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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
261
:
Republica de Venexia
:2014/08/26(火) 00:48:30 ID:???
8月26日はマンジケルトの戦いが行われた日です
ビザンツ帝国は
>>232
で見たように、バシレイオス2世によって全盛期を迎えていました
しかし彼の死後、ビザンツ帝国は衰退へと向かっていきます
バシレイオスは徹底した緊縮財政、貴族や官僚を抑圧した専制政治によって国力を増強していましたが、彼の死によって不満が表面化し、反動的な状態となったのです
後継皇帝たちは放漫財政を続け、特に大規模な建築事業によって浪費、やがて財政が破綻します
貴族もバシレイオスの抑圧から解放され、自分たちに都合の良い皇帝を次々と擁立、その結果、
>>46
で見たアレクシオス1世の即位までの約50年間に皇帝交代が4年に一度の頻度で行われる混乱時代となったのです
さらにマケドニア朝時代の軍人皇帝とは対照的に、この時代の皇帝は財政難から軍事費を削減、ビザンツ帝国の強兵は解体されていったのです
このような状況で東方より襲来したのがセルジューク朝でした
トゥグリル=ベクに率いられたセルジューク族はイランを制圧、さらにバグダードに入りスルタンの称号を得ます
トゥグリル=ベクの死後はアルプ=アルスランが継ぎ、侵略は一層激しくなりました
そして1071年8月26日、小アジア東部のマンジケルトにおいてビザンツ帝国軍とセルジューク朝軍が激突、ビザンツ帝国は壊滅的な敗北を喫し、その衰退が決定的となります
一方セルジューク朝は順調に侵略を進め、小アジア全域を支配することとなるのでした
本日は「ビザンツ帝国史上最大の災厄」の誕生日です、お悔やみ申し上げます
参考文献
・スティーブン・ランシマン、和田廣訳『十字軍の歴史』河出書房新社、1989年
・井上浩一・栗生沢猛夫『世界の歴史11 ビザンツとスラヴ』中央公論社、1998年
・ゲオルク・オストロゴルスキー、和田廣訳『ビザンツ帝国史』恒文社、2001年
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