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削除要請
1
:
ななくしゃ
:2013/03/13(水) 21:30:24 ID:F89Dd1AY0
管理者 くしゃろー ◆jppMnKH2ns★ 様へ
失礼いたします、新・唐澤貴洋掲示板の管理人です。
・唐澤貴洋
・唐澤貴洋掲示板に来るナリ
上記2スレッドを管理者削除していただきますようお願い申し上げます。
私が管理する掲示板への宣伝の書き込みがあり、それに反発して書き込みを行った者がおりました、失礼いたしました。
こちらからも注意を喚起しておりますが、双方嫌な思いをしない様どうかご協力宜しくいたします。
2
:
くしゃろー
◆jppMnKH2ns
:2013/03/13(水) 22:59:22 ID:v6G1sS5M0
初削除‥‥ども‥‥
3
:
ななくしゃ
:2013/03/14(木) 13:32:19 ID:Bp4J063c0
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許さないナリよ・・・・・・
4
:
ななくしゃ
:2013/03/14(木) 18:49:32 ID:Z.JYf32c0
唐澤貴洋殺す
5
:
ななくしゃ
:2013/03/14(木) 20:55:17 ID:rBKsNKNo0
要請ねぇ・・
なんか命令みたいな物言いだね怖いわ
6
:
ななくしゃ
:2013/03/16(土) 20:25:50 ID:wXBG.mT20
>>1
これは糖質の香り・・・ゴクリ
7
:
ななくしゃ
:2017/12/24(日) 17:54:08 ID:fqwjHBzY0
おらんだ物語
12/21/2017��
�� 永井荷風のふらんす物語にならって、"おらんだ物語"というカテゴリを作ることにした。というのも、オランダに引っ越すからだ。たぶんかなり長く住むことになるだろう。アメリカは僕の知性は認めても感性は認めない浅はかな人間の国だし、イギリスやカナダやカンガルーコアラという英語圏は飽き飽きだ。それから、日本は悪夢だ。
�� 英語で語られることは、keyboard militant の僕の手にかかれば、ほとんどのことが手に取らずにわかってしまう。そこに現れない程度のものは、取るに足らないものだ。それから、東南アジアはゴキブリが大きいから嫌いだ。オランダの素晴らしさとは、一言で言えば、お金のない人間はお断りの姿勢に集約される。まあ、23時までやってるスーパーの店員をやる有色人種というのはいるが、つまりは、お金がないのならそういうことでもしていろということだ。もしくは、とても才能と能力があって、'役に立つ'ならば是非いて欲しい、という社会だ。あれだけの高い生産性と、短い労働時間で繁栄しているのには、それなりに理由がある。あなたがムスリムなら、郊外のナイキ ストア付近にある専用居住区に隔離されるという形で、何らかの受け入れはあるかもしれない。それも、比較的開かれた都市だけのやる、限定的受け入れにすぎないが。白人の親が18時には子供たちと過ごす光景が当然にみられるというだけで、僕には十分すぎる選択なのかもしれない。
��
�� さあ僕はどうしよう。何になろうか。研究者になる道をきれいに進めと、多くの先生たちが勧めてくれるけれど、僕はそんなものがやれるだろうか。大学教授なんていう、体制の中で社会に対して制限された表現と関わりしか持てない種類のエリートに、なってうれしいだろうか。僕はいつでも、行動することは正しいと思っている。
8
:
ななくしゃ
:2017/12/24(日) 17:55:21 ID:fqwjHBzY0
4/6/2017��
自分の五感を駆使して、自分自身で考えることが最も重要なことだ。
想像してほしい。ウイルスはどんな形をしているだろうか。自分の目で注意深く見ようとしない者にとっては、無形も同然だ。ウイルスは実際的には存在しないかのように、毎日に浸み込んでしまっている。そして、気づいた時には手遅れだ。問題にならなければ、全部見過ごしてしまえる図々しさを人は持っている。気にしない、気にしなければ問題じゃない、と無意識のうちに願っている。そして、ことが起これば知らなかったと言って、まるで被害者の顔をする。だが、あなたが呼吸をしている限り、あなたが日常のウイルスと無縁であることなどできはしないのだ。ことが起こる責任は、あなたにもあるのである。いくら毎日を早足で歩いたところで、立ち止まることを恐れたところで、この事実は変わりはしないのだ。
学習という経験の蓄積は、人を幸福にするかは全くわからない。だが、自由に生きるためには有用だ。ウイルスを見抜くのには、知恵がいる。それは他人の解釈を借りるのではく、自分の頭で考え、自分の目で見るということだ。そもそも、あなたは見ていたのだ。子供時代に多くのことを見てきたのだ。だが、都合の悪いことは忘れるようにと、教え込まれたのだ。
もう一度、目を開こうとする人に、言葉を書き残そう。不合理と不合理が有機的に結合し切り離せなくなってしまったのが、これまで人類が血道をあげ築きあげてきたものであったとしても、それは人間が作ったものなのだから、もう一度人間の手で正しい道に戻せるはずだ。
9
:
ななくしゃ
:2017/12/24(日) 17:55:52 ID:fqwjHBzY0
欲望の名付け親
4/7/2017
あなたがもし、自分の欲望に名前を付けてもらわなければ、自分の手に入れたいものが見えないとしたら、あなたは人間ですらない。人間の根源は欲求だ、それを操作されたりましてや失くしたりすれば、もう人間とは呼ばれない。
もしあなたが欲のない人間であるならば、あなたは完結している。あなたは他者を必要としないのだから、自分で畑を耕し時に狩りに出て生きているのだろう。だが、大半の文明の中に生きる人々は欲望の中を生きている。それは、彼ら個人の欲望の中ではない。他人の欲を虎視眈々と狙う狼たちの欲にまみれて生きているのである。かつて草を欲しがっていた羊は、高い肉をせっせと運ぶ狼たちに操られ生きているのだ。欲しいものに名前付けてもらってすっかり安心しきっているのだ。だが、それは欲しいものがないことと同じである。何ものかに変容していこうという、これまでの人類の進化を否定する日常である。歴史を逆行するだけではない、人類の息の根を止めようという営みである。
だから、欲しいものがなくなったらしまいだ、あなたは人間であることを手放すわけだから。だがもし、あなたが立ち止まる機会と振り返る機会に恵まれるとしたら。だがもし、あなたが自分の欲しいものを自分から希求するようになったとしたら。末期の懺悔は生きているうちに済ませておくといい。走り出したいと思ったときに、走るぞという思い切りがなければ、悔やむでは済まないだろうから。だが、他人のためといって始めてはいけない。あなたはあなたの好きに、あなたの好きなことやるのだから。それがあなたを自由にするのだから。
10
:
ななくしゃ
:2017/12/24(日) 17:57:36 ID:fqwjHBzY0
勝利への意思
4/11/2017
あなたが取り組んでいることで、あなたが不満を口にするのならば、今すぐにやめたまえ。なぜなら、あなたは勝利への意思を持たないからだ。勝ち方の話で談笑などしていたから、不満が口をついて出るようになったのだ。もし、あなたが本気で取り組んでいたのならば、やるか、やらないか、ということで葛藤していただろう。やるか、やらないかである。だがあなたは勝ち方を選ぼうと言う。波風にびくびくするのは臆病者のすることである。躊躇いの中に横たわっていては、本当に勝とうという意欲など湧いては来ない。中途半端とは後にも先にも、何も残さないものなのだ。ならば始める前にやめてしまえ。だが、あなたは正義と公平さを重んじる人だろうから、始めたことを投げ出したいとは思わないだろう。なぜなら、あなたのすることは、あなた一人だけの問題ではないからだ。あなたは、それに気づいたから始めたのだ。ならば、やれ、徹底的にやれ。勝ち方を選ぶ暇はない。不満を口にする暇はない。あなたは意思を手にしたのだから、やるか、やらないかである。
11
:
ななくしゃ
:2017/12/24(日) 17:58:13 ID:fqwjHBzY0
解釈屋との決別
4/16/2017
どのような論理も、身体を通して個人的にその論理に対する確信を得るまでは、あなたの手足となって道具になり、役に立つことはないだろう。論理を論理のまま聞き入ってありがたがっていれば、その論理はあなたのものではなく、あなたは論理の奴隷になるだけである。論理の価値とは、使われる人の手にない限り決してわかりはしないのだ。そして、論理自体もまた、使われる人の手にない限り、論理などという仰々しい名で呼ばれるいわれなどないのだ。そもそも論理とは単なる解釈である場合がほとんどだ。誰かが始めた一つの解釈を普遍的であるようにラベルで飾って、人々にありがたがるように仕向けたからといって、その論理に実際に価値があるかどうかとは関係がないのだ。
だから、あなたは誰かのしてくれた解釈という論理をありがたがって自分の知識にしてはいけない。それはあなたの知識ではないのだから。もし、あなたの話す言葉に誰かの論理があなたの知らないまま表れていたとしたら、あなたは、解釈屋の奴隷になることを表明しているに過ぎない。あなたは、知識を得たと思って自分を貶めているのである。あなたが知識を自分のものにしたいと思うのならば、自分で考えることを放棄してはいけない。誰かに考えてもらったことを、自分の考えとしてはいけない。ある解釈について考え抜いた末に、それに賛同するというのであれば、それは誰かの論理ではなく、あなたの論理になるだろう。あなたを自由にするのは、他でもないあなたがあなた自身で考えることを選択するという態度と行動だ。あなたが自分で考えることを始めない限り、あなたは自由を得ることはないだろう。だからまず、あなたはあなた自身を信じることから始めて、その後、人を信じるようにしなさい。あなたがあなたを裏切るよりも、誰かがあなたを騙すことの方が、よほど多いのだから。まずは、あなたはあなたを信じることから始めなければならないのだ。
12
:
ななくしゃ
:2017/12/24(日) 17:59:34 ID:fqwjHBzY0
無知の知を捨てよ
4/21/2017
あなたは知っていることに責任を持つべきだ。あなたが習得した事物は、単なるあなたの努力の産物ではない。あなたの知恵になるように、骨を折った人々もいたのだ。あなたは、それらの意図をすっかり金で買うことは出来ないだろう。だから、あなたは知っていることに責任を持つべきだ。あなたが手にしているものは、あなただけの成果ではないのだから。知っているということは、何らかの行動がとれるということだ。あなたは全てを知っているわけではないだろう。だが、知っていることに関しては、責任をもって取り組めるはずだ。わたしはここまでなら知っているぞ、と言える責任感こそ良い社会を作るのだ。
あなたが人より知らないことを知っているかどうかなど、どうでもよいことだ。人は間違うものだ。あらゆる時代を通して、人間は間違いながら進んできたということが、私たちの知る人間の歴史である。だから、間違いに気づいたときは、改めることが大切だ。それが本来的な、無知の知である。謙虚とは、自分の誤りに真摯であることを言う。友の声に耳を傾け、誤りは正せ。あなたが人より知らないことを知っているかどうかなど、どうでもよいことだ。あなたがとる行動に対して、自分で修正を加える態度を持つことこそが重要だ。もしあなたが、あなたの知識を手の中にしまい込んだまま、隠そう通そうとするのならば、盗人という誹りは免れないだろう。知識を懐にしまいこんでいる輩は、盗人である。あなたが単なる盗人で終わりたくないのならば、知っていることには責任を持つべきだろう。
未来という名の過去
4/19/2017
あなたが真に歴史という過去の重みの意味を知る人ならば、未来で犯す過ちの内いくつかに対しての思慮を得ることになるだろう。だが、いつまでも死人の言葉にとらわれ続けていてはいけない。歴史とは死人の作ったものだ。歴史が照らすのは過去であって、未来ではない。未来を照らすのは子供たちである。過去はわたしたちの段階で清算しておかなければならないのだ。そうでなければ、子供たちもまた、わたしたちが祖先から受け継いだ呪いを背負って、未来という名の過去をさまようことになる。
あなたの言葉でさえ、死人の言葉として踏み越えて、新しい段階へ進めるよう子供たちを応援しなさい。あなたもわたしも既に過去の人間である。過去は、過去の誤りからの未来への示唆を残すべきではあるが、そこに遺志の強制があってはならない。過去は過去に過ぎない。未来に先鞭をつけるのは極めて鋭い直感に他ならない。わたしたちは、わたしたちが痛かったからと言って、同じ痛みを子供たちに課す権利など、どこにもないのである。それでも、自分の痛みに我を忘れ、歴史という過去で未来を塗り込めようとする者は後を絶たないだろう。だからわたしたちは、過去と戦う必要がある。それはわたしたちの世代が片づけておかなければならぬことである。歴史という過去で未来を塗り込めようとする者たちは、存分に痛めつけてやるといい。そういう種類の人間は、他人の痛みは分からなくとも、自分の痛みにはうるさいものだから。あなたが、ここで徹底的にやらないというのであれば、痛みは子供たちに受け継がれることになる。未来という名の過去を子供たちに背負わせるはめになる。
だから、わたしたちは過去に囚われた人々に対して寛容で、容赦するような姿勢を取ることはしない。徹底的に戦う。闇雲に暴力をふるえと言っているのではない、敵を見定めて、未来を侵犯しようとする輩には不寛容であれ、といっているのだ。不寛容であるということは、単に否定することではない。あらゆる手段で、対応をとるということだ。あらゆる手段とは、例外とする手段はないということだ。
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