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( ゚д゚ )絵描きとヴィオラのようですミセ*゚ー゚)リ

1 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/29(月) 00:23:38 ID:fCDwqofo0

オレンジデー祭参加作品です。

167 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:04:11 ID:fFFHkLRU0

( ゚д゚ )「…”なんでもお願いを聞く”というのは、どうでしょうか」

一体何を言っているのだろうか、自分は。

後悔してももう遅い。既にお嬢様は、目を丸くしたままこちらの方を向いている。
どうにか林道を駆ける風に紛れて聞こえてないかとも期待したが、しっかりと彼女の耳に届いてしまったようだった。

少し前から考えていたことであった。
お嬢様は来年の春にヴィオラを聴かせてくれることを約束してくれたが、自分が彼女にあげたものと言えば、ほんの数枚の絵くらいのもの。
今年の夏は色々と描いたが、所詮は一介の美大生の絵だ。しかも、そのどれもが大して変わり映えのない、一人の少女をモチーフにした絵。
とてもつり合いが取れているとは言えないことに、僕はずっと負い目を感じていた。

168 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:06:22 ID:fFFHkLRU0

お嬢様の目が少し泳ぐ。
「何か、自分に頼みたいことがあるのだろうか」と思うと、彼女は少し遠慮がちに上目遣いでこちらを見た。

ミセ*゚ー゚)リ「………1個だけ?」

シャボン玉みたいに、今にも消えそうな弱々しい確認の言葉。
それが普段のお嬢様からあまりにかけ離れた声色だったから、僕は慌てて首を横に振った。

( ゚д゚ ;)「い、いや…じゃ、じゃあ2個でも大丈夫ですよ!」

ミセ* ー )リ「………そっか。それだけか…やっぱり、まだ、怖いなぁ…」

( ゚д゚ ;)「〜〜っ、さ、3個!なら、3個までなら何でもやりますから!」

ミセ* ∀ )リ「言質取った」

は、と思うと同時に、彼女はいたずらっ子のようにべーと舌を出す。
こちらからはずっと死角だった、彼女の右手。
その手には、一体いつ用意したのか、お嬢様のスマホが握られている。
そして、こちらに見せられたその液晶には、明らかに何かしらの音声を録音中の画面が映し出されていた。

169 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:08:27 ID:fFFHkLRU0

ミセ*^ワ^)リ「3つかぁ〜!そっかぁ、じゃあ、何してもらおっかな〜!」

さっきまでのか弱い様子が、まるで陽炎みたいにはらりと消える。
お嬢様は屋台で綿菓子を買ってもらった子どものようにウキウキとした様子で、満面の笑みを浮かべていた。

やられた。そう思っても後の祭り。
お嬢様は少しだけ何かを考える素振りをした後、勢いよくこちらに指を一本立ててみせた。

ミセ*゚ー゚)リ「じゃあ、一つ目。アンタ、今年で卒業よね?」

( ゚д゚ ;)「は、はい…順調にいけば……」

ミセ*゚ー゚)リ「なら決まり」

今年の春、あっという間に僕は四年生へと進級していた。
今のところ何とか卒業に必要な単位は取れている。
まだ分からないが、このまま何事もなく授業を受け、最後の卒業制作さえ終わらせれば僕も晴れて卒業だ。

170 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:13:56 ID:fFFHkLRU0

ミセ*゚ー゚)リ「卒業制作、あるでしょう?」

( ゚д゚ )「は、はい…」

ミセ*゚ー゚)リ「それで、最優秀賞取りなさい。一番上のヤツ」

( ゚д゚ ;)「………へ!?」

ミセ*゚ー゚)リ「何よ。だって、どうせアンタが描くのって私でしょ?」

ミセ*^ー^)リ「私を描くなら、それくらい取って当然よね」

“いくら何でもそれは”と言いかけて、僕は寸での所で自分の口を抑えた。
『嘘をつかない』。僕がお嬢様に誓った、法律よりも憲法よりも、何よりも遵守すると決めたルール。
僕はもう、「何でもお願いをきく」とハッキリ口にしてしまったのだ。

171 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:15:17 ID:fFFHkLRU0

( ゚д゚ ;)「……が、頑張ります…」

ミセ# ー )リ「”頑張る”だぁ?」

( ゚д゚ ;)「と、取ります!絶対!」

ミセ*゚ー゚)リ「よろしい。じゃ、2個目はね…」

後悔に苛まれながら、二つ目の願いを待つ。
次はどんな無理難題が来るのだろう。いや、迂闊なことを言った自分が悪いのだが。

ミセ*゚ー゚)リ「私が手術で東京に行くまでの間、極力うちに来なさい」

ミセ* ー )リ「……ほら、最近、人増えたでしょ。教育係、ヘリカルだけじゃ足りないのよ」

身構えた全身から力がスッと抜けていく。
二つ目の願いは、特にどうということもない内容に聞こえた。

( ゚д゚ ;)「は、はい…それは全然…」

元より、出来るだけ屋敷に向かうつもりではあった。
今年の春から他のバイトは綺麗さっぱり辞めたし、旦那様から支払われる給金のお陰で金銭面の問題はある程度解消。何なら少しの余裕まである。
僕の了承の言葉を聞いたお嬢様は、満足気に「よろしい」と呟いた。

172 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:17:12 ID:fFFHkLRU0

ミセ; ― )リ「三つ目は……そう、ね…」

途端にお嬢様の端切れが悪くなる。
どうしたのだろう。まさか、一つ目のお願い以上のトンデモ内容を言うつもりだろうか。
最後の願いが何なのか。僕は少しの恐怖を感じながら彼女の二の句を待つ。
しばらくソワソワとしていた彼女は、少し僕から視線を外しつつこう言った。

ミセ* ー )リ「………私」

ミセ* ー )リ「”お嬢様”って名前じゃ、ないん、だけど」

いまいち、要領を得ない発言に首を傾げた。

( ゚д゚ )「えっはい、存じてますけど」

僕の返事に、お嬢様は少し不機嫌になったような気がした。心なしか、舌打ちをしたような気さえする。
とはいえ、どう返すのが正解だったのかも分からない。
お嬢様という呼び名は、もうかれこれ一年以上続けているが、別にお嬢様の名前を忘れた訳ではない。
まさか、そこまで耄碌したと思われているのか。一応、お嬢様よりも二つほど年下ではあるのだが。

発言の意図を汲み取ろうと頭を回す。
だが結論が出る前に、お嬢様は傍らの萩の花を見ながら呟いた。

173 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:18:31 ID:fFFHkLRU0

ミセ; ー )リ「………その、手術が終わって、帰って、きたら」

ミセ; ー )リ「”ミセリ”って……私のこと、名前で、呼びなさい」

( ゚д゚ )「………はぁ」

思わず気の抜けた相槌が口から漏れる。
その瞬間、お嬢様はまだ少し季節外れの紅葉みたいに頬を赤らめ、慌てた様子でこちらを向いた。

ミセ;゚―゚)リ「ア、アレよ!?アンタ、他の使用人とかのことは名前で呼ぶ癖に、私のことは、呼ばないじゃない!?」

ミセ;゚―゚)リ「そーゆうのが、その、不公平というか、ちょっと今時じゃないというか……」

ミセ;゚―゚)リ「そ、そそ、そーいうアレよ!別に、何かその、他意とかないから!!変な勘繰りしやんといてよ!!」

お召しになっている白いワンピースのせいで、より一層、赤くなったお嬢様の頬を映える。
その慌てた様子と、きっと無意識に出たのであろう関西弁が可愛くて、僕は何だか笑ってしまった。

174 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:19:14 ID:fFFHkLRU0

ミセ#゚ー゚)リ「な、なに笑ってんの!?」

( ゚д゚ ;)「…あ、い、いえ。何でも――」

三( -д- ;)「………うわっ!?」ビチャ

お嬢様を笑った僕に罰を与えるかのように、何か冷たいものが顔にかかる。
頬を拭うと、手には少し泥が混じった水が付着していた。
目の前の足元を見て、僕は遅れて理解する。
さっき通った自転車が、勢いよくあの水溜まりの上を走り、そのせいで飛沫が僕にまで飛んできたのだろう。

ミセ* ー )リ「……ふ、ふふっ…!」

何かを押し殺すような声が聞こえて隣を見る。
ほんの一瞬で形勢逆転。今度は僕がお嬢様に笑われる番だった。

175 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:21:06 ID:fFFHkLRU0

ミセ*^ー^)リ「あーおっかしい…天罰よ、バーカ」

( -д- ;)「…すいませんでした……」

ミセ*゚ー゚)リ「素直でよろしい。……はい、コレ、使って」

一頻り笑った後、お嬢様は僕に何かを差し出してくる。
彼女の手に握られていたのは、以前、自分がお嬢様に渡した青色のハンカチだった。

( ゚д゚ ;)「えっ…!い、いや、コレは…!」

ミセ*゚ー゚)リ「いーの、さっさと使いなさい。それとも汚れたまま私の車椅子押す気?」

取り下げられる様子のないハンカチをおずおずと受け取り、ささっと顔についた泥を拭く。
「洗って返します」と伝えるとお嬢様は首を横に振ったが、流石に汚れたものをそのまま彼女に渡す訳にはいかない。

176 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:21:58 ID:fFFHkLRU0

( -д- )「……約束します」

ハンカチを丁寧に鞄にしまい、改めてお嬢様の方に向き直った。

( ゚д゚ )「卒業制作、凄いものを描きます。誰よりも、どんな人のものより凄い絵を」

( ゚д゚ )「約束通り、僕の人生全部で、貴女を描きます」

須臾にも満たないほんの刹那、お嬢様は吃驚したような顔を見せる。
そして、数回の瞬きの後、向日葵が咲いたような笑顔を見せた。

二人並んで肩を寄せ合ったまま、秋風に撫でられて軽く目を閉じる。
「楽しみにしてる」というお嬢様の柔らかな声が、岩に染み入る雨のようにじわりと胸に広がった。

177 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:22:53 ID:fFFHkLRU0

*


一ヶ月ぶりの京都の空気は、やけに澄んでいるような気がした。

冬になり、気温が低いからだろうか。それとも、数日前までいた東京よりも近くに自然が多いからだろうか。
休日ということもあって、昼過ぎの京都駅は地元の人や観光で来た外国人たちでごった返していた。

だが、いつもならストレスと苛つきを感じていたが、不思議と今日は何も思わない。寧ろ、清々した清涼感さえ覚えるほどだ。
それは、久方ぶりの地元だからか、それとも、久々に誰の力も借りず、外を自分の足で歩いているからだろうか。
若しくは、ずっと会いたかった人に、今日やっと会えるからだろうか。

178 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:23:21 ID:fFFHkLRU0

駅を出て、少し歩いたところにあったカフェに入る。
中は外と違って、ポカポカとした暖かさで満たされていた。

注文後、すぐに来たカプチーノをゆっくりと飲みつつ、人を待つ。
以前、京都駅近くの芸大に遊びに行った帰り道、偶然入ったのもここだった。

スマホを開く。
なんてことのない会話の応酬が繰り広げられているトーク画面。
その相手方から来た、一番最新のメッセージ。

「午後3時前頃には着きます」
カフェの壁にかけられた時計も、スマホも、どちらもまだ午後2時にすらなっていない。
少し早く来すぎたかもしれない。
どこか浮かれている自分に少し恥ずかしくなりながら、私はじっと窓から見える往来に目をやった。

179 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:25:50 ID:fFFHkLRU0

彼が来たら、まず何の話をしようか。どんな顔をして、何て言おうか。
そんなことを考えながら私はちびちびとカプチーノを口に含む。
そういえば、彼の実家は花屋だったと言っていたが、それは何処にあるのだろう。

そこでふと私は、ミルナは一体どこの出身なのか知らないことに気が付いた。
彼が標準語以外を話しているところを聞いたことがないから、もしかしたら、関東の出身なのだろうか。
それならばいっそ道案内だのなんだのと理由をつけて、彼も東京に連れていけば良かったかもしれない。
なんて考えがほんの一瞬、頭の中をちらっと過った。

180 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:27:49 ID:fFFHkLRU0

年が明けてすぐ、私は京都を離れて東京へと向かった。
およそ二年ぶりの日本の首都は、正直、さほど魅力的でも何でもなかった。
昔からコンクールなどで東京に行くことは多かったが、あの街が好きだと思ったことは一度もない。

結論から言うと、手術は無事に終わった。
お父様が見つけてくれた、凄腕の医者。
私ですら気遅れするほどに無愛想でどこか機械的な男性だった。

しかし、腕は確かだった。いや、そんな表現では足りないほどに優秀だった。
入院の説明と手術の腕、何よりその後のリハビリを含めた諸々のケア。
そのどれもが、私の音楽家としての今後のキャリアを踏まえた上で、完璧に調整されていた。
今まで私が不安に思っていたことや、苦しんでいた闘病の日々は夢かなにかだったのだろうか。
そう錯覚しかけるほどの腕だった。全く、世の中にはとんでもない人間がいるものだ。

ミセ*゚ー゚)リ(普通に歩いている私見たら、ビックリするかな、アイツ)

あと一時間ほどで来るであろうミルナは、一体どんな顔をしてくれるだろう。
ふと、カップの中のカプチーノを見つめる。
揺れる淡い水面には、口角が上がっている私の表情がじんわりと映っていた。

181 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:29:10 ID:fFFHkLRU0

カップを置き、窓ガラスに映った自分を見ながら思考に耽る。
結局、私はアイツのことを、どう思っているのだろう。

最初は嫌いだった。というか、あの頃はどいつもこいつもが嫌いだった。
無暗に話しかけてくる姿がうざったかった。
歯の浮くような誉め言葉が耳に障った。

姉から貰った大事なハンカチを見つけて貰って、少しはマシなヤツだと思った。
ヴィオラを褒めてくれたことだって、悔しいけど、ちょっと嬉しかった。

一度は、裏切られた。
病を告げられた時より、ヴィオラを落としてしまった時より、ずっとずっと辛かった。
許したくなくて、栞だって何度も捨てようとした。
けれど、しつこく正門前に立つ彼の横顔を見る度に、本当の本当は安心していた。

182 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:30:15 ID:fFFHkLRU0

ミセ*゚ー゚)リ(……もうちょっとで、春だなぁ)

去年の春、仲直りの時にミルナと交わした約束のことを思い出す。
屋敷の庭にある、大きな桜の木。
そこの前で、ヴィオラのソロコンサートを行う。それも、彼一人のために。

その後はどうしよう。彼は再来月の三年で卒業だ。
話を聞く限り、彼は京都の出身じゃない。それに、彼から就職先の話をあまり詳しく聞かされたこともない。
いくつか色んな企業に内定が出たことは知っているが、具体的な進路は私の手術の準備もあって聞いていないのだ。

まだ、彼は私の近くに居てくれるのだろうか。
私を、ヴィオラを、まだ描きたいと思ってくれているのだろうか。
結局、私はこの気持ちに、何と名前をつければいいのだろうか。

ふと、カップの中が空になったことに気付いた。
考え事をしているうちに、どうやら全部呑みきってしまっていたらしい。

183 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:30:53 ID:fFFHkLRU0

ミセ*゚ぺ)リ(……あれ?)

スマホの時計を見る。時刻は既に3時どころか、4時に差し掛かろうとしている。
待ち人とのトーク画面を見ても、何もメッセージは来ていない。

遅刻だろうか。だとしても、彼のことだから何かしら連絡を寄越す筈なのだが。
珍しいこともあるものだ。そう思いながら、もう少し待とうと店員を呼んでカプチーノのお代わりを頼む。
普段、あれだけ振り回しているのだし、それに今日は久しぶりの再会だ。
一年以上もひたむきに働いてくれている使用人の遅刻など、一度くらいは目を瞑ってやろうか。
そう思いながら、新しく来た甘い液体で喉を潤す。

184 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:31:40 ID:fFFHkLRU0


4時になった。まだ来ない。
5時になった。まだ来ない。

…6時になった。メッセージを飛ばした。
……7時になった。返信どころか、既読もつかない。

8時になった。「ラストオーダーです」と言われ、流石に店を出た。

9時になった。


電話が鳴った。

185 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:33:39 ID:fFFHkLRU0

ミセ#゚―゚)リ「もしもしミルナ!?まったくもう…今どこにいんのよアンタ!!」

外はすっかり暗く、所々は昨日の雨のせいで凍っている。
かれこれ六時間以上も私を待たせたのだ。怒号の一つや二つでは足りない。
直接会ったらまたデコピンでも食らわせてやろう。
そう思いながら、電話越しに彼の声を待つ。

だが、スマホの奥から聞こえたのは、待ち焦がれた彼の声ではなかった。

(;  ∋ )『……ミセリ、か』

ミセ;゚―゚)リ「…え、お父様?」

何故か聞こえてきた父の声に、改めてスマホの画面を見直す。
だが、通話中という文字の上に表示されているのは紛れもなく”河内ミルナ”という名前だった。

(; ゚∋゚)『……落ち着いて、今から言う病院に来てくれ。すぐにだ』

電話越しでも分かる震えた声。
緊張感を伴う父の声が告げたのは、私がずっと通っていた、馴染みのある病院の名前だった。

186 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:36:22 ID:fFFHkLRU0

*


休日の夜だというのに、鬱陶しいくらいに光る蛍光灯の下を走る。
慌てて捕まえたタクシーから下り、去年の冬までずっと定期的に通っていた病院の廊下。
看護師の注意も、入院中らしき患者の視線も。
その全てを無視して、私は父に告げられた場所へと走っていた。

「手術中」というランプが赤く光っている部屋の前。
待合用に設置されている簡易的な緑の椅子に、父が深刻そうな表情で座っている。
そしてその横には、数年ぶりに会う見知った顔もあった。

(; ゚∋゚)「……来たか、ミセリ」

( ´W`)「やぁ、久しぶり、ミセリさん」

ミセ;゚―゚)リ「…白髭先生…ど、どうも…」

父の知り合いであり、芸術の世界に身を置く者の間では知らない人はいない、芸術界の重鎮だ。
私が参加したコンクールの来賓客としても、何度か会ったことがある。
そんな彼がどうしてこんな所にいるのか。そもそも、一体何の用なのか。

187 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:39:43 ID:fFFHkLRU0

なにか、強烈に嫌な予感がした。

ミルナの携帯から、父が私に電話をかけてきたこと。
あの生真面目なミルナが、私との待ち合わせの約束を放り出したこと。
そして今、私の前で光っている「手術中」のランプ。

(;  ∋ )「…落ち着いて聞いて欲しい、ミセリ。その…」

ミセ; ー )リ「――どこ」

季節外れの冷や汗が、ゆっくりと背中を伝った。

ミセ; Д )リ「ミルナは、どこに…!!」

尋ねようとした私の質問を遮るように、手術室の扉がゆっくりと開いた。
いつの間にか赤いランプは消えている。
中から現れたのは、仰々しい施術の服に身を包んだ数人の医者らしき人達。

父と白髭さんが立ち上がる。
「どうなりましたか」という質問に、眼鏡をかけた医者は少し押し黙った後、ゆっくりと首を横に振った。

188 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:41:52 ID:fFFHkLRU0

(-@∀@)「――手は尽くしたのですが」

(-@∀@)「元々、かなり弱っていたようなんです。まるでずっと何か、体に負担がかかる無茶をし続けていたような」

(-@∀@)「おそらくそれで――発見された時にはもう――」

(-@∀@)「――大きな絵の前で――倒れていて――」

誰の話をしているんだろう。何の話をしているんだろう。
頭が真っ白になる前に、私は一歩踏み出し、眼鏡の医者に問いかける。

きっと違う。
昔から私の勘は外れるのだ。そうやって、何度も何度も予想を外してがっかりする人生だった。
今回もそうに違いない。きっとそうだ。私のこの嫌な予感は、0点の大間違いなのだ。

だから、違う。そんなわけない。
あの部屋にいたのは。今、この医者たちが話をしているのは。
違う。だって、アイツとは約束してて。
年明けの時も、いつも通りの笑顔で。「待ってます」って言ってて。



ヴィオラ、聴かせてあげなきゃいけなくて。

189 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:43:12 ID:fFFHkLRU0


(-@∀@)「――2月7日。午後10時48分」

(-@∀@)「河内ミルナさん。ご臨終です」


ミセ* ー )リ

何を言われたのか、頭が理解を拒もうとする。
足元がふらつく。もう手術は終わって、歩けるようになった筈なのに。

力が抜けて、その場にへたり込む。
耳元で、父が何か言っているような気がする。


( д )


誰かさんの面影が、花火みたいにふわりと消えた。

190 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:45:17 ID:fFFHkLRU0

*


ミルナの葬式が行われたのは、彼が死んですぐの翌日だった。

京都駅から少し歩いたところのメモリアルホール。
喪主を務めたのは彼の両親ではなく、白髭先生。
私は今更になってようやく、彼の両親は既に亡くなっていたことを知った。

一介の学生が亡くなっただけにしては、多くの弔問客が訪れた。

从 ;Д从

赤毛の少女は、人目も憚らず泣いていた。

(` ω ´)

短髪の利発そうな青年は、ただじっとその黒い喪服を握りながら、何も言わず、棺の前で動こうとしなかった。

その他にも、私と年の近い学生らしき人から、老若男女問わず、色んな人が涙を流していた。
彼を慕う人がこんなにもいることすら、私は今まで知らなかった。

191 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:46:08 ID:fFFHkLRU0

何処からも涙が零れる音がして、どこか場違いな気がした私はそっとその場を離れた。
ふわふわとした足取りの中、とにかく、人がいない所を探しながら亡霊のようにふらつく。
何も考えていない訳じゃなかった。何も考えられなかったのだ。


『……まさか、ミルナ君がな』

『俺、バイト同じだったんだ。何度も助けてもらって』

『私、二年の時、文化祭の準備手伝ってもらったんだ。サークルも違ったし、全然面識なかったのに』


通路を曲がろうとした矢先、角の向こうから聞こえてきた声に私はピタリと足を止めた。
若い男女数人の声がした。それも、ミルナのことを話している。

引き返さなければ。
そう思い、体を反転しようとしたその瞬間だった。

192 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:47:08 ID:fFFHkLRU0


『――アイツの病気、そんなに悪くなってたなんてな』


ミセ* ー )リ「………?」

突如聞こえた声に、足がピタリと止まった。

『えっ…?何、どういうこと?』

私同様、困惑したような女性の声が聞こえた。
やはり私の聞き間違いなどではなかった。
「病気」という少し前まで身近だった単語に全神経が集まる。

有り得ない。だって、そんな。
あいつ、初めて会った時からずっと元気で。

というか、そんなこと、私に一度だって、話して――。

193 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:48:07 ID:fFFHkLRU0


『俺、一回たまたま病院で会ったことあってさ、”黙っててくれ”って言われたんだけど…もう、この際か』

『…あいつ、心臓弱いんだよ。飯の時もよく薬とか飲んでて』

『高校の時に発症したって言ってたかな…だから、無理な運動とか、体に変な負担がかかることはやっちゃダメって言われてたんだよ』

『……けどあいつ、そんなこと気にせず動いてたんだけどな。なにせ、人が良いからさ――』

194 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:49:14 ID:fFFHkLRU0


ミセ* ー )リ


大きなハンマーで、頭をぶん殴られたような気持ちだった。


角の向こうから、憔悴するような、悲しむような声が続いている。
だがもう、私には何を言っているのか分からない。

記憶を巡る。
ミルナと会ってから、最後に顔を合わせた日までの、ギリギリ二年にも満たない日々。

そして、私は気付いてしまった。

195 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:51:49 ID:fFFHkLRU0

ミセ; ー )リ「………ぁ」

偶にしんどそうに見えたのは、仕事とか、大学で疲れてたんじゃなくて。
病気で、体力が落ちていたのだとしたら。

それなのに、アイツに、毎日屋敷に来いなんて言ったのは。
それなのに、一番良い賞を取れなんて言って無理をさせるほどに追い込んだのは。
それなのに、つまらない意地を張って、彼を何日も待ちぼうけさせた挙句、遂には嵐の中待たせたのは。

ミセ; Д )リ「あ あぁ あぁあ あ―――」

彼に無理をさせたのは。
彼の寿命を削ったのは。

ミセ; Д )リ「――――あ」




彼を、ミルナを、殺した のは。

196 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:52:22 ID:fFFHkLRU0

「え…?ちょ、ちょっと!?大丈夫ですか!?」

「えっと…きゅ、救急車!!すぐに!!」

「お姉さん、大丈夫ですか!?お姉さん!?」

息が出来ない。酸素が吸えない。空気が吐けない。
視界が涙で滲み、聴覚すら上手く働かない。
死にかけの虫みたいに、過呼吸のまま地面に倒れ込む。

197 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:53:06 ID:fFFHkLRU0

意識が朦朧として消えかける。
視界がどんどん白く染まり、心臓を直接握られたような痛みが走る。

音すらもなくなっていく世界の中、聞き飽きた声が耳の奥で木霊する。
紛れもない、私自身の声。


「私が殺した」


薄れゆく意識の中。
私はやっと、ミルナはもういないということを理解した。

198 ◆gMoTB8ciTo:2024/04/30(火) 01:53:54 ID:fFFHkLRU0
続きは後日投下します。
期限内に投下したかった…チクショウ……。

199名無しさん:2024/04/30(火) 14:59:28 ID:JZHN7y..0


200 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 00:50:24 ID:yBkR092c0

*


ポトリと、目の前で本が落ちた。
それを拾おうともしないまま、私はただ一人、部屋の中で項垂れていた。

髪はボサボサに伸び切り、指先の爪はお世辞にも綺麗といえる状態じゃない。
部屋の中は荒れたまま、もう何十日も掃除をしていない。
閉め聞いたカーテンから漏れた光が、嫌でも今の季節を恩着せがましく教えてくる。

気が付けば春になっていた。呼んでもいない春が来た。
窓から僅かに差し込む春の陽光の暖かさが肌を焼き、それがひどく不快に思える。
あれだけ待ち望んでいた筈の春が、鬱陶しくて仕方がなかった。

私がミルナを殺したと発覚した日から、もう何日経ったのだろう。
冬はいつの間にか終わっていたから、一ヶ月くらいは経ったのだろうか。
日数を数えようとしてすぐ、「どうでもいい」という自分の声が脳内に響いて、やめた。

201 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 00:51:05 ID:yBkR092c0

窓から漏れた日の光が、テーブルの上の何かに反射した。

それは、出しっぱなしのヴィオラだった。
もう、演奏はおろか、クリーニングすら久しくしていない。
カーボンケースに入れて保管しなければいけない筈の楽器は、いつの間にか部屋の隅のガラクタと化している。
あれだけ大事にしていた楽器がそんな状態になってなお、私は全く動く気になれなかった。

ミルナは、大学の作業部屋で倒れていた。

彼が頻繁に出入りしていたらしい棟の隅にある、ほとんど誰も使わない、古びた作業部屋の一室。
ミルナはそこに、去年の秋頃からずっと籠っていた。まるで何かに憑りつかれたみたいに、一枚の絵を描くことに没頭していたようだった。

春休みに入り、学生はおろか教員すら大学を訪れなくなっても、彼はずっと部屋に籠って絵を描き続けていた。
食事も、睡眠も、まるで自分の人生そのものを焚火にくべるように。
私が軽はずみで彼に課した、詰まらない”お願い”のために。

倒れているミルナを発見したのは、偶然大学にいた、白髭先生とお父様。
お父様はすぐに救急車を呼び、ミルナがずっと手に持っていたスマホから、私に連絡したとのこと。
けれど、そんな過去の状況整理に意味はない。

病院に運び込まれる前に、私が呑気にカフェにいたあの時間にはもう、ミルナの息はなかったのだから。

202 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 00:53:02 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「………」

もう、ヘリカルすら声をかけてこない。
そもそも、この部屋のドアを開けることすらなくなった。

壁に並んだ、ミルナが遺してくれた数枚の絵と、肌身離さず持っている青いビオラの栞。
ただそれだけを見つめながら、呼吸をするだけの日々。

ミセ* ー )リ(私は)

ミセ* ー )リ(いつ、死ぬんだろう)

ずっとずっと同じことを考えている。
あの日、手術を受けにいかなかったら、私は今頃彼と同じ場所にいたのだろうか。

あんな詰まらないお願いをしなければ、彼はもう少し長生きできたのだろうか。
そもそも、私なんかと会わなければ、彼は真っ当に生きられたのではないのか。

203 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 00:53:31 ID:yBkR092c0

もしもを夢想し、目を瞑る。
夢の中でなら逢えるだろうかと、明日の朝、私の心臓も止まってはいないだろうかと、それだけを願いながら眠る毎日。

あぁ、何て自分勝手なんだろう。
私のせいで、彼はいなくなったのに。きっとまだ沢山やりたいことがあった筈なのに。
まだ、ヴィオラ聴いてもらってないのに。

ふと、ドアの向こうから声がした。

(  ∋ )「――ミセリ、起きてるか?」

久方ぶりの父の声。もはや、人の声を聞くことすらも懐かしい気させする。
だが、私は返事をすることもなく、ただ黙って目を瞑り続けた。
父がなんと言おうとも、その会話に意味はない。
誰がなんと言ったところで、私がどれだけ謝ったところで、彼は帰ってこないんだから。

204 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 00:54:40 ID:yBkR092c0

(  ∋ )「ドアは開けなくていいから、そのままでいいから、聞いてくれ」

(  ∋ )「……ミルナ君の通ってた大学、知ってるか?」

ミセ* ー )リ「………」

頭の中に、一度だけ彼に見せられた写真が思い浮かぶ。
山の上にあるという、ここからバスと電車を乗り継いで一時間ほど移動した場所にあるという、私立の芸大。
実際に行ったことはないが知っている。ミルナは何度か、楽しそうに大学の話をしてくれた。

スクールバスの乗り心地があまり良くないこと。
大学なのにクラス式で、面白くて気の良い友人たちがたくさんいること。
彼があまりに楽しそうに話すものだから、いつか、彼に連れて行ってもらおうと思っていた。

あぁ、そういえば、そんなこともただ思っていただけで、言葉にしてなかったな。
また一つ増えた後悔の埃に胸が潰れそうになる。
蹲ったままの私に、父は落ち着いた声色で言葉を続けた。

205 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 00:56:02 ID:yBkR092c0

( ゚∋゚)「…あそこの卒業制作の展示が、今日の午後五時までらしいんだ」

ミセ* ー )リ「…………!」

その言葉に、私はゆっくりと目を開けた。
“約束”という言葉を聞いたその瞬間、電流が脊髄を走るような感覚があった。

私がミルナにした、三つのお願い。ひどく幼稚で、思いやりなんて欠片もなかった願い事。
その一つ目。それは何だったか。
思い出す。覚えている。
それは、私が彼にした、とんでもない無茶ぶり。

( ゚∋゚)「…屋敷の前に、車を用意してある」

「考えておいてくれ」という言葉を最後に、ドアの向こうから父が遠ざかっていく足音が聞こえた。

206 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 00:58:28 ID:yBkR092c0

“卒業制作”。ミルナが最後に力を入れていた、大学四年間の集大成。
去年の冬、彼とした話を思い出す。
彼が微笑みながら私に語った、いや、何度も私に言ってくれた言葉。

( д )『僕は、僕の人生全部で、貴女を――』

ミセ* ー )リ「―――」

数十分の時間が流れた後、私はゆっくりと、音もたてずに立ち上がる。
一体いつぶりなのかも分からないほどに、埃が溜まったクローゼットを開ける。
ずっと充電しっぱなしだったスマホに触れ、今の時刻を確認した。

午後三時。移動の時間を含めれば、ギリギリまだ、間に合うかもしれない。

ミセ* ー )リ「………」

ミセ* ー )リ「………ミルナ」

もういない名前が無意識にポツリと口から零れる。
同時に、また一つ後悔が沸いた。

あぁ、もっと名前を呼べばよかった、と。

207 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 00:59:01 ID:yBkR092c0


カーテンを開き、明るくなった部屋で素早く身支度を整える。
ミルナが最後に遺した絵。彼がきっと、私のために描いた、最後の絵。

見なきゃいけない。何があっても、私はそれをこの目に焼き付けないといけない。


ビオラの栞を丁寧に鞄に入れて、私は、ずっと閉じたままだった部屋のドアを開けた。

208 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:00:33 ID:yBkR092c0

*


到着した学内は、何故だか沢山の人で溢れていた。

今はおそらく春休み中のはず。
なのに、まるで文化祭か何かのように、山の下にある大学の入り口近くまで車が並んでいた。

運転手に礼を言い、ゆっくりと山を登る。
去年までの私では、どうあがいても登れなかったであろう下り坂。
本来ならおそらくスクールバスを使って移動する道を、私以外にも、たくさんの人たちがひしめいて動いていた。

大学名が記された石碑の前を通過し、必死の思いで足を動かし続ける。
息を切らせながら進むこと約十分。
ようやく辿り着いた大学の敷地内が、どこぞの遊園地を彷彿とさせるような人の列で満たされていた。

209 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:01:32 ID:yBkR092c0
させるような人の列で満たされていた

ミセ;゚―゚)リ「………すご…」

自分がいた大学の文化祭を思わせるような人の数に、思わず感嘆の息が漏れ出た。

「すいません」と言いながら列を通り、目当ての棟をキョロキョロと探す。
スマホで調べた大学の公式サイトが示した、卒業制作の作品の展示場所。
画像だと、どうやら随分と小綺麗な建物のようだった。それらしき建物を探しながら、慣れない大学内を歩く。

そうしていると。

从; ゚Д从「あーーーーーーーーー!!!!!」

突然、爆撃機のような大声が鼓膜を穿った。

210 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:03:06 ID:yBkR092c0

一体何なのかと横を見ると、どこか見覚えのある赤毛の女性が、こちらに指を立てていた。
人間違いでもされたのだろうか。

だが、ちょうどいい、彼女に場所を聞こう。もしかしたらここの学生かもしれない。
そう思って口を開きかけた瞬間、彼女はもの凄いスピードでこちらに近付き、ガッと私の両肩を掴んだ。

ミセ;゚―゚)リ「きゃっ!い、いきなり何を――」

从; ゚Д从「ア、アンタ!!"ミセリさん"だろ!?そうだよな!?」

私の肩を乱暴に揺らしながら、彼女は何故か私の名前を大声で呼んだ。
もしかして、どこかで会ったことがあるのだろうか。それとも、ヴァイオリニスト時代の私のファンか何かだろうか。
確かにどこかで見たような気もするが、記憶のどこを引っ張りだしても答えを出そうになかった。

211 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:05:07 ID:yBkR092c0

ミセ;゚―゚)リ「そ、そうですけど、あの、アナタは…?」

从; ゚∀从「や、やっぱりそうか!!そうだよな、もう、”そのまんま”だもん!!」

一体何の話をしているのか、私にはさっぱり分からなかった。
どうしてか非常に興奮している彼女に恐怖を覚えた私は、肩から手を離してもらおうと身動ぎをする。
だが、彼女は急に肩を放してくれたと思うと、私の手を掴んだまま突然走り出した。

ミセ;゚Д゚)リ「あ、あの!あのあのあの!?な、何ですか!私、用事が――!!」

从; ゚∀从「分かってる!!アンタも”アレ”を見に来たんだろ!?こっちこっち…ちょっと!退いてくれー!!」

ミセ;゚―゚)リ「え!?あの、列は!?これいいの!?」

彼女は私の手を握ったまま、さっきまで私を悩ませていた謎の長蛇の列を堂々と抜かしていく。
その勢いを保ちつつ、私達は綺麗な白い壁の建物に入った。

212 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:06:04 ID:yBkR092c0

棟の中には広く、木の温もりを感じられるお洒落な空間が広がっていた。
だが、そんな内装をゆったりと楽しむ暇もなく、赤毛の少女は私の手を痛いくらいに握りながら全力疾走をやめようとはしてくれない。

勢いよく階段を上がっていく彼女に振り落とされないよう、必死についていく。
病み上がりの上、ここ一ヶ月まともに部屋から出なかった私には相当にきつい。
階段を上がりきってぜぇぜぇと肩で息をしていると、いつの間にか赤毛の女性はいなくなっていた。

どこに行ったのかと視線を彷徨わせると、彼女はとある男性と話をしていた。
短い黒髪が特徴的な、落ち着いた雰囲気の青年。
何故だろう。赤毛の女性もそうだが、私は彼にもどことなく見覚えがあった。

(;`・ω・´)「―――!」

青年は私と目が合うと、幽霊でも見たかのような顔をする。
その次の瞬間、彼は受付らしきスペースを飛び出したかと思えば、ずんずんとこちらに近付いて来た。

213 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:06:48 ID:yBkR092c0

ミセ;゚―゚)リ「あ、あの…?」

(;`・ω・´)「……ミセリさん、ですか?」

赤い女性と同様、彼もまた、初対面である筈の私の名前を口にした。
別に、知らない人から声をかけられること自体には耐性がある。
だがそれは、地元を歩いている時に父の知り合いに「堂島家の一人娘」として呼ばれたり、音楽の仕事やコンクールの場で「ヴァイオリニストの堂島ミセリ」としてだ。
父も家も音楽も関係がない人たちから、エスパーみたいに名前を当てられたことなど皆無。

鬼気迫る彼の表情に、私は無言のままコクコクと頷く。
しばらく品定めでもするかのように彼は私の顔をじっと見ると、「着いて来て」と小さく呟いた。

ミセ;゚―゚)リ「え?あ、あの…列、並ばなきゃ…」

(`・ω・´)「大丈夫です、貴女だけは。このまま自分について来て下さい」

青年の有無を言わさぬ迫力に黙ったまま、私たちは列の横を堂々と通り、奥の部屋に続くドアをくぐる。
すると、入ると同時に、真っ白な壁に立てかけられてある無数の絵が目に飛び込んできた。

214 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:07:52 ID:yBkR092c0

(`・ω・´)「……多分、ここに来たかったのですよね?」

(`・ω・´)「ここが、卒業制作のブースです」

ちらりと壁にあるいくつかの絵に素早く目を通す。。
絵の右下にあるプレートは、絵の著者の名前と所属学科。絵のタイトル。そして作者コメントらしき文章が書かれている。
そのどれもが、作者コメントが大部分を占めていた。
自分の手で生み出した作品の解説をしたい気持ちは、絵と音楽という違いはあれど、同じ表現者として私にも多少理解出来る。

絵を見ながら歩いていた途中、とある作品に目が留まる。
それは絵ではなく、木で出来たオブジェだった。
どうやら、ここには絵以外の芸術作品もまとめて展示されているらしい。

215 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:08:26 ID:yBkR092c0

だが、私がそのオブジェに目を止めたのは、その作品が気に入ったからとかそういった理由ではなかった。

作品のオブジェを支えている台座。その側面に貼られたプレートには、他の作品と同じように著者の名前は作品タイトルといった情報が羅列されている。
他の作品と違ったのは、その下。
プレートの下に、「奨励賞」と書かれた文字と、綺麗な花を模したオーナメントがつけられている。

(`・ω・´)「…あぁ。そんな感じで、大学が選んだ良い作品には何かしらの賞がつくんです」

私の静止に気付いた青年が親切な説明を加えてくれる。
「他にもほら」と彼が示した指の先には、確かに他の作品より目を引く絵やオブジェ、写真などがある。
その作品たちの前には、特に多くの人がたむろしていた。

216 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:08:53 ID:yBkR092c0

ふと、私の足がほんの一瞬だけ立ち竦んだ。

ここが卒業制作の作品が展示されている場所。
ミルナが最後に遺した絵が、ここのどこかにある。
それは分かっている。私の足が止まった理由はそんなんじゃない。

ミルナは、私との”最優秀賞を取る”という約束を守るために、文字通り身を削って作品を描いた。
彼の絵の魅力は私が一番よく知っている。
絵について何の知識もない素人の私が見ても、思わず息を忘れてしまうような魅力が彼の絵にはある。

けれど、もし、万が一、何の賞も取れていなかったら。
大学の人たちに見る目がなかったら。
彼が最後に遺した絵に、「価値がない」と判断されてしまっていたら。
そう思うと、途端に怖くなったのだ。

217 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:09:20 ID:yBkR092c0

(;`・ω・´)「ミセリさん…?」

青年が不思議そうにこちらを見る。
すると、彼の背後にある通路から、また見たことのある人物がこちらに歩いてくるのが見えた。

( ´W`)「…お。よかったよかった。やっと来たね、ミセリさん」

ミセ;゚―゚)リ「……白髭、先生」

ミルナの葬式以来の顔に、私は少し気遅れしてしまって頭を下げるのがワンテンポ遅れる。
あの日から家族とすら真面に話していなかったこともあって、どう挨拶したものか一瞬判断に迷ってしまった。

218 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:10:05 ID:yBkR092c0

(`・ω・´)「あとはお願いしてもいいですか、先生」

( ´W`)「あぁ、もう大丈夫。…よし、じゃあ行こうか、ミセリさん」

青年は私と白髭先生に深々と一礼をした後、入り口へと戻っていった。
その礼儀正しさに少しポカンとした後、先生は私に「こっちだよ」と声を掛けて歩き出す。
真直ぐに伸びた背筋を早足で追いかける。

ミセ;゚―゚)リ「あ、あの、私、見たいのがあって……」

( ´W`)「うん。だから、それはこっち」

( ´W`)「ちょっとイレギュラーがあってね。一番奥にあるんだ」

私の話を聞いてくれているのかいまいち判然としないまま、彼はピカピカに磨かれたローファーと共にどんどん奥へと進んでいく。

219 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:10:34 ID:yBkR092c0

こんなことをしている暇はない。この展示は確か午後五時まで。
私がこの大学に着いた時、既に午後四時を過ぎていた。
つまり、どう計算してもあと一時間もない。

他の絵や作品に僅かでも興味を示したのがよくなかった。
私はまた、優先順位を間違えた。
早く、早くしないと見れなくなる。今日を逃せばもうきっと、見ることは出来なくなってしまうのに。

ミルナが、最後に遺した絵が。

220 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:12:38 ID:yBkR092c0

( ´W`)「まぁ、どこの美大も基本的にそうだけど、うちの卒業制作の作品って、一般公開されるんだけどね」

どう話を切り出そうかと私が悩んでいるその最中。
目の前を歩いていた白髭先生は、講義でも始めるかのような落ち着いた声を発した。

( ´W`)「その中でも良い作品は大学が宣伝したり、学生の子たちが他の学校の子に教えたりして色んな所に広まるんだ」

( ´W`)「だから、話を聞きつけた近所の人が物見遊山に来ることもそんなに珍しくない」

( ´W`)「けれどねぇ…まさか、流石にこんなことになるとは思わなかったな」

先生の足がピタリと止まる。
彼の視線の先には、数多もの人たちが何かの作品に集まっていた。

221 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:13:00 ID:yBkR092c0

( ´W`)「アレだよ」

よく見れば、学生らしき人がずっと続いていた列の人を順番に呼んでいる。
どうやら棟の外まで出来ていた列は、あそこにあるらしい作品を見たい人たち用の列だったらしい。

だから何だ、という冷たい感情が浮かんだ。

申し訳ないが、私は人気な絵なんてものに興味はない。
私が見たいのは上手い絵でも、高い価値がついた絵でもない。
今の私にとっては、”モナリザ”ですら紙屑同然だ。

222 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:14:17 ID:yBkR092c0

ミセ; ー )リ「あの、だから私の見たい絵は、ミルナの……」

( ´W`)「すいません。少し退いていただけませんか」

細い体から、低く、それでいて広がる声が響いた。
絵の前に沢山いた人たちが一斉にこちらを振り返る。
その数秒後、その殆どの人たちが何かに気付いたような顔をした途端、蜘蛛の子を散らすようにサッとはけていった。

またこれだ。
この大学に来てからどいつもこいつも、私の顔を見た途端、急に驚いた顔をする。
なんとなく、昔のことを思い出す。
大学に通っていた時、自分がただ教室に入っただけで、知りもしない同級生たちが一斉に私の方を見る時の不快な感覚。

なんだか懐かしささえ覚える。
実家に戻って、ミルナと出会ってからは久しく忘れていた感覚だった。

223 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:15:05 ID:yBkR092c0

( ´W`)「……さ、存分に見てきなさい」

先生に軽く背中を押され、私はゆっくりと前に出る。
さっきまで人の背中や頭で全く見えなかった、どうやら相当に人気らしい絵。

どうしてこんな作品を見なければいけないのか。
私が見たい作品はもう決まっているのに。
それ以外、全くもってどうでもいいのに。

怒りすら混じった感情を抱えながら、私は奥へと進んでいく。
私の歩が進むたびに人が左右に避け、彼らの姿で全く見えなかった奥の作品の、その全貌が明らかになる。



その途端、私の内で蠢いていた全ての感情が消し飛んだ。

224 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:17:31 ID:yBkR092c0



目に飛び込んできたのは、一枚の”鏡”だった。

225 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:19:16 ID:yBkR092c0

ミセ;゚―゚)リ「……え…?」

瞬きで視界がリセットされ、私はすぐにその間違いに気が付く。

違う。鏡じゃない。あれは絵だ。
とても大きなキャンバスで描かれた、一枚の絵。
ここに至るまでの道中にあったどの絵よりも、作品よりも、大きな絵だ。


そこには”私”がいた。


絵の中心に描かれているのは、紛れもなく私だった。

226 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:20:05 ID:yBkR092c0

薄桃色の暖かな背景。
その全体、散らされるように描かれた、数えきれないほどの桜の花弁。
絵の手前には、観客の比喩のようにも受け取れるように描かれた、青いビオラ。

そして何より、強い既視感のある大きな桜の木を背景にして、楽器を持った私が立っている。

桜が舞う春の空の下、泣きたくなるくらいに綺麗な笑みを浮かべた私が、ヴィオラを弾いている。

そんな絵だった。

227 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:22:26 ID:yBkR092c0

一瞬なのか、百年なのか、どれくらいの時間が経過したのか。

絵に意識をもっていかれた私は、酸素不足一歩手前にまで陥るギリギリ、なんとか呼吸を思い出してはっとする。
まるで、深海に引きずり込まれたような、重力すら異なる全くの別世界に入り込んだような。
そんな、今まで経験したことのない感覚だった。

鏡と見紛うほどに、それでいて、私本人よりもずっと美しく、楽しそうに描かれた”私”。
こんな状況は知らない。全く身に覚えがない。

だって、私があの桜の木の下で、アイツの前でヴィオラを弾いたのは、満月が明るい夜だった。
今、目の前にある絵は違う。
あの絵に描かれている私は、月が輝く夜ではなく、日が煌めく昼に描かれている。

この約束は、未来は、状況は、なかったものだ。なくなってしまったものだ。
私が、私のせいで消えてしまった筈の未来。

それが、どうして今ここにあるのか。

228 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:22:55 ID:yBkR092c0

はっと、絵の右下に目をやった。

展示された絵の詳細についての情報が載っている、白のプレート。
その下に、『最優秀賞』と書かれた文字と共に、金色の華々しいオーナメントが飾られている。

だが、私にとってそんな飾りや文字はどうでもよかった。
足を震わせたままなんとか絵に近付き、プレートに書かれた文字を見る。

229 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:23:32 ID:yBkR092c0

『芸術学部 造形学科 洋画専攻 四年』。

作者名の欄に書かれている名前は、『河内ミルナ』。


タイトルは、 『ヴィオラ』。

230 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:24:42 ID:yBkR092c0

認識した情報に、息が詰まりそうになる。
ゆっくりと、視界がぼやけているように感じる。

震える手で、プレートに書かれた文字をゆっくりとなぞりながら、更にその横に目を移す。
作品の説明などが並ぶ筈の、作者自身のメッセージが書かれる筈の箇所。

そのスペースには。

他の絵のプレートとは違う。
一瞬、何も書かれていないと錯覚してしまうほどに、白い余白の目立つ箇所。


その、スペース、には。

231 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:27:07 ID:yBkR092c0





『   ミセリさんへ    大好きです   』

232 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:28:32 ID:yBkR092c0


ミセ* ー )リ「…………馬鹿、じゃない の」


急に、目に何か、違和感のようなものを感じた。

汚れかなにかが入ったのだろうか。すぐに取らなければ。
そう思い、鞄の中に手を入れる。
だが、いくら中を探っても、目当ての物は出てこない。

233 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:29:48 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「……………呼ぶ なら、直接 」

ミセ* ー )リ「ちょくせつ ちゃんと 呼び なさい、よ」

いつも肌身離さず身に着けている物なのに。大切にしている物なのに。

一体、どこにやってしまっただろう。
記憶を辿る。どこかに落としたのだろうか。どこかに置いてきたままなのだろうか。

そういえば、最後に使ったのは、一体いつだっただろうか。

ミセ* ー )リ「こ んな……こん な、形、で 」

234 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:30:25 ID:yBkR092c0

手の甲に、何か薄いものが感触が走った。
目当てのものかと思い、鞄から取り出し、視線を下げる。
だが、それは探していたものではなかった。

青いビオラが挟まった、綺麗な一枚の栞。


それを見て、私はやっと全てを理解した。

235 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:31:48 ID:yBkR092c0

ミセ* )リ「   なま え 、ねぇ、ミルナ ちょく、せつ―――」

どうして忘れていたんだろう。

そうだった。思い出した。
私が、子どもの頃に姉から貰って、ずっと大切にしていたハンカチは。
彼と二人で出かけた、あの涼やかな秋の日から。



ずっと。

236 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:32:20 ID:yBkR092c0


ミセ* Д )リ「 ねぇ………!!!」





ミルナに、貸したままだったんだ。

237 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:32:47 ID:yBkR092c0



――――もう、限界だった。

238 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:34:15 ID:yBkR092c0


ミセ*;Д;)リ「ああぁあああああっ!!!ひっ、あ、ああぁ ああ ぁ あああ…!!!」

ボロボロと、あの日の嵐のような涙が溢れた。

ミセ* Д )リ「ああぁあぁ…うあぁ、ひっ あぁ あぁぁ」

私は泣いた。
人前で、公衆の面前で、恥ずかし気もなく、子どもみたいに泣き喚いた。

天井を仰いで泣いた。
床に額をこすりつけて泣いた。

喉が文字通り引き裂かれるほどに、大声で、泣き続けた。

239 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:35:40 ID:yBkR092c0

あぁ、今更になって、やっと分かった。

ミセ*∩Д;)リ「ミル  ナぁ…あぁ、あぁあ……ああぁぁ……!!」

私が、彼をどう思っていたのか。
どうして彼の姿を見ると、心がざわつくのか。
どうして彼の二言三言に、やけにイラついたり、嬉しくなったりしたのか。

本当に今更だ。
もう、なんの意味も、価値もない、あまりにも遅すぎる答え。
でも、やっと分かったんだ。もう遅いけど、みっともないけど。

これだけ時間がかかって、何もかも手遅れになって、年甲斐もなく大声で泣いて。

やっと、今更、分かったんだ。

240 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:36:07 ID:yBkR092c0

答えは、呆れるくらいに単純だった。

いや、本当はとっくに、心のどこかで分かっていた。
なのに私はずっと、気付かない振りをしていた。

私は。ずっと、ずっと前から。
彼のことが。絵描きが。河内ミルナのことが。
家族よりも、自分よりも、音楽よりも、ヴィオラよりも、何よりも。

241 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:37:07 ID:yBkR092c0


ミセ*^ワ^)リ ( ゚д゚ *)


私は、ミルナのことが好きだったのだ。

242 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:37:55 ID:yBkR092c0

彼の描く絵が好きだった。
絵を描く時の、彼の指先が好きだった。
私が無茶を言ったときの彼の困り顔が好きだった。
時々、眠そうにしながら掃除をしている彼の横顔が好きだった。
私のヴィオラを聴いている時の、彼の閉じた瞳が好きだった。

何もかもが、その全てが、彼が、ミルナが。

ただ、世界で一番、大好きだっただけなのだ。

243 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:39:07 ID:yBkR092c0


ミセ* Д )リ「―――ず、あぁ あ い るい……こんな …ズルい……!!!」

ミセ*;Д;)リ「ズルい、よ!!アンタ… !! ズルい、 ズルいズルいズルい!!!」

ミセ*つД;)リ「言え よぉ…!!!ちょく、せつ、なまえ  だっ て やく、そく  」

ミセ* Д )リ「  ……呼ぶってっ…いっ  あ、うぐっ…あぁぁ……」

ミセ*;Д;)リ「あぁああぁ……っ ひっ…あぁ、ああぁ……〜〜〜あぁああ…!!!」


言葉が声にならず、全てが水になって流れていく。
天国に届きっこない慟哭が、みっともなく溢れていく。


好きだった。本当に、心の底から大好きだった。

244 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:40:02 ID:yBkR092c0

本当はずっと期待してた。
病気が治ったら、ずっと貴方と一緒にいられると思ってた。
あの日、京都に帰ってきた時、「うちでずっと働かないか」って、本当は言うつもりだったんだ。

嘘じゃない。貴方に絶対、嘘はつかない。
本当だ。本当なんだ。
人として、友人として、女の子として、私は、君のことを大事に想ってたんだ。

245 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:41:14 ID:yBkR092c0

ミセ*;Д;)リ「ああぁあ…あぁ、 あぁぁ……!!!」

貴方と話すのが楽しかったんだ。
貴方の絵が、何より綺麗に見えたんだ。
貴方と仲直り出来た時、人生で一番ホッとしたんだ。
貴方が私の絵を描いてくれた時、人生で一番嬉しかったんだ。
貴方にひどいことを沢山言ったの、いつかちゃんと謝らなきゃって、本当はずっと思ってたんだ。

もう、何を言っても、思っても、ミルナには届かない。
今更気付いても、分かっても、理解しても、もう遅い。

だって、もう、彼はいない。
死んでしまったから。彼のことを何も知ろうとしなかった私が、追い詰めてしまったから。

246 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:42:12 ID:yBkR092c0

顔を上げて泣き続ける。
涙でぐちゃぐちゃになった視界の奥。
キャンバスの中心で、桜の木の下で、ヴィオラを弾く私。

あぁ、そうか。これも、そうなんだ。

この絵は私だ。こことは違う、どこかの世界の私だ。
訪れる筈だった未来で、約束を果たした私の、彼から見た姿だ。

ミルナは私のことをこんな風に見てたんだ。
ミルナは、私のことを、こんなに綺麗に見てくれてたんだ。


なのに、私は。

247 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:42:58 ID:yBkR092c0

泣き声がずっと反響する。
眼球に溜まった水が溢れて、ほんの一瞬だけ視界に光が戻る。
視線の先、楽しそうにヴィオラを弾く私が映る。
それが、また、あまりにも、綺麗すぎるものだから。

私はまた泣いた。
ずっと、ずっと、血液も心臓も、全部流れ出るくらいに泣き喚いた。


ずっと、ずっとずっとずっと。
失恋した少女みたいに、みっともなく、ただずっと泣き続けた。

248 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:43:33 ID:yBkR092c0

*


気が付くと、私はどこかのソファーに寝ころんでいた。
上体を起こし、キョロキョロと周りを見る。なんだか高校の職員室に似た、そんな部屋。

( ´W`)「―――起きたかい」

白髭先生がカップを片手に持ってこちらに近付いてきた。
差し出されたカップからは暖かな湯気が立ち上がり、爽やかなレモンの香りがした。

249 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:44:13 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「……ありがとう、ございます」

自分が発した声に自分で驚く。
老婆のような、ひどくしわがれた声。
渡されたレモンティーを飲むと、ピリッとした鋭い痛みが喉を走った。

ゆっくりと喉を潤しながら、私は先生から事の顛末を聞いた。

ミルナの絵が、最優秀賞を勝ち取ったこと。
それが口コミで広がり、高名な画家や金持ちの目に留まったことで、大学の予想を遥かに上回る人気が出てしまったこと。
そして、泣いていた私は結局、電池を抜かれた人形のように突然、泣き疲れて眠ってしまったこと。

250 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:44:49 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「………あの絵は」

( ´W`)「うん?」

ミセ* ー )リ「ミルナの絵は…『ヴィオラ』は、どうなるんですか」

私の質問に、先生は自前の白いひげに触れながら何か考える素振りを見せる。
少し言い辛そうにした彼は、私の無言の抗議に耐えかねたのか、ゆっくりと口を開いた。

251 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:45:42 ID:yBkR092c0

( ´W`)「…本来、卒業制作の作品というのは大学が端金で買い取るか、処分される」

( ´W`)「だが今回のミルナ君の絵は、例外中の例外だ。既に一介の美大生の作品に対してとは思えない値段の高額請求がいくつも大学に来ている」

( ´W`)「ただ、売却の許可を示す本人がもうこの世にいないし、絵の所有権の相続するような身内も彼にはいない」

( ´W`)「まぁおそらく、権利は大学に帰属したとみなされて、大学が誰に売るのかを決めて……」

ミセ* ー )リ「―――あなたが」

「もう充分だ」とでも言うかのように、私は先生の言葉を遮った。
それだけ聞ければ、もういい。
処分という言葉が出てきた時は肝を冷やしたが、それなら、私がしたいことは、まだ出来る。

ミセ* ー )リ「先生が、一旦、買い取ってくれませんか」

私の申し出に、先生は口をポカンと開けたまま黙り込む。
そんな姿も意に介さずに、私は止まらず話を続けた。

252 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:46:32 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「先生が買ってください。私がお金を貯めるまで、誰にも、あの絵を奪われないように」

ミセ* ー )リ「いつか…いつか、何年かかるか分からないけれど、いつか、十倍以上の値段で、私があの絵を買い取ります」

ミセ* ー )リ「だから、お願いできませんか」

「この通りです」と、大した中身も詰まっていない頭を下げる。
とんでもない。下手をすれば何かしらの法律に違反していそうな頼み事。

だが、私は正気だった。
正気のまま、本気で、その内容の突飛さを理解していながら口にした。

253 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:47:41 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「私は、恵まれてた。お金持ちの堂島家の娘として生まれて、お金に困ったことなんてない。買ってもらったヴァイオリンもヴィオラもピアノも、値段を気にしたことすらない」

ミセ* ー )リ「……だから、ミルナの気持ちは、最後の最期まで分からなかった」

金欠なんて、私はなったことがない。
だから、理解も共感も出来なかった。お金のために働いたミルナの気持ちが分からなくて、私は一度、彼に怒った。

けれど、それは違う。今なら分かる。
間違っていたのはそもそも、ミルナではなく、私だった。

私が、ミルナを理解しようとしなかったのだ。

254 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:48:52 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「私…何も知らないんです。ミルナのこと。今も、全く、全然」

ミセ* ー )リ「アイツの好きな食べ物も知らない。好きな映画も、本も、花も、曲も、故郷の景色も、なんにも」

ミセ*;―;)リ「アイツが病気だったことも、家族がもういないことも知らなかった」

ミセ*;―;)リ「……アイツは何度も、私のことを知ろうとしてくれてたのに」

口にして、その残酷さにようやく気が付く。
彼と過ごした一年と約10か月という、長い期間。
その間、私から彼に歩み寄ったことなど、ただの一度もなかったということに。

それでも、知りたいと思った。
とっくに終わってしまったけれど、そんなことをしたって彼は帰ってこないけれど。
自分の何を棄てても、河内ミルナという人間を、知りたいと思ったのだ。

255 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:49:21 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「でもせめて…せめて、あの絵は私のお金で、買いたい」

ミセ* ー )リ「私が自分で稼いだお金で、ミルナのことをちゃんと理解した上で、私が、あの絵の価値を決めたい」

頭を上げることなく、懸命に頼み込む。
今の私には何もない。音楽の技術だって、この二年でひどく落ちてしまった。
また昔のような演奏が出来るようになるまで、気の遠くなるような時間がかかるに違いない。
仮にまた上手くなれたとしても、私の演奏に価値が戻るかは分からない。

それでも。

256 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:49:51 ID:yBkR092c0

( ´W`)「……私が買うのはいい。元々、私も購入希望者の一人だ」

( ´W`)「けれど、今の時点でもう最高購入予定価格は、数百万を超えている。このままいけば一千万以上…君が家の力を借りずに買える金額にはとても収まりきらない」

ミセ* ー )リ「それでも、お願いします」

先生は、心からの親切心で言ってくれている。
当然だ。世間から見れば、実家の後ろ盾がない今の私など、ちょっとヴァイオリンやピアノが上手いだけの世間知らずの箱入り娘に過ぎない。
そんな小娘が、自分の力であの絵を買えるようになるなどと、大言壮語にも程がある。

それでも、私は頭を下げることをやめなかった。

257 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:50:52 ID:yBkR092c0

ミセ* ー )リ「――あの絵は、ミルナの人生なんです」

去年の夏、手術を受けると決めた私に、彼がはっきりと言った言葉を思い出す。
「人生全部で貴方を描く」。真直ぐに私の目を見ながら言ってくれた、告白よりも嬉しい言葉。

ミセ* ー )リ「アイツが…ミルナは、自分の人生全部を使って、私を描いてくれた」

ミセ* ー )リ「だから、私もそうしたいんです。私、アイツみたいになりたいんです」

ずっと考えていた。
もし、私がミルナに想いを伝えるなら、どうやって伝えるだろうかと。

258 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:51:34 ID:yBkR092c0

言葉はダメだ。そんなに語彙がある方ではないし、そもそも、言葉なんかじゃこの想いは語りきれない。
絵もダメだ。私にはミルナみたいに、綺麗な絵を描く技術はない。

自分が持っているカードを漁って、ダメなものを切り捨てていって。
最後に残ったカードが、それだった。

唯一、私が胸を張って、ミルナに捧げられるもの。
彼が、一番最初に褒めてくれたもの。

ミセ* ー )リ「ミルナが、人生全部で私を描いてくれたから」

だから、私は。
私も、ミルナみたいに。貴方みたいに。

259 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:52:13 ID:yBkR092c0



ミセ* ー )リ「私は」



ミセ*゚ー゚)リ「――私の人生全部で、彼を、弾きたい」

260 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:52:41 ID:yBkR092c0

これが、私の出した結論だった。

どれだけかかるか分からない。
もしかしたら文字通り、私がしわしわのお婆ちゃんになるまでヴィオラを弾いても、足りないかもしれない。
けれど、それでもよかった。いっそのこと、そうなって欲しいとまで思った。

私の人生そのものを、弦に、曲に、音楽にしたい。
彼のための音楽を、彼を主役にした曲を奏でたい。
私の全てを捧げてそれが出来た時、きっと私は、ミルナのことを理解できるだろうから。

261 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:53:07 ID:yBkR092c0

頭上から、小さな呟きが聞こえた。
私はゆっくりと顔を上げ、困ったように笑う先生の顔を見る。

分かっている。これは、なんの意味もないことだ。
成せたところで何も生まれない。昔の私が嫌悪していた、何の生産性もない行為。

けれど、それでもいいんだ。それでいいんだ。

意味はないだろうけど、価値はあるだろうから。
私は、好きな人みたいになりたいから。
あの絵みたいに綺麗なものを、私も生み出してみたいから。

262 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:54:07 ID:yBkR092c0

礼を言い、別れの言葉を告げて部屋を出る。
窓から見える景色はすっかりと黒へと変わっている。

外に出る。ざわざわと、春の夜風が草木を撫でる音がする。
上空には、いつかを思い出させるように、煌々と輝く満月が浮いている。


なんだか、懐かしい匂いがした。

263 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:54:47 ID:yBkR092c0

*


春の陽光煌めく空の下。
自然が数晩かけて敷いたピンクのカーペットの上を、私は転ばないように慎重に歩いていた。
何せ荷物が荷物だ。
台車を引きながら何も気にせず歩けるほどまで、この庭の道は流石に整備されていない。

長い時を過ごした筈の実家の庭。
けれど流石に五年以上も離れていれば記憶というのは薄まるもので、私は既視感と新鮮味という矛盾を抱えながら、庭の奥にある一本の木を目指した。

264 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:55:20 ID:yBkR092c0

昔から変わらない、私の身長なんかとはとても比べ物にならない大きさの、一本の桜の木。
三月の末を迎えたそれは、嘗て見た時と同じように、見事な満開の桜を携えている。
時折、暖かな陽気を含んだ春の風が枝葉を撫で、はらりと雨のような花弁を降らせる。

頭上を見上げれば、ちらほらと見える白い雲の隙間から、清々しいほどに青く澄み渡る空が見える。
晴れてよかった。そう思いながら、私は踊るような足取りで桜の木へと歩みを寄せた。

265 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:55:56 ID:yBkR092c0

荷物を粗方置き、桜の木の前に立つ。
そしてそのすぐ傍にある、大学を卒業した私が勝手に作った、木製の椅子に腰かけた。

国有数のホールに置いても、何ら違和感を生じさせないであろうコンサートチェア。
手すりやクッションまである本格的な観賞用の椅子は、本当は私のために作ったものじゃない。

この席は、とある人のために十年前から用意していた予約席だ。

だが、予定時刻まではまだ少し余裕がある。流石にここまで歩いてくるのは疲れた。
それに、先に約束を破ったのは向こうだ。
なら、ちょっとくらい私が占拠したってアイツは文句を言わないだろう。

266 ◆gMoTB8ciTo:2024/05/01(水) 01:56:58 ID:yBkR092c0

腰を落ち着けたまま、私は一冊の音楽雑誌を取り出した。
『ハロー・サン』という記者の名前が左下に小さく書かれているのを確認し、予め挟んであった栞の部分を開く。

『天才ヴィオラニストの世界ツアー、ウィーンでの公演にて無事終了』と書かれた見出しの見開きの部分。
そこに自分の名前が載っていることを確認しながら、冒頭から目を滑らせていく。
『ヴァイオリニストとしても』だの、『ザルツブルク公演でのコンマス』だの、随分と前のことまでよく取り上げたものだと感心しながら、私はじっと文章を読み進めていった。

あと数行、そう思ったところで、隣に置いていたスマホのアラームが鳴った。
せっかく昔から贔屓にしてくれている記者が書いてくれた記事なのだ。
最後まで読みたかったが、仕方がない。また後日に続きを読むとしよう。

好きな人から貰ったビオラの栞を丁寧に雑誌に挟み込み、本を閉じる。
折れたりしないよう丁寧に鞄に入れた私は、椅子から勢いよく立ち上がった。


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