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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
228
:
名前なんか必要ねぇんだよ!
:2014/07/26(土) 00:34:59 ID:JsWVFXkI
7月26日はブリスカの戦いが行われた日です
これは
>>133
のブルガリア帝国強勢より少し前の時代になります
ブルガリアは7世紀以降、ビザンツ帝国と抗争し、一進一退の攻防を展開していました
805年にはクルム=ハーンがアヴァール人を攻撃、バルカン半島で勢力を拡大し、トランシルヴァニア・パンノニアを支配、さらにビザンツ帝国領のマケドニアやトラキアへも侵攻するようになりました
一方ビザンツ帝国では女帝エイレーネーの治世で財政が破綻し、彼女の後を継いだニケフォロス1世が改革を行っていました
彼は減税廃止や徴税強化を始めとする経済政策を行い財政再建に着手しました
また帝国領への支配を強化し、バルカン半島・小アジアでの防衛力増強にも取り組みました
その中でブルガリアの攻勢は憂慮すべき事態だったのです
ニケフォロスは大軍を率いてブルガリア領に侵攻、811年7月にはその首都ブリスカを占領するなど成果は上々と思われました
しかしブリスカを焼き払い、さらにブルガリア領深くへと侵攻しつつあった7月26日、ブリスカ近郊のバルビツィア峠にてクルム率いるブルガリア軍の夜襲に遭いビザンツ帝国は大敗、皇帝ニケフォロスも討ち取られてしまいます
以後ブルガリアはトラキアを征服、帝都コンスタンティノープルを包囲するなどビザンツ帝国に対し攻勢を続けることとなるのでした
本日はビザンツ帝国初の皇帝戦死の誕生日です、お悔やみ申し上げます
参考文献
・森安達也・今井淳子訳編『ブルガリア─風土と歴史』恒文社、1981年
・ロバート・ブラウニング、金原保夫訳『ビザンツ帝国とブルガリア』東海大学出版会、1995年
・井上浩一・栗生沢猛夫『世界の歴史11 ビザンツとスラヴ』中央公論新社、2009年
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