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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

647Republica de Venexia:2015/06/18(木) 00:06:19 ID:???
6月18日は三帝条約・再保障条約が結ばれた日です

>>325で見たように1873年、ドイツ帝国首相ビスマルク主導の下でロシア帝国・オーストリア=ハンガリー帝国との間で三帝協約が結ばれました
しかし露土戦争後のロシアの勢力拡大にイギリスとオーストリアが反発し、ビスマルクはその調停のためにベルリン会議を開き、列強間での利害を調整しました
しかしロシアはビスマルクがロシアを十分に支持しなかったと不満を感じ、ドイツ・ロシア関係が悪化してしまったのです

そこでビスマルクは1879年、以前から同盟を望んでいたオーストリア=ハンガリーと独墺同盟条約を結びました
秘密軍事条約であるこの条約はドイツの対ロシアでの共闘を定めたものの、対フランスには無力であったため、ビスマルクはその後次々と同盟条約を重ねていくことになります

ビスマルクはまた、イギリスに接近しようとしていました
イギリスと激しく対立していたロシアは再びドイツに接近し、三帝協約の復活を提案、これを受けて成立したのが1881年6月18日の三帝条約です
こちらは三帝協約とは異なり秘密条約で、第四国との戦争の際にそれぞれ中立の立場を取ることが取り決められました

翌1882年には独墺伊三国同盟条約が結ばれ、イギリスとの友好関係を前提とした上での対フランス戦争での協力が確認されます
こうして仮想敵国をロシアとする独墺同盟、ロシア-イギリス戦争でのロシア支持も盛り込んだ三帝条約、そして仮想敵国をフランスとしイギリスとの友好は維持する三国同盟、この矛盾した3つの同盟条約が成立したのです

この矛盾は戦争に発展しない間は露呈しませんでしたが、1885年からビスマルクは大きな国際危機に直面します
それがブルガリア危機とブーランジェ危機との二重危機でした
ブルガリア危機ではロシアからの自立を目指すブルガリアをイギリスとオーストリア=ハンガリーが支援し、双方の関係が悪化し三帝条約が解消されてしまったのです
またブーランジェ危機は、対ドイツ報復戦を主張するブーランジェ将軍が陸相となったことで対フランス戦争の危機が迫るというものでした
その上先のブルガリア危機ではオーストリア=ハンガリーの背後にドイツにがいるものとされたためロシアとドイツとの関係も悪化していたため、二正面作戦の危険もありました

そこでロシアとフランスの連携を防ぐため、またドイツのイギリスへの接近を阻止しようとするロシアの思惑もあって1887年6月18日、両国間で再保障条約が締結されました
この条約は対オーストリア=ハンガリー、対イギリスを想定したものであり、他の同盟条約とは矛盾するものでしたが、ここにひとまずビスマルク外交の1つの終着点をみたのでした


本日はビスマルク体制の完成日です、おめでとうございます


参考文献
・木村靖二編『世界各国史13 ドイツ史』山川出版社、2001年
・谷川稔他『世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』中央公論新社、2009年
・大内宏一『ビスマルク ドイツ帝国の建国者』山川出版社、2013年


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