐らく元々鍛えられた水夫であり、巧みな変装で攻撃対象を騙そうとするも、自分自身も騙されて正体を暴かれるという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、不定形の液状スタンドを酒に化けさせて不意討ちしたり、様々な日常の水分に混ざり込んで攻撃を仕掛け、その本体は刑務所からの脱走後に町中へと隠れ潜みつつ、主人公の敵として忍び寄る「アクアネックレス」が、
六部では、天国という未知の世界へ辿りつくための途中の能力であり、その本体は己のスタンドが何を引き起こすか予測も付かない不安と危険の中で、それでも漠然とした希望を信じて過去からの脱却を目指す「C-MOON」が、
七部では、隠れた敵や潜む危険を鋭く見つけ出す能力を有するが、その本体は事情により敢えてこのスタンドを手放すという危険を冒すことで、その後に更なる技術へと成長することになる「ジャイロのスキャン能力」が、「月」の暗示と言えるだろう。
(参照:C-MOONについて…>>41の最上段)

341フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:40:43 ID:32ZaGZsg
619 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:21:14 ID:32ZaGZsg
タロットの19番目である「太陽」は、成功、誕生、祝福、満足、物質的な幸福、力の結合、恒常的、不調、衰退、流産、堕胎などを暗示するとされる。そしてこれらは現実の太陽そのもののことでもある。
太陽は地上に存在するあらゆる生命のエネルギー源であり、また同時に太陽の熱や渇きは地上に衰退をもたらす脅威にもなる。従って、本物の太陽と同然の姿と迫力であるジョジョ三部の「サン」もまた、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、奇妙な経緯により植物として誕生し、太陽の力を利用した光合成を用いて、地上に遍在する空気という物質を自在に操る能力を有し、最終的には気の合う飼い主を得て幸せにやっているらしい「ストレイキャット」が、
六部では、未知だが確かに存在する未確認生物と心を通わせることで、敵の体温を奪って不調をもたらし、その本体は精神の成長と祝福を求め、己の心を太陽神の名を冠する宇宙計画に譬えて戦い、最後には満足して斃れていった「スカイハイ」が、
七部では、ツェペリ家の鉄球技術とジョースター家の乗馬技術の結合の末に、世界に遍在する重力を支配し、攻撃対象に老化のように衰えさせるものの、結局は一度も完全な発動には至らなかった「ボールブレイカー」が、「太陽」の暗示と言えるだろう。

342フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:40:53 ID:32ZaGZsg
620 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:21:33 ID:32ZaGZsg
タロットの20番目である「審判」は、再生、復活、結果、改善、敗者復活、良い報せ・悪い報せ、悔恨、未練、停滞、執着、恐れ、行き詰まり、再起不能などを暗示するとされる。特に、聖書における最後の審判に例えられることも多い。
ジョジョ三部の「ジャッジメント」も、既に起こってしまった結果を認められない人間の悔恨や未練に付け込んで、死者の復活を装いつつ攻撃を行い、物理的な攻防よりも先に相手の心を戦闘不能にしてしまうという、これらの暗示通りの能力だった。
そして四部では、対象を紙の中に封印することで全く停滞した状態へと追いやるが、紙を開ければ誰でもそれを復活させることが可能であり、その本体は他者の恐れの心を審判することに執着していた「エニグマ」が、
六部では、既に起こった物事の結果を土の中から掘り返して再生させ、攻撃対象を行き詰まりへと追いやったり自身の情報収集に使ったりすることができ、その本体は自分自身の人生を復活させることに執着していた「アンダーワールド」が、
七部では、死者たちをゴミの中から再生したり、既に起こってしまった結果を認められない人間の悔恨や未練に付け込んで攻撃を行うことで、最終的には恐らく対象を全く停滞した再起不能の状態にしてしまうらしい能力であり、
更に効果範囲の中ならば本体は死の淵からも復活することが出来るものの、実は条件を満たせば誰でも同じく復活することが可能で、その本体は自分自身の人生を復活させることに執着していた「シビルウォー」が、「審判」の暗示と言えるだろう。

343フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:41:05 ID:32ZaGZsg
622 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:22:03 ID:32ZaGZsg
タロットの21番目である「世界」は、物事の完成、宇宙全体、成就、完全、総合、完遂、完璧、優勝、制覇、永遠不滅、堕落、未完成、臨界点、調和の崩壊などを暗示するとされる。
また最後のタロットでもあることから、これらの暗示は概ね漫画作品における最後の敵、いわゆるラスボスを指し示していると考えていいだろう。
漫画のラスボスというものは作中で最も強い野望を抱き、目的の成就のためなら既存の調和を崩壊させることも厭わず、邪悪であるとか強者であるとかどのような属性にしろ、どこかの面で完全な存在であるものだ。
その一方で、最後には主人公に敗北してそれらの野望は未完成に終わるのがお約束でもあるが、その場合そこでその物語は終わりとなるのが通例である。即ちラスボスとはその漫画作品を能動的に動かす、作品を総合した存在なのである。
またジョジョ三部以降の歴代ラスボスは、いずれも時間に関わる能力を有することで知られるが、これらの能力は全て、少なくとも時間を計る分には宇宙全体に関わる効果であり、一手に世界を支配する能力であると言える。
ジョジョには他に運勢を操作するとか予知を行うといった、運命そのものに関わる能力もあるが、時間を操る能力はそれらに比べて持続時間が短かったり発動条件が困難だったりする代わりに、能力の即効性や強制力は絶対的だという特徴がある。
そういうわけで、三部の「ザ・ワールド」を始めとして、四部の「キラークイーン」、六部の「メイド・イン・ヘブン」、七部の方の「ザ・ワールド」と、三部以降の歴代ラスボスは全て「世界」の暗示だとしておく。
なお、七部のラスボスは大統領かディエゴかという疑問をたまに聞くこともあるが、これは単に以前のラスボスが担っていた要素を七部では大統領とディエゴで分担しているというだけの話で、取り敢えずスタンドの暗示に関しては上記の通りとする。

344フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:41:27 ID:32ZaGZsg
624 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:23:11 ID:32ZaGZsg
ジョジョ三部に登場するスタンド能力の大部分は、タロット及び作中でタロットの起源とされるエジプト九栄神の暗示で説明されるが、数体ほど何の暗示も行われていないものが存在する。
これは作品的には、単にタロットや九栄神だけでは足りなかったという作者都合に過ぎないのだが、それでも敢えて暗示が無いことの暗示を無理矢理に解説してみることとする。
暗示が無いということの暗示は大きく分けて二つある。一つは、そのスタンドが作中で真っ当なスタンド能力として成立していないということだ。
つまり、能力の断片しか描かれていなかったり、暴走していて十全に機能している場面が無かったり、まともに名前も付けられていなかったりするもので、三部では「ホリィのスタンド」と「ジョナサンのスタンド」がこれに当たる。
そしてもう一つは、既存の世界の枠組みの外側を暗示するスタンドだ。三部の「ティナ―サックス」と「クリーム」は、暗示が無い割りに一つのスタンドとしてかなりハッキリとした描写があり、明らかに上記の二つとは異なる雰囲気がある。
これらのスタンドはタロットや九栄神とは無関係な名前や真っ当な能力が与えられた物語上初めてのスタンドたちであり、四部以降もタロットや九栄神という世界観とは無関係なスタンドが次々と現れることの前兆となっているのである。
また、それらのスタンド能力も、幻覚の光景を周囲に映し出すとか、本体以外の全ての存在を拒絶して粉微塵に破砕する暗黒空間であるとか、どことなく異世界感を抱かせるものだと言えなくもない。

345フェイク『男』:2017/06/14(水) 22:41:48 ID:32ZaGZsg
625 名前:フェイク『男』 投稿日:2017/06/14(水) 22:23:34 ID:32ZaGZsg
さて、私が説明したタロット解説の中にも(事情的に言えば数合わせのために)除外されたスタンドがいくつかあるので、それらも上述の暗示の無い暗示に当て嵌めておく。
四部では、次々と新しい能力を身につけ、Act1とAct2が音繋がりの発展形かと思いきやAct3で殴ったものを重くすると、もはや一つの能力とは言えなくなってしまった「エコーズ」、
本当にスタンド能力なのかも不明な、自称宇宙人の「アース・ウィンド・アンド・ファイヤー」、存在だけは言及されたがそれ以上の描写は一切無い「虹村一家の父親のスタンド」の三体。
六部では、スタンドのステータスはいずれも「なし」で、幽霊の世界という実在する異空間に関わる能力であり、スタンドというよりはそういう霊感能力の一種なのではないかとも思われる「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」、
同じく幽霊を扱う能力を持っていたとされる「エンポリオの母親のスタンド」、プッチ神父がFF対策として準備していたらしいということ以外は詳細不明の(実は意外と強そうな)「水を熱湯にするスタンド」、
全てのステータスが「?」で、連載当時は名前も付けられておらず、能力も正体不明の代物で、本体も天国という更なる世界に関わりがあるということ以外はほとんど何も判らない「グリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム」の四体である。

346フェイク『男』:2017/11/17(金) 22:44:09 ID:8CECwU1.
303 フェイク『男』2017/11/17(金) 22:38:55.56ID:WF/9nCFI
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その9…アトゥム神】
この「ジョジョの奇妙な冒険」という漫画作品には非常に多くの「元ネタ」がある。だが、その「元ネタ」となる作品群とて、無から突然に出現したわけではなく、更に「元ネタ」があるものだ。
そうして「元ネタ」をどんどん辿っていけば、いずれは「現実世界」に行き着く。即ち「現実世界」こそが唯一の「オリジナル」であり、人間の創作活動とは言わば全てが「二次創作」だ。
そして一般に「二次創作」には、原作に対する「愛」や「敬意」が重要だと考えられている。ならば、創作物にはまず「現実世界」への愛や敬意があって然るべきだろう。(無暗に現実を肯定しろというわけではないが)
(参照:「タスク」に見る創作の段階…ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/4971/1132500800/211)
さて、エジプト九栄神の一つ「アトゥム神」は似たような能力を持つ「オシリス神」より後に登場したスタンドであり、その本体も兄弟関係ながら、明らかに「アトゥム神」の方が「オシリス神」より便利な能力に見える。
これも言ってみれば「アトゥム神」は「オシリス神」の二次創作のようなものだ。「オシリス神」という「元ネタ」に更なる能力を上乗せしているのだから、機能的には「アトゥム神」の方が上で当然である。
だが作中の扱いはと言えば、「アトゥム神」の本体ダービー弟は明らかに兄よりも情けなく愚かな末路を迎えている。優れた技術や能力を持ちながら、その力に慢心し、単純なイカサマを見破ることが出来なかった。
それは「アトゥム神」が強すぎたからだ。「オシリス神」は純粋に本体の技術を頼りとする能力だったが、「アトゥム神」は追加で読心能力という、およそゲーム関係では無敵の能力を得てしまった。
だからその読心が通用しなくなった時に、己の地金が露呈してしまったのだ。それこそ、己の能力頼りではなく常に自身の技術を必要とする「オシリス神」のダービー兄ならば、こんなことにはならなかった。

347フェイク『男』:2017/11/17(金) 22:44:36 ID:8CECwU1.
304フェイク『男』2017/11/17(金) 22:40:31.02ID:WF/9nCFI
ダービー弟には兄の能力や技術に対する「敬意」が無かった。だから、己を律し戒める「敬虔さ」に欠け、DIOが言うところの「死んでもいいという覚悟」が出来ておらず、最終的な敗北に繋がったのだ。
(参照:技術を能力に進化させたスタンド…ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/4971/1132500800/106の二段目)
(参照:技術を補うためのスタンド…ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/4971/1132500800/137の上段)
ただし、ここで一つ注意しておくべきことがある。「アトゥム神」のダービー弟は確かに無様な敗北を迎えたが、我々は彼のような敗北者を見下すべきではないということだ。
作中、空条承太郎はダービー弟に対し「お前の兄貴ならこんなイカサマ難なく見破っていただろうな……」と兄と比べる発言をしてはいるものの、決してダービー弟を馬鹿にしてはいない。
もっとも、ダービー兄も最終的には承太郎に負けたのだから、兄を褒めすぎても自画自賛になるだけで格好悪いとも言えるのだが、それよりも、弱者を見下し軽んじる精神は「敬虔さ」に反する。
ダービー弟のような者を見下げる考え方そのものが、ダービー弟の敗因である兄への侮蔑と同類なのだ。たとえ出来の悪い「二次創作」でも、それもまた「現実世界」の生み出した文化の一部なのである。

348フェイク『男』:2017/11/18(土) 21:00:12 ID:Tl8qwHQc
310フェイク『男』2017/11/18(土) 20:58:41.63ID:WcUVgbYN
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その8…アヌビス神】
俗に「漫画の作者は自分より頭の良いキャラを描けない」と言われるが、バトル漫画においては「自分の描写力を超えた戦闘も描けない」と言い表すことも出来る。
これは特に「インフレバトル」と呼ばれる類の漫画作品に顕著であり、ジョジョの作者である荒木氏も折に触れて「インフレ」を避けるような発言を行っている。
さて、エジプト九栄神の一つ「アヌビス神」は、敵の攻撃を覚えてどんどん強くなっていくという、まさに「インフレバトル」そのままの能力を有していた。
しかし、最初のうちは活用していた「物体を透過する斬撃」は途中から使われなくなり、最終的にはマヌケなミスを繰り返して自滅することとなる。
しかも「物体を透過する」とか「他者を操る」とかこれまた色々とインフレ気味にくっついている能力の数々も、最後には上手く扱えずに失敗続きだった。
これはまさに「漫画家は自分の描写力を超えた戦闘を描けない」という制約そのものの姿だ。自分の描写力を超えた物事を無理に描き続けようとすれば、
そこには自然と見落としや間違いが生まれ続け、岡目八目の読者にはそんな漫画家の悪戦苦闘が「マヌケなミスの繰り返し」に見えてしまうのである。
ちなみに、この現象を作中の理屈に落とし込むならば、アヌビス神は「星の白金」の渾身のラッシュを覚え切ったところで「容量オーバー」となり、
スペック不足のパソコンが処理落ちするように、ミスを重ね続けてしまったというところだろうか。これもまたバトル漫画ではお約束の展開だ。

349フェイク『男』:2017/11/19(日) 22:50:04 ID:WNMTiR.U
319フェイク『男』2017/11/19(日) 22:48:10.39ID:YXmW551u
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その7…トト神】
「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、逆に小説(などの創作物)では事実ほど突拍子も無い出来事を次々と起こすことは出来ないとも言える。
現実に起こす出来事は全てが基本的に偶然の産物であり、もしも運命だとか神の采配だとかが存在するとしても我々にはとてもそれを実感できないのに対し、
創作物の中の出来事は全てが基本的に作者の産物であり、何らかの「意味」や「必然性」をもって世に送り出されることを期待されているからである。
(参照:創作物の中の偶然…>>139
さて、ジョジョという漫画には非常に魅力的な戦いがいくつも描かれているが、その多くは戦う双方が究極にまで力を出し尽くしているものだ。
力を出し切れないうちに不運にも負けてしまうとか、極端に言えば滑って転んだ隙に殺されたとか、隕石が落ちてきたり地割れに呑まれて死んだり、
そんなことも確率的には現実にありえる物事ではあるが、そういうのは漫画の作中ではまず起きない。あるとしても、その偶然にも何らかの作品的「意味付け」がされているものだ。
物語にはそれを語るだけの「意味」がある。だから漫画の登場人物、特にメインキャラクターともなれば、理不尽な偶然からは自然と守られることになるのである。
エジプト九栄神の一つ「トト神」は予知能力によって未来に起こる「偶然」をも味方につけ、毒や爆弾や狙撃といった割と「現実的」な手段を用いて主人公一行を攻撃したが、
その試みがことごとく失敗に終わったのも、上述の理由によるものである。そして作中でトト神の本体ボインゴは、主人公やラスボスたちは強運に守られていると考えている。
この強運に作中の理屈で理由を与えたものが、六部における「引力」という概念であろう。強い精神力の持ち主はその精神的な質量により、霊的な重力を生み出す。
そして重力によって引き寄せられた善いものを自身に取り込み、悪しきものをその強さで退けることで、強者は創作物の中の世界で合理的に強運を発揮するのである。

350フェイク『男』:2017/11/21(火) 23:55:41 ID:lm.hZfBc
329フェイク『男』2017/11/21(火) 23:51:03.90ID:ZeegSnTF
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その6…クヌム神】
まるで現実に則しない物語など無意味でつまらないものだが、どんな創作物でも現実性の追求には技術的・時間的に限度があり、どこかで線を引いて妥協せざるを得ない。
そして特にジョジョという漫画は、作中における複雑な出来事の簡略化や、単純な主題の誇張を強く押し出し、その外連味をむしろ一種の持ち味としている作風だと言える。
例えば、モブキャラが物語の中で重要な立ち位置になった途端に美形のメインキャラ風の顔になったり、逆に重要人物のように思われていた者がモブキャラだと判った途端に顔が適当な感じになったり、
金髪のキャラの髪の毛を緑色に塗ったり、広瀬康一の身長だとか、川尻洪作に化けた吉良吉影のドクロネクタイだとか、女から男になったアナスイだとか、大統領のダイエットだとか……この手の表現は枚挙に暇が無い。
ただ、これらは何の意味も無く受けを狙っているだけというわけではなく、どれも一応きちんとした表現意図があってのことであろう。目的が絞れているからこそ、表面上の見せかけではない創作が出来るものだ。
逆に言えば、作者が己の創作に迷いを抱いていると作品にもそれが表れるものである。個人的には、近年に荒木氏が手がけることの多い「今の絵柄で昔のキャラを描いた絵」の何とも言えない違和感について、
それは単に今と昔の画風の差だけでなく、その背後にある作風の変化が昔のキャラに対応しておらず、昔のキャラを描くことが表面上のことになってしまっているのではないかと思わなくもないのだが……。

351フェイク『男』:2017/11/21(火) 23:56:04 ID:lm.hZfBc
330フェイク『男』2017/11/21(火) 23:52:11.69ID:ZeegSnTF
さて、エジプト九栄神の一つ「クヌム神」のオインゴは作中で承太郎に化け、ジョセフとポルナレフを騙そうとするが、この時のオインゴは焦りや混乱で随分とマヌケな顔を晒している。
それこそ、承太郎と言えばジョジョの作中では崩れた顔やギャグ顔をほとんど見せることのないキャラクターだ。「トト神」の極めてシュールな画風の中ですら、承太郎は心持ち美形に描かれているようにすら見える。
そしてオインゴに応対するジョセフとポルナレフも、相手の不審な言動を少し怪しみつつも結局その正体を見破ることは無く、かなり不注意なように描かれている。これらもまた、漫画的な誇張表現であろう。
漫画の主人公たちは常に冷静で格好良いとは限らない。承太郎も見えないところでは口の中に煙草を入れる一発芸を披露したりするし、あれだけ顔の崩れたオインゴでも正体を見破られたりしない顔なのである。
(とはいえ、承太郎に化けたオインゴの方もギャグ描写のために「誇張」して過度なマヌケ面になっているのだろうから、果たして本当の承太郎がどの程度の顔立ちなのかは、ハッキリした言及が無い以上は断定できない)

352フェイク『男』:2017/11/23(木) 00:47:56 ID:eX5hMC8.
334フェイク『男』2017/11/23(木) 00:46:00.51ID:4cdpPyCu
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その5…セト神】
俗に「子供向けと子供騙しは違う」と言われるが、登場人物が現実的に殴り合うような作品ならまだしも、そもそも現実に存在しない超能力を用いた「能力バトル」というものは、どうすれば「子供騙し」ではなくなるだろうか。
荒木氏の作品はそれこそデビュー作「武装ポーカー」の頃から単純な力比べによる決着を良しとせず、力の上に更なる工夫を凝らす作風だったが、ジョジョ三部から登場した「スタンド」はその流れにおける一つの到達点である。
一部の例外を除き、スタンド使いは肉体的にはただの人間である。単なる銃や刃物の攻撃でも充分に致命的だし、荒木氏の好むホラーやサスペンスの文脈から、時にはハサミやカミソリといった凶器が猛威を振るうこともある。
そこに一つの発想が生まれる。もしも読者の自分がスタンドを使えるなら、果たして自分は作中のスタンド使いたちのように戦えるだろうか? 肉体的にはほとんど同じ人間なのに、まるで戦える気がしないのではないだろうか。
ジョジョの登場人物は敵も味方も皆が「知恵」を振り絞って戦っている。そして、単に言葉の上で理屈を捏ねているだけでなく、自分の命を懸けてその理屈を実証する精神力と迫力、即ち「凄味」がある。
スタンドという超能力は現実には存在しないが、スタンド使いが戦いの中で振るう「力押しだけではない知恵」や「理論を実践する凄味」は現実にも通用する強さであり、老若問わず楽しめる要素なのだ。
そして、エジプト九栄神の一つ「セト神」の本体アレッシーが、ほとんど無力なまでに若返らせたはずの相手に何度も敗北を喫したのも、彼の戦った相手が力押しだけでない強さを備えていたからだと言える。
二歳児相当にまで若返ったポルナレフは「知恵」を振るい、スタンドが使えない幼少期の承太郎は「凄味」を見せた。大人と子供の単純な力関係に頼るしかないアレッシーが敗北したのは必然だったというものだ。

353フェイク『男』:2017/11/23(木) 22:10:45 ID:eX5hMC8.
339フェイク『男』2017/11/23(木) 22:07:07.20ID:4cdpPyCu
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その4…バステト女神】
創作物において現実性は大事な要素の一つではあるが、諸々の事情で表現が「規制」されている現実も存在する。その中には、例えば政治、宗教、差別問題など、確かに娯楽目的の漫画で扱うには少々荷が重い部類も多い。
だがそこまで大仰な題材でなくとも、身近な存在の中にも描写の制限がありそうな分野がある。その一つが「女性」だ。いくら男女平等の世の中とはいえ、一方で男女の肉体的・性格的な差異は依然として認めざるを得ない。
少年漫画の男性主人公が、いくら敵であろうと「女性を殴る絵面」はそうそう描けないし、そもそも作者自身も男性ならば女性の行動や心情を描写するにも難しい。
ジョジョという漫画では「スタンド」という設定により、女性を敵として戦う場合も相手が女性だからと変に手加減することなく、直の殴り合いを避けることが出来ているが、
エジプト九栄神の一つ「バステト女神」の本体マライアの表現はその中でも特異である。作中、マライアは自身が勝利を確信した攻撃を戦闘相手に凌ぎ切られ、顔を歪めて激怒する場面があるが、
普通、美人の女性キャラともなれば、たとえ怒り狂ったり暴言を吐くような「変顔」とか「顔芸」の際も、相応の「絵になる」描写になるものだが、この時のマライアはどうしようもなく「醜い」としか言えない。
これもまた、色々と制限のある中でも女性を男性と対等に扱おうという描写の一環であると言えなくもない。とはいえ少々「醜すぎる」ようにも思うが、限られた範囲内での精一杯の表現と考えれば、それも仕方ない。
なお、ジョジョの作者である荒木氏は昔から女性を描くのが苦手だったそうだが、六部連載前にアメリカの刑務所を取材した際「女性と男性に違いは無い」という話を聞いたという。
「女性の中にも殺人犯もいれば強姦犯もいる」とのことで、それが六部の、あの何と言うか生き生きとした女性たちの描写に繋がっているのだが、マライアの変顔は言わばその出発点だったのかもしれない。

354フェイク『男』:2017/11/25(土) 00:07:20 ID:rVvn.Lqw
344フェイク『男』2017/11/25(土) 00:05:00.98ID:Oyc4BwjS
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その3…ゲブ神】
ジョジョの主題は「人間賛歌」であり、もう少し砕けて言えば「人間は素晴らしい」ということになるが、同時にジョジョの作中にはどうしようもない小悪党とか吐き気を催す悪人とかが山ほど登場する。
もちろん、悪人のいない世界で善人が善行をするだけでは「人間賛歌」としてあまりに弱いのだが、更によくよく見てみれば、そうした小悪党とか大悪人とかも妙に人間的で、ある種の魅力を感じさせるものだ。
それは恐らく単純な受け狙いというだけではなく、邪悪を打倒する「人間賛歌」だからこそ、否定すべき邪悪にも人格があり、人生があり、それなりの言い分があるということまで描かなくてはならないのであろう。
邪悪な人物だからといって何一つ良いところの無い、都合の良い悪党ばかりというのも、やはり薄っぺらい描写になってしまう。そういう、否定すべきものに対しても中立の視点を保つことが、創作には必要なのだ。
エジプト九栄神の一つ「ゲブ神」の本体ンドゥールが言う「悪には悪の救世主が必要」という台詞も、まさにそういった公平な観点を表すものである。
また、このンドゥールの描写辺りから、ジョジョの戦闘では敵側の主観視点で主人公たちとの戦いを描くという表現も増えてくる。これも公正さの一環だ。
ちなみにジョジョの作者である荒木氏によれば、この「人間賛歌」という主題はジョジョの最初の単行本の作者コメント欄に何か書かなければならないという必要に応じてとっさに思いついた言葉であり、
その後も、主に作者が作品の方向性について迷子にならないように、という目的で設定されているとのことだ。これくらいの冷静さの方が中立の視点は保ちやすいのかもしれない。

355フェイク『男』:2017/11/26(日) 01:19:45 ID:G5xBNn6o
351フェイク『男』2017/11/26(日) 01:17:42.36ID:iLbqTn4g
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その2…ホルス神】
「公正世界仮説」という概念がある。この大宇宙には善と悪のバランスを保とうとする力が存在し、善悪全ての行いは最終的に然るべき扱いを受けるという考え方だ。
これは例えば、正義は勝つ、悪行には罰が当たる、成功した者はみんな努力している、情けは人の為ならず、など人間の倫理道徳において有益な理念へと繋がることもあれば、
一方で、犯罪の被害者にも落ち度はある、いじめはいじめられる方も悪い、誰々が苦しんでいるのは前世の罪によるものだ、など偶然のはずの出来事に対し被害者を非難する発想にもなりがちである。
こうやって冷静に見てみれば、どうにも都合の良い世界観であるというか、現実の世界はあくまで偶然の産物であり、そこまで人間の目線で辻褄が合っているものではなさそうだとも思えるのだが、
とはいえ上述の言葉の、何というか甘美さを考慮すると、少なくとも人間の心理としては、こうした願望もあることは否定できない。誰だって、自分の運命が全て偶然だと思うよりは、自分の心や努力が報われたいものだ。
そして現実のような偶然ではなく、作者の意思が全てを決定する(と思われている)創作物の中の世界に対しては、この「公正世界」は仮説ではなく事実であることを求められやすい。
漫画の中では本当に正義が勝つものである。あるいはダークヒーローが主役の悪行物語だとしても、例えば弱肉強食であるとか、善行だけでは世の中やっていけないというような概念が、その作品内の正義となっているものだ。

356フェイク『男』:2017/11/26(日) 01:20:06 ID:G5xBNn6o
352フェイク『男』2017/11/26(日) 01:18:11.45ID:iLbqTn4g
さて、エジプト九栄神の一つ「ホルス神」の本体ペットショップは、善悪という概念とは無関係な動物である。動物の世界は弱肉強食であり、彼(?)が主人に従って殺戮を繰り返していたことも邪悪とは言えない。
そしてこのペットショップと死闘を繰り広げた「ザ・フール」のイギーもまた、別段に善の存在ではない。「犬好きの子供は見捨てておけない」という彼の思考は善行らしくも見えるが、人間の善に従っているとは言えない。
片や命令に従うだけのペットであり、片や善も悪も気の向くままに生きる野良犬に過ぎないのだ。また心なしか、氷の能力に砂の能力と、双方のスタンド能力も何だか空虚さや無味乾燥さを暗示していると思わなくもない。
この動物同士の戦いは一応ながらイギーが勝利を収めたが、彼とて戦闘後は川底で溺死を待つばかりであり、実質的には引き分けも同然だった。それを助けたのは、イギーが善行らしい振る舞いで救った「犬好きの子供」である。
即ちジョジョという作品の世界観もまた、「情けは人の為ならず」という言葉が真に実行される「公正世界」であるがために、イギーは生き延びペットショップは死んだままなのだ。

357フェイク『男』:2017/11/26(日) 22:50:56 ID:G5xBNn6o
356フェイク『男』2017/11/26(日) 22:48:59.48ID:iLbqTn4g
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その1…オシリス神】
私はこの前置きで様々な考察というか妄想の類を捏ね回しているのだが、エンターテイメントを目的とする漫画作品の場合、読者の納得は理屈よりも感情に拠るところが大きい。
特に週刊少年漫画というものは、「荒木飛呂彦の漫画術」などにも記されている通り、少しでも面白くなかったら読み飛ばされてしまう恐れのある媒体であり、読者を考えさせている暇は無い。
ジョジョという漫画では多くの理屈っぽい説明が成され、これがまた私のような理屈のために理屈を捏ねるのが好きな部類の読者を呼び寄せたりもするのだが、
漫画作中の理屈はそもそも全て読者をまず感情面から納得させるためのものであるのが基本だし、商業作品としての娯楽漫画なのだから出来るだけそうあるべきだ。
中にはごく一部、作者のこだわりを優先して読者への説明が不足している設定もあるにはあるが(「光速を超えたら時が止まる」など)ジョジョの理屈の大部分は、あれで最小限の説明なのである。
さて、エジプト九栄神の一つ「オシリス神」は、その本体の弟のスタンド「アトゥム神」と並び、「賭けというのは人間の魂を肉体から出やすくする」「敗北を認めた瞬間、魂のエネルギーは限りなく0に近くなる」と、
スタンドの個々の能力について込み入った原理が説明されているが、これもまた「何故彼らをゲームで負かせば奪われた魂が戻ってくるのか」とか「何故兄弟というだけでこれほど似た能力なのか」とか、
「そもそも何でバトルじゃなくてゲームなんてしてるのか」といった疑問や違和感に対し、充分な納得感を与えるため必要な説明だったと言える。
思い返せば荒木氏のデビュー作である「武装ポーカー」も賭け事の話だったし、以降もこのようなゲーム系のスタンド能力は時折に登場することから、ジョジョにとってゲーム系の能力は相性が良かったのだろう。

358フェイク『男』:2017/11/26(日) 22:51:23 ID:G5xBNn6o
357フェイク『男』2017/11/26(日) 22:49:45.02ID:iLbqTn4g
余談だが「オシリス神」の能力の疑問として、承太郎が書いた「花京院の魂を賭けるという証文」は本当に有効なのか、というものがあるが、これはどうとでも解釈できる。
例えば「アトゥム神」が承太郎の攻撃を先読みして手首にスタンドの一部を憑りつかせたのと同じくらいには花京院の精神の隙を付けるのではないかとか、
あるいは「アトゥム神」とは違い「オシリス神」なら本当にあれだけで花京院の魂を奪うことができ、これこそが「オシリス神」独自の強みであるとか、
もちろんあれは完全にただのハッタリであり、そんな方法で重圧をかけてくるのも「オシリス神」本体ダービー兄の技術の巧みさだという考え方もありだろう。
どう考えたってそれなりに納得がいくことだし、むしろ種明かししないことも雰囲気作りの一環であることから、わざわざ作中で説明の時間を取ってまで解説することはなかったのだろう。

359名無しさん:2018/10/09(火) 22:58:10 ID:bwHCI11c
524 フェイク『男』投稿日:2018/09/16(日) 22:35:30.75 ID:omrikIsc
ジョジョ六部の登場人物エルメェス・コステロのいわゆる「名言」として、「復讐とは自分の運命への決着をつけるためにある」という台詞が広く知られているそうだが、この台詞を成立させるためにはいくつかの前提条件がある。
これはジョジョ三部の方の復讐者であるポルナレフなどにも共通するのだが、まず復讐対象は冤罪や更生の可能性が一切なく、誰がどう見ても死んで償うべき人間の屑であることが望ましい。また復讐に他者を巻き込むような方法を取ることも避けるべきだ。
そして何より重要なのは、復讐を果たしたとしても本当に「自分の運命への決着」を付けられるかどうかだ。ジョジョの登場人物は誰も彼も強靭な(悪く言えば「漫画的」な)精神力を誇り、だからこそ憎むべき敵を倒してそれで終わりにすることができる。
だがジョジョという漫画以外の状況では、人間は得てしてそれほど強くなく(良く言えば「現実的」であり)復讐を果たしても心が納得しないとか、直接の復讐対象以外にも憎しみを広げたりとか、エルメェスの台詞では解決できない状況になることもある。
そうなると、エルメェスが否定した「復讐なんかをして失った者が戻るわけではない」とか「許す事が大切」という言葉にも一定の意味が生じる。そういう言葉で心が揺らぐ人間は元より復讐などすべきではないということだ。
ちなみに、復讐の場面ではないがジョジョ七部には「心が迷ったなら、撃つのはやめなさい」という台詞も存在する。このような言葉も併せて考えたいところだ。

360フェイク『男』:2018/10/09(火) 22:58:48 ID:bwHCI11c
534 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/17(月) 23:57:29.03 ID:C5i68sXW
「勇者と泥棒の話、1」
ジョジョとは全く無関係な話になるのだが、「ドラゴンクエスト」を始めとするコンピューターRPGの主人公である勇者には、しばしば民家のタンスや壺からアイテムを無断借用する、つまり盗みを働いているかのような行動を取らせることができる。
果たして、あの勇者の行いは本当に泥棒なのだろうか。例えば、本当は町の人たちとの色々な会話の結果アイテムを譲り受けているところを、要領の都合でそういった諸々を省略しているだけだという解釈を行う者も古くから存在している。
だが、その作品の中で本当にその行為が盗みとして扱われる場合もある。そうすると、それ以外の場所で行った「盗み」は、本当に泥棒行為なのか、それともそれ以外の場所では穏便にアイテムを譲ってもらっているだけなのか、判別が難しくなる。
それに、パロディ的なギャグとして勇者が泥棒であることを殊更に強調した表現もかつては多々見られたものだ。ここまで来ると、例えば解釈はプレイヤー次第という穏当な思考法では片付かないようにすら思える。
私見としては、あれは単に町中の探検や宝探しの楽しみを味わうためのギミックであり、そもそもそういった現実的な視点から見るべきものではない、と考えているのだが、ここで一つ、別の考え方をしてみたい。

361フェイク『男』:2018/10/09(火) 22:59:02 ID:bwHCI11c
535 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/18(火) 00:02:25.50 ID:EealCGv+
「勇者と泥棒の話、2」
ドラゴンクエストの一作目は、プレイヤーの操る勇者が王城から旅立つ場面より始まる。その王城には鍵の掛かった扉の向こうに宝物庫らしき部屋があり、いくつもの宝箱が置かれている。宝の番人のような兵士もいる。
だが、その扉を開けることができるのはゲーム開始からずっと後の話だ。その王城はゲームの開始時と終了時に必ず立ち寄らなければならないので、プレイヤーはいつもその宝箱を横目にゲームを進めることになる。
果たしてあの宝箱の中には何が入っているのか。泥棒したいかどうかはともかくとして、プレイヤーは気になるはずだ。
ところで、このゲームではラスボスを倒して世界に平和を取り戻すために必要なアイテムの一つとして「太陽の石」というものがある。そして「太陽の石」は王城のどこかにあるというヒントが手に入る。
するとプレイヤーとしては、あの宝物庫の宝箱を確認せざるを得ない。本当はその宝物庫に「太陽の石」は無いのだが、初見のプレイヤーにそれは分からないからだ。(なお「太陽の石」は王城内の別の場所で、盗むのではなく譲ってもらえる)
また、宝物庫の宝の番人に話しかけると「真の勇者なら盗みなどせぬはずだ」と、まさにこれから盗みを働く、あるいは既に盗みを働いた後の勇者を咎めるような台詞を言う。とはいえ、咎める以上のことはしてこない。
このゲームは昔の作品なのでとにかく容量が少ないのだが、それでも勇者が呪われた装備を付けていると王城から追い出される、などという細かいイベントまで実装されている。そんな中、勇者が盗みを働いたことに対する罰は無い。
それはもちろん、この一連の流れは言わばゲームの開発者がプレイヤーを騙しているようなものだからということもある。ヒントに従って素直にゲームを進めていたら泥棒扱いされて、しかも罰まで受けるなんて酷すぎる話だろう。
だが、私の解釈としてはそれだけではない。あの宝の番人は間違ったことを言っている。真の勇者なら、盗みを働いたという誤解を招いてでも、やらなければならないこともあるのだ。

362フェイク『男』:2018/10/09(火) 22:59:27 ID:bwHCI11c
551 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/18(火) 23:34:51.95 ID:EealCGv+
ジョジョ二部に登場する柱の男カーズは、シュトロハイムの放った重機関砲の弾丸を「輝彩滑刀の流法」にて切り裂いてみせたが、それを目撃したシュトロハイムもジョセフも、また漫画のナレーションすらも、ただその刃の切れ味を強調するばかりだった。
これはおかしな話であり、そもそも自身に向けて一分間に六百発発射される弾丸を切断して防御するという圧倒的な運動の速度が全く無視されてしまっている。ジョセフに至っては、カーズの突きや蹴りなど普通の攻撃なら波紋で防御できるとすら言っている。
ジョジョ一部ではスピードワゴンが吸血鬼ディオの動きを「動きの速さは動物の豹程度」「ツェペリさんの波紋法を身につけたジョースターさんなら見切ることは可能」と言及していた頃からすると、非現実的なほどのインフレ具合だ。
現実的な話をすれば、この辺りのカーズの異常な描写は「今の人間の科学では奴には勝てん」というシュトロハイムの台詞通り、柱の男は科学力では倒せない、やはり波紋法しかない、という作中設定を改めて提示するためのものでしかないのだろう。
(そもそも死んだはずのシュトロハイムが機械化して生き返ったのも、そんな非現実的な科学力ですら柱の男には敵わない、という設定を強調するためのものと言えなくもない)
ただまあ、無理矢理にでも作中内の理屈で説明を付けるなら、カーズの「輝彩滑刀の流法」は単に刃を高速回転させて切断力を高めるだけでなく、実はカーズ自身の肉体の運動速度を一時的に向上させるという働きもあり、
そんなとてつもない運動速度でもジョセフならお得意の先読みで攻撃を予測しつつ波紋防御すれば、普通の攻撃なら何とかなると考えた……といったところか。
(一応三部以降でも、「灰の塔」戦、「吊られた男」戦、「メイド・イン・ヘブン」戦など、圧倒的なスピードを持つ相手に先読みで攻撃を当てる描写は散見される)

363フェイク『男』:2018/10/09(火) 22:59:37 ID:bwHCI11c
574 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/20(木) 23:26:42.32 ID:JZNOPwsS
ジョジョ八部ジョジョリオンに登場する東方鳩の「ウォーキングハート」は、最大4mほど踵を伸ばすという……何と言うか、あまりにもシンプルな能力だ。シンプルすぎて何だか心配になるくらいだ。
だが壁に踵を突き刺し、本体ごと壁を歩いて登るという発想は結構面白い。この手の近距離パワー型スタンドは、例えば本体を担いで走るといった移動はなかなか行わないもので、
スタンド能力を用いて本体ごと移動する場合は、スタンドのパワーだけで力尽くに行うよりも、やはり能力を絡めて行うのがやりやすいのだろうと思われる。
この「ウォーキングハート」も、他にも踵を急激に伸ばし、ジャンピングシューズの要領で本体ごと大きく跳躍するとか、そういう本体ごとアクロバットな戦いを行うのが意外と有用な能力なのかもしれない。


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