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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
352
:
Republica de Venexia
:2014/11/15(土) 00:17:17 ID:???
11月15日は北キプロスが独立宣言を行った日です
キプロスでは古代よりギリシア人が居住し、ヒッタイト、アッシリア、ペルシア、プトレマイオス朝、ローマなどが支配してきました
12世紀末にはイングランド王リチャード1世によって征服されキプロス王国が成立します
この王国は15世紀末に断絶し、ヴェネツィア共和国が植民地として支配するようになります
1571年には
>>308
で見たようにオスマン帝国が征服し、このオスマン帝国支配下でトルコ人が多数移住し、キプロスはギリシア人とトルコ人という二民族が併存するようになりました
その後キプロスは1878年のベルリン会議によってイギリスが統治権を得、植民地化が進められました
この際にイギリスはギリシア人とトルコ人を分断して統治を行ったため、ギリシア人はギリシア王国、トルコ人はオスマン帝国への帰属を求めるようになります
イギリスは第一次世界大戦の勝利によりギリシアの併合を宣言し、1925年には直轄領とします
イギリスによる支配はますます本格化し、キプロスをスエズ運河防衛のための軍事拠点化を進めました
これに対しキプロスでは反英独立運動が盛んとなり、1960年にはキプロス共和国として独立を達成します
しかしこれにより、それまで反英でまとまっていたギリシア人とトルコ人との対立が表面化し、1964年に内戦が勃発します
1974年にはギリシア軍の介入によるクーデターが発生、これに対しトルコもトルコ人保護を名目に軍を派遣し北キプロスを占領しました
この北キプロスにトルコ人が移住し、残りの南キプロスにはギリシア人が移住、キプロスは南北に分断されたのです
そして1983年11月15日、北キプロスは独立を宣言し、キプロスの分断は決定的となるのでした
本日は北キプロス・トルコ共和国の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・大島直政『複合民族国家北キプロスの悲劇』新潮社、1986年
・桜井万里子編『世界各国史17 ギリシア史』山川出版社、2005年
・澁澤幸子『キプロス島歴史散歩』新潮社、2005年
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