[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
721
:
名前なんか必要ねぇんだよ!
:2015/08/28(金) 00:26:38 ID:/OvT2ymk
8月28日は平沼騏一郎内閣が総辞職した日です
世界恐慌後ファシズムが台頭した日本・ドイツ・イタリアはそれぞれワシントン体制・ヴェルサイユ体制の打破を目指すようになりました
1936年にはスペイン内戦でのフランコ支援を通じてドイツ・イタリアが手を組み、ベルリン・ローマ枢軸が成立します
一方日本は
>>430
で見たようにワシントン海軍軍縮条約を破棄、ロンドン海軍軍縮会議から脱退し、それによって国際的孤立を深めていました
日本はドイツ・イタリアに接近し、ともに現状の打破を図るようになります
その頃ソ連ではスターリン指導の下で五カ年計画が進み、国連にも加盟してその勢力を増大させていました
これを脅威に感じた日本・ドイツは日独防共協定を結び、これにイタリアが加わって日独伊三国防共協定が成立、枢軸陣営が形成されたのです
1930年代後半になるとドイツは対外膨張政策をいっそう進めるようになり、イギリスやフランスとの対立が深まりつつありました
そのなかで日独伊三国同盟を軍事同盟に発展させようとする動きが活発化し、日本でも陸軍はこれに積極的でしたが、海軍や外務省はイギリスやアメリカと戦争になる危険を主張し、これに反対します
当時の平沼騏一郎内閣はこの両派の対立によって閣内対立が起こり、政局は混乱しました
平沼はイギリス・アメリカと交渉し、ドイツとも反共について協議を進めていましたが、そこに独ソ不可侵条約が結ばれたという知らせが届くと平沼首相は外交の方向性を見失ってしまいます
そして1939年8月28日、平沼騏一郎内閣は総辞職し、ドイツのポーランド侵攻によってヨーロッパは第二次世界大戦へと突入していくのでした
本日は「欧州情勢は複雑怪奇」の誕生日です、お悔やみ申し上げます
参考文献
・山本秀行『世界史リブレット49 ナチズムの時代』山川出版社、1998年
・木村靖二編『世界各国史13 ドイツ史』山川出版社、2001年
・木村靖二・長沼秀世・柴宣弘『世界の歴史26 世界大戦と現代文化の開幕』中央公論新社、2009年
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板