したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

232名前なんか必要ねぇんだよ!:2014/07/29(火) 00:01:09 ID:KMz9w4Js
7月29日はクレディオン峠の戦いが起こった日です

>>133>>228で見たように、バルカン半島においてブルガリアの勢力拡大は著しく、ビザンツ帝国は劣勢が続いていました
しかし「ブルガリア皇帝」となったシメオン1世の死後は度重なる征服戦争による国力疲弊が表面化し、次第に衰退の兆しを見せるようになります

一方のビザンツ帝国ではブルガリアの後退とほぼ同時期に優れた3人の軍人皇帝が台頭します
すなわち、ニケフォロス2世・ヨハネス1世・バシレイオス2世です
ニケフォロス、ヨハネスは軍事改革を進め、積極的な対外政策に乗り出し、ビザンツ帝国の領土を回復していきます
この拡大路線が最高潮となったのがバシレイオスの代でした

ビザンツ歴代皇帝のなかでも最長、976年〜1025年、実に49年もの在位期間を過ごした彼は、全ての権限を一身に集めて独裁政治を行う、ビザンツ帝国を代表する専制君主であり、ビザンツ帝国の全盛期を現出した非常に有能な皇帝でした
彼はビザンツ帝国を悩ませてきたブルガリアにとどめを刺すべく、自ら先頭に立って遠征を推し進めました

そして1014年7月28日、クレディオン峠の戦いでブルガリアに大勝します
この戦いで1万5千人のブルガリア兵を捕虜にしたバシレイオスは、ブルガリア人捕虜を100人ずつのグループに分け、各グループのうち99人の両目をくり抜き、残りの1人だけは片目を残して道案内役をさせ、ブルガリアに送り返したたのです
ブルガリア王サムイルはその光景を見て卒倒し、死亡してしまいます
やがてブルガリアはビザンツ帝国によって完全に併合され、一方バシレイオスはその後輝かしい外征を展開していくのでした


本日は「ブルガロクトノス(ブルガリア人殺し)」の誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・ロバート・ブラウニング、金原保夫訳『ビザンツ帝国とブルガリア』東海大学出版会、1995年
・ゲオルク・オストロゴルスキー、和田廣訳『ビザンツ帝国史』恒文社、2001年
・井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』講談社、2008年


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板