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俺の記録庫
1803
:
考える名無しさん
:2017/12/30(土) 08:28:01 ID:pqXCoiXk0
ブグローの言う「印象派の連中が描いた下書き以下のシロモノ」が「形状として完成に至らない隙間」を持つために、ブグローは美として認めなかった、
と印象/形状の解析の観点から。
ブグローは何を求め、何をアートと思っていたのか。
時代の流れで相対化される基準・常識を個人の信条として考える。
俺は既に、
(現代において)「形状として完成に至らない隙間」こそがアートらしさとしての存在意義を持つ、
(同時に、その「至らない隙間」は完成された印象であり、作品の持つ印象・雰囲気は画家個人の画力ではなく人間的大きさという制限範囲内に固定される)
と書いている。
ブグローのストイックさ、エリート達が見る「究極」は、概して言えば「理論値に近づける」。
「印象/形状」の2分割で言えば、形状側のイデアを、エンテレケイアとして具現させる、ということになる。
今書いたことは、実現は不可能である。アリストテレスの定義からしても。
けれど、そこにある希望。
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