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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
549
:
Republica de Venexia
:2015/03/31(火) 00:14:23 ID:???
3月31日はヴィルヘルム2世がモロッコを訪問した日です
昨日のクリミア戦争終結の後、ヨーロッパ列強は先を競って世界各国へと進出していきました
1870年代半ばから20世紀初頭にかけて、列強は海外に工業製品の市場や原料供給地、資本の輸出先などを求め、武力によって植民地を広げていく帝国主義の時代となったのです
その急先鋒となったのがイギリスで、最重要植民地のインドを中心に据え、カルカッタ・カイロ・ケープタウンを結ぶ3C政策を推進します
また1882年のエジプト占領はアフリカ分割競争のきっかけとなり、イギリスはエジプトから南下して南アフリカとつなごうとするアフリカ縦断政策が進められました
一方イギリスに負けじとフランスもアフリカの植民地化に乗り出し、西アフリカ・サハラ地域から東のジブチをつなごうとするアフリカ横断政策を進めます
この英仏のアフリカ分割はスーダンで衝突しファショダ事件となりましたが、これがきっかけとなって1904年に英仏協商が結ばれたのは
>>57
で見た通りです
この2国に遅れをとったのがドイツでした
>>433
で見たようにドイツが統一されたのは1871年のことであり、ドイツ皇帝がビスマルクを罷免して親政を開始し、世界政策を掲げたのは1890年代に入ってからだったのです
ドイツはオスマン帝国の小アジアからペルシア湾へとバグダード鉄道を建設して中東への進出を図る3B政策を進め、イギリスの3C政策と対立します
アフリカにおいても南西アフリカと東アフリカを領有し、さらなる拡大を図りました
ここでドイツはモロッコへ進出しようとしますが、上で見た英仏協商でイギリスがフランスのモロッコにおける優越権を認めたことに反発します
そして1905年年3月31日、ヴィルヘルム2世はモロッコのタンジールを訪問し、モロッコのスルタンと会見してフランス進出に反対する旨を表明したのです
このため独仏両国の間に緊張が走りますが、翌年にアルヘシラス会議が開かれ、ドイツの目論見は阻止されフランスのモロッコ進出が黙認されることとなったのでした
本日は第一次モロッコ事件の誕生日です、お悔やみ申し上げます
参考文献
・川北稔編『世界各国史11 イギリス史』山川出版社、1998年
・木村靖二編『世界各国史13 ドイツ史』山川出版社、2001年
・谷川稔他『世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』中央公論新社、2009年
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