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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

439Republica de Venexia:2015/01/20(火) 00:10:31 ID:???
1月20日はシモン=ド=モンフォールが議会を招集した日です

>>172で見たようにイングランド王ジョンの代にマグナ=カルタが制定され、王権は制限されることとなりました
しかしジョンはやがてマグナ=カルタの無効を宣言したため諸侯は反発し、イングランドでは内乱が勃発します
この内乱の最中にジョンは急死し9歳のヘンリ3世が即位、ヘンリの摂政ペンブルック伯ウィリアム=マーシャルは宥和政策を採り、マグナ=カルタが再確認されたため内乱は終結しました

しかしマーシャルの死後、ヘンリはガスコーニュやポワトゥーへの遠征のための軍資金徴収などのためにマグナ=カルタを無視し、行政長官ヒューバート=ド=バーグも王権の利益を優先した統治を支持しました
これはピータ=デ=ロッシによる改革で是正されましたが、ヘンリが親政を開始したことでロッシは失脚します

親政開始後のヘンリはフランス人貴族を重用し、1242年と1253年には南フランスへの遠征を行うなど、大陸政策を重視していきます
南フランス遠征が失敗に終わった後も、>>332で見たマンフレーディと対立するローマ教皇に協力し、対立王として次子エドマンドを擁立しマンフレーディに対する十字軍への参加を表明、さらには弟のコーンウォール伯リチャードを神聖ローマ皇帝に擁立するなど、大陸政策はますます強化されていきました

この大陸政策にレスター伯シモン=ド=モンフォールを中心とするイングランド諸侯は反発し、1258年にヘンリが十字軍費用徴収のための諸侯会議を招集した際にヘンリを非難、国政改革を要求するとヘンリはこれに同意、オクスフォード条款が成立し翌年のウェストミンスター条款によって王権の制限が進みました
しかし教皇の支援もあって1261年にヘンリが勢力を回復するとシモン=ド=モンフォールは一時失脚、1263年に反国王派を糾合して再び改革を主張します
このような改革をヘンリは断固拒否し両派による武力衝突に発展、リュイスの戦いでヘンリは捕虜となりました
そして1265年1月20日、シモン=ド=モンフォールはイングランド各州の領主や市民の代表からなる議会を招集したのです
この後シモン=ド=モンフォールは戦死しヘンリが王権を回復しますが、この議会はイングランドにおける議会制度の起源とされ、受け継がれていくことになるのでした


本日はイングランド議会の誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・城戸毅『マグナ・カルタの世紀 中世イギリスの政治と国制1199-1307』東京大学出版会、1980年
・川北稔『世界各国史11 イギリス史』山川出版社、1998年
・佐藤彰一・池上俊一『世界の歴史10 西ヨーロッパ世界の形成』中央公論新社、2008年


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