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メンバーにガチ恋したらどうしたらいいの?

1名無し募集中。。。:2015/12/17(木) 18:23:24
握手会でガチ恋アピールしてもええのかな?

2北方謙三:2015/12/17(木) 18:31:50
とりあえずソープ逝ってこい!

3名無し募集中。。。:2015/12/17(木) 18:32:07
みんなやってるから大丈夫

4名無し募集中。。。:2015/12/17(木) 18:43:32
誰にしたのか詳しく

5名無し募集中。。。:2015/12/17(木) 18:46:32
アイドルってのは偶像なんだよ偶像にホレてもなんの意味もない
そのアイドルのオフの時はお前の想像してる子とは全くの別人格だ
ちゃんとお給料が発生してる一つのビジネスだよ

6名無し募集中。。。:2015/12/17(木) 18:54:57
>>4
ももちやで

7名無し募集中。。。:2015/12/17(木) 18:55:29
みんなガチ恋してるしいいんじゃない

8まろは可愛らしい ◆XoQppJERwE:2015/12/17(木) 18:59:16
元々その子ヲアイドルと知らなくて一目惚れしたならもう突き進むしかない
それも自分の心が弱りまくっててめっちゃズタズタな時と上手く重なればなw

9名無し募集中。。。:2015/12/17(木) 19:03:36
ハロメン全員にガチ恋してるけど40歳なら大丈夫だよね

10名無し募集中。。。:2015/12/17(木) 19:06:16
>>6
父親が30代ってハロメンも少ないないのに

11まろは可愛らしい ◆XoQppJERwE:2015/12/17(木) 19:10:13
ミスチルの桜井もB'zの稲葉も50前後だし

12名無し募集中。。。:2015/12/17(木) 19:42:36
さんまは飯窪さんにガチ恋してるし

13名無し募集中。。。:2015/12/17(木) 19:59:16
ももちに告白したことあるよ
ビックリしてたよ

14名無し募集中。。。:2015/12/18(金) 06:54:39
ガチ恋なんて軽々しく口にするな
どうせその好きって感情だってぺらっぺらの上辺だけなんだろうよ

15名無し募集中。。。:2021/01/30(土) 04:57:21

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16名無し募集中。。。:2023/06/16(金) 23:42:40
逆転野球人生
「ボクは巨人から捨てられた」前年4勝で放出された32歳の西本聖が、新天地で20勝投手になれた理由【逆転野球人生】
2022年10月17日(月) 10:02

誰もが順風満帆な野球人生を歩んでいくわけではない。目に見えない壁に阻まれながら、表舞台に出ることなく消えていく。しかし、一瞬のチャンスを逃さずにスポットライトを浴びる選手もいる。華麗なる逆転野球人生。運命が劇的に変わった男たちを中溝康隆氏がつづっていく。

巨人では“一匹狼”

しのぎを削った同世代のライバルはすでに引退して、オレのポジションは若手選手に奪われた。

そろそろ潮時かもな……。周囲だけでなく、自分すらもそう思う。かつて、そういう状況から移籍を機に劇的な復活を遂げたベテラン選手がいる。元巨人の西本聖である。74年に長嶋巨人の一期生として松山商からドラフト外で巨人入り。実は明治大への入学が決まりかけており、ドラフト外という低い評価に「裏切られた」という怒りもあったが、周囲の強い勧めもありプロ入りを決断した。当初は甲子園のアイドルで同期のドラ1定岡正二を強烈にライバル視するも、3年目に8勝を挙げて先を行くと、その次は1つ年上の怪物投手をターゲットにする。“空白の1日”騒動で入ってきた江川卓に追いつき追い越せと西本は燃えるのだ。鋭いシュートを投げるために当時は珍しいプールトレーニングで手首を鍛え、電車内では一本歯の下駄を履き続けて下半身強化。いやそれ普通に周囲の乗客に迷惑なんじゃ……と突っ込みたくなる猛練習に明け暮れ、背番号30が投げる日には自チームの試合でも「打たれろ、負けろ」と念じ続けた。

「江川さんというのは、ぼくにとってガソリンだった。ぼくという車は、ガソリンがあるから走れた」

のちに週べのインタビューで、投手として圧倒的な才能を持つ江川の存在を「自身のガソリンだ」と語った西本は、80年代の人気絶頂の巨人で強力二本柱を形成する。81年には18勝を挙げ沢村賞と日本シリーズMVPを獲得。4年連続の15勝以上含む6年連続二ケタ勝利を記録して、球界一と称されたフィールディングで7年連続でゴールデン・グラブ賞に輝き、一時期は江川や原辰徳を抑えてチーム最高年俸選手にまで登り詰めた。しかし、財テクや株に興味を示し「たかが野球、されど野球」と飄々とプレーするライバルとは対照的に、グアムキャンプでひとり浜辺ダッシュする西本のガムシャラさはときにチームメイトからも敬遠される。記者投票で入団時のいざこざから20勝達成の江川が避けられ転がり込んだ沢村賞には、同僚からの祝福の声はほとんどなかったという。チームの和を乱すヤツ、いつからか背番号26にはそんなレッテルが貼られるようになる。『週刊読売』84年3月25日号での中畑清との対談企画では、「オレがお前に言えるとすれば、自分を殺して他の連中の中に溶け込んでいけるような余裕を持ってほしいな」と諭された。

17名無し募集中。。。:2023/06/16(金) 23:49:36
「野球に対する考え方はみんなが見習わなきゃいけない点なんだけど、人間関係になるとみんながもう一つ入っていけないという、何かワクがあるわけよ。プロだから一人でやりゃいいんだ。それは決して間違ってないけど、(ものすごく生真面目な顔になって)ただ、一人では勝てないよ」

西本にとって「自身のガソリン」と言うほど江川をライバル視していた

いわばチームリーダーからの公開説教だ。連続二ケタ勝利が途切れた86年前後から、“一匹狼”西本への批判記事やトレード予想がメディアでは目立つようになる。さらに皆川睦雄投手コーチとの確執が表面化して、球団批判で罰金200万円が科せられた。その両者の険悪な関係を修復させようと、球団から“和解ゴルフ”を準備されるも、王監督の前では理解ある大人を演じ続ける皆川コーチの姿に怒りを通り越して呆れる背番号26。両者の関係はもはや修復不可能だった。87年限りで、王巨人の初Vを置きみやげに、その年13勝を挙げたライバルの江川が電撃引退。32歳の西本も88年はたったの4勝に終わり、桑田真澄や槙原寛己ら若手も台頭してきた。世界の王は去り、復帰した藤田元司新監督は新世代の投手王国を作ろうとしている。なぜもっと投げさせてくれない? オレの働き場所はもうないのか……。もはや反骨の右腕・西本のハートの炎は消えかかっていた。

中日で野球人生のリスタート

だが、男の運命なんて一寸先はどうなるかわからない―――。88年オフ、同リーグの中日ドラゴンズへの移籍が決まるのだ。巨人で通算126勝を挙げた西本に加茂川重治を加えた、中尾孝義との2対1の交換トレードだ。一瞬、同期の定岡のように「移籍拒否しての引退」も頭をよぎった。巨人への愛着と未練があった西本は藤田監督の元を訪ね、「来年は二ケタ勝つ自信があります」と訴えるも、「チームには実力のあるキャッチャーが必要だ。過去に(ライバル球団間で)これだけの大型トレードはなかった。球界の発展のためにも分かってくれ」と理由を説明された。しかし、頭では理解できても、感情の整理がついていかない。西本は中日入団発表を終えた直後に収録された週べ88年12月26日号のインタビューで、古巣への本音と新天地での手応えを語っている。

「はっきりいって14年前に18歳で巨人に入団したときよりも、緊張しましたね。ボクは巨人から捨てられたわけですよ。藤田さんはボクの力を必要としなかったわけです。ところが、星野監督は評価してくれた。これから、野球を続けていく上で、このときの気持ちを大切にしていきたい」

「まだまだいけますよ。今年一年、ずっと鍛えてきましたからね。そりゃ、2年くらい前だったら、ヒジもあまりよくなかったし、自信なかったですよ。でも今はベスト。今年の後半なんて、ものすごくいいボールを放ってたんですから」

18名無し募集中。。。:2023/06/16(金) 23:55:54
中日移籍1年目の89年、20勝を挙げた西本

いざ、「打倒江川」から「打倒巨人」へ。西本はライバル江川不在の心の空白を、自分を出した巨人を見返すという新たな目標へと切り替えた。闘将・星野仙一は、87年の開幕戦で自チームの落合博満に対して、臆することなくシュートで内角を抉り、3本の内野ゴロに抑えた西本の気迫を買っていた。巨人ではワガママと揶揄されたキャンプでの自己流調整も中日では許可される。そして、なにより“一匹狼”と呼ばれた西本自身にも変化があった。選手会長の宇野勝から「ニシやん、明日のゴルフ、参加するんやろ」とゴルフに誘われたら気分よく付き合い、巨人時代はまったくやらなかった麻雀もチームに溶け込むために覚えた。「チームに入っていくためにどうしようか考えてる時期に、向こうから来てくれたんで、助かった」と西本は新しい同僚たちに感謝。自身が変われば、周囲も変わる。試合中のベンチでは若い選手が「ニシさんを見殺しにするな」と声を出していた。32歳で体験する名古屋での単身赴任生活で、野球人生のリスタートを切ることに成功する。

ボロボロになるまでユニフォームを着て

89年シーズンの西本は久々にローテの中心で投げ続けた。7月には5連勝で月間MVPを受賞。7月14日、地元ナゴヤ球場の大洋戦で通算136勝目となる10勝目を挙げると、「いい区切りになった。江川さんが引退してからはひとつの夢だったからね」と怪物投手の通算135勝超えを素直に喜んだ。その頃、野球評論家の江川は念願のニューヨーク旅行を実現させ、メトロポリタン美術館を見て回る充電生活中だ。何を優先させて生きるのか、そこに正解はない。人生いろいろである。

「巨人時代はコンディション作りでいまいち、うまくいかないところがあった。18勝を挙げた時(81年)より、いまの方が充実してますね」なんて笑う中日の西本の快進撃は続き、移籍初年度に対巨人戦5勝をマーク。自身初の20勝を記録し、斎藤雅樹(巨人)と最多勝のタイトルを分け合い、トレード相手の中尾孝義とともにカムバック賞にも選ばれた。巨人ではあくまで大黒柱の江川を追う二番手だった右腕が、いわば15年目で初めて「エース」と認められたシーズンでもあった。『週刊宝石』89年12月21日号で対談した小柳ルミ子とは、「他人になんと言われようと、最後はそういう人が勝つんですよ。やっぱり、一生懸命コツコツとやってる人が。私も西本さんと同じですよ。私は、かなりプロ意識が強いほうですから、いまの芸能界では……、早い話がはみ出し者ですね」なんてニシとルミ子が意気投合。契約更改では年俸4400万円から、ほぼ倍増の推定8500万円でサインした。まさに33歳にして実現させた「逆転野球人生」である。

93年はオリックスのユニフォームを着た

その後、移籍2年目の90年も11勝を挙げるが、91年には椎間板ヘルニアを患い引退の危機に。だが、35歳の西本はロサンゼルスへ飛び、失敗したら車椅子生活というリスクの高い手術を受けての復帰を選択するのだ。中日からオリックスを経て、最後は恩師の長嶋監督が指揮を執る巨人へテスト入団。文字通りボロボロになるまでユニフォームを着続け、94年限りで現役生活に別れを告げた。

20年間にも渡った完全燃焼のプロ生活。それはわずか9年で余力を残して去ったライバル江川卓に対する、男の意地のようにも見えた。なお、西本聖の通算165勝は、ドラフト外入団では史上最多である。

文=中溝康隆
週刊ベースボール オンライン

19名無し募集中。。。:2023/06/17(土) 00:16:00
プロ野球はみだし録
江川卓に「逃げられた」西本聖、トレードで中日へ。同一リーグ移籍の危惧と期待【プロ野球はみだし録】
2021年12月30日(木) 11:00

落合とのトレード“回避”も……

89年、巨人から中日に移籍して20勝をマークした西本

1987年オフ、巨人の江川卓がシーズン13勝を残しながらも現役を引退する。このときのことを「ずるい、逃げられた」と振り返るのが西本聖。同じ巨人で江川をライバル視して、ともに切磋琢磨しながら、“魔球”とも評されたシュートを駆使して一世を風靡した右腕だ。

故障もあって81年のキャリアハイを超えられなかった江川だが、これは西本も同様だった。この87年には、ロッテで3度の三冠王に輝いた落合博満が中日へ移籍、初対決で西本が徹底的にシュートを投じて4打数1安打に抑え込む名勝負もあったが、これが西本にとって巨人での最後の輝きだったのかもしれない。首脳陣との確執で出番を減らしていたことに加え、江川が去ったことで原動力となっていた闘志の炎が消えかかっていた。

落合がロッテで移籍を志願したときにも、その交換要員として名前を挙げられていた西本。このときは中日が獲得することとなり移籍は回避したが、奇しくも89年から中日で落合とチームメートとなる。このときは「いいんじゃないんですか、俺には野球しか生きる道はないんですから」と語っていた西本だが、「ジャイアンツに出されたんだから、見返すには同じセ・リーグの球団で対戦して勝つしかない」と思っていたという。消えかけていた闘志が、ふたたび燃え上がったのだ。

これは巨人でもフロントの一部が危惧していたこともであった。「西本は闘志むき出しで巨人に向かってくるはずだ。中日に出していいのか」という声に対して、「ライバル同士でも、こういったトレードをすることが球界の活性化につながる」と言い切ったのが、迎えた89年に復帰したばかりの巨人の藤田元司監督。西本は藤田監督の“期待”にも応える。

西本は「どのチームよりも巨人に負けたくない」と巨人戦で5勝、最終的には自己最多の20勝を挙げて初の最多勝。これは江川のキャリアハイに並ぶ白星でもあった。西本に苦しめられた巨人も劇的な展開に。西本の復活はセ・リーグを盛り上げた一方、そのセ・リーグを巨人は2年ぶりに制して、3連敗からの4連勝で8年ぶりの日本一に輝いている。

文=犬企画マンホール 写真=BBM

20名無し募集中。。。:2023/06/17(土) 00:27:58
プロ野球20世紀・不屈の物語
落合との対決で印象を残すもライバルの江川が引退……。西本聖、中日でプロ15年目の初タイトル、そして“21年目”のフィナーレ/プロ野球20世紀・不屈の物語【1987〜95年】
2020年12月29日(火) 11:05

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

逆風をエネルギーに変えて

89年、中日移籍1年目に20勝をマークした西本

ドラフト外で1975年に巨人へ。最初は同期のドラフト1位、甲子園でアイドル的な人気を集めた定岡正二をライバルに定め、「誰にも負けない」と自負する猛練習で台頭した。79年には空前の騒動を経て江川卓が入団。才能あふれる“怪物”に対して、すさまじい努力で挑む姿は江川を触発し、たがいに切磋琢磨する珠玉のライバルストーリーが紡がれていった。そんな西本聖については、この連載の最初で紹介している。日本シリーズでは江川を超える印象を残すこともあったが、シーズンの白星では84年に15勝で並んだだけで、江川をしのぐことができずにいた西本。だが、江川との物語は唐突に幕が降りる。

87年、江川は13勝。一方の西本は「パ・リーグでは打ったかもしれないけど、セ・リーグでは違うぞ」(西本)と、ロッテで3度の三冠王に輝きながら中日へ移籍してきた落合博満に対して武器のシュートで攻めまくる名勝負を演じたものの、8勝に終わる。そんなオフ、江川が突如として現役引退を発表したのだ。「ずるい、逃げられた、と思いましたね(笑)」と西本は振り返る。プロ13年目、2年連続で2ケタ勝利に届かず、苦しんでいた西本は、自らを発奮させる存在を失ってしまったのだ。

そんな西本に逆風が吹き始める。ふつう逆風が吹けば苦境も深まるものだが、西本の場合は、逆風、それも上のほうから吹き下ろしてくるような逆風は、最強のエネルギー源だった。消えかかっていた闘志の炎は、ふたたび燃え盛る。89年に中日へ移籍。トレードの相手は捕手の中尾孝義で、西本と投手の加茂川重治との2人との交換という、かつて江川との二枚看板で巨人を引っ張った西本にとっては屈辱的なトレードでもあった。このとき、巨人のフロントには「西本は闘志むきだしで巨人に立ち向かってくるはずだ。中日へ出していいのか」という声があったが、藤田元司監督は「ライバルのチームでも、こういうトレードをすることが球界の活性化につながる」と言ったという。

21名無し募集中。。。:2023/06/17(土) 00:47:27
巨人フロントの“悪い予感”も、プロ野球の未来を見渡した藤田監督の“いい予想”も、ともに的中。「球界の活性化」以上に活性化したのは西本だった。当時は巨人のことを尋ねられても「もう昔のこと」と答えなかった西本だったが、のちに「ジャイアンツに出されたわけですから、見返すにはセ・リーグの球団で対戦して勝つしかない。どのチームより負けたくないという思いがありました」と語っている。西本はよみがえった。

真冬の多摩川グラウンドで

西本の“引退試合”で始球式を行った長嶋監督

迎えた89年のペナントレース。西本は巨人からの5勝を含む20勝を挙げる。西本にとっての自己最多だが、江川のキャリアハイに並ぶものでもあった。これで西本は初タイトルとなる最多勝。プロ15年目、33歳のシーズンだった。西本は翌90年にも11勝を挙げたものの、その後は椎間板ヘルニアなどもあって急失速。92年オフに自由契約となり、翌93年にはオリックスで5勝も、1年で再び自由契約に。西本が復活の舞台に選んだのは、巨人だった。かつての恩師でもある長嶋茂雄監督が復帰していて、「もう一度、長嶋監督の下でマウンドに立ちたい」という思いもあったという。テストを受けて復帰した西本に与えられた背番号は、かつて自身が背負った26番ではなく、第1期に長嶋監督が着けていた90番だった。

その94年は、中日との最終戦同率優勝決定試合“10.8”があったシーズン。優勝の行方が最後の最後までもつれたこともあり、西本に一軍での出番はなかった。オフに現役を引退。どん底も頂点も経験した、波乱万丈の20年間だった。

だが、ドラマは終わっていなかった。95年1月21日。二軍で歯を食いしばっていた若き日々を過ごした多摩川グラウンドに、巨人、中日、オリックス、さらには松山商高からも、かつてのチームメートが集まってくる。有志が主催した“引退試合”。始球式のマウンドに立ったのは長嶋監督だった。長嶋監督は最終回の7回表二死の場面で代打として登場。背番号90の西本は、自身のトレードマークでもある投球フォーム、左足を天に向かって突きあげて、恩師に渾身のボールを投げ込んだ。そして7回を“完封”した西本は、涙を浮かべながらも、感無量の笑顔。「ほんとうに幸せ。それ以上の言葉じゃありません。いろいろな方が引退されたけど、僕は最高だと思います」

文=犬企画マンホール 写真=BBM


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