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阿含宗退会者&退会を考えている方スレ №1

173天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/05/07(月) 09:05:23 ID:TiNfAJD60
>>166 通りすがりの者さんの見地には私も同感や見方の面でいい議論や考察に
なるのでしばし「退会」というのより離れますが、深く考えを述べたり語って
行きたいと思います。

「教団の祭壇(内陣)には、いつもはいない。が正しいのだろうか?
僧侶が密教の様式でお護摩を焚いた時だけいる?
御宝塔で拝んだとき、神仏の世界に届いている?
この辺のレベルだと判断がつきません。」

ここは良い考察ですね。私も最初そのように考えた時期が有りました。
ですが、漠然と考えるとやはりわからない。なので私はこのように考えました。

まず、ここから見て行きましょうか。
「教団の祭壇(内陣)には、いつもはいない。が正しいのだろうか?」
「僧侶が密教の様式でお護摩を焚いた時だけいる?」

二行目では護摩を焚いたり法要などをする際に祈祷形式で所作を行うわけです。
所作は伝法などで習うように内容は「勧請」ということがわかります。
真如の世界、つまり神仏の居られる世界から神仏を召還する。
そしてその神仏(本尊)にご供養をして祈願をかなえてもらうというのが
主な内容です。
もちろん所作の最後には本尊のおわす世界へお帰りになってもらうわけです。

そうなると内陣には「いつも神仏が居ない」ということになります。
しかし、それはあまりにも「単純すぎる観察」になってしまいます。

なぜなら内陣には「いつも神仏(本尊)が居られて祀られている」が基本です。
普段は真如の世界に居て何かの勧請をしないと不在、ではあまりにも道場の内陣が
別荘のようになってしまわれる。道場の内陣は本尊の「別荘」ではないのですからね。

またご存知のように数々の供物があげられている。これはただの飾りなのか?
そう言う問題も出てきます。存在(滞在)してないのなら供える必要など無くなります。
供物の面でも矛盾が出ないためには、やはり本尊がおわす場所でないと意味がない。

次に実際内陣のお役をされている方はわかりますが、内陣に出入りするにはかなり
厳しいルールがあります。
あのようなルールを行うのは一番の理由は「不浄を抱えた人間がお役とはいえ、
清めてから内陣に入るのでなけれ本尊に失礼に当たる」というのと、「清浄なる存在の本尊様
の居る場所を掃除し御供養せしめるに於いては不浄を緩和する所作を行ってからお役に当たる」
という決まりがあるからわざわざ面倒くさい所作を行ってから内陣のお役をするのです。

本尊が居ないところであれば、そういう所作など必要でしょうか?
地方道場であれば仏舎利か本尊(仏舎利とは別な本尊)がありますから全く何も居ない
ということはありえません。手袋をつけマスクをつけて作務衣を着衣して行うのです
から仰々しく行うのは「がらんどうな内陣」に対しての姿勢ではないのはわかります。

またある程度の道場になれば仏舎利があり、スサノオの神棚も有ったりします。
そうなれば尚更内陣に「何も居ない」ということにはなりません。

つまり阿含宗では内陣には「いつも本尊その他の諸尊が居られる」ということになります。


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