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俺の記録庫
482
:
考える名無しさん
:2017/09/10(日) 11:07:37 ID:EZoAuYak0
飯を食っている最中に、更なる思考が捗るな、最近。
半年くらい前は睡眠中の夢の中での思考の展開が著しかったのに比べ、それの発生する場面が移り変わっている。
創造性のエッセンスである「論理の飛躍」と、ダブルバインド的な(統合失調症的世界観を形成してしまう)「ゆがんだ思考」はどう違うのか。
誤謬の有無・種類で区別できるのか?
そうじゃない、というのをまず最初から直感的にわかっている。
論理はあくまで理解のための最根底の指紋であり、
論理が展開される主張は、論理よりも抽象的な層に、その本体を持っている。
その本体の形が真っ直ぐ繋がっているか、途切れたりちぎれたりしているのか、という部分を我々は論理以外の理解力で読み取っている。
茂木氏文脈と平行していた頃の語彙で言うのならば「志向性」というのが、その論理よりも上の階層において、その「アイデア」の形、進む方向を、形式上はベルトルとして認識する、みたいなになっている。
人工知能が人間を教育するようになる未来を考える上で、そのAIはどの程度論理的であるべきか。
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