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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
633
:
Republica de Venexia
:2015/06/04(木) 00:02:12 ID:???
6月4日はハインリヒ3世が即位した日です
>>544
のコンラート2世が死去し、その息子ハインリヒ3世が1039年6月4日、ドイツ王として即位しました
ハインリヒは父王が残した強力な帝国を受け継ぎ、その支配をさらに固めていきます
本拠地であるフランケン公領の他にシュヴァーベン公領、バイエルン公領も得、ドイツ王・イタリア王・ブルグント王・シュヴァーベン大公・バイエルン大公としての支配権を維持し、またボヘミア・ポーランド・ハンガリーに対する覇権も保ったのです
このようにハインリヒは王権の確立に成功し、また教会政策も父王の政策を踏襲し特に帝国教会にはほぼ無制限の支配権を持っていました
そしてローマ教皇にもまたハインリヒは強権を発揮します
ハインリヒか1046年にイタリアへと遠征した当時、ローマ教皇はベネディクトゥス9世、シルウェステル3世、グレゴリウス6世が鼎立していました
ハインリヒはスートリ教会会議でこのうちグレゴリウスとシルウェステルを罷免し、数日後にローマでの教会会議でベネディクトゥスをも罷免します
ローマの伝統として、教皇の選出はローマの人々によってなされるのが当然とされていました
これまでローマ人を無視し、皇帝の権威によって教皇を擁立したのは
>>598
などで登場したオットー3世のみでしたが、ハインリヒは再びこの皇帝理念を実現したのです
ハインリヒが教皇に選出したのはドイツ帝国教会の一員、バンベルク司教スイトガーで、これをクレメン.ス2世として教皇の地位に就けます
クレメン.スはバンベルク司教の地位も保ったままであり、ローマ教皇であり帝国司教でもあるという特別な形で皇帝に義務を負うこととなったのです
またハインリヒは1046年のクリスマスにローマにて皇帝戴冠式を挙行しました
その際にローマの人々はハインリヒを「ローマ人のパトリキウス」と歓呼します
こうしてハインリヒは「ローマ人の皇帝」として西欧で最も高い地位にある君主となりました
帝国領における無制限の支配権を望め、また反抗する貴族の領地を召し上げ直轄領の拡大に成功します
また主権者として帝国教会を支配し、司教や帝国修道院長の任命権も保持し、ローマ教会の支配者としても君臨したのです
ハインリヒの治世は、まさに皇帝権の絶頂期だったのです
本日はハインリヒ「黒王」の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・木村靖二編『世界各国史13 ドイツ史』山川出版社、2001年
・菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社、2003年
・ハンス・K・シュルツェ、五十嵐修他訳『西欧中世史事2 皇帝と帝国』ミネルヴァ書房、2005年
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