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('A`)( ゚∀゚)川 ゚ -゚)( ^ω^)の話のようです
431
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:00:49 ID:spgifiVw0
とにかくその何とかという大事な靭帯が修復しないことには、左右に激しく運動することができないらしい。バスケは左右の動きが重要なスポーツの代表格だ。
そして、その修復には手術が必要なのだという。
ξ゚⊿゚)ξ「だから、中には手術しないでそのまま暮らす人もいるんだってさ。ま、こんなうら若き乙女の重症例だと、ほとんどいないんだろうけど」
_
( ゚∀゚)「ふゥ〜ん。一応訊くけど、ツンはどうするんだ?」
ξ゚⊿゚)ξ「もちろん受けるわ。なるべく早く。そしてさっさと治して復帰する」
_
( ゚∀゚)「・・安心したよ」
ξ゚⊿゚)ξ「ミニバスはこれで引退でしょうけどね。面倒臭いからこのままフェードアウトしてもいいかなぁ」
_
( ゚∀゚)「どうかな。顔見せたら喜ぶやつも多いだろうけど」
ξ゚⊿゚)ξ「コーチに相談したらいいか。退院の時期にもよるだろうしね」
432
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:01:36 ID:spgifiVw0
そしてその手術をなるはやで受けたツンは過酷なリハビリにも挑んだ筈だったのだが、どうやったってミニバスの全国大会には間に合わなかった。手術は無事に終了し、退院できてもいたのだが、競技レベルの運動が可能になるには長く辛いリハビリが必要となる。
仕方のないことである。おれたちはずっとツン抜きで戦わなければならなくなった。
そうして士気の下がったおれたちのチームは、それでもなんとか全国大会の1回戦には勝利できた。激戦だった。しかし、続く試合でその健闘が嘘のようにボロ負けしたのだった。
ξ゚⊿゚)ξ「いや〜、かの有名なバスケ漫画をなぞったような負け方だったね」
ツンの通うリハビリ施設で敗戦の報告を果たしたおれに、ツンは肩をすくめてそう言った。
_
( ゚∀゚)「なんだよそれ」
ξ゚⊿゚)ξ「主人公チームが全国大会で優勝候補を劇的にやっつけるんだけど、それですべての力を使い果たして次の試合でボロクソに負けるの。あんたの1回戦も劇的だったわ」
_
( ゚∀゚)「見てたのかよ」
ξ゚⊿゚)ξ「ビデオでね。さすがにこのリハビリ中の身で、遠征生観戦はできないわ。あと最近リハビリ以外も忙しくってさ」
433
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:02:00 ID:spgifiVw0
_
( ゚∀゚)「・・忙しい?」
今のツンにリハビリ以外にやることがあるとでもいうのだろうか?
そう思ったおれは、バスケにあらゆる情熱を注いでいるこの女子が、バスケ以外の何に興味を持っているのかまったく知らないことを再認識した。ほとんど幼馴染と言ってもよさそうな付き合いの長さであるのに、おれはツンが好きな音楽も知らない。絵が上手なのもついこの間知ったのだ。
そんなこと、気にしたこともないからだ。
_
( ゚∀゚)「――何か、バスケ以外にやってんのか?」
しかし今のおれには気になった。だからツンにそう訊いた。ツンはあっけらかんとした顔で小さく笑う。
ξ゚⊿゚)ξ「受験勉強よ。お受験するの」
_
( ゚∀゚)「おじゅけん!」
ξ゚⊿゚)ξ「そうそう。本当は推薦で行ける筈だったんだけど、この怪我でしょ。そのお話がなくなっちゃったからお受験するの」
434
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:03:17 ID:spgifiVw0
_
( ゚∀゚)「――すいせん」
中学受験も推薦入学も、その時のおれの頭にはまったくなかったことだった。
_
( ゚∀゚)「中学受験に推薦なんてあるのかよ」
ξ゚⊿゚)ξ「一部にはね。あたしが誘われてたのは、したらば学園っていう割と新しい私立校で、新しく女子バスケットボール部を作るから、そこに来ないかってことだった」
_
( ゚∀゚)「ほーん。そうか、ツンは中学からは女バスにいくのか・・」
ミニバス以降は男女で分かれる。それはおれたちバスケ選手にとっては当たり前のことであり、もちろん知識としては知っていたのだが、改めてツンの口から“女子バスケットボール”という単語を聞くのは、おれにとっては小さくない衝撃だった。
男子。女子。おれは男子でツンは女子だ。最後の試合を終えてミニバスから引退したおれたちは、この先味方としても敵としても、同じコートに立つことはなくなるのだ。
おれはまだこの女子に、選手として勝ったと思ったことなどないというのに。
_
( ゚∀゚)「・・なんつーか、あれだな。勝ち逃げだな、ツンは」
ξ゚ー゚)ξ「ふふん。一生頭を上げるんじゃないわよ」
得意げに見える顔でそう言ったたツンは、おれと同じ寂しさをこの時感じてくれていただろうか。
435
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:03:45 ID:spgifiVw0
○○○
ミニバスの全国大会というわかりやすい目標を消化したおれの日常は大きく変わった。
変わった日常から目を逸らすのが難しくなった、と言った方が正確だったかもしれない。
ツンとボールを持ってやりあうことがなくなったし、家からは親父がいなくなったし、母さんは母さんで外出することが増えていた。服装もなんだか機能性を第一とした実用的なものではなくなってきた気がする。艶やかな黒髪は少し長くなって時には編み込まれもし、言ってしまえば、
_
( ゚∀゚)「――男ができたな」
と、小学6年生のおれでもわかるような変化が訪れていた。
仕方のないことである。おれたちの家に親父はいないのだ。母さんの恋愛は自由になるべきものだろう。
_
( ゚∀゚)「しかし、旧姓に戻してもねェのにな。というかあいつらちゃんと離婚してんのか?」
訊けばいつものあっけらかんとしたふわふわな雰囲気で軽く答えてくれたのかもしれないが、おれはなぜだか自分の家庭の詳しいところを訊けずにそれまでを過ごしてきていた。つまり、改めて訊くタイミングを完全に逃していたのだった。
436
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:04:09 ID:spgifiVw0
おれの中には自分の家庭の詳しい事情を知っておきたい気持ちと、別に知らなくてもいいんじゃないかと思う気持ちがごちゃ混ぜになっていて、そのどちらが優勢に立つかは日替わりだった。知らなくてもいいんじゃないか派が勝つ日の方が圧倒的に多かったけれど。
_
( ゚∀゚)「――知ったところで、何も変わりゃあしねぇもんな」
もし何かが変わるとしたら、それは面倒臭い方向に変わるんだろうな、とおれは漠然と考えていた。
シンプルで楽しいのがいい。
と、おれは思う。ずっと思っていることだ。
たとえばバスケは基本的にシンプルだ。言ってしまえば籠にボールを入れたら点になり、それをやり合うだけの競技だ。もちろん細かいルールや決まりごとは無数にあって、一見難解に見えたりもするのだけれど、基本的にはシンプルなものだと思う。そして楽しい。
それに比べてどうだろう。親父がどんな理由でおれたちの家を出ていったのだとか、親父と母さんが今どんな関係性にいるのだとか、出ていく時に一言も残されなかったおれは愛されていたわけじゃあなかったのかとか。
そういったものはシンプルじゃあない。言葉にして何かを言われたとしても、それが本心からのものなのかどうかもわからないし、どのように受け取ればいいのかもわからないからだ。そしてそこらへんを考えることが楽しいようには、おれには到底思えなかった。
437
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:05:01 ID:spgifiVw0
そんな感じの面倒臭い家庭の事情は押し入れの奥にしまっておいて、おれはバスケに集中していたわけである。なんせ全国大会が待っていたのだ、誰だってそうするだろう。
おれだってそうしていたのだ。そしてその大会が終わったおれは、この面倒くさそうな現実と少しばかり正面から向き合わなければならなくなったというわけである。
从'ー'从「ねえジョルジュ、ちょっと話があるんだけど」
と、大会が終わったことを知ってる母さんが、ある日声をかけてきたからだ。
断る理由は何もなかった。嫌な予感はビンビンに感じていたのだが、親との会話を拒否する理由にはまったくならない。
おれは平気な顔をしてそれに頷き、母さんと向かい合って座ることにした。
_
( ゚∀゚)「・・なんだよ改まって話って」
弁当やスーパーの惣菜で済ますことが多いし、毎日ではないとはいえ、1日1度くらいはおれと母さんは一緒にご飯を食べている。学校やバスケの話、雑談などは、そこまでしないわけではないのだ。ただの話なら日常的にしている筈だ。
つまり、ただの話ではないお話が、これから催されようとしているのだった。
438
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:05:58 ID:spgifiVw0
予想通りというべきか、母さんの口から出てきた話は、かなり驚きの内容だった。
それも、いくつもの面でだ。
从'ー'从「ええと、いくつかあるんだけどさ。大会が終わるの待ってたらすっかりたまっちゃった。てへぺろってやつだね」
母さん以外のひとが使うのを見たことのない表現を交えながら、少しバツの悪そうな顔で母さんはそう言った。おれは軽い態度で肩をすくめて見せた。
从'ー'从「良いニュースと悪いニュース、みたいにできればよかったんだけど、どれもジョルジュにとって良いか悪いかわからなかったから、思いつくままに言っていくね。よろしくどうぞ」
_
( ゚∀゚)「あいよ」
从'ー'从「ええとね、どれからにしようかな。話す順番もろくに決めてないんだよね〜」
まるでこの場で初めて考えながら話しているような母さんは、よし決めた、と頷くと、ポンポンと自分のお腹を手の平で軽く何度か叩いた。
从'ー'从「ここに今、ジョルジュくん、あなたの弟か妹がいます」
_
( ゚∀゚)て 「ふあ!?」
驚愕。飲み食いしながら話を聞いていなかったことをおれは幸運に思った。
439
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:06:47 ID:spgifiVw0
_
( ;゚∀゚)「うおお〜、え〜、おれ、お兄ちゃんになるの?」
从'ー'从「そうです、ジョルジュはこれからお兄ちゃんになります。びっくりした?」
_
( ;゚∀゚)「いや、そりゃあするだろうよ。ええと、う〜ん、なんだろな。とりあえずはおめでとう?」
从'ー'从「ありがとう。嫌じゃないかい?」
_
( ;゚∀゚)「驚きすぎて嫌もクソもねぇや。・・まあでもそうだな、別にそのこと自体は嫌じゃあねえな」
从'ー'从「それはよかった」
_
( ;゚∀゚)「――」
从'ー'从「――」
お前と、誰の子なんだよ!?
勢いでそう訊いていられればよかったのだろうが、あいにくおれの口はそう回ってくれなかったのだった。
440
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:08:00 ID:spgifiVw0
从'ー'从「いやまあそれでさ、どうしようかな〜、って思ってて」
_
( ゚∀゚)「・・なにお?」
と素朴に訊き返したところで、おれはひとつの残酷な選択肢に思い至った。
反射的に顔を上げる。睨みつけるようにして母さんに目をやったところで、おれのその思い付きに母さんも気づいたのだろう、母さんは手を振って大きく否定した。
从'ー'从「そうじゃない、そうじゃない。もちろん産むよ。産むつもりです。だからジョルジュはお兄ちゃんになるわけだからさ」
_
( ゚∀゚)「ふい〜。なんだよ、迷ってるとか言うからさ」
从'ー'从「ごめんごめん。迷っているのは、その、この子のお父さんと、今後どうしていこうかなって思ってさ」
_
( ゚∀゚)「コンゴ」
从'ー'从「ジョルジュはあれかな、私が再婚しなかったら嫌だったりする?」
441
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:08:48 ID:spgifiVw0
――母さんが、もしも再婚しなかったら。
その言葉の通りを頭に浮かべたおれは、強烈な違和感に襲われた。
_
( ゚∀゚)「ん?」
从'ー'从「ん?」
_
( ゚∀゚)「――逆じゃね?」
从'ー'从「ぎゃく?」
_
( ゚∀゚)「こういうのって、母は再婚したいんだけど、再婚されたら子供としては嫌だよね〜、って話になるもんなんじゃねえの?」
从'ー'从「あ〜そっか。確かに普通はそうかもね」
_
( ゚∀゚)「普通とはいったい・・」
うごご、と頭を痛くなりそうな問答である。
しかしとにかく母さんのお腹には赤ちゃんがいて、どうやら母さんはその子の親と積極的に再婚するつもりはないらしい。
だからそれは誰なんだよ!?
と言いたくなりそうなものだが、当時のおれにできたのは、母さんの顔とお腹のあたりを見比べながら後頭部をポリポリと掻くことくらいだった。
442
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:10:06 ID:spgifiVw0
何はともあれ、母さんにすぐさま再婚する意志はないらしい。
_
( ゚∀゚)「――つまり、おれたちの生活ぶりが急に変わりはしないよ〜、ってことじゃあねぇの?」
幸か不幸か、親父がいなくなったことはおれたちの生活ぶりにそこまで大きな変化をもたらさなかった。しかし、そんなことを頭に浮かべたおれの安易な考えは、すぐさま母さんに否定された。
从'ー'从「いやあ、それは違うね。生活は結構変わると思う」
_
( ゚∀゚)「まじで」
从'ー'从「マジまじ。まあジョルジュは家族が増えるのに慣れてないから想像つかないのも無理ないけどさ、赤ちゃんの世話って大変なのよ」
_
( ゚∀゚)「ああそっか。おれと母さんで育てないといけないのか」
从'ー'从「そうそう。しかも私は働いているわけだしさ」
_
( ゚∀゚)「・・おれも、バスケばっかやってるわけにもいかねぇな」
从'ー'从「そうなのよ。ジョルジュのバスケ環境を第一に考えるなら、私は再婚をして、収入なり人手なりを確保すべきだと思うんだ」
_
( ゚∀゚)「夫に対する価値観よ」
そんなんだから離婚することになったんじゃね〜の、とは口が裂けても言えなかった。
443
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:10:44 ID:spgifiVw0
何にせよ、母さんの話をそこまで聞いたおれはようやく理解した。
母さんはおれにとってのバスケを大事に思ってくれていて、だから再婚に対するおれの意見を訊いていたのだ。確かにバスケのことだけを考えるならばその方が良い環境なのかもしれない。
しかし、とおれは思う。
_
( ゚∀゚)「――そりゃあちょっと説明が足りなすぎじゃね?」
从'ー'从「やっぱりそう?」
_
( ゚∀゚)「そうだろ。まさかそこまでバスケファースト思考をしてるだなんて思わねぇよ。まぁ確かにバスケは大好きだけど、弟や妹のためなら部活は辞めても別にいいさ、遊びですりゃあいいんだからよ」
从'ー'从「そうかね。ま、そう言えるんだったらいいけどさ」
笑って母さんはそう言った。
おれも合わせて笑いながら、口に出して初めて自分がバスケに対してそれほどの執着を持っていないことに気がついた。
444
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:11:25 ID:spgifiVw0
なんせミニバスは終わったのだ。ツンもこれからは女バスに行ってしまう。
区切りとしては良かったのだろう。
もちろん中学や高校での部活バスケも楽しいだろうし、やりがいもあることだろう。そんなことは当時のおれにもわかっていた。途中で辞めるとなると、それは嫌だったかもしれない。
しかし、想像力が足りていなかっただけなのかもしれないが、ミニバスが終わった直後の部活を知らないおれにとって、それはそれほど難しい決断ではなかった。
_
( ゚∀゚)「だってほら、家にコートもあるわけだしさ、バスケなんていつでもできるってもんだろ〜」
从'ー'从「あ、それは無理」
_
( ゚∀゚)「・・というと?」
从'ー'从「この家は引き払って、職場の近くに引っ越します。ジョルジュも中学生になるわけだしね。これは私が動ける間にやっとかないと」
_
( ゚∀゚)「なんと」
確かにおれたちの生活ぶりは近々大きく変わるようだった。
445
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:11:53 ID:spgifiVw0
○○○
ξ゚⊿゚)ξ「それにしてもさ、あんたコート付きの家になんて住んでたのねえ」
_
( ゚∀゚)「いやぁ、実はそうなんだ」
ξ゚⊿゚)ξ「だから最初からハンドリング上手かったのね。隠れて練習してたんだ」
_
( ゚∀゚)「隠れてはねぇけどさ」
ξ゚⊿゚)ξ「まぁいいわ。行きましょ」
_
( ゚∀゚)「オーライ」
バス停からおれの家への道を歩きながらにそんな会話を交わしていたのは、ツンから連絡があったからだった。
なんと、膝のリハビリが大体のところ済んだのだという。それを聞いたおれは、喜びのあまり、あやうくその場に飛び上がってしまうところだった。
_
( ゚∀゚)『ウヒョ〜! やったじゃねかぇか。これでまたバスケが・・!』
ξ゚⊿゚)ξ『機能としてはね。で、どのくらいのプレイが可能なのか、どこかでさっさと確かめたくてさ』
446
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:12:27 ID:spgifiVw0
“どこか”の候補としてまっさきに思い浮かんだのはあの公園だった。
ただし縁起はすこぶる悪い。おれの口から提案するというのは、とてもじゃないができなかった。
ξ゚⊿゚)ξ『でもさ、あの公園はなんだか嫌じゃない?』
_
( ゚∀゚)『――だな』
ξ゚⊿゚)ξ『だから、どこか知らないかなと思ってさ』
_
( ゚∀゚)『う〜ん。ミニバスの体育館は?』
ξ゚⊿゚)ξ『もうコーチに訊いた。今日は空いてないってさ』
_
( ゚∀゚)『そうか〜。・・それじゃ、ウチ来るか?』
ξ゚⊿゚)ξ『うち? あんたんち?』
_
( ゚∀゚)『おれんち。ハーフサイズだけど、庭にコートがあんだよね』
ξ゚⊿゚)ξ『やだ、超イケメン』
といったわけである。引っ越したら評価が変わるのかもしれないが、この時点のおれは確かにイケメンだった。
447
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:13:30 ID:spgifiVw0
そして最寄りのバス停情報をツンに知らせたおれは、急いで母さんに報告をした。
家に女の子を呼び、コートをふたりで使うのだ。もし何も言わずにこれがバレたらと思うと冷や汗が出る。たとえ仕事で不在であることがわかりきっていようと、スティールの可能性を常に頭に置いてボールを扱うポイントガードのように、おれは母さんにメッセージを送った。
_
( ゚∀゚)『これから友達を家に連れてくわ。コート使っていい?』
从'ー'从『どうぞどうぞ。今日はちょっぴり早く帰るからそのまま在宅してなさい』
_
( ゚∀゚)『りょ〜かい』
なんとも危ないところだった。最寄りのバス停でツンを待つおれはそっと胸を撫でおろす。もしこの連絡をしていなかったら、いつもより早く帰った母さんが、前情報なくツンと遭遇してしまっていたかもしれなかったわけなのだ。
悪いことをしているつもりはないけれど、それを親に見られていいかどうかはまったく別の話である。やがてツンがバスから降りてきた。
_
( ゚∀゚)「こわいこわい」
ξ゚⊿゚)ξ「おつかれ。いったい何が怖いのよ」
_
( ゚∀゚)「親の早めの帰宅がこわい」
448
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:14:10 ID:spgifiVw0
バスから降りたツンを迎えたおれは冗談交じりにそう言った。気になるあの子を初めて自分の家に呼んだ、純朴な少年のような顔をする。できただろうか?
無理だ。ツンとバスケができるという興奮が口の端に浮かんでしまう。
ツンはざっくりとしたベンチコートを着ていた。ミニバスで見る、冬のいつもの格好だ。その下には黒地にピンクのラインが入ったジャージが隠れているのだろう。
紳士らしく、おれはツンの持つスポーツバッグを右手に受け取ることにした。
ξ゚⊿゚)ξ「お、荷物持ちしてくれるの?」
_
( ゚∀゚)「紳士だからな」
ξ゚⊿゚)ξ「ほ〜。それじゃ、並ぶときは車道側を歩きなさいよね」
_
( ゚∀゚)「おーけい」
ξ゚⊿゚)ξ「いやあ、それにしてもさ」
あんたコート付きの家になんて住んでたのねえ、とツンにからかいの口調で言われ、おれたちは並んで歩道を歩きだした。
449
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:14:30 ID:spgifiVw0
ξ゚⊿゚)ξ「おお。本当に庭にコートがある!」
_
( ゚∀゚)「簡単に掃除するから支度してな」
早くもベンチコートを脱ぎかけているツンにそう言うと、おれは庭の隅からコートのお手入れグッズを運んできた。毎日の習慣というわけではないが、今日ばかりはできるだけ良い状態のフロアを使ってもらいたかったわけである。
ざっと掃いて小さなゴミや埃を取り除き、バケツで水をぶっかけてモップで水拭き・乾拭き処理をした。目に見えてコートのコンディションが整っていく。
庭のコート用バッシュの靴底で擦ってやると、キュキュっと小気味の良い感触がした。
_
( ゚∀゚)「ふい〜、久しぶりにやると疲れるな」
ξ゚⊿゚)ξ「良いウォームアップになったんじゃない?」
声のした方に目をやると、冬の野外の寒空の下、見慣れたジャージのツンがいた。
足元はバッシュだ。自分の練習用ボールを持っている。
そして、手術をした筈の左足から、ツンはコートに足を踏み入れた。
450
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:15:25 ID:spgifiVw0
確かにおれの体はコートの手入れによって温まっていたが、コートに並んだおれとツンは、どちらからともなく改めて準備運動を開始した。
無言で体を動かしていく。ミニバスの日々で体に染みついたルーチンワークだ。互いに何も言わずとも、今何をして次何をするのかがわかっている。
ある程度体を動かしたところでツンのボールを使い、簡単なドリブルやパスをお決まりの儀式に加えていく。そしてシュートだ。相変わらずツンのバスケットボール動作はなめらかで、見ているだけでおれは何とも嬉しくなってしまう。
ボール表面の感触が手の平になじむ。徐々に臨戦態勢が整っていくのがわかる。
少しずつコップに注いだ水がある一点であふれるように、やがてその時が訪れた。
ξ゚⊿゚)ξ「――やろうか」
_
( ゚∀゚)「――おう」
もはやおれたちに長い言葉は必要なかった。今から何をするのかわかっているからだ。これから打ちのめすべき敵なのだと、既に互いに認識している。敵と交わすべき言葉などどこにもないのだ。
スリーポイントラインをやや出たところ。そこにツンが立っていた。
おれはツンと対峙するように間合いを取り、ツンから投げられたボールを受けた。
451
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:15:58 ID:spgifiVw0
おれはツンの持っている練習用ボールのサイズもメーカーも知っている。そして同じものを持っている。毎日触る、おれにも馴染みのボールの筈だ。
なのに、久しぶりにツンからのボールを受けたその感触は、とても新鮮なものだった。
_
( ゚∀゚)「――」
黙ってそのボールを投げ返す。ツンも黙ってそのままボールを受ける。
来いよ。
と、おれがわざわざ言うまでもないのだ。ツンはポジションについている。おれも間合いを詰めて守備の体勢となっている。
ボールを受けたツンはトリプルスレットと呼ばれる姿勢になっていた。その場でボールを保持し、シュート、ドリブル、パスを好きなタイミングで選択できる。だから3つの脅威ということで、この形はトリプルスレットと呼ばれている。
その佇まいや雰囲気だけで、ツンの実力がわかるというものだ。
対峙するだけでぞくぞくとしたものを感じる。
おれのボーラーとしての本能が、それらの脅威を感じ取っているのだ。
452
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:16:56 ID:spgifiVw0
この純粋な1対1の対決において、パスはそもそもありえない。効率性を考えればその場でシュートというのもまずないだろう。
これからツンが取るだろう行動は、ほとんどドリブル突破1択だ。
おれにはそれがわかっている。ツンにもそれはわかっていることだろう。
それがすさまじい脅威なのだった。
あちらに味方がいないように、こちらにも味方はいないのだ。
背後に広がる無限のようなスペースをひとりで守り、突破を警戒しなければならない。
肩。
ツンの体が小さく動くと、おれの体がそれに対して反応をする。
行動の選択をしていない段階での駆け引きだ。
おれはツンのオフェンス能力を知っているし、ツンはおれのディフェンス能力を知っている。
お互いに、安易に選択を確定したら、たちまちその逆を取られてしまうのだ。
453
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:19:35 ID:spgifiVw0
美しい形だ。
と、おれは思う。そのツンの構えに対してだ。
ツンが、これまでのバスケットボール人生の中で、何千回、何万回と繰り返してきた形なのだろう。
機能美というやつなのかもしれない。3つの脅威をディフェンスに突き付け、そのどの選択へも速やかに移行できる形になっている。対峙するとそれがよくわかる。
この1対1でもそれは同じだ。
どの方法を取るにせよ、もっとも鋭くおれを切り裂くことのできる体勢になっているのだ。
右足。駆け引きの形を少し変えるのだろう。そしてツンはボールをその場でつきだした。何歩か後退。それに付いていくおれとの距離が少し空く。
いつでもシュートを放てる選択肢を捨て、リズムと体重移動を使った駆け引きと、助走距離を手に入れたというわけだ。
来る。
そう察した瞬間、ツンが体を倒して突っ込んできた。
454
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:20:46 ID:spgifiVw0
ドライブだ。ゴールに向かって行うドリブル突破をおれたちボーラーはそのように呼ぶ。
ξ゚⊿゚)ξ「コツ? そうねえ、思いっきり体を倒して、コケそうになるのを堪える力で突っ込んでいく感じかな」
以前ツンにドライブのコツを訊いた時にはそんな答えが返ってきた。
てっきり地面を思い切り蹴って加速するものだと思っていたおれは、その返答にとても驚いたのを覚えている。そして、試すとそれは確かにしっくりとくる感覚だった。
転倒に抗う本能的な動きはおそらく、脳からの指示で出る以上の力を体に強制するのだろう。
なるほどツンのドライブは低く鋭い。対応に十分慣れていなければ、予測していても止められないことだろう。
ただしおれは慣れていた。
そのドライブの仕掛けもまたフェイントの一部である可能性をケアしながらも、十分な足運びで付いていける。完全に止めることは無理だが突破はさせない。
いつものツンの、これ以上ないドライブだ。対応に慣れていて、おれにどんなディフェンス能力があったとしても、これ以上の妨害は不可能だ。
と、おれは思った。しかし違った。
転倒に抗う力で加速していた筈のツンが、どういうわけだか、そのままの勢いでコートに倒れ込んでいたのだった。
455
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:22:25 ID:spgifiVw0
_
( ;゚∀゚)「――ッ! 大丈夫かよ!?」
思わず駆け寄ったおれに、ツンは心底驚いたような顔をした。
ξ;゚⊿゚)ξ「うあ〜 びっくりしたぁ」
_
( ;゚∀゚)「足、滑ったのか? やっぱ体育館とは違うからな。怪我してないか?」
ξ;゚⊿゚)ξ「大丈夫よ怪我じゃない。滑った? いや――」
違う、とツンは言いかけ、おれから目をそらしたのがわかった。
そのそらされた目線を追ったわけではないが、おれは自然とツンの左膝に目をやっていた。大事な靭帯が傷つき、手術をし、リハビリを重ねて治った筈の左足だ。
_
( ゚∀゚)「――痛むのか?」
気づくとおれはそう口に出していた。その言葉にツンは答えず、しかしバツが悪そうな様子でその膝をゆっくりとさする。
やがて、目を伏せたままのツンはポツリと言った。
ξ ⊿ )ξ「痛くは、ないわ」
痛くはない、と、ツンは最終確認をするように言葉を重ねた。
456
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:24:12 ID:spgifiVw0
少なくとも膝に痛みがないというのは良いことの筈だった。
どんなに丁寧に手入れをしていたとしても、屋内競技用に作られた体育館の床と雨ざらしの野外コートの感触はおそらく大きく違うだろう。
おれはシューズを履き替えることでその感触を切り替えているし、そもそも庭のコートに慣れているのであまり気にはならないのだろうが、ツンはまったくそうではない。日頃のコートの手入れもおざなりだ。
いっそ公園にあるただの砂の地面なら良かったのだろう。あのまったく整備されていないコンディションで全力ドライブをする気にはならない。
その点、うちのコートはまがりなりにもコートだった。
いつものシューズでいつもの勢いのドライブを、初めての野外コートで行ったのだ。足が滑っても不思議ではない。
それだけのことだった。
それだけのことの筈だったのだが、ツンはその場に座り込んだまま、立ち上がろうとしなかった。
ツンの練習ボールがフェンスに当たり、転がるのをやめてもそうだった。
おれは黙ってボールを拾い、ツンが脱いだベンチコートを運んで座ったままのツンの肩に丁寧にかぶせた。
457
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:24:54 ID:spgifiVw0
なんせ真冬の寒空の下だった。膝が痛まないにしても風邪を引くことは十分ありえる。
もうしばらく待って、それでもツンが何も言わず動かないようであれば、暖かい飲み物でも用意して家の中に誘った方がいいだろうか、なんてことをおれは考えていた。
ツンがいったいどんな状況なのかがまったくわからなかったからだ。こちらからすぐ声をかける気にはどうにもならなかった。
ツンの視界に入らない、しかしおれの存在を感じられるだろう距離に座り込み、おれはしばらくぼんやりと待った。
風に流される雲がゆっくり形を変えていくのを眺めていると、ツンが動いたのが気配でわかった。何かを話しだそうとしているのだろう。おれはそれをただ待った。
ξ ⊿ )ξ「・・コート、ありがとう」
_
( ゚∀゚)「おう。そりゃいいけどよ、どうしたんだよ。痛くはねぇんだろ?」
ξ ⊿ )ξ「うん、痛くはない。足が滑ったんでもないの」
_
( ゚∀゚)「そ〜なん? 滑って転んだんだと思ってたぜ。体育館とはやっぱ違うしよ」
ξ ⊿ )ξ「・・足が、出てこなかったのよ」
458
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:25:57 ID:spgifiVw0
ドライブを仕掛けようと思ったら足が思ったように出てこなかった。
だから転倒しかねない勢いで始めた1歩で、そのまま転んでしまったらしい。
_
( ゚∀゚)「納得」
おれは素直に納得した。そういうこともあるかもしれない。最初に転んだところでツンが驚いたような顔をしていたのも、単純に驚いていたのだろう。
少なくとも、その時点では。
納得したおれがツンの方に顔を向けると、ツンはおれをまっすぐ見ていた。
ξ゚⊿゚)ξ「リハビリもちゃんと終わらせたし、痛くはないの。昔と同じに普通に動く。ドリブルもパスもシュートもできた」
_
( ゚∀゚)「おう、さっき見たよ」
ξ゚⊿゚)ξ「ただ、昔と同じに普通に動く筈なのに、ドライブの時に足が出てこなかった。痛みが走ったわけでも、怖いと思ったわけでもないのに」
_
( ゚∀゚)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「びっくりした。こんなこともあるんだ、って。これまであたしの体はあたしの思ったように動いてくれて、この足も治った筈なのに」
びっくりして、それからちょっぴり怖くなったのだとツンは言った。
459
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:26:56 ID:spgifiVw0
おれはしばらく何も言えずにただツンの顔を眺めていた。
ツンもまた、しばらく何も言わずにただおれに眺められていた。
_
( ゚∀゚)「・・そうか」
ようやくおれの口から出てきた言葉はただの呟きのようなもので、何の役にも立ちそうには思えなかった。
ただ今回そうだっただけじゃあないか。
これからまた慣らしていけば、前のように足も出るようになる筈だ。
そんなことを言えば良かったのだろうか?
そんなことは、おれにはできないことだった。
出会ってからそれまで、ツンは一貫しておれより優れたバスケットボールプレイヤーで、そのドライブの鋭さといったら誰にも真似できないようなものだったのだ。
その一番の武器を、思うように振るえなかったのだという。
その絶望や、絶望に対する恐怖を、言葉のひとつなどで慰めることなど、できる筈のない、すべきではないことのように、当時のおれには思われた。
460
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:27:39 ID:spgifiVw0
_
( ゚∀゚)「――そうか」
おれはもう一度呟くようにそう言った。
ξ゚⊿゚)ξ「そうみたい」
ツンもまた、呟くようにそう言った。
気休めの言葉はいくらでも用意できたが、おれがツンにこの状況で言うべきことは、やはり何もないように思われた。
その代わりに、立ち上がったおれはツンの練習ボールを拾い上げ、強く2度3度とドリブルをついた。
_
( ゚∀゚)「体、冷えたか?」
座り込んだままのツンが睨みつけるようにしておれを見る。
良い目だ、とおれは思う。
ξ゚⊿゚)ξ「まさか」
おれが肩にかけたベンチコートを脱ぎ捨て、ツンはゆっくりと立ち上がった。
461
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:29:06 ID:spgifiVw0
スリーポイントラインをやや出たところ。それがおれの立ち位置だった。
その正面にツンがいる。おれは地面にバウンドさせてボールをツンへ送り、ツンはそれをまっすぐに投げて返してくる。
ツンからのボールを受ける。低い姿勢。ツンがただちにディフェンスに貼り付いてくる。
おれたちにそれ以上の言葉を重ねる必要はなかった。
怪我はしていないし痛みもない、とツンはおれに言ったのだ。コートでおれの前に立ち、さらに怪我人でないと言うのなら、手加減をする必要はどこにもない。
連絡は取っていたが、ツンは辛かっただろうリハビリの日々をおれに付き合わせることはしなかった。おそらく弱いところをおれに見られたくなどないのだろう。おれもツンの弱いところなど見たくない。
その場のおれにできるのは、ただ全力でツンを叩きのめすことだけだった。
プレッシャーが強い。いつものツンのディフェンスだ。
それがおれには嬉しかった。
462
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:30:24 ID:spgifiVw0
○○○
ツンのディフェンスは悪くなかった。
足もよく動いていたと思う。さすがにブランクが長いので前の通りとはいかないが、これなら何の心配もないと言ってもまんざら嘘ではないだろう。
_
( ゚∀゚)「フフン、おれの勝ちだな」
ξ゚⊿゚)ξ「病み上がりに勝ち越しただけでいい気になってりゃ世話ないわね。それほど圧倒できてたわけでもないくせに」
_
( ゚∀゚)「勝った筈なのに何も言えねぇ」
どうやらドライブ以外のバスケットボール動作に影響はほとんどないらしく、ツンは依然として良い選手だった。
ただし、あの転倒以来、突破を目的とした鋭いドライブをツンは一度も試さなかった。もちろんディフェンスとの駆け引きにドリブルを使って状況をコントロールすることはざらにあったが、相手と試合を支配するような圧倒的な切れ味を見せることはなかったのだ。
ツンが無事復帰できそうだという安堵と、はたして今後完全な復帰ができるのだろうかという少しの不安が混ざった汗をおれたちが流していると、遠くでドアの開く気配がした。
463
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:31:37 ID:spgifiVw0
反射的に家の中を覗き込み、玄関が開こうとしているのを確認する。間違いない。泥棒か強盗、ドアチャイムに返答がなくとも上がり込んでくる種類の宅配便でもなければ母さんが帰ってきたということだろう。
おれはツンと顔を見合わせた。
_
( ゚∀゚)「あ〜、たぶん母さんだわ。そういや今日は早く帰るって言ってたな」
ξ゚⊿゚)ξ「言ってたね。それじゃ、そろそろあたしは挨拶だけして帰ろうか?」
_
( ゚∀゚)「そうだな〜。ツンに会ったら飯とか誘ってきそうだけど」
どうすっかな、と呟くように言いかけていると、玄関のドアの向こうに誰がいるかが見えてきた。
予想通りそれは母さんだった。予想と違ったのは、母さんだけではなかったことだ。
母さんに促されるようにして、知らない男がおれの家に入ってこようとしていたのだった。
庭から体を乗り出すようにしてその驚愕の事態を見守っていると、母さんが声をかけてきた。
从'ー'从「お〜、やってるね。あらツンちゃんも。いらっしゃい。お友達というのはツンちゃんだったか」
_
( ゚∀゚)「のほほんとした反応!」
おれにはわけがわからなかった。
464
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:33:54 ID:spgifiVw0
母さんが家に男を連れてきたということは、つまりはそういうことなのだろう。
事前に説明しとけよと思わないでもないが、まあ許せる。言い出しづらいというのもあるかもしれない。
ただ、おれは友達を家に連れて行くと言ったのだ。母さんはそれに返信をした。
我が家の恥部とは言わないが、あまり積極的に言いふらすべきではなさそうに思えるこの状況を、おれの友達、それも女子であるツンにいきなり知られるというわけだ。
これをおれに伝えておかないというのはあんまりなんじゃあないだろうか!
と、おれは思ったわけだった。だから自然とおれの口ぶりは棘のあるものになる。
_
( ゚∀゚)「母さんよお、お客さんが来るならそう言えよ」
从'ー'从「ごめんごめん。私なりのサプライズをしようと思ってさ」
_
( ゚∀゚)「サプライズって。友達が来てるときにするようなもんじゃねえだろ〜がよ」
从'ー'从「いやぁ、それもサプライズの内ってことで。でもツンちゃんだったとはね、ちょっと気まずくなっちゃったかな?」
_
( ゚∀゚)「なっちゃったかな? じゃ、ねぇ〜わ! 信じらんねぇ!」
なに考えてんだ このアマ! とばかりにおれが憤ってみたところで、不思議なほどに母さんは気にならないようだった。
465
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:35:28 ID:spgifiVw0
頭を掻きむしりながらツンの方に目をやると、ツンは声も出ないようだった。
そりゃそうだ。友達の家で遊んでいたら、その母親が男連れで帰ってきたのだ。雰囲気から察するに父親や親族ではないらしい。まったく前知識のないまま友達の複雑そうな家庭事情を突き付けられ、どう振舞っていいのか途方に暮れていることだろう。
しかしツンはおれより大人だった。混乱している様子ながらもこの家の家主に挨拶をする。母さんと会うのは入院中以来のことだろう。
ξ゚⊿゚)ξ「・・ええと、おばさん、お久しぶりです。お邪魔してます」
从'ー'从「怪我はもういいの? おばさんも心配してたのよ」
ξ゚⊿゚)ξ「まあそれなりに。・・それから、渋沢さんもお久しぶりです」
_、_
(,_ノ`)「久しぶりだな。元気そうで安心したよ」
_
( ;゚∀゚)「えェ 知り合いの感じ!? 何それ」
从'ー'从「ほらジョルジュ、渋沢さんよ」
_
( ;゚∀゚)「知らねェよ誰だよ!」
ξ゚⊿゚)ξ「したらば学園のスカウトさんよ」
_
( ;゚∀゚)「スカウト・・ええ!?」
466
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:36:49 ID:spgifiVw0
それは何重にも重なった驚きだった。
まず何も知らされずに母さんが男連れで帰ってきた。
そして、てっきりそいつが母さんのお腹の赤ちゃんの父親か何かなのだとばかり思っていたら、なんとその男はどこかのスカウトさんなのだそうだ。
おれにはまったくわけがわからなかった。
しかし母さんは落ち着いており、ツンも何かを察したかのように静かだった。テンパっているのはおれだけだ。
そんな理解不能な空気の中で、男はゆっくりと口を開いた。
_、_
(,_ノ`)「説明の手間が省けたな。・・どうも、ジョルジュくん。渋沢です。私立したらば学園、部活動方面のスカウトだ」
今日は君をしたらば学園へ誘いに来たんだ、と、その渋沢と名乗った男は言ったのだった。
つづく
467
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:42:17 ID:EcedVIJg0
乙す
468
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 22:44:23 ID:spgifiVw0
今日はここまで。
ずいぶん間が空いてしまいましたね。ごめんしてけろ。
あやうくエタりかけましたが、皆さまの乙や感想のおかげでなんとか続けることができました。
マジ感謝。今後もよろしくお願いします。
469
:
名無しさん
:2021/03/23(火) 23:21:46 ID:PZjFGMzo0
待ってたよー
470
:
名無しさん
:2021/03/24(水) 01:58:56 ID:6vqyJ4NA0
乙です!わーい続きだわーい!
今回のバスケシーン、いろいろな感情が湧いたり乗せられたりしちまったぜい
二人の関係性めちゃすこ
471
:
名無しさん
:2021/03/25(木) 10:57:52 ID:mn7AMjcg0
抱けーっ!
472
:
名無しさん
:2021/04/01(木) 03:20:29 ID:8Ssan5FE0
勧められて読み始めたんだけどおもろすぎて一気読みしたわ
続きがめっちゃ楽しみ
473
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:17:25 ID:BhrHIiAE0
2-5.ラスト1本
話はトントン拍子で進んでいった。
おそらく事前にスカウトの渋沢さんと母さんの間で話し合われていたのだろう。後はおれの合意を得るだけといった感じで大人の話が繰り広げられた。
なんせ、もうすぐ引っ越しというタイミングで、引っ越し先から徒歩で通える範囲の私立校からのお誘いなのだ。純粋な気持ちで話を聞けという方が無理がある。
从'ー'从「それじゃあ条件的にはそんな感じで。ジョルジュはそれでいいかしらん」
_
( ゚∀゚)「おれは別にいいけどよ。子育て本当に大丈夫なのかよ」
从'ー'从「それはまぁ、保育園もあることだしね」
なんと近所に保育園もあるらしい。至れり尽くせりとはこのことだろうとおれは思った。
むしろこの囲い込まれた状況で、おれが話を断ってしまうと、大人の世界での不都合がわさわさ出てくるのかもしれない。
当時のおれがそこまでちゃんと考えていたとは思えないが、何にせよおれはこの推薦話を受けてみることにした。断る理由が何もないというのが最大の理由だったのかもしれない。
474
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:18:14 ID:BhrHIiAE0
ツンは帰ることなくおれの隣に座っていた。横から口を挟むことはせず、黙って大人の話を聞いていた。
_、_
(,_ノ`)「よおし、それじゃあそういうことで。今日はいい話ができてよかったよ。ツンの様子も見られたしな」
話が終わったような雰囲気となり、そう渋沢さんから声をかけられて初めてツンはその口を開いたのだった。
ξ゚⊿゚)ξ「あらそう? 渋沢さん、あたしのことなんて忘れちゃったと思ってた」
_、_
(,_ノ`)「それはないな。確かに特待生枠は使えなくなったけれど、俺は今もツンが欲しいと思ってるよ。ちゃんとを受験してくれたんだろうな?」
ξ゚⊿゚)ξ「ふふん。ちゃんと勉強しましたよ」
_、_
(,_ノ`)「・・結果は?」
ξ゚⊿゚)ξ「モチロン合格」
_、_
(,_ノ`)「お前がバスケ上手な上に頭が良くってよかったよ」
ξ゚⊿゚)ξ「資料提供に親への説明も含めて、お膳立てされましたからね」
頑張らせていただきました、とツンは胸を張って言っていた。
475
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:19:07 ID:BhrHIiAE0
どうやら私立したらば学園の一般入試は既に終わっているらしい。その合格発表も済んでいる中、今おれに入学の話が来ているというのも何とも不可思議なことではあったのだが、そんなことよりツンと同じ学校に通えるというのは嬉しい驚きだった。
_、_
(,_ノ`)「さてと、それじゃあそろそろお暇するとしようかな。ツンはどうするんだ? 送って行ってやってもいいが」
ξ゚⊿゚)ξ「そうですね。あたしも――」
そろそろ、と口を動かしながら、ツンはちらりとおれを見た。
アイコンタクト。おれたちの連携は完璧だ。何か話したいことがあるのかもしれないとおれは察する。
_
( ゚∀゚)「バスで帰るならそこまで一緒に歩こ〜か?」
ξ゚⊿゚)ξ「あらそう? それじゃあそうしようかな」
_、_
(,_ノ`)「おや、これはフラれてしまったな」
从'ー'从「あらあらうふふ」
_
( ゚∀゚)「うるせぇなァ。さっさと行こうぜ」
476
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:20:15 ID:BhrHIiAE0
帰りの挨拶もそこそこにツンと外へ出たおれは、大きく深呼吸をした。
_
( ゚∀゚)「ういい〜 なんだか疲れたな」
言葉に出して気づいたが、おれはどうやら疲れているようだった。
この日は予期せぬ事態が多かった。ツンの怪我の影響を思わぬところで感じたこともそうだったし、大人の話を聞かせられたのもそうだったし、おれの進学先が決定したのもそうだった。
そこらへんの公立中学に行くとばかりおれは思っていたのだ。
_
( ゚∀゚)「あ、そういやこれで、流石のやつらとはチームメイトにならんのか」
別にいいけど、と思ったことをそのまま口に出す。ツンが肩をすくめて見せた。
ξ゚⊿゚)ξ「流石の兄弟たち? 一緒にプレイしたかったの?」
_
( ゚∀゚)「いや別にいいんだけどさ、この前の試合後にそんなことを話したんだよ」
ξ゚⊿゚)ξ「ふうん。ま、お互いちゃんとやってれば、県選抜とかで一緒にやれることもあるんじゃない?」
_
( ゚∀゚)「県選抜! そういうのもあるのか」
ξ゚⊿゚)ξ「あんた本当に何も知らないわね」
ツンは呆れた口調でそう言い、笑った。
477
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:21:10 ID:BhrHIiAE0
おれたちは雑談をしながらバス停まで歩き、バスが来るまでしばらく話した。
内容は取り留めもないことだ。知らないことだらけのおれに、ツンは色々と教えてくれた。
私立したらば学園のこと。中学男子バスケのこと。おれの引っ越し予定を知ったツンは、今コート付きの一軒家に住んでいるのにそこから引っ越しするなんて信じられない、と大げさに嘆いて見せた。
ξ゚⊿゚)ξ「でもさ、いいよね、あたしも将来買おうかな。コート付きの一軒家」
_
( ゚∀゚)「売る時が大変って母さんは言ってたぞ」
ξ゚⊿゚)ξ「だから売ったりしないって! そもそもあたし、お金持ちになるつもりだし、趣味の家が売れなくたっていいんだもん」
_
( ゚∀゚)「ほ〜 お金持ちになりますか」
ξ゚⊿゚)ξ「うん。お医者さん。バリバリ稼いでコート付きの一軒家に住む。大きな犬とあらいぐまのラスカルを飼ってやる」
_
( ゚∀゚)「あらいぐまは害獣らしいぞ」
ξ゚⊿゚)ξ「ガイジュウどんとこい!」
そう言いツンは道に転がる小石を蹴った。
478
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:22:18 ID:BhrHIiAE0
そうして蹴られた小石が転がっていくのを眺めていると、その向こうからツンの乗るバスがやってきた。
ξ゚⊿゚)ξ「お、来たね。それじゃあ4月からもよろしく。これからはオナチュウってやつだね」
_
( ゚∀゚)「オナチュウ? ああ、同じ中学ってことか。・・それまでにも何かあったら連絡しろよな。おれも何かあったら連絡するから」
ξ゚⊿゚)ξ「何それ? いいけど。それじゃあさよなら」
_
( ゚∀゚)「あばよ」
そうしてツンがバスに乗り、ツンを乗せたバスが発車して見えなくなってからも、おれはしばらくそのままバスの行った先をぼんやりと眺めて過ごした。地面に目をやる。ツンが蹴り飛ばした石がそのままのところに転がっている。
この時間でおれたちが話したのは他愛のないことだった。
おそらく、ツンはおれに話したいことがあったというより、スカウトの渋沢さんに話したくないことがあったのだろう。おれはそのように考える。
_
( ゚∀゚)「――色々話した気がするけどよ」
おれは声には出さずにそう呟く。この時間のおれたちの会話の中に、ツンが今後バスケットボールをプレイすることがあるのかどうかといった話は、ただのひとつとしてなかったのだった。
479
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:24:09 ID:BhrHIiAE0
○○○
入学式の日まで待ってもツンからの連絡は来なかった。
こちらからも連絡しなかったのだからおあいこと言われればそれまでだ。おれにもやることがそれなりにあったことだし、それはツンにとってもそうなのだろう。
バスケ部に入ったおれを待っていたのは部活バスケの洗礼だった。
猛烈な練習量ではない。そこにあったのは先輩と後輩で構築される強烈な縦社会だった。おれはほとんど生まれて初めて理不尽な人間関係というやつを経験した。
そのプギャーさんという名前の3年生の先輩は、神様と奴隷にもたとえられる体育会系での先輩後輩のありようを、初めておれに教えてくれた人だった。
( ^Д^)「ほらジョルジュ、嫌ならさっさと辞めちまえよ」
両肘と爪先だけで体重をまっすぐ支える、プランクの姿勢のおれを覗き込むように睨みつけ、プギャーさんはそんなことを耳元で囁いてきたものだった。
_
(; ゚∀゚)「ぐ・・・」
( ^Д^)「ふん、特待生だもんな、このくらい何時間だろうとできんとな」
体中の筋肉が痙攣してくるまでその体勢を強いながら、プギャーさんは時に強めに小突いてきたり、まっすぐに固定されたおれの体を軽く蹴り上げてきたりした。
480
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:25:37 ID:BhrHIiAE0
それはほとんど毎日のことだった。ほとんど毎日部活なのだから当然だ。
部活の練習量はたかが知れたものだったが、全体練習が終わった後のプギャーさんとの個人トレーニング、これが地獄のようだった。
シュート練では外すたびに罵られ、ひどい時は体にボールが飛んできた。1対1では中学3年生の体を容赦なく当てられた。ファウルをジャッジする審判などおれたちの間にはいなかったのだ。
( ^Д^)「なんだ? 何か言いたいことでもあんのかよ」
ほとんどマークを振り切ることのできたレイアップシュートを完全にファウルの強引さで無理やり止められ、思わず非難の視線を向けていたおれにプギャーさんはそう言った。
おれには言いたいことしかなかったが、言えることなど何もないことをおれは既に知っている。
_
( ゚∀゚)「いえ別に」
( ^Д^)「言えよ、言いたいことがあるならよ」
そう言いおれの肩を押してくるプギャーさんの右手を掴んでしまわないように気を付けながら、おれは頭の中で考えた。
おれたちにとって先輩の命令は絶対だ。「言えよ」と言われたのなら、それは言わなければならないのではないのだろうか?
481
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:26:21 ID:BhrHIiAE0
もちろんこれは屁理屈だ。何も言ってはいけないことをおれは既に知っている。
_
( ゚∀゚)「いくら何でも今のはだめでしょ、どっちかというと見苦しい種類のファウルですよ。品格が疑われる。まあ品格なんてどうでもいいとは思いますが、それでも今のファウルはダサいです。中3が中1にしていいことじゃない。というか、自分でもそう思うんじゃあないですか?」
いくら命令されたとしても、こんなことを後輩が先輩に言える筈がないのだ。おれはちゃんと知っている。
まだ経験が浅かった頃に、望まれるまま思うところを言ってしまい、前蹴りを食らったことがあるから知っているのだ。
しかし、と口をつぐんだおれは考える。
_
( ゚∀゚)「プギャーさんは普通にやってりゃ普通に上手なプレイヤーなのに、なんで普通にしないのかしらね」
まるで他人事のような感想だと我がごとながらにおれは思う。コートの状況を俯瞰で考えるポイントガードをしているからか、それともプギャーさんとの過酷な日々がそうさせたのか、おれはプギャーさんからの仕打ちをどこか他人事のように観察する癖がついていた。
482
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:27:28 ID:BhrHIiAE0
おれへの接し方はあんまりだけれど、プギャーさんのボーラーとしての実力は、実際かなりのものだった。一緒にプレイしたことがある、という範囲で言うと、コーチなどを除いた同世代プレイヤーの中ではトップクラスのものだろう。
もっとも、実はそれは当然で、プギャーさんはしたらば学園中等部にバスケ部ができて以来、初となる特待生待遇の生徒なのだった。らしい。
らしい、とつくのは、人づてに聞いた噂話レベルの情報だからだ。
中学生となって初めての5月の連休、ゴールデンウィークのある日の夕方、その情報源がおれの前に座っていた。
ξ゚⊿゚)ξ「久しぶり。あんた、ちょっと痩せたんじゃない?」
_
( ゚∀゚)「そうかな?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうそう。苦労でもしてるのかしら?」
_
( ゚∀゚)「どうだろな」
どこもこんなもんなんじゃねぇの、と目を逸らして言うおれに、ツンはニヤリと笑って見せた。
483
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:28:28 ID:BhrHIiAE0
連休中も当然部活だ。先ほどまでプギャーさんとのメニューをこなし、シャワーを浴びたところでツンからの呼び出しを食らったおれは疲労困憊しきっていた。
口調がぶっきらぼうになってしまうのも無理もないというものだろう。ファストフード店のフライドポテトを齧る。ツンはオレンジジュースを飲んでいた。
ξ゚⊿゚)ξ「まあいいわ。わかってたことだし」
_
( ゚∀゚)「・・わかってた?」
何だよそれ、と続けたおれの質問に、ツンがあっさり答えることはなかった。
フライドポテトを齧ってチーズバーガーの包みを開ける。咀嚼の喜びを味わっていると、ようやくツンは口を開いた。
ξ゚⊿゚)ξ「ちょっと女バスの先輩と仲良くしててさ。ある程度、バスケ部の様子は伝わってくるのよね」
_
( ゚∀゚)「フゥン」
女バスの先輩か、とおれは口には出さずに呟いた。情報源を明かすことをもったいぶってたというよりは、単純に女バスを話題にしたくなかったのかもしれない。
484
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:29:43 ID:BhrHIiAE0
神に誓ったわけではないが、おれには何となくそうしようと決めていたことがあった。きっと誰にもいくつかはあるだろう。マイルールというと大げさになるが、そういったようなものである。
そのうちのひとつが、ツンが自分から言い出してくるまで、ツンが今後バスケ活動を再開するつもりなのかどうかをこちらからは訊かない、というものだった。
雑談をしているとわかる。おれのプレイに関する話や世のバスケットボール事情に触れることはするのだが、ツンは自分が最近ボールを触っているのかや、どこかでトレーニングのようなことをしているのか、するつもりはあるのか、といった話題を巧みに避ける。いつもだ。
そんなわけで、興味がないわけではないが、おれから訊く気にはならなかった。この時も当然そうだった。
_
( ゚∀゚)「女バスの先輩ね」
ξ゚⊿゚)ξ「そうそう。山村さんっていうんだけどさ」
これだけで女バスの話はおしまいだ。話題は男子バスケ部事情へと移行する。
ξ゚⊿゚)ξ「バスケ部ってほら、ちゃんとしたコーチいないじゃない?」
そして誰もが知ってるシタガク中学バスケ部の問題点をツンは簡単に指摘した。
485
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:30:41 ID:BhrHIiAE0
おれも入って驚いたのだが、確かにこのチームにはちゃんとしたコーチがいなかった。
顧問をしている教師はいる。ただしバスケ経験者ではなかった。もちろん指導者としてもほとんどズブの素人だ。
練習メニューや試合のオーダもほとんど生徒間で決めていて、そこにはエースでキャプテンであるプギャーさんの意見が色濃く反映されることとなる。
_
( ゚∀゚)「まあでも内容はヘンテコじゃないぜ。ちゃんと考えられてる」
ξ゚⊿゚)ξ「そりゃそうでしょうね、部長さんは元々特待生らしいし」
_
( ゚∀゚)「ヘェそうなんだ」
ξ゚⊿゚)ξ「中等部バスケ部初めてのね。あんたはふたり目」
_
( ゚∀゚)「ほ〜」
ξ゚⊿゚)ξ「んでさ、ちゃんとしたコーチもいない現状で、ふたり目特待生のあんたが入ってくることになったから、部長さんはチーム全体に加えて、その有望株の世話も買って出てくれたってわけなのよ」
_
( ゚∀゚)「それはなんとも光栄なことですなァ」
おれはポテトをつまんで言った。
486
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:31:24 ID:BhrHIiAE0
ξ゚⊿゚)ξ「光栄? イジメられるのが?」
_
( ゚∀゚)「えぇ!? おれ、イジメられてんのか?」
ξ゚⊿゚)ξ「いやそうでしょ・・ だから苦労してるんでしょう?」
_
( ゚∀゚)「いやまぁ確かに当たりは強いしおれには厳しいけどよ、イジメってわけじゃあないんじゃねぇの」
ξ゚⊿゚)ξ「あらそう?」
_
( ゚∀゚)「プギャーさんがどういうつもりなのかは知らねぇけどさ」
ξ゚⊿゚)ξ「・・あんたが辛くないなら別にいいけど。それじゃあ余計な心配しちゃったわね」
_
( ゚∀゚)「そうかもな。まあでもありがとよ、気にかけてくれて」
ξ゚⊿゚)ξ「はいはい。それから、おばさまの調子はどう?」
_
( ゚∀゚)「まだ全然。バリバリ働いてるぜ」
ξ゚⊿゚)ξ「それはよかった」
ツンはそう言いジュースを飲んだ。
487
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:34:26 ID:BhrHIiAE0
○○○
はたしてプギャーさんにおれをイジメているつもりがあったのかどうか。
それは、おれにとっては割とどうでもいいことだった。
知ったところでおれの状況もおれの行動も、何も変わらないからだ。そうだった場合とそうでなかった場合を頭に浮かべたところ、おそらくそうだろうという結論におれは至った。
_
( ゚∀゚)「だいたい、いつまでも続く関係じゃねえもんなァ」
プギャーさんは3年生だ。じきに部活は引退となる。もちろん引退をしたからといってすぐさま影響がゼロになるわけではないだろうが、中高一貫とはいえ高校生になった先輩が中学の部活に口を出してくるというのは流石にダサすぎることだろう。
つまり、おれはそれからプギャーさん引退までの数ヶ月、あるいは卒業までの半年ちょっとを大事なく過ごせば自ずとこの問題はなくなるのだ。
じきになくなるとわかっている問題をあれこれ考えるのは性に合わない。おれが高校1年生になった時にはまた高校3年生のプギャーさんと遭遇するのかもしれないが、そんな先のことがどうなるかを今から気にしていても仕方がないというものだろう。
そしてプギャーさん率いる我らがしたらば学園中等部男子バスケ部は、地区予選を突破し、県大会をある程度進んだところであっさりと敗退した。
488
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:35:24 ID:BhrHIiAE0
その試合、おれはガードのポジションでプレイした。プギャーさんはフォワードだ。
ただし、今で言うところのポイント・フォワード的な役割で、単純に点を取るのが仕事というより、チームのコントロール全般を担っていたのがプギャーさんだった。
スポーツをスポーツでたとえるのはアホらしいが、野球でいうところの『エースで4番、その上キャプテン』という感じだろうか。
明らかに、ひとりで抱えられる役割量ではなかった。もちろん中にはこなせる人間もいるのだろうが、有力なプレイヤーだからといって、全員そうというわけではない。
能力というより、性格や性質、向き不向きの話なのだろうとおれは思う。そしてプギャーさんは決してそれに向いてはいなかった。
最後の試合も、おそらくコート上のプレイヤーでもっとも能力的に優れていたのはプギャーさんだったように思えるのだが、得点数でも得点効率でも、アシスト、プレイメイクの面から見ても、決しておれたちのチームがプギャーさんを有効活用できたようには思えなかった。
はっきり言って、プギャーさんに頼りすぎたチームが自滅し、勝手に潰れたような試合だったのだ。
489
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:36:38 ID:BhrHIiAE0
それでもこのチームがこの大会の、こんなところまで勝ち進んだのは部の設立以来初のことで、先輩たちも先生たちも、同級生たちも皆喜んでいた。「なかなかやるじゃん」ってなもんだ。
もちろんおれも喜び祝った。スポーツ選手は切り替えが得意なのだ。おれも決して例外ではない。
打ち上げのお好み焼き屋にも皆で行ったし、大会での良かったプレイを語り合ったり、笑えるミスをイジりあったり、その後カラオケに移動して校歌をアカペラで歌い合ったりした。
そしてその後引退となる先輩たちと最後のお別れマッチをしたり、新しいキャプテンと一緒にこれからのチームについての作戦会議をしたりしているうちに、3年生の先輩たちのことはすっかり忘れてしまうものだとばかり思っていた。
実際ほとんどそうだった。廊下ですれ違ったら挨拶はするが、引退した先輩たちが新チームに干渉してくることはなかったし、おれたちも引退した先輩たちにわざわざ関わらなければならない用事はなかった。
プギャーさんと過ごした地獄のようなあの日々がどんなつもりで催されていたのかなんて、おれには知る術もないことだろうと思っていた。
そんなある日にプギャーさんから特別呼び出されたりするまでは、の話だ。
490
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:37:38 ID:BhrHIiAE0
悪いな、とプギャーさんは言った。そんな言葉をかけられたのは初めてで、おれはちょっぴり驚いた。
_
( ゚∀゚)「何スか急に」
( ^Д^)「俺はもう部外者だからな、お前に付き合う義理はない」
_
( ゚∀゚)「確かにそうスね」
( ^Д^)「ま、それでもちょっと付き合えよ。そんなに長い時間は取らせない・・ いや、取らせるかもしれんけど」
_
( ゚∀゚)「何するんですか?」
プギャーさんは肩にスポーツバッグをかけていた。おれたちボーラーにはお馴染みの、バスケットボールやシューズをざっくり入れることのできる大きさだ。
そのバッグを軽く叩いて音を出し、プギャーさんは薄く笑った。
( ^Д^)「俺とお前ですることだぞ、もちろんバスケだ」
でしょうね、とおれは言った。
491
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:39:36 ID:BhrHIiAE0
_
( ゚∀゚)「わかってましたよ。体育館ですか?」
( ^Д^)「体育館は取れてない。野良コートかな。スポッチャ的なとこを探してもいいけど」
『野良コート』とは、シタガクに備えてある野外のバスケットボールコートの通称だ。ペイントエリアより少し広いくらいの間隔で4つのリムが立っている。床はゴムチップではなくアスファルトで、それほどコートとしての質が高いわけではないが、全校生徒に解放されている。
誰でも使えるということは、たいてい混んでいるということでもある。そこでおれたちがやり合うとなったらそれなりに注目もされることだろう。
正直気が進まなかった。
それはプギャーさんも同様なのだろう。だから有料スポットを代替案的に並べているのだ。おれはそれにも気が進まなかった。
それが顔に出ていたのだろうか、プギャーさんが訊いてきた。
( ^Д^)「何だよ、どこか他にあんのか?」
_
( ゚∀゚)「――ありますよ。ちょっと歩くかもしれませんがね」
その時おれの頭には例の公園が浮かんでいた。
492
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:40:26 ID:BhrHIiAE0
ミニバスの頃にツンと練習を重ねていたあの公園だ。おれたちはそこに足を進めた。
アホな自動車が突撃してきても避けられるように、信号を待つ時には車道から余裕を取って立つようにした。横断歩道を渡る時にもフル警戒だ。そうしておれは道路を歩いた。
なぜその時プギャーさんをあの公園へ連れて行こうと思ったのか、おれには今でもよくわからない。人目を気にしなければ『野良コート』でよかったし、多少金を払えばバスケをできる場所はあった。
それでもおれはプギャーさんを連れて公園へ行き、そこで1対1をやろうと思ったのだった。
行く道すがらにはほとんど会話をしなかった。
久しぶりの道のりを、自分の影を踏み歩くようにしておれは進んだ。プギャーさんはそんなおれに付いて歩いた。
プギャーさんが引退した後の中等部バスケ部のことも話さなかったし、これからプギャーさんが入るのであろう高等部バスケ部のことも話さなかった。
当然、プギャーさんがどんなつもりでそれまでおれに接していたかも、一切話題にのぼることはなかった。
493
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:40:52 ID:BhrHIiAE0
やがて公園が見えてきた。
_
( ゚∀゚)「あれです」
おれがプギャーさんを振り返るようにしてそう言うと、プギャーさんは黙っておれに頷いた。
( ^Д^)「・・音が、するな」
_
( ゚∀゚)「しますね」
それはおれたちにとって非常に馴染みのある音だった。
地面にバスケットボールが跳ねる音だ。
少なくとも初心者ではないことが音でわかる。強く正確にドリブルをつけているのだ。それがバスケットボールコートではなく公園の砂の上だったとしても、特有の音と振動がおれたちに伝わる。
その公園にはツンがいた。
494
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:41:33 ID:BhrHIiAE0
_
( ゚∀゚)「うお」
思わずそう呟いたおれにツンが気づく。ボールを止め、こちらに目をやる。なんとも鋭い眼光だ。
ξ゚⊿゚)ξ「うお、って何よ。失礼な」
_
( ゚∀゚)「悪い悪い。でもビックリしちゃってさ」
( ^Д^)「――知り合いか?」
_
( ゚∀゚)「ええと、そうですね、おれの同級生でシタガクのツンです。ツン、こちらはプギャーさん」
ξ゚⊿゚)ξ「はじめまして」
( ^Д^)「どうも。なるほど、君がツンさんか」
_
( ゚∀゚)「・・知り合いですか?」
( ^Д^)「はじめましてっつってんだろ、知り合いじゃねぇよ。ただ女バスのツンさんは有名だからな」
ξ゚⊿゚)ξ「あたしは女バスじゃありませんけどね」
( ^Д^)「そうなんだ? ま、俺も女バスじゃないからな、有名なことは知ってるがそれだけだ」
495
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:42:21 ID:BhrHIiAE0
ふぅん、とツンは呟くようにして言った。そして即座に言葉を続ける。こちらの質問を割り込ませる余地のない口ぶりだ。
ξ゚⊿゚)ξ「それで、ここには何を?」
( ^Д^)「そりゃバスケだよ。君もそうだろ?」
ξ゚⊿゚)ξ「――ですね。今からジョルジュとやるなら、ここを譲ってあげてもいいですよ」
( ^Д^)「そりゃどうも」
ξ゚⊿゚)ξ「そのかわり、あたし、ここで見ててもいいですか?」
( ^Д^)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「見学ですよ。あたしもバスケが好きですのでね、後学のために。あとは久しぶりに見るジョルジュがどの程度上達したのか知りたいですし。点数係くらいはしますよ」
( ^Д^)「――ジョルジュがいいなら構わなねぇよ、俺は。ボコられるとこ見られて嫌われても、それは俺は知らねぇが」
プギャーさんは笑ってそう言いおれを見た。挑発的な視線だ。
おれに断る理由はない。小さく笑顔を口に貼り付け、おれはふたりに頷いた。
496
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:43:13 ID:BhrHIiAE0
ξ゚⊿゚)ξ「それじゃあ0対0からで、先輩だしプギャーさんからどうぞ。笛もないことだし基本的に審判仕事はやりませんが、あたしに判定を求めたい場合はご自由に」
簡単に服装を整えたツンが場を仕切るようにそう言った。おれもプギャーさんも反論はせず、「だいたいこのあたりだろう」といった距離感で対峙する。地面にラインがないからだ。
仮にラインが引かれていたら、おそらくスリーポイントラインをやや出たところ。そこにプギャーさんが立っている。そのやや内側に立っているのがおれだった。
ツンがバウンドパスでプギャーさんにボールを渡す。プギャーさんがそれを受け取った。
ξ゚⊿゚)ξ「スリーポイントラインもないのでシュートはすべて1点でカウントします。いいですね」
いいさ、とプギャーさんがボールをこちらに送ってくる。おれもそのルールに同意し、受け取ったボールをプギャーさんへ返す。
返されたボールを触った瞬間が始まりだ。プギャーさんが何をしてきてもいいように、おれは全神経を集中させる。
左。
そうおれが察した瞬間、プギャーさんはその場にまっすぐ飛び上がる美しいフォームで、ボールを右手から放っていた。
497
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:46:11 ID:BhrHIiAE0
ざくり、とボールがネットに包まれる感触が音となっておれに聞こえる。
( ^Д^)「スリー!」
そしてプギャーさんが上げた声が耳に届いた。俺を指さして飛び跳ねている。
( ^Д^)「は、なしだがな。ラインがないからって撃っちゃいけないわけじゃあないからな」
油断してんじゃねぇぞ、とプギャーさんはニヤニヤとした笑いを浮かべて言った。
_
( ゚∀゚)「――」
油断していたつもりはなかったが、確かにこれは不注意だった。
おれはそう自覚した。正直、スリーはないと思っていた。
ゴール下か、最低でもミドルレンジまで突入してからの、ディフェンスをできるだけ振り切ってのジャンパーか、理想的にはレイアップ。
そのように決めつけてしまっていたのだ。
_
( ゚∀゚)「――ラインの話か」
開始する時にたまたまツンが口にした、“ラインがないからスリーポイントシュートは取らない”といった類のあの話。
その内容から、本来ならケアすべきシュートの選択肢が、おれの頭から薄れていることを読み取ったのかもしれない。
リングをくぐったボールを拾い、「このあたりだろう」といった場所に向かったおれの前には、そのプギャーさんが立っていた。
498
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:47:07 ID:BhrHIiAE0
○○○
プギャーさんはバスケが上手かった。
そして強い。1対1の戦いの中で、おれは改めてそれを実感した。
ξ゚⊿゚)ξ「5対2、ジョルジュボール」
プギャーさんのレイアップシュートが決まったところで、ボールを拾ったツンがそう言った。適切な位置に向かってボールを受ける。顔を流れる汗を拭う。
おれの前にはプギャーさんが立っている。
( ^Д^)「どうした、俺とやらなくなってへたくそになったのか? トリプルスコアになっちゃうぞ」
_
( ゚∀゚)「・・フン」
黙ってろよ、と言う代わりにフェイントをひとつ入れてやる。良い反応だ。煽るような、見下した口ぶりとは別に、こちらをしっかりと警戒し、集中しているのがよくわかる。
ジャブステップ。おれは相手の様子を評価する。
観察し、情報を集める。それがおれのやり方だった。1対1のやり合いだろうと、5対5の試合だろうとこのやり方は変わらない。先手を取るのは大切なことだが序盤のリードそれ自体にそれほど大きな意味はないのだ。
499
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:48:35 ID:BhrHIiAE0
いつ頃からか、おれにとってのバスケットボールのイメージは、ただ点を取り合う競技というより陣取り合戦や色塗りゲームのようなものに思えてならなくなっていた。
もちろんコート上の区域を直接取り合うわけではないし、単純な平面上の話でもないのだが、とにかくそんな気がおれにはするのだ。
おれがこのプレイを選択するとして、それに相手はどう反応対処してくるか。
おれのこの守り方を見てどのようなシュートをクリエイトしてくるか。
相手のどこが自分と比べて強く、弱いのか。
自分のどこが相手と比べて強く、弱いのか。
そういったことを評価し、把握する。すると強さの濃淡のようなものがわかってくる。
おれがこの位置にドリブルをつき、体をこのように持ってくると、プギャーさんは右からの突破を警戒する。
そこで左に振ってやる。
プギャーさんは優れたディフェンダーだ。当然それにもついてくる。
ただし、こうして左右に意識を散らしてやると、必ずどこかにひずみが生じる。そうなるようにおれが動いているからだ。
500
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:50:05 ID:BhrHIiAE0
プギャーさんはおれに突破されることを警戒しすぎているのかもしれなかった。
だからひずむ。色の配分が適切でなくなる。それはわずかな、実際に目の当たりにしていなければわからないほどの小さな裂け目だが、おれには見える。わかる。
相手の色が薄くなったところに自分の色の濃い部分をぶつけるようなイメージだ。
十分に突破を警戒させてやり、またディフェンスを成功させたことで、相手はそれにどこか捕らわれるようになるのだろう。
ラインがないからスリーポイントシュートはないのだろうと、意識させることでロングシュートへの警戒を怠らせるプレイと、本質的には同じようなことである。
ただ、プギャーさんはそれほど意識することなくそれをやってきたのだろう。おれは違う。
まんまと引っかかったおれが言うのもなんだが、プギャーさんは元々そういうプレイヤーではない。今日見た感じでもそうだった。
おれは違う。
重心移動。
おれはドリブルの流れに合わせて体を舞わせる。プギャーさんは必要なだけの反応をする。
いや。
違う。
プギャーさんの反応は、やっぱりどこかいびつなものとなっていた。
501
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:51:23 ID:BhrHIiAE0
完全に抜けたわけではないが、プギャーさんが手を伸ばしても決して届かない場所から放ったスクープショットがボードに当たってリングをくぐった瞬間、おれはこの戦いを支配できる手ごたえを感じた。
今の点数が5対3で依然こちらが負けていようが、その次のプギャーさんのフェイダウェイショットが見事に決まって6対3と再びダブルスコアにされようが、そんなことは関係なかった。
プギャーさんはおれにドリブル突破されることをわずかに警戒しすぎている。
それがどれほど意識的なことなのかはわからない。
単に体格的に劣るおれに対して効果的な守備だと思っているのかもしれないし、駆け引きのひとつとしてそうしているのかもしれないし、直属の先輩・後輩のような力関係だったおれに突破されることはプライドが許さないだけなのかもしれない。
なんにせよ、その日のプギャーさんのディフェンススタイルは、どこかバランスの乱れたものだった。少なくとも、これまでのプギャーさんと比べるとそうだ。
とはいえ、優れた技術を持つ中学3年生とやり合うのは中1のおれにはなかなか厳しいところもあった。
単純に体格が違うのだ。
しかし自分より大きな相手に向かっていくのは、おれのバスケットボール人生の原点と言ってもいいくらいのことだったし、ツンが見ているからか、プギャーさんはいつものラフプレイをほとんどやらずにいたのだった。
502
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:52:33 ID:BhrHIiAE0
もちろんフィジカルなプレイはやってくる。
体を当ててショットスペースを作ってくるし、ポストプレイもやってくる。
しかし、明らかに反則だろうと思われるプレイや理不尽な言動をすることはないのだった。
_
( ゚∀゚)「・・フゥ〜」
おれは19対18と負けていた。この攻撃を成功させれば同点だ。ツンからの点の読み上げによってプギャーさんもそれを知っている。
流れ。
試合や勝負に流れのようなものがあるとすれば、先手を取られてプギャーさんの方にいっていた流れをこちらに呼び込むきっかけになりそうな局面だ。
それはもちろんプギャーさんもわかっていることだろう。
おれのボールだ。ツンから渡されたボールをおれは「このあたりだろう」といったあたりで持っている。
対面にはプギャーさんだ。よく集中できたバランスの良いフォームで対峙している。おれより10センチ以上高い身長を折り畳み、同じくらいの視線の高さでおれを睨みつけている。
おれはそこから目を逸らすことなく、まっすぐプギャーさんのことを見ていた。
503
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:56:23 ID:BhrHIiAE0
目を逸らしてはいないが、おれの視界にあるのはプギャーさんだけではなかった。
プギャーさんのその周り。そこにはおれも含まれている。
おれの眼球の位置からしても、それらを直接見ているわけではないのだろう。五感を使って取り入れた情報から構築した何かがおれには見えているように感じられるのだ。
自我のようなものが、溶け出すような感覚だ。
ボールを触り、相手と戦い、情報を取り入れていくにつれて、感覚が溶け出していくような錯覚をおれはしていく。自分と自分以外との境界があやふやになっていくのだ。
気慣れた衣類や使い慣れた道具の状況を、見るまでもなく把握できるといったことはあるだろう。そんな感覚が、はじめはボール、そして自分の周り、最終的にはコート全体に広がっていく。
速攻の場面で全速でボールをプッシュしながら、首を振らずに後ろや横を走る味方にジャストのパスを出せるのは、この感覚があるからだ。自分の手をわざわざ見なくてもコップに手を伸ばせるように、おれはコートを支配することができる。
その感覚があった。
だからといってすべてのシュートが入るわけでも、必ずチームを勝利に導けるわけでもないけれど、この感覚を持てた試合では、おれは負ける気がしなかった。
504
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 22:57:39 ID:BhrHIiAE0
右。プギャーさんから見て左。そちらに軽く意識を飛ばした。
それに伴う何らかの変化を、優れたディフェンダーであるプギャーさんは感じる。こちらが行動といえない程度の行動しか起こしていないように、プギャーさんもまた反応とはいえない程度の反応しか返さない。
しかし反応をしたのがおれにはわかる。そして、それがわずかに過剰であることもまた、おれにはわかる。
そこで意表をついての即シュート。このやり合いの1本目でプギャーさんがぶっこんできた攻撃だ。それをおれはこのキーとなる場面でやり返してやる。
ように、感じさせた。
( ^Д^)「!?」
おれは思い切り体を倒したその勢いで、左足を大きく踏み込んだ。ツンから教えてもらったドライブのコツだ。まったく同じようにとはいかないけれど、おれはそれを会得している。
プギャーさんの驚いた顔。それまで防げていたのと同じような守備をしたのにどうして反応が間に合わないのか理解不能なのかもしれない。
おれの左足が向かい合うプギャーさんの左足の外側に踏み込む。低い姿勢で左肩をねじ込むようにして進路を確保する。
それが決定的な1歩となった。
505
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:00:07 ID:BhrHIiAE0
○○○
結局、おれとプギャーさんの対決は引き分けに終わった。
ゲームを支配したようなことを感じておきながら引き分けというのはなんとも不甲斐ないところだが、言ってしまえばバスケはそういう競技だ。フリーで撃ったシュートが必ず入るわけではない。
だから最終的に勝敗を決めるのは無理やり点をもぎ取る力だ。一定以上の均衡度をした試合では、正しいシュートを撃つ方ではなく、入るシュートを撃った方が勝つ。
プギャーさんはやはり優れたボーラーだった。いつもと違ってクリーンなプレイだった分、点数を数えれば大差で負けていただろう日よりも、おれは強くそう思ったのだった。
おれが1点勝っている状況から、「そんなの入るのかよ」って感じのシュートを無理やりゴールさせたプギャーさんは、同点の声をツンから聞いて肩をすくめた。
( ^Д^)「フゥ〜 こんなところにしとこうか?」
_
( ゚∀゚)「こんなところ? 同点ですよ」
( ^Д^)「まあな。ラスト1本してもいいけど、勝ち負け付けたいわけじゃないしな、引き分けってのもいいかもな、と思ってる。嫌か?」
_
( ゚∀゚)「・・おれはいいですけど」
( ^Д^)「じゃあ引き分けだ。やるなぁジョルジュ、お前、ずいぶん上手くなったよ」
506
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:01:03 ID:BhrHIiAE0
初めてプギャーさんから聞かされる素直な賛辞に、おれはとても驚いた。
( ^Д^)「フゥ〜 疲れたな。コンビニでアイスでも買ってやろうか?」
最後くらいは後輩らしく扱ってやるよ、とプギャーさんが肩をすくめる。
強烈な違和感だ。
_
( ゚∀゚)「――」
( ^Д^)「どうしたよ?」
_
( ゚∀゚)「いえ、別に」
そのように言いながら、おれは違和感の正体を心の中で探っていた。
急に優しい態度を取るプギャーさんが信じられないのだろうか?
それとも1対1のおれとのやり合いでフェアプレイをしたプギャーさんが?
どれも理由としては成立するが、それだけではないように感じられた。
中学バスケから引退したプギャーさんとはしばらくの間お別れだ。しかも今日はツンというギャラリーもいる。最後くらいは優しい態度を取ったって、女の子の見る前でラフプレイをしなくたって、それは普通のことだろう。
_
( ゚∀゚)「――最後?」
おれはそう、呟くようにして言った。
507
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:01:51 ID:BhrHIiAE0
_
( ゚∀゚)「――最後、なんですか? プギャーさん?」
( ^Д^)「――」
_
( ゚∀゚)「シタガクは中高一貫だ。3年後にはなるけれど、おれたちはまた高校1年と3年で一緒になる筈です。なんで最後、なんですか?」
( ^Д^)「――」
_
( ゚∀゚)「・・言い間違いとかじゃあないんですね」
おれはこの時どのような台詞をプギャーさんから聞きたくて問い詰めるような言い方をしたのだろうか?
プギャーさんはしばらく黙っておれと目を合わせなかった。
手の中にあるバスケットボールの感触を味わうように小さく撫でたり、力を加えて保持したり、右手と左手の間にボールの重心を行き来させたりしていた。その間、おれはじっとプギャーさんを見ていた。
そして、やがてプギャーさんは猫が毛玉を吐き出すようにして言った。
( ^Д^)「そうだよ」
これが最後だ、とプギャーさんの口から声が伝えてくるのを、おれは黙って聞いていた。
508
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:02:43 ID:BhrHIiAE0
どうして、とおれが声に出せずに訊くより先に、プギャーさんはおれを見ながら言葉を続けた。
( ^Д^)「俺は、高校ではバスケをしない。つもりとしてはな」
転校するんだ、とプギャーさんは言った。
( ^Д^)「ああでも高校1年の最初からだから、別に転校でもないのかな? よくわからんが、そういうことだ。おれはシタガク高等部には進学しない」
_
( ゚∀゚)「――」
( ^Д^)「理由を説明するのも面倒くさいから黙っていなくなろうと思ってたんだがな、勘づきやがって。う〜ん、面倒くせぇけど聞きたいか?」
_
( ゚∀゚)「――いや」
別に聞きたくはないな、とおれは思った。
どんな理由を聞いたところで、プギャーさんがシタガクからいなくなって、バスケも辞めてしまうのだ。仮におれが今ここで止めたところでそれが変わることはないだろう。
そんな理由を聞いたところで仕方がない。
単純にそう思っている筈なのだけれど、その一方で、ちゃんと説明しろよと思っているおれもまた、このおれの中にいたのだった。
509
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:04:35 ID:BhrHIiAE0
おれにとってのプギャーさんは、バスケが上手くある程度の尊敬と信頼はできて、しかしおれへの当たりは強くて2度とこの関係性では接したくないと思えるくらいの先輩だった。
おれの人生にとって不可欠な存在では決してないし、このようにわざわざ呼び出されてバスケに誘われたのでなければ、人知れずいなくなっていたところでおれはそれに気づかなかったことだろう。
しかし、おれは知ってしまったのだ。
ひょっとしたらお互いにとって良い思い出ではないのかもしれないが、何はともあれこの半年以上のバスケットボールライフをほとんどの部分で濃密に共有してきたその相手が、これでバスケを辞めるとわざわざ言っている。おれと会うのも最後だろう、と。
怒り。
怒りを、おれは感じる。
寂しさ。
寂しさのようなものもおれは感じる。
相談事項ではなくただの報告として知らされたことへの不服だったり、その決定に関与できないもどかしさのようなものだったりも、そこには含まれていたのだろう。
_
( ゚∀゚)「――もう1本、しましょうよ」
そういった感情のすべてを吐き出す代わりに、おれはそう言っていた。
510
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:05:56 ID:BhrHIiAE0
( ^Д^)「――最後にか?」
と、プギャーさんは言った。
_
( ゚∀゚)「最後にです」
と、おれは言った。
こいつは今ここでおれが殺してやろう、とおれは思っていたのだった。
バスケットボールシューズを脱ぐきっかけは誰にでもいくらでもあることだろう。
それは経済的な理由なのかもしれないし、生活的な理由なのかもしれないし、体調的な理由なのかもしれない。単純に部活に取られる時間をもっとキラキラとした青春の日々に費やしたいと思う人もいることだろう。
勝手に辞めるのは勝手にすればいいことだ。おれにそれを咎める権利はどこにもない。ご自由にどうぞとしか言いようがない。
ただし、人知れず勝手に辞めるのではなく、おれにわざわざ知らせてくるというなら話は別だ。ボーラーとして近々死ぬというのなら、今ここで、おれの手にかかって死ぬべきだ。
と、そこまでおれが考えていたかどうかは定かでないが、とにかくおれはプギャーさんへ、引き分けの先の勝負を挑んでいた。
511
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:07:09 ID:BhrHIiAE0
ラスト1本。
正確には、ラスト1ターン。
やはりスポーツのことをスポーツでたとえるのは馬鹿らしいが、サドンデスに突入したサッカーのPK合戦のようなやり合いだ。
_
( ゚∀゚)「――殺す」
と、おれは心に決めていた。
どれだけのフリーで撃ったところでシュートが入るかどうかはわからない。それがバスケだ。確率と、期待値と、積み重ねの競技である。
しかし、おれは心に決めていた。
この1本を必ず沈め、次の1本を必ず阻止すると。
形がどんなものであろうと関係ない。この1本が今ここで決められないような選手でしかないなら、おれは自分自身に絶望していたことだろう。バスケを辞めていたかもしれない。
これはそういう1本だった。
誰に言ったところで理解してもらえないかもしれないが、おれはそのように考えていた。
512
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:09:05 ID:BhrHIiAE0
もしこのグラウンドにラインが引かれていたとしたら、スリーポイントラインをやや出たところ。そこにおれは立っていた。
対峙するのはプギャーさんだ。おれたちは静かに睨み合う。
最後だからと良い先輩をやろうとしていた、ふざけた柔らかさの表情はその頭には乗っていない。おれの言葉をどう捉えたのか、ただ優れたボーラーの顔をしている。
ツンからボールが送られてくる。1対1の作法としてのパス交換を交わす。おれの感覚が溶け出していく。
ピッチ全体に広がっていく感覚の中で、色の濃淡をおれは感じる。
おれ。プギャーさん。ボール。グラウンド。ツン。この空間の構成要素のすべてが入り混ざる。おれの右手がドリブルするボールが地面に跳ねて手に戻る。表面の粒を手の平に感じる。
殺してやる。
という明確な意思をおれは感じる。プギャーさんに伝わっているだろうか?
どっちだろうと構わない。おれはリングに向かってアタックを始めた。
つづく
513
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:14:28 ID:BhrHIiAE0
今日はここまで。
またもやずいぶん間が空いてしまいましたが、ちんメロも書いていたことだし仕方のないことですね。単純にリアルが忙しかったし。
次はもうちょっと短いスパンで投下できたらいいなぁと思っています。がんばります。
514
:
名無しさん
:2021/06/27(日) 23:22:56 ID:W68KM0eE0
乙!
515
:
名無しさん
:2021/06/29(火) 15:06:50 ID:/SbVxBEc0
脇道エピソードなのにめちゃくちゃ面白いから全員のを事細かに書いてくれ
516
:
名無しさん
:2021/06/30(水) 19:27:19 ID:QdwgOHuY0
乙乙
俺はスポーツ全然出来んのだけど、ジョルジュと感覚を共有しているように熱中して読んでしまう
「殺してやる」「ただ優れたボーラーの…」ここ超いい
517
:
名無しさん
:2021/07/01(木) 21:57:05 ID:vlL/Q30A0
今日1話を読んだ勢だけど、とても面白いです(語彙力喪失)
AAの掛け合いが魅力的な作品が少なくなっている近年においてこの作風は助かる
518
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:16:47 ID:nmTz5E9I0
2-6.クラッチタイム
ひとりの優れたボーラーを殺めたところでおれの日常は変わらなかった。
表面上は何も変わらないのだから当然だ。きっとプギャーさんはおれが高校2年生となった今もどこかで普通に暮らしているのだろう。ひょっとしたら遊びでバスケットボールを手にすることもあるかもしれない。大学に進学しているだろうから、球技サークルで一世を風靡している可能性もゼロではない。
どれもおれには関係のないことだった。
改めて考えてみると、何とも不思議な感覚だ。
おれから見たプギャーさんのボーラーとしての本質は、明らかに点取り屋のものだった。勝敗を決定付ける最後の1点をもぎ取るためにこそプギャーさんはいるべきで、その自分の特質を犠牲にするようにしてゲームをコントロールする仕事をしていたプギャーさんを、おれはいつも気にしていた気がする。
だからどれだけ日頃の練習でしごかれようが、理不尽な言動を受けようが、いじめられているという気はしなかった。何でも自分で抱え込むような形でプレイしていた人なのだから、おれのことが本当に気に食わないのなら、さっさと無視して何らかの形でチームから排除する方がずっと楽だったに違いない。おそらくプギャーさんにはそれができていた筈だ。
しかし、そのように、少なくとも憎からず気にかけていたプギャーさんのことを、こうして思い返すまでおれはすっかり忘れてしまっていた。関係がないからだ。
不思議なことだが、当たり前のようでもあり、気づいた今ではちょっぴり寂しさのようなものをおれは感じる。
519
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:18:55 ID:nmTz5E9I0
とはいえその頃のおれは寂しさを感じている場合ではなかった。
弟が生まれたからだ。
とても寒かった中1の冬のある夜中、モララーは熟れた洋ナシのようにでかくなった母さんの腹からそのラブリィな顔を覗かせようとした。おれは母さんに言われるままにタクシーを呼び、荷物を持ってかかりつけの産婦人科へ送り届けた。
そして驚くほど長い時間をただ待った。
从'ー'从「いやジョルジュが産むわけじゃないからね。いいから寝てな」
母さんはそのように言い残して別の部屋へと消えていき、寝るわけないじゃないかとおれは思った。それからかかる時間はせいぜい数十分から数時間程度だろうと思っていたのだ。だってドラマや漫画では1話か2話で子供が産まれる。
そんなわけがなかった。
_
( ゚∀゚)「うぁ〜 これ、いつまでかかるんだ? 正直お言葉に甘えて寝ちゃえばよかったぜ。完全にタイミングを失った」
なんだか不謹慎な気がしてスマホをいじったりテレビを点けたりすることはできず、おれは目安もない待機時間をどうにか潰さなければならなかった。
それこそ不謹慎な話だが、何ならおれも痛ければいいのにな、とおれはその時思っていた。何か苦痛があれば、それに耐えることがある意味暇つぶしになっていたことだろう。
もちろんそんな考えは、これまでもこれからも誰にも伝えるつもりはない。つもりとしてはの話だが。
520
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:20:14 ID:nmTz5E9I0
いったい何時間かかったのか知らないが、とにかくうんざりするほどの時間が過ぎ、おれはなんとか発狂することなくプリチィな弟に会うことができた。徳の高いおじいちゃんのような帽子を被った赤ん坊は単純に愛らしく見え、おれは純粋に感動した。
_
( ゚∀゚)「うおぉ・・ これが、おれの弟か」
从'ー'从「よろしく頼むぜお兄ちゃん」
( ・∀・)「ぶええ」
_
( ゚∀゚)「お前が返事すんのかよ」
笑って伸ばしたおれの手は何にも邪魔されることなくその小さな頭に触れた。こうしておれはモララーの兄になった。
( ・∀・)「ぶええ」
とモララーは鳴いていた。
_
( ゚∀゚)「しかしまあ赤ん坊ってのはオギャア的な泣き声じゃないのかね」
从'ー'从「いいじゃん面白くって。あんたもそんなもんだったわよ」
_
( ゚∀゚)「うひゃ〜」
しかし母さんが退院してモララーと3人暮らしになった途端、予想外の事態がおれたちを待っていたのだった。
521
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:21:09 ID:nmTz5E9I0
从'ー'从「え、嘘でしょ」
という一言がすべての始まりだった。
_
( ゚∀゚)「どしたん」
適温に作り上げたミルクをモララーに与えながらおれがそう訊くと、母さんは答えることなく何やら真剣な表情で何かの書類を睨んでいた。
身を乗り出すようにしてその中身を覗き込む。どうやらそれは、赤ん坊お預かり施設の申し込みのようなもののようだった。
从'ー'从「これは・・保育園では、ない?」
_
( ゚∀゚)「あァん? 何言ってんだ」
从'ー'从「見なさいジョルジュ」
_
( ゚∀゚)「見てるよ」
从'ー'从「読み上げなさい」
_
( ゚∀゚)「ほいよ、“したらば幼稚園 入園のしおり”」
从'ー'从「保育園じゃない! 幼稚園だこれ!?」
保育園と幼稚園の違いがよくわからないおれにできるのは母さんをぽかんと見つめることくらいだったし、モララーにとってはそんなことより哺乳瓶からミルクを吸うことの方がずっと大事なようだった。
522
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:22:30 ID:nmTz5E9I0
从'ー'从「いや何回読んでも幼稚園だわ! 保育園じゃない!!」
_
( ゚∀゚)「そりゃあそう書いているからなァ」
( ・∀・)「ゲフゥ」
_
( ゚∀゚)「お前はゲップが上手だなァ」
从'ー'从「はいはいかわいい。天使ちゃん」
从'ー'从「じゃなくて! これがどういうことかわかってんの!?」
_
( ゚∀゚)「いや、それがまったく」
どういうことなんだよ、とモララーの口からあふれたミルクを拭っていると、母さんは机にそのプリントを叩きつけるように置いて“幼稚園”の文字を指さした。
从'ー'从「幼稚園! 幼稚園は基本的に対象年齢が3歳以上! そして保育園は0歳以上!」
_
( ゚∀゚)「・・つまり?」
从'ー'从「この子、モララーはしばらく幼稚園の厄介になることはない! 私はもうじき労働を再開しなければならないというのにだ!」
_
( ゚∀゚)「OH MY GOD!」
マジかよ、とおれの口から洩れる。追い詰められたもの特有の引きつった笑みが母さんの口の端に貼り付けていた。
523
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:24:56 ID:nmTz5E9I0
从'ー'从「どうやらマジっぽいから恐ろしい。うわ〜、完全にミスったわ。いや直接的にミスったのは私じゃないけど、確かにちゃんと確認はしなかった。うわ〜、どうしよ、どうしようもなさそうだけど!?」
母さんは頭を抱えてそう言った。
ミルクを飲み切ってすっかりゴキゲンになっているモララーを布団に寝かせ、おれは顔だけ母さんの方を向く。空いた手先でモララーの頬を挟んでやると、「ぶう」と面白い音がした。
_
( ゚∀゚)「よくわからねェが、今からその、どっかの保育園に切り替えるってのはできねえのか?」
从'ー'从「募集期間が過ぎている。時期にもよるけど、即入れの場合の保育園は出産前に段取りつけたりしとくのよ」
_
( ゚∀゚)「ほう」
从'ー'从「その段取りがついているものとばかり思ってた。くそ、あのへっぽこスカウトめ、適当なことを言いやがって」
_
( ゚∀゚)「ふ〜む、なかなかの手の平返し」
ぽりぽりと頭を掻いたおれは仰向けに寝転がる赤ん坊の様子を眺めた。おれの弟だ。母さんの復職に向けて保育園とやらにぶち込まれる予定で、しかしその予定が今まさに崩れようとしているというわけだ。
524
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:26:19 ID:nmTz5E9I0
从'ー'从「たぶん保育園にフルで入れるのは無理でも、一時預かりの施設を使ったり、絶対にこの幼稚園の早期入園制度を使わせてもらったりしてある程度はどうにかなると思う。ただ、まったく同じようにはできないだろうな」
_
( ゚∀゚)「どう違うんだよ?」
从'ー'从「う〜ん、ちゃんと調べないとわからないけど、たとえば預かり始めと預かり終わりの時間が違ってきたりすると思う。あとは日ごとに行くところが変わってきたり?」
_
( ゚∀゚)「行き先はまあ何でもいいけど、時間が違うのは仕事に支障が出そうだな」
从'ー'从「まさにそれ。時短勤務にしてもらう・・? いやでも私の仕事内容からしてちょっときついな。何とかならないこともない・・か? う〜ん」
宙を睨んで仕事のスケジュールを考えているのだろう母さんは何度もうなり声をあげていた。
母さんの具体的な仕事の中身をおれはほとんど知らないが、やってて楽しい仕事であることや、やりがいのある仕事であることくらいは知っていた。
そんな母さんを眺め、モララーに目を移し、そのぷくぷくとした頬に触れる。そこから「ぶう」という音を出す。
おれは自然と提案していた。
_
( ゚∀゚)「いつ頃から仕事に戻らないといけないんだっけ? すぐにってのは難しいかもしれないけどよ、おれがこいつの面倒みようか」
525
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:27:18 ID:nmTz5E9I0
我ながら悪くない提案だと思っていたのだが、母さんの返事は即答でのNOだった。
从'ー'从「だめよそんなの」
あんたはバスケやんないと、と母さんはハッキリ言った。おれは正直驚いた。
_
( ゚∀゚)「なんで」
从'ー'从「あのねえ、シングルマザーの家庭でその子供が家事や育児に労力を取られて勉強や部活ができないなんて、そこら中にありふれた虐待の形なのよ」
_
( ゚∀゚)「うお、ぎゃくたい」
从'ー'从「それに、ジョルジュはバスケが好きでやりたいんでしょ? だったらそれはやらないと」
_
( ゚∀゚)「好き・・ う〜ん」
从'ー'从「あら違うの?」
_
( ゚∀゚)「いや好きだけどよ。別にしなきゃいけないことでもないしな。こいつの面倒見ながらでも全然できないわけじゃあなかろうし、母さんが休みの日とかにちょっとそこらでボールつく、とかでも十分楽しそうな気がするんだよな」
从'ー'从「――」
それ本気? と母さんはおれをじっと見つめた。
526
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:28:19 ID:nmTz5E9I0
_
( ゚∀゚)「え、結構本気だな」
おれはあまり考えることなくそう言った。考えなしに、と言うと誤解されるかもしれないが、引っかかることなくそう思えたのだ。母さんは今後仕事をするようになる。この赤ん坊は誰かが世話をしなければならない。
おれにはそれができそうな気がした。
_
( ゚∀゚)「だからさっきも言ったように、『それじゃあ明日からジョルジュよろしく』とか言われても無理だけどさ、こうしてミルクもやれることだし、学校帰りに赤ん坊を迎えに行って母さんが帰ってくるまで世話をする、くらいのことはやってできない気はしねェな」
从'ー'从「う〜ん」
_
( ゚∀゚)「だって他に無理じゃねェ?」
从'ー'从「・・お母さん、ジョルジュはもうちょっと本気でバスケやってると思ってたよ」
_
( ゚∀゚)「いやマジで取り組んではいるけどよ。別にいつかは引退するもんなんだし、絶対これはって目標があるわけでもねぇしな」
从'ー'从「ゆくゆくプロに、とかは思ったことないの? 辞めたら取り返しきかないよ」
_
( ゚∀゚)「そりゃあなくはねぇけど、あれだな、小学校の卒業文集に書くレベルっていうか」
なれたら面白いかもなって程度だよ、とおれはやはり気負わず言っていた。
527
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:31:31 ID:nmTz5E9I0
母さんはしばらく黙っておれを見ていた。おれも黙って母さんを見ていた。モララーは気にせず色んな音で鳴いている。
プギャーさんがさ、とおれは赤ん坊の頭を撫でて口を開いた。
_
( ゚∀゚)「プギャーさんってのはおれの3年の先輩なんだけど、やっぱり話が違ったって言ってたんだよ。その人はおれの前の特待生で、スカウトから色々言われてバスケ部に入ったって言っていた」
たとえばバスケ部の環境もそうだ。
ろくな指導者もおらず、ほとんど設立して以後手の入れられていなかったような当時のバスケ部に、プギャーさんは誘われたのだ。すぐには無理だが1年以内にちゃんとしたコーチを雇って環境を整えるとか、プギャーさんと仲が良く信頼できる後輩を同じく特待生枠で引き入れるとか、「そういうのも面白そうだな」とプギャーさんに思わせられるようなことを言っていたとのことである。
しかしそういった約束のほとんどすべてはろくに叶えられなかった。うちのバスケ部にはいまだに専属のコーチがおらず、練習内容からして部長のプギャーさんが決めなければならなかった。
後輩もそうだ。特待生として引っ張ってこられたのは結局何の関係性もなかったこのおれで、その人選がプギャーさんの希望からどれほど遠かったかはおれへの態度を見ればわかるというものだろう。
( ^Д^)「と、まあ、ざっとこんな感じの事情があったんだ。それもあってお前にはきつくあたっちまったところもあったと思う、すまねぇな」
プギャーさんはおれが最後のシュートを沈めた後で結局事情を語りだし、そんな謝罪の言葉で締めとした。おれはそれを黙って聞いた。
528
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:32:40 ID:nmTz5E9I0
_
( ゚∀゚)「だからさ、たぶんあいつらってそんな感じなんだよ。あいつらっていうか、この業界は、って感じかな。スポーツの世界? なんだかおれは、そんなの信用できねェや」
从'ー'从「――」
_
( ゚∀゚)「だからバスケは好きで、できたら続けていきたいけども、バスケで人生を切り開こうとは思わね〜な。ま、他にやりたい仕事があるってわけでもないんだけどよ」
从'ー'从「ジョルジュが言いたいことは大体わかった。でもさ、積極的に辞めたいわけでもない部活を辞めて、弟の世話をみるってのはねぇ」
_
( ゚∀゚)「外聞が悪いってか? どうでもいいだろ、そんなモン」
从'ー'从「ま、それはそうね」
_
( ゚∀゚)「だろ?」
从'ー'从「まったく、なんだか外聞のよくない立派なことを言うようになっちゃって」
_
( ゚∀゚)「ルールを把握し、その範囲内で、勝つためには何でもやるべきだって誰かさんが言ってたからな」
从'ー'从「誰それ? 教育によくないわねぇ」
相手からファウルを引き出すようなプレイの仕方をかつておれにそれとなく教えた母さんは肩をすくめてそう言った。
529
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:33:28 ID:nmTz5E9I0
从'ー'从「ま、何はともあれ、すぐに決まることじゃないからね」
まずは調べることからだ、と母さんは言った。
从'ー'从「さっきは保育園への切り替えは無理だろうって言ったけど、事情を話してお願いしたら何とかなるかもしれないし、今私が知らないだけの制度がこの世にあるかもしれないし、私の仕事の都合も意外とつけられるかもしれない」
まずはそれらを調べ、現在のおれたちの状況と勝利条件を知らなければならない。そしてその勝利に向かってゲームを作り上げるのだ。
おれのポジションはポイントガード、ゲームメイクはお手の物だ。母さんもそうなのかもしれない。
从'ー'从「ジョルジュの考えは踏まえた上で、お願いした方がトータルで良さそうだと思ったら気兼ねなくお願いするから、その時はお願いね。その時ジョルジュの気が変わってたら、それはまたそれでいいだろうし」
_
( ゚∀゚)「合点承知」
( ・∀・)「ぶええ」
何となく雰囲気を察知するのか、言葉のわからない筈の赤ん坊はひときわ大きな声を上げた。
530
:
名無しさん
:2021/08/12(木) 21:34:42 ID:nmTz5E9I0
○○○
それでしばらくは上手くいっていた。おれはバスケを辞めることなく、できる範囲で子育てや家事も手伝い、おれたちはそれなりにやり繰りできていた。
これを充実と表現するなら、おれはまごうことなきリア充だったことだろう。世間のリア充イメージからは大きく逸れているかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
ちゃんと時間を確保しバスケの練習もできていた。なんならおれのプレイはかえって向上していたんじゃないかとさえ思うのだ。
確かに身体的にも精神的にも時間的にも、ただバスケをやっていた場合よりも負担は大きかったのだろうが、この生活から得られるものも少なくなかった。
具体的に挙げろと言われるとなかなか難しいのだが、たとえば傍若無人な王様のように振る舞うモララーのお世話をさせてもらう生活は、チームメイトを上手く転がしこちらの意図に乗った上で気持ちよくプレイさせなければならないポイントガードの仕事の役に立ったように思う。
何が不満で泣いているのかもわからない赤ん坊に比べて、撃ちたいシュートややりたいプレイがある程度でも把握できるボーラーたちのなんとコントロールしやすいことか。なんせ、言えばわかってくれるのだ。何ともありがたいことである。
練習に対する態度もいくらか変わったのかもしれない。時間を奪われることによって、おれはその貴重さを実感できるようになったのだ。
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