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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
638
:
Republica de Venexia
:2015/06/09(火) 21:44:36 ID:???
6月9日はピョートルが産まれた日です
1669年、ロシア皇帝アレクセイ=ミハイロヴィチは妻のマリア=ミロスラフスカヤを亡くし、その2年後にナタリア=ナルイシュキナと再婚しました
このナタリアとアレクセイとの間で1672年6月9日に産まれたのがピョートルです
そして1676年にアレクセイが死去すると、宮廷ではその後継者をめぐってミロスラフスキー家とナルイシュキン家との間で争いが起こりました
この時はミロスラフスキー家のフョードル3世が即位しましたが、彼は病弱のため治世わずか6年で跡継ぎがいないまま死去してしまいます
再び後継者争いが起こり、フョードルの弟イヴァンが候補に挙がりましたが彼もまた病弱で、10歳になって逞しく成長していたピョートルが母ナタリアを摂政とし、皇帝ピョートル1世として即位したのです
しかしミロスラフスキー派も、フョードルとイヴァンの姉であるソフィアが巻き返しを図りました
ピョートル即位の翌月、ソフィアは銃兵隊を取り込んでナルイシュキン派を襲い、イヴァンを皇帝に就け自身は摂政として政治の実権を握りました
ところがソフィアはオスマン帝国従属下のクリミア=ハン国に対する遠征に失敗すると支持を失い、ピョートル支持派は勢いを取り戻します
ミロスラフスキー派はピョートルの暗殺を計画するものの失敗し、1689年、ピョートルは政治の実権を取り戻しました
1694年には摂政である母ナタリアが死去し、ここからピョートルの親政が始まります
そしてピョートルは西欧技術導入によるロシアの近代化、強国化に努め、
>>205
で見たように大北方戦争に勝利し、新都サンクト=ペテルブルクを建設するなど、「大帝」としてロシアに君臨することとなるのでした
本日は後のピョートル大帝の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・和田春樹『世界各国史22 ロシア史』山川出版社、2002年
・土肥恒之『興亡の世界史14 ロシア・ロマノフ王朝の大地』講談社、2007年
・長谷川輝夫・土肥恒之・大久保桂子『世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花』中央公論新社、2009年
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