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('A`)( ゚∀゚)川 ゚ -゚)( ^ω^)の話のようです
329
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:42:40 ID:1we2YTy60
○○○
バスケを始めたのは親父の影響だった。
おれが生まれ育った家は田舎の古い一軒家で、しかし広い庭が付いていた。そこにバスケットボールコートがあったのだ。
ゴムチップをぎうぎうに敷き詰め適正な弾力を持たせた立派なコートだ。流石にフルではなくハーフコートサイズだったが、メンテナンスだけでもそれなりの額がかかる設備だったのだろうと今ではわかる。
どうしてそんな金のかかる設備を庭に投じておいて肝心の家屋がボロかったのかは知らないが、おそらくその方が息子の教育に良いとか何とか考えたのだろう。単に『トトロ』が好きだっただけという可能性もある。
何にせよ、そんな環境でおれは育った。
そして物心がつく頃にはまんまとバスケに熱中していた。
何しろおれが上手にボールを扱うと親が喜んでくれたのだ。朝早く仕事に向かい、夜遅くまで帰ってこない親父は休日はほとんどごろごろと寝ていて、遊んでくれるとなると、やることは決まって庭でのバスケだった。
母さんも部活バスケの経験者であるらしく、おれたち家族の団らんの風景は、主に居間ではなく庭にあった。
330
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:44:14 ID:1we2YTy60
小学生になったおれは街の方にあるミニバスのチームに入った。
田舎だとばかり思っていたのだが、おれの住んでいるボロい一軒家が位置しているのは、実はVIP市の中心街から車で15分ほどのところだったのだ。
車で15分、バスだと20〜30分ほどの距離だ。そこまで田舎ではないと言ってもおかしくはないだろう?
しかし子供にとってはこれは大変な距離だった。だからおれは自分は田舎のボロい家に住んでいる、どちらかというと貧乏な家庭の子供なのだろうと勝手に思っていた。仕方のないことである。
そして、これにはもうひとつ理由があって、おれは体が小さかった。
おれの誕生日は4月1日だ。当時はそんなこと気にもしなかったが、この日本の学校制度において、実はこの誕生日はその学年に入ることのできる最後の日なのである。おれの翌日、4月2日生まれであれば、ひとつ下の学年になる。
つまり、おれは同級生の中で、絶対的に年下だった。
少なくとも半年か、下手したら1年近く年下だった。
今ではそこまで深刻な差ではないと思えるけれど、小学校低学年にとっての半年や1年は大きい。
年齢からするとせいぜい平均くらいのおれの体躯は、ミニバスの同級生と比べてずいぶんと小さかった。
331
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:45:11 ID:1we2YTy60
体が小さいとはいえ、こちとらバスケットボールコートのある家に育ち、日常的にボールを触って遊んできたのだ。はっきり言って、そこらへんのただでかいだけの同級生に、バスケで後れを取るとはさらさら思っていなかった。
さらさら思っていなかったおれに衝撃を与えたのは、決定的なフィジカルの差はテクニックを凌駕するという、アスリート界隈にとっては当然の、単なる残酷な現実だった。
多少ボールを器用に扱えたところで、無理やり割って入ってくる長い手からボールを守ることは難しかった。フリーになってシュートを打とうとしても、絶対に届かない筈のところからやつらのチェックは届いた。力任せの下手くそなドライブを小さな体で止めることは不可能だった。
いつもこいつらより体の大きな親父や母さんとバスケをしているのになんで、とおれは疑問に思ったものだったが、その疑問はすぐに解けた。大人は子供に全力で立ちはだかることをしないのだ。
ただそれだけのことだ。
ただそれだけのことなのに、おれにはそれが、なんだかとてもショックだったことを覚えている。
332
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:46:35 ID:1we2YTy60
生まれた時からバスケットボールが身近にある環境で育って、今でもおれはバスケを続けているわけだけれど、決してその道のりは平坦だったわけではない。こうして自分の歴史を眺めた時に、あのタイミングでバスケを辞めていてもおかしくなかったなと思える瞬間はいくつもある。
辞めててもおかしくなかった最初のタイミングが、思えばこのミニバス入りたての頃だったのだろう。おれは確かに辞めかけていた。
辞めるに至らなかった理由はいくつかあるけれど、特に印象的だったのは母さんの反応だった。
ミニバスに入りたての小学1年生をひとりでバスに乗せることはせず、母さんはおれを送迎してくれていたのだった。その帰り道でのやり取りだ。
从'ー'从「やっほ〜ジョルジュ、楽しかった?」
_
( ゚∀゚)「――」
从'ー'从「どうしたよ? めちゃ疲れたのかい」
片手でハンドル操作をしながら助手席に乗るおれの頭を撫でる母さんの手は優しかった。いつもなら即答で返ってくる肯定の反応が送られず、母さんなりに何か思うところがあったのかもしれない。
いくつかの赤信号で車が停まるたびにこちらの様子を伺ってきたが、母さんはおれの方から何かを言うまで辛抱強く待ってくれた。
333
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:47:57 ID:1we2YTy60
何をきっかけにしたのかは覚えてないが、やがておれは口を開いた。
_
( ∀ )「楽しくは――ないよ」
試合形式のミニゲームでボロカスにやられるおれは、いつしかゲーム外の純粋なスキルトレーニングでも委縮してしまうようになっていた。その日は特に調子が悪くて、ドリブルをしてはボールが手につかないし、シュートを放ってはボールをリングに当てることを繰り返していた。
まったくもって楽しくなかった。母さんが送迎してくれているのでなければサボりがちになっていても不思議なかったことだろう。
この時期の母さんは家の近くの薬局で働いていて、わざわざ仕事から抜け出しておれをミニバスに送ってくれていた。そんな負担の上に成り立っている習い事に対しておれが自分からネガティブなことを言うのはそれなりに難しいことだった。
怒られるかな、と思っていたおれは母さんの顔を見れなかった。するとまっすぐ前を向いていたおれの頭が再び優しく撫でられた。
从'ー'从「そっかぁ」
母さんはそれだけ言うと、どういうわけだかちょっぴり楽しそうな様子で、おれを助手席に乗せた車を加速させたのだった。
_
( ゚∀゚)「? 母さん、道違うくない?」
从'ー'从「まぁまぁ、ちょっと買い食いしてこうや」
母さんはニヤリと笑ってそう言った。
334
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:49:36 ID:1we2YTy60
行きついた先はファミレスだった。
当時、おれの家はめったに外食をすることがなく、珍しい外食の機会にもファストフードやファミレスに行くことは基本的になかった。
それはおそらく偏見もふんだんに取り入れられた栄養面での親の考えがあってのことだったのだろうが、子供のおれにとっては単に、クラスの皆は食べたことがあるメニューをおれは知らないという状況を作り出すだけのことになっていた。
_
( ゚∀゚)「――いいの?」
だからおれはそう訊いた。おそらくその目はキラキラと光っていたに違いない。
从'ー'从「いいよ〜 でもね、今日は特別だからね、お父さんには内緒だよ」
どうして特別なのかはわかっていたが、どうしていつもは行けないファミレスに特別に行けることになるのか、おれにはまったくわからなかった。
だけどとにかく憧れのファミレスに入ることができたのと、何でも頼んで良いと言われてメニューの中からソーセージとフライドポテトの盛り合わせを選んだところ、もっとご飯らしいものにしろと言われて最終的にハンバーグセットを注文したこと、そして母さんが結局その盛り合わせを頼んでおれもご相伴に預かることができたことに加えてその母さんがとても面白そうにしているので、おれもなんだか楽しい気分になっていた。
その日ファミレスで食べたハンバーグセットは至福の味わいをしていた。
335
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:50:49 ID:1we2YTy60
おれがハンバーグセットを胃袋に収め、母さんから分けてもらったフライドポテトをかじっている間も、母さんはバスケに関する話題には触れてこなかった。母さんはその代わりに瓶ビールを注文し、小さなコップに自分で黄色いしゅわしゅわとした液体を注ぎ、美味しそうにその手を傾けた。
_
( ゚∀゚)「母さんさ、お酒飲んだら帰れなくなるんじゃねーの?」
そんな当然の疑問を口にしたおれを見、母さんはやはり面白そうに肩をすくめた。
从'ー'从「ここは家から近いからね。車は置いて歩いて帰ろう」
_
( ゚∀゚)「なんだよそれ、怒られねーのか?」
从'ー'从「怒られたら謝ろう。一緒に謝ってくれる?」
_
( ゚∀゚)「仕方ねーなぁ! でも何て言って謝るんだよ」
从'ー'从「ごめんなさい、ってさ。ほら言ってごらん」
_
( ゚∀゚)「ごめんなさい」
从'ー'从「どうしてもお酒が飲みたくってごめんなさい、ってさ。ほら」
_
( ゚∀゚)「それはおれの台詞じゃねーなあ!」
从'ー'从「あはは」
面白いね、と母さんは楽しそうに言った。
336
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:51:49 ID:1we2YTy60
本当に歩いて帰ることになったおれたちは、それぞれレジ横の冷凍庫から棒のアイスを1本ずつ選んで購入し、夜の田舎道を並んで歩いた。
アイスは冷たく旨かった。
瓶2本分のビールを小さな体のどこかに吸収させた母さんは、鼻歌でも歌いそうなリズムで右足と左足を交互に前に出していた。
おれも同じ歩幅の同じリズムで足を進める。
右足。左足。右足。左足。おれたちの歩みは進む。
从'ー'从「どうだい、ジョルジュも楽しくなったかい?」
棒だけになった棒のアイスを指揮棒のように振り、母さんはおれにそう訊いた。おれは笑って頷いた。
_
( ゚∀゚)「楽しいよ」
从'ー'从「そうか〜 おいしいご飯を食べてお酒を飲んで、アイスを食べながら歩いているのに不幸せでいるのは難しいもんね」
_
( ゚∀゚)「おれはお酒は飲んでねえけど」
从'ー'从「ふふ。あんたにゃ10年早い」
_
( ゚∀゚)「10年後もおれは未成年だけどな」
337
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:53:00 ID:1we2YTy60
田舎道の空は巨大な1枚の海苔のように真っ黒で、しかしコンパスで小さく穴を空けたような輝きがそこら中に漂っていた。
右足。左足。おれは交互に足を出す。
空に向けていた視線を前方へと戻したおれは、大きくひとつ息を吐いていた。
_
( ゚∀゚)「ミニバスさ、最近楽しくねーんだよな」
石ころを投げるように口に出す。不思議と重たい気持ちになっていないことにおれは気づいた。
夜道の暗さで母さんの表情はよく見えなかったが、声色からどうやら面白がっていることがおれにはわかった。
从'ー'从「ほうほう、なぜだい?」
_
( ゚∀゚)「だってあいつらズルいんだもん」
从'ー'从「ズルい。・・それは、何が?」
_
( ゚∀゚)「おれがボールをドリブルしてても無理やり手を差し込んでくるし、ドライブは強引だし・・へたくそなくせにさ!」
从'ー'从「なるほどね〜 それはズルいね!」
338
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:53:44 ID:1we2YTy60
わかるわかる、と母さんは腕組みをして、大きな動作で頷いた。
从'ー'从「ちょっと体が大きいからってさ、へたくそなくせに、ルールの範囲内で私らの邪魔をするなんて許されないよね! 私もミニサイズ・プレイヤーだったから、ジョルジュのその気持ちはよ〜くわかるよ」
_
( ゚∀゚)「――ッ」
てっきり否定されると思っていた自分の意見を過剰に肯定され、おれはかえって居心地が悪くなる。
不思議な感覚だ。不思議だが、おれにはその理由がわかっていた。
自分の主張が理不尽なものであると、おれにはわかっていたからだった。
_
( ∀ )「――」
黙ってアイスの棒を口に運ぶおれを、母さんは笑い飛ばした。
从'ー'从「うふふ、いいねぇ。生きてる、って感じがするね!」
なに言ってんだこいつは、とおれは思った。
339
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:54:38 ID:1we2YTy60
从'ー'从「ねえジョルジュ、ひとが何かを好きとか嫌いとか思う時、そこに理由ってあると思う?」
_
( ゚∀゚)「――理由?」
从'ー'从「そうそう。どうしてこれが好きなのかとか、どうしてこれが嫌いなのかとかさ」
_
( ゚∀゚)「どうかな。そりゃあ、あるんじゃねーの?」
从'ー'从「まじで? それじゃあちょっと、私のことを好きな理由を挙げてみてよ」
_
( ゚∀゚)「母さんを!?」
驚いたおれは考えてみたところでとても困った。理由が思い当たらないからだ。
ないわけではない。母さんは基本的に優しいし、ミニバスへの送迎もしてくれる。「ちょっとかじっていたくらい」と言いつつ親父よりもはるかにバスケットボール・スキルが高いことも既におれにはわかっていたし、息子の立場から言うのも気持ちが悪いが、母さんは可愛い顔立ちをしている。親父に黙ってファミレスに連れて来てくれるのも最高だ。
しかし、この内のどの理由をとっても、だからといっておれが母さんに抱いているこの感情を成立させるに十分なものとは思えなかった。
340
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:56:18 ID:1we2YTy60
从'ー'从「どうだい、難しいだろう?」
実は好きじゃないというならヘコむけど、と笑って母さんは言葉を続けた。
从'ー'从「お母さんの考えを言うとね、理由はある場合とない場合があるんだと思う」
_
( ゚∀゚)「なんだよそれ、全部じゃねーか」
从'ー'从「そうだね。でもさ、それを知ってることって結構大事だと思うんだよね。好きとか嫌いとか思う時に、いったん分析をしておくと、自分のことがよくわかるからさ」
_
( ゚∀゚)「――」
从'ー'从「うひひ、息子に語ってしまった。ちょっぴり急いで帰ろうか」
少し恥ずかしそうな素振りで母さんはそう言うと、肩をすくめて小さく笑った。おれは母さんの言っていることが正直あまりよくわからなかったが、頷いて速めに歩くことにした。おそらく小学1年生のおれと並んで歩くために母さんはゆっくり歩いていた筈なのだ。
大きな月が見えていた。三日月と上弦の月の中間のような、暗黒の海苔に指を突っ込んで作ったような不格好な月だったが、おれには強く光って見えた。
从'ー'从「一応、ここだけちゃんと確認しときたいんだけど、バスケ辞めたい?」
_
( ゚∀゚)「いいや、辞めたいわけじゃない。・・と、思う」
341
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 22:57:59 ID:1we2YTy60
从'ー'从「・・辞めたくなったら自分から言える?」
_
( ゚∀゚)「言える。――その時は、自分から言うよ」
从'ー'从「それならいいや。ジョルジュの好きなように頑張りなさい」
やはり笑ってそう言う母さんに、おれはしっかりと頷いた。
_
( ゚∀゚)「そうする。ところで、お母さんはどうやってあいつらと戦ったの?」
从'ー'从「ふふ。あいつら?」
_
( ゚∀゚)「体の大きなへたくそたちだよ」
从'ー'从「そうねえ。ま、ジョルジュが参考にするかどうかは別として、ここはひとまず私のやり方を教えようかな」
母さんはそう言うと、ひときわ楽しそうにニヤリと笑った。大人の笑い方だ、とおれは思った。
从'ー'从「私はねぇ、実は、ルールを破るの自体は嫌いなんだよね。ただね、ルールの範囲内なら何でもやっていいと思う。それがズルいと言われることでも」
そのためにルールというものがあるわけだからね、と母さんは言った。
342
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:01:43 ID:1we2YTy60
从'ー'从「私やジョルジュの小さい体は、ある局面では武器になる」
_
( ゚∀゚)「――ぶき?」
从'ー'从「具体的には、体が小さいと、ファウルを取ってもらいやすい。他にももちろんあるけどね」
_
( ゚∀゚)「――」
从'ー'从「・・ジョルジュ、バスケの中で、もっとも得点率の高いシュートは何か知っている?」
_
( ゚∀゚)「ゴール下だろ。レイアップ。ノーマークでの速攻とかさ」
从'ー'从「ちがうね」
_
( ゚∀゚)「――」
从'ー'从「フリースローだよ、フリースロー。特に私たちのような小さなプレイヤーは、ノーマークだと思っていても意外と手が伸びてきたりするんだからさ」
フリースローはバスケにおけるシュートの中で唯一、確実にノーマークで、しかも決まった距離から放てるものだ。レイアップだろうとダンクだろうと、妨害される可能性はゼロではないし、自分がそれを試みる位置もその都度異なる。
母さんはそんな内容の説明をした。
从'ー'从「さらに許されるファウルの数は限られているから、ファウルをもぎ取ってのフリースローには数字以上の価値がある。これを狙わない手はないね」
343
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:02:36 ID:1we2YTy60
_
( ゚∀゚)「――」
おれはすぐに反応ができなかった。
母さんが言っていることの正しさは、小学1年生の当時のおれの頭でも十分に理解できるものだった。
ただし、理解できるかどうかと、納得できるかどうかは別の話だ。
故意にファウルを取りにいく。
それは明らかに、あまりに卑怯な行為なのではないかとおれは思う。
無言で見つめるおれの頭を母さんは優しく撫でる。おれはその手を振り払うことはせず、黙って右足と左足を交互に前に出した。母さんと同じ速度だ。
从'ー'从「このプレイスタイルはズルいと思うかね」
_
( ゚∀゚)「――思うね」
从'ー'从「あはは。そうだね、ズルいわ。なるべくやるべきじゃあないね」
母さんは明るく笑ってそう言った。そして付け足す。
从'ー'从「ただしね、やつらが舐めたプレイをしてくるというなら、これは代償を払わせないといけないよ」
344
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:04:10 ID:1we2YTy60
代償を払わせる。
母さんはこの表現がお気に入りであるらしく、時折バスケの話をすると、決まってその口からこの言葉が出たものだった。
訊いて確認したわけではないが、どうやら母さんはそれなりのキャリアを積んだバスケットボールプレイヤーで、親父はそうではなかったらしい。下手の横好きというほどの情熱を持っていたわけでもなかったのだろうと今ではわかる。
おそらく大学時代にサークルでやっていたくらいのプレイヤーだ。ボーラーと呼ぶのも不適切なのかもしれない。
そんな親父が庭にコートを敷いていたのは、単に家族共通の趣味としてだったのかもしれないが、かつて青春の時間をバスケに捧げた母さんや、その助言を得て自分なりのプレイスタイルを確立させてきた俺との間に溝のようなものが生まれるのは時間の問題というものだった。
それまで庭にあったおれたち家族の団らんは、いつしか庭ではなく居間に引き上げられようとしていた。
ただひとつ問題だったのは、その居間には誰もいないということだった。
家族の団らんではなくボーラーたちの勝負の場となったバスケットボールコートにいつまでも居続けたおれたちは、その代償を払わなければならなかったわけである。
345
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:05:17 ID:1we2YTy60
○○○
ひどい息子と言われたら言い返しようがないのだが、まったくといっていいほど生活リズムが合わなくなり、下手したら1週間単位で親父と会話をする機会がなくなっても、おれはどうとも思っていなかった。
おれはバスケに忙しかったし、親父は仕事に忙しかったのだ。少なくともおれはそう思っていた。
親父に泊まりの仕事が増え、家でその姿を見ることが少なくなってもさほど気に留めなかったし、かつては出しっぱなしになっていた庭のコートで履く用の親父のバッシュが下駄箱の奥へ片付けられても、おれはそれに気づかなかった。
唯一おれが異変に気づいたのは、それからしばらく経った頃のことだった。おれはミニバスにおける最高学年、小学6年生になっていた。
_
( ゚∀゚)「あれ、そういや、父さんって今どっか行ってんだっけ?」
その時、おれは母さんにそう訊いた。母さんは何故かニヤリと笑って言った。
从'ー'从「お、気づいたか」
どうしてわかった? と母さんはおれに訊いてきた。
346
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:07:00 ID:1we2YTy60
_
( ゚∀゚)「どうしてっ、て――」
それは流しに食器が溜まっていたからだった。
どう考えても丸一日分以上の洗い物が流しに放置されていた。おれはバスケに忙しく、親父も母さんも仕事に忙しいからだ。往々にしてよくあることだ。
ただおれがその時気になったのは、その丸一日分以上溜まっていた洗い物の中に、親父の使う食器がひとつも見当たらないことだった。
その旨をおれが説明すると、母さんは大きく頷いた。
从'ー'从「こういうふとした鋭い気づきって、女の子特有のものだと思ってたんだけど、違うのね〜」
_
( ゚∀゚)「鋭い気づき?」
从'ー'从「そうそう、鋭い。びっくりしたわ」
_
( ゚∀゚)「鋭いって、何が――」
なんとなく不穏なものを感じるおれに、母さんはなんでもないことのようにして言った。
从'ー'从「いやぁ、実は本日、私たちのお父さんがいなくなりました」
まいったね、と母さんはほんわかとした口調で続けた。
347
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:08:30 ID:1we2YTy60
その時のおれのリアクションがどのようなものだったのか、はっきりとは覚えていないが、はっきりと覚えられないようなものだったということだろう。
おそらくは気の抜けたような声を発していた筈だ。
_
( ゚∀゚)「――いなく、なった?」
从'ー'从「そうそう。いやぁ、面目ない」
_
( ゚∀゚)「そりゃまたなんで?」
从'ー'从「私も実はよくわからないんだけど、詳しく知りたい? 知りたいんだったら、父親の義務としてジョルジュへ自分できちんと説明しなさいと言っとくことはできるけど」
まあシカトされたらそれまでだけど、と母さんは頭を掻いて肩をすくめた。
_
( ゚∀゚)「――母さんも、知らないんだ?」
从'ー'从「ちゃんとはね。簡単に言うと、寂しかったってことなのかしらね」
_
( ゚∀゚)「寂しかった――」
寂しくて自分の妻子のいる家から出ていくとは、動機と行動があまりにちぐはぐなのでは、とおれは思ったものだった。
348
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:11:13 ID:1we2YTy60
当時のおれにはよくわからなかったが、今ならなんとなく想像はできる。
おそらく親父は家の外に女でも作っていたのだろう。
親父が再び家に帰ってくるのであればこの推測の答え合わせをしてもいいのだが、高校2年生となった今のところもそんな気配は感じられないし、母さんも飄々としていたし、何よりおれにはその日もミニバスの予定が入っていたので、おれはとにかく出発しなければならなかった。
_
( ゚∀゚)「ええと、よくわからないけど、そうだな、・・おれたちはこれからどうなるの?」
時計に目をやり出発時間を頭に浮かべながらもおれはそう訊いていた。生活が一変するというならミニバスにも行ってられないからだ。おれはこの時期には既にバスに乗ってひとりでミニバスに通っていた。
从'ー'从「う〜ん、こういうのって私も初めてだから、よくわかんないというのが正直なとこだけど、あまり劇的には変わらないかもね」
やはりそれほど大したことのなさそうな口調で母さんは言った。1年ほど前に家の近所の薬局から街の方の病院へと勤め先を変えた時と同じくらいの温度の語り口だった。
おれはその母さんの転職をきっかけとしてバス通を始めた。それは毎回母さんにミニバスまで送迎されていた日々と比べると、おれにとってはなかなかに劇的な変化だった。
从'ー'从「目安としては、ジョルジュがバス通始めた時に比べると、なんでもないくらいの変化じゃないかな」
同じことを思い浮かべていたのかもしれない母さんはそう言った。
349
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:17:36 ID:1we2YTy60
実際のところ、本当に大した変化は訪れなかった。
ひょっとしたら母さんの旧姓である渡辺におれの苗字も変わるのではと思っていたが、結局そうはならなかったし、バスケを中心に回っているおれの生活にさしたる変化は訪れなかった。
小学生の生活の中で親父の事情をわざわざ話す機会などそうそうない。
最後に交わした言葉が何だったか思い出せない親父のことよりも、今目の前にあるバスケットボールをどのように扱うかの方が、おれにとってはずっと大事なことだった。簡単にファウルを引き出せるような舐めたプレイもされがちで、あやうくバスケが嫌になって辞めかけていたのも今は昔、最高学年のおれはチームで2番手のプレイヤーだと皆から認識されるようになっていたのだ。
その1番手のエースプレイヤーはおれと同学年で、ずっとミニバスで一緒だった。誕生日は忘れもしない4月11日で、おれとは10日間だけ異なっている。
_
( ゚∀゚)「おれたち誕生日近いんだな! おれの10日後にお前の誕生日になるわけだ」
その誕生日を知った日におれがそう言うと、そいつはおれの意見を笑い飛ばして言ったものだった。
ξ゚⊿゚)ξ「あら、それは違うでしょ。だって、あんたの10日後にあたしが生まれたんじゃなくて、あたしの生まれた355日後にあんたが生まれたわけじゃない」
あくまで自分の誕生日が先なのだと主張するその女子は、ツンという名前だった。
つづく
350
:
名無しさん
:2020/12/26(土) 23:56:40 ID:hUhPy0e.0
んおつ
351
:
名無しさん
:2020/12/27(日) 05:29:08 ID:vRtXOBuw0
otsu
352
:
名無しさん
:2020/12/28(月) 22:43:41 ID:FoGVN.pA0
ここまで一気読みしちまった
めちゃくちゃ面白い
353
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:35:07 ID:m2xoS0AE0
2-2.ドロー ア ファウル
ちょっぴり話を戻そうと思う。
母さんとファミレスに行って外食をしたあの夜の後、おれが本格的に取り組んだのは、正確なルールの把握だった。
なんと座学だ。もちろん勉強が大嫌いなおれからしたら、自分でも驚きの選択だった。
しかしこれには理由があって、言ってしまえば母さんがファウルをもらうための具体的な方法をてんで教えてくれなかったからだった。おれが真面目だったわけではない。
从'ー'从「具体的にどうするか? う〜ん、それだけ知ってやってたら、すごく嫌われやすいプレイスタイルになるだろうから、自分で考えた方がいいと思うよ私は」
うんうん、と何度も頷きながら母さんはそう言った。なんじゃそら、とおれは思った。お前から提案してきたくせに、と。面倒臭がってるだけなんじゃないかとすら疑った。
仕方なくおれは自分で考えようとしたのだが、まったく良いアイデアを思いつきはしなかった。正当なディフェンスをする相手にこちらから突っ込んでいったら、ただチャージングを取られるだけである。それくらいはおれにもわかる。
それでは一体どうすればファウルをもらえるというのだろう?
_
( ゚∀゚)「結局、あっちが焦ってミスってくれないとファウルにはならないんだよな〜」
次のミニバスの練習にもおれはそんなことを考えながら参加した。気持ち自体は切り替えれていたので、それほどつらくはなかったのだが、やはりおれの体で良いプレイをするのは難しい。
やはり目につくのはひときわ体の大きな女子だった。とても同級生とは思えないそいつが、何を隠そうツンだった。
354
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:37:02 ID:m2xoS0AE0
おそらく誰から見てもツンのプレイは輝いていた。
ゲーム形式の練習に同じカテゴリで参加しているということは、おれと同学年ということである。当時のおれでもそれくらいはわかっていたが、肉体という完全に目に見える形で存在する明らかな差を素直に受け入れるのは中々に難しいことだった。
スポーツには邪魔だとしか思えない、長く癖の強い金髪をふたつに結び、ディフェンスを切り裂きゴールへ到達するのだ。当時のツンはとにかくドライブ一歩目の加速が抜群に優れていた。
_
( ゚∀゚)「――だから、ツンはファウルをもらうことができるのか?」
それまでツンのプレイを外から見ても「すげ〜 でかくて速え〜」くらいの感想しかおれは持てなかったのだが、その日のおれはそんなことを考えていた。
ゴールに対して斜めの位置でボールをもらったツンは、少しディフェンスと駆け引きした後、爆発的なドライブを開始する。その一歩目は速くて大きい。後手に回ったディフェンダーが無理にそれを止めようとすると、決まってファウルになってしまうのだ。
笛が高く吹かれ、審判役のコーチがディフェンスに「それは反則になっちゃうよ」と注意する。ツンはすました表情だ。
半分諦めたような、半分納得していないような表情。
技量にも優れたツンに対してその顔をおれがしたことはないだろうが、それを手本に強引なドライブをしてくるプレイヤーに対してはおれが見せていたかもしれない表情だ。それをディフェンスの選手が浮かべている。
二度とこの顔をおれはしない、とおれは決意した筈である。
355
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:38:53 ID:m2xoS0AE0
ローテーションでおれにもコートに入る順番が回ってきた。交代でコートから外れる選手のひとりから黄緑色のビブスを受け取り、それを頭から被りながら足を進める。そして頭を働かせる。
_
( ゚∀゚)「――自分でボールをハンドルして、オフェンスの中心になりたがるようなプレイは封印だ」
しばらくはな、と、おれは自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。
身長が大きな武器となるバスケという競技において、チビの生き残る道は多くない。そのうちのひとつがドリブルだった。ドリブルだけは、ボールをコントロールする手の位置が低ければ低いほどカットされづらくなり、それが有利に働くのだ。
おれはその武器を自ら捨てることにした。どうせ大きな体と長い手によって無理やり取り上げられてしまうものなのだ。剥ぎ取られるか、捨て去るか。それは簡単な決断だった。
嘘だ。
ボロい家にある立派な庭での練習で、ドリブルはいつもおれの側にいてくれる技術だったのだ。
大人の高さに吊られたバスケットへのシュートは小学1年生には難しい。おれがプレイするとなると、高さの調整が可能なゴールセットが、低い位置に用意されるのだ。
356
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:40:28 ID:m2xoS0AE0
元々それが屈辱だったわけではない。
最初からそうだったのだ。不思議に思いもしていなかった。
しかし、大人が自分に手加減をしているとわかった日から、おれにはその子供用の高さのバスケットが子供扱いの象徴となっていた。
今のおれなら、そもそも当時自分が扱っていたボールが子供用のサイズであったことや、その競技に必要な体が育っていない内から背伸びをする弊害を理解できるが、子供のおれには無理だった。
ドリブルは違う。
コートは誰にも平等だ。
サークルレベルでしかバスケをやっていない親父には難しいようなハンドリングも、子供の吸収力と熱心さで練習すれば、可能になったものも中にはあった。親父はレッグスルーが苦手だったのだ。
おれは、その自慢のテクニックを、フィジカルでねじふせられる前に、自分から手放すことにしたのだった。
_
( ゚∀゚)「――今、だけだ」
おれは攻めの形を整えるだけの攻め気のないドリブルから、シンプルにパスを回してやった。
357
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:41:21 ID:m2xoS0AE0
それまでもパスを回すことはもちろんあった。
バスケはひとりではできない競技だ。判断と選択を重ねながら、攻め手は全員で攻め、守り手は全員で守る必要がある。当然のことだ。
ただし、それまでのおれのプレイスタイルは、あくまで自分のドリブル突破を主軸に据えたものだったのだ。ボールを扱うテクニックはおれの自慢だった。
上手いが、弱い。そんなところが当時のおれの評価だろう。弱いくせに目立ちたがり、といったようなものもそこに加わってくるかもしれない。
そんなおれが、いきなりシンプルなパス回しを行ったのだ。さぞ驚きだったことだろう。
パスを回したおれはオフボールの動きで走った。
とはいえスクリーンプレイもろくに習っていない子供の動きだ。マークマンを振り切れなどしない。それでも、おれがドリブルでつっかけ、その大半が潰されていた攻撃よりは、いくらか効果的な選択をできたのではないかと思う。
そして、その不満と抑圧を燃料とするように、おれはディフェンスに全力を注ぎこんだ。
358
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:42:23 ID:m2xoS0AE0
それまでも手を抜いていたわけではないが、おそらくこの日のおれのディフェンスは、目の色が違っていたことだろう。
体が小さい。手も短い。体重の軽いディフェンスで、しかしおれはどこまでも食らいついていった。
すると、その内の1回で、おれは強引なドライブに押しのけられたのだった。いつものことだ。
いつものことだったのだが、ひとつ違うことがあった。
いつもは半ば道を譲るようにして突破を許していたのだが、おれはその時、正面から思い切りその突進を受け止めたのだ。もちろん受け止めきることなどできず、おれはほとんど吹っ飛ばされてしまったのだが、そこで審判の笛が短く鳴った。
ままあることだ。下手にドライブを止めようとするとディフェンス側の反則となる。腕を巻いてこちらを制するような強引さはオフェンスに認められていないが、体の推進力をそのままぶつけてくること自体は正当な行為なのだ。
そういうルールだ。仕方のないことである。チビのくせにハッスルしてしゃしゃり出たおれが馬鹿だというだけだ。
しかし違った。
それは、オフェンスファウル、相手側の反則を告げる笛だったのだ。
359
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:44:09 ID:m2xoS0AE0
○○○
その後もおれはシンプルにパスをさばき、ディフェンスに精を出し、たまにボールが回ってきてはシュートを放ってこの日のゲームを終えた。
ドリブルからの得点が一度も成功しないことはざらだったが、一度もはっきりと自分から仕掛けないというのはこの日が初めてのことだった。
ゲーム形式以外の練習も終え、クールダウンのジョグをこなし、ストレッチをして着替えたおれは、母さんにミニバスの終わりを連絡してお迎えの到着を外で待っていた。
持たされていた水筒からポカリか何かのスポーツ飲料を飲み、ぼんやりと空を眺める。そしておれは考えていた。おれのディフェンスファウルではなく、相手のオフェンスファウルとなったあのプレイをだ。
それまでのおれの認識では、あの感じだとおれのファウルになるのが自然だったのだ。
_
( ゚∀゚)「――」
自動販売機のそばにある低いブロック塀に腰かけていると、ガタンと何かが落ちる音がした。自動販売機の音だ。それ自体は不思議なことではないが、何も考えずにその音の方へ目を向けると、なんとそこにはツンがいた。
ξ゚⊿゚)ξ「――おつかれ」
_
( ゚∀゚)「おう」
それが、この、それまでも顔は知っていた有力な女子バスケ選手との初めての会話だった。これを言葉のやり取りと言えるならばの話だが。
360
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:45:03 ID:m2xoS0AE0
ゆっくりと自動販売機から買ったジュースを取り出すと、プルタブを引き、やはりゆっくりとそれを口にする。
ツンはすぐに話しかけてはこなかった。
_
( ゚∀゚)(――なんだよ、おれに用があるわけじゃないのか)
ただ単にジュースを買いに来ただけらしい。そこにたまたまおれが座っていたというだけだ。
そのようにおれが納得しかけたところでツンは声をかけてきた。
ξ゚⊿゚)ξ「――さっきの試合」
_
( ゚∀゚)「うん?」
ξ゚⊿゚)ξ「さっきの試合、ずいぶんこれまでと態度が違ったと思うけど、どうしたの?」
_
( ゚∀゚)「――」
見ていたのか。
あのツンが、このおれのことを、見ていたというのか。おれには大きな驚きだった。
361
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:46:18 ID:m2xoS0AE0
その驚きから、むしろ黙ってしまったおれに対してツンは眉をしかめた。
ξ゚⊿゚)ξ「答えない気? あたしの気のせいじゃないわよね」
_
( ゚∀゚)「――ああ。気のせいじゃあねぇ」
ξ゚⊿゚)ξ「それで?」
_
( ゚∀゚)「――おれのドライブは通用してなかったからな。封印することにした」
しばらくの間だけど、と、おれは口に出さず、心の中で付け加える。ツンは何故だか納得していないような顔をした。
ξ゚⊿゚)ξ「――コーチに何か言われたの?」
_
( ゚∀゚)「コーチに!? いいや、そういうわけじゃねえ」
ξ゚⊿゚)ξ「――そう」
小石を手元から放り捨てるような調子でそう言ったツンは、ジュースの缶を口に運び、おれの方を見ずに静かに飲んだ。
_
( ゚∀゚)「コーチから、何か言われたのか?」
気づくとおれは訊いていた。
362
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:47:17 ID:m2xoS0AE0
ツンは黙ったまま肩をすくめると、おれの方を向いてため息まじりに頷いた。
ξ゚⊿゚)ξ「――前にね。もう言われなくなったけど」
_
( ゚∀゚)「何て?」
ξ゚⊿゚)ξ「もっと周りを見てパスを出せ、自分ひとりで決めようとするんじゃない、みたいなことよ」
_
( ゚∀゚)「――なんで言われなくなったんだ?」
いつ言われたのか知らないが、これまでのツンのプレイは一貫して、とにかく自分で点を取るというものだった。メインはドリブルで深く切り込んでからのレイアップやゴール下のシュートだが、離れた位置からのジャンプシュートも決して不得意としていない。
ツンは変化していないのに、それまで言われていたことが言われなくなったというのがおれには何とも不思議だった。
しかしツンはにとっては不思議ではないのかもしれない。
ξ゚⊿゚)ξ「さあね。諦められちゃったのかも」
小さく笑ってそう言うツンは、決して自信や自尊心を傷つけられているようには見えなかった。
363
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:48:12 ID:m2xoS0AE0
_
( ゚∀゚)「そんなことがあったとはな。だが、もしおれがコーチに言われてプレイを変えたんだとして、それが一体何なんだ?」
自分がコーチの言うことを聞かなかったからといっておれにもそれを強要しようとしたのだとすると、こいつは相当ヤバいやつだ。
そんなことをおれが考えていると、そんなヤバいやつ候補の女子は、おれの疑いを笑い飛ばした。
ξ゚⊿゚)ξ「何ってわけじゃないけどさ。あたしは言われた通りにプレイしても良くならないと思ったから従わなかったんだけど、あんたは良くなってるようだったから、もしそうだったのなら知りたかったのよ」
_
( ゚∀゚)「――良くなった?」
ξ゚⊿゚)ξ「そうよ。今日のあんたのプレイは良かった。自分ではそう思わない?」
_
( ゚∀゚)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「答えられない? だとしたら、あんたはやっぱり前のように、自分でプレイを作り上げたいのね」
わかるわ、とツンはおれに頷いた。
364
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:49:18 ID:m2xoS0AE0
_
( ゚∀゚)「――わかる?」
ξ゚⊿゚)ξ「わかるわ。あたしも試合を支配するようなプレイがしたいもの。もちろんその場でより良い選択肢があるというならパスを出さないわけじゃないけど、ただボールをシェアするためだけのパスなんてごめんね」
あたしは周りは見てるもの、とツンは続ける。
ただ自分がこのままボールを持つより良い選択肢となる者がいないからパスを出さないだけなのだ、とツンは言う。
はっきりとそう言い切るツンは自信に溢れていて、ボールを自分の意思で手放したその日のおれには眩しすぎた。
自分の手を見つめる。
小さい手だ。ただし、小学1年生にしては硬い手をおれはしていたことだろう。同じ年齢のどの子供よりも長い時間をバスケットボールに触れて暮らしてきた自覚があった。
実際、この金髪の女子と比べても、テクニック面で劣るとは思っていない。おれがツンと比べて劣っているのは、フィジカル面と、これまでの実績に基づく自信の量だ。
おれが座っていてツンが立っているからだけではないサイズの違いが、おれとツンの間にはあった。
365
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:50:26 ID:m2xoS0AE0
ツンもそれはわかっていたことだろう。
おれのテクニックも、フィジカルも。だからこうして気にかけ、声をかけてきたのだろう。
この実力者に認められていると思ったのかもしれない。だからか、おれは訊いていた。
_
( ゚∀゚)「――さっきのおれのプレイでさ、オフェンスファウルになったじゃん」
ξ゚⊿゚)ξ「うん? あんたジャンパーばっかり打ってなかった?」
_
( ゚∀゚)「おれがディフェンス側だったプレイだよ」
ξ゚⊿゚)ξ「ああ、あれね。テイクチャージしたやつね」
_
( ゚∀゚)「――ていくじゃーじ?」
ξ゚⊿゚)ξ「ディフェンスが上手く立ち回ってオフェンスファウルを取るやつよ。あんた、狙ってやったんじゃなかったんだ?」
_
( ゚∀゚)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「マジ!? 偶然にしては上手だったわね」
366
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:51:31 ID:m2xoS0AE0
おれにはまったくの初耳だったが、ツンにとってはそうではなかったらしい。
テイクチャージ。
守備側から仕掛けてファウルを引き出すなんてことができるのか。
しばらくじっとツンを見つめていると、ツンは笑って肩をすくめて見せた。
ξ゚⊿゚)ξ「オフェンスファウルとディフェンスファウルの原則は習ったでしょ? まあほとんどのやつらは聞いてなかったか、もう忘れちゃったと思うけど」
_
( ゚∀゚)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「ファウルの基準がわかってればさ、それを相手にさせたらこっちの勝ちになるじゃない? コーチにそんなことをしてもいいのか訊いてみたら、あたし、それは立派な技術のひとつだよ、って言われたわ。コーチ、ちょっと悪い大人の顔してた」
_
( ゚∀゚)「悪い大人の顔って何だよ」
ξ゚⊿゚)ξ「にや〜って笑ってたわ。だからあんたも教えてもらったんだろうなって思った。違うのね」
やるじゃん、とツンに言われたおれは、目を開かれたような気持ちになった。
367
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:52:40 ID:m2xoS0AE0
こうしてはいられなかった。おれは水筒に浅く口を付けると、蓋を強く締めて立ち上がる。
おれには今すぐにしなければならないことができたのだ。
_
( ゚∀゚)「――ファウルのげんそく? っていうのか? それ、どこにいったらわかるかな?」
ξ゚⊿゚)ξ「原則? そうねえ、ルールブックでも読んだらいいんじゃないの?」
_
( ゚∀゚)「るーるぶっく! それ持ってるか!?」
ξ゚⊿゚)ξ「いや持ち歩いてるわけないでしょ。でもそうね、コーチに言ったら見せてもらえはするんじゃない? うまくいったら貸してもらえるかも」
_
( ゚∀゚)「――ッ! それだ!!」
おれは即座に地面を蹴って、全速力で体育館へと戻っていった。まだコーチはいるだろうか。そしてコーチはルールブックを持っているだろうか。そんなことを頭いっぱいに抱えながら、おれは口元が興奮で緩むのを自覚した。
結論を言うと、コーチはそこにはいなかった。
ただしおれは母さんにこの熱意をぶつけ、帰りに本屋に寄ってもらって子供向けのルールブックを買ってもらったのだった。
こうしておれは生まれて初めて自分から何かを勉強しようと思った。自分でも驚きだったが母さんもさぞや驚いたに違いない。
368
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:54:14 ID:m2xoS0AE0
○○○
母さんやコーチにわからないところを確認しながら改めてバスケットボールのルールを学んだおれは、それを逆手にとることも同時に学んでいった。
それまでも印象としては持っていたのだが、バスケはどうやら本当に攻撃側が優遇されているらしい。正直なところ意外だった。
从'ー'从「あはは、そうだね。アメスポだからね」
なんでこんなルールなの、とその不平等さについて口にしたおれは、母さんに頭を撫でられた。
_
( ゚∀゚)「あめすぽ?」
从'ー'从「アメリカンスポーツってこと。アメリカさんが作ったスポーツはエキサイト万歳な仕様になりがちなのよね。点がいっぱい入った方が派手で観てて楽しいじゃない?」
_
( ゚∀゚)「それはまあ確かに」
从'ー'从「あと、合理的っていうか、ルールの定義が厳格な感じがするね〜。おおらかなところがないのは好みがわかれるところかも」
369
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:55:28 ID:m2xoS0AE0
好みがわかれるとのことだったが、おれは完全に『好き』側だった。
何故なら、厳格なルールであってくれた方が、それを利用しやすいからだ。
母さんもおそらくそうなのだろう。おれのそうした質問や考えを受け付けるたびに、母さんはニヤリと大人の顔をした。これがもっとにや〜っとしたら、ツンが言うところの大人の笑顔になるのかもしれないな、とおれは思った。
あからさまなことはしない。誰にも好かれないだろうからだ。
しかし、知っていて、できはするがしないのと、知らずにやらないのとではまったく意味合いが違ってくる。何がルール上保護され正当な行為となるかをきちんと把握していれば、ドリブル中のボールの置き方も変わってくるのだ。
_
( ゚∀゚)「フン、へたくそめ!」
ある日のゲーム中、おれはただ強引に伸ばされただけの手をからめとるようにして審判に笛を吹かせてやった。今回は特に完璧なタイミングでシュートモーションを作ることができた。何もないところからおれは2本のフリースローを作り出すことに成功したわけである。
当然その両方をおれは沈める。
決して短くない時間がかかったが、おれは自分の好きなタイミングで、舐めたプレイをしてくる下手くそなプレイに代償を払わせることができるようになっていた。
370
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:56:35 ID:m2xoS0AE0
その短くない時間はおれの背を何センチか伸ばしてくれ、体重を何キロか増やしてくれた。7歳と8歳の差は6歳と7歳の差よりも小さいのだ。それが8歳と9歳の差であればなおのことだ。学年が上がるにつれ、学年の中で強制的に最年少となるおれの誕生日の影響は、少しずつ小さくなっていっていた。
元々テクニックには秀でていたのだ。いつしか他の同学年とおれとのフィジカルの差は圧倒的なものではなくなっており、おれのミニバスチーム内での認識も急速に改められていっていた。
とはいえ、時間は誰にも平等に流れる。
おれが上達している間にツンも上達しており、おれたちの学年のベストプレイヤーは依然としてこの金髪の少女であるというのが常識となっていた。
ξ゚⊿゚)ξ「どう、今日もやってく?」
_
( ゚∀゚)「モチロン」
おれたちはミニバスの時間が終わった後、「もういい加減帰れ」とコーチから言われるまで1対1をコートで続け、おれの調子が良い日にはその後もバスケットのある公園に足を運んで対戦するのが日課のようになっていた。
おれの調子が良い日限定だったのは、誘うのがいつもおれだったからである。ツンがおれの誘いに嫌な顔をすることはなかった。
371
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:57:43 ID:m2xoS0AE0
学年が上がるにつれておれの体は大きくなった。ある程度大きくなったところで母さんはおれの送迎をすることは止め、その代わりにバスで使えるカードをくれた。
从'ー'从「もうひとりでバスにも乗れるでしょ。ジョルジュ、自分で帰ってくるようにしなよ」
_
( ゚∀゚)「いいのか!? やった! ありがとう!」
从'ー'从「――ただし、バスにも終わりはあるんだからね。絶対この時間のバスには乗って帰るようにね」
_
( ゚∀゚)「わかった!」
从'ー'从「本当にわかってる? 守れないようだったらカード取り上げるからね。それでもバスケやりたかったら走って通いな」
_
( ;゚∀゚)「――わかった」
そう話す母さんの目は本気の眼差しをしていたのだった。
そのカードはバスの他にもコンビニやスーパーで使えたので、おれは子供らしい範囲での買い食いを黙認されたような状態になった。自由が与えられた子供の大盤振る舞いを妨いたのは理性ではなく恐怖だ。
そのカードの使用状況はおれの目の前で毎日監査された。その時母さんの逆鱗に触れるような使い方をおれがしていたとしたら、やはり取り上げられていたことだろうからだ。
372
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 20:59:04 ID:m2xoS0AE0
そんな調子で切磋琢磨し、おれは楽しくバスケットボールへ子供の情熱と時間を注ぎ続けた。
思えばこの頃が一番バスケをしていて楽しかった時期だったのかもしれない。
毎日ボールを触り、仲間と話し、家でも母さんを誘っては庭で過ごした。おれの体が大きくなるにつれて母さんは段々と子供向けの手加減をしなくなってきており、おそらくかつては親父の手前被っていたのだろう、☆女子ボーラー☆としての猫の皮を被らなくなっていた。
从'ー'从「ほらほら、それだと取られるよ」
_
( ゚∀゚)「うっせ〜黙ってr
从'ー'从「ほら取れた」
大人としては大柄なわけでも特別手が長いわけでもない筈なのだが、母さんの手はよくボールへ伸びてきた。
それも、正しいルール解釈の上で反則にならない、上手な守備でだ。
从'ー'从「ほら取られたらすぐに追いかけないと、打たれるよ、ほら打った」
そして母さんは驚くほど遠くからいとも簡単にシュートを沈めるのだ。おれはその度に信じられないような気持ちになる。
从'ー'从「なかなかだけど、まだまだだね〜」
母さんはあっけらかんとそう言った。
373
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:00:02 ID:m2xoS0AE0
そして小学6年生になろうとする頃、おれはついにツンと身長で並ぶことができていた。
_
( ゚∀゚)「お! ついに!? ついにじゃね!?」
ξ゚⊿゚)ξ「うるさいわねぇ。まだ抜いたわけじゃないでしょ・・」
_
( ゚∀゚)「いやこれ時間の問題だろ! うっひょ〜 上がるぅ〜」
ルンルンで浮かれるおれに向かってツンは、やれやれ顔で肩をすくめた。
ξ゚⊿゚)ξ「あのね、そりゃあ歳を重ねりゃ男子が女子より大きくなるのよ。大体はね。当たり前でしょ。確かに思ったよりは早かったけどさ」
_
( ゚∀゚)「いやァ男子と女子との話じゃなくて、おれとお前の話だからな。当たり前ではねぇよ。ひゃっふ〜」
ξ゚⊿゚)ξ「うざ・・」
やれやれ顔が呆れ顔に変わったツンは、ため息をついて何かを観念したような様子だった。気持ちを切り替え、幼いおれにお姉さんの態度で接することにしたのだと今ではわかる。
ξ゚⊿゚)ξ「まあでも実際思ったよりは早かったからね、大したもんよ。大きくなってよかったわね」
おうよ! とおれは大きく頷いた。
374
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:01:06 ID:m2xoS0AE0
学年が上がる頃ということは、つまりはおれの誕生日が近かった。
それを知っていたのだろうツンはお姉さんの態度で言葉を続ける。
ξ゚⊿゚)ξ「――やれやれ。あんたもうすぐ誕生日でしょ。あたしに背が並んだ記念に何か欲しいものあげよっか」
_
( ゚∀゚)「! なぜそれを!?」
ξ゚⊿゚)ξ「いや知ってるわよ。4月1日生まれってあんた以外に知らないし、嘘くさすぎて一度聞いたら忘れないわ」
_
( ゚∀゚)「うわずり〜な。お前の誕生日はいつなんだよ!?」
ξ゚⊿゚)ξ「・・ま、知らないんだろうなとは思ってたんだけどね。4月11日よ」
_
( ゚∀゚)「おお4月生まれか! な〜んだ、おれたち誕生日近いんだな! おれの10日後にお前の誕生日になるわけだ」
親近感をもっておれがそう言うと、ツンは何故だか吹き出して笑った。
ξ゚⊿゚)ξ「いやいや、それは違うでしょ。だって、あんたの10日後にあたしが生まれたんじゃなくて、あたしの生まれた355日後にあんたが生まれたわけじゃない。あんたのより、あたしの誕生日が先なのよ」
さらに説明を重ねられ、おれはその日初めて自分がツンに対してほとんど1歳年下なのだということをようやく理解した。
375
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:02:13 ID:m2xoS0AE0
子供のカテゴリーでほとんど1歳年下ということは、率直に言ってとても大きなハンデとなることだろう。道理でミニバスに入った当初、おれの体はほかと比べて小さく、苦労した筈である。
ξ゚⊿゚)ξ「まあでもあんたの環境って飛び級してるようなもんだからね。それで頑張れてるわけだから、この先もうまいこといったら結構良いとこいけるんじゃない?」
_
( ゚∀゚)「イイトコ。どこだよそれ」
ξ゚⊿゚)ξ「う〜んそうねえ、バスケやってて一番イイトコっていったらやっぱり、アメリカじゃない?」
_
( ゚∀゚)「アメリカか」
ξ゚⊿゚)ξ「そうそう。NBA。目指してみたら?」
_
( ゚∀゚)「目指すか〜」
将来の夢は総理大臣ですといったノリでそう軽く口に出したおれは、続けてツンに訊いていた。
_
( ゚∀゚)「ツンは? イイトコ目指さねえの?」
ξ゚⊿゚)ξ「あたし? あたしはそうね、――でも、いけるところまではいくつもりよ。あんたに負けるつもりもまったくないわ」
そう言うツンの顔からお姉さん感は抜けていて、おれたちは1対1でバスケットを争う遊びを再び始めた。
376
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:04:49 ID:m2xoS0AE0
○○○
そんな感じで完全にバスケを中心に回っていたおれの人生から親父が振り落とされるのは時間の問題というものだった。
出ていくことはなかったんじゃないかと今でも思う。
父親がぞんざいな扱いを受ける家庭などこの世にごまんとあることだろうし、その父親たちは今日も健気に頑張っている。ひょっとしたら、自分なりの楽しみを見出し、それなりに幸せな毎日を過ごしているのかもしれない。受け入れて応援する側に回れば仲間でいることもできただろう。
しかしそれでも出て行きたくなる気持ちはわかる。おれにもバスケを辞めようと思ったことがあるからだ。何なら愛情深く接している方がより深い絶望に陥りやすいんじゃないかと考えることもできるだろう。
無責任だとは思うがそれだけだ。当時のおれにはそれよりずっと大事なことがあったのだ。
それはもちろんミニバスで、おれとツンという才能と情熱に溢れたボーラーを最上学年に置いたおれたちのミニバスチームは、ひとつのピークを迎えようとしていた。
おれたちはミニバスの全国大会に進出できるかもしれなかったのだ。
377
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:05:53 ID:m2xoS0AE0
県代表チームという肩書きは別にどうでもよかったが、単純にツンとプレイするのは楽しかった。
ゲーム形式の練習はどうやったって練習で、勝利のみを目指すというより『正しい形』の習得のようなところを目標としている。真剣になるのはやはり1対1の対戦だ。その場合、ツンは必ず敵となる。
ツンと敵対してバチバチやり合うのもそれはそれで楽しいのだが、それまで戦っていた強大なライバルと共闘態勢を取って新たな敵を打ち負かそうという試みは、上手く描かれた少年漫画のような楽しみをおれに与える。それはツンにとっても同じだろう。
たまらない時間だった。
6年間だ。
6年間同じチームで同じくエネルギーを注ぎ続けたツンの動きや考えは、履き慣れたバッシュのような自然さでおれに伝わっていたし、ツンはツンでおれがその場で何を考え何をしたいと思っているのか、何もせずともわかってくれた。
おれたちは互いにすべてを任せ合うことのできる相棒だったのだ。
378
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:07:01 ID:m2xoS0AE0
そんな県大会の決勝前日のことだった。
疲れを残さないようにとチームの練習は軽く、おれはもう少しボールを触りたかった。
_
( ゚∀゚)「おう、もうちょっとやっていこうぜ」
だからおれはそう言った。いつもおれの誘いを決して断らず、1対1のやり合いを拒んだことのなかったツンが、しかしその日は首を縦には振らなかった。
ξ゚⊿゚)ξ「いやコーチの話聞いてなかったの? 今日はちゃんと体を休めて体調を万全にするのが大事でしょ」
_
( ゚∀゚)「聞いてたけどよ、ちょっと少なすぎるって! こんなんじゃなまっちまうよ」
ξ゚⊿゚)ξ「なまりはしないでしょ、ボールも触ってるのに。軽くシュート練だけやって帰って寝たら?」
_
( ゚∀゚)「いや〜あれでしょ。1オン1でしょ。ね、旦那」
ξ゚⊿゚)ξ「――」
_
( ゚∀゚)「奥様! ね! ちょっとだけ! 先っぽだけだから!」
ξ;゚⊿゚)ξ「あんたマジで何言ってんの? ――仕方ないわね、本当にちょっとよ」
_
( ゚∀゚)「そうこなくっちゃ! 体育館は閉めるだろうから公園行こうぜ!」
379
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:08:18 ID:m2xoS0AE0
おれはウキウキで身支度を整えると、しぶしぶといった調子のツンと並んで歩き、行きつけのバスケットのある公園へと向かった。
途中で飲み物を買うため『ティマート』というコンビニに寄り、ついでに棒のアイスをふたつ購入したおれは、その内ひとつをツンに渡した。チョコレートにコーティングされたバニラアイスを歩きながら齧り、おれとツンは大きな交差点を赤信号で止まった。
何か他愛のないことをお喋りしながら歩いていたと思うのだが、その内容は覚えていない。
おれたちの目の前を横なぎに通過していた車が止まった。向こうの信号が赤になったのだ。数秒もすればおれたちに青信号が与えられることだろう。
青信号。
アイスを齧り、おれは横断歩道に足を出す。ツンも当然歩き出すことだろうとおれは思った。それが違った。
ツンのいる左側からすごい力で引っ張られ、おれはアスファルトの地面に強く引き倒されていたのだった。
380
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:10:28 ID:m2xoS0AE0
_
( ゚∀゚)「――なに!」
すんだよ、と反射的に声が口をつくより先に、その光景がおれの眼前に広がっていた。
ツンだ。
おれを左側から引き倒したツンが、自分はその場に留まっており、しかし地面から見上げるおれを見つめるのではなく、おれの右側を強く睨みつけていた。
止まっていたわけではない。ツンはおそらく必死にその場から離れようとしてはいたのだが、どうにも思い通りにいかないようだった。おれを引き倒し動かした力の反作用でボディコントロールを失っていたのだろう。
その視線の先に自然とおれの注意が引き寄せられる。
そこには、左折してきた自動車が、減速することなくそのまま横断歩道に突入しようとしていた。
そしておれの目の前でゆっくりとツンが車に轢かれた。
381
:
名無しさん
:2021/01/15(金) 21:13:30 ID:m2xoS0AE0
瞬きをすることのできない目から取り込まれてくる情報が凄まじすぎて、おれはこの時自分がどのような行動を取っていたのか覚えていない。
おそらくポカンと口を開けたアホ面で、動くこともできずに事態を眺めていたのだろう。
頭からツンに突撃してきた乗用車の衝撃は女子小学生の体を簡単に宙に掬い上げた。ツンは回転するようにして一度車の上部でバウンドし、横断歩道の地面に頭から落下した。
永遠と思えるような数秒間、世界が凍りついていた。
自分が呼吸をしていることを思い出したおれは、右手に掴みつづけていたアイスをその場に投げ捨て、倒れているツンに這うようにして近づいた。
注意していないと口から飛び出すのではないかと思えるほどに強く心臓が鼓動していた。
どう触っていいのかわからなかったが、とりあえずツンの顔にかかっている癖の強い金髪を指先で払ってやると、その下から見慣れた可愛らしい顔立ちが現れた。そしてその大きな目がおれを見た。
ξ;゚⊿゚)ξ「――うおお〜 びっくり、したぁ」
ツンが喋れるような状態であることに安堵した一方で、その金髪の根元が赤く滲んでいることに気づいたおれは、みっともない叫び声をあげていた。
つづく
382
:
名無しさん
:2021/01/16(土) 04:51:12 ID:7eQBxkqE0
乙
383
:
名無しさん
:2021/01/18(月) 01:00:35 ID:4X4Dqt4M0
乙です
スポーツに熱中するふたりが眩しくてしょうがないぜ……
384
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 03:59:00 ID:4pPzAeGs0
乙です
385
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:04:57 ID:xtj5.wCQ0
2-3.ドミネイト
小学6年生のおれとツンは、気づくと救急車に乗せられていた。
ツンは担架で運ばれ、連れ添う形でおれもそこに乗ったのだった。おれ自身に車との接触はなかったものの、仲の良かった女の子が目の前で鉄の塊に跳ね上げられるという光景はそれなりに衝撃だったので、正直なところ、どうやって救急車に乗り込んだのか、どの病院にその後連れて行かれたのかなんかは覚えていない。
ただおれは担架に寝そべるツンの隣に座り、その手を両手で包み込むように握っていた。
ツンは意識を失っておらず、話すこともできたので、救急車に乗る大人たちと自分で直接会話していた。
氏名。年齢。住所や親の連絡先。交通事故に遭った時の状況。
ツンはそのすべてにテキパキと答えた。
ξ゚⊿゚)ξ「――明日大事な試合があって、もうちょっと練習したいなって話してて、それでこの長岡くんと近所の公園まで行こうとしてたんです」
青信号で横断歩道を歩いていたのだ。確かに片手を高く上げてはいなかったが、たとえこちらに非があったとしても、審判に笛を吹かれる筋合いはないというものだろう。
386
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:05:56 ID:xtj5.wCQ0
しかしおれたちに非があろうとなかろうと、事実としてツンは救急車の中で担架に寝ており、県大会の決勝は明日のことだった。
ξ゚⊿゚)ξ「あ〜あ、明日の出場は無理かな〜」
担架に寝そべったままでツンが言う。その軽い口調がツンの本音でないことは、おれの手を握る強さからおれにはわかっていた。
その口ぶりは何のための軽さなのか。
おれのためだ、とおれは思った。
ツンを公園に誘ったのはおれだ。それも、珍しく気乗りしない様子のツンを、おれは重ねて誘って公園へと連れて行こうとした。
そしてそこで事故に遭ったのだ。
おれを責めるのは簡単なことだっただろう。少しは気も晴れた筈だ。何しろ、ツンは、おれを引き倒して半ば身代わりになったのだ。
責めてくれても構わなかった。
しかし、ツンはそうはしなかった。
おれの手を握るツンの右手が小さく震えているのが伝わった。
387
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:07:02 ID:xtj5.wCQ0
_
( ゚∀゚)「――」
おれに何が言えるというのだろう?
おれにはただ、その震える手を両手で包んだままにしておくことしかできなかった。ツンの口調のように軽い包み込み方で、決して強く握ってしまわないように注意しながら、おれはツンの大きな目を黙って見つめた。
おれの両手に挟まれ震えていたツンの右手が再び強く握られた。
ξ゚⊿゚)ξ「・・う〜ん、なんだか痛くなってきた」
その口調はやはり軽く、思わずおれはちょっぴり笑ってしまった。
_
( ゚∀゚)「・・今まで痛くなかったのか?」
ξ゚⊿゚)ξ「痛いっていうか、ビックリだったからね。そういやジョルジュは怪我しなかった?」
_
( ゚∀゚)「おれは――どうもねぇよ。お前のおかげで」
ξ゚⊿゚)ξ「お〜 それは何より。よかったよ」
ツンはそう言い、はっきりとおれに微笑んだ。
ξ゚ー゚)ξ「それじゃ、明日の試合も出られるね?」
388
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:08:27 ID:xtj5.wCQ0
明日の試合。
頭のどこにもなかったと言ったら嘘になるが、とてもそれどころではないと思っていたことだった。
何よりおれのバスケにおける相棒は、今救急車で運ばれているのだ。
_
( ゚∀゚)「――」
ξ゚⊿゚)ξ「え、うそ。まさか出ない気?」
_
( ゚∀゚)「――あんまり考えてなかったな」
ξ゚⊿゚)ξ「いや出なさいよ。あんた轢かれてないんだからさ。さすがにあたしは無理だろうけど」
めちゃくちゃ痛いし、とツンが強張った笑顔で言うものだから、おれもそうした方が良さそうな気になってきた。
なんせ明日の試合に勝って全国大会へ進出すれば、しばらくはおれたちのミニバスからの引退が遠のくのだ。そうすればまたツンとこのチームで戦えるかもしれない。
_
( ゚∀゚)「――そうだな、出るよ。そして勝つ。だから、全国までには怪我治しとけよ」
ξ゚ー゚)ξ「マジ痛いからね、無理かも〜」
そう言うツンの笑顔は、心なしかさっきより柔らかくなっていた。
389
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:09:30 ID:xtj5.wCQ0
何とかという病院に運び込まれたおれたちは救急車から降ろされた。
車の接触がおれにはなかったことと、どこにも怪我をしておらず、服の一部がアイスで汚れた以外に問題がないことを確認され、おれは待合室のようなところに通された。
人気のないガランとした空間に並べられた病院の椅子にひとりで腰かけぼんやりとしてしばらく待った。
ひとりだ。
おれひとりと、おれの荷物とツンの荷物。それがその空間のすべてだった。
何をするでもなく、何を考えるでもなく、ひとりで病院の壁や扉を見るともなしに見ていると、何かの足音が耳に聞こえた。人の気配だ。
そちらを向くと、母さんがいた。そしておれは母さんに連絡をしていないことを思い出した。誰からここを聞いたのだろう。
_
( ゚∀゚)「――母さん」
从'ー'从「息子よ。無事かい」
_
( ゚∀゚)「――無事だよ。おれはね」
从'ー'从「そうかい。それはひとまずよかったね」
母さんはゆっくりとおれに近づき、ぐしゃぐしゃと頭を撫でた。おれはされるがままにした。
390
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:11:16 ID:xtj5.wCQ0
母さんとおれは並んで病院の椅子に座った。自分から口を開く気にはならず、母さんもおれを問い詰めるような態度を取らなかったので、おれはただ母さんと並んで座った。
ただ隣に母さんがいるというだけなのに、それがおれにはとても心強く感じられたことを覚えている。
そして同時に、ついさっきまで救急車の中でおれが隣にいたツンは今どんな気持ちでいるのだろうと考え、自然と唇に力が入るのをおれは感じた。
気を抜いたら泣いてしまっていたかもしれない。
しかし、おれの涙腺が限界に達するより先に、さらなる人の気配がその空間に訪れた。
ζ(゚ー゚*ζ「――こんにちは」
それが急いで駆けつけたツンの家族であることはすぐにわかった。見た目がよく似ていたし、まっすぐにおれと母さんの方を見ていたからだ。
おれと母さんは並んで立ち、その女の人に会釈した。
从'ー'从「こんにちは。――ええと、ツンさんの?」
ζ(゚ー゚*ζ「母です、簡単に話は聞きました。あなたが長岡くん?」
そうです、とおれはハッキリ言った。
391
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:12:37 ID:xtj5.wCQ0
_
( ゚∀゚)「・・おれがジョルジュ長岡です。事故に遭った時、ツンさんと一緒にいました。すみません」
ζ(゚ー゚*ζ「・・あなたが謝る必要はないように聞いてるけど?」
_
( ゚∀゚)「いえ、ツンを誘ったのは僕なので。それに、事故の時にも庇われました。すみません」
ζ(゚ー゚*ζ「そうなのね」
_
( ゚∀゚)「――そうです。ツンは僕を庇うようなことを言うかもしれませんが、事実はそうです」
ζ(゚ー゚*ζ「――そう。ま、それが本当だとしても、あなたが謝る必要はないと思うけどね。悪いのは車でしょ?」
_
( ゚∀゚)「――」
ζ(゚ー゚*ζ「あの子はね、庇う必要がない子を庇ったりはしないわよ。したくないこともしない。だから、あの子のしたことで、ジョルジュくんがそれを申し訳なく思うのは、なんというか望まないと思うわよ」
そうじゃない? と小さく笑って肩をすくめるおツンのお母さんは、お姉さんの雰囲気をしているツンによく似ていた。
そうかもしれない、とおれは思う。小さく頷いて見せたおれに、ツンのお母さんは満足そうに微笑んだ。
392
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:15:59 ID:xtj5.wCQ0
こうして子供と大人のやりとりをおれと交わしたツンのお母さんは、母さんと大人の会話を始めた。
ζ(゚ー゚*ζ「私はデレです。長岡さん、先生から何か聞かれました?」
从'ー'从「まだ何も。デレさんは?」
ζ(゚ー゚*ζ「もうじき終わりそうだとは言われましたが、他には何も。少なくとも即オペって感じじゃなさそうでしたね」
从'ー'从「それは何より。加害者の車の方は?」
ζ(゚ー゚*ζ「左折車ですから信号無視じゃないみたいですけどね、逃げたりもしていませんが、横断歩道を渡ってる子供を見落としちゃあだめですね」
从'ー'从「だめですね〜」
そうして母さんたちがやれやれし合っているうちに、廊下の扉が開かれた。看護婦さんがそこから顔を出す。
どうやら医者の仕事が終わったらしい。
流石にそこにツンはいなかったが、おれたちは先生がいるらしい奥の方へと導かれたのだった。
393
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:17:13 ID:xtj5.wCQ0
ツンは銀色のベッドの上にいた。
潜水艦の中にある潜望鏡モニタのようなでかい機械が上の方から生えていて、ツンが寝そべるベッドはその真下に位置している。そしてその機械を扱える位置に白衣の男が立っていた。
おそらくこの人が医者なのだろう。おれたちは言われるがままにその近くで整列し、話を聞く態勢を取った。
( ><)「初めまして、医師のビロードなんです。よろしくお願いするんです」
ζ(゚ー゚*ζ「よろしくお願いします」
( ><)「ええと、お友達とも一緒に話を聞きたいとのことだったので、お呼びさせていただいたんです。お母さんもそれでよろしいですか?」
ζ(゚ー゚*ζ「もちろん。よろしくお願いします」
ξ゚⊿゚)ξ「あたしもまだ聞いてないの。ジョルジュはいい?」
_
( ゚∀゚)「もちろんだ」
お願いします、とおれは言った。
394
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:19:09 ID:xtj5.wCQ0
( ><)「それでは始めるんです。とはいえ、重症ではないので簡単な内容ですが。まず目立つ外傷は頭部の裂傷、切り傷なんです」
おれは先生の話を聞きながら事故の様子を思い出す。
ツンはおれから見て右から来た車に跳ね上げられ、その上部にバウンドした後地面へと叩きつけられた筈だ。その時地面で頭が切れて血が出たのだろう。
( ><)「これはおそらくただ切れてるだけなんです。2針ほど縫いましたが、それでおしまい。お薬飲んで、そのうち抜糸するだけなんです」
先生の口調とその内容に、安心した空気が部屋に漂う。
おれもため息をつきながら、でもそれじゃあなんでこんな銀色のベッドにツンは寝ているのだろうと思った。するとその答えが告げられた。
( ><)「他に特別怪我はなさそうなんですが、特に膝のあたりが痛むようなので、一応レントゲンを撮りました。その結果がこれなんです」
黒地に白く骨の写った巨大な画像がガシャリとスクリーンに固定される。その見方はてんでわからないが、これこれこういう理由で大丈夫なのだと先生は言った。
395
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:20:43 ID:xtj5.wCQ0
( ><)「そんなわけで、骨に異常は見られないんです。強く打ったか捻ったかしたようになってて痛んでるだけだと思うんです」
ζ(゚ー゚*ζ「――よかった」
ξ゚⊿゚)ξ「じゃあ先生! あたし、明日の試合に出れますか?」
ζ(゚ー゚*ζ「ツン!」
ξ゚⊿゚)ξ「――どうですか? この痛みも引いて、出られるようになりますか?」
( ><)「う〜ん、そもそも頭を縫ってるわけだし、やめといた方がいいと思うんです。おそらく接触したら簡単に出血するんです」
ξ゚⊿゚)ξ「流血デスマッチ!」
( ><)「是非とも遠慮していただきたいんです」
ξ゚⊿゚)ξ「――わかりました。応援はしてもいいですか?」
( ><)「それはもう。流血するほどの興奮は控えて楽しんでくださいなんです」
ξ゚⊿゚)ξ「やった! ママ、あたし行くからね!」
ζ(゚ー゚*ζ「はいはい。しょうがないから連れて行ってあげますよ」
396
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:22:18 ID:xtj5.wCQ0
ζ(゚ー゚*ζ「――ええと、今日はこのまま帰れるんですか?」
( ><)「ツンさんにベッドは用意してないんです。今日は入浴できませんが、明日からは概ね普通に生活できるんです。学校にも行けますよ」
ξ゚⊿゚)ξ「げろげろ」
わざとらしく学校を嫌がるツンに雰囲気が和む。ツンのお母さんが安堵の息を吐く。
さて、とまとめるように医者が言葉を続けた。
( ><)「それじゃあそろそろ帰りましょうか。様子を見て欲しかったらしばらくはいてもいいですが、必要はあまりないんです」
ζ(゚ー゚*ζ「どうする、ツン?」
ξ゚⊿゚)ξ「もちろん帰るわ。でも先生、足がまだ全然痛いんですけど?」
( ><)「う〜ん、痛み止めは使いましたからね、追加で使いたくてもしばらく待った方がいいと思うんです。痛みが引くか、追加で使えるようになるまで待ちますか?」
ξ゚⊿゚)ξ「帰ります、帰ります」
ツンはオモチャを取り上げられそうになった子供のように素早く答えた。
397
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:24:57 ID:xtj5.wCQ0
しかし、結局この場でツンの足から痛みが消えることはなく、それどころか自力で立つことすらできないようだった。
( ><)「機能的には歩ける筈なんです。ま、ショックも大きかったことだろうし、今日のところは車椅子で運んであげるので、明日からは自分で歩くといいんです」
医者はそう言い看護婦さんに何やら指示を与えると、「お大事になんです」とおれたちに手を振った。
お母さんに車椅子を押されるツンに並んで歩き、おれは何度も唇を噛み締めた。
明日は無理だが、おそらく全国大会には出られるのだろう。
またツンと同じチームでプレイができるのだ。
明日は勝つ。必ずだ。
おれがその決意をわざわざ改めて口に出すことはなかったが、病院の薄暗く静かな通路を進む間、ツンは黙って車椅子に座っていた。そして車の座席に座らされ、別れ際になっておれをまっすぐ見つめたのだった。
ξ゚⊿゚)ξ「――明日、勝つんでしょうね?」
もちろんだ、とおれは言った。
398
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:28:11 ID:xtj5.wCQ0
○○○
チームの誰もが「気負いすぎるな」とおれに言った。
いつも通りのプレイをしろ、と。変に気にしすぎることをせず、できることならリラックスした方がいいとおれは言われた。昨日の事故はおれのせいではないのだからだ。
仲間たちもそうだったし、コーチもそんなことをおれに言ってきた。おれはそのすべてに頷きながら、頭の中ではまったく同意していなかった。
そんなことは無理なのだ。暑い日に汗をかくなと言うようなものだとおれは思う。
そんな中、母さんだけは違っていた。
チームと合流する大きな体育館までおれを車で送りながら、母さんはそんなことを言いはしなかった。
从'ー'从「意外といつも通りプレイできるんだったらそうすればいいし、できないんだったらできない中で何ができるか考えるといいよ。こんな日にどういうプレイができる人間なのか、自分を知るいい機会だねぇ」
母さんはほんわかとした口調で、独り言のようにそう言った。
399
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:30:45 ID:xtj5.wCQ0
正直、母さんの言ってることはよくわからなかったが、色々な意見があるんだということでおれはすべてを丸飲みにした。その色々な意見たちがどのような形でおれの尻から出てこようがおれの知ったことではないと思った。
おれにとって大事なのは、このゲームに勝つことだ。
ツン抜きで勝つ。
_
( ゚∀゚)「う〜ん、想像すらできない」
おれにとってのミニバスの公式戦にはいつもツンがエースとして君臨していた。おれたちのチームの基本戦略は「ツンでもぎ取ったリードを残りのメンバーでなんとか保つ」といったようなものであって、勝利への前提条件のようなものが欠けている今日のチームがどう機能するのか、誰もが不安だったに違いない。
そして、そのチームを現場で取り仕切るのは、ナンバーツーでポイントガードのおれの仕事というわけだ。まったくもってやれやれである。
_
( ゚∀゚)(――それを、“いつも通りやれ”だって?)
いつも通りにやってどのように勝つつもりなのか、おれには皆目見当がつかなかったが、それをわざわざ口に出すのはやめておいた。
大人だったというよりは、そんな嫌味を言う余裕がおれにはなかっただけである。
400
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:35:13 ID:xtj5.wCQ0
ツン抜きで戦うプランを誰にも具体的に示されないまま試合開始が迫っていた。
結局、試合前最後のチームミーティングでも具体的な指示が出されることはなく、おれはツンの代わりに相手チームの代表者と試合前の挨拶を交わした。
知ってる顔だ。おれがベンチに座っていた時からずっとこのチームで活躍している男である。
_
( ゚∀゚)(名前は確か――流石の兄者、だったっけな)
それが本名なのかどうかは知らないが、こいつは流石兄弟の、兄者と呼ばれる男だった。
双子で、同学年の同じチームに弟者と呼ばれるやつもいる。
兄者と弟者がいて、でかい方が逆に弟者だ。おれの認識はそのようなものだった。
軽い握手で儀礼的な挨拶が済む。と思っていたら、おれは兄者に話しかけられた。
( ´_ゝ`)「・・ツンはどうした?」
兄者はそう訊いてきた。
401
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:40:38 ID:xtj5.wCQ0
ツンの不在が気になるらしい。正直におれの知るところを話してやっても良かったのだが、それには時間がかかりそうだったし、第一こいつはこれから必ず打ち倒さなければならない敵だった。
だからおれはすっとぼけ半分、挑発半分で答えることにした。
_
( ゚∀゚)「ツンは全国から出るってさ。今日は家で寝てんじゃね〜の」
(#´_ゝ`)「なんだとう!」
_
( ゚∀゚)「ほれ、散れ散れ。ツン抜きで負けた泣きべそで聞く気があったら後で教えてやっからよ」
兄者はぷんすか怒りながら自陣へと去っていった。
おれは嘘はついていない。
それにしても、そこまで強烈な内容でもない挑発に即座にブチ切れられるとは、そんなことで試合をコントロールできるのかね、とおれは平常心で考えた。兄者のポジションはおれと同じくポイントガードなのだ。今日もマッチアップすることだろう。
_
( ゚∀゚)「ふふん」
おれは意識して笑顔をつくりながら、ティップオフの瞬間を待った。
402
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:41:30 ID:xtj5.wCQ0
○○○
ティップオフのボールは相手に渡り、おれたちはまず守備をしなければならなかった。
兄者がボールを運んでくるのが目に入る。あまりにわかりやすく苛立っているので、かえって演技なのではないかとおれは疑う。
(#´_ゝ`)「後悔させてやるぜ!」
_
( ゚∀゚)「いらっしゃい」
強くボールがコートに弾む。その一定のリズムを正面で捉えて対峙する。
半身になって体でボールを守りはせず、おれに正対していられるということは、相当な自信を自分のボールコントロールに持っているのだろう。こちらが下手にボールを取ろうとすれば、その動きを利用して一気に抜き去ることができると思っているのだ。
そこからは冷静さのようなものを感じる。やはり怒りに我を失ってはいないのだろう。
小さくドリブルのリズムが変わる。まだ仕掛けてはこなかった。おれを観察しているのだろうか?
思った瞬間、兄者が強い1歩を踏み込んできた。
403
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:42:19 ID:xtj5.wCQ0
それは単純なドライブだった。
スピードにすべてを委ねたような突撃だ。巧くはないが、効果的ではあるのだろう。慣れていないと対処が難しいに違いない。
しかしおれにはツンがいた。ツンとの1対1での対戦の中で、おれは単純なスピードに対する守り方はとっくに習得済みだったのだ。
( ´_ゝ`)「む」
少し意外そうな顔。
おれと戦うのが久しぶりだからか、いつもの対戦ではツンにばかり注意していたからか。
決してファウルを取られない足運びで兄者のドライブを阻止したおれは、パスでボールを手放させることに成功していた。
オフボールの動きに切り替わる。おれは兄者についていく。
何度かのパス交換から再びボールを手にした兄者はようやくおれに集中していた。
404
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:43:34 ID:xtj5.wCQ0
一瞬視線が交差する。
打ち合わされるフェンシングの剣のように睨み合ったおれたちは、その何十分の一秒かで濃密なコミュニケーションを交わす。
( ´_ゝ`)「なかなかやるじゃないか」
兄者はそう思っているのかもしれない。
_
( ゚∀゚)「そのくらいじゃ後悔はできねぇなあ」
おれはそう挑発してやった。
始動。
反応。
おれは兄者の動きに応じる。
しかし兄者はおれを抜くことに固執せず、パスを回して弟者へとボールを入れたのだった。
そしてオフボールの動きを開始する。おれはそれについていく。
すると、弟者とウチのセンタープレイヤーとの1対1の形になった。そして弟者はそれを難なく、あっさりと決めた。
405
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:44:42 ID:xtj5.wCQ0
対戦が久しぶりなのはお互い様だったのかもしれない。
おれがこのチームのナンバーツーであるように、あちらのチームにおいて兄者は、チーム2番手の実力者だった。忘れていたわけではないが、おれはそれを再認識させられた。
流石兄弟で体が大きいのは実は弟者の方であって、敵としてより厄介なのも、実は弟者の方である。
特に3ポイントシュートの存在しないミニバスにおいて、インサイドを支配しかねない弟者の力は圧倒的と言ってもよかった。
(´<_` )「ディフェンス。締めるぞ」
( ´_ゝ`)「1本止めるぞ〜!」
_
( ゚∀゚)「・・まいったね」
ボールを受け取ってドリブルを開始しながら、おれは軽く途方に暮れたものだった。
406
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:45:49 ID:xtj5.wCQ0
何故って、いざ攻撃するとなると、ツンの不在は強烈だった。
ツンがコート上にいないのだ。
もちろんすべてのシュートをツンが放っていたわけではないし、すべての攻撃の形にツンが絡むわけでもない。しかし、ツンは常にこのチームにおけるファーストチョイスだったのだ。
まずツンを使った攻撃を狙う。だめなら次に移行するのだが、それで防御が綻ぶようならどこからでもまたツンで攻める。
それがおれたちのオフェンスだった。
特にツンと同時にコートに立つ時間がほとんどだったおれにとって、練習レベル以上でのこのオペレーションはほとんどぶっつけ本番だったのだ。
コーチを見る。指示はない。この攻撃はおれが作り上げなければならないということだ。
おれはこれまでに集めたチームメイトの情報と、今日の練習中の様子、そして相手の布陣と実力をわかる範囲で頭に浮かべる。考えるともなしに考える。味方4人と敵5人の動きを把握する。
そしてひとつの決断を下した。
407
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:47:56 ID:xtj5.wCQ0
おれの選択はパスだった。
おれに付いているディフェンスは兄者だ。敵方2番手の実力者で、守備も上手い。そこから攻めるというのは賢い選択とは思えない。
少なくとも、ファーストオプションにするべきではないとおれは思った。
そしてもうひとつの目的は情報集めだ。
チームメイトのことはそれなりにわかっているが、相手のことはやはり十分ではない。誰がどういう守備をするのか、全体としてどの局面でどう動くのか。おれには調べなければならないことがたくさんあった。
だからおれはパスをした。
その行き先のウィングの選手はそれなりに優れたドライブと中々の確率で沈めるジャンピングシュートが武器だった。3ポイントシュートがないのが残念だと冗談で言える程度のクオリティはしていた。
パスを受ける。即シュートか、さらにパスを回して機会を探るか。敵の動きを観察しながらそのように予測していると、そいつがドライブで仕掛けるのが目に見えた。
408
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:48:43 ID:xtj5.wCQ0
_
( ゚∀゚)「――まじか!?」
予想外のその選択に、おれは正直驚いた。ドライブを仕掛けるにふさわしい形ではなかったからだ。加えてそいつのドライブは“それなりに上手い"といったレベルで、多少の不利なら跳ね返せてしまえるような高い技術は持っていない。
案の定、捕まった。
そこから何とか打開するビジョンも持っていなかったに違いない。こちらに一度戻せとおれが上げた声が届くより先に、そいつはボールを奪われた。
ターンオーバー。速攻が来る。
ぞくり
と、おれの背筋に何かが走る。
全力で戻るも虚しく、簡単なレイアップで得点を決められた。
409
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:49:44 ID:xtj5.wCQ0
○○○
はっきり言って、序盤は散々な出来だった。
3分が過ぎたところで4-11というやられ方だ。ダブルスコア以上で負けていて、さらにフリースローの2本目をこれから弟者が放とうとしている。
_
( ゚∀゚)(・・まいったね、こりゃ)
フリースローラインで集中する弟者を眺め、おれはそのように心の中で呟いた。
言い訳はいくらでもできる。
ツンが試合前日に突然出場できなくなるというのも災難だったし、変にやる気になったウチの選手がツンのような攻め方でツンでは考えられない失敗を重ねるというのも一因だろう。いつもなら即座にシュートを放ってくれるタイミングと状況で、なぜだかドライブを選択するのだ。
ツンの代わりをしようと思ってのことなのかもしれない。しかし明らかに不適切だった。
軽く指摘をしても気にする素振りを見せず、今この試合中におれが強く言って是正させるには、不貞腐れリスクが伴った。
410
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:51:17 ID:xtj5.wCQ0
そんなわけで、恥ずかしながら、おれは半分心が折れかけていた。無理なものは無理なのだ。
もちろん手を抜くようなことはしない。攻撃では形を作り、守備では兄者を好きにはさせない。ドライブ突破は許さなかったし、苦し紛れのシュートも簡単にはさせなかった。
しかし、おれが多少兄者に優ったところで、チームとしての差は歴然としていた。それが4-11というスコアに表れているのだ。ダブルスコアされるほどの違いだとは思えないが、7点差をつけられていること自体にはまったく反論の余地がない。
_
( ゚∀゚)「ぷふ〜」
もう少しまともなスコアになるよう試合を整えることはできるだろう。ただし、ここから巻き返しを図るには、おれたちには武器が見当たらないのだった。
そういう感情をため息に込め、ぷふ〜と風船が萎むような音を出していると、ベンチがざわついている気配を感じた。
_
( ゚∀゚)「・・なんだァ?」
ミニバスのルール上、アクシデントでもない限り、このタイミングで選手の交代などはできない。ベンチがざわつく筈がないのだ。
それでも気になってそちらに目をやると、そこにはなんとツンがいた。
411
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:52:45 ID:xtj5.wCQ0
_
( ゚∀゚)「――ッ!」
ξ゚⊿゚)ξ「――」
ツンだ。そこには確かにツンがいた。
車椅子に座り、それをツンのお母さんが支えている。足の痛みが引かなかったのかもしれない。もちろん今日の出場は無理だろう。
しかし、そこにはツンがいた。
頭から氷水を浴びせられ、同時に胸に溶岩をぶち込まれたような衝撃だった。おれは何を考えているんだと一瞬で我に返った。
おれは、この試合に必ず勝たなければならないのだった。
普通にやってて勝てる筈がないだろうとも思っていたのだ。
_
( ゚∀゚)「――」
尋常ではないことをしなければならないと、最初からおれにはわかっていたのだ。いつも通りにやろうと思っていたわけではないつもりだったが、そんなものでは全然足りていなかった。
412
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:54:08 ID:xtj5.wCQ0
急激に冷静さを取り戻した冷たい頭に熱い血流が巡ってくる。おれは唇を噛みしめる。
フリースローを弟者が沈める。点差は4-12と実にトリプルスコアとなり、おれはボールを受け取った。
ドリブルでボールを運び、こちらの攻撃が開始するのだ。
まっすぐあちらのサイドへ侵入することはせず、おれはぐるりと迂回してわざとベンチの前に進路を取った。
車椅子に乗ったツンがいる。
何も言われはしなかった。
おれもツンに何かを言うようなことはしなかった。
その代わり、その隣にいるおれたちのコーチに、おれは一言断りを入れた。
_
( ゚∀゚)「――このクォーター残りの3分間、おれの好きにしていいですか」
行ってこい、と言われたおれは、ひときわ強くボールをついた。
413
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:55:14 ID:xtj5.wCQ0
敵陣に達したおれは、まっすぐ兄者を睨みつけた。
兄者もその視線から何かを感じ取っていたかもしれない。
しかしそんなことはどうでもよかった。
おれが今ここですべきなのは、何とか見られるスコアになるよう試合を整えることではなくて、とにかく試合の流れをこちらに引き寄せることだった。
その手段として、おれは兄者をはっきりと打ち負かすことを選択したのだった。
_
( ゚∀゚)「フゥ〜」
明らかな攻め気がおれから発せられていたことだろう。賢いプレイとは言い難いかもしれない。効率性だけを考えれば悪手だと思う。
しかし、そんな一見賢くないプレイで相手をねじ伏せた場合に相手はどうしても動揺し、それが試合の流れとなってこちらに勝利を近づけるのだ。
2点というのはただのスコアで数字だが、あるタイミング、ある形で取るべき2点を取ることにはただの数字以上の意味があるというのを、おれはこの日初めて知ったのだった。
414
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:56:48 ID:xtj5.wCQ0
一定のリズムでボールをコートに弾ませながら、少しずつ兄者に近づくたびに、少しずつ体の中で何かが高まっていくのをおれは感じた。
おれの体の核の部分に器のようなものがあるとしたら、そこにエネルギーか何かが次々に注ぎ込まれ、あふれたものが全身に行きわたっていくような感覚だ。
右手。ボール表面の感触がありありと感じられる。まるで自分の体の一部のようだ。
目で確認しなくても自分の指の先がどこにあるのかわかるように、ボールが今どこにどの状態でコントロールされているのか、おれには把握できていた。
床に弾ませ、右手から左手へとボールを渡す。左から右へ。どこをきっかけに突撃されてもいいように、兄者がそれぞれに小さく反応をする。はっきりと反応とは言えないような小ささだ。
リズム。変調。わずかな隙間がおれには見える。
わざと作った隙間だろうか?
そんなことを考えるより先に、その隙間目掛けておれはドライブを開始していた。
415
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:58:04 ID:xtj5.wCQ0
それまでの様子と兄者の性質を総合して考えると、それは罠ではありえなかった。もしくは、たとえそれが罠だったとしても、その上で打開できる自信がおれにはあった。
後から考えると、おそらくおれはその時、そのように判断してドライブを開始したのだろう。
とにかくこの瞬間のおれにはある種の確信があって、何の迷いもなくそこに突っ込んでいた。
兄者が対応してくる。十分に訓練されたフットワークだ。思った通り。
思った通りということは、おれの確信の通りということだ。
おれは兄者にマークされたままの形で、しかしすべてを自分の支配下に置いていた。
ボールをコントロールしているのはおれだ。そしてこの形を作ったのもおれ。
間違っていないディフェンスで、しかしシュートを防ぐこと自体はできない形だ。兄者はそれをわかっているだろうか?
おれはわかっている。
おれが思い通りに放ったボールは、飛んで伸ばされた兄者のシュートチェックに邪魔されることなく、おれの思った通りにリングをくぐってネットを揺らした。
416
:
名無しさん
:2021/01/29(金) 23:59:06 ID:xtj5.wCQ0
点数的には6-12と依然としてダブルスコアでこちらが負けていたが、コートの空気は明らかに変わっていた。
これまで一見堅実な選択でジリジリと差を広げられていたおれたちが、いきなりそれまでと違った形で攻めてきたのだ。そしてその攻撃を成功させた。
特にその標的となった兄者はすぐさまやり返したいのか、荒れたドリブルでボールを運んできていた。
試合開始時の様子とは違う。ひょっとしたら本気で苛立っているのかもしれない。
(´<_` )「落ち着け兄者、ボールをよこせ」
しかしあちらのエースは相変わらずの落ち着きだった。しばらく弟者がボールをコントロールし、再び兄者へ。攻撃の形が作られる。
もちろん相対するのはおれの仕事だ。プレッシャーを強めにかける。
ボールを離すか? プレッシャーの強さを逆手に取った突破を狙ってくるか?
ギャンブルだったが、おれは自分の左側にわざと隙を作って誘っていた。
417
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:00:42 ID:RfZRGzKY0
これがギャンブルだったのは、誘いに乗るようなフェイントをかけられていたら、おれは簡単に逆を取られたかもしれなかったからだ。もしくはまったく誘いに乗らず、弟者の強みを全面に押し出した攻め方をされたら、少なくともこう着状態には持っていかれていたかもしれない。
試合の揺らぎが小さくなると、この6点差はおれたちに重くのしかかってきたことだろう。おそらく我慢比べのような展開になったら不利なのはおれたちの方だった。
しかし兄者は誘いに乗ってきた。
おれの左側にできた隙間に突っ込んできたのだった。
おれにはその兄者のドライブがどのような進路を進み、その間にボールがどのような軌道を辿るか、感覚で把握できていた。そのように仕向けたからだ。
完全に抜けたと兄者は思っていたかもしれない。
しかし、その実、そのドライブの最中に、回り込むようにして後方から伸びたおれの右手の指2本ほどが、ボールの芯に触れていた。
418
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:01:47 ID:RfZRGzKY0
_
( ゚∀゚)「――速攻!」
こぼれたボールをチームメイトのひとりが拾い上げたのを確認すると、おれはその他全員にとにかく上がれと号令を飛ばした。
おれの役目は確保されたボールを受け取り、ゼロ秒でコートの状況を把握して適切な場所にボールを供給することだ。あるいは速攻を諦めるかの判断。ボールがおれの手に渡る。それまでのコートの状況を頭で処理する。
イメージ。それとも直感なのだろうか。おれには改めて確認するまでもなく、どこにどのようなボールを送ればいいのかがわかっていた。
ウィングのあいつだ。素晴らしい場所にいる。
ただし相手も良い反応をしていて、特に弟者がちゃんとゴール下まで戻ろうとしていた。
ボールを持ったあいつがドライブからのレイアップを狙えば必ず弟者に捕まることだろう。
おれはパスを出していた。
419
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:03:17 ID:RfZRGzKY0
長年バスケをやっていれば誰にでも“会心のプレイ”があることだろう。
おれにもある。そのうちのひとつで、覚えている限り最初のひとつが、この試合のこのパスだった。
センターラインのまだ手前、フリースローラインをわずかに出たあたりの自陣から、おれはミドルレンジに広がったそいつにコートを切り裂くようなパスを送った。
ワンバウンド。誰にも邪魔されることなくボールが収まる。
ポイントなのは、ワンバウンドさせ、そのままの勢いでドライブに入るにはやりにくい位置でボールをキャッチさせることだった。
そのままシュートを放てばいいのにやたらドライブしたがるそいつに、ドライブを許さないパスだった。しかしシュートの邪魔にはならない。
そんなおれの意図と意志を、固めてボールの形にしたようなパスだ。受け取った瞬間、そいつは何を思ったことだろう?
おれにそれを知る手段はなかったが、とにかくそいつが弟者に突っ込むことなく、高精度のジャンパーをフリーで放っただけで十分だった。
点差はまだまだ残っていたが、その必ず入るとは限らないジャンピングシュートがきっちりリングをくぐった時点で、試合の流れは完全におれたちのものになっていた。
420
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:04:19 ID:RfZRGzKY0
○○○
そこから先は楽だった。
嘘だ。おれたちはとても頑張って試合の流れを手繰り寄せ、それがあちらに渡らないように丁寧と大胆をほどよくブレンドしたプレイを心がけた。それでどうにかギリギリ逆転することができたのだった。
兄者はやはり上手かったし、弟者は依然として脅威だった。
ただし、不思議と負ける気はしなかった。
おれはその試合に何としても勝たなければならなかったからだ。
なぜならそこにはツンがいた。
(´<_` )「ナイスプレイ――長岡くん」
なんとかおれたちの勝利を告げるブザーを聞けた後、弟者がおれに近寄ってきた。これまでにも何度か対戦したことはあるが、握手以上のコミュニケーションを求められたのは初めてだ。
_
( ゚∀゚)「おつかれさん」
あちらの健闘も称えるおれに、弟者は小さく頷いた。
421
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:05:21 ID:RfZRGzKY0
(´<_` )「長岡くんは中学どこ? お受験するの?」
_
( ゚∀゚)「お受験!? しねぇーよ! 普通の公立に行くことだろうよ」
(´<_` )「ほう、俺らもそうだ。――チームメイトになるかもな」
_
( ゚∀゚)「まじか。そりゃああれだな、心強い話だな」
(´<_` )「ふふん。ほら、兄者も挨拶しといたらどうなんだ」
( ´_ゝ`)「・・俺はいいだろ」
(´<_` )「ボロカスにやられたからって不貞腐れるなよ」
(#´_ゝ`)「ボロカスにはやられてないだろ!」
(´<_` )「いや明らかに狙われてただろ。だろ?」
_
( ゚∀゚)「――だな」
( ´_ゝ`)「うぅぅ〜」
あんまり煽ったら兄者が泣きだしてしまいそうだったので、おれは流石兄弟とそれぞれ熱い抱擁を交わして別れを告げた。
422
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:06:10 ID:RfZRGzKY0
_
( ゚∀゚)「フゥ〜」
勝利に沸くベンチへ近づく。何とも言えない光景だ。
自分の力でチームを勝たせることができたと、おれはこの日初めて思ったのだった。
汗まみれのチームメイトとハイタッチを交わし、肩を叩いて喜びをシェアする。
お前のあそこの判断が良かった。
あのシュートのおかげで勝ったようなものだ。
あのディフェンスの一瞬、あそこが勝敗の分かれ目だったのかもな。
本心からの賛辞をちょっぴり冗談めいた調子に包み、おれは仲間の中をゆっくりと歩く。
足を進める先にはツンがいた。
_
( ゚∀゚)「――勝ったぜ」
そう伝えるおれに、ツンは車椅子の上から頷いて見せた。
423
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:07:51 ID:RfZRGzKY0
ξ゚⊿゚)ξ「やるじゃん」
まあな、とおれは頷き返す。
実際おれはやってやったのだ。ボーラーとして一皮むけたような気さえする。
今日の感じで再びツンとコートに立てるなら、これまでとはまた一味変わったプレイができるというものだろう。おれはその予感と勝利の余韻に頬が緩まずにいられなかった。
しかし気になる。車椅子がだ。
昨日の医者の話では、ツンはもう自分で歩けてもおかしくないとのことだった。ただ事故の直後でまだ足が痛むから車椅子を貸してくれただけだった筈なのだ。
その車椅子も、車までの移動に貸してくれただけで、ツンのお母さんの運転して帰った車に積んで持って帰ったわけではない。
ツンが今座っている車椅子。これはいったいどこの誰のものなのだろう?
そしてツンの足の状態は?
そのような不安が、コップの水中に一滴落とされた墨汁のようにじわりとおれの中に広がっていた。緩んでいた頬がそのままの形に固まっていく。
何か言えよ、と思い始めたおれに、ツンはゆっくりと言葉を続けた。
424
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:12:33 ID:RfZRGzKY0
ξ゚ー゚)ξ「――全国大会も頑張ってね。あたしはちょっと、無理みたい」
_
( ゚∀゚)「――それって」
どういうことだよ、と言おうとしたおれは、ツンの両手が膝の上で硬く握りしめられているのに気がついた。その握る強さに血色が失われかけている。まっすぐおれの目を見ていない。
軽く微笑むような表情をしているその下で、ツンが奥歯を噛み締めているのがおれにはわかった。
ξ゚ー゚)ξ「あたしね、実は今から入院するの。この足、確かに骨は折れていなかったけど、靭帯か何かが全然やられてるんだって。今朝になってもめちゃくちゃ痛かったから、またもう一度診てもらったら、今度はそんなことを言われたわ」
困っちゃうよね、と自嘲の笑いを浮かべるツンを、おれはただ見つめることしかできなかった。
ξ゚ー゚)ξ「本当はそのまま入院の筈だったんだけど、この試合は見たかったから、わがまま言って連れてきてもらったの。だから最初の方は見れなかったけど、ジョルジュ、なかなか良いプレイだったじゃない。試合を支配してたね」
_
( ゚∀゚)「――入院」
知っている言葉と単語で話されている筈なのに、この時のおれにはツンが何を言っているのかわからなかった。と言うより、わかりたくなかったのだろう。
公式戦の場でおれがツンと同じコートに立つことは二度となかった。
つづく
425
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 00:28:28 ID:fsNYVB6s0
乙乙
426
:
名無しさん
:2021/01/30(土) 11:37:44 ID:iSJZcAQk0
乙
試合に緊張しながら読んでた
スポーツには疎いけど、こんなにも考えて動くもんなんだな。しかも小学生で!
427
:
名無しさん
:2021/02/02(火) 04:06:21 ID:D9ZbaDYo0
気持ちの良い物語やね
428
:
名無しさん
:2021/03/08(月) 04:36:19 ID:5Dei5XLs0
ワクワク
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