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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
695
:
名前なんか必要ねぇんだよ!
:2015/08/02(日) 00:41:29 ID:p/p7pyaE
8月2日はカイロネイアの戦いが行われた日です
>>667
で見たように、ギリシアではペルシア戦争の後アテネ、ペロポネソス戦争の後スパルタが覇権を握り、ついでテーベが台頭・没落し再びアテネが勢力拡大を目指すなど、ポリス間の抗争が繰り返される混迷の時代が続きます
とはいえこの間にも、ポリス形成が遅れていた辺境の地アイトリアやアカイアで都市同盟が生まれ、成熟しつつありました
そしてそのさらに北方で台頭してきたのがマケドニアでした
マケドニアはポリス形成が遅れ、長らく未開の部族国家としてみなされていましたが、フィリッポス2世の代で国制改革がなされ、急速に勢力を拡大するようになります
マケドニアの強さの理由はフィリッポスによる軍制改革で、テーベが覇権を握っていた頃に人質として滞在していたフィリッポスはテーベの斜線陣・騎馬兵による新戦術を学び、ギリシアのファランクスにも改良を加え軍事力を増強したのです
このマケドニアの脅威に対し、アテネの弁論家デモステネスは反マケドニア同盟の結成を主張し、アテネ・テーベが同盟してマケドニアに対抗することとなります
そして前338年8月2日、マケドニアとアテネ・テーベ連合軍はカイロネイアにて激突し、新戦術を駆使したマケドニアが大勝しました
この勝利によってマケドニアはギリシアでの覇権を握り、翌年にはコリントス同盟を結成してスパルタを除く全ポリスを支配下に収めるのでした
本日はマケドニアの覇権の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・森谷公俊『興亡の世界史1 アレクサンドロスの征服と神話』講談社、2007年
・桜井万里子・本村凌二『世界の歴史5 ギリシアとローマ』中央公論新社、2010年
・澤田典子『世界史リブレット人5 アレクサンドロス大王 ─ 今に生き続ける「偉大なる王」』山川出版社、2013年
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