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俺の記録庫
3219
:
考える名無しさん
:2018/08/03(金) 06:56:42 ID:LZYQuCo60
ニーチェを絡めてすら語る「一般人と非商業の芸術」についてだが、
美術・音楽の芸術のクリエイティブプロセスにおいて、どうしても病的に「お金への換算」「購入者の確保」「収入の主体化」を軸に持ってくる人がいて、
それは芸術じゃない。経営者が芸術の真似事をしてるだけ、と言いたいのが強い。
「非商業の芸術」、と「芸術」を「商業側」にも存在を許している語の定義の仕方からも明らかだが、
ビジネスが、「芸術」を「商業の商い品」と見做して取り扱い始めた、という「時代・社会の流れ」を指摘し、そのポイントを周知させるために静止画として切り取っている、という面がある。
「一般人」が、「芸術」を根本から勘違いして、その表層だけをそれと思い込み、
ビジネスとして、芸術創作プロセスを展開するが、
そのプロセスは、芸術の創作プロセスではなく、ビジネス企画のプロセスであり、
芸術が芸術である面がごっぞり失われている。
まさにツァラトゥストラの現代の者の姿。
商業音楽・商業美術だけを芸術と勘違いして生きてくると「芸術が訴えかけるもの」に対して、その商業品の持つ「何も無さ」を「当たり前」と勘違いして、それ以降、修正が利かなくなるのかもしれない。
少なくとも、「芸術」よりは「ビジネス」をやりたい人だな、ということは、その姿勢から確定する。
その人の場合、「人生」が「ビジネス」という枠の「中」にある。
ここまでの分析の指摘が、過去ツイートで幾度とビジネスという語で人の生き方を書いていた部分にあたる。
ボードゲームの「人生ゲーム」の持つパラメータ、ということじゃなくて。
現実に、人生を「人生ゲーム」している人ということ。
芸術要素を売りにしてビジネスをする、のなら、ビジネス論として展開すべきだろう。
それを芸術のクリエイティブプロセス論として展開するのは、
己が取り扱っている部材の帰属元に関して無知であるか、芸術をビジネス的価値観で書き換えようという支配的な欲望の持ち主であるか、と推察は進む。
この部分の混同を回避するために、
商業分野で身を潜めて、アートの個人的な実験をするには、芸大レベルに入るような素質がある人でないといけない。と前に書いた。
あくまで、ビジネスや、「業界へ入りたい!」という自己のステートメントから外れてしまう価値観に飲み込まれないように、の意味で。
ビジネスとして商業美術・音楽をやりたいなら、学歴不問で、業界に弟子入りしてりゃあいいじゃないか、という単純な話。
そこに「自己」はなく、自己が育まれる機会もなく、その後、アートからは遠ざかるだけの道なのだから
こそ
アートの強力な土台を持った人でないと、潜入「実験」はできない、と。
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