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仏教大学講座講義集に学ぶ     【御義口伝講義】

74美髯公:2013/09/12(木) 22:45:59

 そこで大聖人は「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は悉く舎利弗なり、舎利弗は即釈迦如来釈迦如来は即法華経法華経は即我等が色心の二法なり」と
 断じておられる。今、日蓮大聖人及びその門下たる我々が南無妙法蓮華経と唱え奉る時、我々は即舎利弗となり、舎利弗が仏に向かって合掌向仏したように、
 大御本尊に向かい奉って、妙法蓮華経そのものになるわけである。それ故にこそ「仍て身子此の品の時聞此法音と領解せり、聞とは名字即法音とは諸法の
 音なり諸法の音とは妙法なり、爰を以て文句に釈する時長風息むこと靡しと長風とは法界の音声なり」と述べられるのである。舎利弗がこの譬喩品において、
 「此の法音を聞く」とあるのは、開三顕一の法を聞いて初めて領解したのであるが、それは実は我等一切衆生の領解でもあったわけである。
 そこで「聞く」とは名字即となるのである。つまり、妙法蓮華経の名字を聞くが故に名字即となる。

 もとより「聞く」とは、単に聞くという意味ではなく、日寛上人の「三重秘伝抄」に「能く聴くとは是れ信受の義なり」とあるように「信受」の意である。
 智慧第一といわれた舎利弗も結局、文底下種の事行の一念三千の南無妙法蓮華経を信受する事によって悟諦を得たのである。また「法音」とは諸法の音であり、
 諸法の音とは妙法なのである。この事を、法華文句には、「長風息むこと靡し」と記されている。ここにいう「長風」とは法界の音声であり、それが常住で
 あって止むことがない。その音声を、信解品においては「仏道の声を以て一切をして聞かしむべし」と展開している。大聖人は、この信解品の文を引用されて
 「一切とは法界の衆生の事なり此の音声とは南無妙法蓮華経なり」と結論づけられているのである。宇宙の森羅万象の悉くの当体の背後には、仏界という
 至上の生命が息づいている。その仏界を湧現させる力が妙法であり、その音声が南無妙法蓮華経なのである。
 
 まさに、大宇宙に妙法の 「長風息むこと靡し」である。また、有情・非情を問わず、森羅三千の当体は妙法そのものであると決定した時に、日蓮大聖人の
 生命哲学は大回転を始めたのであり、同時に我々創価学会の実践の原点もそこにある。かくして人間革命という、一個の人間に光を当てつつ一切衆生を
 空際しゆく未曾有の宗教運動が、全世界の広がりの中で展開されているのである。我が創価学会の長風も、永遠に止む事がないと確信する。


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