したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

阿含宗退会者&退会を考えている方スレ №1

157天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/05/05(土) 05:52:54 ID:MYKZiiDo0
おそらく管長が言う図式なら観音慈恵会時代や阿含宗になって間もない頃は「神仏が居た」としても
それからまもなく神仏はおそらく霊界へ帰るのではないか?と思いますね。
私の考察では「観音慈恵会」の時代にも居なかったとは思いますが、そこを緩和して考えても
阿含宗というものを立ててそこにシフトした観音慈恵会だったが、その頃に神仏が居てもそれから
後に教団がでかくなって教祖もそれのせいで「ワル」になったとは思えないがワルになってしまい
それから神仏が「あ、こいつ」と思って霊界へお帰りになった、というのが私は推測でも見える。

というか、神仏が自分を紹介するのに一旦は「降りてきて」その後桐山靖雄の悪事に呆れて霊界へ
帰える、というのも変な話です。
神仏は偉大なる神通力の持ち主です。人っ子の心や先まで読めないはずは無い。
桐山靖雄の心などすぐに見通せたはずです。だから私は最初から「降りてきてない」
つまり観音慈恵会の時代、つまり最初から「神仏は居なかった」という推測論が自分にはあります。

そして次にこれも「仮」なのですが、例えば神仏が霊界に帰らないで居る、という説を立てます。
ですが、これも無理が生じます。

桐山靖雄がどんな悪党でも最初は真摯で綺麗な人間だった(笑)
だから感応して降りてきた。そして観音慈恵会及び阿含宗の「本尊」となった、としましょう。
そして途中桐山靖雄がワルになってロクでもないやつに変わっちゃった。
だが、それでも心の良い(清い)信者を見放しにはできず「鎮座されている」としましょう。

ならばどうして神仏の加護や効験が無いのでしょうか?
命がけで損得無しで一生懸命信仰すれば道は開ける、救われるから信仰の甲斐があるのではないか。
また管長は「あれこれ講釈よりも現実に形で見せるのが一番なのだ。法こそがすべてだ」といい、
説教などで人は救われない。黙ってアジャリは法で説く、ということで現実に成果で答えを出す
のが「本当の法がある証拠」であり、「本当の力の有る宗教」なのだということを言っています。

しかし、これも「実際に出来てなんぼ」です。実際に出来なければ説教だけの輩と変わらない。
講釈だけ、建前だけ、口だけ、理屈だけ、看板だけ立派で中身が無いというのではないか。
実際阿含宗はそのようになっているという現実を私は嫌というほど見せられたのです。


私は管長の言うことの整合性が低いと欺瞞を知らない時期から感じ始めていました。
ただ、当時は検証する・考察するということをほとんど知りませんから訝しく感じてもそれ以上の
何かは無かった。なので私は胡散臭い管長よりも「神仏に救いを求めた」訳です。

ですが、この肝心の神仏何の反応も無いんですネエ。
いるんだかいないんだかわからない、まるで空気のような存在でしてね。随分変だと思った。
応供の仏というのに全然応えてくれない。何の反応も無いのです。

それはそうですよね。仏舎利は偽物。また釈尊の言葉には「我に依存するな。舎利を拝んでも何も無いぞ」
という言葉を残しているなんて後で気づいた。
また密教では如何様な変化などで様々な本尊が居るが、あんなことは釈尊は説いてないというし、
実際基本である「拝んでも何も無い」というのが一番の証拠です。

阿含宗は密教という後期大乗の作り物に乗っかって詐欺を行っているのですから本尊など居ません。
居るように方便を使い嘘をついているだけです。
だから欺瞞を知らない私は一生懸命居るはずの無い内陣や本尊めがけて「祈っていた」
また「ご供養するんだ」と一生懸命身体も金も「費やした」

本当に神仏が居るならどうしてこのような不整合が起きるのか。
また私だけではない。法友も非常に苦しんでいた。お金が無い。仕事が無い。病気だ。様々な事項で
苦しんでいて助けて欲しくて管長の指導に従い泣きながら修行をしていた。

それを「何知らぬ顔で無視する」のが阿含宗の神仏なら私は「要らない」と思った。
管長も当てに成らない。神仏も当てにならない。ああ、後は「成仏法」しかないと思った。
これが私の経緯です。(成仏法については後述します)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板