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俺の記録庫

2134考える名無しさん:2018/02/12(月) 23:43:40 ID:hWzIBjVE0
アニメが集団作業である別の理由が見えてきた。

例えば、キャラが走るシーン。なぜかキャラが訳わかんない転び方をしそうになって持ち返す、とかいう描写が入る。
こういう主題から脱線する過剰演出いらん、と俺は思うのだが

アニメ適性の人達は、「常に脱線する散漫とした視線」で生きている可能性

アニメのひとりひとりが、「視界に入るものにことごとく脱線していく焦点深度」で存在している場合、この「空気中にただただ漂っているだけ」みたいな人達を束にまとめて志向性を付けて(進行方向を定めて)ようやくはじめてアニメ作品という大がかりな仕事が完遂できる。大勢の人達の力あって初めて。


>こういう主題から脱線する過剰演出いらん、
ここから、逆になぜ俺は無駄を省いた描写だけで十分と考えるのか?を解く。
いわゆるアイキャンディを頻繁に挟むことで視聴者の注意を引く、という手法は理解しているけれど、俺としては、キャラの心情読解や話中の理論・法則の与える知的刺激だけで十分に

俺としては、キャラの心情読解や話中の理論・法則の与える知的刺激だけで十分に作品の世界観を掴み続けるだけの集中力を維持できる、と考えるので、

だが俺の状態を基準化するするつもりはなく、しかしならば、アイキャンディを散りばめるとは、より読解力低めの層にピントを合わせる形となるか、と。


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