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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
253
:
Republica de Venexia
:2014/08/20(水) 00:40:41 ID:???
8月20日はヤルムーク河畔の戦いが行われた日です
>>235
で取り上げたユスティニアヌス1世の死後、ビザンツ帝国は急速に衰えていくことになります
ユスティニアヌスの征服事業は帝国の国力を大幅に消耗するものだったのです
彼の後継皇帝は広大な領土経営に悩まされます
それぞれ文化・伝統が異なるイタリア・北アフリカ、シリア・エジプト、そしてギリシア・小アジア、これらの統合は困難で、イタリアにはランゴバルド族が侵入、シリア・エジプトにはササン朝が侵入するなど帝国は内外で混乱の極みに達していました
この状況を救ったのがヘラクレイオスでした
彼は帝都コンスタンティノープルで暴政を行っていたフォーカスに対しカルタゴから反乱を起こし、皇帝に即位します
即位当初はシリアでササン朝軍に大敗、聖地イェルサレムを攻略され十字架を奪われてしまいます
しかし622年、ヘラクレイオス自らが遠征を指揮し、6年間に渡る激闘の末ササン朝を撃破したのです
一方、奇しくもヘラクレイオスが遠征を開始したのと同じ年の622年、アラビア半島ではイスラームが勃興していました
イスラームは急速に勢力を拡大し、長年の激戦により疲れ果てていたビザンツ帝国とササン朝に対し攻撃を仕掛けます
そして636年8月20日、ヤルムーク河畔においてイスラーム軍はビザンツ帝国軍に大勝します
ヘラクレイオスは「シリアよさらば、何と素晴らしい国を敵に渡すことか!」と悲痛な叫びをあげたといいます
ヘラクレイオスが長年に渡って築き上げてきた事業がこの一戦で崩壊したのです
一方、イスラームはまたたく間にシリア・エジプトを制圧、地中海にも進出し、大帝国を築くことになるのでした
本日はイスラーム領シリアの誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・ゲオルク・オストロゴルスキー、和田廣訳『ビザンツ帝国史』恒文社、2001年
・井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』講談社、2008年
・佐藤次高『世界の歴史8 イスラーム世界の興隆』中央公論新社、2008年
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