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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
593
:
Republica de Venexia
:2015/05/07(木) 00:12:20 ID:???
5月7日はオットー1世が亡くなった日です
オットー1世による「ドイツ王国」への移行は
>>242
で、「キリスト教国の防衛」は
>>245
で、そして西欧での覇権を確立し「神聖ローマ帝国」が成立したことは
>>468
で見ました
ここではその後のオットー1世の統治を見ていくこととしましょう
オットーの政策は大きく4つに分類されます
まず教皇に対する皇帝の保護権確保、ついでローマと教皇領も含めたイタリア支配、さらにザクセン朝への帝位の確保、そしてビザンツ皇帝による皇帝権の承認です
このうち最初の教皇に関する政策に関しては
>>468
で見た通り、「オットーの特権状」で皇帝の優位性をはっきりと示しており、皇帝権の教皇権に対する優越、教皇の保護者たる存在としての皇帝を実現しました
2つ目のイタリア支配に関しては、皇帝権の理念に不可欠なものであったため、その統治は特に重要視されました
オットーは皇帝としての統治期間12年のうち10年間をイタリアで過ごし、帝国の統治にあたったのです
イタリア王を名乗っていたべレンガリオを降伏させてオットーの支配権を承認させ、またイタリア南部のビザンツ帝国領にも影響力を強め、カプア、ベネヴェント、サレルノの諸侯がオットーの宗主権を認めました
とはいえイタリアにおける皇帝権の優位はその軍事的優越に依存しており、そのためには帝国軍のイタリア遠征、そして皇帝戴冠のためのローマ遠征が必要であり、いわゆる「イタリア政策」として以後の神聖ローマ帝国にも影響を及ぼすこととなります
3つ目のザクセン朝への帝位の確保については、すでに961年に息子であるオットー2世をドイツ王に即位させ、967年にはオットー2世は教皇の手によって戴冠され、共同皇帝としたことで実現されました
こうしてオットー1世の皇帝権が確立しましたが、ビザンツ帝国のニケフォロス2世、ヨハネス1世オットーの皇帝権を認めていませんでした
しかしヨハネス1世はイタリア半島におけるオットー1世との戦闘で敗北したことで帝位の承認に傾き、972年にはヨハネスの姪テオファーヌとオットー2世との結婚により承認がなされたのです
こうしてオットー1世は帝国の威信を高め、その功績により大帝と称されることとなります
オットー大帝は973年5月7日に死去し、その政策はオットー2世に受け継がれるのでした
本日は単独皇帝オットー2世の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・木村靖二編『世界各国史13 ドイツ史』山川出版社、2001年
・菊池良生『神聖ローマ帝国』講談社、2003年
・ハンス・K・シュルツェ、五十嵐修他訳『西欧中世史事2 皇帝と帝国』ミネルヴァ書房、2005年
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