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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
782
:
名前なんか必要ねぇんだよ!
:2015/11/11(水) 11:36:41 ID:xphbT2Jc
11月11日は第4回ラテラノ公会議が開かれた日です
ローマ教会と神聖ローマ帝国との叙任権闘争は
>>294
のヴォルムス協約で一応の妥協が成立しましたが、問題が完全に解決されたわけではなく、その後も教権と俗権を巡る対立が続きました
教会内部でも教皇カリクストゥス2世の死後、インノケンティウス2世とアナクレトゥス2世が並立する教会分裂が起こります
この分裂は最終的にインノケンティウス2世の勝利によって終息し、彼の支持した枢機卿に法学の知識がある者が多かったため、これ以降教皇庁の統治機構が整備されていくこととなりました
特に教皇庁の組織が発達したのは12世紀後半、自身も法学者であった教皇アレクサンデル3世の時代で、教皇庁の司法・行政・財務などの機構が整備され、この時期から教皇から各地の教会に指示を与える教皇書簡の数が急増していきます
また各地の教会の訴訟が教皇庁に上訴される件数も増え、教皇庁の影響力はますます増大することとなりました
こうして教皇を中心とするローマ教会の体制が12世紀後半に確立しましたが、その絶頂期を現出したのが教皇インノケンティウス3世でした
1198年に即位したインノケンティウス3世もまた法学の専門知識を活かして教皇庁の統治機構を拡充発展させ、また彼は教会君主政と呼ばれる教皇による君主的な教会支配体制が確立します
教皇は12世紀中頃まではペテロの代理者と称していましたが、この頃から神から直接権力を授けられた者であることが強調され、キリストの代理者と称するようになり、教皇は神の権威を地上で代理する擬似的な君主とみなされるようになったのです
インノケンティウス3世はこれをもとに教皇領の集権的な統治を行い、教会組織の君主としてローマ教会全体への支配権を持ち、また西欧キリスト教世界の世俗君主に対しても影響力を行使しました
そしてインノケンティウスが西欧キリスト教世界の長であることを広く示したのが1215年11月11日に始まった第4回ラテラノ公会議でした
この公会議は聖俗の代表者が1000人以上、ローマのラテラノ大聖堂に集まった大規模な公会議であり、カタリ派などの異端対策、信徒の告解の義務化、ローマ教皇の首位権の確認、キリスト教からのユダヤ人の明確な区別などが行われ、インノケンティウスの「教皇は太陽、皇帝は月」という発言にも表れているように、ローマ教皇の絶対的な権威が示されることとなったのでした
本日は教皇権絶頂期の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・P.G.マックスウェル=スチュアート、高橋正男監『ローマ教皇歴代誌』創元社、1999年
・佐藤彰一・池上俊一『世界の歴史10 西ヨーロッパ世界の形成』中央公論新社、2008年
・堀越宏一・甚野尚志編著『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』ミネルヴァ書房、2013年
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