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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
603
:
Republica de Venexia
:2015/05/17(日) 00:22:33 ID:???
5月17日はバッキンガム公エドワードが処刑された日です
>>257
で見たように、ヘンリ=テューダーはボズワースの戦いでリチャード3世を破り、ヘンリ7世として即位しテューダー朝を開きました
しかしヘンリ7世の王権は盤石ではなく、ヨーク朝復活を狙う幾度もの反乱に悩まされます
1486年のフランシス=ラヴェルの反乱はすぐに鎮圧されますが、翌年のランバート=シムネルの反乱はブルゴーニュ公妃マーガレットやリチャード3世の後継者候補であったエドワード4世も支持し、アイルランド貴族の多くが加わったことでヘンリ7世は一時危機に陥りました
もっともこの反乱を鎮圧したことでヨーク家支持派の多くが戦死し、むしろヘンリ7世の権力は増すこととなります
その後もパーキン=ウォーベックらの反乱が起こりますが、ヘンリ7世はこれらの鎮圧の過程でヨーク家系の王位継承者や有力貴族を次々と排除し、王権を確立していきます
こうしてヘンリ7世がテューダー朝の基礎を固めた後、1509年に即位したのがその息子のヘンリ8世でした
ヘンリ8世もまた王権の障害となる有力貴族の排除に努め、1510年にはリチャード=エンプソン、エドマンド=ダドリーが反逆罪で処刑されます
この2人は父王の時代から仕える重臣でしたが、そのような人物であっても王権強化のための犠牲となったのです
バッキンガム公エドワード=スタッフォードもまた、父王の時代から仕え、ヘンリ8世の戴冠役を務めるほどの重臣でした
1514年には国王軍司令官である大司馬にも任命されましたが、そんなバッキンガム公ですらヘンリ8世の王権拡大政策には抗えませんでした
1521年5月17日、反逆罪で捕らえられていた彼は処刑され、バッキンガム公位は消滅し、大司馬の権限も以後は王権に統合されることとなったのでした
本日はバッキンガム公・大司馬の命日です、お悔やみ申し上げます
参考文献
・川北稔『世界各国史11 イギリス史』山川出版社、1998年
・長谷川輝夫・土肥恒之・大久保桂子『世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花』中央公論新社、2009年
・水井万里子『図説テューダー朝の歴史』河出書房新社、2011年
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