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メンバーにガチ恋したらどうしたらいいの?
21
:
名無し募集中。。。
:2023/06/17(土) 00:47:27
巨人フロントの“悪い予感”も、プロ野球の未来を見渡した藤田監督の“いい予想”も、ともに的中。「球界の活性化」以上に活性化したのは西本だった。当時は巨人のことを尋ねられても「もう昔のこと」と答えなかった西本だったが、のちに「ジャイアンツに出されたわけですから、見返すにはセ・リーグの球団で対戦して勝つしかない。どのチームより負けたくないという思いがありました」と語っている。西本はよみがえった。
真冬の多摩川グラウンドで

西本の“引退試合”で始球式を行った長嶋監督
迎えた89年のペナントレース。西本は巨人からの5勝を含む20勝を挙げる。西本にとっての自己最多だが、江川のキャリアハイに並ぶものでもあった。これで西本は初タイトルとなる最多勝。プロ15年目、33歳のシーズンだった。西本は翌90年にも11勝を挙げたものの、その後は椎間板ヘルニアなどもあって急失速。92年オフに自由契約となり、翌93年にはオリックスで5勝も、1年で再び自由契約に。西本が復活の舞台に選んだのは、巨人だった。かつての恩師でもある長嶋茂雄監督が復帰していて、「もう一度、長嶋監督の下でマウンドに立ちたい」という思いもあったという。テストを受けて復帰した西本に与えられた背番号は、かつて自身が背負った26番ではなく、第1期に長嶋監督が着けていた90番だった。
その94年は、中日との最終戦同率優勝決定試合“10.8”があったシーズン。優勝の行方が最後の最後までもつれたこともあり、西本に一軍での出番はなかった。オフに現役を引退。どん底も頂点も経験した、波乱万丈の20年間だった。
だが、ドラマは終わっていなかった。95年1月21日。二軍で歯を食いしばっていた若き日々を過ごした多摩川グラウンドに、巨人、中日、オリックス、さらには松山商高からも、かつてのチームメートが集まってくる。有志が主催した“引退試合”。始球式のマウンドに立ったのは長嶋監督だった。長嶋監督は最終回の7回表二死の場面で代打として登場。背番号90の西本は、自身のトレードマークでもある投球フォーム、左足を天に向かって突きあげて、恩師に渾身のボールを投げ込んだ。そして7回を“完封”した西本は、涙を浮かべながらも、感無量の笑顔。「ほんとうに幸せ。それ以上の言葉じゃありません。いろいろな方が引退されたけど、僕は最高だと思います」
文=犬企画マンホール 写真=BBM
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