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('A`)( ゚∀゚)川 ゚ -゚)( ^ω^)の話のようです

528名無しさん:2021/08/12(木) 21:32:40 ID:nmTz5E9I0
  _
( ゚∀゚)「だからさ、たぶんあいつらってそんな感じなんだよ。あいつらっていうか、この業界は、って感じかな。スポーツの世界? なんだかおれは、そんなの信用できねェや」

从'ー'从「――」
  _
( ゚∀゚)「だからバスケは好きで、できたら続けていきたいけども、バスケで人生を切り開こうとは思わね〜な。ま、他にやりたい仕事があるってわけでもないんだけどよ」

从'ー'从「ジョルジュが言いたいことは大体わかった。でもさ、積極的に辞めたいわけでもない部活を辞めて、弟の世話をみるってのはねぇ」
  _
( ゚∀゚)「外聞が悪いってか? どうでもいいだろ、そんなモン」

从'ー'从「ま、それはそうね」
  _
( ゚∀゚)「だろ?」

从'ー'从「まったく、なんだか外聞のよくない立派なことを言うようになっちゃって」
  _
( ゚∀゚)「ルールを把握し、その範囲内で、勝つためには何でもやるべきだって誰かさんが言ってたからな」

从'ー'从「誰それ? 教育によくないわねぇ」

 相手からファウルを引き出すようなプレイの仕方をかつておれにそれとなく教えた母さんは肩をすくめてそう言った。

529名無しさん:2021/08/12(木) 21:33:28 ID:nmTz5E9I0
  
从'ー'从「ま、何はともあれ、すぐに決まることじゃないからね」

 まずは調べることからだ、と母さんは言った。

从'ー'从「さっきは保育園への切り替えは無理だろうって言ったけど、事情を話してお願いしたら何とかなるかもしれないし、今私が知らないだけの制度がこの世にあるかもしれないし、私の仕事の都合も意外とつけられるかもしれない」

 まずはそれらを調べ、現在のおれたちの状況と勝利条件を知らなければならない。そしてその勝利に向かってゲームを作り上げるのだ。

 おれのポジションはポイントガード、ゲームメイクはお手の物だ。母さんもそうなのかもしれない。

从'ー'从「ジョルジュの考えは踏まえた上で、お願いした方がトータルで良さそうだと思ったら気兼ねなくお願いするから、その時はお願いね。その時ジョルジュの気が変わってたら、それはまたそれでいいだろうし」
  _
( ゚∀゚)「合点承知」

( ・∀・)「ぶええ」

 何となく雰囲気を察知するのか、言葉のわからない筈の赤ん坊はひときわ大きな声を上げた。

530名無しさん:2021/08/12(木) 21:34:42 ID:nmTz5E9I0
○○○

 それでしばらくは上手くいっていた。おれはバスケを辞めることなく、できる範囲で子育てや家事も手伝い、おれたちはそれなりにやり繰りできていた。

 これを充実と表現するなら、おれはまごうことなきリア充だったことだろう。世間のリア充イメージからは大きく逸れているかもしれないが、そんなことはどうでもいい。

 ちゃんと時間を確保しバスケの練習もできていた。なんならおれのプレイはかえって向上していたんじゃないかとさえ思うのだ。

 確かに身体的にも精神的にも時間的にも、ただバスケをやっていた場合よりも負担は大きかったのだろうが、この生活から得られるものも少なくなかった。

 具体的に挙げろと言われるとなかなか難しいのだが、たとえば傍若無人な王様のように振る舞うモララーのお世話をさせてもらう生活は、チームメイトを上手く転がしこちらの意図に乗った上で気持ちよくプレイさせなければならないポイントガードの仕事の役に立ったように思う。

 何が不満で泣いているのかもわからない赤ん坊に比べて、撃ちたいシュートややりたいプレイがある程度でも把握できるボーラーたちのなんとコントロールしやすいことか。なんせ、言えばわかってくれるのだ。何ともありがたいことである。

 練習に対する態度もいくらか変わったのかもしれない。時間を奪われることによって、おれはその貴重さを実感できるようになったのだ。

531名無しさん:2021/08/12(木) 21:39:51 ID:nmTz5E9I0
  
 そんなわけで、意外と難なく立ち上がった長岡家の子育て生活だったが、しかし1年と半年ほどが経つ頃にはじわじわと歪みのようなものが感じられるようになっていた。

 産休や育休の制度をはじめ、おそらく多種多様な支援を受けながら母さんは育児と労働を両立させていた。それが言うほど簡単なことであったようにはとても思えないし、そんなことができたのは、おそらく母さんが有能だったからなのだろう。

 そして有能な母さんは、その能力をもっと仕事に向けるよう期待されてもいたようだった。

从'ー'从「ぐおお、しんどい。ああ疲れた。しかし赤子のお尻のなんとプリプリしたことよ。モラ尻、モラ尻」

 そんなことを口走り、仕事から帰った格好のままで着替えもせずに息子の尻を撫でまわす母さんの姿を帰宅時見ることが日常的になったのだ。

 ツッコミ待ちのボケでやっているわけではなさそうだった。いったいどれだけの時間をそうして過ごしているのか見当もつかず、おれは特にリアクションを取ることなしに着替えて飯を食い、母親の奇行をぼんやりと眺めたものだった。きっと酒も入っているのだろう。

 モララーは尻を揉まれて笑っていた。
  _
( ゚∀゚)「う〜ん、これは、きっと疲れているんだろうなァ」

 弟の粉ミルクと間違えることなく抹茶味のプロテインをシェイクして飲み干し、おれはそのように考える。母さんはおれから見ても疲れている。その時せいぜいおれにできたのは、そのモラ尻とやらが先ほどまで糞尿にまみれていたという事実をあえて教えはしないことくらいのものだった。

 そんなある日のモララーが寝静まった後の夜、おれは母さんから「話がある」と打ち明けられたのだった。

532名無しさん:2021/08/12(木) 21:40:51 ID:nmTz5E9I0
  _
( ゚∀゚)「――いよいよ来たか」

 と、おれは思った。おれに驚きはほとんどなかった。

从'ー'从「いやあ、お気づきかもしれないけどさ」

 これはちょっと無理そうだわ、とその日の母さんはバツが悪そうに頭を掻いた。
  _
( ゚∀゚)「おう、お気づきだったさ」

从'ー'从「やっぱりそう? まいっちゃうね」

 そう言い母さんはにっこりと笑い、グラスにビールを注いでは飲んだ。

从'ー'从「まあまだ限界ではないんだけどさ、限界を迎える前に計画と相談はしとかないとね。まだ辛うじて冷静な思考ができると思う」
  _
( ゚∀゚)「辛うじてかよ」

从'ー'从「うひひ、面目ない」
  _
( ゚∀゚)「それで、どうしようか。おれはモララー様のお世話を大きく仰せつかるというのも構わんぜ。部活と両立はできねぇけどよ」

从'ー'从「そうそう、そこんところもちゃんと話し合っとかないとね。座んなさいよ」

533名無しさん:2021/08/12(木) 21:41:42 ID:nmTz5E9I0
  
 おれにそう言い、自身も椅子に座り直した母さんはまっすぐにおれを見た。おれはその視線を受け止める。飲酒に赤らんだ頬さえなければ真面目な雰囲気になってしまいそうなものだった。

 つまり、そうはならなかった。座り直して姿勢が正されたのは数秒のことで、母さんはすぐに片肘をテーブルについてにへらと笑った。

从'ー'从「うひひ、こういうのってやっぱ慣れないもんだね。子ふたりの母親になっても駄目だわ、やめやめ。普通に話そう」
  _
( ゚∀゚)「まァ酒が入ってりゃそらそうだろうさ」

从'ー'从「仕事だったら真面目なお話もできるんだけどね。あ〜でもこれってある意味プロ意識が高いのかな? 褒められるべきだと思う?」
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( ゚∀゚)「知らねェよ。何の話だ」

从'ー'从「そうだった、そうだった。バスケの話よ。ジョルジュ、あなたの」
  _
( ゚∀゚)「おれのね」

 まあわかってたけどよ、とおれは続ける。母さんはニヤニヤと笑いながらビールを飲んだ。

从'ー'从「前聞いた時は、別にバスケを辞めてもいいってジョルジュ言ってたよね。今はどう? 全中に行っちゃったりして本気度も増したんじゃない?」

534名無しさん:2021/08/12(木) 21:43:04 ID:nmTz5E9I0
  
 母さんはいじわるな質問をするような口調でそんなことを訊く。おれは肩をすくめて見せてやった。
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( ゚∀゚)「本気度は変わらねぇよ、ずっとMAXだ。あとは全中まで行ったっつっても1回戦負けだしな。大したことねえ」

从'ー'从「そう? 私は鼻高々だったけどね」
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( ゚∀゚)「それならそれはよかったけどよ」

 小さく笑って頭を掻く。母さんを喜ばせられたというならそれはおれにとっても嬉しいことだが、中3夏の全国大会への勝ち進みは本当にまぐれのようなものだった。

 まぐれというか、相手の不幸だ。県大会やその準決勝まで勝ち進めたのは自分たちの実力だと胸を張って言えるが、その準決勝と決勝はどちらも相手がベストメンバーにほど遠いものだったのだ。

 怪我だ。準決勝の相手はエースが大会前から負傷していた。それを無理に出場を重ねては何とか勝ち進んで来ていたのだが、おれたちとの対戦だった準決勝には、そのエースプレイヤーはついに出られなくなっていた。ほとんどそのおかげでおれたちは接戦をものにしたようなものだった。

 決勝戦はもっとひどかった。相手チームの正ポイントガードが、やつらの準決勝の終了間際で怪我をしたのだ。おれたちとの決勝戦の直前だ。ゲームプランを根底から覆すようなその不運には、敵の立場ながらなんとも言えない気分になる。

 そうしておれたちは中学バスケの全国大会、通称全中へ行ったのだった。そして1回戦でボコボコにやられて負けた。スコア的には何とか僅差になるよう取り繕ったが、おれは正直途中から勝てる気がまったくしていなかった。

 おれの中3の夏はそれで終わった。

535名無しさん:2021/08/12(木) 21:44:10 ID:nmTz5E9I0
  
 そう。中3の夏だ。

 中学校最高学年の夏の大会を終えたおれには中学バスケからの引退が迫っていた。
  _
( ゚∀゚)「ああそっか、だから今の内に話すのか」

 今のおれにはボーラーとしていくつかの選択肢が存在している。もっとも考えやすいのはこのままエスカレーターでシタガク高等部へ進学し、進学後もそこでバスケを続けるという道すじだ。少しやる気を出すなら、中等部バスケを引退して即高校の練習に混ぜてもらうというのも不可能ではないだろう。チームを全国大会に導いたおれには高等部での特待生待遇が用意されていた。

 そして、それらすべてをなかったことにして、部活バスケから足を洗うという選択肢も、考えてみればおれにはあった。

 今おれがそんなことを言い出したらどうなるだろう?

 スカウトの渋沢さんをはじめ、シタガク関係者からは猛烈な抗議をよこされるかもしれない。今のチームメイトや、来年チームメイトになる予定だったやつらからの好感は期待しない方がいいだろう。おれのことを応援してくれている人たちは、ひょっとしたらおれに裏切られたように感じるかもしれない。

 どれもなんてことはなかった。

 ツンを除いては、の話だが。

536名無しさん:2021/08/12(木) 21:47:01 ID:nmTz5E9I0
  
 ツンという女の存在は、やはりおれにとっては特別なものだった。

 バスケットボールを始めた時からそうだったのだ。これはもう仕方のないことだろう。ツンはおれより格上のボーラーで、コートを支配し、すべてを切り裂くドライブを持つ最高のスラッシャーだった。

 『だった』だ。結局あの交通事故の後、以前のおれの家の庭でやり合って以来、ツンとおれが同じコートに立つことはなかった。独自に練習か何かをやっていることは知っていたが、それに誘われることもなかったし、説明のようなこともされなかったし、ツンが女子バスケ部に加わっているような様子もなかった。ずっとクラスが違ったこともあって、体育の授業で一緒にバスケをすることもなかったのだ。

 あの事故当時、ミニバスでチームメイトだったツンとおれは、ほとんど同格のような扱いになっていた。あの頃のおれたちがチームにとってどんな立ち位置だったかを仲間に尋ねたら、ほぼ全員が「ダブルエース」と答えただろう。

 しかしおれにとっては違った。はっきりと同じレベルのプレイヤーになっただとか、総合的に見て自分の方が良い選手だとか思えたことは、ついに一度もなかったのだ。

 そんな優れたボーラーが、怪我でバスケを辞めなければならなかった。そこに対する負い目のようなものがおれにまったくないと言ったら、それは嘘になってしまうことだろう。

从'ー'从「ま、でも、実はやりようはいくつかあるのよね」

 おれがそんなことをぐるぐると考えていると、母さんは肩をすくめてそう言った。

537名無しさん:2021/08/12(木) 21:47:53 ID:nmTz5E9I0
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( ゚∀゚)「――やりよう?」

从'ー'从「そうそう、私たちのこれからの生活様式って感じ? ひょっとしたらジョルジュは、私が仕事の範囲を縮小して子育てと仕事を頑張りながら自分はバスケを続けるか、私に自由な振る舞いを許して自分がモララーを引き受けるかのどっちかしかないと思ってるかもしれないけれど、それはそうでもないのよね」
  _
( ゚∀゚)「そうなのか?」

从'ー'从「あ、やっぱそうだった? それはね、大きな勘違い。実は私が時には残業を交えたフルタイムでしっかり働きながら、モララーも育て上げ、ジョルジュくんも元気にバスケットボーれるような選択肢は、あるにはあります」
  _
( ゚∀゚)「ゆめみたい!」

 バスケットボーれるって何だよ、という引っかかりはスルーした。それどころではなかったのだ。

 続けられるものならもちろんバスケは続けたい。それはおれの本心だった。そこに強い執着はないというだけのことである。

 バスケをやれる。しかし、おれがそうぬか喜びする間もなく、母さんは「ただし」と言葉を続けた。

从'ー'从「ただし、前にもちらっと言ったことがあるけど、それにはもちろん金か人手が必要になる。工夫や変化をしないとね」

538名無しさん:2021/08/12(木) 21:49:19 ID:nmTz5E9I0
  _
( ゚∀゚)「――工夫」

 それか、変化だ。おれはその言葉の意味を考える。

从'ー'从「まあでも工夫はたかが知れてるわね。今も何とかやろうと都度アジャストしてきて限界が迫っているわけだし」
  _
( ゚∀゚)「変化」

 その言葉の意味を考えたくないと思っていることを、おれは自分でわかっていた。

 考えるまでもないことだからだ。それに前にも母さんから聞いている。

从'ー'从「そう、変化。増える仕事量に対処するには時間かお金か人手がかかるの。その時間を私たちはこれ以上割けないわけだから、さっきも前にも言ったように、お金か人手が必要となる」

 すぐさま手に入れられる金か人手というと、その供給源は限られていることだろう。

 それはもちろんおれかモララーの父親だ。
  _
( ゚∀゚)「――」

 おれは半ば意識的に避けていたその現実を突きつけられたような気分になった。

539名無しさん:2021/08/12(木) 21:50:43 ID:nmTz5E9I0
  
从'ー'从「お察しの通りと思うけど、ジョルジュのお父さんかモララーのお父さんからお金か労働力をいただけば、だいたい万事解決することでしょうね。ま、ジョルジュがあまり歓迎してなさそうだったから、これまではスルーしてきたわけだけどさ」

 もうスルーしてもいられないかも、と母さんは言った。おれは黙ってそれに頷いた。
  _
( ゚∀゚)「――別に知りたくなかったから訊いたことないけどよ、おれたちの社会的な? 法律的な? 関係ってどうなってんだよ?」

从'ー'从「私とあなたと、あなたのお父さんは今でも家族よ。色々面倒臭かったことだし、実は離婚しておりません」
  _
( ゚∀゚)「ほ〜ん。それは、居場所とかって知ってんのか?」

从'ー'从「知らない。けど、訊けば教えてくれるんじゃない? ジョルジュにはたまに会いたがってるわよ」
  _
( ゚∀゚)「マジか。知らんかったわ」

从'ー'从「そりゃ教えてないしね。別に隠してたわけじゃあないけど、あなたもお父さんに会いたいって言うことなんてなかったし」

 それはそうだな、とおれは背もたれに体重をかけて頷いた。

540名無しさん:2021/08/12(木) 21:52:07 ID:nmTz5E9I0
  _
( ゚∀゚)「でもさ、おれがはっきり拒否したわけでもねェし、親父にはおれに会うことができる権利みたいなものがあるんじゃねえの?」

从'ー'从「ないわよそんなの。だって離婚してないんだし」
  _
( ゚∀゚)「なるへそ」

 そのためにも離婚していないのかもしれないな、とおれは思った。

从'ー'从「というわけで、ジョルジュのお父さんとは、離婚して得られる権利を放棄する代わりに離婚して発生する義務を拒否しているような関係なのよね。お分かりかしら?」
  _
( ゚∀゚)「おおむね理解した」

从'ー'从「それならよかった。それで、だからモララーのお父さんと私は、正確には不倫関係になるのかな。裁判になっても負けるつもりはないけれど」
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( ゚∀゚)「その、ええとモララーの父ことモラ父は、おれのことは知ってんのか?」

从'ー'从「もちろんご存知。あの人は不倫のつもりはないとは思うけどね、声をかけて責任とってと言えばすっ飛んでくるかもよ」

 母さんは小さく笑いながらそう言った。

541名無しさん:2021/08/12(木) 21:53:46 ID:nmTz5E9I0
  
 おれの親父のことを話す時とは違って、モラ父について語る母さんの表情は柔らかかった。どうやらモラ父との関係性はそれほど悪くないらしい。そして、その顔はおれにひとつの考えをよこす。

 母さんはモラ父と夫婦になりたかった、もしくはなりたいのではないかということだ。

 前におれの考えを母さんが訊いてきた時、おれはそれを望まないようなことを確かに答えた。それが母さんを縛りつけていたのだろうか?

 この考えをおれが否定するのは難しいことだった。
  _
( ゚∀゚)「――」

 もし母さんが望むと言うなら、おれはそれを受け入れるべきだろう。そしてそれはおれにとっても悪いことばかりではない筈だ。おれはバスケを続けられるようになることだろうし、気に食わなければその男には極力関わらないようにもできるだろう。希望すれば、特待生待遇の一環として寮に入るようなこともできるかもしれない。

 その方が、母さんにとってもモラ父にとっても、モララーにとってもいいことかもしれないのだ。

 石ころが坂道を転がり落ちるように考えが勝手に進んでいく。この家庭における邪魔者は、ひょっとしたらおれの方なのかもしれなかった。

542名無しさん:2021/08/12(木) 21:55:27 ID:nmTz5E9I0
  
 ぐるぐるとそんなことを考えていると、母さんが大きく背伸びをしているのが見えた。にやにやとした顔でおれを眺めている。

从'ー'从「一応、参考までにお母さんの気持ちを言っとくとね」

 と、母さんはそのにやにやとした顔のままで言葉を続けた。

从'ー'从「私は結構今の生活が好きなんだよねえ。モララーは可愛いし、良い尻してるし、ジョルジュもいっぱいバスケしてて結果も出してくれてるしさ、仕事も楽しいからね。ただ、しんどい。このままの生活でやれるならやっていきたいところなんだけど、それは無理そうだな〜と今更ながらに思うから、こうしてジョルジュさんとお話しているわけですよ」
  _
( ゚∀゚)「――知ってるよ」

从'ー'从「ならいいけどさ」

 ぶっきらぼうに言ったおれを、母さんはやはりにやにやと眺める。
  _
( ゚∀゚)「何だよ?」

从'ー'从「いやあ、ジョルジュくん、あなたもなかなかカワイイよ」
  _
( ゚∀゚)「何だよ!」

 ポイントガードはポーカーフェイスじゃないといけないよ、と母さんはなおもにやにや言った。

543名無しさん:2021/08/12(木) 21:57:54 ID:nmTz5E9I0
○○○

 母さんと今後を話した数日後、おれはモララーと公園に来ていた。例の、あの公園だ。

 目的はふたつ。ひとつはモララーと遊ぶことだ。これは自動的に達成される。

( ・∀・)「ぼーる!」

 ほとんど自分と同じくらいの大きさをしたバスケットボールを楽しそうに抱え、モララーはそれをおれに向かって投げてきた。正確には、投げようとして、何とか前に転がした。

 その勢いでモララーが転んではしまわないかとヒヤヒヤものだ。

( ・∀・)「きっく!」
  _
( ゚∀゚)「キックは足な」

 そう言い、おれは力なく転がってくるボールを足で引くようにして受ける。ちゃんとしたコーチが見たら激怒するかもしれないバスケットボールの扱い方だ。

 幸か不幸か、当時のおれにはちゃんとしたコーチがいなかったので、誰にもそれを咎められることはありえなかった。
  _
( ゚∀゚)「これがキック!」

 足の裏を使ってきわめて柔らかいパスをモララーへ送ってやると、その可愛いらしさに服を着せただけのような生き物はキャッキャと笑う。おれたちはそうして何度かパス交換をした。

544名無しさん:2021/08/12(木) 21:58:42 ID:nmTz5E9I0
  
ξ゚⊿゚)ξ「――ずいぶん楽しそうじゃない」

 声がしたのでそちらを向くと、そこには狙い通りにツンがいた。ここに来た目的での残りひとつだ。必ず会えると思っていたわけではないが、どうやらおれにはツキか何かがあるらしい。
  _
( ゚∀゚)「楽しいさ」

 お前もどうだ、とツンに答える。ツンは小さく頷いた。
  _
( ゚∀゚)「ほれモララー、このお姉さんはツンちゃんだよぉ」

( ・∀・)「つんちゃん!」

ξ゚⊿゚)ξ「まあ可愛い。これが例の弟くん?」
  _
( ゚∀゚)「そうそう、今やこんなに大きくなった。長岡家は絶賛子育て中」

ξ゚⊿゚)ξ「大変?」
  _
( ゚∀゚)「めちゃ大変だよ」

ξ゚⊿゚)ξ「あらそう」

 お疲れさまね、とツンは笑って言った。

545名無しさん:2021/08/12(木) 22:00:28 ID:nmTz5E9I0
  
 ツンはざっくりとした白いジャージを着ていた。ボールを抱えてバスケのゴールがある公園にいるのでなければヤンキーの人たちに見えるかもしれないところだ。それが地毛であることをおれは知っているが、鮮やかな金髪をしているというのもヤンキーポイントのひとつだろう。

 ただしツンはヤンキーではない。足元もサンダルではなく、外履きにしているのだろうバッシュだった。

ξ゚⊿゚)ξ「――あたしに会いに来たのかしら?」

 モララーとの球遊びに参加しながら、ツンはおれにそう訊いてくる。なんとも鋭い質問だ。
  _
( ゚∀゚)「そうかな、偶然じゃねェ?」

 と試しに否定してみると、おれは即座に笑い飛ばされた。

ξ゚⊿゚)ξ「いやそりゃ無理よ。あんたこの公園めったに来ないでしょ。そんなに家から近いわけでもないし、当たり前っちゃ当たり前なんだろうけど」
  _
( ゚∀゚)「お見通しですか」

ξ゚⊿゚)ξ「ツンさまには何でもお見通しよ」
  _
( ゚∀゚)「何でもですか」

ξ゚⊿゚)ξ「何でもよ。あんたがどうせ何か言いにくいことを言いに来たんだろうなってなことも、あたしにはすべてお見通し」

546名無しさん:2021/08/12(木) 22:01:49 ID:nmTz5E9I0
  _
( ゚∀゚)「――これはまいったな」

 おれは実際まいってしまってそう言った。

 あまりに図星だったからだ。話が早いのはこちらとしてもありがたいことだけれど、あまりに察しが良すぎるというのも考えものだ。居心地の悪さをおれは感じる。

 モララーからのパスとも言えない球転がしを両手で受け取り、優しく転がし返したツンは、おれに肩をすくめて見せた。

ξ゚⊿゚)ξ「じゃないと事前に連絡してくる筈でしょ。子供の世話かつ偶然を装ってあたしに会えるかどうかもわからないこんなところに来るなんて、乗り気になれない報告か何かをしたいと言ってるようなものね。確率に背中を押してもらおうとしたんでしょ」

 そんな考えモテないわよ、とお姉さんのような顔で言うものだから、おれは思わず笑ってしまった。
  _
( ゚∀゚)「モテませんかね」

ξ゚⊿゚)ξ「無理むり。あんたはバスケやってなけりゃただのダサ坊、非モテよ」
  _
( ゚∀゚)「ダサ坊!? こりゃバスケ辞めたら大変じゃねェか!」

ξ゚⊿゚)ξ「バスケやってりゃそれなりに見てられるわよ。神とツンさまに感謝しなさい」
  _
( ゚∀゚)「――そうだな」

547名無しさん:2021/08/12(木) 22:02:46 ID:nmTz5E9I0
  
 そうだな、と言ったきりおれは、すぐに言葉を続けることができなかった。非常に言いにくいことだったからだ。

( ・∀・)「キャッキャ!」

 ボールを転がし、受け取るたびに楽しそうにモララーが笑う。モララーはおれとツンに向けて交互に球を転がしてくる。

( ・∀・)「じゅんばん!」

 平等にボールを得る機会をくださる小さな王様に感謝の意を表しながら、おれとツンは順番に従ってボールを受ける。

 おれ、モララー、ツン、モララー、そしておれへとボールが回る。おれはボールを優しく転がす。それを受け損ねたモララーが何がそんなに面白いのか、高い声で爆笑しながらそのボールを全身で追う。

 足がもつれてコケることにもまた笑ってしまうようだった。

 そうした何ターンかのやり取りをモララーはまったく飽きることなく楽しむ。

ξ゚⊿゚)ξ「――辞めるの?」

 やがてツンが、吐き出すようにそう訊いてきた。

548名無しさん:2021/08/12(木) 22:04:05 ID:nmTz5E9I0
  
 何と答えたらいいものか、しばらく言葉を探してみたが、どこにも適切な表現は見つからなかった。

 当たり前だ。それを伝えにここにこうして来たというのに、準備できていないのだから。その場で改めて考えたところで思いつく筈もないのだ。

 しかしその場にはツンがいた。どれほど言うべき言葉がなかろうと、おれはツンにただちに何かを言わなければならなかった。そのために来たのだ。そんなことはわかっていた。

 モララーは純粋な喜びでボール遊びに興じている。おれは動揺が表面に現れないように気をつけながら、送られてきたボールを受け止め、転がす。

 ツンの質問に答えなければならなかった。
  _
( ゚∀゚)「――そうだよ」

 そうなることになると思う、と、おれもまた吐き出すようにしてようやく言った。

 上がりっぱなしのテンションに疲れたのか、モララーがボールを受け損ねて地面に座り込んだまましばらく立ち上がれなくなっていた。

 おれはモララーに近寄ると、その体から砂をはたき落とし、怪我がないことを確認して肩車の形に担ぎ上げる。

( ・∀・)「かたぐるまん!」

 モララーは楽しそうにそう言った。

549名無しさん:2021/08/12(木) 22:06:00 ID:nmTz5E9I0
  
 おれはその場で軽くモララーを乗せた身体をゆすったりゆっくりターンしたりして赤子にエンターテイメントを提供し、そのままツンに向かって歩いた。
  _
( ゚∀゚)「おれたちはこいつを育てなきゃいけないし、母さんも仕事が大変だから、部活レベルのバスケは高校からは続けられなくなると思う。ツンには自分の口から伝えたくてさ、でも何て言ったらいいかわからなかったし、こういう形になっちまったんだ」

 ダサいのは悪いけど勘弁してくれよ、と自嘲の笑みで付け加えると、ツンはおれをまっすぐ見ていた。

ξ゚⊿゚)ξ「――そう」
  _
( ゚∀゚)「そうなんだ。訊きたいことや言いたいことがあったらよろしく頼む。ツンにはそうする権利があるんじゃないかと思うからよ」

ξ゚⊿゚)ξ「――別に特別ないけど、そうね、高校はどうするの? バスケ部辞めるって言ってもあんたシタガクにいられるの?」
  _
( ゚∀゚)「正直わからねェ! まだ誰にも言ってないからよ。これから言って、どうなるかだな。まァいられたとしても授業料免除とかはなくなるだろうし、適当な安い公立とかに転校するってのが現実的かな?」

ξ゚⊿゚)ξ「今中3のあんたが高1の4月からでしょ? それって転校って言わないんじゃないの、知らないけど」
  _
( ゚∀゚)「ハ! それもそうだな」

 なんだかこんな会話をプギャーさんともしたな、とおれたちは顔を見合わせて小さく笑った。

550名無しさん:2021/08/12(木) 22:09:11 ID:nmTz5E9I0
  
 それはおれの肩に乗ったモララーの高い笑い声とは違ってとても乾いた笑みだった。

 表面を取り繕い、見かけ上の平和を場に成立させるためだけの笑いだ。おれもツンも心の底では微塵も笑ってなどいない。

 これは嫌だな、とおれは思った。こんなものがおれとツンが作るべき空気であっていい筈がない。どうやら疲れ切った様子のモララーをおれは肩車から抱っこの形に移行させる。モララーがこの雰囲気を味わう前に寝かしつけたいと思ったのだ。

 はっきり言って、反吐が出そうな空間だった。

 そしてそれはツンにとってもそうだったのだろう。赤ん坊が寝ついたのを確認すると、ツンは目を伏せてゆっくりと深いため息をつき、顔を上げておれのことを睨みつけてきた。

ξ゚⊿゚)ξ「嫌ね、あんたとあたしで、こういう上辺だけのやり取りをするっていうのは。やっぱり見栄とか建て前とか、空気を読むとか言ってもしょうがないことは言わない方がいいとか、そんなことはどうでもいいから、あたしはあんたに訊きたいことを訊くことにする」
  _
( ゚∀゚)「同感だな。ぜひそうしてくれよ」

ξ゚⊿゚)ξ「そうさせてもらうわ」

 そう言うツンの目は怒りの炎に燃え上がっているようだった。おれが当然受け止めるべき感情だ。

551名無しさん:2021/08/12(木) 22:10:12 ID:nmTz5E9I0
  
 試合の勝敗を決定づける、クラッチタイムのボーラーのような顔をツンはしていた。

ξ゚⊿゚)ξ「あたしが訊きたいことはたったひとつよ。あんた、バスケを辞めたいの?」
  _
( ゚∀゚)「――」

 辞めたくはない。

 反射的にそう思ったが、同時にツンには即答できない何かがおれにはあった。
  _
( ゚∀゚)「――」

 ツンはおれの回答を急かすことなく待っている。おれはそれが何なのかを漠然と考える。

 それは母さんと話した家の事情がそうさせるのかもしれないし、シタガク高等部には進学せず自分で自分の進路を決めたプギャーさんとのやり取りがそうさせるのかもしれない。

 それとも、もっと単純に、辞めたいわけではないと口では言っているだけで、おれはバスケットボールをそれほど愛していないのだろうか?

 これはツンへの返答だ。

 おれは、おれの本心か、もしくは本心に可能な限り近いところを、ツンに知らせなければならなかった。

552名無しさん:2021/08/12(木) 22:12:56 ID:nmTz5E9I0
  
 自分の腕の中ですやすやと眠る赤子の長いまつ毛をおれは眺める。いつまででも眺めていられる光景だ。

 その寝顔から目を離し、おれはツンへと視線を向ける。
  _
( ゚∀゚)「――辞めたくは、ねぇよ」

 自然とそう言っていた。
  _
( ゚∀゚)「辞めたいわけじゃないけどこれこれこういう理由で辞める、ってさ、聞こえがいいからそう思ってなくても言いやすそうなもんだけどよ、色々考えてみたが、やっぱりおれは辞めたいわけじゃあないと思う」
  _
( ゚∀゚)「おれはバスケが好きだ。そりゃあ思い通りにならないことや練習がしんどいこともあるけどよ、それも含めてバスケが好きだな。続けられるなら続けてェ」

ξ゚⊿゚)ξ「――そう」
  _
( ゚∀゚)「たださ、上昇志向っつ〜の? そういうのはあんまりないんだよな。プロになりたいだとか、バスケで食っていきたいだとか、そういうことは思わねェ。もっと上手くはなりたいし、良い試合もしたいんだけど、おれ、基本的にそこまで勝ちたいってわけでもないんだよ」

ξ゚⊿゚)ξ「あら、プギャーさんとの勝負の時はそんな感じじゃなかったけど?」
  _
( ゚∀゚)「基本的に、だ。あん時は殺してやろうと思ってた」

 そりゃあそういう時もあるけどさ、とおれは笑って言った。ツンの顔にも笑みが浮かんでいて、これはおれたちの間にあるべき本当の笑顔だな、とおれは思った。

553名無しさん:2021/08/12(木) 22:14:43 ID:nmTz5E9I0
  _
( ゚∀゚)「だから何ていうかさ、何が何でも高校バスケをやりてェ! ってわけじゃあないんだよ。辞めたくはない。ただ、このモララーや母さん、それとおれの状況を考えた上で、それでも続けたいとは思わないんだ。根性なしだと思うかもしれねェが、やっぱりこれがおれの本心だ」

 悪いな、とおれはモララーの頭を撫でながら言う。ツンはまっすぐおれを見つめたままで、しかしその目は燃え上がっているようには見えなくなっていた。

 元々そうだったのかもしれない。

 おれの気持ちを黙って聞いていたツンは、その後でゆっくりと頷いて見せた。

ξ゚⊿゚)ξ「よくわかったわ。話してくれてありがとう」
  _
( ゚∀゚)「おう、こちらこそだ。なんつ〜か、自分の気持ちを再確認できた。これまでも同じようなことは言ってきたけど、ツンにこの話ができてよかったよ」

ξ゚⊿゚)ξ「それは何よりね」

 そう言うと、ツンはおれのそばに歩み寄ってきた。ジャージのズボンが擦れる音がする。

 そしてツンはその手を伸ばし、おれの腕の中で寝ているモララーの頭を優しく撫でた。

ξ゚⊿゚)ξ「それじゃあ今度はあたしの気持ちや希望も言っていい?」

 ツンはモララーの頭に手を添わせたままでそう言った。

554名無しさん:2021/08/12(木) 22:20:26 ID:nmTz5E9I0
  
 それを拒否する理由はどこにもなかった。
  _
( ゚∀゚)「おう、もちろんだよ」

 おれは言うことをすべて言ったのだ。今後の予定も報告済みだ。どんな恨み言をこの怪我でプレイの機会を失ったかつての優れたボーラーから言われようと耐えられることだろう。

 たとえツンから嫌われようとも、おれがツンを嫌うことはないだろう。純粋にそう思えていたおれは、何でもウェルカムの気持ちでツンの発言を待つ。

 しかしそれから言われたツンの提案は、そんなおれの都合や選択、そして覚悟のようなものを、すべて覆しかねないものだった。

ξ゚⊿゚)ξ「あたしはあんたにバスケを続けて欲しいと思ってる。そのためだったら、あたしにできることは手伝うわ。あんた周りの事情と状況をこれからあたしに詳しく教えて、続けられるかどうかを再検討しなさい」

 それはおれに有無を言わせない口調だった。完全に想定外だ。

 完全に面食らってしまったおれに、ツンはなおも言葉を続ける。

ξ゚⊿゚)ξ「辞めたいっていうなら別だけどね、そうじゃないなら続けてもらうわ。ああそうそう、それからね、せっかく一生懸命やるんだから、やるからには一番上を目指しなさいよね」

 好戦的な笑みを口元に貼り付け、ツンはおれをまっすぐ睨んで言った。


   つづく

555名無しさん:2021/08/12(木) 22:21:16 ID:nmTz5E9I0
今日はここまで。
やっと高校生になりそうです

556名無しさん:2021/08/12(木) 22:27:50 ID:zzkMgSvQ0
乙乙

557名無しさん:2021/08/13(金) 19:29:41 ID:4HUzFOGA0
面白い、続き楽しみにしてる

558名無しさん:2021/08/15(日) 00:26:17 ID:CUxe3TJg0
乙!今回の話特に好きだ
前回までと今回のバスケへの気持ち、幼児と中学三年生のボールの触れ方のギャップがな、なんというのか、もの悲しい
ツンちゃんに真剣に答えようともするし
あの(ドクオ視点で持っていた印象の)ジョルジュがなあ……

559名無しさん:2021/08/16(月) 18:05:11 ID:LrZe7obg0
中三であまりにも人間が出来すぎてる二人

560名無しさん:2021/08/24(火) 13:46:06 ID:g3wWDAPE0
みんな賢くて誠実で好き
続き楽しみ

561名無しさん:2021/09/30(木) 21:50:35 ID:qnb9qrWE0
2-7.フリースロー

  
 高校からはバスケを辞めるつもりだと語ったおれに反対意見を言う金髪にジャージの女の子は、強くて鋭い口調をしていた。

 大きな瞳がおれを見ている。手を伸ばせば触れられそうな距離だった。

 ドライブ突破をもくろむスラッシャーと、それを阻止するディフェンダーの距離感だ。この間合いからの視線に対する免疫がおれにはあった。そうでなければ目を逸らしてしまっていたに違いない。

 しかし、その視線を受け止められはしたものの、ツンの反対意見に反論する余裕はおれにはなかった。
  _
( ゚∀゚)「――な」

 と、情けない音が口から漏れる。ツンはニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。

ξ゚ー゚)ξ「ねえジョルジュ、さっきも言ったけど、辞めたいんだったら別に辞めてもいいとあたしは思うの。消極的な努力で何かを掴み取れるような甘い世界ではないと思うし、それではあたしの知りたいことは知れないしね」
  _
( ゚∀゚)「知りたい、こと?」

ξ゚⊿゚)ξ「そう、あたしはどうしても知りたいの。このあたしの足が健康で、100パーセントの力でバスケを続けられていた場合、はたしてどのくらいのところまで到達できていたのだろうかということをね」

 ツンはかつて事故に遭った方の膝にちらりと視線を送ってそう言った。

562名無しさん:2021/09/30(木) 21:52:31 ID:qnb9qrWE0
  
ξ゚⊿゚)ξ「この足ね、医学的にはまったくもって健康な状態なんだって。主治医の先生にもリハビリの先生にもそう言われちゃった。それがどういうことだかわかる?」
  _
( ゚∀゚)「――いや」

ξ゚ー゚)ξ「これ以上良くはなりようがないってことよ。何か問題があるならそれに対応して解決すればいいんだろうけど、問題がないっていうのなら、それはもう誰にもどうしようもないってことじゃない?」

 もちろんあたしも含めてね、とツンは言った。口角は上がり気味であるものの、その奥歯が噛み締められているのがツンの小さな頬の表情からわかる。

 ツンはゆっくりと大きく息を吸い、どこまでも深いため息をついた。

ξ゚⊿゚)ξ「こうしてちょくちょく試してはいるんだけど、だめなの。それがどうしてなのかはわからないけど、フルパワーでのステップをこの足は踏めない。たとえば頭で考えて、体を用意して、ヨーイドンでのドライブだったらイメージ通りの動きができるんだけど、状況を体とボールで判断してからゼロ秒で攻め込むことがわたしにはできない」

 かつて怪我上がりのツンとやり合った時のことをおれは思い出す。ドライブをしかけてきたツンはその第1歩がうまく踏み出せず、滑って転んだようになっていた。その時もツンは滑ったわけではなく、足が出なかったのだと言っていた。

 あれからずっとそうなのだろうか。

 そうなのだろう。

 これまで無意識的に想像してこなかったようなその日々を、試すたびにツンに訪れたのだろう絶望の数々を1度にまとめて突き付けられたような心地になって、おれはただツンを見つめることしかできなかった。

563名無しさん:2021/09/30(木) 21:54:09 ID:qnb9qrWE0
  
ξ゚⊿゚)ξ「あたし諦めが悪くってさ、あれからもあんたには黙ってずっと練習してたんだ。黙ってたっていってもとっくにバレてたわけだけど、それでも改めて話す気にもならなかった」
  _
( ゚∀゚)「――ひとりで、やってたのか?」

ξ゚⊿゚)ξ「まあね。時々女バスの先輩が付き合ってくれたりもしたけど、大体は」

ξ゚⊿゚)ξ「でも、やっぱりだめだった。色々やってはみたんだけどね。別に、右からのドライブがなくったって、そこのお前に負けるような気はしないけど――」

 左足の大きな踏み込みで始まる右方向からのドライブは、ツンというボーラーが持つ、もっとも大きな武器だったのだ。ツンはその武器を使ってこの先どのようなモンスターを倒せるものかを楽しみにしていたのであって、自分から選択肢を放棄する縛りプレイをしたいわけではないらしい。

ξ゚⊿゚)ξ「あたしもね、試合の勝ち負け自体は結構どうでもいいの。口では色々言うけどね、結局あたしがバスケに求めるものは、相手のディフェンスを切り裂き試合を支配する快感よ。ま、それができたら大体勝っちゃうわけだけど」

ξ゚⊿゚)ξ「そしてあたしは知りたかった。このプレイスタイルがどこまで通用するのか、あたしが結構良いんじゃないかと思っているあたしのこの能力が、実際のところ、はたしてどれほど良いものなのか」

 もう自分で調べることはできないけどね、とツンは言う。

ξ゚⊿゚)ξ「だから、あたしはあんたがどこまで行けるのかを見届けることによって、この好奇心を満たしたいと思っているのよ」

564名無しさん:2021/09/30(木) 21:55:28 ID:qnb9qrWE0
  _
( ゚∀゚)「――」

 そんなことでその好奇心が本当に満たされるのかよ、というのが率直なおれの疑問だった。自分がどこまでやれるかなんて、自分がやらない限りわからないのではないだろうか。

 それはもちろん今のツンに言えることではないけれど。

 おれの腕で眠るモララーの柔らかい頭を優しく撫でる。そこにツンの右手が乗ってきた。

 長年ボールを扱い続けた者が持つ、硬い手の平の小さな手だった。

ξ゚⊿゚)ξ「――怪我をする前、あんたとあたしは、ほとんど完全に同格のボーラーだったと思うの。もちろんプレイスタイルやスキルセットは違うけど、総合力のようなものを考えた時にね。あんたはそう思わない?」
  _
( ゚∀゚)「――おれも、そう思うよ」

ξ゚⊿゚)ξ「ただ目で見たり経歴で知ったりしてさ、自分と誰かを同一視して満足するようなことはあたしにはできない。でも、あんたの場合は違う気がするの。ボーラーとしてのスキルもメンタルもフィジカルも、ある程度以上をわかった上で、あたしとあんたはあの時同格のボーラーだったとあたしは思う」
  _
( ゚∀゚)「――」

ξ゚⊿゚)ξ「そんなあんたがこの先どこまでやれるかというのを見て、あの日のあたしがあのままプレイを続けられたらどこまでやれていただろうかを考えるのは、それほどナンセンスなことではないんじゃないかと思うのよね」

 ただの自己満足かもしれないけど、とまるで冗談のような口調でツンは付け加えたが、おれの手に触れるその手の平は熱かった。

565名無しさん:2021/09/30(木) 21:56:51 ID:qnb9qrWE0
  
 ――ツンが、当時のおれとツンを同レベルだと考えていた。

 何気なく伝えられたその評価は、おれにとっては心の底に響いてくるようなものだった。

 モララーの髪の感触を手の平に感じる。そしてツンの手の熱気をおれは手の甲に受けていた。

 おれは寝た子が起きない注意深さでそこから右手を抜き取り、ツンにモララーの頭を撫でさせた。かつてはおれと同じ大きさで、もっと昔はおれより大きかった筈の手だ。

 中3になったツンの手は、おれのものより小さかった。
  _
( ゚∀゚)「――母さんに、訊いてみるよ」

ξ゚⊿゚)ξ「そうして頂戴」
  _
( ゚∀゚)「ちょっとこいつを抱いててくれるか?」

ξ゚⊿゚)ξ「モチロン、どうぞ。どうかした?」
  _
( ゚∀゚)「帰る前にハンドリングとシューティングをしていきたいんだ。見てて気づいたことがあったら教えてくれよ」

ξ゚⊿゚)ξ「まかせなさい。――あんたも、バスケはあたしの分も、任せたわよ」

 まあ任せておけよ、とおれは俯いたままでボールを拾った。

566名無しさん:2021/09/30(木) 21:58:01 ID:qnb9qrWE0
○○○

 ツンの申し出を聞いた母さんは、当初やんわりと拒絶の姿勢を取っていたが、そのツンも交えた面談で直接説得を重ねられると、最終的には首を縦に振ったのだった。

从'ー'从「う〜ん、仕方がないわねぇ。そこまで言われるとおばさんどうにも断れないわ」

从'ー'从「ぶっちゃけ、正直なところ助かるし」

ξ゚⊿゚)ξ「でしょう? あたしは役に立ちますよ」

从'ー'从「しかしどんどん世間体が悪い方向に行くわね、私たちのこの家庭はさ」
  _
( ゚∀゚)「こりゃもう開き直るしかないってなもんよ。なァに、おれがバスケで成功しさえすれば、勝手に美談のひとつになることだろうさ」

从'ー'从「あとはモララーがグレなければね」
  _
( ゚∀゚)「頼むぞモララー、おれと母さんとお前の未来は、お前自身にかかってる」

( ・∀・)「い〜ヨォ! ツンちゃんかたぐるまん! ちてェ!」

ξ゚⊿゚)ξ「あいあい。ツンちゃんかたぐるまんしちゃうよォ〜」
  _
( ゚∀゚)「ひょっとして言ってることがわかったのか? しかし即座に交換条件を持ち出してくるとは・・」

 賢いかどうかは別にして、既に素直なイイコとは程遠いのではないかという疑念を胸に抱きながら、おれは思いきりツンの世話になることにした。

567名無しさん:2021/09/30(木) 21:59:11 ID:qnb9qrWE0
  
 これが、初めておれがはっきりと背負った自分の外にあるモチベーションだった。

 モチベーションと言うと聞こえが良いが、要するにしがらみだ。これまでも応援してくれるひとたちの声援やツンの視線、母さんの期待を背負いながらプレイをしてきたわけだったが、そのあたりと今回のツンの協力は、大きく性格が違っていた。

 強制力のようなものがあるのだ。

 おれはツンと約束をした。もちろんモララーの世話や家のことをまったくやらなくなるわけではないが、バスケットボールを今まで以上に最優先し、より優れたボーラーになることを。

 この口約束に法的な効力はないことだろう。常識外れなことかもしれない。

 しかし直接の影響が何もない常識なんておれにはどうでもいいことだったし、どうやらツンもそうらしかった。

ξ゚⊿゚)ξ「辞めたくなったらあんたからそう言いなさい。そしたらこの関係はおしまい、あたしは普通の女の子に戻ります」
  _
( ゚∀゚)「太古のアイドルかよ。というか、それはそっちもそうだからな。嫌になったら言ってくれ、おれは気が利かねえからよ、言ってくれなきゃ絶対気づけねェ」

ξ゚⊿゚)ξ「そうは思わないけど、そうね・・ その代わりに今言っとくとしたら、変な気を回して遠慮なんかしたら、あんた、一生許さないからね」
  _
( ゚∀゚)「おお怖」

568名無しさん:2021/09/30(木) 22:00:24 ID:qnb9qrWE0
  
 報告を受けたわけではないが、母さんはツンの親御さんとも何らかの話をつけたらしい。菓子折り持って挨拶でもしたのか、何か対価のようなものを払ったのか、それとも完全な好意に甘えまくったのかはおれは知らない。どれもあり得ることだった。

 こうしておれは高等部に進学した後もバスケに集中できる体制を手に入れた。

 そして、いつ、どのシチュエーションで言われたのかは覚えていないが、こうした話の締めくくりにツンは言った。

ξ゚⊿゚)ξ「せっかくだから、ジョルジュがこの先とっても頑張れるように、呪いの言葉をかけといてあげる」
  _
( ゚∀゚)「頑張れる呪い? 励ましのお便りとかにしてくれよ」

 というか呪いじゃ頑張れねえよ、とおれは軽口を叩いたのだが、ツンからの返答は決して軽くなかった。

 どころか、場合によっては逃げ出したくなるほどの重たさだった。

ξ゚⊿゚)ξ「――あの事故のこと、ひょっとしたらあたし以上に忘れたことはないでしょうけど、もう一度だけ思い出させておいてあげるわ。あれはあんたのせいではまったくないけど、あの日からあたしは鋭いドライブを失って、もう2度とベストのプレイはできなくなった。自分の意志には関係なくね」
  _
( ゚∀゚)「――」

ξ゚⊿゚)ξ「だからあんたは、自分の意志で辞めたくなるまで、辞めることなんて当然できないと思いなさい。自分に嘘は吐けないでしょう? 何かを誤魔化したりなんかしたら、たとえあたしがそれに気づかなかったとしても、あんたがずっと苦しむことになるんだからね」

569名無しさん:2021/09/30(木) 22:01:31 ID:qnb9qrWE0
  
 その“呪いの言葉”に対してどういうリアクションをしたか、おれはよく覚えていない。

 本当におれはこの時、そんなことをツンから言われたのだろうか?

 たまにそんなことも考える。

 あまりに記憶がおぼろげだからだ。考えてみれば、こんな罪悪感でおれを縛るようなことをツンがわざわざ言いそうな気もしない。

 心のどこかに漂っている、あの事故でツンに庇われたと思っているおれの潜在意識や罪悪感のようなものが、白昼夢のようにおれに見せた幻なのかもしれなかった。
  _
( ゚∀゚)「――に、してはリアルなんだよなァ」

 自問したところで結論が出る筈もなく、おれにできることは結局ひとつだけだった。

 より良いボーラーになることだ。

 中学時代から十分な実績を積み、特待生として当然バスケ部に入部したおれは、1年生からベンチに入り、それなりのプレイタイムを与えられることとなったのだった。

 そのチームにプギャーさんはいなかったが、代わりと言っちゃあなんだが、おれは対戦相手として凄いやつと遭遇した。

 それは留学生の、クックルという名のボーラーだった。

570名無しさん:2021/09/30(木) 22:02:39 ID:qnb9qrWE0
  
 夏の大会が終わって3年生が引退し、おれが有力な先発ポイントガードとして自他ともに認められてきていた頃の練習試合だった。近隣の他県からわざわざ遠征してきたチームの中に奴はいた。
  _
( ;゚∀゚)「なんじゃァこいつは」

 初めてクックルを見た瞬間、思わずおれはそう呟いた。

( ゚∋゚)「――ヨロシク、オナシャス」

 たどたどしい日本語でそう言うクックルは、そのすべらかで黒々とした皮膚越しにも見て取れる、隆々とした筋肉をその体にまとっていた。黒曜石のような体だな、とおれは思った。

 おれだってスポーツマン、アスリートだ。それなりに筋トレも積んでいる。

 しかし、一目で質が違うと思えてしまう肉体を、その留学生は持っていたのだった。

 そこまで抜きん出て背が高いわけではない。それでも圧力のようなものをおれは感じた。
  _
( ゚∀゚)「――冷静になって考えよう。スゴイ体をしているからといって、バスケが上手いとは限らない」

 自分に言い聞かせるように心で呟く。そもそもこれは練習試合だ。勝つこと自体が目的ではない。その前提で考えれば、少なくとも良い経験にはなることだろう。
  _
( ゚∀゚)「さあて、やつのポジションはどこだろな?」

 しかし、そんなことをおれが考える必要はなかった。

 明らかにクックルがおれのマークについていたからだ。

571名無しさん:2021/09/30(木) 22:05:06 ID:qnb9qrWE0
  
 高校生になってしばらく過ごしたおれの身長は170センチほどになっていて、これはボーラーとしては依然として小柄だが、ポイントガードとしてはごく平均的な身長だった。

 クックルは180センチくらいだろうか。190センチはないだろう。すべてをどうとでもできる身長というわけではないけれど、そのムキムキの筋肉はビッグマン仕様にしかおれには見えない。

 だからティップオフからこちらのボールになり、ドリブルを始めたおれは、自分に対峙しているようにしか見えない黒曜石の肉体を確認して驚いた。
  _
( ゚∀゚)「ハァ? おれに来んのか?」

 もちろんバスケのルールに誰が誰のマークに付かなければならないというものはない。身長2メートルのセンターがスピード系のスラッシャーに付くのも、逆も、すべては自由だ。

 だから意外ではあったけれども理解不能というわけではなかった。ゴムを束ねて貼り付けて作ったようなモリモリとした肉体も、手足の長さもあってかそれほど重たそうには見えなかった。

 そう。長いのだ。
  _
( ゚∀゚)「・・こんなの初めて、なんじゃあねえかな?」

 2メートルほどの身長をしたビッグマンとの対戦も高校生になってからは経験してきた。しかし、おれがこれまでに対峙してきたどのボーラーよりも、クックルの手足は長く伸びているようにおれには見えた。

572名無しさん:2021/09/30(木) 22:05:56 ID:qnb9qrWE0
  
( ゚∋゚)「――」
  _
( ゚∀゚)「――」

 おれがボールを運ぶにつれて、クックルとの距離が近づいてくる。

 おれの右手がボールを床に弾ませる。コートから反発してきたボールが見る必要もなくおれの右手に再び収まる。

 一定のリズムだ。全身に血流を巡らせる心臓のように、おれはボールをコートに打ち付ける。

 クックルとの距離が狭まっているのがピリピリと肌に感じられる。黒曜石の体をした留学生は、軽い前傾姿勢でおれが来るのを待ち構えている。やはりおれのマークに付くらしい。

 おれは視界の中心にクックルを捕らえながら、その一方で、見るともなしにコート全体に目を向けていた。

 味方の配置。

 敵の配置。

 バッシュの靴底が体育館の床に擦れて音が鳴る。

 一定のリズムで鼓動するおれのドリブルが少しばかり低くなり、クックルの取る前傾姿勢が少しばかり深みを増した。

573名無しさん:2021/09/30(木) 22:06:45 ID:qnb9qrWE0
  _
( ゚∀゚)「お手並み拝見といこうじゃねェか」

 バウンドを挟んで右手から左手にボールを送る。速度はそれほど出していないが、振り幅が大きく弾道の低いフロントチェンジだ。それに対する反応を見る。左手から右手にボールを戻す。

 減点なしだ。

 バランスの良い構え。鋭そうだが過剰ではない反応の気配。何より手足がきわめて長い。

 良いディフェンダーなのだろうことがすぐにわかった。
  _
( ゚∀゚)「しかし、他のディフェンスのポジショニングや動きにも大きな穴は見当たらない、と」

 レッグスルーを交えて後退しながらディフェンスとの距離を取る。視線をゴールリングに軽く投げてやる。

 スリーポイントラインを出たところ。そこからおれは1歩下がり、クックルは半歩ほどの距離を詰めてきた。

 つまり、おれとクックルの間には半歩の距離が開けられた。

574名無しさん:2021/09/30(木) 22:07:36 ID:qnb9qrWE0
  _
( ゚∀゚)「そうかい」

 それならこちらは、と頭で考えるより先に、おれの体が動いていた。

 シュートモーションだ。

 流れ落ちる水を逆再生するようなイメージでおれの体がボールを運ぶ。右手に茶色の球体が転がり、左手がそれを軽く支える。

 クックルの驚いた顔。

 お前の国にはこの距離からこのタイミングで試合開始のワンショットを撃ってくるガードはいなかったのか?

 それでも反応した長い腕が伸びてくる。
  _
( ゚∀゚)「「――しかし半歩、足りねぇなァ」

 抜群の感触でおれの指を離れていったボールがリングに触れることなくネットを潜るのを、わざわざ目で確認する必要はどこにもなかった。

575名無しさん:2021/09/30(木) 22:08:57 ID:qnb9qrWE0
○○○

 奇襲が成功したからといっておれは調子に乗りはしなかった。

 これはただの3点だ。重々承知。使えるとしたら、おそらく深く印象に残ったであろうおれのプレイ選択の傾向を、勝負所で逆手に取るためのカードとしての効果である。

 開始直後のロングスリーを沈めたおれは、守備に戻りながらクックルの方に視線を向けた。
  _
( ゚∀゚)「流石にガードはやらねぇか」

 ボール運びをしてきたのはクックルではなかった。おれはそれを確認し、背中でマークの指示を聞いてポイントガードと対峙する。普通の体格。もちろんこいつも上手いのだろうけど、先ほどのクックルの印象がおれには強く残っていた。
  _
( ゚∀゚)「クックルは――、と」

 ボールマンに抜かれないよう細心の注意を払いながら、周辺視野と気配、味方や敵の発する音で状況を把握する。どうやら攻撃時のクックルはウィングプレイヤーとなるらしい。

 何本かのパスが回され、何人かの選手が走り、やがてその留学生にボールが回る。

( ゚∋゚)「――」

 おそらく向こうも最初からそのつもりだったのだろう。こちらの守備に大きな穴があれば当然そこを突くけれど、そうでなければとりあえずクックルをぶつけてみて、その反応を伺ってみようというわけだ。

576名無しさん:2021/09/30(木) 22:09:48 ID:qnb9qrWE0
  
 トリプルスレットの形でクックルがボールを保持する。1秒か、せいぜい2-3秒のことだっただろう。

 その間もコート上のプレイヤーたちは完全に静止してはおらず、当然彼らのバッシュの奏でるスキール音が体育館に響いていた筈だ。

 なのだが、クックルがその黒曜石のような腕でボールを掴み、ゆっくりと動かしている数秒間、世界から音が消えているようにおれには感じられた。

( ゚∋゚)「イクゾ」

 と、宣言をされたわけではないけれど、いつもその形から始めているのだろうな、と思える構えをクックルは取っていた。

 何をか?

 もちろんドライブだ。

 静から動。

 単純なスピードだった。

 特別大きなフェイントも入れず、流れるような滑らかさもなしに、クックルはディフェンスをいきなりぶち抜いていた。

577名無しさん:2021/09/30(木) 22:10:34 ID:qnb9qrWE0
  
 その時クックルのマークについていたウチの選手は決して悪いディフェンダーではなかった。

 エースを封じ込め試合を決定付けられるような名手ではないかもしれないが、少なくとも弱点となってそこを突かれるべき選手ではない。安心して見ていられる。

 筈だった。
  _
( ゚∀゚)「――デカい!」

 と、思わず呟いてしまう迫力がそのムーブには備わっていた。

 正確には“デカい”というより“長い”のだろう。

 1歩が大きい。

 踏み出しの勢いとその巨大な1歩で、クックルは一瞬にしてマークマンを置き去りにしていたのだった。

 2歩目の足が大きく出される。確かにスリーポイントラインの内側ではあるけれど、かなり深い位置からの仕掛けだった。なのに、クックルの速く大きな突進は、既にペイントエリアに到達しようとしていた。

 そこにヘルプディフェンスが駆けつける。良い反応だ。留学生のビッグマンで明らかに異質な肉体をしていたクックルにはおれでなくとも注目していたのだろう。

 適切なポジショニングのカバーをされ、クックルの突進が速度を緩める。

 と、おれが思った次の瞬間、クックルは大きく動きを変えていた。

578名無しさん:2021/09/30(木) 22:11:20 ID:qnb9qrWE0
  _
( ゚∀゚)「スピンムーブ!?」

 と、それを呼んでもいいものか、おれは一瞬ためらった。

 おれが知っているスピンムーブとは動きのスケールが違ったからだ。

 クックルはディフェンスを巻き込むようにしてぐるりと回転する進路を取り、どうやったって取られない位置にボールを保護して突破した。

 これは確かにスピンムーブだ。しかしデカい。

 動きとしてはおれにもできるあのムーブとは、まったく違った攻撃力をした動きだったのだ。

 おそらく初見でこのスピンムーブを守るのは不可能だろう。

 見た瞬間にそう諦めてしまうような速さとキレを、黒曜石の肉体が放っていた。

 あのトリプルスレットの形から、結局何歩を使ったのだろう?

 3歩か、4歩か。おそらくそのくらいの筈だ。

 まるで最初からそうなることがわかっているような流れでゴール下に侵入すると、思い切り飛んでダンクを狙うわけでもなく、クックルはあっさりとボールをゴールに投げ入れた。

579名無しさん:2021/09/30(木) 22:11:51 ID:qnb9qrWE0
  
 リングをくぐったボールが床に跳ね、転々と静かに転がっていく。ゴール下から引き上げていくクックルの背中が大きく見える。
  _
( ゚∀゚)「――いやはや、こいつァ」

 まいったね。

 素直におれは呟いた。

 このワンプレイで軽く心を折られるやつもいることだろう。簡単に想像がつく。

 それほど強烈なプレイだった。

 心なしか、ウチのチームのビッグマンがボールを拾う足取りが重たいようにおれには見えた。

 最初の守備でぶち抜かれたあいつはおれと目が合うと苦々しい笑みで肩をすくめた。

 相手のチームの選手たちは得意げな顔で守備へと戻る。クックルは真剣な表情だ。

 おれは。

 自分でもわかる。

 おれは、その時おそらく笑っていた。

580名無しさん:2021/09/30(木) 22:12:42 ID:qnb9qrWE0
  
 ぞわぞわとした、むず痒いような感触を背中に感じる。

 おれの右手がボールを床に弾ませる。

 心臓の鼓動を連想させる一定のリズムでボールが右手に返ってくる。

 選手によっては浮足立っていそうなチームメイトに声をかけるタイミングなのだろう。日頃の練習で訓練している決まった動きをそれぞれに指示し、ゆっくりと時間をかけて丁寧に1本のゴールを目指していくに違いない。

 ド派手なダンクだろうと、信じられないような身体能力を駆使したドライブだろうと、もしくは苦し紛れに放ったタフショットだろうと、スリーポイントラインの内側からのシュートはもれなく2点の価値しかないからだ。慌てる必要はどこにもない。

 そんな、頭では誰もがわかっている事実やルールを、見える形で見せてやれる能力がポイントガードには必要とされる。

 そんなことはおれにもわかっていた。

 凄いプレイを見せられたからといって、こちらがそれに対抗する必要はどこにもないのだ。
  _
( ゚∀゚)「まァでも練習試合ですからね」

 チームや試合を落ち着かせてどっしりと構えるか、あいつやあいつらに舐められないようにこちらもガツンと食らわせてやるか。

 おれはボールを強く弾ませる。おれに対峙するのは、やはりというかクックルだった。

581名無しさん:2021/09/30(木) 22:13:51 ID:qnb9qrWE0
  
 しかしバスケはチームスポーツだ。おれが1対1をひたすらやり続けるわけにはいかない。

 プレイの決定権はボール保持者、多くの場合はポイントガードにあるわけだから、かえって自分勝手な選択はできないのだ。おれもその辺はわきまえている。

 だからおれはパスを回した。そしてオフボールムーブを始める。おれからもらったボールを保持するビッグマンを追い越し、走り、おれのマークについているクックルがどのように付いてくるのか、それともどこかで付いてこなくなるのかを観察してやる。

 クックルはおれに付いてきた。

 何が何でもボールを持たせない、といったような付き方ではない。おそらく自分の瞬発力と俊敏さ、そして判断力に自信があるのだろう。少し余裕を持ったマークで、おれにボールが戻ってくれば1対1で守ってやろうと思っているし、ヘルプに行こうと思えば向かえるような距離感だ。

 味方の体を利用してオフボールスクリーンにかけてやろうともしたのだが、クックルは巧みなステップでスクリーンをかわし、おれにしっかりと付いてきた。
  _
( ゚∀゚)「やるじゃん」

 と、賞賛の声をかけてやる。クックルはそれには答えず、再び戻ってきたボールを受けたおれを正面に捉え、睨みつけるようにして対峙した。

582名無しさん:2021/09/30(木) 22:14:51 ID:qnb9qrWE0
  
 一瞬の静寂。小さくジャブステップを入れたおれのバッシュがコートの表面をキュキュッと鳴らす。
  _
( ゚∀゚)「――」

( ゚∋゚)「――」

 おれたちは無言の空間をふたりで挟み合っていた。

 彫刻刀で雑に掘ったような肩筋から伸びる腕の長さを改めて眺める。一体どの体勢からどのように伸びてくるのか、想像しきれないような長さだった。

 おれの取るべき選択肢は大きく分けてふたつある。その腕の長さが届かないところで戦うか、それともボールを掠め取られる危険性を負ってでも接近戦を挑んでいくか。

 対戦を避けたわけではないが、先ほどのやり合いでは距離を取ってロングスリー、という選択をおれはした。他のパターンも見せておいた方がいいかもしれない。

 ボールをついてリズムを作る。低いドリブルで細かくボールを動かすと、クックルはそれに対応して小さくポジショニングを微調整した。やはりその動きは適切で、クックルが優れたディフェンダーであることをおれは再認識する。

 レッグスルーから1歩下がる。視線をゴールに向けてやる。1回目のやり合いと同じような動きだ。

 クックルは、今度はきっちりおれが下がっただけの距離を詰めてきた。

583名無しさん:2021/09/30(木) 22:15:40 ID:qnb9qrWE0
  _
( ゚∀゚)「お、学習してんじゃん」

 そんなことを空気で呟くおれが見ているのは大きなクックルのさらに奥、ヘルプディフェンスの配置と色だ。まだ情報が不十分で精度は低いが彼らの色の濃淡を感じ取る。

 プレッシャー。

 クックルの腕が小さくこちらに伸びてきたのだ。
  _
( ゚∀゚)「フェイントやろがい」

 おれにはそれがわかっている。おれがそれをわかっているということを、クックルもわかっていることだろう。隙ができない謙虚なサイズのプレッシャーだ。おれの反応を試しているのだ。

 おれは小さくボールを引くようにして、適切な位置でボールを弾ませた。

 自然と軽い半身になる。その動きをそのまま利用した背面からのパスが可能になる体勢だ。

 そして動きにならない小さな気配だけで首をチームメイトに振ってやった。プレッシャーを逆手に取ったタイミングでのパス出しからの、ディフェンスの虚をつくオフボールムーブ。優れたディフェンダーとしての経験がそれを頭のどこかに連想させることだろう。

 そんな条件反射的な思考が彼らの脳に達するより先に、俺は低いドライブでクックルの脇を切り裂いた。

584名無しさん:2021/09/30(木) 22:17:07 ID:qnb9qrWE0
  
 技術としてはハーフスピンと呼ばれるようなムーブだ。ディフェンスに背を向けボールを保護する体勢や、背後からのパスを相手に連想させ、その瞬間に100の力で加速する。

 それをクックルにぶつけてやった。

 初見だ。お前のスピンムーブは驚くべきスピードとサイズで初見で対応は不可能だろうが、おれのハーフスピンにお前は初見で付いてこれるか?
  _
( ゚∀゚)「ヘルプが遠いことは確認済みだ」

 おれはそのためにクックルの奥にまで目を向けたのだ。

 弧を描くような軌道でコート上を旋回してやる。ただちにクックルが反応し、付いてこようとするのだが、おれは既に加速を終えている。

 いかにクックルのスピードが優れていて、加速も早く、機敏な動きができようが、これから動き始める体でこのドライブを許さず止めるのは不可能だ。

 左肩の後ろにクックルを感じる。突破を阻止はできなかったが、それでもシュートを妨害するつもりなのだろう。プレッシャーをかけ、ミスは見逃さないようにして、シュートのクオリティを下げようとしている。あわよくばブロックを狙える身長差と身体能力がクックルにはある。

585名無しさん:2021/09/30(木) 22:18:25 ID:qnb9qrWE0
  
 しかしおれにも十分な経験があった。
  _
( ゚∀゚)「こちとらチビ助出身でしてね」

 自分よりはるかに巨大なディフェンスをおれは相手取っていたのだ。その感覚がおれには身についている。

 ひとつシュートフェイントを織り交ぜて、伸ばした腕からダブルクラッチ気味にボールをボードに当ててやる。当たらなかった。
  _
( ゚∀゚)「なにッ!?」

 思わず驚愕の声が出る。
  _
( ゚∀゚)「お前の位置からじゃあ絶対に手が届かない筈――」

 ミニバスを始めた頃のおれは自分より圧倒的に大きなサイズのディフェンスを日常的に相手にしていた。その中で培われていた感覚なのだ。確かにブランクはあるけれど、それでもなお絶対的な自信がおれにはあった。

 そんな絶対的な自信を軽く飛び越え、その黒曜石の肉体は、シュートの中でボールがおれの手を離れた瞬間、それをボードに叩きつけるようにしてブロックしていたのだった。

( ゚∋゚)「ソッコウ!」

 そしておれが着地しディフェンスのことを考えるより先に、クックルはボールを拾って駆け出していた。

586名無しさん:2021/09/30(木) 22:19:17 ID:qnb9qrWE0
  _
( ;゚∀゚)「嘘だろオイ・・」

 思わずおれは呆然とした。

 なにもレイアップシュートをブロックされたのが初めてだったわけではない。

 驚きのカバーリングからシュートを阻止された経験もおれにはある。

 しかし、想定の中にいるプレイヤーに予想外の動きをされ、確信を持っていたシュートをこれほど見事に阻止されたのは、正直言ってまったく初めてのことだったのだ。
  _
( ;゚∀゚)「――マズい」

 と、おれは本能的に察知する。平常心を失っていた。

 ポイントガードは決して平常心を失ってはならない。どれほど熱い試合だろうと、理想的な展開だろうと、その逆にボコボコにやられていようとも、頭の中の中核の部分は常に冷めさせていなければならないのだ。でないとゲームをコントロールすることなどできやしない。

 ドライブの1歩目でぶち抜かれたウィングのあいつや、スピンムーブに蹂躙されたうちのビッグマンは、あの時こんな気持ちでいたのだろうか?

 おれが自陣に戻るよりも早く、クックルたちの速攻はそのままの勢いで2点のショットをざくりとリングに通していた。

587名無しさん:2021/09/30(木) 22:19:50 ID:qnb9qrWE0
  
 依然としてハーフラインのあたりにいるおれと戻ってきたクックルがすれ違う。一瞬だけだが視線が交わる。
  _
( ゚∀゚)「――」

( ゚∋゚)「――」

 クックルの顔。いくら平常心を失っていようとも、この目をおれから逸らすわけにはいかなかった。

 歯を食いしばってクックルの真っ黒な瞳を睨みつける。やがてクックルは適切なマーク位置まで移動していき、自然とおれたちの睨み合いは解消された。

 自陣からボールが運ばれてくる。

 おれの代わりにシューティングガードでプレイする先輩がドリブルをついて上がってきたのだ。そしてパスがおれに渡される。ドンマイドンマイ、と先輩が声をかけてくる。

 気にするな、なんならもう1回行ってみろよ、と言っているのだ。
  _
( ゚∀゚)「――気に、するな?」

 そんなわけがないじゃあないか。

 おれはその時その瞬間、その言葉が耳に入るなり、なぜだか猛烈に腹が立っていた。

588名無しさん:2021/09/30(木) 22:22:25 ID:qnb9qrWE0
  _
( #゚∀゚)「ぶふぅ〜」

 ボールを保持し、トリプルスレットの形で息を口から逃がしてやる。クックルがおれに対峙している。腹に渦巻くのは怒りのような感情だ。その場で叫びたいような気分だった。

 怖かったのだと思う。

 何がか?

 もちろんクックルの能力は恐ろしいものである。

 だが、そのクックル自体というよりも、規格外の存在に直面した瞬間のこのおれが、その困難に闘志を燃やすのではなく恐怖にのまれることの方が怖かった。

 優れたボーラーでいたいのならば、決して相手のプレイに心を折られてはならないのだ。平常心を失わず、体は熱く頭は冷たくプレイをするのが良い選手というものだろう。

 優れたボーラーになる予定のこのおれが、相手にちょっと良いプレイをされたからといって、それを気にする筈がないのだ。あってはならないことなのだ。
  _
( #゚∀゚)「――」

 無言でクックルを睨みつける。怒りは恐怖に打ち勝つための有効な手段だ。平常心にはほど遠いかもしれないが、それでも腕が縮こまってしまうよりは万倍マシだ。

 クックルは両手を伸ばした前傾姿勢でおれの視線を受け止めていた。

589名無しさん:2021/09/30(木) 22:23:14 ID:qnb9qrWE0
  
 バランスの取れた良い構えだ。どこにも隙が見当たらない。こんな空気で対応されてはかえって冷静さを取り戻してしまうというものである。
  _
( ゚∀゚)「パスするか?」

 そんな考えが頭をよぎる。なにもこの場面でパスを選択したからといって逃げたことにはならないだろう。バスケはチームスポーツなのだ。おれが1対1でどんなやり合いをするかなど、言ってしまえば誤差の範囲だ。

 しかしパスはしなかった。

 逃げたくなかったわけではない。パスをすべきだとおれの体が判断したのなら、もうパスをしている筈なのだ。頭でどうしようかと考える余地があるということは、パスをすべきではない局面なのだ。少なくともそれはおれのプレイではない。

 とはいったものの、パスをしかねないタイミングではあったのだろう。なんせおれ自身もそう思ったくらいだ。その雰囲気はおれの周囲の色をわずかに変えていた筈だ。

 ディフェンス。

 おれのパスを咎めようとしているのがわかる。

 それがわかった瞬間には既に、おれはボールを強くついていた。

590名無しさん:2021/09/30(木) 22:24:13 ID:qnb9qrWE0
  
 パス動作の初動によく似たモーションからおれはドリブルを開始していた。

 先ほどまでの雰囲気とその動き出しで、いくらかタイミングを外せた筈だ。クックルの反応はやはり適切で、しかし適切な範囲の反応はしている。ニュートラルな、隙のない構えとはわずかに異なる。

 その少しの偏りをほんの少しだけ積み重ねさせてやる。右手から左手にボールが動き、おれのステップがクックルに迫る。思考する時間は与えない。

( ゚∋゚)「――!」

 自分の重心がわずかに偏っていることにやつは気づくことができただろうか?

 クックルは優れたバランス感覚でただちにその偏りを解消させることだろう。しかし、そのためには、反応のソースをいくらかをそちらに割かなければならない筈だ。

 時間にしても運動にしても大したことのない量だ。ほとんどゼロといってもいいだろう。気づかれることもないかもしれない。

 しかしおれには見えていた。

 その発見した1点に、おれはすべてのエネルギを注ぎ込むようにして突っ込んでやったのだ。

591名無しさん:2021/09/30(木) 22:25:08 ID:qnb9qrWE0
  
 最終的にブロックしたとはいえ、突破を先ほど許してしまったクックルの反応は何ならさっきよりも鋭かった。ちまちまとした駆け引きなどすべてを無にする身体能力がやつにはあるのだ。

 1歩。

 おれが十分な加速を済ませるより先に、クックルはおれの進路を妨害していた。このままおれが体ごと突っ込み激突すれば、おれのファウルになるかもしれない。

 敵ながらほれぼれするようなディフェンスだ。

 ただし、おれにはそのまま突っ込むつもりはなかった。
  _
( ゚∀゚)「そうかい」

 と、目線でクックルに言ってやる。無表情だったやつの顔にわずかな焦りが見て取れた。

(; ゚∋゚)「――ッ!」
  _
( ゚∀゚)「何か都合の悪い思い出でもあるのか?」

 コートとバッシュの奏でるスキール音でそう訊いてやる。この摩擦は全力の加速を生み出すためのものではなく、最大限の減速でおれの体をその場に停止させるためのものだ。

 停止の動作でついでに1歩の距離を後退してやる。そこはスリーポイントラインの外だった。

592名無しさん:2021/09/30(木) 22:26:08 ID:qnb9qrWE0
  
 目線をリングに向けてやる。ほれぼれする動きでドライブに対応していた黒曜石の肉体が、今は追いすがるようにしてこちらの方へと伸びてこようとしているのがおれにはわかった。

 目線の上げ下げと重心移動。そして間接視野でコートの状況を把握したおれは、そのままシュートモーションを作ってやった。

 クックルは流石のスピードと敏捷性で、完全に後手に回った筈なのにシュートチェックを無理やり間に合わせてきた。おれの右手がボールを支え、左手を添えるようにして上昇するその動きの先に長い左手を伸ばしてくる。
  _
( ゚∀゚)「その、無理やり伸ばした左手だ。おれはそいつが欲しかった」

(; ゚∋゚)「!?」

 ピタリとボールの上昇が止まる。なぜか? もちろんおれが止めたからだ。

 何のために?

 もちろんその不適切なディフェンスを、はっきりルール違反だと咎めさせてやるためだ。

 シュートフェイクに完全に引っかかったクックルのその腕が、ファウルに取られる形となるようおれはシュートモーションを丁寧に作り直した。

593名無しさん:2021/09/30(木) 22:27:12 ID:qnb9qrWE0
  
 審判の笛が高く鳴る。クックルのファウルが宣告される。

 そうして2本のフリースローがおれに与えられた。
  _
( ゚∀゚)「こちとらチビ助出身でしてね」

 ルールを正確に理解し利用するファウルドローはかつてのおれの主な得点源だったのだ。試合に長く出るようになってからは多用しなくなってはいたのだが、大切な技術のひとつとしてプレイの選択肢にはいつも入れている。
  _
( ゚∀゚)「視線と重心移動を使ってのシュートフェイクで、そこから改めてぶち抜いてやってもよかったんだがな」

 先ほどのハーフスピンの時とは違って、今回はヘルプディフェンスの配置がおれにとってイマイチだった。

 ただそれだけだ。

( ゚∋゚)「――」

 クックルが無言でこちらを見ている。おれはそれにニヤリと笑ってやった。ドンマイ、と声をかけてやらないのは、過度な挑発行為と取られてファウルを食いたくないからだ。
  _
( ゚∀゚)「ふゥ〜」

 止まった試合の中でコートの周囲を眺め渡す。観客席にツンがいた。

 そして、その金髪のツインテールを見た瞬間、おれは先ほど自分が感じていた恐怖の根源が何なのかを痛烈に理解した。

594名無しさん:2021/09/30(木) 22:29:19 ID:qnb9qrWE0
  
 元来おれにとってのバスケは挑戦の連続だった。理不尽なほどに思える体格さや身体能力、上下関係などの諸々と共におれのボーラーとしてのキャリアは構築されている。

 いつ辞めたくなってもおかしくないようなボーラー人生だったし、いつ辞めたくなってもそれはそれで構わないようなボーラー人生だった。続けていたのは、単純にバスケが好きだったのと、おれが上手にボールを扱うと母さんが笑いかけてくれたから、そして何かとタイミングが良かったというのがほとんどだろう。

 試合に勝ちたいとは思う。しかしおれは勝つためにやっているわけではないのだ。何かを勝ち取るためにやっているわけでもないし、どちらかというと、本気でそういうことを考えるのならばもっと効率的な道が他にあるんじゃないかと思ってしまう。

 仲間のためにというのはあるだろう。特にミニバス時代のツンとの相棒関係のようなものは、おれにとって非常に大きな経験だった。あれほどのパートナーにはそれ以後巡り合っていない。

 当然と言えば当然だろう。そこにはきっと思い出補正も入っている。

 そして、そんなツンはボーラーとしてはもういない。

 その代わりにいるのは、おれの代わりに弟の面倒をみてくれている、相棒というよりスポンサーのような性質をしたツンだった。この日も母さんの都合が悪ければモララーの世話をしていた筈だ。

595名無しさん:2021/09/30(木) 22:31:06 ID:qnb9qrWE0
  
 どうしてこんな気持ちになるのかうまく説明できないのだが、ツンとの今の関係性に、世知辛さのようなものを感じていることにおれは気がついたのだった。

 ひょっとしたら、それはツンに対してだけではなくて、バスケにも言えることかもしれない。

 授業料を免除され、様々な補助を受けられる特待生としての待遇をおれは学校から受けている。今後もうまくやれたら色々なところから色々なことをやってもらえることだろう。

 それらはどれも間違いなくありがたいことなのだけれど、おれはどうしてもそこにわずかな世知辛さを感じてしまうのだ。
  _
( ゚∀゚)「――おれはひょっとして、この世界が向いてないんじゃないか?」

 そんなことを考えかけて、おれは首を振って強くそれを否定した。

 ツンがバスケに向いていない筈がないからだ。

 フリースローラインに立つ。ボールが審判から渡される。

 静寂。

 試合の時計が止められているフリースローの時間の間、おれはコートの上にいながらも試合に入り込めなくなっている自分に気づいた。

596名無しさん:2021/09/30(木) 22:32:32 ID:qnb9qrWE0
  _
( ゚∀゚)「――嫌な、感じだな」

 ボールを床に弾ませてやる。

 これまで想像もつかない回数を繰り返してきたその行動が、まるで初めてのことのように感じられた。ボールが手に馴染まないのだ。
  _
( ゚∀゚)「――」

 どこかふわふわとした気分の中、しかしおれはフリースローを規定の時間内に放たなければならなかった。

 大丈夫、大丈夫、と声に出さずに自分に言い聞かせてやる。ゆっくり息を吸ってゆっくりと吐く。しかしおれにはとっくにわかっていた。
  _
( ゚∀゚)「大丈夫と言い聞かせないといけないってことは――」

 それはもう、決して大丈夫なんかじゃないのだ。

 そしておれはそのフリースローを2本連続で失敗させた。

 おれの記憶にある限り、自分なりにフォームを固めてフリースローが打てるようになってからというもの、2本得たフリースローを両方外すというのはこれが初めてのことだった。

 そしてこの日を境に、おれはフリースローの時間に対して決してぬぐえぬ苦手意識を持つことになったのだった。


   つづく

597名無しさん:2021/09/30(木) 22:34:04 ID:qnb9qrWE0
今日はここまで。
お祭り楽しみですね。応援しています!

598名無しさん:2021/09/30(木) 23:06:49 ID:ew.Eyn4Q0
乙、今回は特に名作回だな

599名無しさん:2021/10/01(金) 20:03:42 ID:ypiMeZDc0
乙!クックルとの駆け引きめちゃくちゃ熱かった!
フリースローが今に至るまで苦手なの、とても納得がいったわ
ドクオとの関わりで何か変わるのかどうか……今から楽しみ

600名無しさん:2021/10/01(金) 20:26:43 ID:fruwS9V.0
あー今回も最高 乙です

601名無しさん:2021/10/05(火) 22:48:37 ID:ghV9kLrg0
とてもわかりやすい文章でとてもおもしろい展開

602名無しさん:2021/11/30(火) 22:22:51 ID:X6k0hi660
2-8.長岡と高岡

  
 ちょっとフリースローが入らなくなったからといって、何も変わりはしなかった。

 練習のメニューとしてのフリースローは決して下手なわけではないのだ。おれはシュート自体は得意な方で、スリーポイントラインから数メートル離れたところからのロングシュートも悪くない確率で決められる。

 普通にしてれば誰もおれのことをフリースロー苦手マンだなんて、思いつきもしないだろう。
  _
( ゚∀゚)「こりゃひょっとして、自己申告でもしなけりゃバレることないんじゃねぇかな?」

 なんてことも考えたほどだ。

 だって本番のフリースローは本番でしか打つ機会がない。練習のフリースロー・ドリルではしっかりと決めて見せ、非公式の試合では「ちょっと思うところがある」なんて言って接触プレイを避けて進み、本番では今のおれにできる限りの成功率でスローする。たまたまフリースローが全然入らない試合がいくつ続いたら世間が疑ってくることだろう?
  _
( ゚∀゚)「卒業、引退まで逃げ切れやしねぇかな〜?」

 まんざら不可能な話ではないんじゃないかとおれは思っていたのだが、自分がフリースロー苦手マンになったと確信した次の練習試合を0本中0本のフリースロー成功率でやり過ごした直後におれは、ツンから呼び出しを食らったのだった。

ξ゚⊿゚)ξ「何かあったの? 」

 と、ツンはもっともこの時のおれが困る質問をシンプルに投げかけてきた。

603名無しさん:2021/11/30(火) 22:23:39 ID:X6k0hi660
  
 まさかこんなに早く咎められるとは思っておらず、おれは思いっきり挙動不審な反応をした。仮に浮気でもしたとして、その直後にあっさりと恋人から問い詰められたらこんな気持ちになるのかもしれない。
  _
( ;゚∀゚)「な、何って・・ 何がだよ!?」

ξ゚⊿゚)ξ「だからそれを訊いてんでしょうが。あんたね、あんないつもと違ったクオリティの低いプレイをしといて、あたしが気づかないとでも思ったの?」
  _
( ;゚∀゚)「別に勝ったし! 今おれ、ちょっとドライブに頼らないプレイを模索してんだよ」

ξ゚⊿゚)ξ「模索ね。あんたそもそもドライブに頼ってなんかいないでしょ、なんならクラッチタイムの強引な突破はもっと磨いた方がいいくらいだと思うけど」
  _
( ;゚∀゚)「うぐう」

ξ゚⊿゚)ξ「・・で? 何があったの? ひょっとして、怪我でもしてんじゃないでしょうね」

 ツンの視線がおれの体を頭から足の先まで舐めていく。怪我の可能性はお互いにとって否定しておかなければならないことだった。

604名無しさん:2021/11/30(火) 22:24:44 ID:X6k0hi660
  _
( ゚∀゚)「怪我は、してねえ!」

ξ゚⊿゚)ξ「怪我は、ね」

 ふうん、とわざとらしい相槌をツンはつく。おれは責められているような気になった。
  _
( ;゚∀゚)「な、なんだよ!?」

ξ゚⊿゚)ξ「なんだじゃないでしょ。何なのよ?」
  _
( ;゚∀゚)「――」

 絶句してしまったおれは何と言えばいいものかとしばらく考えてはみたのだが、言うべきことを思いつく前にあっさりと観念をした。

 おれがこの女からその場で言い逃れをするなんて土台無理なことなのだ。
  _
( ゚∀゚)「――いやさ、フリースローが入らんのだわ」

ξ゚⊿゚)ξ「はあ?」

 思い切って正面から打ち明けてみたおれに対してツンはポカンと口を開けた。

605名無しさん:2021/11/30(火) 22:25:31 ID:X6k0hi660
  
ξ゚⊿゚)ξ「あ〜、確かにあんた最近、フリースローをよく外すわね」
  _
( ゚∀゚)「うお、わかんのかよ」

 ツンの反応におれは驚く。実際におれがフリースローを目立って外したのはクックルとやり合ったあの1戦と、次の練習試合くらいのものだったのだ。

 どちらも「フリースロー苦手マンになってしまった」という確信的な実感とは違って数字上の調子はそこまで悪いものではなかった。だからおれはこのまま隠し通すこともできるのではないかと思っていたのだ。

 それを、ツンはあっさりと看破してきたというわけだ。下手に言い逃れをせず正直に打ち明けたおれの選択は間違っていなかったことだろう。

 ただし、選択が間違っていないからといって、この先のやり取りが簡単になるわけではない。ツンは当然その不調の原因を知りたがるに違いないからだ。

ξ゚⊿゚)ξ「たまたまだろうと思ってたけど、そうじゃあないの? 何かあるなら言ってみなさいよ」

 相談くらいは乗れるわよ、と、できっこない相談をツンはもちろん要求してきた。

606名無しさん:2021/11/30(火) 22:26:22 ID:X6k0hi660
  _
( ゚∀゚)「いや、何かあるってわけじゃあないんだけどよ、なんだか最近変な感じなんだよな」

ξ゚⊿゚)ξ「フリースローの時だけ?」
  _
( ゚∀゚)「――だな。妙に素に戻って集中力が途切れるっていうかさ。ちゃんと集中しろよと自分で思いはするものの、意識したらかえって気になっちまうんだ」

ξ゚⊿゚)ξ「――」
  _
( ;゚∀゚)「まあでもそのうち治まるだろうからさ! それまでちょっぴりプレイスタイルを変えてみてんだ。気分転換っていうかさ」

 そのようにジェスチャーを交えて語るおれをひんやりと見つめ、ツンは小石を投げるように呟いた。

ξ゚⊿゚)ξ「――それ、イップスってやつかもしれないわね」
  _
( ゚∀゚)「いっぷす?」

ξ゚⊿゚)ξ「野球やゴルフでの話が有名なんだろうけど、ある特定の場面で思い通りに体が動かなくなるような症候群のことよ。精神的なストレスとかプレッシャーが原因と考えられる場合が多いんじゃないかしら」
  _
( ゚∀゚)「――いっぷす」

 その何とも耳に慣れない不思議な響きの単語をおれはゆっくりと繰り返した。

607名無しさん:2021/11/30(火) 22:26:49 ID:X6k0hi660
  
ξ゚⊿゚)ξ「まあでもわかんないわね。あたしもそこまで詳しいわけではないし、少なくとも動画で見たことのあるザ・イップスって感じの症状とあんたは違うと思う」

 言われなきゃわからないくらいだし、とツンは続ける。おれはツンに言われるままに動画で典型的なイップス症例を確認した。

 ぎこちない。という言葉では表しきれないぎこちなさがそこにはあった。

 動作の途中で強制終了をかけているような不自然さで、本能的な恐怖を見ている者に感じさせる動きだ。手に冷や汗をかいているのが自分でわかる。
  _
( ;゚∀゚)「これは――ヤバいな」

ξ゚⊿゚)ξ「でしょ? あんたのフリースローにこういった気持ち悪さはないから、イップスだとしてもたぶんまだ軽症なんでしょうね。だからちょっとフリースローと距離を取るっていうのは、ひょっとしたらアリなのかも」

 知らないけど、と保険の言葉を付けたしながらツンは言った。

 おれはそれに素直に頷く。そして頭にぼんやり浮かべて考える。

 このおれのフリースローに対する意識がイップスと呼ばれるものかどうかは知らないが、その原因がおれにはわかっているのだ。

 そしてそれはおれにも誰にも、どうしようもないことだった。

608名無しさん:2021/11/30(火) 22:27:23 ID:X6k0hi660
○○○

 問題は他にもあった。

 元々あった問題が誤魔化しきれなくなってきたと言った方が正確かもしれない。

 それはやはりというか、モララーの世話だった。おれたちにとっての高校1年生の冬にめでたく3歳児になったモララーは、正式に幼稚園通いを始めていた。

 それまでの2歳児クラスは行くも行かないもかなり適当で、母さんやツンの都合によってどうするかを都度決めていたようだった。それがそれなりにカリキュラムのようなものを用意されることになり、体調不良などのちゃんとした理由がなければ気楽に休むこともできないし、その逆に「やっぱり今日もお願いします」とメッセージひとつで預けることもできなくなるようなのだ。

从'ー'从「いやあ、これはなかなか、大変ですね。母数が増えるから仕方ないとはいえ」

ξ゚⊿゚)ξ「本当に」

从'ー'从「時間がな〜 預かり保育がもうちょっと融通効けばいいんだけど、なんか微妙に短いんだよね」

ξ゚⊿゚)ξ「17時半回収がマストって、定時で上がってもギリギリですよね?」

从'ー'从「まあ保育士さんたちも帰らなきゃならないからね、それでも2時間以上延長しているわけで、頑張ってはくれてるんだろうけど・・」

 当日中に処理しなければならない仕事が降ってきても残業できないのはかえってつらい、と母さんは深くため息をついた。

609名無しさん:2021/11/30(火) 22:28:10 ID:X6k0hi660
  
 それは母さんとツンが月1回ほどの頻度で行っている『モララー子育て作戦会議』でのやり取りだった。定期的に意見交換する場を設けなければ言いたいことを言えずに不満が溜まってしまうかもしれないという危惧の元、上等なケーキとミルクたっぷりのカフェオレをお供に行われる催しだ。

 意見交換というより、年頃の女の子とキャッキャウフフお喋りしたいという母さんの欲望によって開催されているような気がしてならない。

ξ゚⊿゚)ξ「あら、大事よ、お喋りは。世のストレスの大半は綺麗なお姉さんとお喋りしてたらどこかに行っちゃうんだから」

从'ー'从「あらお姉さんなんて、嬉しい。ふふふ」
  _
( ;゚∀゚)「ふふふ、じゃねェよ気色悪いな」

 そうした同級生の女友達と母親がお喋りするという強烈な空間は、おれにはどうにも耐え難いものだった。

 だからおれは自然とモララーの世話をする担当としてその会議に参加する形に落ち着いた。おれに発言権はほとんどない。この家庭内で他におれにもできる仕事といえば、力のいるゴミ出しや水回りの掃除、買い物なんかがせいぜいだった。

 ひとりでできるバスケの練習は内容がひどく限られる。加えておれはチームの中心選手になろうとしていたので、部活を休むこともどんどん難しくなっていたのだ。

610名無しさん:2021/11/30(火) 22:28:41 ID:X6k0hi660
  
 時間の融通が難しくなっていたのは母さんも、そしてツンも同様のようだった。

 なんせツンの志望は医学部進学だ。おれには想像もつかないほどの、並々ならぬ勉強態度が必要となることだろう。おれたちが高校2年生となる頃には綱渡りのようなタイムマネージメントで生活と子育てをなんとか成立させているような有様だった。

ξ゚⊿゚)ξ「この日のこの講義はどうしても聞きたい・・ その前後はいらないとして、予備校までの距離を考えると、お迎えは無理ですね。すみません」

从'ー'从「わかった、それじゃあ一旦早めに病院を出て、お尻を回収して仕事に戻るわ。自分のデスクでお絵描きでもさせとく」

ξ゚⊿゚)ξ「あ、それじゃあ、授業終わったらそっちに迎えにいきましょうか? お家に帰してお風呂とご飯はやっときますよ。ジョルジュが帰ってきたら交代で。いいわね」
  _
( ゚∀゚)「おっけ〜。モララー、母さんとこでいい子できるか?」

( ・∀・)「任せてン。モララーいい子よ!」

从'ー'从「こころづよ〜い。いつもそれに裏切られるけど!」

( ・∀・)「あいあい、裏切るよォ!」
  _
( ;゚∀゚)「褒めてねえんだよ。裏切るな」

 と、まあこんな調子だ。

611名無しさん:2021/11/30(火) 22:29:18 ID:X6k0hi660
  
 そうしたわけで、意外と何とかやっていけるもんだなと思っていたものだったが、ついにはどうにもならない事態となった。

 それぞれにマストの、動かし難い用事が入る日が奇跡の一致をみせたのだ。

从'ー'从「・・・・」

ξ゚⊿゚)ξ「・・・・」
  _
( ゚∀゚)「・・・・」

从'ー'从「私はこの日、システム改修の立ち合いがあって、どうせ一発で上手くいくわけがないからある程度動くようになるまで帰れないんだよね・・」

ξ゚⊿゚)ξ「あたしは模試です。これを受けないと言ったらさすがに親にも担任にもブチ切れられる予感がしますね」

从;'ー'从「おおう、それは是非ともやめてちょうだい。私が社会的に抹殺される」

ξ゚⊿゚)ξ「ですよね〜。預かり保育は?」

从'ー'从「回収が5時だから、間に合う気がしないなぁ」

ξ゚⊿゚)ξ「5時か。普通に受けたら模試が終わるのは5時45分・・ 試験科目を減らせばなんとか?」

从'ー'从「それは絶対やめなさい」

612名無しさん:2021/11/30(火) 22:29:49 ID:X6k0hi660
  
 おれはと言えば、その日は完全に試合だった。それも練習試合ではなくインターハイ予選の公式戦で、バスケ部特待生の身分でこの試合を欠場したいと言い出した場合の大人たちの反応は想像してみる気にもならない。

 うちのチームの試合開始は午後2時半。試合終了後ひとり速やかに撤収し、ダッシュで駆けつければなんとか5時に間に合うかもしれない。

 そのようにおれが考えていると、ツンに目で制された。

ξ゚⊿゚)ξ「あんたは無理よ。考えるのをやめなさい」
  _
( ;゚∀゚)「おおう、なんでわかるんだ」

ξ゚⊿゚)ξ「せいぜい試合後ミーティングにもちゃんと参加しておくことね。やっぱりあたしが1科目減らすか――」

从'ー'从「いや、私が17時までに回収して、子連れでシステム改修に臨むというのが現実的なところだと思う。業者もいるから面倒といえば面倒だけど、まあ別に院長や事務長に断っとけばいいだけだしね。この土日にやるって決めたの私じゃないし」

ξ゚⊿゚)ξ「でも、あまりやりたいことではないんですよね?」

从'ー'从「――それはまあ、そうね」

ξ゚⊿゚)ξ「実はあたしの提案はもうひとつあるんです。こういう全員NGな日って今後もあると思うんですよね。というか、増えていくんじゃないかと思う」

 ツンの提案とは、なんとこのモララー育児メンバーをひとり増やそうというものだった。

613名無しさん:2021/11/30(火) 22:30:13 ID:X6k0hi660
  
从'ー'从「なんと」
  _
( ゚∀゚)「そんなことができるのか?」

ξ゚⊿゚)ξ「実はひとり、候補がいるの」

 ハインリッヒ高岡ってわかる? とツンは言った。おれはもちろん頷いた。
  _
( ゚∀゚)「お嬢様だろ?」

ξ゚⊿゚)ξ「そうそう、高岡家のお嬢様」

从'ー'从「高岡家というと――」

ξ゚⊿゚)ξ「もちろんあの高岡家です。したらば学園の経営者としてもあたしたちにおなじみ」

从'ー'从「ワオ。このアパートのオーナーとしてもおなじみじゃない」
  _
( ゚∀゚)「なんでまたそんなお嬢様が子育てに興味を?」

ξ゚⊿゚)ξ「子育てっていうか、ジョルジュに興味があるみたいだったわ」
  _
( ゚∀゚)「ワオ。モテ期か?」

 違うわ、とツンが即答ではっきり否定するものだから、おれはとても驚いた。

614名無しさん:2021/11/30(火) 22:30:52 ID:X6k0hi660
  
ξ゚⊿゚)ξ「ハインはね、絵を描くの」
  _
( ゚∀゚)「え?」

ξ゚⊿゚)ξ「そう、絵。油絵とかね」
  _
( ゚∀゚)「ああ、絵ね。それで?」

ξ゚⊿゚)ξ「ジョルジュをモデルにしたいって言ってた。あ、いや、違うか。モデルにしたいかどうか、見定めたいと言ってたわ」
  _
( ゚∀゚)「みさだめる・・」

 難しい言葉だなあ、と思うと同時に、なんだか偉そうな態度だなあ、とおれは思った。

 もっとも、ハインリッヒ高岡といえば、接点をもったことのないおれでも知っているほどのおれたちの学校の有名人で、お嬢様だ。偉そうな態度も当然許されるのかもしれない。

 しかし、ツンのフォローはやや意外な角度からのものだった。

ξ゚⊿゚)ξ「まあハインの絵はガチだからね。芸術家的に、そういう態度になっちゃうのかも」
  _
( ゚∀゚)「フゥン」

 とりあえず一度会ってみるかという話になった。お互いのためにだ。

615名無しさん:2021/11/30(火) 22:31:20 ID:X6k0hi660
○○○
  _
( ゚∀゚)「どうも。ジョルジュ長岡です」

从 ゚∀从「ハインリッヒ高岡だ! なんかオレたち似た感じの響きだな、以後よろしく!」
  _
( ゚∀゚)「どうもどうも」

 ハインでいいぞ、と呼び名を指定してきたお嬢様は、字面から受ける“お嬢様”のイメージからは程遠いキャラクターをしていた。

从 ゚∀从「だってオレ、女で末っ子なんだもん。戦略結婚っつ〜の? そういったお家事情に巻き込まれることもなさそうだってなことで、こうして伸び伸び育てられちゃったってわけさ!」

ξ゚⊿゚)ξ「生まれてこの方、性格が強烈過ぎて早々に匙を投げられただけかもしれないけどね」

从 ゚∀从「ハ! 違いねえ! まあそれでこっちは好き勝手できるんだから、匙投げ大歓迎ってところだな!」

 ひと切れあたりの代金でそこらへんの定食なら食べられそうな高級ロールケーキを手づかみで口に運び、ハインはそんなことを笑って言った。

616名無しさん:2021/11/30(火) 22:33:16 ID:X6k0hi660
  
ξ゚⊿゚)ξ「さてさてハインお嬢様、今回はこの長岡くんのお家のお手伝いをしてくれると伺っておりますが・・」

从 ゚∀从「オウ! なんせツンが出してきた条件がそうだったからな。やらせてもらうわ」
  _
( ゚∀゚)「・・いいのか? なんつ〜か、お嬢様にそんなことをさせたりして?」

 あいつウンコ漏らすかもしれねぇぞ、とおれはハインをチラ見して言った。当時のモララーはひとりで小便ができるようになってはいたが、何故か必ず大便はオムツで行うという不思議なポリシーを持っていたのだ。

 どちらかというと聞き分けは良い方だろうと思うのだが、小さな体に大きな決意でモララーは決してそれを曲げようとしなかった。母さんもツンも当然おれも、そんな強情さに根気強く付き合うよりは、大便用のオムツを定期購入してお互いの平穏を願い合うことにしていたのだった。

 モララーが幼稚園にオムツを持っていくことはできない。何をどうすればそんなコントロールが可能なのか、モララーは決して幼稚園で便意を催すことなく、あらゆる大便をケツの穴の中に留めたままで器用に家に帰ってきた。
  _
( ゚∀゚)「んでもガキのやることだから、見込みが甘くってたま〜に玄関前で事切れるんだわ」

从 ゚∀从「括約筋が?」
  _
( ゚∀゚)「すべての動作が停止して異臭が漂いまくってんのに、その後まるで漏らしてませんよヅラをするんだから大したもんだよ。漏らラーと呼ぼうかと思っちゃうね、って、やかましいわ!」

ξ゚⊿゚)ξ「お後がよろしいようで」

617名無しさん:2021/11/30(火) 22:33:46 ID:X6k0hi660
  
 我が家の恥部をさらけ出した注意喚起も意に介さず、結局ハインはモララーの世話をしてくれるということになった。

从'ー'从「ありがたいことねえ」

ξ゚⊿゚)ξ「とはいえ、いきなりワンオペ育児は途方が暮れちゃうことだろうし、何より少なくとも子供を殺さないようにしないといけないから、あの日までに何度かあたしたちのお世話を手伝ってちょうだい。イケるわと思ったらもういいから」

从 ゚∀从「おっけ〜☆ オレの女子力見せてやんよ!」
  _
( ゚∀゚)「一人称がオレの女の子に女子力というものが・・?」

ξ゚⊿゚)ξ「子育てに必要なのは女子力ではなく筋力と忍耐力であると気づいてからが本番だけどね」

从 ゚∀从「きんりょく? お世話しながら子供と遊ぶだけだろ?」

ξ゚⊿゚)ξ「3歳児モララーの体重はおよそ14キロほど。10キロの米袋より重いのよ」

 そしてその14キロほどの肉塊が軽い気持ちで永遠に終わらない抱っこや肩車、さらにはその状態での飲食を求めてきたりするのだ。おそらくモララーは10秒ほどだったら行うことができる全力疾走を1時間続けられないことが本当に不思議でしょうがないに違いない。

从'ー'从「私はふたり目だからそこまで驚きはしないけど、『ちょっと休憩』が本当にちょっとで終わって、しかもちゃんと回復しやがることにはいまだに愕然とするわね〜」

 母さんはコーヒーをすすってそう言った。

618名無しさん:2021/11/30(火) 22:34:17 ID:X6k0hi660
  
 そもそも高岡家のお嬢様に家事などできるというのだろうか?

 そんな庶民の素朴な疑問はただちに否定されることとなった。

 子育て体験の1日目をツンと過ごしたハインは、驚くほどの高評価をツンから付けられていたのだった。そして体験2日目はガチ目な練習試合の翌日で、長時間出場していたおれは軽い練習をこなした後ハインと合流してモララーを迎えに行っていた。
  _
( ゚∀゚)「いや〜、ほとんど言うことなしって聞いてますけど本当ですかね」

从 ゚∀从「失礼な。楽しかったよな、モララー?」

( ・∀・)「ハイン好き〜 絵ぇ描いてン!」

从 ゚∀从「へいへい何でも描いちゃうよ〜ん」

 お家帰ってからな、とモララーの頭を撫でるハインはどこから見ても子供を可愛がる良いお姉ちゃんで、高岡家のお嬢様という先入観とその豪胆に見える振舞いから勝手に抱いていたイメージと大きく異なることに、おれは素直に反省させられた。
  _
( ゚∀゚)「うわ、マジで懐いてんじゃん。何というか、見くびってましたわ。失礼しました」

从 ゚∀从「ひひ。絵は最高のコミュニケーション・ツールだからな!」

 オレにかかりゃあこんなもんよ、とハインはニヤリと笑って見せた。

619名無しさん:2021/11/30(火) 22:34:47 ID:X6k0hi660
  _
( ゚∀゚)「しかし家事もできるとわ・・ 女子力、あるんスね高岡さん」

从 ゚∀从「女子力マンなんだよオレは。任せなさい」
  _
( ゚∀゚)「マンの定義が覆されちゃう!」

从 ゚∀从「ほ〜らモララー、お兄ちゃんだぞ。眉毛を太くしとこうね〜」

( ・∀・)「じょるじゅ! じょるじゅのマユゲよォ〜」

从 ゚∀从「ズラしとこうね〜」

( ・∀・)「ズレちゃって! キャッキャッ!」

 そこらへんにある鉛筆やクレヨンから魔法のように描き出されるおれの似顔絵が誇張表現とデフォルメによって何とも面白いイラストに仕上がっていく。その間におれができることといえば、ハインがモララーに言われるままにペンを走らせ、モララーが描く何かにほんの少し手を加えて爆笑をさらうのを眺めていることくらいのものだった。

从 ゚∀从「おっしゃモララー、ちょっと頑張ってそれ描いてな。オレは洗濯してくるからよ、戻ってきたら見せてくれよ」

( ・∀・)「がんばってかく! ハインはせんたくしないとだめよ!」

从 ゚∀从「あいよ〜」

620名無しさん:2021/11/30(火) 22:35:09 ID:X6k0hi660
  
 ハインは洗濯もテキパキとこなした。モララーの世話をするまで自分で洗濯機を回したことのなかったおれよりずっと手慣れていたことを認めないわけにはいかないだろう。

 視線で言いたいことがわかるのか、おれと目が合ったハインはニヤリと笑って得意げに顎を上げた。

从 ゚∀从「絵ぇやってるとさ、そりゃもうめちゃくちゃ汚れんのよ。だから掃除も洗濯もお手のもの、一般家庭の汚れなんざハインちゃんには屁でもねえや」
  _
( ゚∀゚)「おみそれしました」

从 ゚∀从「ハ! 尊敬したまえ」
  _
( ゚∀゚)「はは〜」

从 ゚∀从「よろしい!」

 へりくだって下げたおれの頭を軽く叩くと、ハインはそのままおれの頭に何かゴムの締め付けを感じるものを被せてきた。

 ぴったりとフィットする。ツインテール用ではない大きな穴がふたつ空いたそれは、間違いようもなくおれのパンツだった。

从 ゚∀从「ツンにパンツまで洗わせてんのか? このスケベ!」
  _
( ゚∀゚)「別に分けろって言われてねえからなァ」

 パンツを被ったままのおれはそう言った。

621名無しさん:2021/11/30(火) 22:35:40 ID:X6k0hi660
  
 言われて気づいたが、確かにおれはパンツの洗濯までツンにされるようになっていた。手渡しているわけでもないので意識したことがなかったのだ。
  _
( ゚∀゚)「ツンの洗濯をおれがすることはないからな、気づかんかったわ」

从 ゚∀从「デリカシーよ。お前ら一応年頃の男女だろうが」
  _
( ゚∀゚)「申し訳。しかし、混ぜちゃだめラインを作ってくれれば守るけどな、練習着やら何やらあるから、完全におれのものは別にしろってのはちと厳しいんだよな」

从 ゚∀从「いや別にオレはいんだよ。こうしてパンツを洗い、洗ったパンツを持ち主に返す技術もあるからよ」
  _
( ゚∀゚)「技術ときますか」

从 ゚∀从「オウ。そのへんツンとジョルジュは意識したりしないのかな、って、ちょっと思っただけですわ。これでも思春期女子なものでしてね」
  _
( ゚∀゚)「意識か〜」

 腕を組んで考える形を取ってはみたものの、しないなァ、という純粋な否定以外の何も自分の中に見つからなかった。

622名無しさん:2021/11/30(火) 22:36:31 ID:X6k0hi660
  
だからおれはそのままの感情を口に出すことにした。
  _
( ゚∀゚)「ツンを女として見るか、ってことだろ? しねえなァ」

从 ゚∀从「ワオ、断定的」
  _
( ゚∀゚)「だって小学校の時から一緒にバスケやっててさ、あいつずっとおれより上手くて強かったんだもん」

从 ゚∀从「へ〜、やってて辞めたのは知ってたけど、ツン、そんなにガチだったのか」
  _
( ゚∀゚)「おれよりずっとガチだったんじゃねえかな。とにかく、そんなボーラーをおにゃのことして意識するってのはちょっとないかな。あっちもそんな感じじゃねえの?」

从 ゚∀从「いやそうなんだよ、向こうもそんなことを言っててさ。怪しいもんだな〜と思いまして、こうして訊かせていただいたわけですわ」
  _
( ゚∀゚)「満足していただけたなら何より」

从 ゚∀从「い〜やまだだね! ちょっと色々訊いてもいいか?」
  _
( ゚∀゚)「えぇ何だよ・・ 思春期の好奇心こわ!」

623名無しさん:2021/11/30(火) 22:37:03 ID:X6k0hi660
  
 しかしおれには訊きたいというのを拒む理由がまったくなかった。その迫ってくる圧力のようなものに引かないと言ったら嘘になるが、そんなことでこれからモララー方面でお世話にもなる高岡家のお嬢様の希望を叶えられるというならおれにとっても本望だ。
  _
( ゚∀゚)「まあいいけどよ、続きはモラ世話が終わってからな。お絵描きでの時間稼ぎもぼちぼち限界だろ」

从 ゚∀从「だな。お〜いモララー、夕飯一緒に作ろうか? お手伝いしてくれよ」

( ・∀・)「お手伝いスル〜」

 声をかけられたモララーが明るく答える。そんな幼児のやる気を聞きながら、おれはハインの横顔を眺める。

 魅力的な顔だった。

 もともと彫りが深いのだろう。化粧をしているようには見えないが、太い筆で一度に引いたようなはっきりとした輪郭は、それぞれが激しく主張する顔のパーツを絶妙なバランスで成立させている。

 妙な迫力を感じる種類の美人だ。いかにも手入れをしていませんという雰囲気をした、色素の薄いざっくりとした髪の向こうから鋭い視線がおれの方に向いているのにおれは気づく。

从 ゚∀从「どうかしたんか?」

 いや別に、とおれは言った。

624名無しさん:2021/11/30(火) 22:37:32 ID:X6k0hi660
○○○

 おれから見てもハインに減点の要素はなく、めでたくモララーのお世話をしてもらうことになった。

 ただしこれは、おれたちの希望としては、の話である。一応口約束は成立している筈だが、交換条件として出されていたのは、おれを絵のモデルとするかどうかを検討する機会を与えるというものだった。

 仮にその検討の結果、やっぱり描くに値しないということになるのであれば、すべてを反故にされてもおれたちにはどうしようもないのだ。

 おれの知らないところでとっくにハインとの挨拶あれこれは済ませているらしい母さんにモララーを引き継ぎ、おれはこの高岡家のお嬢様をそのご自宅まで送ってさしあげる道すがらにいた。
  _
( ゚∀゚)「どうですかね、うちのモララーは。可愛いもんでしょ?」

从 ゚∀从「あァ、可愛いもんだな。・・何だよその口調と態度は」
  _
( ゚∀゚)「いやァ、ここにきてやっぱりオールキャンセルだ、なんて言われたら困るな〜なんて思いましてね。こうして下手に出ているわけです」

从 ゚∀从「なんじゃそら。そんなことするわけねえだろ」
  _
( ゚∀゚)「いやァ、芸術家ってそういうイメージじゃないスか?」

从 ゚∀从「さてはへりくだってねぇなてめえ」

 喧嘩売ってんのか、とハインは笑って言った。

625名無しさん:2021/11/30(火) 22:37:57 ID:X6k0hi660
  
从 ゚∀从「約束だからな。たとえインスピレーションが湧かなかろうが、1日はひとりでお世話させていただきますよ。ちゃ〜んとね」
  _
( ゚∀゚)「それは安心」

 わかりやすく胸を撫で下ろして見せてやる。ハインはそれに頷いた。

从 ゚∀从「しかし絵は描かせてもらうぜ。その絵のモデル料、っていうか、肖像権みたいなものは、お世話の対価にいただくからな」
  _
( ゚∀゚)「しょ〜ぞ〜けん? よくわかんねえが、裸でポージング取らされるわけじゃあないんだろ?」

从;゚∀从「お前の絵描きイメージはどこで培われたものなんだ・・?」
  _
( ゚∀゚)「だってよくわかんねえんだもん。モデルってそういうことじゃあないのかよ」

从 ゚∀从「お前はバスケットボール選手だろ。当然オレが書きたいのはバスケットボール選手としてのジョルジュ長岡だ。だから試合を見たり練習を見たり、もしくは話してみたりして、湧いてきたものを描かせてもらう。だからおれがお前を描くための時間をそれほど取らせることはないだろうよ」

 描きたいものが決まった後にちょっとポーズ取ってもらったりはするかもしれないけどな、とハインは続ける。

从 ゚∀从「昨日の試合も観たけどなかなか良かったぜ。ま、正直バスケはよくわかんね〜けど」

626名無しさん:2021/11/30(火) 22:38:39 ID:X6k0hi660
  _
( ゚∀゚)「そいつはどうも」

 おれはそう言いながら、いつもの口調を意識してそのまま訊いてみることにした。
  _
( ゚∀゚)「何か気が付いたことがあったら教えてくれよな」

从 ゚∀从「ハァ? オレが?」

从 ゚∀从「オレ素人だぞ。実際、楽しくはあったがよくわかんなかった。気が付いたことなんてあるわけね〜だろ」
  _
( ゚∀゚)「いやいやその、なんつ〜の? 変に玄人かぶれていない純粋な意見が欲しいわけだよ」

从 ゚∀从「くもりなきまなこ?」
  _
( ゚∀゚)「そうそう。是非見定めてくれ」

从 ゚∀从「う〜ん、そうだなァ・・ あ、そうそう」

 フリースロー、とハインの口から出てきた言葉を耳にした瞬間、おれは反射的に息を吸った。

627名無しさん:2021/11/30(火) 22:39:10 ID:X6k0hi660
  
从 ゚∀从「フリースローってあんなに外すもんなのか? お前半分くらい外してたよな」
  _
( ゚∀゚)「――」

从 ゚∀从「おっと、怒らないでくれよ、オレもあんまりよくない質問かもなとは思うんだけど、お前が言えって言ったんだからな」
  _
( ゚∀゚)「怒りはしねェよ」

 それどころか良い質問だ、とおれは言った。

 口の端が小さく歪むのが自分でわかる。半分は自嘲で、もう半分は安堵のため息を浅く吐く。
  _
( ゚∀゚)「――普通は、あんなに外さねえ。平均値は知らないけどよ、まあ7-8割くらいは決められるやつの方が多いだろうな。特におれのポジションではよ」

从 ゚∀从「ほ〜ん。苦手なのか?」
  _
( ゚∀゚)「苦手、だな。こればっかりはしょうがないんじゃねえかなァ。・・てな感じで、受け入れるしかないと思ってる」

从 ゚∀从「なるほどね」

 そう言いハインはニヤニヤと笑う。からかっているというよりは、純粋に楽しんでいるような顔だ。少しめくれた唇の隙間から白い歯がわずかに見える。普段は鋭い印象を受ける目が好奇心に輝いて見える。

 そしてハインは大きく1歩、おれの方へと近づいてきた。

628名無しさん:2021/11/30(火) 22:39:33 ID:X6k0hi660
  
从 ゚∀从「それ。とても人間的なイイ顔だな」
  _
( ;゚∀゚)「・・そいつはどうも」

从 ゚∀从「フリースローがコンプレックスなのか?」
  _
( ゚∀゚)「はぁ!?」

从 ゚∀从「違うならスマンな、そういうふうに見えたんだ」

 ハインは歌うようにそう言って、覗き込むようにしておれを見た。

 おれは半ば呆れて視線を返す。おれが本当にフリースローの成功率に対してコンプレックスを抱いていたら一体どうするつもりだったのだろう? おれが脊髄反射で激昂してしまったとしてもこのニヤニヤ笑いを続けるのだろうか?

 もしコンプレックスがおれにあるとすれば、それはフリースロー成功率の低さ自体ではなく、その根底にあるものに対してであることだろう。そのくらいの自覚はおれにもあった。

 その瞬間、おれの脳裏に直感が走る。
  _
( ゚∀゚)「――まさか」

 そこまですべてを見通しながら、大きな問題にならない範囲でおれの逆鱗に触れることを楽しんでいるとでもいうのだろうか?

 女子にしては大きなハインの口から赤い舌が小さく伸び、笑みが浮かぶその唇をゆっくりひと舐めするのを、おれは吸い込まれるようにじっと見つめた。

629名無しさん:2021/11/30(火) 22:39:54 ID:X6k0hi660
  
从 ゚∀从「――やっぱり、イイな」

 気に入った、とハインはネコ科の動物が獲物を見るような目で言った。
  _
( ゚∀゚)「なんだよ」

从 ゚∀从「さっきの話の続きなんだが」
  _
( ゚∀゚)「フリースローの?」

从 ゚∀从「いや、お前とツンの話だな」
  _
( ゚∀゚)「ああね。そういや詳しく聞きたいって言ってたな」

 おれとツンの一体何を訊こうというのだろう?

 おれは素朴な疑問を抱く。

 確かにおれとツンの間にはただの友達以上の関係性がある。それが気になるひともいることだろう。しかしハインには既にある程度の説明はしていて、先ほどおれのツンへの気持ちもお知らせしたのだ。

 話せる範囲のことは大方話し終わったつもりのおれに、ハインはやはりニヤリと笑った。

从 ゚∀从「――ツンって相当変わってんじゃん? 最初、オレはそれが面白いなって思ってたんだ」

630名無しさん:2021/11/30(火) 22:41:05 ID:X6k0hi660
  _
( ゚∀゚)「――うん? ま、変わっているかな?」

从 ゚∀从「オレが言うのもなんだけどかなりのもんだと思うゼ。だって付き合ってもない男のためにさ、こんな時間と労力を注ぎ込んで、何の見返りもないようなもんじゃん?」
  _
( ゚∀゚)「そうだな。そこはおれも不思議に思わんでもない」

 おれはハインの言に深く頷く。

 例の事故と膝の怪我、そして怪我が治ったことになってからのツンの状態と実際のプレイ、そして事故以前のボーラーとしてのツンを知っているおれにとってはツンの動機は納得できるものではあったが、それを他のひとにも求めることはできないだろう。それくらいはおれにもわかる。

 ツンがどこまで自分の思いのたけをハインに打ち明けているかは知らないが、どちらにしてもハインの疑問はとても自然なものだとおれも感じるところである。

从 ゚∀从「かわいくて頭も良くてさ、真面目だけども不器用でもないって最強じゃん? オレとはかけ離れてるから気になって、そんなツンが尽くす男はどんなもんじゃろと思ってたんだよ」

 品定めするような視線をおれの頭の上から足の先までわかりやすく這わせたハインは、やはり笑みを浮かべて頷いた。

从 ゚∀从「こんな感じの男とはね」
  _
( ゚∀゚)「こんな感じの男です」

 よろしくどうぞ、とほとんど意味がわからずにおれは言った。

631名無しさん:2021/11/30(火) 22:41:50 ID:X6k0hi660
  
 こちらこそよろしく、とハインは言う。

从 ゚∀从「これからオレはお前を描くことだろう・・ 1枚で気が済むかもしれないし、何枚か描きたくなるかもしれないし、ひょっとしたら何枚かなんてものじゃあ済まなくなるかもしれないな、そんな気がする。いやあ、ツンから興味を持ったお前がただバスケが上手いだけのやつじゃあなさそうでよかったよ」
  _
( ゚∀゚)「――よくわかんねェが、褒められていると思っておくよ」

从 ゚∀从「ハ! そりゃお前、褒めてんだよ、絵描きが描きたいなんて何よりの告白だからな、さっきからオレは愛を語っているのさ、だからツンとイイ感じになりそうなんだったら先にそれを知っときたかったんだ」

 彼女持ちに告るほどオレは野暮じゃねえからな、とハインは言った。

 おれはこの女の口から流れるように出てくる言葉をどのように受け取ったものか困惑していた。そのまま額面通りに受け取ったら馬鹿を見そうな、冗談のような口ぶりにしか思えないが、その迫力を感じさせる顔がわずかに赤らんでいるようにも見えるのだ。

从 ゚∀从「絵はイイぞ。というかイイ絵が描ける気がするんだよ、楽しみだな、オレは描きたい絵を描くのが好きなんだけど、オレが描いた絵を自分で見るのがもっと好きなんだ、自分のすべてを残さず掬って描き上げるとさ、最初に描こうとしていたもの以上の何かが必ずキャンバスの上に表れるんだ、わかるか、オレには、それを見るのがもうたまらないことなんだ・・、ジョルジュ、オレは、お前をこれから絵に描くぞ」

 自分の言葉に興奮しているのか、もはや色気を感じさせるようなうっとりとした顔でハインはおれを指さしてくるのだった。

632名無しさん:2021/11/30(火) 22:42:16 ID:X6k0hi660
  
 半ば圧倒されるような気持ちでおれは、自分に強い視線と人差し指を向けるハインを眺める。日常的に仮想敵との対戦を想定しているボーラーとしての本能が、その迫力に飲み込まれるのではなく立ち向かえとおれに囁く。

 自分からからハインに向かってみると、驚くほど近くにその指があった。

 手を伸ばす必要もなく簡単に触れることのできる距離だ。どちらかがボールを持った1対1の距離というより、パスが来るまでのシューターとマークマンの距離の方が近いだろう。

 だとしたらおれの方がシューターだ。ハインはおれのマークマンで、その手の一部を使って距離を厳格に保っている。手を触れさせていないのはルールが許していないからだ。とはいえ、審判に咎められない範囲で付かず離れず、時おり軽い接触も交えてこちらの動きを感じ取ろうとする。それはこちらも同様だ。そう、このように。

 いつの間にか指さすのではなくおれの胸元のあたりに添えられていたハインの手が、不意におれの胸倉のあたりを素早く掴んだ。

 そのまま服ごと体を強く引かれる。

 反射的に踏ん張ったおれの体がハインの方に引き寄せられることはなかったが、何がどうなっているのか次の瞬間、おれの体はバランスを崩してほとんど後ろに倒れそうになっていた。

 バランスを崩したおれの体が倒れ込んでいないのは、素早く距離を縮めたハインが後頭部に手を回しておれを支えていてくれたからだ。

633名無しさん:2021/11/30(火) 22:42:48 ID:X6k0hi660
  
从 ゚∀从「――危ないところだったな?」

 右手をおれの襟首のあたりに、左手をおれの後頭部に回したハインは、おれを見下ろす笑顔でそう言った。何が起こったのかよくわからずおれはそれにただ頷く。
  _
( ;゚∀゚)「――お、おう」

从 ゚∀从「一級品のポイントガードも初見で対応はできねえか」

 かわいいもんだぜ、とハインは呟くように言い、そのまま顔をおれに向かって降ろしてきたので、おれは思わず声を上げた。
  _
( ;゚∀゚)「ちょ、あそこに誰かいるんだぞ!?」

 それはボーラーの感覚と習慣で、意識して見るまでもなく収集していたおれたちの周囲の情報だった。間接視野でおれは人影を感知していたのだ。

 ハインの動きがピタリと止まる。しかし続いてハインの口から出てきた言葉に、おれは自分の耳を疑った。

从 ゚∀从「お、気づいたのか。すごいすごい」
  _
( ゚∀゚)「はぁ? お前も気づいてたのか?」

从 ゚∀从「気づいたってか、オレの場合は知ってた、だな。そろそろ迎えにきているかもな〜って思ってはいたよ」

 ハインはそう言い、改めて腕の中のおれにキスをした。

634名無しさん:2021/11/30(火) 22:43:26 ID:X6k0hi660
  
 このようにして、何の了解も取られることなくおれのファーストキスはあっさりハインに奪われた。おれが気づきハインは知っていた人影がこのキスに関与してくることはなく、しかしゆっくりとこちらに近づいてきてはいることが、腕の中のおれにはわかった。

 早く帰らないと怒られますお、と、男モノの声が聞こえる。聞いたことのある声だった。
  _
( ゚∀゚)「――お前」

 この迫力ある美人と交わしたキスに関する感慨がすべて吹き飛ぶような衝撃でおれはそいつを下から見つめる。同じクラスの、おれでも知ってる優等生だ。名前は内藤ホライゾン。

 なんでこいつがここにいるんだ!? おれにはわけがわからなかった。

( ^ω^)「そのくらいにしとくお、ハイン。それ見ようによっちゃ強姦未遂だお」

从 ゚∀从「ヒュー。高岡家の力を持っても揉み消せませんかね?」

( ^ω^)「強姦罪は男が女に対しての行為にしか適応されない筈だから、家の力がなくてもハインは守られてしまうことになるお」

从 ゚∀从「あ、だから見ようによっちゃ、か。理解。納得」

( ^ω^)「やるにしても、もうちょっと段階を経れお。アホか」

从 ゚∀从「アホでした。いやあ、アツくなっちまってよ」

 面目ない、とハインは内藤ホライゾンに頭を下げ、おれを腕の中から解放した。

635名無しさん:2021/11/30(火) 22:43:56 ID:X6k0hi660
  
( ^ω^)「・・長岡くんは、怪我などしていないかお?」

 大丈夫とは思うけど、と内藤ホライゾンはおれの体を眺めて言った。先ほどのハインの品定めするような視線とはまた違った意味で、何かを吟味するような眼差しだ。

从 ゚∀从「馬鹿言え、オレがそんなヘマするわけないだろ」

( ^ω^)「仮に素人じゃなくても不意打ちは危険だお、まして長岡くんはスポーツ特待生だお? 体が資本ガチ勢にやっていいことじゃあないお」

从 ゚∀从「それはそうだな、これまた反省」

 すまんかったな、とハインがおれに謝ってくるものだから、おれは薄く疎外感のようなものを感じる。なんせ、いまだにおれには何が何だかわけがわからないのに、こいつらふたりは妙に通じ合ったようなやり取りをするのだ。

 だからおれは心に浮かんだ正直なところをそのまま口に出すことにした。
  _
( ゚∀゚)「お前ら、いったい何なんだよ!?」

( ^ω^)「――」

从 ゚∀从「う〜ん? オレはハインリッヒ高岡だ。こいつはブーン。何か? う〜ん、なんだろな?」

 つい先ほどまでおれの頭のすぐそばにあった筈の小首を傾げ、ハインリッヒ高岡が考えるような素振りを見せる。

从 ゚∀从「ま、簡単に言うと、オレの男だな、ブーンは」

 そして「以後よろしく」と、この女は何でもないことのようにして言うのだった。


   つづく

636名無しさん:2021/11/30(火) 22:45:09 ID:dwJtwcqk0
乙!

637名無しさん:2021/11/30(火) 22:49:34 ID:5AgnWKBM0
おつです

638名無しさん:2021/11/30(火) 23:02:25 ID:WfBazSyw0
乙です
ここでこんな風に内藤が出てくるのか!
面白い!面白すぎる!

639名無しさん:2021/12/03(金) 06:21:27 ID:vau7pNog0
面白い。ドクオとクー側にもこれほどのエピソードが秘められているのか? 楽しみ

640名無しさん:2021/12/03(金) 20:06:53 ID:gpUC0z/s0
ブーンお前お前お前
またまた続きの気になるヒキ……! 面白かった!乙

641名無しさん:2021/12/17(金) 23:27:57 ID:aiRS0n3g0
2-9.マウンティング

 
 高岡家のお嬢様であるハインを家まで送り届けたおれは、お金持ちの住む邸宅というものを生まれて初めて目の当たりにした。

 もちろんテレビや映画、漫画なんかのフィクションの世界でその存在を知ってはいたのだが、実際に肉眼で見るとなると、なんともいえない凄まじさを感じさせてくるものである。お別れの挨拶をハインと交わしながら、おれはその背後にそびえる門構えを間接視野に収めたのだった。

从 ゚∀从「じゃあな、ジョルジュ。送ってくれてありがとよ」
  _
( ゚∀゚)「ん、ああ・・ お疲れさん。お世話の本番もよろしくな」

从 ゚∀从「あいあい」

 ほなさいなら、と胡散臭い関西弁で別れを告げるハインをおれはその場で見送った。

 ハインが通過するのに必要なだけの大きさで開いた重厚そうな扉が静かに閉まる。羨ましいと思う気持ちすら沸き上がらないような豪邸だ。「目の当たりにした」と言っておきながら、実際におれの位置から見えるのは立派な門と白く高い塀くらいのものだけれど、ハインが吸い込まれていく門の隙間から中の様子を伺おうとすら思わなかった。
  _
( ゚∀゚)「いや〜、本当にお嬢様なんだなァ」

 独り言に終わっても構わないつもりでそう呟いたおれに、しかし隣の男は頷いた。

( ^ω^)「おっおっ、ハインはまごうことなきお嬢様だお」

 おれのクラスの優等生、内藤ホライゾンそのひとである。

642名無しさん:2021/12/17(金) 23:30:50 ID:aiRS0n3g0
  
 何かのきっかけになることを期待しなかったと言うと嘘になるが、必ず反応があると思って呟いたわけではなかった。

 しかし内藤ホライゾンは返答をした。そして、返答されたからにはこちらも無言でいるわけにはいかなくなったことにおれは気づいた。
  _
( ゚∀゚)「――」

 しかし言葉が出てこない。いったいこの「オレの男」とハインに言わせた柔らかい表情の優等生に何を言えば良いというのだろう?

 そんなことを考えているうちに、内藤ホライゾンは笑みを浮かべて肩をすくめた。

( ^ω^)「僕らも帰るお、長岡くん」
  _
( ゚∀゚)「あ、ああ・・ そうだな」

( ^ω^)「途中まで送ってくお」
  _
( ゚∀゚)「送る? お前んちはこっちじゃねえのか?」

( ^ω^)「う〜んと、実は逆方向だお。だからぐるっと回って帰ることにするつもりだお」
  _
( ゚∀゚)「はあ? なんでまたそんなことを――」

 と、自分で言ってておれは気づいた。おれと会話する時間を用意するためなのだろう。

 どうやらこいつは、そのまとっている雰囲気通りにイイ奴であるのかもしれなかった。

643名無しさん:2021/12/17(金) 23:31:11 ID:aiRS0n3g0
  
( ^ω^)「もちろん迷惑だったら解散でもいいけど、きっとさっきのハインの口ぶりだと誤解を与えたところも多いだろうと思うから、よかったらお散歩がてらに少し話すお」
  _
( ゚∀゚)「――おれは、構わねえよ」

( ^ω^)「おっおっ、それじゃあ送っていくお。それか、ちょっぴり遅くなってもいいなら、お茶でもするかお?」
  _
( ゚∀゚)「お茶だあ? そんな金、持ってきてねえよ」

( ^ω^)「お金はいいお。あ、マックやスタバで奢るって意味ではなくて、よかったら僕の家で何か出させるお」
  _
( ゚∀゚)「お前んち!?」

( ^ω^)「おっおっ、僕の家は飲食店をやってるんだお。何かちょろまかしてご馳走するお」
  _
( ゚∀゚)「ほ〜ん。それじゃあお邪魔しますか。反対方向ってことはあっちか?」

( ^ω^)「ちょうどここからそっちに入ってく近道があるんだお」
  _
( ゚∀゚)「ははあ、お前さては最初からそのつもりだったな?」

( ^ω^)「そこは想像にお任せするお」

 内藤ホライゾンは柔らかい顔でそう言った。

644名無しさん:2021/12/17(金) 23:33:26 ID:aiRS0n3g0
  
 内藤ホライゾンが言うところの『近道』を使用したからというわけではないだろうが、本当にその店は近かった。おそらくおれの足で全力疾走すれば1分もかからないことだろう。

 余裕を感じさせる柔らかい表情と態度でおれを先導する内藤ホライゾンに導かれるまま、おれは『バーボンハウス』と看板に書かれた店名を目で追い、ドアをくぐる。入口からも見えるカウンターに店主と思しきエプロン姿の男性がひとり立っていた。

( ^ω^)「ただいまお。親父、友達連れてきたからええと、奥の方借りるお」

(´・ω・`)「はいよ、いらっしゃい。ちょっと挨拶する余裕はないけど勝手にくつろいでいってちょうだいね。おもてなしは適当に」

( ^ω^)「おっおっ、それじゃあこっちに座るお。何か飲みたいものあるかお?」
  _
( ゚∀゚)「いや・・ そうだな、それじゃあ紅茶かお茶を」

( ^ω^)「あいお〜」

 手慣れた様子で内藤ホライゾンはカウンターの脇から関係者のみに許される空間へと消えていく。おれは店内をぐるりと見ながら指定の席へと腰かけた。

645名無しさん:2021/12/17(金) 23:34:02 ID:aiRS0n3g0
  
 古き良き時代の喫茶店。

 『バーボンハウス』はそんな雰囲気を感じさせる店内だった。
  _
( ゚∀゚)「・・ま、高校生のガキに“古き良き”なんて、言われたくもないだろうがな」

 これは壁紙なのだろうか、とログハウスを感じさせる木目調の壁面をおれは眺める。再び姿を現した内藤ホライゾンはトレイに紅茶か何かのポットとカップ、そしてクッキーの入った小皿を乗せていた。

( ^ω^)「さてと、それじゃあ改めまして、僕は内藤ホライゾン、ブーンと呼ばれることが多いお」

 おれの対面に腰かけ、内藤ホライゾンはそう言った。自己紹介だ。わざわざ呼び名を知らせてきたということは、おれにもそう呼んで欲しいのだろうか。
  _
( ゚∀゚)「――ジョルジュ長岡だ。あだ名を付けられることはあまりないな」

( ^ω^)「それじゃあジョルジュ、僕はハインの周りをうろちょろしてることが多いから、今後ジョルジュがハインとつるむんだったら自然と僕とも関係することになるだろうと思われるお。だからこうして、何コイツ、と思われる前に話す機会を持ててよかったお」

 そう言い、ポットを傾けそれぞれのカップを満たしていく優等生の発言をわざわざ否定する気にはならず、おれはそのカップを受け取りながら頷いた。

646名無しさん:2021/12/17(金) 23:34:37 ID:aiRS0n3g0
  
 ポットの中身はどうやら紅茶であるようだった。銘柄はわからないが良い香りのする液体をゆっくり少量口に運び、おれは内藤ホライゾンをじっと見つめる。

 不思議なやつだ、とおれは思った。

 その柔らかい雰囲気を印象付けているのは何より顔と表情なのだろうが、その首の乗っている体躯だけを見ると、意外なほどに引き締まっているのがよくわかる。この席までお盆を運んでそこに座っただけでもそのバランスの良さや体幹の強さが察せられるというものだ。

 堂々とした態度。しかし圧迫感をこちらに感じさせはしない、不思議な柔らかさを内藤ホライゾンは持っていた。

(//^ω^)「・・なんだお? そんなに見つめられると照れちゃうお」
  _
( ゚∀゚)「アホか。いや何、何を話したものかと思ってな」

( ^ω^)「おっおっ、それじゃあ僕の方から、たぶん気になってるだろうな〜って思ってることを話していくから、訊きたいことができたら言ってくれお」
  _
( ゚∀゚)「助かる」

( ^ω^)「それじゃあ、まずはそうだな、僕とハインは、いわゆる彼氏彼女の間柄では全然ないお」

647名無しさん:2021/12/17(金) 23:35:12 ID:aiRS0n3g0
  _
( ゚∀゚)「あ、そうなの?」

 努めて平静にそう言うおれに、内藤ホライゾンはゆっくりと頷く。おれはクッキーに手を伸ばして齧った。

( ^ω^)「だおだお。ハインは“オレの男"とか言ってたけど、あれはそういう青春めいた意味ではないお」
  _
( ゚∀゚)「ほ〜ん。それじゃあどういう意味なんだ?」

( ^ω^)「そのままお。ハインは僕を、自分のものだと思っているだけという話だお」
  _
( ゚∀゚)「んん〜?」

 この男の言わんとするところが上手く掴めず、おれは唸り声のようなものをあげる。内藤ホライゾンは柔らかく笑って肩をすくめた。

( ^ω^)「ジョルジュはこのへん、したらば出身ではないお?」
  _
( ゚∀゚)「ん、ああ、そうだな。小学生の頃くらいに引っ越してきてそれから住んでるけど、そんなにザ・地元、って感じではないかな」

( ^ω^)「この店、高岡家から近いお? 出資元が高岡家なんだお」

 僕の親父は元々高岡家のお抱え料理人だお、と内藤ホライゾンは当たり前の顔で言った。

648名無しさん:2021/12/17(金) 23:35:35 ID:aiRS0n3g0
  _
( ゚∀゚)「おかかえシェフ・・」

( ^ω^)「住み込みお。ちなみに母はハインのお父さんの秘書をやってて、これは今でもやってるお。そんな両親の結婚、出産を経てしばらく経って、独立して始めたのがこの店で、だから僕は幼少期をほとんど高岡家で過ごしたんだお」

 ハインは完全なガキ大将気質で、昔からこの男を連れ回していたらしい。独立したといっても、高岡家の土地に高岡家の金で建てたごく近所の店に移っただけで、ただの幼馴染というにはあまりに上下関係のハッキリとした彼らの付き合い方は、生まれてこの方ずっと変わらずにいるとのことである。

 昔の世界の話のようだな、とおれは思った。上下関係というより主従関係のようにおれは感じる。ご恩と奉公とか、そういう言葉が似合いそうな関係性だ。

( ^ω^)「親の力関係なんて僕らは知ったこっちゃないと言えなくもないけど、そんなことを言う気にもならない地盤が高岡家にはあるんだお。これでハインがクソ野郎だったらやってられないところだけど、幸いそうではないし、僕としてもやりやすいからこうして"オレの男"をやってるわけだお」
  _
( ゚∀゚)「ふええ〜」

 すごい話だなァ、と他人事のおれは素直に呟いた。

649名無しさん:2021/12/17(金) 23:36:10 ID:aiRS0n3g0
  
( ^ω^)「まあそんなわけで、ハインから変えようとしない限り今後も僕らの関係性は変わらないと思うから、ジョルジュは気にせずハインと仲良くしてやってくれよというわけだお」
  _
( ゚∀゚)「なるほどな。でもさ、それでお前は構わね〜の?」

( ^ω^)「? どういう意味だお?」
  _
( ゚∀゚)「なんだろな、ハインからそういうこと訊かれたから気になるのもしれねえが、何つ〜か、お前がおれにムカついてくることはないのかよ?」

 ハインに対してそういう気持ちはないのか、とおれは問う。内藤ホライゾンは不思議そうな顔でポカンとおれをしばらく眺めた。

( ^ω^)「・・考えたことなかったお」
  _
( ゚∀゚)「マジか。ええと、こういうのって初めてなのか?」

( ^ω^)「だお。ハインが誰かを気に入ってちょっかい出すとかはあるんだけど、だいたい対象は女の子だったりするからお、そういや、男子を気に入ってそれに僕がジェラスするかどうかはわからんお」
  _
( ゚∀゚)「わかりませんか」

( ^ω^)「わからんお」

 内藤ホライゾンは堂々とした態度でそう言った。

650名無しさん:2021/12/17(金) 23:36:47 ID:aiRS0n3g0
  
( ^ω^)「まあでも、わからんものを気にしてもしょうがないお。だから結局、ジョルジュはできれば僕のことは気にせず、好きにハインと接してくれたら良いと思うお?」
  _
( ゚∀゚)「無責任にすら思える口振りだなァ」

( ^ω^)「面目ないお。まあでもたぶん大丈夫だとは思うお。自覚してないだけでハインに対する恋愛感情が実はある、ってパターンではおそらくない筈だからお」
  _
( ゚∀゚)「そうなんか? でもそれこそ、そんなの、その場になってみないとわからねえんじゃないのかよ?」
  _
( ゚∀゚)「試してみないとわからんことは多いって聞くぜ? ええおい、ブーンさんよ」

 自分とツンの関係性は完全に棚に上げ、おれはブーンに言葉を重ねる。ひょっとしたら棚に上げきれておらず、自分の言葉がブーメランのように返ってきて己に突き刺さりはしないかと、心の底の方で恐れているからこそ言葉が湧き出てくるのかもしれない。

 そんな言葉を重ねる中で、この優等生の反応にわずかな違和感が存在するのをおれは感じた。

( ^ω^)「――」
  _
( ゚∀゚)「え、何お前、その感じ。ひょっとしてお試し済みだったりするのかよ?」

 意識して軽い口調でそう訊くおれに、ブーンはややぎこちなく肩をすくめた。

( ^ω^)「――昔の、話だお」
  _
( ゚∀゚)「マジかよ!?」

 もうやだこの町、と高岡家の牛耳るこの地域に対する呪いの言葉をおれは吐いた。

651名無しさん:2021/12/17(金) 23:37:14 ID:aiRS0n3g0
○○○

 相変わらずフリースローは入らなかったが、おれは問題なくバスケを続けられていた。

 軟着陸に成功したのだ。ひょっとしたら「実力はあるけどフリースローがちょっぴり下手くそなお茶目ガード」みたいな認識をしてもらえるようになったのかもしれないし、意外と複雑な家庭環境をしているやつだからと、勝手に何かを察するやつもいたかもしれない。

 何にせよ、誰かにとやかく言われるような気配はなくなっていた。それぞれ個別の受け取り方はおれの知ったことではないのだ。
  _
( ゚∀゚)「いやさ、何か試合になるとあんま入らないんだよな。おれにも何でかわからね〜」

 昔からそうなんだよ、と平気な顔で言ってしまえば、重ねて問い詰めてくるようなやつはいなかった。考えてみれば当然で、おれは練習態度に問題があるわけでもないし、ひとりでボールを持ちすぎるわけでもないし、かといってフリースロー確率の低さを言い訳にエースとしての勝負所を誰かに押し付けるようなこともしない。

 ただ試合でフリースローが入らないだけだ。誰にもおれを責めることはできないだろう。たとえばおれがこの先プロフェッショナルなバスケットボーラーになりたいと願ったとして、この欠点を理由にどこにも受け入れられないことはあるかもしれないが、ただそれだけだ。

 何より、おれのチームはそれなりに勝てていた。高校2年生の夏、おれはバスケ部のエースとして、チームをインターハイ出場に導いていたのだった。

652名無しさん:2021/12/17(金) 23:38:09 ID:aiRS0n3g0
  
 私立したらば学園男子バスケ部初のインターハイ出場だ。文句の付けようのない結果と言って良いだろう。

 実際、地区予選の勝ち上がりが確定的となった後しばらくの間、おれたちバスケ部は校内で英雄のように扱われた。インターハイへの出発の前にキャプテンは全校生徒に向かって抱負を言わされ、練習試合にはギャラリーが集まり、顔も名前も知らない女から声をかけられるという事案がおれにも度々発生することになった。

 これがモテ期か、とおれが言ってみた場合にそれを否定する者がはたしているだろうか? インターハイ本戦では相手が悪くあっさり1回戦敗退に終わったが、それでもおれたちは十分胸を張って良いと誰もが言うことだろう。

 国内のプロリーグや、本場NBAを目指すなどといった強烈な目標があるやつでもない限り、の話だが。

ξ゚⊿゚)ξ「――」
  _
( ゚∀゚)「――」

ξ゚⊿゚)ξ「――ま、ひとまずお疲れ。インターハイ出られてよかったわね」
  _
( ゚∀゚)「あざす」

 負けて帰ってきたその日の夜、おれはツンと会っていた。

653名無しさん:2021/12/17(金) 23:38:31 ID:aiRS0n3g0
  
ξ゚⊿゚)ξ「インターハイ、どうだった?」
  _
( ゚∀゚)「どうだった、って・・ 負けたよ、負けた。ありゃあ勝ち目がなかったな」

ξ゚⊿゚)ξ「スコア上は接戦だったみたいだけど?」
  _
( ゚∀゚)「接戦ね」

 全高校生ボーラー憧れのひとつインターハイとはいえ、1回戦から全試合をテレビ中継している筈もなく、ツンが試合を観られていないことをおれは知っていた。

 ネット中継もなかった筈だ。どこかの物好きが何かにまとめたボックススコアか、SNSを漁ったら出てくるだろう違法アップロードされた短いプレイくらいの情報しかツンは持っていなかったに違いない。

 確かに負けたとはいえ点差はたったの4点だった。ワンプレイで逆転することは不可能だけれど、最後の1分まで勝負がわからなかったと言えないこともない数字である。

 数字だけは、の話だが。
  _
( ゚∀゚)「ま、今度映像でも見てくれよ、部で撮ってる筈だから」

ξ゚⊿゚)ξ「もちろんそうさせてもらうけど。ていうか、そんなに駄目だったの?」
  _
( ゚∀゚)「う〜ん、実力差がそこまであったかと言われたらそういうわけじゃあないと思う。たとえばボーラーとしておれがクックルに劣るとは思わないんだが、なんというか、あの日のあのゲームに勝てる気はしなかったな」

 おれたちが負けたのは留学生ビッグマンであるクックルの所属するあのチームとの対戦だったのだ。おれは黒曜石を思わせるあの男の肉体を頭に浮かべ、奇妙な縁のようなものを感じた。

654名無しさん:2021/12/17(金) 23:39:01 ID:aiRS0n3g0
  
 クックルもおれたちと同じく高校2年生の年齢だ。あの練習試合ぶりの対面、対戦だったが、やはりあいつは規格外の身体能力と、それからの月日の積み重ねを感じさせるバスケットボール技術を持っていた。

 この半年ほどでおれの身長は5センチか6センチほど伸びていたが、クックルはそれ以上に大きく、長くなっていた。その手足にまといつく筋肉もひと回り太くなっており、こいつと正面衝突するのはご勘弁だな、とひと目で思わせるような肉体を仕上げてきていた。
  _
( ゚∀゚)「おれがポイントガードやってるからそんな感じに思うのかな? 試合の流れっつ〜かさ、そういう、抗ったところでどうにもならない大きなものってあるじゃん。相手が下手こいたらどうにかなることもあるんだけどよ、あの日はそれがなかったな」

ξ゚⊿゚)ξ「わからないではないけど、点取り屋的としては認めたくないところね。そういう凍りつきそうな局面をぶち壊してこそのエースじゃない?」
  _
( ゚∀゚)「それもわかるよ、諦めるわけじゃあないしな。なんせ負けたら終わりだから、諦める余裕なんてそもそもどこにもないわけだけどよ」

 しかし、おれは頭のどこかで試合の全体像みたいなものを客観的に見てしまう。これはおれのボーラー生活の中で培ってきた、どちらかというと長所に分類される能力だろう。

 大局観というやつかもしれない。ただし、ツンが言うように、時にはそんな小賢しいことなど考えず、すべてを破壊するようなプレイをすることがエースには必要なのかもしれない。

 それもおれにはわかっていた。

655名無しさん:2021/12/17(金) 23:39:22 ID:aiRS0n3g0
  
 これはどちらかというと、スキルやプレイスタイルというより、人間性のようなものの話になってくるのだろう。

 傲慢さ。

 そんなものがおれにはもっと必要なのかもしれなかった。
  _
( ゚∀゚)「う〜ん、しかし、身に付けようとして身に付くのか、そんなの?」

 口には出さずにそう呟く。ツンがおれに何かを渡そうとしているのに気がついた。
  _
( ゚∀゚)「ん。何だよそれ?」

ξ゚⊿゚)ξ「クラスの女子に、長岡くんに渡しといてと頼まれたの。お菓子よ。インターハイお疲れさまってさ」
  _
( ゚∀゚)「ウヒョ〜 モテ期来たかこれ?」

ξ゚⊿゚)ξ「どんな女の子が好きか知らないかって言われたんだけど」
  _
( ゚∀゚)「う〜んそうだな、甘えさせてくれそうなお姉さんかな。巨乳希望!」

ξ゚⊿゚)ξ「同級生だっつってんでしょ、まったくもう。面倒だからそのまま伝えちゃうけど。あ、そうそう」

 あんたハインとはどうなってんの、とツンは外の天気を訊くような口調で言った。

656名無しさん:2021/12/17(金) 23:39:52 ID:aiRS0n3g0
  
 どう答えてもよかったのだが、どう答えたものかとおれは迷った。
  _
( ゚∀゚)「・・どうって?」

 結局出てきたのはそんな聞き返しだ。我がごとながら、とてもモテ期が到来したとは思えない反応だ。

 ツンもそう思うのか、おれは鼻で笑われた。

ξ゚⊿゚)ξ「その様子じゃあどうにもなってなさそうね? ハインから念を押されたのよ、ジョルジュに手を出してもいいものか、って」
  _
( ゚∀゚)「うお、やっぱりモテ期か!?」

ξ゚⊿゚)ξ「・・そんな感じじゃあなかったけどね?」
  _
( ゚∀゚)「嘘だろわけがわからねえ」

 大げさに頭を抱えてそう言ってみたおれだったが、わけがわからないのは本当だった。

 手を出すとは、口説くとか、告白するとか、お付き合いに発展するようなアプローチをかけていくということだろう。少なくともおれの持っている恋愛方面の知識や常識ではそうだった。

 何が“そんな感じじゃあない”というのだろうか。おれにはわけがわからない。

ξ゚⊿゚)ξ「だから、好きとか嫌いとかっていうより、単純にセックスがしたいみたいな口ぶりだったわけよ。普通女子の方がそういうこと言う? あたしビックリしちゃったわ」

 そう言うツンをおれは見つめる。幼馴染の口からするりとセックスという単語が出てきたことにもおれはビックリさせられていた。

657名無しさん:2021/12/17(金) 23:40:14 ID:aiRS0n3g0
  
 何はともあれ、ツンの分析によると、これはモテ期の到来ではないらしい。

ξ゚⊿゚)ξ「あたしが知らないところで大量のアプローチをさばいているというなら話は別だけど、今の反応から察するに、そういうわけでもないんでしょ?」
  _
( ゚∀゚)「ハイ、そういうわけではないですね」

ξ゚⊿゚)ξ「正直でよろしい。やっぱりあんた、モテ期じゃないでしょ、これならあたしの方がモテてるわ」
  _
( ゚∀゚)「あらまあツンさん、おモテになってらっしゃいますか」

ξ゚⊿゚)ξ「・・あんたよりは、ね」
  _
( ゚∀゚)「どうさばいてらっしゃるんで?」

ξ゚⊿゚)ξ「何その口調。気になるの?」
  _
( ゚∀゚)「そりゃあ気にはなるだろ。お前もそうなんじゃね〜のかよ」

ξ゚⊿゚)ξ「ま、それはそうね」
  _
( ゚∀゚)「どうなんだよモテのパイセン、ちぎっては投げしてんのか?」

ξ゚⊿゚)ξ「何それ。どうって、そりゃお断りすることもあるし、普通にあたしとデートしたけりゃバスケとNBA知識を蓄えてこい、お出かけするならバスケ観戦だ、と言ったら引かれて終わることもあったわよ」

 そりゃ少なくとも普通ではねえよ、とおれは思った。

658名無しさん:2021/12/17(金) 23:40:45 ID:aiRS0n3g0
  
ξ゚⊿゚)ξ「でもさ、こういうのってひとつのチャンスじゃない?」
  _
( ゚∀゚)「チャンス? 何のだよ」

 いくつもの恋のチャンスをこの元ボーラーのバスケフリークがぶっ潰してきたのだろうことを想像しながらおれは訊く。

 ツンは意外そうな顔でおれを見た。

ξ゚⊿゚)ξ「それはもちろん、そこらへんの一般人を、バスケ沼に引き入れるチャンスよ」
  _
( ゚∀゚)「はあ? お前、そんなこと考えてんのか?」

ξ゚⊿゚)ξ「あんたは考えないの? ・・気づかない? あんたやあたしが思ってる以上に、世間のバスケットボールに対する興味は薄いわよ」
  _
( ゚∀゚)「・・む」

 そうかな? とおれは反射的に考える。バスケ部は男女共にもっとも人気な部活動のひとつだ。おれたちの通う私立したらば学園の敷地内には生徒の誰もが使えるバスケットボールコートが設置・開放されており、割合が決して多くはないが、バスケットの設置された公園も探せば見つかる。

 おれの周りにはバスケットボールがそこら中にあると言っても嘘ではないことだろう。おそらくツンにしてもそうだ。

 しかし、そんなおれの考えを見透かすように、ツンはおれを視線で射抜いていた。

ξ゚⊿゚)ξ「そんなことないと思うでしょ? だったらNBAや国内プロのボーラーの名前をそこらへんの友達に訊いてごらん、マジでほとんど知らないんだから」

659名無しさん:2021/12/17(金) 23:41:14 ID:aiRS0n3g0
  
ξ゚⊿゚)ξ「もちろんスポーツとしてのバスケは人気よ。たぶん日本の体育館でバスケットの付いていないところを探す方が難しいだろうし、体育でも絶対やるし、クラスマッチとか体育祭とかでもおおよそ採用される種目でしょうね。でも、それだけ。やるのは人気でも、たとえば観るとか、お金を落とす対象として認識している人口は驚くほどに少ないわ」
  _
( ゚∀゚)「・・・・」

 そうかもしれない、とおれは思う。なんせおれ自身が、ツンに言われてNBAのプレイや日本人プロの技術を観て知るようにはなったものの、それまでほとんど認識していなかったのだ。

 将来的にバスケに関わって生きていきたいなら、この状況を変えなければならないと、ツンは大人びた顔で語る。

ξ゚⊿゚)ξ「あたしがプレイヤーや裏方、そうね、チームドクターとかそういうのを除いて、直接バスケットボールから収入を得て生活することはないでしょうけど、1ファンとして何とかしないといけないんじゃないかと思うのよね」
  _
( ゚∀゚)「はあ〜 なるほどねえ」

ξ゚⊿゚)ξ「何よ、あんたはあたしより直接バスケに関わっていく確率が高いでしょ? もっとそういうことも考えなさいよね。プロってことは、ファンから回してもらったお金からお給料をもらうわけなんだから」
  _
( ゚∀゚)「それはそうかもしれねえな」

 しかし税金をタネに行う公務員バッシングみたいな内容だな、とおれは思った。もちろんこれは思っただけだ。

660名無しさん:2021/12/17(金) 23:41:35 ID:aiRS0n3g0
  
 ツンの言うことには頷ける部分が多かった。確かにそうだ。

 しかしおれはそこにもやはり、どこか世知辛さのようなものを感じてしまうのだった。
  _
( ゚∀゚)「――もっと、こう」

 純粋にバスケのことだけを考えて、ただプレイするわけにはいかないのかしらね、とおれは思う。

 もちろんこれも思っただけだ。

 正しいのは明らかにツンの方で、世の真実のようなものに近いものの捉え方をしているのもツンの方だろう。おれの素朴な願望は、恋に恋する乙女のように甘っちょろい幻想に過ぎないのだろう。

 そんなことはわかっていた。

 しかし。

 と、おれは考えてしまうのだ。
  _
( ゚∀゚)「――」

 バスケットボールが好きだった。

 どこが好きなの? と改めて訊かれると、特別な理由が実はないようにも感じられるのだが、とにかくおれはバスケットボールが好きだったのだ。

661名無しさん:2021/12/17(金) 23:41:59 ID:aiRS0n3g0
  
 体育館の匂いが好きだ。

 着替えの最後にお気に入りの靴下を履き、馴染んだバッシュに足を通す。軽く2度ほどその場でジャンプをすると意識がコートに向いていくのだ。

 視野が広がり視界が狭まる。その日の空気を肌で感じる。

 ボールを掴むと手の平に吸いついてくるようだ。

 動きの鋭さに応じてソールと床が音を鳴らす。チームメイトの声がする。

 それだけでもたまらないのに、おれたちを全力で叩き潰そうとしてくる敵がそこにはいるのだ。

 おれはおれのすべてを使って敵のことを考える。相手も当然そうだろう。

 奇妙なコミュニケーションだ。

 互いに、互いのすべてを理解しようとするのだ。ひょっとしたら恋人同士よりも濃厚なやりとりをしているのではないだろうか?

 そしてひとつの試合を作り上げる。もちろんこちらの勝利が最優先で、試合の美しさなどまったくどうでもいいのだけれど、不思議なことに、ハイレベルで力の拮抗したボーラーたちが互いの勝利を目指し合うと、美しい試合が出来上がるのだ。

 一種の作品だとさえ言えるかもしれない。そうして作り上げた作品たちを思い返すのというのもおれには楽しいことだった。

662名無しさん:2021/12/17(金) 23:42:27 ID:aiRS0n3g0
  
 見てみたい、という気持ちはあった。

 自分がどこまでやっていけるのかをだ。

 おれがボーラーとして成長し、仲間の技術レベルや連携も上達し、対戦する相手のレベルが上がるにつれて、作品としての試合の質もどうやら高まるようなのだ。

 2年夏のインターハイ。

 1回戦敗退という結果に終わってしまったが、その対戦相手はあのクックルのチームだった。

 間違いなく強かった。練習と本番ではやはり違うなとおれは痛感させられた。

 ただし、それはあちらにとってもそうだったことだろう。おれたちは間違いなく強く、練習と本番ではやはり違うなと痛感させてやれた筈だ。

 どうやらこれは勝つ流れではないな、と感じながらも、おれはしっかり試合を作り上げた。これまででもっともレベルが高いステージの、もっともレベルの高い試合内容で、もっともクオリティの高い作品となったのではないか、とおれは思う。

 おれたちの負けで終わったというのが唯一の欠点にして最悪なところだが、それもまたバスケットボールというものだろう。おれにとっては十分だった。

 ただし、その試合内容がおれにとって十分であるかどうかに関わらず、やはりフリースローは入らなかった。

663名無しさん:2021/12/17(金) 23:42:50 ID:aiRS0n3g0
  
 おれはこの試合、11本のフリースローを放って5本しか成功させられなかった。

 試合は4点差での敗北だ。おれが外した6本のフリースローの内、5本以上を成功していたら勝っていたんじゃないかと思うやつもいることだろう。

 反論する気にもならない単純な数字の話である。

 それはただの結果論で見当違いな見解だ、と言ってもいいが、そんなことを言ってくるやつにわざわざ何かを言う気にはならない。

 ただフリースローが入らないだけだ。そのこと自体はどうでもいいが、しかし、やはりフリースローを与えられた後のあの時間は、不思議に思えるほどに居心地の悪いものだった。
  _
( ゚∀゚)「気持ちよく酔っぱらってる最中に、冷や水をぶっかけられて素面に戻される感じかな」

 酒に酔っぱらったこともそこから素に戻されたことも未成年のおれにはないけれど、あえて表現するとすれば、フリースロー・ルーティン中のおれの感覚はそんな感じだ。

 ふわふわとして落ち着かない。色々なことを思い出しては頭に浮かび、しかし具体的な思考が始まるわけではないのだ。ボールが手に馴染まない。

 断片的な様々なエピソードがぐるぐるとおれの周りを囲んでは消える。

 どうして試合中の、フリースローの時間にだけそうなってしまうのかと不思議に思いはするのだが、何をどうしたところで解消されるわけではなかった。

664名無しさん:2021/12/17(金) 23:43:11 ID:aiRS0n3g0
  
 ボールへの手のかけ方や放り方、モーションに入るまでの一連の動きなどを色々変えてみたことはあるが、やはりどうにもだめだった。だからおれは諦めたのだ。

 幸いなのは、見ていてギョッとするほどフォームが乱れて入らないわけでもなければ、そこらへんから放つミドルシュート以上の成功率はなんとか残せていたところだった。

 致命傷にならないギリギリのラインといったところだろうか?

从 ゚∀从「あんなに外すんだったら、もう全部お前にフリースロー投げさせちゃえってならねえの? わざと反則してくるとかさ」

 絵を描き始めるということでハインに呼び出されていたおれは、言われるままにポーズを作る合間にそんなことを訊かれていた。
  _
( ゚∀゚)「んん、でも、そこまで入らないってわけではないからな」

从 ゚∀从「そ〜なん? めちゃ入らないって言ってなかったっけ」
  _
( ゚∀゚)「フリースローとしては全然入らない部類だけどよ、そもそもバスケのシュートってそこまで成功率高くねえんだ、レイアップやダンクは別にして。半分くらい成功するっていうのは、実は得点効率的にはそんなに悪くねえ。楽は楽だしな」

从 ゚∀从「ほ〜ん。それじゃあ次はちょっとボール持ってさ、あっちにドリブルしてみてくれよ」
  _
( ゚∀゚)「あいあい」

665名無しさん:2021/12/17(金) 23:43:31 ID:aiRS0n3g0
  
 ハインの要求は様々で、おれは数時間ほどをかけてじっくりとポージングをさせられていた。

 体育館を借りたのだ。

 学校の体育館を個人名義で貸し切りにすることは高岡家のお嬢様にもできなかったが、根気強く探してコスパのことを考えなければ、おれたちふたりに占有させてくれる体育館も世の中にはあるらしい。おれには考えつきもしないことだった。

 言われるままにボールを扱い、時にはシュートを放ったりドリブル・ハンドリングを見せたり、ドライブの鋭さでコートを駆けボールをリムにくぐらせたりする。

 間接視野と横目でハインの様子を伺うと、ただおれを見るだけではなくメモを取ったり、何か簡単な絵を描いたりしているようだった。
  _
( ゚∀゚)「ふい〜 素朴な疑問なんだけどよ、これ、写真や動画をざ〜っと撮って終わるわけにはいかないのか?」

 文句を言いたいわけじゃないけどよ、と前置きをした上でおれはハインにそう訊いてみる。ハインは肩をすくめて首を振った。

从 ゚∀从「すまんが、そういうわけにはいかねェな。・・何というか、実際に見ないと、グッとくるもんがないんだよな」
  _
( ゚∀゚)「ぐっと?」

从 ゚∀从「ぐっと」

 ハインは頷いてそう言った。

666名無しさん:2021/12/17(金) 23:44:09 ID:aiRS0n3g0
  
从 ゚∀从「たとえばこの肩筋」
  _
( ゚∀゚)「かたきん?」

 おれのオウム返しに答えることなく、ハインはおれの左肩に触れてきた。剥き出しの三角筋をがしりと掴む。肩にハインの握力をおれは感じる。

从 ゚∀从「この皮膚の下には薄い脂肪と、さらには筋肉と骨がひしめいている。血流が通った滑らかな表面だけれど力が入ると筋肉が隆起する。その、おれが感じ取る表現とここにある質感を、保存して後で見るなんてことはできないんだよ」

 カメラはレンズを向けたところの、写せるものしか写せないからな、とハインは言った。

从 ゚∀从「視覚以外の、たとえばこの体が発する熱を映像には残しておけないだろ? 匂いもそうだな、カメラに収められる情報は実はそんなに多くないんだ、だから一部を切り取るからこその、写真や映像としての芸術性のようなものもあるんだろうが、おれの描く絵には関係のない話だな」
  _
( ゚∀゚)「ふええ〜 そんなもんですか」

 そんなもんだよ、とハインは頷く。

从 ゚∀从「だからオレはお前の試合も観に行ったし、こうして間近で見せてももらう。おかげで良い絵が描けそうだ」
  _
( ゚∀゚)「それは何より」

667名無しさん:2021/12/17(金) 23:44:37 ID:aiRS0n3g0
  
 描きたい構図や内容もおおかた決まった、とハインは言った。

从 ゚∀从「ワクワクするな・・ 描き上がりの出来次第だが、コンクール的なものにでも出してみようかな」
  _
( ゚∀゚)「コンクール。そういうのもあるのか」

从 ゚∀从「オレはこれまでほとんど出したことがないんだけどよ、すげえ良いんじゃないかと思えるものが描けたとしたら、それが実際どんな評価をされるのか、知っておきたい気もしちゃうよな」
  _
( ゚∀゚)「ツンがハインの絵は凄いみたいなこと言ってたから、てっきりもう受賞とか色々してるもんだと思ってたぜ」

从 ゚∀从「受賞ね。そりゃあ出せば選ばれることもあるかもな」
  _
( ゚∀゚)「あ、やっぱり?」

从 ゚∀从「勘違いすんなよ。オレはハインリッヒ高岡だからな」

 絵のクオリティがどうあれ評価されちまうこともあるだろう、とハインは続ける。

从 ゚∀从「名前で評価を歪められて受賞でもされてみろ、オレはおそらく怒り狂ってしまうだろうな。怒髪天を突いちゃうよ。モヒカンだ」
  _
( ゚∀゚)「モヒカンって怒りを表現してるんだっけ? まあでも、そういうリスクがありますか」

从 ゚∀从「知らねえ。でも、ないとは言い切れないだろ、だから気持ち悪くなるかもしれなくって、そういう賞とかに応募はしないようにしてたんだよ」

668名無しさん:2021/12/17(金) 23:44:59 ID:aiRS0n3g0
  
 直接おれには縁のない話だろうが、貴族の憂鬱のような話をするハインの気持ちの一部はおれにもわかった。得点の根拠が明白で、その数字の多い少ないで勝負がつくバスケとはまったく違った優劣の付け方が芸術分野にはあることだろう。

 場所は違えど、ハインもどこかで世知辛さのようなものを感じてきたのかもしれなかった。
  _
( ゚∀゚)「――しかし、それじゃあまたなんで今回は出す気になったんだ?」

从 ゚∀从「市のコンクールだからな。こないだ変わった今のVIP市の市長は、なんていうかな、ざっくり言うと反高岡派なんだ」
  _
( ゚∀゚)「反高岡派! 何だよそれ。回文には・・、なってねえな?」

从 ゚∀从「何言ってんだお前。反高岡派ってのはあれだよ、そのままだけど、高岡家をよく思ってない輩ってことだ。VIP市における高岡家の存在はでかいからな、自然と肯定派も否定派も出てくるわけだ」

 否定派主催のコンクールなら、もし忖度やバイアスのようなものがかかるとしたらマイナス方向になるだろ、とハインは言った。

从 ゚∀从「そういう環境の中で入選するなら、それはもうそういうクオリティの絵だということだと思っていいだろ。だから出してみようかな〜と思うんだ」

669名無しさん:2021/12/17(金) 23:45:21 ID:aiRS0n3g0
  
 そのように語る間もハインの右手はおれの左肩に乗ったままで、しかし動かさずにいるわけではなく、軽く撫でるようにわずかに揉むように、その表層を這っていた。

 距離が近い。いつの間にかおれたちはほとんど密着しているようになっている。

 ハインがおれの匂いや熱を感じているように、おれもハインの匂いや熱を感じていた。

 吐息を肌に感じそうだ。

从 ゚∀从「お前のおかげだ。描き上げるどころか描き始めてもないけど、ありがとよ」
  _
( ゚∀゚)「そいつはどうも」

 ざっくりとした髪の奥から力強い眼差しが向けられている。肩に感じるハインの手の平の感触と相まって、ゾクゾクとしたものをおれは感じる。
  _
( ゚∀゚)「・・絵を描く対象には、実際に触れてみたいと思うのか?」

从 ゚∀从「これか? もちろんそうだよ。触れたいし、嗅ぎたいし、何ならこの皮膚を切り裂いてその下の肉を、血を、この目で見てみたいとすら思うね。きっと、すごおく赤いんだろうな?」

 吸いついてくるような目線だ。

 ハインはおれの目をまっすぐに見つめ、凄みを感じる笑顔でそう言った。

670名無しさん:2021/12/17(金) 23:45:43 ID:aiRS0n3g0
  
 左肩の辺りをうろついていたハインの右手がおれの表面を撫でるようにスライドし、やがておれの頬を小さく撫でた。

 絵筆を握り続けてきたのだろうか、ツンほどではないが女子にしては固いんじゃないかと思える手の平を頬に感じる。その親指がおれの唇に薄くかかっている。
  _
( ゚∀゚)「・・ブーンはそこらにいないんだろうな?」

从 ゚∀从「いないさ。今日は不意打ちもしねえ」

 する必要がないからな、とハインは言った。
  _
( ゚∀゚)「おれが拒絶しないとでも?」

从 ゚∀从「するのか? まあ、したところで意味がないからな」

 オレはお前をいつでも抱ける、とハインは囁くように口を動かす。ちょっと抵抗してみようという気になった。

 おれの頬を撫でていた右手が後頭部に回される。そのまま引き寄せようとする力におれは背筋を伸ばして抗ったのだった。

从 ゚∀从「・・ほう」

 と、ハインが楽しそうに口角を上げる。女子にしてはハインは長身な方だろうが、それでもおれとは身長差がある。このままでは十分に顔を寄せてくることすらできないだろう。

从 ゚∀从「面白いことをするじゃねえか」

 そう言うと、ハインはそこから小さく飛び退き、おれと腕1本分の距離を取った。

671名無しさん:2021/12/17(金) 23:46:06 ID:aiRS0n3g0
  
从 ゚∀从「ん」

 そしてハインは軽く拳を握るようにして両手を上げて見せてきた。どう見たって臨戦態勢だ。

 この間のやり取りで薄々感じてはいたのだが、ハインには格闘技の心得か何かがあるのだろう。おれにはないが、その代わりと言ってはなんだがおれにはアスリートの身体能力が備わっていて、おれとハインの間には男女の体格差が存在している。

 もちろんお遊び感覚だけれど、簡単にはやられないつもりだった。
  _
( ゚∀゚)「今回は不意打ちじゃないからな」

从 ゚∀从「フン。・・言ったろ? 不意打ちは必要ない」

 両手をワキワキと動かしハインがそう言った。

 肩がわずかに動くのが見える。そこから拳が飛んでくるのを予感した瞬間、おれは音と衝撃を右足に感じた。

 蹴られたのだ。

 そう認識したおれの意識が右足に向かう。

 違う。

 と慌てて視線を正面に戻すと、ハインはおれの視界から消えていた。

672名無しさん:2021/12/17(金) 23:46:26 ID:aiRS0n3g0
  _
( ゚∀゚)「――ハア!?」

 気づくとおれは体育館に寝転んでいた。

 背後に肉体の熱を感じる。もちろんハインだ。

 いつの間にかおれの背中に回って組み倒し、地面で後頭部を強打しないように丁寧に保護しながらおれを寝かせやがったのだ。

 そう理解できたころには、その熱源は移動し始めていて、おれは完全になされるがままになっていた。

 荒れた海の波打ち際で翻弄されているようだ。

 おれはわけがわからないままに、流れに沿って体を動かす。そうしないと腕や足がひどく捻れる気がするからだ。

 ようやく落ち着いた頃にはおれは仰向けに横たわっていて、見上げると胴体にハインが跨り、そこからおれを見下ろしていた。

从 ゚∀从「――よう」

 と、声をかけられる。ハインの体温と体重を腹部に感じる。

从 ゚∀从「これがマウント・ポジションだ。女子からマウンティングされた気持ちはどうだ?」
  _
( ゚∀゚)「マウンティングって、物理的な現象じゃないだろう」

从 ゚∀从「フフン」

 ハインは笑っておれの頭を強く掴むと、そのまま体をずらすように覆いかぶさり、噛みつくようにキスをしてきた。

673名無しさん:2021/12/17(金) 23:46:56 ID:aiRS0n3g0
○○○

 ハインがその後もモララーの世話をみてくれるというのはおれたちにとって朗報だった。

从 ゚∀从「モララーのことも気に入ったしな、良い絵も描けたしこれからまた描きたくなった時の協力と、抱きたい時に抱かせてくれりゃあギブアンドテイクとしてもいいぜ」

 お前に好きな女でもできた場合は要相談だな、とハインは言った。
  _
( ゚∀゚)「――好きな、女ね」

从 ゚∀从「オレも鬼じゃねえからよ、お前とのセックスは気に入ってるが、ないならないでも構わねえ。気が向いたらそのまま手伝ってもいいし、ジョルカノが手伝うというならそこで身を引くのもいいだろう」
  _
( ゚∀゚)「・・・・」

从 ゚∀从「もちろん支援内容がオレの手伝いより現金がいいというなら家とかに頼んでみてもいいぜ、悪いがオレ自体は金持ってねえからな。ま、家事代行とかシッターとかを入れるくらいの金を出させることくらいはできるだろうさ」
  _
( ゚∀゚)「・・それは嫌だな」

从 ゚∀从「ふん。それじゃあ今後もオレがモラ世話させてもらうってことで?」
  _
( ゚∀゚)「よろしく頼む」

从 ゚∀从「了解!」

 ハインはそう言い、帰り際におれの頭を掴んではキスをした。

674名無しさん:2021/12/17(金) 23:47:17 ID:aiRS0n3g0
  
 言われるまでもなく、おれと恋人同士のような関係性になるのをハインがまったく望んでいないのだろうということが、恋愛経験の乏しいおれにもわかった。

 望むどころか、おそらく考えることすらないのだろう。

 いわゆる彼氏彼女の間柄ではまったくない、と断言していたブーンのことを思い出す。おれもハインの“オレの男"になったのだろうか?

 実際にハインが一体おれとの関係をどのように考えているのかなんて、わざわざ訊く気にもならないことだった。

 意味があるとも思えない。重要なのは、ハインがモララーの世話をしてくれることによって、おれのバスケも母さんの仕事もツンの勉強も問題なく続けられるのだろうということだ。

 何ともありがたいことである。

 当然モチロンその筈で、そこに疑いの余地はまったくなかった。

 なんせ、もうすぐ2学期が始まるのだ。

 インターハイが終わったバスケ部のおれは実質的な最上級生となり、これまで以上にチームをまとめ上げ、引っ張っていかなければならない立場になっていた。

675名無しさん:2021/12/17(金) 23:47:38 ID:aiRS0n3g0
  _
( ゚∀゚)「ほれモララー、早く靴履け、遅れるぞ」

( ・∀・)「だってジョルジュ、モララーもういっこぎうにう飲みたかった!」
  _
( ゚∀゚)「単位よ。牛乳はコップだから、もう1杯、な。ていうかそういうのは飯食ってる時に言ってくれよ。出発間際に言うんじゃねえ」

(#・∀・)「だってぎうにう飲みたかった!!」
  _
( ゚∀゚)「欲望の化身かお前は。接続語も時制もなんだか変なんだよなァ」

(#・∀・)「ぎうにうちょうだい!!!」
  _
( ゚∀゚)「圧が凄すぎるだろ。・・はいはい、しょせんモララー様には敵いませんよ。ぎうにう持ってくるから靴履いてなさい」

( ・∀・)「ハイハイ。はやくぎうにう持ってきなさ〜い?」
  _
( ゚∀゚)「うあ〜 めちゃムカつくわこのクソガキ!」

 その小さな背中を蹴り飛ばしたくなる衝動を押し殺し、おれは粛々とコップに牛乳を入れ、飲み終わった小さな王様の口の周りを丁寧にティッシュで拭かせていただいた。

676名無しさん:2021/12/17(金) 23:47:59 ID:aiRS0n3g0
  
 平日の朝はおれがモララーを幼稚園まで送ることになっていたのだ。

 母さんが送って行くには幼稚園の受け入れ開始時間と仕事の開始時間が噛み合っていなかったからだ。母さんが送って行くとすると、仕事に大幅に遅れることになってしまう。

 その点おれなら運が良ければ学校にも間に合うし、せいぜいちょっぴり遅刻で済むくらいのものだった。

 おれもツンもハインも同じ学校の学生だ。始業時間は変わらない。だからおれがやるべきだろうと思ったのだ。

 学校や担任の教師に事情を話すと、おれの日常的な遅刻はすんなりと受け入れられた。ひょっとしたらハインが裏から何か手を回していたのかもしれない。

 何にせよ、遅刻は遅刻なので内申書の評価が多少悪くなることはあるけれど、それはおれにとってどうでもいいことだった。
  _
( ゚∀゚)「じゃあなモララー、いい子でな」

( ・∀・)「モララー、イイコよ! いってきます!!」

 幼稚園の先生に引き渡したモララーが部屋へと入っていくのを手を振って見送り、おれは自分の学校へと足を進める。

 9月1日の朝もおれはそうして過ごした。

677名無しさん:2021/12/17(金) 23:48:21 ID:aiRS0n3g0
  
 もはや遅刻する朝の通学路もおれには慣れっこだった。

 罪悪感や居心地の悪さのようなものをわざわざ感じるのはやめたのだ。

 部の朝練にもおれは出ていない。強制されていないからだ。

 特権を得るようにして毎日のように遅刻してくるおれに不平等さを感じるクラスメイトもいることだろうし、一応強制されていないことにはなっているがほとんど全員が参加している朝練に来ないおれに不平等さを感じるチームメイトもいることだろう。

 そんなやつらに対して引け目を感じることを、おれはやめた。

 どうせおれが申し訳なさそうな態度を取ったところで許しのようなものを得られるわけではないのだ。だったら堂々としていればいい。

 これは傲慢な態度だろうか?
  _
( ゚∀゚)「――だったら、こちとら大歓迎だ」

 ある種の傲慢さを身に付ける必要があるかもしれないおれには、なおさらそうするべきことなんじゃないかとも思えるのだった。

 担任教師もそれを受け入れ、明らかに学級委員であるツンと仲が良く、学校のオーナーである高岡家のハインや学年1位の秀才であるブーンとの関係も悪くない、何よりインターハイにも出場したバスケ部のエースであるおれのそのような振舞いに文句をつけられるやつなど、もはやどこにもいなかった。

 そんな事情などまったく知らない、初対面の転校生を除いては。

678名無しさん:2021/12/17(金) 23:48:43 ID:aiRS0n3g0
  
 確かにその日はいつもより遅くなっていた。

 久しぶりの登校だったからだ。1学期の間はおれもそれなりに気を遣い、園を出た後なるべく早く学校へ辿り着くように頑張っていた。

 それが長い夏休み期間の間に全国レベルのバスケットボールに触れ、童貞を卒業し、悠々と練習に参加する毎日の中で、完全に失われた習慣となっていたのだ。いつも通りのつもりで歩く中でスマホをチラ見したおれは、ディスプレイに表示された現在時刻に驚愕した。
  _
( ゚∀゚)「うひゃ〜、遅刻ちこく!」

 しかし急いだところでどうせ遅刻自体は確定していたし、おれはトーストを咥えた女子高生でもなかったので、そのままポテポテと歩いて登校することにしたのだった。

 教室のドアを開ける。慣れているつもりであっても、久しぶりに全クラス中の視線が集まるこの一瞬はなかなか強烈なものがあった。

 こんな時に役立つのがキャラクターだ。おれは傲慢なバスケ部エースの仮面を被り、堂々とした態度で言ってやる。
  _
( ゚∀゚)「うひょー、ギリギリセーフか!?」

( ´∀`)「ギリギリところか思いっきりアウトモナ。さっさと席について、試験をはじめることにするモナよ」

 こりゃ失礼、とコメディ寄りのやり取りをしてしまえばこちらのものだ。口から出るままに適当なことを言い放ち、おれはおれの席へと進む。

 そこには見慣れない顔がいた。

679名無しさん:2021/12/17(金) 23:49:05 ID:aiRS0n3g0
  _
( ゚∀゚)「――」

('A`)「――」

 何こいつ、とおれは素朴に思った。だっておれの席に知らないやつが何の断りもなく座っているのだ。状況を察しろという方が無理がある。

 だからおれは疑問をそのまま口にした。
  _
( ゚∀゚)「――ところで、君は誰だい?」

 無反応。

 どころか、不敵な眼差しでおれを見ているではないか。非難の色さえ見て取れそうなものだった。

 何だよこいつ、とおれは思う。

 沈黙がおれたちの間に漂い、雰囲気がどうしようもならないものになりかけていた。それを救ったのは、おれの前の席に座る学級委員のツンだった。

ξ゚⊿゚)ξ「この子はドクオくん。転校生よ。ドクオくん、こいつがジョルジュ。ジョルジュはさっさと座りなさい」
  _
( ゚∀゚)「転校生ね!」

 ツンから説明を聞くと同時に、前にどこかでそんなことを聞いていた記憶が猛烈な勢いで蘇ってきた。

680名無しさん:2021/12/17(金) 23:49:49 ID:aiRS0n3g0
  
 つまり、2学期から転校生がおれたちのクラスに加わってくるのだ。

 そこでそいつに席を用意してやらなければならないわけだが、都合のいいことに学級委員のツンと誰もが認めるナイスガイであるブーンの席が近くにあるので、そこに埋め込んでやろうということになったのだ。

 元あった席をひとつ後ろにズラすことにして、だ。それがおれの席だったわけである。
  _
( ゚∀゚)「どうりで知らない顔だと思ったわ」

 合点いったおれはスッキリとした気分でそう言った。改めて見ればそいつの後ろに慣れ親しんだおれの机が存在している。

 問題解決。ただひとつ問題が残っているとすれば、この転校生から依然として不審げな眼差しが送られてきていることだろう。

 とはいえどうしようもないことだったので、おれは自己紹介をして自分の席につくことにした。名前を言い合う。ぼそりと伝えられたそいつの名前をうまく聞き取ることができなかったが、すぐに名前が必要となることもないだろう。

 後でツンかブーンにでも確認しておくことにすればいいし、授業や担任の話のどこかで名前を呼ばれることもあるだろう。きわめて妥当な判断だ。

 そのように妥当な判断をしたおれに落ち度があったとすれば、どうしたって感じてしまう気まずさを誤魔化すような変なテンションでしばらく振舞ってしまったことと、結局そいつからシャーペンの芯を借りるハメになり、礼を言う際名前を知らないことを意識しすぎてしまったことだ。
  _
( ゚∀゚)「――おう、ありがとよ、転校生」

 転校生に“転校生”って呼びかけるって何だよ!?

 素直にもう一度名前を訊けていればどんなによかったことだろう。おれはその夜、しばらくこの一連のやり取りを思い出しては寝床でごろごろ転がった。



   つづく

681名無しさん:2021/12/17(金) 23:50:38 ID:aiRS0n3g0
今日はここまで。
ようやくドクオパートの1話あたりまでいきました。やれやれですね

682名無しさん:2021/12/18(土) 01:29:00 ID:aIqNbJJU0
乙です!

683名無しさん:2021/12/19(日) 02:00:36 ID:Amx5lFro0
ドクオ視点から始まったジョルジュは我が道を行くけど気の良いヤツって思ってたけど演じてたのか…

勝手な考察だけど表面的とは逆でジョルジュは気ぃ使いでドクオが我が道を行くタイプですね

ともあれこれからジョルジュ視点でドクオも絡んでくるのでしょうか?
楽しみです
あとモララーが可愛い

684名無しさん:2021/12/19(日) 14:55:16 ID:lcETwPT60
繋がったな

685名無しさん:2021/12/20(月) 01:37:14 ID:Z0WWdEWc0
色々交錯してますね
あとモララー可愛い‪w

686名無しさん:2021/12/22(水) 02:52:29 ID:5SYF18UY0
>>モララーかわわいいですよね!
とりあえずドクオ視点パート来ないかな?
私もなニッチな趣味やってるもんで応援したい

687名無しさん:2021/12/23(木) 03:44:48 ID:y4sauB1A0
>>686
ニッチな趣味?
ガヤしにいきますよ(*'ヮ'*)

688名無しさん:2021/12/23(木) 03:49:44 ID:y4sauB1A0
何?ニッチ?私誰も見向きもしないようなクラックギターずっとやってますよ…頑張りましょー!!!

689名無しさん:2022/02/07(月) 22:33:07 ID:Zqx4K8pM0
2-10.雑念

  
 部から入手しツンへ横流ししたインターハイでのおれの試合映像は、ツンによって解析・加工されていた。

 これまでも見るべき動画のURLやおれのシュートフォームを録画したものをスマホへ送り付けてくることはあったのだけれど、これほど大掛かりな編集動画を見せられたのは初めてだった。
  _
( ゚∀゚)「すげえなツン、お前こんなことできんのかよ」

ξ゚⊿゚)ξ「ふふん。結構すごいでしょ」
  _
( ゚∀゚)「すげえすげえ」

 大したもんだよ、とおれはツンを賛美する。鼻高々といった様子でツンは胸を張って見せた。

ξ゚⊿゚)ξ「でさ、ここのスクリーン・プレイだけど、この時このコースって見えなかったの?」
  _
( ゚∀゚)「あん? ああこれか、いやこの時見えてはいたけどよ、パスを出す気にならなかったんだよな。なんでだろうな」

ξ゚⊿゚)ξ「・・ここのヘルプも見えてたから?」
  _
( ゚∀゚)「あ〜、そうだな。確かにそうだ。たぶん出しても負けるって思ったんだろうな」

 おれとツンは肩を並べてツンが編集した映像を眺め、それぞれのプレイの細かいところを吟味しながら、ひとつひとつと復習していく。ツン持参のタブレットから流れる映像は、スマホで見るよりはるかに見やすいものだった。

690名無しさん:2022/02/07(月) 22:35:19 ID:Zqx4K8pM0
  
 褒められて味をしめたわけではないだろうが、これ以降、ツンが動画を編集するたびに一緒に見るというのが恒例になった。

 そして場所もおれの家ではなくなった。家でタブレット画面を覗いていると、必ずモララーが寄ってきては自分好みの動画の視聴をこちらに強要してくるからだ。どれだけテレビの画面を自分の好きにできたところで子供は満足しないのだ。

 というわけで、おれたちは度々、例の『バーボンハウス』という店に集うようになっていた。ブーンの家だ。希望したのはツンだったけれど、反対する理由がおれにはひとつも見つからなかった。

( ^ω^)「コーヒーのおかわりはいかがだお?」

 エプロン姿のブーンはそう言うと、おれとツンのコーヒーカップを手元に引き寄せ、ポットから黒い液体を静かに注ぐ。美しい所作だ。
  _
( ゚∀゚)「プロ感あるな〜 かっけぇぜ」

( ^ω^)「おっおっ、おだてても砂糖とミルクくらいしか出ないお。ご使用はお好みで」
  _
( ゚∀゚)「あいよ。しかしおれたち、こんな長時間居座って、店に迷惑じゃねえのか?」

( ^ω^)「この時間帯にジョルジュとツンくらいだったら大丈夫だお。それでも気になるなら、そうだな、僕がさっき焼いたチーズケーキでも注文してくれお」
  _
( ゚∀゚)「営業! つ〜か、お前チーズケーキなんて焼けるのかよ」

( ^ω^)「結構旨いお?」

ξ゚⊿゚)ξ「買う買う! ふたつ持ってきてちょうだい」

 飛びつくようにツンが注文する。じきに持ってこられたチーズケーキは確かになるほど旨かった。

691名無しさん:2022/02/07(月) 22:36:29 ID:Zqx4K8pM0
  
 少し前からツンはこの店のほとんど常連と化しているらしい。

 確かに『バーボンハウス』は良い店だった。同級生の家というのも悪くないのかもしれない。問題があるとすればその同級生が男だというところだろうが、少なくともおれが見たところ、ツンがブーンからちょっかいをかけられているような素振りはない。

 何ならおれも通い詰めても良いくらいだ。
  _
( ゚∀゚)「ハインを送って行ったあの夜来たんじゃなければ、おれも常連になってたかもな」

 チーズケーキを味わうついでに、声には出さずにおれは呟く。

 何しろあの日は驚愕の連続だった。ぼんやりとその内容を頭に浮かべかけながら、しかし同時に、ツンから何か訊かれたら非常に面倒臭いな、とおれは思う。

 コーヒーをひと口すする。別にやましいところがあるわけではないが、妙な質問が飛び込んでくるような変な時間を作らないに越したことはないだろう。

 そのように考えて前かがみにタブレットに視線を戻したおれは、ツンがこちらに集中していないことに気が付いた。
  _
( ゚∀゚)「何だよ・・ って、お前まだいたのかよ」

( ^ω^)「悪いかお?」

 いや悪くはないけどよ、とおれは誤魔化すように否定した。

692名無しさん:2022/02/07(月) 22:37:33 ID:Zqx4K8pM0
  _
( ゚∀゚)「何だよ、やっぱり迷惑だっていうなら出ていくぜ? チーズケーキは食べてからだけどよ」

( ^ω^)「そんなことは言わないお。・・これをジョルジュに言うべきかどうか、ちょっと悩んでたんだけど、良い機会だから言っとこうと思ったんだお」
  _
( ;゚∀゚)「何だよ怖ええな。それってツンも聞いてもいい話か?」

ξ;゚⊿゚)ξ「あたし!? えっと、もし問題あるなら席外すけど?」

( ^ω^)「大丈夫だお。というか、大したことじゃあないっちゃないお」
  _
( ゚∀゚)「本当か? 怖ええんだよな〜、お前らから改まって知らされる情報ってやつはよ!」

 口ではそのように言いながら、おれは多少安堵していた。こいつが大丈夫だと言うならおそらく大丈夫なのだろう。そのように思える何かがこの男にはある。

 顎をしゃくって話の続きを促すと、ブーンは小さく肩をすくめて見せた。

( ^ω^)「転校生の、ドクオに対する態度のことだお」
  _
( ゚∀゚)「転校生? のドクオ? に、対する態度??」

ξ゚⊿゚)ξ「あ、それはあたしも思ってた」
  _
( ;゚∀゚)「おいおいツンもかよ」

 絶対おれが悪いやつじゃん、と、内容を聞くまでもなくおれは言った。

693名無しさん:2022/02/07(月) 22:39:48 ID:Zqx4K8pM0
  
 おれが犬だったら腹を見せる形で仰向けに寝転んでいたことだろう。無条件降伏だ。

 ただし、何が問題なのか、おれには皆目見当がついていなかった。
  _
( ;゚∀゚)「おれが悪いのはわかった。しかし、何が悪いのかわからねえ」

( ^ω^)「? どういうことだお?」
  _
( ゚∀゚)「その通りだよ。お前らがふたりともそう言うってことは、おそらくおれの方が悪いんだろうよ。ただな、おれの一体何が悪いのか、おれにはてんでわからねえんだ」

 敗北は、受け入れてしまえばこちらのものだ。半ば開き直っておれはそう訊く。

ξ゚⊿゚)ξ「開き直ってんじゃないわよあんた」

 すると、即座にツンに責められた。
  _
( ゚∀゚)「だって、わかんねえもんはわかんねえんだもん」

ξ゚⊿゚)ξ「あら拗ねちゃった」

( ^ω^)「お代わりは紅茶にするかお? ウバのいいのが残っているお」

ξ゚⊿゚)ξ「あら素敵」
  _
( ゚∀゚)「いやこれ気遣いに見せかけた営業だろ。奢りとは一言も言ってねえぞ」

( ^ω^)「バレたお」
  _
( ;゚∀゚)「マジかよ! うぉい! 友達で商売しようとすんじゃねえ!」

694名無しさん:2022/02/07(月) 22:40:37 ID:Zqx4K8pM0
  
 半ば本気で抗議したおれに穏やかな笑顔を向けると、ブーンは静かに頷いた。

( ^ω^)「僕はジョルジュのクラスメイトである前に、ひとりの店員なんだお」
  _
( ゚∀゚)「母親である前にひとりの女、みたいな言い方!」

( ^ω^)「しかしジョルジュが僕のことを友達だと認識しているとは思わなかったお」
  _
( ;゚∀゚)「サラッと寂しいことを言うんじゃねえよ」

ξ゚⊿゚)ξ「内藤って結構意外とドライよね。まあでもそんなことはどうでもよくて、今の議題はあの転校生よ。転校生のドクオくん」
  _
( ゚∀゚)「――ああそうだったな。で、何がいけないんだっけ?」

ξ゚⊿゚)ξ「・・態度? というか、雰囲気かしら? あんたドクオに冷たくない?」
  _
( ;゚∀゚)「はぁ!? 別に、冷たくないだろ。普通だよ」

ξ゚⊿゚)ξ「そうかな。あたしには冷たく見えるけど」

( ^ω^)「僕から見てもそうだお」
  _
( ;゚∀゚)「マジかよ。おれ、冷てえんだ・・?」

 ちょっとだけどね、と、まるでフォローになっていないフォローをツンはした。

695名無しさん:2022/02/07(月) 22:41:28 ID:Zqx4K8pM0
  _
( ;゚∀゚)「いや〜。マジでそんなつもりはなかったな」

 純粋な驚きと共におれは呟く。腕組みをして思い返してはみたものの、どう考えてもそんなつもりはなかったのだ。

 おれからすると、むしろ冷たいのはその、転校生のドクオくんの方なんじゃないかとすら思えるものだ。
  _
( ゚∀゚)「おれからすると、むしろ冷たいのはその、転校生のドクオくんの方なんじゃないかとすら思えるけどな」

 だからおれはそう主張してみた。無条件降伏しながらの反論だ。てっきり退けられるとばかり思っていたのだが、意外にもツンは軽く頷いた。

ξ゚⊿゚)ξ「それは否定しない。あんたら、互いで互いを冷やし合ってんのよ。むしろ仲良しかっつ〜の!」

( ^ω^)「おっおっ、言い得て妙だお。確かにそんな感じだお〜」

ξ゚⊿゚)ξ「なんか見ててヤキモキするのよね。仲良しになる必要はないけれど、さっさと一定レベルの人間関係を築きなさい」

( ^ω^)「僕が言いたいことはツンに全部言われちゃったお」

ξ゚⊿゚)ξ「あら失礼」

 何か補足があればどうぞ、と言うツンに、ブーンは肩をすくめて見せた。

696名無しさん:2022/02/07(月) 22:41:52 ID:Zqx4K8pM0
  _
( ;゚∀゚)「う〜〜ん」

 唸るような声を上げながら、おれは口を尖らせる。はっきり言って不服だった。

 おれにそんなつもりはない。しかし、それこそ深層心理の奥底に、少しばかり思うところがあるというのもまた事実なのかもしれなかった。だから反論の言葉が続かないのだ。

ξ゚⊿゚)ξ「何よ、言いたいことがあるなら言いなさい」
  _
( ゚∀゚)「いや〜、なんていうか、口に出したら我ながら子供っぽい言い分だからなァ」

ξ゚⊿゚)ξ「何それ。イイカラさっさといいなさァ〜い?」
  _
( ゚∀゚)「モララーの言い方!」

 不意にツンから発せられた3歳児の口調に笑ってしまったおれは、どう考えても負けだった。

 負けだ。これは受け入れるしかない敗北である。頭を掻きながらため息をつき、座り直す時間でおれは落ち着きを取り戻す。

 それは、敗北を受け入れてしまいさえすればこっちのものだったからである。
  _
( ゚∀゚)「いやさ、さっきは普通だって言ったけどよ、確かにちょっとばかり冷たかったかもしれねえ。正確には、冷たくするつもりはないが、特別暖かく接しはしないってところかな。暖かくないのを冷たいと言うなら、それはきっとそうなんだろう」

 おれは自分のこれまでの言動と、その背景にある感情を思い起こしながらそう言った。

697名無しさん:2022/02/07(月) 22:42:49 ID:Zqx4K8pM0
  
 あの目だ。

 ほとんど毎朝遅刻して教室に入るおれを眺める、あの冷ややかな視線。それを自分から乗り越えてまでコミュニケーションを取る気にはならないし、挨拶をしてもおかしくない距離に近づく前に、あいつは視線を逸らすのだ。
  _
( ゚∀゚)「そりゃあ目が合いでもすれば、その時挨拶するのもおれはやぶさかではねえけどよ、あっちが無視してくんだもん」

 しょうがねえだろ、とおれは言う。そして、言い出したら口から色々出てくるのだった。
  _
( ゚∀゚)「そもそも転校してきて新入りなのはあっちの方だろ、挨拶ってえのは新入りの方からするもんじゃあねえのかよ。あっちが“おはようジョルジュくん”とでも言ってくれば、こっちは“おはようドクオくん”ってなもんで、仲良くできもするんだよ。これ、間違ってるか?」

 どうだよおい、と、多少大げさに広げて見せたおれの主張を聞き、ツンとブーンは顔を見合わせた。

ξ゚⊿゚)ξ「・・おはようジョルジュくん?」

( ^ω^)「おはようドクオくん。い・・、言いそうにねえお!」

ξ゚⊿゚)ξ「想像の段階ですでにぎこちなさすぎるでしょ」

 ウケるわ、とツンはおれのその主張を笑い飛ばした。

698名無しさん:2022/02/07(月) 22:43:55 ID:Zqx4K8pM0
  
 ひとしきり笑ったツンは冷めたコーヒーに手を伸ばす。そしてそこからひと口啜ると、睨むようにおれを見た。

ξ゚⊿゚)ξ「言いたいのは、それだけ?」
  _
( ゚∀゚)「うっ・・ それだけ、だ」

ξ゚⊿゚)ξ「それなら優しくしておあげなさい。一度でいいから。あんたポイントガードでしょ、しかもエース・プレイヤー」
  _
( ゚∀゚)「む。エースのポイントガードだったら何だってんだよ?」

ξ゚⊿゚)ξ「新入りがチームに入ってきたら、そのチームの中心選手は率先して迎え入れてあげないといけないでしょ? あんたはポイントガードなんだから、どんなに気に入らなくても一度くらいはパスを渡して、シュートを撃たせてあげなさいな。それを決められるかどうかはあっちのせいにしていいからさ」
  _
( ゚∀゚)「・・・・」

ξ゚⊿゚)ξ「反論は?」
  _
( ゚∀゚)「余地がねえ。くそったれ、畜生わかったよ」

 お手上げの姿勢でそう言うおれの前にティーカップがカタリと置かれる。紅茶だ。赤みのかかったオレンジ色が美しい。伸びる手の主を目で追うと、そこにはクラスメイトの店員がいた。

( ^ω^)「おっおっ、これは僕からの奢りだお」

ξ゚⊿゚)ξ「やだイケメ〜ン」

 荒く鼻息を吐いてカップを口に運ぶと、すっきりとした甘い香りがおれを包んだ。

699名無しさん:2022/02/07(月) 22:44:58 ID:Zqx4K8pM0
○○○

 言いくるめられたようなものとはいえ、約束は約束だった。おれにもあの転校生を拒絶する理由はない。

 しかし、と同時におれは思うのだった。
  _
( ゚∀゚)「改めて考えると、どうやっていいのかわからねえもんだな」

 変に意識してしまうのだ。この期に及んでいきなりおれの方から声をかけるなど、なんだか変な感じがしてしまい、おそろしくわざとらしい振舞いになりそうな気がプンプンとする。

 あの『バーボンハウス』でのやりとりの直後、初見でやれれば良かったのだろうが、あいにくその機を逸してしまった。あり得ることだ。理由は何とでも付けられた。

 しかし、どのような理由を付けたところでおれがその最大の機会を逃した事実は変わらなかったし、その次の機会にもそのまた次にも、いくらでも何とでも、理由は用意できてしまうのだった。
  _
( ;゚∀゚)「――」

 そうして月日が経っていく。あいつが『バーボンハウス』でバイトを始め、おれの出場する練習試合をツンと一緒に見学しに来、ハインの絵がコンクールで入賞しても、おれはクラスメイトとしての最初のパスを、あの転校生に出せずじまいになっていた。

700名無しさん:2022/02/07(月) 22:45:54 ID:Zqx4K8pM0
  
 ハインの絵がVIP市民コンクールに入賞を果たした夜、おれはハインに呼び出されていた。

 モララーが理解不能な寝相で布団に転がっているのを確認したおれは、母さんに一応の断りを入れて家を出た。サンダルをつっかけてしばらく歩く。川沿いの道へ出る。

 行き先は『ティマート』というコンビニだ。正しいスペルは『T-Mart』。もちろんこのTは高岡グループを意味している。知るほどに恐ろしくすら思えてくるのだが、高岡グループの影響はこの地域のあらゆるところに及んでる。

 その巨大な組織の末娘、ハインリッヒ高岡が『ティマート』の表でおれを待っていた。

从 ゚∀从「おう」
  _
( ゚∀゚)「ん」

 ほとんど言葉になっていない挨拶を交わしながら、おれはハインの手元にコンビニの袋が下がっているのを確認した。それに気づいたハインはニヤリと笑い、手に持つ袋を高く掲げる。

从 ゚∀从「メロンソーダなら買ってるぜ」
  _
( ゚∀゚)「最高じゃんか」

 ありがとよ、と礼を言いながらビニル袋を受け取ると、おれたちは並んで歩き出す。

 もちろんその行き先は、この近くに建つラブホテルだった。

701名無しさん:2022/02/07(月) 22:46:20 ID:Zqx4K8pM0
  _
( ゚∀゚)「――ひょっとして、ここも高岡家の物件なのか?」

 ある時そんなことを訊いたことがある。セックスを終えた後のまったりとした時間帯の、何気ない話題のひとつだ。ピロートークというやつだろうか。

 色素の薄い髪が覆う奥から大きな瞳がおれを見ていた。わずかに首を振るようにして枕に埋もれた頭をこちらへ向けると、呆れたような笑みをハインは浮かべる。

从 ゚∀从「そんなわけねえだろ。何でも高岡家のもんだと思うんじゃねえ」
  _
( ゚∀゚)「いやどこから“そんなわけねえ”のかわからねえのよ。理解不能な存在だからよ」

从 ゚∀从「ここを使うのはオレとお前の家からの距離的に妥当なのと、あのコンビニから近いからだよ」
  _
( ゚∀゚)「ほ〜ん。身内割引でもあるのかよ?」

从 ゚∀从「あるわけねえだろ、定価だよ。ただ、どうせ金を落とすなら、身内のところに落としたいなと思うだけだよ」
  _
( ゚∀゚)「それがどれほど“あるわけねえ”のかも、おれにはわからねえんだよなァ」

从 ゚∀从「ウヒヒ。この世間知らずめ!」
  _
( ゚∀゚)「この閉じた地域の常識を世間と言いはしねえと思うぞ」

 そのように口答えしたおれの頭を、ハインは強い力で引き寄せてきた。

702名無しさん:2022/02/07(月) 22:46:56 ID:Zqx4K8pM0
  
 ハインとのセックスに不満はなかった。

 文句を言える立場におれがいないことを差し引いてもそれは確かで、美術担当の神様が乱暴に削り出したようなハインの顔は見るほどに魅了的に映ったし、格闘技か何かをやっているのだろう引き締まっている体は触れると驚くほどに柔らかかったし、何より単純に快感だった。

 腕枕に感じる髪の感触も、頭の重さも、畳んで伸ばした手の平に収まる肩の触感も、それを愛おしく感じないと言ったら嘘になる。寝顔の頬を空いた方の手で小さく撫でると、何とも満ち足りた気持ちになるのだ。

 しかし。

 と、おれは同時に思う。
  _
( ゚∀゚)「――これは、愛し合ってるわけじゃあないんだろうな」

 治りきっていない傷跡をやたらと触ってしまうように、痛みを伴うとわかっていても、おれは定期的にそのような考えを頭に浮かべるのだった。

 これはやめようと思ってやめられるものではない。おれは受け入れ、触るたびに走る痛みとその都度しばらく付き合い、やがて収まるのを待っていた。

703名無しさん:2022/02/07(月) 22:48:07 ID:Zqx4K8pM0
  
 何度考えてもそうだった。

 ハインとおれとの関係は、決して恋愛関係ではない。始まりからしてそうだったし、その後も一貫してそうだ。おそらく契約関係に近いのだろう。
  _
( ゚∀゚)「・・ブーンとは、やっぱり主従関係なのかな?」

 声には出さず、傷口に爪を立てるようにして心の中でおれは訊く。ハインは決して答えない。問われていないのだから当然だ。そもそもブーンとハインの間に、具体的にどのような過去があるのかおれは知らないし、今実際どのような関係にあるのかもよく知らない。

 やはりそれを訊くつもりにはならないし、自分でも意外なほどに、ブーンに対する嫉妬心のようなものが芽生えるわけでもないのだった。

 そんな射精後のまどろみの中でハインの髪を指先に感じていると、不意に声をかけられた。

从 ゚∀从「なあ、今度また試合があるんだろ? ツンが言ってた」
  _
( ゚∀゚)「ん・・ ああ、試合自体はしょっちゅうあるからな、どれのことかな。練習試合か?」

从 ゚∀从「いや、もっとちゃんとしたやつだ」
  _
( ゚∀゚)「それじゃあ国体の話かな」

 VIP国体が近づいていたのだった。

704名無しさん:2022/02/07(月) 22:49:00 ID:Zqx4K8pM0
  
 国体とは、簡単にいうと、都道府県対抗のオールスター戦である。全高校生ボーラー憧れの大会のひとつだ。おれはその県代表メンバーに選ばれていた。

从 ゚∀从「おばさんやツンと話しててよ、交代で観にいこうかって話になったんだ」
  _
( ゚∀゚)「ほ〜ん。モララーは?」

从 ゚∀从「おばさんが行く時に連れてくってよ。オレは、ツンとブーンと、あいつと行くんだ」
  _
( ゚∀゚)「・・あいつ?」

从 ゚∀从「お前と敵対している転校生、ドクオくんだよ」
  _
( ゚∀゚)「ハァ!? 何でそんな話になるんだよ」

从 ゚∀从「どうやらツンは本気でバスケ沼に引きずり込むつもりみたいだな?」
  _
( ゚∀゚)「マジかよ・・ あ、いや、別におれはあいつと敵対しているわけじゃあないけどな?」

从 ゚∀从「そんなことぁどうでもいんだよ。面白くなってきたな?」
  _
( ゚∀゚)「面白いですかねえ・・?」

 呟くようにそう言うおれを、ハインはニヤニヤと笑って見つめた。

705名無しさん:2022/02/07(月) 22:49:24 ID:Zqx4K8pM0
  
从 ゚∀从「シタガクから選ばれてるのってジョルジュだけなんだろ? これってどのくらい凄いことなんだ?」
  _
( ゚∀゚)「そうだな・・ まず、ひとつの県につきメンバーは12人だ。だから、同世代の県内トップ12プレイヤーしか選ばれないってことになるよな。ま、トップ層と言っていいだろう」

从 ゚∀从「ふむふむ」
  _
( ゚∀゚)「でもさ、ただトッププレイヤーを集めただけじゃあ強いチームは作れないわけだよ。一応合宿とかがあるにはあるけど、部活の練習時間と比べたらあってないようなもんだし、練習というよりぶっちゃけ確認くらいなんだよな、その時間だけでできるのは」

 ではそのメンバーに連携を植え付けるにはどうすればいいか?

 簡単だ。元々連携があるメンバーを選べばいい。

 その解答を耳にした瞬間、ハインは吹き出して笑った。

从 ゚∀从「逆説的だな!」
  _
( ゚∀゚)「まあな、でもそうだろう? で、元々連携があるメンバーとはどんなやつらかというと――」

从 ゚∀从「でけえバスケ部のチームメイトをそっくりそのまま、となるわけか」

 おれはゆっくりと頷いて見せた。

706名無しさん:2022/02/07(月) 22:50:25 ID:Zqx4K8pM0
  
 メンバー12人の内、県内トップ校のバスケ部から10人前後が選出されることは珍しくない。おれたちのチームもトップの2校からしかほとんど選出されておらず、おれはそんなチームの数少ない例外だった。

 しかもチームの司令塔となるべきポイントガードのポジションでの選考だ。さらに今年は地元での国体開催な訳だから、優勝か、少なくとも優勝に近いところまで勝ち進めるチームを作りたいことだろう。素質や育成を重視するのではなく、勝てるチームの一員として、おれは召集されたのだ。

 自分で話している内に気づいたのだが、これは結構な評価なのかもしれなかった。
  _
( ゚∀゚)「な、おれって結構凄えだろ?」

从 ゚∀从「なるほどなァ、すごいすごい。ジョルジュを引っ張ってきたスカウトも鼻高々だな?」
  _
( ゚∀゚)「だといいけどな」

 放り投げるようにおれはそう言う。正直なところ、中学校進学の段階で会ったっきりどこで何をしているかわからないスカウトのことなど、おれはすっかり忘れていた。

 肩をすくめる代わりにハインの頭を撫でていると、なあ、と再び質問を投げかけられた。

从 ゚∀从「いつか訊こうと思ってたんだが、お前、高校出た後どうすんだ?」

707名無しさん:2022/02/07(月) 22:51:13 ID:Zqx4K8pM0
  
 それは思いがけない質問だった。少なくともピロートークにふさわしい話題とは思えない。しかし同時に、将来の進路のような重い話題は、冗談だよと逃げられるような軽い場面でするべきなのかもしれないな、ともおれは思った。

 唸るような声を上げて体を伸ばし、考える時間を稼いではみたが、あまり考えはまとまらなかった。

 だからそのままを口に出してみることにした。
  _
( ゚∀゚)「う〜ん・・ どうすんだろうな?」

从 ゚∀从「お、考えてない系か?」
  _
( ゚∀゚)「どっちかというとそうだな。ツンに言ったら叱られそうだが」

从 ゚∀从「まず間違いなく説教モンだな。でもお前、もうバスケ部内では最高学年じゃねえか、そろそろ何か言われるんじゃねえか?」
  _
( ゚∀゚)「ヤバい系かな?」

从 ゚∀从「どっちかというと、断然ヤバい系なんじゃねえか」
  _
( ゚∀゚)「やっぱりそうか〜」

 おれは大の字になって寝転んだ。

708名無しさん:2022/02/07(月) 22:51:47 ID:Zqx4K8pM0
  _
( ゚∀゚)「う〜〜ん」

 そのままの体勢で唸り声を上げながら天井を眺めていると、ハインの顔が視界を覆うように現れてきた。

从 ゚∀从「ノーアイデアか?」
  _
( ゚∀゚)「いえす、あいはぶのーあいであ。でも、そうだな、シタガクにそうしてもらえたように、特待生待遇みたいな感じで大学に行けたらいいな〜、とは思ってるよ」

从 ゚∀从「お、大学行くのか」
  _
( ゚∀゚)「・・だめかな?」

从 ゚∀从「だめじゃあねえだろ。プロ志望じゃないのが意外だっただけだよ。プロは考えていないのか?」
  _
( ゚∀゚)「いや、考えたことはあるさ。おれが考えなしでも、あいにくツン様が現実を突きつけてきなさるからよ」

从 ゚∀从「きなさるか」
  _
( ゚∀゚)「きなさるな〜。ま、そうでもしなきゃおれに知識が入らないから、有難いっちゃ有難いんだけどよ」

 肩をすくめながら笑ってそういう俺に、ハインの頭が被さってきてキスをした。

709名無しさん:2022/02/07(月) 22:53:09 ID:Zqx4K8pM0
  
 そのまま向かい合うように横たわる。おれは小さくため息をつく。
  _
( ゚∀゚)「んでまあ調べたんだけどよ、日本のプロリーグの平均年俸って1000万ちょっとくらいらしいじゃねえか。で、10年くらいプレイするとして、ボーラーとしての生涯年収は1億から2億くらいになるわけだろう? サラリーマンの生涯年収が3億とかだろ、世間並みの生活を考えた場合、これじゃあ全然一生暮らせねえわけだよ」

从 ゚∀从「ほうほう」
  _
( ゚∀゚)「だからマジでめちゃすげえ選手になる保証でもない限り、ボーラーとして以外の人生も考えとかなきゃならないわけだな。だったら大学は行っといた方がいいんじゃねえの?」

从 ゚∀从「なるほどなあ。しかし、どっちかというと親たちが言いそうな意見だな?」
  _
( ゚∀゚)「う〜ん、そうだな、そうかもな。・・うちが母子家庭だったり、モラ世話してたりするからこんなことを考えるのかな?」

从 ゚∀从「さあな。ま、オレはそれが悪いことだとは思わねえがな、どっちにしても、お前はできる限りバスケを続けた方がいいとは思うゼ」
  _
( ゚∀゚)「ほ〜ん。なんでだ?」

从 ゚∀从「決まってるだろ。バスケしてる時が一番カッコイイからだよ、ジョルジュ長岡という男はさ」

 ニヤリと笑ってそう言うと、ハインは再びおれをセックスに誘うのだった。

710名無しさん:2022/02/07(月) 22:53:56 ID:Zqx4K8pM0
○○○

 VIP国体、初戦の相手はクックルのいる県だった。
  _
( ゚∀゚)「・・マジかよ」

 対戦表を見たおれはそう呟く。インターハイ以来の対戦だ。何とも縁のあることである。

( ´_ゝ`)「お、対戦相手クックルんとこじゃん。ジョルジュ、お前こないだ負けてたよな?」
  _
( ゚∀゚)「うるせえな、お前んとこもじゃねえか。おれが知らないとでも思ったか」

( ´_ゝ`)「そうだったな。これは一本取られたワハハ」

(´<_` )「笑い事ではないぞ兄者。地元開催で初戦負けなんてやったら世間に吊るし上げられる」
  _
( ゚∀゚)「おお怖。マッチアップする弟者がクックルをしっかり押さえてくれないとな?」

(´<_` )「そうなんだよな。俺はもう現時点で気が重い」

( ´_ゝ`)「ガンバレ」

(´<_` )「そんなに気持ちのこもっていない応援をできるやつ、他にいるかな?」

 並んで大げさに肩を落としたが、この双子が県代表ではチームメイトというのは間違いなく心強いことだった。

711名無しさん:2022/02/07(月) 22:54:24 ID:Zqx4K8pM0
  
 ティップオフの時間が近づいていた。

 センターサークルに両チームのビッグマンが集まる。こちらは弟者だ。あちらはクックルなのかと思っていたら、クックルより高身長の選手がそこに立っていた。

 ジャンプ力を加味してもなおクックルより高く飛べるというのだろうか?
  _
( ゚∀゚)「だったとしたら、驚異的だな」

 そんなことを頭に浮かべる。

 サークルのすぐ外にクックルがいる。ティップオフでこぼれたボールに目を光らせているわけだ。おれはというと、確保したボールを安全に受け取れる、全体に目を配ることのできる後方に陣取っていた。ポイントガードの立ち位置だ。小さくその場でジャンプを重ねて試合開始のテンションを用意していく。
  _
( ゚∀゚)「フゥ〜 良い雰囲気だな・・」

 ピリピリとした空気を肌に感じる中で、ぐるりと観客席に視線を這わす。このどこかにツンやハインがいるのだろう。明日の試合では母さんやモララーがいるのかもしれない。

 今日負けてしまえばそれもなくなる。あの小さな王様に兄の偉大さを知らしめるためにも、おれは勝たなければならなかった。

712名無しさん:2022/02/07(月) 22:55:43 ID:Zqx4K8pM0
  
 あのセンターサークルのビッグマンがクックルより高く飛べるというなら驚異的だが、そうでないなら非常にありがたいことだ。

 不自然なことだからだ。アメリカ人が作り上げた合理的なバスケットボールというゲームの中で、不自然なことをするにはそれなりの理由があることだろう。それは事情といってもいいかもしれない。

 たとえば、数字上の身長がクックルより高い、ポジションがセンターである選手をティップオフの場から遠ざけることは許されない、といったようなチーム事情だ。クックルがティップオフの競り合いを嫌がらない男であることをおれは既に知っている。
  _
( ゚∀゚)「うへへ、こいつは見ものだな?」

 狩人のような視線を対戦相手へ向けていく。その途中に兄者がいた。こうしておれと同時にコートに立つ、高校のチームではポイントガードを務める良い選手だ。

 兄者や弟者の所属する高校はいわゆる県下のトップ校で、この選抜チームにも6人の選手を提供している。半数だ。なんならチームメイトで5人の先発を組めるのだ。

 そんな兄者が、こうしてポイントガードの位置におれが立つのを自然と受け入れてくれている。弟者も、他のやつらもそうだ。勝利を目指すために必要と思われることをやる以外のチーム事情がおれたちの県にはほとんどない。そのような関係性をおれたちはこれまでに作り上げてきた。
  _
( ゚∀゚)「――お前らはどうだよ、クックル。そいつはお前より飛べるのか? ん?」

 視線でそのようなことを問う。ティップオフの時間が近づいていた。

713名無しさん:2022/02/07(月) 22:56:25 ID:Zqx4K8pM0
  
 その問いの答えは、審判が真上に放ったボールに弟者の指先が先に届いたことで伝わってきた。

 弟者の身体能力はとても優れているが、贔屓目に見てもせいぜいクックルと同等だ。身長は同じくらい。手足は明らかにクックルの方が長い。

 タイミングの問題もあるのでもちろん100パーセントではないが、弟者とクックルがティップオフを争ったらこちらの分が悪いことだろう。

 そんな弟者がティップオフで勝ってきたのだ。あちらの県のチーム事情のようなものがチラリと垣間見えるような気がおれにはしてくる。裏付けが必要だけれど、非常に有益となり得る情報だ。悪くない。
  _
( ゚∀゚)「――それじゃあ、いくぞ」

 念を込めるようにしておれは呟く。ふつふつと、体の奥底からエネルギーのようなものが湧き上がってくるのをどこかで感じる。自然と口角が吊り上がる。

 バスケの時間だ。

 手の平に吸い付いてくるようなボールの感触を味わいながら、おれは前進を開始した。

714名無しさん:2022/02/07(月) 22:56:55 ID:Zqx4K8pM0
  
 湧き上がったエネルギーのようなものが体を巡る。その一部がドリブルをつくボールに伝わり、さらにその一部がコートに伝わる。床から跳ね上がってきたボールが再びおれの手の平に収まり、やがて再び送り出される。

 そのような感覚だ。おれは呼吸をするように、心臓が脈打つようにボールを扱う。すると次第に、自分の手の先の状態が目でみることもなくわかるように、コートのことがわかるようになってくるのだ。

 溶け出る。

 と、おれはこの感覚を呼んでいる。おれの意識や感覚がおれの肉体から溶け出ていくような気がするからだ。おれにとっては良い表現なので気に入っている。

 良い雰囲気だと思うからか、早くもおれは溶け出しはじめていた。

 バッシュのソールが床と擦れるスキール音が、選手が動く度に耳に聞こえる。その音の鋭さで動きの質もわかりそうなものである。閉鎖されたアリーナ内の、空気の振動さえ感じ取れそうな気がおれにはするのだ。

 そして視界だ。見るともなしにすべてを見、しかしその一点の情報を正確に掴むことがおれにはできた。穴がある。

 そう思った時には適切な動作でボールを左手に拾い上げ、考えるより先にそれを目標に向かっておれの体が投げていた。

715名無しさん:2022/02/07(月) 22:57:34 ID:Zqx4K8pM0
  
 投げた先の空間には弟者が飛び上がっていた。

 恵まれた体躯と身体能力から空中でバランスを取ってボールを掴むと、弟者はそれを直接、リムに叩きつけるようにくぐらせた。形としてはアリウープと呼ばれるプレイだ。ただしこれをこの距離で、このダイナミックさで成功させられるコンビは決して多くないだろう。
  _
( ゚∀゚)「うへへ、挨拶代わりにかましてやったな?」

(´<_` )「グッジョブだ」

 ディフェンスに戻りながら視線で弟者と会話する。兄者がジェスチャーでアピールしているのが目に入る。

( ´_ゝ`)「うぉい! 俺以外で目立つことやってんじゃねえ!」

 兄者はそのように大きく訴えかけていた。そのくせ誰よりも早く適切なポジションに戻っているのだから、何というか、むしろ言動に一貫性がないというものである。
  _
( ゚∀゚)「そんなわけにもいかんだろ。さあディフェンスディフェンス!」

( ´_ゝ`)「むき〜! お前が仕切るんじゃねえ!」

 もう長年見ている兄者の振る舞いに可愛らしさのようなものさえ感じながら、おれは自分がディフェンスすべき相手へ睨みつけるようにして対峙した。

716名無しさん:2022/02/07(月) 22:58:31 ID:Zqx4K8pM0
  
 好事魔多しというやつだろうか? そんな良いテンションの試合の中で、おれはひとつの困難に直面していた。
  _
( ;゚∀゚)「――どうやら、いつもより入らんなこりゃ」

 おれの最大の弱点、フリースローだ。

 フリースローが入らないのだった。

 どれほど試合にのめり込んでいようとも、おれはフリースローラインの上で素に戻る。それはいつもと同じなのだが、この日のオンとオフの温度差は、いつもに増して強烈だった。
  _
( ゚∀゚)「まいったな。いつもより試合に没入できているから、その分調子が狂うのかねえ?」

 問える相手などいないことは誰よりおれがわかっている。しかし、素に戻った頭で手に馴染まないボールの感触を味わう嫌悪感に抗うためには、他人事のようにそんなことを考える必要があったのだった。

 しかし、逃避したところで現実は変わってくれないものだった。最初の3本のフリースローのうち2本を落としたおれは、次の2本で1本落とし、最悪なことに、その次の2本を両方外した。

 相手のチームの舌なめずりする音が聞こえてきそうな成功率だ。いかんともしがたいことだった。

717名無しさん:2022/02/07(月) 23:00:34 ID:Zqx4K8pM0
  
 7本中2本しか成功しない、3割以下の成功率というのは流石に続かなかったわけだが、あまりの悪さに数えることを放棄した後もなお、おれのフリースローは半分以下しか入らなかった。致命的だ。極端なことを言ってしまうと、こんな成功率の選手がコートにいるなら、そいつがボールを持った瞬間殴りかかるのが一番効率的なディフェンスということになる。

 もちろんこれはほとんど冗談だ。そして、幸いなことに、そこまで露骨に物理攻撃をされることはなかったが、それでもファウル覚悟のラフプレイじみた強気な振舞いにおれは直面することとなったのだった。

 当然だ。

 しかし、それが当然だからといって、おれには対抗手段がないのだ。
  _
( #゚∀゚)「くそッ」

 タイムアウトの笛が鳴る。とうとうおれは交代を宣告された。これもまた当然というものだろう。おれのフリースローは明らかにチームの穴になっていたし、何ならこのチームはおれがいない方が連携面などではむしろ有利なのだから。

 おれが下がったポイントガードのポジションには兄者がそのままスライドし、兄者が担っていたコンボガードのような役割は廃止され、その代わりにもっと純粋なシューターの選手がコートに立った。兄者や弟者と同じ高校の出身選手だ。さぞやりやすいことだろう。

 と、腐った態度を取っている暇はおれにはなかった。

 何気なく向けた観客席の一部に、見覚えのある金髪のツインテールと色素の薄いざっくりとした髪、そしてあの転校生の姿を発見したからだ。

718名無しさん:2022/02/07(月) 23:02:26 ID:Zqx4K8pM0
  
 まったく、ひとの気も知らずによくも楽しく観戦としゃれこんでくれているものである。
  _
( #゚∀゚)「――それも、両手に女子をはべらしちゃってさ!」

 行き場を見つけたフラストレーションが流れるように溢れ出す。おそらくブーンも一緒にいたのだろうが、そんなことはどうでもよかった。2階席から見下ろす形で眺めるフリースローの入らないおれの姿はさぞみすぼらしいことだろう。

 これは早急にどうにかしなければならないことだった。
  _
( ゚∀゚)「しかしどうやって―― ん?」

 その八つ当たりに似た怒りの発散が良かったのかもしれない。不意におれはあることに気がついた。

 なにも、こんな調子のおれがわざわざメインハンドラーを務めることはないんじゃないか?

 ベンチに座ってチームのプレイを見守るおれの視線の先には、正ポジションであるポイントガードとして楽しくプレイしている兄者の姿があった。

 それまでの試合の中でもおれは兄者とハンドラー役を交代しながらプレイしていた。そして、オフボール側の動きをする中ではファウルされることがほとんどなかったのだ。

 考えてみれば当然で、オフボールの選手にファウルを犯すというのは相手としてもリスクが高い。ただのラフなプレイではなくスポーツマンシップに反する悪質な行為と判断されれば、フリースローに追加してその後のボールもおれたちに与えられたり、反則した選手が退場を宣告されることもある。そんな指示出しはチームの士気にも関わってくることだろう。
  _
( ゚∀゚)「――うちよりよっぽど複雑そうな、あっちのチーム事情はそれを嫌がるだろうな」

 いつしかおれの頭からは怒りやフラストレーションの感情がどこかに消え失せ、その代わりにどうやって相手を打ちのめそうかと、プランを練ることで忙しくなっていた。

719名無しさん:2022/02/07(月) 23:04:28 ID:Zqx4K8pM0
  
 やがてその時がやってきた。タイムアウトの笛が鳴る。おれが再出場を監督へ直訴したから鳴ったのだ。

(´<_` )「ん。ジョルジュ、行けるのか?」
  _
( ゚∀゚)「イクイク。点差も微妙なことだしな」

(´<_` )「――正直、ジョルジュ抜きではかなり厳しい。よくて善戦、現状維持が精いっぱいだな」

( ´_ゝ`)「それはそうだが、あのフリースローじゃ勝てんぞ。プレイのリズムも悪くなるし、入ったジョルジュが嫌がるんならやられ続けることだろうよ」

( ´_ゝ`)「あ、これ、俺がハンドラー続けたいから言ってるわけじゃあないからな!?」
  _
( ゚∀゚)「わかってるよ、んなこたァ」

(´<_` )「ふむ。ま、休んで気分転換できただろうしな、これからは成功させられるのか?」
  _
( ゚∀゚)「そりゃあわからん。というか、たぶん、駄目だろうな今日は。ハハ!」

(´<_` )「笑い事じゃないんだけどな。・・ま、でも、ジョルジュのフリースローと心中するなら仕方がないか」

 頼むぜマジで、とわざとらしい大きさの責任を乗せるように、弟者はおれの肩をがっちりと掴んだ。ビッグマンの手の平を肩に感じながらおれは言う。
  _
( ゚∀゚)「頼まれた。しかしな、この試合は今後、兄者にメインハンドラーをやってもらうことにしようと思ってるんだ」

( ´_ゝ`)「ハァ!?」

 そんなおれの提案に、誰より驚いた声を出したのはその兄者だった。

720名無しさん:2022/02/07(月) 23:06:24 ID:Zqx4K8pM0
  
 監督とも話したのだ。

 このチームでのおれの役割はポイントガードだ。全体的なゲームの流れを作り上げ、ボールを皆に分配する。起点となるボールハンドラーの役割を自分で務めることも多いけれど、せっかく兄者がいるのだから、半分くらいはボールを預けて負担をシェアする。

 おれがボールを持つときは兄者がオフボールで走り、兄者がボールを持つときはおれがオフボールで走る。口で言うのは簡単だけれど、こうした仕事の共有を高いレベルでやれるというのがこのチームの最大の長所だった。

 その共有バランスを大きく崩そうと言っているのだ。この土壇場で。いきなりそう宣告された当事者はとても驚いたことだろう。

( ´_ゝ`)「いやいや・・まあ、できるけどよ!?」

 兄者は驚きの中でも安請け合いをすることを忘れなかった。

(´<_` )「まあハンドラー自体はジョルジュが下がってからこっちやってるし、高校ではポイントガードしてるわけだしな。できはするだろ」
  _
( ゚∀゚)「だな。頼んだぜ」

( ´_ゝ`)「うむぅ・・ ジョルジュはシューターするのか?」
  _
( ゚∀゚)「ポイントはそこだな。おれにシューターだけやらせるのはもったいないだろ? 点取り役もやらせてもらおう」

 ニヤリと笑っておれはそう言う。視線の先にはツンがいた。それに気づいた兄者が呆れたように肩をすくめる。

( ´_ゝ`)「こりゃまた懐かしい顔だなァ。お前、あのクオリティを思い出させてくれるのか?」
  _
( ゚∀゚)「ま、やるだけやってみるさ」

 できなきゃフリースローと心中だ、とおれは努めて軽い口調で言った。

721名無しさん:2022/02/07(月) 23:07:11 ID:jOwuLTEg0
支援

722名無しさん:2022/02/07(月) 23:08:33 ID:Zqx4K8pM0
  
 タイムアウト終了の笛が鳴る。選手の交代が告げられる。おれは小さくその場でジャンプを何度か繰り返し、ベンチに座っていた体を臨戦態勢に持っていく。

 兄者や弟者にとってのツンは、今も優れたスラッシャーのままであることだろう。速く鋭いドライブですべてを切り裂きバスケットへと攻め込む、アタッカーの権化のような選手だった。

 あんなプレイをそのまま再現することは今のおれでもできないが、その代わりに利用できる能力はある。ゲームの流れを把握する力や視野の広さ、フリースローを除いたシュートやパスの技術がそうだ。

 そして、コートに溶け出ることができたおれは、その溶け出た範囲内を、まるで自分の手の平のように把握することができるのだった。

 ベンチに座っている時間が長かったのでちょっぴり不安だったのだが、試合が再開されるやおれはそこに没入し、コートに溶け出る感覚をすぐに得られた。何とも言えない感覚だ。

 さらに没入感が高まると、やがて視界から色彩が失われていき、その代わりに濃淡が強く感じられるようになってくる。意識して分析・評価するまでもなく、こちらとあちらのチームの強いところと弱いところがおれには感じられるのだ。

 それは決して一定ではない。どちらのチームも弱点をカバーするように動き続けるからだ。自分のチームのできるだけ強いところを、相手のチームのできるだけ弱いところに当てようと互いに試みる。声に出されることはないが、きわめて濃密なコミュニケーションをおれたちは試合の中で繰り広げていく。

723名無しさん:2022/02/07(月) 23:10:55 ID:Zqx4K8pM0
  
 こちらの狙いはすぐに察せられたようだった。

 おれは兄者との間に基準のようなものを持っていて、簡単にファウルすることができない、これまでに2個や3個のファウルを既に犯している選手がオフボールムーブの中でおれのマークとなった場合に、おれで攻めようと考えていた。

 その狙いが成功することもあるし、失敗することももちろんあった。しかし、こちらの狙いをあちらが汲み取り、それに対応するために歪んだプレイをするというなら、その歪みを逆手に取ることがおれたちには十分可能だった。兄者が優れたハンドラーだからだ。

 こんなメンバーでバスケをやれて、おれは間違いなく幸福だった。
  _
( ゚∀゚)「――コートの上は、最高だ」

 と、おれは溶け出す意識の中で考える。

 ひとつのゲームと、それを構成するプレイの数々のことだけを考えていれば良いからだ。

 これまで自分がどんな生き方をしてきたのかとか、家族構成がどうなのかとか、誰に愛され誰を愛すべきなのかとか、金があるとか友達がいるとかこの先プロになるとかならないとか、誰のために何のためにプレイするのが正しいのかとか。

 そんなことは、コートの上ではきわめて純粋に、すべてがどうでもいいことだった。

 雑念だ。

 こうした雑念は限界状態に近い体を無理やり動かすための燃料としては優れているが、ただそれだけだ。スコアボードに表示された無機質な数字は、そんなあらゆるおれたちの事情をすべて等しく無価値だと断定する、神様のような存在だった。

724名無しさん:2022/02/07(月) 23:13:12 ID:Zqx4K8pM0
  
 クックルがおれの前に立っていた。
  _
( ゚∀゚)「――」

( ゚∋゚)「――」

 ボールはおれの両手に収まっていた。トリプルスレットと呼ばれる形だ。この体勢から攻撃側はパスもドリブルもシュートも可能であるため、3つの脅威ということでそうした言葉で呼ばれている。

 あちらのチームが最終的に出した答えは『クックルで守る』ということだった。

 おれのチームは即座にそれに反応し、おれにボールが集められた。こちらの答えは『ジョルジュで攻める』だ。

 ポーカーでのやり取りに似ているのかもしれない。あちらはベットし、こちらはそれにコールしたのだ。その後行われるのは、どちらのカードが一体強いのかの比べ合いだ。

 不思議なことだといつも思う。こうしたひとつのプレイで加算されるのは2点か3点、どんなに頑張ってもせいぜい4点である筈で、バスケは積み重ねのゲームで最終的なスコアは100点近くまで達することもザラである。割合としてはとても小さな筈なのに、このワンプレイが、皆でそれまで作り上げてきた試合の結果を大きく左右するのだ。

 おれの両手に収まるこのボールはそういう意味合いのボールだった。おれはその意味を完全に理解し、しかし同時に、それも単なるひとつの雑念に過ぎないものだと切り捨てるように考えていた。

725名無しさん:2022/02/07(月) 23:17:19 ID:Zqx4K8pM0
 
 コートの上は最高だ。ただ相手を打ちのめすことを考えればいい。

 ――こいつにも事情があるのだろう。

 留学生だ。その肉体はまるで黒曜石を加工して作られたように美しく、その身体能力の器にはおれから見ても優れた才能が満ちている。

 しかし、それでも県代表チームで、自分中心にカスタマイズされたチームを作ってもらえてはいないのだった。その程度の評価しかされていないのか、それとも評価とはまた別軸の大人の事情がそこにあるのかは知らないが、結果はそうだ。

 おれと同じように、所属する学校からは唯一となる選出だ。自分を送り出した学校に対する責任感のようなものを感じているのかもしれないし、どこの国出身なのかは知らないが、地元や家族に対する責任感のようなものを感じているのかもしれない。

 こうした大きな大会で注目を浴びる必要性が、おれなんかよりずっと大きいのかもしれない。

 しかしおれにも事情があった。

 多種多様な、負けられない、勝つべき事情だ。こいつにどれほど理解可能か知らないが、おれにとってはどれも大事だ。そして、おれの事情もこいつの事情も、どちらも等しくどうでもよかった。

 これからおれが、おれの体が選択するプレイが、リムにボールを通すかどうかだ。それだけが唯一にして最大の論点であり、それ以外のことは、どれもすべてがどうでもいいのだ。
  _
( ゚∀゚)「――いくぞ」

 と、おれは声には出さずに呟いてやる。クックルはそれを聞くことだろう。

 おれの体に速度を与える靴底と床面の鋭い摩擦が、高いスキール音となってアリーナに響いた。


   つづく

726名無しさん:2022/02/07(月) 23:20:06 ID:FTAGVgas0
おつです

727名無しさん:2022/02/07(月) 23:21:21 ID:jOwuLTEg0
乙です

728名無しさん:2022/02/07(月) 23:23:56 ID:Zqx4K8pM0
今日はここまで。支援ありがとうございました。

ところで、skebで依頼して支援絵を描いてもらったので皆さまもご覧ください
とてもいいでしょ うへへ

https://pbs.twimg.com/media/FKWvaKIVQAEfEc2?format=jpg&amp;name=large
https://skeb.jp/@nengu_housak/works/7

729名無しさん:2022/02/07(月) 23:26:19 ID:jOwuLTEg0
凄い

730名無しさん:2022/02/09(水) 10:24:50 ID:tgChh66E0
高校で県内トップクラスの兄者弟者が昔のツンのプレイを凄まじいものだと覚えてるの良すぎる

731名無しさん:2023/05/09(火) 20:05:37 ID:mYNPnDTY0
THE FIRST SLAM DUNKをこないだ観たので、バスケ繋がりってことで全編読み返しました。
縦横無尽に話が展開しているのに破綻するどころか統一感があり、作中に深く深く入り込めるこの作品が好きです、続きを気長に待っています。


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