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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

699名前なんか必要ねぇんだよ!:2015/08/06(木) 00:07:49 ID:MTGlx0Nk
8月6日はハインリヒ3世が死去した日です

>>512で見たように、ホーエンシュタウフェン家のコンラート3世とヴェルフェン家のハインリヒ傲岸公との対立が激化し、神聖ローマ帝国は混乱に陥ることとなりました
傲岸公は1139年に死去したものの、その後を継いだハインリヒ3世獅子公もまたホーエンシュタウフェン家と対立します
1142年、この両家の対立の軟化が試みられ、獅子公にザクセン大公領を授封しバイエルンも与えることでひとまずの妥協が成立しました

獅子公はこの後ドイツ北部、ポーランド北部、バルト海沿岸への十字軍、いわゆるヴェンデ十字軍を指揮し、北方へと勢力を拡大していきます
ドイツにおいても同様に北部へと手を伸ばし、1149年にはオルデンブルク・ラッツェブルク・メクレンブルクの司教区を再建し、そこにドイツ人を入植させます
これらの行動は、後に本格化する東方植民や周辺地域のドイツ化・キリスト教化・ヨーロッパ化の、まさに先駆といえる行動だったのです

獅子公がこのように勢力を拡大している最中、1152年に神聖ローマ皇帝にフリードリヒ1世バルバロッサが即位しました
獅子公をザクセン、バイエルンに授封したのもフリードリヒによる試みで、これは諸侯を帝国秩序に組み込み、その支持を背景に帝国を統治するという狙いがありました
これは一定の成果をあげ、ドイツが安定したことでイタリア方面へと進出したことは>>625でも見た通りです

しかしフリードリヒがイタリアへ遠征している間、ドイツは不穏な情勢になりつつありました
ハインリヒ獅子公がフリードリヒに反発して兵士を提供せず、帝国内で私闘を繰り返していたのです
獅子公は1180年、平和令への違反から諸侯に訴えられ、法廷への出頭を拒否したため帝国から追放されてしまいます

獅子公はイングランドへと亡命し、ザクセンとバイエルンの領邦は分割されることとなりました
やがてフリードリヒが死去しハインリヒ6世が後を継ぎ、1191年にはシチリアへの遠征を行います
この隙にハインリヒ獅子公はイングランド王リチャード1世の支持を背景にザクセンへと侵攻しますが、リチャードが第3回十字軍からの帰還中にオーストリア大公レオポルト5世に捕らえられたため、援助を受けられなくなった獅子公は勢力を失います
リチャードはハインリヒ6世に引き渡され、身代金を払ってようやく解放されました
ハインリヒ獅子公は1194年、ハインリヒ6世と和解することとなり、その翌年の1195年8月6日、波乱に満ちた生涯を閉じるのでした


本日はハインリヒ獅子公の命日です、お悔やみ申し上げます


参考文献
・木村靖二編『世界各国史13 ドイツ史』山川出版社、2001年
・カール・ヨルダン、瀬原義生訳『ザクセン大公ハインリヒ獅子公 中世北ドイツの覇者』ミネルヴァ書房、2004年
・ハンス・K・シュルツェ、五十嵐修他訳『西欧中世史事2 皇帝と帝国』ミネルヴァ書房、2005年


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