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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
311
:
Republica de Venexia
:2014/10/10(金) 00:54:47 ID:???
10月10日はカルバラーの戦いが行われた日です
イスラームは正統カリフ時代、第2代カリフのウマルの時に
>>253
で見たヤルムーク河畔の戦いでビザンツ帝国を破るなど、急速に勢力を拡大させました
続く第3代ウスマーンもササン朝を滅ぼしさらなる勢力拡大を行いますが、656年に暗殺されてしまいます
ウスマーンの死後第4代カリフとなったのはムハンマドの娘婿アリーでしたが、これに対しシリア総督のムアーウィヤが反発します
ムアーウィヤは暗殺されたウスマーンと同じウマイヤ家の出身であり、ウスマーン暗殺はアリーによるものだとしてアリーと対立、イェルサレムにてカリフ即位を宣言しました
こうして同時期に2人のカリフが存在することとなりましたが、正統なカリフの決定を神ではなく人間が行うことに反対するハワーリジュ派がアリーとムアーウィヤ双方の暗殺を計画します
これによりアリーは暗殺されたものの、ムアーウィヤは辛くも生き延び単独のカリフとなったことで、661年、ウマイヤ朝が成立しました
ムアーウィヤはウマイヤ家の世襲王朝化を進めますが、これにアリー支持派は反発し、アリーとその子孫のみがムハンマドの正統な後継者であるとするシーア派を形成します
シーア派はアリーの息子フセインを擁立しウマイヤ朝に対抗するため、彼らの本拠地であるクーファにフセインを招こうとしました
これを察知したウマイヤ朝第2代カリフヤズィードは、クーファへと向かうフセイン一行を襲撃します
680年10月10日、クーファ近郊のカルバラーの地でヤズィードはフセイン一行を包囲、虐殺しました
ウマイヤ朝はフセインを葬ったことでその勢力を確立させましたが、シーア派との決裂は決定的となり、現在も続くシーア派とスンナ派との対立を引き起こすこととなったのでした
本日は「カルバラーの悲劇」の誕生日です、お悔やみ申し上げます
参考文献
・佐藤次高・鈴木董編『新書イスラームの世界史1 都市の文明イスラーム』講談社、1993年
・小杉泰『イスラームとは何か その宗教・社会・文化』講談社、1994年
・佐藤次高『世界の歴史8 イスラーム世界の興隆』中央公論新社、2008年
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