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('A`)( ゚∀゚)川 ゚ -゚)( ^ω^)の話のようです
1
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 21:19:53 ID:8bPLXn.o0
1-1.転校初日
僕は128点差で負けていた。
と書くとボロ負けしている印象を受けるかもしれないが、実際貞子さんと僕の間に横たわる点差は128点だった。これは『逆境ナイン』よりひどい点差だ。数少ない救いのひとつは、この競技が野球ではないということだろう。
貞子さんがスローライン上に立っている。
手足が長く、すらりとしている。一目でバランスの良さがわかる構えだ。かつて初めてこの一連の動作を目にした時も、何も知らずとも彼女が優れたプレイヤーなのだろうということが僕にはすぐに見て取れた。単純に美しいのだ。
ダーツだ。貞子さんの右手には21gのタングステンの塊が握られている。そして、そのバランスの良い構えから、引き絞られた右手が振られ、小さな矢が宙へと放たれる。
一瞬の静寂。そして鈍い電子音。貞子さんの放ったダーツは標的をわずかに外れ、点の与えられないミスショットとなっていた。
川д川「んがッ! 外れた!」
前のめりになってダーツの行方を見届けた貞子さんは、そのバランスの良さを放棄し、大げさに頭を抱えて声を上げた。
2
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 21:25:44 ID:8bPLXn.o0
川 ゚ -゚)「だらしがないねぇ」
その言葉以上にだらしなくソファに寝転がったクーが煽るようにそう言った。
川д川「くそぅ、6ダブは得意なんだけどな」
川 ゚ -゚)「ま、シングルに入るよりは良かったじゃない」
まあね、と貞子さんは右手の親指・人差し指・中指の3本を擦り合わせるようにして眺めながら、2メートルちょっとの距離を歩き、ボードに刺さった3本のダーツを回収した。
川 ゚ -゚)「どうするドクオ、勝っちゃうか?」
('A`)「140点残ってんだよ。無理むり」
川 ゚ -゚)「ブル、ブル、20ダブルで140じゃん。簡単かんたん。わたしはてっきりそのために点を整えたのかとばかり思っていたよ」
川д川「ま、ブル狙わないならどこに投げるのって話だしね」
('A`)「それはまあ確かに」
3本の矢を左手に束ね、僕はスローラインに右足を乗せた。
3
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 21:30:05 ID:8bPLXn.o0
スローライン上からダーツ盤をまっすぐ睨む。ダーツ盤は20等分された大きなピザのような見てくれだ。
そのそれぞれのピースには1から20までの点数が散らばって配置されていて、貞子さんが先ほど狙った6のピースは時計でいうところの3時の方向に位置している。
そしてそのピザの耳のような位置にはダブルラインと呼ばれる区間が走っている。そこに当たるとピースの該当点数の2倍が加算されるというわけだ。貞子さんが先ほど狙ったのは6ダブル、12点の得点である。
どうしてそのような中途半端な得点を狙うのかというと、僕たちが興じているゲームが通称ゼロワンと呼ばれる、ある決まった点数から引き算を重ねていって、ぴったりゼロを目指すものだからである。
貞子さんの残点は12点だ。そして、12点のピースではなく6点のダブルを狙うのは、ダブルアウトと呼ばれる作法だ。最後のスローはダブルラインを狙うべきだというダーツプレイヤーたちの矜持が彼女の中にもあるのだろう。
ピザの耳を狙った貞子さんのダーツは外側に外れ、点数にならないミスショットとなった。これが内側に外れていれば残り6点となり、ゼロにはより近づくわけだけれども、3点ダブルを狙うのは6点ダブルを狙うより一般的に難しい。
だから先ほどのクーの、3本目の矢で6シングルに当たるくらいなら外れた方がマシ、という指摘は概ね正しいといえるだろう。
そのようなことをぼんやりと頭に遊ばせながら、僕は僕の構えを作っていった。
4
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 21:38:00 ID:8bPLXn.o0
足の位置から膝、腰、体幹部、と意識を下から上に登らせていく。
大きくひとつ息を吐く。肘の位置。角度。今回のスローの目標となる円盤の中心部、ブルと呼ばれる二重丸を強く睨み、その視線の直線上にダーツを置くようにして僕の構えは完成していく。
構えた腕をまっすぐに引き、弓矢のようにダーツを放つ。20gちょっとのタングステンの塊が飛んでいく。その飛ぶ先には20等分されたピザのような円盤が待っている。
リリース位置のダーツとブルとを結ぶ、重力を加味してイメージした放物線上を小さな矢が飛ぶ。そして刺さった。
ブルだ。
狙った場所に命中したことを示す電子音が高く鳴り、何とも言えない高揚感が僕の口元を緩ませるのがわかる。僕の残点140点から50点が引かれる。
川д川「マジかよ入るんじゃん〜」
大の字になってソファに倒れ込む貞子さんの姿が目に入った。タラバガニみたいだな、と僕は思う。その丈の短い部屋着から伸びる長い手足をじっくり眺めていたい気もするが、僕の左手には2本のダーツが依然として残っている。
2投目の狙いもそのままブルだ。スローに使った右手と、魅力的な脱力具合を見せる貞子さんに向けた眼球以外のあらゆる機能を僕はそのままスローライン上に残していた。
5
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 21:40:17 ID:8bPLXn.o0
大きくひとつ息を吐く。
先ほどブルに入れられたということは、その1投目の動作をそっくりそのまま再現すれば、再びブルに入れられるということだ。僕たちダーツプレイヤーは狙った場所にダーツを突き刺すことをこのように“入れる”と表現する。
('A`)(おいお〜い 入れて欲しいか? ブルちゃんよォ――)
そんなお姉さま方に聞かせることは到底できない低俗な言葉を頭で呟き、僕は再び集中力を増していく。視界が狭まる。
一連の動作からダーツを放つ。静寂。そしてダーツが盤へと刺さる衝撃と高い電子音。僕が今回どれほど正確なスローができたかは、ブルへ刺さったままの1投目の矢に2投目がガシャリと音を立てて当たったことからもわかるだろう。
指に手ごたえが残っている。たまらない感覚だった。
川д川「うおお〜!」
川 ゚ -゚)「やるやん」
('∀`)「ウッヒョー! きたんちゃうコレ!?」
6
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 21:42:22 ID:8bPLXn.o0
僕は思わず声を出してはしゃいでしまっていた。
3本すべてをブルに投げ入れる“ハットトリック”の経験も僕には何度かあるけれど、この勝負のタイミング、ここぞというところでイメージ通りのスローができるというのは言いようのない快感を僕に与える。
('A`)「これが全能感というやつか・・神を感じる」
川 ゚ -゚)「いいからさっさと3投目を投げろよ」
('A`)「アッハイ」
僕ら3人ではじめたゼロワンゲームから早々に“上がり”となり、残る僕と貞子さんのプレイをだらりと眺めていたクーのそんな発言に、僕の全能感がシュワシュワとしぼんでいくのが如実に感じられた。なんとも儚いものである。
それでも僕は自分を奮い立たせ、スローラインで構えを作る必要があった。こうして彼女たちとダーツをするようになって初めて、ちゃんとした対戦形式で部分的にとはいえ勝利を収めることになるかもしれないからだ。
川 ゚ -゚)「あれ? 一度も勝ったことなかったっけ? ほんとに一度も?」
('A`)「ないよ。こういうのは、勝ってる側はあまり意識をしないんだ」
7
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 21:52:16 ID:8bPLXn.o0
川 ゚ -゚)「そんなもんかね」
川д川「まあでも確かに、ドクオくんに負けた記憶は私にはないな」
川 ゚ -゚)「確かにそうだな、わたしもドクオに負けた記憶はない」
('A`)「だから勝ったことないって言ってるじゃんか! しつこいなあもう」
こんなんじゃ集中できやしない、と僕がプリプリ怒ってみせると、クーがにやりと笑ったのが視界の端に引っかかった。ろくでもないことを思いついた表情だ。
川 ゚ -゚)「それじゃあこのスローを見事に沈めることができたなら、ここはひとつ、何かご褒美でもあげるべきなんじゃあないかな?」
('A`)「ゴホウビ?」
川 ゚ -゚)「そうそう。たとえば、貞子がおっぱい見せてやるとかさ」
('A`)「オッパイ!?」
川;д川「いやなんでだよ! 私は関係ないだろ!」
川 ゚ -゚)「だって負けるの貞子じゃん」
川д川「関係あったわ」
8
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 21:53:29 ID:8bPLXn.o0
川;д川「いやそうじゃなくてね! おっぱいとかそういうのはよくないよ」
川 ゚ -゚)「でも青少年へのお姉さんからのご褒美はおっぱいと相場が決まっているだろう?」
川;д川「そんな相場ねえよ! そもそもこいつの姉はお前だろ!」
川 ゚ -゚)「だから、姉が弟におっぱいというのも問題だからね、やっぱり貞子のおっぱいがふさわしいんじゃないかなと思うわけだよ」
川;д川「いやぁどうかな!? そもそも高校生にそういうことするのって犯罪じゃないの?」
川 ゚ -゚)「犯罪性か・・いや、性犯罪だから、性犯罪性か? 回文みたいになるな・・。まあ何にせよ、私たちも一応同じく未成年だからなァ」
川д川「そのわりにはお酒を飲みまくっておりますけどね」
川 ゚ -゚)「飲酒中は一時的に成年化するんだ。フリップ・フロップのような現象と思っていただければ概ね正しい理解ができると思う」
川д川「概ねの範囲がでかすぎる」
9
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 21:55:58 ID:8bPLXn.o0
姉とその友人はよくわからない単語を交えながら何やらぎゃあぎゃあ言っていた。
僕はというと、不意に聞こえたおっぱいという単語に本能レベルで反応してはしまったものの、この場で貞子さんのおっぱいを拝めることなど実際のところあり得ないだろうと思ってしまうので、それ以上のヒートアップはできなかったのだった。
('A`)(しかし、この人たちの会話にはよくおっぱいという単語が出てくるなァ)
と眺めるくらいしか僕にできることはない。
川 ゚ -゚)「見ろよ、貞子。この少年の冷めた目を。大人に期待を裏切られつづけ、何も信用しなくなっている。野良猫のようではないか」
川д川「いやぁ、なんともアホらしいやり取りだと呆れちゃってるだけじゃあないかな」
('A`)「あのう、もう投げても構いませんかね・・?」
川 ゚ -゚)「このむっつりスケベ! 好きにしなさい!」
川д川「さっきは早く投げろと言ってたけどね」
川 ゚ -゚)「せめて、この1投におっぱいがかかってると思って投げなさい!」
('A`)「それはどういう状況なんだよ」
10
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 21:58:28 ID:8bPLXn.o0
何はともあれ、僕には3投目を投げる必要があった。改めてスローラインの上に立つ。投射前のルーティンをこなす。40点獲得の標的となる、12時の方向のピザの耳を強く睨む。
おっぱい。
ダーツの通る放物線をイメージし、そこに乗せることを意識しながら腕を振る。自然と指からダーツが離れる。離れなかった。
きわめて純度の高い雑念が邪魔をしていた。
('A`)「アッー!」
投げる瞬間、指がわずかに引っかかり、指から離れた瞬間ハッキリとわかるミスショットとなったのだった。
僕は失敗を確信する。問題は、どの程度の失敗となったかだ。
残点は40点。このゼロワンというゲームは得点を引き算の形で積んでいき、最終的にぴったりゼロ点となることを目指すものだ。大事なのは、ぴったりゼロでなければならないというところである。
もしはみ出た場合はどうなるか? 即座にそのターンは失敗となり、パスされその回はなかったことになってしまう。
11
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:01:40 ID:8bPLXn.o0
ポゥーン
と高い電子音。いつもはそれまでのあらゆる苦労を良き思い出へと昇華させてくれる、達成感をダイレクトに刺激する音なのだが、今回ばかりは僕に絶望をもたらす音となった。
ダーツ盤をまっすぐ上った最上位、時計でいうところの12時の方向に僕の目指す20ダブルは存在している。そこを狙って放ったダーツは、リリースのタイミングで指にひっかかり、まっすぐ下へと軌道を逸れた。
そこにはボードのど真ん中、ブルと呼ばれる二重丸がある。
この高い電子音はブルを射抜いたことを称える音だ。
僕はこうして3本連続でブルに入れる、通称“ハットトリック”を達成した。合計して大量150点の得点だ。僕の残りは140点。はみ出ている!
バーストと呼ばれる失敗だ。ハットトリック! と偉業を称えるエフェクトが走った後、パリンと画面が割れるような演出と共に僕の失敗が宣告される。僕のハットトリックはなかったことになってしまった。
クーも貞子さんも爆笑していた。
川 ゚ -゚)「いやァ面白い。ハットトリックでバーストとはまた粋なことを」
ひとしきり笑った後、やや落ち着いたクーはそう言った。
12
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:06:34 ID:8bPLXn.o0
川д川「はじめて見た! ハットトリックでバーストするとこんな感じになるんだねぇ」
('A`)「うぅ・・あまりハットトリックでバーストを連呼しないでいただきたい」
川 ゚ -゚)「やーいやーい、ハットトリックでバースト」
川д川「計算上は0点獲得〜」
('A`)「そうか、僕はまた140点からの再開になるのか」
川 ゚ -゚)「次もハットトリックしたら伝説になれるぞ。いやいや、トンエイティというのもいいな。うはー夢がひろがりんぐ」
('A`)「――」
トンエイティとは3本のダーツで得られる理論上最高得点の俗称で、ハットトリックよりはるかに難度の高いものである。もちろん僕はこれまでのダーツ人生でこれを達成したことはない。
黙ってボードからダーツを抜いていると、貞子さんがソファから立ち上がった。
川д川「ドクオくんのお手並み拝見といきたいとこだけど、その機会はまたにしよう」
そして貞子さんはバランスの良いフォームでスローラインにすらりと立ち、あっさりと6ダブルにダーツを投げ刺してこのゲームを終了させた。
13
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:09:27 ID:8bPLXn.o0
川д川「いぇい!」
川 ゚ -゚)「お見事。締まりのいい女がわたしは好きだよ」
('A`)「ぐぅ」
川д川「それはぐうの音? はじめて聞いた」
川 ゚ -゚)「貞子っぱいを逃して残念だったな」
('A`)(さだこっぱい・・?)
おっぱい・おぶ・貞子さんということなのか? そんな浮かんだ僕の疑問は、躊躇して声に出されないうちに消え去った。何事にも有効期限のようなものは存在するのだ。
夜も遅くなってきていて日付が変わろうとしていた。もうすぐ9月1日となる。高校生である僕には2学期の開始が迫っている。
そんなことを考え壁掛けの時計を眺めていると、クーがからかうように声をかけてきた。
川 ゚ -゚)「おお、もうすぐ日が変わる。どっくん転校初日じゃないか」
14
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:11:01 ID:8bPLXn.o0
いかにも僕は転校生だった。1ヶ月ほど前から引っ越してきており、この家の周辺にはあまり新鮮味がないのだが、新しい学校に登校するとあってはそうも言っていられない。
川д川「おー、そういや転校生だったね。どこ行くの?」
('A`)「したらば学園です」
川д川「おお、我が母校」
('A`)「そうなんですか?」
川д川「そうなんだよ。それじゃあ私はドクオくんの先輩ということになるね」
川 ゚ -゚)「貞子パイセンちぃーす。おっぱい見せてくださいよ」
川д川「どうしてクーは私のおっぱいに執着しているのだろうね?」
('A`)「それは僕にもわかりません」
川д川「それはさておき、転校でシタガク入れるなんて、ドクオくんは結構賢いのねぇ」
15
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:12:26 ID:8bPLXn.o0
('A`)「そうなんですか?」
川д川「そうなのよ。小学校とか中学からエスカレーターするのはそんなに難しくないんだけど、高校からとか、特に編入なんていうのは結構ハードル高いんじゃなかったかな。私の代の編入生は東大行ったよ」
('A`)「おおう、わかりやすい高学歴」
川 ゚ -゚)「情報提供の形をとったカシコ自慢か?」
川д川「いや私は中学からだから。そんなに難しくはなかったよ」
川 ゚ -゚)「シタガクなんて略しちゃうあたりも鼻につく」
川д川「本気で言っているのだとしたら、それはもうあなたのコンプレックスがそう思わせているんじゃないの?」
川 ゚ -゚)「これは痛いところをつかれましたな、ハハ! おいドクオ! コンプレックスだってよ!」
('A`)「僕を巻き込んで事故るなよ・・」
よくわからない絡み方をしている姉を、僕と貞子さんは共同してやり過ごすことにした。
16
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:13:32 ID:8bPLXn.o0
やがてクーは平常運転を取り戻し、僕たちは3人でクリケットに興じた。ダーツの遊び方の一種で、陣取りの要素を入れたゲームだ。僕はそこでもやはりクーや貞子さんには勝てなかった。
それも仕方のないことだろう。僕がダーツをはじめたのはここVIP市に引っ越してきてからのことであり、4月からはじまったキャンパスライフの大部分をその練習につぎ込んできた彼女たちとの間には、いかんともしがたい経験値の差があるのだ。
こんな筈ではなかった。
この夏休みを思い返し、僕はしみじみとそう思う。
早めに引っ越し先に落ち着いて、なんならアルバイトでもはじめようかと思っていたのだ。それがこんな集中力と鍛錬を要する、どちらかというと素朴な面白みの競技にハマり、アルバイトの口など探しもせず、だらしない部屋着で切磋琢磨しあうお姉さま方ふたりと長時間を共にすることになるとは!
はっきりいって、最高だった。
川 ゚ -゚)「いい子は早く寝るんだぞう」
そんなクーの茶化した言葉を背に受けながら、僕はダーツを投げてブルへと入れた。
17
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:14:47 ID:8bPLXn.o0
○○○
転校生の義務として、教壇に立っての自己紹介を済ませた僕は、担任教師に促されて指定の席へと着席した。悪目立ちを避けるために趣味がダーツだとは言うことはせず、ごくごく無難な自己紹介であったことだろう。僕がそれを聞く側だったら5分で内容を忘れる自信がある。
しかしながら、誰もがそうだとは限らない。僕が着席した瞬間、前の席の女の子がぐいんとこちらを向いたのだ。カールがかったツインテールが物理法則に従い揺れる。勝ち気そうな大きな瞳がまっすぐ僕に向けられていた。
ξ゚⊿゚)ξ「はじめまして、ドクオくん。あたしはツン。訊きたいことがあるけど誰に訊いたらいいかわかんない、みたいなことがあったら、あたしに訊いてくれてもいいわよ」
('A`)「う、うん・・ありがとう」
正直なところ面食らったが、とてもありがたい申し出だった。コミュニケーション能力に難ありを自負する僕としては非常に助かることである。
何か気の利いた一言でも思い浮かばないだろうかと脳の引き出しを漁っていると、隣の席の男がツンをからかうような発言をした。
( ^ω^)「さっすがツンは優しいお〜」
ξ///)ξ「ば、ばか! 学級委員だから声かけてあげてるだけなんだからね!」
18
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:15:52 ID:8bPLXn.o0
( ^ω^)「僕は内藤ホライゾン。ブーンと呼ばれることが多いお。よろしくだお、ドクオくん」
('A`)「よろしく、ええと、ブーンくん?」
( ^ω^)「ブーンでいいお」
('A`)「わかったよ、ブーン。これからよろしく」
( ^ω^)「おっおっ、僕もドクオと呼ばせてもらうお」
ブーンと呼ばれるらしいこの男はなんとも柔らかい表情をしていた。今日はじめて会った転校生と学級委員との会話に自然と入ってきてコミュニケーションを取ってくるとは、僕にはとても真似できない社交性である。何しろ、僕とツンの間に会話が成立していたかどうかはかなり怪しいものだったのだ。
( ´∀`)「それじゃあそろそろ静かにするモナ。2学期開始ということで、早速だけど実力テストをするモナよ〜」
おそらく予定として全員わかっていたことだろう、休み明けの試験の実施にクラス中から不満の声が発せられる。しかしこれはほとんど予定調和的に騒いでいるだけなのかもしれない。ぶうぶう言いながらも生徒たちは机の上をテスト仕様に片付けていっているからだ。
('A`)(それにしても、この学校には妙な語尾で話す男しかいないのか・・?)
僕はぼんやりとそんなことを考えていた。
19
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:18:38 ID:8bPLXn.o0
この度大学教授になることができた父と看護師の母、そして薬学部に進学した姉という、どちらかというと学力が高い部類に入るのだろう家庭環境で現在暮らしているからだろうか、僕にとって、学校の勉強はあまり抵抗がないものだった。
課せられる試験も特に負担には思わない。トップクラスの成績を残したいという情熱はサラサラないのだが、平均より良いくらいの学力を維持してルール内で適当に過ごしていれば面倒ごとが少ないのだ。
仮に僕の学習態度が真面目なものに見えるとするならば、それはおそらく怠惰な心が生んだ真面目さだろう。
('A`)(さっさと始めてくれないものかね)
避けられない負担であればさっさと処理する方が絶対に楽だ。クラス中の机の上が片付いているにもかかわらず実力テストとやらの配布を始めようとしないモナー先生の様子を僕は眺めた。
( ´∀`)「う〜ん、今日はいつもより遅いモナ。ツン、長岡が今日遅くなりそうとか聞いているモナ?」
ξ゚⊿゚)ξ「聞いてないです。そろそろ来るんじゃないですか? それか、ジョルジュ以外はもう始めといてもいいと思いますけど」
( ´∀`)「それもそうモナ。そうだな、問題用紙と回答用紙を配布して、それでも来なかったら始めちゃうモナ」
20
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:20:31 ID:8bPLXn.o0
学級委員と担任教師の会話から察するに、あるひとりの生徒の都合(おそらくは遅刻だ)で僕たち全員の試験開始が保留されていたらしい。なんとも迷惑な話である。
僕の常識ではありえないことなのだけれど、したらば学園では当たり前のことなのだろうか?
('A`)(そういや何でも訊いてこい、みたいなことを言われたな・・)
僕は前の席に座っているツンの後頭部に目をやる。地毛なのだろうか、完全な金髪がツインテールに縛られており、すっきりとした分け目がうなじのあたりまで通っている。制服の襟で首元がよく見えないことを僕は惜しく思った。
問題用紙が前の席から回ってくる。つまり、僕はツンからそれを受け取った。2セットだ。
ξ゚⊿゚)ξ「あんたの後ろがジョルジュの席だから、1枚そっちに置いといて」
('A`)「了解。遅れてくるんだよね?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうよ。基本的に毎日遅れてくるから気にしないでいいわ」
いや気になるだろ、と僕は思った。
21
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:21:47 ID:8bPLXn.o0
とはいえ問題用紙に続いて回答用紙が配布され始めていたので、ツンはすぐに前を向いてそれを受け取る準備を取った。僕との会話は終了だ。
なんとなく隣の席に目をやると、柔和な表情の男と目が合った。ブーンはやはり柔らかい笑顔で頷いて見せる。
( ^ω^)「ま、実際気にしたところでしょうがないお」
('A`)「まあそうなんだろうけどさ。なんというか、カルチャーショックだ」
( ^ω^)「ドクオは転校してくるまではどこに通っていたんだお?」
('A`)「普通の公立高校だよ。私立ってどこもこんなにフリーダムなのか?」
( ^ω^)「僕も他の学校のことは知らないけど、たぶんシタガクは特殊な部類に入ると思うお。結果を残せばある程度のことは許容されるというか」
('A`)「結果ね」
どうやらジョルジュという名の男は平常的に遅刻をしても許されるだけの何らかの貢献を学校に対して果たしているらしい。
それは教育機関としてどうなのだ、という気もするが、かえって社会勉強のためには良いのかもしれないとも僕は思った。世界は理不尽に満ちているからだ。それに私立の学校なのだから、学校側には自分でルールを作るための十分な権利が有り余っていることだろう。
22
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:23:19 ID:8bPLXn.o0
要するに、僕は考えることを諦めた。元々ジョルジュという男に大きな興味があるわけでもないのだ。単純にどうでもいい。
ただ、僕の常識からすると想像しづらい、彼が学校に遅刻する権利をもっている様子であることと、ツンのジョルジュの名を呼ぶ口調に親しさが感じられて、心が少々ささくれ立ったというだけの話である。
そんなまだ見ぬクラスメイトの事情よりも、続けて回答用紙を配るためにもう一度ツンがこちらを向くであろうことの方が僕にとって重要だった。そして、机に出していたシャープペンシルの尻を何気なく叩いたところ、芯がろくに残っていないことが判明したのではっきり言ってそれどころではなくなった。
回答用紙をツンから2部受け取り、そのうちひとつを後ろの空席に置き、筆箱からシャーペンの芯を取り出し補充した。間もなく試験がはじまることだろう。
('A`)(この緊張感が溶け込んだような雰囲気は正直、それほど嫌いじゃないんだよなぁ)
試験開始の合図を待ちながら、頬杖をついて僕はクラス中を見渡した。それなりの進学校であるしたらば学園の生徒たちは、口では文句を言いながらも従順に試験の仕度を済ませ、少なくともある程度の集中力で試験に臨もうとしている。真面目だ。
試験開始が差し迫っている。モナー先生がそれを宣告しようとした瞬間、開いたのは先生の口ではなく教室のドアだった。
23
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:24:52 ID:8bPLXn.o0
_
( ゚∀゚)「うひょー、ギリギリセーフか!?」
それは立派な眉毛をした男だった。完全に遅刻をしているにも関わらず、さほど悪びれた様子でもなくズカズカと教室に入ってくる。
( ´∀`)「ギリギリところか思いっきりアウトモナ。さっさと席について、試験を始めることにするモナよ」
_
( ゚∀゚)「アウトでしたか! こりゃ失礼。しかし、そうかテストなら、もっと遅れてくればよかったな! ハハ!」
_
( ゚∀゚)「――ところで、君は誰だい?」
男は僕を見つめてそう言った。僕は彼を見つめ返す。はっきり言って気に入らない態度だった。
僕は転校性のたしなみとしての自己紹介はもうとっくに済ませたのだ。そこにいなかったのは勝手に遅刻をしてきたこの男の責任であって、彼のためにもう一度自己紹介をやり直さなければならない理屈はどこにもないように僕には思える。
少しの間沈黙が僕らの間に横たわったが、すぐにそれは解消された。僕の前の席にはお世話スキルの高い学級委員が座っているのだ。
ξ゚⊿゚)ξ「この子はドクオくん。転校生よ。ドクオくん、こいつがジョルジュ。ジョルジュはさっさと座りなさい」
24
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:26:18 ID:8bPLXn.o0
_
( ゚∀゚)「転校生ね! どうりで知らない顔だと思ったわ。おれはジョルジュ長岡だ、よろしくな」
('A`)「・・どうも。ドクオです、よろしく」
_
( ゚∀゚)「はーやれやれ! それじゃあ先生、さっさとテストとやらを始めましょうや」
( ´∀`)「何を隠そう、お前待ちモナ。さっさと筆記用具を鞄から出して用意するモナ」
_
( ゚∀゚)「筆記用具ね! 持ってきてねぇ! ハハ!」
ξ゚⊿゚)ξ「うるさいわねぇ、あんた何しに学校来たのよ、ほらこれ使いなさい」
_
( ゚∀゚)「サンキューツン! ありがとな!」
僕越しにツンからシャーペンを受け取ったジョルジュは重複表現で礼を言う。まったくもう、と手のかかる弟の面倒をみるお姉ちゃんのような態度で前を向くツンは、このようなやり取りにとても慣れているように僕には見える。
違う。ツンが慣れているのではない。クラス全体が慣れているのだ。
25
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:28:00 ID:8bPLXn.o0
( ´∀`)「それじゃあ試験を開始するモナ。長岡待ちで時間が押しているけど、先生も、きっとお前らも早く終わりたいと思っていると思うから、時間の延長はとりあえずしないモナ。間に合わない〜ってやつがいたら延長することにしてもいいから、定刻の5分前に訊く時教えてくれモナ!」
おそらくこのような処置を取るのも初めてではないのだろう。実力テストの開催が告げられたときにはあれほど反発していたクラスが従順な態度でモナー先生の取り決めに従っている。
実際のところ、僕にも反対意見はなかった。延長に延長を重ねて玉突き的に下校時間が遅くなる方が僕にとっては嫌なことである。僕にはダーツの練習をする時間やアルバイト先を探す時間が必要なのだ。
試験の開始が宣告され、僕は机に伏せてある問題用紙と回答用紙を裏返してそれらを眺めた。先日僕に課せられた編入試験と大差ない範囲と難度である。これなら悪い結果にはならないことだろう。
('A`)(なんせ、僕はその編入試験に合格してここにいるんだ)
気を取り直して問題に対して集中力を注いでいく。シャープペンシルから芯を出す。
しかしその高めた集中力は、容易に邪魔されることになった。
26
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:29:34 ID:8bPLXn.o0
_
( ゚∀゚)「うぉいツン! このシャーペン、芯がほとんど残ってねぇぞ!」
後ろの席からそんな声が発せられたのだ。
ξ゚⊿゚)ξ「ないわけじゃないでしょ、この時間終わったら芯あげるから、とりあえずそれで解いてなさい」
_
( ゚∀゚)「いやいや足りなくなったらどうすんだよ! 3教科以上赤点取ったら試合に出れなくなるんだぞ!?」
('A`)「うるさいなぁもう・・ほら、これやるから使えよ」
僕はため息をついて後ろの席の男へとシャーペンの芯を2本渡した。そんな反応をされると思っていなかったのか、僕がコミュニケーションに加わってくると思っていなかったのかは知らないが、視界の端に見える表情は驚いたようなものになっていた。
_
( ゚∀゚)「――おう、ありがとよ、転校生」
('A`)「どういたしまして」
遅刻魔くん、と続けても良かったのだが、僕の中の冷静な部分がそれを阻止した。彼に対して棘がある発言をする必要はないからだ。たとえ彼が僕の名前をわざわざ呼ばなかったように僕には聞こえたとしても。
ともあれ、これが私立したらば学園バスケ部のエース、ジョルジュ長岡とのファーストコンタクトだった。控えめに言って第一印象は最悪だったわけである。
つづく
27
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 22:39:12 ID:R0TfsfWE0
乙!
一レス目から引き込まれたわ
続き期待
28
:
名無しさん
:2020/09/07(月) 23:29:34 ID:.ytJhppU0
乙
29
:
名無しさん
:2020/09/08(火) 08:11:06 ID:Xggjz4Z20
乙です!面白そう
続き期待
30
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:17:20 ID:1VaqPY5g0
1-2.曇り空
実力テストを終えた僕は、寄り道などせずまっすぐに帰宅した。
('A`)「ただいま〜っと」
玄関を開けながら発する帰宅宣言に反応する者はいない。共働きの家だからだ。看護師の母はもちろん平日は仕事だし、大学教授の父は休みでもおかしくなさそうなものだと思っていたけれど、どうやら9月いっぱいが休みであるのは学生側のスケジュールであって、教員はそうではないらしい。
父さんは本日も真面目に登校している。
('A`)(出勤と言った方がいいのかな? 父親が登校するってなんだか面白おかしい響きをしちゃうな)
そんなことを考えながら、僕は冷蔵庫から麦茶を取り出しコップに注いでぐびりと飲んだ。ちらりと流しに目を向けると朝食の使用済み食器が溜まっている。中途半端に残った容器の中の麦茶をすべてコップにあけ、使用限界近くまで酷使された麦茶パックを取り出してゴミ箱に捨てた。
乾燥の済んだ食器を棚に片付け、シンクの洗い物をざぶざぶと洗う。食器洗い乾燥機は便利なものだが、こちらが期待する成果をあげてもらうには、あちらが期待する前処理を適切に行う必要があることを僕は経験上知っている。
それが僕の家庭における仕事だからだ。
31
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:19:32 ID:1VaqPY5g0
ことさら仕事というと大げさに聞こえるかもしれないが、要は僕の家では労働をせずにもらえる小遣いは基本的にないというだけのことである。
もちろん通常の生活を送るのに必要なものは買ってもらえるし、それが厳しいわけでもないのだが、若者には理由なしに行うお買い物も必要なのだ。暑い日にアイスを1本買うのにわざわざ許可申請をしたい者はいないだろう。
姉のクーもこの制度に不満はないようだった。むしろわかりやすい考え方だと迎合していた様子であり、僕はその時姉と父との間に存在する血の繋がりを強く意識した。
そんなわけで、僕たちは彼女が大学に進学し、ひとり暮らしをはじめるまでの間、分担してほとんどすべての家事を行っていた。
(,,゚Д゚)「さてと、クーがいなくなった後はどうする? ひとりで家のことをするのは大変だろうし、とはいえおれたちは帰宅後だいたい疲労困憊してるから、家事代行サービスでも頼んでもいいなと思ってるんだが」
('A`)「わざわざ雇うの? いいよ、今さら家のことしなくなるのも落ち着かないだろうし、それで手に入るお金が減るのもムカつくし、僕がやるから賃金を上げて、何なら設備投資してくれない?」
(,,゚Д゚)「ふうん、まあいいだろう、やってみな。クオリティ的にだめそうだったらクビだけどな」
('A`)「その時は子供の労働力を搾取する親として告発してやる」
そんなやり取りをしたのも今は昔、まさかこんなに短期間で姉のひとり暮らしが終わるなどとは誰も思わなかったことだろう。
32
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:22:23 ID:1VaqPY5g0
そんなわけで、我が家の家事用品は充実している。必要なものを僕が自分でリストアップして必要性とコストパフォーマンスをプレゼンし、勝ち取ってきた相棒たちだ。自然と愛着も湧き、上質な仕事と丁寧な使用を心がけることになる。
ひょっとしたら親らにコントロールされた結果なのかもしれないが、それは僕にとっても決して悪いことではなかった。
冷蔵庫の中身を確認して買い物の必要はないと判断すると、僕はシャワーを浴びることにした。頭をガシガシと洗いながら転校初日の学校生活を反芻する。
('A`)「う〜ん、どうしようかなぁ」
転校してきて今日から私立したらば学園の一員となった僕には選択しなければならない事柄がそれなりの量あるのだった。その大半が即決できることだけれど、そのうちいくつかは何度も脳内で議題に挙げては結論がなかなか決まらす、ついつい先送りにしてしまう問題である。
前者の代表格は部活動をどうするかである。したらば学園はそれなりに部活動に熱心な学校であり、ほとんどの生徒は何らかの部に所属し、青春の汗を流しているらしいのだ。しかし、部活にまったく興味がない僕にとっては、所属が義務でない時点で考えるまでもないことである。
そして後者の代表格は、ツンからのお誘いだった。
同じクラスの前の席に座るかわいい女の子からのお誘いだ。断る理由はどこにもないと思われたが、ひとつだけネックとなっていることがあった。
それは、そのお誘いが、ジョルジュの所属するバスケ部の練習試合を観に行こうというものだったからである。
33
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:23:40 ID:1VaqPY5g0
川д川「え〜、行けばいいじゃん」
そんな僕の事情を知った貞子さんはあっけらかんとそう言った。思わず僕は口をとがらせる。
('A`)「嫌ですよ、聞けばそいつはバスケ部のエースらしいんですよ。それで学費も免除されてるんだとか。そんないけ好かないスポーツ・エリートの活躍するところを、なんで僕が観に行かなきゃならないんですか」
川д川「面白いよ、バスケ」
('A`)「バスケが面白いかどうかは今問題じゃなくてですね」
川д川「かわいいよ、女の子」
('A`)「あなたツンに会ったことないでしょうが」
川д川「ツンだって。もう呼び捨てにしちゃってさ!」
('A`)「そうしようとあちらから言われたんですよ」
川д川「あっちから誘ってきたって?」
('A`)「いやなんかブーンという男の子からもそう提案されましたよ。ドクオ、ブーンでいこうって。シタガクのひとは皆そうなんですか?」
34
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:26:17 ID:1VaqPY5g0
川д川「距離が近くて社交的だって? どうだろう、どっちかというと内弁慶が多いと思うけどね」
('A`)「そうなんですか?」
川д川「幼稚園から小中高とエスカレーターできるからね。小学校とか幼稚園から入ってる子は周りが幼馴染に満ちているわけだから、社交性はあまり育まれないんじゃあないかなあ」
('A`)「貞子さんはどこからシタガクなんですか?」
川д川「私? 私は中学からよ。この社交性のなさは生まれつき」
('A`)「そういう意味で言ったんじゃあないですけどね」
川д川「ふうん。ま、そういうことにしておこう」
貞子さんは肩をすくめてそう言うと、バランスの良いスタンスでスローラインに立ちダーツを放った。
僕と貞子さんが雑談しながらダーツの練習を重ねているのは、クーが父さんたちから権利を勝ち取り、根城としている離れだ。母屋にも一応クーの部屋はあるけれど、ひとり暮らしを解消させられることと引き換えに生活が可能なレベルまでリフォームさせたこの平屋をクーはとても愛している。
そして、僕や貞子さんはこの離れに入り浸っているというわけだ。その入り浸り様は、実質的に家主と言えるクーが不在の時間帯にも勝手に上がり込んで部屋を使用していることからも想像できることだろう。
35
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:29:24 ID:1VaqPY5g0
この平屋は広大な1LDKのような造りになっている。
ワンの部分はクーの部屋だ。僕や貞子さんにも見られたくないものや貴重品が置かれているのだろう。そして元々何部屋かに分かれていたのであろうその他の部分は、ドアや壁がすべて取り除かれ、余裕をもってダーツに興ずることのできるLDKとなっているわけである。
離れの鍵は昔ながらの方法で、非常に簡素な隠され方で僕らに提供されており、その在処は僕も貞子さんも知っている。だから本日母屋での仕事をひと段落させ、シャワーを浴びた後の僕がこの離れを訪れたとき、貞子さんがひとりでダーツ設備を使用していたとしても、僕はまったく驚きはしなかった。
僕はきわめて冷静にお湯を沸かして有り余るほどある素麺の何束かを茹で、有り合わせのソーセージやシシャモを小さなキッチンで焼き、レンジで温めた煮物の残りと一緒に貞子さんを誘ってテーブルに並べた。素麺はすぐに足りなくなって、追加で茹でた。
そして食事があらかた済んだところで、貞子さんが僕に訊いてきたわけだった。
川д川「さてと、それじゃあ転校初日の高校生が抱える甘酸っぱい悩みごとでも聞こうじゃないの」
そんなものはありませんよ、と即座に言うには、僕には結論を先延ばしにしているかわいいクラスメイトからのお誘いごとを実際抱えてしまっていた。そしてその気配を見逃さないタラバガニのような長い手足のお姉さんは、ホクホクと僕の話を聞いたといったわけである。
36
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:30:49 ID:1VaqPY5g0
川д川「まあでも実際のところ、行こうと思ってるわけでしょう?」
('A`)「思ってませんよ、まだ決めてないんです。なんなら、このままなし崩し的に行かないことになる可能性がもっとも高いんじゃないかと思ってます」
川д川「そうかなあ? だって行かないのって簡単じゃん、ただ断ればいいだけなんだから。それをぐだぐだと理由をつけて考えつづけようとしてるのは、結局、行く方の理由を考えているだけだと思うけど」
('A`)「ぐう」
川д川「それぐうの音? 流行ってんの?」
('A`)「ぐうの音くらいは出しとこうかなと思いましてね」
川д川「まあでも君の気持ちはよくわかる。何を隠そう、私も一人前に恋愛については臆病だからね!」
('A`)「それは一人前と言えるのですか」
川д川「ここは私がひと肌脱ぐとしようじゃないか!」
('A`)「脱ぐ・・?」
貞子っぱいか? と僕は脊髄反射で考えた。
37
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:32:01 ID:1VaqPY5g0
川д川「いやおっぱい見せるわけないだろ! あの姉にしてこの弟ありだな!」
貞子っぱいを漠然とイメージした僕の頭の中が見えているかのように貞子さんはそう言った。確かにおっぱいを見せるわけがない。
('A`)(しかしよくおっぱいという単語が会話に出てくる家だなここは)
僕はそんなことを考えながら、自分の方から先におっぱいと口に出してしまったことに気づいた様子の貞子さんをぼんやりと眺めた。どうやら非常に恥ずかしくなってきたらしい。おそらくは、黙ってただ眺められるのが何よりの苦痛であることだろう。
その苦痛に耐えられなくなり沈黙を破ったのは貞子さんの方だった。僕はどちらかというと楽しんでいたのだから、当然といえば当然だ。
川д川「ああもう! ドクオくん! ダーツをするよ!」
('A`)「ダーツ。なんとも急な流れですね」
川д川「ここはダーツをするためにあるような部屋だからね。ひとつ私と賭けをしよう」
('A`)「どんな賭けです? まあ想像はつきますが」
川д川「負けた方は勝った方の言うことをひとつ聞かなければならないというあれでいこう」
貞子さんはそう言い、世界中で使い古されてきたであろう条件を提示してきた。
38
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:34:11 ID:1VaqPY5g0
しばらく考える素振りを見せ、僕は頷くことにした。
('A`)「いいですよ。ダーツしましょう」
実際のところ、おそらく僕は貞子さんの言った通り、少なくとも心のどこかではツンのお誘いには是非乗っかりたいと思っているのだ。ただその内容がジョルジュの試合観戦であって、明らかに気が合いそうになかった爽やかなスポーツマンがスポーツマンシップに則りハッスルする様を見たくはないだけである。
この場合に問題なのは、僕とジョルジュが仲良くないところというより、ツンとジョルジュが仲良さげであるところだ。
僕には僕の歴史や話があるように、彼らには彼らの歴史や話があることだろう。これまで彼らが積み重ねてきた人間関係に太刀打ちできるとは思っていないが、ちょっとかわいいなと思っている女の子が人間的に僕とは真逆に位置していそうな男と仲良くしているところは見たくないのだ。彼らの関係性はフィクションであってほしい。
('A`)「僕が負けたらどうするんですか?」
川д川「君がバスケ観戦に行くきっかけをさずけよう。さあ行きなさい。う〜ん、人生の先輩としてイイコトをしている気がする」
そのようなことを口にしながら貞子さんがご満悦な様子になっているのは少々予想外だったが、要求の内容は寸分たがわず予想通りだった。まあそうでしょうねという感じだ。
そこで、僕の要求も先に述べておくことにした。
39
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:35:38 ID:1VaqPY5g0
('A`)「それじゃあ貞子さんが負けたら、貞子さんは僕におっぱいを見せてください」
貞子っぱいっていうんですよね、と努めて何でもないようなことのように僕は貞子さんにおっぱいを要求した。
川;д川「お、おっぱい!? 何言ってんの!」
('A`)「いやァおっぱいですよおっぱい。青少年へのご褒美としてはポピュラーな内容であると、さるお姉さんから聞きました」
川д川「それ、三人称的な意味でのお姉さんではなく、お前の姉のことだろう」
('A`)「そうでしたっけ。さあさあダーツをはじめましょう、ゼロワンがいいですか? クリケット? 昨夜いいところまでいったのがゼロワンだったので、この賭けはゼロワンでもいいですか?」
川д川「ちくしょう、てめぇ、勝つつもりだな」
('A`)「もちろんそうです。そしてダーツ初心者の高校生へのハンデとして、僕にはダブルイン・ダブルアウトを免除していただきたい」
川д川「舐めやがって! いいだろう、かかってきなさい!」
このようにして。試合開始前のドサクサにまぎれて僕は自分に有利なルールを上乗せすることに成功した。もちろんこれは貞子さんを舐めているからではなく、彼女と自分の間にあるはっきりとした実力差を自覚しているから上乗せするルールなのだが。
40
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:36:37 ID:1VaqPY5g0
素知らぬ顔で先手まで取れたらいいなと思っていたのだが、さすがにそこまでは無理だった。
川д川「ここまで譲歩してんだから、先手はもらうよ」
('A`)「どうぞどうぞ。ダブルインでお願いします」
川д川「くどい」
大きくひとつ息を吐き、3本のダーツを左手に束ねた貞子さんはスローライン上に立った。バランスが良いという点ではいつもと変わらない構えだが、やや姿勢が異なっている。狙いどころがいつもと違うのだから、当然といえば当然だ。
僕たちのような一般的なソフトダーツプレイヤーたちにとって、もっとも得点効率の良いのはダーツ盤の中央、ブルである。だから僕らは一般的にブルを狙う練習にもっとも長い時間をかける。
その姿勢が歪んでいる。いったいどこを狙っているのだろう?
その答えはすぐにわかった。16ダブルだ。
ピザの耳のようにダーツ盤の外周のなぞるダブルラインのうち、16の区間に貞子さんの放ったダーツは刺さっていた。
川д川「二度とそんな舐めた口をきけないようにしてやろう」
残る2投をどちらもブルに突き刺しながら、貞子さんはそう言った。
41
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:38:02 ID:1VaqPY5g0
○○○
('A`)(いやァ、あれは失敗だったな)
翌日、実力テストの後半戦を迎えた僕は、ぼんやりとそのように考えた。
挑発して平常心をかき乱す、あるいはプレッシャーを与えるつもりで貞子さんにおっぱいを要求した僕だったわけだが、その行動は完全に裏目に出ていた。これまで貞子さんとは何度も対戦してきたけれど、これほどまでにコテンパンに叩きのめされたのは初めてのことだった。
貞子さんの残点が不自然な流れで82点になったとき、僕はひやりとするものが流れるのを背中に感じた。
川д川「宣言しよう。今からこれをブルに入れ、私は16ダブルでダブルアウトする」
('A`)「まさか、そんなことができると言うのですか」
川д川「見ていなさい、これがゾーンに入ったシューターのちからだ」
はたして貞子さんはその言葉の通り、ブルで50点を計上した後、残りの32点を16ダブルでなめらかに沈めた。あまりの鮮やかさにスタンディングオベーションをする気にもならず、僕は肩をすくめて首を振るくらいの反応しかできなかった。
('A`)「あなたが神か」
川д川「約束を守りたまえ。そして、二度と私におっぱいを要求するのではない」
貞子さんは完ぺきなプレイの締めくくりにそう言った。
42
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:39:12 ID:1VaqPY5g0
('A`)(それにしても凄かったな。投げればブルに入るって感じだったもんな)
頭の中にある英単語の知識を回答用紙に書き入れながら、僕は惚れ惚れするような貞子さんのスローフォームを思い返す。それまでの僕との対戦はすべて手を抜いていたと言われても疑う気にならないようなダーツをしていた。
そのような疑問を口にすると、貞子さんは否定した。
川д川「さすがにそんなことはないけどね。でも今、この瞬間は、ひょっとしたらダーツをはじめて一番調子がいいかもしれない」
('A`)「おっぱいリクエストのおかげですかね」
川д川「二度目はないぞ」
('A`)「かしこまりました」
単純な知識問題を処理した僕は長文問題に取りかかる。僕はクーと同じく可能な限り少ない英単語力で英文読解をすることを誉れとしているので、集中力と、あらゆる知識と思考を総動員して英語の文章に挑む必要がある。
大きくひとつ息を吐く。
クーがバイトから帰ってくるまでの貞子さんとのふたりきりでのダーツタイムの思い出は、すぐさま僕の頭の短期記憶置き場から追いやられていったのだった。
43
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:40:13 ID:1VaqPY5g0
( ´∀`)「それじゃあテストは以上モナ。わかってると思うけど、打ち上げとかいってお酒飲んだりしちゃあだめモナよ〜」
('A`)「注意喚起が飲酒って。街行って遊ぶなとかじゃないんだ」
最後の科目の答案を回収するモナー先生の発言に僕が素直な感想を呟いていると、前の席に座るツンがこちらを向いた。
ξ゚⊿゚)ξ「うちはは自由な校風だからねぇ」
普通の学校が容認するとは思えない、鮮やかな金髪をツインテールにまとめた学級委員がそう言うと、なんとも説得力があるのだった。隣の席からも肯定意見が寄せられる。
( ^ω^)「法律違反でもなければ怒られる気がしないお」
ξ゚⊿゚)ξ「確かに。なんなら、法律違反でも罰則なければ黙認されそうな気さえする」
( ^ω^)「おっおっ、でも、あっさり認められてるとかえって違反する気にならないお」
ξ゚⊿゚)ξ「それはあるかも。押さえつけられるから反発するのよね、若者は」
('A`)「僕らがその若者だけどね」
ジジ臭い考え方かしら、とツンは言って小さく笑った。
44
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:41:58 ID:1VaqPY5g0
後ろの席からの発言が聞かれないなと思っていると、それもそのはず、ジョルジュはとっくにいなくなっていた。例に倣って朝は遅刻してきていたので、彼と同じクラスで時間を過ごしたという気がまったくしない。
何かで結果を出してさえいれば毎日の遅刻が容認されるというのも自由な校風の一環なのだろうか?
ξ゚⊿゚)ξ「そうそうドクオ、もう決めた?」
何を、としらばっくれても良かったが、どう考えてもバスケ部の練習試合観戦のお誘いのことだった。昨日のテスト終わりに雑談交じりに誘われたのだ。行けるかどうか確認してから返答する、と返事を保留し、僕は昨日逃げるように家に帰ったものだった。
ツンはまっすぐ僕を見ている。到底誤魔化す気にはなれない視線だ。
('A`)「うん。よければ行こうと思ってる」
ξ゚⊿゚)ξ「そうこなくっちゃ!」
( ^ω^)「今日もツンはバスケ布教に熱心だお」
ξ゚⊿゚)ξ「使命感があるからね。フランシスコら宣教師たちも、こんな気持ちで活動していたのかしら?」
('A`)「まさかザビエルもこの現代に共感され、あまつさえ女子高生からファーストネームで呼ばれるとは思っていなかったことだろうね」
45
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:44:46 ID:1VaqPY5g0
こうしてツンの方から再びお誘いしてくれたので、僕はただそれに頷くだけでよかったすんなりことが進んだ安心感がそうさせるのか、僕はブーンを巻き込めやしないかと考える。
ジョルジュのことはやっぱり苦手だ。柔和な笑みで一緒に座ってくれるクラスメイトがそばにいたら、僕のテンションがだだ下がりになった場合でもツンに迷惑をかけることはないだろう。
('A`)「よかったらブーンも一緒に行かないか?」
( ^ω^)「おっおっ、いいのかお?」
ξ゚⊿゚)ξ「もちろん! ドクオはいいこと言うわね」
( ^ω^)「う〜ん、でも、行きたいのは山々だけど、その日はちょっと無理そうだお」
('A`)「何かあるのか? 帰宅部だろ?」
( ^ω^)「うん。実は、僕はバイトがあるんだお」
('A`)「バイトしてんだ!? どこ? 何やってんの?」
( ^ω^)「お? 興味ありかお?」
('A`)「実は僕もアルバイト先を探したいなとは思ってるんだ」
しかし、空き時間があるならダーツを投げたいのと、ノウハウを持たないバイト探しを始めるのには精神的障壁を乗り越えなければならないため、まったく目途が立っていないだけだ。僕には勤労意欲がある。何らかのきっかけを待っている。
46
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:45:57 ID:1VaqPY5g0
( ^ω^)「とはいえ僕のは実家で働いているだけだから、バイト探しの参考にはならないかもしれないお」
('A`)「そういうことね」
( ^ω^)「ちなみにバイト募集中だお」
('A`)「!」
( ^ω^)「さすがに国の定める最低賃金は守ってる筈だけど、正直時給が高いとは思えないお。それでもいいなら紹介するけど、どうするお?」
判断を迫られた僕は考えることにした。正確にいうと、考えるふりをした。僕はそこまでお金に困っているわけでも欲しいものがあるわけでもないのだ。ただ帰宅部でほかの習い事もしていない高校生には膨大な自由時間があるので、それをできることなら金銭に変換したいと思っているだけである。
ダーツの練習に支障がないのなら、賃金が安くとも比較的融通が利きそうな気がする友人の親絡みのバイトというのは、むしろ歓迎するべきかもしれない。
つまるところ、僕はとっくにこの話を受けようと心に決めてしまっていたのだった。
47
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:46:50 ID:1VaqPY5g0
('A`)「職種は?」
( ^ω^)「飲食業だお」
('A`)「レストラン的な?」
( ^ω^)「そんなオシャレなものじゃあないお。飯屋と居酒屋と喫茶店をまぜこぜにしたような感じの店だお」
('A`)「なるほどね。それじゃあお願いしようかな」
( ^ω^)「おっおっ、それじゃあ連絡してみるから、今から行くお? ついでに昼飯でも出させるお」
('A`)「話が早い」
ξ゚⊿゚)ξ「あら、それならあたしも行こうかしら」
( ^ω^)「歓迎するお〜。ドクオ、実はツンはうちの常連客なんだお」
('A`)「へェそうなんだァ」
気のないふりを精いっぱいしながら、僕は見たこともないうちからこの店で働こうと固く誓った。
48
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:48:04 ID:1VaqPY5g0
○○○
ブーンの実家、『バーボンハウス』の扉を開くと、カランカランと鈴が鳴るような音がした。
話には聞いたことがある。かつての喫茶店などには常識的に存在しており、そうしたところを舞台にしたコントの導入部で芸人たちが入店を表現する場合の効果音だ。自分の耳で聞くのは初めてのことだった。
5つほどのテーブル席と長いカウンターで構成された店内は、喫茶店のようでもありバーのようでもあり、また定食屋のようでもあった。小ぎれいにしていてオシャレなのだが、なんだか妙に親しみのもてる雰囲気をしている。不思議な店だな、というのが僕の第一印象だった。
カウンターの中にはパリッとした恰好のおじさんがいた。ブーンの父親なのかもしれない。このおじさんも店の雰囲気と同様に、恰好はきちんとしているのにどこかくだけた空気をしている。
(´・ω・`)「やあ」
(´・ω・`)「ようこそ、バーボンハウスへ。このラムネはサービスだから、まず飲んで落ち着いてほしい」
おじさんはそう言うと、ラムネの入った水色の瓶を3本、栓代わりのビー玉を落としてカウンターへ置いた。
どうして良いのかわからず、僕は隣のブーンを見つめる。ブーンはゆっくりとため息をついた。
49
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:49:08 ID:1VaqPY5g0
( ^ω^)「なんだお、その気取った態度は。普通にくれりゃあいいんだお」
ズカズカと店内に入るブーンに促され、僕も不思議な雰囲気の空間に足を踏み入れた。カウンターに3人並んで座る。
面接試験の場合、試験官に勧められるまで席についてはいけないという都市伝説じみた常識を耳にしたことがあるけれど、これははたして印象を悪くしないことだろうかと僕は内心冷や汗をかいた。
(´・ω・`)「やあツンちゃん、バイト希望なら直接言ってくれればいいのに」
ξ゚⊿゚)ξ「あたしはバイト希望なら直接言いますよ。あたしじゃないです」
(´・ω・`)「ええ〜? アルバイトは女の子がいいよぉ」
( ^ω^)「それ、今時セクハラで訴えられるお」
(´・ω・`)「訴えられたら勝てる気がしない。しょうがないから、男の子でもいいとしよう」
( ^ω^)「こちらがドクオ、僕の同級生で、アルバイト先を探しているお」
('A`)「はじめまして、ドクオです。あの、よろしくお願いします」
(´・ω・`)「う〜ん、どうしようかなあ。・・よ〜し、それじゃあ思い切って採用しようか!」
迷っているようなことを言いながら、僕の採用は一瞬で決められた。
50
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:49:59 ID:1VaqPY5g0
(;'A`)「えっ・・いいんですか?」
(;´・ω・`)「えっ嫌だった!? さっきの女の子希望は冗談だよ、大丈夫大丈夫!」
('A`)「いや、僕は嫌ではないのですが、そんなに簡単に決めていいのかなって」
(´・ω・`)「ああそっち? いいのいいの、ブーンが連れてきた子なんだからどうせしっかりした子でしょ。それよりお父さん的には家に連れてくるような友達ができて嬉しいよ。こいつ、昔から人当たりはいいんだけど、あまり仲いい友達いなくってさ」
(#^ω^)「そのくらいでやめとくお。その調子で僕の幼少期の様子なんか話しだしたらぶん殴るぞ」
(´・ω・`)「やだやだ、多感な時期こわぁい」
ξ゚⊿゚)ξ「やだ〜内藤の子供のころトーク聞きたぁい」
ξ゚⊿゚)ξ「ほら、あんたも」
(;'A`)「えっ・・ええと、聞きたい聞きたい! いぇいいぇ〜い!」
( ^ω^)「貴様らもそのくらいにしとくといいお。ドクオのアルバイト採用はまだ本決まりでないということをお忘れなく」
(;'A`)「やだ怖ぁい。ごめんなさい!」
ξ゚⊿゚)ξ「あ、いち抜けやがった。裏切り者め」
51
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:50:50 ID:1VaqPY5g0
裏切り者のそしりを受けることになったが、僕にはアルバイト先が必要だった。仕方のないことである。
('A`)(ん・・必要か? アルバイト?)
少なくとも必須ではない、と僕は頭のどこかで即座に考えてしまうのだった。とはいえ今更「やっぱりいいです」とは言えない。
( ^ω^)「まったくもう。少なくとも、シフトとか時給とか、さっさと決めるべきことを決めるべきだお」
(´・ω・`)「それもそうだね。そのへんドクオくんに希望はあるの?」
('A`)「そうですね、ええと、ちゃんとバイトをしたことないのでよくわからないんですけど、イメージとしては週2か週3くらいでお願いしたいと思っています」
(´・ω・`)「働くのは遊ぶ金欲しさ?」
('A`)「まあぶっちゃけるとそうですね」
(´・ω・`)「おーけい。いや、生活がかかってるのならこちらもそのつもりで考えないといけないからね。それじゃあとりあえず仕事覚えるまでは多めに入っといた方がいいだろうから、スタートは週3で、また慣れたころに調節することにしよう。ところで彼女はいるの?」
52
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:51:55 ID:1VaqPY5g0
唐突に恋愛事情を確認された僕は、その質問が予想外で小さく戸惑った。
('A`)「そんなこと訊くんですか?」
(´・ω・`)「ああ、プライベートな質問だからだめなのかな? でもこれ大事なんだよね、彼女持ちだとクリスマスは休みたいとか諸々あるだろうから、もしそうなら事前に把握したいんだ。答えたくないならそれはそれで構わないよ」
('A`)「いや、驚いただけで、別に僕は構いません。彼女はいないです」
(´・ω・`)「それはいいね。高校生だし、遊ぶ金欲しさだし、どれだけ仕事がさばけるかもわからないから、とりあえず国の定める最低賃金で雇いたいと思ってるんだけど構わない? もちろん能力に応じて時給アップは考えるけど」
('A`)「僕はそれで構いません」
(´・ω・`)「おっけー。ええと、ねえブーンほかに確かめることあったっけ?」
( ^ω^)「経営者なら把握しとけお。ほかは、給料の振り込み先とか、いつから入るか、あと高校生だから親の許可とか取らせとくべきじゃないのかお?」
(´・ω・`)「なるほどね、そうしよう」
僕はブーンの言う通りにされた。
53
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:52:49 ID:1VaqPY5g0
(´・ω・`)「それじゃあ僕は発注作業に入るから、ブーンとりあえず店見といてくれる?」
( ^ω^)「おっけーだお」
そう言うとブーンはカウンターの奥の部屋へと姿を消した。
店を見といて欲しいと言われて、それに同意したにも関わらず、店内から即座にいなくなったのだ。どういうことかと僕は戸惑う。しかし、僕が何かを訊くより先に、これがこの店の制服なのだろう白い厨房着と黒のスラックスにエプロンという格好になったブーンが店内へ再入場してきた。
どうやら着替えに行っただけらしい。
(´・ω・`)「それじゃあよろしく。お昼まだだろ、ブーン、何か食べさせてあげな」
( ^ω^)「おっおっ、それじゃあツンのとこで待ってるといいお」
('A`)「ツンのところ・・?」
そう言われて僕はツンが僕らのところを離れ、既にテーブル席に座っているのに気がついた。
54
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:53:49 ID:1VaqPY5g0
いつからいなくなっていたのだろうか。ツンはテーブルの上にタブレット端末のようなものを広げ、何やら作業をしている様子だ。僕が近づくと顔を上げ、ラムネの瓶を傾けた。
ξ゚⊿゚)ξ「もう面接は終わったの?」
('A`)「どうやらね。たぶん採用になったんだと思う」
ξ゚⊿゚)ξ「それはよかったわね。あ、バスケの日はシフト入れないでね」
('A`)「ああそうだった、言っとかないとな」
大きくひとつ息を吐き、僕はツンの向かいに腰かけた。ラムネの瓶を傾けると懐かしさを感じる爽やかな液体が口の中に導かれてくる。欲求の通りに飲み込むと、緊張からの緩和と相まって、美味と快感が同時に喉を通っていくのを感じた。
ツンの方に目をやると、作業がひと段落ついたのか、大きく背伸びをしていた。話しかけてもよさそうだ。
('A`)「それって何をしているの?」
ξ゚⊿゚)ξ「これ? ジョルジュの試合の動画編集よ。あいつの悪いところを徹底的に突きつけてやるの」
ツンは楽しそうにそう言った。
55
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:54:33 ID:1VaqPY5g0
ξ゚⊿゚)ξ「本当は夏休み中に終わらせときたかったんだけどね、ちょっと間に合わなかったから今やってるの。試験勉強とかあったから」
('A`)「試験勉強! 実力テストって勉強して受けるものなの?」
その名の通り今の実力をそのまま投影させるべき試験で、なんなら現状把握のためには対策をしない方が望ましいと考えていた僕は驚いた。シタガクの常識は違うのだろうか?
ξ゚⊿゚)ξ「いやぁどうかな、普通のひとはしないかも。でも、あたしは少なくとも学年3位くらいには入っておきたいから、毎回勉強することにしているの」
('A`)「学年3位か、凄いな・・」
ξ゚ー゚)ξ「少なくとも、ね」
勉強熱心な学級委員はニヤリと笑ってそう言った。
少なくとも、とわざわざ付けるということは、当然学年トップを目指して勉強しているのだろう。僕には一生備わることがないかもしれないモチベーションだ。どこからその意欲が湧くのか純粋に知りたいものである。
56
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:55:48 ID:1VaqPY5g0
ξ゚⊿゚)ξ「でもドクオも成績悪くはないんでしょ? 編入でうちに入ってこれるくらいだし」
('A`)「悪くはないと思うけど、そこまで飛びぬけて良くもないよ。試験で学年トップなんて、想像したことも一度もないな」
正直なところを僕は語った。
僕たちは高校2年生だ。受験生でもないのに試験勉強に対して自主的に努力を積めるとは、僕とはまったく違った世界に住む人なのではないかという気さえする。
('A`)「凄いなあ。テストで良い点取って、何か特別いいことあるの?」
素直にそう言った瞬間、失言であることに即座に気づいた。ナチュラルに馬鹿にしているように聞こえかねない発言だ。僕はただ純粋にツンの勉強に対するモチベーションを知りたいのであって、反語に近い発言をしたいわけではないのだ。
気を害されても仕方ないとゼロ秒で覚悟を決めたが、ツンは再びニヤリと笑って見せただけだった。
ξ゚ー゚)ξ「ないわそんなもの、と答えられたらカッコ良かったかもしれないけれど、あるわ。あたしは大学の推薦が欲しいの」
57
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:56:46 ID:1VaqPY5g0
('A`)「すいせん? そんなに成績いるっけ?」
ξ゚⊿゚)ξ「あたしが欲しいのは医学部推薦だからね。VIP大学医学部の、地域枠というのを狙っているの」
('A`)「ちいきわく?」
ξ゚⊿゚)ξ「地元出身の学生をもっと増やそう! みたいな感じね。結局、医師は最終的に地元に帰って働きがちだから、大学、というか地域医療的に必要性があるみたい。地方によってはまだ医師不足なんて話もあるし、意外とこういうの多いのよ」
('A`)「へぇ〜、地域枠ね。学年トップクラスじゃないと難しいんだ?」
ξ゚⊿゚)ξ「なんせ、県全体から2枠だからね。学年トップっていったって、この学校の話でしょ? この県内にいくつの高校があるのかしら?」
('A`)「・・少なくとも、3校以上はあるだろうね」
ξ゚⊿゚)ξ「ね。トップクラスくらいの成績は少なくとも欲しいでしょ?」
('A`)「理解した」
お手上げのポーズで僕はそう言った。
58
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:57:43 ID:1VaqPY5g0
しばらく待つと、ブーンが山盛りのカレーをお盆に載せて僕らのテーブルにやってきた。山は3つだ。どうやら自分も食べるつもりらしい。
ξ゚⊿゚)ξ「やった〜、ここのカレー美味しいのよねえ」
('A`)「結構な量だな、ツンはこんなに食べられるのか?」
ξ゚⊿゚)ξ「カレーは飲み物。まかせなさい」
( ^ω^)「おっおっ、たくさん食べるといいお」
確かにカレーは旨かった。これまでに食べたカレーの中で一番気に入ったと言っても過言ではないかもしれない。望めばおかわりもしていいとブーンが言うので、この後いやしく腹いっぱい食った奴ほど苦痛の続く毒ガスが散布されるのではないか、と冷や冷やしながら僕は胃袋にカレーを詰めた。
どう考えても食べすぎた。米がお腹の中で水を吸って膨張しているのが如実にわかる。単純に苦しいからだ。
そして、どうやら食べ過ぎたのは僕だけではないようだった。
ξ゚⊿゚)ξ「う〜苦しい。もう作業したくない」
でも幸せ、とツンは満足そうな顔で言った。
59
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:58:33 ID:1VaqPY5g0
ジョルジュのための動画編集なんてやめちまえよ、と言えればよかったのだが、僕にはできないことだった。
その代わりに水を飲む。腹にものを入れすぎて今まさに苦しんでいるというのに水を飲みたい欲求が生じるというのが自分のことながら実に不思議だ。
何も言えずにいる僕とは対照的に、ブーンは何気ない口調で訊いた。
( ^ω^)「僕ももう働きたくないお〜。その作業は急ぐのかお?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうねえ、急ぐっちゃ急ぐかな。できれば夕方までに片づけて、ジョルジュのところに持っていきたいから」
( ^ω^)「それは大変だお、コーヒーでも淹れようかお?」
ξ゚⊿゚)ξ「なんて素敵な考え。コーヒー代はちゃんと出させていただきます」
( ^ω^)「毎度ありだお〜。ドクオもどうだお?」
('A`)「――いただこうかな。この店、営業もするんだな」
( ^ω^)「客単価を上げるのは大事なことだお!」
('A`)「なんという従業員の鑑」
60
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 21:59:39 ID:1VaqPY5g0
ついさっき働きたくないと言っていた筈の同級生は、滑らかな動作で僕らの使用済み食器をまとめてカウンターへと去っていった。それがきっかけになったのか、ツンは再びタブレット端末をテーブルに広げ、何やら作業を開始する。
集中している様子のツンを邪魔するつもりは僕にはなかった。窓から外の景色を眺める。どうやらこの店の裏には庭が広がっていて、家庭菜園のようになっているらしい。そこで採れた野菜を料理に使ったりしているのだろう。
学校が終わってブーンやツンと一緒にこの店まで歩いた時には雲一つない青空だったが、今ではどんよりと曇っている。雨でも降るつもりなんじゃないかと思わせる暗さだ。
スマホで天気予報を確認すると、さすがに雨は降らないらしい。
( ^ω^)「どうぞ、バーボンハウス・スペシャルブレンドだお。砂糖とミルクはお好みで」
ξ゚⊿゚)ξ「うい〜」
('A`)「ありがとう」
コーヒーが来た後もツンは集中を切らさなかった。ブーンは店のことをしなければならないのだろう。この店内で、僕ひとりだけがなんだか手持無沙汰だった。
('A`)(――これ飲み終わったら、次来る日だけ訊いて、ほかに何もなければ帰るか)
61
:
名無しさん
:2020/09/13(日) 22:00:22 ID:1VaqPY5g0
空模様も怪しいし、という言い訳を頭に浮かべながら僕はコーヒーをすする。明日からは実力テスト期間も終わり、通常授業となることだろう。
('A`)(部活もすぐに始まるんだろうに、わざわざ家に急いで編集した動画を持っていくってことは――)
おそらくツンとジョルジュは付き合っているか、少なくともそれに準ずるような関係なのだろう。学年トップクラスの成績をしている医学部志望の学級委員と、スポーツにもそれなりに力を入れている私立高校のバスケ部のエース。なんとも絵に描いたようなお似合いの組み合わせである。
大きくひとつ息を吐く。
帰り道は努めてダーツのことを考えながら歩こう、と曇り空を眺めながら僕は思った。
つづく
62
:
名無しさん
:2020/09/14(月) 02:28:27 ID:pCyxuegM0
乙
そして頑張れドクオ
63
:
名無しさん
:2020/09/15(火) 01:03:32 ID:SP9pnkxI0
乙です
人物それぞれの「行動している」感が印象的だなあ
2話で、タイトルが凄く しっくりくるとわかった
応援しています
64
:
名無しさん
:2020/09/15(火) 11:28:29 ID:iesU.mCg0
乙!
65
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:15:40 ID:xCq9tkbA0
1-3.?見過ごすことのできない光景
『バーボンハウス』でのアルバイトは楽しかった。
僕は雇われ始めのただのバイトだ。大した仕事ができるわけではない。簡単な給仕の真似事とレジ打ち、そして皿洗いと掃除が僕の役割のほとんどすべてだった。
最初の3回はアルバイトの先輩としてブーンが一緒にシフトに入ってくれて、そこで具体的な仕事の作法を僕に教え込んでくれるとのことだった。そのうち2回で僕は『バーボンハウス』の店内ルールを頭に叩き込み、実践し、このそれほど大きくない飲食店に施された様々な業務上の創意工夫を面白いと思った。
( ^ω^)「さてと、今日で一緒に入るのも基本的には最後だお。今日は僕は後ろで見てるだけにするから、わからないことがあったら訊いてもいいけど、できればひとりで何とかしてみるお」
('A`)「了解。ちょっと怖いけどやってみるよ」
(´・ω・`)「よろしくね。僕に訊いてもいいけど、忙しい時間帯の僕はお客さんだと認識してない人間に対してはとことん不愛想になるだろうから、あまり当てにせず働けるようになって欲しい」
(;'A`)「が、頑張ります」
( ^ω^)「おっおっ、頑張って僕に退屈させてくれお〜」
アルバイトをはじめて3回目のシフト、ブーンと一緒に働く最後の日を僕は迎えていたのだった。
66
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:17:09 ID:xCq9tkbA0
とはいえ仕事の内容は単純だ。家事を日常的にこなしている僕からすると、たとえばテーブルを拭いた後の布巾の処理や、洗浄した食器の並べ方など、この店のしきたりさえ頭に入れてしまえば概ねその通りに対応することができた。
少々戸惑ったのはレジ打ちだったが、速度を要求されないという前提であれば最低限のことはできる筈だ。
('A`)「本日のオススメはチーズ牛丼とチーズinハンバーグ定食、ハッシュドビーフね。牛肉とチーズが余ってるのかな。しかし、これ、酒売る気あるのか・・?」
飲食店は飲み物を売ってなんぼ、という紙の上の知識をもつ僕はそう思う。居酒屋と定食屋と喫茶店をごちゃ混ぜにしたような飲食店だとはあらかじめ伺っていたものだったが、2回ほど働いた後であっても、僕にもまたこの店のジャンルはよくわかっていなかった。
もっとも、そう評したブーンは生まれてこの方この店に携わってきたのだろうから、それでもよくわからない店の属性を僕が把握しようという方が間違っているのかもしれない。
コントロールできることをコントロールするべきだ。本日使用できるメニューが無秩序に散らばった会計システムを眺め、できるだけ滞りなく仕事できるよう、イメージトレーニングのようなことを脳内でする。
( ^ω^)「ドクオくんって、休みの日は何してるんだお?」
唐突にそんなことを訊かれた僕は驚いた。
67
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:18:38 ID:xCq9tkbA0
(;'A`)「なに急に!? 今いるそれ?」
( ^ω^)「いやぁいりはしないけど、なんだか僕が口を出すことなさそうだから、なんというか、暇つぶしだお」
('A`)「暇つぶし。正直不安で、僕に潰す暇はないけどな」
( ^ω^)「不安がらなくても大丈夫だお〜。ドクオならいけるいける!」
('A`)「意外といけなかった場合がこわいから不安なんだろ」
( ^ω^)「どうにもならないほどじゃない、かわいいレベルの失敗を重ねるドクオが見たいんだお〜。そしてそれを助ける僕。尊敬を得られるわけだお!」
('A`)「得られるわけだお! じゃねぇよ。そういうのは女の子バイトが来たときやればいいだろ」
( ^ω^)「たしかに」
('A`)「だろ? 僕には変な気を起こさず、大人しく見てな」
( ^ω^)「ツンとバスケ見にはもう行ったのかお?」
全然黙る気ないじゃないか、と僕はブーンのいつもと変わらず柔和な顔をじっと見つめた。
68
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:19:43 ID:xCq9tkbA0
大きくひとつ息を吐く。そして、僕はゆっくり頷いた。
('A`)「行ったよ、昨日だ。というかお前日程知ってるだろ」
( ^ω^)「まあまあ、会話の流れ、コミュニケーションスキルだお。どうだったお?」
('A`)「どう・・う〜ん、楽しかったよ。ちゃんとバスケ見るのは初めてだったんだけど、なんというか凄かった」
( ^ω^)「ほ〜、やっぱ凄いのかお」
('A`)「ブーンはジョルジュの試合見たことないんだ?」
( ^ω^)「ないお」
('A`)「ふぅん」
何気ない様子を装いながら、僕はちらりと頭に浮かべた。ツンはブーンを誘ったことがないのだろうか? 仮に誘われた日程が実家の手伝いで今回のように無理だったとしても、これまでに機会はいくらでもあった筈だ。いくつか候補日を出して日程調節をすれば容易にお出かけできたことだろう。
それとも、ツンは誰でもバスケ観戦に誘うわけではないのに、僕のことは誘ってきたとでもいうのだろうか?
69
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:21:56 ID:xCq9tkbA0
( ^ω^)「残念ながら、それはないお」
ブーンはまるで僕の考えていることを見透かしたようにそう言った。
(;'A`)「なッ、なんだよそれって!」
( ^ω^)「僕もツンに誘われたことはあるお。でも、予定が合わなかったんだお〜」
('A`)「そうなんだ」
( ^ω^)「たぶんツンは一度キッパリ断られたらもう自分からは積極的には誘わないとか、そういう方針なんじゃないかお? それ以降は誘われないお」
('A`)「ブーンのことを特別キモいと思ってるわけじゃあなくて?」
( ^ω^)「ころすぞ」
('A`)「包丁スタンドに手が届く位置でそういうこと言うのはちょっと」
( ^ω^)「本日のオススメはチーズ牛丼とチーズinハンバーグ定食、ハッシュドビーフ・・ハンバーグなら原材料偽装にはならないお?」
('A`)「確かにビーフと書いてはいないからね」
( ^ω^)「食べられない部分は畑に撒くお。来年の春にはドクオの花が咲き、秋にはドクオの実がたわわに実るに違いないお」
('A`)「やっぱり原材料僕なんだ?」
(´・ω・`)「おい小僧ども、そろそろお喋りは終わりだよ。お客の気配!」
どういう理屈で感知したのか、実際すぐにカランカランとコント導入部のような音が鳴り、僕たちに来客が知らされたのだった。僕は一命をとりとめた。
70
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:23:14 ID:xCq9tkbA0
○○○
少し余裕が出てきた単純作業の時間帯、たとえば皿洗いなんかを淡々とこなしながら、僕は昨日の試合の様子を思い返す。僕はツンとふたりで並んで学校の体育館の2階席に腰掛けていた。
ξ゚⊿゚)ξ「あたしはほんとはウォームアップから見たいんだけどね、あんたには退屈かもしれないから、今日はティップオフから」
('A`)「キックオフ?」
ξ゚⊿゚)ξ「それじゃサッカーでしょ、バスケはティップオフ、“Tip Off”よ」
('A`)「チップね」
僕は長くて硬めのやつが好きだな、とダーツのパーツ名に話を向けることも考えたが、とにもかくにもやめておいた。やめておいて正解だったことだろう。下手すると、つまらない上、下ネタだと思われても仕方ないような発言になりかねない。
ティップオフで試合がはじまる。白を基調としたユニフォームが僕たちしたらば学園バスケ部、黒を基調としたユニフォームが相手のチームであるらしい。白いユニフォームの男がボールを持っている。
('A`)(――ジョルジュだ)
僕は彼の存在を認識する。
ゆっくりとボールを床に弾ませながら、ジョルジュ長岡は、まるで散歩でもするようなリラックスした歩調で前進していた。
71
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:25:01 ID:xCq9tkbA0
('A`)「嘘ん!?」
僕は思わず声に出して驚いていた。
ジョルジュが敵陣に入って少しのところで唐突にボールを放ったからである。
常識レベルの知識として僕でも知っている、スリーポイントラインのはるか手前、何のきっかけもなさそうなところからジョルジュはシュートを打っていた。
当然相手のチームのジョルジュ担当なのであろうディフェンスも警戒などしていなかったに違いない。何の妨害も試みられることなくボールは飛んだ。そしてシュルシュルと回転しながら素人目に見ても美しい放物線を描き、ボールはゴールのリングに吸い込まれていったのだった。
('A`)「――」
リングを潜り抜けたボールが床に跳ねる音が聞こえる。僕たち以外にろくな観客などいないからだ。ここが客で満員のスタジアムか何かだったとしたら、この驚くべきプレイに拍手喝采が湧きおこっていたのではないだろうか。
(´<_`#)「オイコラ! ジョルジュはハーフ過ぎたら警戒せんかい!」
ジョルジュに拍手が送られない代わりに、ジョルジュの担当ディフェンダーなのだろう男は後方から罵声を浴びせられていた。
72
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:26:00 ID:xCq9tkbA0
('A`)「む・・?」
ξ゚⊿゚)ξ「どうしたの?」
('A`)「今の罵倒した男と罵倒された男、遠目だからかもしれないけど、なんというか・・似てないか?」
似てる、というより、まるで同じ外見をしているように僕には見えた。
顔、姿勢、雰囲気、すべてが酷似している。背丈は違うのかもしれないが、うまく遠近法を利用されたらどっちがどっちか僕にはすぐにわからなくなることだろう。
ξ゚⊿゚)ξ「似てて当然、あいつらは双子よ。流石兄弟っていうの」
('A`)「有名なんだ?」
ξ゚⊿゚)ξ「まぁ有名ね。揃って県代表になるくらいのプレイヤー」
('A`)「めちゃくちゃ凄いじゃないか!」
ξ゚⊿゚)ξ「ジョルジュも県代表よ。それに、ジョルジュはそこでもスタメン、あっちはベンチ。兄者はね。弟者はスタメンだけど、それはジョルジュとポジションが違うからね」
要は彼らよりジョルジュの方が凄いプレイヤーということであるらしい。
73
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:28:08 ID:xCq9tkbA0
実際ジョルジュは凄かった。
先ほどの超ロングシュートのせいだろうか、ジョルジュが敵陣にボールを持って乗り込むと、ディフェンダーがすぐに近くまで寄ってくるようになった。すると、反則なんじゃないのかと僕は思ってしまうのだが、ジョルジュは味方のひとりをディフェンスを邪魔する位置に立たせ、それを利用してマークを引き剥がすのだ。
ひとたびディフェンダーが剥がれたらお手の物とでもいうのだろうか? ジョルジュは悠然と加速をはじめる。もちろん相手のチームも好きにはさせないとばかりに次のディフェンダーを寄せたり、剥がされたディフェンダーが猛追したり、守備妨害に失敗しては兄者と呼ばれた男が弟者と呼ばれた男に罵倒の言葉を吐かれたりしていた。
ジョルジュがボールを弾ませながら前進すると、その勢いで撹拌された空気がチームメイトたちの動きを活性化させ、縦横無尽に走り回って攻撃を行うような印象だ。
そして、その走り回る中でフリーになった選手ができると、そこにパスが通るのだ。どういった理屈で彼がフリーになるのか僕にはまったくわからないのだが、ジョルジュが出したパスの先を見ると、そこにはフリーになっている選手がいる。そしてフリーで打たれたシュートはよく入る。
ゲームのハメ技のように簡単に点を取るしたらば学園バスケ部のプレイは面白かった。
('A`)「――ッ!」
そして、次はどこにパスが出されるのだろう、と先読みのようにして試合を見るようになっていると、不意にジョルジュは自分でシュートを放つのだ。シュルシュルと回転したボールは美しい放物線でゴールした。
74
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:29:38 ID:xCq9tkbA0
22対15。それが長い笛が吹かれて試合が中断した時点での両チームの得点状況だった。7点差。これがバスケットボールにおいてどのような意味合いを持つ点差なのかは知らないが、意外と点差が離れてないな、というのが僕の印象だった。
ξ*゚⊿゚)ξ「どう、バスケは?」
わずかに頬を上気させた金髪の女の子が訊いてくる。僕はゆっくりと頷いて見せた。
('A`)「思ったより面白い。もっと、勉強なしに見てもよくわかんないかなと思ってた」
ξ゚⊿゚)ξ「そうでしょ〜、バスケは面白いんだって! 結局ボールをリムに投げ入れるだけだから、細かいルールや戦術を置いといたら結構単純な競技だしね」
('A`)「なんだかジョルジュが圧倒! って印象だったけど、意外と点差は開いてないね。そういうもんなの?」
ξ゚ー゚)ξ「良い質問ね。答えは、そうとも言えるし、そうじゃないとも言える、ってとこかな」
('A`)「なにそれ」
ξ゚⊿゚)ξ「ジョルジュは良いプレイしてる、そして目立つ、だから圧倒しているように見える、実際勝ってる。でも、思ったより点差が開いてないのは、ジョルジュ以外のシュートがそこまで入っていないのと、リバウンドをわさわさ取られているからね」
75
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:30:41 ID:xCq9tkbA0
('A`)「リバウンド」
バスケに疎い僕でも『スラムダンク』は読んでいる。優れた漫画はその題材に詳しくなくても十分楽しめるものだからだ。この名作バスケ漫画において、リバウンドは勝負を制するキーファクターとして扱われていた筈だ。
長い笛が再び吹き、ベンチに収束していた両チームの選手たちがぞろぞろと再び散らばる。ジョルジュは背伸びをしながらゆっくり歩いていた。
ξ゚⊿゚)ξ「特に相手側のオフェンスリバウンドね。弟者が大体取ってるんだけど」
('A`)「ああ、あの大きい方か」
ξ゚⊿゚)ξ「そうそう、流石兄弟の大きい方」
('A`)「弟の方がでかいだなんて、戸愚呂兄弟みたいでかえって覚えやすいね」
ξ゚⊿゚)ξ「とぐろ?」
通じなかった古い漫画ネタを引っ張ることはせず、僕は試合に目を向けた。
ちょうど兄者がボールを持ち込み、シュートを放ったところだった。外れる。そこに弟者が飛び込む。リバウンドを取った。
ξ゚⊿゚)ξ「ほらまた、これよ」
76
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:32:09 ID:xCq9tkbA0
ゴールからこぼれたボール、リバウンドを保持した弟者は、当然ゴールの近くにいた。まっすぐ上に飛び上がってシュートを放つ。僕はてっきりそうすると思ったのだが、彼はそうはしなかった。シュートの姿勢は振りだけで、実際には飛んではいなかったのだ。
ξ゚⊿゚)ξ「上手いね」
シュートを確信して妨害に飛び込んだシタガクの選手はそのまま弟者にぶつかってファウルとなった。驚いたのは、弟者はディフェンダーとの衝突の中でボールをゴールへなんとか放り、それが結局ゴールしたことである。
バスケットカウント・ワンスローというやつだ。漫画で覚えた、僕でも知ってる数少ないバスケ用語のひとつである。正しいスペルで覚えられてるか定かでないが、その意味するところは知っている。
ファウルの最中に入ったゴールはそのままカウントされ、追加でひとつのフリースローがプレゼントされる。本格的に静まる体育館の空気の中、彼はそれをすんなり成功させた。
22対18だ。さっきまで、印象ほど圧倒的ではないけれどそれなりの量あるとばかり思っていた点差は、たったの4点になっていた。
ξ゚⊿゚)ξ「これをやられると正直キツい。うちには弟者と五分でやり合えるようなビッグマンがいないのよねぇ」
('A`)「ビッグマンね」
その単語の通り、大きな選手と思っておけばいいのだろうか?
77
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:33:16 ID:xCq9tkbA0
ξ゚⊿゚)ξ「ビッグマンってのは単語の通り、体の大きな選手のことだと思っておけばそんなに間違いないわ」
まるで僕の心の中の疑問を見透かしたようにツンは言った。
ξ゚⊿゚)ξ「正確にはポジション的な単語だから、背の高くないビッグマンとか、ビッグマンとはあんまり呼ばれない長身の選手もいるんだけど、そういうのは稀だから」
('A`)「ふぅん。ジョルジュはバスケ選手の中でもどちらかというと背が高い方だと思うけど、彼はビッグマンなのかな?」
ξ゚⊿゚)ξ「ジョルジュはポイントガードだから、普通ビッグマンとは言わないわね」
センターと呼ばれるポジションの選手のことを言うのかもしれないな、と僕はそれなりに理解した。
しかし、僕の持っている『スラムダンク』の知識では、センターの選手はあまり俊敏な動きをしないイメージだったが、弟者は実によく動く。リバウンドのことを話題に挙げられ、優れた選手との紹介をツンから受けたので注目したから気づいたのだが、確かによくリバウンドを取っていた。
ドリブルで切れ込んだジョルジュがパスを出した先にはやはりフリーの選手がいた。彼は滑らかにシュートを放ち、しかしそのシュートは外れる。弟者がむんずとリバウンドを掴む。
その側には兄者がいて、ボールが渡ると、すぐさま彼はフィールドを縦に切り裂くような鋭く長いパスを投げていた。
78
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:34:10 ID:xCq9tkbA0
ξ゚⊿゚)ξ「タッチダウンパス!」
('A`)「うひょ〜スッゲェ!」
サッカーでいうところのキラーパスのような印象だ。自陣と敵陣をまとめて貫くようなロングパスは攻撃手の手に渡り、ろくな人数のいない守備を簡単にかいくぐってゴールした。敵のチームのプレイだけれど、拍手を送りたくなるほどお見事だ。
点差は2点。次またゴールを入れられたら、同点か、あるいは逆転されることになる。
それなりにあったが、それまでの展開からしたら意外と少ないように思えた点差が、試合再開からあれよあれよと詰められほとんどなくなったのだ。悪い流れだと言えるだろう。
どうやらそう思ったのは僕だけではなかったらしい。
ξ゚⊿゚)ξ「悪い流れねぇ」
ツンも呟くようにそう言っていた。
('A`)「あ、やっぱりそうなんだ?」
ξ゚⊿゚)ξ「まあでもこのくらいなら想定の範囲内、かな?」
('A`)「え〜本当に? なんだか逆転されそうな気しかしないけど」
79
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:35:27 ID:xCq9tkbA0
ξ゚ー゚)ξ「ま、見ていなさいって」
ツンがニヤリと笑ってそう言うのと、ジョルジュがひときわ高い音を立ててボールを床に弾ませたのが、ほとんど同時に僕の耳に届いた。味方も敵も攻撃の方向に足早に向かう中、ジョルジュだけが床にバウンドするボールに合わせてゆっくりと歩いている。
慣性と反発係数という物理法則がこの世にはあるので、ボールは跳ねながら勝手に進む。ジョルジュはそこに手を加えることなく、フィールドのすべてを眺めるように、首を振りながら手ぶらで足を進める。近くにディフェンスがいたらとてもできないことだろう。
自陣と敵陣の境目となるラインが近づく。そこには兄者が待っている。
ようやくジョルジュはボールに手を伸ばし、それを再び強く床に弾ませた。
じわり、とジョルジュが兄者に近づく。兄者が微妙にポジショニングを整え、もっともふさわしい形でジョルジュを迎える。徐々に緊張感が増していく。
僕にはジョルジュの表情が見えない筈だが、なんとなく笑っているように感じられた。
ジョルジュの履く靴と体育館の床が擦れる音が響く。それはジョルジュの加速、力強く踏み込んだ第一歩を意味していた。
80
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:36:57 ID:xCq9tkbA0
それまでと違っていたのは、兄者の守備の邪魔をさせる役割の選手を利用しないことだった。
ジョルジュと兄者の体格を比較すると、遠目にもわかる程度にはジョルジュの方が背が高い。手足も長い。その長い体と手足を上手に使い、ジョルジュは一瞬兄者に覆いかぶさるような進路を取って、そのディフェンスをすり抜けていた。
それと同時にトップスピードに乗っている。これまでに見せたことのない、爆発的な推進力だった。
ただちにそれまで他の選手についていた相手チームの選手がジョルジュの妨害に寄って来るが、いかにも遠い。ジョルジュの長い足が大きく出され、自動的に手の内に戻ってくるヨーヨーのような機構が備わっているとしか思えない速さと力強さで、ボールが床とジョルジュの右手を往復する。
やはりディフェンスは間に合わなかった。ジョルジュがスリーポイントラインの中に侵入してくる。ボールが強く弾む音が体育館に響く。
1歩。また1歩。そしてジョルジュがボールを抱えて飛び上がる。
_
( ゚∀゚)「シャオラァッ!」
(´<_` )「むんッ」
ゴール下には機敏な動きで弟者が急行していた。ジョルジュのシュートを阻止するべく、ビッグマンの体格が斜めの方向から手を伸ばして妨害を試みる。
81
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:38:34 ID:xCq9tkbA0
ジョルジュの体格は平均的なバスケットボール選手より恵まれているのだろうが、弟者はそれより少なくともひと回り以上でかかった。
ジョルジュの腕がボールをかかげ、ゴールへとそれを放ろうとする。そこに弟者が体ごと近づきながら手を伸ばす。防がれる、と僕は思った。この巨大な蜘蛛の巣のような左手に絡め取られることだろう。
違った。
ジョルジュは自由に動けない筈の空中で、ボールを持ち替えひらりと弟者をよけていたのだ。
(;'A`)「嘘だろどうなってんだ!?」
理屈はわかる。正面衝突するベクトルで飛んでいるわけではないのだから、伸ばされた腕に当たらないよう縮こまっていれば、ブロックを避けること自体は不可能ではない筈だ。しかしながら問題は、ジョルジュも手を伸ばしてボールを放らなければ、シュートを打てないわけである。
なぜならジョルジュはゴールに向かって飛んでいる。飛び上がる最中にボールを放ってしまわなければ、やがて体がゴールの真下に入り込んでしまい、シュート自体が不可能となる筈だ。
僕が驚いたのは、飛び上がる最中を狙って襲い掛かる弟者の妨害をかいくぐり、そのため体がゴールを越えてしまったのに、通り過ぎた後ろのゴールにボールが放たれていたからである。
82
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:39:25 ID:xCq9tkbA0
一体どのような力加減でボールを放ればこのようなシュートが成功すると思うのだろう?
勢いよく突っ込んで飛んだ体はゴールを通り過ぎている。そしてジャンプの最高到達点も過ぎているので、ジョルジュの体は落下している。つまり、平面的な方向にも、鉛直的な方向にも、ジョルジュに働く慣性はゴールに対してマイナスに働いているのだ。
その状態でボールを放るということは、その慣性に打ち勝ちゴールに近づく強さでシュートを放つということだ。
('A`)(レイアップシュートの極意は『置いてくる』じゃあないのか!?)
バスケ漫画の知識で僕はそう思う。持っている物理学的な知識からも難しい力加減なのではないかと思う。
しかし、ジョルジュの放った背後へ向けたシュートは、いとも簡単そうにゴールネットに包まれたのだった。
思わず僕の口から声が漏れる。
('A`)「すご・・!」
ξ゚ー゚)ξ「そうでしょぉ〜?」
ウチのジョルジュは凄いのよ、とツンは誇らしそうに胸を張った。
83
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:40:28 ID:xCq9tkbA0
結局、このゴールが試合のすべてを決めたような印象だった。
それはただの2点のシュートのうちの1本で、あらゆるシュートに貴賤はないんじゃないかと言われたらそれを否定するロジックを僕は持ち合わせていないのだけれど、とにかくそのように僕には見えた。
ξ゚⊿゚)ξ「あのリバースレイアップと、その次のスリーがこの試合のキーだったわね」
('A`)「あ、やっぱりそうなんだ?」
自分よりはるかにバスケットボールに詳しいのだろう金髪の女の子と同意見だったことを僕は嬉しく思った。
そのスリーポイントシュートも凄かったのだ。
同じような形で敵陣に入ったジョルジュにはふたりの選手が付こうとしていた。ダブルチームというやつだ。すると、ジョルジュはいとも簡単に味方にパスを出してボールを手放し、手ぶらになった身軽さでその外側へ回り込むように移動した。
ディフェンダーから守らなければならないボールがない状態のジョルジュを止めることは不可能だろう。そうしてジョルジュはパスをもらった選手に近づくと、手渡しでボールを受け取った。それってアリなの、と思ってしまうような、パスミスの生じることないやり口だ。
84
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:41:28 ID:xCq9tkbA0
そしてジョルジュは加速した。スリーポイントラインを越え、ゴールへ突っ込む。違った。
誰もがゴールへの突進を予期したに違いないタイミングで、ジョルジュはそこから飛びのくように、逆に後退していたのだ。そこはスリーポイントラインの外側だ。
仮に僕がディフェンスだったとしても、このシュート体勢に入った男に詰め寄る気にはならなかっただろう。両手を広げてくるりと回っても誰にも触れないような距離感で、ジョルジュはゆっくりと狙ってスリーポイントシュートを放った。
そしてそのボールはシュルシュルと回転し、虹を描きたくなるような美しい放物線でゴールのリングへと吸い込まれていったのだった。
ξ゚⊿゚)ξ「やっぱりゲームには流れっていうものがあって、それをコントロールするのがジョルジュは抜群に上手いのよね」
('A`)「コントロール?」
ξ゚⊿゚)ξ「力の入れどころをわかってるっていうかさ。あのシュートが入らなかったら入らなかったでまた別のプランでいったんだろうけど、あそこが勝負どころだと思ったんじゃない? そこは絶対自分でいくの」
('A`)「そして決める、と。なんかもう全部自分でいけばいいんじゃないのって思っちゃうけどな」
僕は正直に思ったところをそのまま言った。フリーでシュートを打つほかの選手たちよりも、無理やり打つジョルジュのシュートの方が良く入るのではないかとさえ思っていたのだ。
85
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:42:37 ID:xCq9tkbA0
ξ゚⊿゚)ξ「だから、そこは流れとコントロールよ。言葉で説明するのは難しいけど」
('A`)「流れとコントロール――」
難しいと自分でも言っていたように、ツンがそれから重ねた説明はあまり要領を得ていなかった。しかし、それまでの会話の流れとツンの話、僕が今考えたことを統合することは僕にもできる。
('A`)「ちょっとわかった気がする。ジョルジュのところで勝てるとわかってるなら、そこをずっと使うのではなく、切り札として取っといた方がいい、みたいなことかな」
ξ゚⊿゚)ξ「まあ、そうね。それができるのならね」
勝負所で切り札を出すために、それまでのゲームは切り札1枚で勝てるようにコントロールしていくということなのだろう。効率性で劣るとしても周りを活用し、逆転されない程度に相手にも攻めさせる。
相手に希望を与えておけば、劇的な対応をしてはこないだろう。自分たちのプレイを続けようとする筈だ。対応し、改善されたら、あるいは切り札の有効性が損なわれるかもしれないからだ。
手を抜く、というのとは少し違うのだろう。全力を出さないわけでもない。確かに言葉で説明するのが難しいな、と僕は思った。
86
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:43:32 ID:xCq9tkbA0
○○○
川 ゚ -゚)「どうだい弟よ、友達100人できたかい?」
バイトから帰ってダーツの投げ込みをしていると、姉から声をかけられた。クーと貞子さんの座るソファの前にはローテーブルが置いてあり、そこにアルコールの類とおつまみの類が散乱している。
今の彼女たちに必要なのは、共にダーツの研鑽に励む戦友ではなく、酒の肴となる話題なのかもしれない。
('A`)「100人なんてこれまでの総計でも無理だな。まあでもできたよ、友達は」
川 ゚ -゚)「それは喜ばしいことである」
('A`)「どうも」
川д川「バイト先も一緒なんだよね」
('A`)「一緒っていうか、そいつの実家で働かせてもらってる感じですね」
川 ゚ -゚)「利益相反! 雇用を握られてるじゃあないか」
87
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:44:38 ID:xCq9tkbA0
('A`)「よく意味がわからんのだけど」
川д川「ええとね、友達の家で働かせてもらってるんなら、それで従業員対オーナー家として気を使わなければならないこともあるだろうから、真の友情はそこに芽生えないのではないか、的なことを言いたいんだと思うよ」
川 ゚ -゚)「解説ご苦労」
('A`)「アホらしい。真の友情ってなんだよ」
川 ゚ -゚)「知らないよ。ただ君に姉としてアドバイスしておくと、安易に『真の○○』なんて口にする輩を信用してはいけないよ」
('A`)「その姉が真の友情の話をしているわけですが」
川 ゚ -゚)「揚げ足を取る人間はモテないよ」
('A`)「僕は揚げ足を取ってない。足が揚がってるからそこに手を添えてるだけだ」
川 ゚ -゚)「よくわからないことを言うものだなァ」
川д川「それより私はアイスが食べたい」
川 ゚ -゚)「板チョコアイス、年中売られるようになったんだぞ。知ってたか弟よ?」
川д川「おとうとよ〜」
いつから飲んでいるのかもわからない酔っ払いふたりは僕にコンビニへの買い出しを要求してきた。
88
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:45:51 ID:xCq9tkbA0
年上の酔っ払いの要求に抵抗する気は起きなかった。
あるいはダーツで勝負だ! と挑んでみるのも悪くはなかったかもしれないが、今の彼女たちからダーツに対する情熱を感じることはできなかった。道具はテーブルに散らばっているので、おそらく僕が返ってくる前に十分投げ込み、その後酒盛りをはじめたのだろう。
既に消えている情熱の炎の焚き付けをイチからするのはどう考えたって面倒だった。僕はクーから少額の紙幣を握らされ、再び靴をはくことになった。
('A`)「貞子さんはパピコですね。クーは板チョコアイスでいいのか?」
川 ゚ -゚)「いや、ブラックモンブラン」
('A`)「今板チョコアイスの話してたじゃん」
川 ゚ -゚)「板チョコアイスの話をしたら板チョコアイスを食べなきゃならないのか? 決めつけはよせ、多様性を認めろよ」
('A`)「多様性を目指すなら、バニラアイスをチョコレートでコーティングしたもの以外にした方がいいんじゃないの」
板チョコアイスとブラックモンブランの類似点を挙げた僕の意見は却下された。
89
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:47:26 ID:xCq9tkbA0
まっすぐ向かうのも癪なので、僕はいつもは使用しない『ティマート』というコンビニへ向かって、いつもは通らない道をあえて通ってみることにした。散歩がてらというやつだ。
この少し遠いコンビニへ向かう道を、さらに少し外れたところにそれなりに大きな川が流れていることを僕は知っている。結構な遠回りになるけれど、別に構わないさ、と僕は思った。今のあのふたりの様子を見ていると、今日は僕自身もこれ以上熱心な練習を重ねられる気がしないのだ。
昨日のバスケの試合を思い出す。ゲームをコントロールするジョルジュは確かに輝いていた。第一印象の悪さがなければ、下手したら憧れていたかもしれない。
クラスで僕はジョルジュの前に座っている。今日もいつも通り、当然といった顔で大幅に遅刻して登校してきたジョルジュは僕の後ろに腰掛けた。
僕から彼に声をかけることはないし、彼から僕に声をかけてくることもない。
それが僕らの日常だ。依然変わりなく進行中。
実力テストの期間が終わり、昼食を学校でとる必要ができて知ったのは、2日に1度ほどの頻度でツンがジョルジュにお弁当を提供していることだった。
当然のように行われるお弁当の受け渡しを、僕は何の反応もせず眺めることしかできなかった。ジョルジュにお弁当を渡したツンは、自分のお弁当を持って一緒に昼食を食べるグループへと机を離れる。僕はブーンとご飯を食べる。
('A`)(――やっぱり、付き合ってる以外ありえないよなぁ)
自分で焼いた卵焼きにお箸を突き刺しながら、僕にはそのように考えるしかなかったものだった。
90
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:50:17 ID:xCq9tkbA0
右足と左足を交互に進め、僕は夜道を歩いていた。川沿いの風が頬を撫でる。向こう岸の街灯が水面に反射し、キラキラと輝いている。
('A`)(きっとジョルジュを気に入らないのは、僕側にコンプレックスがあるんだろうな)
眺めるともなしに景色を眺め、汗ばんだ体で考える。
はっきり言って、僕はいわゆるリア充ではない。完全に人見知りで社交性の低い陰キャだ。しかし、自身にそうした性質を望むこともないし、それで良いと思っている。満足はしているのだ。
そうした充足とは別に、陽キャの人々に対する憧れもある。あれはあれで楽しそうだなぁと思うのだ。たくさんの友達に囲まれワイワイ騒ぎ、恋人や恋人候補と楽しく過ごす。理想的な幸福のひとつなのではないだろうか。
ただし僕には絶対不可能だ。確信をもってそう言える。空を飛べる鳥を羨ましがる人は一定数いることだろうが、実際に、現実味をもって本当に空を飛べるようになりたいかと訊かれた場合に同意する人はいるのだろうか?
空を飛べる生活は大変そうだと僕は思う。まず羽ばたく筋肉をつけなければならないし、その反面体重は落とさなければならないだろう。ひょっとしたら着る服や髪形も制限されるかもしれない。さらに、そこまで努力を重ねて飛べるようになったとしても、高山病にかかったりするかもしれないし、転落事故のリスクが伴うことだろう。
そんな生活はまっぴらごめんだ。しかしながら、空を飛べたら楽しいだろうな、とたまに無責任に頭に浮かべることはある。そんな感じだ。
91
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:51:44 ID:xCq9tkbA0
ジョルジュはまさにそんな感じを体現していた。堂々とした態度のスポーツマンで、体躯に恵まれ顔立ちも整っている。学校やクラスに完全に受け入れられており、かわいい女の子と仲が良く、お弁当を作ってもらったり、休みを潰して自分のトレーニングのための動画を用意してもらったりしている。
おそらく彼らは付き合っているのだろう。どこかでイチャコラしているというわけだ。いつもツインテールに束ねられているカールがかった金髪を下ろした姿を見たことがあるのだ。くりくりとした大きな瞳に自分の姿だけを映させ、微笑ませているのだろう。
大きくひとつ息を吐く。彼らは何も間違ったことはしていない。まったくもって真っ当な青春を過ごしているだけである。これまで僕には縁がなくて、これからもおそらく縁がないのであろう素敵な日々だ。
大きくひとつ息を吐く。
('A`)「ま、仕方のないことだけどな」
僕は自分に言い聞かせるように呟いた。仕方ない。僕がそのような日常を手に入れられておらず、今の日常を過ごしているのは、少なからずこれまで僕が積み重ねてきた日々の影響によるものだからだ。
そして、今の僕の日常は、決して満足いかないものではなかった。きっと無いものねだりをしているだけなのだろう。
僕は川に反射する光の色味が変化していることに気がついた。
92
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:53:39 ID:xCq9tkbA0
('A`)「ん、なんだこの色は・・?」
違和感の原因はすぐにわかった。対岸ではなくこちら側だ。街灯が途切れ、少し離れたところに建物が建っている。
ラブホだ、と僕は呟いた。
('A`)「うわぁラブホだ、たぶん。普通のホテルだったらこんなちょっぴり薄暗くした中に存在を感じさせるような照明をしている筈ない。確かに住宅街からは離れてるけど、こんなところにラブホ建てるかね」
ラブホテルの敷地内に足を踏み入れたこともないまっさらな童貞であるにもかかわらず、僕はそのように評価した。しかし、川沿いというのはひょっとしたら良い立地なのかもしれない。リバービューというやつだ。
('A`)「こんなとこにラブホがあるとは知らなかったな。ラブホの近所のコンビニはコンドームが豊富に置かれているのかな?」
これまで意識したことがなかったが、あるいは避妊具以外のアダルトグッズも常備しているのかもしれない。買う度胸も買ったものを持って帰る度胸もないけれど、一応チェックだけはしておこうと決意を固める。
そして気づいた。ラブホの近くに誰かいる。まさに入ろうとしているところなのではないだろうか?
93
:
名無しさん
:2020/09/20(日) 21:55:19 ID:xCq9tkbA0
誓って言うが、僕は何も目を凝らして観察していたわけではなかった。たまたま目に入ったのだ。誰が誰と一緒にリバービューのラブホテルで情事を重ねようと、そんなのは僕の知ったことではない。
嘘だ。
今僕の目に映った光景は、とてもではないが見過ごせるものではなかった。
一組の男女だ。ラブホテルにお誘いあわせの上来ていることからもわかる親密度と密着度で歩いている。
女の方は誰だかわからなかったが、その男を僕は知っていた。
ビッグマンと呼ばれるポジションではないが、アスリートの中でも恵まれた体躯。長い手足と首の上に整った顔が乗っている。凛々しい眉毛が印象的なその男は、名前をジョルジュ長岡という筈だ。
ジョルジュがツン以外の女を連れて歩いているのだ。
( A )「――なぜだ」
僕には理解ができなかった。
ジョルジュとツンは付き合っているわけではないのか?
もちろんその可能性は否定できない。確認したわけではないからだ。しかし状況証拠は整っていて、どう考えても彼らの仲を付き合っていないとするのは、片思いの男が思い描く現実味のない願望である筈だった。
しかし、事実としてジョルジュは今ツンではない女を連れて、僕が呆然と立ち尽くして眺める視線の先で、まさにラブホテルに入ろうとしているのだ。
彼らは僕の方に視線を向けることなく、並んでホテルへと入っていった。
つづく
94
:
名無しさん
:2020/09/22(火) 10:52:34 ID:od1YXSbo0
おつ
これは新ヒロインの予感
95
:
名無しさん
:2020/09/22(火) 21:39:14 ID:mFoBtaSI0
乙です。面白いなあ
正反対の人を意識しちゃうの、覚えがある。何でなんだろうな
96
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:00:48 ID:oGuGPJ2c0
1-4.『バーボンハウス』のカレーは旨い
僕にはわけがわからなかった。
あれは本当にジョルジュ長岡なのだろうか?
様々な思考が頭を巡る。
強火にかけたお鍋のようだ。ブクブクと絶え間なく気泡が浮き上がっては水面に至ってはじけて消える。そのほとんどが断片的なもののように感じられ、言語化が難しい。視覚情報から得られた刺激が多すぎて処理しきれていないのだ。
怒り。
この感情がもっとも近いのかもしれない。しかしその中には嫉妬であるとか、疑問、それに対する反論、落胆や失望といった感情も一定の割合で含まれているように感じられる。
そのように自分を客観視できる程度には冷静さを取り戻せてきたということだ。
大きくひとつ息を吐く。ジョルジュらしき男と、少なくともツンではないのだろう女は、とっくにホテルに入っており、僕の視界には存在しない。
そんな状態のまま、僕はしばらくその場に立ち尽くしていたというわけだ。表面にどれだけ表れたのかは知らないが、なかなかの動揺ぶりだと言えるだろう。
97
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:02:18 ID:oGuGPJ2c0
('A`)「うわ、めちゃくちゃ時間が経ってるな」
時計代わりのスマホを見た僕はそう呟いた。元々お散歩がてらに遠くのコンビニへ遠回りをして向かっていたのだ。姉やその友人を心配させるのに十分な時間が経過していたことだろう。
川 ゚ -゚)『お〜い、迷子か?』
そのようなメッセージが送られてきているのに僕は気がついたのだった。気を取り直して既読にし、返信用のメッセージを作成する。
('A`)『ちょっとお散歩してた。もうすぐ帰るよ』
川 ゚ -゚)『了解。アイスを忘れるなよ』
('A`)『板チョコアイスだったっけ?』
川#゚ -゚)『ブラックモンブランだっつってんだろババア!』
すっとぼけた僕のメッセージに反抗期の中学生男子のような返信をクーは寄越した。僕は自分にババアと呼ばれる筋合いがまったくないことを注意深く確認し、『ティマート』というコンビニへ足を踏み入れ、必要なアイスを必要なだけ買った。
98
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:03:24 ID:oGuGPJ2c0
○○○
例の男が本当にジョルジュ長岡なのかどうかは結局僕にはわからなかった。
先日、流石兄弟という、身長以外はほとんど同じような見た目をしているふたりを僕は見ている。その場合と同様に、何らかの長岡姓を名乗る男や、単なる精密な他人の空似であった場合を考えると、どうしたって僕には確信が得られない。
しかしそんなものは必要なかった。言いがかりや逆恨みには必ずしも真実が必要ではないのだ。
('A`)(それに、仮に証拠があったとしても――)
僕に起こせる行動はひどく少ない。本人にことの次第を問い詰めたり、ツンに告げ口をするようなことを僕は積極的にやらないだろう。せいぜいひとりで悶々と考え込むというのが関の山だ。
('A`)(つまり、今の状況と何も変わらない。だったらやっぱりその情報は僕には必要ないんだ)
そんなことを考えながら、僕は翌朝いつも通りの時間に登校をした。
すると、問題の女が誰だかわかってしまったのだった。
99
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:05:01 ID:oGuGPJ2c0
('A`)「――!」
下駄箱から入ったところにある掲示板に大きく掲げられていた地元紙の記事、その写真の中に彼女はいた。
('A`)(似ている・・いや、たぶんこいつだ)
ラブホに入る男をジョルジュではないかと思うよりずっと高い確信度で、僕はこの紙面の女をその男の連れ合いだと認識していた。
そこまで鮮明な写真ではない。サイズも小さいし、画質も荒いし、白黒だ。しかし、それでも伝わってくる鋭い雰囲気とこちらを睨んでいるような大きな目、ざっくりとした薄い色合いの髪の毛が特に印象的だ。
どうやら彼女は美術部員であるらしく、その絵がここVIP市のコンクールで入賞したとの記事だった。入賞した絵と、それを描いた女の子が一緒に写真に写っているのだ。
その絵はバスケットボール選手がドリブルでディフェンスを抜き去る一瞬を切り取ったような内容で、しかし本来相手が構えているべき場所はただの空間になっていた。ただの空間を避けているようなものなのに、その迫力に満ちた動きは、そこに抜き去られるディフェンスの存在を確かに絵を見る僕に感じさせる。
ドリブルをする選手はこちらに背中を向けており、その顔や表情は見ることができない。それでもこの絵はきっとジョルジュがモデルなのだろうな、と僕は思った。
100
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:06:03 ID:oGuGPJ2c0
彼女の名前はハインリッヒ高岡というらしい。それを僕は記事内と、朝のホームルームで知ることになった。担任の口からその話題が出たのだ。
( ´∀`)「掲示板にも貼ってあったから皆知ってると思うけど、高岡さんの絵が入賞したモナ。皆で拍手を贈るモナ!」
この教室内にその高岡さんがいるわけではない。しかし担任のモナー先生も、実力テストの開催には文句を言っていた生徒たちも、皆で揃ってたっぷり5秒間ほど拍手を贈った。
正直意味がわからない。宗教的な印象を受けて僕は若干引いていた。
('A`)「なんで今皆で・・? シタガクだからか?」
おざなりな拍手をお付き合いで贈る僕の呟きが聞こえたのか、くるりと前の席の女子がこちらを向いてきた。
ξ゚⊿゚)ξ「ああ、ドクオは知らないか。シタガクだからってわけじゃないけど、でもそっか、シタガクだからってことになるのかしら?」
('A`)「何それ」
( ^ω^)「ハインはウチの理事長の親類なんだお。だから、表彰なんかされたら大々的に取り上げられるというわけだお」
101
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:08:23 ID:oGuGPJ2c0
どうやら敬意を忖度で過剰包装して行ったようなものだったらしい。なんとも俗っぽいことである。
とはいえ彼女の絵が受賞したのは事実であり、またその絵はエネルギーに満ち溢れたある種の迫力を僕に感じさせるものだった。実際拍手を贈られるべき作品なのかもしれない。
ただ気になるところがあるとしたら、その絵のモデルがこの学校のバスケ部のエースことジョルジュ長岡なのではないかという疑念が僕にあって、この絵の作者とモデルが肉体関係にある可能性があることだ。
拍手が止んだタイミングで教室の扉が開けられ、そのバスケ部エースが登校してきた。
_
( ゚∀゚)「なんだァお前ら、拍手止めるのか? おれのことを描いた絵なんだから、おれにも拍手があってもいいんじゃあないか?」
そして彼は自分がその絵のモデルであると高らかに宣言したのだった。
彼らの関係性に関する僕の疑念はより一層深いものとなった。
102
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:09:54 ID:oGuGPJ2c0
もちろん僕がその疑念を表に出すことはなく、僕の人間関係に変化が生じることはなかった。
ジョルジュとは変わらず必要最小限のコミュニケーションしか交わさない。ブーンとの会話の話題は彼の実家でもある僕のバイト先『バーボンハウス』での仕事に関する内容が自ずと中心となる。そして、ツンも交えて勉強の話をしたりする。
この医学部を目指す才女は先日行われた実力テストで学年3位には入りたいと言って僕を驚かせたものだったが、実際彼女は学年で3位の総合点を取っていた。そして、学年トップは何を隠そうブーンだったのである。
廊下に張り出された成績上位者の名前を眺め、僕は目を丸くしたものだった。
('A`)「すっげぇ、どんだけ勉強したら学年トップなんかになるんだよ」
( ^ω^)「いや別に。毎日コツコツやってるだけだお」
('A`)「お前がこんなに成績良いなんて知らなかったぞ」
( ^ω^)「訊かれなかったし、わざわざ言うようなことではないお〜」
ξ゚⊿゚)ξ「こいつが言うと、なんだか嫌味な感じがしないってのが何より恐ろしいところね。勝てる気しないわ」
( ^ω^)「おっおっ、いつでも相手になってやるお」
ξ゚⊿゚)ξ「いやだから勝てる気しないっての。挑むわけないでしょアホらしい」
103
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:11:17 ID:oGuGPJ2c0
今日も僕はバイトの日だった。放課後『バーボンハウス』にまっすぐ向かうか、食堂にでも行って何か軽く食べておくか、教室で本日出された宿題をさっさと処理しておこうかと考える。
僕の後ろは既に空席になっている。バスケ部のエースは部活に直行したのだろう。そして、僕の隣も空席になっていた。ブーンもまた用事があると言ってはさっさと家路についたのだ。
まっすぐ家に帰るのだとしたら僕のバイトと行先は一緒だ。お誘いあわせの上向かっても良いようなものだが、ブーンはそのような誘いをかけることなく、とっととひとりで行ってしまった。そこで僕はなんとなく『バーボンハウス』へすぐ行く機会を逃したような気持になって、これからの身の振りようを考えなければならなくなったわけである。
('A`)(つまり、『バーボンハウス』直行はなしだな。食堂にでも行って気が向いたら何か食べて、そそられなかったら飲み物買って帰ってくるか・・)
僕はそのように考えた。わりと妥当なところだろう。バイトがはじまるまでの2時間程度のうち、移動と支度を除いた1時間余りを潰さなけらばならないのだ。
ふと前の席に目をやると、ツンはそこにはいなかった。ただし荷物はそのまま残っていて、下校してはいないことがわかる。行き先などわかる筈がないので僕にできることは何もない。正確にいうと、なかった。
食堂に行く途中、その近くの掲示板に貼られた地元紙の記事を眺めるツンを見つけるまでは。
104
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:12:40 ID:oGuGPJ2c0
しかし、近寄って声をかけるというのもなんだか不自然なように思われた。第一何と言えばいいかわからない。
('A`)「やあツン、その記事に載ってる高岡さん、こないだジョルジュとラブホに入っていってたよ。ところでツンはジョルジュと付き合ってるの?」
このようなことを訊ける筈がないではないか。
少し考えてはみたのだが、どう考えてもこのまま何もせずに立ち去るのが賢明だった。僕は彼女を探索していたわけではなく、食堂で今提供してもらえるメニューを確認し、それが気に入るものだったら空いた小腹に収めておこうと思っているだけなのだ。
('A`)(よし、立ち去るぞ)
ξ゚⊿゚)ξ「あらドクオ。何してんの?」
Σ('A`)「へぇ!?」
足を進める決意を固めた瞬間、僕はツンに見つかっていた。
105
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:13:55 ID:oGuGPJ2c0
声をかけてきたにも関わらず、まったくこちらに近づいてはないので、結局僕からツンの方に近寄っていくことになった。
ξ゚⊿゚)ξ「これ、もう見た?」
ツンはハインリッヒ高岡の描いたジョルジュ長岡の絵を眺めている。てっきり下駄箱のところの掲示板と同じものだと思っていたのだが、こちらの記事の方がより大きく印刷されていた。
('A`)「下駄箱の方で見たよ。ちらっとだけど」
ξ゚⊿゚)ξ「よく描けてるわよね」
('A`)「そうだね。迫力が伝わってくるというか、良い絵だと思うよ」
ξ゚⊿゚)ξ「これさ、ディフェンスがいないじゃない? なんでかわかる?」
ツンはそう訊き、ニヤリと笑った。僕はその場で頭を働かせ、無理やり答えを考える。思いついた。
('A`)「・・見えない敵と戦ってる、みたいなことを表現してるのかな?」
ξ゚ー゚)ξ「違うの。これね、ただ相手を描くのが面倒くさくなっちゃったんだって!」
何それ、と僕は言った。
106
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:14:53 ID:oGuGPJ2c0
その意外な理由にあっけにとられた僕の反応が面白かったのか、ツンは僕を見てくるくると笑った。
ξ゚ー゚)ξ「あはは。いや〜、馬鹿みたいな理由だよね」
('A`)「狙ってやったんじゃないんだ?」
ξ゚⊿゚)ξ「ひょっとしたら照れ隠しかもしれないけど、本心のようにあたしには見えたな。それが賞をもらっちゃうんだからお笑いだね。ハイン、これが初受賞なんじゃないかな?」
('A`)「へぇ〜」
そうなんだ、以上の感想が僕から湧き上がることはなかった。僕にとってはハインリッヒ高岡の受賞歴よりも、彼女について語るツンの口調から感じる親しげな様子の方が気にかかる。
ツンは高岡さんと友達なのだろうか?
ξ゚⊿゚)ξ「あ、食堂行ってるとこだった? あたしも行くよ」
その疑問を口に出すより先に、ツンは僕を食堂へと導いた。
107
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:17:19 ID:oGuGPJ2c0
提供可能なメニューにはろくなものが残っておらず、僕らは揃ってカレーを持ってテーブルについた。そそられない内容だったら飲み物を買って教室で過ごそうと思っていたものだったが、ツンとテーブルを共にできるのであれば、それはどのようなメニューよりも魅力的だ。
学校の食堂の普通のカレーだ。もちろん不味くはないのだが、たとえば『バーボンハウス』で食べるカレーとは雲泥の差である。
ξ゚⊿゚)ξ「『バーボンハウス』のカレーって美味しいよね」
同じことを思ったのか、ツンがそんなことを言ってきた。
('A`)「うん旨い。僕はいつかバイトを辞めるまでの間に何とか味を盗もうと思ってる」
ξ゚⊿゚)ξ「おお〜、頑張って。味盗めたらあたしにも食べさせてよね」
('A`)「・・頑張るよ」
頑張ろう、と僕は思った。
しかし僕がブーンのお父さんであるショボンさんの仕込み作業に立ち会う機会は今のところないのであった。この先も怪しいものである。このような状況下で、カレーの秘密を知るにはどうすればいいのだろうか?
素直に訊くしかないかもしれないな、と僕は思った。だから今この場においても素直に訊こうという気になったのかもしれない。
108
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:19:04 ID:oGuGPJ2c0
('A`)「・・あの絵のモデルってジョルジュなんだよね?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうよ、良く雰囲気が出てるから、見る人が見ればすぐにわかるでしょうね」
確かにそうだ。僕にも一目でわかったほどなのだから、バスケットボールファンなら簡単にわかることだろう。
つまり、少なくとも高岡さんの方にはジョルジュとの関係性を隠すつもりがないのだろう。そして、クラスの前で自分がそのモデルだと言っていたジョルジュにおいてもおそらくはそうだ。
('A`)「・・ずいぶん仲がいいんだね?」
ξ゚⊿゚)ξ「それはどうかしら? 少なくとも今年になってからよ、あいつらが話すようになったのは。モデルと画家の関係になる程度には仲良くなったんでしょうけど、今でも俗にいう友達って感じの関係かどうかは知らないわ」
僕もそれは知らなかった。肉体関係があるわけだから、少なくとも俗にいう友達って感じの関係ではなさそうな気が僕にはするが。
('A`)「ふうん、なるほどね」
ξ゚⊿゚)ξ「何なにハインが気になるの? あたしは俗にいう友達って感じの関係だろうから、紹介してあげてもいいよ」
僕が気にしているのはハインではなくお前だ、とこの場で言ったら、この可愛らしい世話焼きの女子高生はいったいどのような顔をするのだろうか、と僕は思った。
109
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:20:48 ID:oGuGPJ2c0
当然そのような疑問を検証する度胸はない。僕は明確には何も言わずにカレーを食べて水を飲んだ。
その反応をどのように感じ取ったのか、ツンは独り言のように提案をしてくる。
ξ゚⊿゚)ξ「そういや近々試合があるのよ」
('A`)「バスケの?」
ξ゚⊿゚)ξ「ほかに何があんのよ。で、それにあんた来なさいよ」
('A`)「なんで?」
ξ゚⊿゚)ξ「あたし、ハインとその試合を観に行くつもりなのよね。だから紹介してあげる」
(;'A`)「うええ!? いい、いい、紹介なんていらないよ」
ξ゚ー゚)ξ「まあまあ、そう言いなさんなって」
(;'A`)「いやマジでいいって!」
ξ゚ー゚)ξ「悪いようにはしないから」
お前が悪いようになってるかもしれないからだよ、とこの場で言ったら、この可愛らしい世話焼きの女子高生はいったいどのような顔をするのだろうか、と僕は思った。
110
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:21:50 ID:oGuGPJ2c0
結局僕はツンからのお誘いを断れなかった。実際ツンと同じ時間を過ごせるというのは魅力的な話だし、バスケットボールの試合は思いのほか面白かったし、ツンと高岡さんがキャットファイトに至る可能性があるというなら、僕がその場にいることで比較的平穏に収められる可能性が少しでも増えるかもしれないからだ。
彼女の恋人と友人が同時に裏切っているのだとしても、それでツンが傷つく必要はどこにもないのだ。
('A`)(ま、僕にそんなことができるとは思えないけど・・)
どちらかというと、偶然にせよ深く事情を知ってしまったのかもしれない者としての義務や義理をを果たすため、といった方が適当だろう。おそらくこれは善意ではないし、ジョルジュや高岡さんがどうなろうと僕の知ったことではない。
とはいえ僕ひとりにできることはひどく限定されている。だからひとつ提案をすることにした。
('A`)「なあ、そっちが女子ふたりで来るんだったら、僕もブーンを呼んでもいいかな」
ξ゚⊿゚)ξ「内藤を? ははあ、2対2の、ガチ目の合コン仕様にするわけね。いいけど、内藤ってバスケに興味ないんじゃないの?」
('A`)「そんなことはないと思う。観戦に誘って断られたことがあるんだったら、それは単に予定が合わなかっただけじゃないかな」
111
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:22:41 ID:oGuGPJ2c0
ξ゚⊿゚)ξ「そうなの?」
('A`)「いやまあ僕も本心はわからないけどさ、たぶんそうなんじゃないかと思うよ。今回誘うのは僕だし、もし断られたらちょろっと本心を訊いといてもいいし」
ξ゚⊿゚)ξ「ふうん。それじゃあお任せしようかな」
('A`)「もっとも、あいつも暇じゃあなさそうだから、今回も予定が合わないかもしれないけどさ」
ξ゚⊿゚)ξ「なんたって学年トップだからね。あたし順位で一度も勝ったことないんじゃないかな、本当にどれだけ勉強してるのかしら?」
('A`)「毎日コツコツやってるだけって、コツコツどんだけやってんのかね」
ξ゚⊿゚)ξ「こわいこわい」
('A`)「僕からしたらツンの成績も十分怖いけどね」
ξ゚ー゚)ξ「ふふん。もっと褒めてもいいわよ」
('A`)「いつか『バーボンハウス』仕込みのカレーでこっちを怖がらせてやるよ」
ξ゚⊿゚)ξ「なんでお褒めを乞うたら挑発されるようなことを言われるのかしら?」
112
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:24:09 ID:oGuGPJ2c0
○○○
近々と言うので来週や再来週の話なのだとばかり思っていたら、ツンから伝えられた日程は10月上旬のものだった。
('A`)(VIP国体日程・・こくたい、って何だ?)
添付されたPDFデータを閲覧しながら僕は用語の解読にひと苦労した。
そしてわかったところによると、国体というのは国民体育大会の略称であり、字面からなんだか共産主義的な気配を感じていた僕の違和感はまったくの杞憂であるようだった。
( ^ω^)「国体ってのは要するに、県選抜チームで行う国内対抗戦みたいなものだお?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうね、そんな感じ。今年はVIPでやるから観に行こうよって話になってたの」
('A`)「毎年やるもんじゃあないんだ?」
ξ゚⊿゚)ξ「やるわよ。ただ、都道府県の対抗戦だから、会場は当然持ち回りなのよね。近所でやるなんてほとんど奇跡みたいな確率よ」
('A`)「確かに。同様に確からしいとしたら、2パーセントくらいの確率か?」
( ^ω^)「その文言、数学の問題以外で初めて聞いたお」
113
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:26:11 ID:oGuGPJ2c0
('A`)「それで、ブーンは来れるのか?」
( ^ω^)「VIPでやるなら大丈夫だお。バイトの時間には帰れるだろうし、一応親父に一言伝えといたら問題ないお」
ξ゚⊿゚)ξ「10月だから、国体終わってほとんどすぐに中間テストだけど、そのへんは問題ないの?」
( ^ω^)「ないお〜」
ニコニコと、まったく動揺のない顔でブーンは言った。この学年トップの学力を持つ男は試験期間直前に外出することを問題としていないらしい。
('A`)「まじか。順位落ちたからって僕らに当たるなよ」
( ^ω^)「ないお〜、当たらないお〜」
('A`)「・・マジで毎日コツコツやってるだけなのか?」
( ^ω^)「おっおっ、そうだお、僕はあんまり嘘はつかないお」
ξ゚⊿゚)ξ「あんまり、ね。正直者なのかしら」
114
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:27:02 ID:oGuGPJ2c0
どうやらブーンは正直者らしかった。これ以上考えても無駄だとばかりにツンは肩をすくめて見せる。
ξ゚⊿゚)ξ「やれやれ、まあ来てくれるならそれでよしとしましょ。ドクオは試験勉強大丈夫なの?」
('A`)「僕は成績のノルマもないからね。元々試験前だからって張り切るタイプでもないし」
( ^ω^)「なんだお、ドクオもそうじゃないかお」
('A`)「いや僕は目標がないからね。それでトップなんか取っちゃうのは、なんというか、試験勉強ガッツリする勢に失礼なんじゃないのか」
( ^ω^)「勉強の仕方なんて人それぞれなんだから、それで出た結果に対して出し方が失礼とか言って文句つける方がどうかしてるお」
('A`)「確かに」
どう考えても僕に勝ち目はなかった。この議論からは尻尾を巻いて早々に立ち去るべきだろう。
そんな僕らのやり取りをツンはニヤニヤとして聞いていた。
115
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:28:01 ID:oGuGPJ2c0
ξ゚ー゚)ξ「あんたら仲良くなったわねぇ」
('A`)「そうかぁ? 今もこうして揉めてたわけだけど」
ξ゚⊿゚)ξ「だって内藤と揉めるやつっていないもの。こいつ、一見ニコニコしてて人当りがいいくせに実は結構内向的で、話し合いになると理詰めで譲らないようなこと言うから、友達が定着しないのよね」
(;^ω^)「!? そうだったのかお?」
ξ゚⊿゚)ξ「しかも自覚がないというね。あんた立派なコミュ障よ」
(;^ω^)「こみゅしょう・・」
('A`)「ドンマイ、ブーン」
ξ゚⊿゚)ξ「いやあんたもでしょ。人当りよくない分あんたの方が重症よ」
(;'A`)「!?」
どうしてこのタイミングで僕らがツンにぶった斬られなければならなかったのか不明だが、とにかく反論の余地はなかったのだった。
116
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:29:04 ID:oGuGPJ2c0
その日はバイトの日ではなかった。10月半ばのバスケ観戦に向けた話し合いを終えた僕はまっすぐ帰宅することにする。僕には家事をする必要があるからだ。
共働きで帰宅時間もまちまちであるため夕食の作成は僕にとって必須ではない。たまたま気が向いて作ったり、日持ちするものを作った場合は家族にメッセージを残しておけば、勝手に食べるという寸法だ。
とはいえ掃除や洗濯、皿洗いなどやらなければならない仕事はたくさんある。特に2階建ての母屋をバイトがある日に掃除する気にはならないため、僕の仕事ぶりに介入を許さないためには物事を計画的にこなす必要がある。今日は水回りを処理することにした。
たっぷり1時間近くかけて残暑を味方につけた細菌たちをやっつけ、手を洗っていると、スマホにメッセージがきていることに気がついた。送り主はクーである。
川 ゚ -゚)『お腹が空いたなァ』
姉はそう言っていた。既読スルーで冷蔵庫の中身を確認していると、メッセージが追加される。
川 ゚ -゚)『貞子もいるよ〜』
僕は再び既読スルーでオムライスを作っていくことにした。
117
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:30:27 ID:oGuGPJ2c0
正確に言うと、母屋で作ったのはチキンライスだった。いや、これも正確ではない。チキンライスを作ろうと思ったのだが、鶏肉がなかったのでソーセージで代用したのだ。これをチキンライスと呼んではソーセージに処された豚さんたちも浮かばれないことだろう。
川 ゚ -゚)「ほ〜ら、来た来た。ありがとう」
川д川「ありがと〜」
3人分のチキンライスもどきを入れたボウルを片手に僕は離れへ行ったのだった。これをこの場で皿に盛り、離れにもある簡易キッチンで卵をオムればオムライスの完成となる。
僕が持ってきたものの内容を察したクーはお皿とスプーンを用意した。
川д川「お〜、今からオムるの? ホテルの朝食みたい」
川 ゚ -゚)「あれ、なんでオムレツだけその場で作るんだろうな? 何でも出来たての方がいいし、どちらかというとわたしは焼き魚とかの方が焼きたてにして欲しいけどな」
('A`)「あ、持ってくるの忘れた、ケチャップあるっけ?」
川 ゚ -゚)「あるよほら」
僕は手早くオムライスを供給し、クーや貞子さんと一緒に消費した。
118
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:34:00 ID:oGuGPJ2c0
川д川「ああ美味しい。ドクオくんは胃袋掴めば勝ちだね、モテるでしょ」
結構多めに盛ったオムライスをぺろりと平らげ、貞子さんはそう言った。いつの間にかテーブルに並んだビールをクーと一緒に飲んでいる。
僕は貞子さんに肩をすくめて見せた。
('A`)「モテません。モテたことないですよ」
川д川「あらもったいない。こんなに美味しいオムライスが作れるというのに」
('A`)「いやでもそもそも、手料理を食わせられる状況って、かなり関係性が発展してません? モテる人たちがいったいどうやってそこまでこぎつけているのか、僕にはまったくわかりませんよ」
川д川「確かに」
川 ゚ -゚)「女の子から誘うパターンはホイホイ来やすいだろうけど、確かに男が料理で釣るパターンはちょっと考えづらいな」
('A`)「だろ。僕が女の子だったら、そんなに親しくないのに飯作るから食べに来いよなんて言う男は絶対信用しないし誘いには乗らないよ」
川д川「そうか、男の子からのパターンは女子側の好意が前提条件として必要なのか」
119
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:36:55 ID:oGuGPJ2c0
川 ゚ -゚)「女が誘う場合もある程度の関係性がないとあれだろうが、おそらくハードルの高さには男女差があることだろうな。――卒論のテーマが決まったな」
('A`)「たぶん冗談なんだろうけど、卒論のテーマってそんなに自由なの?」
川 ゚ -゚)「どうだろうな? 勝手に書く分には自由なんじゃあないのか?」
('A`)「??」
川д川「私たちは卒論じゃなくて卒研、卒業研究するんだよ。研究職志望でもなければその内容をちゃんと論文に仕立て上げはしないと思う」
('A`)「へぇ」
そうなんだ、という気持ちと、そんなの知るわけないだろ、という気持ちが同時に浮かび上がり、それは言葉にならない音を僕の口から洩れさせた。半ば呆れた僕の様子をどのように感じ取ったのか、クーはなんだか得意げな顔をしている。
川 ゚ -゚)「ふふん。時にドクオよ、できたという女友達とはちゃんと仲良くなっているのかい? お姉さんに紹介してごらんよ」
('A`)「絶対嫌だろ。なんで会いたがるんだよ、親か」
川 ゚ -゚)「この際わたしを親のように思ってくれても構わない」
120
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:38:22 ID:oGuGPJ2c0
川д川「お〜、そうじゃん。女友達できたんだったら、その子とか、その子のそのまた友達をお家ご飯に誘うことはできるんじゃないの?」
('A`)「む・・」
確かにそれは不可能ではないことなのかもしれなかった。僕はツンとカレーの話をしており、『バーボンハウス』の味を盗めたあかつきには作って食べさせるといったような約束のようなものを交わしている。
会話の流れによっては、今の僕の実力を味わわせることも可能だろう。
川 ゚ -゚)「考えているね? 発展性があるとみた」
川д川「いいじゃんいいじゃん。デートとかしないの?」
('A`)「デート・・そういえば、ああでもこれは、デートじゃあないですね」
僕はツンと行くバスケットボール観戦を頭に浮かべ、しかしそこにはブーンや高岡さんも来るのであろうことを思い出した。2対2でのグループデートと言うには僕が女の子ふたりのお出かけに混ぜてもらった形であり、彼女たちの間にはキャットファイトに発展する可能性のある火種があるかもしれないのだ。
川д川「何よ〜、詳しく話しなさい」
('A`)「詳しく話すこともないんですけど、今度バスケ観に行くんですよ。何人かで」
121
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:39:25 ID:oGuGPJ2c0
川д川「へ〜! ドクオくんバスケ部だったっけ?」
('A`)「いや違います。完全な帰宅部です。その友達がバスケ好きなんですよ」
川д川「やるじゃん、相手の趣味に付き合えるってのはポイント高いかもしれないよ」
川 ゚ -゚)「しかもこちらには貞子という味方がいる。ご飯作ってきてよかったな?」
川д川「一飯の恩だ、何でも訊いてくれたまえ」
('A`)「その慣用句って少ない恩だけれども、みたいな意味合いじゃありませんでしたっけ」
それより僕は気になった。貞子さんに何を訊けばいいというのだろう?
訝しげな顔をしていたのだろう、貞子さんは僕をまっすぐ見てニヤリと笑った。
川ー川「私がシタガク出身なのは知ってるね? 実は、私はバスケ部だったのだよ」
川 ゚ -゚)「結構ガチでやってたんだよな?」
川д川「VIP第一とかに比べると全然だけど、一応進学校な私立にしては頑張っていたと思う。Bリーグとかに詳しくはないけどね、バスケのことはそれなりにわかっているつもりだよ」
('A`)「ほお〜、それは心強い」
バスケに関する造詣がまったく深くない僕は素直にそれを頼もしく思った。
122
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:42:52 ID:oGuGPJ2c0
事情を詳しく話せと言うので今回の予定を話して聞かせると、貞子さんは大きく頷いた。
川д川「なるほどね〜国体か! そういや今年はVIP国体だもんねえ」
川 ゚ -゚)「こくたい?」
川д川「県選抜チーム同士で戦うみたいな大会よ。で、今年はVIPが会場ってわけ。こりゃあ普通に見たいわ私も」
川 ゚ -゚)「お、行くか?」
('A`)「やめてください」
川 ゚ -゚)「ワカッタヤメヨウ」
('A`)「なんという棒読み、こちらに安心させるつもりが微塵も感じられない・・」
事情を聞かせたことを一瞬後悔したものだったが、貞子さんからの情報には有益なものも含まれていた。
バスケのシュートはダーツを投げる感じに似ているというのだ。
川д川「特にフリースローはね。だから私はダーツにハマっちゃったんだけど」
123
:
名無しさん
:2020/09/28(月) 21:45:08 ID:oGuGPJ2c0
川 ゚ -゚)「ああそうだったんだ?」
川д川「そうだよ、話したことなかったっけ?」
川 ゚ -゚)「あったかもしれない。しかし、わたしの脳内で組み立てられた、チャラ男の趣味にまんまと染められた貞子という偶像が強くてすっかり忘れていたのかも」
川д川「ひどい」
川 ゚ -゚)「わたしの中では貞子はヘソピとか入れられてる。乳首にもあるのかも」
川#д川「ねぇし! ていうか何そのダーツプレイヤーのイメージ!」
川 ゚ -゚)「思えば、私はそれを確認したくて貞子っぱいとか言っていたのかもな――」
妙にしんみりとしたイイコトを言っている雰囲気を漂わせるクーのことを、僕と貞子さんは無視することにした。
川д川「さてと。・・それはさておき、本当にダーツとフリースローは感じが似てるから、バスケ好きな女の子だったらダーツも気に入るんじゃないかな。これはひとつ武器にできると思う」
('A`)「・・確かにそうかもしれませんね」
こうして僕はいつか有効活用できるかもしれない知識を手に入れた。貞子さんが言うには、ダーツを教えて新しい楽しみを提供し、旨い飯を食べさせておけばそこらへんの女の子などイチコロであるらしい。
とてもそうは思えない、という僕の感想をわざわざ口にする必要はどこにもなかった。
つづく
124
:
名無しさん
:2020/09/29(火) 00:26:24 ID:UVH3BLuY0
おつです。色々と進んできていて、わくわくする
ブーンもジョルジュもまだ謎だらけだな……
登場人物がそれぞれに息づいているのが凄く伝わってくる
125
:
名無しさん
:2020/09/29(火) 03:57:24 ID:kf1//.EA0
乙
ドクオ、ジョルジュ、クー、ブーンが題名なのは少し気になるな
126
:
名無しさん
:2020/09/29(火) 13:40:32 ID:gy3kLNY20
乙津
127
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:04:01 ID:QqQaeR920
1-5.VIP国体
土曜日の午前中からバスを乗り継いで向かった先はVIP総合体育館だった。
快晴の朝は気持ちよく、僕たちを乗せたバスは空いた道をぐんぐんと郊外に向けて進んでいく。青い空がやけに広く見えるのは視界を遮る建物が少ないからだ。
郊外というより埠頭と呼ぶべき風景になってきた。開けた敷地に巨大なコンテナが整列している。そのコンテナの継ぎ目から、空より深い青みをした海がちらりと見えた。
('A`)「おぉ〜海!」
( ^ω^)「海ってやっぱりテンション上がるお〜」
わいわいとはしゃぐ僕たち男の子を女子たちはいささか白い目で見ているようだ。わざわざ前の席から身を乗り出すと、呆れた顔でツンは僕たちに肩をすくめて見せた。
ξ゚⊿゚)ξ「あんたら来るの初めてなの? 楽しそうねぇ」
('A`)「初めてだし! 逆に訊くけど、こんなとこ来る用事あるのかよ!?」
ξ゚⊿゚)ξ「屋内スポーツの大きな大会は大体ここであるからね」
从 ゚∀从「スポーツの他には武道もそうだな」
('A`)「ブドウ?」
全国規模で行われるブドウ狩りの様子が僕の頭にふわりと浮かび、即座に消えた。半疑問形でオウム返しをした僕の呟きを鋭い雰囲気の女の子が黙殺していたからである。
128
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:06:16 ID:QqQaeR920
ハインリッヒ高岡は、写真で見るより実物の方が美しく、しかし威圧感のある雰囲気をしていた。
オーラがあるとでも言えばいいのだろうか? 自分の通う学校のお偉いさんの親族だということを知っているからそう感じるのかもしれないが、なんだか近寄りがたいものを感じる。
初対面からそうだった。
从 ゚∀从「お前がドクオか、オレはハインだ、よろしくな」
集合場所だったバス停で高岡さんはそう言い、僕に右手を差し出してきた。僕はその手を取っていいものか逡巡したが、結局頭を下げるようにして握手した。
('A`)「ドクオです。よろしくお願いします・・」
从 ゚∀从「なんだァ? お前、オレとタメなんだろ、タメ口で話そうや」
('A`)「・・はい」
ξ゚⊿゚)ξ「いやいやその圧で来る相手にいきなりタメ口は無理よ」
( ^ω^)「タメ、というか、同格の相手にする態度じゃないお」
从 ゚∀从「あぁんそうかァ!? ハ! それはすまんかったな!」
僕は彼女に対してジョルジュと同じ種類の匂いを感じた。つまり、第一印象は最悪だった。
129
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:08:08 ID:QqQaeR920
そのジョルジュはというと、白を基調としたタンクトップと半ズボンに身を包み、体育館の床の上で入念なストレッチを行っているようだった。
初めて来たVIP総合体育館は非常に立派で、『体育館』などといった俗っぽい呼称はふさわしくないようにさえ僕には見えた。スタジアムとかアリーナとか、そういった呼び方の方が適切だ。外見も洒落ている。
バスケの試合の用意を施された会場内は壮観で、天井からは立方体のような巨大モニタが設置されている。プロの試合もできそうだ。
そのような僕の疑問は口にした途端に解消された。実際プロの試合も行われることがあるらしい。
ξ゚⊿゚)ξ「VIP総合体育館っていうのは正式名称よね? ネーミングライツは企業に売って、プロリーグなんかで使われる時はそっちの名前で載る筈よ」
('A`)「へぇ、国体の時は正式名称を使うんだ?」
从 ゚∀从「国のやるイベントだからな。命名権にもいくつか種類があって、どの状況でどの名前を使うかとかで値段が変わったりするんだよ。これは一応市か県の持ち物だから、フルライセンスはそもそも販売されなかった筈だ」
('A`)「ほぉ〜、なるほどね。高岡さんは詳しいんだね」
从 ゚∀从「そりゃあ自分の家のことだからな。あ、それと、オレのことはハインでいいぜ、オレもお前をドクオと呼ぶから」
(;'A`)「・・・・はぁ!?」
僕は時間差で驚きの声を上げた。
130
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:09:42 ID:QqQaeR920
从 ゚∀从「なんだァ? 嫌か!?」
(;'A`)「いや、嫌じゃあないけど・・ええと、ここのネーミングライツを買った企業って、高岡さんのお家なの!?」
从 ゚∀从「そうだよ。ここはVIP総合体育館、別名シタラバ・タカオカ・アリーナだ。覚えとけ」
('A`)「シタラバ・タカオカ・アリーナ・・」
まさか自分の通う学校名がこんなところにも登場してくるとは思わなかった。純粋に驚きだ。
从 ゚∀从「ドクオは転校生なんだよな? やっぱよそではこのくらいの知名度か、ウチもなかなかどうして、まだまだだな」
('A`)「というか、学校やってる家じゃなかったの?」
从 ゚∀从「学校? やってるぜ」
( ^ω^)「学校もやってる、って感じだお」
('A`)「も」
学校法人を副業でやっているような口調で言われ、その規模の大きさは僕の想像力を超えていた。
131
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:12:09 ID:QqQaeR920
('A`)「う〜ん、よくわからない。とりあえずわかったのは、高岡さんは僕が思ってたよりずっとお嬢様らしいということだけだ」
ξ゚⊿゚)ξ「それだけわかってりゃいいんじゃない? あたしらもハインの家が実際どのくらい大きいのか、よくわかっていないもの」
从 ゚∀从「気にするな、実はオレもよくわかってねぇ!」
( ^ω^)「まあ、とにかく凄いと思ってれば、あまり困ったことにはならないお」
会場内にブザーが響いた。どうやら試合開始が近づいているらしい。依然としてストレッチをしていたジョルジュも立ち上がり、ベンチの方へと集まっている。先日目にした流石兄弟の存在も確認できた。
派手ではないがしっかりとした選手紹介が行われ始めた。宙づりにされた巨大なディスプレイに所属と名前、学年などの情報が表示され、名前がアナウンスされた選手は大きな声で爽やかな返事を返して試合会場の中央へと整列していく。
('A`)「おお〜、高校生の爽やかな部活って感じ!」
ジョルジュの番だ。VIPのしたらば学園から来た高校2年生であることが紹介される。その紹介の中で知ったのだが、なんとジョルジュは4月1日が誕生日であるらしく、嘘のような話だなと僕は思う。
_
( ゚∀゚)「ハイ!」
名前を呼ばれたジョルジュはハツラツとした返事で右手を挙げた。
132
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:13:33 ID:QqQaeR920
('A`)「ん・・ひょっとして、2年生までしか出ないのか?」
知っている選手などジョルジュと流石兄弟くらいしかいないので、選手紹介をぼんやりと眺めるしかなかった僕は呟くようにそう言った。さらには2年生も少数派であり、高校1年生が主力メンバーであるかのような印象だ。
その呟きも終えないうちに、驚愕のアナウンスが場内に響いた。
('A`)「え、中学3年生!?」
ξ゚⊿゚)ξ「そう、中学3年生。ジョルジュが参加する国体少年部は、中学3年生から早生まれの高校2年生までが対象なの。ジョルジュも流石兄弟も早生まれなのよ」
('A`)「4月1日生まれって早生まれなのか!?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうよ、早生まれは4月1日まででしょ、次の学年になるのは2日からよ。知らなかった?」
('A`)「知らなかった・・」
嘘のような話だな、と僕は再び思ったのだった。
ξ゚⊿゚)ξ「だからジョルジュは、同級生の中では絶対一番年下なのよ。もちろんあたしたちの中でも一番下ね」
( ^ω^)「ジョルジュが一番年下って、なんだか面白い話だお〜」
133
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:14:47 ID:QqQaeR920
痛感した。どうやら僕は知らないことだらけであるらしい。
何よりバスケがわからなかった。試合開始前の雑談タイムに色々聞こうと思っていたのだが、高岡家の話をしていてその時間は潰れてしまっていたのだ。
ξ゚⊿゚)ξ「さてと、そろそろ始まるわよ」
試合に出場する選手たち全員の紹介が済み、ティップオフの儀式が行われるまでに僕が得られたバスケの知識は、バスケでは試合を行うフィールドのことをコートと呼ぶことくらいのものだった。
つまり、ほとんどゼロだ。
ティップオフで試合が開始する。会場中に歓声が響く。深緑を基調とした相手の選手に弟者が競り勝ち、こぼれたボールをジョルジュが拾って歩き出す。
9月生まれの僕からしたら半年以上年下の男は、堂々とした態度でバスケットボールをコートに弾ませていた。
134
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:16:55 ID:QqQaeR920
矢のようなパスだった。
('A`)(この間みたいに、遠くからいきなり打つのかな?)
そんなことを考えていたら、ジョルジュはドリブルの中でボールを左手に受け渡し、それを自然な動きから投射していたのだった。
('A`)「うおッ」
驚きに小さく声が出る。大きく振りかぶったわけでもないのに、ジョルジュから放たれた茶色のボールは、定規で引いた直線のようにまっすぐ飛んでいく。
速い。ハンドボールのシュートのような弾道だ。こんなの誰が捕るんだよ、と思っていると、その行き先にはさっきまでコートの中央でボールを競い合っていた弟者が走り込んでいた。
(´<_` )「・・オラァ!」
いつの間に。そう思う間もなく弟者はボールを掴んでジャンプした。ビッグマンと呼ばれる体躯が宙に浮く。
そして弟者は、十分に飛び上がった空中で、リングにボールを直接叩きつけるようにして入れたのだった。
135
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:18:06 ID:QqQaeR920
('A`)「うおおすっげェ!」
( ^ω^)「スラムダンクってやつかお!?」
僕らは声を上げて興奮する。会場中が沸いていた。
高岡さんも手を叩いている。そして彼女は右手の指で輪を作り、それを口にくわえて指笛を鳴らした。
从 ゚∀从「ヒュー! かっけぇぜ!」
ξ゚⊿゚)ξ「まずはかましてやったわね。この次の守備が大事よ」
そうツンに言われたからというわけではないだろうが、相手の攻撃を迎えるジョルジュ達には闘志が漲っているように僕には見えた。
腰を落として両手を広げ気味に、ジョルジュは相手のボール保持者を睨みつけているようだ。絶対にこの先には行かせない、といった雰囲気である。
練習と本番は違うということなのだろうか。この前ツンと観戦した練習試合では見られない圧力を相手に与えているように僕には見える。
136
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:19:08 ID:QqQaeR920
結局相手はジョルジュを抜くことは考えず、少し離れて隣にいる味方の選手にパスをした。僕はその選手の守備につく男を知っている。
('A`)「お、兄者だ。控えなんじゃなかったっけ?」
ξ゚⊿゚)ξ「今日はスタメンみたいね。まあ実力は十分あるし、2年生だし、作戦によってはありじゃない?」
( ^ω^)「ジョルジュは右利きじゃあなかったかお?」
ξ゚⊿゚)ξ「利き手? そうね、ジョルジュは右利きよ」
( ^ω^)「おっおっ、右利きなのに、左手であんな正確で強いパスを出せるなんて、ジョルジュは凄いお〜」
('A`)「確かに。練習してもできる気がしないな」
ξ゚⊿゚)ξ「ボーラーは皆そうだけど、特にポイントガードは両手を自在に使えないとね」
( ^ω^)「皆できるのかお? 凄いお〜」
ξ゚⊿゚)ξ「もちろんできない人も中にはいるでしょうけどね。でも、ジョルジュはできるわ」
ふふん、とツンは出来の良い息子を自慢する母親のように得意げな顔をした。
137
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:20:24 ID:QqQaeR920
やはりジョルジュについての話をするツンの口ぶりからは特別な関係性がひしひしと感じられる。何も知らないのだろう、観戦しながら色々とツンに質問をするブーンにツンは楽しそうに語って返す。
隣で繰り広げられるそんな話をどんな顔で高岡さんが聞いているのか、彼女と一番離れた席についている僕にはまったくわからないのだった。
積極的に会話に加わってくることはないが、高岡さんは高岡さんなりに声を上げたり膝を叩いたり、派手なプレイには指笛を吹いたりしている。おそらく楽しめてはいるのだろう。本心はどうであれ。
('A`)(ま、高岡さんの本心なんて僕の知ったことじゃあない。揉めそうにないなら何でもいいさ)
もっとも、揉めたところで僕にできる介入はひどく限られているのだが。
コート上では兄者がボールを持っていた。ダムダムと床にボールを弾ませながら、何やらチームメイトたちに身振りを交えて指示を出している。その指示に従って白いユニフォームの選手たちが立ち位置を変え、それに伴い緑色のユニフォームの選手たちが立ち位置を変える。
その配置の何が良いのかサッパリ僕にはわからないのだが、とにかく兄者は満足した様子でドリブル突破を仕掛けていった。その先には兄者とよく似た見てくれで、体格だけが明らかに勝った弟者が気をつけのような姿勢で立っている。
('A`)「似た顔同士でパス交換して混乱させようとでもしてるのか?」
そんな僕の頭に浮かんだ素朴な疑問はただちに否定されることとなる。
138
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:21:31 ID:QqQaeR920
ξ゚⊿゚)ξ「違うわよ、あれはスクリーンプレイ」
('A`)「すくりーんぷれい」
僕の持つ『スラムダンク』由来の辞書には載っていない単語だ。まったく意味がわからない。
しかし結果から過程の狙いを逆算的に考えることは僕にもできた。弟者は兄者の担当ディフェンスの邪魔をしようとしたのだろう。兄者よりも大きな体を利用して、ただ立っているだけで邪魔をする。兄者は弟者の脇をかすめるようにしてドリブルをつく。
('A`)「こんな妨害、反則じゃないの?」
僕は素直にそう思ってしまうのだった。
しかし僕がどのように思ったところで審判の笛は吹かれない。兄者はゴールに向かってぐんぐんと進む。このまま進んだら簡単なレイアップシュート、通称庶民シュートが打ててしまうことだろう。
相手チームはそれを阻止するべく、こぞってゴール下へとディフェンスが集まる。それをかいくぐるようにしてシュートを打つのか? 打たなかった。兄者は向かってくるディフェンダーのすぐ隣を通り抜けるような軌道で、地面にワンバンするパスを出した。
そしてその先にはジョルジュがいたのだ。
139
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:24:03 ID:QqQaeR920
ジョルジュがボールを受けたのはスリーポイントラインの外だった。当然シュートを打つだろう。
ξ゚⊿゚)ξ「スリー!」
ジョルジュを応援する金髪の少女から声援が飛ぶ。僕は食い入るようにジョルジュを見つめる。
美しい動きだ。
茶色のボールを両手に持ったジョルジュは一瞬沈むような動きを見せ、そこから縮められたバネが解放されるように、まっすぐ真上に飛び上がった。滑らかな動作でボールが宙へと運ばれていく。そのシュートの邪魔ができるものはどこにもいない。筈だった。
僕はそう思っていたのだが、爆発的な速さでジョルジュに向かっている緑色のユニフォームがいた。
すさまじい勢いだ。
一歩一歩のシューズと床との摩擦がここまで伝わってくるようだった。
冗談のような動きで空中のジョルジュへ飛びかかったその男が指の一本一本を広げて右腕を伸ばしてくる。重力加速度に従い空中で動きが止まったジョルジュの元へと伸びていく。
('A`)「ぅお届くのか!?」
僕は反射的に背筋を伸ばした。
140
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:25:25 ID:QqQaeR920
審判の笛が鳴っていた。
ファウルだ。どうやら彼のシュートに対する妨害は、ボールではなくジョルジュの右手に当たってしまっていたらしい。
('A`)「あ〜あ・・しかし、あんなとこから届くのか!?」
僕にはそのこと自体が驚愕だった。
ξ゚⊿゚)ξ「今のはジョルジュが悪い。フリーだと思ってシュートに時間をかけすぎたわね。慎重に狙おうと思ってのことなんだろうけど」
( ^ω^)「僕にはとても滑らかで自然な、良いフォームに見えたお?」
ξ゚⊿゚)ξ「時間があればそれでいいんだけどね、あいつはもっとクイックに打てるシュートも持ってるのよ。相手にクックルがいるのにそれは駄目」
('A`)「クックルって、今のブロックした選手?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうよ。留学生で、身体能力がケタ違いなの。クックルでもなければあれでよかったんだろうけど」
('A`)「まぁ確かに、陸上選手みたいな速さだったもんな」
从 ゚∀从「まあまあ、でもファウルだろ。3本フリースローならいいじゃんか」
141
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:26:26 ID:QqQaeR920
ξ゚⊿゚)ξ「それはそうね。でも、ファウルじゃなくてもおかしくなかった。やっぱりクックルは恐ろしいプレイヤーだわ」
それまでほとんど会話に加わることのなかった高岡さんの発言にも、ツンは特別な反応をしなかった。ブーンもそうだ。
彼らに不協和音はないのだろうか? 僕ひとりがソワソワしているようである。ツンは何の引っかかりも感じさせない口調で言葉を続ける。
ξ゚⊿゚)ξ「それにね」
僕らの視線の先ではジョルジュがフリースローを打つためのラインの上に立っている。スローラインだ、と僕はそこからダーツを連想する。
フリースローを打とうとするジョルジュの構えは少しだけ左足を後ろに引いたほとんど正面を向いた形で、ダーツフォームのセオリーからは外れているな、と僕は思う。ダーツだったらもっと半身に近い方が良いことだろう。
('A`)「・・あ」
ガシャンとボールがゴールリングに当たる音。金属製の輪っかに弾かれたボールはネットをくぐることなく床に弾んだ。
スローフォームに僕が心の中で難癖をつけたことが原因では決してないだろう。しかし、それでも僕は何となく気まずい気持ちになるのだった。
142
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:27:11 ID:QqQaeR920
ツンが大きくひとつ息を吐く。そして呟くようにして言った。
ξ゚⊿゚)ξ「それにね、ジョルジュはフリースローがへたくそなのよ」
('A`)「へたくそ」
( ^ω^)「へたくそ」
从 ゚∀从「・・へたくそ」
ξ゚⊿゚)ξ「そう、へたくそ。ひどい日は半分くらいしか入らなかったり、下手したら半分以上外したりするからね」
( ^ω^)「・・それって、練習で何とかならないのかお?」
ξ゚⊿゚)ξ「どうにかなるならとっくにどうにかしてるわよ。こればっかりは無理なんじゃないかしら、才能のせいにするのはあまり好きじゃあないんだけど、恵まれなかったとしか言いようがないわ」
熱心に応援してくれる女の子がボロカスに評したからか、ジョルジュは続く2投目のフリースローも見事に外した。
('A`)(フリースロー・・下手なのか)
僕は心の中で呟いた。
143
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:28:10 ID:QqQaeR920
3本目のフリースローは何とか成功した。
本当に“何とか”成功したという感じだった。やはりリングに当たったボールは上に弾かれ、その後2度ほどリングの上を成功と失敗の狭間で飛び跳ね、ようやく気が済んだといった調子でゴールしたのだ。
フリースローの成功を褒めるというよりは安堵したような声援が飛ぶ。
从 ゚∀从「普通の上手いやつらはフリースローってどのくらい入れんの?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうねぇ、やっぱり人によってまちまちだけど・・それこそ、上手な人は9割がた成功させたりするわね。ほぼ完ぺき」
从 ゚∀从「9割! サッカーのPKより全然決まるんだな」
ξ゚⊿゚)ξ「あっちはキーパーがいるじゃない。フリースローは純粋に自分との勝負だから、極端なことを言ったら決まらない方がおかしいのよ」
( ^ω^)「それはまた極端な意見だお〜」
ξ゚⊿゚)ξ「もちろん100パーはありえないんだけどさ、でも、だってそうじゃない?」
('A`)「まあ、十分練習した上で、同じ動作で同じように投げれば、同じように成功する筈なわけだからね。理論上は」
ξ゚⊿゚)ξ「そうそう。リロンジョウはそうじゃない?」
144
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:29:27 ID:QqQaeR920
ダーツプレイヤーである僕にはツンの言っている理論上の話がよくわかった。しかし同時に、それがたいへん難しいことも同時に実感できる。
('A`)(ダーツとフリースローは似てると貞子さんが言ってたな・・)
それではジョルジュはダーツもへたくそなのだろうか?
容姿に恵まれたバスケ部のエースで可愛い彼女を持っている上、また別の種類の美しさをした浮気相手にも事欠かないのであろう、完璧超人のような同級生の数少ない短所を知った僕はなんだか楽しいような気分になった。実に愉快なことである。
しかしフリースロー以外のプレイではジョルジュはきわめて優れているようだった。
県選抜チーム同士を戦わせる全国規模の試合だというのに、ジョルジュのプレイは明らかに目立っているのだ。
コート上を支配しているようである。ジョルジュがボールを持つと、次はどのようなドリブルを見せ、どのようにパスを出すのかと楽しみになってしまう。そしてそのように思っていたら、不意にシュートを自分で放って決めるのだ。
今度もまたそうだった。
僕には反則にしか見えないスクリーンによる妨害だ。それでマークを剥がしたジョルジュは、クックルが到底追いつくことができない位置から長いスリーポイントシュートを成功させたのだ。
145
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:31:01 ID:QqQaeR920
単純に考えて、相手がいる状態で動きながら放つロングシュートより、自分ひとりの時間を与えられて近い距離から放つ方がどうやったって簡単だろう。しかしジョルジュにとってはそうでないらしい。
とても不思議なことだが、事実そうなのだから仕方がない。ツンが言う通り、ジョルジュはフリースローが下手だった。
本格的にそれが相手にバレてからは、ジョルジュがシュートをしそうになると、ファウル前提の激しい当たりに晒されることになった。ドリブルもそうだ。決定的な突破ができそうになると、半ば強引に止められる。
パスはできるが、パスしかできない状況でのパスに意外性は生まれないことだろう。明確な欠点があるというのは大変なことだな、と僕は思った。
笛が鳴って試合が中断された。ジョルジュはベンチに深々と腰掛ける。
ξ゚⊿゚)ξ「ジョルジュ、交代かもね」
肩をすくめたツンがそう言った。
( ^ω^)「う〜ん、残念だお」
ξ゚⊿゚)ξ「いつもはもうちょっとマシなんだけどね、流石に今日のフリースローはひどすぎる」
146
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:31:50 ID:QqQaeR920
はたしてジョルジュは交代となり、コートには帰ってこなかった。
もっとも興味を引かれる選手がいなくなったのだ。観戦への熱も自ずと冷める。僕は素朴な疑問を口にした。
('A`)「なんでスリーポイントシュートは入るのにフリースローが下手なんだろうね?」
ξ゚⊿゚)ξ「さぁねえ。昔はそんなことなかったんだけどね」
从 ゚∀从「むかし?」
ξ゚⊿゚)ξ「特にミニバスの頃なんかはね。あいつ、早生まれじゃん? 子どもの頃の半年や1年ってほんとに大きな差だから、フィジカル的に相当苦労してて、邪魔せず打てるフリースローが一番の得点源だったのよ」
从 ゚∀从「へぇ〜。今ではでかい方だけどな。180いってるのか?」
ξ゚⊿゚)ξ「180はないんじゃないかな。177とかだったと思う。ポイントガードとしては十分ね、ただ」
从 ゚∀从「ただ?」
ξ゚⊿゚)ξ「NBAプレイヤーになるなら183センチは欲しい」
147
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:33:13 ID:QqQaeR920
その単語を聞いた瞬間、僕は軽く吹き出してしまった。
('A`)「NBA!? って、あのアメリカの?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうよ、あのNBA。ナショナル・バスケットボール・アソシエーション」
( ^ω^)「そんな正式名称だったのかお」
('A`)「NBAプレイヤー・・そんなの、なれるのか?」
ξ゚ー゚)ξ「さあね。そんなの知らないわ」
从 ゚∀从「いや言い出したのお前だろ」
ξ゚⊿゚)ξ「だってそんなのわからないもの。ただ、ジョルジュには一番上を目指して欲しいなって思ってるだけよ」
('A`)「ふえぇ〜凄い話だな」
( ^ω^)「歴史上で何人かしか日本人NBAプレイヤーはいないお? たとえば総理大臣になる! って方が確率的には現実味がある筈で、う〜ん、同級生がそんなことになってるなんて、なんだか不思議な感じだお」
从 ゚∀从「・・可能性は、ゼロじゃあないのか?」
148
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:34:38 ID:QqQaeR920
そんなの知らないと言われた僕の質問と同じような内容だったが、高岡さんの質問に対してはツンはきちんと答えようとしているようだった。少し唸るようにして考え込み、カールがかった金髪を指先でいじる。
ξ゚⊿゚)ξ「ゼロでは、ないと思う。思いたいってのもあるけどね」
从 ゚∀从「ほ〜う。その場合、いったん日本のプロチームに入るのか?」
ξ゚⊿゚)ξ「いいえ。もっとも理想的かつ現実的なのは、大学からアメリカのところに行って、そこで結果を残してドラフトされるパターンなんじゃあないかなと思う。Bリーグがだめってわけではないけどね」
そしてツンはアメリカにおけるバスケットボール文化の背景や、大学から留学するメリットについて説明してくれた。残念なことに、僕にはよくわからない部分が多かったのだが。
そもそもバスケにそれほど興味がなかったのだからしょうがない。かつて『スラムダンク』を読んだ時分に心を熱くしたのは事実だが、『ヒカルの碁』に感動した読者の内、いったい何人が碁を打てるようになったというのだろう?
そんな僕でもNBAプレイヤーが凄いというのはわかる。総理大臣になるというのとどちらの方が将来の夢としてぶっ飛んでいるのかは判断ができないが、どちらも同様に僕には一生考えもしないことだろう。
149
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:36:11 ID:QqQaeR920
そんなことをぼんやりと考えながら試合を眺める。どうやらジョルジュがいなくなった後のVIP選抜チームの中心は流石兄弟であるようで、先日何の気なしに観戦した彼らとジョルジュの練習試合は、実は県内屈指の好カードだったのかもしれない。
('A`)(もっとバスケに詳しくなってから見てればよかったのかな、もったいなかったことだなあ)
それまでジョルジュと兄者が分担してタクトを振っていた白いユニフォームの攻撃はほとんど兄者が起点となっているようだった。そこに主に弟者が絡み、コンビネーションを使ってできるだけフリーでシュートを打っていくようなイメージだ。
流石は県選抜チームということだろう、ジョルジュがいなくなってもそれほど機能性が失われているようには見えなかった。ツンが言うところによると、そもそも県選抜チームはチーム練習をろくに積むことができないので、基本的に同じ高校出身選手のコンビネーションや純粋な個人技に頼ることになるのだそうだ。
ξ゚⊿゚)ξ「もちろん簡単な約束事や、ボーラーなら常識だろって連携はできるんだけどね。代表チームって性格上、どうしてもそうなってしまうよね。だから機能性が損なわれないというよりも、そもそも損なわれるような上等な機能性はないと言った方が正しいのかも」
サッカーの代表チームに関する話題を頭に浮かべる。バスケと比べてよっぽど接する機会があるからだ。
僕はサッカーについてもズブの素人だが、クラブチームに比べて代表チームの方が連携面や戦術の習熟度で拙い傾向にあり、そのせいもあってチームでは圧倒的な存在感の選手が代表では意外と活躍しない、といった現象が起こりうることくらいは知っている。
150
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:37:18 ID:QqQaeR920
ジョルジュはVIP選抜チーム唯一のシタガク出身の選手である。それが全体の攻撃を司るような働きをしていたというのは――
('A`)(ひょっとしたら、ジョルジュはバスケを知らない僕が今思っているよりずっと、凄いことをしているのかもしれない)
試合を眺めながらそんなことを頭に浮かべていると、再び笛が鳴って試合が中断された。作戦タイムか? 違った。選手交代だ。
コートの脇にジョルジュが立って待っている。
( ^ω^)「お? ジョルジュ入るのかお?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうみたいね。知ってると思うけど、バスケは出入り何回でもできるから」
( ^ω^)「おっおっ、またフリースロー地獄にならないといいお」
从 ゚∀从「あれって何か対策あるのか?」
ξ゚⊿゚)ξ「フリースローをちゃんと入れる」
从;゚∀从「いやそれは」
ξ゚⊿゚)ξ「でもそれしかないもん。フリースローは本来もっとも得点効率の高い、相手に対するペナルティ的なものだからね、フリースローが入らないって、ぶっちぇけふざけんなって感じだと思う」
151
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:39:19 ID:QqQaeR920
(; ^ω^)「こりゃまた辛辣な意見だお」
ξ゚⊿゚)ξ「それにファウルする回数にも限度があるからね。試合も終盤になってきたし、とはいえファウルゲームをするような状況でもないから、相手がどうするか見ものね」
('A`)「――今のジョルジュが取るべき対策は?」
ξ゚⊿゚)ξ「やっぱり何が何でもフリースローをきっちり決める。特に最初。最初で印象が決まるでしょ。あとは」
('A`)「あとは?」
ξ゚⊿゚)ξ「ボールハンドラーは兄者に譲る」
実際にジョルジュはそのようにした。
バスケにおける司令塔のポジションはポイントガードだ。とはいえこの呼称は僕らが勝手にそう呼んでいるだけで、たとえば野球のようにピッチャーだからマウンドに上がっているというわけではないし、サッカーのようにキーパーだからグローブをはめているというわけではない。ポイントガードの性質をもった選手が何人コートの上にいてもいいのだ。
しかしボールは1個なので、それを持って攻撃をコントロールする選手が、その攻撃ではポイントガードの役割をするということになる。先ほどジョルジュと兄者はそれを分担して行っていた。それをジョルジュはしなくなったわけである。
152
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:40:53 ID:QqQaeR920
ではジョルジュは何をするのかというと、動き回ってフリーの状態を作り出し、出されたパスをもらってシュートを打ったり、ドリブル突破を試みたりするようになったのだった。
('A`)(でもそれってやっぱりファウルで止められるんじゃないの?)
そう思った僕の疑問は見事に却下された。
( ^ω^)「なるほど、ボールを持っていない動きの中でマークされる選手を入れ替えさせて、簡単にファウルをできない相手を標的にするのかお」
ξ゚⊿゚)ξ「ご名答。それが上手くいった時だけジョルジュで攻める。これならシュートの妨害は試みるけどなるべくファウルは犯せない、“普通”のディフェンスを相手にすることになる」
言われるまでまったく気づかなかったが、確かに白いユニフォームの選手たちはそれを目的として動き回っているようだった。
時にはその狙いを逆手にとって、できたフリーの選手がシュートを放つ。ゴールへ突進した選手へパスを通そうと試みる。しかし、基本的には、ジョルジュの担当ディフェンダーが特定の選手になるよう働きかける。
簡単にファウルをできない選手。それは替えの利かない選手、多くの場合はエースと呼ばれる存在だろう。
つまりそれは異常な身体能力を持つ留学生、クックルだったわけである。
153
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:43:28 ID:QqQaeR920
○○○
川д川「留学生との1on1祭りか〜 熱いね! 私も見たかった!」
ダーツ練習がひと段落つき、だらりと行う雑談の中で提供した国体バスケ見学の話は貞子さんに食いつかれていた。
('A`)「ほとんど知識がない僕でも面白かったですよ。貞子さんならなおさらだったでしょうね」
川д川「やっぱり行けばよかったな。クーがやっぱやめとこうって言うから〜」
川 ゚ -゚)「だってこいつマジで怒りそうなんだもん。思春期かよ」
('A`)「こちとら高2の思春期じゃい」
川д川「まあでも確かに、ヘソ曲げられてもうご飯作ってくれないとか言い出したら困るからねぇ」
川 ゚ -゚)「思春期の少年が友人の前でかかされる恥の恨みは深いからな。君子は危うきに近寄らないのだよ貞子くん」
川д川「勉強になります。でも行きたかったな」
楽しかったですよ 、と僕は言った。
154
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:45:01 ID:QqQaeR920
川д川「まあいいや。それで、その1on1祭りはどうだったの?」
('A`)「おっしゃる通り、熱かったですよ」
実際あれは熱かった。
緑色のチームはこちらの狙いを察すると、やがてクックルを直接ジョルジュのマークにつけるようにしてきたのだった。それを見たこちらはジョルジュにボールを持たせるようになる。そうして祭りは始まった。
クックルを攻めるというのなら、受けて立とうというのだろう。
クックルになら攻めさせてやるというのなら、攻めてやろうというのだろう。
お互いの一番の長所のどちらが長いのかを比べ合うような争いだった。
とても効率の良い攻撃だったようには見えなかった。しかしジョルジュはそれを制した。
ξ゚⊿゚)ξ「クックルが一番怖いのは、ヘルプで飛んでくるディフェンスよ。最初から対峙するのは、もちろんとってもしんどいんだけど、見えないところから殴られるわけではないというところがキーポイントだったかしらね」
その争いをツンはそのように評していた。
155
:
名無しさん
:2020/10/04(日) 22:47:13 ID:QqQaeR920
とても効率が良いわけではなかったが、優位に立ったのはジョルジュだった。そしてその優位性は、そのまま相手のオフェンスにも影響してきたのだった。
リズムが狂ったというやつだろう。それまで決められていたシュートが決まらないようになり、加えてジョルジュはディフェンダーとしても優れているようだった。
相変わらずフリースローはよく外していたが、最初に交代させられた時のような壊滅的な状況では決してなかった。2本に1本は入るという印象だ。
どうやらバスケットボールの常識としては、シュートは半分入れば上出来らしいので、半分以上入るフリースローを闇雲に与えるのは得策ではないらしい。
('A`)(・・しかし、フリースローがへたくそなバスケ部のエースね)
彼はダーツも下手なのだろうか?
スローラインに立ってダーツ盤を睨み、僕はそのような疑問を持った。
つづく
156
:
名無しさん
:2020/10/05(月) 01:51:11 ID:2Qm8d9Eo0
otsu
157
:
名無しさん
:2020/10/05(月) 14:21:23 ID:qlWx/ZDU0
乙です!
158
:
名無しさん
:2020/10/09(金) 02:07:56 ID:.GGYo3hY0
乙です。
スラムダンクすら読んだことないけど、戦略というか心理的な攻防があるもんなんだな。
ドクオとジョルジュがダーツ勝負する日なんて来るのかな?
159
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 21:58:34 ID:qY12WmSQ0
1-6.ダーツとフリースロー
中間試験はいつもと同じ出来栄えだった。
以前ブーンにも言った通り、僕は試験前に気合を入れた対策勉強ということをまったくしない。単純に面倒臭いというのと、勉強自体が好きなわけではないからである。
ではどうやって成績を維持するかというと、試験勉強をしない分、日ごろの日常生活に勉強内容を組み込むように心がけている。具体的には、雑談の話題にお勉強のことを取り上げる。クーや貞子さんは薬学部に通う、どちらかというと高い受験偏差値を持つ大学生なので、僕が精一杯の知識で放り込んだ知識をいとも簡単に受け入れてくれるわけである。
僕自身の脳みそ的な素質はおそらく大したことがないのだろうが、トップクラスの成績を望むわけでもないので、今のところ何とかやっていけている。こうした僕の勉強法を知ってか知らずか、彼女たちもそうした会話を進んで交わしてくれるのだ。
今日もそうだった。僕らはそれぞれダーツ盤に向かってタングステン製の矢を投げていた。
('A`)「最近、カウントアップの平均得点がようやく完全に下がり止んだ気がする」
川 ゚ -゚)「ほう、おめでとう。・・どうして下がり止んだかわかるか?」
('A`)「僕が上達したからじゃあないの?」
川д川「そもそもどうしてダーツの腕が上達すると、一時的にせよ平均得点が下がるのか、ということをクーは訊いているんだと思うよ」
160
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:00:09 ID:qY12WmSQ0
('A`)「どうして?」
川 ゚ -゚)「ドクオがダーツを始めて少し経って、まあまあブルに入れられるようになったあたりでわたしたちは言ったよな、そろそろそういう時期がくるぞ、と」
('A`)「言ったね」
川 ゚ -゚)「それは何故だ?」
('A`)「世のしきたりだからじゃあなくて? ほら、2年目のジンクスみたいな」
川 ゚ -゚)「違うな、これには数学的な根拠がある。数学的と言ったら大げさに聞こえるかもしれないが」
('A`)「数学的? う〜ん、トリプルに入らなくなるからじゃあなくて?」
川 ゚ -゚)「それそれ、そうだよ。ダーツを始めると、上達して狙ったところに当てられるようになるに従って、当然得点は伸びていく。ただ、一定の上手さになると、偶然トリプルやダブルに入ることがなくなり、しかしブルにはそこまで入らないから、得点期待値は一時的に下がるんだ」
161
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:01:45 ID:qY12WmSQ0
('A`)「なんだ、そういうことか」
それなら僕にも実感があった。自信を持って頷ける。クーと目が合い、僕らは黙って頷き合った。
川 ゚ -゚)「それじゃあもう少し考えようか。トリプルライン以内には入るがブルを狙うことはできないドクオと、ブルを狙って投げられはするがトリプルラインまで外れることはないドクオ、いったいドクオは何パーセントの確率でブルに入れられるようになればカウントアップの平均得点が下がり止んでくれるのだろう?」
('A`)「う〜ん? 確率で計算できるのか?」
川д川「たぶんできるよ。確率というか、期待値あたりの範囲だね」
川 ゚ -゚)「仮に今ドクオが下がり止んだ瞬間だとするならば、自分が今どの程度の確率でブルを狙うことができる腕前になっているのか、数字として証明することができるんだ」
たまらないだろう? と言ってクーはニヤリと笑って見せた。
前言を撤回するべきかもしれない。おそらくこれは僕のお勉強のためというよりは、純粋に彼女の趣味として行っていることだろうからである。
162
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:03:58 ID:qY12WmSQ0
結局、僕はダーツの練習もそこそこに、確率と期待値の分野についての課題に取り組むことになったのだった。
拒否をすることもできるだろう。このような問題を解いたり、自分のダーツのブルヒットパーセンテージを算出したところでその数字が上がるわけでもないし、何か良いことがあるわけでもない。知るかそんなの、と突き放してしまえばそれで終わりだ。
しかし僕はそんな気にはならなかった。なんせ、僕のダーツ仲間はこのふたりだけであり、彼女たちは僕より明らかにダーツが上手く、自分のダーツの腕前とその根拠を数字の上でも証明することができるだろうからである。
頭の中に収めることができなくなった思考を紙と鉛筆で形に残し、僕は計算を進めていく。
川 ゚ -゚)「ああ、そこはその考え方では行き詰まるぞ」
川д川「まずは考えを整理して、場合分けや定義とその統合の流れをデザインした方がいいと思うよ」
('A`)「うるさいなぁ! アドバイスは乞われた時だけにしろよ!」
川 ゚ -゚)「ひゅー怖い」
川д川「キレる10代」
こうしてちくちくと横から邪魔をされたり助言を得られたりしながら、なんとか僕は自分のダーツレベルを数字で表すことに成功した。
163
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:06:41 ID:qY12WmSQ0
クーは塾講師を、貞子さんは家庭教師を、といった次第に彼女たちはアルバイトでそれぞれ日常的に人に勉強を教えているので、確かに教え方は上手かった。
ただし、彼女たちとの話の中で、当然知っているべきと思われた知識を僕が知らないことが発覚すると、僕はボロクソに貶される。それがクーだけならただ聞き流せば良いのだが、貞子さんにもその様が見聞きされるとあっては機会をなるべく少なくしたいので、必然的に僕にはなるべく色々なことを覚えたり考えておいたりするような習慣がついているというわけだ。
恐怖心と必要性。僕はお勉強をするにあたってもっとも必要な要素はこのふたつなのではないかな、と勝手に結論づけている。道具として利用することのない知識を記憶に定着させるのはどうやらとても難しい。
川д川「いやしかし、中間テストなんて響きがもう懐かしいわ。――と、そのように言いたい時期が私にもありました」
川 ゚ -゚)「本当に」
('A`)「? 大学生にも中間テストってあるの?」
164
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:08:32 ID:qY12WmSQ0
川 ゚ -゚)「ある〜。あるんだよこれが! しかもほとんど丸暗記なの。やってらんね〜」
川д川「私は薬学部がはたして理系の学部としてふさわしいのか、時々わからなくなるよ」
川 ゚ -゚)「植物の名前をひとつひとつ覚えるなんて種類の課題は小学校で卒業した筈なのに!」
川д川「ぐぐれ、画像検索しろ、と常々思うわ。花の顔見てピンとくるのは芥子の花だけで十分よ・・」
学校のカリキュラムを憎む大学生たちの姿を横目に見ながら、僕はフォームを作ってダーツを投げた。本当に嫌なのであれば学校など辞めてしまえばいいのに、といった類の意見をわざわざ口にする必要はないだろう。
計算で求めた数字とは関係なく、ダーツはその都度ブルに入ったり外れたり、入らなくなった筈のトリプルエリアに突き刺さったりと奔放に振る舞った。理論上の自分の実力を数字で表すことができたとしても、実際その通りの結果がいつも返ってくるとは限らないのだ。
僕の投げたダーツがひどい位置に刺さった瞬間、僕は姉から罵倒された。
165
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:09:30 ID:qY12WmSQ0
○○○
中間試験の結果がいつも通りだったのは僕だけに限ったことではなかったらしい。
ツンは相変わらずトップクラスの出来栄えで、今回は総合得点で学年2位になっていた。もちろん学年1位はブーンだ。依然変わりなく。
('A`)「いやぁお見事。今回もトップで安心か? それともやった〜! って感じなの?」
体操服で体育館の床に座り込み、僕はブーンにそう訊いた。純粋な好奇心からである。
ブーンは肩をすくめて見せた。
( ^ω^)「いやぁ、別に、どっちでもないお。1位だろうと違おうと、僕にとって何かが変わるわけではないお」
('A`)「ツンがトップクラスの成績を保つのは推薦のためだって言ってたな。ブーンはそういうのもないのか?」
( ^ω^)「ないお。別に大学行きたいわけでもないし」
166
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:10:26 ID:qY12WmSQ0
('A`)「え、ブーン、進学しないのか?」
驚いて僕はそう訊いた。したらば学園はそれなりの進学校だ。その学年トップが高卒で働くとなったら学校側が黙っていないことだろう。
即座に跡取りが必要となるほど『バーボンハウス』関連の事情が切羽詰まっているようにも思えない。じっと見つめる僕の視線が居心地悪いのか、ブーンは苦笑いに近い笑みを浮かべた。
( ^ω^)「いや、進学しないってわけじゃあないお。就職したいわけでもないし、たぶん普通に大学には行くお。ただ、推薦なんかで話す志望動機はどの学部にも何もないから、一般試験で行かせてもらうお」
('A`)「なるほどね。ま、学年トップなんだもんな、推薦なくてもどうとでもなるか」
( ^ω^)「おっおっ、純粋にチャンスが1回増えるわけだから、ツンみたいに行きたい分野が決まってるなら良い制度だとは思うお」
話題の女の子は僕らの視線の先で茶色いボールを床に弾ませ、体育の授業に取り組んでいた。
167
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:11:29 ID:qY12WmSQ0
バスケットボールだった。
ツンがドリブルをついている。授業中のことなので、ノースリーブのユニフォームではなく体操服に短パンで、足元は体育館シューズだった。背筋がすらりと伸びていて、決して高い方ではないツンの背丈が大きく見える。
なんというか、新鮮な光景だ。
('A`)「・・あれだけバスケ好きなんだから、そりゃ自分でもプレイするか。うち、女子バスケ部ってないんだっけ?」
( ^ω^)「もちろんあるお。でも、ツンは部活には入ってない筈だお」
('A`)「ふぅん、なんでだろうね?」
お勉強時間を確保するためだろうか?
学年トップクラスの成績を維持する少女の動きを僕は目で追う。鋭いドリブル突破から、ツンはレイアップシュートを決めた。
('A`)「おお、鮮やか」
168
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:12:37 ID:qY12WmSQ0
ツンの動きは明らかに一般的な女子高生とは一線を画していた。熟達した経験者の雰囲気を僕は感じる。スローラインに立つ貞子さんのようだなと僕は思った。
そういえば貞子さんもバスケ経験者と言っていた。
スローラインに立ってダーツを構えるツンを僕は頭に思い浮かべる。やはり貞子さんのようにひと目でわかるバランスの良さをしているのだろうか?
('A`)(ダーツに関しては素人だろうから、それはないか・・)
そんなことを考えるのは、今まさにツンがフリースローを打とうとしているからだった。どうやら相手チームに現役バスケ部員がいるらしく、ツンと彼女の白熱した攻防の末にファウルを受けたものらしい。
フリースローライン上でツンがボールを扱っている。自分ひとりの時間で行う儀式めいたルーティンだろう。僕はダーツとフリースローが似ていることを知っている。
('A`)(なるほどな――)
見ているだけでも同じような性質をもっていることが僕にはわかった。誰にも邪魔されることなく、自分のペースで行うスローだ。その分正確さを要求される。基本的に、同じフォームで同じように行動し、同じような結果を作り上げなければならない。
ツンの放ったフリースローはゴールリングをくぐり、ざっくりとネットに包まれた。
169
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:13:45 ID:qY12WmSQ0
貞子さんはフリースローのみならず、シュート自体にもダーツとの類似性がみられると言っていた。
経験日数はそこまで長くないけれど、僕はそれなりにダーツができる。おそらくこのクラスの中では少なくともトップクラスの腕前だろう。あるいは学年トップであるかもしれない。
だから授業で定められたチーム分けに従ってバスケのミニゲームに参加した僕は、ひょっとしたら上手にシュートができるのではないかと思い、思い切って遠目からボールをゴールへ放ってみることにしたのだった。僕にしてはとても珍しい積極的な参加の態度だ。
それはパスが通されてきたからだった。茶色のボールを受け取った僕は落ち着いて構え、ゴールを見据え、シュートを放つ。すると貞子さんが嘘をついていたことがわかった。まったくダーツとは似ていない。
僕が放とうとしたシュートは、放物線を描く前にディフェンダーによって叩き落されていたのだった。これはダーツではありえない出来事だ。
ブロックというやつだ。そんなことなど想定していなかった僕の初動は遅れる。失敗した僕のシュートもどきが相手の速攻に利用される。追うこともできずに振り向いて眺めると、視線の先では、クラスの陽キャのひとりが簡単なレイアップシュートで得点を重ねていた。
170
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:14:46 ID:qY12WmSQ0
(;'A`)(うひゃ〜 慣れないことなんてやるもんじゃあないな)
僕は大いに恥じ入った。
少なくともシュートを試みる必要はなかった。変な汗が全身から噴き出している。耳が熱く、おそらく真っ赤になっていることだろう。人体の構造上、赤くなった耳が自分の視界に入らないことを僕は神に感謝した。
もう慣れないシューティングはコリゴリだ。
とはいえミニゲーム中に運動量がいきなり衰えるというのもなんだか悪目立ちしそうなので、僕は試合の流れに沿ってコート上を走り回った。攻撃になったら味方のゴールに向かって走り、パスが回ってきたらドリブルはせずに他へと回し、守備になったら適当なところへマークに向かう。
僕のマークを受け、肩をねじこむようにしてドリブル突破を図ってきた陽キャの人を簡単に通してしまうのは、そこまで大きな罪とは言われないことだろう。
大きくひとつ息を吐く。だいぶ平常心を取り戻してきた。
('A`)(ふい〜。このまま何事もなくミニゲームが終わればいいな)
そんなことを考えながら守備につく。そして相手のパスミスを見て取った僕が何の気なしに走り出すと、何故だか僕の視界の中にはどこにも敵の姿がいないのだった。
171
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:17:07 ID:qY12WmSQ0
('A`)「あれ? 誰もいないな」
不思議に思いながらも立ち止まる理由はないため、僕は前へと足を進める。手を振り足を出す。ランニングのサイクルをとりあえず続ける。
ソッコー! と、誰かが上げた声が耳に届いた。
('A`)「そっこー? 速攻か? え、僕が?」
後方からボールが投げ入れられたのが空気でわかる。はたして、僕の視界には速攻を防ぐディフェンダーの手ではなく、床に弾む茶色いバスケットボールが入り込んできたのだった。後方から投げ入れられたというわけだろう。
ボールが跳ねる。目標を見定めた僕の体が、全力で足を踏み込み、加速を始める。それまでのアリバイ的な走り込みから全力疾走に切り替えたのは、僕がこのボールに追いつくことができず攻撃失敗となるのはご勘弁願いたかったからである。
そんな打算的な速攻の動きが奏功するとは思えなかった。僕は決して体力があるわけでもないし、足が速いわけでもない。しかし、どういうわけだか、僕はディフェンスに妨害されることなくボールに何とか追いつけていた。
172
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:18:49 ID:qY12WmSQ0
ボールを掴む。バスケットボール特有の質感が手の平に伝わる。しかし、そんなものを感じ取っている余裕などはなく、僕は次のアクションを決断する必要があった。すなわち、ドリブルだ。
この全力疾走の動きからの、ドリブルをついてレイアップ。シュートのイメージはできた。バスケットボール経験者ならば難なくこなせる動作だろう。
ただし、ずぶずぶの素人である僕にそれが実行できるかどうかは、まったく別の話である。
(;'A`)(できるわけねぇ〜!)
僕はゼロ秒でそう判断した。上手にドリブルをつける自信も、床から跳ね返ってきたボールをキャッチする自信も、スムースにレイアップシュートに持っていく自信も僕にはなかった。
シュートだ。誰にも妨害されないシュートであれば、僕にもそれなりのことができるかもしれない。
はたしてこの一瞬の間に本当にそんなことを考えたのかは定かでないが、とにかく僕はその場に留まり垂直に飛び上がるべく、全身全霊でストップをした。床と体育館シューズが最大限の摩擦を強いられ悲鳴を上げる。なんとか止まった。
173
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:20:33 ID:qY12WmSQ0
両手で保持したボールを体ごと一瞬沈めるようにしてシュート動作に入っていく。
('A`)「!」
このタイミングで僕が急ブレーキをかけるなど思ってもみなかったのだろう、おそらく慌てて僕を追いかけていた相手チームの陽キャが止まりきれずに僕の視界を横切っていった。無理やりその位置その体勢から反転して向かってきたところで絶対に間に合わないことだろう。
それがわかった僕は、彼の姿を見たことで、かえって落ち着いてボールを扱うことができたような気がする。体全体とボールをひとつの動作の中に置き、その場に飛ぶイメージのままに右手から放つ。
会心のダーツスローをした時と同じような感触が指に伝わる。何とも言えない手ごたえだ。
まるで自分の体の一部を伸ばして宙を進んでいくような感覚。ボールの回転する様を僕は感じる。そして、その手を伸ばしてリングを通過させるようにして、僕のシュートはゴールした。
前言撤回、貞子さんは嘘をついていなかった。
その感覚は、思い通りのスローでダーツをブルに突き刺した快感に酷似していたわけである。
174
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:21:31 ID:qY12WmSQ0
○○○
ミニゲームを終えた僕はブーンにシュートを褒められた。
( ^ω^)「ナイスシュートだったお! 見事だお〜」
(*'A`)「いやぁ、えへへ。入っちゃた」
( ^ω^)「嬉しがり方きめぇお。でも本当に良いプレイだったお」
(*'A`)「そうかな。えへへ」
( ^ω^)「たぶん安易にレイアップに行ってたらディフェンスに追いつかれてたお。それを止まってシュートの判断力、僕も負けてられないお!」
(;'A`)「お、おぅ・・!」
むしろ自分の実力と相談した結果の安易な判断でのシュートを褒められ、僕は平常心を取り戻す。ブーンは鼻息荒く自分に気合を入れていた。
('A`)「ええと、ブーンは次の試合?」
( ^ω^)「そうだお。打倒ジョルジュだお!」
('A`)「おお、それはなんとも高い目標。頑張ってくれ」
( ^ω^)「頑張るお!」
175
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:23:12 ID:qY12WmSQ0
実際ブーンは頑張っていた。
表情が柔和で、それに負けず劣らず顔立ち自体が丸く柔らかいので雰囲気的に小太りなように感じられるが、ブーンは実際のところ引き締まった体をしている。肉体労働の色合いが濃い飲食業の下働きで鍛えられているのかもしれない。
体育の授業中の動きも俊敏だ。それほど積極的に目立とうとするわけではないけれど、成績面で学年トップということもあってか、ジョルジュとはまた違った感じで一目置かれているという印象である。
そのジョルジュは言わずもがなのエリート・アスリートだ。特にバスケは専門分野、おそらくこのクラスの誰を相手取っても好きなように振る舞えることだろう。
今回ジョルジュが選択した役割は“大人のバスケットボールプレイヤー”だったのかもしれない。
オラオラじみた振る舞いはせず、ボールをパスで皆に回し、素人の犯したミスの尻拭いをするような仕事に終始していた。
('A`)(確かにあれだけ卓越した実力があるなら、単純に無双するより、完全にゲームをコントロールする方が楽しいのかもしれないな)
僕はそのような感想をもった。
176
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:24:02 ID:qY12WmSQ0
神になったような気持ちになるのかもしれない。完全に自分の手の平の上で両チームを競い合わせ、接戦を作り出し、どちらに転ぶかわからないという白熱の中で、最終的には自分のチームをギリギリ勝たせる。
(;^ω^)「ぶは〜、まったく歯が立たなかったお!」
そう感じたのは僕だけではなかったらしく、たったの2点差で敗れた筈のチームの選手は両手を挙げた降参のポーズでそう言った。
( ^ω^)「やっぱりジョルジュは流石だお。完全にやらされただけって感じだったお」
('A`)「お疲れ。頑張りは伝わったよ」
(*^ω^)「そう、僕は頑張ったお!」
('A`)「よしよし」
頑張りを認められたブーンは一定の満足を得られたようで、胸を張って大きく頷いて見せたのだった。可愛らしいやつである。
そしてミニゲームの時間は終わり、授業最後の10分間程度は各々自由に過ごして良いような状態になった。僕はブーンを誘ってシューティング練習を試みた。
177
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:25:06 ID:qY12WmSQ0
('A`)「ちょっとあのシュートが気持ちよかったから付き合ってくれない? もうちょっと打ってみたい」
( ^ω^)「なんというストレートな欲求、断る理由はどこにもないお」
('A`)「悪いね」
僕とブーンはシュートを打つ役とボール拾いをする役を代わりばんこに務め合い、しばらくシューティングの時間を過ごした。
集計を取ったわけではないけれど、おそらく僕の方が成功率が高かった。それほどの情熱を持てないのか、途中からブーンはシュートを打つのをやめてゴール下に陣取り、シューティングをする僕のための球拾いの役割を買って出てくれるようになった。
( ^ω^)「おっおっ、マジでドクオは結構シュートが上手いお。何かコツがあるのかお?」
('A`)「コツ? やっぱり正しい打ち方ってあるんだろうから、ゴールする打ち方を見つけたら、毎回その通りに体を動かすことなんじゃあないの?」
( ^ω^)「なんか凄い真理みたいなことを言ってるけど、そんなのいきなりできる筈ないお」
('A`)「う〜ん、そうかな、そうかもな。まあでも僕はそういう練習というか訓練というか、そういうのをやってるからさ、それで応用が利いてるのかもしれない」
( ^ω^)「何言ってんのかサッパリだお」
178
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:26:00 ID:qY12WmSQ0
転校時の自己紹介では話題に出さなかったが、別に僕はダーツをしていることを隠すようなつもりはない。だからブーンに対してもそれを打ち明けることにした。
('A`)「僕さ、ダーツやってんだよ。ダーツって基本的に毎回固めたひとつのフォームをなぞることの繰り返しだから、自然とそういうのが身に付いてるんじゃないかと思う」
( ^ω^)「ほぉ〜、ダーツって、あのダーツかお?」
('A`)「どのダーツが他にあるのか知らないけど、たぶんそうだ」
( ^ω^)「キルアが6歳か7歳で極めたやつだお!?」
('A`)「僕は足元にも及ばないけど、まあそうだ」
( ^ω^)「大人の趣味って感じだお〜」
('A`)「うん、だからなんだか気取ってる感じがしてペラペラ喋る気にはならないんだ。隠してるわけじゃあないけど、そのへんよろしく」
( ^ω^)「なんとも面倒くさいやつだお〜」
('A`)「うるさいなぁ。ブーンにも人にはあまり言わない趣味のひとつくらいあるだろ?」
( ^ω^)「僕・・? う〜ん、まあ、確かに訊かれなきゃわざわざ言わないことも中にはあるお」
実際、尋常じゃなく優れた学業成績をまったく自分からアピールすることのなかった僕の友人はそう言った。
179
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:27:14 ID:qY12WmSQ0
自由時間が終わり、片付けをし、ブーンと並んでクラスへ戻る。あまり学校で話したくないと言ったつもりであるにも関わらず、道中の話題は容赦なくダーツだった。
もっとも僕もダーツについて話すことが嫌いではないので、それはそれで楽しい時間だったのだが。
('A`)「――それでまあ、思ったわけだよ。ダーツとシューティングは似ているなあ、と。だから僕がシュート上手なのだとしたら、それはダーツのおかげだね」
( ^ω^)「おっおっ、フリースローなんてその最たるものじゃないかお?」
('A`)「まさにそうだね。ダーツとフリースローは似てると思う。楽しいよ」
( ^ω^)「そんなに楽しいなら僕もやってみたいものだお」
('A`)「ふ〜ん、やりたいなら今度連れて行ってやろうか?」
( ^ω^)「行けたら行くお」
('A`)「それ行かないやつじゃねえか」
( ^ω^)「フヒヒ、そうだな、今日はどうだお? バイトは入っていない筈だお」
('A`)「シフトを完全に把握されているのが恐ろしいけど、僕は構わないよ。おデートしようか」
180
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:30:36 ID:qY12WmSQ0
着替えも済ませた僕らを待つのは昼休みだった。ブーンと並んでお弁当を広げながら、僕は学校の友人と初めてすることになるかもしれないダーツに思いを馳せる。
('A`)(練習用の真鍮ダーツがある筈だから、とりあえずブーンにはあれを使ってもらおう。一応クーに連絡入れて許可取っといた方がいいだろうな・・)
ダーツが趣味だと言いながら、家以外の場所でダーツをやったこともなければ、自分でダーツショップに行ってグッズ購入もしたことがないのが僕だった。お金は払っているけれど、消耗品に関してはクーや貞子さんのおすそ分けをされているのが現状である。それらを他人に使用させるには前もって一言伝えておくべきだろう。
今は誰も座っていない、前の空席を僕は眺める。ツンの席だ。女子は男子と比べて着替えや準備に時間がかかる傾向にあるのが世の常なので、彼女もまたご多分に漏れず、体育の授業からまだ帰ってきていないのだった。
('A`)(おデートね・・しかも、これは、いわゆるお家デートだ)
ツンも誘ってみたいものだと僕は思った。ブーンも来るのだから変な誘いにはならない筈だ、と僕は自分に対する理論武装を開始する。
ブーンが興味を持った、僕の趣味であるダーツを僕の家でするのだ。ついでにお喋りしたり、他の遊びをしたり、望むなら一緒に勉強をしてもいい。そしてそれなりに時間が過ぎて、夕飯を食べても良いような流れになるのだとしたら、僕は自分で作ったオムライスをツンに食べさせることができるだろう。
それはとても素晴らしいことであるように僕には思えた。
181
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:31:53 ID:qY12WmSQ0
('A`)(どうする、いつ話しかける・・? 午後の授業のどこかの合間か、それともブーンとそんな感じの話をして、ふと思いついたような感じでメッセージでも送るか・・?)
そんなことをぐるぐると考えていると、脳裏にクーの顔が不意に浮かんだ。
('A`)(うおおツンが来るかもしれないことをクーに報告するというのか!? それは絶対に嫌だ! 絶対に学校サボったりバイト抜け出したりしてチラ見しに来るに決まってる・・!)
唸りたくなるようなテンションで僕は頭を働かせる。
とりあえずブーンを来させる以上、連絡は必要だ。ひょっとしたら必須ではないかもしれないけれど、ここを怠るのには様々なリスクが伴うことが容易に想像できる。少なくとも、単純に忘れるのではなく見られたくないものがある、といったような後ろ暗い理由ではやめるべきだ。
('A`)(どうするか・・!?)
結局僕はブーンのことを報告することにした。友達がダーツに興味あるみたいなんだけれども連れて帰ってやらせていいか、といったような内容の確認に留めるのだ。その友人がどのような人物なのか、性別がどうなのか、来る予定が立ったのはいつのことなのか、などをわざわざ書いておく必要はない。
ブーンが来るから許可を取る。詳細を訊かれたらブーンことを言えばいい。許可を取った後でツンをも誘う機会が生じ、付いて来ることになるわけだが、これに追加の許可をわざわざ取る必要はないだろうと考えた。
('A`)(・・これだ!)
182
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:33:18 ID:qY12WmSQ0
僕がそのように結論付けて、高校の友達が家に来るかもしれないよ、といった内容のメッセージをクーに送った。そのメッセージに既読が付き、返信が返ってくるのにほとんど時間は必要なかった。
川 ゚ -゚)『ドクオもついに友達を家に連れてくるようになったか。実に微笑ましい』
('A`)『ダーツの道具借りるよ』
川 ゚ -゚)『どうぞお好きに。あるものは勝手に飲み食いして良いから、おもてなししてあげなさい』
('A`)『さんくす』
川 ゚ -゚)『お姉ちゃんも顔を見せようか? ご挨拶しとかないとな』
('A`)『来るなよ、親か』
川 ゚ -゚)『行けたら行くから』
('A`)『それ来ないやつだろ。正しい振舞いだよ』
川 ゚ -゚)『ふふん』
もう一度重ねて来ないよう依頼するのはかえって不信感を与える結果になるだろう。そのように考えた僕はやり取りの締めくくりに無難なスタンプを注意深く選んで送信し、大きくひとつ息を吐く。
そうしてひと息ついたのとほとんど同時に、ツンが教室に入ってきた。
183
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:35:20 ID:qY12WmSQ0
(;'A`)(わ〜お すごいタイミング!)
――どうする、すぐに声をかけるか!?
そう考えたのがいけなかった。思考は躊躇を誘引する。反射的に話しかけられなかった僕はツンへのアプローチのタイミングを失っていた。
残る望みはツンから何らかの働きかけをしてもらうことだけれど、彼女には僕に話しかけることよりよっぽど重要な用事があったのだった。
ξ゚⊿゚)ξ「おまたせジョルジュ、勝手に取ってくれてもよかったのに」
_
( ゚∀゚)「さんきゅー、ハハハ! 一応女子の鞄だからな!」
どうやら今日はジョルジュへお弁当を提供する日だったようなのである。
ツンはジョルジュへ弁当を手渡すと、自分の分のお弁当を持って昼食を共にするメンバーのところへと向かおうとした。その日常的に行われる流れの途中に僕が口を挟めるようなタイミングはどこにもなかった。
立ち去り際、ツンが一瞬だけこちらに顔を向けた。
ξ゚ー゚)ξ「あ、そうそうドクオ、最後のはなかなか良いシュートだったわね」
ニヤリと笑ってそう言ったツンを呼び止めることなど僕にはできず、再度声をかけようかと思った時には彼女は完全に僕に背中を見せていた。
184
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:37:45 ID:qY12WmSQ0
大きくひとつ息を吐く。
('A`)(――まあいいや)
少なくとも僕は何かを失ったわけではない。そのように考え自分を納得させていると、驚くべきことに、後ろの席から声をかけられた。
僕の後ろの席に座っているのは当然ジョルジュだ。彼はいつも集中してご飯を食べた後、即座に席を離れるため、僕はあまり昼休みにその存在を意識することがない。
_
( ゚∀゚)「なぁ、あのシュートは確かになかなか良かったゼ」
思いがけない声かけ、それも褒めるような内容の発言に、僕は正直戸惑った。
何と返答して良いものか、口ごもってしまう。ようやくお褒めの言葉に対するお礼が口から小さくでてきた。
('A`)「・・どうも。バスケ部のエースに褒めてもらえて嬉しいよ」
_
( ゚∀゚)「そうだろそうだろ! そういやお前、こないだ試合観に来てたよな?」
('A`)「国体の話かな。行ったよ、準優勝おめでとう」
結局僕はあの後連日何試合か観戦し、決勝戦でジョルジュ率いるVIP選抜チームが惜しくも敗れる様までをこの目に収めていたのだった。
185
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:39:20 ID:qY12WmSQ0
_
( ゚∀゚)「準優勝で褒められるってのもあれだけどな! おれは優勝したかった!」
('A`)「いやでも日本で2位だったってことだろ? 十分凄いと思うけどな」
実際ジョルジュは凄かった。決勝戦も敗れたとはいえ、ひとつのシュートの結果が違っていれば勝っていたような試合だったし、ジョルジュはすべての試合で活躍していた。少なくとも僕にはそう見えた。
ブーンも隣の席で頷いていた。
( ^ω^)「僕も行ったお。ジョルジュのプレイは凄かったお〜」
_
( ゚∀゚)「ブーンもいたよな、珍しい面子に見られていたからフリースローが外れたのかもしれねぇ!」
(;^ω^)「もしそうだったとしたらすまんかったお・・」
_
( ゚∀゚)「ハハ! もちろん冗談だよ! 来てくれてありがとな!」
必要最低限以上の会話をジョルジュとするのはおそらく初めてのことだったが、彼の陽キャさがそうさせるのか、思いがけず朗らかな雰囲気となった。
なんだ、意外といい奴じゃないか、と僕は現金にも思ってしまった。わずかにあった緊張感も次第に溶けてなくなっていき、僕はさほど気をつけずに発言するようになっていく。
それがいけなかった。
186
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:40:37 ID:qY12WmSQ0
会話の流れの中で訊かれたのだ。
_
( ゚∀゚)「いやぁでも、わざわざ国体に来てくれるとは思ってなかったよ。バスケ部でインターハイとかウィンターカップとかならわかるけどさ、おれ以外皆知らない奴らだろ? バスケが好きにでもなったのか?」
('A`)「バスケが好きか、か。どうだろうな、見た試合は面白かったけどな」
_
( ゚∀゚)「はぁん? どういう意味だ?」
('A`)「競技自体が好きかというと、正直まだよくわからないな、と思ってさ」
何故って僕はバスケの詳しいルールさえもまだよくわかっていないのだ。『スラムダンク』を読んだ経験とツンから教えてもらった知識くらいが僕のバスケに関するもののほとんどすべてだ。
やや強引にシュートが防がれ審判の笛が吹かれたとしても、オフェンスとディフェンスどちらのファウルになるのか僕には判断基準がよくわからないし、いまだにスクリーンプレイは理不尽に思える。こんな状態で好きも嫌いもないだろう、というのが僕の正直なところである。
しかしこの返答は、バスケ部のエースであり、ひょっとしたら国を代表するレベルのバスケットボールプレイヤーなのかもしれないこの男の気に入るものではなかったらしい。
_
( ゚∀゚)「なんだよバスケ好きで観に来たんじゃないのかよ。あれか、ツン目当てか?」
187
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:42:26 ID:qY12WmSQ0
そしてその発言は僕の気に入るものではなかった。何故ならほとんど図星だったからだ。
バスケ観戦に足を運ぶ動機としてツンの存在を否定することは僕にはできない。
そのような下心を、おそらくツンの恋人なのだろう男から直に指摘され、僕は糾弾されているような気分になったのだった。
_
( ゚∀゚)「・・まったく、あれにも困ったもんだな。おれは観に来てくれるのは嬉しいが、あいつ目当てで付き合ってるだけならオススメしないぜ」
('A`)「――」
_
( ゚∀゚)「ツンはバスケ布教に狂信的なだけだからなァ、やめとけやめとけ、あいつもそういうのはもうやめた方がいいけどな」
( A )「――なんだよ」
_
( ゚∀゚)「んん、何だァ?」
( A )「――なんだよ、その言い方は」
下心を持ってバスケに接しているような僕を咎めるのはもっともなことだろう。恥じ入りはすれど、そこに反論する余地はない。ただし、その責がツンにも及ぶというなら話は別だ。
僕はツンに誘われたのが嬉しかったし、何よりその誘いに乗って観たバスケの試合は面白かったのだ。
188
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:43:38 ID:qY12WmSQ0
_
( ゚∀゚)「言い方? おれは正直に話してるだけだぜ。おれはバスケが好きで得意だが、元々興味をもっていない男に声をかけて観戦させる女の気持ちも、興味がないくせにその女が可愛いからってのこのこ付いていく男の気持ちもわからねぇよ」
(;^ω^)「まあまあ、そのくらいにしておくお? 大人げないお」
_
( ゚∀゚)「はぁん? おれの方が悪いのか? 確かにムカついてはいるけどよ、女目当てでバスケ観に来て、こうしておれと話しているのに、バスケが好きなわけじゃあないとか言うんだぜ、おれにムカつくなって方が無理だろうよ」
(;^ω^)「ドクオも別にそういう意味で言ったわけじゃあないと思うお・・」
ちらりとブーンが僕を見る。弁明しろと言いたいのだろう。
確かに僕はジョルジュが受け取っているような意味でバスケについて話したわけではない。どちらかというと好きで、おそらく好きになるのだろうが、まだその評価をする資格が僕にはないと思っているだけである。
僕の言った文言もあるいは誤解を生みかねないものだったのかもしれないが、僕にそのことについて申し開きや謝罪をするつもりはさらさらなかった。
僕もムカついていたからである。
189
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:45:24 ID:qY12WmSQ0
僕は腹が立っていた。表に出していなかっただけで、ずっとこの男に対してどこかで度し難い感情を抱いていたのだ。
今この場で僕に対して“正直なところ”をぶちまけてくれたのもそうだが、何よりツンという存在がいながらにして高岡さんとラブホテル通いをしていることがそもそも理解不能なのである。さらにはツンと高岡さんは友人関係にあるというではないか。
あまつさえ、そもそも高岡さんとの繋がりは、ツンに紹介されてできたものだったらしい。
僕も男だ。そうした欲望が存在するのはよくわかるし、まったく羨ましく思うところがないといったら嘘になる。環境と状況が用意されれば僕も同じような行動を取ることもあるかもしれない。
しかし、とにかくムカつくのだ。
これが僕の正直なところだ。
僕も僕なりの正直なところをジョルジュにぶちまけても良かったのだが、そのようなことをしたところで誰の得にもならないだろう。それで僕の気が晴れるとも思えない。
('A`)「いいんだ、ブーン。僕に弁解をするつもりはない。おそらく僕とジョルジュはどの道、解り合うことなんかできなかったんだ」
_
( ゚∀゚)「ほ〜う、珍しく意見が合ったな」
190
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 22:46:49 ID:qY12WmSQ0
勝負だよ、と僕は口に出していた。
('A`)「ジョルジュ、僕と勝負しよう。こうなったら男と男は決闘をしなければならない」
_
( ゚∀゚)「喧嘩でおれに勝てると思うのか?」
('A`)「もちろん喧嘩では勝てないだろう。ジョルジュのバスケットボール人生としても喧嘩なんてやってられないだろうしね」
_
( ゚∀゚)「なんだよ意外と冷静じゃあないか。それならそうだな、相撲でも取るか?」
(;'A`)「なんでだよ!?」
_
( ゚∀゚)「男と男の勝負は相撲と相場が決まってるだろ・・?」
(;^ω^)「そんなの聞いたことねーお。・・それに、喧嘩と同じくドクオに勝ち目があるとは思えないお」
_
( ゚∀゚)「それもそうだな。おい言い出しっぺ、もちろん何か考えがあるんだろうなァ?」
ジョルジュ長岡の挑戦的な視線を受け、僕は大きくひとつ息を吐いた。小さく頷く。決闘の手段として考えていたわけではないが、ずっと気にはなっていたのだ。
('A`)「フリースローだよ・・。お前のへたくそなフリースローより、僕の方がひょっとしたら上手なんじゃあないか?」
今度は意識した挑発的な内容の発言だ。もちろんバスケ部のエースにはこれを聞き捨てることなどできなかった。
つづく
191
:
名無しさん
:2020/10/11(日) 23:52:31 ID:WEfdwnV20
乙
192
:
名無しさん
:2020/10/13(火) 03:30:30 ID:erxGQMfo0
乙です
ジョルジュには、下心のために、試合や自分自身がダシにされていると見えるんだろうか?
ブーンは「僕は頑張った」のを大事にしているみたいで、前向きだし健康的でいいなって思う
193
:
名無しさん
:2020/10/13(火) 22:22:39 ID:dntx.3960
おつ
ドクオのインキャ感がやばいな
194
:
名無しさん
:2020/10/14(水) 14:33:01 ID:qpVnrX6Y0
ドクオがんばれ
195
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:08:39 ID:FHFYNzvs0
1-7.スローライン
放課後僕らはバスケットボールゴールの設置されている公園に来ていた。僕とジョルジュと、そしてブーンだ。ブーンは勝負の見届け人としてジョルジュによって指名され、抗うことなく付き合ってくれている。
('A`)「ふぅん、こんな場所が近所にあったんだ」
_
( ゚∀゚)「おれの秘密の練習場所だ。学校の連中はなかなか来ない」
( ^ω^)「まぁ学校内に自由に遊べるコートがあるから、わざわざ公園まで来る奇特な学生はいないだろうお」
_
( ゚∀゚)「ここなら自由に決闘ができる。おれとフリースロー対決なんかしてたら、お前明日から学校中の笑いものだぞ」
('A`)「それはどうも、お気遣いありがとう」
僕は慇懃な態度でそう言った。そして同時に考える。フリースロー対決なんてして、僕に万が一負けることがあったら、この男こそ明日から学校中の笑いものになってしまうに違いない。
僕を守るようなことを言いながら、実のところ守っているのは己なのだ。完璧超人のように見えるバスケ部エースの矮小さを僕は初めて感じていた。
_
( ゚∀゚)「ボールはこっちに隠してる。練習したけりゃしていいぞ」
196
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:10:11 ID:FHFYNzvs0
これから対決する相手の申し出など拒否しても良かったのだが、フリースローの練習風景を見られたところでこちらに害はまったくない。どころか、このような野外の公園に保管されたバスケットボールのコンディションを知っておくという点では非常に有益なことだろう。
これは勝負だ。勝利条件さえ満たすことができれば、そのほかの事項はすべてがどうでも良い筈だ。僕はこのしっかりとした眉が印象的なスポーツマンから茶色のボールを受け取った。
('A`)(――空気がまるで入ってない、なんてこともなさそうだな)
僕はジョルジュが足で引いたフリースローラインに立った。ゴールを見上げる。
体育館と公園の違いなのだろうか? 僕にはゴールが遠く感じられる。
( ^ω^)「ラインとゴールの距離ってどのくらいなんだお?」
_
( ゚∀゚)「あぁん? 大体4メートル半くらいだ。適当に引いたけどそんなもんだろ」
( ^ω^)「4.5メートル・・ま、こんなもんかお」
_
( ゚∀゚)「気になるならブーンが引き直してもいいぜ」
( ^ω^)「僕は別に構わないお。若干短いと思うけど、ドクオはきっかり4.5メートルがいいかお?」
むしろ若干短いのかよ、と僕は思った。
197
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:11:03 ID:FHFYNzvs0
('A`)「いやこのままでいいよ。引き直そうとこのままだろうと、どうせ同じところから投げるんだ」
( ^ω^)「というか、短いのと長いのと、どっちの方が有利なのかもわからないお〜」
_
( ゚∀゚)「ハ! ろくにボール触ったことない素人がセンチ単位の距離を気にしたところで変わらねぇだろ。きっかり規定の距離じゃあないのはおれにとっては不利だろうけどな」
( ^ω^)「納得」
僕も納得したので、線を引き直すことはせずに僕はそこからボールを放った。
重い。
ボールが指から離れた瞬間わかる失敗だった。ボールがゴールに届いていない。
かろうじてリングに当たる程度には飛距離が出ていた。ゴィンとゴールリングの手前ギリギリにボールはぶつかり、当然弾かれ、鎖製のネットをくぐることなく地面に落ちる。
(;'A`)(あれ!?)
同じように行ったフリースローシューティングがまったく同じ結果を残さない。
僕は大きく動揺していた。
198
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:12:53 ID:FHFYNzvs0
○○○
勝負がつくのに時間は10分とかからなかった。計ったわけではないけれど、いずれにせよ、ほとんど瞬殺だったと言っていいだろう。
もちろん僕がだ。
_
( ゚∀゚)「お〜い、まだやるかァ?」
('A`)「・・黙ってろよ」
ジョルジュを睨んで僕が放った5本目のフリースローはリングに弾かれた後ボードに当たり、なんとかゴールリングをくぐった。ざくりと鎖のネットを通過する手ごたえ。僕は大きくひとつ息を吐く。
後攻を選んだ僕のスローが成功し、5本ずつ放ったフリースローの成功数は、5対2で僕の方が負けていた。
('A`)「入れたぜ」
_
( ゚∀゚)「いやまァ入れたけどよ。3本差だぜ」
( ^ω^)「まだドクオの勝つ確率はゼロパーセントではないお」
_
( ゚∀゚)「ま、いいけどよ。あらよっと」
簡単そうにジョルジュが放ったフリースローはやはり簡単そうにゴールした。
199
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:16:26 ID:FHFYNzvs0
ようやくコツを掴み直した僕はその後スローを失敗させなかったが、いかんせん序盤に犯した3度のミスが痛かった。
10本勝負プラス必要に応じてのサドンデス、というのが当初の取り決めだった。途中でジョルジュが1本のミスショットを挟みながら、8本中7本目となるスローをジョルジュが成功させた時点で、僕が勝つ見込みはサドンデスでしかありえなくなる。
('A`)「・・あっ」
ゴィンとボールがリングにぶつかる。こうして僕は敗北をした。
( ^ω^)「・・なんというか、ドンマイだお」
_
( ゚∀゚)「そこそこ良い追い上げだったぜ。惜しかったな」
2本のスローを投げることなく勝敗の決した僕らの最終スコアは7対4だった。かろうじてダブルスコアは免れているので、惜しかったと言ってもあるいは怒られはしないのかもしれない。
('A`)「・・ぐう」
_
( ゚∀゚)「おいそれぐうの音か? 現実世界で出すやついるのか」
( ^ω^)「まあまあ、これで決闘はおしまい、ドクオは負けを認めるお」
('A`)「負けた負けた! くそったれ! フリースローへたくそじゃあないじゃねぇか!」
200
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:17:33 ID:FHFYNzvs0
半ばやけっぱちのようになって言った僕の言葉にブーンは深く頷いた。
( ^ω^)「確かに。試合中はあんまりフリースロー入ってなかったけど、あの日は調子が悪かったのかお?」
_
( ゚∀゚)「べっつに〜? まあただ当然練習の方が成功率は高いさ。練習でできないことが試合でできるわけないだろう?」
( ^ω^)「それはそうかもしれないお」
_
( ゚∀゚)「やれやれだ。ハ! 身の程知らずがバレなくてよかったな!」
バスケットボール・エリートにとって、フリースローレースで僕に勝ったことなど当然どうでもいいのだろう。僕の敗北を鼻で笑い飛ばし、ジョルジュはボールを地面に弾ませ複雑怪奇な動きを始めた。
ドリブルだ。それはわかる。ただし、ジョルジュが両手を駆使して行っているボールの動きが、どうしてそんなにコントロールされるのか、どのような力の加え方をしたらそのようにボールが動くのか、どうしてそのような神業テクニックをまったく手元を見ることなく行えるのか、僕にはまったくわからないのだった。
( ^ω^)「うお〜凄いお! 上手だお!」
_
( ゚∀゚)「ハ! これでもエース様だからなァ。フリースローが苦手に見えたとはいえ、よくもまあおれにバスケで立てつこうと思ったもんだな。どこに自信があったんだ?」
201
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:18:38 ID:FHFYNzvs0
ちょっと遊びで調子が良かったからか、とからかうような口調で続けたジョルジュを、ブーンは制した。
( ^ω^)「いや、満更それだけじゃあないみたいだお」
_
( ゚∀゚)「あァん何かあんのか? そいつバスケは素人だろ?」
( ^ω^)「確かにドクオはバスケに関しては素人だけど、ダーツが上手なんだお!」
_
( ゚∀゚)「ダーツ!? って、あのダーツか?」
( ^ω^)「あのダーツだお」
_
( ゚∀゚)「キルアが6歳で極めたあれか?」
( ^ω^)「いや、7歳だったかもしれないって言ってたお」
_
( ゚∀゚)「そうだっけ? ていうか今どうでもよくないかそれ」
( ^ω^)「よくないと言う理由はどこにもないお」
_
( ゚∀゚)「ん、それどっちだ? どうでもいいのか?」
( ^ω^)「それこそどうでもいい話だお」
202
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:19:31 ID:FHFYNzvs0
ブーンとの問答で煙に巻かれたようなジョルジュは首を捻って肩をすくめた。
_
( ゚∀゚)「というか、ダーツとバスケって関係あるのか?」
ブーンはそれに答えることなく僕に視線を投げてよこした。どうやら僕に返答させるつもりらしい。
大きくひとつ息を吐く。僕はゆっくり頷いた。
('A`)「直接の関係はないかもしれないけれど、ダーツとフリースローは似てるんだ。フリースロー以外にも、シュート全般がそうかもしれない」
_
( ゚∀゚)「は〜ん? あ、そういや確かにお前良いシュート打ってたな。あれもダーツのおかげなのかい?」
('A`)「僕はそう思ってる」
( ^ω^)「おっおっ、ドクオのシュートは上手だったお。きっとダーツも上手いに決まってるお」
_
( ゚∀゚)「ふゥ〜ん」
何かを考えこむように長い息を吐いたジョルジュは、やがて何かを思いついて決めた様子で顔を上げた。
_
( ゚∀゚)「よし、やろうかダーツ!」
('A`)「はァ?」
_
( ゚∀゚)「ダーツだよダーツ! ダーツ勝負だ! どこでやるのか教えやがれィ」
203
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:20:16 ID:FHFYNzvs0
そのジョルジュの言動に驚きの声を上げたのは僕だった。
(;'A`)「はぁあ!? ダーツすんのジョルジュが?」
当の本人、ジョルジュは涼しい顔をしている。まるで既に決定した事項に僕が後から文句を言っているとでも言いたげな態度だ。わけがわからない。
助けを求めようとブーンを見ると、僕の視線を受けた柔和な表情の男は深く頷いた。
( ^ω^)「ちょうど僕らは今日ダーツしようと思ってたところだお。ジョルジュもご一緒したらどうかお?」
どうかお? じゃねぇ! と僕は憤ったが、抗議をの声を上げるより先に彼らは勝手に話をまとめようとしているかのようだった。
_
( ゚∀゚)「なるほど! それじゃあそうさせてもらいましょうかね。おいドクオ、そのダーツってのは、いったいどこでやるんだい!?」
('A`)「えッ・・ああ、う〜ん、ブーンとは僕の家でやるつもりだったけど」
_
( ゚∀゚)「お家ね! おっけ〜☆」
( ^ω^)「建もの探訪するお〜」
('A`)「・・ほんとに来るのかよ」
204
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:23:02 ID:FHFYNzvs0
うんざりした態度を見せながら、その実、正直なところ僕は悪い気がしていなかった。
('A`)(・・どうしてだろう)
出発する前に部活をサボった分のトレーニングをすると言ってはブーンを補助に、ボールを使ったトレーニングや公園にある鉄棒などの施設を利用した筋トレを行うジョルジュを眺め、僕はぼんやり考えた。
僕はジョルジュに苛立っていた筈だ。彼はツンや高岡さんといった、僕には到底手が届かないであろうクオリティの女の子たちを二股にかけ、あまつさえツンを軽んじるような発言をした。僕はそれに苛立った。
('A`)(それが、今はどうだ?)
僕はジョルジュとフリースロー対決をし、惨敗を喫した。それを海の深さで悔しがるでもなく、ほかの勝負をけしかけるでもなく、ただ敗北を受け入れ彼の仕度が済むのを待っている。
いや、敗北を受け入れてなどいないのかもしれない。僕はジョルジュにわざわざ負かされたような気はしていない。それは彼が勝者としての振舞いをことさら僕らに見せていないからなのかもしれないし、バスケ部のエースとしての実力を目の当たりにして、勝敗を論じる立場に自分がいないと思ったからかもしれない。
あるいは彼の明るい言動がそう思わせないのかもしれないし、
('A`)(――そういえば、初めてだ。僕がジョルジュから名前を呼ばれたのは)
単純に、彼から初めてドクオと名前で呼ばれたのが嬉しかったのかもしれない。
205
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:26:19 ID:FHFYNzvs0
○○○
結局僕らは3人揃って僕の家に向かうことになった。正確には、僕の家の敷地内にある、ほとんどクーが独占している離れだ。ここにはトイレも簡易キッチンも付いているので母屋に顔を出す必要はないだろう。
離れの鍵を開けながら、母屋の家事担当者である僕は、今すぐ処理しなければならない家事が残っていないことを頭に浮かべて確認する。彼らとダーツに興じた後でも十分間に合う範囲だろう。なんなら今日はサボってもよい。日ごろの自分の働きぶりに感謝である。
( ^ω^)「おじゃましますお〜。本当に何も買ってこなくてよかったかお?」
_
( ゚∀゚)「いいって言うんだからいいんだろ。邪魔するぜ〜」
('A`)「たぶん何かあるから大丈夫だけど、人から言われるとむかつくな」
_
( ゚∀゚)「うっひょ〜広ぇ! あれがダーツか!?」
( ^ω^)「ダーツボードだお! カッコイイお〜」
_
( ゚∀゚)「確かにそうだ。おいダーツはどこだよ投げてみたい、おれらに投げ方教えろよ」
('A`)「う〜んと、ここらへんに真鍮ダーツがある筈だけどな・・」
僕はそう言って消耗品ストックの入っている棚を探り、ダーツプレイヤーから見たらオモチャのようにしか見えない真鍮製のダーツを6本取り出した。
206
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:27:13 ID:FHFYNzvs0
('A`)「うわ、チップがハードダーツになってる。ちょっと待ってな付け替えるから」
( ^ω^)「ハードダーツ?」
_
( ゚∀゚)「なんだよハードとかソフトとか。SMの話でしか聞いたことねぇぞ」
('A`)「僕はSMの話を現実世界で聞いたことないよ。ハードダーツってのはチップ、この先端部分が金属製なんだ。プラスチック製なのがソフトダーツ」
( ^ω^)「軟球と硬球みたいな感じかお?」
('A`)「大体そうだな、ハードダーツの方が硬派っぽい感じもするし」
_
( ゚∀゚)「ルール違うのか? ていうかダーツってルールあるのか?」
('A`)「いやルールはあるだろ・・競技なんだから」
_
( ゚∀゚)「ハ! そりゃそうか!」
('A`)「ほら、これでいいんじゃないかな」
僕は彼らに金色に輝く真鍮製のダーツをそれぞれ3本与えた。そして投げ方、というより持ち方の説明をしようとして、見本を見せようにも自分のダーツがないことに気がついた。
207
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:29:41 ID:FHFYNzvs0
('A`)「まず持ち方だけどさ・・ちょっと1本貸してみ」
_
( ゚∀゚)「嫌だよ。これはおれンだ!」
(;'A`)「嘘だろなんで拒否するんだよ、大体それって貸してるだけなんだけど」
後頭部をポリポリと掻き、この不遜な態度の男に強く言ってダーツを1本提供させるのと、その隣で初めて手にする道具をまじまじと観察し、自分からこちらに手を差し伸べようとはしない学年トップの成績上位者に声をかけること、そして棚から僕のマイダーツを持ってくる労力のどれが一番マシかを僕は頭の中で考えた。
当然自分で動くのが一番楽だ。僕はタングステン製のマイダーツを取り出し手に取った。
_
( ゚∀゚)「おぉ〜それが本物のダーツか! ちょっと見せろよ!」
('A`)「本物って何だよ、それも本物だよ」
_
( ゚∀゚)「いいや嘘だね。だってこれから投げるってのに、こいつは部品が間違っていたんだろ? とても日常的に使ってる道具じゃないだろ、偽物だ」
もしくは安物だ、とジョルジュは続けた。
('A`)「う〜ん、安物ってのは正解だ。たぶんこっちの方が高い」
( ^ω^)「僕らを騙していたのかお!?」
('A`)「騙したわけじゃあねぇよ。なんだよそのテンション」
208
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:30:28 ID:FHFYNzvs0
僕は彼らに、渡したダーツが真鍮製である旨の説明を行った。
('A`)「お前らに持たせたダーツは真鍮でできてるんだ。確かに比較的安いけど、別に性能が悪いわけでもないし、初めて投げる練習に使うのに不備はないと思う」
_
( ゚∀゚)「しんちゅう・・って、何だ!?」
( ^ω^)「銅と亜鉛の合金だお。黄銅なんて呼ばれたりもするお」
(;'A`)「・・そうなの!?」
( ^ω^)「? 5円玉とか真鍮だお?」
(;'A`)「・・知らなかった」
_
( ゚∀゚)「おいおい頼むぜダーツの先生よォ」
('A`)「5円玉はダーツじゃあないし、ジョルジュも知らなかっただろ・・」
_
( ゚∀゚)「ハ! 知らね〜なァ!」
('A`)「説明先に進めていいかな?」
どうぞどうぞ、と彼らは言った。
209
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:33:15 ID:FHFYNzvs0
( ^ω^)「僕らのこれが真鍮製ってことは、ドクオのそれは違うのかお?」
('A`)「ああ、これはタングステン製だ」
_
( ゚∀゚)「タングステン! 知ってるぞ!」
( ^ω^)「お、何で知ってるのか知ってるかお?」
_
(;゚∀゚)「何で!? う〜ん何だっけかなァ、理科かな〜?」
('A`)「化学と言えよ・・」
( ^ω^)「でもタングステンを習うのって理科の時代のことじゃあないかお? 高校化学でタングステンって、遷移金属元素だし、2次で要るやつくらいしか勉強しないお」
('A`)「そういやそうか。『元素記号Wとか草生えるわwwwタンwwwグwwwステンwww』とか言って、僕がたまたま覚えてるだけだった」
_
(;゚∀゚)「なんじゃあその覚え方わ・・」
('A`)「どうでもいいだろ! そしてブーンは知ってるのかもしれないけど、タングステンはとても比重が重い。めちゃくちゃ重い。だから、同じ重さのものを作ろうとしたらタングステン製だと凄く小さく作れて、頑丈だし、コスパ的に最適なわけだな」
( ^ω^)「なるほど。確かに真鍮製よりタングステン製の方がだいぶスリムだお!」
('A`)「僕のもそっちも、重さはせいぜい1グラムとか2グラムとかしか違わない筈だ」
210
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:34:25 ID:FHFYNzvs0
比べて見ると如実にわかる。金色に輝く真鍮製のダーツはずんぐりとしたフォルムをしている。それに比べて、タングステン製の僕のダーツはシュッとした直線形で、それはもちろんダーツのデザインにもよるのだけれど、説明を聞いた後だとことさら洗練されたものに見えることだろう。
_
( ゚∀゚)「そっちをおれに使わせな!」
そう言うジョルジュを退ける理由は特になかった。
('A`)「別にいいよ、基本的な投げ方は変わらないし」
ジョルジュとダーツを取り換え、僕は真鍮製のダーツを少し眺めた。ずんぐりとしたフォルムは確かに野暮ったい印象を与えるかもしれないが、機能として劣っているようなことはない。
確かにダーツ技術が向上し、同じ小さな範囲内に3本を集められるようになってくると、その太さが障害となることもあるだろう。単純に邪魔だからだ。だからほとんどすべてのダーツはタングステン製の細い造りとなっているわけだが、ダーツ初心者に見捨てられたような今では、真鍮製ダーツの野暮ったいダサさも、僕にはなんだか可愛らしく感じられるものである。
('A`)「こうやって、バレル――胴体の、中心あたりに重心の位置を探るんだ」
211
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:42:55 ID:FHFYNzvs0
人によって微妙に異なるが、概ねダーツは重心か、重心のやや後ろを握るのが良いとされている。それは力学的に、効率的に力を伝えられるからなのかもしれないし、毎回同じ場所を握る際の目印となるからかもしれないし、あるいはただの迷信のようなもので、実はより良い握り方があるのかもしれない。
その根拠のほどは知らないが、僕はとにかく教科書的な投げ方を彼らに教えた。重心のあたりを持って、半身に近いスタンスで立ち、必要に応じてやや前のめりになってダーツを投げる。同じダーツを同じ投げ方で同じように投げれば、理論上毎回同じところに飛んでいくというわけだ。フリースローと同じである。
この離れの広いLDKには2枚のダーツ盤が設置されている。ひとつはアプリと連動させて備え付けのモニタへゲーム状況を表示させられる、お高いデジタル仕立てのダーツ盤と、もうひとつは単純にダーツを刺しては抜くのに使う、いわゆるブリッスルボードと呼ばれる練習用のダーツ盤だ。元々はハードダーツ用のものなのだろうが僕たちは関係なく使用している。
ジョルジュの初めて投げたダーツは凄い勢いでブリッスルボードに突き立てられた。軽く僕の口から驚きの声が漏れるくらいの勢いだった。
_
( ゚∀゚)「うっひょ〜当たった! 気持ちイィ〜」
(;^ω^)「めちゃくちゃ刺さってるけど・・大丈夫なのかお?」
_
( ゚∀゚)「え、うそ。壊れるとかある?」
('A`)「ないよ」
大丈夫だ、と僕は言った
212
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:44:26 ID:FHFYNzvs0
('A`)「これはブリッスルボードって種類のダーツ盤なんだけど、麻をぎゅうぎゅうに寄せ集めて作ってるんだ。だからどんなに深く突き刺さっても実際穴は空いてない」
( ^ω^)「へぇ〜。面白い構造だお」
('A`)「死ぬほどの回数抜き刺しするわけだからな。考えたひとは凄いよな」
_
( ゚∀゚)「よくわかんねぇけど、大丈夫だってことはよくわかった。ドクオ、あれは何点なんだ? 変な色のところに刺さってるけどよ」
必要十分な理解力を見せたジョルジュはそう聞いた。彼のダーツはトリプルラインに刺さっている。
僕はダーツ盤を指さし説明をした。
('A`)「ああ、これはいわゆるトリプルってやつだ。その一帯に入った場合は3倍の得点が得られる」
( ^ω^)「お得だお」
('A`)「お得だ」
_
( ゚∀゚)「で、おれの今のは何点なんだ?」
('A`)「2点のトリプルだから、2かける3で6点だ。お得だったな。ちなみに、おそらく狙った真ん中のブルと言われるところは50点」
_
(#゚∀゚)「めちゃくちゃ少ないじゃねぇか!」
('A`)「お得と言うより焼け石に水だったな」
213
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:45:16 ID:FHFYNzvs0
ジョルジュは気を取り直して残り2本のダーツを放った。
元々肉体的に優れているというのもあるのだろうが、力の使い方におそらくセンスがあるのだろう。腕だけを振るシンプルなフォームから放たれたダーツは直線的な軌道で勢いよくダーツ盤に刺さっていく。
_
(#゚∀゚)「うォい真ん中にいかねぇぞ!」
しかしそう簡単にブルには入らないようだった。
('A`)「3点と、16点だ。合計25点でこのラウンドは終了」
( ^ω^)「3本で1ターンみたいな感じかお。25点ってどうなんだお?」
('A`)「どう・・? 何とも答えようがない質問だけど、ダーツ盤は20等分されたエリアに1から20の得点が振り分けられているから、期待値的には1投につき10点ちょっとになる筈なんだ」
( ^ω^)「ということは、3投で25点は期待値以下だお!」
_
( ゚∀゚)「うるせぇな! わざわざ計算してんじゃねぇよ」
('A`)「狙ったところに入らなかった得点は、多かろうが少なかろうが単なる運に過ぎないから、あまり考えることに意味はないと思うよ。ジョルジュは初めて投げたにしては上手な方なんじゃあないかな」
知らんけど、と付け加え、僕は彼らにそう言った。
214
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:45:55 ID:FHFYNzvs0
( ^ω^)「さてと、それじゃあ僕も投げてみるお〜」
('A`)「タングステンの投げるか?」
( ^ω^)「いやいいお。性能が違うわけじゃあないんだお?」
('A`)「そうだ、と、思う」
( ^ω^)「ま、違いなんてわかんないだろうし、違うなら違うでこっちを先に投げといた方がありがたみが感じられそうなもんだお!」
スローラインに立ったブーンはゆっくりとした動作でダーツを投げた。なんとなく堂に入っているように感じられ、僕は小さく感心する。
トスン、とブリッスルボードにダーツの衝撃が吸収される。ダーツの飛んだ先はトリプルラインの外だった。
( ^ω^)「お〜、確かにこれは気持ちがいいお!」
_
( ゚∀゚)「な。何ていうか、刺さった手ごたえが気持ちいいよな」
ブリッスルボードにダーツを突き刺す感触は僕も好きだ。安価であるのに加えて、単純に投げるのが気持ち良いというのが、このダーツ盤を練習用に備え付けている理由である。
215
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:46:59 ID:FHFYNzvs0
彼らはしばらく思い思いのペースで交互にブリッスルボードの前に立ち、ダーツを3本ずつ投げていた。僕は冷蔵庫の中身を確認してお湯を沸かし、楊枝を刺した一口大フルーツの盛り合わせと紅茶を用意した。
もちろん汚れた手でダーツを触って欲しくなかったからである。
皮ごと食べられる種なし品種のブドウを齧る。バスケ部のエースは流石の運動神経ということなのか、ダーツ盤から矢を外すことなく練習を重ねている。これはなかなか凄いことだ。
('A`)(このブリッスルボードは、というか、ブリッスルボードはハードダーツ用だからな・・ソフトダーツ用の板と比べて一回り小さいんだ)
彼らに一度貸し与えた真鍮製のダーツにハードダーツ・チップが装着されていたのも、完全にパーツを間違えていたり、ジョルジュが言うように偽物だったからではない。差し心地という点で考えると、餅は餅屋というわけではないが、ハードダーツを投げた方が確かに気持ち良いのだ。
実際僕もハードダーツを時々投げてみたくなる。ゲームをするにはアプリによるデジタル処理がありがたいのだが、少し気分を変えた練習をするにはとても優れた選択肢なのである。
216
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:47:49 ID:FHFYNzvs0
( ^ω^)「なかなか上手く狙ったところに行かないお。何かコツとかってあるのかお?」
カットパイナップルを頬張りながらブーンが訊く。僕は唸るような声を出した。
('A`)「う〜ん、そうだな、よく言われるのは投げた後の手の形かな」
( ^ω^)「フォロースルーってやつかお?」
('A`)「そうなのかな? 僕はその単語の方がよくわからないけど、そうかもしれない。投げ終えた後、目的地に向かってまっすぐ指さすつもりで腕を伸ばすといいらしいんだ」
( ^ω^)「指さす」
_
( ゚∀゚)「指さす」
どうやらブーンの質問への返答に聞き耳を立てていたらしいジョルジュも自分に言い聞かせるように呟いた。
そしてジョルジュは改めて立ち直し、大きくひとつ息を吐く。ダーツを構え、腕を引き、引き絞られた弓矢の弦が解放されるようにして腕を振る。ダーツが飛んだ。
飛んだダーツはまっすぐな軌道を描き、勢いよくブルへと吸い込まれていった。
217
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:49:18 ID:FHFYNzvs0
_
( ゚∀゚)「! これか!?」
('A`)「お〜、やるじゃん」
輝く瞳でこちらを向いたジョルジュに僕は拍手を贈ってあげた。実際見事だ。
('A`)「今とまったく同じイメージでもう2本投げてみな」
ジョルジュは無言でダーツ盤を睨みつけ、再び大きくひとつ息を吐く。僕とブーンは果物にもお茶にも手を伸ばすことなく彼がダーツを放つのを見守る。
トスン
と、ブリッスルボードにダーツが刺さる時特有の、触感を含有したような静かな音が僕の耳に届く。ダーツはブルをわずかに外れていたが、これまでにないグルーピング精度でダーツ盤へと収まっている。
続く3投目、今度はガシャリと音が鳴った。
刺さったダーツに投げたダーツが衝突する音だ。細いタングステンのバレルはこの衝突に負けることなく、1本目のダーツのすぐ隣に深く突き刺さる。
すなわちブルだ。ブル、13点、ブル、という優秀なラウンドをジョルジュは体験したのだった。
218
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:50:49 ID:FHFYNzvs0
_
( ゚∀゚)「ウヒョ〜 ど真ん中に2本いった! 凄くねぇ!?」
( ^ω^)「凄いお〜」
('A`)「流石バスケ部、大したもんだな。今のは合計113点、ロートンとか、単にトンとか呼ばれる点数だ」
_
( ゚∀゚)「とん? なんじゃそら」
('A`)「僕も詳しくはわからないけど、たぶん100点のことをトンって言うんだよね」
( ^ω^)「ローってのは低いのかお?」
('A`)「151点以上、3本すべてブルに入れるハットトリックが150点だから、ブル狙いじゃ取れない高得点を出した場合をハイトンって言うんだ。だから100から150点までがロートン。3本中2本はマグレじゃなかなか入らないから、ダーツ始めた初日でロートン出すのはなかなか凄いことかもしれない」
_
( ゚∀゚)「よっしゃ凄いのか。よしよし!」
( ^ω^)「僕もロートン目指して頑張るお〜」
219
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:52:12 ID:FHFYNzvs0
頑張るのは良いことだ。練習を重ねるふたりを眺め、その様子を僕は好ましく思った。
ダーツの最適なスローフォームはおそらく人によってかなり異なる。利き手はもちろんのこと、利き足や効き目、体格自体が違うのだから当然といえば当然なのだが、ダーツプレイヤーは自分に合ったスローフォームを手探りで求める必要がある。
大変なことだけれど、しかしそれは同時に喜びでもある。工夫を凝らした結果、スローの精度が向上し、狙ったところにダーツを射られるようになる快感は、本能に訴えかけてくるような強烈なものなのだ。
大げさに言って良いならば、それは僕たちがかつて狩猟民族だったことの証明なのだろう。
('A`)(ん、でも、日本人って農耕民族か? 稲作が伝来するまでは狩猟民族だったりするのかな? 農耕できないわけだからな・・)
自分で勝手に思い浮かべた考えへの疑問を呈していると、ダーツ盤から3本のダーツを引き抜いたジョルジュが僕を見つめていることに気がついた。
何か質問でもしたいのだろうか? それは違った。
_
( ゚∀゚)「――そろそろ、やろうか」
不適な笑みを浮かべたジョルジュは、僕にそう言ってきたのだった。
220
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:52:54 ID:FHFYNzvs0
('A`)「やるって、何を?」
_
( ゚∀゚)「対戦だよ。勝負しようや」
('A`)「いいけど――ジョルジュ、ダーツにどんなルールのゲームがあるのかも知らないんじゃあないの?」
_
( ゚∀゚)「ああ知らないねェ! そこから教えてもらおうじゃあないの」
('A`)「そうだなぁ、代表的なのはゼロワンかクリケット、ゲーム性はなくなるけどシンプルなのはカウントアップってところかな」
_
( ゚∀゚)「どれも皆目見当がつかないじゃないの!」
( ^ω^)「カウントアップはその名の通りかお?」
('A`)「そうだね、それぞれ3本ずつ8ラウンド投げ合って、単純に得点が高い方が勝ちって感じだ」
_
( ゚∀゚)「ふゥ〜ん。でもまあやってて面白くないのはなァ」
( ^ω^)「他のはどんなルールなんだお?」
('A`)「話すのはいいけど、たぶんやってみないとよくわからんよ」
221
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:54:16 ID:FHFYNzvs0
そうしてゼロワンとクリケットのルールを彼らに説明した結果、僕らはゼロワンに興ずることになった。ダーツ初心者の彼らにとって、クリケットのルールはわかりづらく、その面白さもまったく伝わらなかったのだ。
それぞれが予め点数を持ってそれを削り合い、最終的にぴったりゼロになるところを目指す、というゼロワンのルールは比較的飲み込みやすいようだった。
('A`)「それじゃあゼロワンにしようか。普通僕らは501をするんだけど、ジョルジュとやるなら301の方がいいかもな」
_
( ゚∀゚)「さんまるいち? アパートの部屋番かよ、何だそれ」
('A`)「最初に持ってる点数が501点か301点かってことだよ。あまり高い点数から始めて全然終わらないなんて嫌だろ、試合を終わらせる最後の1投がキモなんだから」
_
( ゚∀゚)「試合を終わらせる最後の1投ね、気に入った。それにしようや」
('A`)「それじゃあ301で、ゼロになった瞬間決着だから先攻が有利だ、お先にどうぞ」
_
( ゚∀゚)「ふふん。舐めんなよ、おれのダーツぢからを」
( ^ω^)「わざわざ倒置法で言うとは恐れ入ったお」
_
( ゚∀゚)「ハ! 見てな!」
スローラインに立つジョルジュが放った第一投は、はたしてブルへと突き刺さった。
222
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:55:35 ID:FHFYNzvs0
一応試合ということで、お高いデジタル仕立てのダーツ盤を僕たちは使用している。ブルに入った際に上がる銃撃のような効果音がひとつ飛び、モニタの表示が301から251へと変化した。
_
( ゚∀゚)「うおゲーム的な音! テンション上がるな!」
ウキウキとジョルジュは2の矢3の矢を放っていく。それらはブルには当たらなかった代わりに1本は20シングル、1本は11トリプルへと突き立った。
合計103点だ。ロートンである。このアワードを表す火の鳥が飛び立つようなエフェクトがディスプレイに表示され、ジョルジュは大いに調子に乗った。
_
( ゚∀゚)「ウッヒョ〜楽しい!」
( ^ω^)「またロートンだお!」
_
( ゚∀゚)「偶然の要素も大きいけどな。それじゃあひとつ、ドクオさまのお手並み拝見といこうかね」
('A`)「はいはい」
_
( ゚∀゚)「早くしろよ! この感触のままで次を投げてぇ」
('A`)「はいはい」
223
:
名無しさん
:2020/10/26(月) 23:57:20 ID:FHFYNzvs0
ジョルジュのおどけた口調に急かされ僕はスローラインの上に立った。
大きくひとつ息を吐く。
左手に束ねて握っているのは真鍮製のずんぐりとしたダーツが3本だ。決して投げ慣れてはいない。
しかしそんなことはどうでもよかった。僕はそのうち1本を右手の人差し指に乗せて重心の位置を確認すると、そのやや後ろ側を親指と人差し指でつまむ。そして中指をそこに添わせる。
僕のダーツの握り方だ。
ラインに足の位置を合わせる。つま先だ。そこから足首、膝、腰、体幹部と、意識を下から上に登らせる。肩の位置までセットしたところでダーツを構える。ダーツ盤に向かった僕の視線の上にダーツの先端を揃えてあげる。
視野が狭くなっているのがわかる。集中できているのだろう。集中力によって、脳が不必要な視覚情報を無視するようになっているのだ。
16ダブル。そこが僕の今狙っている箇所だった。
意識することなく僕の腕が後ろへ引かれる。その肘を支点とした円運動はやがて一瞬静止し、そして自然と投射の動作に入る。
自分の放ったダーツが思い描いた通りの軌道を通過し、ダーツ盤へと到達するのが、ダーツが指から離れたその感覚だけで僕にはわかった。
つづく
224
:
名無しさん
:2020/10/27(火) 01:01:29 ID:bb7EgyQ60
乙
予想以上にことが進んでいた
ドクオのフォーム確認、落ち着いていてかっこいいな
225
:
名無しさん
:2020/10/27(火) 21:19:30 ID:.vPeb5JA0
おつ
ジョルジュ大人だなぁ
これはいいやつ
226
:
名無しさん
:2020/10/27(火) 23:51:12 ID:u.ysYGMM0
乙です
227
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:33:00 ID:WszZjNtQ0
1-8.動揺
僕の勝利はあっさりと決まった。
元から勝負になる筈がないのだ。数ヶ月のこととはいえ、僕はそれなりの時間をダーツに費やしてきており、それと引き換えに知識と技術と自信を得ている。
最後に僕が残した点数は32点だった。クーや貞子さんとゼロワンで戦う場合に彼女たちがよく残す点数だ。こうした残点を調節する作業を僕たちダーツプレイヤーはアレンジと呼ぶ。
思い通りのアレンジができた僕は、その時点で勝利を確信していた。
この32点残しというアレンジは、ダブルアウトを狙う上で、プレイヤーの未熟さをある程度受け入れてくれる優れた数字なのである。その後16ダブルを狙ってわずかに外した僕はこのアレンジの有益性を実感した。
ダーツ盤における16点の区域の隣には8点の区域が存在している。16ダブルを狙って8ダブルに刺した場合、残りは16点となり、そのままもう一度8ダブルを射られればゲームを締めることができるのだ。
8ダブル、8ダブル、と連続して同じ区域にダーツを投げ入れた僕は、モニタに自分の残点が0と表示され、祝福のエフェクトが表示されるのを悪くない気持ちで眺めたのだった。
( ^ω^)「うおお〜凄いお! 上手だお!」
まあね、と僕はブーンに頷いた。
228
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:35:05 ID:WszZjNtQ0
_
( ゚∀゚)「くいい〜 なんだよ、負けちまったよ!」
お手上げのポーズで負けを認めるジョルジュに対して、ことさらそれをアピールするような気持ちに僕はならなかった。
クリケットほどではないとはいえ、ゼロワンはそのゲーム性から、最終的に狙ったところにダーツを投げ入れる技術レベルを必要とする。どれだけ他のスポーツでの素養や生まれ持ってのセンスがあるにしても、初めてゲームをする初心者が現役のプレイヤーに勝てる筈がないのだ。
ジョルジュはおそらく筋が良い。トップアスリートなのだから当然だろう。おそらく彼が一定の時間をダーツの練習に費やせば、現在の僕などすぐに追い越されてしまうに違いない。『アキレスと亀』よろしくその時間に僕も上達することは不可能ではないかもしれないが、それもまた時間の問題というものだ。
初心者と初級者の間に横たわる能力差は初級者と中級者の差よりも大きいのだろう。
_
( ゚∀゚)「う〜ん、よくわからねぇ! さっきと何が違うんだ!?」
1投目をブルに入れたジョルジュが2投目をトリプルラインより外まで外している。このフリースローが苦手なバスケットボールプレイヤーは、自分のスローのばらつきが納得いかないようだった。
いつもなら関わり合いになることを避けるところだが、今の僕は口を出す気になっていた。ここは僕の家で、僕はダーツプレイヤーだ。ダーツ初心者に有益と思われる助言をする権利はおそらくあることだろう。
229
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:36:39 ID:WszZjNtQ0
('A`)「肘がね、固定されていないんだよジョルジュは」
投げ込みをするジョルジュのフォームを見てすぐに気づいていた点を僕は指摘した。
_
( ゚∀゚)「肘ィ? 気をつけてるつもりだけどな、ブレてるのか?」
('A`)「ブレちゃあいないよ、なんというか、それ以前の問題だ。知らずにこれを意識するのは案外難しいことなのかもしれない」
僕はジョルジュに指示し、スローラインに立ってからダーツを構えるまでの流れを再現させた。立ち位置を定め、まっすぐに立ち、狙う箇所を見定めた視線の上にダーツを置く。
もちろんジョルジュはそうできている。目線で僕に合図をし、腕を引く投射動作に入ろうとしていたジョルジュを僕は止めた。
('A`)「ストップ、投げなくていい」
_
( ゚∀゚)「なんでだよ、肘が動くかどうか、投げてみないとわからねぇじゃねぇか」
('A`)「ジョルジュの肘が固定されていないのはスローの中での話じゃあないんだ」
( ^ω^)「! なるほど、構えの時点での話かお」
('A`)「ご名答。ジョルジュは構えを作った時点での肘の位置が、完全に自分の中で固定されていないんだと思う」
230
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:38:57 ID:WszZjNtQ0
初めにセットする位置が異なっていれば、その後のスロー動作がいくら揃っていたとしても、当然ダーツの軌道は変わる。僕は彼らにそれを説明した。
('A`)「――と、まあ、そんな感じだ。とはいえ、肘の位置が合ってるかなんて鏡でも見ないとわからないし、ある程度上達した段階だと鏡で見たところで逆にわからないかもしれないけれど」
( ^ω^)「それじゃあダーツプレイヤーたちはどうやって確認するんだお?」
('A`)「そうだな、僕の場合は自分の体との相対位置みたいなものと、わかりやすい角度で調節するかな」
_
( ゚∀゚)「あの、まったくよくわかりませんが」
('A`)「う〜ん、そうだな、やっぱり言葉にするのは難しいな」
ボリボリと頭を掻き、僕はダーツを持ってスローラインに向かい、注意深く足の形を作った。
そしてフォームのイメージを彼らに伝える。どうせわかりやすくまとめることなどできやしないのだから、思ったままを口に出してみることにしたのだ。
あくまで僕の場合はだけど、と前置きをして僕は話す。
('A`)「立つ足の形は直接見てわかるだろ、ラインに対する足のかけ方とか、両足の角度とか、自分の目で見てフォーム通りであることを確認できる」
231
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:43:05 ID:WszZjNtQ0
('A`)「そして、この右足の真上に体を置いてやる。まっすぐ立つんだ。前のめりになった方が物理的なダーツ盤との距離が近くなるから有利なのかもしれないけど、僕はフォームの安定性を重視する。左足は添えるだけ。バランスを取る助けにする」
( ^ω^)「前のめりのフォームだと、のめり方が一定じゃあなくなるからかお?」
('A`)「そうだよ。のめり方って日本語があるかどうかは置いといて」
そして僕は背筋を伸ばし、重力にまっすぐ逆らうイメージで鉛直上向きに体を置いた。
ダーツ盤に視線を向ける。半身になった僕の視野には自分の肩が見えている。やや窮屈な構えとなるが、僕は完全に横を向いた。体は正面、顔は横。エジプトの壁画を連想できるかもしれない。
('A`)「こうすると肩が見えるだろ。自分の目で見て位置が調節できるんだ。この目と僕が狙う位置、今はとりあえずブルとを結ぶ直線でまっすぐこの空間を切り裂いた時、目と肩とブルがひとつの平面上にあるよう意識する」
そして肘をきっかり90度の角度で曲げ、ダーツの先端を視線の上に置く。それらすべてがそのひとつの平面上にある筈だ。
これで僕のフォームは完成となる。腕を引く。引き絞られた肘関節が自然と反発を生むタイミングで僕はそのエネルギーを解放してやる。弧を描く右手からダーツが離れる。
浅い放物線の軌道をなぞり、僕の放ったダーツはブルへと吸い込まれるようにして突き刺さる。リリースの感触から僕はそれを知っていた。
232
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:44:46 ID:WszZjNtQ0
思い通りのスローができた感慨に少しだけふけり、僕はジョルジュとブーンに向けて肩をすくめて見せた。
('A`)「こんな感じが僕の投げ方かな、運よくブルに入ってくれたから、多少は説得力が出たんじゃあないかと思う」
( ^ω^)「なるほど〜、色々考えているものだお」
('A`)「皆がそうなのかはわからないけどね。感覚が優れているひとはここまでしなくてもいいのかもしれない」
_
( ゚∀゚)「フォームは人それぞれってわけか」
('A`)「だって体の形がそれぞれ違うからね。その人に合ったフォームはその人にしか作り上げることはできないと思う。アドバイスはできるかもしれないけれど」
ふうん、とジョルジュは何度か頷き、スローラインに立ってフォームを作った。
そしてジョルジュがダーツを投げる。2投。3投。やはり筋が良いのだろう、先ほどまでより如実にフォームが安定している。ダーツのばらつきも小さくなっているようだ。
_
( ゚∀゚)「お! 良い感じなんじゃあないか!?」
爽やかな外見のイケメンが嬉しそうな顔をするものだから、僕も小さく笑ってしまった。
('A`)「いいと思うよ」
233
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:45:38 ID:WszZjNtQ0
_
( ゚∀゚)「なるほどな〜。意識ポイントがわからねぇと、自分のフォームを見直すことはできねぇな、確かに」
( ^ω^)「ドクオはずっと前から気づいてたのかお?」
('A`)「そうだね、気づいてた。気づいて言ってなかったのは、僕の投げ方がジョルジュに合ってるかわからないからあまり最初から細かく指導のようなことをする気にならなかったのと、もうひとつは一応ゲームをしていたからさ」
( ^ω^)「おっおっ、それは良い心がけだお」
_
( ゚∀゚)「そうだな。勝負事の最中に何か言われてもアドバイスとは思わないことだろうよ」
( ^ω^)「トラッシュトークってやつだお?」
_
( ゚∀゚)「お前ボールの持ち方いつもと違わないか? なんつってな。――そういやおれも言わなかったが、ドクオ、お前のフォームもたぶんあんまり良くないぞ」
('A`)「え、僕のフォーム!?」
_
( ゚∀゚)「ダーツじゃなくてバスケな。フリースロー。意識してちゃんと見たらすぐに気づけることだろうが、やっぱり自分で気づくってのはできねぇよな」
ちょうどお前のも肘が悪い、とジョルジュは言った。
234
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:46:16 ID:WszZjNtQ0
テーブルに置いてあったティッシュ箱を手に取ると、それをボールに見立ててジョルジュは僕に見えるように構えを取った。
_
( ゚∀゚)「お前のフォームはこんな感じだ。これのどこが悪いかわかるか?」
('A`)「――肘なんだろ? 今言ったじゃないか」
_
( ゚∀゚)「そうだよ。これがなんで悪いかわかるか訊いてんだ」
('A`)「――」
正直僕にはわからなかった。そもそも僕はバスケットボールにおけるシュートフォームの教科書的なやり方をろくに知らない。バスケに関する僕の知識は大半が『スラムダンク』で得たもので、残りのほとんどすべてはツンから話して聞かせてもらったものなのだ。
('A`)(ん、でも、『スラムダンク』でもシュートフォームのくだりがあったな――)
主人公の高校生が初めてシュートを習う場面だ。僕はそれを頭に思い浮かべ、改めてジョルジュに目をやる。
そして気づいた。
('A`)「――肘、肘か。なんというか、肘を開かない方がいい?」
ジョルジュはニヤリと笑って頷いた。
235
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:47:01 ID:WszZjNtQ0
_
( ゚∀゚)「奇しくも同じような指摘になるな。フリースローは効率的にボールに力を伝えるというより、ガチガチに動きを固めるべきだからな、ちょっぴり窮屈かもしれないが、こうやって構える腕は肘がゴールに向かうようにして、まっすぐ引いてまっすぐ押し出すべきなんだ。肘の位置がまっすぐじゃないとボールに力がまっすぐ働かねぇ」
少しの間、僕は言葉を失った。
('A`)「――本当に同じような種類の指摘だな。さっきまで偉そうに喋ってたのが恥ずかしいよ」
_
( ゚∀゚)「ハ! それもお互い様だな! おれもお前のフリースローを見てすぐに気づいておきながら、ダーツのフォームにはまったく活かせていなかった! 笑っちまうな!」
('A`)「それもそうか。他人のふり見て我がふり直すのは難しいことなんだな」
苦笑に近い笑みがこぼれる。ジョルジュは明るく笑っている。ブーンは相変わらず柔和な表情で、僕らはしばらくそれぞれの温度で笑い合った。
そして練習を再開した彼らを僕はソファに座って見守ることにした。
紅茶を啜ってブドウを齧る。要望に応え、8ラウンド投げ合って点数の多寡を単純に比べるカウントアップのゲームをセットし、ブーンとジョルジュに競わせる。今後どうなるかはわからないが、とりあえず今のところはいずれもダーツを楽しんでくれているようだった。
236
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:48:05 ID:WszZjNtQ0
('A`)(――喜ばしいことである)
自然とそのように思えるのが不思議なようにも当たり前のようにも感じられる。やれやれだ。ソファに深く腰かけなおし、背もたれに体重を預けるようにして僕はこの部屋の様子を見るともなしにぐるりと眺めた。
驚愕。
その光景を目にした瞬間、僕はソファの上で軽く飛び上がるほどに驚いた。
(;'A`)「嘘だろなんで!?」
思わず口から声が出る。なんでもくそもないのだが。
川 ゚-゚)「やあやあ、ついに見つかってしまったか」
僕の驚愕する様とその言葉にブーンとジョルジュの視線が集まる。心臓が強く脈打ち、僕の体中によくわからない汗のようなものがまとわりついてくるのがわかる。
クーだ。
この世帯における構成員のひとり、僕たちが今いる離れの実質的な居住者である僕の姉だ。ここにいること自体は彼女の当然の権利である。何も驚く必要はない。
しかしながら、僕の知らないうちに、いつの間にか、クーが帰宅しており、玄関のあたりから僕らのことを観察していたのだった。
237
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:48:57 ID:WszZjNtQ0
(;'A`)「ななななんでここにいるんだよ!?」
川 ゚-゚)「心外だなァ、ここはわたしの家でわたしの部屋だ。それに、わたしはこれでもゆっくり帰ってきたつもりだよ」
肩をすくめたクーはそう言い、顎で時計を指し示す。確かにずいぶんと時間が経っていた。
それもその筈で、僕たちは公園でバスケットボールを投げ合った後、ここでこうしてダーツに興じているのだ。まったくの予定外。僕にはどうすることもできやしない。
現実を受け入れた僕はやるべきことをやることにした。質問だ。これまでの我が身、立ち居振る舞いを鑑みながら、僕はクーへとひとつ尋ねる。
(;'A`)「――いつから、いたんだ?」
川 ゚-゚)「いつから? そうだな、君たちが互いに見つめ合い、漫才終盤のオードリーよろしく『ヘヘヘ』と笑い合ったところあたりかな」
(;'A`)「そんな笑い方はやってねぇ・・!」
川 ゚-゚)「無理もない。他人のふりを見たところで、我がふりを把握するのは、なかなか難しいことなのだよ」
(;'A`)「くそったれ結構前からいたんじゃねぇか!」
クーは上半身を軽くのけ反らせ、わざとらしくへへへと笑った。
238
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:49:40 ID:WszZjNtQ0
僕、ブーン、ジョルジュ、と、クーはゆっくりと僕たちに視線を向けた。ニヤリと笑う。その笑みを丁寧に片付けて小さく頷き、クーは再び肩をすくめて見せた。
川 ゚-゚)「ほらドクオ、わたしに彼らを、彼らにわたしを紹介したらどうなんだ? このまま放っとくつもりなのか?」
('A`)「わかったよ。・・ええと、こちらはクー、僕の姉だ。こいつはブーン」
( ^ω^)「内藤ホライゾンといいますお。よろしくお願いいたしますお」
川 ゚-゚)「ブーンで内藤ほらいぞん・・?」
('A`)「ああ、そういやブーンはあだ名だな、こう見えて学年トップの秀才だ」
川 ゚-゚)「わあすごい」
(*^ω^)「学年トップの秀才ですお!」
('A`)「お前こういうの謙遜するキャラじゃあないのかよ・・」
川 ゚-゚)「よろしく、ドクオと仲良くしてやってください」
(*^ω^)「もちろんですお!」
239
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:50:42 ID:WszZjNtQ0
クーの差し出した手を取り握手をするブーンを眺める。なんとも面倒くさいことである。
これは客観的な事実として思うのだが、クーは美人だ。スタイルも良い。その艶やかな癖のない黒髪と彼女の好む小ざっぱりとした格好は、化粧っ気のなさというよりはむしろ、凛とした印象をクーに与えることだろう。
気持ちはわかる。男友達の家で遊んでいて、思いがけず帰ってきたそいつの姉貴が美人だなんて、完全にフィクションの世界の出来事である。さぞかしテンションの上がることだろう。
ただし、それは僕がその男友達側であればの話だ。
この綺麗なお姉さんを誇りに思わないわけではないが、こちら側の当事者としては、自分の友人が姉に相好を崩しているのも、姉が保護者面して友人と話しているのも、どちらも見ていて気持ちの良いものではなかった。
('A`)(――ああ面倒くさい)
ガシガシと頭を掻いて目をやると、ジョルジュはブーンと違って澄ました態度を取れていた。流石はかわいい女の子ふたりを股にかけるモテモテのトップアスリート、ちょっとやそっとの美人に対して狼狽えなんかしないのだ。
240
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:52:32 ID:WszZjNtQ0
ジョルジュと並んでブーンを眺める。クーは地元の国立大学薬学部に通う、それなりに高学歴な大学生だ。それなりの進学校で学年トップの秀才から供給できる話題は少なくないことだろう。
('A`)(――まったく、ブーンくんったらはしゃいじゃって!)
仮に僕がブーンに恋する女子高生だったとしたら、ぷりぷりとかわいく焼き餅を焼いていたことだろう。吐き気を催しそうな空想だ。
それに引き替え、このジョルジュの落ち着きぶりはどうだろう。彼に対する嫌悪感の源であるその女性関係も、あるいは悪いことばかりではないのかもしれないとさえ思えそうなものである。
_
( ゚∀゚)「――ぅっ ぃ」
その落ち着いた様子のイケメンアスリートの口から独り言のようなものが小さくこぼれた。鼓膜を震わすその振動を、僕は言語となるよう解析する。僕の眉間に皺が寄る。
_
( ゚∀゚)「――うつくしい・・」
('A`)「あ、駄目だわこいつ
ジョルジュは落ち着いてクーとブーンの様子を眺めているのではなく、ただ単純にゆっくりと一目ぼれの恋に落ちていっていただけだった。
241
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:54:04 ID:WszZjNtQ0
僕はその時、生まれて初めて、人が人に惚れていく様を至近距離で観察した。
ブーンとの話がひと段落つき、クーの視線がジョルジュへと向く。一歩下がった位置にいる太い眉毛のイケメンに、クーは少しだけ近づいた。
川 ゚-゚)「なんだか話し込んでしまったな、こんなつもりじゃあなかったんだけど」
( ^ω^)「なんだか引き留めてしまったようですみませんお」
(;'A`)「――ああ、ええと・・こちらはジョルジュ、バスケの上手なイケメンだよ」
_
( ゚∀゚)「――」
どうもイケメンです、くらいの挨拶をするかなと思っていたのだが、ジョルジュはまるで極端な人見知りであるかのような態度で小さく頭を下げただけだった。
いつもと異なる様子のジョルジュに僕は動揺してしまう。おそらくブーンもそうだろう。
(;^ω^)「んん? ジョルジュ怒ってるのかお?」
(;'A`)「いや、怒ってるわけじゃあないと思うけど――」
242
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:54:57 ID:WszZjNtQ0
(;'A`)(――けど、何なんだ!?)
僕はほとほと困ってしまった。
とはいえ僕はジョルジュにクーを紹介し、クーにジョルジュを紹介したのだ。彼らが初めましてこんにちはをするターンに僕ができることはない。
川 ゚-゚)「? よろしくな、ジョルジュくん」
すると、比較的大人である僕の姉が、訝しく思っている様相ながらも、ブーンの場合と同様に右手を差し出してくれていた。ありがたいことである。後はジョルジュがそれを取りさえすれば良い。
ジョルジュはその手を食い入るように見つめると、シャツのお腹のあたりで自分の右手を丹念にぬぐい、やがて意を決したようにクーと握手を交わすに至った。
そしてゆっくりと彼は訊く。
_
( ゚∀゚)「あの――お名前を聞かせてもらえませんか」
名前はさっき僕が教えただろ、という至極まともなツッコミをすることを許さない妙な凄みが、ジョルジュの目から感じられているのだった。
243
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:55:48 ID:WszZjNtQ0
川 ゚-゚)「名前!? クーです・・ええと、そろそろ手をいいかな?」
_
( ゚∀゚)「これはとんだ失礼を。ぼくはジョルジュ長岡です」
川 ゚-゚)「すると、君が国体で大活躍だったバスケットボールプレイヤーかな?」
_
( ゚∀゚)「そうです。ぼくがジョルジュ長岡です」
川 ゚-゚)「それはそれは。お噂はかねがね」
_
( ゚∀゚)「ハ! 悪い噂じゃあないといいですなァ!」
川 ゚-゚)「今のところ悪い噂ではないよ・・そろそろ手を離してはくれないかな?」
_
( ゚∀゚)「失礼しました」
ジョルジュはそう言い、ようやくクーからその手を離した。驚きの長さだ。日本に握手文化がないことばかりがこの印象の原因ではないだろう。
部屋がものすごい空気になっていた。
川 ゚-゚)(――お前、何とかしろよ、友達なんだろ)
(;'A`)(――無理むり! なんだよこの状態!?)
アイコンタクトで送られてくる問題解決依頼を僕はアイコンタクトで拒絶した。
244
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 22:58:59 ID:WszZjNtQ0
このものすごい空気をどのようにすれば爽やかなものにできるのか、僕には皆目見当がつかなかったが、おそらくこれしかないだろうということはわかっていた。
会話だ。当たり障りのない世間話で良いだろう。何らかの妙手でこの空気を一転させるというよりも、何気ない会話で少しずつ撹拌し、薄めて流すべきである。
ただし、この空気の中で始める世間話というのは何ともハードルが高いのだった。
実際に沈黙の漂った時間はそこまで長いものではなかっただろう。おそらく長くて10秒や20秒のことである。しかし、この永遠に続いてもおかしくないように感じられた空気の中で口を開いた姉に、僕は思わず尊敬の念を抱いた。
川 ゚-゚)「ええと・・皆でダーツしたんだよな? どうだった? それとも経験者なのかな」
( ^ω^)「いえ、僕らは初めてでしたけど、何にせよ面白かったですお! ドクオくんも上手でしたお〜」
川 ゚-゚)「期間はそこまで長くないけど、ドクオはそこそこやってるからな。初心者狩り的に虐められてなかったらいいけど」
( ^ω^)「ドクオくんはそんなことしませんお。まあでも最後のジョルジュとのゲームは勝負だったから、ボコボコにやられてましたけど」
_
( ゚∀゚)「ボコボコにやられました」
川 ゚-゚)「それはなんとも、大人気のないことだなァ」
245
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:00:22 ID:WszZjNtQ0
('A`)「いやでも一応勝負だったんだから、手を抜くのもそれはそれで失礼だろ」
川 ゚-゚)「ハンデをつけてやればいい」
('A`)「つけたし。僕はダブルイン・ダブルアウトを守り、その上で先攻を譲ってやった」
川 ゚-゚)「とはいえ今日初めてダーツに触る初心者相手じゃあ勝負になるまい。こちらは501であちらは301とかくらいまでやるべきだったかもな」
('A`)「え、そんな設定できんの?」
川 ゚-゚)「できるよ。詳細設定でハンデを付けることができるだろ」
('A`)「――知らなかった」
川 ゚-゚)「知らなかったのは仕方ないけど、それで負けた方は少々かわいそうだな。罰ゲームは何なんだ?」
('A`)「罰ゲーム?」
( ^ω^)「――そんなもの、ありませんお?」
川 ゚-゚)「勝負って言っといて敗北の代償なし? いかんねそれは」
_
( ゚∀゚)「――いけませんか」
勝負だからね、とクーは真面目な表情で言った。
246
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:01:59 ID:WszZjNtQ0
_
( ゚∀゚)「だってよ! ホラ条件を決めてもらおうじゃあねェか!」
('A`)「・・いやもう勝敗付いてるからね。その後に条件付けって明らかにフェアじゃあないだろ」
( ^ω^)「何でもありになっちゃうお」
_
( ゚∀゚)「てやんでぇ! 男が負けといてただで帰れるかってんだ!」
('A`)(てやんでえ・・?)
ジョルジュは明らかに冷静な様子ではなかった。
どうやら一目惚れしてしまったらしいお姉さんに煽られているのだ。彼の言葉の通り、もう引き返せないような心境になってしまっているのだろう。
君の専門であるバスケットボールでも、ゲームの度に何か敗北に関する罰ゲームか何かを設けてなんかいないだろ? と正論のようなものを彼に投げつけることが効果的だとは僕にはまったく思えなかった。
そして、そのようにどうしたものかと思っていた僕に助け舟を出してくれたのは、やはりと言うべきかブーンだった。
( ^ω^)「まあまあ、そもそもこれはドクオがジョルジュに突っかかってフリースロー対決なんてやり始めたのが原因ですお。そちらではドクオがボロ勝ちだったんだから、1勝1敗の引き分けってことでどうですお?」
247
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:06:02 ID:WszZjNtQ0
ブーンの話を聞いた瞬間、クーは噴き出してしばらく笑った。
川 ゚ -゚)「ぶはは、なんだドクオ、お前、バスケ部のエースにバスケットボールで喧嘩売ったのか?」
('A`)「うるさいなあ、フリースロー限定ならひょっとしたらって思ったんだよ」
川 ゚ -゚)「今は?」
('A`)「深く反省している」
川 ゚ー゚)プークスクス
( ^ω^)「ボロ負けだったお」
('A`)「何度も言わなくていいだろ、はいはい、僕がアホでした」
川 ゚ -゚)「わかればよろしい。――それも賭けにはしていないのか?」
('A`)「賭けって言っちゃったよ!」
( ^ω^)「そういう取り決めはしていませんお。だから、なんというか、相殺するようなイメージでどうですかお?」
川 ゚ -゚)「相殺ってそんな、通以降のぷよぷよじゃあないんだから」
248
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:11:20 ID:WszZjNtQ0
相殺システムの存在しない初代のぷよぷよを嗜むクーは、正しい表現でそう言ったのだが、それがブーンやジョルジュに伝わることはどうやらないようだった。常にもっとも正確な情報がもっとも適切であるとは限らないのだ。
大きくひとつ息を吐く。
この勝負の当事者は僕とジョルジュだ。本来、僕たちが納得すれば他人に口を出されるいわれはないのだけれど、彼はどうやらただ面白がっているだけのクーの意向に沿おうとしている。彼女は僕たちがそれぞれ血を流すところを見たいのだ。
('A`)「それじゃあこうしようか。僕とジョルジュは1勝1敗だ、それぞれが敗北の代償をそれぞれに払うことにしようじゃあないか」
川 ゚ -゚)「異議なし」
('A`)「どうしてクーが決定権を持っているように振る舞うのかよくわからないが、異議がないならよかった。ジョルジュは?」
_
( ゚∀゚)「異議なし」
('A`)「その発言は自分の意志でできているのか?」
まあいいか、と僕は言った。実際どうでもよかったからだ。
残る問題はただひとつ。僕たちがそれぞれ負う代償を、どのようなものにするかである。
249
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:12:02 ID:WszZjNtQ0
('A`)「・・どうしたものかな」
_
( ゚∀゚)「先に吹っ掛けてきたのはそっちだろ。万一おれにフリースローで勝てたらどうするつもりだったんだよ?」
('A`)「――」
僕はジョルジュをじっと見つめた。
彼にフリースロー対決を挑んだのは、彼に対しての苛立ちが僕の許容量の限界まで積み上がってしまったからだ。その引き金を直接引いたのはツンへの侮辱的な態度だったが、元はと言えば、ジョルジュがツンと高岡さんへ二股をかけていることがその苛立ちの源泉である。
さらに己の感情を深読みすると、僕自身が少なからず好意を抱いているツンがそもそも彼の恋人なのであろうことと、それに伴う彼らの関係性が不満なのかもしれないが、これはどう考えても僕の勝手で独りよがりな感情だとしか思えなかった。
単純で醜い嫉妬心がベースにあって、その上に二股を許せないだとか、ツンへの言動が気に入らないだとかいったものが乗せられているだけなのだろうか?
('A`)(――だとしたら、僕にそれを糾弾する資格がはたしてあるのだろうか?)
僕はそのようなことを頭の中でぐるぐると考えてしまうのだった。
250
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:12:23 ID:WszZjNtQ0
先に痺れを切らしたのはジョルジュの方だった。
_
( ゚∀゚)「ああもう、いいよ、面倒くせぇな。それじゃあこういうことにしようや」
川 ゚ -゚)「聞こう」
_
( ゚∀゚)「あら! つまりはそう、そうですね、ぼくとドクオくんがそれぞれひとつ、言うこと何でも聞こうじゃあないかということですよ。あんまりなのはあんまりですけど」
川 ゚ -゚)「わかりやすくてとても良い」
_
( ゚∀゚)「どうも! その要求がクーさんから見てあんまりだったら、他のものを何か言うということでひとつ、いかがでしょうかね!?」
川 ゚ -゚)「ドクオは異論あるか?」
('A`)「――ない」
川 ゚ -゚)「よし決定だ」
_
( ゚∀゚)「よォし、それじゃあドクオ、お前の方から何でも言いな。バスケ辞めろとかじゃあなければ聞いたるぜ」
('A`)「――そんなことは言わないよ」
251
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:13:12 ID:WszZjNtQ0
少しの間、僕は頭の中を努めてからっぽの状態にした。
大きくひとつ息を吐く。自分が物事を色々と考えすぎる質であることは自覚している。それが場合によっては害となることも同時に把握している。だから、僕はできるだけ何も考えないようにして、凪の状態になった心の水面に浮かび上がってくるものが何なのかを見定めることにした。
ツンだ。
僕はウェーブがかった金髪をふたつに束ねた可愛いあの娘が好きなのであって、実際のところ、このジョルジュ長岡という男のことはどうだってよい。
今も今後も僕には到底持ち合わせることがないであろう運動能力や陽キャの性質、顔やスタイルの良さが彼に備わっていることは羨ましく思うが、妬ましく思うかと言われるとそうではない。むしろそうした彼自身については、今日近くで見て概ね好意的に捉えられているほどなのだ。
ツンだ。それに尽きる。
しかし、先ほども考えた通り、ツンと彼との関係性をどうこうしろと言う権利のようなものが僕にあるかは甚だ疑問だ。ツンからしてもおそらく大きなお世話だろう。おせっかいを焼いてツンから不評を買うことは僕にとっても望ましくない。
ただし、僕は知ってしまっているのだ。僕の今の状況で、ジョルジュにツンに対する不義理を咎めないでいるのは、僕にとってもツンに対して不義理を働くことになる。そのように僕は結論付けた。
252
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:14:03 ID:WszZjNtQ0
歯を食いしばって鼻からゆっくり深く空気を取り入れ、それをまたゆっくりと吐き出した。心を決める。僕はジョルジュをまっすぐに見た。
怖い。が、この恐怖心に負けることが僕は何よりも怖かった。
('A`)「――ジョルジュが今かけている二股の状態を、解消するなり何なり、どうにかして欲しいというのが僕の要望だ」
_
( ゚∀゚)「ふたまた!?」
( ^ω^)「ふたまた!?」
川 ゚ -゚)「俄然面白い話になってきたな!」
_
( ;゚∀゚)「ちがう! 違います!」
しどろもどろになって否定の言葉を吐くジョルジュを僕は冷ややかな目で、クーは熱烈に興味を持った目で見つめた。
川 ゚ -゚)「ほ〜う、何がちがうんだい!?」
どうしてこの場での問い詰め役をクーが買って出るのか僕にはよくわからないのだが、とにかく彼女が話を進めてくれそうなので、僕はそれを静観することにした。
_
( ;゚∀゚)「おれは二股なんかかけてません!」
253
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:16:11 ID:WszZjNtQ0
川 ゚ -゚)「ドクオの話と違うじゃあないか。君はわたしの弟が嘘を吐いてるとでも言うのかえ?」
_
( ;゚∀゚)「嘘っていうか、よくわかりませんけど、ぼくは本当にそうなんですから!」
何か証拠でもあるんですか、と言う彼の言葉にクーは深く頷いた。
川 ゚ -゚)「確かにそうだ。わたしも早とちりしてしまったな。ドクオ、証拠は確かにあるんだろうな?」
('A`)「もちろんだ」
川 ゚ -゚)「提出しなさい」
('A`)「提出はできない、僕の証言だけだからな。でも僕は見たんだ」
_
( ;゚∀゚)「なにを」
('A`)「高岡さんとジョルジュがホテルに入るとこをだよ」
(;^ω^)て「ハインとかお!?」
('A`)「そうだよ、ハインリッヒ高岡さんと、だ・・」
日時も何ならそらんじられるぜ、と必殺の口調で伝えた僕に、ジョルジュは意外にも平静そうな顔をした。
_
( ゚∀゚)「あァあれね。言いたいことはよくわかった」
254
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:16:34 ID:WszZjNtQ0
川 ゚ -゚)「何やら反論がある様子」
_
( ゚∀゚)「反論っていうか、あれですね。事実を事実として認識させてやるだけっていうか」
ポリポリと頭を掻いてそう言うジョルジュの余裕な様子は僕に不安を与えるものだった。ひょっとしたら僕の見間違えだったのだろうか?
その疑問を僕はそのまま口に出す。
('A`)「ひょっとして、見間違えだった?」
_
( ゚∀゚)「いや見間違えではないと思うゼ」
('A`)「見間違えじゃあないんだ!?」
_
( ゚∀゚)「あァ、あの、『ティマート』のあたりのラブホだろ? あいつは大体あそこを使うからな。いつのことかは知らねぇが、それは別段どうでもいいや」
('A`)「――」
ジョルジュの言動はとても自然で、僕にはとても彼が態度を取り繕っているようには見えなかった。
255
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:17:03 ID:WszZjNtQ0
誤解だったということか。僕の体から力が抜ける。
( ^ω^)「それじゃあホテルには行ったけど、えっちいなことはしていないということかお? そういえばこの間のハインの絵のモデルはジョルジュだったお」
_
( ゚∀゚)「いや、した」
(;^ω^)「!?」
_
( ゚∀゚)「セックスはしっかりとした」
(;'A`)「言い直さなくていいよ! やっぱり二股かけてんじゃあねぇか!」
_
( ゚∀゚)「いやだからそれが誤解だってんだよ」
川 ゚ -゚)「kwsk」
_
( ゚∀゚)「詳しく!? っていうか、そもそもおれは二股どころか一股もかけてねぇ! 単位が“股”でいいのか知らねぇけどよ!」
('A`)「何言ってんだこいつ・・」
川 ゚ -゚)「わたしの友人にゴムを付けたセックスは性交と認められないから自分は依然として処女童貞だと言い張る輩がいるけどな」
_
( ;゚∀゚)「何ですかその親交関係わ・・」
256
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:17:37 ID:WszZjNtQ0
何はともあれ、とにかく、セックスはしていながらも二股どころか一股もかけていない、というのがジョルジュの一貫した主張だった。
僕にはわけがわからなくなる。
セックスをしていながらそうだということは、高岡さんはジョルジュにとって、恋人関係ではなく単なるセックスフレンドやセックスパートナーとでも言うべき関係なのだろうか? それではツンは?
一股もかけていないということは、ツンとの関係もまた、彼氏彼女の間柄ではないとでも言うのだろうか?
('A`)「それじゃあツンともセックスフレンドなのか?」
_
( ;゚∀゚)「うォい表現! 全然ちがうよ! ツンとはセックスもしたことねぇ!」
('A`)「――ノーセックス?」
_
( ゚∀゚)「いえす、あいはぶのーせっくす、おーけい?」
('A`)「わけがわからなくなってきた・・」
改めて、僕はわけがわからなくなってきていた。
257
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:18:22 ID:WszZjNtQ0
整理しようか、と、トーク番組におけるMCか、あるいは裁判における裁判長のような役割を何故だか果たしているクーが言った。
川 ゚ -゚)「ジョルジュくんに二股疑惑がかかっている対象はそのハインさんとツンさん、間違いないね?」
('A`)「・・ありません」
川 ゚ -゚)「ジョルジュくんは二股どころか一股でもないと言う」
_
( ゚∀゚)「その通りです」
川 ゚ -゚)「ひとつずつ説明してもらおうか。ええと、まずはハインさん。ジョルジュくんは彼女とセックスしておきながら、股ってないということは、いったいどういう関係だと言うのかな?」
('A`)(股る・・?)
_
( ゚∀゚)「なんというか、雇用契約のようなものですね。ぼくはハインにあることを頼んでいて、その対価として肉体関係を提供しています。だからハインに対する僕の立ち位置は、彼氏というより男娼に近い」
('A`)「男娼・・」
(;^ω^)「・・現実世界で初めて聞く単語だお」
258
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:19:03 ID:WszZjNtQ0
なるほど、とクーは言った。
川 ゚ -゚)「質問は?」
('A`)「・・ありません」
(;^ω^)「・・その、あることというのは?」
_
( ゚∀゚)「それは追々」
(;^ω^)「おいおい!?」
_
( ゚∀゚)「別に今言ってもいいんだけどよ、どうせ流れで話すことになるだろうからな」
川 ゚ -゚)「それでは流れで聞くことにしましょう。ハインさんとの関係はわかりました。それでは次にツンさん、彼女とはセックスをしていない?」
_
( ゚∀゚)「していませんねェ!」
川 ゚ -゚)「肉体関係がすべてだとは言いませんが、一般的に、それなら股ってる疑惑をかけられる必要もないのでは?」
('A`)「異議あり、ツンさんとジョルジュくんの学校での接し方は、客観的に見てとても親密であると思います」
なんとなくの雰囲気上、背筋を伸ばしたかしこまった態度で僕は言った。
_
( ゚∀゚)「何なんだよその喋り方・・」
259
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:19:43 ID:WszZjNtQ0
川 ゚ -゚)「なるほど、ここは第三者の意見を聞きましょう。ブーンくんはどう思います?」
( ^ω^)「はい、僕から見ても、ツンさんとジョルジュくんは、付き合っていると思われる方が自然な距離感にあると思いますお」
_
( ゚∀゚)「お前も乗るんだ!?」
川 ゚ -゚)「なるほど、ジョルジュくん、これらに対してどう思いますか?」
_
( ゚∀゚)「そうですねェ! 勝手に思ってろって感じですが、まあしょうがないかなとも思います」
川 ゚ -゚)「あくまで股っていない上での正当な接し方であり、彼氏彼女の事情は君たちの間に存在しない、と?」
_
( ゚∀゚)「カレカノはありません。ただし、正当な接し方かというと、ちょっと違うかもしれません」
川 ゚ -゚)「kwsk」
_
( ゚∀゚)「ツンとの間にも、ハインとのように、雇用契約のようなものがあるからです。契約というほど縛られたものではありませんが、ぼくたちの間には確かにあります」
川 ゚ -゚)「――ほう。ハインさんの場合、ジョルジュくんは頼みごとをし、対価として肉体関係を提供していた。ツンさんの場合はどうですか?」
260
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:20:29 ID:WszZjNtQ0
_
( ゚∀゚)「おれがツンからもらっているものは――ハインの場合と同じです。同じ頼みごとをしています」
川 ゚ -゚)「なるほど。追々話すと言っていたあれですね?」
_
( ゚∀゚)「あれです。そして、ぼくが提供しているのは――」
ジョルジュはそう言い、腕を組んで何やら考え込むような素振りを見せた。言葉を探しているようだ。ハインとの関係性を躊躇なく男娼に喩えられた男の言い淀みに僕の緊張はいや高まる。
一体何を、ジョルジュはツンに対して提供しているというのだろう?
時間で言うとほんの2秒や3秒のことだろう。ジョルジュは小さく頷き言葉を続けた。
_
( ゚∀゚)「――何というか、努力です。おれはツンに対してたゆまぬ努力を提供しています」
('A`)「努力?」
なんじゃそら、と予想外の回答に素直な反応が僕の口からこぼれる。何に対する努力なのかもわからないし、それが対価に値するものなのだとしたら、ハインとの肉体関係の価値がよくわからないことになる。
( ^ω^)「それは、何に対する努力なんだお?」
同じことが気になったらしく、ブーンはジョルジュにそう訊いた。
261
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:21:41 ID:WszZjNtQ0
_
( ゚∀゚)「う〜んとな、前提として、おれはボーラーなんだよな」
('A`)「バスケットボールプレイヤーってこと?」
_
( ゚∀゚)「そうだ。おれの最終的な目標は、――NBA選手になることだ」
川 ゚ -゚)「NBAって、あのNBA? アメリカの?」
_
( ゚∀゚)「そうです。実際にできるかどうかはわかりませんが、ぼくはそれを目指しています」
川 ゚ -゚)「すごいな。それで?」
_
( ゚∀゚)「ツンはおれを応援してくれているわけです。おれがボーラーとして成り上がり、最終的にNBA選手になることが、そのままツンの望みでもあるといった次第です」
( ^ω^)「それが・・その夢に向かって最大限の努力をすることが、ツンに対する対価になっているということかお?」
_
( ゚∀゚)「そうだ」
そうだ、と言い切るジョルジュの表情にはまったく迷いが感じられなかった。彼らの間には彼らにしかわからない信頼関係のようなものが存在しており、ジョルジュはそこに揺るぎない確信を持てているのだろう。
完全に理解はできないが、そういうこともあるかもしれない、と想像することは僕にもできる。
262
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:23:26 ID:WszZjNtQ0
川 ゚ -゚)「なんにせよ、事情はわかった。これは確認なんだが、そこに愛はないのかな?」
_
( ゚∀゚)「ないですね。あいつとはそういう関係じゃあない」
即座にそう言うジョルジュの顔にはやはり迷いは見られなかった。
少なくともジョルジュにとって、ツンは恋人めいた存在ではないのだろう。
もちろん僕らを煙に巻くために心にもないことを言っている可能性はあるけれど、そういう嘘は言わない人間なのではないだろうかと僕は自然とジョルジュのことを認識していた。そのことに気づいて僕は自分に少し驚いたほどである。
今日の今日、苛立ちがピークを迎えて喧嘩を売るようなことをした男を、どこか僕は信じてしまっているのだ。笑える心境の変化である。
川 ゚ -゚)「ニヤついちゃって。やっぱりツンさん狙いだったか」
(;'A`)「な、なにを!?」
川 ゚ -゚)「即座に否定はしない、と。よくわかったよ」
(;'A`)「ちがう!」
何やら微笑ましい雰囲気で僕を眺めるブーンとジョルジュに向かい、僕は再度「ちがう!」と叫んだ。何も違いはしないのだが。
263
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:23:56 ID:WszZjNtQ0
('A`)「ゴホン! ええと、それで、ツンや高岡さんへの頼みごとってのは結局何なんだ? 流れで言うって言っておきながらその流れにまったくなりませんが!」
川 ゚ -゚)「おいおい急に余裕がなさすぎじゃあないか・・?」
('A`)「うるさい! ジョルジュ、こたえなさい!」
そう言い彼を睨みつけた僕の視線に動じることなく、ジョルジュはゆっくりと肩をすくめて見せた。
_
( ゚∀゚)「それはこれからその流れになるからだよ」
('A`)「ど、どういうことだよ!?」
_
( ゚∀゚)「だって次はおれの番だろ? ありもしない二股を解消しろと言ってたお前の要望は既に果たされたと思うんだが、違うのか? 単なる勘違いだったからノーカンってのはなしだと思うゼ」
川 ゚ -゚)「それはなしだな」
_
( ゚∀゚)「ですよね〜! さあそれじゃあおれのターン! ドクオ、お前におれの要望を聞き入れてもらう!」
('A`)「な、なんだよ・・?」
264
:
名無しさん
:2020/11/07(土) 23:24:41 ID:WszZjNtQ0
正式に自分のターンになったことを確認したジョルジュは、満足そうにゆっくり頷き、その整った顔を悪い大人がするような笑顔に形作った。
_
( ゚∀゚)「わからないかな? この流れでハインやツンへの頼みごとを明かすということは・・」
('A`)「と、いうことは・・?」
悪い予感しかしなかった。
_
( ゚∀゚)「お前にもそれをやってもらう!」
(;'A`)「で、ですよね〜」
川 ゚ -゚)「要望の成否はわたしが判断するんだろ? どんな頼みごとなんだ?」
ツンへの対価は置いといて、男娼の接し方を余儀なくされる頼みごとである。どのような内容なのか皆目見当がつかず、僕はこの倫理観よりどちらかというと娯楽要素の方を重要視する姉の良心を神に祈った。
そしてジョルジュは頼みごとの内容を明かした。それは予想通りと言うべきか、想定の範囲外のものだった。
_
( ゚∀゚)「ドクオにはぼくの弟の世話をしてもらおうと思います。週に1日、放課後すぐからだいたい夜の8時か9時まで。何回するかは要相談」
川 ゚ -゚)「なにそれすごい面白そう」
(;'A`)「はァあ!?」
まったく意味がわからなかったが、どうやら僕に拒否権はないようだった。
つづく?
265
:
名無しさん
:2020/11/08(日) 01:48:16 ID:prvZPbco0
障害持ちか?
266
:
名無しさん
:2020/11/08(日) 13:14:12 ID:S4d4kfhY0
乙です
267
:
名無しさん
:2020/11/10(火) 00:09:47 ID:cwb2FgWY0
乙です。役者がそろった感じ!
ジョルジュの頼み事が謎過ぎる。でもたった週一でいいんだ……?
268
:
名無しさん
:2020/11/25(水) 07:46:23 ID:sM6CW0TU0
面白い
早く読みたい
269
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:20:38 ID:ae4yF7Go0
1-9.代償と対価
少年はその名をモララーといった。
正確には、僕は言ってはもらえなかった。初対面で彼は僕に名前を明かそうとしなかったのだ。
('A`)「ええと、ドクオです。よろしくね」
おずおずとはじめましての挨拶をした僕をモララーは完全に無視し、僕のことを軽く紹介してくれた金髪の女子高生へと体当たりをするように駆け寄ったのだ。
ξ゚⊿゚)ξ「あらあらうふふ。ほら、モララー挨拶しないと」
( ・∀・)「挨拶、ンなーい!」
ξ゚⊿゚)ξ「しょうがないわねえ」
まったくしょうがなくなさそうな表情で3歳児の頭を撫でるツンにこちらから抗議する気にはならず、僕はただ行き場を失った歓迎の気持ちをいったいどのように処理すれば良いのか途方に暮れるばかりだった。
このモララーという幼稚園児はジョルジュの弟であり、僕がこれからジョルジュの部活か彼らの母親の仕事が終わるまでの間お世話をさせてもらう対象である。
僕とツンは並んで歩き、モララーを幼稚園まで迎えに行っていた。
270
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:21:57 ID:ae4yF7Go0
ξ゚⊿゚)ξ「人見知りする年ごろだろうし、しょうがないわね。早く仲良くなりなさい」
('A`)「努力はするつもりだけどさ、正直どんな努力をすればいいのかもわからないな・・」
僕とツンはモララーを挟むような形で並んで歩き、幼稚園から長岡家の住むアパートまでを移動している。モララーは完全にツンとしか手を繋ごうとせず、心なしかその位置取りも、彼女の方に寄り添って足を進めているように僕には感じられた。
子供の喜ぶ話題など僕はひとつも持っていないし、どのような接し方をすれば気に入られるのか皆目見当がつかないのである。あちらから何かして欲しいことを伝えてくれるのであれば、それに応えるというのもやぶさかではないが、こちらから仲良くなるための働きかけを考えるというのはほとんど無理難題と言って良いだろう。
おそらく、滅多に会わない親戚がたまに会うとお小遣いをくれがちなのは、こうした理由によるものなのだろう。コミュニケーション・ツールとしてのお年玉は日本人の編み出した大いなる知恵なのかもしれない。
ξ゚⊿゚)ξ「――何を考え込んでるの?」
('A`)「いや、先人は賢いな、なんて思ってた」
ξ゚⊿゚)ξ「何言ってんのかわからないけど、ほら、手を取って歩いてごらんなさい。モララー、お兄ちゃんと歩いてあげてくれない?」
( ・∀・)「いいけどォ?」
礼を言って繋がせてもらったモララーの手は柔らかく、驚くほど小さく暖かかった。
271
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:22:42 ID:ae4yF7Go0
('A`)(小っさ! オモチャみたいだ・・)
捻ったら簡単に千切れてしまいそうな子供の手を握り、僕は強く握りすぎてはいないだろうかと気を揉みながら足を進める。すると、すぐにそのような気遣いをするべきではないと僕は思い知ることになった。
( ・∀・)「見て、バッタよ!」
呟くようにそう言ったモララーは、体重を利用しながら体を捻るようにして、小さなその手を僕の束縛から容易に解き放ったのだ。
あまりの滑らかなその動作に僕の反応が一瞬遅れる。その一瞬の内に活発な3歳児は地面を蹴って全力疾走の体勢に入っていた。
( ・∀・)「バッタ待て〜ぃ」
(;'A`)「ちょっ」
ξ゚⊿゚)ξ「待つのはおまえだ」
( ・∀・)て「うぐぅ!?」
きわめて俊敏な第一歩によりツンはモララーへ手を伸ばし、文字通りの首根っこ、正確には着ているシャツの奥襟を掴んでその動きを制止させていたのだった。
272
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:25:09 ID:ae4yF7Go0
ξ゚⊿゚)ξ「危ないわねぇ、まったくもう」
( ・∀・)「だめよォ バッタいっちゃったよォ!?」
ξ゚⊿゚)ξ「いっちゃったね。バッタにバイバイした?」
( ・∀・)ノシ「バッタ バイバ〜イ」
ダッシュを阻止されたことに対する憤りはどこへやら、にこやかに小さな手をひらひらとさせる幼稚園児は何ともいえない可愛らしさをしていた。
しかしツンがこちらを向いている。そしてモララーの手を再び僕に握らせるのだった。
ξ゚⊿゚)ξ「ほら、動き出す予兆がわからないうちは、手首でもがっしり掴んでなさい」
('A`)「・・誘拐が発覚した時の根拠で、その犯人が子供の手ではなく手首を掴んでいたからだった、親なら子供の手首を掴まないだろう、みたいな事例がなかったっけ?」
ξ゚⊿゚)ξ「・・・・」
('A`)「・・・・」
僕が不当に咎められる危険性がいくらか増すのだとしても、子供への危険を少しでも減らすことができるというなら、それはどう考えても僕がするべきことだった。それに僕は確かにこの少年の親ではないのだ。
273
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:26:17 ID:ae4yF7Go0
『めぞん高岡』はアパートという文言から想像するイメージとは少し違った、小ぎれいな2階建ての建物だった。
ξ゚⊿゚)ξ「モララー、モララーのお家どこ? お兄ちゃんに教えてあげて」
( ・∀・)「こっちよ〜」
意気揚々と足を進めるモララーに手を引かれ、僕もその敷地に足を踏み入れる。すぐにそのアパート一帯を侵入者から守る入口の扉へ到達した。
( ・∀・)「開けて!」
ξ゚⊿゚)ξ「これがあたしたち用の鍵。これまではハインかあたしのどちらかが持ってたから所在が明らかだったんだけど、あんたも入るならシフトをちゃんと把握できるようにしないとね・・」
そう言い、首から下げていたアパートの鍵を制服の下から引き抜くと、ツンはそれを首から外して手渡してきた。反射的にそれを受け取った僕は、それまで少なくとも制服の下に収められていた金属片の温もりを右手に感じてしまうのだった。
僕の右手に自分の体温の名残が伝わっていることをツンはどうとも思っていないらしい。促されるまま僕はその鍵を鍵穴に収め、特定の手ごたえが伝わってくるまで時計回りに力を加えた。
274
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:27:35 ID:ae4yF7Go0
○○○
ジョルジュから出された要求は彼の弟の世話だった。クーはそれを笑って了承したが、僕にとってはなんとも不思議な要求だった。
正確に言うと、不思議というのはかなり控えめな表現だ。はっきり言って僕は恐れおののいていた。
(;'A`)「弟いるんだ・・いやそれはいいんだけど・・ええと、何て言えばいいんだろうな」
だって僕らは高校2年生である。その弟と言われて連想する年の頃はせいぜい中学生か、離れていても小学生で、大きな介助を必要とする彼の状態が一体どのようなものなのか、皆目見当がつかないのだった。
これも正確な表現ではない。僕に想定可能な彼の状態は、何らかの原因によってたとえば寝たきりの生活を送っている、といったような、いわゆる障害者のものだった。
さらに言うなら、その障害が肉体的なものではなく、精神的なものなのかもしれないとさえ僕は頭に浮かべていた。これが本来正されるべき偏見なのだとしても、実際そう思ってしまうのだから、少なくとも現時点では仕方ないというものだ。
何をどうやって訊けばいいんだろう?
渇く喉を紅茶で湿らせていると、クーがジョルジュに訊いていた。
川 ゚ -゚)「話としては面白そうだが、ひとの世話をするとなると、色々確認しておいた方がいいだろうな。特にお互いの保護者には話を通しておかなければならないだろう」
275
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:33:16 ID:ae4yF7Go0
_
( ゚∀゚)「あ、はい、それはもちろんです」
川 ゚ -゚)「わたしたちはまだ学生で、責任能力がないからね。ツンさんやハインさんはどのようにしているのかな? というか、君の家の家族構成やその内容を聞いた方が話が早いかもしれない」
もちろん必要に応じて話せる範囲でいいけどね、と落ち着いた口調で話すクーは、いつもこの家で見せる娯楽好きの怠惰な姉の顔ではなく、医療系の学部に通う女子大生の顔をしているように僕には見えた。僕に比べてずっと大人だ。
('A`)(保護者への根回しか・・思いつきもしなかったぜ)
どうやら僕に対して比較的保護者側の立場にいるクーが色々と確認してくれるようなので、僕はしばらく“見”に回ることにした。
もっとも、メインは見るより聞くことなのだけれど。
_
( ゚∀゚)「家族構成は、母、ぼく、弟、の3人です。父はいません。母は薬剤師をしています」
川 ゚ -゚)「あら奇遇。わたしも将来はおそらく薬剤師だよ」
_
( ゚∀゚)「そうなんですか!?」
川 ゚ -゚)「実はね。――薬局?」
_
( ゚∀゚)「病院です」
僕には彼らの会話の内容がよくわからなかったのだが、クーがとても満足そうに頷いていたので気にしないことにした。
276
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:35:35 ID:ae4yF7Go0
_
( ゚∀゚)「それでまあいわゆるシングルマザーの家庭をしているわけですが、弟の世話はしなければならないので、ぼくがバスケを続けるには誰かの助けが必要となるのです」
川 ゚ -゚)「それがツンさんとハインさんだ、と」
_
( ゚∀゚)「そうです。助けてもらってます」
川 ゚ -゚)「お母さんはそれについては何と?」
_
( ゚∀゚)「そういうのもいいかもね、って感じでした」
川 ゚ -゚)「うは、軽いな! ちょっと笑っちゃったよ」
_
( ゚∀゚)「いやまあ本当そうですよね。本心がどうなのかはわかりませんが、助かるわ〜って言ってましたよ」
川 ゚ -゚)「そりゃあ助けてるわけだからね」
_
( ゚∀゚)「違いない。でも、海外なんかじゃあベビーシッターとか子供の世話を学生バイトがするのってそこまで問題視されてないじゃあないですか。だからぼくらもそこまで危険だとは思っていないんですよね」
川 ゚ -゚)「ん、ベビーシッター?」
('A`)「・・子供の世話?」
277
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:36:18 ID:ae4yF7Go0
あまりの引っかかりに思わず口を挟んでしまったが、確かには今、ジョルジュは弟の話を赤子や幼児の世話に喩えた。
――つまり?
('A`)「お前の弟って、その・・何歳なんだ?」
_
( ゚∀゚)「3歳だけど?」
(;'A`)「さんさい!?」
_
( ゚∀゚)「おう。言ってなかったっけ?」
(;'A`)「知らねぇよ! 3歳? え〜!?」
川 ゚ -゚)「ずいぶんと歳の離れた兄弟だな」
_
( ゚∀゚)「あぁそうですね。なんだか自分のことなんであんまり変に思っていませんでしたわ。慣れですな、ハ!」
(;'A`)「・・ブーンは知ってたのか?」
(;^ω^)「いや〜知らんかったお。でもそれならそれこそベビーシッター的なものを頼めばいいんじゃあないのかお?」
278
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:37:00 ID:ae4yF7Go0
_
( ゚∀゚)「さすがにそこまで金はねぇ。ここらにちゃんとした学生ベビーシッター文化はないからな。保育園に入れりゃよかったのかもしれねぇけどよ、抽選にあぶれちまってな。ハハ! 通ってる幼稚園には最大限お世話になってるが、それでも限界があんだよな」
川 ゚ -゚)「薬剤師の働き方は融通が利くだろうから、どうとでもなりそうだけどな」
_
( ゚∀゚)「それはおれが嫌でした。――今の仕事が、なんというか、とても充実しているようなので」
川 ゚ -゚)「お母さんには充実した仕事を続けてもらいたい、と?」
_
( ゚∀゚)「というか、なまじ仕事を変えてそっちに情熱を注げなくなったら、面倒くさいことになりそうな予感がしましてね」
川 ゚ -゚)「――」
_
( ゚∀゚)「――」
川 ゚ -゚)「――シングルマザー環境下で10以上離れた弟ができちゃうわけだものな」
_
( ゚∀゚)「モテるんですわ、これが! ハハ!」
おれが言うことじゃあありませんけど、と明るく笑うジョルジュに強がっている素振りは見られなかった。
279
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:38:00 ID:ae4yF7Go0
川 ゚ -゚)「やれやれだな。まあしかし何にせよ、当事者たちが納得していて、その保護者も了承しているのであれば、わたしたち外野がとやかく言うことではないだろうな。・・うちの親も、それほど問題視はしないんじゃあないかと思う」
('A`)「・・しないだろうね。むしろ、そんな年の離れた兄弟の話を聞いて、ふたりの仲が刺激を受けないかの方が心配だな」
川 ゚ -゚)「げろげろ。それはぞっとしないな」
僕とクーは顔を見合わせ、おそらく同じような気持ちでため息を吐いた。
( ^ω^)「ええと、それじゃあそれで決定ですかお?」
川 ゚ -゚)「ん? ああ、まだ確認は必要だけれど、おそらくそういうことになるだろうな」
('A`)「僕としては、子供のお世話なんか自分にできるかどうかがとても不安だ」
_
( ゚∀゚)「最初からひとりはキツいだろうから、ツンに連絡を付けて色々教えてもらうようにしてやろう。頑張れよ」
('A`)「――それは」
どういう意味で、と訊きそうになる自分の心を、僕はどうにか押しとどめたのだった。
280
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:39:27 ID:ae4yF7Go0
○○○
こうして僕はモララーの世話をすることになった。
モララーとの初対面は先ほど話した通りの散々たるものだった。さすがはジョルジュの弟といった次第であり、僕はこの、顔だけは非常に整っている可愛らしい3歳児とこの先仲良くやっていけるか不安になった。
とはいえ今日はツンと一緒だ。初めての共同作業と言い張るには僕に技術が足りなさすぎるが、いずれ僕がベビーシッティングに熟達してきた暁には共通の話題を大いに提供してくれることだろう。
あるいはそうした僕のツンへの感情を、あの熟達したバスケットボールプレイヤーは利用しているのかもしれない。それならそれでいいだろう。
('A`)(――ある意味、僕も彼らのこの環境を、ツンとの接点として利用しているんだ)
そんなことを考えながら、僕は風呂場でモララーの頭をガシガシと洗っていた。
仕事を終えたシャンプーの泡をシャワーで流し、続いて体を洗っていく。背中から始まり臀部、胸部、腹部と、モララーの体の裏表を上から下へと洗っていく。
('A`)(――さぁて、いよいよおティンティンである)
('A`)「ツンはいつもこのチンコをどんな風に洗ってるの?」
そのように爽やかに訊くことができればあるいは楽しめたのかもしれないが、僕はとりあえずおざなりな洗浄をしておくに留めることにした。そして後で幼児の局部洗浄事情について調べておこうと心に決めた。
281
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:42:16 ID:ae4yF7Go0
ξ゚⊿゚)ξ「モララー、お兄ちゃんのお風呂はどうだった?」
( ・∀・)「悪くないねぇ」
湯船に浸かった幼稚園児はそう言った。それを聞いたツンは小さく笑い、僕に向かって肩をすくめて見せたのだった。
ξ゚⊿゚)ξ「お褒めの言葉よ。あんたも一緒に入ってもいいけど?」
('A`)「・・ツンは一緒に入ってるのか?」
ξ゚⊿゚)ξ「そんなわけないでしょ」
('A`)「だよね」
上着と靴下をあらかじめ脱ぎ、上下の袖をまくれるだけまくった格好で僕はモララーの洗浄を行ったのだ。技術的な指導のためにツンが見守る中、少年と入浴を共にする気にはならなかった。
もしかしたらと思ったが、ツンも長岡家でついでに入浴をしたりはしていないらしい。これは当たり前のことだろう。
しかしながら、ツンも今の僕と同様に、ブレザーと靴下を脱いだ制服姿で入浴の世話をしているのだろう。端的に言ってエロい。僕は腕まくりをして裸足で仕事するツンの姿を頭に浮かべて一通り、それはそれでしっかり楽しんだのだった。
282
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:43:48 ID:ae4yF7Go0
ツンが用意してくれたタオルで濡れた手足をぬぐい、僕は彼女にこの後の段取りについて確認しておくことにした。
('A`)「風呂から上がったらご飯?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうよ。簡単なレシピじゃなければ流石にイチから作ってる余裕はないから、必要に応じて作り置きをしておいたり、前日の内に仕込んでおいたりするの」
('A`)「・・3歳児って何食べてるの?」
ξ゚⊿゚)ξ「特別辛かったりしなければ大抵何でも食べるわ。今夜は何も仕込んでないから簡単に焼きそば。あんたも食べる?」
('A`)「それは有難い話だね」
ξ゚⊿゚)ξ「それじゃああたしは料理するから、あんたはモララーの気が済んだらお風呂から上げて服を着させてあげて」
着替えはこっちよ、と促すツンの指示に僕は従い、モララーの着用する下着とパジャマを用意した。バスタオルもよし。お風呂のオモチャでひとり遊んでいるモララーを眺めていると、遠くで調理の音がする。
なんとも家庭的な状況だ。大人になった自分の世界にタイムスリップしたような気持ちにすらなるというものだ。3歳児を我が子に見立て、僕は優しく声をかけてみる。
('A`)「モララーくん、そろそろお風呂から上がるかい?」
( ・∀・)「上がらンな〜い!」
その返事はなんともつれないものだった。
283
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:44:44 ID:ae4yF7Go0
結局、僕はモララーの指がふやふやになるまでお風呂で遊ばせ、そろそろ上がらせなさいとツンに言われるまでぼんやり過ごした。立派な指示待ち人間だ。
ξ゚⊿゚)ξ「モララー、そろそろ上がりなさい! のぼせちゃうわよ」
( ・∀・)「あがるンな〜い」
ξ゚⊿゚)ξ「今すぐ上がらないとご飯食べられないわよ」
( ・∀・)「ごはん!」
夕食を人質に取られた3歳児の動きは俊敏で、あやうく僕はずぶ濡れのまま廊下に出させてしまうところだった。
キャッチだ とうっ、とばかりに裸体をバスタオルで受け止められたことを確認すると、ツンは再びキッチンへと戻っていった。僕はモララーの頭をガシガシと拭き、一刻も早くこの束縛から逃れようとする幼児のパワーをなんとかコントロールしてみせる。
( ・∀・)「もういい! 離せェ」
('A`)「さすがに風邪を引いちゃうだろうから、それはちょっと許されない」
恨むなら自分か神様にしてくれ、と僕は心の中で呟き、この場合は神様よりも冬に近づいている季節を恨むべきかもしれないな、と勝手に思いを巡らせるのだった。
モララーは口を尖らせながらも僕にパジャマを着させてくれた。
284
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:46:20 ID:ae4yF7Go0
○○○
('A`)「――と、まあ、そんな感じで、僕はお仕事してきたわけだよ」
(,,゚Д゚)「ほーう、いやいやなかなか、その歳で子育てを経験するとはな!」
(*゚ー゚)「ご迷惑をかけなかった?」
('A`)「どうかな、今のところ苦情はないけど」
(,,゚Д゚)「大変だったか?」
('A`)「大変だった。ふたりであれだったんだから、ひとりでやることを思うとゾッとするね」
家の方針や事情もあり、家事仕事に慣れている筈の僕はそう言った。本心だ。ちらりと母の方に目をやると、澄ました顔でビールの入ったグラスを傾けている。
僕は母さんの空いたグラスに追加のビールをお酌した。
(,,^Д^)「ギコハハハ! 母さんに感謝する気になっただろう!」
素直に父の言葉を認める代わりに、僕は彼らに肩をすくめて見せることにした。こちとらまだまだ多感な若者なのだ。ふと溢れたようなタイミングでもなければ親への感謝を言葉に出すというのは非常に難しいことである。
285
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:47:33 ID:ae4yF7Go0
長岡家から帰宅した僕を待っていたのはこの両親だった。
大学教授をしている父も、病院看護師をしている母も、基本的に帰りの時間は安定しない。それがこうして揃って常識的な時間に家にいるというのは、笑ってモララーの世話に許可を出した彼らも少なからず心配してくれていたということなのかもしれない。
日頃とこれまでのお礼を口に出さない代わりに、そうした彼らの気遣いをあえて指摘することもせず、僕は家にある食料品から簡単なお酒のツマミを用意して提供した。
すると、そのツマミに引き寄せられたかのように、まさにそのタイミングで姉のクーが帰宅したのだった。
川 ゚ -゚)「ただいまぁ〜っと。お、ナス味噌あるじゃん、素晴らしい」
('A`)「作り置きだけどね。ご飯食べるなら他にも何か作ろうか?」
川 ゚ -゚)「いやビール。ビールがあればそれでいい」
('A`)「ナス味噌はどこにいったんだよ・・」
(*゚ー゚)「ビールなら私と分け合う?」
川 ゚ -゚)「その天才的発想にわたしは震える」
('A`)「アル中じゃねぇか」
大きくひとつ息を吐き、僕はクーの分のグラスを用意した。
286
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:48:34 ID:ae4yF7Go0
川 ゚ -゚)「お母さんありがとう。それで、ドクオ、初めての子守はどうだった?」
('A`)「まったく思い通りにいかなかったよ」
川 ゚ -゚)「ふふん。育ててくれたお母さんに感謝しておくんだな」
('A`)「さっき父さんにもそれ言われたよ。まったくもう」
クーは指摘されることを好まないが、この父と姉は色々なところが似ている。僕は改めてそれを実感した。
すると、同じタイミングで実感していたのかもしれない母さんが笑ってそれを指摘した。
(*゚ー゚)「やっぱりあなたたちよく似ているわ。ドクオが子育ての話なんかするものだから、なんだか色々思い出しちゃった。本当に、全然思い通りにならなかったものだわ」
('A`)「思い出爆弾で僕を攻撃するのはやめて欲しいな」
(*゚ー゚)「ふふ。それで、どこまでがあなたたちの担当だったの?」
('A`)「――ああ、モララーの話? 幼稚園に迎えに行って、お風呂に入れて飯を食わせて、モララーと後片付けしたり遊んだりしながら時間を潰して、ジョルジュが部活から帰ってくるか、おばさんが仕事から帰ってきたらおしまいだよ」
287
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:49:55 ID:ae4yF7Go0
口に出してみて僕は気づいた。とても多大な労働に思えた本日の僕の働きぶりが、言葉にすると何でもないことのように思えるのである。
('A`)「――う〜ん、これは世のお母さんたちが不理解に憤るのも無理ないな」
川 ゚ -゚)「ひとりで何言ってんだお前?」
('A`)「今のクーには話しても理解を得られないかもしれないことさ。僕はひとつ大人になったのかもしれない」
川 ゚ -゚)「自分で大人になったかもしれないとか言ってる内は間違いなく子供だな」
ナス味噌をつつきながらビールグラスを口に運び、そう言うクーに対して僕にできたのは、せめてぐうの音だけは忘れず出しておくことくらいだった。
('A`)「ぐう」
川 ゚ -゚)「――それで、続けるのか?」
('A`)「そうだね、少なくともしばらくは。よっぽど嫌になることがない限りはね」
288
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:50:41 ID:ae4yF7Go0
いいよね、と親への許可を目で訴えた僕に、母さんは小さく頷いた。
(*゚ー゚)「どうぞどうぞ。――ただ、無責任なことはしないようにね」
('A`)「何かあったら相談するよ」
(,,゚Д゚)「それでウチのことができなくなるようなら、それはそれで構わないから、ちゃんと事前報告するようにな」
('A`)「了解。これまで通りに続けるつもりだけど、知らずにクオリティが落ちてるようなら指摘してね。それで改善されないようならクビにしてくれても構わない」
川 ゚ -゚)「それは任せろ、わたしの得意分野だ」
('A`)「お前こっちの家にほとんどいないだろ」
川 ゚ -゚)「ふふん」
クーにグラスの傾きで要求され、僕はそこにビールを注ぎ足した。
289
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:53:45 ID:ae4yF7Go0
○○○
こうして僕の週1子育て生活は始まった。
土日は基本的に長岡親子で何とかなるので、僕らの担当は平日の5日だ。これまではツンとハインで3日担当の週と2日担当の週が交互になるようにシフトのようなものを組んで対応していたらしい。
( ^ω^)「ふ〜ん、そこにドクオが週1で入ったことで、2-2-1みたいなシフトになるのかお」
('A`)「週2と週3の負担はかなり違うらしい。想像しかできないけど、まあそうだろうな。単純に考えて2と3じゃ1.5倍になるわけだしさ。何はともあれ、ツンたちの助けになれるならよかったよ」
( ^ω^)「ドクオもそれで納得してるならよかったお」
いつものお昼休みにいつもの柔和な表情で、ブーンは僕にそう言った。僕はそれに頷いた。
ひとつの話題をまとめて終わりにするようなやり取りだ。僕は長岡家トークの終わりを感じ取り、続いて迫り来ているそれなりに大きなイベントである学園祭や、その後に待っているのであろう期末テストの話でも始めようかと思っていた。
しかし、ブーンはなおも子育ての話を続けたのだった。
290
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:55:07 ID:ae4yF7Go0
( ^ω^)「そういや子供のお世話の中で、一番大変なパートって何だお?」
('A`)「いちばん? う〜ん、そうだな・・料理かな、やっぱり」
( ^ω^)「料理かお」
('A`)「いや確かに僕は料理は慣れてるけどさ」
ブーンは僕のバイト先である飲食店『バーボンハウス』の完全なる身内だ。そこである程度鍛えられているであろう料理が一番大変であるというのは何とも言いづらいことだったが、事実として僕は素直にそう言うことにしたのだった。
('A`)「実際やっぱり他人の、しかも子供の食べ物となると内容も考えちゃうし、毎日同じものってわけにもいかないしさ、大変は大変なんだよ」
( ^ω^)「把握」
('A`)「なんで言い訳みたいなことをしてるんだろうね僕は?」
まったくもう、と僕は苦笑でこの話題を押し流そうと試みた。そんな僕にとって意外だったのは、ブーンがなおもこの話を続けようとしたことだったが、その内容もまた、なかなかに想定の範囲外のものだった。
291
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:57:04 ID:ae4yF7Go0
( ^ω^)「いや、僕も何かお手伝いしようかと思ってたんだお」
('A`)「ブーンが?」
( ^ω^)「僕です」
(;'A`)「ええと、それはどういう?」
半ばしどろもどろになって僕はブーンにそう訊いた。何故って、僕は長岡家仕事の中ではぶっちぎりで新入りの下っ端だ。まだ仕事の流れも十分体に染みついてなどいない。もちろんその分担に対する決定権みたいなものは、欠片さえも持っていない。
そんな僕にお手伝いの提案をしたところで何も話が進みはしないのだ。それをこの成績優秀な上社会的な経験も積んでいる秀才がわかっていない筈がない。この問題を解決するのはまったく難しいことではないのだから。
だから僕は指摘した。
(;'A`)「――というか、ツンかジョルジュがいるところで言った方がいいんじゃないの?」
( ^ω^)「まあ、それはそうなんだけど、実際手を動かすのは僕かドクオになりそうな話なんだお。だから先にドクオの考えを訊いとこうと思ったんだお」
お前の手伝いの手伝いを僕がやることになるのかよ、と頭に浮かんだ言葉を僕は注意深く飲み込んだ。
292
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:57:58 ID:ae4yF7Go0
('A`)「――聞こうか」
( ^ω^)「まあ話は単純で、料理が大変なんだったら、そこはウチからある程度提供できるんじゃないかと思うんだお」
('A`)「ウチって、『バーボンハウス』のことか?」
( ^ω^)「そうだお。僕やドクオが働く時ってまかない作るお? それを多めに作っといてもいいし、別の機会にお弁当的にこしらえてもいいし、とにかく何らかの形でお料理を持っていくことができるんじゃないかと思うお」
('A`)「確かにな。――作り置きの副菜提供とかだけでも結構助かる気がするな」
( ^ω^)「ざくっと肉焼くとかならお家でやればいいけど、たとえばハンバーグのタネを仕込んどくとかだけでもかなり楽になるんじゃないかお?」
もちろん親父の許可をこれから取らないといけないんだけど、と続ける男の表情は変わらず柔和で、そこには少しの気負いも僕には感じられないのだった。
こいつのことだ。うまく父親を巻き込んで言いくるめ、料理の仕込みや提供をも担当させてしまうつもりなのかもしれない。
293
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 22:59:22 ID:ae4yF7Go0
( ^ω^)「話の流れ次第でひょっとしたら親父に全部押し付けることもできるかもしれないけど、基本的には僕とドクオで何とかやってお店に迷惑はかけない、ってスタンスで話を進めていくから、そのへんの覚悟というか、もし上手くいかなかった場合の負担はお願いするかもしれないお」
('A`)「なるほどね。どう考えてもトータルでの負担は軽減されそうだし、いいぜ、好きに話してくれよ」
( ^ω^)「おっおっ、それじゃあ最悪ドクオが全部負担にすることになったら、それはそれでお願いするお」
('A`)「全然話が違うじゃないかよ。・・でもまあいいぜ」
( ^ω^)「いいのかお!?」
すべてを僕が被ることになり得る提案を飲まれるとは思っていなかったのだろう。冗談めかした口調だったブーンは少し焦っているようだった。
何とも愉快なことである。
('A`)「だってお前が交渉して得るのは『バーボンハウス』を利用させてもらう権利のようなものだろう? 気にくわない条件だったら僕らが使わなければいいだけだ」
肩をすくめて僕はそう言い、ブーンと目が合うと僕らは小さく笑い合った。
294
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:03:03 ID:ae4yF7Go0
○○○
結局、人助け、それも身内の子どものお食事ケアという大義名分を用意して行ったブーンの交渉が失敗に終わる筈もなく、僕らは『バーボンハウス』の全面的な理解と援助を得られることになった。
内藤ホライゾンさまさまである。
ξ゚⊿゚)ξ「いやあ、おかげさまで、だいぶ楽になりました」
本日僕は、とある体育館の観客席にツンと並んで座っている。そしてそれだけですべての労が報われかねない言葉をツンから賜っていたのだった。
前回と同じくジョルジュの試合の観戦だ。違っているのは、同じ並びにブーンやハインといった同級生がいないことと、催されるイベントがVIP国体ではなくウィンターカップという大会の予選であること、それに伴い会場が比較的小さな体育館であることである。
そして前回と同じなのは、僕はツンとふたりきりになれてはいないということだった。
僕とツンに挟まれるようにして客席に座り、モララーがサンドイッチを食べていた。
295
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:04:41 ID:ae4yF7Go0
もっとも、比較的小さいと感じるのは、比較対象がVIP総合体育館だからだろう。僕らの今いる体育館もおそらくは名のある立派な会場である。
施設名こそ僕は知らないが、その規模の大きさは、観客席での飲食が禁止されていないほどであると言えば伝わるだろうか。ツンからその情報を得た僕らはモララーも交えてサンドイッチを作成したのだった。
具材を切って用意するのは僕の仕事、サンドイッチ仕様に薄切りのパンへマーガリンやマヨネーズを塗るのはツンの仕事、そしてそのツンの介助を利用しながら好きな具材をパンへ挟んでいくのがモララーの仕事だった。
自分の好みに完全にマッチングされたサンドイッチを食べるモララーの目は輝いている。
ξ゚⊿゚)ξ「どうだねモララーくん、自分で挟んだサンドイッチは美味しいかね」
( ・∀・)「うん、凄い。すごい味よ!」
(;'A`)「すごいあじ・・」
ξ゚⊿゚)ξ「この子の最上級の誉め言葉はこれなのよ。普通その表現は悪い意味になりそうだけどね」
( ・∀・)「すごい味よ! ツンも食べてみて!」
ξ;゚⊿゚)ξ「そうきたか。・・どうもありがとう」
礼を言ったツンは得意げなモララーから、3歳児の全力で握りしめられた、かつてはサンドイッチだったものを受け取った。
296
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:05:42 ID:ae4yF7Go0
( ・∀・)「おいしい? ねえツンおいしい?」
('A`)「訊く方は美味しいで訊くんだ」
ξ゚⊿゚)ξ「モララーの作ったサンドイッチおいし〜☆」
( ・∀・)「でしょ! ドクオもどうぞ!」
('A`)「どうもありがとう。・・うん、そうだね美味しいよ」
( ・∀・)「すごい味よ! ばんざい!」
モララーは誇らしそうにそう言うと、トマトの水気とマヨネーズの油分でベドベドになった両手を高く掲げてサンドイッチの成功をここに宣言した。
その手で自分の頭に触られてはたまらない。僕とツンは大慌てでその両手をウェットティッシュでぬぐい清め、このバスケットボール観戦にまったく興味を示さない3歳児をなんとかコントロールしながらジョルジュの勇姿をちらちらと眺める。正直言って、まったく試合に集中できる状況ではなかった。
そして試合に集中できない理由はもうひとつあった。たまたま発見したのだ。コートを挟んで反対側の席になるが、クーと貞子さんがこの試合会場に来ているのである。
彼女たちが僕らの存在に気づいているのかどうかは知らないが、とにかくその姿に気づいた僕は飛び上がりそうなほど驚いたものだった。
297
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:06:54 ID:ae4yF7Go0
こちらは子連れかつ女連れだ。どう考えても僕からアプローチはしたくない。
あちらは僕らに気づいていないのか、もしくはいくらか事情を慮ってくれたのか、とにかく近寄ってきて話しかけられたり、突然電話がかかってくるようなことはなかった。僕は無事に本日ジョルジュが出場する試合を観終えられたことに安堵した。
ξ゚⊿゚)ξ「・・なんとか最後まで観ることができたわね」
('A`)「どうする? って、帰るしかないか。そろそろマジで限界みたいだもんな」
少なくとも僕とは初めてとなるお出かけに疲弊したのか、少し前からモララーの態度はあからさまに不機嫌なものとなっていたのだ。僕はその変化に驚くばかりだったが、ツンは即座に「眠いのよ」と断じていたわけである。
ξ゚⊿゚)ξ「今すぐ出ればそこまで混まないかもしれない。バス停まで抱っこできる?」
('A`)「できる、と思う」
ξ゚⊿゚)ξ「モララー、もう歩けないでしょ? お兄ちゃんに抱っこしてもらおうか?」
( -∀-)「抱っこォ」
ξ゚⊿゚)ξ「この肉塊以外の荷物はあたしが持つからよろしくね」
まあ3歳児だし、と高をくくってモララーを抱っこした僕はあまりの重さに驚いた。そして完全に脱力した人間は驚くほどに重いとどこかで聞いた話を思い出す。
それはまさに驚くほどの重さだった。
298
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:08:35 ID:ae4yF7Go0
幸いなことにバス停は空いており、やがて来たバスもまた空いていた。
ξ゚⊿゚)ξ「まあこのタイミングで即帰る人って少ないだろうしね。お疲れ、ドクオ、重かった?」
('A`)「全然大丈夫、と言いたいところだけど、重かった・・」
ξ゚⊿゚)ξ「あいつら、容赦なく寝るからね。まあでもひとりになる前に覚えておけてよかったかもね」
('A`)「ご指導ありがとうございました」
冬に近づく季節に伴い暖房がつけられているのだろうか。ポカポカと暖かい後部座席でバスに揺られ、僕はツンにそう言った。本来今日のバスケ観戦は予定されておらず、僕は次からひとりでモララーの世話をするつもりだったのだ。
正直なところ、不安でいっぱいだったので、ツンからのモララーを連れてのバスケ観戦のお誘いに僕はいちもにもなく飛びついた。
僕、モララー、ツンの順で長い後部座席に腰掛け、ぬくぬくと路面の状態を感じる。モララーは僕とツンに挟まれ寝ている。静かな時間が流れる。
それはなんとも幸福なひとときだった。
ξ゚⊿゚)ξ「――こちらこそ、ありがとう」
299
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:10:51 ID:ae4yF7Go0
ぼんやりとバスに揺れる中で呟くように言われたその言葉を僕はあやうく聞き漏らすところだった。
いや、嘘だ。ツンから僕に発せられたポジティブな内容の発言だ。僕の脳は反射的に覚醒し、僕の意識はツンの口から続く言葉のすべてを丁寧に受け止めていた。
ξ゚⊿゚)ξ「――正直、結構きつかったのよね。この子は間違いなく可愛いんだけどさ」
ツンにもたれかかるようにして熟睡している3歳児の頭を優しく撫で、ツンはゆっくりとそう言った。伏し目がちになった彼女はほんの少しの疲労感を漂わせ、家族にしか見せないような無防備な雰囲気で僕の視線の先にいる。
まつ毛が長いな、と僕は思った。
('A`)「わかるよ。――なんというか、言葉にしたら大したことをやっていないような気にもなっちゃうんだけど、実際大変だし、消耗するよね」
ξ゚⊿゚)ξ「そうそう。何かを削られるのよね」
('A`)「ひょっとしたら、スネをかじるって表現は意外と適切なのかもしれない」
ξ゚⊿゚)ξ「お金は出してないけどね。早くもあたしのスネはボロボロなのかも」
そう言い、実際のスネ状態を確認するかのようにツンは右足を軽く上げた。その動作がスカートを押し上げ、ストッキングに包まれたツンの足が僕の視界に入ってくる。
これじゃわかんないか、とツンは言って笑った。
300
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:12:11 ID:ae4yF7Go0
その時だ。バスが揺れた拍子にモララーが小さく唸って身をよじった。
起きるのか?
今のこの何とも言えない満ち足りた時間が崩れることを恐れ、僕は反射的にモララーの頭を撫でる。なんとかなだめて睡眠を持続してもらおうという魂胆だ。ありったけの愛情をかき集めて自分の右手に送り、手の平に触れる小さな頭に念じるように塗り込めていく。
僕の祈りがどこかに届いたのか、結局モララーの眠りが大きく阻害されることはなく、彼が再び落ち着いて寝息を立て始めたことを確認すると、僕はツンと顔を見合わせて小さく笑った。
大きくひとつ息を吐く。こういう些細な緊張も、ひとつひとつは微笑ましいエピソードなのだろうが、積もり積もればどこかでストレスとなるのかもしれない。笑い合う対象がなければそれはなおさらのことだろう。
そして気づいた。僕は今、モララーの頭を介してツンと手を繋いだような状態になっている。
直接接してこそいないけれど、確かにそこにツンを感じる。熟睡したモララーのぷくぷくとした頬をつつくとツンに触れているような気持ちにすらなるのだ。
('A`)「――ツンはさ、なんでモララーのお世話をしようと思ったの?」
気づくと僕はそう訊いていた。
301
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:14:07 ID:ae4yF7Go0
どうして自分がそんなことを訊いたのか、僕にはよくわからなかった。
事情はそれなりに知っている。ジョルジュが話していたからだ。モララーが生まれ、適切な保育園に入ることができず、親の仕事の事情も相まってジョルジュがバスケを続けるためには誰かがその子の面倒をみなければならなかったからだ。
その筈だ。その話をツンの口から改めて聞きたいと思うのは、やはりそのモチベーションだけで子供の世話という荷物を背負うこと、背負い続けることはできないだろうと思うからだろうか?
やはりそこには何らかのモチベーションが他に必要なのではないかと思うのだ。たとえばそう、好きなひとの役に立ちたい、そのひととの特別な接点が欲しい、といったようなモチベーションだ。
だったらどうだというのだろう?
僕はどうしてそんなことを訊いてしまったのだろう?
そんなことを頭にぐるぐると巡らせながら、僕はモララーの頭を撫でてツンの返答をしばらく待った。即答されなかったからである。
ツンはまるで今この場でその言葉を探しているかのようだった。
302
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:15:17 ID:ae4yF7Go0
実際のところはそこまで時間がかかったわけではなかったのかもしれない。やがてツンは口を開いた。
ξ゚⊿゚)ξ「う〜ん、なんていうか、よく覚えてないのよね。いや、覚えてないっていうのも正確じゃあないんだけども」
('A`)「なにそれ、どういうこと?」
ξ゚⊿゚)ξ「結構昔の話でさ、それなりに大変な思いもしたと思ってて、今振り返る当時の気持ちって、なんだか脚色されてる気がするのよね。捏造はしてないつもりだけどさ」
('A`)「・・ああ、そういうことね」
思わず笑って僕は頷いた。どうやらツンは誤魔化そうとして考えていたのではなく、真摯な受け答えをしようとして時間をつかっていたようである。そして確かに彼女の言には一理あると僕にも思えた。
しかし同時に、そんなこと言っても仕方ないじゃないかとも思った。だから言った。
('A`)「でも、そんなこと言ってもしょうがないよね」
ξ゚⊿゚)ξ「まあそうなんだけどさ。じゃあ今現在、思った通りに話してみるから、あんたもそういう感じで聞いてね」
('A`)「了解」
どういう感じだよ、と思いながらも、僕はツンに頷いて見せた。
303
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:16:51 ID:ae4yF7Go0
ξ゚⊿゚)ξ「最初は、言っちゃえば軽い気持ちだったんだと思う。あたしは子供好きだし、ジョルジュにもバスケを続けて欲しかったし、できるだけやってみようと思ったの。だめならだめでごめんなさいって感じ」
慣れない赤子の世話はもちろん大変だったが、やってやれないことはなかったのだとツンは言う。
ξ゚⊿゚)ξ「でもね、状況が少しずつ変わってきた。産休から明けた当初、おばさんはちょっと特殊な育休制度みたいな職場の育児支援を利用しながら働いていて、そのお手伝いをあたしがやる、みたいな感じだったんだけど、途中からその仕事が忙しくなってきたの」
充実してるみたいだった、とジョルジュのお母さんの事情を語るツンの姿に恨みがましいところは見られない。しかし、事実として、ツンへの子育て負担は増加する一方だったらしい。
('A`)「なんだかひどい母親のように聞こえるな」
ξ゚⊿゚)ξ「本人をよく知らないとそうかもね。あたしはジョルジュとずっと昔から一緒だし、おばさんとも仲良かったから、頼られるのにあまり悪い気しないのよ。たぶんジョルジュもそうなんだと思う。むしろ応援したくなるっていうかさ」
ツンは笑ってそう言った。
304
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:18:43 ID:ae4yF7Go0
ξ゚⊿゚)ξ「まあでも正直しんどかった。特にモララーが幼稚園に通い出してからは、おばさんフルタイムで働くようになっちゃって、送り迎えとその後のケアを誰かがしなければならなくなったのよ。さすがに毎日あたしがするってのは無理だし、無理やりこなしたところであたしが風邪でも引いたら詰みなわけだし、もうそろそろダメかもね、なんてジョルジュと話したわ」
('A`)「――ジョルジュはバスケ、やめるってなってもよかったのかな?」
ξ゚⊿゚)ξ「口では、バスケなんて別にって言ってたわ」
('A`)「ふぅん。ツンは?」
ξ゚⊿゚)ξ「あたしは――正直言ったら嫌だったかも。やっぱりあたしは、ボーラーとしてのジョルジュがどこまでやれるのかを知りたかったし、今も知りたい」
そう言い、少しの疲労感をエッセンスとして加えた小さな笑みを浮かべるツンを、僕は吸い込まれるようにじっと見つめた。
そこに恋心のようなものは本当にないのだろかと、僕はどうしても勘繰ってしまうのだった。ジョルジュがそれを否定したからといってツンもそうだとは限らない。
ξ゚⊿゚)ξ「・・何?」
その魅力的な雰囲気のツンに訊かれた僕は、思わず口に出していた。
('A`)「ツンは本当にジョルジュと付き合っていないの?」
305
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:19:41 ID:ae4yF7Go0
しかし、僕の言葉がその耳に届くなり、ツンは吹き出して笑い始めたのだった。
ξ゚⊿゚)ξ「ちょっと何それ、誰が言ってたの?」
('A`)「え・・ジョルジュだけど」
ξ゚ー゚)ξ「本人ソースか。それじゃあしょうがない、本当のことを教えてあげよう」
(;'A`)「本当のこと・・?」
僕の背中に冷たいものが流れる。凝視して次の言葉を待つ僕を、やはりツンは笑い飛ばした。
ξ゚ー゚)ξ「うは、何その顔?」
(;'A`)「だって本当のことを言うと言うからさ」
ξ゚ー゚)ξ「ふふ。それじゃあ本当のところはね、あたしとジョルジュは付き合ってないわ。付き合ったこともないし、これから付き合うこともたぶんないでしょうね。ジョルジュが何て言ったか知らないけど、あたしにとってジョルジュはそういう対象じゃあないの」
寝ているモララーの頭を撫で、ツンはあっけらかんとそう言った。
僕は思わずその顔を見返す。
306
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:20:34 ID:ae4yF7Go0
('A`)「・・そうなんだ?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうよ。確かにバスケットボール選手としてのジョルジュは好きだし、最大限のサポートはするけど、それだけ」
('A`)「それだけ、ね」
ξ゚⊿゚)ξ「なによ」
('A`)「なんでもないよ」
僕はモララーの頭を撫でてそう言った。
両側から頭を撫でられる3歳児は一貫して熟睡している。『めぞん高岡』の近くでバスから降りるまでの間、僕とツンはしばらく黙ってその滑らかな感触をそれぞれ静かに味わった。
なおも寝入っている完全脱力した子供を僕は何とか部屋まで担ぎ上げ、布団に寝かせる。ツンがお出かけの後片付けをしている間に僕はお茶を淹れることにした。
('A`)「・・やれやれ、ようやく落ち着けるかな」
ξ゚⊿゚)ξ「お疲れさま。お茶ありがとう」
これであとは彼らの母の帰りを待つだけである。夕食の用意はいらないと言われており、僕たちにはゆっくりとお茶を飲む時間があった。
307
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:21:25 ID:ae4yF7Go0
ξ゚⊿゚)ξ「・・そういえば、あんたはいつまでこのお手伝いを続けるの?」
それはお茶の席での何気ない質問だったが、ツンに訊かれた僕はハッとした。まったく考えていなかったのだ。
('A`)「――それは考えてなかったな」
ξ゚⊿゚)ξ「なにそれ、嘘でしょ」
('A`)「いや本当に。なんというか、意外な質問だった」
ξ゚⊿゚)ξ「マジで?」
('A`)「マジまじ。そういやそうだな、決めてなかったな。僕に子育て能力がないか、姉に止められたら終わりということだったけど、自分の意思でどこまで続けるかというのは盲点だった」
ξ;゚⊿゚)ξ「あんたバカなんじゃないの?」
('A`)「そうかもしれない」
小さく笑ってお茶をすすり、僕はツンにそう言った。
308
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:23:03 ID:ae4yF7Go0
考えてみれば、現状、僕にはこの労働の対価が存在しない状態である。
僕とツンとハインの内、ツンにはバスケットボールプレイヤーとしてのあらゆる努力を続けるという対価が、ハインには絵のモデルとなり肉体関係を保つという対価が、本当にそれは対価と言えるのかという疑問を無視すればそれぞれ支払われている。
しかし、僕のは賭けの代償だ。そこに拘束力があると言い張ることは不可能ではないかもしれないが、僕の気持ちひとつで反故するのは十分可能なことだろう。
それを、僕にどこまで続けるつもりがあるのかは、なるほどツンにとっては是非とも知っておきたいことだと思える。僕は頷いてお茶を飲み干した。
ξ゚⊿゚)ξ「うあぁ〜失敗した! なあなあでずっとやらせればよかったのね!」
煽るような口調で大袈裟に嘆くツンを眺め、僕は肩をすくめて見せた。
('A`)「それが賢かったかもね。でもまあすぐには辞めないよ。せっかくひとりでやれるように指導していただけたのだし、僕が手伝うことでツンが助かると言うならなおさらね」
ξ゚⊿゚)ξ「たすかる」
('A`)「そのままかよ」
309
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:24:54 ID:ae4yF7Go0
アライグマじゃないんだから、と言いながら、僕は頭にまったく違うことを思い描いていた。ちょっと対価を得てみようと思っていたのだ。
だから僕はきわめて自然な口調になるように、意識して何でもないことのように言ってみた。
('A`)「それじゃあ僕が辞めづらいように、ひとつツンのことを教えてよ」
ξ゚⊿゚)ξ「あたしのこと? 別に訊いたら答えてあげるけど、それで辞めづらくなるわけじゃないでしょ」
('A`)「いやぁ、面白い話が聞けるんだったら、僕も辞められないというものだろう」
ξ゚⊿゚)ξ「ふうん、それじゃあご自由に。言っとくけど、訊かれても答えられないものは、どうやったって無理なんだからね」
緊張感なくお茶を飲んでいるツンを眺めて僕は思う。この女の子は自分の情報の価値を低く見積りすぎているのではないだろうか?
ある特定の種類の人間にとって、その気持ちを確かめられるというならば、向こう岸の見えない崖から全力で飛び立つような勇気を振り絞る価値がそこにはあるというものだ。
あくまで彼女に気づかれないよう、こっそり静かに覚悟を決め、僕は努めてゆっくり訊くことにした。
('A`)「・・ツンには誰か、好きな人がいるの?」
310
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:26:20 ID:ae4yF7Go0
その質問を受けた途端、ツンはお茶を口に運ぶ手を止めて、ゆっくりとこちらを見てニヤリと笑った。
ξ゚ー゚)ξ「・・ああ、そういうこと?」
('A`)「良い対価だろ?」
ξ゚ー゚)ξ「確かにこれは、普通には訊けない良い質問ね」
肩をすくめてそう言うと、いいわ、教えてあげる、とツンは続けた。
ξ゚⊿゚)ξ「それに、ちょうどいいのかも」
(;'A`)「ちょうどいい!?」
カウンターを食らったような心境だ。知っている日本語のこの場合に意味するところに確証が得られず、僕はオウム返しにそう言った。
すると、ツンは黙って止まっていた手を動かし、ゆっくりとお茶をひと口飲んだ。僕はその所作をじっと見つめ、やがて口に湧いてきた唾液をじっくりと飲み込んだ。
311
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:29:54 ID:ae4yF7Go0
そしてツンは言葉を続けた。
それは僕にとって聞きたくなかったような、しかし是非とも聞いておかなければならない言葉だった。
ξ゚ー゚)ξ「――あたし、内藤のことが好きなんだ」
僕の目を見てそう言ったツンは、言い終わるや否や、僕から目を逸らして恥ずかしそうにはにかんで笑ったのだった。
ξ*゚⊿゚)ξ「ひゅう〜、言っちゃった言っちゃった!」
内緒だからね、と付け加えるツンを見てられず、僕は空の湯飲みを手元で遊ぶ。壁面に付着したなけなしの1滴の水分をすするようにして摂取する。
ξ゚⊿゚)ξ「ちょっとわかった!? 絶対誰にも言わないでよね、振りじゃなくて本当に」
何度も念を押してくるツンに僕は頷く。声に出して約束をする。
('A`)「わかった、誰にも言わないよ」
言う筈がないじゃないかと僕は思う。このまま彼女の想いが誰にも届かず、何らかの形で解消され、僕がツンを口説ける状況になれば良いとさえ思っているのだからだ。
誰にも言うつもりはないのだけれど、同時に誰かに聞いて欲しかったのだと言うツンにとって、この場の僕の質問はまさにちょうどよかったのだろう。明るい顔で話すツンの表情は輝いている。僕はその姿を眩しく思い、ゆっくりと湯呑みを口へと運ぶ。
とっくの昔にそれは空になっていた。
1.('A`)の話 おしまい つづく
312
:
名無しさん
:2020/11/26(木) 23:46:46 ID:vnqz7o6E0
otsu
313
:
名無しさん
:2020/11/27(金) 02:21:34 ID:zubMfGok0
乙です
展開が読めなくて毎話面白い
ドクオ応援してるよ
314
:
名無しさん
:2020/11/27(金) 05:51:38 ID:DiPQ9Fbs0
ドク×サダパイかな?
315
:
名無しさん
:2020/11/27(金) 20:20:22 ID:Xa25QdCU0
おつ
ジョルジュの母親はちょっとアレな感じかな
316
:
名無しさん
:2020/11/29(日) 08:00:40 ID:1ZWqKwys0
ドックンがんばれ
次も期待
317
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:09:14 ID:1we2YTy60
2-1.ポイントガード
おれはコート上の将軍だった。
と書くと偉そうに見えるかもしれないが、これは単におれのポジションを表す英語表現の直訳だ。単にポイントガードをやってますよという話であって、なにも王様プレイと呼ばれるような独善的な立ち振る舞いをおれがしているわけではない。
どころか、実際のおれのコート上での仕事内容は、好き勝手な行動とはほど遠い。
攻撃の起点までバスケットボールを無事に運び、その間にチームメイトに指示を出すわけだ。そして相手の対応を観察し、これまでの情報と照らし合わせて最終的な判断をする。それは敵も、時には味方でさえも、おれの思った通りに動いてくれるとは限らないからだ。
まったく、許しがたいことである。
しかし、許しがたいからといってチームメイトを冷遇することは許されない。それはバスケで同時にコートに立つのがたったの5人の選手だからだ。ひとりが調子を崩すとそのチームに対する影響はとても大きいし、チームの空気が悪くなれば、ただ単純にひとり分の能力が低下するばかりでは済まなくなってくる。
だからおれたちポイントガードの仕事は中間管理職のような性格をしている。選手は誰しもボールに触れたいものだ。そして自分に放てるシュートをしたい。この欲求はボーラーの本能のようなものであって、口でどのように言うやつであろうとも、決してその存在を無視してはいけないとおれは常々考えている。
318
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:12:28 ID:1we2YTy60
とはいえボールはひとつしかない。1度の攻撃で放てるシュートは必ず1本だ。自分でオフェンス・リバウンドをぶんどってそのままアタックでもしてくれない限り、おれたちはチームでシュートの機会を分け合う必要がある。そしてその配分やタイミングを考えるのは主にポイントガードの仕事なのだ。
この攻撃でどのような動きを導き、どのようなシュートを放つか。おれは判断しなければならない。
制限時間は24秒だ。以前は30秒だったのだが、スピーディな試合展開を心がけるということで、国際的に6秒の猶予をおれたち選手は奪い取られた。そして日本もそれに倣った。
正直言ってやれやれだ。おれは毎度の攻撃で、24秒以内に効率の良いシュートを作り上げなければならない。
24秒だ。24秒。とても短い。実際には、コートにボールを入れてもらってそれをつき、さあ攻撃するぞと敵陣に乗り込んだ時点でそのうち何秒かは過ぎているものだ。
この現在行われている練習試合も、チームは現在リードしてはいるものの、その点差はたったの2点だった。しかも追い上げられてきた流れの中での僅かなリードで、ここでおれたちは是非とも得点しておく必要がある。
センターラインが近づいた辺りで顔なじみのディフェンスがおれに付いてくる。こいつは流石兄弟の兄者の方だ。何かを狙っているのが空気でわかる。
319
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:14:56 ID:1we2YTy60
おれも兄者も県の代表として選ばれる程度の評価は得ているガードの選手だ。同じ学校になったことはないが、昨日今日始まった付き合いではなく、お互いの手の内は知り尽くしていると言ってもいいだろう。流石兄弟の弟の方、弟者もポジションこそ異なるが、同じような存在だ。
おれはこの攻撃で必ず点を取る。
あちらはそれを必ず防ごうとするだろう。
もちろんすべての攻撃の機会で得点を試みるわけだが、通常の攻撃で狙うのはより良いシュートだ。その成功失敗は狙ってどうなるものではなく、良いシュートを放ててそれが失敗するのを選手は恐れるべきではない。これはバスケの常識だ。
しかし、この1回は、必ずおれは点を取る。これはそういった攻撃だ。
流石兄弟のいずれもがそれをわかっていることだろう。
バスケはオフェンス優位のスポーツだ。ディフェンスは失点を必ず防ぐというよりも、悪い判断、悪いシュートを誘い、その効率性を脅かすことに注力した方がトータルで良いディフェンスとなるものだ。
しかし、この1回の守備は、必ず失点を防ぐつもりでいるだろう。これはそういった守備なのだ。
おれはそれをよ〜くわかっていた。
320
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:21:37 ID:1we2YTy60
_
( ゚∀゚)「おっと」
おれに相対しているあちらのガードの不届き者が、手を伸ばしておれのボールに触れようとしてきたのだった。兄者にはこうしたちょっぴり軽率なところがある。
それを察した瞬間、考えるより先におれの右手は兄者の手が決して伸びてこないところにボールを上手に送り込み、自分の背中の方を通すようにしてドリブルを継続させていた。熟練の動きだ。見る必要もなくボールの軌道が認識され、おれの左手はフロアから跳ねたボールを滑らかに受け止める。シボと呼ばれるバスケットボール表面の起伏を手の平に感じる。
その一連の動作の中で、おれの体はわずかに沈み、その不届き者の体はわずかにバランスを崩していた。
これがそこらへんのハンドラーが相手だったのならば、兄者のその程度のバランスの乱れは問題となっていなかったことだろう。ひょっとしたら自分でも気づいていないかもしれないくらいの小ささだ。
しかし、おれはそれを知っていた。
そして兄者に知らせてやったのだった。目線でだ。何もそいつを見たわけではない。おれが見たのはボードを背にしたバスケットだ。
ドリブルの中で重心を下げ、空気を作り、シュートの目標物に目をやったのだ。
これも優れたボーラーの習慣として、兄者はおれのシュートを予感したことだろう。
321
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:23:31 ID:1we2YTy60
もちろん兄者がちゃんとそう考えてくれるように、おれはしっかり種をまいている。試合の初めのあたりの深刻ではないシチュエーションで、おれは似たような位置から長いシュートを試みておき、ちゃんと成功させておいたのだ。少なくとも、こいつが低能でなければすぐに思い起こせる記憶のどこかにその場面が残っていてくれることだろう。そして兄者は優秀だ。
ほらきた。焦ったシュート・チェックだ。
自分でもわかっていないかもしれない程度のバランスの乱れの中で、兄者は必死におれのシュートを妨害しようと考えている。だから重心移動が雑になる。もっと冷静に、調和のとれた体勢からのチェックであれば、このようなすぐにニュートラルの状態に戻ることのできない体の伸ばし方はしていなかったことだろう。
_
( ゚∀゚)「気づいたか? おのれの今の、過ちに」
5、7、5のリズムでそのように考えたかどうかは知らないが、とにかくおれは手の平に感じているボールへの圧力をより強固なものにし、本来であればサイドステップで付いてこられたであろうディフェンスをぶち抜くべく、大きな一歩を踏み出したのだ。
スキール音が高く鳴る。シューズがフロアをしっかりと噛み、思った通りの位置に推進力を持ったおれの体が運ばれる。兄者がそれを防ごうとする。
322
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:25:31 ID:1we2YTy60
無理だ。意外か?
おれにはそれがわかっている。
いつもならばギリギリ体をねじ込み防げるおれのドライブを、今回お前が阻止することは決してない。
これはシュートではない。成功するかどうかは確率の話ではなく、状況理解が正しくできているのかどうかだ。必ずおれは成功させられる。そのために種をまき、これまでこのゲームを進行させてきたからだ。
対峙している兄者の左足の外側におれの左足が並ぶ。兄者とおれの肩が同じライン上に並ぶ。これでファウルを犯さず兄者がおれを止めることは物理的に不可能となる。
強くコントロールされたボールは完全におれの支配下にある。これも修練の賜物だ。トップスピードを邪魔することなく、目視の必要もなくボールはおれの右手に収まる。顔を上げた視界にフロアの様子がよく見える。
スリーポイントラインに達しようとしているおれにヘルプが急行していないということは、兄者は転倒などせずおれを後ろから追ってきているのだろう。おれがプルアップ・ジャンパーを狙うようなら、それにいくらかのプレッシャーを与えられるような位置にはいるに違いない。
323
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:27:02 ID:1we2YTy60
まったくもって問題なかった。
もとよりここでプルアップ・スリーを狙おうなどとは思っていない。
流れの中で、一瞬のひらめきと予測、ある種の確信をもって「打てる」と思った時にはそんなシュートも辞さないが、どうやら今回はそうではないらしい。
目指すはゴール下の制限区域、いわゆるペイントエリア内である。味方の配置、敵の位置、それらすべてをおれはドライブの最中で認識する。
音だ。いや、気配とでも言うべきものなのだろうか。少なくとも視覚情報だけとは思えない。五感のすべてを用いておれはコート上の状況のすべてを把握する。
意識がおれの体からあふれ出し、コートの隅々まで行きわたったような感覚だ。
たまらない感覚である。
わかる。
弟者が自分のマークマンへのケアも怠らず、しかしおれへのアプローチも何とか可能な、絶妙な位置にポジショニングしている。
324
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:29:23 ID:1we2YTy60
それがわかっていたおれは、まっすぐリムに向かったドライブの動作を継続させた。狙うのは当然、ゴール下から放つ、置いてくるようなイメージの優しいショットだ。放つという動詞が不適切なほど柔らかく放ってやりたいものだ。
馬鹿め。
と思うやつもいるだろう。
有能なビッグマンのヘルプが間に合いそうな状況で、ゴール下まで行くことを嫌うガードの選手は少なくない。今ここでドライブを止めジャンプシュートに移行すれば、それか、ちょっぴり減速した状態でフローターと呼ばれるふんわりと投げるシュートを選択すれば、相手のブロックの危機にさらされることはないわけだ。
ブロック・ショットは往々にして相手を調子づけさせる。できれば回避したいというのが人情というものだ。
そんなことはわかっていたが、おれは構わず足を踏み込み、依然としてトップスピードにこの身を乗せた。
音が聞こえる。振動を感じる。
それはおれのシューズのゴム底とコートが摩擦し生じるものであり、おれが強くつくボールがコートへ跳ねる衝撃だ。体中のエネルギーが解放され生じるうねりのようなものも含まれているかもしれない。
そんなあらゆる情報の中で、おれは注意深く弟者の対応を観察していた。
325
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:30:45 ID:1we2YTy60
弟者はとても優秀なビッグマンだ。身体能力に優れ、頭も良い。
おれはそれをわかっている。
そしてこいつも、おれがそれをわかっていることを知っている。
おれが状況判断に優れたガードで、どのような態勢からでもパスを出せ、シュートモーションに入った後でもボールをその手から離すまで行動が確定しないことを知っているのだ。
だからこいつはヘルプポジションに入っているが、大胆なアプローチをおれに対してすることはできない。こちらに寄りすぎてしまえば、途端にパスを通され、イージーなシュートを作り上げられることをわかっているからだ。
おれはそれもわかっている。
だからおれは迷いなく足を踏み込める。
もちろん弟者が今回賭けに出るというならば、それはそれでいいだろう。
準備はしている。誤った判断に対する代償を払わせる準備をだ。
来れないか。そうだろうな。
その判断は正しいだろうとおれは思う。ただおれからの失点を防ぐことができないだけだ。
326
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:32:55 ID:1we2YTy60
_
( ゚∀゚)「シャオラァッ!」
宙へ飛び立つ踏み込みの一歩におれは気合の叫びを自然に乗せた。あらん限りの力を乗せた跳躍だ。目標はリング。そしてその先だ。弟者がおれに合わせて飛んでいるのがわかる。
(´<_` )「むんッ」
恵まれた体躯の男が掛け声と共に凄い勢いで接近してくるわけだ。慣れてなければ逃げ出したくなるような重圧だろう。太い筋肉に包まれた長い腕が伸びている。
ただし、弟者はおれを正面には捉えられていなかった。
それはパスを警戒した適切なポジショニングを行っていたからだ。
適切だから守れないのだ。
バスケは攻撃側優位のスポーツだ。
ただでさえ優位な攻撃側の立場のおれの、シュートもパスも守ろうなどと考える方が間違っているのだ。
その間違いの代償を払わせなければならない。適切な判断が間違っていないとは限らないのだ。
慣性と重力に従って空中を泳ぐ体の中で、おれの右手がバスケットボールを愛しむようにコントロールしていた。
327
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:36:37 ID:1we2YTy60
弟者はこのおれの動作をフェイントだろうと勘づくだろうか?
だろうな、とおれは思う。
弟者はそれをフェイントだと思うだろう。
実際これはフェイントだ。
もっともイージーなレイアップシュートの動きをおれは習慣的にフェイントに使った。
弟者はフェイントだろうと半ば確信しながら、しかし100回やって100回成功するシュートに対する警戒を怠ることはできず、こうして宙に飛んでいるわけだ。
はっきり言って、どうでもよかった。
おれは利き手の右手でのレイアップシュートをフェイントに、空中でボールを左手に持ち替えた。熟達したボールタッチでコントロールしているからできる芸当だ。
弟者もそれはわかっていることだろう。しかしそれもどうでもいい。
なぜならこいつはおれを正面で捉えられておらず、飛び上がった後の空中では、おれもこいつも慣性に抗うことができないからだ。
おれが右手から左手にボールを持ち替えている間に、おれと弟者の三次元的な位置関係は、ブロック・ショットを試みるには厳しいものになっていた。
328
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:40:13 ID:1we2YTy60
左手だ。
利き手ではないが問題ない。これまでに何百回や何千回では済まない繰り返し動作を経ている腕だ。指にボール表面の凹凸を感じる。手の平に転がすようにコントロールしてやる。
おれは左手を体幹から離し、自分の体のサイズと腕の長さ、弟者の体のサイズと腕の長さを完璧に把握した状態で、どうやったって弟者の伸ばした長い手が決して届かない軌道をボールが通っていくように、丁寧にボールを宙へと放ってやった。
ボールに最後まで力を伝えていた指が離れ、体の一部が放出されるようにして、茶色の球体は回転しながらの放物運動を開始した。
その離れ際の指に残った感触よ。おれはこのシュートの成功を見る必要もなく知ることができる。
たまらない感覚だ。
着地。そのままジョグで自陣へと戻る 。背中に歓声が聞こえる。チームメイトの祝福が届く。
必ず成功させなければならないシュートをおれは成功させたのだ。
必ず失敗させなければならなかったシュートを成功されてしまった流石兄弟に、試合時間がいくら残っていようとも、このコート上の将軍が負ける筈がないのだった。
329
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:42:40 ID:1we2YTy60
○○○
バスケを始めたのは親父の影響だった。
おれが生まれ育った家は田舎の古い一軒家で、しかし広い庭が付いていた。そこにバスケットボールコートがあったのだ。
ゴムチップをぎうぎうに敷き詰め適正な弾力を持たせた立派なコートだ。流石にフルではなくハーフコートサイズだったが、メンテナンスだけでもそれなりの額がかかる設備だったのだろうと今ではわかる。
どうしてそんな金のかかる設備を庭に投じておいて肝心の家屋がボロかったのかは知らないが、おそらくその方が息子の教育に良いとか何とか考えたのだろう。単に『トトロ』が好きだっただけという可能性もある。
何にせよ、そんな環境でおれは育った。
そして物心がつく頃にはまんまとバスケに熱中していた。
何しろおれが上手にボールを扱うと親が喜んでくれたのだ。朝早く仕事に向かい、夜遅くまで帰ってこない親父は休日はほとんどごろごろと寝ていて、遊んでくれるとなると、やることは決まって庭でのバスケだった。
母さんも部活バスケの経験者であるらしく、おれたち家族の団らんの風景は、主に居間ではなく庭にあった。
330
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:44:14 ID:1we2YTy60
小学生になったおれは街の方にあるミニバスのチームに入った。
田舎だとばかり思っていたのだが、おれの住んでいるボロい一軒家が位置しているのは、実はVIP市の中心街から車で15分ほどのところだったのだ。
車で15分、バスだと20〜30分ほどの距離だ。そこまで田舎ではないと言ってもおかしくはないだろう?
しかし子供にとってはこれは大変な距離だった。だからおれは自分は田舎のボロい家に住んでいる、どちらかというと貧乏な家庭の子供なのだろうと勝手に思っていた。仕方のないことである。
そして、これにはもうひとつ理由があって、おれは体が小さかった。
おれの誕生日は4月1日だ。当時はそんなこと気にもしなかったが、この日本の学校制度において、実はこの誕生日はその学年に入ることのできる最後の日なのである。おれの翌日、4月2日生まれであれば、ひとつ下の学年になる。
つまり、おれは同級生の中で、絶対的に年下だった。
少なくとも半年か、下手したら1年近く年下だった。
今ではそこまで深刻な差ではないと思えるけれど、小学校低学年にとっての半年や1年は大きい。
年齢からするとせいぜい平均くらいのおれの体躯は、ミニバスの同級生と比べてずいぶんと小さかった。
331
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:45:11 ID:1we2YTy60
体が小さいとはいえ、こちとらバスケットボールコートのある家に育ち、日常的にボールを触って遊んできたのだ。はっきり言って、そこらへんのただでかいだけの同級生に、バスケで後れを取るとはさらさら思っていなかった。
さらさら思っていなかったおれに衝撃を与えたのは、決定的なフィジカルの差はテクニックを凌駕するという、アスリート界隈にとっては当然の、単なる残酷な現実だった。
多少ボールを器用に扱えたところで、無理やり割って入ってくる長い手からボールを守ることは難しかった。フリーになってシュートを打とうとしても、絶対に届かない筈のところからやつらのチェックは届いた。力任せの下手くそなドライブを小さな体で止めることは不可能だった。
いつもこいつらより体の大きな親父や母さんとバスケをしているのになんで、とおれは疑問に思ったものだったが、その疑問はすぐに解けた。大人は子供に全力で立ちはだかることをしないのだ。
ただそれだけのことだ。
ただそれだけのことなのに、おれにはそれが、なんだかとてもショックだったことを覚えている。
332
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:46:35 ID:1we2YTy60
生まれた時からバスケットボールが身近にある環境で育って、今でもおれはバスケを続けているわけだけれど、決してその道のりは平坦だったわけではない。こうして自分の歴史を眺めた時に、あのタイミングでバスケを辞めていてもおかしくなかったなと思える瞬間はいくつもある。
辞めててもおかしくなかった最初のタイミングが、思えばこのミニバス入りたての頃だったのだろう。おれは確かに辞めかけていた。
辞めるに至らなかった理由はいくつかあるけれど、特に印象的だったのは母さんの反応だった。
ミニバスに入りたての小学1年生をひとりでバスに乗せることはせず、母さんはおれを送迎してくれていたのだった。その帰り道でのやり取りだ。
从'ー'从「やっほ〜ジョルジュ、楽しかった?」
_
( ゚∀゚)「――」
从'ー'从「どうしたよ? めちゃ疲れたのかい」
片手でハンドル操作をしながら助手席に乗るおれの頭を撫でる母さんの手は優しかった。いつもなら即答で返ってくる肯定の反応が送られず、母さんなりに何か思うところがあったのかもしれない。
いくつかの赤信号で車が停まるたびにこちらの様子を伺ってきたが、母さんはおれの方から何かを言うまで辛抱強く待ってくれた。
333
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:47:57 ID:1we2YTy60
何をきっかけにしたのかは覚えてないが、やがておれは口を開いた。
_
( ∀ )「楽しくは――ないよ」
試合形式のミニゲームでボロカスにやられるおれは、いつしかゲーム外の純粋なスキルトレーニングでも委縮してしまうようになっていた。その日は特に調子が悪くて、ドリブルをしてはボールが手につかないし、シュートを放ってはボールをリングに当てることを繰り返していた。
まったくもって楽しくなかった。母さんが送迎してくれているのでなければサボりがちになっていても不思議なかったことだろう。
この時期の母さんは家の近くの薬局で働いていて、わざわざ仕事から抜け出しておれをミニバスに送ってくれていた。そんな負担の上に成り立っている習い事に対しておれが自分からネガティブなことを言うのはそれなりに難しいことだった。
怒られるかな、と思っていたおれは母さんの顔を見れなかった。するとまっすぐ前を向いていたおれの頭が再び優しく撫でられた。
从'ー'从「そっかぁ」
母さんはそれだけ言うと、どういうわけだかちょっぴり楽しそうな様子で、おれを助手席に乗せた車を加速させたのだった。
_
( ゚∀゚)「? 母さん、道違うくない?」
从'ー'从「まぁまぁ、ちょっと買い食いしてこうや」
母さんはニヤリと笑ってそう言った。
334
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:49:36 ID:1we2YTy60
行きついた先はファミレスだった。
当時、おれの家はめったに外食をすることがなく、珍しい外食の機会にもファストフードやファミレスに行くことは基本的になかった。
それはおそらく偏見もふんだんに取り入れられた栄養面での親の考えがあってのことだったのだろうが、子供のおれにとっては単に、クラスの皆は食べたことがあるメニューをおれは知らないという状況を作り出すだけのことになっていた。
_
( ゚∀゚)「――いいの?」
だからおれはそう訊いた。おそらくその目はキラキラと光っていたに違いない。
从'ー'从「いいよ〜 でもね、今日は特別だからね、お父さんには内緒だよ」
どうして特別なのかはわかっていたが、どうしていつもは行けないファミレスに特別に行けることになるのか、おれにはまったくわからなかった。
だけどとにかく憧れのファミレスに入ることができたのと、何でも頼んで良いと言われてメニューの中からソーセージとフライドポテトの盛り合わせを選んだところ、もっとご飯らしいものにしろと言われて最終的にハンバーグセットを注文したこと、そして母さんが結局その盛り合わせを頼んでおれもご相伴に預かることができたことに加えてその母さんがとても面白そうにしているので、おれもなんだか楽しい気分になっていた。
その日ファミレスで食べたハンバーグセットは至福の味わいをしていた。
335
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:50:49 ID:1we2YTy60
おれがハンバーグセットを胃袋に収め、母さんから分けてもらったフライドポテトをかじっている間も、母さんはバスケに関する話題には触れてこなかった。母さんはその代わりに瓶ビールを注文し、小さなコップに自分で黄色いしゅわしゅわとした液体を注ぎ、美味しそうにその手を傾けた。
_
( ゚∀゚)「母さんさ、お酒飲んだら帰れなくなるんじゃねーの?」
そんな当然の疑問を口にしたおれを見、母さんはやはり面白そうに肩をすくめた。
从'ー'从「ここは家から近いからね。車は置いて歩いて帰ろう」
_
( ゚∀゚)「なんだよそれ、怒られねーのか?」
从'ー'从「怒られたら謝ろう。一緒に謝ってくれる?」
_
( ゚∀゚)「仕方ねーなぁ! でも何て言って謝るんだよ」
从'ー'从「ごめんなさい、ってさ。ほら言ってごらん」
_
( ゚∀゚)「ごめんなさい」
从'ー'从「どうしてもお酒が飲みたくってごめんなさい、ってさ。ほら」
_
( ゚∀゚)「それはおれの台詞じゃねーなあ!」
从'ー'从「あはは」
面白いね、と母さんは楽しそうに言った。
336
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:51:49 ID:1we2YTy60
本当に歩いて帰ることになったおれたちは、それぞれレジ横の冷凍庫から棒のアイスを1本ずつ選んで購入し、夜の田舎道を並んで歩いた。
アイスは冷たく旨かった。
瓶2本分のビールを小さな体のどこかに吸収させた母さんは、鼻歌でも歌いそうなリズムで右足と左足を交互に前に出していた。
おれも同じ歩幅の同じリズムで足を進める。
右足。左足。右足。左足。おれたちの歩みは進む。
从'ー'从「どうだい、ジョルジュも楽しくなったかい?」
棒だけになった棒のアイスを指揮棒のように振り、母さんはおれにそう訊いた。おれは笑って頷いた。
_
( ゚∀゚)「楽しいよ」
从'ー'从「そうか〜 おいしいご飯を食べてお酒を飲んで、アイスを食べながら歩いているのに不幸せでいるのは難しいもんね」
_
( ゚∀゚)「おれはお酒は飲んでねえけど」
从'ー'从「ふふ。あんたにゃ10年早い」
_
( ゚∀゚)「10年後もおれは未成年だけどな」
337
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:53:00 ID:1we2YTy60
田舎道の空は巨大な1枚の海苔のように真っ黒で、しかしコンパスで小さく穴を空けたような輝きがそこら中に漂っていた。
右足。左足。おれは交互に足を出す。
空に向けていた視線を前方へと戻したおれは、大きくひとつ息を吐いていた。
_
( ゚∀゚)「ミニバスさ、最近楽しくねーんだよな」
石ころを投げるように口に出す。不思議と重たい気持ちになっていないことにおれは気づいた。
夜道の暗さで母さんの表情はよく見えなかったが、声色からどうやら面白がっていることがおれにはわかった。
从'ー'从「ほうほう、なぜだい?」
_
( ゚∀゚)「だってあいつらズルいんだもん」
从'ー'从「ズルい。・・それは、何が?」
_
( ゚∀゚)「おれがボールをドリブルしてても無理やり手を差し込んでくるし、ドライブは強引だし・・へたくそなくせにさ!」
从'ー'从「なるほどね〜 それはズルいね!」
338
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:53:44 ID:1we2YTy60
わかるわかる、と母さんは腕組みをして、大きな動作で頷いた。
从'ー'从「ちょっと体が大きいからってさ、へたくそなくせに、ルールの範囲内で私らの邪魔をするなんて許されないよね! 私もミニサイズ・プレイヤーだったから、ジョルジュのその気持ちはよ〜くわかるよ」
_
( ゚∀゚)「――ッ」
てっきり否定されると思っていた自分の意見を過剰に肯定され、おれはかえって居心地が悪くなる。
不思議な感覚だ。不思議だが、おれにはその理由がわかっていた。
自分の主張が理不尽なものであると、おれにはわかっていたからだった。
_
( ∀ )「――」
黙ってアイスの棒を口に運ぶおれを、母さんは笑い飛ばした。
从'ー'从「うふふ、いいねぇ。生きてる、って感じがするね!」
なに言ってんだこいつは、とおれは思った。
339
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:54:38 ID:1we2YTy60
从'ー'从「ねえジョルジュ、ひとが何かを好きとか嫌いとか思う時、そこに理由ってあると思う?」
_
( ゚∀゚)「――理由?」
从'ー'从「そうそう。どうしてこれが好きなのかとか、どうしてこれが嫌いなのかとかさ」
_
( ゚∀゚)「どうかな。そりゃあ、あるんじゃねーの?」
从'ー'从「まじで? それじゃあちょっと、私のことを好きな理由を挙げてみてよ」
_
( ゚∀゚)「母さんを!?」
驚いたおれは考えてみたところでとても困った。理由が思い当たらないからだ。
ないわけではない。母さんは基本的に優しいし、ミニバスへの送迎もしてくれる。「ちょっとかじっていたくらい」と言いつつ親父よりもはるかにバスケットボール・スキルが高いことも既におれにはわかっていたし、息子の立場から言うのも気持ちが悪いが、母さんは可愛い顔立ちをしている。親父に黙ってファミレスに連れて来てくれるのも最高だ。
しかし、この内のどの理由をとっても、だからといっておれが母さんに抱いているこの感情を成立させるに十分なものとは思えなかった。
340
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:56:18 ID:1we2YTy60
从'ー'从「どうだい、難しいだろう?」
実は好きじゃないというならヘコむけど、と笑って母さんは言葉を続けた。
从'ー'从「お母さんの考えを言うとね、理由はある場合とない場合があるんだと思う」
_
( ゚∀゚)「なんだよそれ、全部じゃねーか」
从'ー'从「そうだね。でもさ、それを知ってることって結構大事だと思うんだよね。好きとか嫌いとか思う時に、いったん分析をしておくと、自分のことがよくわかるからさ」
_
( ゚∀゚)「――」
从'ー'从「うひひ、息子に語ってしまった。ちょっぴり急いで帰ろうか」
少し恥ずかしそうな素振りで母さんはそう言うと、肩をすくめて小さく笑った。おれは母さんの言っていることが正直あまりよくわからなかったが、頷いて速めに歩くことにした。おそらく小学1年生のおれと並んで歩くために母さんはゆっくり歩いていた筈なのだ。
大きな月が見えていた。三日月と上弦の月の中間のような、暗黒の海苔に指を突っ込んで作ったような不格好な月だったが、おれには強く光って見えた。
从'ー'从「一応、ここだけちゃんと確認しときたいんだけど、バスケ辞めたい?」
_
( ゚∀゚)「いいや、辞めたいわけじゃない。・・と、思う」
341
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:57:59 ID:1we2YTy60
从'ー'从「・・辞めたくなったら自分から言える?」
_
( ゚∀゚)「言える。――その時は、自分から言うよ」
从'ー'从「それならいいや。ジョルジュの好きなように頑張りなさい」
やはり笑ってそう言う母さんに、おれはしっかりと頷いた。
_
( ゚∀゚)「そうする。ところで、お母さんはどうやってあいつらと戦ったの?」
从'ー'从「ふふ。あいつら?」
_
( ゚∀゚)「体の大きなへたくそたちだよ」
从'ー'从「そうねえ。ま、ジョルジュが参考にするかどうかは別として、ここはひとまず私のやり方を教えようかな」
母さんはそう言うと、ひときわ楽しそうにニヤリと笑った。大人の笑い方だ、とおれは思った。
从'ー'从「私はねぇ、実は、ルールを破るの自体は嫌いなんだよね。ただね、ルールの範囲内なら何でもやっていいと思う。それがズルいと言われることでも」
そのためにルールというものがあるわけだからね、と母さんは言った。
342
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:01:43 ID:1we2YTy60
从'ー'从「私やジョルジュの小さい体は、ある局面では武器になる」
_
( ゚∀゚)「――ぶき?」
从'ー'从「具体的には、体が小さいと、ファウルを取ってもらいやすい。他にももちろんあるけどね」
_
( ゚∀゚)「――」
从'ー'从「・・ジョルジュ、バスケの中で、もっとも得点率の高いシュートは何か知っている?」
_
( ゚∀゚)「ゴール下だろ。レイアップ。ノーマークでの速攻とかさ」
从'ー'从「ちがうね」
_
( ゚∀゚)「――」
从'ー'从「フリースローだよ、フリースロー。特に私たちのような小さなプレイヤーは、ノーマークだと思っていても意外と手が伸びてきたりするんだからさ」
フリースローはバスケにおけるシュートの中で唯一、確実にノーマークで、しかも決まった距離から放てるものだ。レイアップだろうとダンクだろうと、妨害される可能性はゼロではないし、自分がそれを試みる位置もその都度異なる。
母さんはそんな内容の説明をした。
从'ー'从「さらに許されるファウルの数は限られているから、ファウルをもぎ取ってのフリースローには数字以上の価値がある。これを狙わない手はないね」
343
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:02:36 ID:1we2YTy60
_
( ゚∀゚)「――」
おれはすぐに反応ができなかった。
母さんが言っていることの正しさは、小学1年生の当時のおれの頭でも十分に理解できるものだった。
ただし、理解できるかどうかと、納得できるかどうかは別の話だ。
故意にファウルを取りにいく。
それは明らかに、あまりに卑怯な行為なのではないかとおれは思う。
無言で見つめるおれの頭を母さんは優しく撫でる。おれはその手を振り払うことはせず、黙って右足と左足を交互に前に出した。母さんと同じ速度だ。
从'ー'从「このプレイスタイルはズルいと思うかね」
_
( ゚∀゚)「――思うね」
从'ー'从「あはは。そうだね、ズルいわ。なるべくやるべきじゃあないね」
母さんは明るく笑ってそう言った。そして付け足す。
从'ー'从「ただしね、やつらが舐めたプレイをしてくるというなら、これは代償を払わせないといけないよ」
344
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:04:10 ID:1we2YTy60
代償を払わせる。
母さんはこの表現がお気に入りであるらしく、時折バスケの話をすると、決まってその口からこの言葉が出たものだった。
訊いて確認したわけではないが、どうやら母さんはそれなりのキャリアを積んだバスケットボールプレイヤーで、親父はそうではなかったらしい。下手の横好きというほどの情熱を持っていたわけでもなかったのだろうと今ではわかる。
おそらく大学時代にサークルでやっていたくらいのプレイヤーだ。ボーラーと呼ぶのも不適切なのかもしれない。
そんな親父が庭にコートを敷いていたのは、単に家族共通の趣味としてだったのかもしれないが、かつて青春の時間をバスケに捧げた母さんや、その助言を得て自分なりのプレイスタイルを確立させてきた俺との間に溝のようなものが生まれるのは時間の問題というものだった。
それまで庭にあったおれたち家族の団らんは、いつしか庭ではなく居間に引き上げられようとしていた。
ただひとつ問題だったのは、その居間には誰もいないということだった。
家族の団らんではなくボーラーたちの勝負の場となったバスケットボールコートにいつまでも居続けたおれたちは、その代償を払わなければならなかったわけである。
345
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:05:17 ID:1we2YTy60
○○○
ひどい息子と言われたら言い返しようがないのだが、まったくといっていいほど生活リズムが合わなくなり、下手したら1週間単位で親父と会話をする機会がなくなっても、おれはどうとも思っていなかった。
おれはバスケに忙しかったし、親父は仕事に忙しかったのだ。少なくともおれはそう思っていた。
親父に泊まりの仕事が増え、家でその姿を見ることが少なくなってもさほど気に留めなかったし、かつては出しっぱなしになっていた庭のコートで履く用の親父のバッシュが下駄箱の奥へ片付けられても、おれはそれに気づかなかった。
唯一おれが異変に気づいたのは、それからしばらく経った頃のことだった。おれはミニバスにおける最高学年、小学6年生になっていた。
_
( ゚∀゚)「あれ、そういや、父さんって今どっか行ってんだっけ?」
その時、おれは母さんにそう訊いた。母さんは何故かニヤリと笑って言った。
从'ー'从「お、気づいたか」
どうしてわかった? と母さんはおれに訊いてきた。
346
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:07:00 ID:1we2YTy60
_
( ゚∀゚)「どうしてっ、て――」
それは流しに食器が溜まっていたからだった。
どう考えても丸一日分以上の洗い物が流しに放置されていた。おれはバスケに忙しく、親父も母さんも仕事に忙しいからだ。往々にしてよくあることだ。
ただおれがその時気になったのは、その丸一日分以上溜まっていた洗い物の中に、親父の使う食器がひとつも見当たらないことだった。
その旨をおれが説明すると、母さんは大きく頷いた。
从'ー'从「こういうふとした鋭い気づきって、女の子特有のものだと思ってたんだけど、違うのね〜」
_
( ゚∀゚)「鋭い気づき?」
从'ー'从「そうそう、鋭い。びっくりしたわ」
_
( ゚∀゚)「鋭いって、何が――」
なんとなく不穏なものを感じるおれに、母さんはなんでもないことのようにして言った。
从'ー'从「いやぁ、実は本日、私たちのお父さんがいなくなりました」
まいったね、と母さんはほんわかとした口調で続けた。
347
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:08:30 ID:1we2YTy60
その時のおれのリアクションがどのようなものだったのか、はっきりとは覚えていないが、はっきりと覚えられないようなものだったということだろう。
おそらくは気の抜けたような声を発していた筈だ。
_
( ゚∀゚)「――いなく、なった?」
从'ー'从「そうそう。いやぁ、面目ない」
_
( ゚∀゚)「そりゃまたなんで?」
从'ー'从「私も実はよくわからないんだけど、詳しく知りたい? 知りたいんだったら、父親の義務としてジョルジュへ自分できちんと説明しなさいと言っとくことはできるけど」
まあシカトされたらそれまでだけど、と母さんは頭を掻いて肩をすくめた。
_
( ゚∀゚)「――母さんも、知らないんだ?」
从'ー'从「ちゃんとはね。簡単に言うと、寂しかったってことなのかしらね」
_
( ゚∀゚)「寂しかった――」
寂しくて自分の妻子のいる家から出ていくとは、動機と行動があまりにちぐはぐなのでは、とおれは思ったものだった。
348
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:11:13 ID:1we2YTy60
当時のおれにはよくわからなかったが、今ならなんとなく想像はできる。
おそらく親父は家の外に女でも作っていたのだろう。
親父が再び家に帰ってくるのであればこの推測の答え合わせをしてもいいのだが、高校2年生となった今のところもそんな気配は感じられないし、母さんも飄々としていたし、何よりおれにはその日もミニバスの予定が入っていたので、おれはとにかく出発しなければならなかった。
_
( ゚∀゚)「ええと、よくわからないけど、そうだな、・・おれたちはこれからどうなるの?」
時計に目をやり出発時間を頭に浮かべながらもおれはそう訊いていた。生活が一変するというならミニバスにも行ってられないからだ。おれはこの時期には既にバスに乗ってひとりでミニバスに通っていた。
从'ー'从「う〜ん、こういうのって私も初めてだから、よくわかんないというのが正直なとこだけど、あまり劇的には変わらないかもね」
やはりそれほど大したことのなさそうな口調で母さんは言った。1年ほど前に家の近所の薬局から街の方の病院へと勤め先を変えた時と同じくらいの温度の語り口だった。
おれはその母さんの転職をきっかけとしてバス通を始めた。それは毎回母さんにミニバスまで送迎されていた日々と比べると、おれにとってはなかなかに劇的な変化だった。
从'ー'从「目安としては、ジョルジュがバス通始めた時に比べると、なんでもないくらいの変化じゃないかな」
同じことを思い浮かべていたのかもしれない母さんはそう言った。
349
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:17:36 ID:1we2YTy60
実際のところ、本当に大した変化は訪れなかった。
ひょっとしたら母さんの旧姓である渡辺におれの苗字も変わるのではと思っていたが、結局そうはならなかったし、バスケを中心に回っているおれの生活にさしたる変化は訪れなかった。
小学生の生活の中で親父の事情をわざわざ話す機会などそうそうない。
最後に交わした言葉が何だったか思い出せない親父のことよりも、今目の前にあるバスケットボールをどのように扱うかの方が、おれにとってはずっと大事なことだった。簡単にファウルを引き出せるような舐めたプレイもされがちで、あやうくバスケが嫌になって辞めかけていたのも今は昔、最高学年のおれはチームで2番手のプレイヤーだと皆から認識されるようになっていたのだ。
その1番手のエースプレイヤーはおれと同学年で、ずっとミニバスで一緒だった。誕生日は忘れもしない4月11日で、おれとは10日間だけ異なっている。
_
( ゚∀゚)「おれたち誕生日近いんだな! おれの10日後にお前の誕生日になるわけだ」
その誕生日を知った日におれがそう言うと、そいつはおれの意見を笑い飛ばして言ったものだった。
ξ゚⊿゚)ξ「あら、それは違うでしょ。だって、あんたの10日後にあたしが生まれたんじゃなくて、あたしの生まれた355日後にあんたが生まれたわけじゃない」
あくまで自分の誕生日が先なのだと主張するその女子は、ツンという名前だった。
つづく
350
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:56:40 ID:hUhPy0e.0
んおつ
351
:
名無しさん
:2020/12/27(日) 05:29:08 ID:vRtXOBuw0
otsu
352
:
名無しさん
:2020/12/28(月) 22:43:41 ID:FoGVN.pA0
ここまで一気読みしちまった
めちゃくちゃ面白い
353
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:35:07 ID:m2xoS0AE0
2-2.ドロー ア ファウル
ちょっぴり話を戻そうと思う。
母さんとファミレスに行って外食をしたあの夜の後、おれが本格的に取り組んだのは、正確なルールの把握だった。
なんと座学だ。もちろん勉強が大嫌いなおれからしたら、自分でも驚きの選択だった。
しかしこれには理由があって、言ってしまえば母さんがファウルをもらうための具体的な方法をてんで教えてくれなかったからだった。おれが真面目だったわけではない。
从'ー'从「具体的にどうするか? う〜ん、それだけ知ってやってたら、すごく嫌われやすいプレイスタイルになるだろうから、自分で考えた方がいいと思うよ私は」
うんうん、と何度も頷きながら母さんはそう言った。なんじゃそら、とおれは思った。お前から提案してきたくせに、と。面倒臭がってるだけなんじゃないかとすら疑った。
仕方なくおれは自分で考えようとしたのだが、まったく良いアイデアを思いつきはしなかった。正当なディフェンスをする相手にこちらから突っ込んでいったら、ただチャージングを取られるだけである。それくらいはおれにもわかる。
それでは一体どうすればファウルをもらえるというのだろう?
_
( ゚∀゚)「結局、あっちが焦ってミスってくれないとファウルにはならないんだよな〜」
次のミニバスの練習にもおれはそんなことを考えながら参加した。気持ち自体は切り替えれていたので、それほどつらくはなかったのだが、やはりおれの体で良いプレイをするのは難しい。
やはり目につくのはひときわ体の大きな女子だった。とても同級生とは思えないそいつが、何を隠そうツンだった。
354
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:37:02 ID:m2xoS0AE0
おそらく誰から見てもツンのプレイは輝いていた。
ゲーム形式の練習に同じカテゴリで参加しているということは、おれと同学年ということである。当時のおれでもそれくらいはわかっていたが、肉体という完全に目に見える形で存在する明らかな差を素直に受け入れるのは中々に難しいことだった。
スポーツには邪魔だとしか思えない、長く癖の強い金髪をふたつに結び、ディフェンスを切り裂きゴールへ到達するのだ。当時のツンはとにかくドライブ一歩目の加速が抜群に優れていた。
_
( ゚∀゚)「――だから、ツンはファウルをもらうことができるのか?」
それまでツンのプレイを外から見ても「すげ〜 でかくて速え〜」くらいの感想しかおれは持てなかったのだが、その日のおれはそんなことを考えていた。
ゴールに対して斜めの位置でボールをもらったツンは、少しディフェンスと駆け引きした後、爆発的なドライブを開始する。その一歩目は速くて大きい。後手に回ったディフェンダーが無理にそれを止めようとすると、決まってファウルになってしまうのだ。
笛が高く吹かれ、審判役のコーチがディフェンスに「それは反則になっちゃうよ」と注意する。ツンはすました表情だ。
半分諦めたような、半分納得していないような表情。
技量にも優れたツンに対してその顔をおれがしたことはないだろうが、それを手本に強引なドライブをしてくるプレイヤーに対してはおれが見せていたかもしれない表情だ。それをディフェンスの選手が浮かべている。
二度とこの顔をおれはしない、とおれは決意した筈である。
355
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:38:53 ID:m2xoS0AE0
ローテーションでおれにもコートに入る順番が回ってきた。交代でコートから外れる選手のひとりから黄緑色のビブスを受け取り、それを頭から被りながら足を進める。そして頭を働かせる。
_
( ゚∀゚)「――自分でボールをハンドルして、オフェンスの中心になりたがるようなプレイは封印だ」
しばらくはな、と、おれは自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。
身長が大きな武器となるバスケという競技において、チビの生き残る道は多くない。そのうちのひとつがドリブルだった。ドリブルだけは、ボールをコントロールする手の位置が低ければ低いほどカットされづらくなり、それが有利に働くのだ。
おれはその武器を自ら捨てることにした。どうせ大きな体と長い手によって無理やり取り上げられてしまうものなのだ。剥ぎ取られるか、捨て去るか。それは簡単な決断だった。
嘘だ。
ボロい家にある立派な庭での練習で、ドリブルはいつもおれの側にいてくれる技術だったのだ。
大人の高さに吊られたバスケットへのシュートは小学1年生には難しい。おれがプレイするとなると、高さの調整が可能なゴールセットが、低い位置に用意されるのだ。
356
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:40:28 ID:m2xoS0AE0
元々それが屈辱だったわけではない。
最初からそうだったのだ。不思議に思いもしていなかった。
しかし、大人が自分に手加減をしているとわかった日から、おれにはその子供用の高さのバスケットが子供扱いの象徴となっていた。
今のおれなら、そもそも当時自分が扱っていたボールが子供用のサイズであったことや、その競技に必要な体が育っていない内から背伸びをする弊害を理解できるが、子供のおれには無理だった。
ドリブルは違う。
コートは誰にも平等だ。
サークルレベルでしかバスケをやっていない親父には難しいようなハンドリングも、子供の吸収力と熱心さで練習すれば、可能になったものも中にはあった。親父はレッグスルーが苦手だったのだ。
おれは、その自慢のテクニックを、フィジカルでねじふせられる前に、自分から手放すことにしたのだった。
_
( ゚∀゚)「――今、だけだ」
おれは攻めの形を整えるだけの攻め気のないドリブルから、シンプルにパスを回してやった。
357
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:41:21 ID:m2xoS0AE0
それまでもパスを回すことはもちろんあった。
バスケはひとりではできない競技だ。判断と選択を重ねながら、攻め手は全員で攻め、守り手は全員で守る必要がある。当然のことだ。
ただし、それまでのおれのプレイスタイルは、あくまで自分のドリブル突破を主軸に据えたものだったのだ。ボールを扱うテクニックはおれの自慢だった。
上手いが、弱い。そんなところが当時のおれの評価だろう。弱いくせに目立ちたがり、といったようなものもそこに加わってくるかもしれない。
そんなおれが、いきなりシンプルなパス回しを行ったのだ。さぞ驚きだったことだろう。
パスを回したおれはオフボールの動きで走った。
とはいえスクリーンプレイもろくに習っていない子供の動きだ。マークマンを振り切れなどしない。それでも、おれがドリブルでつっかけ、その大半が潰されていた攻撃よりは、いくらか効果的な選択をできたのではないかと思う。
そして、その不満と抑圧を燃料とするように、おれはディフェンスに全力を注ぎこんだ。
358
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:42:23 ID:m2xoS0AE0
それまでも手を抜いていたわけではないが、おそらくこの日のおれのディフェンスは、目の色が違っていたことだろう。
体が小さい。手も短い。体重の軽いディフェンスで、しかしおれはどこまでも食らいついていった。
すると、その内の1回で、おれは強引なドライブに押しのけられたのだった。いつものことだ。
いつものことだったのだが、ひとつ違うことがあった。
いつもは半ば道を譲るようにして突破を許していたのだが、おれはその時、正面から思い切りその突進を受け止めたのだ。もちろん受け止めきることなどできず、おれはほとんど吹っ飛ばされてしまったのだが、そこで審判の笛が短く鳴った。
ままあることだ。下手にドライブを止めようとするとディフェンス側の反則となる。腕を巻いてこちらを制するような強引さはオフェンスに認められていないが、体の推進力をそのままぶつけてくること自体は正当な行為なのだ。
そういうルールだ。仕方のないことである。チビのくせにハッスルしてしゃしゃり出たおれが馬鹿だというだけだ。
しかし違った。
それは、オフェンスファウル、相手側の反則を告げる笛だったのだ。
359
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:44:09 ID:m2xoS0AE0
○○○
その後もおれはシンプルにパスをさばき、ディフェンスに精を出し、たまにボールが回ってきてはシュートを放ってこの日のゲームを終えた。
ドリブルからの得点が一度も成功しないことはざらだったが、一度もはっきりと自分から仕掛けないというのはこの日が初めてのことだった。
ゲーム形式以外の練習も終え、クールダウンのジョグをこなし、ストレッチをして着替えたおれは、母さんにミニバスの終わりを連絡してお迎えの到着を外で待っていた。
持たされていた水筒からポカリか何かのスポーツ飲料を飲み、ぼんやりと空を眺める。そしておれは考えていた。おれのディフェンスファウルではなく、相手のオフェンスファウルとなったあのプレイをだ。
それまでのおれの認識では、あの感じだとおれのファウルになるのが自然だったのだ。
_
( ゚∀゚)「――」
自動販売機のそばにある低いブロック塀に腰かけていると、ガタンと何かが落ちる音がした。自動販売機の音だ。それ自体は不思議なことではないが、何も考えずにその音の方へ目を向けると、なんとそこにはツンがいた。
ξ゚⊿゚)ξ「――おつかれ」
_
( ゚∀゚)「おう」
それが、この、それまでも顔は知っていた有力な女子バスケ選手との初めての会話だった。これを言葉のやり取りと言えるならばの話だが。
360
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:45:03 ID:m2xoS0AE0
ゆっくりと自動販売機から買ったジュースを取り出すと、プルタブを引き、やはりゆっくりとそれを口にする。
ツンはすぐに話しかけてはこなかった。
_
( ゚∀゚)(――なんだよ、おれに用があるわけじゃないのか)
ただ単にジュースを買いに来ただけらしい。そこにたまたまおれが座っていたというだけだ。
そのようにおれが納得しかけたところでツンは声をかけてきた。
ξ゚⊿゚)ξ「――さっきの試合」
_
( ゚∀゚)「うん?」
ξ゚⊿゚)ξ「さっきの試合、ずいぶんこれまでと態度が違ったと思うけど、どうしたの?」
_
( ゚∀゚)「――」
見ていたのか。
あのツンが、このおれのことを、見ていたというのか。おれには大きな驚きだった。
361
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:46:18 ID:m2xoS0AE0
その驚きから、むしろ黙ってしまったおれに対してツンは眉をしかめた。
ξ゚⊿゚)ξ「答えない気? あたしの気のせいじゃないわよね」
_
( ゚∀゚)「――ああ。気のせいじゃあねぇ」
ξ゚⊿゚)ξ「それで?」
_
( ゚∀゚)「――おれのドライブは通用してなかったからな。封印することにした」
しばらくの間だけど、と、おれは口に出さず、心の中で付け加える。ツンは何故だか納得していないような顔をした。
ξ゚⊿゚)ξ「――コーチに何か言われたの?」
_
( ゚∀゚)「コーチに!? いいや、そういうわけじゃねえ」
ξ゚⊿゚)ξ「――そう」
小石を手元から放り捨てるような調子でそう言ったツンは、ジュースの缶を口に運び、おれの方を見ずに静かに飲んだ。
_
( ゚∀゚)「コーチから、何か言われたのか?」
気づくとおれは訊いていた。
362
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:47:17 ID:m2xoS0AE0
ツンは黙ったまま肩をすくめると、おれの方を向いてため息まじりに頷いた。
ξ゚⊿゚)ξ「――前にね。もう言われなくなったけど」
_
( ゚∀゚)「何て?」
ξ゚⊿゚)ξ「もっと周りを見てパスを出せ、自分ひとりで決めようとするんじゃない、みたいなことよ」
_
( ゚∀゚)「――なんで言われなくなったんだ?」
いつ言われたのか知らないが、これまでのツンのプレイは一貫して、とにかく自分で点を取るというものだった。メインはドリブルで深く切り込んでからのレイアップやゴール下のシュートだが、離れた位置からのジャンプシュートも決して不得意としていない。
ツンは変化していないのに、それまで言われていたことが言われなくなったというのがおれには何とも不思議だった。
しかしツンはにとっては不思議ではないのかもしれない。
ξ゚⊿゚)ξ「さあね。諦められちゃったのかも」
小さく笑ってそう言うツンは、決して自信や自尊心を傷つけられているようには見えなかった。
363
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:48:12 ID:m2xoS0AE0
_
( ゚∀゚)「そんなことがあったとはな。だが、もしおれがコーチに言われてプレイを変えたんだとして、それが一体何なんだ?」
自分がコーチの言うことを聞かなかったからといっておれにもそれを強要しようとしたのだとすると、こいつは相当ヤバいやつだ。
そんなことをおれが考えていると、そんなヤバいやつ候補の女子は、おれの疑いを笑い飛ばした。
ξ゚⊿゚)ξ「何ってわけじゃないけどさ。あたしは言われた通りにプレイしても良くならないと思ったから従わなかったんだけど、あんたは良くなってるようだったから、もしそうだったのなら知りたかったのよ」
_
( ゚∀゚)「――良くなった?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうよ。今日のあんたのプレイは良かった。自分ではそう思わない?」
_
( ゚∀゚)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「答えられない? だとしたら、あんたはやっぱり前のように、自分でプレイを作り上げたいのね」
わかるわ、とツンはおれに頷いた。
364
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:49:18 ID:m2xoS0AE0
_
( ゚∀゚)「――わかる?」
ξ゚⊿゚)ξ「わかるわ。あたしも試合を支配するようなプレイがしたいもの。もちろんその場でより良い選択肢があるというならパスを出さないわけじゃないけど、ただボールをシェアするためだけのパスなんてごめんね」
あたしは周りは見てるもの、とツンは続ける。
ただ自分がこのままボールを持つより良い選択肢となる者がいないからパスを出さないだけなのだ、とツンは言う。
はっきりとそう言い切るツンは自信に溢れていて、ボールを自分の意思で手放したその日のおれには眩しすぎた。
自分の手を見つめる。
小さい手だ。ただし、小学1年生にしては硬い手をおれはしていたことだろう。同じ年齢のどの子供よりも長い時間をバスケットボールに触れて暮らしてきた自覚があった。
実際、この金髪の女子と比べても、テクニック面で劣るとは思っていない。おれがツンと比べて劣っているのは、フィジカル面と、これまでの実績に基づく自信の量だ。
おれが座っていてツンが立っているからだけではないサイズの違いが、おれとツンの間にはあった。
365
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:50:26 ID:m2xoS0AE0
ツンもそれはわかっていたことだろう。
おれのテクニックも、フィジカルも。だからこうして気にかけ、声をかけてきたのだろう。
この実力者に認められていると思ったのかもしれない。だからか、おれは訊いていた。
_
( ゚∀゚)「――さっきのおれのプレイでさ、オフェンスファウルになったじゃん」
ξ゚⊿゚)ξ「うん? あんたジャンパーばっかり打ってなかった?」
_
( ゚∀゚)「おれがディフェンス側だったプレイだよ」
ξ゚⊿゚)ξ「ああ、あれね。テイクチャージしたやつね」
_
( ゚∀゚)「――ていくじゃーじ?」
ξ゚⊿゚)ξ「ディフェンスが上手く立ち回ってオフェンスファウルを取るやつよ。あんた、狙ってやったんじゃなかったんだ?」
_
( ゚∀゚)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「マジ!? 偶然にしては上手だったわね」
366
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:51:31 ID:m2xoS0AE0
おれにはまったくの初耳だったが、ツンにとってはそうではなかったらしい。
テイクチャージ。
守備側から仕掛けてファウルを引き出すなんてことができるのか。
しばらくじっとツンを見つめていると、ツンは笑って肩をすくめて見せた。
ξ゚⊿゚)ξ「オフェンスファウルとディフェンスファウルの原則は習ったでしょ? まあほとんどのやつらは聞いてなかったか、もう忘れちゃったと思うけど」
_
( ゚∀゚)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「ファウルの基準がわかってればさ、それを相手にさせたらこっちの勝ちになるじゃない? コーチにそんなことをしてもいいのか訊いてみたら、あたし、それは立派な技術のひとつだよ、って言われたわ。コーチ、ちょっと悪い大人の顔してた」
_
( ゚∀゚)「悪い大人の顔って何だよ」
ξ゚⊿゚)ξ「にや〜って笑ってたわ。だからあんたも教えてもらったんだろうなって思った。違うのね」
やるじゃん、とツンに言われたおれは、目を開かれたような気持ちになった。
367
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:52:40 ID:m2xoS0AE0
こうしてはいられなかった。おれは水筒に浅く口を付けると、蓋を強く締めて立ち上がる。
おれには今すぐにしなければならないことができたのだ。
_
( ゚∀゚)「――ファウルのげんそく? っていうのか? それ、どこにいったらわかるかな?」
ξ゚⊿゚)ξ「原則? そうねえ、ルールブックでも読んだらいいんじゃないの?」
_
( ゚∀゚)「るーるぶっく! それ持ってるか!?」
ξ゚⊿゚)ξ「いや持ち歩いてるわけないでしょ。でもそうね、コーチに言ったら見せてもらえはするんじゃない? うまくいったら貸してもらえるかも」
_
( ゚∀゚)「――ッ! それだ!!」
おれは即座に地面を蹴って、全速力で体育館へと戻っていった。まだコーチはいるだろうか。そしてコーチはルールブックを持っているだろうか。そんなことを頭いっぱいに抱えながら、おれは口元が興奮で緩むのを自覚した。
結論を言うと、コーチはそこにはいなかった。
ただしおれは母さんにこの熱意をぶつけ、帰りに本屋に寄ってもらって子供向けのルールブックを買ってもらったのだった。
こうしておれは生まれて初めて自分から何かを勉強しようと思った。自分でも驚きだったが母さんもさぞや驚いたに違いない。
368
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:54:14 ID:m2xoS0AE0
○○○
母さんやコーチにわからないところを確認しながら改めてバスケットボールのルールを学んだおれは、それを逆手にとることも同時に学んでいった。
それまでも印象としては持っていたのだが、バスケはどうやら本当に攻撃側が優遇されているらしい。正直なところ意外だった。
从'ー'从「あはは、そうだね。アメスポだからね」
なんでこんなルールなの、とその不平等さについて口にしたおれは、母さんに頭を撫でられた。
_
( ゚∀゚)「あめすぽ?」
从'ー'从「アメリカンスポーツってこと。アメリカさんが作ったスポーツはエキサイト万歳な仕様になりがちなのよね。点がいっぱい入った方が派手で観てて楽しいじゃない?」
_
( ゚∀゚)「それはまあ確かに」
从'ー'从「あと、合理的っていうか、ルールの定義が厳格な感じがするね〜。おおらかなところがないのは好みがわかれるところかも」
369
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:55:28 ID:m2xoS0AE0
好みがわかれるとのことだったが、おれは完全に『好き』側だった。
何故なら、厳格なルールであってくれた方が、それを利用しやすいからだ。
母さんもおそらくそうなのだろう。おれのそうした質問や考えを受け付けるたびに、母さんはニヤリと大人の顔をした。これがもっとにや〜っとしたら、ツンが言うところの大人の笑顔になるのかもしれないな、とおれは思った。
あからさまなことはしない。誰にも好かれないだろうからだ。
しかし、知っていて、できはするがしないのと、知らずにやらないのとではまったく意味合いが違ってくる。何がルール上保護され正当な行為となるかをきちんと把握していれば、ドリブル中のボールの置き方も変わってくるのだ。
_
( ゚∀゚)「フン、へたくそめ!」
ある日のゲーム中、おれはただ強引に伸ばされただけの手をからめとるようにして審判に笛を吹かせてやった。今回は特に完璧なタイミングでシュートモーションを作ることができた。何もないところからおれは2本のフリースローを作り出すことに成功したわけである。
当然その両方をおれは沈める。
決して短くない時間がかかったが、おれは自分の好きなタイミングで、舐めたプレイをしてくる下手くそなプレイに代償を払わせることができるようになっていた。
370
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:56:35 ID:m2xoS0AE0
その短くない時間はおれの背を何センチか伸ばしてくれ、体重を何キロか増やしてくれた。7歳と8歳の差は6歳と7歳の差よりも小さいのだ。それが8歳と9歳の差であればなおのことだ。学年が上がるにつれ、学年の中で強制的に最年少となるおれの誕生日の影響は、少しずつ小さくなっていっていた。
元々テクニックには秀でていたのだ。いつしか他の同学年とおれとのフィジカルの差は圧倒的なものではなくなっており、おれのミニバスチーム内での認識も急速に改められていっていた。
とはいえ、時間は誰にも平等に流れる。
おれが上達している間にツンも上達しており、おれたちの学年のベストプレイヤーは依然としてこの金髪の少女であるというのが常識となっていた。
ξ゚⊿゚)ξ「どう、今日もやってく?」
_
( ゚∀゚)「モチロン」
おれたちはミニバスの時間が終わった後、「もういい加減帰れ」とコーチから言われるまで1対1をコートで続け、おれの調子が良い日にはその後もバスケットのある公園に足を運んで対戦するのが日課のようになっていた。
おれの調子が良い日限定だったのは、誘うのがいつもおれだったからである。ツンがおれの誘いに嫌な顔をすることはなかった。
371
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:57:43 ID:m2xoS0AE0
学年が上がるにつれておれの体は大きくなった。ある程度大きくなったところで母さんはおれの送迎をすることは止め、その代わりにバスで使えるカードをくれた。
从'ー'从「もうひとりでバスにも乗れるでしょ。ジョルジュ、自分で帰ってくるようにしなよ」
_
( ゚∀゚)「いいのか!? やった! ありがとう!」
从'ー'从「――ただし、バスにも終わりはあるんだからね。絶対この時間のバスには乗って帰るようにね」
_
( ゚∀゚)「わかった!」
从'ー'从「本当にわかってる? 守れないようだったらカード取り上げるからね。それでもバスケやりたかったら走って通いな」
_
( ;゚∀゚)「――わかった」
そう話す母さんの目は本気の眼差しをしていたのだった。
そのカードはバスの他にもコンビニやスーパーで使えたので、おれは子供らしい範囲での買い食いを黙認されたような状態になった。自由が与えられた子供の大盤振る舞いを妨いたのは理性ではなく恐怖だ。
そのカードの使用状況はおれの目の前で毎日監査された。その時母さんの逆鱗に触れるような使い方をおれがしていたとしたら、やはり取り上げられていたことだろうからだ。
372
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:59:04 ID:m2xoS0AE0
そんな調子で切磋琢磨し、おれは楽しくバスケットボールへ子供の情熱と時間を注ぎ続けた。
思えばこの頃が一番バスケをしていて楽しかった時期だったのかもしれない。
毎日ボールを触り、仲間と話し、家でも母さんを誘っては庭で過ごした。おれの体が大きくなるにつれて母さんは段々と子供向けの手加減をしなくなってきており、おそらくかつては親父の手前被っていたのだろう、☆女子ボーラー☆としての猫の皮を被らなくなっていた。
从'ー'从「ほらほら、それだと取られるよ」
_
( ゚∀゚)「うっせ〜黙ってr
从'ー'从「ほら取れた」
大人としては大柄なわけでも特別手が長いわけでもない筈なのだが、母さんの手はよくボールへ伸びてきた。
それも、正しいルール解釈の上で反則にならない、上手な守備でだ。
从'ー'从「ほら取られたらすぐに追いかけないと、打たれるよ、ほら打った」
そして母さんは驚くほど遠くからいとも簡単にシュートを沈めるのだ。おれはその度に信じられないような気持ちになる。
从'ー'从「なかなかだけど、まだまだだね〜」
母さんはあっけらかんとそう言った。
373
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:00:02 ID:m2xoS0AE0
そして小学6年生になろうとする頃、おれはついにツンと身長で並ぶことができていた。
_
( ゚∀゚)「お! ついに!? ついにじゃね!?」
ξ゚⊿゚)ξ「うるさいわねぇ。まだ抜いたわけじゃないでしょ・・」
_
( ゚∀゚)「いやこれ時間の問題だろ! うっひょ〜 上がるぅ〜」
ルンルンで浮かれるおれに向かってツンは、やれやれ顔で肩をすくめた。
ξ゚⊿゚)ξ「あのね、そりゃあ歳を重ねりゃ男子が女子より大きくなるのよ。大体はね。当たり前でしょ。確かに思ったよりは早かったけどさ」
_
( ゚∀゚)「いやァ男子と女子との話じゃなくて、おれとお前の話だからな。当たり前ではねぇよ。ひゃっふ〜」
ξ゚⊿゚)ξ「うざ・・」
やれやれ顔が呆れ顔に変わったツンは、ため息をついて何かを観念したような様子だった。気持ちを切り替え、幼いおれにお姉さんの態度で接することにしたのだと今ではわかる。
ξ゚⊿゚)ξ「まあでも実際思ったよりは早かったからね、大したもんよ。大きくなってよかったわね」
おうよ! とおれは大きく頷いた。
374
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:01:06 ID:m2xoS0AE0
学年が上がる頃ということは、つまりはおれの誕生日が近かった。
それを知っていたのだろうツンはお姉さんの態度で言葉を続ける。
ξ゚⊿゚)ξ「――やれやれ。あんたもうすぐ誕生日でしょ。あたしに背が並んだ記念に何か欲しいものあげよっか」
_
( ゚∀゚)「! なぜそれを!?」
ξ゚⊿゚)ξ「いや知ってるわよ。4月1日生まれってあんた以外に知らないし、嘘くさすぎて一度聞いたら忘れないわ」
_
( ゚∀゚)「うわずり〜な。お前の誕生日はいつなんだよ!?」
ξ゚⊿゚)ξ「・・ま、知らないんだろうなとは思ってたんだけどね。4月11日よ」
_
( ゚∀゚)「おお4月生まれか! な〜んだ、おれたち誕生日近いんだな! おれの10日後にお前の誕生日になるわけだ」
親近感をもっておれがそう言うと、ツンは何故だか吹き出して笑った。
ξ゚⊿゚)ξ「いやいや、それは違うでしょ。だって、あんたの10日後にあたしが生まれたんじゃなくて、あたしの生まれた355日後にあんたが生まれたわけじゃない。あんたのより、あたしの誕生日が先なのよ」
さらに説明を重ねられ、おれはその日初めて自分がツンに対してほとんど1歳年下なのだということをようやく理解した。
375
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:02:13 ID:m2xoS0AE0
子供のカテゴリーでほとんど1歳年下ということは、率直に言ってとても大きなハンデとなることだろう。道理でミニバスに入った当初、おれの体はほかと比べて小さく、苦労した筈である。
ξ゚⊿゚)ξ「まあでもあんたの環境って飛び級してるようなもんだからね。それで頑張れてるわけだから、この先もうまいこといったら結構良いとこいけるんじゃない?」
_
( ゚∀゚)「イイトコ。どこだよそれ」
ξ゚⊿゚)ξ「う〜んそうねえ、バスケやってて一番イイトコっていったらやっぱり、アメリカじゃない?」
_
( ゚∀゚)「アメリカか」
ξ゚⊿゚)ξ「そうそう。NBA。目指してみたら?」
_
( ゚∀゚)「目指すか〜」
将来の夢は総理大臣ですといったノリでそう軽く口に出したおれは、続けてツンに訊いていた。
_
( ゚∀゚)「ツンは? イイトコ目指さねえの?」
ξ゚⊿゚)ξ「あたし? あたしはそうね、――でも、いけるところまではいくつもりよ。あんたに負けるつもりもまったくないわ」
そう言うツンの顔からお姉さん感は抜けていて、おれたちは1対1でバスケットを争う遊びを再び始めた。
376
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:04:49 ID:m2xoS0AE0
○○○
そんな感じで完全にバスケを中心に回っていたおれの人生から親父が振り落とされるのは時間の問題というものだった。
出ていくことはなかったんじゃないかと今でも思う。
父親がぞんざいな扱いを受ける家庭などこの世にごまんとあることだろうし、その父親たちは今日も健気に頑張っている。ひょっとしたら、自分なりの楽しみを見出し、それなりに幸せな毎日を過ごしているのかもしれない。受け入れて応援する側に回れば仲間でいることもできただろう。
しかしそれでも出て行きたくなる気持ちはわかる。おれにもバスケを辞めようと思ったことがあるからだ。何なら愛情深く接している方がより深い絶望に陥りやすいんじゃないかと考えることもできるだろう。
無責任だとは思うがそれだけだ。当時のおれにはそれよりずっと大事なことがあったのだ。
それはもちろんミニバスで、おれとツンという才能と情熱に溢れたボーラーを最上学年に置いたおれたちのミニバスチームは、ひとつのピークを迎えようとしていた。
おれたちはミニバスの全国大会に進出できるかもしれなかったのだ。
377
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:05:53 ID:m2xoS0AE0
県代表チームという肩書きは別にどうでもよかったが、単純にツンとプレイするのは楽しかった。
ゲーム形式の練習はどうやったって練習で、勝利のみを目指すというより『正しい形』の習得のようなところを目標としている。真剣になるのはやはり1対1の対戦だ。その場合、ツンは必ず敵となる。
ツンと敵対してバチバチやり合うのもそれはそれで楽しいのだが、それまで戦っていた強大なライバルと共闘態勢を取って新たな敵を打ち負かそうという試みは、上手く描かれた少年漫画のような楽しみをおれに与える。それはツンにとっても同じだろう。
たまらない時間だった。
6年間だ。
6年間同じチームで同じくエネルギーを注ぎ続けたツンの動きや考えは、履き慣れたバッシュのような自然さでおれに伝わっていたし、ツンはツンでおれがその場で何を考え何をしたいと思っているのか、何もせずともわかってくれた。
おれたちは互いにすべてを任せ合うことのできる相棒だったのだ。
378
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:07:01 ID:m2xoS0AE0
そんな県大会の決勝前日のことだった。
疲れを残さないようにとチームの練習は軽く、おれはもう少しボールを触りたかった。
_
( ゚∀゚)「おう、もうちょっとやっていこうぜ」
だからおれはそう言った。いつもおれの誘いを決して断らず、1対1のやり合いを拒んだことのなかったツンが、しかしその日は首を縦には振らなかった。
ξ゚⊿゚)ξ「いやコーチの話聞いてなかったの? 今日はちゃんと体を休めて体調を万全にするのが大事でしょ」
_
( ゚∀゚)「聞いてたけどよ、ちょっと少なすぎるって! こんなんじゃなまっちまうよ」
ξ゚⊿゚)ξ「なまりはしないでしょ、ボールも触ってるのに。軽くシュート練だけやって帰って寝たら?」
_
( ゚∀゚)「いや〜あれでしょ。1オン1でしょ。ね、旦那」
ξ゚⊿゚)ξ「――」
_
( ゚∀゚)「奥様! ね! ちょっとだけ! 先っぽだけだから!」
ξ;゚⊿゚)ξ「あんたマジで何言ってんの? ――仕方ないわね、本当にちょっとよ」
_
( ゚∀゚)「そうこなくっちゃ! 体育館は閉めるだろうから公園行こうぜ!」
379
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:08:18 ID:m2xoS0AE0
おれはウキウキで身支度を整えると、しぶしぶといった調子のツンと並んで歩き、行きつけのバスケットのある公園へと向かった。
途中で飲み物を買うため『ティマート』というコンビニに寄り、ついでに棒のアイスをふたつ購入したおれは、その内ひとつをツンに渡した。チョコレートにコーティングされたバニラアイスを歩きながら齧り、おれとツンは大きな交差点を赤信号で止まった。
何か他愛のないことをお喋りしながら歩いていたと思うのだが、その内容は覚えていない。
おれたちの目の前を横なぎに通過していた車が止まった。向こうの信号が赤になったのだ。数秒もすればおれたちに青信号が与えられることだろう。
青信号。
アイスを齧り、おれは横断歩道に足を出す。ツンも当然歩き出すことだろうとおれは思った。それが違った。
ツンのいる左側からすごい力で引っ張られ、おれはアスファルトの地面に強く引き倒されていたのだった。
380
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:10:28 ID:m2xoS0AE0
_
( ゚∀゚)「――なに!」
すんだよ、と反射的に声が口をつくより先に、その光景がおれの眼前に広がっていた。
ツンだ。
おれを左側から引き倒したツンが、自分はその場に留まっており、しかし地面から見上げるおれを見つめるのではなく、おれの右側を強く睨みつけていた。
止まっていたわけではない。ツンはおそらく必死にその場から離れようとしてはいたのだが、どうにも思い通りにいかないようだった。おれを引き倒し動かした力の反作用でボディコントロールを失っていたのだろう。
その視線の先に自然とおれの注意が引き寄せられる。
そこには、左折してきた自動車が、減速することなくそのまま横断歩道に突入しようとしていた。
そしておれの目の前でゆっくりとツンが車に轢かれた。
381
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:13:30 ID:m2xoS0AE0
瞬きをすることのできない目から取り込まれてくる情報が凄まじすぎて、おれはこの時自分がどのような行動を取っていたのか覚えていない。
おそらくポカンと口を開けたアホ面で、動くこともできずに事態を眺めていたのだろう。
頭からツンに突撃してきた乗用車の衝撃は女子小学生の体を簡単に宙に掬い上げた。ツンは回転するようにして一度車の上部でバウンドし、横断歩道の地面に頭から落下した。
永遠と思えるような数秒間、世界が凍りついていた。
自分が呼吸をしていることを思い出したおれは、右手に掴みつづけていたアイスをその場に投げ捨て、倒れているツンに這うようにして近づいた。
注意していないと口から飛び出すのではないかと思えるほどに強く心臓が鼓動していた。
どう触っていいのかわからなかったが、とりあえずツンの顔にかかっている癖の強い金髪を指先で払ってやると、その下から見慣れた可愛らしい顔立ちが現れた。そしてその大きな目がおれを見た。
ξ;゚⊿゚)ξ「――うおお〜 びっくり、したぁ」
ツンが喋れるような状態であることに安堵した一方で、その金髪の根元が赤く滲んでいることに気づいたおれは、みっともない叫び声をあげていた。
つづく
382
:
名無しさん
:2021/01/16(土) 04:51:12 ID:7eQBxkqE0
乙
383
:
名無しさん
:2021/01/18(月) 01:00:35 ID:4X4Dqt4M0
乙です
スポーツに熱中するふたりが眩しくてしょうがないぜ……
384
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 03:59:00 ID:4pPzAeGs0
乙です
385
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:04:57 ID:xtj5.wCQ0
2-3.ドミネイト
小学6年生のおれとツンは、気づくと救急車に乗せられていた。
ツンは担架で運ばれ、連れ添う形でおれもそこに乗ったのだった。おれ自身に車との接触はなかったものの、仲の良かった女の子が目の前で鉄の塊に跳ね上げられるという光景はそれなりに衝撃だったので、正直なところ、どうやって救急車に乗り込んだのか、どの病院にその後連れて行かれたのかなんかは覚えていない。
ただおれは担架に寝そべるツンの隣に座り、その手を両手で包み込むように握っていた。
ツンは意識を失っておらず、話すこともできたので、救急車に乗る大人たちと自分で直接会話していた。
氏名。年齢。住所や親の連絡先。交通事故に遭った時の状況。
ツンはそのすべてにテキパキと答えた。
ξ゚⊿゚)ξ「――明日大事な試合があって、もうちょっと練習したいなって話してて、それでこの長岡くんと近所の公園まで行こうとしてたんです」
青信号で横断歩道を歩いていたのだ。確かに片手を高く上げてはいなかったが、たとえこちらに非があったとしても、審判に笛を吹かれる筋合いはないというものだろう。
386
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:05:56 ID:xtj5.wCQ0
しかしおれたちに非があろうとなかろうと、事実としてツンは救急車の中で担架に寝ており、県大会の決勝は明日のことだった。
ξ゚⊿゚)ξ「あ〜あ、明日の出場は無理かな〜」
担架に寝そべったままでツンが言う。その軽い口調がツンの本音でないことは、おれの手を握る強さからおれにはわかっていた。
その口ぶりは何のための軽さなのか。
おれのためだ、とおれは思った。
ツンを公園に誘ったのはおれだ。それも、珍しく気乗りしない様子のツンを、おれは重ねて誘って公園へと連れて行こうとした。
そしてそこで事故に遭ったのだ。
おれを責めるのは簡単なことだっただろう。少しは気も晴れた筈だ。何しろ、ツンは、おれを引き倒して半ば身代わりになったのだ。
責めてくれても構わなかった。
しかし、ツンはそうはしなかった。
おれの手を握るツンの右手が小さく震えているのが伝わった。
387
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:07:02 ID:xtj5.wCQ0
_
( ゚∀゚)「――」
おれに何が言えるというのだろう?
おれにはただ、その震える手を両手で包んだままにしておくことしかできなかった。ツンの口調のように軽い包み込み方で、決して強く握ってしまわないように注意しながら、おれはツンの大きな目を黙って見つめた。
おれの両手に挟まれ震えていたツンの右手が再び強く握られた。
ξ゚⊿゚)ξ「・・う〜ん、なんだか痛くなってきた」
その口調はやはり軽く、思わずおれはちょっぴり笑ってしまった。
_
( ゚∀゚)「・・今まで痛くなかったのか?」
ξ゚⊿゚)ξ「痛いっていうか、ビックリだったからね。そういやジョルジュは怪我しなかった?」
_
( ゚∀゚)「おれは――どうもねぇよ。お前のおかげで」
ξ゚⊿゚)ξ「お〜 それは何より。よかったよ」
ツンはそう言い、はっきりとおれに微笑んだ。
ξ゚ー゚)ξ「それじゃ、明日の試合も出られるね?」
388
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:08:27 ID:xtj5.wCQ0
明日の試合。
頭のどこにもなかったと言ったら嘘になるが、とてもそれどころではないと思っていたことだった。
何よりおれのバスケにおける相棒は、今救急車で運ばれているのだ。
_
( ゚∀゚)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「え、うそ。まさか出ない気?」
_
( ゚∀゚)「――あんまり考えてなかったな」
ξ゚⊿゚)ξ「いや出なさいよ。あんた轢かれてないんだからさ。さすがにあたしは無理だろうけど」
めちゃくちゃ痛いし、とツンが強張った笑顔で言うものだから、おれもそうした方が良さそうな気になってきた。
なんせ明日の試合に勝って全国大会へ進出すれば、しばらくはおれたちのミニバスからの引退が遠のくのだ。そうすればまたツンとこのチームで戦えるかもしれない。
_
( ゚∀゚)「――そうだな、出るよ。そして勝つ。だから、全国までには怪我治しとけよ」
ξ゚ー゚)ξ「マジ痛いからね、無理かも〜」
そう言うツンの笑顔は、心なしかさっきより柔らかくなっていた。
389
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:09:30 ID:xtj5.wCQ0
何とかという病院に運び込まれたおれたちは救急車から降ろされた。
車の接触がおれにはなかったことと、どこにも怪我をしておらず、服の一部がアイスで汚れた以外に問題がないことを確認され、おれは待合室のようなところに通された。
人気のないガランとした空間に並べられた病院の椅子にひとりで腰かけぼんやりとしてしばらく待った。
ひとりだ。
おれひとりと、おれの荷物とツンの荷物。それがその空間のすべてだった。
何をするでもなく、何を考えるでもなく、ひとりで病院の壁や扉を見るともなしに見ていると、何かの足音が耳に聞こえた。人の気配だ。
そちらを向くと、母さんがいた。そしておれは母さんに連絡をしていないことを思い出した。誰からここを聞いたのだろう。
_
( ゚∀゚)「――母さん」
从'ー'从「息子よ。無事かい」
_
( ゚∀゚)「――無事だよ。おれはね」
从'ー'从「そうかい。それはひとまずよかったね」
母さんはゆっくりとおれに近づき、ぐしゃぐしゃと頭を撫でた。おれはされるがままにした。
390
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:11:16 ID:xtj5.wCQ0
母さんとおれは並んで病院の椅子に座った。自分から口を開く気にはならず、母さんもおれを問い詰めるような態度を取らなかったので、おれはただ母さんと並んで座った。
ただ隣に母さんがいるというだけなのに、それがおれにはとても心強く感じられたことを覚えている。
そして同時に、ついさっきまで救急車の中でおれが隣にいたツンは今どんな気持ちでいるのだろうと考え、自然と唇に力が入るのをおれは感じた。
気を抜いたら泣いてしまっていたかもしれない。
しかし、おれの涙腺が限界に達するより先に、さらなる人の気配がその空間に訪れた。
ζ(゚ー゚*ζ「――こんにちは」
それが急いで駆けつけたツンの家族であることはすぐにわかった。見た目がよく似ていたし、まっすぐにおれと母さんの方を見ていたからだ。
おれと母さんは並んで立ち、その女の人に会釈した。
从'ー'从「こんにちは。――ええと、ツンさんの?」
ζ(゚ー゚*ζ「母です、簡単に話は聞きました。あなたが長岡くん?」
そうです、とおれはハッキリ言った。
391
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:12:37 ID:xtj5.wCQ0
_
( ゚∀゚)「・・おれがジョルジュ長岡です。事故に遭った時、ツンさんと一緒にいました。すみません」
ζ(゚ー゚*ζ「・・あなたが謝る必要はないように聞いてるけど?」
_
( ゚∀゚)「いえ、ツンを誘ったのは僕なので。それに、事故の時にも庇われました。すみません」
ζ(゚ー゚*ζ「そうなのね」
_
( ゚∀゚)「――そうです。ツンは僕を庇うようなことを言うかもしれませんが、事実はそうです」
ζ(゚ー゚*ζ「――そう。ま、それが本当だとしても、あなたが謝る必要はないと思うけどね。悪いのは車でしょ?」
_
( ゚∀゚)「――」
ζ(゚ー゚*ζ「あの子はね、庇う必要がない子を庇ったりはしないわよ。したくないこともしない。だから、あの子のしたことで、ジョルジュくんがそれを申し訳なく思うのは、なんというか望まないと思うわよ」
そうじゃない? と小さく笑って肩をすくめるおツンのお母さんは、お姉さんの雰囲気をしているツンによく似ていた。
そうかもしれない、とおれは思う。小さく頷いて見せたおれに、ツンのお母さんは満足そうに微笑んだ。
392
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:15:59 ID:xtj5.wCQ0
こうして子供と大人のやりとりをおれと交わしたツンのお母さんは、母さんと大人の会話を始めた。
ζ(゚ー゚*ζ「私はデレです。長岡さん、先生から何か聞かれました?」
从'ー'从「まだ何も。デレさんは?」
ζ(゚ー゚*ζ「もうじき終わりそうだとは言われましたが、他には何も。少なくとも即オペって感じじゃなさそうでしたね」
从'ー'从「それは何より。加害者の車の方は?」
ζ(゚ー゚*ζ「左折車ですから信号無視じゃないみたいですけどね、逃げたりもしていませんが、横断歩道を渡ってる子供を見落としちゃあだめですね」
从'ー'从「だめですね〜」
そうして母さんたちがやれやれし合っているうちに、廊下の扉が開かれた。看護婦さんがそこから顔を出す。
どうやら医者の仕事が終わったらしい。
流石にそこにツンはいなかったが、おれたちは先生がいるらしい奥の方へと導かれたのだった。
393
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:17:13 ID:xtj5.wCQ0
ツンは銀色のベッドの上にいた。
潜水艦の中にある潜望鏡モニタのようなでかい機械が上の方から生えていて、ツンが寝そべるベッドはその真下に位置している。そしてその機械を扱える位置に白衣の男が立っていた。
おそらくこの人が医者なのだろう。おれたちは言われるがままにその近くで整列し、話を聞く態勢を取った。
( ><)「初めまして、医師のビロードなんです。よろしくお願いするんです」
ζ(゚ー゚*ζ「よろしくお願いします」
( ><)「ええと、お友達とも一緒に話を聞きたいとのことだったので、お呼びさせていただいたんです。お母さんもそれでよろしいですか?」
ζ(゚ー゚*ζ「もちろん。よろしくお願いします」
ξ゚⊿゚)ξ「あたしもまだ聞いてないの。ジョルジュはいい?」
_
( ゚∀゚)「もちろんだ」
お願いします、とおれは言った。
394
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:19:09 ID:xtj5.wCQ0
( ><)「それでは始めるんです。とはいえ、重症ではないので簡単な内容ですが。まず目立つ外傷は頭部の裂傷、切り傷なんです」
おれは先生の話を聞きながら事故の様子を思い出す。
ツンはおれから見て右から来た車に跳ね上げられ、その上部にバウンドした後地面へと叩きつけられた筈だ。その時地面で頭が切れて血が出たのだろう。
( ><)「これはおそらくただ切れてるだけなんです。2針ほど縫いましたが、それでおしまい。お薬飲んで、そのうち抜糸するだけなんです」
先生の口調とその内容に、安心した空気が部屋に漂う。
おれもため息をつきながら、でもそれじゃあなんでこんな銀色のベッドにツンは寝ているのだろうと思った。するとその答えが告げられた。
( ><)「他に特別怪我はなさそうなんですが、特に膝のあたりが痛むようなので、一応レントゲンを撮りました。その結果がこれなんです」
黒地に白く骨の写った巨大な画像がガシャリとスクリーンに固定される。その見方はてんでわからないが、これこれこういう理由で大丈夫なのだと先生は言った。
395
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:20:43 ID:xtj5.wCQ0
( ><)「そんなわけで、骨に異常は見られないんです。強く打ったか捻ったかしたようになってて痛んでるだけだと思うんです」
ζ(゚ー゚*ζ「――よかった」
ξ゚⊿゚)ξ「じゃあ先生! あたし、明日の試合に出れますか?」
ζ(゚ー゚*ζ「ツン!」
ξ゚⊿゚)ξ「――どうですか? この痛みも引いて、出られるようになりますか?」
( ><)「う〜ん、そもそも頭を縫ってるわけだし、やめといた方がいいと思うんです。おそらく接触したら簡単に出血するんです」
ξ゚⊿゚)ξ「流血デスマッチ!」
( ><)「是非とも遠慮していただきたいんです」
ξ゚⊿゚)ξ「――わかりました。応援はしてもいいですか?」
( ><)「それはもう。流血するほどの興奮は控えて楽しんでくださいなんです」
ξ゚⊿゚)ξ「やった! ママ、あたし行くからね!」
ζ(゚ー゚*ζ「はいはい。しょうがないから連れて行ってあげますよ」
396
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:22:18 ID:xtj5.wCQ0
ζ(゚ー゚*ζ「――ええと、今日はこのまま帰れるんですか?」
( ><)「ツンさんにベッドは用意してないんです。今日は入浴できませんが、明日からは概ね普通に生活できるんです。学校にも行けますよ」
ξ゚⊿゚)ξ「げろげろ」
わざとらしく学校を嫌がるツンに雰囲気が和む。ツンのお母さんが安堵の息を吐く。
さて、とまとめるように医者が言葉を続けた。
( ><)「それじゃあそろそろ帰りましょうか。様子を見て欲しかったらしばらくはいてもいいですが、必要はあまりないんです」
ζ(゚ー゚*ζ「どうする、ツン?」
ξ゚⊿゚)ξ「もちろん帰るわ。でも先生、足がまだ全然痛いんですけど?」
( ><)「う〜ん、痛み止めは使いましたからね、追加で使いたくてもしばらく待った方がいいと思うんです。痛みが引くか、追加で使えるようになるまで待ちますか?」
ξ゚⊿゚)ξ「帰ります、帰ります」
ツンはオモチャを取り上げられそうになった子供のように素早く答えた。
397
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:24:57 ID:xtj5.wCQ0
しかし、結局この場でツンの足から痛みが消えることはなく、それどころか自力で立つことすらできないようだった。
( ><)「機能的には歩ける筈なんです。ま、ショックも大きかったことだろうし、今日のところは車椅子で運んであげるので、明日からは自分で歩くといいんです」
医者はそう言い看護婦さんに何やら指示を与えると、「お大事になんです」とおれたちに手を振った。
お母さんに車椅子を押されるツンに並んで歩き、おれは何度も唇を噛み締めた。
明日は無理だが、おそらく全国大会には出られるのだろう。
またツンと同じチームでプレイができるのだ。
明日は勝つ。必ずだ。
おれがその決意をわざわざ改めて口に出すことはなかったが、病院の薄暗く静かな通路を進む間、ツンは黙って車椅子に座っていた。そして車の座席に座らされ、別れ際になっておれをまっすぐ見つめたのだった。
ξ゚⊿゚)ξ「――明日、勝つんでしょうね?」
もちろんだ、とおれは言った。
398
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:28:11 ID:xtj5.wCQ0
○○○
チームの誰もが「気負いすぎるな」とおれに言った。
いつも通りのプレイをしろ、と。変に気にしすぎることをせず、できることならリラックスした方がいいとおれは言われた。昨日の事故はおれのせいではないのだからだ。
仲間たちもそうだったし、コーチもそんなことをおれに言ってきた。おれはそのすべてに頷きながら、頭の中ではまったく同意していなかった。
そんなことは無理なのだ。暑い日に汗をかくなと言うようなものだとおれは思う。
そんな中、母さんだけは違っていた。
チームと合流する大きな体育館までおれを車で送りながら、母さんはそんなことを言いはしなかった。
从'ー'从「意外といつも通りプレイできるんだったらそうすればいいし、できないんだったらできない中で何ができるか考えるといいよ。こんな日にどういうプレイができる人間なのか、自分を知るいい機会だねぇ」
母さんはほんわかとした口調で、独り言のようにそう言った。
399
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:30:45 ID:xtj5.wCQ0
正直、母さんの言ってることはよくわからなかったが、色々な意見があるんだということでおれはすべてを丸飲みにした。その色々な意見たちがどのような形でおれの尻から出てこようがおれの知ったことではないと思った。
おれにとって大事なのは、このゲームに勝つことだ。
ツン抜きで勝つ。
_
( ゚∀゚)「う〜ん、想像すらできない」
おれにとってのミニバスの公式戦にはいつもツンがエースとして君臨していた。おれたちのチームの基本戦略は「ツンでもぎ取ったリードを残りのメンバーでなんとか保つ」といったようなものであって、勝利への前提条件のようなものが欠けている今日のチームがどう機能するのか、誰もが不安だったに違いない。
そして、そのチームを現場で取り仕切るのは、ナンバーツーでポイントガードのおれの仕事というわけだ。まったくもってやれやれである。
_
( ゚∀゚)(――それを、“いつも通りやれ”だって?)
いつも通りにやってどのように勝つつもりなのか、おれには皆目見当がつかなかったが、それをわざわざ口に出すのはやめておいた。
大人だったというよりは、そんな嫌味を言う余裕がおれにはなかっただけである。
400
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:35:13 ID:xtj5.wCQ0
ツン抜きで戦うプランを誰にも具体的に示されないまま試合開始が迫っていた。
結局、試合前最後のチームミーティングでも具体的な指示が出されることはなく、おれはツンの代わりに相手チームの代表者と試合前の挨拶を交わした。
知ってる顔だ。おれがベンチに座っていた時からずっとこのチームで活躍している男である。
_
( ゚∀゚)(名前は確か――流石の兄者、だったっけな)
それが本名なのかどうかは知らないが、こいつは流石兄弟の、兄者と呼ばれる男だった。
双子で、同学年の同じチームに弟者と呼ばれるやつもいる。
兄者と弟者がいて、でかい方が逆に弟者だ。おれの認識はそのようなものだった。
軽い握手で儀礼的な挨拶が済む。と思っていたら、おれは兄者に話しかけられた。
( ´_ゝ`)「・・ツンはどうした?」
兄者はそう訊いてきた。
401
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:40:38 ID:xtj5.wCQ0
ツンの不在が気になるらしい。正直におれの知るところを話してやっても良かったのだが、それには時間がかかりそうだったし、第一こいつはこれから必ず打ち倒さなければならない敵だった。
だからおれはすっとぼけ半分、挑発半分で答えることにした。
_
( ゚∀゚)「ツンは全国から出るってさ。今日は家で寝てんじゃね〜の」
(#´_ゝ`)「なんだとう!」
_
( ゚∀゚)「ほれ、散れ散れ。ツン抜きで負けた泣きべそで聞く気があったら後で教えてやっからよ」
兄者はぷんすか怒りながら自陣へと去っていった。
おれは嘘はついていない。
それにしても、そこまで強烈な内容でもない挑発に即座にブチ切れられるとは、そんなことで試合をコントロールできるのかね、とおれは平常心で考えた。兄者のポジションはおれと同じくポイントガードなのだ。今日もマッチアップすることだろう。
_
( ゚∀゚)「ふふん」
おれは意識して笑顔をつくりながら、ティップオフの瞬間を待った。
402
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:41:30 ID:xtj5.wCQ0
○○○
ティップオフのボールは相手に渡り、おれたちはまず守備をしなければならなかった。
兄者がボールを運んでくるのが目に入る。あまりにわかりやすく苛立っているので、かえって演技なのではないかとおれは疑う。
(#´_ゝ`)「後悔させてやるぜ!」
_
( ゚∀゚)「いらっしゃい」
強くボールがコートに弾む。その一定のリズムを正面で捉えて対峙する。
半身になって体でボールを守りはせず、おれに正対していられるということは、相当な自信を自分のボールコントロールに持っているのだろう。こちらが下手にボールを取ろうとすれば、その動きを利用して一気に抜き去ることができると思っているのだ。
そこからは冷静さのようなものを感じる。やはり怒りに我を失ってはいないのだろう。
小さくドリブルのリズムが変わる。まだ仕掛けてはこなかった。おれを観察しているのだろうか?
思った瞬間、兄者が強い1歩を踏み込んできた。
403
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:42:19 ID:xtj5.wCQ0
それは単純なドライブだった。
スピードにすべてを委ねたような突撃だ。巧くはないが、効果的ではあるのだろう。慣れていないと対処が難しいに違いない。
しかしおれにはツンがいた。ツンとの1対1での対戦の中で、おれは単純なスピードに対する守り方はとっくに習得済みだったのだ。
( ´_ゝ`)「む」
少し意外そうな顔。
おれと戦うのが久しぶりだからか、いつもの対戦ではツンにばかり注意していたからか。
決してファウルを取られない足運びで兄者のドライブを阻止したおれは、パスでボールを手放させることに成功していた。
オフボールの動きに切り替わる。おれは兄者についていく。
何度かのパス交換から再びボールを手にした兄者はようやくおれに集中していた。
404
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:43:34 ID:xtj5.wCQ0
一瞬視線が交差する。
打ち合わされるフェンシングの剣のように睨み合ったおれたちは、その何十分の一秒かで濃密なコミュニケーションを交わす。
( ´_ゝ`)「なかなかやるじゃないか」
兄者はそう思っているのかもしれない。
_
( ゚∀゚)「そのくらいじゃ後悔はできねぇなあ」
おれはそう挑発してやった。
始動。
反応。
おれは兄者の動きに応じる。
しかし兄者はおれを抜くことに固執せず、パスを回して弟者へとボールを入れたのだった。
そしてオフボールの動きを開始する。おれはそれについていく。
すると、弟者とウチのセンタープレイヤーとの1対1の形になった。そして弟者はそれを難なく、あっさりと決めた。
405
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:44:42 ID:xtj5.wCQ0
対戦が久しぶりなのはお互い様だったのかもしれない。
おれがこのチームのナンバーツーであるように、あちらのチームにおいて兄者は、チーム2番手の実力者だった。忘れていたわけではないが、おれはそれを再認識させられた。
流石兄弟で体が大きいのは実は弟者の方であって、敵としてより厄介なのも、実は弟者の方である。
特に3ポイントシュートの存在しないミニバスにおいて、インサイドを支配しかねない弟者の力は圧倒的と言ってもよかった。
(´<_` )「ディフェンス。締めるぞ」
( ´_ゝ`)「1本止めるぞ〜!」
_
( ゚∀゚)「・・まいったね」
ボールを受け取ってドリブルを開始しながら、おれは軽く途方に暮れたものだった。
406
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:45:49 ID:xtj5.wCQ0
何故って、いざ攻撃するとなると、ツンの不在は強烈だった。
ツンがコート上にいないのだ。
もちろんすべてのシュートをツンが放っていたわけではないし、すべての攻撃の形にツンが絡むわけでもない。しかし、ツンは常にこのチームにおけるファーストチョイスだったのだ。
まずツンを使った攻撃を狙う。だめなら次に移行するのだが、それで防御が綻ぶようならどこからでもまたツンで攻める。
それがおれたちのオフェンスだった。
特にツンと同時にコートに立つ時間がほとんどだったおれにとって、練習レベル以上でのこのオペレーションはほとんどぶっつけ本番だったのだ。
コーチを見る。指示はない。この攻撃はおれが作り上げなければならないということだ。
おれはこれまでに集めたチームメイトの情報と、今日の練習中の様子、そして相手の布陣と実力をわかる範囲で頭に浮かべる。考えるともなしに考える。味方4人と敵5人の動きを把握する。
そしてひとつの決断を下した。
407
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:47:56 ID:xtj5.wCQ0
おれの選択はパスだった。
おれに付いているディフェンスは兄者だ。敵方2番手の実力者で、守備も上手い。そこから攻めるというのは賢い選択とは思えない。
少なくとも、ファーストオプションにするべきではないとおれは思った。
そしてもうひとつの目的は情報集めだ。
チームメイトのことはそれなりにわかっているが、相手のことはやはり十分ではない。誰がどういう守備をするのか、全体としてどの局面でどう動くのか。おれには調べなければならないことがたくさんあった。
だからおれはパスをした。
その行き先のウィングの選手はそれなりに優れたドライブと中々の確率で沈めるジャンピングシュートが武器だった。3ポイントシュートがないのが残念だと冗談で言える程度のクオリティはしていた。
パスを受ける。即シュートか、さらにパスを回して機会を探るか。敵の動きを観察しながらそのように予測していると、そいつがドライブで仕掛けるのが目に見えた。
408
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:48:43 ID:xtj5.wCQ0
_
( ゚∀゚)「――まじか!?」
予想外のその選択に、おれは正直驚いた。ドライブを仕掛けるにふさわしい形ではなかったからだ。加えてそいつのドライブは“それなりに上手い"といったレベルで、多少の不利なら跳ね返せてしまえるような高い技術は持っていない。
案の定、捕まった。
そこから何とか打開するビジョンも持っていなかったに違いない。こちらに一度戻せとおれが上げた声が届くより先に、そいつはボールを奪われた。
ターンオーバー。速攻が来る。
ぞくり
と、おれの背筋に何かが走る。
全力で戻るも虚しく、簡単なレイアップで得点を決められた。
409
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:49:44 ID:xtj5.wCQ0
○○○
はっきり言って、序盤は散々な出来だった。
3分が過ぎたところで4-11というやられ方だ。ダブルスコア以上で負けていて、さらにフリースローの2本目をこれから弟者が放とうとしている。
_
( ゚∀゚)(・・まいったね、こりゃ)
フリースローラインで集中する弟者を眺め、おれはそのように心の中で呟いた。
言い訳はいくらでもできる。
ツンが試合前日に突然出場できなくなるというのも災難だったし、変にやる気になったウチの選手がツンのような攻め方でツンでは考えられない失敗を重ねるというのも一因だろう。いつもなら即座にシュートを放ってくれるタイミングと状況で、なぜだかドライブを選択するのだ。
ツンの代わりをしようと思ってのことなのかもしれない。しかし明らかに不適切だった。
軽く指摘をしても気にする素振りを見せず、今この試合中におれが強く言って是正させるには、不貞腐れリスクが伴った。
410
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:51:17 ID:xtj5.wCQ0
そんなわけで、恥ずかしながら、おれは半分心が折れかけていた。無理なものは無理なのだ。
もちろん手を抜くようなことはしない。攻撃では形を作り、守備では兄者を好きにはさせない。ドライブ突破は許さなかったし、苦し紛れのシュートも簡単にはさせなかった。
しかし、おれが多少兄者に優ったところで、チームとしての差は歴然としていた。それが4-11というスコアに表れているのだ。ダブルスコアされるほどの違いだとは思えないが、7点差をつけられていること自体にはまったく反論の余地がない。
_
( ゚∀゚)「ぷふ〜」
もう少しまともなスコアになるよう試合を整えることはできるだろう。ただし、ここから巻き返しを図るには、おれたちには武器が見当たらないのだった。
そういう感情をため息に込め、ぷふ〜と風船が萎むような音を出していると、ベンチがざわついている気配を感じた。
_
( ゚∀゚)「・・なんだァ?」
ミニバスのルール上、アクシデントでもない限り、このタイミングで選手の交代などはできない。ベンチがざわつく筈がないのだ。
それでも気になってそちらに目をやると、そこにはなんとツンがいた。
411
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:52:45 ID:xtj5.wCQ0
_
( ゚∀゚)「――ッ!」
ξ゚⊿゚)ξ「――」
ツンだ。そこには確かにツンがいた。
車椅子に座り、それをツンのお母さんが支えている。足の痛みが引かなかったのかもしれない。もちろん今日の出場は無理だろう。
しかし、そこにはツンがいた。
頭から氷水を浴びせられ、同時に胸に溶岩をぶち込まれたような衝撃だった。おれは何を考えているんだと一瞬で我に返った。
おれは、この試合に必ず勝たなければならないのだった。
普通にやってて勝てる筈がないだろうとも思っていたのだ。
_
( ゚∀゚)「――」
尋常ではないことをしなければならないと、最初からおれにはわかっていたのだ。いつも通りにやろうと思っていたわけではないつもりだったが、そんなものでは全然足りていなかった。
412
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:54:08 ID:xtj5.wCQ0
急激に冷静さを取り戻した冷たい頭に熱い血流が巡ってくる。おれは唇を噛みしめる。
フリースローを弟者が沈める。点差は4-12と実にトリプルスコアとなり、おれはボールを受け取った。
ドリブルでボールを運び、こちらの攻撃が開始するのだ。
まっすぐあちらのサイドへ侵入することはせず、おれはぐるりと迂回してわざとベンチの前に進路を取った。
車椅子に乗ったツンがいる。
何も言われはしなかった。
おれもツンに何かを言うようなことはしなかった。
その代わり、その隣にいるおれたちのコーチに、おれは一言断りを入れた。
_
( ゚∀゚)「――このクォーター残りの3分間、おれの好きにしていいですか」
行ってこい、と言われたおれは、ひときわ強くボールをついた。
413
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:55:14 ID:xtj5.wCQ0
敵陣に達したおれは、まっすぐ兄者を睨みつけた。
兄者もその視線から何かを感じ取っていたかもしれない。
しかしそんなことはどうでもよかった。
おれが今ここですべきなのは、何とか見られるスコアになるよう試合を整えることではなくて、とにかく試合の流れをこちらに引き寄せることだった。
その手段として、おれは兄者をはっきりと打ち負かすことを選択したのだった。
_
( ゚∀゚)「フゥ〜」
明らかな攻め気がおれから発せられていたことだろう。賢いプレイとは言い難いかもしれない。効率性だけを考えれば悪手だと思う。
しかし、そんな一見賢くないプレイで相手をねじ伏せた場合に相手はどうしても動揺し、それが試合の流れとなってこちらに勝利を近づけるのだ。
2点というのはただのスコアで数字だが、あるタイミング、ある形で取るべき2点を取ることにはただの数字以上の意味があるというのを、おれはこの日初めて知ったのだった。
414
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:56:48 ID:xtj5.wCQ0
一定のリズムでボールをコートに弾ませながら、少しずつ兄者に近づくたびに、少しずつ体の中で何かが高まっていくのをおれは感じた。
おれの体の核の部分に器のようなものがあるとしたら、そこにエネルギーか何かが次々に注ぎ込まれ、あふれたものが全身に行きわたっていくような感覚だ。
右手。ボール表面の感触がありありと感じられる。まるで自分の体の一部のようだ。
目で確認しなくても自分の指の先がどこにあるのかわかるように、ボールが今どこにどの状態でコントロールされているのか、おれには把握できていた。
床に弾ませ、右手から左手へとボールを渡す。左から右へ。どこをきっかけに突撃されてもいいように、兄者がそれぞれに小さく反応をする。はっきりと反応とは言えないような小ささだ。
リズム。変調。わずかな隙間がおれには見える。
わざと作った隙間だろうか?
そんなことを考えるより先に、その隙間目掛けておれはドライブを開始していた。
415
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:58:04 ID:xtj5.wCQ0
それまでの様子と兄者の性質を総合して考えると、それは罠ではありえなかった。もしくは、たとえそれが罠だったとしても、その上で打開できる自信がおれにはあった。
後から考えると、おそらくおれはその時、そのように判断してドライブを開始したのだろう。
とにかくこの瞬間のおれにはある種の確信があって、何の迷いもなくそこに突っ込んでいた。
兄者が対応してくる。十分に訓練されたフットワークだ。思った通り。
思った通りということは、おれの確信の通りということだ。
おれは兄者にマークされたままの形で、しかしすべてを自分の支配下に置いていた。
ボールをコントロールしているのはおれだ。そしてこの形を作ったのもおれ。
間違っていないディフェンスで、しかしシュートを防ぐこと自体はできない形だ。兄者はそれをわかっているだろうか?
おれはわかっている。
おれが思い通りに放ったボールは、飛んで伸ばされた兄者のシュートチェックに邪魔されることなく、おれの思った通りにリングをくぐってネットを揺らした。
416
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:59:06 ID:xtj5.wCQ0
点数的には6-12と依然としてダブルスコアでこちらが負けていたが、コートの空気は明らかに変わっていた。
これまで一見堅実な選択でジリジリと差を広げられていたおれたちが、いきなりそれまでと違った形で攻めてきたのだ。そしてその攻撃を成功させた。
特にその標的となった兄者はすぐさまやり返したいのか、荒れたドリブルでボールを運んできていた。
試合開始時の様子とは違う。ひょっとしたら本気で苛立っているのかもしれない。
(´<_` )「落ち着け兄者、ボールをよこせ」
しかしあちらのエースは相変わらずの落ち着きだった。しばらく弟者がボールをコントロールし、再び兄者へ。攻撃の形が作られる。
もちろん相対するのはおれの仕事だ。プレッシャーを強めにかける。
ボールを離すか? プレッシャーの強さを逆手に取った突破を狙ってくるか?
ギャンブルだったが、おれは自分の左側にわざと隙を作って誘っていた。
417
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:00:42 ID:RfZRGzKY0
これがギャンブルだったのは、誘いに乗るようなフェイントをかけられていたら、おれは簡単に逆を取られたかもしれなかったからだ。もしくはまったく誘いに乗らず、弟者の強みを全面に押し出した攻め方をされたら、少なくともこう着状態には持っていかれていたかもしれない。
試合の揺らぎが小さくなると、この6点差はおれたちに重くのしかかってきたことだろう。おそらく我慢比べのような展開になったら不利なのはおれたちの方だった。
しかし兄者は誘いに乗ってきた。
おれの左側にできた隙間に突っ込んできたのだった。
おれにはその兄者のドライブがどのような進路を進み、その間にボールがどのような軌道を辿るか、感覚で把握できていた。そのように仕向けたからだ。
完全に抜けたと兄者は思っていたかもしれない。
しかし、その実、そのドライブの最中に、回り込むようにして後方から伸びたおれの右手の指2本ほどが、ボールの芯に触れていた。
418
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:01:47 ID:RfZRGzKY0
_
( ゚∀゚)「――速攻!」
こぼれたボールをチームメイトのひとりが拾い上げたのを確認すると、おれはその他全員にとにかく上がれと号令を飛ばした。
おれの役目は確保されたボールを受け取り、ゼロ秒でコートの状況を把握して適切な場所にボールを供給することだ。あるいは速攻を諦めるかの判断。ボールがおれの手に渡る。それまでのコートの状況を頭で処理する。
イメージ。それとも直感なのだろうか。おれには改めて確認するまでもなく、どこにどのようなボールを送ればいいのかがわかっていた。
ウィングのあいつだ。素晴らしい場所にいる。
ただし相手も良い反応をしていて、特に弟者がちゃんとゴール下まで戻ろうとしていた。
ボールを持ったあいつがドライブからのレイアップを狙えば必ず弟者に捕まることだろう。
おれはパスを出していた。
419
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:03:17 ID:RfZRGzKY0
長年バスケをやっていれば誰にでも“会心のプレイ”があることだろう。
おれにもある。そのうちのひとつで、覚えている限り最初のひとつが、この試合のこのパスだった。
センターラインのまだ手前、フリースローラインをわずかに出たあたりの自陣から、おれはミドルレンジに広がったそいつにコートを切り裂くようなパスを送った。
ワンバウンド。誰にも邪魔されることなくボールが収まる。
ポイントなのは、ワンバウンドさせ、そのままの勢いでドライブに入るにはやりにくい位置でボールをキャッチさせることだった。
そのままシュートを放てばいいのにやたらドライブしたがるそいつに、ドライブを許さないパスだった。しかしシュートの邪魔にはならない。
そんなおれの意図と意志を、固めてボールの形にしたようなパスだ。受け取った瞬間、そいつは何を思ったことだろう?
おれにそれを知る手段はなかったが、とにかくそいつが弟者に突っ込むことなく、高精度のジャンパーをフリーで放っただけで十分だった。
点差はまだまだ残っていたが、その必ず入るとは限らないジャンピングシュートがきっちりリングをくぐった時点で、試合の流れは完全におれたちのものになっていた。
420
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:04:19 ID:RfZRGzKY0
○○○
そこから先は楽だった。
嘘だ。おれたちはとても頑張って試合の流れを手繰り寄せ、それがあちらに渡らないように丁寧と大胆をほどよくブレンドしたプレイを心がけた。それでどうにかギリギリ逆転することができたのだった。
兄者はやはり上手かったし、弟者は依然として脅威だった。
ただし、不思議と負ける気はしなかった。
おれはその試合に何としても勝たなければならなかったからだ。
なぜならそこにはツンがいた。
(´<_` )「ナイスプレイ――長岡くん」
なんとかおれたちの勝利を告げるブザーを聞けた後、弟者がおれに近寄ってきた。これまでにも何度か対戦したことはあるが、握手以上のコミュニケーションを求められたのは初めてだ。
_
( ゚∀゚)「おつかれさん」
あちらの健闘も称えるおれに、弟者は小さく頷いた。
421
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:05:21 ID:RfZRGzKY0
(´<_` )「長岡くんは中学どこ? お受験するの?」
_
( ゚∀゚)「お受験!? しねぇーよ! 普通の公立に行くことだろうよ」
(´<_` )「ほう、俺らもそうだ。――チームメイトになるかもな」
_
( ゚∀゚)「まじか。そりゃああれだな、心強い話だな」
(´<_` )「ふふん。ほら、兄者も挨拶しといたらどうなんだ」
( ´_ゝ`)「・・俺はいいだろ」
(´<_` )「ボロカスにやられたからって不貞腐れるなよ」
(#´_ゝ`)「ボロカスにはやられてないだろ!」
(´<_` )「いや明らかに狙われてただろ。だろ?」
_
( ゚∀゚)「――だな」
( ´_ゝ`)「うぅぅ〜」
あんまり煽ったら兄者が泣きだしてしまいそうだったので、おれは流石兄弟とそれぞれ熱い抱擁を交わして別れを告げた。
422
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:06:10 ID:RfZRGzKY0
_
( ゚∀゚)「フゥ〜」
勝利に沸くベンチへ近づく。何とも言えない光景だ。
自分の力でチームを勝たせることができたと、おれはこの日初めて思ったのだった。
汗まみれのチームメイトとハイタッチを交わし、肩を叩いて喜びをシェアする。
お前のあそこの判断が良かった。
あのシュートのおかげで勝ったようなものだ。
あのディフェンスの一瞬、あそこが勝敗の分かれ目だったのかもな。
本心からの賛辞をちょっぴり冗談めいた調子に包み、おれは仲間の中をゆっくりと歩く。
足を進める先にはツンがいた。
_
( ゚∀゚)「――勝ったぜ」
そう伝えるおれに、ツンは車椅子の上から頷いて見せた。
423
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:07:51 ID:RfZRGzKY0
ξ゚⊿゚)ξ「やるじゃん」
まあな、とおれは頷き返す。
実際おれはやってやったのだ。ボーラーとして一皮むけたような気さえする。
今日の感じで再びツンとコートに立てるなら、これまでとはまた一味変わったプレイができるというものだろう。おれはその予感と勝利の余韻に頬が緩まずにいられなかった。
しかし気になる。車椅子がだ。
昨日の医者の話では、ツンはもう自分で歩けてもおかしくないとのことだった。ただ事故の直後でまだ足が痛むから車椅子を貸してくれただけだった筈なのだ。
その車椅子も、車までの移動に貸してくれただけで、ツンのお母さんの運転して帰った車に積んで持って帰ったわけではない。
ツンが今座っている車椅子。これはいったいどこの誰のものなのだろう?
そしてツンの足の状態は?
そのような不安が、コップの水中に一滴落とされた墨汁のようにじわりとおれの中に広がっていた。緩んでいた頬がそのままの形に固まっていく。
何か言えよ、と思い始めたおれに、ツンはゆっくりと言葉を続けた。
424
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:12:33 ID:RfZRGzKY0
ξ゚ー゚)ξ「――全国大会も頑張ってね。あたしはちょっと、無理みたい」
_
( ゚∀゚)「――それって」
どういうことだよ、と言おうとしたおれは、ツンの両手が膝の上で硬く握りしめられているのに気がついた。その握る強さに血色が失われかけている。まっすぐおれの目を見ていない。
軽く微笑むような表情をしているその下で、ツンが奥歯を噛み締めているのがおれにはわかった。
ξ゚ー゚)ξ「あたしね、実は今から入院するの。この足、確かに骨は折れていなかったけど、靭帯か何かが全然やられてるんだって。今朝になってもめちゃくちゃ痛かったから、またもう一度診てもらったら、今度はそんなことを言われたわ」
困っちゃうよね、と自嘲の笑いを浮かべるツンを、おれはただ見つめることしかできなかった。
ξ゚ー゚)ξ「本当はそのまま入院の筈だったんだけど、この試合は見たかったから、わがまま言って連れてきてもらったの。だから最初の方は見れなかったけど、ジョルジュ、なかなか良いプレイだったじゃない。試合を支配してたね」
_
( ゚∀゚)「――入院」
知っている言葉と単語で話されている筈なのに、この時のおれにはツンが何を言っているのかわからなかった。と言うより、わかりたくなかったのだろう。
公式戦の場でおれがツンと同じコートに立つことは二度となかった。
つづく
425
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:28:28 ID:fsNYVB6s0
乙乙
426
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 11:37:44 ID:iSJZcAQk0
乙
試合に緊張しながら読んでた
スポーツには疎いけど、こんなにも考えて動くもんなんだな。しかも小学生で!
427
:
名無しさん
:2021/02/02(火) 04:06:21 ID:D9ZbaDYo0
気持ちの良い物語やね
428
:
名無しさん
:2021/03/08(月) 04:36:19 ID:5Dei5XLs0
ワクワク
429
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 21:59:33 ID:spgifiVw0
2-4.ワンオンワン
ツンが出場できる見込みがこの先もないという事実は、おれたちのチームの士気を大いに下げた。
もちろんおれもその中のひとりだった。ただし、おれにはポイントガードとして試合を作る必要があったし、最上学年の中心的選手としてチームをまとめなければならなかったので、正直なところ気にしている余裕がほとんどなかった。
ツンの様子を直接見ていたというのも大きかったのだろう。ミニバスに来なくなったツンとコミュニケーションを取れるのは、おそらくコーチの他にはおれくらいのものだった。
ξ゚⊿゚)ξ「詳しい単語は忘れちゃったけど、膝にはいくつか大事な靭帯があるんだってさ」
固定された左膝を指さしながら、入院中のツンはベッドの上でそう言った。
白い枕をクッションのように使って身を起こしたツンの手には、タブレット端末とそれ用のペンが握られていた。おれたちを襲った車の運転手がプレゼントしてくれたのだという。
ξ゚⊿゚)ξ「ポケットワイファイも貸してくれて、漫画や本をたくさん買ってもらえたわ。入院中暇しないように、って。あの人たくさん謝ってたな」
謝られてもしょうがないんだけどね、とツンは肩をすくめ、タブレットに落書きの絵をサラサラと描いて見せた。
430
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:00:08 ID:spgifiVw0
落書きは膝周辺の足の絵だった。ツンが上手な絵を描くことをおれはこの時初めて知った。
ξ゚⊿゚)ξ「それで、ここら辺の大事な靭帯のひとつが、ばっちり切れちゃってるんだって。他のもいくつか伸びたり傷んだりしてるみたい」
_
( ゚∀゚)「まじかよ、超重症じゃねぇか」
ξ゚⊿゚)ξ「マジまじ。チョージューショウ。でもさ、驚きだったのは、普通に暮らすだけなら別にこのまま手術しなくてもやっていけるかもしれないんだって」
_
( ゚∀゚)「・・まじかよ」
ξ゚⊿゚)ξ「ね〜。マジで!? って感じよね。でも本当にそうなんだって。支えがまったくないわけではないから、歩いたり、まっすぐだったら走ることもできるみたいよ」
_
( ゚∀゚)「すごいね人体」
ξ゚⊿゚)ξ「靭帯だけにね」
_
( ゚∀゚)「・・ハハ」
ξ゚⊿゚)ξ「いいのよ、気を遣って笑わなくても」
_
( ゚∀゚)「よかった。全然面面白くねェからさ」
ξ゚⊿゚)ξ「少しは気を遣いなさいよね」
431
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:00:49 ID:spgifiVw0
とにかくその何とかという大事な靭帯が修復しないことには、左右に激しく運動することができないらしい。バスケは左右の動きが重要なスポーツの代表格だ。
そして、その修復には手術が必要なのだという。
ξ゚⊿゚)ξ「だから、中には手術しないでそのまま暮らす人もいるんだってさ。ま、こんなうら若き乙女の重症例だと、ほとんどいないんだろうけど」
_
( ゚∀゚)「ふゥ〜ん。一応訊くけど、ツンはどうするんだ?」
ξ゚⊿゚)ξ「もちろん受けるわ。なるべく早く。そしてさっさと治して復帰する」
_
( ゚∀゚)「・・安心したよ」
ξ゚⊿゚)ξ「ミニバスはこれで引退でしょうけどね。面倒臭いからこのままフェードアウトしてもいいかなぁ」
_
( ゚∀゚)「どうかな。顔見せたら喜ぶやつも多いだろうけど」
ξ゚⊿゚)ξ「コーチに相談したらいいか。退院の時期にもよるだろうしね」
432
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:01:36 ID:spgifiVw0
そしてその手術をなるはやで受けたツンは過酷なリハビリにも挑んだ筈だったのだが、どうやったってミニバスの全国大会には間に合わなかった。手術は無事に終了し、退院できてもいたのだが、競技レベルの運動が可能になるには長く辛いリハビリが必要となる。
仕方のないことである。おれたちはずっとツン抜きで戦わなければならなくなった。
そうして士気の下がったおれたちのチームは、それでもなんとか全国大会の1回戦には勝利できた。激戦だった。しかし、続く試合でその健闘が嘘のようにボロ負けしたのだった。
ξ゚⊿゚)ξ「いや〜、かの有名なバスケ漫画をなぞったような負け方だったね」
ツンの通うリハビリ施設で敗戦の報告を果たしたおれに、ツンは肩をすくめてそう言った。
_
( ゚∀゚)「なんだよそれ」
ξ゚⊿゚)ξ「主人公チームが全国大会で優勝候補を劇的にやっつけるんだけど、それですべての力を使い果たして次の試合でボロクソに負けるの。あんたの1回戦も劇的だったわ」
_
( ゚∀゚)「見てたのかよ」
ξ゚⊿゚)ξ「ビデオでね。さすがにこのリハビリ中の身で、遠征生観戦はできないわ。あと最近リハビリ以外も忙しくってさ」
433
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:02:00 ID:spgifiVw0
_
( ゚∀゚)「・・忙しい?」
今のツンにリハビリ以外にやることがあるとでもいうのだろうか?
そう思ったおれは、バスケにあらゆる情熱を注いでいるこの女子が、バスケ以外の何に興味を持っているのかまったく知らないことを再認識した。ほとんど幼馴染と言ってもよさそうな付き合いの長さであるのに、おれはツンが好きな音楽も知らない。絵が上手なのもついこの間知ったのだ。
そんなこと、気にしたこともないからだ。
_
( ゚∀゚)「――何か、バスケ以外にやってんのか?」
しかし今のおれには気になった。だからツンにそう訊いた。ツンはあっけらかんとした顔で小さく笑う。
ξ゚⊿゚)ξ「受験勉強よ。お受験するの」
_
( ゚∀゚)「おじゅけん!」
ξ゚⊿゚)ξ「そうそう。本当は推薦で行ける筈だったんだけど、この怪我でしょ。そのお話がなくなっちゃったからお受験するの」
434
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:03:17 ID:spgifiVw0
_
( ゚∀゚)「――すいせん」
中学受験も推薦入学も、その時のおれの頭にはまったくなかったことだった。
_
( ゚∀゚)「中学受験に推薦なんてあるのかよ」
ξ゚⊿゚)ξ「一部にはね。あたしが誘われてたのは、したらば学園っていう割と新しい私立校で、新しく女子バスケットボール部を作るから、そこに来ないかってことだった」
_
( ゚∀゚)「ほーん。そうか、ツンは中学からは女バスにいくのか・・」
ミニバス以降は男女で分かれる。それはおれたちバスケ選手にとっては当たり前のことであり、もちろん知識としては知っていたのだが、改めてツンの口から“女子バスケットボール”という単語を聞くのは、おれにとっては小さくない衝撃だった。
男子。女子。おれは男子でツンは女子だ。最後の試合を終えてミニバスから引退したおれたちは、この先味方としても敵としても、同じコートに立つことはなくなるのだ。
おれはまだこの女子に、選手として勝ったと思ったことなどないというのに。
_
( ゚∀゚)「・・なんつーか、あれだな。勝ち逃げだな、ツンは」
ξ゚ー゚)ξ「ふふん。一生頭を上げるんじゃないわよ」
得意げに見える顔でそう言ったたツンは、おれと同じ寂しさをこの時感じてくれていただろうか。
435
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:03:45 ID:spgifiVw0
○○○
ミニバスの全国大会というわかりやすい目標を消化したおれの日常は大きく変わった。
変わった日常から目を逸らすのが難しくなった、と言った方が正確だったかもしれない。
ツンとボールを持ってやりあうことがなくなったし、家からは親父がいなくなったし、母さんは母さんで外出することが増えていた。服装もなんだか機能性を第一とした実用的なものではなくなってきた気がする。艶やかな黒髪は少し長くなって時には編み込まれもし、言ってしまえば、
_
( ゚∀゚)「――男ができたな」
と、小学6年生のおれでもわかるような変化が訪れていた。
仕方のないことである。おれたちの家に親父はいないのだ。母さんの恋愛は自由になるべきものだろう。
_
( ゚∀゚)「しかし、旧姓に戻してもねェのにな。というかあいつらちゃんと離婚してんのか?」
訊けばいつものあっけらかんとしたふわふわな雰囲気で軽く答えてくれたのかもしれないが、おれはなぜだか自分の家庭の詳しいところを訊けずにそれまでを過ごしてきていた。つまり、改めて訊くタイミングを完全に逃していたのだった。
436
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:04:09 ID:spgifiVw0
おれの中には自分の家庭の詳しい事情を知っておきたい気持ちと、別に知らなくてもいいんじゃないかと思う気持ちがごちゃ混ぜになっていて、そのどちらが優勢に立つかは日替わりだった。知らなくてもいいんじゃないか派が勝つ日の方が圧倒的に多かったけれど。
_
( ゚∀゚)「――知ったところで、何も変わりゃあしねぇもんな」
もし何かが変わるとしたら、それは面倒臭い方向に変わるんだろうな、とおれは漠然と考えていた。
シンプルで楽しいのがいい。
と、おれは思う。ずっと思っていることだ。
たとえばバスケは基本的にシンプルだ。言ってしまえば籠にボールを入れたら点になり、それをやり合うだけの競技だ。もちろん細かいルールや決まりごとは無数にあって、一見難解に見えたりもするのだけれど、基本的にはシンプルなものだと思う。そして楽しい。
それに比べてどうだろう。親父がどんな理由でおれたちの家を出ていったのだとか、親父と母さんが今どんな関係性にいるのだとか、出ていく時に一言も残されなかったおれは愛されていたわけじゃあなかったのかとか。
そういったものはシンプルじゃあない。言葉にして何かを言われたとしても、それが本心からのものなのかどうかもわからないし、どのように受け取ればいいのかもわからないからだ。そしてそこらへんを考えることが楽しいようには、おれには到底思えなかった。
437
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:05:01 ID:spgifiVw0
そんな感じの面倒臭い家庭の事情は押し入れの奥にしまっておいて、おれはバスケに集中していたわけである。なんせ全国大会が待っていたのだ、誰だってそうするだろう。
おれだってそうしていたのだ。そしてその大会が終わったおれは、この面倒くさそうな現実と少しばかり正面から向き合わなければならなくなったというわけである。
从'ー'从「ねえジョルジュ、ちょっと話があるんだけど」
と、大会が終わったことを知ってる母さんが、ある日声をかけてきたからだ。
断る理由は何もなかった。嫌な予感はビンビンに感じていたのだが、親との会話を拒否する理由にはまったくならない。
おれは平気な顔をしてそれに頷き、母さんと向かい合って座ることにした。
_
( ゚∀゚)「・・なんだよ改まって話って」
弁当やスーパーの惣菜で済ますことが多いし、毎日ではないとはいえ、1日1度くらいはおれと母さんは一緒にご飯を食べている。学校やバスケの話、雑談などは、そこまでしないわけではないのだ。ただの話なら日常的にしている筈だ。
つまり、ただの話ではないお話が、これから催されようとしているのだった。
438
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:05:58 ID:spgifiVw0
予想通りというべきか、母さんの口から出てきた話は、かなり驚きの内容だった。
それも、いくつもの面でだ。
从'ー'从「ええと、いくつかあるんだけどさ。大会が終わるの待ってたらすっかりたまっちゃった。てへぺろってやつだね」
母さん以外のひとが使うのを見たことのない表現を交えながら、少しバツの悪そうな顔で母さんはそう言った。おれは軽い態度で肩をすくめて見せた。
从'ー'从「良いニュースと悪いニュース、みたいにできればよかったんだけど、どれもジョルジュにとって良いか悪いかわからなかったから、思いつくままに言っていくね。よろしくどうぞ」
_
( ゚∀゚)「あいよ」
从'ー'从「ええとね、どれからにしようかな。話す順番もろくに決めてないんだよね〜」
まるでこの場で初めて考えながら話しているような母さんは、よし決めた、と頷くと、ポンポンと自分のお腹を手の平で軽く何度か叩いた。
从'ー'从「ここに今、ジョルジュくん、あなたの弟か妹がいます」
_
( ゚∀゚)て 「ふあ!?」
驚愕。飲み食いしながら話を聞いていなかったことをおれは幸運に思った。
439
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:06:47 ID:spgifiVw0
_
( ;゚∀゚)「うおお〜、え〜、おれ、お兄ちゃんになるの?」
从'ー'从「そうです、ジョルジュはこれからお兄ちゃんになります。びっくりした?」
_
( ;゚∀゚)「いや、そりゃあするだろうよ。ええと、う〜ん、なんだろな。とりあえずはおめでとう?」
从'ー'从「ありがとう。嫌じゃないかい?」
_
( ;゚∀゚)「驚きすぎて嫌もクソもねぇや。・・まあでもそうだな、別にそのこと自体は嫌じゃあねえな」
从'ー'从「それはよかった」
_
( ;゚∀゚)「――」
从'ー'从「――」
お前と、誰の子なんだよ!?
勢いでそう訊いていられればよかったのだろうが、あいにくおれの口はそう回ってくれなかったのだった。
440
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:08:00 ID:spgifiVw0
从'ー'从「いやまあそれでさ、どうしようかな〜、って思ってて」
_
( ゚∀゚)「・・なにお?」
と素朴に訊き返したところで、おれはひとつの残酷な選択肢に思い至った。
反射的に顔を上げる。睨みつけるようにして母さんに目をやったところで、おれのその思い付きに母さんも気づいたのだろう、母さんは手を振って大きく否定した。
从'ー'从「そうじゃない、そうじゃない。もちろん産むよ。産むつもりです。だからジョルジュはお兄ちゃんになるわけだからさ」
_
( ゚∀゚)「ふい〜。なんだよ、迷ってるとか言うからさ」
从'ー'从「ごめんごめん。迷っているのは、その、この子のお父さんと、今後どうしていこうかなって思ってさ」
_
( ゚∀゚)「コンゴ」
从'ー'从「ジョルジュはあれかな、私が再婚しなかったら嫌だったりする?」
441
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:08:48 ID:spgifiVw0
――母さんが、もしも再婚しなかったら。
その言葉の通りを頭に浮かべたおれは、強烈な違和感に襲われた。
_
( ゚∀゚)「ん?」
从'ー'从「ん?」
_
( ゚∀゚)「――逆じゃね?」
从'ー'从「ぎゃく?」
_
( ゚∀゚)「こういうのって、母は再婚したいんだけど、再婚されたら子供としては嫌だよね〜、って話になるもんなんじゃねえの?」
从'ー'从「あ〜そっか。確かに普通はそうかもね」
_
( ゚∀゚)「普通とはいったい・・」
うごご、と頭を痛くなりそうな問答である。
しかしとにかく母さんのお腹には赤ちゃんがいて、どうやら母さんはその子の親と積極的に再婚するつもりはないらしい。
だからそれは誰なんだよ!?
と言いたくなりそうなものだが、当時のおれにできたのは、母さんの顔とお腹のあたりを見比べながら後頭部をポリポリと掻くことくらいだった。
442
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:10:06 ID:spgifiVw0
何はともあれ、母さんにすぐさま再婚する意志はないらしい。
_
( ゚∀゚)「――つまり、おれたちの生活ぶりが急に変わりはしないよ〜、ってことじゃあねぇの?」
幸か不幸か、親父がいなくなったことはおれたちの生活ぶりにそこまで大きな変化をもたらさなかった。しかし、そんなことを頭に浮かべたおれの安易な考えは、すぐさま母さんに否定された。
从'ー'从「いやあ、それは違うね。生活は結構変わると思う」
_
( ゚∀゚)「まじで」
从'ー'从「マジまじ。まあジョルジュは家族が増えるのに慣れてないから想像つかないのも無理ないけどさ、赤ちゃんの世話って大変なのよ」
_
( ゚∀゚)「ああそっか。おれと母さんで育てないといけないのか」
从'ー'从「そうそう。しかも私は働いているわけだしさ」
_
( ゚∀゚)「・・おれも、バスケばっかやってるわけにもいかねぇな」
从'ー'从「そうなのよ。ジョルジュのバスケ環境を第一に考えるなら、私は再婚をして、収入なり人手なりを確保すべきだと思うんだ」
_
( ゚∀゚)「夫に対する価値観よ」
そんなんだから離婚することになったんじゃね〜の、とは口が裂けても言えなかった。
443
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:10:44 ID:spgifiVw0
何にせよ、母さんの話をそこまで聞いたおれはようやく理解した。
母さんはおれにとってのバスケを大事に思ってくれていて、だから再婚に対するおれの意見を訊いていたのだ。確かにバスケのことだけを考えるならばその方が良い環境なのかもしれない。
しかし、とおれは思う。
_
( ゚∀゚)「――そりゃあちょっと説明が足りなすぎじゃね?」
从'ー'从「やっぱりそう?」
_
( ゚∀゚)「そうだろ。まさかそこまでバスケファースト思考をしてるだなんて思わねぇよ。まぁ確かにバスケは大好きだけど、弟や妹のためなら部活は辞めても別にいいさ、遊びですりゃあいいんだからよ」
从'ー'从「そうかね。ま、そう言えるんだったらいいけどさ」
笑って母さんはそう言った。
おれも合わせて笑いながら、口に出して初めて自分がバスケに対してそれほどの執着を持っていないことに気がついた。
444
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:11:25 ID:spgifiVw0
なんせミニバスは終わったのだ。ツンもこれからは女バスに行ってしまう。
区切りとしては良かったのだろう。
もちろん中学や高校での部活バスケも楽しいだろうし、やりがいもあることだろう。そんなことは当時のおれにもわかっていた。途中で辞めるとなると、それは嫌だったかもしれない。
しかし、想像力が足りていなかっただけなのかもしれないが、ミニバスが終わった直後の部活を知らないおれにとって、それはそれほど難しい決断ではなかった。
_
( ゚∀゚)「だってほら、家にコートもあるわけだしさ、バスケなんていつでもできるってもんだろ〜」
从'ー'从「あ、それは無理」
_
( ゚∀゚)「・・というと?」
从'ー'从「この家は引き払って、職場の近くに引っ越します。ジョルジュも中学生になるわけだしね。これは私が動ける間にやっとかないと」
_
( ゚∀゚)「なんと」
確かにおれたちの生活ぶりは近々大きく変わるようだった。
445
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:11:53 ID:spgifiVw0
○○○
ξ゚⊿゚)ξ「それにしてもさ、あんたコート付きの家になんて住んでたのねえ」
_
( ゚∀゚)「いやぁ、実はそうなんだ」
ξ゚⊿゚)ξ「だから最初からハンドリング上手かったのね。隠れて練習してたんだ」
_
( ゚∀゚)「隠れてはねぇけどさ」
ξ゚⊿゚)ξ「まぁいいわ。行きましょ」
_
( ゚∀゚)「オーライ」
バス停からおれの家への道を歩きながらにそんな会話を交わしていたのは、ツンから連絡があったからだった。
なんと、膝のリハビリが大体のところ済んだのだという。それを聞いたおれは、喜びのあまり、あやうくその場に飛び上がってしまうところだった。
_
( ゚∀゚)『ウヒョ〜! やったじゃねかぇか。これでまたバスケが・・!』
ξ゚⊿゚)ξ『機能としてはね。で、どのくらいのプレイが可能なのか、どこかでさっさと確かめたくてさ』
446
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:12:27 ID:spgifiVw0
“どこか”の候補としてまっさきに思い浮かんだのはあの公園だった。
ただし縁起はすこぶる悪い。おれの口から提案するというのは、とてもじゃないができなかった。
ξ゚⊿゚)ξ『でもさ、あの公園はなんだか嫌じゃない?』
_
( ゚∀゚)『――だな』
ξ゚⊿゚)ξ『だから、どこか知らないかなと思ってさ』
_
( ゚∀゚)『う〜ん。ミニバスの体育館は?』
ξ゚⊿゚)ξ『もうコーチに訊いた。今日は空いてないってさ』
_
( ゚∀゚)『そうか〜。・・それじゃ、ウチ来るか?』
ξ゚⊿゚)ξ『うち? あんたんち?』
_
( ゚∀゚)『おれんち。ハーフサイズだけど、庭にコートがあんだよね』
ξ゚⊿゚)ξ『やだ、超イケメン』
といったわけである。引っ越したら評価が変わるのかもしれないが、この時点のおれは確かにイケメンだった。
447
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:13:30 ID:spgifiVw0
そして最寄りのバス停情報をツンに知らせたおれは、急いで母さんに報告をした。
家に女の子を呼び、コートをふたりで使うのだ。もし何も言わずにこれがバレたらと思うと冷や汗が出る。たとえ仕事で不在であることがわかりきっていようと、スティールの可能性を常に頭に置いてボールを扱うポイントガードのように、おれは母さんにメッセージを送った。
_
( ゚∀゚)『これから友達を家に連れてくわ。コート使っていい?』
从'ー'从『どうぞどうぞ。今日はちょっぴり早く帰るからそのまま在宅してなさい』
_
( ゚∀゚)『りょ〜かい』
なんとも危ないところだった。最寄りのバス停でツンを待つおれはそっと胸を撫でおろす。もしこの連絡をしていなかったら、いつもより早く帰った母さんが、前情報なくツンと遭遇してしまっていたかもしれなかったわけなのだ。
悪いことをしているつもりはないけれど、それを親に見られていいかどうかはまったく別の話である。やがてツンがバスから降りてきた。
_
( ゚∀゚)「こわいこわい」
ξ゚⊿゚)ξ「おつかれ。いったい何が怖いのよ」
_
( ゚∀゚)「親の早めの帰宅がこわい」
448
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:14:10 ID:spgifiVw0
バスから降りたツンを迎えたおれは冗談交じりにそう言った。気になるあの子を初めて自分の家に呼んだ、純朴な少年のような顔をする。できただろうか?
無理だ。ツンとバスケができるという興奮が口の端に浮かんでしまう。
ツンはざっくりとしたベンチコートを着ていた。ミニバスで見る、冬のいつもの格好だ。その下には黒地にピンクのラインが入ったジャージが隠れているのだろう。
紳士らしく、おれはツンの持つスポーツバッグを右手に受け取ることにした。
ξ゚⊿゚)ξ「お、荷物持ちしてくれるの?」
_
( ゚∀゚)「紳士だからな」
ξ゚⊿゚)ξ「ほ〜。それじゃ、並ぶときは車道側を歩きなさいよね」
_
( ゚∀゚)「おーけい」
ξ゚⊿゚)ξ「いやあ、それにしてもさ」
あんたコート付きの家になんて住んでたのねえ、とツンにからかいの口調で言われ、おれたちは並んで歩道を歩きだした。
449
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:14:30 ID:spgifiVw0
ξ゚⊿゚)ξ「おお。本当に庭にコートがある!」
_
( ゚∀゚)「簡単に掃除するから支度してな」
早くもベンチコートを脱ぎかけているツンにそう言うと、おれは庭の隅からコートのお手入れグッズを運んできた。毎日の習慣というわけではないが、今日ばかりはできるだけ良い状態のフロアを使ってもらいたかったわけである。
ざっと掃いて小さなゴミや埃を取り除き、バケツで水をぶっかけてモップで水拭き・乾拭き処理をした。目に見えてコートのコンディションが整っていく。
庭のコート用バッシュの靴底で擦ってやると、キュキュっと小気味の良い感触がした。
_
( ゚∀゚)「ふい〜、久しぶりにやると疲れるな」
ξ゚⊿゚)ξ「良いウォームアップになったんじゃない?」
声のした方に目をやると、冬の野外の寒空の下、見慣れたジャージのツンがいた。
足元はバッシュだ。自分の練習用ボールを持っている。
そして、手術をした筈の左足から、ツンはコートに足を踏み入れた。
450
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:15:25 ID:spgifiVw0
確かにおれの体はコートの手入れによって温まっていたが、コートに並んだおれとツンは、どちらからともなく改めて準備運動を開始した。
無言で体を動かしていく。ミニバスの日々で体に染みついたルーチンワークだ。互いに何も言わずとも、今何をして次何をするのかがわかっている。
ある程度体を動かしたところでツンのボールを使い、簡単なドリブルやパスをお決まりの儀式に加えていく。そしてシュートだ。相変わらずツンのバスケットボール動作はなめらかで、見ているだけでおれは何とも嬉しくなってしまう。
ボール表面の感触が手の平になじむ。徐々に臨戦態勢が整っていくのがわかる。
少しずつコップに注いだ水がある一点であふれるように、やがてその時が訪れた。
ξ゚⊿゚)ξ「――やろうか」
_
( ゚∀゚)「――おう」
もはやおれたちに長い言葉は必要なかった。今から何をするのかわかっているからだ。これから打ちのめすべき敵なのだと、既に互いに認識している。敵と交わすべき言葉などどこにもないのだ。
スリーポイントラインをやや出たところ。そこにツンが立っていた。
おれはツンと対峙するように間合いを取り、ツンから投げられたボールを受けた。
451
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:15:58 ID:spgifiVw0
おれはツンの持っている練習用ボールのサイズもメーカーも知っている。そして同じものを持っている。毎日触る、おれにも馴染みのボールの筈だ。
なのに、久しぶりにツンからのボールを受けたその感触は、とても新鮮なものだった。
_
( ゚∀゚)「――」
黙ってそのボールを投げ返す。ツンも黙ってそのままボールを受ける。
来いよ。
と、おれがわざわざ言うまでもないのだ。ツンはポジションについている。おれも間合いを詰めて守備の体勢となっている。
ボールを受けたツンはトリプルスレットと呼ばれる姿勢になっていた。その場でボールを保持し、シュート、ドリブル、パスを好きなタイミングで選択できる。だから3つの脅威ということで、この形はトリプルスレットと呼ばれている。
その佇まいや雰囲気だけで、ツンの実力がわかるというものだ。
対峙するだけでぞくぞくとしたものを感じる。
おれのボーラーとしての本能が、それらの脅威を感じ取っているのだ。
452
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:16:56 ID:spgifiVw0
この純粋な1対1の対決において、パスはそもそもありえない。効率性を考えればその場でシュートというのもまずないだろう。
これからツンが取るだろう行動は、ほとんどドリブル突破1択だ。
おれにはそれがわかっている。ツンにもそれはわかっていることだろう。
それがすさまじい脅威なのだった。
あちらに味方がいないように、こちらにも味方はいないのだ。
背後に広がる無限のようなスペースをひとりで守り、突破を警戒しなければならない。
肩。
ツンの体が小さく動くと、おれの体がそれに対して反応をする。
行動の選択をしていない段階での駆け引きだ。
おれはツンのオフェンス能力を知っているし、ツンはおれのディフェンス能力を知っている。
お互いに、安易に選択を確定したら、たちまちその逆を取られてしまうのだ。
453
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:19:35 ID:spgifiVw0
美しい形だ。
と、おれは思う。そのツンの構えに対してだ。
ツンが、これまでのバスケットボール人生の中で、何千回、何万回と繰り返してきた形なのだろう。
機能美というやつなのかもしれない。3つの脅威をディフェンスに突き付け、そのどの選択へも速やかに移行できる形になっている。対峙するとそれがよくわかる。
この1対1でもそれは同じだ。
どの方法を取るにせよ、もっとも鋭くおれを切り裂くことのできる体勢になっているのだ。
右足。駆け引きの形を少し変えるのだろう。そしてツンはボールをその場でつきだした。何歩か後退。それに付いていくおれとの距離が少し空く。
いつでもシュートを放てる選択肢を捨て、リズムと体重移動を使った駆け引きと、助走距離を手に入れたというわけだ。
来る。
そう察した瞬間、ツンが体を倒して突っ込んできた。
454
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:20:46 ID:spgifiVw0
ドライブだ。ゴールに向かって行うドリブル突破をおれたちボーラーはそのように呼ぶ。
ξ゚⊿゚)ξ「コツ? そうねえ、思いっきり体を倒して、コケそうになるのを堪える力で突っ込んでいく感じかな」
以前ツンにドライブのコツを訊いた時にはそんな答えが返ってきた。
てっきり地面を思い切り蹴って加速するものだと思っていたおれは、その返答にとても驚いたのを覚えている。そして、試すとそれは確かにしっくりとくる感覚だった。
転倒に抗う本能的な動きはおそらく、脳からの指示で出る以上の力を体に強制するのだろう。
なるほどツンのドライブは低く鋭い。対応に十分慣れていなければ、予測していても止められないことだろう。
ただしおれは慣れていた。
そのドライブの仕掛けもまたフェイントの一部である可能性をケアしながらも、十分な足運びで付いていける。完全に止めることは無理だが突破はさせない。
いつものツンの、これ以上ないドライブだ。対応に慣れていて、おれにどんなディフェンス能力があったとしても、これ以上の妨害は不可能だ。
と、おれは思った。しかし違った。
転倒に抗う力で加速していた筈のツンが、どういうわけだか、そのままの勢いでコートに倒れ込んでいたのだった。
455
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:22:25 ID:spgifiVw0
_
( ;゚∀゚)「――ッ! 大丈夫かよ!?」
思わず駆け寄ったおれに、ツンは心底驚いたような顔をした。
ξ;゚⊿゚)ξ「うあ〜 びっくりしたぁ」
_
( ;゚∀゚)「足、滑ったのか? やっぱ体育館とは違うからな。怪我してないか?」
ξ;゚⊿゚)ξ「大丈夫よ怪我じゃない。滑った? いや――」
違う、とツンは言いかけ、おれから目をそらしたのがわかった。
そのそらされた目線を追ったわけではないが、おれは自然とツンの左膝に目をやっていた。大事な靭帯が傷つき、手術をし、リハビリを重ねて治った筈の左足だ。
_
( ゚∀゚)「――痛むのか?」
気づくとおれはそう口に出していた。その言葉にツンは答えず、しかしバツが悪そうな様子でその膝をゆっくりとさする。
やがて、目を伏せたままのツンはポツリと言った。
ξ ⊿ )ξ「痛くは、ないわ」
痛くはない、と、ツンは最終確認をするように言葉を重ねた。
456
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:24:12 ID:spgifiVw0
少なくとも膝に痛みがないというのは良いことの筈だった。
どんなに丁寧に手入れをしていたとしても、屋内競技用に作られた体育館の床と雨ざらしの野外コートの感触はおそらく大きく違うだろう。
おれはシューズを履き替えることでその感触を切り替えているし、そもそも庭のコートに慣れているのであまり気にはならないのだろうが、ツンはまったくそうではない。日頃のコートの手入れもおざなりだ。
いっそ公園にあるただの砂の地面なら良かったのだろう。あのまったく整備されていないコンディションで全力ドライブをする気にはならない。
その点、うちのコートはまがりなりにもコートだった。
いつものシューズでいつもの勢いのドライブを、初めての野外コートで行ったのだ。足が滑っても不思議ではない。
それだけのことだった。
それだけのことの筈だったのだが、ツンはその場に座り込んだまま、立ち上がろうとしなかった。
ツンの練習ボールがフェンスに当たり、転がるのをやめてもそうだった。
おれは黙ってボールを拾い、ツンが脱いだベンチコートを運んで座ったままのツンの肩に丁寧にかぶせた。
457
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:24:54 ID:spgifiVw0
なんせ真冬の寒空の下だった。膝が痛まないにしても風邪を引くことは十分ありえる。
もうしばらく待って、それでもツンが何も言わず動かないようであれば、暖かい飲み物でも用意して家の中に誘った方がいいだろうか、なんてことをおれは考えていた。
ツンがいったいどんな状況なのかがまったくわからなかったからだ。こちらからすぐ声をかける気にはどうにもならなかった。
ツンの視界に入らない、しかしおれの存在を感じられるだろう距離に座り込み、おれはしばらくぼんやりと待った。
風に流される雲がゆっくり形を変えていくのを眺めていると、ツンが動いたのが気配でわかった。何かを話しだそうとしているのだろう。おれはそれをただ待った。
ξ ⊿ )ξ「・・コート、ありがとう」
_
( ゚∀゚)「おう。そりゃいいけどよ、どうしたんだよ。痛くはねぇんだろ?」
ξ ⊿ )ξ「うん、痛くはない。足が滑ったんでもないの」
_
( ゚∀゚)「そ〜なん? 滑って転んだんだと思ってたぜ。体育館とはやっぱ違うしよ」
ξ ⊿ )ξ「・・足が、出てこなかったのよ」
458
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:25:57 ID:spgifiVw0
ドライブを仕掛けようと思ったら足が思ったように出てこなかった。
だから転倒しかねない勢いで始めた1歩で、そのまま転んでしまったらしい。
_
( ゚∀゚)「納得」
おれは素直に納得した。そういうこともあるかもしれない。最初に転んだところでツンが驚いたような顔をしていたのも、単純に驚いていたのだろう。
少なくとも、その時点では。
納得したおれがツンの方に顔を向けると、ツンはおれをまっすぐ見ていた。
ξ゚⊿゚)ξ「リハビリもちゃんと終わらせたし、痛くはないの。昔と同じに普通に動く。ドリブルもパスもシュートもできた」
_
( ゚∀゚)「おう、さっき見たよ」
ξ゚⊿゚)ξ「ただ、昔と同じに普通に動く筈なのに、ドライブの時に足が出てこなかった。痛みが走ったわけでも、怖いと思ったわけでもないのに」
_
( ゚∀゚)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「びっくりした。こんなこともあるんだ、って。これまであたしの体はあたしの思ったように動いてくれて、この足も治った筈なのに」
びっくりして、それからちょっぴり怖くなったのだとツンは言った。
459
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:26:56 ID:spgifiVw0
おれはしばらく何も言えずにただツンの顔を眺めていた。
ツンもまた、しばらく何も言わずにただおれに眺められていた。
_
( ゚∀゚)「・・そうか」
ようやくおれの口から出てきた言葉はただの呟きのようなもので、何の役にも立ちそうには思えなかった。
ただ今回そうだっただけじゃあないか。
これからまた慣らしていけば、前のように足も出るようになる筈だ。
そんなことを言えば良かったのだろうか?
そんなことは、おれにはできないことだった。
出会ってからそれまで、ツンは一貫しておれより優れたバスケットボールプレイヤーで、そのドライブの鋭さといったら誰にも真似できないようなものだったのだ。
その一番の武器を、思うように振るえなかったのだという。
その絶望や、絶望に対する恐怖を、言葉のひとつなどで慰めることなど、できる筈のない、すべきではないことのように、当時のおれには思われた。
460
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:27:39 ID:spgifiVw0
_
( ゚∀゚)「――そうか」
おれはもう一度呟くようにそう言った。
ξ゚⊿゚)ξ「そうみたい」
ツンもまた、呟くようにそう言った。
気休めの言葉はいくらでも用意できたが、おれがツンにこの状況で言うべきことは、やはり何もないように思われた。
その代わりに、立ち上がったおれはツンの練習ボールを拾い上げ、強く2度3度とドリブルをついた。
_
( ゚∀゚)「体、冷えたか?」
座り込んだままのツンが睨みつけるようにしておれを見る。
良い目だ、とおれは思う。
ξ゚⊿゚)ξ「まさか」
おれが肩にかけたベンチコートを脱ぎ捨て、ツンはゆっくりと立ち上がった。
461
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:29:06 ID:spgifiVw0
スリーポイントラインをやや出たところ。それがおれの立ち位置だった。
その正面にツンがいる。おれは地面にバウンドさせてボールをツンへ送り、ツンはそれをまっすぐに投げて返してくる。
ツンからのボールを受ける。低い姿勢。ツンがただちにディフェンスに貼り付いてくる。
おれたちにそれ以上の言葉を重ねる必要はなかった。
怪我はしていないし痛みもない、とツンはおれに言ったのだ。コートでおれの前に立ち、さらに怪我人でないと言うのなら、手加減をする必要はどこにもない。
連絡は取っていたが、ツンは辛かっただろうリハビリの日々をおれに付き合わせることはしなかった。おそらく弱いところをおれに見られたくなどないのだろう。おれもツンの弱いところなど見たくない。
その場のおれにできるのは、ただ全力でツンを叩きのめすことだけだった。
プレッシャーが強い。いつものツンのディフェンスだ。
それがおれには嬉しかった。
462
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:30:24 ID:spgifiVw0
○○○
ツンのディフェンスは悪くなかった。
足もよく動いていたと思う。さすがにブランクが長いので前の通りとはいかないが、これなら何の心配もないと言ってもまんざら嘘ではないだろう。
_
( ゚∀゚)「フフン、おれの勝ちだな」
ξ゚⊿゚)ξ「病み上がりに勝ち越しただけでいい気になってりゃ世話ないわね。それほど圧倒できてたわけでもないくせに」
_
( ゚∀゚)「勝った筈なのに何も言えねぇ」
どうやらドライブ以外のバスケットボール動作に影響はほとんどないらしく、ツンは依然として良い選手だった。
ただし、あの転倒以来、突破を目的とした鋭いドライブをツンは一度も試さなかった。もちろんディフェンスとの駆け引きにドリブルを使って状況をコントロールすることはざらにあったが、相手と試合を支配するような圧倒的な切れ味を見せることはなかったのだ。
ツンが無事復帰できそうだという安堵と、はたして今後完全な復帰ができるのだろうかという少しの不安が混ざった汗をおれたちが流していると、遠くでドアの開く気配がした。
463
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:31:37 ID:spgifiVw0
反射的に家の中を覗き込み、玄関が開こうとしているのを確認する。間違いない。泥棒か強盗、ドアチャイムに返答がなくとも上がり込んでくる種類の宅配便でもなければ母さんが帰ってきたということだろう。
おれはツンと顔を見合わせた。
_
( ゚∀゚)「あ〜、たぶん母さんだわ。そういや今日は早く帰るって言ってたな」
ξ゚⊿゚)ξ「言ってたね。それじゃ、そろそろあたしは挨拶だけして帰ろうか?」
_
( ゚∀゚)「そうだな〜。ツンに会ったら飯とか誘ってきそうだけど」
どうすっかな、と呟くように言いかけていると、玄関のドアの向こうに誰がいるかが見えてきた。
予想通りそれは母さんだった。予想と違ったのは、母さんだけではなかったことだ。
母さんに促されるようにして、知らない男がおれの家に入ってこようとしていたのだった。
庭から体を乗り出すようにしてその驚愕の事態を見守っていると、母さんが声をかけてきた。
从'ー'从「お〜、やってるね。あらツンちゃんも。いらっしゃい。お友達というのはツンちゃんだったか」
_
( ゚∀゚)「のほほんとした反応!」
おれにはわけがわからなかった。
464
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:33:54 ID:spgifiVw0
母さんが家に男を連れてきたということは、つまりはそういうことなのだろう。
事前に説明しとけよと思わないでもないが、まあ許せる。言い出しづらいというのもあるかもしれない。
ただ、おれは友達を家に連れて行くと言ったのだ。母さんはそれに返信をした。
我が家の恥部とは言わないが、あまり積極的に言いふらすべきではなさそうに思えるこの状況を、おれの友達、それも女子であるツンにいきなり知られるというわけだ。
これをおれに伝えておかないというのはあんまりなんじゃあないだろうか!
と、おれは思ったわけだった。だから自然とおれの口ぶりは棘のあるものになる。
_
( ゚∀゚)「母さんよお、お客さんが来るならそう言えよ」
从'ー'从「ごめんごめん。私なりのサプライズをしようと思ってさ」
_
( ゚∀゚)「サプライズって。友達が来てるときにするようなもんじゃねえだろ〜がよ」
从'ー'从「いやぁ、それもサプライズの内ってことで。でもツンちゃんだったとはね、ちょっと気まずくなっちゃったかな?」
_
( ゚∀゚)「なっちゃったかな? じゃ、ねぇ〜わ! 信じらんねぇ!」
なに考えてんだ このアマ! とばかりにおれが憤ってみたところで、不思議なほどに母さんは気にならないようだった。
465
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:35:28 ID:spgifiVw0
頭を掻きむしりながらツンの方に目をやると、ツンは声も出ないようだった。
そりゃそうだ。友達の家で遊んでいたら、その母親が男連れで帰ってきたのだ。雰囲気から察するに父親や親族ではないらしい。まったく前知識のないまま友達の複雑そうな家庭事情を突き付けられ、どう振舞っていいのか途方に暮れていることだろう。
しかしツンはおれより大人だった。混乱している様子ながらもこの家の家主に挨拶をする。母さんと会うのは入院中以来のことだろう。
ξ゚⊿゚)ξ「・・ええと、おばさん、お久しぶりです。お邪魔してます」
从'ー'从「怪我はもういいの? おばさんも心配してたのよ」
ξ゚⊿゚)ξ「まあそれなりに。・・それから、渋沢さんもお久しぶりです」
_、_
(,_ノ`)「久しぶりだな。元気そうで安心したよ」
_
( ;゚∀゚)「えェ 知り合いの感じ!? 何それ」
从'ー'从「ほらジョルジュ、渋沢さんよ」
_
( ;゚∀゚)「知らねェよ誰だよ!」
ξ゚⊿゚)ξ「したらば学園のスカウトさんよ」
_
( ;゚∀゚)「スカウト・・ええ!?」
466
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:36:49 ID:spgifiVw0
それは何重にも重なった驚きだった。
まず何も知らされずに母さんが男連れで帰ってきた。
そして、てっきりそいつが母さんのお腹の赤ちゃんの父親か何かなのだとばかり思っていたら、なんとその男はどこかのスカウトさんなのだそうだ。
おれにはまったくわけがわからなかった。
しかし母さんは落ち着いており、ツンも何かを察したかのように静かだった。テンパっているのはおれだけだ。
そんな理解不能な空気の中で、男はゆっくりと口を開いた。
_、_
(,_ノ`)「説明の手間が省けたな。・・どうも、ジョルジュくん。渋沢です。私立したらば学園、部活動方面のスカウトだ」
今日は君をしたらば学園へ誘いに来たんだ、と、その渋沢と名乗った男は言ったのだった。
つづく
467
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:42:17 ID:EcedVIJg0
乙す
468
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:44:23 ID:spgifiVw0
今日はここまで。
ずいぶん間が空いてしまいましたね。ごめんしてけろ。
あやうくエタりかけましたが、皆さまの乙や感想のおかげでなんとか続けることができました。
マジ感謝。今後もよろしくお願いします。
469
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 23:21:46 ID:PZjFGMzo0
待ってたよー
470
:
名無しさん
:2021/03/24(水) 01:58:56 ID:6vqyJ4NA0
乙です!わーい続きだわーい!
今回のバスケシーン、いろいろな感情が湧いたり乗せられたりしちまったぜい
二人の関係性めちゃすこ
471
:
名無しさん
:2021/03/25(木) 10:57:52 ID:mn7AMjcg0
抱けーっ!
472
:
名無しさん
:2021/04/01(木) 03:20:29 ID:8Ssan5FE0
勧められて読み始めたんだけどおもろすぎて一気読みしたわ
続きがめっちゃ楽しみ
473
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:17:25 ID:BhrHIiAE0
2-5.ラスト1本
話はトントン拍子で進んでいった。
おそらく事前にスカウトの渋沢さんと母さんの間で話し合われていたのだろう。後はおれの合意を得るだけといった感じで大人の話が繰り広げられた。
なんせ、もうすぐ引っ越しというタイミングで、引っ越し先から徒歩で通える範囲の私立校からのお誘いなのだ。純粋な気持ちで話を聞けという方が無理がある。
从'ー'从「それじゃあ条件的にはそんな感じで。ジョルジュはそれでいいかしらん」
_
( ゚∀゚)「おれは別にいいけどよ。子育て本当に大丈夫なのかよ」
从'ー'从「それはまぁ、保育園もあることだしね」
なんと近所に保育園もあるらしい。至れり尽くせりとはこのことだろうとおれは思った。
むしろこの囲い込まれた状況で、おれが話を断ってしまうと、大人の世界での不都合がわさわさ出てくるのかもしれない。
当時のおれがそこまでちゃんと考えていたとは思えないが、何にせよおれはこの推薦話を受けてみることにした。断る理由が何もないというのが最大の理由だったのかもしれない。
474
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:18:14 ID:BhrHIiAE0
ツンは帰ることなくおれの隣に座っていた。横から口を挟むことはせず、黙って大人の話を聞いていた。
_、_
(,_ノ`)「よおし、それじゃあそういうことで。今日はいい話ができてよかったよ。ツンの様子も見られたしな」
話が終わったような雰囲気となり、そう渋沢さんから声をかけられて初めてツンはその口を開いたのだった。
ξ゚⊿゚)ξ「あらそう? 渋沢さん、あたしのことなんて忘れちゃったと思ってた」
_、_
(,_ノ`)「それはないな。確かに特待生枠は使えなくなったけれど、俺は今もツンが欲しいと思ってるよ。ちゃんとを受験してくれたんだろうな?」
ξ゚⊿゚)ξ「ふふん。ちゃんと勉強しましたよ」
_、_
(,_ノ`)「・・結果は?」
ξ゚⊿゚)ξ「モチロン合格」
_、_
(,_ノ`)「お前がバスケ上手な上に頭が良くってよかったよ」
ξ゚⊿゚)ξ「資料提供に親への説明も含めて、お膳立てされましたからね」
頑張らせていただきました、とツンは胸を張って言っていた。
475
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:19:07 ID:BhrHIiAE0
どうやら私立したらば学園の一般入試は既に終わっているらしい。その合格発表も済んでいる中、今おれに入学の話が来ているというのも何とも不可思議なことではあったのだが、そんなことよりツンと同じ学校に通えるというのは嬉しい驚きだった。
_、_
(,_ノ`)「さてと、それじゃあそろそろお暇するとしようかな。ツンはどうするんだ? 送って行ってやってもいいが」
ξ゚⊿゚)ξ「そうですね。あたしも――」
そろそろ、と口を動かしながら、ツンはちらりとおれを見た。
アイコンタクト。おれたちの連携は完璧だ。何か話したいことがあるのかもしれないとおれは察する。
_
( ゚∀゚)「バスで帰るならそこまで一緒に歩こ〜か?」
ξ゚⊿゚)ξ「あらそう? それじゃあそうしようかな」
_、_
(,_ノ`)「おや、これはフラれてしまったな」
从'ー'从「あらあらうふふ」
_
( ゚∀゚)「うるせぇなァ。さっさと行こうぜ」
476
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:20:15 ID:BhrHIiAE0
帰りの挨拶もそこそこにツンと外へ出たおれは、大きく深呼吸をした。
_
( ゚∀゚)「ういい〜 なんだか疲れたな」
言葉に出して気づいたが、おれはどうやら疲れているようだった。
この日は予期せぬ事態が多かった。ツンの怪我の影響を思わぬところで感じたこともそうだったし、大人の話を聞かせられたのもそうだったし、おれの進学先が決定したのもそうだった。
そこらへんの公立中学に行くとばかりおれは思っていたのだ。
_
( ゚∀゚)「あ、そういやこれで、流石のやつらとはチームメイトにならんのか」
別にいいけど、と思ったことをそのまま口に出す。ツンが肩をすくめて見せた。
ξ゚⊿゚)ξ「流石の兄弟たち? 一緒にプレイしたかったの?」
_
( ゚∀゚)「いや別にいいんだけどさ、この前の試合後にそんなことを話したんだよ」
ξ゚⊿゚)ξ「ふうん。ま、お互いちゃんとやってれば、県選抜とかで一緒にやれることもあるんじゃない?」
_
( ゚∀゚)「県選抜! そういうのもあるのか」
ξ゚⊿゚)ξ「あんた本当に何も知らないわね」
ツンは呆れた口調でそう言い、笑った。
477
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:21:10 ID:BhrHIiAE0
おれたちは雑談をしながらバス停まで歩き、バスが来るまでしばらく話した。
内容は取り留めもないことだ。知らないことだらけのおれに、ツンは色々と教えてくれた。
私立したらば学園のこと。中学男子バスケのこと。おれの引っ越し予定を知ったツンは、今コート付きの一軒家に住んでいるのにそこから引っ越しするなんて信じられない、と大げさに嘆いて見せた。
ξ゚⊿゚)ξ「でもさ、いいよね、あたしも将来買おうかな。コート付きの一軒家」
_
( ゚∀゚)「売る時が大変って母さんは言ってたぞ」
ξ゚⊿゚)ξ「だから売ったりしないって! そもそもあたし、お金持ちになるつもりだし、趣味の家が売れなくたっていいんだもん」
_
( ゚∀゚)「ほ〜 お金持ちになりますか」
ξ゚⊿゚)ξ「うん。お医者さん。バリバリ稼いでコート付きの一軒家に住む。大きな犬とあらいぐまのラスカルを飼ってやる」
_
( ゚∀゚)「あらいぐまは害獣らしいぞ」
ξ゚⊿゚)ξ「ガイジュウどんとこい!」
そう言いツンは道に転がる小石を蹴った。
478
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:22:18 ID:BhrHIiAE0
そうして蹴られた小石が転がっていくのを眺めていると、その向こうからツンの乗るバスがやってきた。
ξ゚⊿゚)ξ「お、来たね。それじゃあ4月からもよろしく。これからはオナチュウってやつだね」
_
( ゚∀゚)「オナチュウ? ああ、同じ中学ってことか。・・それまでにも何かあったら連絡しろよな。おれも何かあったら連絡するから」
ξ゚⊿゚)ξ「何それ? いいけど。それじゃあさよなら」
_
( ゚∀゚)「あばよ」
そうしてツンがバスに乗り、ツンを乗せたバスが発車して見えなくなってからも、おれはしばらくそのままバスの行った先をぼんやりと眺めて過ごした。地面に目をやる。ツンが蹴り飛ばした石がそのままのところに転がっている。
この時間でおれたちが話したのは他愛のないことだった。
おそらく、ツンはおれに話したいことがあったというより、スカウトの渋沢さんに話したくないことがあったのだろう。おれはそのように考える。
_
( ゚∀゚)「――色々話した気がするけどよ」
おれは声には出さずにそう呟く。この時間のおれたちの会話の中に、ツンが今後バスケットボールをプレイすることがあるのかどうかといった話は、ただのひとつとしてなかったのだった。
479
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:24:09 ID:BhrHIiAE0
○○○
入学式の日まで待ってもツンからの連絡は来なかった。
こちらからも連絡しなかったのだからおあいこと言われればそれまでだ。おれにもやることがそれなりにあったことだし、それはツンにとってもそうなのだろう。
バスケ部に入ったおれを待っていたのは部活バスケの洗礼だった。
猛烈な練習量ではない。そこにあったのは先輩と後輩で構築される強烈な縦社会だった。おれはほとんど生まれて初めて理不尽な人間関係というやつを経験した。
そのプギャーさんという名前の3年生の先輩は、神様と奴隷にもたとえられる体育会系での先輩後輩のありようを、初めておれに教えてくれた人だった。
( ^Д^)「ほらジョルジュ、嫌ならさっさと辞めちまえよ」
両肘と爪先だけで体重をまっすぐ支える、プランクの姿勢のおれを覗き込むように睨みつけ、プギャーさんはそんなことを耳元で囁いてきたものだった。
_
(; ゚∀゚)「ぐ・・・」
( ^Д^)「ふん、特待生だもんな、このくらい何時間だろうとできんとな」
体中の筋肉が痙攣してくるまでその体勢を強いながら、プギャーさんは時に強めに小突いてきたり、まっすぐに固定されたおれの体を軽く蹴り上げてきたりした。
480
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:25:37 ID:BhrHIiAE0
それはほとんど毎日のことだった。ほとんど毎日部活なのだから当然だ。
部活の練習量はたかが知れたものだったが、全体練習が終わった後のプギャーさんとの個人トレーニング、これが地獄のようだった。
シュート練では外すたびに罵られ、ひどい時は体にボールが飛んできた。1対1では中学3年生の体を容赦なく当てられた。ファウルをジャッジする審判などおれたちの間にはいなかったのだ。
( ^Д^)「なんだ? 何か言いたいことでもあんのかよ」
ほとんどマークを振り切ることのできたレイアップシュートを完全にファウルの強引さで無理やり止められ、思わず非難の視線を向けていたおれにプギャーさんはそう言った。
おれには言いたいことしかなかったが、言えることなど何もないことをおれは既に知っている。
_
( ゚∀゚)「いえ別に」
( ^Д^)「言えよ、言いたいことがあるならよ」
そう言いおれの肩を押してくるプギャーさんの右手を掴んでしまわないように気を付けながら、おれは頭の中で考えた。
おれたちにとって先輩の命令は絶対だ。「言えよ」と言われたのなら、それは言わなければならないのではないのだろうか?
481
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:26:21 ID:BhrHIiAE0
もちろんこれは屁理屈だ。何も言ってはいけないことをおれは既に知っている。
_
( ゚∀゚)「いくら何でも今のはだめでしょ、どっちかというと見苦しい種類のファウルですよ。品格が疑われる。まあ品格なんてどうでもいいとは思いますが、それでも今のファウルはダサいです。中3が中1にしていいことじゃない。というか、自分でもそう思うんじゃあないですか?」
いくら命令されたとしても、こんなことを後輩が先輩に言える筈がないのだ。おれはちゃんと知っている。
まだ経験が浅かった頃に、望まれるまま思うところを言ってしまい、前蹴りを食らったことがあるから知っているのだ。
しかし、と口をつぐんだおれは考える。
_
( ゚∀゚)「プギャーさんは普通にやってりゃ普通に上手なプレイヤーなのに、なんで普通にしないのかしらね」
まるで他人事のような感想だと我がごとながらにおれは思う。コートの状況を俯瞰で考えるポイントガードをしているからか、それともプギャーさんとの過酷な日々がそうさせたのか、おれはプギャーさんからの仕打ちをどこか他人事のように観察する癖がついていた。
482
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:27:28 ID:BhrHIiAE0
おれへの接し方はあんまりだけれど、プギャーさんのボーラーとしての実力は、実際かなりのものだった。一緒にプレイしたことがある、という範囲で言うと、コーチなどを除いた同世代プレイヤーの中ではトップクラスのものだろう。
もっとも、実はそれは当然で、プギャーさんはしたらば学園中等部にバスケ部ができて以来、初となる特待生待遇の生徒なのだった。らしい。
らしい、とつくのは、人づてに聞いた噂話レベルの情報だからだ。
中学生となって初めての5月の連休、ゴールデンウィークのある日の夕方、その情報源がおれの前に座っていた。
ξ゚⊿゚)ξ「久しぶり。あんた、ちょっと痩せたんじゃない?」
_
( ゚∀゚)「そうかな?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうそう。苦労でもしてるのかしら?」
_
( ゚∀゚)「どうだろな」
どこもこんなもんなんじゃねぇの、と目を逸らして言うおれに、ツンはニヤリと笑って見せた。
483
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:28:28 ID:BhrHIiAE0
連休中も当然部活だ。先ほどまでプギャーさんとのメニューをこなし、シャワーを浴びたところでツンからの呼び出しを食らったおれは疲労困憊しきっていた。
口調がぶっきらぼうになってしまうのも無理もないというものだろう。ファストフード店のフライドポテトを齧る。ツンはオレンジジュースを飲んでいた。
ξ゚⊿゚)ξ「まあいいわ。わかってたことだし」
_
( ゚∀゚)「・・わかってた?」
何だよそれ、と続けたおれの質問に、ツンがあっさり答えることはなかった。
フライドポテトを齧ってチーズバーガーの包みを開ける。咀嚼の喜びを味わっていると、ようやくツンは口を開いた。
ξ゚⊿゚)ξ「ちょっと女バスの先輩と仲良くしててさ。ある程度、バスケ部の様子は伝わってくるのよね」
_
( ゚∀゚)「フゥン」
女バスの先輩か、とおれは口には出さずに呟いた。情報源を明かすことをもったいぶってたというよりは、単純に女バスを話題にしたくなかったのかもしれない。
484
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:29:43 ID:BhrHIiAE0
神に誓ったわけではないが、おれには何となくそうしようと決めていたことがあった。きっと誰にもいくつかはあるだろう。マイルールというと大げさになるが、そういったようなものである。
そのうちのひとつが、ツンが自分から言い出してくるまで、ツンが今後バスケ活動を再開するつもりなのかどうかをこちらからは訊かない、というものだった。
雑談をしているとわかる。おれのプレイに関する話や世のバスケットボール事情に触れることはするのだが、ツンは自分が最近ボールを触っているのかや、どこかでトレーニングのようなことをしているのか、するつもりはあるのか、といった話題を巧みに避ける。いつもだ。
そんなわけで、興味がないわけではないが、おれから訊く気にはならなかった。この時も当然そうだった。
_
( ゚∀゚)「女バスの先輩ね」
ξ゚⊿゚)ξ「そうそう。山村さんっていうんだけどさ」
これだけで女バスの話はおしまいだ。話題は男子バスケ部事情へと移行する。
ξ゚⊿゚)ξ「バスケ部ってほら、ちゃんとしたコーチいないじゃない?」
そして誰もが知ってるシタガク中学バスケ部の問題点をツンは簡単に指摘した。
485
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:30:41 ID:BhrHIiAE0
おれも入って驚いたのだが、確かにこのチームにはちゃんとしたコーチがいなかった。
顧問をしている教師はいる。ただしバスケ経験者ではなかった。もちろん指導者としてもほとんどズブの素人だ。
練習メニューや試合のオーダもほとんど生徒間で決めていて、そこにはエースでキャプテンであるプギャーさんの意見が色濃く反映されることとなる。
_
( ゚∀゚)「まあでも内容はヘンテコじゃないぜ。ちゃんと考えられてる」
ξ゚⊿゚)ξ「そりゃそうでしょうね、部長さんは元々特待生らしいし」
_
( ゚∀゚)「ヘェそうなんだ」
ξ゚⊿゚)ξ「中等部バスケ部初めてのね。あんたはふたり目」
_
( ゚∀゚)「ほ〜」
ξ゚⊿゚)ξ「んでさ、ちゃんとしたコーチもいない現状で、ふたり目特待生のあんたが入ってくることになったから、部長さんはチーム全体に加えて、その有望株の世話も買って出てくれたってわけなのよ」
_
( ゚∀゚)「それはなんとも光栄なことですなァ」
おれはポテトをつまんで言った。
486
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:31:24 ID:BhrHIiAE0
ξ゚⊿゚)ξ「光栄? イジメられるのが?」
_
( ゚∀゚)「えぇ!? おれ、イジメられてんのか?」
ξ゚⊿゚)ξ「いやそうでしょ・・ だから苦労してるんでしょう?」
_
( ゚∀゚)「いやまぁ確かに当たりは強いしおれには厳しいけどよ、イジメってわけじゃあないんじゃねぇの」
ξ゚⊿゚)ξ「あらそう?」
_
( ゚∀゚)「プギャーさんがどういうつもりなのかは知らねぇけどさ」
ξ゚⊿゚)ξ「・・あんたが辛くないなら別にいいけど。それじゃあ余計な心配しちゃったわね」
_
( ゚∀゚)「そうかもな。まあでもありがとよ、気にかけてくれて」
ξ゚⊿゚)ξ「はいはい。それから、おばさまの調子はどう?」
_
( ゚∀゚)「まだ全然。バリバリ働いてるぜ」
ξ゚⊿゚)ξ「それはよかった」
ツンはそう言いジュースを飲んだ。
487
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:34:26 ID:BhrHIiAE0
○○○
はたしてプギャーさんにおれをイジメているつもりがあったのかどうか。
それは、おれにとっては割とどうでもいいことだった。
知ったところでおれの状況もおれの行動も、何も変わらないからだ。そうだった場合とそうでなかった場合を頭に浮かべたところ、おそらくそうだろうという結論におれは至った。
_
( ゚∀゚)「だいたい、いつまでも続く関係じゃねえもんなァ」
プギャーさんは3年生だ。じきに部活は引退となる。もちろん引退をしたからといってすぐさま影響がゼロになるわけではないだろうが、中高一貫とはいえ高校生になった先輩が中学の部活に口を出してくるというのは流石にダサすぎることだろう。
つまり、おれはそれからプギャーさん引退までの数ヶ月、あるいは卒業までの半年ちょっとを大事なく過ごせば自ずとこの問題はなくなるのだ。
じきになくなるとわかっている問題をあれこれ考えるのは性に合わない。おれが高校1年生になった時にはまた高校3年生のプギャーさんと遭遇するのかもしれないが、そんな先のことがどうなるかを今から気にしていても仕方がないというものだろう。
そしてプギャーさん率いる我らがしたらば学園中等部男子バスケ部は、地区予選を突破し、県大会をある程度進んだところであっさりと敗退した。
488
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:35:24 ID:BhrHIiAE0
その試合、おれはガードのポジションでプレイした。プギャーさんはフォワードだ。
ただし、今で言うところのポイント・フォワード的な役割で、単純に点を取るのが仕事というより、チームのコントロール全般を担っていたのがプギャーさんだった。
スポーツをスポーツでたとえるのはアホらしいが、野球でいうところの『エースで4番、その上キャプテン』という感じだろうか。
明らかに、ひとりで抱えられる役割量ではなかった。もちろん中にはこなせる人間もいるのだろうが、有力なプレイヤーだからといって、全員そうというわけではない。
能力というより、性格や性質、向き不向きの話なのだろうとおれは思う。そしてプギャーさんは決してそれに向いてはいなかった。
最後の試合も、おそらくコート上のプレイヤーでもっとも能力的に優れていたのはプギャーさんだったように思えるのだが、得点数でも得点効率でも、アシスト、プレイメイクの面から見ても、決しておれたちのチームがプギャーさんを有効活用できたようには思えなかった。
はっきり言って、プギャーさんに頼りすぎたチームが自滅し、勝手に潰れたような試合だったのだ。
489
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:36:38 ID:BhrHIiAE0
それでもこのチームがこの大会の、こんなところまで勝ち進んだのは部の設立以来初のことで、先輩たちも先生たちも、同級生たちも皆喜んでいた。「なかなかやるじゃん」ってなもんだ。
もちろんおれも喜び祝った。スポーツ選手は切り替えが得意なのだ。おれも決して例外ではない。
打ち上げのお好み焼き屋にも皆で行ったし、大会での良かったプレイを語り合ったり、笑えるミスをイジりあったり、その後カラオケに移動して校歌をアカペラで歌い合ったりした。
そしてその後引退となる先輩たちと最後のお別れマッチをしたり、新しいキャプテンと一緒にこれからのチームについての作戦会議をしたりしているうちに、3年生の先輩たちのことはすっかり忘れてしまうものだとばかり思っていた。
実際ほとんどそうだった。廊下ですれ違ったら挨拶はするが、引退した先輩たちが新チームに干渉してくることはなかったし、おれたちも引退した先輩たちにわざわざ関わらなければならない用事はなかった。
プギャーさんと過ごした地獄のようなあの日々がどんなつもりで催されていたのかなんて、おれには知る術もないことだろうと思っていた。
そんなある日にプギャーさんから特別呼び出されたりするまでは、の話だ。
490
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:37:38 ID:BhrHIiAE0
悪いな、とプギャーさんは言った。そんな言葉をかけられたのは初めてで、おれはちょっぴり驚いた。
_
( ゚∀゚)「何スか急に」
( ^Д^)「俺はもう部外者だからな、お前に付き合う義理はない」
_
( ゚∀゚)「確かにそうスね」
( ^Д^)「ま、それでもちょっと付き合えよ。そんなに長い時間は取らせない・・ いや、取らせるかもしれんけど」
_
( ゚∀゚)「何するんですか?」
プギャーさんは肩にスポーツバッグをかけていた。おれたちボーラーにはお馴染みの、バスケットボールやシューズをざっくり入れることのできる大きさだ。
そのバッグを軽く叩いて音を出し、プギャーさんは薄く笑った。
( ^Д^)「俺とお前ですることだぞ、もちろんバスケだ」
でしょうね、とおれは言った。
491
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:39:36 ID:BhrHIiAE0
_
( ゚∀゚)「わかってましたよ。体育館ですか?」
( ^Д^)「体育館は取れてない。野良コートかな。スポッチャ的なとこを探してもいいけど」
『野良コート』とは、シタガクに備えてある野外のバスケットボールコートの通称だ。ペイントエリアより少し広いくらいの間隔で4つのリムが立っている。床はゴムチップではなくアスファルトで、それほどコートとしての質が高いわけではないが、全校生徒に解放されている。
誰でも使えるということは、たいてい混んでいるということでもある。そこでおれたちがやり合うとなったらそれなりに注目もされることだろう。
正直気が進まなかった。
それはプギャーさんも同様なのだろう。だから有料スポットを代替案的に並べているのだ。おれはそれにも気が進まなかった。
それが顔に出ていたのだろうか、プギャーさんが訊いてきた。
( ^Д^)「何だよ、どこか他にあんのか?」
_
( ゚∀゚)「――ありますよ。ちょっと歩くかもしれませんがね」
その時おれの頭には例の公園が浮かんでいた。
492
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:40:26 ID:BhrHIiAE0
ミニバスの頃にツンと練習を重ねていたあの公園だ。おれたちはそこに足を進めた。
アホな自動車が突撃してきても避けられるように、信号を待つ時には車道から余裕を取って立つようにした。横断歩道を渡る時にもフル警戒だ。そうしておれは道路を歩いた。
なぜその時プギャーさんをあの公園へ連れて行こうと思ったのか、おれには今でもよくわからない。人目を気にしなければ『野良コート』でよかったし、多少金を払えばバスケをできる場所はあった。
それでもおれはプギャーさんを連れて公園へ行き、そこで1対1をやろうと思ったのだった。
行く道すがらにはほとんど会話をしなかった。
久しぶりの道のりを、自分の影を踏み歩くようにしておれは進んだ。プギャーさんはそんなおれに付いて歩いた。
プギャーさんが引退した後の中等部バスケ部のことも話さなかったし、これからプギャーさんが入るのであろう高等部バスケ部のことも話さなかった。
当然、プギャーさんがどんなつもりでそれまでおれに接していたかも、一切話題にのぼることはなかった。
493
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:40:52 ID:BhrHIiAE0
やがて公園が見えてきた。
_
( ゚∀゚)「あれです」
おれがプギャーさんを振り返るようにしてそう言うと、プギャーさんは黙っておれに頷いた。
( ^Д^)「・・音が、するな」
_
( ゚∀゚)「しますね」
それはおれたちにとって非常に馴染みのある音だった。
地面にバスケットボールが跳ねる音だ。
少なくとも初心者ではないことが音でわかる。強く正確にドリブルをつけているのだ。それがバスケットボールコートではなく公園の砂の上だったとしても、特有の音と振動がおれたちに伝わる。
その公園にはツンがいた。
494
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:41:33 ID:BhrHIiAE0
_
( ゚∀゚)「うお」
思わずそう呟いたおれにツンが気づく。ボールを止め、こちらに目をやる。なんとも鋭い眼光だ。
ξ゚⊿゚)ξ「うお、って何よ。失礼な」
_
( ゚∀゚)「悪い悪い。でもビックリしちゃってさ」
( ^Д^)「――知り合いか?」
_
( ゚∀゚)「ええと、そうですね、おれの同級生でシタガクのツンです。ツン、こちらはプギャーさん」
ξ゚⊿゚)ξ「はじめまして」
( ^Д^)「どうも。なるほど、君がツンさんか」
_
( ゚∀゚)「・・知り合いですか?」
( ^Д^)「はじめましてっつってんだろ、知り合いじゃねぇよ。ただ女バスのツンさんは有名だからな」
ξ゚⊿゚)ξ「あたしは女バスじゃありませんけどね」
( ^Д^)「そうなんだ? ま、俺も女バスじゃないからな、有名なことは知ってるがそれだけだ」
495
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:42:21 ID:BhrHIiAE0
ふぅん、とツンは呟くようにして言った。そして即座に言葉を続ける。こちらの質問を割り込ませる余地のない口ぶりだ。
ξ゚⊿゚)ξ「それで、ここには何を?」
( ^Д^)「そりゃバスケだよ。君もそうだろ?」
ξ゚⊿゚)ξ「――ですね。今からジョルジュとやるなら、ここを譲ってあげてもいいですよ」
( ^Д^)「そりゃどうも」
ξ゚⊿゚)ξ「そのかわり、あたし、ここで見ててもいいですか?」
( ^Д^)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「見学ですよ。あたしもバスケが好きですのでね、後学のために。あとは久しぶりに見るジョルジュがどの程度上達したのか知りたいですし。点数係くらいはしますよ」
( ^Д^)「――ジョルジュがいいなら構わなねぇよ、俺は。ボコられるとこ見られて嫌われても、それは俺は知らねぇが」
プギャーさんは笑ってそう言いおれを見た。挑発的な視線だ。
おれに断る理由はない。小さく笑顔を口に貼り付け、おれはふたりに頷いた。
496
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:43:13 ID:BhrHIiAE0
ξ゚⊿゚)ξ「それじゃあ0対0からで、先輩だしプギャーさんからどうぞ。笛もないことだし基本的に審判仕事はやりませんが、あたしに判定を求めたい場合はご自由に」
簡単に服装を整えたツンが場を仕切るようにそう言った。おれもプギャーさんも反論はせず、「だいたいこのあたりだろう」といった距離感で対峙する。地面にラインがないからだ。
仮にラインが引かれていたら、おそらくスリーポイントラインをやや出たところ。そこにプギャーさんが立っている。そのやや内側に立っているのがおれだった。
ツンがバウンドパスでプギャーさんにボールを渡す。プギャーさんがそれを受け取った。
ξ゚⊿゚)ξ「スリーポイントラインもないのでシュートはすべて1点でカウントします。いいですね」
いいさ、とプギャーさんがボールをこちらに送ってくる。おれもそのルールに同意し、受け取ったボールをプギャーさんへ返す。
返されたボールを触った瞬間が始まりだ。プギャーさんが何をしてきてもいいように、おれは全神経を集中させる。
左。
そうおれが察した瞬間、プギャーさんはその場にまっすぐ飛び上がる美しいフォームで、ボールを右手から放っていた。
497
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:46:11 ID:BhrHIiAE0
ざくり、とボールがネットに包まれる感触が音となっておれに聞こえる。
( ^Д^)「スリー!」
そしてプギャーさんが上げた声が耳に届いた。俺を指さして飛び跳ねている。
( ^Д^)「は、なしだがな。ラインがないからって撃っちゃいけないわけじゃあないからな」
油断してんじゃねぇぞ、とプギャーさんはニヤニヤとした笑いを浮かべて言った。
_
( ゚∀゚)「――」
油断していたつもりはなかったが、確かにこれは不注意だった。
おれはそう自覚した。正直、スリーはないと思っていた。
ゴール下か、最低でもミドルレンジまで突入してからの、ディフェンスをできるだけ振り切ってのジャンパーか、理想的にはレイアップ。
そのように決めつけてしまっていたのだ。
_
( ゚∀゚)「――ラインの話か」
開始する時にたまたまツンが口にした、“ラインがないからスリーポイントシュートは取らない”といった類のあの話。
その内容から、本来ならケアすべきシュートの選択肢が、おれの頭から薄れていることを読み取ったのかもしれない。
リングをくぐったボールを拾い、「このあたりだろう」といった場所に向かったおれの前には、そのプギャーさんが立っていた。
498
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:47:07 ID:BhrHIiAE0
○○○
プギャーさんはバスケが上手かった。
そして強い。1対1の戦いの中で、おれは改めてそれを実感した。
ξ゚⊿゚)ξ「5対2、ジョルジュボール」
プギャーさんのレイアップシュートが決まったところで、ボールを拾ったツンがそう言った。適切な位置に向かってボールを受ける。顔を流れる汗を拭う。
おれの前にはプギャーさんが立っている。
( ^Д^)「どうした、俺とやらなくなってへたくそになったのか? トリプルスコアになっちゃうぞ」
_
( ゚∀゚)「・・フン」
黙ってろよ、と言う代わりにフェイントをひとつ入れてやる。良い反応だ。煽るような、見下した口ぶりとは別に、こちらをしっかりと警戒し、集中しているのがよくわかる。
ジャブステップ。おれは相手の様子を評価する。
観察し、情報を集める。それがおれのやり方だった。1対1のやり合いだろうと、5対5の試合だろうとこのやり方は変わらない。先手を取るのは大切なことだが序盤のリードそれ自体にそれほど大きな意味はないのだ。
499
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:48:35 ID:BhrHIiAE0
いつ頃からか、おれにとってのバスケットボールのイメージは、ただ点を取り合う競技というより陣取り合戦や色塗りゲームのようなものに思えてならなくなっていた。
もちろんコート上の区域を直接取り合うわけではないし、単純な平面上の話でもないのだが、とにかくそんな気がおれにはするのだ。
おれがこのプレイを選択するとして、それに相手はどう反応対処してくるか。
おれのこの守り方を見てどのようなシュートをクリエイトしてくるか。
相手のどこが自分と比べて強く、弱いのか。
自分のどこが相手と比べて強く、弱いのか。
そういったことを評価し、把握する。すると強さの濃淡のようなものがわかってくる。
おれがこの位置にドリブルをつき、体をこのように持ってくると、プギャーさんは右からの突破を警戒する。
そこで左に振ってやる。
プギャーさんは優れたディフェンダーだ。当然それにもついてくる。
ただし、こうして左右に意識を散らしてやると、必ずどこかにひずみが生じる。そうなるようにおれが動いているからだ。
500
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:50:05 ID:BhrHIiAE0
プギャーさんはおれに突破されることを警戒しすぎているのかもしれなかった。
だからひずむ。色の配分が適切でなくなる。それはわずかな、実際に目の当たりにしていなければわからないほどの小さな裂け目だが、おれには見える。わかる。
相手の色が薄くなったところに自分の色の濃い部分をぶつけるようなイメージだ。
十分に突破を警戒させてやり、またディフェンスを成功させたことで、相手はそれにどこか捕らわれるようになるのだろう。
ラインがないからスリーポイントシュートはないのだろうと、意識させることでロングシュートへの警戒を怠らせるプレイと、本質的には同じようなことである。
ただ、プギャーさんはそれほど意識することなくそれをやってきたのだろう。おれは違う。
まんまと引っかかったおれが言うのもなんだが、プギャーさんは元々そういうプレイヤーではない。今日見た感じでもそうだった。
おれは違う。
重心移動。
おれはドリブルの流れに合わせて体を舞わせる。プギャーさんは必要なだけの反応をする。
いや。
違う。
プギャーさんの反応は、やっぱりどこかいびつなものとなっていた。
501
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:51:23 ID:BhrHIiAE0
完全に抜けたわけではないが、プギャーさんが手を伸ばしても決して届かない場所から放ったスクープショットがボードに当たってリングをくぐった瞬間、おれはこの戦いを支配できる手ごたえを感じた。
今の点数が5対3で依然こちらが負けていようが、その次のプギャーさんのフェイダウェイショットが見事に決まって6対3と再びダブルスコアにされようが、そんなことは関係なかった。
プギャーさんはおれにドリブル突破されることをわずかに警戒しすぎている。
それがどれほど意識的なことなのかはわからない。
単に体格的に劣るおれに対して効果的な守備だと思っているのかもしれないし、駆け引きのひとつとしてそうしているのかもしれないし、直属の先輩・後輩のような力関係だったおれに突破されることはプライドが許さないだけなのかもしれない。
なんにせよ、その日のプギャーさんのディフェンススタイルは、どこかバランスの乱れたものだった。少なくとも、これまでのプギャーさんと比べるとそうだ。
とはいえ、優れた技術を持つ中学3年生とやり合うのは中1のおれにはなかなか厳しいところもあった。
単純に体格が違うのだ。
しかし自分より大きな相手に向かっていくのは、おれのバスケットボール人生の原点と言ってもいいくらいのことだったし、ツンが見ているからか、プギャーさんはいつものラフプレイをほとんどやらずにいたのだった。
502
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:52:33 ID:BhrHIiAE0
もちろんフィジカルなプレイはやってくる。
体を当ててショットスペースを作ってくるし、ポストプレイもやってくる。
しかし、明らかに反則だろうと思われるプレイや理不尽な言動をすることはないのだった。
_
( ゚∀゚)「・・フゥ〜」
おれは19対18と負けていた。この攻撃を成功させれば同点だ。ツンからの点の読み上げによってプギャーさんもそれを知っている。
流れ。
試合や勝負に流れのようなものがあるとすれば、先手を取られてプギャーさんの方にいっていた流れをこちらに呼び込むきっかけになりそうな局面だ。
それはもちろんプギャーさんもわかっていることだろう。
おれのボールだ。ツンから渡されたボールをおれは「このあたりだろう」といったあたりで持っている。
対面にはプギャーさんだ。よく集中できたバランスの良いフォームで対峙している。おれより10センチ以上高い身長を折り畳み、同じくらいの視線の高さでおれを睨みつけている。
おれはそこから目を逸らすことなく、まっすぐプギャーさんのことを見ていた。
503
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:56:23 ID:BhrHIiAE0
目を逸らしてはいないが、おれの視界にあるのはプギャーさんだけではなかった。
プギャーさんのその周り。そこにはおれも含まれている。
おれの眼球の位置からしても、それらを直接見ているわけではないのだろう。五感を使って取り入れた情報から構築した何かがおれには見えているように感じられるのだ。
自我のようなものが、溶け出すような感覚だ。
ボールを触り、相手と戦い、情報を取り入れていくにつれて、感覚が溶け出していくような錯覚をおれはしていく。自分と自分以外との境界があやふやになっていくのだ。
気慣れた衣類や使い慣れた道具の状況を、見るまでもなく把握できるといったことはあるだろう。そんな感覚が、はじめはボール、そして自分の周り、最終的にはコート全体に広がっていく。
速攻の場面で全速でボールをプッシュしながら、首を振らずに後ろや横を走る味方にジャストのパスを出せるのは、この感覚があるからだ。自分の手をわざわざ見なくてもコップに手を伸ばせるように、おれはコートを支配することができる。
その感覚があった。
だからといってすべてのシュートが入るわけでも、必ずチームを勝利に導けるわけでもないけれど、この感覚を持てた試合では、おれは負ける気がしなかった。
504
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:57:39 ID:BhrHIiAE0
右。プギャーさんから見て左。そちらに軽く意識を飛ばした。
それに伴う何らかの変化を、優れたディフェンダーであるプギャーさんは感じる。こちらが行動といえない程度の行動しか起こしていないように、プギャーさんもまた反応とはいえない程度の反応しか返さない。
しかし反応をしたのがおれにはわかる。そして、それがわずかに過剰であることもまた、おれにはわかる。
そこで意表をついての即シュート。このやり合いの1本目でプギャーさんがぶっこんできた攻撃だ。それをおれはこのキーとなる場面でやり返してやる。
ように、感じさせた。
( ^Д^)「!?」
おれは思い切り体を倒したその勢いで、左足を大きく踏み込んだ。ツンから教えてもらったドライブのコツだ。まったく同じようにとはいかないけれど、おれはそれを会得している。
プギャーさんの驚いた顔。それまで防げていたのと同じような守備をしたのにどうして反応が間に合わないのか理解不能なのかもしれない。
おれの左足が向かい合うプギャーさんの左足の外側に踏み込む。低い姿勢で左肩をねじ込むようにして進路を確保する。
それが決定的な1歩となった。
505
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:00:07 ID:BhrHIiAE0
○○○
結局、おれとプギャーさんの対決は引き分けに終わった。
ゲームを支配したようなことを感じておきながら引き分けというのはなんとも不甲斐ないところだが、言ってしまえばバスケはそういう競技だ。フリーで撃ったシュートが必ず入るわけではない。
だから最終的に勝敗を決めるのは無理やり点をもぎ取る力だ。一定以上の均衡度をした試合では、正しいシュートを撃つ方ではなく、入るシュートを撃った方が勝つ。
プギャーさんはやはり優れたボーラーだった。いつもと違ってクリーンなプレイだった分、点数を数えれば大差で負けていただろう日よりも、おれは強くそう思ったのだった。
おれが1点勝っている状況から、「そんなの入るのかよ」って感じのシュートを無理やりゴールさせたプギャーさんは、同点の声をツンから聞いて肩をすくめた。
( ^Д^)「フゥ〜 こんなところにしとこうか?」
_
( ゚∀゚)「こんなところ? 同点ですよ」
( ^Д^)「まあな。ラスト1本してもいいけど、勝ち負け付けたいわけじゃないしな、引き分けってのもいいかもな、と思ってる。嫌か?」
_
( ゚∀゚)「・・おれはいいですけど」
( ^Д^)「じゃあ引き分けだ。やるなぁジョルジュ、お前、ずいぶん上手くなったよ」
506
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:01:03 ID:BhrHIiAE0
初めてプギャーさんから聞かされる素直な賛辞に、おれはとても驚いた。
( ^Д^)「フゥ〜 疲れたな。コンビニでアイスでも買ってやろうか?」
最後くらいは後輩らしく扱ってやるよ、とプギャーさんが肩をすくめる。
強烈な違和感だ。
_
( ゚∀゚)「――」
( ^Д^)「どうしたよ?」
_
( ゚∀゚)「いえ、別に」
そのように言いながら、おれは違和感の正体を心の中で探っていた。
急に優しい態度を取るプギャーさんが信じられないのだろうか?
それとも1対1のおれとのやり合いでフェアプレイをしたプギャーさんが?
どれも理由としては成立するが、それだけではないように感じられた。
中学バスケから引退したプギャーさんとはしばらくの間お別れだ。しかも今日はツンというギャラリーもいる。最後くらいは優しい態度を取ったって、女の子の見る前でラフプレイをしなくたって、それは普通のことだろう。
_
( ゚∀゚)「――最後?」
おれはそう、呟くようにして言った。
507
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:01:51 ID:BhrHIiAE0
_
( ゚∀゚)「――最後、なんですか? プギャーさん?」
( ^Д^)「――」
_
( ゚∀゚)「シタガクは中高一貫だ。3年後にはなるけれど、おれたちはまた高校1年と3年で一緒になる筈です。なんで最後、なんですか?」
( ^Д^)「――」
_
( ゚∀゚)「・・言い間違いとかじゃあないんですね」
おれはこの時どのような台詞をプギャーさんから聞きたくて問い詰めるような言い方をしたのだろうか?
プギャーさんはしばらく黙っておれと目を合わせなかった。
手の中にあるバスケットボールの感触を味わうように小さく撫でたり、力を加えて保持したり、右手と左手の間にボールの重心を行き来させたりしていた。その間、おれはじっとプギャーさんを見ていた。
そして、やがてプギャーさんは猫が毛玉を吐き出すようにして言った。
( ^Д^)「そうだよ」
これが最後だ、とプギャーさんの口から声が伝えてくるのを、おれは黙って聞いていた。
508
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:02:43 ID:BhrHIiAE0
どうして、とおれが声に出せずに訊くより先に、プギャーさんはおれを見ながら言葉を続けた。
( ^Д^)「俺は、高校ではバスケをしない。つもりとしてはな」
転校するんだ、とプギャーさんは言った。
( ^Д^)「ああでも高校1年の最初からだから、別に転校でもないのかな? よくわからんが、そういうことだ。おれはシタガク高等部には進学しない」
_
( ゚∀゚)「――」
( ^Д^)「理由を説明するのも面倒くさいから黙っていなくなろうと思ってたんだがな、勘づきやがって。う〜ん、面倒くせぇけど聞きたいか?」
_
( ゚∀゚)「――いや」
別に聞きたくはないな、とおれは思った。
どんな理由を聞いたところで、プギャーさんがシタガクからいなくなって、バスケも辞めてしまうのだ。仮におれが今ここで止めたところでそれが変わることはないだろう。
そんな理由を聞いたところで仕方がない。
単純にそう思っている筈なのだけれど、その一方で、ちゃんと説明しろよと思っているおれもまた、このおれの中にいたのだった。
509
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:04:35 ID:BhrHIiAE0
おれにとってのプギャーさんは、バスケが上手くある程度の尊敬と信頼はできて、しかしおれへの当たりは強くて2度とこの関係性では接したくないと思えるくらいの先輩だった。
おれの人生にとって不可欠な存在では決してないし、このようにわざわざ呼び出されてバスケに誘われたのでなければ、人知れずいなくなっていたところでおれはそれに気づかなかったことだろう。
しかし、おれは知ってしまったのだ。
ひょっとしたらお互いにとって良い思い出ではないのかもしれないが、何はともあれこの半年以上のバスケットボールライフをほとんどの部分で濃密に共有してきたその相手が、これでバスケを辞めるとわざわざ言っている。おれと会うのも最後だろう、と。
怒り。
怒りを、おれは感じる。
寂しさ。
寂しさのようなものもおれは感じる。
相談事項ではなくただの報告として知らされたことへの不服だったり、その決定に関与できないもどかしさのようなものだったりも、そこには含まれていたのだろう。
_
( ゚∀゚)「――もう1本、しましょうよ」
そういった感情のすべてを吐き出す代わりに、おれはそう言っていた。
510
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:05:56 ID:BhrHIiAE0
( ^Д^)「――最後にか?」
と、プギャーさんは言った。
_
( ゚∀゚)「最後にです」
と、おれは言った。
こいつは今ここでおれが殺してやろう、とおれは思っていたのだった。
バスケットボールシューズを脱ぐきっかけは誰にでもいくらでもあることだろう。
それは経済的な理由なのかもしれないし、生活的な理由なのかもしれないし、体調的な理由なのかもしれない。単純に部活に取られる時間をもっとキラキラとした青春の日々に費やしたいと思う人もいることだろう。
勝手に辞めるのは勝手にすればいいことだ。おれにそれを咎める権利はどこにもない。ご自由にどうぞとしか言いようがない。
ただし、人知れず勝手に辞めるのではなく、おれにわざわざ知らせてくるというなら話は別だ。ボーラーとして近々死ぬというのなら、今ここで、おれの手にかかって死ぬべきだ。
と、そこまでおれが考えていたかどうかは定かでないが、とにかくおれはプギャーさんへ、引き分けの先の勝負を挑んでいた。
511
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:07:09 ID:BhrHIiAE0
ラスト1本。
正確には、ラスト1ターン。
やはりスポーツのことをスポーツでたとえるのは馬鹿らしいが、サドンデスに突入したサッカーのPK合戦のようなやり合いだ。
_
( ゚∀゚)「――殺す」
と、おれは心に決めていた。
どれだけのフリーで撃ったところでシュートが入るかどうかはわからない。それがバスケだ。確率と、期待値と、積み重ねの競技である。
しかし、おれは心に決めていた。
この1本を必ず沈め、次の1本を必ず阻止すると。
形がどんなものであろうと関係ない。この1本が今ここで決められないような選手でしかないなら、おれは自分自身に絶望していたことだろう。バスケを辞めていたかもしれない。
これはそういう1本だった。
誰に言ったところで理解してもらえないかもしれないが、おれはそのように考えていた。
512
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:09:05 ID:BhrHIiAE0
もしこのグラウンドにラインが引かれていたとしたら、スリーポイントラインをやや出たところ。そこにおれは立っていた。
対峙するのはプギャーさんだ。おれたちは静かに睨み合う。
最後だからと良い先輩をやろうとしていた、ふざけた柔らかさの表情はその頭には乗っていない。おれの言葉をどう捉えたのか、ただ優れたボーラーの顔をしている。
ツンからボールが送られてくる。1対1の作法としてのパス交換を交わす。おれの感覚が溶け出していく。
ピッチ全体に広がっていく感覚の中で、色の濃淡をおれは感じる。
おれ。プギャーさん。ボール。グラウンド。ツン。この空間の構成要素のすべてが入り混ざる。おれの右手がドリブルするボールが地面に跳ねて手に戻る。表面の粒を手の平に感じる。
殺してやる。
という明確な意思をおれは感じる。プギャーさんに伝わっているだろうか?
どっちだろうと構わない。おれはリングに向かってアタックを始めた。
つづく
513
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:14:28 ID:BhrHIiAE0
今日はここまで。
またもやずいぶん間が空いてしまいましたが、ちんメロも書いていたことだし仕方のないことですね。単純にリアルが忙しかったし。
次はもうちょっと短いスパンで投下できたらいいなぁと思っています。がんばります。
514
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:22:56 ID:W68KM0eE0
乙!
515
:
名無しさん
:2021/06/29(火) 15:06:50 ID:/SbVxBEc0
脇道エピソードなのにめちゃくちゃ面白いから全員のを事細かに書いてくれ
516
:
名無しさん
:2021/06/30(水) 19:27:19 ID:QdwgOHuY0
乙乙
俺はスポーツ全然出来んのだけど、ジョルジュと感覚を共有しているように熱中して読んでしまう
「殺してやる」「ただ優れたボーラーの…」ここ超いい
517
:
名無しさん
:2021/07/01(木) 21:57:05 ID:vlL/Q30A0
今日1話を読んだ勢だけど、とても面白いです(語彙力喪失)
AAの掛け合いが魅力的な作品が少なくなっている近年においてこの作風は助かる
518
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:16:47 ID:nmTz5E9I0
2-6.クラッチタイム
ひとりの優れたボーラーを殺めたところでおれの日常は変わらなかった。
表面上は何も変わらないのだから当然だ。きっとプギャーさんはおれが高校2年生となった今もどこかで普通に暮らしているのだろう。ひょっとしたら遊びでバスケットボールを手にすることもあるかもしれない。大学に進学しているだろうから、球技サークルで一世を風靡している可能性もゼロではない。
どれもおれには関係のないことだった。
改めて考えてみると、何とも不思議な感覚だ。
おれから見たプギャーさんのボーラーとしての本質は、明らかに点取り屋のものだった。勝敗を決定付ける最後の1点をもぎ取るためにこそプギャーさんはいるべきで、その自分の特質を犠牲にするようにしてゲームをコントロールする仕事をしていたプギャーさんを、おれはいつも気にしていた気がする。
だからどれだけ日頃の練習でしごかれようが、理不尽な言動を受けようが、いじめられているという気はしなかった。何でも自分で抱え込むような形でプレイしていた人なのだから、おれのことが本当に気に食わないのなら、さっさと無視して何らかの形でチームから排除する方がずっと楽だったに違いない。おそらくプギャーさんにはそれができていた筈だ。
しかし、そのように、少なくとも憎からず気にかけていたプギャーさんのことを、こうして思い返すまでおれはすっかり忘れてしまっていた。関係がないからだ。
不思議なことだが、当たり前のようでもあり、気づいた今ではちょっぴり寂しさのようなものをおれは感じる。
519
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:18:55 ID:nmTz5E9I0
とはいえその頃のおれは寂しさを感じている場合ではなかった。
弟が生まれたからだ。
とても寒かった中1の冬のある夜中、モララーは熟れた洋ナシのようにでかくなった母さんの腹からそのラブリィな顔を覗かせようとした。おれは母さんに言われるままにタクシーを呼び、荷物を持ってかかりつけの産婦人科へ送り届けた。
そして驚くほど長い時間をただ待った。
从'ー'从「いやジョルジュが産むわけじゃないからね。いいから寝てな」
母さんはそのように言い残して別の部屋へと消えていき、寝るわけないじゃないかとおれは思った。それからかかる時間はせいぜい数十分から数時間程度だろうと思っていたのだ。だってドラマや漫画では1話か2話で子供が産まれる。
そんなわけがなかった。
_
( ゚∀゚)「うぁ〜 これ、いつまでかかるんだ? 正直お言葉に甘えて寝ちゃえばよかったぜ。完全にタイミングを失った」
なんだか不謹慎な気がしてスマホをいじったりテレビを点けたりすることはできず、おれは目安もない待機時間をどうにか潰さなければならなかった。
それこそ不謹慎な話だが、何ならおれも痛ければいいのにな、とおれはその時思っていた。何か苦痛があれば、それに耐えることがある意味暇つぶしになっていたことだろう。
もちろんそんな考えは、これまでもこれからも誰にも伝えるつもりはない。つもりとしてはの話だが。
520
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:20:14 ID:nmTz5E9I0
いったい何時間かかったのか知らないが、とにかくうんざりするほどの時間が過ぎ、おれはなんとか発狂することなくプリチィな弟に会うことができた。徳の高いおじいちゃんのような帽子を被った赤ん坊は単純に愛らしく見え、おれは純粋に感動した。
_
( ゚∀゚)「うおぉ・・ これが、おれの弟か」
从'ー'从「よろしく頼むぜお兄ちゃん」
( ・∀・)「ぶええ」
_
( ゚∀゚)「お前が返事すんのかよ」
笑って伸ばしたおれの手は何にも邪魔されることなくその小さな頭に触れた。こうしておれはモララーの兄になった。
( ・∀・)「ぶええ」
とモララーは鳴いていた。
_
( ゚∀゚)「しかしまあ赤ん坊ってのはオギャア的な泣き声じゃないのかね」
从'ー'从「いいじゃん面白くって。あんたもそんなもんだったわよ」
_
( ゚∀゚)「うひゃ〜」
しかし母さんが退院してモララーと3人暮らしになった途端、予想外の事態がおれたちを待っていたのだった。
521
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:21:09 ID:nmTz5E9I0
从'ー'从「え、嘘でしょ」
という一言がすべての始まりだった。
_
( ゚∀゚)「どしたん」
適温に作り上げたミルクをモララーに与えながらおれがそう訊くと、母さんは答えることなく何やら真剣な表情で何かの書類を睨んでいた。
身を乗り出すようにしてその中身を覗き込む。どうやらそれは、赤ん坊お預かり施設の申し込みのようなもののようだった。
从'ー'从「これは・・保育園では、ない?」
_
( ゚∀゚)「あァん? 何言ってんだ」
从'ー'从「見なさいジョルジュ」
_
( ゚∀゚)「見てるよ」
从'ー'从「読み上げなさい」
_
( ゚∀゚)「ほいよ、“したらば幼稚園 入園のしおり”」
从'ー'从「保育園じゃない! 幼稚園だこれ!?」
保育園と幼稚園の違いがよくわからないおれにできるのは母さんをぽかんと見つめることくらいだったし、モララーにとってはそんなことより哺乳瓶からミルクを吸うことの方がずっと大事なようだった。
522
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:22:30 ID:nmTz5E9I0
从'ー'从「いや何回読んでも幼稚園だわ! 保育園じゃない!!」
_
( ゚∀゚)「そりゃあそう書いているからなァ」
( ・∀・)「ゲフゥ」
_
( ゚∀゚)「お前はゲップが上手だなァ」
从'ー'从「はいはいかわいい。天使ちゃん」
从'ー'从「じゃなくて! これがどういうことかわかってんの!?」
_
( ゚∀゚)「いや、それがまったく」
どういうことなんだよ、とモララーの口からあふれたミルクを拭っていると、母さんは机にそのプリントを叩きつけるように置いて“幼稚園”の文字を指さした。
从'ー'从「幼稚園! 幼稚園は基本的に対象年齢が3歳以上! そして保育園は0歳以上!」
_
( ゚∀゚)「・・つまり?」
从'ー'从「この子、モララーはしばらく幼稚園の厄介になることはない! 私はもうじき労働を再開しなければならないというのにだ!」
_
( ゚∀゚)「OH MY GOD!」
マジかよ、とおれの口から洩れる。追い詰められたもの特有の引きつった笑みが母さんの口の端に貼り付けていた。
523
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:24:56 ID:nmTz5E9I0
从'ー'从「どうやらマジっぽいから恐ろしい。うわ〜、完全にミスったわ。いや直接的にミスったのは私じゃないけど、確かにちゃんと確認はしなかった。うわ〜、どうしよ、どうしようもなさそうだけど!?」
母さんは頭を抱えてそう言った。
ミルクを飲み切ってすっかりゴキゲンになっているモララーを布団に寝かせ、おれは顔だけ母さんの方を向く。空いた手先でモララーの頬を挟んでやると、「ぶう」と面白い音がした。
_
( ゚∀゚)「よくわからねェが、今からその、どっかの保育園に切り替えるってのはできねえのか?」
从'ー'从「募集期間が過ぎている。時期にもよるけど、即入れの場合の保育園は出産前に段取りつけたりしとくのよ」
_
( ゚∀゚)「ほう」
从'ー'从「その段取りがついているものとばかり思ってた。くそ、あのへっぽこスカウトめ、適当なことを言いやがって」
_
( ゚∀゚)「ふ〜む、なかなかの手の平返し」
ぽりぽりと頭を掻いたおれは仰向けに寝転がる赤ん坊の様子を眺めた。おれの弟だ。母さんの復職に向けて保育園とやらにぶち込まれる予定で、しかしその予定が今まさに崩れようとしているというわけだ。
524
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:26:19 ID:nmTz5E9I0
从'ー'从「たぶん保育園にフルで入れるのは無理でも、一時預かりの施設を使ったり、絶対にこの幼稚園の早期入園制度を使わせてもらったりしてある程度はどうにかなると思う。ただ、まったく同じようにはできないだろうな」
_
( ゚∀゚)「どう違うんだよ?」
从'ー'从「う〜ん、ちゃんと調べないとわからないけど、たとえば預かり始めと預かり終わりの時間が違ってきたりすると思う。あとは日ごとに行くところが変わってきたり?」
_
( ゚∀゚)「行き先はまあ何でもいいけど、時間が違うのは仕事に支障が出そうだな」
从'ー'从「まさにそれ。時短勤務にしてもらう・・? いやでも私の仕事内容からしてちょっときついな。何とかならないこともない・・か? う〜ん」
宙を睨んで仕事のスケジュールを考えているのだろう母さんは何度もうなり声をあげていた。
母さんの具体的な仕事の中身をおれはほとんど知らないが、やってて楽しい仕事であることや、やりがいのある仕事であることくらいは知っていた。
そんな母さんを眺め、モララーに目を移し、そのぷくぷくとした頬に触れる。そこから「ぶう」という音を出す。
おれは自然と提案していた。
_
( ゚∀゚)「いつ頃から仕事に戻らないといけないんだっけ? すぐにってのは難しいかもしれないけどよ、おれがこいつの面倒みようか」
525
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:27:18 ID:nmTz5E9I0
我ながら悪くない提案だと思っていたのだが、母さんの返事は即答でのNOだった。
从'ー'从「だめよそんなの」
あんたはバスケやんないと、と母さんはハッキリ言った。おれは正直驚いた。
_
( ゚∀゚)「なんで」
从'ー'从「あのねえ、シングルマザーの家庭でその子供が家事や育児に労力を取られて勉強や部活ができないなんて、そこら中にありふれた虐待の形なのよ」
_
( ゚∀゚)「うお、ぎゃくたい」
从'ー'从「それに、ジョルジュはバスケが好きでやりたいんでしょ? だったらそれはやらないと」
_
( ゚∀゚)「好き・・ う〜ん」
从'ー'从「あら違うの?」
_
( ゚∀゚)「いや好きだけどよ。別にしなきゃいけないことでもないしな。こいつの面倒見ながらでも全然できないわけじゃあなかろうし、母さんが休みの日とかにちょっとそこらでボールつく、とかでも十分楽しそうな気がするんだよな」
从'ー'从「――」
それ本気? と母さんはおれをじっと見つめた。
526
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:28:19 ID:nmTz5E9I0
_
( ゚∀゚)「え、結構本気だな」
おれはあまり考えることなくそう言った。考えなしに、と言うと誤解されるかもしれないが、引っかかることなくそう思えたのだ。母さんは今後仕事をするようになる。この赤ん坊は誰かが世話をしなければならない。
おれにはそれができそうな気がした。
_
( ゚∀゚)「だからさっきも言ったように、『それじゃあ明日からジョルジュよろしく』とか言われても無理だけどさ、こうしてミルクもやれることだし、学校帰りに赤ん坊を迎えに行って母さんが帰ってくるまで世話をする、くらいのことはやってできない気はしねェな」
从'ー'从「う〜ん」
_
( ゚∀゚)「だって他に無理じゃねェ?」
从'ー'从「・・お母さん、ジョルジュはもうちょっと本気でバスケやってると思ってたよ」
_
( ゚∀゚)「いやマジで取り組んではいるけどよ。別にいつかは引退するもんなんだし、絶対これはって目標があるわけでもねぇしな」
从'ー'从「ゆくゆくプロに、とかは思ったことないの? 辞めたら取り返しきかないよ」
_
( ゚∀゚)「そりゃあなくはねぇけど、あれだな、小学校の卒業文集に書くレベルっていうか」
なれたら面白いかもなって程度だよ、とおれはやはり気負わず言っていた。
527
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:31:31 ID:nmTz5E9I0
母さんはしばらく黙っておれを見ていた。おれも黙って母さんを見ていた。モララーは気にせず色んな音で鳴いている。
プギャーさんがさ、とおれは赤ん坊の頭を撫でて口を開いた。
_
( ゚∀゚)「プギャーさんってのはおれの3年の先輩なんだけど、やっぱり話が違ったって言ってたんだよ。その人はおれの前の特待生で、スカウトから色々言われてバスケ部に入ったって言っていた」
たとえばバスケ部の環境もそうだ。
ろくな指導者もおらず、ほとんど設立して以後手の入れられていなかったような当時のバスケ部に、プギャーさんは誘われたのだ。すぐには無理だが1年以内にちゃんとしたコーチを雇って環境を整えるとか、プギャーさんと仲が良く信頼できる後輩を同じく特待生枠で引き入れるとか、「そういうのも面白そうだな」とプギャーさんに思わせられるようなことを言っていたとのことである。
しかしそういった約束のほとんどすべてはろくに叶えられなかった。うちのバスケ部にはいまだに専属のコーチがおらず、練習内容からして部長のプギャーさんが決めなければならなかった。
後輩もそうだ。特待生として引っ張ってこられたのは結局何の関係性もなかったこのおれで、その人選がプギャーさんの希望からどれほど遠かったかはおれへの態度を見ればわかるというものだろう。
( ^Д^)「と、まあ、ざっとこんな感じの事情があったんだ。それもあってお前にはきつくあたっちまったところもあったと思う、すまねぇな」
プギャーさんはおれが最後のシュートを沈めた後で結局事情を語りだし、そんな謝罪の言葉で締めとした。おれはそれを黙って聞いた。
528
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:32:40 ID:nmTz5E9I0
_
( ゚∀゚)「だからさ、たぶんあいつらってそんな感じなんだよ。あいつらっていうか、この業界は、って感じかな。スポーツの世界? なんだかおれは、そんなの信用できねェや」
从'ー'从「――」
_
( ゚∀゚)「だからバスケは好きで、できたら続けていきたいけども、バスケで人生を切り開こうとは思わね〜な。ま、他にやりたい仕事があるってわけでもないんだけどよ」
从'ー'从「ジョルジュが言いたいことは大体わかった。でもさ、積極的に辞めたいわけでもない部活を辞めて、弟の世話をみるってのはねぇ」
_
( ゚∀゚)「外聞が悪いってか? どうでもいいだろ、そんなモン」
从'ー'从「ま、それはそうね」
_
( ゚∀゚)「だろ?」
从'ー'从「まったく、なんだか外聞のよくない立派なことを言うようになっちゃって」
_
( ゚∀゚)「ルールを把握し、その範囲内で、勝つためには何でもやるべきだって誰かさんが言ってたからな」
从'ー'从「誰それ? 教育によくないわねぇ」
相手からファウルを引き出すようなプレイの仕方をかつておれにそれとなく教えた母さんは肩をすくめてそう言った。
529
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:33:28 ID:nmTz5E9I0
从'ー'从「ま、何はともあれ、すぐに決まることじゃないからね」
まずは調べることからだ、と母さんは言った。
从'ー'从「さっきは保育園への切り替えは無理だろうって言ったけど、事情を話してお願いしたら何とかなるかもしれないし、今私が知らないだけの制度がこの世にあるかもしれないし、私の仕事の都合も意外とつけられるかもしれない」
まずはそれらを調べ、現在のおれたちの状況と勝利条件を知らなければならない。そしてその勝利に向かってゲームを作り上げるのだ。
おれのポジションはポイントガード、ゲームメイクはお手の物だ。母さんもそうなのかもしれない。
从'ー'从「ジョルジュの考えは踏まえた上で、お願いした方がトータルで良さそうだと思ったら気兼ねなくお願いするから、その時はお願いね。その時ジョルジュの気が変わってたら、それはまたそれでいいだろうし」
_
( ゚∀゚)「合点承知」
( ・∀・)「ぶええ」
何となく雰囲気を察知するのか、言葉のわからない筈の赤ん坊はひときわ大きな声を上げた。
530
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:34:42 ID:nmTz5E9I0
○○○
それでしばらくは上手くいっていた。おれはバスケを辞めることなく、できる範囲で子育てや家事も手伝い、おれたちはそれなりにやり繰りできていた。
これを充実と表現するなら、おれはまごうことなきリア充だったことだろう。世間のリア充イメージからは大きく逸れているかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
ちゃんと時間を確保しバスケの練習もできていた。なんならおれのプレイはかえって向上していたんじゃないかとさえ思うのだ。
確かに身体的にも精神的にも時間的にも、ただバスケをやっていた場合よりも負担は大きかったのだろうが、この生活から得られるものも少なくなかった。
具体的に挙げろと言われるとなかなか難しいのだが、たとえば傍若無人な王様のように振る舞うモララーのお世話をさせてもらう生活は、チームメイトを上手く転がしこちらの意図に乗った上で気持ちよくプレイさせなければならないポイントガードの仕事の役に立ったように思う。
何が不満で泣いているのかもわからない赤ん坊に比べて、撃ちたいシュートややりたいプレイがある程度でも把握できるボーラーたちのなんとコントロールしやすいことか。なんせ、言えばわかってくれるのだ。何ともありがたいことである。
練習に対する態度もいくらか変わったのかもしれない。時間を奪われることによって、おれはその貴重さを実感できるようになったのだ。
531
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:39:51 ID:nmTz5E9I0
そんなわけで、意外と難なく立ち上がった長岡家の子育て生活だったが、しかし1年と半年ほどが経つ頃にはじわじわと歪みのようなものが感じられるようになっていた。
産休や育休の制度をはじめ、おそらく多種多様な支援を受けながら母さんは育児と労働を両立させていた。それが言うほど簡単なことであったようにはとても思えないし、そんなことができたのは、おそらく母さんが有能だったからなのだろう。
そして有能な母さんは、その能力をもっと仕事に向けるよう期待されてもいたようだった。
从'ー'从「ぐおお、しんどい。ああ疲れた。しかし赤子のお尻のなんとプリプリしたことよ。モラ尻、モラ尻」
そんなことを口走り、仕事から帰った格好のままで着替えもせずに息子の尻を撫でまわす母さんの姿を帰宅時見ることが日常的になったのだ。
ツッコミ待ちのボケでやっているわけではなさそうだった。いったいどれだけの時間をそうして過ごしているのか見当もつかず、おれは特にリアクションを取ることなしに着替えて飯を食い、母親の奇行をぼんやりと眺めたものだった。きっと酒も入っているのだろう。
モララーは尻を揉まれて笑っていた。
_
( ゚∀゚)「う〜ん、これは、きっと疲れているんだろうなァ」
弟の粉ミルクと間違えることなく抹茶味のプロテインをシェイクして飲み干し、おれはそのように考える。母さんはおれから見ても疲れている。その時せいぜいおれにできたのは、そのモラ尻とやらが先ほどまで糞尿にまみれていたという事実をあえて教えはしないことくらいのものだった。
そんなある日のモララーが寝静まった後の夜、おれは母さんから「話がある」と打ち明けられたのだった。
532
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:40:51 ID:nmTz5E9I0
_
( ゚∀゚)「――いよいよ来たか」
と、おれは思った。おれに驚きはほとんどなかった。
从'ー'从「いやあ、お気づきかもしれないけどさ」
これはちょっと無理そうだわ、とその日の母さんはバツが悪そうに頭を掻いた。
_
( ゚∀゚)「おう、お気づきだったさ」
从'ー'从「やっぱりそう? まいっちゃうね」
そう言い母さんはにっこりと笑い、グラスにビールを注いでは飲んだ。
从'ー'从「まあまだ限界ではないんだけどさ、限界を迎える前に計画と相談はしとかないとね。まだ辛うじて冷静な思考ができると思う」
_
( ゚∀゚)「辛うじてかよ」
从'ー'从「うひひ、面目ない」
_
( ゚∀゚)「それで、どうしようか。おれはモララー様のお世話を大きく仰せつかるというのも構わんぜ。部活と両立はできねぇけどよ」
从'ー'从「そうそう、そこんところもちゃんと話し合っとかないとね。座んなさいよ」
533
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:41:42 ID:nmTz5E9I0
おれにそう言い、自身も椅子に座り直した母さんはまっすぐにおれを見た。おれはその視線を受け止める。飲酒に赤らんだ頬さえなければ真面目な雰囲気になってしまいそうなものだった。
つまり、そうはならなかった。座り直して姿勢が正されたのは数秒のことで、母さんはすぐに片肘をテーブルについてにへらと笑った。
从'ー'从「うひひ、こういうのってやっぱ慣れないもんだね。子ふたりの母親になっても駄目だわ、やめやめ。普通に話そう」
_
( ゚∀゚)「まァ酒が入ってりゃそらそうだろうさ」
从'ー'从「仕事だったら真面目なお話もできるんだけどね。あ〜でもこれってある意味プロ意識が高いのかな? 褒められるべきだと思う?」
_
( ゚∀゚)「知らねェよ。何の話だ」
从'ー'从「そうだった、そうだった。バスケの話よ。ジョルジュ、あなたの」
_
( ゚∀゚)「おれのね」
まあわかってたけどよ、とおれは続ける。母さんはニヤニヤと笑いながらビールを飲んだ。
从'ー'从「前聞いた時は、別にバスケを辞めてもいいってジョルジュ言ってたよね。今はどう? 全中に行っちゃったりして本気度も増したんじゃない?」
534
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:43:04 ID:nmTz5E9I0
母さんはいじわるな質問をするような口調でそんなことを訊く。おれは肩をすくめて見せてやった。
_
( ゚∀゚)「本気度は変わらねぇよ、ずっとMAXだ。あとは全中まで行ったっつっても1回戦負けだしな。大したことねえ」
从'ー'从「そう? 私は鼻高々だったけどね」
_
( ゚∀゚)「それならそれはよかったけどよ」
小さく笑って頭を掻く。母さんを喜ばせられたというならそれはおれにとっても嬉しいことだが、中3夏の全国大会への勝ち進みは本当にまぐれのようなものだった。
まぐれというか、相手の不幸だ。県大会やその準決勝まで勝ち進めたのは自分たちの実力だと胸を張って言えるが、その準決勝と決勝はどちらも相手がベストメンバーにほど遠いものだったのだ。
怪我だ。準決勝の相手はエースが大会前から負傷していた。それを無理に出場を重ねては何とか勝ち進んで来ていたのだが、おれたちとの対戦だった準決勝には、そのエースプレイヤーはついに出られなくなっていた。ほとんどそのおかげでおれたちは接戦をものにしたようなものだった。
決勝戦はもっとひどかった。相手チームの正ポイントガードが、やつらの準決勝の終了間際で怪我をしたのだ。おれたちとの決勝戦の直前だ。ゲームプランを根底から覆すようなその不運には、敵の立場ながらなんとも言えない気分になる。
そうしておれたちは中学バスケの全国大会、通称全中へ行ったのだった。そして1回戦でボコボコにやられて負けた。スコア的には何とか僅差になるよう取り繕ったが、おれは正直途中から勝てる気がまったくしていなかった。
おれの中3の夏はそれで終わった。
535
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:44:10 ID:nmTz5E9I0
そう。中3の夏だ。
中学校最高学年の夏の大会を終えたおれには中学バスケからの引退が迫っていた。
_
( ゚∀゚)「ああそっか、だから今の内に話すのか」
今のおれにはボーラーとしていくつかの選択肢が存在している。もっとも考えやすいのはこのままエスカレーターでシタガク高等部へ進学し、進学後もそこでバスケを続けるという道すじだ。少しやる気を出すなら、中等部バスケを引退して即高校の練習に混ぜてもらうというのも不可能ではないだろう。チームを全国大会に導いたおれには高等部での特待生待遇が用意されていた。
そして、それらすべてをなかったことにして、部活バスケから足を洗うという選択肢も、考えてみればおれにはあった。
今おれがそんなことを言い出したらどうなるだろう?
スカウトの渋沢さんをはじめ、シタガク関係者からは猛烈な抗議をよこされるかもしれない。今のチームメイトや、来年チームメイトになる予定だったやつらからの好感は期待しない方がいいだろう。おれのことを応援してくれている人たちは、ひょっとしたらおれに裏切られたように感じるかもしれない。
どれもなんてことはなかった。
ツンを除いては、の話だが。
536
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:47:01 ID:nmTz5E9I0
ツンという女の存在は、やはりおれにとっては特別なものだった。
バスケットボールを始めた時からそうだったのだ。これはもう仕方のないことだろう。ツンはおれより格上のボーラーで、コートを支配し、すべてを切り裂くドライブを持つ最高のスラッシャーだった。
『だった』だ。結局あの交通事故の後、以前のおれの家の庭でやり合って以来、ツンとおれが同じコートに立つことはなかった。独自に練習か何かをやっていることは知っていたが、それに誘われることもなかったし、説明のようなこともされなかったし、ツンが女子バスケ部に加わっているような様子もなかった。ずっとクラスが違ったこともあって、体育の授業で一緒にバスケをすることもなかったのだ。
あの事故当時、ミニバスでチームメイトだったツンとおれは、ほとんど同格のような扱いになっていた。あの頃のおれたちがチームにとってどんな立ち位置だったかを仲間に尋ねたら、ほぼ全員が「ダブルエース」と答えただろう。
しかしおれにとっては違った。はっきりと同じレベルのプレイヤーになっただとか、総合的に見て自分の方が良い選手だとか思えたことは、ついに一度もなかったのだ。
そんな優れたボーラーが、怪我でバスケを辞めなければならなかった。そこに対する負い目のようなものがおれにまったくないと言ったら、それは嘘になってしまうことだろう。
从'ー'从「ま、でも、実はやりようはいくつかあるのよね」
おれがそんなことをぐるぐると考えていると、母さんは肩をすくめてそう言った。
537
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:47:53 ID:nmTz5E9I0
_
( ゚∀゚)「――やりよう?」
从'ー'从「そうそう、私たちのこれからの生活様式って感じ? ひょっとしたらジョルジュは、私が仕事の範囲を縮小して子育てと仕事を頑張りながら自分はバスケを続けるか、私に自由な振る舞いを許して自分がモララーを引き受けるかのどっちかしかないと思ってるかもしれないけれど、それはそうでもないのよね」
_
( ゚∀゚)「そうなのか?」
从'ー'从「あ、やっぱそうだった? それはね、大きな勘違い。実は私が時には残業を交えたフルタイムでしっかり働きながら、モララーも育て上げ、ジョルジュくんも元気にバスケットボーれるような選択肢は、あるにはあります」
_
( ゚∀゚)「ゆめみたい!」
バスケットボーれるって何だよ、という引っかかりはスルーした。それどころではなかったのだ。
続けられるものならもちろんバスケは続けたい。それはおれの本心だった。そこに強い執着はないというだけのことである。
バスケをやれる。しかし、おれがそうぬか喜びする間もなく、母さんは「ただし」と言葉を続けた。
从'ー'从「ただし、前にもちらっと言ったことがあるけど、それにはもちろん金か人手が必要になる。工夫や変化をしないとね」
538
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:49:19 ID:nmTz5E9I0
_
( ゚∀゚)「――工夫」
それか、変化だ。おれはその言葉の意味を考える。
从'ー'从「まあでも工夫はたかが知れてるわね。今も何とかやろうと都度アジャストしてきて限界が迫っているわけだし」
_
( ゚∀゚)「変化」
その言葉の意味を考えたくないと思っていることを、おれは自分でわかっていた。
考えるまでもないことだからだ。それに前にも母さんから聞いている。
从'ー'从「そう、変化。増える仕事量に対処するには時間かお金か人手がかかるの。その時間を私たちはこれ以上割けないわけだから、さっきも前にも言ったように、お金か人手が必要となる」
すぐさま手に入れられる金か人手というと、その供給源は限られていることだろう。
それはもちろんおれかモララーの父親だ。
_
( ゚∀゚)「――」
おれは半ば意識的に避けていたその現実を突きつけられたような気分になった。
539
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:50:43 ID:nmTz5E9I0
从'ー'从「お察しの通りと思うけど、ジョルジュのお父さんかモララーのお父さんからお金か労働力をいただけば、だいたい万事解決することでしょうね。ま、ジョルジュがあまり歓迎してなさそうだったから、これまではスルーしてきたわけだけどさ」
もうスルーしてもいられないかも、と母さんは言った。おれは黙ってそれに頷いた。
_
( ゚∀゚)「――別に知りたくなかったから訊いたことないけどよ、おれたちの社会的な? 法律的な? 関係ってどうなってんだよ?」
从'ー'从「私とあなたと、あなたのお父さんは今でも家族よ。色々面倒臭かったことだし、実は離婚しておりません」
_
( ゚∀゚)「ほ〜ん。それは、居場所とかって知ってんのか?」
从'ー'从「知らない。けど、訊けば教えてくれるんじゃない? ジョルジュにはたまに会いたがってるわよ」
_
( ゚∀゚)「マジか。知らんかったわ」
从'ー'从「そりゃ教えてないしね。別に隠してたわけじゃあないけど、あなたもお父さんに会いたいって言うことなんてなかったし」
それはそうだな、とおれは背もたれに体重をかけて頷いた。
540
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:52:07 ID:nmTz5E9I0
_
( ゚∀゚)「でもさ、おれがはっきり拒否したわけでもねェし、親父にはおれに会うことができる権利みたいなものがあるんじゃねえの?」
从'ー'从「ないわよそんなの。だって離婚してないんだし」
_
( ゚∀゚)「なるへそ」
そのためにも離婚していないのかもしれないな、とおれは思った。
从'ー'从「というわけで、ジョルジュのお父さんとは、離婚して得られる権利を放棄する代わりに離婚して発生する義務を拒否しているような関係なのよね。お分かりかしら?」
_
( ゚∀゚)「おおむね理解した」
从'ー'从「それならよかった。それで、だからモララーのお父さんと私は、正確には不倫関係になるのかな。裁判になっても負けるつもりはないけれど」
_
( ゚∀゚)「その、ええとモララーの父ことモラ父は、おれのことは知ってんのか?」
从'ー'从「もちろんご存知。あの人は不倫のつもりはないとは思うけどね、声をかけて責任とってと言えばすっ飛んでくるかもよ」
母さんは小さく笑いながらそう言った。
541
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:53:46 ID:nmTz5E9I0
おれの親父のことを話す時とは違って、モラ父について語る母さんの表情は柔らかかった。どうやらモラ父との関係性はそれほど悪くないらしい。そして、その顔はおれにひとつの考えをよこす。
母さんはモラ父と夫婦になりたかった、もしくはなりたいのではないかということだ。
前におれの考えを母さんが訊いてきた時、おれはそれを望まないようなことを確かに答えた。それが母さんを縛りつけていたのだろうか?
この考えをおれが否定するのは難しいことだった。
_
( ゚∀゚)「――」
もし母さんが望むと言うなら、おれはそれを受け入れるべきだろう。そしてそれはおれにとっても悪いことばかりではない筈だ。おれはバスケを続けられるようになることだろうし、気に食わなければその男には極力関わらないようにもできるだろう。希望すれば、特待生待遇の一環として寮に入るようなこともできるかもしれない。
その方が、母さんにとってもモラ父にとっても、モララーにとってもいいことかもしれないのだ。
石ころが坂道を転がり落ちるように考えが勝手に進んでいく。この家庭における邪魔者は、ひょっとしたらおれの方なのかもしれなかった。
542
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:55:27 ID:nmTz5E9I0
ぐるぐるとそんなことを考えていると、母さんが大きく背伸びをしているのが見えた。にやにやとした顔でおれを眺めている。
从'ー'从「一応、参考までにお母さんの気持ちを言っとくとね」
と、母さんはそのにやにやとした顔のままで言葉を続けた。
从'ー'从「私は結構今の生活が好きなんだよねえ。モララーは可愛いし、良い尻してるし、ジョルジュもいっぱいバスケしてて結果も出してくれてるしさ、仕事も楽しいからね。ただ、しんどい。このままの生活でやれるならやっていきたいところなんだけど、それは無理そうだな〜と今更ながらに思うから、こうしてジョルジュさんとお話しているわけですよ」
_
( ゚∀゚)「――知ってるよ」
从'ー'从「ならいいけどさ」
ぶっきらぼうに言ったおれを、母さんはやはりにやにやと眺める。
_
( ゚∀゚)「何だよ?」
从'ー'从「いやあ、ジョルジュくん、あなたもなかなかカワイイよ」
_
( ゚∀゚)「何だよ!」
ポイントガードはポーカーフェイスじゃないといけないよ、と母さんはなおもにやにや言った。
543
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:57:54 ID:nmTz5E9I0
○○○
母さんと今後を話した数日後、おれはモララーと公園に来ていた。例の、あの公園だ。
目的はふたつ。ひとつはモララーと遊ぶことだ。これは自動的に達成される。
( ・∀・)「ぼーる!」
ほとんど自分と同じくらいの大きさをしたバスケットボールを楽しそうに抱え、モララーはそれをおれに向かって投げてきた。正確には、投げようとして、何とか前に転がした。
その勢いでモララーが転んではしまわないかとヒヤヒヤものだ。
( ・∀・)「きっく!」
_
( ゚∀゚)「キックは足な」
そう言い、おれは力なく転がってくるボールを足で引くようにして受ける。ちゃんとしたコーチが見たら激怒するかもしれないバスケットボールの扱い方だ。
幸か不幸か、当時のおれにはちゃんとしたコーチがいなかったので、誰にもそれを咎められることはありえなかった。
_
( ゚∀゚)「これがキック!」
足の裏を使ってきわめて柔らかいパスをモララーへ送ってやると、その可愛いらしさに服を着せただけのような生き物はキャッキャと笑う。おれたちはそうして何度かパス交換をした。
544
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:58:42 ID:nmTz5E9I0
ξ゚⊿゚)ξ「――ずいぶん楽しそうじゃない」
声がしたのでそちらを向くと、そこには狙い通りにツンがいた。ここに来た目的での残りひとつだ。必ず会えると思っていたわけではないが、どうやらおれにはツキか何かがあるらしい。
_
( ゚∀゚)「楽しいさ」
お前もどうだ、とツンに答える。ツンは小さく頷いた。
_
( ゚∀゚)「ほれモララー、このお姉さんはツンちゃんだよぉ」
( ・∀・)「つんちゃん!」
ξ゚⊿゚)ξ「まあ可愛い。これが例の弟くん?」
_
( ゚∀゚)「そうそう、今やこんなに大きくなった。長岡家は絶賛子育て中」
ξ゚⊿゚)ξ「大変?」
_
( ゚∀゚)「めちゃ大変だよ」
ξ゚⊿゚)ξ「あらそう」
お疲れさまね、とツンは笑って言った。
545
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 22:00:28 ID:nmTz5E9I0
ツンはざっくりとした白いジャージを着ていた。ボールを抱えてバスケのゴールがある公園にいるのでなければヤンキーの人たちに見えるかもしれないところだ。それが地毛であることをおれは知っているが、鮮やかな金髪をしているというのもヤンキーポイントのひとつだろう。
ただしツンはヤンキーではない。足元もサンダルではなく、外履きにしているのだろうバッシュだった。
ξ゚⊿゚)ξ「――あたしに会いに来たのかしら?」
モララーとの球遊びに参加しながら、ツンはおれにそう訊いてくる。なんとも鋭い質問だ。
_
( ゚∀゚)「そうかな、偶然じゃねェ?」
と試しに否定してみると、おれは即座に笑い飛ばされた。
ξ゚⊿゚)ξ「いやそりゃ無理よ。あんたこの公園めったに来ないでしょ。そんなに家から近いわけでもないし、当たり前っちゃ当たり前なんだろうけど」
_
( ゚∀゚)「お見通しですか」
ξ゚⊿゚)ξ「ツンさまには何でもお見通しよ」
_
( ゚∀゚)「何でもですか」
ξ゚⊿゚)ξ「何でもよ。あんたがどうせ何か言いにくいことを言いに来たんだろうなってなことも、あたしにはすべてお見通し」
546
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 22:01:49 ID:nmTz5E9I0
_
( ゚∀゚)「――これはまいったな」
おれは実際まいってしまってそう言った。
あまりに図星だったからだ。話が早いのはこちらとしてもありがたいことだけれど、あまりに察しが良すぎるというのも考えものだ。居心地の悪さをおれは感じる。
モララーからのパスとも言えない球転がしを両手で受け取り、優しく転がし返したツンは、おれに肩をすくめて見せた。
ξ゚⊿゚)ξ「じゃないと事前に連絡してくる筈でしょ。子供の世話かつ偶然を装ってあたしに会えるかどうかもわからないこんなところに来るなんて、乗り気になれない報告か何かをしたいと言ってるようなものね。確率に背中を押してもらおうとしたんでしょ」
そんな考えモテないわよ、とお姉さんのような顔で言うものだから、おれは思わず笑ってしまった。
_
( ゚∀゚)「モテませんかね」
ξ゚⊿゚)ξ「無理むり。あんたはバスケやってなけりゃただのダサ坊、非モテよ」
_
( ゚∀゚)「ダサ坊!? こりゃバスケ辞めたら大変じゃねェか!」
ξ゚⊿゚)ξ「バスケやってりゃそれなりに見てられるわよ。神とツンさまに感謝しなさい」
_
( ゚∀゚)「――そうだな」
547
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 22:02:46 ID:nmTz5E9I0
そうだな、と言ったきりおれは、すぐに言葉を続けることができなかった。非常に言いにくいことだったからだ。
( ・∀・)「キャッキャ!」
ボールを転がし、受け取るたびに楽しそうにモララーが笑う。モララーはおれとツンに向けて交互に球を転がしてくる。
( ・∀・)「じゅんばん!」
平等にボールを得る機会をくださる小さな王様に感謝の意を表しながら、おれとツンは順番に従ってボールを受ける。
おれ、モララー、ツン、モララー、そしておれへとボールが回る。おれはボールを優しく転がす。それを受け損ねたモララーが何がそんなに面白いのか、高い声で爆笑しながらそのボールを全身で追う。
足がもつれてコケることにもまた笑ってしまうようだった。
そうした何ターンかのやり取りをモララーはまったく飽きることなく楽しむ。
ξ゚⊿゚)ξ「――辞めるの?」
やがてツンが、吐き出すようにそう訊いてきた。
548
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 22:04:05 ID:nmTz5E9I0
何と答えたらいいものか、しばらく言葉を探してみたが、どこにも適切な表現は見つからなかった。
当たり前だ。それを伝えにここにこうして来たというのに、準備できていないのだから。その場で改めて考えたところで思いつく筈もないのだ。
しかしその場にはツンがいた。どれほど言うべき言葉がなかろうと、おれはツンにただちに何かを言わなければならなかった。そのために来たのだ。そんなことはわかっていた。
モララーは純粋な喜びでボール遊びに興じている。おれは動揺が表面に現れないように気をつけながら、送られてきたボールを受け止め、転がす。
ツンの質問に答えなければならなかった。
_
( ゚∀゚)「――そうだよ」
そうなることになると思う、と、おれもまた吐き出すようにしてようやく言った。
上がりっぱなしのテンションに疲れたのか、モララーがボールを受け損ねて地面に座り込んだまましばらく立ち上がれなくなっていた。
おれはモララーに近寄ると、その体から砂をはたき落とし、怪我がないことを確認して肩車の形に担ぎ上げる。
( ・∀・)「かたぐるまん!」
モララーは楽しそうにそう言った。
549
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 22:06:00 ID:nmTz5E9I0
おれはその場で軽くモララーを乗せた身体をゆすったりゆっくりターンしたりして赤子にエンターテイメントを提供し、そのままツンに向かって歩いた。
_
( ゚∀゚)「おれたちはこいつを育てなきゃいけないし、母さんも仕事が大変だから、部活レベルのバスケは高校からは続けられなくなると思う。ツンには自分の口から伝えたくてさ、でも何て言ったらいいかわからなかったし、こういう形になっちまったんだ」
ダサいのは悪いけど勘弁してくれよ、と自嘲の笑みで付け加えると、ツンはおれをまっすぐ見ていた。
ξ゚⊿゚)ξ「――そう」
_
( ゚∀゚)「そうなんだ。訊きたいことや言いたいことがあったらよろしく頼む。ツンにはそうする権利があるんじゃないかと思うからよ」
ξ゚⊿゚)ξ「――別に特別ないけど、そうね、高校はどうするの? バスケ部辞めるって言ってもあんたシタガクにいられるの?」
_
( ゚∀゚)「正直わからねェ! まだ誰にも言ってないからよ。これから言って、どうなるかだな。まァいられたとしても授業料免除とかはなくなるだろうし、適当な安い公立とかに転校するってのが現実的かな?」
ξ゚⊿゚)ξ「今中3のあんたが高1の4月からでしょ? それって転校って言わないんじゃないの、知らないけど」
_
( ゚∀゚)「ハ! それもそうだな」
なんだかこんな会話をプギャーさんともしたな、とおれたちは顔を見合わせて小さく笑った。
550
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 22:09:11 ID:nmTz5E9I0
それはおれの肩に乗ったモララーの高い笑い声とは違ってとても乾いた笑みだった。
表面を取り繕い、見かけ上の平和を場に成立させるためだけの笑いだ。おれもツンも心の底では微塵も笑ってなどいない。
これは嫌だな、とおれは思った。こんなものがおれとツンが作るべき空気であっていい筈がない。どうやら疲れ切った様子のモララーをおれは肩車から抱っこの形に移行させる。モララーがこの雰囲気を味わう前に寝かしつけたいと思ったのだ。
はっきり言って、反吐が出そうな空間だった。
そしてそれはツンにとってもそうだったのだろう。赤ん坊が寝ついたのを確認すると、ツンは目を伏せてゆっくりと深いため息をつき、顔を上げておれのことを睨みつけてきた。
ξ゚⊿゚)ξ「嫌ね、あんたとあたしで、こういう上辺だけのやり取りをするっていうのは。やっぱり見栄とか建て前とか、空気を読むとか言ってもしょうがないことは言わない方がいいとか、そんなことはどうでもいいから、あたしはあんたに訊きたいことを訊くことにする」
_
( ゚∀゚)「同感だな。ぜひそうしてくれよ」
ξ゚⊿゚)ξ「そうさせてもらうわ」
そう言うツンの目は怒りの炎に燃え上がっているようだった。おれが当然受け止めるべき感情だ。
551
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 22:10:12 ID:nmTz5E9I0
試合の勝敗を決定づける、クラッチタイムのボーラーのような顔をツンはしていた。
ξ゚⊿゚)ξ「あたしが訊きたいことはたったひとつよ。あんた、バスケを辞めたいの?」
_
( ゚∀゚)「――」
辞めたくはない。
反射的にそう思ったが、同時にツンには即答できない何かがおれにはあった。
_
( ゚∀゚)「――」
ツンはおれの回答を急かすことなく待っている。おれはそれが何なのかを漠然と考える。
それは母さんと話した家の事情がそうさせるのかもしれないし、シタガク高等部には進学せず自分で自分の進路を決めたプギャーさんとのやり取りがそうさせるのかもしれない。
それとも、もっと単純に、辞めたいわけではないと口では言っているだけで、おれはバスケットボールをそれほど愛していないのだろうか?
これはツンへの返答だ。
おれは、おれの本心か、もしくは本心に可能な限り近いところを、ツンに知らせなければならなかった。
552
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 22:12:56 ID:nmTz5E9I0
自分の腕の中ですやすやと眠る赤子の長いまつ毛をおれは眺める。いつまででも眺めていられる光景だ。
その寝顔から目を離し、おれはツンへと視線を向ける。
_
( ゚∀゚)「――辞めたくは、ねぇよ」
自然とそう言っていた。
_
( ゚∀゚)「辞めたいわけじゃないけどこれこれこういう理由で辞める、ってさ、聞こえがいいからそう思ってなくても言いやすそうなもんだけどよ、色々考えてみたが、やっぱりおれは辞めたいわけじゃあないと思う」
_
( ゚∀゚)「おれはバスケが好きだ。そりゃあ思い通りにならないことや練習がしんどいこともあるけどよ、それも含めてバスケが好きだな。続けられるなら続けてェ」
ξ゚⊿゚)ξ「――そう」
_
( ゚∀゚)「たださ、上昇志向っつ〜の? そういうのはあんまりないんだよな。プロになりたいだとか、バスケで食っていきたいだとか、そういうことは思わねェ。もっと上手くはなりたいし、良い試合もしたいんだけど、おれ、基本的にそこまで勝ちたいってわけでもないんだよ」
ξ゚⊿゚)ξ「あら、プギャーさんとの勝負の時はそんな感じじゃなかったけど?」
_
( ゚∀゚)「基本的に、だ。あん時は殺してやろうと思ってた」
そりゃあそういう時もあるけどさ、とおれは笑って言った。ツンの顔にも笑みが浮かんでいて、これはおれたちの間にあるべき本当の笑顔だな、とおれは思った。
553
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 22:14:43 ID:nmTz5E9I0
_
( ゚∀゚)「だから何ていうかさ、何が何でも高校バスケをやりてェ! ってわけじゃあないんだよ。辞めたくはない。ただ、このモララーや母さん、それとおれの状況を考えた上で、それでも続けたいとは思わないんだ。根性なしだと思うかもしれねェが、やっぱりこれがおれの本心だ」
悪いな、とおれはモララーの頭を撫でながら言う。ツンはまっすぐおれを見つめたままで、しかしその目は燃え上がっているようには見えなくなっていた。
元々そうだったのかもしれない。
おれの気持ちを黙って聞いていたツンは、その後でゆっくりと頷いて見せた。
ξ゚⊿゚)ξ「よくわかったわ。話してくれてありがとう」
_
( ゚∀゚)「おう、こちらこそだ。なんつ〜か、自分の気持ちを再確認できた。これまでも同じようなことは言ってきたけど、ツンにこの話ができてよかったよ」
ξ゚⊿゚)ξ「それは何よりね」
そう言うと、ツンはおれのそばに歩み寄ってきた。ジャージのズボンが擦れる音がする。
そしてツンはその手を伸ばし、おれの腕の中で寝ているモララーの頭を優しく撫でた。
ξ゚⊿゚)ξ「それじゃあ今度はあたしの気持ちや希望も言っていい?」
ツンはモララーの頭に手を添わせたままでそう言った。
554
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 22:20:26 ID:nmTz5E9I0
それを拒否する理由はどこにもなかった。
_
( ゚∀゚)「おう、もちろんだよ」
おれは言うことをすべて言ったのだ。今後の予定も報告済みだ。どんな恨み言をこの怪我でプレイの機会を失ったかつての優れたボーラーから言われようと耐えられることだろう。
たとえツンから嫌われようとも、おれがツンを嫌うことはないだろう。純粋にそう思えていたおれは、何でもウェルカムの気持ちでツンの発言を待つ。
しかしそれから言われたツンの提案は、そんなおれの都合や選択、そして覚悟のようなものを、すべて覆しかねないものだった。
ξ゚⊿゚)ξ「あたしはあんたにバスケを続けて欲しいと思ってる。そのためだったら、あたしにできることは手伝うわ。あんた周りの事情と状況をこれからあたしに詳しく教えて、続けられるかどうかを再検討しなさい」
それはおれに有無を言わせない口調だった。完全に想定外だ。
完全に面食らってしまったおれに、ツンはなおも言葉を続ける。
ξ゚⊿゚)ξ「辞めたいっていうなら別だけどね、そうじゃないなら続けてもらうわ。ああそうそう、それからね、せっかく一生懸命やるんだから、やるからには一番上を目指しなさいよね」
好戦的な笑みを口元に貼り付け、ツンはおれをまっすぐ睨んで言った。
つづく
555
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 22:21:16 ID:nmTz5E9I0
今日はここまで。
やっと高校生になりそうです
556
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 22:27:50 ID:zzkMgSvQ0
乙乙
557
:
名無しさん
:2021/08/13(金) 19:29:41 ID:4HUzFOGA0
面白い、続き楽しみにしてる
558
:
名無しさん
:2021/08/15(日) 00:26:17 ID:CUxe3TJg0
乙!今回の話特に好きだ
前回までと今回のバスケへの気持ち、幼児と中学三年生のボールの触れ方のギャップがな、なんというのか、もの悲しい
ツンちゃんに真剣に答えようともするし
あの(ドクオ視点で持っていた印象の)ジョルジュがなあ……
559
:
名無しさん
:2021/08/16(月) 18:05:11 ID:LrZe7obg0
中三であまりにも人間が出来すぎてる二人
560
:
名無しさん
:2021/08/24(火) 13:46:06 ID:g3wWDAPE0
みんな賢くて誠実で好き
続き楽しみ
561
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 21:50:35 ID:qnb9qrWE0
2-7.フリースロー
高校からはバスケを辞めるつもりだと語ったおれに反対意見を言う金髪にジャージの女の子は、強くて鋭い口調をしていた。
大きな瞳がおれを見ている。手を伸ばせば触れられそうな距離だった。
ドライブ突破をもくろむスラッシャーと、それを阻止するディフェンダーの距離感だ。この間合いからの視線に対する免疫がおれにはあった。そうでなければ目を逸らしてしまっていたに違いない。
しかし、その視線を受け止められはしたものの、ツンの反対意見に反論する余裕はおれにはなかった。
_
( ゚∀゚)「――な」
と、情けない音が口から漏れる。ツンはニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
ξ゚ー゚)ξ「ねえジョルジュ、さっきも言ったけど、辞めたいんだったら別に辞めてもいいとあたしは思うの。消極的な努力で何かを掴み取れるような甘い世界ではないと思うし、それではあたしの知りたいことは知れないしね」
_
( ゚∀゚)「知りたい、こと?」
ξ゚⊿゚)ξ「そう、あたしはどうしても知りたいの。このあたしの足が健康で、100パーセントの力でバスケを続けられていた場合、はたしてどのくらいのところまで到達できていたのだろうかということをね」
ツンはかつて事故に遭った方の膝にちらりと視線を送ってそう言った。
562
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 21:52:31 ID:qnb9qrWE0
ξ゚⊿゚)ξ「この足ね、医学的にはまったくもって健康な状態なんだって。主治医の先生にもリハビリの先生にもそう言われちゃった。それがどういうことだかわかる?」
_
( ゚∀゚)「――いや」
ξ゚ー゚)ξ「これ以上良くはなりようがないってことよ。何か問題があるならそれに対応して解決すればいいんだろうけど、問題がないっていうのなら、それはもう誰にもどうしようもないってことじゃない?」
もちろんあたしも含めてね、とツンは言った。口角は上がり気味であるものの、その奥歯が噛み締められているのがツンの小さな頬の表情からわかる。
ツンはゆっくりと大きく息を吸い、どこまでも深いため息をついた。
ξ゚⊿゚)ξ「こうしてちょくちょく試してはいるんだけど、だめなの。それがどうしてなのかはわからないけど、フルパワーでのステップをこの足は踏めない。たとえば頭で考えて、体を用意して、ヨーイドンでのドライブだったらイメージ通りの動きができるんだけど、状況を体とボールで判断してからゼロ秒で攻め込むことがわたしにはできない」
かつて怪我上がりのツンとやり合った時のことをおれは思い出す。ドライブをしかけてきたツンはその第1歩がうまく踏み出せず、滑って転んだようになっていた。その時もツンは滑ったわけではなく、足が出なかったのだと言っていた。
あれからずっとそうなのだろうか。
そうなのだろう。
これまで無意識的に想像してこなかったようなその日々を、試すたびにツンに訪れたのだろう絶望の数々を1度にまとめて突き付けられたような心地になって、おれはただツンを見つめることしかできなかった。
563
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 21:54:09 ID:qnb9qrWE0
ξ゚⊿゚)ξ「あたし諦めが悪くってさ、あれからもあんたには黙ってずっと練習してたんだ。黙ってたっていってもとっくにバレてたわけだけど、それでも改めて話す気にもならなかった」
_
( ゚∀゚)「――ひとりで、やってたのか?」
ξ゚⊿゚)ξ「まあね。時々女バスの先輩が付き合ってくれたりもしたけど、大体は」
ξ゚⊿゚)ξ「でも、やっぱりだめだった。色々やってはみたんだけどね。別に、右からのドライブがなくったって、そこのお前に負けるような気はしないけど――」
左足の大きな踏み込みで始まる右方向からのドライブは、ツンというボーラーが持つ、もっとも大きな武器だったのだ。ツンはその武器を使ってこの先どのようなモンスターを倒せるものかを楽しみにしていたのであって、自分から選択肢を放棄する縛りプレイをしたいわけではないらしい。
ξ゚⊿゚)ξ「あたしもね、試合の勝ち負け自体は結構どうでもいいの。口では色々言うけどね、結局あたしがバスケに求めるものは、相手のディフェンスを切り裂き試合を支配する快感よ。ま、それができたら大体勝っちゃうわけだけど」
ξ゚⊿゚)ξ「そしてあたしは知りたかった。このプレイスタイルがどこまで通用するのか、あたしが結構良いんじゃないかと思っているあたしのこの能力が、実際のところ、はたしてどれほど良いものなのか」
もう自分で調べることはできないけどね、とツンは言う。
ξ゚⊿゚)ξ「だから、あたしはあんたがどこまで行けるのかを見届けることによって、この好奇心を満たしたいと思っているのよ」
564
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 21:55:28 ID:qnb9qrWE0
_
( ゚∀゚)「――」
そんなことでその好奇心が本当に満たされるのかよ、というのが率直なおれの疑問だった。自分がどこまでやれるかなんて、自分がやらない限りわからないのではないだろうか。
それはもちろん今のツンに言えることではないけれど。
おれの腕で眠るモララーの柔らかい頭を優しく撫でる。そこにツンの右手が乗ってきた。
長年ボールを扱い続けた者が持つ、硬い手の平の小さな手だった。
ξ゚⊿゚)ξ「――怪我をする前、あんたとあたしは、ほとんど完全に同格のボーラーだったと思うの。もちろんプレイスタイルやスキルセットは違うけど、総合力のようなものを考えた時にね。あんたはそう思わない?」
_
( ゚∀゚)「――おれも、そう思うよ」
ξ゚⊿゚)ξ「ただ目で見たり経歴で知ったりしてさ、自分と誰かを同一視して満足するようなことはあたしにはできない。でも、あんたの場合は違う気がするの。ボーラーとしてのスキルもメンタルもフィジカルも、ある程度以上をわかった上で、あたしとあんたはあの時同格のボーラーだったとあたしは思う」
_
( ゚∀゚)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「そんなあんたがこの先どこまでやれるかというのを見て、あの日のあたしがあのままプレイを続けられたらどこまでやれていただろうかを考えるのは、それほどナンセンスなことではないんじゃないかと思うのよね」
ただの自己満足かもしれないけど、とまるで冗談のような口調でツンは付け加えたが、おれの手に触れるその手の平は熱かった。
565
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 21:56:51 ID:qnb9qrWE0
――ツンが、当時のおれとツンを同レベルだと考えていた。
何気なく伝えられたその評価は、おれにとっては心の底に響いてくるようなものだった。
モララーの髪の感触を手の平に感じる。そしてツンの手の熱気をおれは手の甲に受けていた。
おれは寝た子が起きない注意深さでそこから右手を抜き取り、ツンにモララーの頭を撫でさせた。かつてはおれと同じ大きさで、もっと昔はおれより大きかった筈の手だ。
中3になったツンの手は、おれのものより小さかった。
_
( ゚∀゚)「――母さんに、訊いてみるよ」
ξ゚⊿゚)ξ「そうして頂戴」
_
( ゚∀゚)「ちょっとこいつを抱いててくれるか?」
ξ゚⊿゚)ξ「モチロン、どうぞ。どうかした?」
_
( ゚∀゚)「帰る前にハンドリングとシューティングをしていきたいんだ。見てて気づいたことがあったら教えてくれよ」
ξ゚⊿゚)ξ「まかせなさい。――あんたも、バスケはあたしの分も、任せたわよ」
まあ任せておけよ、とおれは俯いたままでボールを拾った。
566
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 21:58:01 ID:qnb9qrWE0
○○○
ツンの申し出を聞いた母さんは、当初やんわりと拒絶の姿勢を取っていたが、そのツンも交えた面談で直接説得を重ねられると、最終的には首を縦に振ったのだった。
从'ー'从「う〜ん、仕方がないわねぇ。そこまで言われるとおばさんどうにも断れないわ」
从'ー'从「ぶっちゃけ、正直なところ助かるし」
ξ゚⊿゚)ξ「でしょう? あたしは役に立ちますよ」
从'ー'从「しかしどんどん世間体が悪い方向に行くわね、私たちのこの家庭はさ」
_
( ゚∀゚)「こりゃもう開き直るしかないってなもんよ。なァに、おれがバスケで成功しさえすれば、勝手に美談のひとつになることだろうさ」
从'ー'从「あとはモララーがグレなければね」
_
( ゚∀゚)「頼むぞモララー、おれと母さんとお前の未来は、お前自身にかかってる」
( ・∀・)「い〜ヨォ! ツンちゃんかたぐるまん! ちてェ!」
ξ゚⊿゚)ξ「あいあい。ツンちゃんかたぐるまんしちゃうよォ〜」
_
( ゚∀゚)「ひょっとして言ってることがわかったのか? しかし即座に交換条件を持ち出してくるとは・・」
賢いかどうかは別にして、既に素直なイイコとは程遠いのではないかという疑念を胸に抱きながら、おれは思いきりツンの世話になることにした。
567
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 21:59:11 ID:qnb9qrWE0
これが、初めておれがはっきりと背負った自分の外にあるモチベーションだった。
モチベーションと言うと聞こえが良いが、要するにしがらみだ。これまでも応援してくれるひとたちの声援やツンの視線、母さんの期待を背負いながらプレイをしてきたわけだったが、そのあたりと今回のツンの協力は、大きく性格が違っていた。
強制力のようなものがあるのだ。
おれはツンと約束をした。もちろんモララーの世話や家のことをまったくやらなくなるわけではないが、バスケットボールを今まで以上に最優先し、より優れたボーラーになることを。
この口約束に法的な効力はないことだろう。常識外れなことかもしれない。
しかし直接の影響が何もない常識なんておれにはどうでもいいことだったし、どうやらツンもそうらしかった。
ξ゚⊿゚)ξ「辞めたくなったらあんたからそう言いなさい。そしたらこの関係はおしまい、あたしは普通の女の子に戻ります」
_
( ゚∀゚)「太古のアイドルかよ。というか、それはそっちもそうだからな。嫌になったら言ってくれ、おれは気が利かねえからよ、言ってくれなきゃ絶対気づけねェ」
ξ゚⊿゚)ξ「そうは思わないけど、そうね・・ その代わりに今言っとくとしたら、変な気を回して遠慮なんかしたら、あんた、一生許さないからね」
_
( ゚∀゚)「おお怖」
568
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:00:24 ID:qnb9qrWE0
報告を受けたわけではないが、母さんはツンの親御さんとも何らかの話をつけたらしい。菓子折り持って挨拶でもしたのか、何か対価のようなものを払ったのか、それとも完全な好意に甘えまくったのかはおれは知らない。どれもあり得ることだった。
こうしておれは高等部に進学した後もバスケに集中できる体制を手に入れた。
そして、いつ、どのシチュエーションで言われたのかは覚えていないが、こうした話の締めくくりにツンは言った。
ξ゚⊿゚)ξ「せっかくだから、ジョルジュがこの先とっても頑張れるように、呪いの言葉をかけといてあげる」
_
( ゚∀゚)「頑張れる呪い? 励ましのお便りとかにしてくれよ」
というか呪いじゃ頑張れねえよ、とおれは軽口を叩いたのだが、ツンからの返答は決して軽くなかった。
どころか、場合によっては逃げ出したくなるほどの重たさだった。
ξ゚⊿゚)ξ「――あの事故のこと、ひょっとしたらあたし以上に忘れたことはないでしょうけど、もう一度だけ思い出させておいてあげるわ。あれはあんたのせいではまったくないけど、あの日からあたしは鋭いドライブを失って、もう2度とベストのプレイはできなくなった。自分の意志には関係なくね」
_
( ゚∀゚)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「だからあんたは、自分の意志で辞めたくなるまで、辞めることなんて当然できないと思いなさい。自分に嘘は吐けないでしょう? 何かを誤魔化したりなんかしたら、たとえあたしがそれに気づかなかったとしても、あんたがずっと苦しむことになるんだからね」
569
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:01:31 ID:qnb9qrWE0
その“呪いの言葉”に対してどういうリアクションをしたか、おれはよく覚えていない。
本当におれはこの時、そんなことをツンから言われたのだろうか?
たまにそんなことも考える。
あまりに記憶がおぼろげだからだ。考えてみれば、こんな罪悪感でおれを縛るようなことをツンがわざわざ言いそうな気もしない。
心のどこかに漂っている、あの事故でツンに庇われたと思っているおれの潜在意識や罪悪感のようなものが、白昼夢のようにおれに見せた幻なのかもしれなかった。
_
( ゚∀゚)「――に、してはリアルなんだよなァ」
自問したところで結論が出る筈もなく、おれにできることは結局ひとつだけだった。
より良いボーラーになることだ。
中学時代から十分な実績を積み、特待生として当然バスケ部に入部したおれは、1年生からベンチに入り、それなりのプレイタイムを与えられることとなったのだった。
そのチームにプギャーさんはいなかったが、代わりと言っちゃあなんだが、おれは対戦相手として凄いやつと遭遇した。
それは留学生の、クックルという名のボーラーだった。
570
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:02:39 ID:qnb9qrWE0
夏の大会が終わって3年生が引退し、おれが有力な先発ポイントガードとして自他ともに認められてきていた頃の練習試合だった。近隣の他県からわざわざ遠征してきたチームの中に奴はいた。
_
( ;゚∀゚)「なんじゃァこいつは」
初めてクックルを見た瞬間、思わずおれはそう呟いた。
( ゚∋゚)「――ヨロシク、オナシャス」
たどたどしい日本語でそう言うクックルは、そのすべらかで黒々とした皮膚越しにも見て取れる、隆々とした筋肉をその体にまとっていた。黒曜石のような体だな、とおれは思った。
おれだってスポーツマン、アスリートだ。それなりに筋トレも積んでいる。
しかし、一目で質が違うと思えてしまう肉体を、その留学生は持っていたのだった。
そこまで抜きん出て背が高いわけではない。それでも圧力のようなものをおれは感じた。
_
( ゚∀゚)「――冷静になって考えよう。スゴイ体をしているからといって、バスケが上手いとは限らない」
自分に言い聞かせるように心で呟く。そもそもこれは練習試合だ。勝つこと自体が目的ではない。その前提で考えれば、少なくとも良い経験にはなることだろう。
_
( ゚∀゚)「さあて、やつのポジションはどこだろな?」
しかし、そんなことをおれが考える必要はなかった。
明らかにクックルがおれのマークについていたからだ。
571
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:05:06 ID:qnb9qrWE0
高校生になってしばらく過ごしたおれの身長は170センチほどになっていて、これはボーラーとしては依然として小柄だが、ポイントガードとしてはごく平均的な身長だった。
クックルは180センチくらいだろうか。190センチはないだろう。すべてをどうとでもできる身長というわけではないけれど、そのムキムキの筋肉はビッグマン仕様にしかおれには見えない。
だからティップオフからこちらのボールになり、ドリブルを始めたおれは、自分に対峙しているようにしか見えない黒曜石の肉体を確認して驚いた。
_
( ゚∀゚)「ハァ? おれに来んのか?」
もちろんバスケのルールに誰が誰のマークに付かなければならないというものはない。身長2メートルのセンターがスピード系のスラッシャーに付くのも、逆も、すべては自由だ。
だから意外ではあったけれども理解不能というわけではなかった。ゴムを束ねて貼り付けて作ったようなモリモリとした肉体も、手足の長さもあってかそれほど重たそうには見えなかった。
そう。長いのだ。
_
( ゚∀゚)「・・こんなの初めて、なんじゃあねえかな?」
2メートルほどの身長をしたビッグマンとの対戦も高校生になってからは経験してきた。しかし、おれがこれまでに対峙してきたどのボーラーよりも、クックルの手足は長く伸びているようにおれには見えた。
572
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:05:56 ID:qnb9qrWE0
( ゚∋゚)「――」
_
( ゚∀゚)「――」
おれがボールを運ぶにつれて、クックルとの距離が近づいてくる。
おれの右手がボールを床に弾ませる。コートから反発してきたボールが見る必要もなくおれの右手に再び収まる。
一定のリズムだ。全身に血流を巡らせる心臓のように、おれはボールをコートに打ち付ける。
クックルとの距離が狭まっているのがピリピリと肌に感じられる。黒曜石の体をした留学生は、軽い前傾姿勢でおれが来るのを待ち構えている。やはりおれのマークに付くらしい。
おれは視界の中心にクックルを捕らえながら、その一方で、見るともなしにコート全体に目を向けていた。
味方の配置。
敵の配置。
バッシュの靴底が体育館の床に擦れて音が鳴る。
一定のリズムで鼓動するおれのドリブルが少しばかり低くなり、クックルの取る前傾姿勢が少しばかり深みを増した。
573
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:06:45 ID:qnb9qrWE0
_
( ゚∀゚)「お手並み拝見といこうじゃねェか」
バウンドを挟んで右手から左手にボールを送る。速度はそれほど出していないが、振り幅が大きく弾道の低いフロントチェンジだ。それに対する反応を見る。左手から右手にボールを戻す。
減点なしだ。
バランスの良い構え。鋭そうだが過剰ではない反応の気配。何より手足がきわめて長い。
良いディフェンダーなのだろうことがすぐにわかった。
_
( ゚∀゚)「しかし、他のディフェンスのポジショニングや動きにも大きな穴は見当たらない、と」
レッグスルーを交えて後退しながらディフェンスとの距離を取る。視線をゴールリングに軽く投げてやる。
スリーポイントラインを出たところ。そこからおれは1歩下がり、クックルは半歩ほどの距離を詰めてきた。
つまり、おれとクックルの間には半歩の距離が開けられた。
574
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:07:36 ID:qnb9qrWE0
_
( ゚∀゚)「そうかい」
それならこちらは、と頭で考えるより先に、おれの体が動いていた。
シュートモーションだ。
流れ落ちる水を逆再生するようなイメージでおれの体がボールを運ぶ。右手に茶色の球体が転がり、左手がそれを軽く支える。
クックルの驚いた顔。
お前の国にはこの距離からこのタイミングで試合開始のワンショットを撃ってくるガードはいなかったのか?
それでも反応した長い腕が伸びてくる。
_
( ゚∀゚)「「――しかし半歩、足りねぇなァ」
抜群の感触でおれの指を離れていったボールがリングに触れることなくネットを潜るのを、わざわざ目で確認する必要はどこにもなかった。
575
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:08:57 ID:qnb9qrWE0
○○○
奇襲が成功したからといっておれは調子に乗りはしなかった。
これはただの3点だ。重々承知。使えるとしたら、おそらく深く印象に残ったであろうおれのプレイ選択の傾向を、勝負所で逆手に取るためのカードとしての効果である。
開始直後のロングスリーを沈めたおれは、守備に戻りながらクックルの方に視線を向けた。
_
( ゚∀゚)「流石にガードはやらねぇか」
ボール運びをしてきたのはクックルではなかった。おれはそれを確認し、背中でマークの指示を聞いてポイントガードと対峙する。普通の体格。もちろんこいつも上手いのだろうけど、先ほどのクックルの印象がおれには強く残っていた。
_
( ゚∀゚)「クックルは――、と」
ボールマンに抜かれないよう細心の注意を払いながら、周辺視野と気配、味方や敵の発する音で状況を把握する。どうやら攻撃時のクックルはウィングプレイヤーとなるらしい。
何本かのパスが回され、何人かの選手が走り、やがてその留学生にボールが回る。
( ゚∋゚)「――」
おそらく向こうも最初からそのつもりだったのだろう。こちらの守備に大きな穴があれば当然そこを突くけれど、そうでなければとりあえずクックルをぶつけてみて、その反応を伺ってみようというわけだ。
576
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:09:48 ID:qnb9qrWE0
トリプルスレットの形でクックルがボールを保持する。1秒か、せいぜい2-3秒のことだっただろう。
その間もコート上のプレイヤーたちは完全に静止してはおらず、当然彼らのバッシュの奏でるスキール音が体育館に響いていた筈だ。
なのだが、クックルがその黒曜石のような腕でボールを掴み、ゆっくりと動かしている数秒間、世界から音が消えているようにおれには感じられた。
( ゚∋゚)「イクゾ」
と、宣言をされたわけではないけれど、いつもその形から始めているのだろうな、と思える構えをクックルは取っていた。
何をか?
もちろんドライブだ。
静から動。
単純なスピードだった。
特別大きなフェイントも入れず、流れるような滑らかさもなしに、クックルはディフェンスをいきなりぶち抜いていた。
577
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:10:34 ID:qnb9qrWE0
その時クックルのマークについていたウチの選手は決して悪いディフェンダーではなかった。
エースを封じ込め試合を決定付けられるような名手ではないかもしれないが、少なくとも弱点となってそこを突かれるべき選手ではない。安心して見ていられる。
筈だった。
_
( ゚∀゚)「――デカい!」
と、思わず呟いてしまう迫力がそのムーブには備わっていた。
正確には“デカい”というより“長い”のだろう。
1歩が大きい。
踏み出しの勢いとその巨大な1歩で、クックルは一瞬にしてマークマンを置き去りにしていたのだった。
2歩目の足が大きく出される。確かにスリーポイントラインの内側ではあるけれど、かなり深い位置からの仕掛けだった。なのに、クックルの速く大きな突進は、既にペイントエリアに到達しようとしていた。
そこにヘルプディフェンスが駆けつける。良い反応だ。留学生のビッグマンで明らかに異質な肉体をしていたクックルにはおれでなくとも注目していたのだろう。
適切なポジショニングのカバーをされ、クックルの突進が速度を緩める。
と、おれが思った次の瞬間、クックルは大きく動きを変えていた。
578
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:11:20 ID:qnb9qrWE0
_
( ゚∀゚)「スピンムーブ!?」
と、それを呼んでもいいものか、おれは一瞬ためらった。
おれが知っているスピンムーブとは動きのスケールが違ったからだ。
クックルはディフェンスを巻き込むようにしてぐるりと回転する進路を取り、どうやったって取られない位置にボールを保護して突破した。
これは確かにスピンムーブだ。しかしデカい。
動きとしてはおれにもできるあのムーブとは、まったく違った攻撃力をした動きだったのだ。
おそらく初見でこのスピンムーブを守るのは不可能だろう。
見た瞬間にそう諦めてしまうような速さとキレを、黒曜石の肉体が放っていた。
あのトリプルスレットの形から、結局何歩を使ったのだろう?
3歩か、4歩か。おそらくそのくらいの筈だ。
まるで最初からそうなることがわかっているような流れでゴール下に侵入すると、思い切り飛んでダンクを狙うわけでもなく、クックルはあっさりとボールをゴールに投げ入れた。
579
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:11:51 ID:qnb9qrWE0
リングをくぐったボールが床に跳ね、転々と静かに転がっていく。ゴール下から引き上げていくクックルの背中が大きく見える。
_
( ゚∀゚)「――いやはや、こいつァ」
まいったね。
素直におれは呟いた。
このワンプレイで軽く心を折られるやつもいることだろう。簡単に想像がつく。
それほど強烈なプレイだった。
心なしか、ウチのチームのビッグマンがボールを拾う足取りが重たいようにおれには見えた。
最初の守備でぶち抜かれたあいつはおれと目が合うと苦々しい笑みで肩をすくめた。
相手のチームの選手たちは得意げな顔で守備へと戻る。クックルは真剣な表情だ。
おれは。
自分でもわかる。
おれは、その時おそらく笑っていた。
580
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:12:42 ID:qnb9qrWE0
ぞわぞわとした、むず痒いような感触を背中に感じる。
おれの右手がボールを床に弾ませる。
心臓の鼓動を連想させる一定のリズムでボールが右手に返ってくる。
選手によっては浮足立っていそうなチームメイトに声をかけるタイミングなのだろう。日頃の練習で訓練している決まった動きをそれぞれに指示し、ゆっくりと時間をかけて丁寧に1本のゴールを目指していくに違いない。
ド派手なダンクだろうと、信じられないような身体能力を駆使したドライブだろうと、もしくは苦し紛れに放ったタフショットだろうと、スリーポイントラインの内側からのシュートはもれなく2点の価値しかないからだ。慌てる必要はどこにもない。
そんな、頭では誰もがわかっている事実やルールを、見える形で見せてやれる能力がポイントガードには必要とされる。
そんなことはおれにもわかっていた。
凄いプレイを見せられたからといって、こちらがそれに対抗する必要はどこにもないのだ。
_
( ゚∀゚)「まァでも練習試合ですからね」
チームや試合を落ち着かせてどっしりと構えるか、あいつやあいつらに舐められないようにこちらもガツンと食らわせてやるか。
おれはボールを強く弾ませる。おれに対峙するのは、やはりというかクックルだった。
581
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:13:51 ID:qnb9qrWE0
しかしバスケはチームスポーツだ。おれが1対1をひたすらやり続けるわけにはいかない。
プレイの決定権はボール保持者、多くの場合はポイントガードにあるわけだから、かえって自分勝手な選択はできないのだ。おれもその辺はわきまえている。
だからおれはパスを回した。そしてオフボールムーブを始める。おれからもらったボールを保持するビッグマンを追い越し、走り、おれのマークについているクックルがどのように付いてくるのか、それともどこかで付いてこなくなるのかを観察してやる。
クックルはおれに付いてきた。
何が何でもボールを持たせない、といったような付き方ではない。おそらく自分の瞬発力と俊敏さ、そして判断力に自信があるのだろう。少し余裕を持ったマークで、おれにボールが戻ってくれば1対1で守ってやろうと思っているし、ヘルプに行こうと思えば向かえるような距離感だ。
味方の体を利用してオフボールスクリーンにかけてやろうともしたのだが、クックルは巧みなステップでスクリーンをかわし、おれにしっかりと付いてきた。
_
( ゚∀゚)「やるじゃん」
と、賞賛の声をかけてやる。クックルはそれには答えず、再び戻ってきたボールを受けたおれを正面に捉え、睨みつけるようにして対峙した。
582
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:14:51 ID:qnb9qrWE0
一瞬の静寂。小さくジャブステップを入れたおれのバッシュがコートの表面をキュキュッと鳴らす。
_
( ゚∀゚)「――」
( ゚∋゚)「――」
おれたちは無言の空間をふたりで挟み合っていた。
彫刻刀で雑に掘ったような肩筋から伸びる腕の長さを改めて眺める。一体どの体勢からどのように伸びてくるのか、想像しきれないような長さだった。
おれの取るべき選択肢は大きく分けてふたつある。その腕の長さが届かないところで戦うか、それともボールを掠め取られる危険性を負ってでも接近戦を挑んでいくか。
対戦を避けたわけではないが、先ほどのやり合いでは距離を取ってロングスリー、という選択をおれはした。他のパターンも見せておいた方がいいかもしれない。
ボールをついてリズムを作る。低いドリブルで細かくボールを動かすと、クックルはそれに対応して小さくポジショニングを微調整した。やはりその動きは適切で、クックルが優れたディフェンダーであることをおれは再認識する。
レッグスルーから1歩下がる。視線をゴールに向けてやる。1回目のやり合いと同じような動きだ。
クックルは、今度はきっちりおれが下がっただけの距離を詰めてきた。
583
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:15:40 ID:qnb9qrWE0
_
( ゚∀゚)「お、学習してんじゃん」
そんなことを空気で呟くおれが見ているのは大きなクックルのさらに奥、ヘルプディフェンスの配置と色だ。まだ情報が不十分で精度は低いが彼らの色の濃淡を感じ取る。
プレッシャー。
クックルの腕が小さくこちらに伸びてきたのだ。
_
( ゚∀゚)「フェイントやろがい」
おれにはそれがわかっている。おれがそれをわかっているということを、クックルもわかっていることだろう。隙ができない謙虚なサイズのプレッシャーだ。おれの反応を試しているのだ。
おれは小さくボールを引くようにして、適切な位置でボールを弾ませた。
自然と軽い半身になる。その動きをそのまま利用した背面からのパスが可能になる体勢だ。
そして動きにならない小さな気配だけで首をチームメイトに振ってやった。プレッシャーを逆手に取ったタイミングでのパス出しからの、ディフェンスの虚をつくオフボールムーブ。優れたディフェンダーとしての経験がそれを頭のどこかに連想させることだろう。
そんな条件反射的な思考が彼らの脳に達するより先に、俺は低いドライブでクックルの脇を切り裂いた。
584
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:17:07 ID:qnb9qrWE0
技術としてはハーフスピンと呼ばれるようなムーブだ。ディフェンスに背を向けボールを保護する体勢や、背後からのパスを相手に連想させ、その瞬間に100の力で加速する。
それをクックルにぶつけてやった。
初見だ。お前のスピンムーブは驚くべきスピードとサイズで初見で対応は不可能だろうが、おれのハーフスピンにお前は初見で付いてこれるか?
_
( ゚∀゚)「ヘルプが遠いことは確認済みだ」
おれはそのためにクックルの奥にまで目を向けたのだ。
弧を描くような軌道でコート上を旋回してやる。ただちにクックルが反応し、付いてこようとするのだが、おれは既に加速を終えている。
いかにクックルのスピードが優れていて、加速も早く、機敏な動きができようが、これから動き始める体でこのドライブを許さず止めるのは不可能だ。
左肩の後ろにクックルを感じる。突破を阻止はできなかったが、それでもシュートを妨害するつもりなのだろう。プレッシャーをかけ、ミスは見逃さないようにして、シュートのクオリティを下げようとしている。あわよくばブロックを狙える身長差と身体能力がクックルにはある。
585
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:18:25 ID:qnb9qrWE0
しかしおれにも十分な経験があった。
_
( ゚∀゚)「こちとらチビ助出身でしてね」
自分よりはるかに巨大なディフェンスをおれは相手取っていたのだ。その感覚がおれには身についている。
ひとつシュートフェイントを織り交ぜて、伸ばした腕からダブルクラッチ気味にボールをボードに当ててやる。当たらなかった。
_
( ゚∀゚)「なにッ!?」
思わず驚愕の声が出る。
_
( ゚∀゚)「お前の位置からじゃあ絶対に手が届かない筈――」
ミニバスを始めた頃のおれは自分より圧倒的に大きなサイズのディフェンスを日常的に相手にしていた。その中で培われていた感覚なのだ。確かにブランクはあるけれど、それでもなお絶対的な自信がおれにはあった。
そんな絶対的な自信を軽く飛び越え、その黒曜石の肉体は、シュートの中でボールがおれの手を離れた瞬間、それをボードに叩きつけるようにしてブロックしていたのだった。
( ゚∋゚)「ソッコウ!」
そしておれが着地しディフェンスのことを考えるより先に、クックルはボールを拾って駆け出していた。
586
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:19:17 ID:qnb9qrWE0
_
( ;゚∀゚)「嘘だろオイ・・」
思わずおれは呆然とした。
なにもレイアップシュートをブロックされたのが初めてだったわけではない。
驚きのカバーリングからシュートを阻止された経験もおれにはある。
しかし、想定の中にいるプレイヤーに予想外の動きをされ、確信を持っていたシュートをこれほど見事に阻止されたのは、正直言ってまったく初めてのことだったのだ。
_
( ;゚∀゚)「――マズい」
と、おれは本能的に察知する。平常心を失っていた。
ポイントガードは決して平常心を失ってはならない。どれほど熱い試合だろうと、理想的な展開だろうと、その逆にボコボコにやられていようとも、頭の中の中核の部分は常に冷めさせていなければならないのだ。でないとゲームをコントロールすることなどできやしない。
ドライブの1歩目でぶち抜かれたウィングのあいつや、スピンムーブに蹂躙されたうちのビッグマンは、あの時こんな気持ちでいたのだろうか?
おれが自陣に戻るよりも早く、クックルたちの速攻はそのままの勢いで2点のショットをざくりとリングに通していた。
587
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:19:50 ID:qnb9qrWE0
依然としてハーフラインのあたりにいるおれと戻ってきたクックルがすれ違う。一瞬だけだが視線が交わる。
_
( ゚∀゚)「――」
( ゚∋゚)「――」
クックルの顔。いくら平常心を失っていようとも、この目をおれから逸らすわけにはいかなかった。
歯を食いしばってクックルの真っ黒な瞳を睨みつける。やがてクックルは適切なマーク位置まで移動していき、自然とおれたちの睨み合いは解消された。
自陣からボールが運ばれてくる。
おれの代わりにシューティングガードでプレイする先輩がドリブルをついて上がってきたのだ。そしてパスがおれに渡される。ドンマイドンマイ、と先輩が声をかけてくる。
気にするな、なんならもう1回行ってみろよ、と言っているのだ。
_
( ゚∀゚)「――気に、するな?」
そんなわけがないじゃあないか。
おれはその時その瞬間、その言葉が耳に入るなり、なぜだか猛烈に腹が立っていた。
588
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:22:25 ID:qnb9qrWE0
_
( #゚∀゚)「ぶふぅ〜」
ボールを保持し、トリプルスレットの形で息を口から逃がしてやる。クックルがおれに対峙している。腹に渦巻くのは怒りのような感情だ。その場で叫びたいような気分だった。
怖かったのだと思う。
何がか?
もちろんクックルの能力は恐ろしいものである。
だが、そのクックル自体というよりも、規格外の存在に直面した瞬間のこのおれが、その困難に闘志を燃やすのではなく恐怖にのまれることの方が怖かった。
優れたボーラーでいたいのならば、決して相手のプレイに心を折られてはならないのだ。平常心を失わず、体は熱く頭は冷たくプレイをするのが良い選手というものだろう。
優れたボーラーになる予定のこのおれが、相手にちょっと良いプレイをされたからといって、それを気にする筈がないのだ。あってはならないことなのだ。
_
( #゚∀゚)「――」
無言でクックルを睨みつける。怒りは恐怖に打ち勝つための有効な手段だ。平常心にはほど遠いかもしれないが、それでも腕が縮こまってしまうよりは万倍マシだ。
クックルは両手を伸ばした前傾姿勢でおれの視線を受け止めていた。
589
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:23:14 ID:qnb9qrWE0
バランスの取れた良い構えだ。どこにも隙が見当たらない。こんな空気で対応されてはかえって冷静さを取り戻してしまうというものである。
_
( ゚∀゚)「パスするか?」
そんな考えが頭をよぎる。なにもこの場面でパスを選択したからといって逃げたことにはならないだろう。バスケはチームスポーツなのだ。おれが1対1でどんなやり合いをするかなど、言ってしまえば誤差の範囲だ。
しかしパスはしなかった。
逃げたくなかったわけではない。パスをすべきだとおれの体が判断したのなら、もうパスをしている筈なのだ。頭でどうしようかと考える余地があるということは、パスをすべきではない局面なのだ。少なくともそれはおれのプレイではない。
とはいったものの、パスをしかねないタイミングではあったのだろう。なんせおれ自身もそう思ったくらいだ。その雰囲気はおれの周囲の色をわずかに変えていた筈だ。
ディフェンス。
おれのパスを咎めようとしているのがわかる。
それがわかった瞬間には既に、おれはボールを強くついていた。
590
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:24:13 ID:qnb9qrWE0
パス動作の初動によく似たモーションからおれはドリブルを開始していた。
先ほどまでの雰囲気とその動き出しで、いくらかタイミングを外せた筈だ。クックルの反応はやはり適切で、しかし適切な範囲の反応はしている。ニュートラルな、隙のない構えとはわずかに異なる。
その少しの偏りをほんの少しだけ積み重ねさせてやる。右手から左手にボールが動き、おれのステップがクックルに迫る。思考する時間は与えない。
( ゚∋゚)「――!」
自分の重心がわずかに偏っていることにやつは気づくことができただろうか?
クックルは優れたバランス感覚でただちにその偏りを解消させることだろう。しかし、そのためには、反応のソースをいくらかをそちらに割かなければならない筈だ。
時間にしても運動にしても大したことのない量だ。ほとんどゼロといってもいいだろう。気づかれることもないかもしれない。
しかしおれには見えていた。
その発見した1点に、おれはすべてのエネルギを注ぎ込むようにして突っ込んでやったのだ。
591
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:25:08 ID:qnb9qrWE0
最終的にブロックしたとはいえ、突破を先ほど許してしまったクックルの反応は何ならさっきよりも鋭かった。ちまちまとした駆け引きなどすべてを無にする身体能力がやつにはあるのだ。
1歩。
おれが十分な加速を済ませるより先に、クックルはおれの進路を妨害していた。このままおれが体ごと突っ込み激突すれば、おれのファウルになるかもしれない。
敵ながらほれぼれするようなディフェンスだ。
ただし、おれにはそのまま突っ込むつもりはなかった。
_
( ゚∀゚)「そうかい」
と、目線でクックルに言ってやる。無表情だったやつの顔にわずかな焦りが見て取れた。
(; ゚∋゚)「――ッ!」
_
( ゚∀゚)「何か都合の悪い思い出でもあるのか?」
コートとバッシュの奏でるスキール音でそう訊いてやる。この摩擦は全力の加速を生み出すためのものではなく、最大限の減速でおれの体をその場に停止させるためのものだ。
停止の動作でついでに1歩の距離を後退してやる。そこはスリーポイントラインの外だった。
592
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:26:08 ID:qnb9qrWE0
目線をリングに向けてやる。ほれぼれする動きでドライブに対応していた黒曜石の肉体が、今は追いすがるようにしてこちらの方へと伸びてこようとしているのがおれにはわかった。
目線の上げ下げと重心移動。そして間接視野でコートの状況を把握したおれは、そのままシュートモーションを作ってやった。
クックルは流石のスピードと敏捷性で、完全に後手に回った筈なのにシュートチェックを無理やり間に合わせてきた。おれの右手がボールを支え、左手を添えるようにして上昇するその動きの先に長い左手を伸ばしてくる。
_
( ゚∀゚)「その、無理やり伸ばした左手だ。おれはそいつが欲しかった」
(; ゚∋゚)「!?」
ピタリとボールの上昇が止まる。なぜか? もちろんおれが止めたからだ。
何のために?
もちろんその不適切なディフェンスを、はっきりルール違反だと咎めさせてやるためだ。
シュートフェイクに完全に引っかかったクックルのその腕が、ファウルに取られる形となるようおれはシュートモーションを丁寧に作り直した。
593
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:27:12 ID:qnb9qrWE0
審判の笛が高く鳴る。クックルのファウルが宣告される。
そうして2本のフリースローがおれに与えられた。
_
( ゚∀゚)「こちとらチビ助出身でしてね」
ルールを正確に理解し利用するファウルドローはかつてのおれの主な得点源だったのだ。試合に長く出るようになってからは多用しなくなってはいたのだが、大切な技術のひとつとしてプレイの選択肢にはいつも入れている。
_
( ゚∀゚)「視線と重心移動を使ってのシュートフェイクで、そこから改めてぶち抜いてやってもよかったんだがな」
先ほどのハーフスピンの時とは違って、今回はヘルプディフェンスの配置がおれにとってイマイチだった。
ただそれだけだ。
( ゚∋゚)「――」
クックルが無言でこちらを見ている。おれはそれにニヤリと笑ってやった。ドンマイ、と声をかけてやらないのは、過度な挑発行為と取られてファウルを食いたくないからだ。
_
( ゚∀゚)「ふゥ〜」
止まった試合の中でコートの周囲を眺め渡す。観客席にツンがいた。
そして、その金髪のツインテールを見た瞬間、おれは先ほど自分が感じていた恐怖の根源が何なのかを痛烈に理解した。
594
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:29:19 ID:qnb9qrWE0
元来おれにとってのバスケは挑戦の連続だった。理不尽なほどに思える体格さや身体能力、上下関係などの諸々と共におれのボーラーとしてのキャリアは構築されている。
いつ辞めたくなってもおかしくないようなボーラー人生だったし、いつ辞めたくなってもそれはそれで構わないようなボーラー人生だった。続けていたのは、単純にバスケが好きだったのと、おれが上手にボールを扱うと母さんが笑いかけてくれたから、そして何かとタイミングが良かったというのがほとんどだろう。
試合に勝ちたいとは思う。しかしおれは勝つためにやっているわけではないのだ。何かを勝ち取るためにやっているわけでもないし、どちらかというと、本気でそういうことを考えるのならばもっと効率的な道が他にあるんじゃないかと思ってしまう。
仲間のためにというのはあるだろう。特にミニバス時代のツンとの相棒関係のようなものは、おれにとって非常に大きな経験だった。あれほどのパートナーにはそれ以後巡り合っていない。
当然と言えば当然だろう。そこにはきっと思い出補正も入っている。
そして、そんなツンはボーラーとしてはもういない。
その代わりにいるのは、おれの代わりに弟の面倒をみてくれている、相棒というよりスポンサーのような性質をしたツンだった。この日も母さんの都合が悪ければモララーの世話をしていた筈だ。
595
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:31:06 ID:qnb9qrWE0
どうしてこんな気持ちになるのかうまく説明できないのだが、ツンとの今の関係性に、世知辛さのようなものを感じていることにおれは気がついたのだった。
ひょっとしたら、それはツンに対してだけではなくて、バスケにも言えることかもしれない。
授業料を免除され、様々な補助を受けられる特待生としての待遇をおれは学校から受けている。今後もうまくやれたら色々なところから色々なことをやってもらえることだろう。
それらはどれも間違いなくありがたいことなのだけれど、おれはどうしてもそこにわずかな世知辛さを感じてしまうのだ。
_
( ゚∀゚)「――おれはひょっとして、この世界が向いてないんじゃないか?」
そんなことを考えかけて、おれは首を振って強くそれを否定した。
ツンがバスケに向いていない筈がないからだ。
フリースローラインに立つ。ボールが審判から渡される。
静寂。
試合の時計が止められているフリースローの時間の間、おれはコートの上にいながらも試合に入り込めなくなっている自分に気づいた。
596
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:32:32 ID:qnb9qrWE0
_
( ゚∀゚)「――嫌な、感じだな」
ボールを床に弾ませてやる。
これまで想像もつかない回数を繰り返してきたその行動が、まるで初めてのことのように感じられた。ボールが手に馴染まないのだ。
_
( ゚∀゚)「――」
どこかふわふわとした気分の中、しかしおれはフリースローを規定の時間内に放たなければならなかった。
大丈夫、大丈夫、と声に出さずに自分に言い聞かせてやる。ゆっくり息を吸ってゆっくりと吐く。しかしおれにはとっくにわかっていた。
_
( ゚∀゚)「大丈夫と言い聞かせないといけないってことは――」
それはもう、決して大丈夫なんかじゃないのだ。
そしておれはそのフリースローを2本連続で失敗させた。
おれの記憶にある限り、自分なりにフォームを固めてフリースローが打てるようになってからというもの、2本得たフリースローを両方外すというのはこれが初めてのことだった。
そしてこの日を境に、おれはフリースローの時間に対して決してぬぐえぬ苦手意識を持つことになったのだった。
つづく
597
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 22:34:04 ID:qnb9qrWE0
今日はここまで。
お祭り楽しみですね。応援しています!
598
:
名無しさん
:2021/09/30(木) 23:06:49 ID:ew.Eyn4Q0
乙、今回は特に名作回だな
599
:
名無しさん
:2021/10/01(金) 20:03:42 ID:ypiMeZDc0
乙!クックルとの駆け引きめちゃくちゃ熱かった!
フリースローが今に至るまで苦手なの、とても納得がいったわ
ドクオとの関わりで何か変わるのかどうか……今から楽しみ
600
:
名無しさん
:2021/10/01(金) 20:26:43 ID:fruwS9V.0
あー今回も最高 乙です
601
:
名無しさん
:2021/10/05(火) 22:48:37 ID:ghV9kLrg0
とてもわかりやすい文章でとてもおもしろい展開
602
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:22:51 ID:X6k0hi660
2-8.長岡と高岡
ちょっとフリースローが入らなくなったからといって、何も変わりはしなかった。
練習のメニューとしてのフリースローは決して下手なわけではないのだ。おれはシュート自体は得意な方で、スリーポイントラインから数メートル離れたところからのロングシュートも悪くない確率で決められる。
普通にしてれば誰もおれのことをフリースロー苦手マンだなんて、思いつきもしないだろう。
_
( ゚∀゚)「こりゃひょっとして、自己申告でもしなけりゃバレることないんじゃねぇかな?」
なんてことも考えたほどだ。
だって本番のフリースローは本番でしか打つ機会がない。練習のフリースロー・ドリルではしっかりと決めて見せ、非公式の試合では「ちょっと思うところがある」なんて言って接触プレイを避けて進み、本番では今のおれにできる限りの成功率でスローする。たまたまフリースローが全然入らない試合がいくつ続いたら世間が疑ってくることだろう?
_
( ゚∀゚)「卒業、引退まで逃げ切れやしねぇかな〜?」
まんざら不可能な話ではないんじゃないかとおれは思っていたのだが、自分がフリースロー苦手マンになったと確信した次の練習試合を0本中0本のフリースロー成功率でやり過ごした直後におれは、ツンから呼び出しを食らったのだった。
ξ゚⊿゚)ξ「何かあったの? 」
と、ツンはもっともこの時のおれが困る質問をシンプルに投げかけてきた。
603
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:23:39 ID:X6k0hi660
まさかこんなに早く咎められるとは思っておらず、おれは思いっきり挙動不審な反応をした。仮に浮気でもしたとして、その直後にあっさりと恋人から問い詰められたらこんな気持ちになるのかもしれない。
_
( ;゚∀゚)「な、何って・・ 何がだよ!?」
ξ゚⊿゚)ξ「だからそれを訊いてんでしょうが。あんたね、あんないつもと違ったクオリティの低いプレイをしといて、あたしが気づかないとでも思ったの?」
_
( ;゚∀゚)「別に勝ったし! 今おれ、ちょっとドライブに頼らないプレイを模索してんだよ」
ξ゚⊿゚)ξ「模索ね。あんたそもそもドライブに頼ってなんかいないでしょ、なんならクラッチタイムの強引な突破はもっと磨いた方がいいくらいだと思うけど」
_
( ;゚∀゚)「うぐう」
ξ゚⊿゚)ξ「・・で? 何があったの? ひょっとして、怪我でもしてんじゃないでしょうね」
ツンの視線がおれの体を頭から足の先まで舐めていく。怪我の可能性はお互いにとって否定しておかなければならないことだった。
604
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:24:44 ID:X6k0hi660
_
( ゚∀゚)「怪我は、してねえ!」
ξ゚⊿゚)ξ「怪我は、ね」
ふうん、とわざとらしい相槌をツンはつく。おれは責められているような気になった。
_
( ;゚∀゚)「な、なんだよ!?」
ξ゚⊿゚)ξ「なんだじゃないでしょ。何なのよ?」
_
( ;゚∀゚)「――」
絶句してしまったおれは何と言えばいいものかとしばらく考えてはみたのだが、言うべきことを思いつく前にあっさりと観念をした。
おれがこの女からその場で言い逃れをするなんて土台無理なことなのだ。
_
( ゚∀゚)「――いやさ、フリースローが入らんのだわ」
ξ゚⊿゚)ξ「はあ?」
思い切って正面から打ち明けてみたおれに対してツンはポカンと口を開けた。
605
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:25:31 ID:X6k0hi660
ξ゚⊿゚)ξ「あ〜、確かにあんた最近、フリースローをよく外すわね」
_
( ゚∀゚)「うお、わかんのかよ」
ツンの反応におれは驚く。実際におれがフリースローを目立って外したのはクックルとやり合ったあの1戦と、次の練習試合くらいのものだったのだ。
どちらも「フリースロー苦手マンになってしまった」という確信的な実感とは違って数字上の調子はそこまで悪いものではなかった。だからおれはこのまま隠し通すこともできるのではないかと思っていたのだ。
それを、ツンはあっさりと看破してきたというわけだ。下手に言い逃れをせず正直に打ち明けたおれの選択は間違っていなかったことだろう。
ただし、選択が間違っていないからといって、この先のやり取りが簡単になるわけではない。ツンは当然その不調の原因を知りたがるに違いないからだ。
ξ゚⊿゚)ξ「たまたまだろうと思ってたけど、そうじゃあないの? 何かあるなら言ってみなさいよ」
相談くらいは乗れるわよ、と、できっこない相談をツンはもちろん要求してきた。
606
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:26:22 ID:X6k0hi660
_
( ゚∀゚)「いや、何かあるってわけじゃあないんだけどよ、なんだか最近変な感じなんだよな」
ξ゚⊿゚)ξ「フリースローの時だけ?」
_
( ゚∀゚)「――だな。妙に素に戻って集中力が途切れるっていうかさ。ちゃんと集中しろよと自分で思いはするものの、意識したらかえって気になっちまうんだ」
ξ゚⊿゚)ξ「――」
_
( ;゚∀゚)「まあでもそのうち治まるだろうからさ! それまでちょっぴりプレイスタイルを変えてみてんだ。気分転換っていうかさ」
そのようにジェスチャーを交えて語るおれをひんやりと見つめ、ツンは小石を投げるように呟いた。
ξ゚⊿゚)ξ「――それ、イップスってやつかもしれないわね」
_
( ゚∀゚)「いっぷす?」
ξ゚⊿゚)ξ「野球やゴルフでの話が有名なんだろうけど、ある特定の場面で思い通りに体が動かなくなるような症候群のことよ。精神的なストレスとかプレッシャーが原因と考えられる場合が多いんじゃないかしら」
_
( ゚∀゚)「――いっぷす」
その何とも耳に慣れない不思議な響きの単語をおれはゆっくりと繰り返した。
607
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:26:49 ID:X6k0hi660
ξ゚⊿゚)ξ「まあでもわかんないわね。あたしもそこまで詳しいわけではないし、少なくとも動画で見たことのあるザ・イップスって感じの症状とあんたは違うと思う」
言われなきゃわからないくらいだし、とツンは続ける。おれはツンに言われるままに動画で典型的なイップス症例を確認した。
ぎこちない。という言葉では表しきれないぎこちなさがそこにはあった。
動作の途中で強制終了をかけているような不自然さで、本能的な恐怖を見ている者に感じさせる動きだ。手に冷や汗をかいているのが自分でわかる。
_
( ;゚∀゚)「これは――ヤバいな」
ξ゚⊿゚)ξ「でしょ? あんたのフリースローにこういった気持ち悪さはないから、イップスだとしてもたぶんまだ軽症なんでしょうね。だからちょっとフリースローと距離を取るっていうのは、ひょっとしたらアリなのかも」
知らないけど、と保険の言葉を付けたしながらツンは言った。
おれはそれに素直に頷く。そして頭にぼんやり浮かべて考える。
このおれのフリースローに対する意識がイップスと呼ばれるものかどうかは知らないが、その原因がおれにはわかっているのだ。
そしてそれはおれにも誰にも、どうしようもないことだった。
608
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:27:23 ID:X6k0hi660
○○○
問題は他にもあった。
元々あった問題が誤魔化しきれなくなってきたと言った方が正確かもしれない。
それはやはりというか、モララーの世話だった。おれたちにとっての高校1年生の冬にめでたく3歳児になったモララーは、正式に幼稚園通いを始めていた。
それまでの2歳児クラスは行くも行かないもかなり適当で、母さんやツンの都合によってどうするかを都度決めていたようだった。それがそれなりにカリキュラムのようなものを用意されることになり、体調不良などのちゃんとした理由がなければ気楽に休むこともできないし、その逆に「やっぱり今日もお願いします」とメッセージひとつで預けることもできなくなるようなのだ。
从'ー'从「いやあ、これはなかなか、大変ですね。母数が増えるから仕方ないとはいえ」
ξ゚⊿゚)ξ「本当に」
从'ー'从「時間がな〜 預かり保育がもうちょっと融通効けばいいんだけど、なんか微妙に短いんだよね」
ξ゚⊿゚)ξ「17時半回収がマストって、定時で上がってもギリギリですよね?」
从'ー'从「まあ保育士さんたちも帰らなきゃならないからね、それでも2時間以上延長しているわけで、頑張ってはくれてるんだろうけど・・」
当日中に処理しなければならない仕事が降ってきても残業できないのはかえってつらい、と母さんは深くため息をついた。
609
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:28:10 ID:X6k0hi660
それは母さんとツンが月1回ほどの頻度で行っている『モララー子育て作戦会議』でのやり取りだった。定期的に意見交換する場を設けなければ言いたいことを言えずに不満が溜まってしまうかもしれないという危惧の元、上等なケーキとミルクたっぷりのカフェオレをお供に行われる催しだ。
意見交換というより、年頃の女の子とキャッキャウフフお喋りしたいという母さんの欲望によって開催されているような気がしてならない。
ξ゚⊿゚)ξ「あら、大事よ、お喋りは。世のストレスの大半は綺麗なお姉さんとお喋りしてたらどこかに行っちゃうんだから」
从'ー'从「あらお姉さんなんて、嬉しい。ふふふ」
_
( ;゚∀゚)「ふふふ、じゃねェよ気色悪いな」
そうした同級生の女友達と母親がお喋りするという強烈な空間は、おれにはどうにも耐え難いものだった。
だからおれは自然とモララーの世話をする担当としてその会議に参加する形に落ち着いた。おれに発言権はほとんどない。この家庭内で他におれにもできる仕事といえば、力のいるゴミ出しや水回りの掃除、買い物なんかがせいぜいだった。
ひとりでできるバスケの練習は内容がひどく限られる。加えておれはチームの中心選手になろうとしていたので、部活を休むこともどんどん難しくなっていたのだ。
610
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:28:41 ID:X6k0hi660
時間の融通が難しくなっていたのは母さんも、そしてツンも同様のようだった。
なんせツンの志望は医学部進学だ。おれには想像もつかないほどの、並々ならぬ勉強態度が必要となることだろう。おれたちが高校2年生となる頃には綱渡りのようなタイムマネージメントで生活と子育てをなんとか成立させているような有様だった。
ξ゚⊿゚)ξ「この日のこの講義はどうしても聞きたい・・ その前後はいらないとして、予備校までの距離を考えると、お迎えは無理ですね。すみません」
从'ー'从「わかった、それじゃあ一旦早めに病院を出て、お尻を回収して仕事に戻るわ。自分のデスクでお絵描きでもさせとく」
ξ゚⊿゚)ξ「あ、それじゃあ、授業終わったらそっちに迎えにいきましょうか? お家に帰してお風呂とご飯はやっときますよ。ジョルジュが帰ってきたら交代で。いいわね」
_
( ゚∀゚)「おっけ〜。モララー、母さんとこでいい子できるか?」
( ・∀・)「任せてン。モララーいい子よ!」
从'ー'从「こころづよ〜い。いつもそれに裏切られるけど!」
( ・∀・)「あいあい、裏切るよォ!」
_
( ;゚∀゚)「褒めてねえんだよ。裏切るな」
と、まあこんな調子だ。
611
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:29:18 ID:X6k0hi660
そうしたわけで、意外と何とかやっていけるもんだなと思っていたものだったが、ついにはどうにもならない事態となった。
それぞれにマストの、動かし難い用事が入る日が奇跡の一致をみせたのだ。
从'ー'从「・・・・」
ξ゚⊿゚)ξ「・・・・」
_
( ゚∀゚)「・・・・」
从'ー'从「私はこの日、システム改修の立ち合いがあって、どうせ一発で上手くいくわけがないからある程度動くようになるまで帰れないんだよね・・」
ξ゚⊿゚)ξ「あたしは模試です。これを受けないと言ったらさすがに親にも担任にもブチ切れられる予感がしますね」
从;'ー'从「おおう、それは是非ともやめてちょうだい。私が社会的に抹殺される」
ξ゚⊿゚)ξ「ですよね〜。預かり保育は?」
从'ー'从「回収が5時だから、間に合う気がしないなぁ」
ξ゚⊿゚)ξ「5時か。普通に受けたら模試が終わるのは5時45分・・ 試験科目を減らせばなんとか?」
从'ー'从「それは絶対やめなさい」
612
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:29:49 ID:X6k0hi660
おれはと言えば、その日は完全に試合だった。それも練習試合ではなくインターハイ予選の公式戦で、バスケ部特待生の身分でこの試合を欠場したいと言い出した場合の大人たちの反応は想像してみる気にもならない。
うちのチームの試合開始は午後2時半。試合終了後ひとり速やかに撤収し、ダッシュで駆けつければなんとか5時に間に合うかもしれない。
そのようにおれが考えていると、ツンに目で制された。
ξ゚⊿゚)ξ「あんたは無理よ。考えるのをやめなさい」
_
( ;゚∀゚)「おおう、なんでわかるんだ」
ξ゚⊿゚)ξ「せいぜい試合後ミーティングにもちゃんと参加しておくことね。やっぱりあたしが1科目減らすか――」
从'ー'从「いや、私が17時までに回収して、子連れでシステム改修に臨むというのが現実的なところだと思う。業者もいるから面倒といえば面倒だけど、まあ別に院長や事務長に断っとけばいいだけだしね。この土日にやるって決めたの私じゃないし」
ξ゚⊿゚)ξ「でも、あまりやりたいことではないんですよね?」
从'ー'从「――それはまあ、そうね」
ξ゚⊿゚)ξ「実はあたしの提案はもうひとつあるんです。こういう全員NGな日って今後もあると思うんですよね。というか、増えていくんじゃないかと思う」
ツンの提案とは、なんとこのモララー育児メンバーをひとり増やそうというものだった。
613
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:30:13 ID:X6k0hi660
从'ー'从「なんと」
_
( ゚∀゚)「そんなことができるのか?」
ξ゚⊿゚)ξ「実はひとり、候補がいるの」
ハインリッヒ高岡ってわかる? とツンは言った。おれはもちろん頷いた。
_
( ゚∀゚)「お嬢様だろ?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうそう、高岡家のお嬢様」
从'ー'从「高岡家というと――」
ξ゚⊿゚)ξ「もちろんあの高岡家です。したらば学園の経営者としてもあたしたちにおなじみ」
从'ー'从「ワオ。このアパートのオーナーとしてもおなじみじゃない」
_
( ゚∀゚)「なんでまたそんなお嬢様が子育てに興味を?」
ξ゚⊿゚)ξ「子育てっていうか、ジョルジュに興味があるみたいだったわ」
_
( ゚∀゚)「ワオ。モテ期か?」
違うわ、とツンが即答ではっきり否定するものだから、おれはとても驚いた。
614
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:30:52 ID:X6k0hi660
ξ゚⊿゚)ξ「ハインはね、絵を描くの」
_
( ゚∀゚)「え?」
ξ゚⊿゚)ξ「そう、絵。油絵とかね」
_
( ゚∀゚)「ああ、絵ね。それで?」
ξ゚⊿゚)ξ「ジョルジュをモデルにしたいって言ってた。あ、いや、違うか。モデルにしたいかどうか、見定めたいと言ってたわ」
_
( ゚∀゚)「みさだめる・・」
難しい言葉だなあ、と思うと同時に、なんだか偉そうな態度だなあ、とおれは思った。
もっとも、ハインリッヒ高岡といえば、接点をもったことのないおれでも知っているほどのおれたちの学校の有名人で、お嬢様だ。偉そうな態度も当然許されるのかもしれない。
しかし、ツンのフォローはやや意外な角度からのものだった。
ξ゚⊿゚)ξ「まあハインの絵はガチだからね。芸術家的に、そういう態度になっちゃうのかも」
_
( ゚∀゚)「フゥン」
とりあえず一度会ってみるかという話になった。お互いのためにだ。
615
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:31:20 ID:X6k0hi660
○○○
_
( ゚∀゚)「どうも。ジョルジュ長岡です」
从 ゚∀从「ハインリッヒ高岡だ! なんかオレたち似た感じの響きだな、以後よろしく!」
_
( ゚∀゚)「どうもどうも」
ハインでいいぞ、と呼び名を指定してきたお嬢様は、字面から受ける“お嬢様”のイメージからは程遠いキャラクターをしていた。
从 ゚∀从「だってオレ、女で末っ子なんだもん。戦略結婚っつ〜の? そういったお家事情に巻き込まれることもなさそうだってなことで、こうして伸び伸び育てられちゃったってわけさ!」
ξ゚⊿゚)ξ「生まれてこの方、性格が強烈過ぎて早々に匙を投げられただけかもしれないけどね」
从 ゚∀从「ハ! 違いねえ! まあそれでこっちは好き勝手できるんだから、匙投げ大歓迎ってところだな!」
ひと切れあたりの代金でそこらへんの定食なら食べられそうな高級ロールケーキを手づかみで口に運び、ハインはそんなことを笑って言った。
616
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:33:16 ID:X6k0hi660
ξ゚⊿゚)ξ「さてさてハインお嬢様、今回はこの長岡くんのお家のお手伝いをしてくれると伺っておりますが・・」
从 ゚∀从「オウ! なんせツンが出してきた条件がそうだったからな。やらせてもらうわ」
_
( ゚∀゚)「・・いいのか? なんつ〜か、お嬢様にそんなことをさせたりして?」
あいつウンコ漏らすかもしれねぇぞ、とおれはハインをチラ見して言った。当時のモララーはひとりで小便ができるようになってはいたが、何故か必ず大便はオムツで行うという不思議なポリシーを持っていたのだ。
どちらかというと聞き分けは良い方だろうと思うのだが、小さな体に大きな決意でモララーは決してそれを曲げようとしなかった。母さんもツンも当然おれも、そんな強情さに根気強く付き合うよりは、大便用のオムツを定期購入してお互いの平穏を願い合うことにしていたのだった。
モララーが幼稚園にオムツを持っていくことはできない。何をどうすればそんなコントロールが可能なのか、モララーは決して幼稚園で便意を催すことなく、あらゆる大便をケツの穴の中に留めたままで器用に家に帰ってきた。
_
( ゚∀゚)「んでもガキのやることだから、見込みが甘くってたま〜に玄関前で事切れるんだわ」
从 ゚∀从「括約筋が?」
_
( ゚∀゚)「すべての動作が停止して異臭が漂いまくってんのに、その後まるで漏らしてませんよヅラをするんだから大したもんだよ。漏らラーと呼ぼうかと思っちゃうね、って、やかましいわ!」
ξ゚⊿゚)ξ「お後がよろしいようで」
617
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:33:46 ID:X6k0hi660
我が家の恥部をさらけ出した注意喚起も意に介さず、結局ハインはモララーの世話をしてくれるということになった。
从'ー'从「ありがたいことねえ」
ξ゚⊿゚)ξ「とはいえ、いきなりワンオペ育児は途方が暮れちゃうことだろうし、何より少なくとも子供を殺さないようにしないといけないから、あの日までに何度かあたしたちのお世話を手伝ってちょうだい。イケるわと思ったらもういいから」
从 ゚∀从「おっけ〜☆ オレの女子力見せてやんよ!」
_
( ゚∀゚)「一人称がオレの女の子に女子力というものが・・?」
ξ゚⊿゚)ξ「子育てに必要なのは女子力ではなく筋力と忍耐力であると気づいてからが本番だけどね」
从 ゚∀从「きんりょく? お世話しながら子供と遊ぶだけだろ?」
ξ゚⊿゚)ξ「3歳児モララーの体重はおよそ14キロほど。10キロの米袋より重いのよ」
そしてその14キロほどの肉塊が軽い気持ちで永遠に終わらない抱っこや肩車、さらにはその状態での飲食を求めてきたりするのだ。おそらくモララーは10秒ほどだったら行うことができる全力疾走を1時間続けられないことが本当に不思議でしょうがないに違いない。
从'ー'从「私はふたり目だからそこまで驚きはしないけど、『ちょっと休憩』が本当にちょっとで終わって、しかもちゃんと回復しやがることにはいまだに愕然とするわね〜」
母さんはコーヒーをすすってそう言った。
618
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:34:17 ID:X6k0hi660
そもそも高岡家のお嬢様に家事などできるというのだろうか?
そんな庶民の素朴な疑問はただちに否定されることとなった。
子育て体験の1日目をツンと過ごしたハインは、驚くほどの高評価をツンから付けられていたのだった。そして体験2日目はガチ目な練習試合の翌日で、長時間出場していたおれは軽い練習をこなした後ハインと合流してモララーを迎えに行っていた。
_
( ゚∀゚)「いや〜、ほとんど言うことなしって聞いてますけど本当ですかね」
从 ゚∀从「失礼な。楽しかったよな、モララー?」
( ・∀・)「ハイン好き〜 絵ぇ描いてン!」
从 ゚∀从「へいへい何でも描いちゃうよ〜ん」
お家帰ってからな、とモララーの頭を撫でるハインはどこから見ても子供を可愛がる良いお姉ちゃんで、高岡家のお嬢様という先入観とその豪胆に見える振舞いから勝手に抱いていたイメージと大きく異なることに、おれは素直に反省させられた。
_
( ゚∀゚)「うわ、マジで懐いてんじゃん。何というか、見くびってましたわ。失礼しました」
从 ゚∀从「ひひ。絵は最高のコミュニケーション・ツールだからな!」
オレにかかりゃあこんなもんよ、とハインはニヤリと笑って見せた。
619
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:34:47 ID:X6k0hi660
_
( ゚∀゚)「しかし家事もできるとわ・・ 女子力、あるんスね高岡さん」
从 ゚∀从「女子力マンなんだよオレは。任せなさい」
_
( ゚∀゚)「マンの定義が覆されちゃう!」
从 ゚∀从「ほ〜らモララー、お兄ちゃんだぞ。眉毛を太くしとこうね〜」
( ・∀・)「じょるじゅ! じょるじゅのマユゲよォ〜」
从 ゚∀从「ズラしとこうね〜」
( ・∀・)「ズレちゃって! キャッキャッ!」
そこらへんにある鉛筆やクレヨンから魔法のように描き出されるおれの似顔絵が誇張表現とデフォルメによって何とも面白いイラストに仕上がっていく。その間におれができることといえば、ハインがモララーに言われるままにペンを走らせ、モララーが描く何かにほんの少し手を加えて爆笑をさらうのを眺めていることくらいのものだった。
从 ゚∀从「おっしゃモララー、ちょっと頑張ってそれ描いてな。オレは洗濯してくるからよ、戻ってきたら見せてくれよ」
( ・∀・)「がんばってかく! ハインはせんたくしないとだめよ!」
从 ゚∀从「あいよ〜」
620
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:35:09 ID:X6k0hi660
ハインは洗濯もテキパキとこなした。モララーの世話をするまで自分で洗濯機を回したことのなかったおれよりずっと手慣れていたことを認めないわけにはいかないだろう。
視線で言いたいことがわかるのか、おれと目が合ったハインはニヤリと笑って得意げに顎を上げた。
从 ゚∀从「絵ぇやってるとさ、そりゃもうめちゃくちゃ汚れんのよ。だから掃除も洗濯もお手のもの、一般家庭の汚れなんざハインちゃんには屁でもねえや」
_
( ゚∀゚)「おみそれしました」
从 ゚∀从「ハ! 尊敬したまえ」
_
( ゚∀゚)「はは〜」
从 ゚∀从「よろしい!」
へりくだって下げたおれの頭を軽く叩くと、ハインはそのままおれの頭に何かゴムの締め付けを感じるものを被せてきた。
ぴったりとフィットする。ツインテール用ではない大きな穴がふたつ空いたそれは、間違いようもなくおれのパンツだった。
从 ゚∀从「ツンにパンツまで洗わせてんのか? このスケベ!」
_
( ゚∀゚)「別に分けろって言われてねえからなァ」
パンツを被ったままのおれはそう言った。
621
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:35:40 ID:X6k0hi660
言われて気づいたが、確かにおれはパンツの洗濯までツンにされるようになっていた。手渡しているわけでもないので意識したことがなかったのだ。
_
( ゚∀゚)「ツンの洗濯をおれがすることはないからな、気づかんかったわ」
从 ゚∀从「デリカシーよ。お前ら一応年頃の男女だろうが」
_
( ゚∀゚)「申し訳。しかし、混ぜちゃだめラインを作ってくれれば守るけどな、練習着やら何やらあるから、完全におれのものは別にしろってのはちと厳しいんだよな」
从 ゚∀从「いや別にオレはいんだよ。こうしてパンツを洗い、洗ったパンツを持ち主に返す技術もあるからよ」
_
( ゚∀゚)「技術ときますか」
从 ゚∀从「オウ。そのへんツンとジョルジュは意識したりしないのかな、って、ちょっと思っただけですわ。これでも思春期女子なものでしてね」
_
( ゚∀゚)「意識か〜」
腕を組んで考える形を取ってはみたものの、しないなァ、という純粋な否定以外の何も自分の中に見つからなかった。
622
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:36:31 ID:X6k0hi660
だからおれはそのままの感情を口に出すことにした。
_
( ゚∀゚)「ツンを女として見るか、ってことだろ? しねえなァ」
从 ゚∀从「ワオ、断定的」
_
( ゚∀゚)「だって小学校の時から一緒にバスケやっててさ、あいつずっとおれより上手くて強かったんだもん」
从 ゚∀从「へ〜、やってて辞めたのは知ってたけど、ツン、そんなにガチだったのか」
_
( ゚∀゚)「おれよりずっとガチだったんじゃねえかな。とにかく、そんなボーラーをおにゃのことして意識するってのはちょっとないかな。あっちもそんな感じじゃねえの?」
从 ゚∀从「いやそうなんだよ、向こうもそんなことを言っててさ。怪しいもんだな〜と思いまして、こうして訊かせていただいたわけですわ」
_
( ゚∀゚)「満足していただけたなら何より」
从 ゚∀从「い〜やまだだね! ちょっと色々訊いてもいいか?」
_
( ゚∀゚)「えぇ何だよ・・ 思春期の好奇心こわ!」
623
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:37:03 ID:X6k0hi660
しかしおれには訊きたいというのを拒む理由がまったくなかった。その迫ってくる圧力のようなものに引かないと言ったら嘘になるが、そんなことでこれからモララー方面でお世話にもなる高岡家のお嬢様の希望を叶えられるというならおれにとっても本望だ。
_
( ゚∀゚)「まあいいけどよ、続きはモラ世話が終わってからな。お絵描きでの時間稼ぎもぼちぼち限界だろ」
从 ゚∀从「だな。お〜いモララー、夕飯一緒に作ろうか? お手伝いしてくれよ」
( ・∀・)「お手伝いスル〜」
声をかけられたモララーが明るく答える。そんな幼児のやる気を聞きながら、おれはハインの横顔を眺める。
魅力的な顔だった。
もともと彫りが深いのだろう。化粧をしているようには見えないが、太い筆で一度に引いたようなはっきりとした輪郭は、それぞれが激しく主張する顔のパーツを絶妙なバランスで成立させている。
妙な迫力を感じる種類の美人だ。いかにも手入れをしていませんという雰囲気をした、色素の薄いざっくりとした髪の向こうから鋭い視線がおれの方に向いているのにおれは気づく。
从 ゚∀从「どうかしたんか?」
いや別に、とおれは言った。
624
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:37:32 ID:X6k0hi660
○○○
おれから見てもハインに減点の要素はなく、めでたくモララーのお世話をしてもらうことになった。
ただしこれは、おれたちの希望としては、の話である。一応口約束は成立している筈だが、交換条件として出されていたのは、おれを絵のモデルとするかどうかを検討する機会を与えるというものだった。
仮にその検討の結果、やっぱり描くに値しないということになるのであれば、すべてを反故にされてもおれたちにはどうしようもないのだ。
おれの知らないところでとっくにハインとの挨拶あれこれは済ませているらしい母さんにモララーを引き継ぎ、おれはこの高岡家のお嬢様をそのご自宅まで送ってさしあげる道すがらにいた。
_
( ゚∀゚)「どうですかね、うちのモララーは。可愛いもんでしょ?」
从 ゚∀从「あァ、可愛いもんだな。・・何だよその口調と態度は」
_
( ゚∀゚)「いやァ、ここにきてやっぱりオールキャンセルだ、なんて言われたら困るな〜なんて思いましてね。こうして下手に出ているわけです」
从 ゚∀从「なんじゃそら。そんなことするわけねえだろ」
_
( ゚∀゚)「いやァ、芸術家ってそういうイメージじゃないスか?」
从 ゚∀从「さてはへりくだってねぇなてめえ」
喧嘩売ってんのか、とハインは笑って言った。
625
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:37:57 ID:X6k0hi660
从 ゚∀从「約束だからな。たとえインスピレーションが湧かなかろうが、1日はひとりでお世話させていただきますよ。ちゃ〜んとね」
_
( ゚∀゚)「それは安心」
わかりやすく胸を撫で下ろして見せてやる。ハインはそれに頷いた。
从 ゚∀从「しかし絵は描かせてもらうぜ。その絵のモデル料、っていうか、肖像権みたいなものは、お世話の対価にいただくからな」
_
( ゚∀゚)「しょ〜ぞ〜けん? よくわかんねえが、裸でポージング取らされるわけじゃあないんだろ?」
从;゚∀从「お前の絵描きイメージはどこで培われたものなんだ・・?」
_
( ゚∀゚)「だってよくわかんねえんだもん。モデルってそういうことじゃあないのかよ」
从 ゚∀从「お前はバスケットボール選手だろ。当然オレが書きたいのはバスケットボール選手としてのジョルジュ長岡だ。だから試合を見たり練習を見たり、もしくは話してみたりして、湧いてきたものを描かせてもらう。だからおれがお前を描くための時間をそれほど取らせることはないだろうよ」
描きたいものが決まった後にちょっとポーズ取ってもらったりはするかもしれないけどな、とハインは続ける。
从 ゚∀从「昨日の試合も観たけどなかなか良かったぜ。ま、正直バスケはよくわかんね〜けど」
626
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:38:39 ID:X6k0hi660
_
( ゚∀゚)「そいつはどうも」
おれはそう言いながら、いつもの口調を意識してそのまま訊いてみることにした。
_
( ゚∀゚)「何か気が付いたことがあったら教えてくれよな」
从 ゚∀从「ハァ? オレが?」
从 ゚∀从「オレ素人だぞ。実際、楽しくはあったがよくわかんなかった。気が付いたことなんてあるわけね〜だろ」
_
( ゚∀゚)「いやいやその、なんつ〜の? 変に玄人かぶれていない純粋な意見が欲しいわけだよ」
从 ゚∀从「くもりなきまなこ?」
_
( ゚∀゚)「そうそう。是非見定めてくれ」
从 ゚∀从「う〜ん、そうだなァ・・ あ、そうそう」
フリースロー、とハインの口から出てきた言葉を耳にした瞬間、おれは反射的に息を吸った。
627
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:39:10 ID:X6k0hi660
从 ゚∀从「フリースローってあんなに外すもんなのか? お前半分くらい外してたよな」
_
( ゚∀゚)「――」
从 ゚∀从「おっと、怒らないでくれよ、オレもあんまりよくない質問かもなとは思うんだけど、お前が言えって言ったんだからな」
_
( ゚∀゚)「怒りはしねェよ」
それどころか良い質問だ、とおれは言った。
口の端が小さく歪むのが自分でわかる。半分は自嘲で、もう半分は安堵のため息を浅く吐く。
_
( ゚∀゚)「――普通は、あんなに外さねえ。平均値は知らないけどよ、まあ7-8割くらいは決められるやつの方が多いだろうな。特におれのポジションではよ」
从 ゚∀从「ほ〜ん。苦手なのか?」
_
( ゚∀゚)「苦手、だな。こればっかりはしょうがないんじゃねえかなァ。・・てな感じで、受け入れるしかないと思ってる」
从 ゚∀从「なるほどね」
そう言いハインはニヤニヤと笑う。からかっているというよりは、純粋に楽しんでいるような顔だ。少しめくれた唇の隙間から白い歯がわずかに見える。普段は鋭い印象を受ける目が好奇心に輝いて見える。
そしてハインは大きく1歩、おれの方へと近づいてきた。
628
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:39:33 ID:X6k0hi660
从 ゚∀从「それ。とても人間的なイイ顔だな」
_
( ;゚∀゚)「・・そいつはどうも」
从 ゚∀从「フリースローがコンプレックスなのか?」
_
( ゚∀゚)「はぁ!?」
从 ゚∀从「違うならスマンな、そういうふうに見えたんだ」
ハインは歌うようにそう言って、覗き込むようにしておれを見た。
おれは半ば呆れて視線を返す。おれが本当にフリースローの成功率に対してコンプレックスを抱いていたら一体どうするつもりだったのだろう? おれが脊髄反射で激昂してしまったとしてもこのニヤニヤ笑いを続けるのだろうか?
もしコンプレックスがおれにあるとすれば、それはフリースロー成功率の低さ自体ではなく、その根底にあるものに対してであることだろう。そのくらいの自覚はおれにもあった。
その瞬間、おれの脳裏に直感が走る。
_
( ゚∀゚)「――まさか」
そこまですべてを見通しながら、大きな問題にならない範囲でおれの逆鱗に触れることを楽しんでいるとでもいうのだろうか?
女子にしては大きなハインの口から赤い舌が小さく伸び、笑みが浮かぶその唇をゆっくりひと舐めするのを、おれは吸い込まれるようにじっと見つめた。
629
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:39:54 ID:X6k0hi660
从 ゚∀从「――やっぱり、イイな」
気に入った、とハインはネコ科の動物が獲物を見るような目で言った。
_
( ゚∀゚)「なんだよ」
从 ゚∀从「さっきの話の続きなんだが」
_
( ゚∀゚)「フリースローの?」
从 ゚∀从「いや、お前とツンの話だな」
_
( ゚∀゚)「ああね。そういや詳しく聞きたいって言ってたな」
おれとツンの一体何を訊こうというのだろう?
おれは素朴な疑問を抱く。
確かにおれとツンの間にはただの友達以上の関係性がある。それが気になるひともいることだろう。しかしハインには既にある程度の説明はしていて、先ほどおれのツンへの気持ちもお知らせしたのだ。
話せる範囲のことは大方話し終わったつもりのおれに、ハインはやはりニヤリと笑った。
从 ゚∀从「――ツンって相当変わってんじゃん? 最初、オレはそれが面白いなって思ってたんだ」
630
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:41:05 ID:X6k0hi660
_
( ゚∀゚)「――うん? ま、変わっているかな?」
从 ゚∀从「オレが言うのもなんだけどかなりのもんだと思うゼ。だって付き合ってもない男のためにさ、こんな時間と労力を注ぎ込んで、何の見返りもないようなもんじゃん?」
_
( ゚∀゚)「そうだな。そこはおれも不思議に思わんでもない」
おれはハインの言に深く頷く。
例の事故と膝の怪我、そして怪我が治ったことになってからのツンの状態と実際のプレイ、そして事故以前のボーラーとしてのツンを知っているおれにとってはツンの動機は納得できるものではあったが、それを他のひとにも求めることはできないだろう。それくらいはおれにもわかる。
ツンがどこまで自分の思いのたけをハインに打ち明けているかは知らないが、どちらにしてもハインの疑問はとても自然なものだとおれも感じるところである。
从 ゚∀从「かわいくて頭も良くてさ、真面目だけども不器用でもないって最強じゃん? オレとはかけ離れてるから気になって、そんなツンが尽くす男はどんなもんじゃろと思ってたんだよ」
品定めするような視線をおれの頭の上から足の先までわかりやすく這わせたハインは、やはり笑みを浮かべて頷いた。
从 ゚∀从「こんな感じの男とはね」
_
( ゚∀゚)「こんな感じの男です」
よろしくどうぞ、とほとんど意味がわからずにおれは言った。
631
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:41:50 ID:X6k0hi660
こちらこそよろしく、とハインは言う。
从 ゚∀从「これからオレはお前を描くことだろう・・ 1枚で気が済むかもしれないし、何枚か描きたくなるかもしれないし、ひょっとしたら何枚かなんてものじゃあ済まなくなるかもしれないな、そんな気がする。いやあ、ツンから興味を持ったお前がただバスケが上手いだけのやつじゃあなさそうでよかったよ」
_
( ゚∀゚)「――よくわかんねェが、褒められていると思っておくよ」
从 ゚∀从「ハ! そりゃお前、褒めてんだよ、絵描きが描きたいなんて何よりの告白だからな、さっきからオレは愛を語っているのさ、だからツンとイイ感じになりそうなんだったら先にそれを知っときたかったんだ」
彼女持ちに告るほどオレは野暮じゃねえからな、とハインは言った。
おれはこの女の口から流れるように出てくる言葉をどのように受け取ったものか困惑していた。そのまま額面通りに受け取ったら馬鹿を見そうな、冗談のような口ぶりにしか思えないが、その迫力を感じさせる顔がわずかに赤らんでいるようにも見えるのだ。
从 ゚∀从「絵はイイぞ。というかイイ絵が描ける気がするんだよ、楽しみだな、オレは描きたい絵を描くのが好きなんだけど、オレが描いた絵を自分で見るのがもっと好きなんだ、自分のすべてを残さず掬って描き上げるとさ、最初に描こうとしていたもの以上の何かが必ずキャンバスの上に表れるんだ、わかるか、オレには、それを見るのがもうたまらないことなんだ・・、ジョルジュ、オレは、お前をこれから絵に描くぞ」
自分の言葉に興奮しているのか、もはや色気を感じさせるようなうっとりとした顔でハインはおれを指さしてくるのだった。
632
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:42:16 ID:X6k0hi660
半ば圧倒されるような気持ちでおれは、自分に強い視線と人差し指を向けるハインを眺める。日常的に仮想敵との対戦を想定しているボーラーとしての本能が、その迫力に飲み込まれるのではなく立ち向かえとおれに囁く。
自分からからハインに向かってみると、驚くほど近くにその指があった。
手を伸ばす必要もなく簡単に触れることのできる距離だ。どちらかがボールを持った1対1の距離というより、パスが来るまでのシューターとマークマンの距離の方が近いだろう。
だとしたらおれの方がシューターだ。ハインはおれのマークマンで、その手の一部を使って距離を厳格に保っている。手を触れさせていないのはルールが許していないからだ。とはいえ、審判に咎められない範囲で付かず離れず、時おり軽い接触も交えてこちらの動きを感じ取ろうとする。それはこちらも同様だ。そう、このように。
いつの間にか指さすのではなくおれの胸元のあたりに添えられていたハインの手が、不意におれの胸倉のあたりを素早く掴んだ。
そのまま服ごと体を強く引かれる。
反射的に踏ん張ったおれの体がハインの方に引き寄せられることはなかったが、何がどうなっているのか次の瞬間、おれの体はバランスを崩してほとんど後ろに倒れそうになっていた。
バランスを崩したおれの体が倒れ込んでいないのは、素早く距離を縮めたハインが後頭部に手を回しておれを支えていてくれたからだ。
633
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:42:48 ID:X6k0hi660
从 ゚∀从「――危ないところだったな?」
右手をおれの襟首のあたりに、左手をおれの後頭部に回したハインは、おれを見下ろす笑顔でそう言った。何が起こったのかよくわからずおれはそれにただ頷く。
_
( ;゚∀゚)「――お、おう」
从 ゚∀从「一級品のポイントガードも初見で対応はできねえか」
かわいいもんだぜ、とハインは呟くように言い、そのまま顔をおれに向かって降ろしてきたので、おれは思わず声を上げた。
_
( ;゚∀゚)「ちょ、あそこに誰かいるんだぞ!?」
それはボーラーの感覚と習慣で、意識して見るまでもなく収集していたおれたちの周囲の情報だった。間接視野でおれは人影を感知していたのだ。
ハインの動きがピタリと止まる。しかし続いてハインの口から出てきた言葉に、おれは自分の耳を疑った。
从 ゚∀从「お、気づいたのか。すごいすごい」
_
( ゚∀゚)「はぁ? お前も気づいてたのか?」
从 ゚∀从「気づいたってか、オレの場合は知ってた、だな。そろそろ迎えにきているかもな〜って思ってはいたよ」
ハインはそう言い、改めて腕の中のおれにキスをした。
634
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:43:26 ID:X6k0hi660
このようにして、何の了解も取られることなくおれのファーストキスはあっさりハインに奪われた。おれが気づきハインは知っていた人影がこのキスに関与してくることはなく、しかしゆっくりとこちらに近づいてきてはいることが、腕の中のおれにはわかった。
早く帰らないと怒られますお、と、男モノの声が聞こえる。聞いたことのある声だった。
_
( ゚∀゚)「――お前」
この迫力ある美人と交わしたキスに関する感慨がすべて吹き飛ぶような衝撃でおれはそいつを下から見つめる。同じクラスの、おれでも知ってる優等生だ。名前は内藤ホライゾン。
なんでこいつがここにいるんだ!? おれにはわけがわからなかった。
( ^ω^)「そのくらいにしとくお、ハイン。それ見ようによっちゃ強姦未遂だお」
从 ゚∀从「ヒュー。高岡家の力を持っても揉み消せませんかね?」
( ^ω^)「強姦罪は男が女に対しての行為にしか適応されない筈だから、家の力がなくてもハインは守られてしまうことになるお」
从 ゚∀从「あ、だから見ようによっちゃ、か。理解。納得」
( ^ω^)「やるにしても、もうちょっと段階を経れお。アホか」
从 ゚∀从「アホでした。いやあ、アツくなっちまってよ」
面目ない、とハインは内藤ホライゾンに頭を下げ、おれを腕の中から解放した。
635
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:43:56 ID:X6k0hi660
( ^ω^)「・・長岡くんは、怪我などしていないかお?」
大丈夫とは思うけど、と内藤ホライゾンはおれの体を眺めて言った。先ほどのハインの品定めするような視線とはまた違った意味で、何かを吟味するような眼差しだ。
从 ゚∀从「馬鹿言え、オレがそんなヘマするわけないだろ」
( ^ω^)「仮に素人じゃなくても不意打ちは危険だお、まして長岡くんはスポーツ特待生だお? 体が資本ガチ勢にやっていいことじゃあないお」
从 ゚∀从「それはそうだな、これまた反省」
すまんかったな、とハインがおれに謝ってくるものだから、おれは薄く疎外感のようなものを感じる。なんせ、いまだにおれには何が何だかわけがわからないのに、こいつらふたりは妙に通じ合ったようなやり取りをするのだ。
だからおれは心に浮かんだ正直なところをそのまま口に出すことにした。
_
( ゚∀゚)「お前ら、いったい何なんだよ!?」
( ^ω^)「――」
从 ゚∀从「う〜ん? オレはハインリッヒ高岡だ。こいつはブーン。何か? う〜ん、なんだろな?」
つい先ほどまでおれの頭のすぐそばにあった筈の小首を傾げ、ハインリッヒ高岡が考えるような素振りを見せる。
从 ゚∀从「ま、簡単に言うと、オレの男だな、ブーンは」
そして「以後よろしく」と、この女は何でもないことのようにして言うのだった。
つづく
636
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:45:09 ID:dwJtwcqk0
乙!
637
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 22:49:34 ID:5AgnWKBM0
おつです
638
:
名無しさん
:2021/11/30(火) 23:02:25 ID:WfBazSyw0
乙です
ここでこんな風に内藤が出てくるのか!
面白い!面白すぎる!
639
:
名無しさん
:2021/12/03(金) 06:21:27 ID:vau7pNog0
面白い。ドクオとクー側にもこれほどのエピソードが秘められているのか? 楽しみ
640
:
名無しさん
:2021/12/03(金) 20:06:53 ID:gpUC0z/s0
ブーンお前お前お前
またまた続きの気になるヒキ……! 面白かった!乙
641
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:27:57 ID:aiRS0n3g0
2-9.マウンティング
高岡家のお嬢様であるハインを家まで送り届けたおれは、お金持ちの住む邸宅というものを生まれて初めて目の当たりにした。
もちろんテレビや映画、漫画なんかのフィクションの世界でその存在を知ってはいたのだが、実際に肉眼で見るとなると、なんともいえない凄まじさを感じさせてくるものである。お別れの挨拶をハインと交わしながら、おれはその背後にそびえる門構えを間接視野に収めたのだった。
从 ゚∀从「じゃあな、ジョルジュ。送ってくれてありがとよ」
_
( ゚∀゚)「ん、ああ・・ お疲れさん。お世話の本番もよろしくな」
从 ゚∀从「あいあい」
ほなさいなら、と胡散臭い関西弁で別れを告げるハインをおれはその場で見送った。
ハインが通過するのに必要なだけの大きさで開いた重厚そうな扉が静かに閉まる。羨ましいと思う気持ちすら沸き上がらないような豪邸だ。「目の当たりにした」と言っておきながら、実際におれの位置から見えるのは立派な門と白く高い塀くらいのものだけれど、ハインが吸い込まれていく門の隙間から中の様子を伺おうとすら思わなかった。
_
( ゚∀゚)「いや〜、本当にお嬢様なんだなァ」
独り言に終わっても構わないつもりでそう呟いたおれに、しかし隣の男は頷いた。
( ^ω^)「おっおっ、ハインはまごうことなきお嬢様だお」
おれのクラスの優等生、内藤ホライゾンそのひとである。
642
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:30:50 ID:aiRS0n3g0
何かのきっかけになることを期待しなかったと言うと嘘になるが、必ず反応があると思って呟いたわけではなかった。
しかし内藤ホライゾンは返答をした。そして、返答されたからにはこちらも無言でいるわけにはいかなくなったことにおれは気づいた。
_
( ゚∀゚)「――」
しかし言葉が出てこない。いったいこの「オレの男」とハインに言わせた柔らかい表情の優等生に何を言えば良いというのだろう?
そんなことを考えているうちに、内藤ホライゾンは笑みを浮かべて肩をすくめた。
( ^ω^)「僕らも帰るお、長岡くん」
_
( ゚∀゚)「あ、ああ・・ そうだな」
( ^ω^)「途中まで送ってくお」
_
( ゚∀゚)「送る? お前んちはこっちじゃねえのか?」
( ^ω^)「う〜んと、実は逆方向だお。だからぐるっと回って帰ることにするつもりだお」
_
( ゚∀゚)「はあ? なんでまたそんなことを――」
と、自分で言ってておれは気づいた。おれと会話する時間を用意するためなのだろう。
どうやらこいつは、そのまとっている雰囲気通りにイイ奴であるのかもしれなかった。
643
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:31:11 ID:aiRS0n3g0
( ^ω^)「もちろん迷惑だったら解散でもいいけど、きっとさっきのハインの口ぶりだと誤解を与えたところも多いだろうと思うから、よかったらお散歩がてらに少し話すお」
_
( ゚∀゚)「――おれは、構わねえよ」
( ^ω^)「おっおっ、それじゃあ送っていくお。それか、ちょっぴり遅くなってもいいなら、お茶でもするかお?」
_
( ゚∀゚)「お茶だあ? そんな金、持ってきてねえよ」
( ^ω^)「お金はいいお。あ、マックやスタバで奢るって意味ではなくて、よかったら僕の家で何か出させるお」
_
( ゚∀゚)「お前んち!?」
( ^ω^)「おっおっ、僕の家は飲食店をやってるんだお。何かちょろまかしてご馳走するお」
_
( ゚∀゚)「ほ〜ん。それじゃあお邪魔しますか。反対方向ってことはあっちか?」
( ^ω^)「ちょうどここからそっちに入ってく近道があるんだお」
_
( ゚∀゚)「ははあ、お前さては最初からそのつもりだったな?」
( ^ω^)「そこは想像にお任せするお」
内藤ホライゾンは柔らかい顔でそう言った。
644
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:33:26 ID:aiRS0n3g0
内藤ホライゾンが言うところの『近道』を使用したからというわけではないだろうが、本当にその店は近かった。おそらくおれの足で全力疾走すれば1分もかからないことだろう。
余裕を感じさせる柔らかい表情と態度でおれを先導する内藤ホライゾンに導かれるまま、おれは『バーボンハウス』と看板に書かれた店名を目で追い、ドアをくぐる。入口からも見えるカウンターに店主と思しきエプロン姿の男性がひとり立っていた。
( ^ω^)「ただいまお。親父、友達連れてきたからええと、奥の方借りるお」
(´・ω・`)「はいよ、いらっしゃい。ちょっと挨拶する余裕はないけど勝手にくつろいでいってちょうだいね。おもてなしは適当に」
( ^ω^)「おっおっ、それじゃあこっちに座るお。何か飲みたいものあるかお?」
_
( ゚∀゚)「いや・・ そうだな、それじゃあ紅茶かお茶を」
( ^ω^)「あいお〜」
手慣れた様子で内藤ホライゾンはカウンターの脇から関係者のみに許される空間へと消えていく。おれは店内をぐるりと見ながら指定の席へと腰かけた。
645
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:34:02 ID:aiRS0n3g0
古き良き時代の喫茶店。
『バーボンハウス』はそんな雰囲気を感じさせる店内だった。
_
( ゚∀゚)「・・ま、高校生のガキに“古き良き”なんて、言われたくもないだろうがな」
これは壁紙なのだろうか、とログハウスを感じさせる木目調の壁面をおれは眺める。再び姿を現した内藤ホライゾンはトレイに紅茶か何かのポットとカップ、そしてクッキーの入った小皿を乗せていた。
( ^ω^)「さてと、それじゃあ改めまして、僕は内藤ホライゾン、ブーンと呼ばれることが多いお」
おれの対面に腰かけ、内藤ホライゾンはそう言った。自己紹介だ。わざわざ呼び名を知らせてきたということは、おれにもそう呼んで欲しいのだろうか。
_
( ゚∀゚)「――ジョルジュ長岡だ。あだ名を付けられることはあまりないな」
( ^ω^)「それじゃあジョルジュ、僕はハインの周りをうろちょろしてることが多いから、今後ジョルジュがハインとつるむんだったら自然と僕とも関係することになるだろうと思われるお。だからこうして、何コイツ、と思われる前に話す機会を持ててよかったお」
そう言い、ポットを傾けそれぞれのカップを満たしていく優等生の発言をわざわざ否定する気にはならず、おれはそのカップを受け取りながら頷いた。
646
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:34:37 ID:aiRS0n3g0
ポットの中身はどうやら紅茶であるようだった。銘柄はわからないが良い香りのする液体をゆっくり少量口に運び、おれは内藤ホライゾンをじっと見つめる。
不思議なやつだ、とおれは思った。
その柔らかい雰囲気を印象付けているのは何より顔と表情なのだろうが、その首の乗っている体躯だけを見ると、意外なほどに引き締まっているのがよくわかる。この席までお盆を運んでそこに座っただけでもそのバランスの良さや体幹の強さが察せられるというものだ。
堂々とした態度。しかし圧迫感をこちらに感じさせはしない、不思議な柔らかさを内藤ホライゾンは持っていた。
(//^ω^)「・・なんだお? そんなに見つめられると照れちゃうお」
_
( ゚∀゚)「アホか。いや何、何を話したものかと思ってな」
( ^ω^)「おっおっ、それじゃあ僕の方から、たぶん気になってるだろうな〜って思ってることを話していくから、訊きたいことができたら言ってくれお」
_
( ゚∀゚)「助かる」
( ^ω^)「それじゃあ、まずはそうだな、僕とハインは、いわゆる彼氏彼女の間柄では全然ないお」
647
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:35:12 ID:aiRS0n3g0
_
( ゚∀゚)「あ、そうなの?」
努めて平静にそう言うおれに、内藤ホライゾンはゆっくりと頷く。おれはクッキーに手を伸ばして齧った。
( ^ω^)「だおだお。ハインは“オレの男"とか言ってたけど、あれはそういう青春めいた意味ではないお」
_
( ゚∀゚)「ほ〜ん。それじゃあどういう意味なんだ?」
( ^ω^)「そのままお。ハインは僕を、自分のものだと思っているだけという話だお」
_
( ゚∀゚)「んん〜?」
この男の言わんとするところが上手く掴めず、おれは唸り声のようなものをあげる。内藤ホライゾンは柔らかく笑って肩をすくめた。
( ^ω^)「ジョルジュはこのへん、したらば出身ではないお?」
_
( ゚∀゚)「ん、ああ、そうだな。小学生の頃くらいに引っ越してきてそれから住んでるけど、そんなにザ・地元、って感じではないかな」
( ^ω^)「この店、高岡家から近いお? 出資元が高岡家なんだお」
僕の親父は元々高岡家のお抱え料理人だお、と内藤ホライゾンは当たり前の顔で言った。
648
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:35:35 ID:aiRS0n3g0
_
( ゚∀゚)「おかかえシェフ・・」
( ^ω^)「住み込みお。ちなみに母はハインのお父さんの秘書をやってて、これは今でもやってるお。そんな両親の結婚、出産を経てしばらく経って、独立して始めたのがこの店で、だから僕は幼少期をほとんど高岡家で過ごしたんだお」
ハインは完全なガキ大将気質で、昔からこの男を連れ回していたらしい。独立したといっても、高岡家の土地に高岡家の金で建てたごく近所の店に移っただけで、ただの幼馴染というにはあまりに上下関係のハッキリとした彼らの付き合い方は、生まれてこの方ずっと変わらずにいるとのことである。
昔の世界の話のようだな、とおれは思った。上下関係というより主従関係のようにおれは感じる。ご恩と奉公とか、そういう言葉が似合いそうな関係性だ。
( ^ω^)「親の力関係なんて僕らは知ったこっちゃないと言えなくもないけど、そんなことを言う気にもならない地盤が高岡家にはあるんだお。これでハインがクソ野郎だったらやってられないところだけど、幸いそうではないし、僕としてもやりやすいからこうして"オレの男"をやってるわけだお」
_
( ゚∀゚)「ふええ〜」
すごい話だなァ、と他人事のおれは素直に呟いた。
649
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:36:10 ID:aiRS0n3g0
( ^ω^)「まあそんなわけで、ハインから変えようとしない限り今後も僕らの関係性は変わらないと思うから、ジョルジュは気にせずハインと仲良くしてやってくれよというわけだお」
_
( ゚∀゚)「なるほどな。でもさ、それでお前は構わね〜の?」
( ^ω^)「? どういう意味だお?」
_
( ゚∀゚)「なんだろな、ハインからそういうこと訊かれたから気になるのもしれねえが、何つ〜か、お前がおれにムカついてくることはないのかよ?」
ハインに対してそういう気持ちはないのか、とおれは問う。内藤ホライゾンは不思議そうな顔でポカンとおれをしばらく眺めた。
( ^ω^)「・・考えたことなかったお」
_
( ゚∀゚)「マジか。ええと、こういうのって初めてなのか?」
( ^ω^)「だお。ハインが誰かを気に入ってちょっかい出すとかはあるんだけど、だいたい対象は女の子だったりするからお、そういや、男子を気に入ってそれに僕がジェラスするかどうかはわからんお」
_
( ゚∀゚)「わかりませんか」
( ^ω^)「わからんお」
内藤ホライゾンは堂々とした態度でそう言った。
650
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:36:47 ID:aiRS0n3g0
( ^ω^)「まあでも、わからんものを気にしてもしょうがないお。だから結局、ジョルジュはできれば僕のことは気にせず、好きにハインと接してくれたら良いと思うお?」
_
( ゚∀゚)「無責任にすら思える口振りだなァ」
( ^ω^)「面目ないお。まあでもたぶん大丈夫だとは思うお。自覚してないだけでハインに対する恋愛感情が実はある、ってパターンではおそらくない筈だからお」
_
( ゚∀゚)「そうなんか? でもそれこそ、そんなの、その場になってみないとわからねえんじゃないのかよ?」
_
( ゚∀゚)「試してみないとわからんことは多いって聞くぜ? ええおい、ブーンさんよ」
自分とツンの関係性は完全に棚に上げ、おれはブーンに言葉を重ねる。ひょっとしたら棚に上げきれておらず、自分の言葉がブーメランのように返ってきて己に突き刺さりはしないかと、心の底の方で恐れているからこそ言葉が湧き出てくるのかもしれない。
そんな言葉を重ねる中で、この優等生の反応にわずかな違和感が存在するのをおれは感じた。
( ^ω^)「――」
_
( ゚∀゚)「え、何お前、その感じ。ひょっとしてお試し済みだったりするのかよ?」
意識して軽い口調でそう訊くおれに、ブーンはややぎこちなく肩をすくめた。
( ^ω^)「――昔の、話だお」
_
( ゚∀゚)「マジかよ!?」
もうやだこの町、と高岡家の牛耳るこの地域に対する呪いの言葉をおれは吐いた。
651
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:37:14 ID:aiRS0n3g0
○○○
相変わらずフリースローは入らなかったが、おれは問題なくバスケを続けられていた。
軟着陸に成功したのだ。ひょっとしたら「実力はあるけどフリースローがちょっぴり下手くそなお茶目ガード」みたいな認識をしてもらえるようになったのかもしれないし、意外と複雑な家庭環境をしているやつだからと、勝手に何かを察するやつもいたかもしれない。
何にせよ、誰かにとやかく言われるような気配はなくなっていた。それぞれ個別の受け取り方はおれの知ったことではないのだ。
_
( ゚∀゚)「いやさ、何か試合になるとあんま入らないんだよな。おれにも何でかわからね〜」
昔からそうなんだよ、と平気な顔で言ってしまえば、重ねて問い詰めてくるようなやつはいなかった。考えてみれば当然で、おれは練習態度に問題があるわけでもないし、ひとりでボールを持ちすぎるわけでもないし、かといってフリースロー確率の低さを言い訳にエースとしての勝負所を誰かに押し付けるようなこともしない。
ただ試合でフリースローが入らないだけだ。誰にもおれを責めることはできないだろう。たとえばおれがこの先プロフェッショナルなバスケットボーラーになりたいと願ったとして、この欠点を理由にどこにも受け入れられないことはあるかもしれないが、ただそれだけだ。
何より、おれのチームはそれなりに勝てていた。高校2年生の夏、おれはバスケ部のエースとして、チームをインターハイ出場に導いていたのだった。
652
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:38:09 ID:aiRS0n3g0
私立したらば学園男子バスケ部初のインターハイ出場だ。文句の付けようのない結果と言って良いだろう。
実際、地区予選の勝ち上がりが確定的となった後しばらくの間、おれたちバスケ部は校内で英雄のように扱われた。インターハイへの出発の前にキャプテンは全校生徒に向かって抱負を言わされ、練習試合にはギャラリーが集まり、顔も名前も知らない女から声をかけられるという事案がおれにも度々発生することになった。
これがモテ期か、とおれが言ってみた場合にそれを否定する者がはたしているだろうか? インターハイ本戦では相手が悪くあっさり1回戦敗退に終わったが、それでもおれたちは十分胸を張って良いと誰もが言うことだろう。
国内のプロリーグや、本場NBAを目指すなどといった強烈な目標があるやつでもない限り、の話だが。
ξ゚⊿゚)ξ「――」
_
( ゚∀゚)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「――ま、ひとまずお疲れ。インターハイ出られてよかったわね」
_
( ゚∀゚)「あざす」
負けて帰ってきたその日の夜、おれはツンと会っていた。
653
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:38:31 ID:aiRS0n3g0
ξ゚⊿゚)ξ「インターハイ、どうだった?」
_
( ゚∀゚)「どうだった、って・・ 負けたよ、負けた。ありゃあ勝ち目がなかったな」
ξ゚⊿゚)ξ「スコア上は接戦だったみたいだけど?」
_
( ゚∀゚)「接戦ね」
全高校生ボーラー憧れのひとつインターハイとはいえ、1回戦から全試合をテレビ中継している筈もなく、ツンが試合を観られていないことをおれは知っていた。
ネット中継もなかった筈だ。どこかの物好きが何かにまとめたボックススコアか、SNSを漁ったら出てくるだろう違法アップロードされた短いプレイくらいの情報しかツンは持っていなかったに違いない。
確かに負けたとはいえ点差はたったの4点だった。ワンプレイで逆転することは不可能だけれど、最後の1分まで勝負がわからなかったと言えないこともない数字である。
数字だけは、の話だが。
_
( ゚∀゚)「ま、今度映像でも見てくれよ、部で撮ってる筈だから」
ξ゚⊿゚)ξ「もちろんそうさせてもらうけど。ていうか、そんなに駄目だったの?」
_
( ゚∀゚)「う〜ん、実力差がそこまであったかと言われたらそういうわけじゃあないと思う。たとえばボーラーとしておれがクックルに劣るとは思わないんだが、なんというか、あの日のあのゲームに勝てる気はしなかったな」
おれたちが負けたのは留学生ビッグマンであるクックルの所属するあのチームとの対戦だったのだ。おれは黒曜石を思わせるあの男の肉体を頭に浮かべ、奇妙な縁のようなものを感じた。
654
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:39:01 ID:aiRS0n3g0
クックルもおれたちと同じく高校2年生の年齢だ。あの練習試合ぶりの対面、対戦だったが、やはりあいつは規格外の身体能力と、それからの月日の積み重ねを感じさせるバスケットボール技術を持っていた。
この半年ほどでおれの身長は5センチか6センチほど伸びていたが、クックルはそれ以上に大きく、長くなっていた。その手足にまといつく筋肉もひと回り太くなっており、こいつと正面衝突するのはご勘弁だな、とひと目で思わせるような肉体を仕上げてきていた。
_
( ゚∀゚)「おれがポイントガードやってるからそんな感じに思うのかな? 試合の流れっつ〜かさ、そういう、抗ったところでどうにもならない大きなものってあるじゃん。相手が下手こいたらどうにかなることもあるんだけどよ、あの日はそれがなかったな」
ξ゚⊿゚)ξ「わからないではないけど、点取り屋的としては認めたくないところね。そういう凍りつきそうな局面をぶち壊してこそのエースじゃない?」
_
( ゚∀゚)「それもわかるよ、諦めるわけじゃあないしな。なんせ負けたら終わりだから、諦める余裕なんてそもそもどこにもないわけだけどよ」
しかし、おれは頭のどこかで試合の全体像みたいなものを客観的に見てしまう。これはおれのボーラー生活の中で培ってきた、どちらかというと長所に分類される能力だろう。
大局観というやつかもしれない。ただし、ツンが言うように、時にはそんな小賢しいことなど考えず、すべてを破壊するようなプレイをすることがエースには必要なのかもしれない。
それもおれにはわかっていた。
655
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:39:22 ID:aiRS0n3g0
これはどちらかというと、スキルやプレイスタイルというより、人間性のようなものの話になってくるのだろう。
傲慢さ。
そんなものがおれにはもっと必要なのかもしれなかった。
_
( ゚∀゚)「う〜ん、しかし、身に付けようとして身に付くのか、そんなの?」
口には出さずにそう呟く。ツンがおれに何かを渡そうとしているのに気がついた。
_
( ゚∀゚)「ん。何だよそれ?」
ξ゚⊿゚)ξ「クラスの女子に、長岡くんに渡しといてと頼まれたの。お菓子よ。インターハイお疲れさまってさ」
_
( ゚∀゚)「ウヒョ〜 モテ期来たかこれ?」
ξ゚⊿゚)ξ「どんな女の子が好きか知らないかって言われたんだけど」
_
( ゚∀゚)「う〜んそうだな、甘えさせてくれそうなお姉さんかな。巨乳希望!」
ξ゚⊿゚)ξ「同級生だっつってんでしょ、まったくもう。面倒だからそのまま伝えちゃうけど。あ、そうそう」
あんたハインとはどうなってんの、とツンは外の天気を訊くような口調で言った。
656
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:39:52 ID:aiRS0n3g0
どう答えてもよかったのだが、どう答えたものかとおれは迷った。
_
( ゚∀゚)「・・どうって?」
結局出てきたのはそんな聞き返しだ。我がごとながら、とてもモテ期が到来したとは思えない反応だ。
ツンもそう思うのか、おれは鼻で笑われた。
ξ゚⊿゚)ξ「その様子じゃあどうにもなってなさそうね? ハインから念を押されたのよ、ジョルジュに手を出してもいいものか、って」
_
( ゚∀゚)「うお、やっぱりモテ期か!?」
ξ゚⊿゚)ξ「・・そんな感じじゃあなかったけどね?」
_
( ゚∀゚)「嘘だろわけがわからねえ」
大げさに頭を抱えてそう言ってみたおれだったが、わけがわからないのは本当だった。
手を出すとは、口説くとか、告白するとか、お付き合いに発展するようなアプローチをかけていくということだろう。少なくともおれの持っている恋愛方面の知識や常識ではそうだった。
何が“そんな感じじゃあない”というのだろうか。おれにはわけがわからない。
ξ゚⊿゚)ξ「だから、好きとか嫌いとかっていうより、単純にセックスがしたいみたいな口ぶりだったわけよ。普通女子の方がそういうこと言う? あたしビックリしちゃったわ」
そう言うツンをおれは見つめる。幼馴染の口からするりとセックスという単語が出てきたことにもおれはビックリさせられていた。
657
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:40:14 ID:aiRS0n3g0
何はともあれ、ツンの分析によると、これはモテ期の到来ではないらしい。
ξ゚⊿゚)ξ「あたしが知らないところで大量のアプローチをさばいているというなら話は別だけど、今の反応から察するに、そういうわけでもないんでしょ?」
_
( ゚∀゚)「ハイ、そういうわけではないですね」
ξ゚⊿゚)ξ「正直でよろしい。やっぱりあんた、モテ期じゃないでしょ、これならあたしの方がモテてるわ」
_
( ゚∀゚)「あらまあツンさん、おモテになってらっしゃいますか」
ξ゚⊿゚)ξ「・・あんたよりは、ね」
_
( ゚∀゚)「どうさばいてらっしゃるんで?」
ξ゚⊿゚)ξ「何その口調。気になるの?」
_
( ゚∀゚)「そりゃあ気にはなるだろ。お前もそうなんじゃね〜のかよ」
ξ゚⊿゚)ξ「ま、それはそうね」
_
( ゚∀゚)「どうなんだよモテのパイセン、ちぎっては投げしてんのか?」
ξ゚⊿゚)ξ「何それ。どうって、そりゃお断りすることもあるし、普通にあたしとデートしたけりゃバスケとNBA知識を蓄えてこい、お出かけするならバスケ観戦だ、と言ったら引かれて終わることもあったわよ」
そりゃ少なくとも普通ではねえよ、とおれは思った。
658
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:40:45 ID:aiRS0n3g0
ξ゚⊿゚)ξ「でもさ、こういうのってひとつのチャンスじゃない?」
_
( ゚∀゚)「チャンス? 何のだよ」
いくつもの恋のチャンスをこの元ボーラーのバスケフリークがぶっ潰してきたのだろうことを想像しながらおれは訊く。
ツンは意外そうな顔でおれを見た。
ξ゚⊿゚)ξ「それはもちろん、そこらへんの一般人を、バスケ沼に引き入れるチャンスよ」
_
( ゚∀゚)「はあ? お前、そんなこと考えてんのか?」
ξ゚⊿゚)ξ「あんたは考えないの? ・・気づかない? あんたやあたしが思ってる以上に、世間のバスケットボールに対する興味は薄いわよ」
_
( ゚∀゚)「・・む」
そうかな? とおれは反射的に考える。バスケ部は男女共にもっとも人気な部活動のひとつだ。おれたちの通う私立したらば学園の敷地内には生徒の誰もが使えるバスケットボールコートが設置・開放されており、割合が決して多くはないが、バスケットの設置された公園も探せば見つかる。
おれの周りにはバスケットボールがそこら中にあると言っても嘘ではないことだろう。おそらくツンにしてもそうだ。
しかし、そんなおれの考えを見透かすように、ツンはおれを視線で射抜いていた。
ξ゚⊿゚)ξ「そんなことないと思うでしょ? だったらNBAや国内プロのボーラーの名前をそこらへんの友達に訊いてごらん、マジでほとんど知らないんだから」
659
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:41:14 ID:aiRS0n3g0
ξ゚⊿゚)ξ「もちろんスポーツとしてのバスケは人気よ。たぶん日本の体育館でバスケットの付いていないところを探す方が難しいだろうし、体育でも絶対やるし、クラスマッチとか体育祭とかでもおおよそ採用される種目でしょうね。でも、それだけ。やるのは人気でも、たとえば観るとか、お金を落とす対象として認識している人口は驚くほどに少ないわ」
_
( ゚∀゚)「・・・・」
そうかもしれない、とおれは思う。なんせおれ自身が、ツンに言われてNBAのプレイや日本人プロの技術を観て知るようにはなったものの、それまでほとんど認識していなかったのだ。
将来的にバスケに関わって生きていきたいなら、この状況を変えなければならないと、ツンは大人びた顔で語る。
ξ゚⊿゚)ξ「あたしがプレイヤーや裏方、そうね、チームドクターとかそういうのを除いて、直接バスケットボールから収入を得て生活することはないでしょうけど、1ファンとして何とかしないといけないんじゃないかと思うのよね」
_
( ゚∀゚)「はあ〜 なるほどねえ」
ξ゚⊿゚)ξ「何よ、あんたはあたしより直接バスケに関わっていく確率が高いでしょ? もっとそういうことも考えなさいよね。プロってことは、ファンから回してもらったお金からお給料をもらうわけなんだから」
_
( ゚∀゚)「それはそうかもしれねえな」
しかし税金をタネに行う公務員バッシングみたいな内容だな、とおれは思った。もちろんこれは思っただけだ。
660
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:41:35 ID:aiRS0n3g0
ツンの言うことには頷ける部分が多かった。確かにそうだ。
しかしおれはそこにもやはり、どこか世知辛さのようなものを感じてしまうのだった。
_
( ゚∀゚)「――もっと、こう」
純粋にバスケのことだけを考えて、ただプレイするわけにはいかないのかしらね、とおれは思う。
もちろんこれも思っただけだ。
正しいのは明らかにツンの方で、世の真実のようなものに近いものの捉え方をしているのもツンの方だろう。おれの素朴な願望は、恋に恋する乙女のように甘っちょろい幻想に過ぎないのだろう。
そんなことはわかっていた。
しかし。
と、おれは考えてしまうのだ。
_
( ゚∀゚)「――」
バスケットボールが好きだった。
どこが好きなの? と改めて訊かれると、特別な理由が実はないようにも感じられるのだが、とにかくおれはバスケットボールが好きだったのだ。
661
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:41:59 ID:aiRS0n3g0
体育館の匂いが好きだ。
着替えの最後にお気に入りの靴下を履き、馴染んだバッシュに足を通す。軽く2度ほどその場でジャンプをすると意識がコートに向いていくのだ。
視野が広がり視界が狭まる。その日の空気を肌で感じる。
ボールを掴むと手の平に吸いついてくるようだ。
動きの鋭さに応じてソールと床が音を鳴らす。チームメイトの声がする。
それだけでもたまらないのに、おれたちを全力で叩き潰そうとしてくる敵がそこにはいるのだ。
おれはおれのすべてを使って敵のことを考える。相手も当然そうだろう。
奇妙なコミュニケーションだ。
互いに、互いのすべてを理解しようとするのだ。ひょっとしたら恋人同士よりも濃厚なやりとりをしているのではないだろうか?
そしてひとつの試合を作り上げる。もちろんこちらの勝利が最優先で、試合の美しさなどまったくどうでもいいのだけれど、不思議なことに、ハイレベルで力の拮抗したボーラーたちが互いの勝利を目指し合うと、美しい試合が出来上がるのだ。
一種の作品だとさえ言えるかもしれない。そうして作り上げた作品たちを思い返すのというのもおれには楽しいことだった。
662
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:42:27 ID:aiRS0n3g0
見てみたい、という気持ちはあった。
自分がどこまでやっていけるのかをだ。
おれがボーラーとして成長し、仲間の技術レベルや連携も上達し、対戦する相手のレベルが上がるにつれて、作品としての試合の質もどうやら高まるようなのだ。
2年夏のインターハイ。
1回戦敗退という結果に終わってしまったが、その対戦相手はあのクックルのチームだった。
間違いなく強かった。練習と本番ではやはり違うなとおれは痛感させられた。
ただし、それはあちらにとってもそうだったことだろう。おれたちは間違いなく強く、練習と本番ではやはり違うなと痛感させてやれた筈だ。
どうやらこれは勝つ流れではないな、と感じながらも、おれはしっかり試合を作り上げた。これまででもっともレベルが高いステージの、もっともレベルの高い試合内容で、もっともクオリティの高い作品となったのではないか、とおれは思う。
おれたちの負けで終わったというのが唯一の欠点にして最悪なところだが、それもまたバスケットボールというものだろう。おれにとっては十分だった。
ただし、その試合内容がおれにとって十分であるかどうかに関わらず、やはりフリースローは入らなかった。
663
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:42:50 ID:aiRS0n3g0
おれはこの試合、11本のフリースローを放って5本しか成功させられなかった。
試合は4点差での敗北だ。おれが外した6本のフリースローの内、5本以上を成功していたら勝っていたんじゃないかと思うやつもいることだろう。
反論する気にもならない単純な数字の話である。
それはただの結果論で見当違いな見解だ、と言ってもいいが、そんなことを言ってくるやつにわざわざ何かを言う気にはならない。
ただフリースローが入らないだけだ。そのこと自体はどうでもいいが、しかし、やはりフリースローを与えられた後のあの時間は、不思議に思えるほどに居心地の悪いものだった。
_
( ゚∀゚)「気持ちよく酔っぱらってる最中に、冷や水をぶっかけられて素面に戻される感じかな」
酒に酔っぱらったこともそこから素に戻されたことも未成年のおれにはないけれど、あえて表現するとすれば、フリースロー・ルーティン中のおれの感覚はそんな感じだ。
ふわふわとして落ち着かない。色々なことを思い出しては頭に浮かび、しかし具体的な思考が始まるわけではないのだ。ボールが手に馴染まない。
断片的な様々なエピソードがぐるぐるとおれの周りを囲んでは消える。
どうして試合中の、フリースローの時間にだけそうなってしまうのかと不思議に思いはするのだが、何をどうしたところで解消されるわけではなかった。
664
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:43:11 ID:aiRS0n3g0
ボールへの手のかけ方や放り方、モーションに入るまでの一連の動きなどを色々変えてみたことはあるが、やはりどうにもだめだった。だからおれは諦めたのだ。
幸いなのは、見ていてギョッとするほどフォームが乱れて入らないわけでもなければ、そこらへんから放つミドルシュート以上の成功率はなんとか残せていたところだった。
致命傷にならないギリギリのラインといったところだろうか?
从 ゚∀从「あんなに外すんだったら、もう全部お前にフリースロー投げさせちゃえってならねえの? わざと反則してくるとかさ」
絵を描き始めるということでハインに呼び出されていたおれは、言われるままにポーズを作る合間にそんなことを訊かれていた。
_
( ゚∀゚)「んん、でも、そこまで入らないってわけではないからな」
从 ゚∀从「そ〜なん? めちゃ入らないって言ってなかったっけ」
_
( ゚∀゚)「フリースローとしては全然入らない部類だけどよ、そもそもバスケのシュートってそこまで成功率高くねえんだ、レイアップやダンクは別にして。半分くらい成功するっていうのは、実は得点効率的にはそんなに悪くねえ。楽は楽だしな」
从 ゚∀从「ほ〜ん。それじゃあ次はちょっとボール持ってさ、あっちにドリブルしてみてくれよ」
_
( ゚∀゚)「あいあい」
665
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:43:31 ID:aiRS0n3g0
ハインの要求は様々で、おれは数時間ほどをかけてじっくりとポージングをさせられていた。
体育館を借りたのだ。
学校の体育館を個人名義で貸し切りにすることは高岡家のお嬢様にもできなかったが、根気強く探してコスパのことを考えなければ、おれたちふたりに占有させてくれる体育館も世の中にはあるらしい。おれには考えつきもしないことだった。
言われるままにボールを扱い、時にはシュートを放ったりドリブル・ハンドリングを見せたり、ドライブの鋭さでコートを駆けボールをリムにくぐらせたりする。
間接視野と横目でハインの様子を伺うと、ただおれを見るだけではなくメモを取ったり、何か簡単な絵を描いたりしているようだった。
_
( ゚∀゚)「ふい〜 素朴な疑問なんだけどよ、これ、写真や動画をざ〜っと撮って終わるわけにはいかないのか?」
文句を言いたいわけじゃないけどよ、と前置きをした上でおれはハインにそう訊いてみる。ハインは肩をすくめて首を振った。
从 ゚∀从「すまんが、そういうわけにはいかねェな。・・何というか、実際に見ないと、グッとくるもんがないんだよな」
_
( ゚∀゚)「ぐっと?」
从 ゚∀从「ぐっと」
ハインは頷いてそう言った。
666
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:44:09 ID:aiRS0n3g0
从 ゚∀从「たとえばこの肩筋」
_
( ゚∀゚)「かたきん?」
おれのオウム返しに答えることなく、ハインはおれの左肩に触れてきた。剥き出しの三角筋をがしりと掴む。肩にハインの握力をおれは感じる。
从 ゚∀从「この皮膚の下には薄い脂肪と、さらには筋肉と骨がひしめいている。血流が通った滑らかな表面だけれど力が入ると筋肉が隆起する。その、おれが感じ取る表現とここにある質感を、保存して後で見るなんてことはできないんだよ」
カメラはレンズを向けたところの、写せるものしか写せないからな、とハインは言った。
从 ゚∀从「視覚以外の、たとえばこの体が発する熱を映像には残しておけないだろ? 匂いもそうだな、カメラに収められる情報は実はそんなに多くないんだ、だから一部を切り取るからこその、写真や映像としての芸術性のようなものもあるんだろうが、おれの描く絵には関係のない話だな」
_
( ゚∀゚)「ふええ〜 そんなもんですか」
そんなもんだよ、とハインは頷く。
从 ゚∀从「だからオレはお前の試合も観に行ったし、こうして間近で見せてももらう。おかげで良い絵が描けそうだ」
_
( ゚∀゚)「それは何より」
667
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:44:37 ID:aiRS0n3g0
描きたい構図や内容もおおかた決まった、とハインは言った。
从 ゚∀从「ワクワクするな・・ 描き上がりの出来次第だが、コンクール的なものにでも出してみようかな」
_
( ゚∀゚)「コンクール。そういうのもあるのか」
从 ゚∀从「オレはこれまでほとんど出したことがないんだけどよ、すげえ良いんじゃないかと思えるものが描けたとしたら、それが実際どんな評価をされるのか、知っておきたい気もしちゃうよな」
_
( ゚∀゚)「ツンがハインの絵は凄いみたいなこと言ってたから、てっきりもう受賞とか色々してるもんだと思ってたぜ」
从 ゚∀从「受賞ね。そりゃあ出せば選ばれることもあるかもな」
_
( ゚∀゚)「あ、やっぱり?」
从 ゚∀从「勘違いすんなよ。オレはハインリッヒ高岡だからな」
絵のクオリティがどうあれ評価されちまうこともあるだろう、とハインは続ける。
从 ゚∀从「名前で評価を歪められて受賞でもされてみろ、オレはおそらく怒り狂ってしまうだろうな。怒髪天を突いちゃうよ。モヒカンだ」
_
( ゚∀゚)「モヒカンって怒りを表現してるんだっけ? まあでも、そういうリスクがありますか」
从 ゚∀从「知らねえ。でも、ないとは言い切れないだろ、だから気持ち悪くなるかもしれなくって、そういう賞とかに応募はしないようにしてたんだよ」
668
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:44:59 ID:aiRS0n3g0
直接おれには縁のない話だろうが、貴族の憂鬱のような話をするハインの気持ちの一部はおれにもわかった。得点の根拠が明白で、その数字の多い少ないで勝負がつくバスケとはまったく違った優劣の付け方が芸術分野にはあることだろう。
場所は違えど、ハインもどこかで世知辛さのようなものを感じてきたのかもしれなかった。
_
( ゚∀゚)「――しかし、それじゃあまたなんで今回は出す気になったんだ?」
从 ゚∀从「市のコンクールだからな。こないだ変わった今のVIP市の市長は、なんていうかな、ざっくり言うと反高岡派なんだ」
_
( ゚∀゚)「反高岡派! 何だよそれ。回文には・・、なってねえな?」
从 ゚∀从「何言ってんだお前。反高岡派ってのはあれだよ、そのままだけど、高岡家をよく思ってない輩ってことだ。VIP市における高岡家の存在はでかいからな、自然と肯定派も否定派も出てくるわけだ」
否定派主催のコンクールなら、もし忖度やバイアスのようなものがかかるとしたらマイナス方向になるだろ、とハインは言った。
从 ゚∀从「そういう環境の中で入選するなら、それはもうそういうクオリティの絵だということだと思っていいだろ。だから出してみようかな〜と思うんだ」
669
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:45:21 ID:aiRS0n3g0
そのように語る間もハインの右手はおれの左肩に乗ったままで、しかし動かさずにいるわけではなく、軽く撫でるようにわずかに揉むように、その表層を這っていた。
距離が近い。いつの間にかおれたちはほとんど密着しているようになっている。
ハインがおれの匂いや熱を感じているように、おれもハインの匂いや熱を感じていた。
吐息を肌に感じそうだ。
从 ゚∀从「お前のおかげだ。描き上げるどころか描き始めてもないけど、ありがとよ」
_
( ゚∀゚)「そいつはどうも」
ざっくりとした髪の奥から力強い眼差しが向けられている。肩に感じるハインの手の平の感触と相まって、ゾクゾクとしたものをおれは感じる。
_
( ゚∀゚)「・・絵を描く対象には、実際に触れてみたいと思うのか?」
从 ゚∀从「これか? もちろんそうだよ。触れたいし、嗅ぎたいし、何ならこの皮膚を切り裂いてその下の肉を、血を、この目で見てみたいとすら思うね。きっと、すごおく赤いんだろうな?」
吸いついてくるような目線だ。
ハインはおれの目をまっすぐに見つめ、凄みを感じる笑顔でそう言った。
670
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:45:43 ID:aiRS0n3g0
左肩の辺りをうろついていたハインの右手がおれの表面を撫でるようにスライドし、やがておれの頬を小さく撫でた。
絵筆を握り続けてきたのだろうか、ツンほどではないが女子にしては固いんじゃないかと思える手の平を頬に感じる。その親指がおれの唇に薄くかかっている。
_
( ゚∀゚)「・・ブーンはそこらにいないんだろうな?」
从 ゚∀从「いないさ。今日は不意打ちもしねえ」
する必要がないからな、とハインは言った。
_
( ゚∀゚)「おれが拒絶しないとでも?」
从 ゚∀从「するのか? まあ、したところで意味がないからな」
オレはお前をいつでも抱ける、とハインは囁くように口を動かす。ちょっと抵抗してみようという気になった。
おれの頬を撫でていた右手が後頭部に回される。そのまま引き寄せようとする力におれは背筋を伸ばして抗ったのだった。
从 ゚∀从「・・ほう」
と、ハインが楽しそうに口角を上げる。女子にしてはハインは長身な方だろうが、それでもおれとは身長差がある。このままでは十分に顔を寄せてくることすらできないだろう。
从 ゚∀从「面白いことをするじゃねえか」
そう言うと、ハインはそこから小さく飛び退き、おれと腕1本分の距離を取った。
671
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:46:06 ID:aiRS0n3g0
从 ゚∀从「ん」
そしてハインは軽く拳を握るようにして両手を上げて見せてきた。どう見たって臨戦態勢だ。
この間のやり取りで薄々感じてはいたのだが、ハインには格闘技の心得か何かがあるのだろう。おれにはないが、その代わりと言ってはなんだがおれにはアスリートの身体能力が備わっていて、おれとハインの間には男女の体格差が存在している。
もちろんお遊び感覚だけれど、簡単にはやられないつもりだった。
_
( ゚∀゚)「今回は不意打ちじゃないからな」
从 ゚∀从「フン。・・言ったろ? 不意打ちは必要ない」
両手をワキワキと動かしハインがそう言った。
肩がわずかに動くのが見える。そこから拳が飛んでくるのを予感した瞬間、おれは音と衝撃を右足に感じた。
蹴られたのだ。
そう認識したおれの意識が右足に向かう。
違う。
と慌てて視線を正面に戻すと、ハインはおれの視界から消えていた。
672
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:46:26 ID:aiRS0n3g0
_
( ゚∀゚)「――ハア!?」
気づくとおれは体育館に寝転んでいた。
背後に肉体の熱を感じる。もちろんハインだ。
いつの間にかおれの背中に回って組み倒し、地面で後頭部を強打しないように丁寧に保護しながらおれを寝かせやがったのだ。
そう理解できたころには、その熱源は移動し始めていて、おれは完全になされるがままになっていた。
荒れた海の波打ち際で翻弄されているようだ。
おれはわけがわからないままに、流れに沿って体を動かす。そうしないと腕や足がひどく捻れる気がするからだ。
ようやく落ち着いた頃にはおれは仰向けに横たわっていて、見上げると胴体にハインが跨り、そこからおれを見下ろしていた。
从 ゚∀从「――よう」
と、声をかけられる。ハインの体温と体重を腹部に感じる。
从 ゚∀从「これがマウント・ポジションだ。女子からマウンティングされた気持ちはどうだ?」
_
( ゚∀゚)「マウンティングって、物理的な現象じゃないだろう」
从 ゚∀从「フフン」
ハインは笑っておれの頭を強く掴むと、そのまま体をずらすように覆いかぶさり、噛みつくようにキスをしてきた。
673
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:46:56 ID:aiRS0n3g0
○○○
ハインがその後もモララーの世話をみてくれるというのはおれたちにとって朗報だった。
从 ゚∀从「モララーのことも気に入ったしな、良い絵も描けたしこれからまた描きたくなった時の協力と、抱きたい時に抱かせてくれりゃあギブアンドテイクとしてもいいぜ」
お前に好きな女でもできた場合は要相談だな、とハインは言った。
_
( ゚∀゚)「――好きな、女ね」
从 ゚∀从「オレも鬼じゃねえからよ、お前とのセックスは気に入ってるが、ないならないでも構わねえ。気が向いたらそのまま手伝ってもいいし、ジョルカノが手伝うというならそこで身を引くのもいいだろう」
_
( ゚∀゚)「・・・・」
从 ゚∀从「もちろん支援内容がオレの手伝いより現金がいいというなら家とかに頼んでみてもいいぜ、悪いがオレ自体は金持ってねえからな。ま、家事代行とかシッターとかを入れるくらいの金を出させることくらいはできるだろうさ」
_
( ゚∀゚)「・・それは嫌だな」
从 ゚∀从「ふん。それじゃあ今後もオレがモラ世話させてもらうってことで?」
_
( ゚∀゚)「よろしく頼む」
从 ゚∀从「了解!」
ハインはそう言い、帰り際におれの頭を掴んではキスをした。
674
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:47:17 ID:aiRS0n3g0
言われるまでもなく、おれと恋人同士のような関係性になるのをハインがまったく望んでいないのだろうということが、恋愛経験の乏しいおれにもわかった。
望むどころか、おそらく考えることすらないのだろう。
いわゆる彼氏彼女の間柄ではまったくない、と断言していたブーンのことを思い出す。おれもハインの“オレの男"になったのだろうか?
実際にハインが一体おれとの関係をどのように考えているのかなんて、わざわざ訊く気にもならないことだった。
意味があるとも思えない。重要なのは、ハインがモララーの世話をしてくれることによって、おれのバスケも母さんの仕事もツンの勉強も問題なく続けられるのだろうということだ。
何ともありがたいことである。
当然モチロンその筈で、そこに疑いの余地はまったくなかった。
なんせ、もうすぐ2学期が始まるのだ。
インターハイが終わったバスケ部のおれは実質的な最上級生となり、これまで以上にチームをまとめ上げ、引っ張っていかなければならない立場になっていた。
675
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:47:38 ID:aiRS0n3g0
_
( ゚∀゚)「ほれモララー、早く靴履け、遅れるぞ」
( ・∀・)「だってジョルジュ、モララーもういっこぎうにう飲みたかった!」
_
( ゚∀゚)「単位よ。牛乳はコップだから、もう1杯、な。ていうかそういうのは飯食ってる時に言ってくれよ。出発間際に言うんじゃねえ」
(#・∀・)「だってぎうにう飲みたかった!!」
_
( ゚∀゚)「欲望の化身かお前は。接続語も時制もなんだか変なんだよなァ」
(#・∀・)「ぎうにうちょうだい!!!」
_
( ゚∀゚)「圧が凄すぎるだろ。・・はいはい、しょせんモララー様には敵いませんよ。ぎうにう持ってくるから靴履いてなさい」
( ・∀・)「ハイハイ。はやくぎうにう持ってきなさ〜い?」
_
( ゚∀゚)「うあ〜 めちゃムカつくわこのクソガキ!」
その小さな背中を蹴り飛ばしたくなる衝動を押し殺し、おれは粛々とコップに牛乳を入れ、飲み終わった小さな王様の口の周りを丁寧にティッシュで拭かせていただいた。
676
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:47:59 ID:aiRS0n3g0
平日の朝はおれがモララーを幼稚園まで送ることになっていたのだ。
母さんが送って行くには幼稚園の受け入れ開始時間と仕事の開始時間が噛み合っていなかったからだ。母さんが送って行くとすると、仕事に大幅に遅れることになってしまう。
その点おれなら運が良ければ学校にも間に合うし、せいぜいちょっぴり遅刻で済むくらいのものだった。
おれもツンもハインも同じ学校の学生だ。始業時間は変わらない。だからおれがやるべきだろうと思ったのだ。
学校や担任の教師に事情を話すと、おれの日常的な遅刻はすんなりと受け入れられた。ひょっとしたらハインが裏から何か手を回していたのかもしれない。
何にせよ、遅刻は遅刻なので内申書の評価が多少悪くなることはあるけれど、それはおれにとってどうでもいいことだった。
_
( ゚∀゚)「じゃあなモララー、いい子でな」
( ・∀・)「モララー、イイコよ! いってきます!!」
幼稚園の先生に引き渡したモララーが部屋へと入っていくのを手を振って見送り、おれは自分の学校へと足を進める。
9月1日の朝もおれはそうして過ごした。
677
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:48:21 ID:aiRS0n3g0
もはや遅刻する朝の通学路もおれには慣れっこだった。
罪悪感や居心地の悪さのようなものをわざわざ感じるのはやめたのだ。
部の朝練にもおれは出ていない。強制されていないからだ。
特権を得るようにして毎日のように遅刻してくるおれに不平等さを感じるクラスメイトもいることだろうし、一応強制されていないことにはなっているがほとんど全員が参加している朝練に来ないおれに不平等さを感じるチームメイトもいることだろう。
そんなやつらに対して引け目を感じることを、おれはやめた。
どうせおれが申し訳なさそうな態度を取ったところで許しのようなものを得られるわけではないのだ。だったら堂々としていればいい。
これは傲慢な態度だろうか?
_
( ゚∀゚)「――だったら、こちとら大歓迎だ」
ある種の傲慢さを身に付ける必要があるかもしれないおれには、なおさらそうするべきことなんじゃないかとも思えるのだった。
担任教師もそれを受け入れ、明らかに学級委員であるツンと仲が良く、学校のオーナーである高岡家のハインや学年1位の秀才であるブーンとの関係も悪くない、何よりインターハイにも出場したバスケ部のエースであるおれのそのような振舞いに文句をつけられるやつなど、もはやどこにもいなかった。
そんな事情などまったく知らない、初対面の転校生を除いては。
678
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:48:43 ID:aiRS0n3g0
確かにその日はいつもより遅くなっていた。
久しぶりの登校だったからだ。1学期の間はおれもそれなりに気を遣い、園を出た後なるべく早く学校へ辿り着くように頑張っていた。
それが長い夏休み期間の間に全国レベルのバスケットボールに触れ、童貞を卒業し、悠々と練習に参加する毎日の中で、完全に失われた習慣となっていたのだ。いつも通りのつもりで歩く中でスマホをチラ見したおれは、ディスプレイに表示された現在時刻に驚愕した。
_
( ゚∀゚)「うひゃ〜、遅刻ちこく!」
しかし急いだところでどうせ遅刻自体は確定していたし、おれはトーストを咥えた女子高生でもなかったので、そのままポテポテと歩いて登校することにしたのだった。
教室のドアを開ける。慣れているつもりであっても、久しぶりに全クラス中の視線が集まるこの一瞬はなかなか強烈なものがあった。
こんな時に役立つのがキャラクターだ。おれは傲慢なバスケ部エースの仮面を被り、堂々とした態度で言ってやる。
_
( ゚∀゚)「うひょー、ギリギリセーフか!?」
( ´∀`)「ギリギリところか思いっきりアウトモナ。さっさと席について、試験をはじめることにするモナよ」
こりゃ失礼、とコメディ寄りのやり取りをしてしまえばこちらのものだ。口から出るままに適当なことを言い放ち、おれはおれの席へと進む。
そこには見慣れない顔がいた。
679
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:49:05 ID:aiRS0n3g0
_
( ゚∀゚)「――」
('A`)「――」
何こいつ、とおれは素朴に思った。だっておれの席に知らないやつが何の断りもなく座っているのだ。状況を察しろという方が無理がある。
だからおれは疑問をそのまま口にした。
_
( ゚∀゚)「――ところで、君は誰だい?」
無反応。
どころか、不敵な眼差しでおれを見ているではないか。非難の色さえ見て取れそうなものだった。
何だよこいつ、とおれは思う。
沈黙がおれたちの間に漂い、雰囲気がどうしようもならないものになりかけていた。それを救ったのは、おれの前の席に座る学級委員のツンだった。
ξ゚⊿゚)ξ「この子はドクオくん。転校生よ。ドクオくん、こいつがジョルジュ。ジョルジュはさっさと座りなさい」
_
( ゚∀゚)「転校生ね!」
ツンから説明を聞くと同時に、前にどこかでそんなことを聞いていた記憶が猛烈な勢いで蘇ってきた。
680
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:49:49 ID:aiRS0n3g0
つまり、2学期から転校生がおれたちのクラスに加わってくるのだ。
そこでそいつに席を用意してやらなければならないわけだが、都合のいいことに学級委員のツンと誰もが認めるナイスガイであるブーンの席が近くにあるので、そこに埋め込んでやろうということになったのだ。
元あった席をひとつ後ろにズラすことにして、だ。それがおれの席だったわけである。
_
( ゚∀゚)「どうりで知らない顔だと思ったわ」
合点いったおれはスッキリとした気分でそう言った。改めて見ればそいつの後ろに慣れ親しんだおれの机が存在している。
問題解決。ただひとつ問題が残っているとすれば、この転校生から依然として不審げな眼差しが送られてきていることだろう。
とはいえどうしようもないことだったので、おれは自己紹介をして自分の席につくことにした。名前を言い合う。ぼそりと伝えられたそいつの名前をうまく聞き取ることができなかったが、すぐに名前が必要となることもないだろう。
後でツンかブーンにでも確認しておくことにすればいいし、授業や担任の話のどこかで名前を呼ばれることもあるだろう。きわめて妥当な判断だ。
そのように妥当な判断をしたおれに落ち度があったとすれば、どうしたって感じてしまう気まずさを誤魔化すような変なテンションでしばらく振舞ってしまったことと、結局そいつからシャーペンの芯を借りるハメになり、礼を言う際名前を知らないことを意識しすぎてしまったことだ。
_
( ゚∀゚)「――おう、ありがとよ、転校生」
転校生に“転校生”って呼びかけるって何だよ!?
素直にもう一度名前を訊けていればどんなによかったことだろう。おれはその夜、しばらくこの一連のやり取りを思い出しては寝床でごろごろ転がった。
つづく
681
:
名無しさん
:2021/12/17(金) 23:50:38 ID:aiRS0n3g0
今日はここまで。
ようやくドクオパートの1話あたりまでいきました。やれやれですね
682
:
名無しさん
:2021/12/18(土) 01:29:00 ID:aIqNbJJU0
乙です!
683
:
名無しさん
:2021/12/19(日) 02:00:36 ID:Amx5lFro0
ドクオ視点から始まったジョルジュは我が道を行くけど気の良いヤツって思ってたけど演じてたのか…
勝手な考察だけど表面的とは逆でジョルジュは気ぃ使いでドクオが我が道を行くタイプですね
ともあれこれからジョルジュ視点でドクオも絡んでくるのでしょうか?
楽しみです
あとモララーが可愛い
684
:
名無しさん
:2021/12/19(日) 14:55:16 ID:lcETwPT60
繋がったな
685
:
名無しさん
:2021/12/20(月) 01:37:14 ID:Z0WWdEWc0
色々交錯してますね
あとモララー可愛いw
686
:
名無しさん
:2021/12/22(水) 02:52:29 ID:5SYF18UY0
>>モララーかわわいいですよね!
とりあえずドクオ視点パート来ないかな?
私もなニッチな趣味やってるもんで応援したい
687
:
名無しさん
:2021/12/23(木) 03:44:48 ID:y4sauB1A0
>>686
ニッチな趣味?
ガヤしにいきますよ(*'ヮ'*)
688
:
名無しさん
:2021/12/23(木) 03:49:44 ID:y4sauB1A0
何?ニッチ?私誰も見向きもしないようなクラックギターずっとやってますよ…頑張りましょー!!!
689
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:33:07 ID:Zqx4K8pM0
2-10.雑念
部から入手しツンへ横流ししたインターハイでのおれの試合映像は、ツンによって解析・加工されていた。
これまでも見るべき動画のURLやおれのシュートフォームを録画したものをスマホへ送り付けてくることはあったのだけれど、これほど大掛かりな編集動画を見せられたのは初めてだった。
_
( ゚∀゚)「すげえなツン、お前こんなことできんのかよ」
ξ゚⊿゚)ξ「ふふん。結構すごいでしょ」
_
( ゚∀゚)「すげえすげえ」
大したもんだよ、とおれはツンを賛美する。鼻高々といった様子でツンは胸を張って見せた。
ξ゚⊿゚)ξ「でさ、ここのスクリーン・プレイだけど、この時このコースって見えなかったの?」
_
( ゚∀゚)「あん? ああこれか、いやこの時見えてはいたけどよ、パスを出す気にならなかったんだよな。なんでだろうな」
ξ゚⊿゚)ξ「・・ここのヘルプも見えてたから?」
_
( ゚∀゚)「あ〜、そうだな。確かにそうだ。たぶん出しても負けるって思ったんだろうな」
おれとツンは肩を並べてツンが編集した映像を眺め、それぞれのプレイの細かいところを吟味しながら、ひとつひとつと復習していく。ツン持参のタブレットから流れる映像は、スマホで見るよりはるかに見やすいものだった。
690
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:35:19 ID:Zqx4K8pM0
褒められて味をしめたわけではないだろうが、これ以降、ツンが動画を編集するたびに一緒に見るというのが恒例になった。
そして場所もおれの家ではなくなった。家でタブレット画面を覗いていると、必ずモララーが寄ってきては自分好みの動画の視聴をこちらに強要してくるからだ。どれだけテレビの画面を自分の好きにできたところで子供は満足しないのだ。
というわけで、おれたちは度々、例の『バーボンハウス』という店に集うようになっていた。ブーンの家だ。希望したのはツンだったけれど、反対する理由がおれにはひとつも見つからなかった。
( ^ω^)「コーヒーのおかわりはいかがだお?」
エプロン姿のブーンはそう言うと、おれとツンのコーヒーカップを手元に引き寄せ、ポットから黒い液体を静かに注ぐ。美しい所作だ。
_
( ゚∀゚)「プロ感あるな〜 かっけぇぜ」
( ^ω^)「おっおっ、おだてても砂糖とミルクくらいしか出ないお。ご使用はお好みで」
_
( ゚∀゚)「あいよ。しかしおれたち、こんな長時間居座って、店に迷惑じゃねえのか?」
( ^ω^)「この時間帯にジョルジュとツンくらいだったら大丈夫だお。それでも気になるなら、そうだな、僕がさっき焼いたチーズケーキでも注文してくれお」
_
( ゚∀゚)「営業! つ〜か、お前チーズケーキなんて焼けるのかよ」
( ^ω^)「結構旨いお?」
ξ゚⊿゚)ξ「買う買う! ふたつ持ってきてちょうだい」
飛びつくようにツンが注文する。じきに持ってこられたチーズケーキは確かになるほど旨かった。
691
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:36:29 ID:Zqx4K8pM0
少し前からツンはこの店のほとんど常連と化しているらしい。
確かに『バーボンハウス』は良い店だった。同級生の家というのも悪くないのかもしれない。問題があるとすればその同級生が男だというところだろうが、少なくともおれが見たところ、ツンがブーンからちょっかいをかけられているような素振りはない。
何ならおれも通い詰めても良いくらいだ。
_
( ゚∀゚)「ハインを送って行ったあの夜来たんじゃなければ、おれも常連になってたかもな」
チーズケーキを味わうついでに、声には出さずにおれは呟く。
何しろあの日は驚愕の連続だった。ぼんやりとその内容を頭に浮かべかけながら、しかし同時に、ツンから何か訊かれたら非常に面倒臭いな、とおれは思う。
コーヒーをひと口すする。別にやましいところがあるわけではないが、妙な質問が飛び込んでくるような変な時間を作らないに越したことはないだろう。
そのように考えて前かがみにタブレットに視線を戻したおれは、ツンがこちらに集中していないことに気が付いた。
_
( ゚∀゚)「何だよ・・ って、お前まだいたのかよ」
( ^ω^)「悪いかお?」
いや悪くはないけどよ、とおれは誤魔化すように否定した。
692
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:37:33 ID:Zqx4K8pM0
_
( ゚∀゚)「何だよ、やっぱり迷惑だっていうなら出ていくぜ? チーズケーキは食べてからだけどよ」
( ^ω^)「そんなことは言わないお。・・これをジョルジュに言うべきかどうか、ちょっと悩んでたんだけど、良い機会だから言っとこうと思ったんだお」
_
( ;゚∀゚)「何だよ怖ええな。それってツンも聞いてもいい話か?」
ξ;゚⊿゚)ξ「あたし!? えっと、もし問題あるなら席外すけど?」
( ^ω^)「大丈夫だお。というか、大したことじゃあないっちゃないお」
_
( ゚∀゚)「本当か? 怖ええんだよな〜、お前らから改まって知らされる情報ってやつはよ!」
口ではそのように言いながら、おれは多少安堵していた。こいつが大丈夫だと言うならおそらく大丈夫なのだろう。そのように思える何かがこの男にはある。
顎をしゃくって話の続きを促すと、ブーンは小さく肩をすくめて見せた。
( ^ω^)「転校生の、ドクオに対する態度のことだお」
_
( ゚∀゚)「転校生? のドクオ? に、対する態度??」
ξ゚⊿゚)ξ「あ、それはあたしも思ってた」
_
( ;゚∀゚)「おいおいツンもかよ」
絶対おれが悪いやつじゃん、と、内容を聞くまでもなくおれは言った。
693
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:39:48 ID:Zqx4K8pM0
おれが犬だったら腹を見せる形で仰向けに寝転んでいたことだろう。無条件降伏だ。
ただし、何が問題なのか、おれには皆目見当がついていなかった。
_
( ;゚∀゚)「おれが悪いのはわかった。しかし、何が悪いのかわからねえ」
( ^ω^)「? どういうことだお?」
_
( ゚∀゚)「その通りだよ。お前らがふたりともそう言うってことは、おそらくおれの方が悪いんだろうよ。ただな、おれの一体何が悪いのか、おれにはてんでわからねえんだ」
敗北は、受け入れてしまえばこちらのものだ。半ば開き直っておれはそう訊く。
ξ゚⊿゚)ξ「開き直ってんじゃないわよあんた」
すると、即座にツンに責められた。
_
( ゚∀゚)「だって、わかんねえもんはわかんねえんだもん」
ξ゚⊿゚)ξ「あら拗ねちゃった」
( ^ω^)「お代わりは紅茶にするかお? ウバのいいのが残っているお」
ξ゚⊿゚)ξ「あら素敵」
_
( ゚∀゚)「いやこれ気遣いに見せかけた営業だろ。奢りとは一言も言ってねえぞ」
( ^ω^)「バレたお」
_
( ;゚∀゚)「マジかよ! うぉい! 友達で商売しようとすんじゃねえ!」
694
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:40:37 ID:Zqx4K8pM0
半ば本気で抗議したおれに穏やかな笑顔を向けると、ブーンは静かに頷いた。
( ^ω^)「僕はジョルジュのクラスメイトである前に、ひとりの店員なんだお」
_
( ゚∀゚)「母親である前にひとりの女、みたいな言い方!」
( ^ω^)「しかしジョルジュが僕のことを友達だと認識しているとは思わなかったお」
_
( ;゚∀゚)「サラッと寂しいことを言うんじゃねえよ」
ξ゚⊿゚)ξ「内藤って結構意外とドライよね。まあでもそんなことはどうでもよくて、今の議題はあの転校生よ。転校生のドクオくん」
_
( ゚∀゚)「――ああそうだったな。で、何がいけないんだっけ?」
ξ゚⊿゚)ξ「・・態度? というか、雰囲気かしら? あんたドクオに冷たくない?」
_
( ;゚∀゚)「はぁ!? 別に、冷たくないだろ。普通だよ」
ξ゚⊿゚)ξ「そうかな。あたしには冷たく見えるけど」
( ^ω^)「僕から見てもそうだお」
_
( ;゚∀゚)「マジかよ。おれ、冷てえんだ・・?」
ちょっとだけどね、と、まるでフォローになっていないフォローをツンはした。
695
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:41:28 ID:Zqx4K8pM0
_
( ;゚∀゚)「いや〜。マジでそんなつもりはなかったな」
純粋な驚きと共におれは呟く。腕組みをして思い返してはみたものの、どう考えてもそんなつもりはなかったのだ。
おれからすると、むしろ冷たいのはその、転校生のドクオくんの方なんじゃないかとすら思えるものだ。
_
( ゚∀゚)「おれからすると、むしろ冷たいのはその、転校生のドクオくんの方なんじゃないかとすら思えるけどな」
だからおれはそう主張してみた。無条件降伏しながらの反論だ。てっきり退けられるとばかり思っていたのだが、意外にもツンは軽く頷いた。
ξ゚⊿゚)ξ「それは否定しない。あんたら、互いで互いを冷やし合ってんのよ。むしろ仲良しかっつ〜の!」
( ^ω^)「おっおっ、言い得て妙だお。確かにそんな感じだお〜」
ξ゚⊿゚)ξ「なんか見ててヤキモキするのよね。仲良しになる必要はないけれど、さっさと一定レベルの人間関係を築きなさい」
( ^ω^)「僕が言いたいことはツンに全部言われちゃったお」
ξ゚⊿゚)ξ「あら失礼」
何か補足があればどうぞ、と言うツンに、ブーンは肩をすくめて見せた。
696
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:41:52 ID:Zqx4K8pM0
_
( ;゚∀゚)「う〜〜ん」
唸るような声を上げながら、おれは口を尖らせる。はっきり言って不服だった。
おれにそんなつもりはない。しかし、それこそ深層心理の奥底に、少しばかり思うところがあるというのもまた事実なのかもしれなかった。だから反論の言葉が続かないのだ。
ξ゚⊿゚)ξ「何よ、言いたいことがあるなら言いなさい」
_
( ゚∀゚)「いや〜、なんていうか、口に出したら我ながら子供っぽい言い分だからなァ」
ξ゚⊿゚)ξ「何それ。イイカラさっさといいなさァ〜い?」
_
( ゚∀゚)「モララーの言い方!」
不意にツンから発せられた3歳児の口調に笑ってしまったおれは、どう考えても負けだった。
負けだ。これは受け入れるしかない敗北である。頭を掻きながらため息をつき、座り直す時間でおれは落ち着きを取り戻す。
それは、敗北を受け入れてしまいさえすればこっちのものだったからである。
_
( ゚∀゚)「いやさ、さっきは普通だって言ったけどよ、確かにちょっとばかり冷たかったかもしれねえ。正確には、冷たくするつもりはないが、特別暖かく接しはしないってところかな。暖かくないのを冷たいと言うなら、それはきっとそうなんだろう」
おれは自分のこれまでの言動と、その背景にある感情を思い起こしながらそう言った。
697
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:42:49 ID:Zqx4K8pM0
あの目だ。
ほとんど毎朝遅刻して教室に入るおれを眺める、あの冷ややかな視線。それを自分から乗り越えてまでコミュニケーションを取る気にはならないし、挨拶をしてもおかしくない距離に近づく前に、あいつは視線を逸らすのだ。
_
( ゚∀゚)「そりゃあ目が合いでもすれば、その時挨拶するのもおれはやぶさかではねえけどよ、あっちが無視してくんだもん」
しょうがねえだろ、とおれは言う。そして、言い出したら口から色々出てくるのだった。
_
( ゚∀゚)「そもそも転校してきて新入りなのはあっちの方だろ、挨拶ってえのは新入りの方からするもんじゃあねえのかよ。あっちが“おはようジョルジュくん”とでも言ってくれば、こっちは“おはようドクオくん”ってなもんで、仲良くできもするんだよ。これ、間違ってるか?」
どうだよおい、と、多少大げさに広げて見せたおれの主張を聞き、ツンとブーンは顔を見合わせた。
ξ゚⊿゚)ξ「・・おはようジョルジュくん?」
( ^ω^)「おはようドクオくん。い・・、言いそうにねえお!」
ξ゚⊿゚)ξ「想像の段階ですでにぎこちなさすぎるでしょ」
ウケるわ、とツンはおれのその主張を笑い飛ばした。
698
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:43:55 ID:Zqx4K8pM0
ひとしきり笑ったツンは冷めたコーヒーに手を伸ばす。そしてそこからひと口啜ると、睨むようにおれを見た。
ξ゚⊿゚)ξ「言いたいのは、それだけ?」
_
( ゚∀゚)「うっ・・ それだけ、だ」
ξ゚⊿゚)ξ「それなら優しくしておあげなさい。一度でいいから。あんたポイントガードでしょ、しかもエース・プレイヤー」
_
( ゚∀゚)「む。エースのポイントガードだったら何だってんだよ?」
ξ゚⊿゚)ξ「新入りがチームに入ってきたら、そのチームの中心選手は率先して迎え入れてあげないといけないでしょ? あんたはポイントガードなんだから、どんなに気に入らなくても一度くらいはパスを渡して、シュートを撃たせてあげなさいな。それを決められるかどうかはあっちのせいにしていいからさ」
_
( ゚∀゚)「・・・・」
ξ゚⊿゚)ξ「反論は?」
_
( ゚∀゚)「余地がねえ。くそったれ、畜生わかったよ」
お手上げの姿勢でそう言うおれの前にティーカップがカタリと置かれる。紅茶だ。赤みのかかったオレンジ色が美しい。伸びる手の主を目で追うと、そこにはクラスメイトの店員がいた。
( ^ω^)「おっおっ、これは僕からの奢りだお」
ξ゚⊿゚)ξ「やだイケメ〜ン」
荒く鼻息を吐いてカップを口に運ぶと、すっきりとした甘い香りがおれを包んだ。
699
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:44:58 ID:Zqx4K8pM0
○○○
言いくるめられたようなものとはいえ、約束は約束だった。おれにもあの転校生を拒絶する理由はない。
しかし、と同時におれは思うのだった。
_
( ゚∀゚)「改めて考えると、どうやっていいのかわからねえもんだな」
変に意識してしまうのだ。この期に及んでいきなりおれの方から声をかけるなど、なんだか変な感じがしてしまい、おそろしくわざとらしい振舞いになりそうな気がプンプンとする。
あの『バーボンハウス』でのやりとりの直後、初見でやれれば良かったのだろうが、あいにくその機を逸してしまった。あり得ることだ。理由は何とでも付けられた。
しかし、どのような理由を付けたところでおれがその最大の機会を逃した事実は変わらなかったし、その次の機会にもそのまた次にも、いくらでも何とでも、理由は用意できてしまうのだった。
_
( ;゚∀゚)「――」
そうして月日が経っていく。あいつが『バーボンハウス』でバイトを始め、おれの出場する練習試合をツンと一緒に見学しに来、ハインの絵がコンクールで入賞しても、おれはクラスメイトとしての最初のパスを、あの転校生に出せずじまいになっていた。
700
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:45:54 ID:Zqx4K8pM0
ハインの絵がVIP市民コンクールに入賞を果たした夜、おれはハインに呼び出されていた。
モララーが理解不能な寝相で布団に転がっているのを確認したおれは、母さんに一応の断りを入れて家を出た。サンダルをつっかけてしばらく歩く。川沿いの道へ出る。
行き先は『ティマート』というコンビニだ。正しいスペルは『T-Mart』。もちろんこのTは高岡グループを意味している。知るほどに恐ろしくすら思えてくるのだが、高岡グループの影響はこの地域のあらゆるところに及んでる。
その巨大な組織の末娘、ハインリッヒ高岡が『ティマート』の表でおれを待っていた。
从 ゚∀从「おう」
_
( ゚∀゚)「ん」
ほとんど言葉になっていない挨拶を交わしながら、おれはハインの手元にコンビニの袋が下がっているのを確認した。それに気づいたハインはニヤリと笑い、手に持つ袋を高く掲げる。
从 ゚∀从「メロンソーダなら買ってるぜ」
_
( ゚∀゚)「最高じゃんか」
ありがとよ、と礼を言いながらビニル袋を受け取ると、おれたちは並んで歩き出す。
もちろんその行き先は、この近くに建つラブホテルだった。
701
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:46:20 ID:Zqx4K8pM0
_
( ゚∀゚)「――ひょっとして、ここも高岡家の物件なのか?」
ある時そんなことを訊いたことがある。セックスを終えた後のまったりとした時間帯の、何気ない話題のひとつだ。ピロートークというやつだろうか。
色素の薄い髪が覆う奥から大きな瞳がおれを見ていた。わずかに首を振るようにして枕に埋もれた頭をこちらへ向けると、呆れたような笑みをハインは浮かべる。
从 ゚∀从「そんなわけねえだろ。何でも高岡家のもんだと思うんじゃねえ」
_
( ゚∀゚)「いやどこから“そんなわけねえ”のかわからねえのよ。理解不能な存在だからよ」
从 ゚∀从「ここを使うのはオレとお前の家からの距離的に妥当なのと、あのコンビニから近いからだよ」
_
( ゚∀゚)「ほ〜ん。身内割引でもあるのかよ?」
从 ゚∀从「あるわけねえだろ、定価だよ。ただ、どうせ金を落とすなら、身内のところに落としたいなと思うだけだよ」
_
( ゚∀゚)「それがどれほど“あるわけねえ”のかも、おれにはわからねえんだよなァ」
从 ゚∀从「ウヒヒ。この世間知らずめ!」
_
( ゚∀゚)「この閉じた地域の常識を世間と言いはしねえと思うぞ」
そのように口答えしたおれの頭を、ハインは強い力で引き寄せてきた。
702
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:46:56 ID:Zqx4K8pM0
ハインとのセックスに不満はなかった。
文句を言える立場におれがいないことを差し引いてもそれは確かで、美術担当の神様が乱暴に削り出したようなハインの顔は見るほどに魅了的に映ったし、格闘技か何かをやっているのだろう引き締まっている体は触れると驚くほどに柔らかかったし、何より単純に快感だった。
腕枕に感じる髪の感触も、頭の重さも、畳んで伸ばした手の平に収まる肩の触感も、それを愛おしく感じないと言ったら嘘になる。寝顔の頬を空いた方の手で小さく撫でると、何とも満ち足りた気持ちになるのだ。
しかし。
と、おれは同時に思う。
_
( ゚∀゚)「――これは、愛し合ってるわけじゃあないんだろうな」
治りきっていない傷跡をやたらと触ってしまうように、痛みを伴うとわかっていても、おれは定期的にそのような考えを頭に浮かべるのだった。
これはやめようと思ってやめられるものではない。おれは受け入れ、触るたびに走る痛みとその都度しばらく付き合い、やがて収まるのを待っていた。
703
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:48:07 ID:Zqx4K8pM0
何度考えてもそうだった。
ハインとおれとの関係は、決して恋愛関係ではない。始まりからしてそうだったし、その後も一貫してそうだ。おそらく契約関係に近いのだろう。
_
( ゚∀゚)「・・ブーンとは、やっぱり主従関係なのかな?」
声には出さず、傷口に爪を立てるようにして心の中でおれは訊く。ハインは決して答えない。問われていないのだから当然だ。そもそもブーンとハインの間に、具体的にどのような過去があるのかおれは知らないし、今実際どのような関係にあるのかもよく知らない。
やはりそれを訊くつもりにはならないし、自分でも意外なほどに、ブーンに対する嫉妬心のようなものが芽生えるわけでもないのだった。
そんな射精後のまどろみの中でハインの髪を指先に感じていると、不意に声をかけられた。
从 ゚∀从「なあ、今度また試合があるんだろ? ツンが言ってた」
_
( ゚∀゚)「ん・・ ああ、試合自体はしょっちゅうあるからな、どれのことかな。練習試合か?」
从 ゚∀从「いや、もっとちゃんとしたやつだ」
_
( ゚∀゚)「それじゃあ国体の話かな」
VIP国体が近づいていたのだった。
704
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:49:00 ID:Zqx4K8pM0
国体とは、簡単にいうと、都道府県対抗のオールスター戦である。全高校生ボーラー憧れの大会のひとつだ。おれはその県代表メンバーに選ばれていた。
从 ゚∀从「おばさんやツンと話しててよ、交代で観にいこうかって話になったんだ」
_
( ゚∀゚)「ほ〜ん。モララーは?」
从 ゚∀从「おばさんが行く時に連れてくってよ。オレは、ツンとブーンと、あいつと行くんだ」
_
( ゚∀゚)「・・あいつ?」
从 ゚∀从「お前と敵対している転校生、ドクオくんだよ」
_
( ゚∀゚)「ハァ!? 何でそんな話になるんだよ」
从 ゚∀从「どうやらツンは本気でバスケ沼に引きずり込むつもりみたいだな?」
_
( ゚∀゚)「マジかよ・・ あ、いや、別におれはあいつと敵対しているわけじゃあないけどな?」
从 ゚∀从「そんなことぁどうでもいんだよ。面白くなってきたな?」
_
( ゚∀゚)「面白いですかねえ・・?」
呟くようにそう言うおれを、ハインはニヤニヤと笑って見つめた。
705
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:49:24 ID:Zqx4K8pM0
从 ゚∀从「シタガクから選ばれてるのってジョルジュだけなんだろ? これってどのくらい凄いことなんだ?」
_
( ゚∀゚)「そうだな・・ まず、ひとつの県につきメンバーは12人だ。だから、同世代の県内トップ12プレイヤーしか選ばれないってことになるよな。ま、トップ層と言っていいだろう」
从 ゚∀从「ふむふむ」
_
( ゚∀゚)「でもさ、ただトッププレイヤーを集めただけじゃあ強いチームは作れないわけだよ。一応合宿とかがあるにはあるけど、部活の練習時間と比べたらあってないようなもんだし、練習というよりぶっちゃけ確認くらいなんだよな、その時間だけでできるのは」
ではそのメンバーに連携を植え付けるにはどうすればいいか?
簡単だ。元々連携があるメンバーを選べばいい。
その解答を耳にした瞬間、ハインは吹き出して笑った。
从 ゚∀从「逆説的だな!」
_
( ゚∀゚)「まあな、でもそうだろう? で、元々連携があるメンバーとはどんなやつらかというと――」
从 ゚∀从「でけえバスケ部のチームメイトをそっくりそのまま、となるわけか」
おれはゆっくりと頷いて見せた。
706
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:50:25 ID:Zqx4K8pM0
メンバー12人の内、県内トップ校のバスケ部から10人前後が選出されることは珍しくない。おれたちのチームもトップの2校からしかほとんど選出されておらず、おれはそんなチームの数少ない例外だった。
しかもチームの司令塔となるべきポイントガードのポジションでの選考だ。さらに今年は地元での国体開催な訳だから、優勝か、少なくとも優勝に近いところまで勝ち進めるチームを作りたいことだろう。素質や育成を重視するのではなく、勝てるチームの一員として、おれは召集されたのだ。
自分で話している内に気づいたのだが、これは結構な評価なのかもしれなかった。
_
( ゚∀゚)「な、おれって結構凄えだろ?」
从 ゚∀从「なるほどなァ、すごいすごい。ジョルジュを引っ張ってきたスカウトも鼻高々だな?」
_
( ゚∀゚)「だといいけどな」
放り投げるようにおれはそう言う。正直なところ、中学校進学の段階で会ったっきりどこで何をしているかわからないスカウトのことなど、おれはすっかり忘れていた。
肩をすくめる代わりにハインの頭を撫でていると、なあ、と再び質問を投げかけられた。
从 ゚∀从「いつか訊こうと思ってたんだが、お前、高校出た後どうすんだ?」
707
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:51:13 ID:Zqx4K8pM0
それは思いがけない質問だった。少なくともピロートークにふさわしい話題とは思えない。しかし同時に、将来の進路のような重い話題は、冗談だよと逃げられるような軽い場面でするべきなのかもしれないな、ともおれは思った。
唸るような声を上げて体を伸ばし、考える時間を稼いではみたが、あまり考えはまとまらなかった。
だからそのままを口に出してみることにした。
_
( ゚∀゚)「う〜ん・・ どうすんだろうな?」
从 ゚∀从「お、考えてない系か?」
_
( ゚∀゚)「どっちかというとそうだな。ツンに言ったら叱られそうだが」
从 ゚∀从「まず間違いなく説教モンだな。でもお前、もうバスケ部内では最高学年じゃねえか、そろそろ何か言われるんじゃねえか?」
_
( ゚∀゚)「ヤバい系かな?」
从 ゚∀从「どっちかというと、断然ヤバい系なんじゃねえか」
_
( ゚∀゚)「やっぱりそうか〜」
おれは大の字になって寝転んだ。
708
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:51:47 ID:Zqx4K8pM0
_
( ゚∀゚)「う〜〜ん」
そのままの体勢で唸り声を上げながら天井を眺めていると、ハインの顔が視界を覆うように現れてきた。
从 ゚∀从「ノーアイデアか?」
_
( ゚∀゚)「いえす、あいはぶのーあいであ。でも、そうだな、シタガクにそうしてもらえたように、特待生待遇みたいな感じで大学に行けたらいいな〜、とは思ってるよ」
从 ゚∀从「お、大学行くのか」
_
( ゚∀゚)「・・だめかな?」
从 ゚∀从「だめじゃあねえだろ。プロ志望じゃないのが意外だっただけだよ。プロは考えていないのか?」
_
( ゚∀゚)「いや、考えたことはあるさ。おれが考えなしでも、あいにくツン様が現実を突きつけてきなさるからよ」
从 ゚∀从「きなさるか」
_
( ゚∀゚)「きなさるな〜。ま、そうでもしなきゃおれに知識が入らないから、有難いっちゃ有難いんだけどよ」
肩をすくめながら笑ってそういう俺に、ハインの頭が被さってきてキスをした。
709
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:53:09 ID:Zqx4K8pM0
そのまま向かい合うように横たわる。おれは小さくため息をつく。
_
( ゚∀゚)「んでまあ調べたんだけどよ、日本のプロリーグの平均年俸って1000万ちょっとくらいらしいじゃねえか。で、10年くらいプレイするとして、ボーラーとしての生涯年収は1億から2億くらいになるわけだろう? サラリーマンの生涯年収が3億とかだろ、世間並みの生活を考えた場合、これじゃあ全然一生暮らせねえわけだよ」
从 ゚∀从「ほうほう」
_
( ゚∀゚)「だからマジでめちゃすげえ選手になる保証でもない限り、ボーラーとして以外の人生も考えとかなきゃならないわけだな。だったら大学は行っといた方がいいんじゃねえの?」
从 ゚∀从「なるほどなあ。しかし、どっちかというと親たちが言いそうな意見だな?」
_
( ゚∀゚)「う〜ん、そうだな、そうかもな。・・うちが母子家庭だったり、モラ世話してたりするからこんなことを考えるのかな?」
从 ゚∀从「さあな。ま、オレはそれが悪いことだとは思わねえがな、どっちにしても、お前はできる限りバスケを続けた方がいいとは思うゼ」
_
( ゚∀゚)「ほ〜ん。なんでだ?」
从 ゚∀从「決まってるだろ。バスケしてる時が一番カッコイイからだよ、ジョルジュ長岡という男はさ」
ニヤリと笑ってそう言うと、ハインは再びおれをセックスに誘うのだった。
710
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:53:56 ID:Zqx4K8pM0
○○○
VIP国体、初戦の相手はクックルのいる県だった。
_
( ゚∀゚)「・・マジかよ」
対戦表を見たおれはそう呟く。インターハイ以来の対戦だ。何とも縁のあることである。
( ´_ゝ`)「お、対戦相手クックルんとこじゃん。ジョルジュ、お前こないだ負けてたよな?」
_
( ゚∀゚)「うるせえな、お前んとこもじゃねえか。おれが知らないとでも思ったか」
( ´_ゝ`)「そうだったな。これは一本取られたワハハ」
(´<_` )「笑い事ではないぞ兄者。地元開催で初戦負けなんてやったら世間に吊るし上げられる」
_
( ゚∀゚)「おお怖。マッチアップする弟者がクックルをしっかり押さえてくれないとな?」
(´<_` )「そうなんだよな。俺はもう現時点で気が重い」
( ´_ゝ`)「ガンバレ」
(´<_` )「そんなに気持ちのこもっていない応援をできるやつ、他にいるかな?」
並んで大げさに肩を落としたが、この双子が県代表ではチームメイトというのは間違いなく心強いことだった。
711
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:54:24 ID:Zqx4K8pM0
ティップオフの時間が近づいていた。
センターサークルに両チームのビッグマンが集まる。こちらは弟者だ。あちらはクックルなのかと思っていたら、クックルより高身長の選手がそこに立っていた。
ジャンプ力を加味してもなおクックルより高く飛べるというのだろうか?
_
( ゚∀゚)「だったとしたら、驚異的だな」
そんなことを頭に浮かべる。
サークルのすぐ外にクックルがいる。ティップオフでこぼれたボールに目を光らせているわけだ。おれはというと、確保したボールを安全に受け取れる、全体に目を配ることのできる後方に陣取っていた。ポイントガードの立ち位置だ。小さくその場でジャンプを重ねて試合開始のテンションを用意していく。
_
( ゚∀゚)「フゥ〜 良い雰囲気だな・・」
ピリピリとした空気を肌に感じる中で、ぐるりと観客席に視線を這わす。このどこかにツンやハインがいるのだろう。明日の試合では母さんやモララーがいるのかもしれない。
今日負けてしまえばそれもなくなる。あの小さな王様に兄の偉大さを知らしめるためにも、おれは勝たなければならなかった。
712
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:55:43 ID:Zqx4K8pM0
あのセンターサークルのビッグマンがクックルより高く飛べるというなら驚異的だが、そうでないなら非常にありがたいことだ。
不自然なことだからだ。アメリカ人が作り上げた合理的なバスケットボールというゲームの中で、不自然なことをするにはそれなりの理由があることだろう。それは事情といってもいいかもしれない。
たとえば、数字上の身長がクックルより高い、ポジションがセンターである選手をティップオフの場から遠ざけることは許されない、といったようなチーム事情だ。クックルがティップオフの競り合いを嫌がらない男であることをおれは既に知っている。
_
( ゚∀゚)「うへへ、こいつは見ものだな?」
狩人のような視線を対戦相手へ向けていく。その途中に兄者がいた。こうしておれと同時にコートに立つ、高校のチームではポイントガードを務める良い選手だ。
兄者や弟者の所属する高校はいわゆる県下のトップ校で、この選抜チームにも6人の選手を提供している。半数だ。なんならチームメイトで5人の先発を組めるのだ。
そんな兄者が、こうしてポイントガードの位置におれが立つのを自然と受け入れてくれている。弟者も、他のやつらもそうだ。勝利を目指すために必要と思われることをやる以外のチーム事情がおれたちの県にはほとんどない。そのような関係性をおれたちはこれまでに作り上げてきた。
_
( ゚∀゚)「――お前らはどうだよ、クックル。そいつはお前より飛べるのか? ん?」
視線でそのようなことを問う。ティップオフの時間が近づいていた。
713
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:56:25 ID:Zqx4K8pM0
その問いの答えは、審判が真上に放ったボールに弟者の指先が先に届いたことで伝わってきた。
弟者の身体能力はとても優れているが、贔屓目に見てもせいぜいクックルと同等だ。身長は同じくらい。手足は明らかにクックルの方が長い。
タイミングの問題もあるのでもちろん100パーセントではないが、弟者とクックルがティップオフを争ったらこちらの分が悪いことだろう。
そんな弟者がティップオフで勝ってきたのだ。あちらの県のチーム事情のようなものがチラリと垣間見えるような気がおれにはしてくる。裏付けが必要だけれど、非常に有益となり得る情報だ。悪くない。
_
( ゚∀゚)「――それじゃあ、いくぞ」
念を込めるようにしておれは呟く。ふつふつと、体の奥底からエネルギーのようなものが湧き上がってくるのをどこかで感じる。自然と口角が吊り上がる。
バスケの時間だ。
手の平に吸い付いてくるようなボールの感触を味わいながら、おれは前進を開始した。
714
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:56:55 ID:Zqx4K8pM0
湧き上がったエネルギーのようなものが体を巡る。その一部がドリブルをつくボールに伝わり、さらにその一部がコートに伝わる。床から跳ね上がってきたボールが再びおれの手の平に収まり、やがて再び送り出される。
そのような感覚だ。おれは呼吸をするように、心臓が脈打つようにボールを扱う。すると次第に、自分の手の先の状態が目でみることもなくわかるように、コートのことがわかるようになってくるのだ。
溶け出る。
と、おれはこの感覚を呼んでいる。おれの意識や感覚がおれの肉体から溶け出ていくような気がするからだ。おれにとっては良い表現なので気に入っている。
良い雰囲気だと思うからか、早くもおれは溶け出しはじめていた。
バッシュのソールが床と擦れるスキール音が、選手が動く度に耳に聞こえる。その音の鋭さで動きの質もわかりそうなものである。閉鎖されたアリーナ内の、空気の振動さえ感じ取れそうな気がおれにはするのだ。
そして視界だ。見るともなしにすべてを見、しかしその一点の情報を正確に掴むことがおれにはできた。穴がある。
そう思った時には適切な動作でボールを左手に拾い上げ、考えるより先にそれを目標に向かっておれの体が投げていた。
715
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:57:34 ID:Zqx4K8pM0
投げた先の空間には弟者が飛び上がっていた。
恵まれた体躯と身体能力から空中でバランスを取ってボールを掴むと、弟者はそれを直接、リムに叩きつけるようにくぐらせた。形としてはアリウープと呼ばれるプレイだ。ただしこれをこの距離で、このダイナミックさで成功させられるコンビは決して多くないだろう。
_
( ゚∀゚)「うへへ、挨拶代わりにかましてやったな?」
(´<_` )「グッジョブだ」
ディフェンスに戻りながら視線で弟者と会話する。兄者がジェスチャーでアピールしているのが目に入る。
( ´_ゝ`)「うぉい! 俺以外で目立つことやってんじゃねえ!」
兄者はそのように大きく訴えかけていた。そのくせ誰よりも早く適切なポジションに戻っているのだから、何というか、むしろ言動に一貫性がないというものである。
_
( ゚∀゚)「そんなわけにもいかんだろ。さあディフェンスディフェンス!」
( ´_ゝ`)「むき〜! お前が仕切るんじゃねえ!」
もう長年見ている兄者の振る舞いに可愛らしさのようなものさえ感じながら、おれは自分がディフェンスすべき相手へ睨みつけるようにして対峙した。
716
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 22:58:31 ID:Zqx4K8pM0
好事魔多しというやつだろうか? そんな良いテンションの試合の中で、おれはひとつの困難に直面していた。
_
( ;゚∀゚)「――どうやら、いつもより入らんなこりゃ」
おれの最大の弱点、フリースローだ。
フリースローが入らないのだった。
どれほど試合にのめり込んでいようとも、おれはフリースローラインの上で素に戻る。それはいつもと同じなのだが、この日のオンとオフの温度差は、いつもに増して強烈だった。
_
( ゚∀゚)「まいったな。いつもより試合に没入できているから、その分調子が狂うのかねえ?」
問える相手などいないことは誰よりおれがわかっている。しかし、素に戻った頭で手に馴染まないボールの感触を味わう嫌悪感に抗うためには、他人事のようにそんなことを考える必要があったのだった。
しかし、逃避したところで現実は変わってくれないものだった。最初の3本のフリースローのうち2本を落としたおれは、次の2本で1本落とし、最悪なことに、その次の2本を両方外した。
相手のチームの舌なめずりする音が聞こえてきそうな成功率だ。いかんともしがたいことだった。
717
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 23:00:34 ID:Zqx4K8pM0
7本中2本しか成功しない、3割以下の成功率というのは流石に続かなかったわけだが、あまりの悪さに数えることを放棄した後もなお、おれのフリースローは半分以下しか入らなかった。致命的だ。極端なことを言ってしまうと、こんな成功率の選手がコートにいるなら、そいつがボールを持った瞬間殴りかかるのが一番効率的なディフェンスということになる。
もちろんこれはほとんど冗談だ。そして、幸いなことに、そこまで露骨に物理攻撃をされることはなかったが、それでもファウル覚悟のラフプレイじみた強気な振舞いにおれは直面することとなったのだった。
当然だ。
しかし、それが当然だからといって、おれには対抗手段がないのだ。
_
( #゚∀゚)「くそッ」
タイムアウトの笛が鳴る。とうとうおれは交代を宣告された。これもまた当然というものだろう。おれのフリースローは明らかにチームの穴になっていたし、何ならこのチームはおれがいない方が連携面などではむしろ有利なのだから。
おれが下がったポイントガードのポジションには兄者がそのままスライドし、兄者が担っていたコンボガードのような役割は廃止され、その代わりにもっと純粋なシューターの選手がコートに立った。兄者や弟者と同じ高校の出身選手だ。さぞやりやすいことだろう。
と、腐った態度を取っている暇はおれにはなかった。
何気なく向けた観客席の一部に、見覚えのある金髪のツインテールと色素の薄いざっくりとした髪、そしてあの転校生の姿を発見したからだ。
718
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 23:02:26 ID:Zqx4K8pM0
まったく、ひとの気も知らずによくも楽しく観戦としゃれこんでくれているものである。
_
( #゚∀゚)「――それも、両手に女子をはべらしちゃってさ!」
行き場を見つけたフラストレーションが流れるように溢れ出す。おそらくブーンも一緒にいたのだろうが、そんなことはどうでもよかった。2階席から見下ろす形で眺めるフリースローの入らないおれの姿はさぞみすぼらしいことだろう。
これは早急にどうにかしなければならないことだった。
_
( ゚∀゚)「しかしどうやって―― ん?」
その八つ当たりに似た怒りの発散が良かったのかもしれない。不意におれはあることに気がついた。
なにも、こんな調子のおれがわざわざメインハンドラーを務めることはないんじゃないか?
ベンチに座ってチームのプレイを見守るおれの視線の先には、正ポジションであるポイントガードとして楽しくプレイしている兄者の姿があった。
それまでの試合の中でもおれは兄者とハンドラー役を交代しながらプレイしていた。そして、オフボール側の動きをする中ではファウルされることがほとんどなかったのだ。
考えてみれば当然で、オフボールの選手にファウルを犯すというのは相手としてもリスクが高い。ただのラフなプレイではなくスポーツマンシップに反する悪質な行為と判断されれば、フリースローに追加してその後のボールもおれたちに与えられたり、反則した選手が退場を宣告されることもある。そんな指示出しはチームの士気にも関わってくることだろう。
_
( ゚∀゚)「――うちよりよっぽど複雑そうな、あっちのチーム事情はそれを嫌がるだろうな」
いつしかおれの頭からは怒りやフラストレーションの感情がどこかに消え失せ、その代わりにどうやって相手を打ちのめそうかと、プランを練ることで忙しくなっていた。
719
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 23:04:28 ID:Zqx4K8pM0
やがてその時がやってきた。タイムアウトの笛が鳴る。おれが再出場を監督へ直訴したから鳴ったのだ。
(´<_` )「ん。ジョルジュ、行けるのか?」
_
( ゚∀゚)「イクイク。点差も微妙なことだしな」
(´<_` )「――正直、ジョルジュ抜きではかなり厳しい。よくて善戦、現状維持が精いっぱいだな」
( ´_ゝ`)「それはそうだが、あのフリースローじゃ勝てんぞ。プレイのリズムも悪くなるし、入ったジョルジュが嫌がるんならやられ続けることだろうよ」
( ´_ゝ`)「あ、これ、俺がハンドラー続けたいから言ってるわけじゃあないからな!?」
_
( ゚∀゚)「わかってるよ、んなこたァ」
(´<_` )「ふむ。ま、休んで気分転換できただろうしな、これからは成功させられるのか?」
_
( ゚∀゚)「そりゃあわからん。というか、たぶん、駄目だろうな今日は。ハハ!」
(´<_` )「笑い事じゃないんだけどな。・・ま、でも、ジョルジュのフリースローと心中するなら仕方がないか」
頼むぜマジで、とわざとらしい大きさの責任を乗せるように、弟者はおれの肩をがっちりと掴んだ。ビッグマンの手の平を肩に感じながらおれは言う。
_
( ゚∀゚)「頼まれた。しかしな、この試合は今後、兄者にメインハンドラーをやってもらうことにしようと思ってるんだ」
( ´_ゝ`)「ハァ!?」
そんなおれの提案に、誰より驚いた声を出したのはその兄者だった。
720
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 23:06:24 ID:Zqx4K8pM0
監督とも話したのだ。
このチームでのおれの役割はポイントガードだ。全体的なゲームの流れを作り上げ、ボールを皆に分配する。起点となるボールハンドラーの役割を自分で務めることも多いけれど、せっかく兄者がいるのだから、半分くらいはボールを預けて負担をシェアする。
おれがボールを持つときは兄者がオフボールで走り、兄者がボールを持つときはおれがオフボールで走る。口で言うのは簡単だけれど、こうした仕事の共有を高いレベルでやれるというのがこのチームの最大の長所だった。
その共有バランスを大きく崩そうと言っているのだ。この土壇場で。いきなりそう宣告された当事者はとても驚いたことだろう。
( ´_ゝ`)「いやいや・・まあ、できるけどよ!?」
兄者は驚きの中でも安請け合いをすることを忘れなかった。
(´<_` )「まあハンドラー自体はジョルジュが下がってからこっちやってるし、高校ではポイントガードしてるわけだしな。できはするだろ」
_
( ゚∀゚)「だな。頼んだぜ」
( ´_ゝ`)「うむぅ・・ ジョルジュはシューターするのか?」
_
( ゚∀゚)「ポイントはそこだな。おれにシューターだけやらせるのはもったいないだろ? 点取り役もやらせてもらおう」
ニヤリと笑っておれはそう言う。視線の先にはツンがいた。それに気づいた兄者が呆れたように肩をすくめる。
( ´_ゝ`)「こりゃまた懐かしい顔だなァ。お前、あのクオリティを思い出させてくれるのか?」
_
( ゚∀゚)「ま、やるだけやってみるさ」
できなきゃフリースローと心中だ、とおれは努めて軽い口調で言った。
721
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 23:07:11 ID:jOwuLTEg0
支援
722
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 23:08:33 ID:Zqx4K8pM0
タイムアウト終了の笛が鳴る。選手の交代が告げられる。おれは小さくその場でジャンプを何度か繰り返し、ベンチに座っていた体を臨戦態勢に持っていく。
兄者や弟者にとってのツンは、今も優れたスラッシャーのままであることだろう。速く鋭いドライブですべてを切り裂きバスケットへと攻め込む、アタッカーの権化のような選手だった。
あんなプレイをそのまま再現することは今のおれでもできないが、その代わりに利用できる能力はある。ゲームの流れを把握する力や視野の広さ、フリースローを除いたシュートやパスの技術がそうだ。
そして、コートに溶け出ることができたおれは、その溶け出た範囲内を、まるで自分の手の平のように把握することができるのだった。
ベンチに座っている時間が長かったのでちょっぴり不安だったのだが、試合が再開されるやおれはそこに没入し、コートに溶け出る感覚をすぐに得られた。何とも言えない感覚だ。
さらに没入感が高まると、やがて視界から色彩が失われていき、その代わりに濃淡が強く感じられるようになってくる。意識して分析・評価するまでもなく、こちらとあちらのチームの強いところと弱いところがおれには感じられるのだ。
それは決して一定ではない。どちらのチームも弱点をカバーするように動き続けるからだ。自分のチームのできるだけ強いところを、相手のチームのできるだけ弱いところに当てようと互いに試みる。声に出されることはないが、きわめて濃密なコミュニケーションをおれたちは試合の中で繰り広げていく。
723
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 23:10:55 ID:Zqx4K8pM0
こちらの狙いはすぐに察せられたようだった。
おれは兄者との間に基準のようなものを持っていて、簡単にファウルすることができない、これまでに2個や3個のファウルを既に犯している選手がオフボールムーブの中でおれのマークとなった場合に、おれで攻めようと考えていた。
その狙いが成功することもあるし、失敗することももちろんあった。しかし、こちらの狙いをあちらが汲み取り、それに対応するために歪んだプレイをするというなら、その歪みを逆手に取ることがおれたちには十分可能だった。兄者が優れたハンドラーだからだ。
こんなメンバーでバスケをやれて、おれは間違いなく幸福だった。
_
( ゚∀゚)「――コートの上は、最高だ」
と、おれは溶け出す意識の中で考える。
ひとつのゲームと、それを構成するプレイの数々のことだけを考えていれば良いからだ。
これまで自分がどんな生き方をしてきたのかとか、家族構成がどうなのかとか、誰に愛され誰を愛すべきなのかとか、金があるとか友達がいるとかこの先プロになるとかならないとか、誰のために何のためにプレイするのが正しいのかとか。
そんなことは、コートの上ではきわめて純粋に、すべてがどうでもいいことだった。
雑念だ。
こうした雑念は限界状態に近い体を無理やり動かすための燃料としては優れているが、ただそれだけだ。スコアボードに表示された無機質な数字は、そんなあらゆるおれたちの事情をすべて等しく無価値だと断定する、神様のような存在だった。
724
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 23:13:12 ID:Zqx4K8pM0
クックルがおれの前に立っていた。
_
( ゚∀゚)「――」
( ゚∋゚)「――」
ボールはおれの両手に収まっていた。トリプルスレットと呼ばれる形だ。この体勢から攻撃側はパスもドリブルもシュートも可能であるため、3つの脅威ということでそうした言葉で呼ばれている。
あちらのチームが最終的に出した答えは『クックルで守る』ということだった。
おれのチームは即座にそれに反応し、おれにボールが集められた。こちらの答えは『ジョルジュで攻める』だ。
ポーカーでのやり取りに似ているのかもしれない。あちらはベットし、こちらはそれにコールしたのだ。その後行われるのは、どちらのカードが一体強いのかの比べ合いだ。
不思議なことだといつも思う。こうしたひとつのプレイで加算されるのは2点か3点、どんなに頑張ってもせいぜい4点である筈で、バスケは積み重ねのゲームで最終的なスコアは100点近くまで達することもザラである。割合としてはとても小さな筈なのに、このワンプレイが、皆でそれまで作り上げてきた試合の結果を大きく左右するのだ。
おれの両手に収まるこのボールはそういう意味合いのボールだった。おれはその意味を完全に理解し、しかし同時に、それも単なるひとつの雑念に過ぎないものだと切り捨てるように考えていた。
725
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 23:17:19 ID:Zqx4K8pM0
コートの上は最高だ。ただ相手を打ちのめすことを考えればいい。
――こいつにも事情があるのだろう。
留学生だ。その肉体はまるで黒曜石を加工して作られたように美しく、その身体能力の器にはおれから見ても優れた才能が満ちている。
しかし、それでも県代表チームで、自分中心にカスタマイズされたチームを作ってもらえてはいないのだった。その程度の評価しかされていないのか、それとも評価とはまた別軸の大人の事情がそこにあるのかは知らないが、結果はそうだ。
おれと同じように、所属する学校からは唯一となる選出だ。自分を送り出した学校に対する責任感のようなものを感じているのかもしれないし、どこの国出身なのかは知らないが、地元や家族に対する責任感のようなものを感じているのかもしれない。
こうした大きな大会で注目を浴びる必要性が、おれなんかよりずっと大きいのかもしれない。
しかしおれにも事情があった。
多種多様な、負けられない、勝つべき事情だ。こいつにどれほど理解可能か知らないが、おれにとってはどれも大事だ。そして、おれの事情もこいつの事情も、どちらも等しくどうでもよかった。
これからおれが、おれの体が選択するプレイが、リムにボールを通すかどうかだ。それだけが唯一にして最大の論点であり、それ以外のことは、どれもすべてがどうでもいいのだ。
_
( ゚∀゚)「――いくぞ」
と、おれは声には出さずに呟いてやる。クックルはそれを聞くことだろう。
おれの体に速度を与える靴底と床面の鋭い摩擦が、高いスキール音となってアリーナに響いた。
つづく
726
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 23:20:06 ID:FTAGVgas0
おつです
727
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 23:21:21 ID:jOwuLTEg0
乙です
728
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 23:23:56 ID:Zqx4K8pM0
今日はここまで。支援ありがとうございました。
ところで、skebで依頼して支援絵を描いてもらったので皆さまもご覧ください
とてもいいでしょ うへへ
https://pbs.twimg.com/media/FKWvaKIVQAEfEc2?format=jpg&name=large
https://skeb.jp/@nengu_housak/works/7
729
:
名無しさん
:2022/02/07(月) 23:26:19 ID:jOwuLTEg0
凄い
730
:
名無しさん
:2022/02/09(水) 10:24:50 ID:tgChh66E0
高校で県内トップクラスの兄者弟者が昔のツンのプレイを凄まじいものだと覚えてるの良すぎる
731
:
名無しさん
:2023/05/09(火) 20:05:37 ID:mYNPnDTY0
THE FIRST SLAM DUNKをこないだ観たので、バスケ繋がりってことで全編読み返しました。
縦横無尽に話が展開しているのに破綻するどころか統一感があり、作中に深く深く入り込めるこの作品が好きです、続きを気長に待っています。
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