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俺の記録庫
1058
:
考える名無しさん
:2017/10/16(月) 02:51:50 ID:ZZVKU.B.0
自分の人生(今のところ)は、「如何に自分の父親(に対して俺自身が持っている批判的な部分)らしさをなくした個体となるか」である、というような自己分析ができた。
これが社会的な停滞の理由でもあるし、また、人間らしさを欠く理由にもなっている。
例えば俺は「他人に八つ当たりしない」。
この性質は、「俺の親父が人に八つ当たりする人間である」ということであり、その性質について俺が批判的・反面教師として「そうはならないように生きる」と無意識直後のあらゆる活動の前提姿勢としているからであり、
しかし、
父親の持つ悪い部分を全部削ぎ落とすと、伸ばしにくい部分も生まれる。
「如何に他人に取り入って、その他人を踏み台にして名を挙げるか」みたいなことで、この世の中の社会的地位は人々によって獲得されている。
現在までの俺は、「これ」を行わない、という縛りプレイをしてきた結果として、「名誉・地位・賞・肩書き」等一切を手に入れられなかった。
人間の「勝負」が、真の実力勝負だけでつく世界ならば、そんな「社会的なしるし」の獲得を再考する必要はない。
しかし、どうもこの人間社会というものは、真の力の上下を見分けられる目耳鼻を持った人のほうが少数であり、それ故に、「社会的なしるし」が実力証明の唯一の術となる様だ。
その他、親父らしさのなかに
・「持ち上げてくれそうな相手の腰巾着になる」
・「利益を落としてくれる組織との繋がりを大切にする」
・「この世の真理を、自分を助けてくれる人の言葉で書き換えてしまう」
等がある。
これらの性質を、俺は持っていない、ということになる。
問題の抽象的な核はどこにあるだろうか。
社会で「偉い・凄い・立派」と言われている人達の仕事・業績を見て「全く感動しない自分」が居る。
これが問題だ。
感動できれば、敬い、崇め、下につくことができる。
感動できない場合、自分で代替案を示さないといけない。感情への結論として。
これは前から書いていたことだが、俺には、心から尊敬できる人がいない。師匠として俺が認めることができる存在が居ない。
この人間社会では、「師匠」に引っ張ってもらって初めて高い位置での存在権が得られる。
『師匠を獲得できない限り、永遠に、社会の底辺である』と言える。これがきつい。
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