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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

544Republica de Venexia:2015/03/26(木) 01:02:34 ID:???
3月26日はコンラート2世が即位した日です

神聖ローマ帝国ではザクセン朝のオットー3世がローマ教皇シルウェステル2世と協力し、ローマ帝国の復興を目指しました
しかしオットーは22歳で急死したためこの構想は頓挫し、新たに皇帝となったハインリヒ2世はオットーとは異なりフランク王国の復興を掲げ、ドイツ王国とのつながりを強調します
とはいえオットーが進めていたイタリア支配の強化は継続し、イヴレア辺境伯アルドゥインを破りドイツ王とイタリア王との統合に成功しました
イタリアが独自の王を持つようになるのは1861年のヴィットーリオ=エマヌエーレ2世まで待つことになります

ハインリヒは帝国の支配強化にも乗り出し、大司教や司教を任命して統治を行う、いわゆる帝国教会政策を推進しました
帝国教会に寄進を行う代わりに帝国の宗教・政治・軍事への協力を求めたこの政策は、大司教や司教が世襲ではなく皇帝の任命によって決められるため、皇帝に協力的な人物を据えることができるというメリットがあったのです

やがてハインリヒは子を残さずに死去しザクセン朝は断絶、1024年、ザリエル家のコンラートがドイツ王に選出されました
コンラートは1027年3月26日に皇帝として戴冠し、コンラート2世となります
しかし王朝は断絶したものの、ハインリヒが打ち出した政策はコンラートが継承し、次代のハインリヒ3世も継承発展したのは>>294でも見た通りです
コンラートはまた相続によってブルグント王国を獲得し、ここにドイツ・イタリア・ブルグントの3王国が帝国を構成するようになりました
この頃から帝国では「ローマ帝国」の名称が広く普及するようになり、帝国はこれら3王国を結びつけるものとされ、以後の神聖ローマ帝国の領域の基礎となったのでした


本日は神聖ローマ帝国ザリエル朝初代皇帝の誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・木村靖二編『世界各国史13 ドイツ史』山川出版社、2001年
・菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社、2003年
・ハンス・K・シュルツェ、五十嵐修他訳『西欧中世史事2 皇帝と帝国』ミネルヴァ書房、2005年


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