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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
521
:
Republica de Venexia
:2015/03/06(金) 01:26:04 ID:???
3月6日はアル=カーミルが死去した日です
アイユーブ朝は
>>266
で見たように英雄サラディンの死後分裂し、アル=アーディルとその息子アル=カーミルによって再統一が進められました
しかしカーミルの即位に反発する者も多く、特にカーミルの弟でダマスカスを支配していたアル=ムアッザムとの対立は頭を悩ませる問題でした
神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が十字軍を起こしたのはこの時期にあたり、カーミルとしてはイェルサレムを支配するムアッザムを打倒するためにフリードリヒと協力したという側面もあります
>>494
で見たように1229年2月18日、カーミルはフリードリヒにイェルサレムを譲渡するヤッファ協定を締結しましたが、その前年にムアッザムは死去し、ダマスカスはその息子のアル=ナーシルが後を継いでいました
ナーシルは父と同じくカーミルに抵抗し、聖地イェルサレム譲渡に反発する勢力の後押しもありましたが、十字軍勢力との休戦に成功し反乱鎮圧に集中できるようになったカーミルはナーシルを破ってダマスカスを手に入れ、アイユーブ朝の再統一に成功しました
カーミルはその後内政に力を入れ、特にエジプトでの灌漑事業が成功を収めるなど、国内の経済政策に多くの実績をあげ、エジプトは発展していくこととなります
しかし1238年3月6日、カーミルが死去すると情勢は再び不穏なものとなりました
アイユーブ朝の領土はカーミルの息子であるアル=サーリフとアル=アーディルによって分割され、両者はエジプト支配を巡って争いを始めたのです
またナーシルがこの隙をついて十字軍との休戦協定期間が過ぎた1239年11月にイェルサレムを奪いました
このようにアイユーブ朝は再び混乱の時代を迎え、その中でサーリフが戦力増強のために雇ったマムルークがやがてアイユーブ朝を乗っ取りマムルーク朝を開くこととなるのでした
本日はアイユーブ朝衰退の誕生日です、お悔やみ申し上げます
参考文献
・高山博『ヨーロッパとイスラーム世界』山川出版社、2007年
・佐藤次高『世界の歴史8 イスラーム世界の興隆』中央公論新社、2008年
・八塚春児『十字軍という聖戦 キリスト教世界の解放のための戦い』日本放送出版協会、2008年
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