したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

469Republica de Venexia:2015/02/03(火) 00:07:39 ID:???
2月3日はムラト2世が亡くなった日です

オスマン帝国スルタン、ムラト2世は>>347で見たようにバルカン半島を再び支配下に収め、これを機に退位、まだ若き12歳の息子メフメト2世が即位しました
しかしバルカン半島は完全に平穏となったわけではなく、>>367で登場したアルバニアのスカンデルベグやハンガリーのフニャディ=ヤノシュが健在で、度々オスマン帝国領を攻撃していたのです
特にスカンデルベグはオスマン帝国軍に対し無敗を誇り、バルカン半島の情勢が懸念されたことで1446年、ムラトは復位を余儀なくされます

復位後のムラトはギリシアを制圧し、1448年には攻勢をかけてきたフニャディの軍をスカンデルベグと合流する前にコソボにて撃滅し、バルカン半島はスカンデルベグを除いて制圧されました
また小アジアにおいてもアイディン君侯国、ゲルミヤン君侯国を併合し、その他君侯国にもオスマン帝国の宗主権を認めさせたのです

こうしてオスマン帝国に平穏をもたらしたムラトは、1452年2月3日に死去します
この訃報に対し、まず安堵したのは小アジアでオスマン帝国の攻勢にさらされていたビザンツ亡命政権、トレビゾンド帝国でした
また西欧においても同様に安堵の雰囲気が広まります
というのも、神聖ローマ帝国では新皇帝となるフリードリヒ3世の支配基盤が脆弱で諸侯を抑えるのに四苦八苦しており、フランスとイングランドは長らく続いていた百年戦争の末期にあたる時期であり、スペインではレコンキスタの最終局面であったことから、バルカン半島に手を回せる状態ではなかったからでした
また新スルタンが弱冠19歳であり、その補佐を担当していた大宰相ハリル=パシャは穏健派であり、当面はキリスト教勢力への攻撃は無いと判断したからでもありました
しかしメフメトは固い意志を持ってビザンツ帝国の都コンスタンティノープル攻撃を断行し、>>146で見たようにビザンツ帝国を滅ぼし西欧に衝撃を与えることとなるのでした


本日はムラト2世の命日です、西欧の皆さんおめでとうございます


参考文献
・鈴木董『オスマン帝国 イスラム帝国の「柔らかい専制」』講談社、1992年
・スティーブン・ランシマン、護雅夫訳『コンスタンティノープル陥落す』みすず書房、1998年
・新井政美『オスマンvsヨーロッパ 〈トルコの脅威〉とは何だったのか』講談社、2002年


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板