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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

770名前なんか必要ねぇんだよ!:2015/10/23(金) 11:54:29 ID:a.dkhUVU
10月23日はサグラハスの戦いが行われた日です

>>766の後ウマイヤ朝カリフ、アブド=アッラフマーン3世の死後、アル=ハカム2世が後を継ぎ父が築いた繁栄をさらに発展させました
しかし次代のヒシャーム2世が12歳で即位すると、国政は母親のスブフと寵臣のアブ=アミル=ムハンマドによって牛耳られてしまいます
それでもアル=マンスール、勝利者の称号を持ったムハンマドはバルセロナを占領、ガリシアにも侵攻するなど軍事的成功をもたらします

しかしアル=マンスールの死後、王朝の分裂は決定的となります
アル=マンスールの創設した新王朝の支持者とウマイヤ朝の支持者との間で軋轢が生じたのです
王宮の支配をめぐる争い、ベルベル人軍隊の台頭、戦争によって戦利品を求める下層民など、様々な利害対立が起こり、1031年に後ウマイヤ朝は消滅しました
後ウマイヤ朝の統一はカリフを中心とする強力な中央政府に依存しており、それが消滅したことでアル=アンダルスはターイファと呼ばれる小君主の割拠状態となるのです

その頃、イベリア半島対岸の西サハラでも新たな動きが起こっていました
マーリク派の法学者イブン=ヤーシーンが神秘主義的な教説によってベルベル人のサンハージャ族を動かし、その熱狂的な宗教運動はやがて政治運動に転化、1056年にムラービト朝が興ることとなります
ムラービト朝はジハードを唱えて南下、ガーナ王国を滅ぼし、モロッコや西アルジェリアも制圧します
ユースフ=ブン=ターシュフィーンの治世の1062年にはマラケシュが建設され、1084年にはセウタを占領するなど、ムラービト朝はモロッコからアルジェに至る肥沃な農耕地帯を支配下に収めました

一方イベリア半島では1085年にカスティーリャ王アルフォンソ6世によってトレドが征服されました
ターイファ諸王国はユースフに救援を求め、これに応えたユースフは翌年イベリア半島へと遠征します
そして1086年10月23日、ユースフ率いるムラービト朝軍はメリダ近郊のサグラハスにてカスティーリャ軍を破りました
その後もユースフはイベリア半島への遠征を続け、二度目の遠征ではアレードの戦いに勝利しキリスト教徒の南下を阻止します
三度目の遠征ではターイファ諸王国のうちグラナダ王国、マラガ王国、セビージャ王国を滅ぼしてその直接支配を行うようになり、アル=アンダルスはムラービト朝領となるのでした


本日はムラービト朝のアル=アンダルス侵攻の誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・立石博高『世界各国史16 スペイン・ポルトガル史』山川出版社、2000年
・アントニオ・ドミンゲス・オルティス、立石博高訳『スペイン 三千年の歴史』昭和堂、2006年
・佐藤次高『世界の歴史8 イスラーム世界の興隆』中央公論新社、2008年


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