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やまいぬさん歓迎のスレッド

638やまいぬ。:2009/05/07(木) 09:34:12

「お父上の猛反対の中、貴方の母上は、どんな思いで、この信心を貫いて来られたでしょう。
ワシの母もそうじゃった。急な山坂を、街灯も疎らな暗い道を、毎日毎日・・・・家に残した幼子が、気懸かりで
あったろうに、先生の言葉を信じて、御本尊を、ひたすらに信じて。
ただ「絶対に幸せになれるんだ」との思い一つで貴方の母上や、ワシの母は、すべてを乗り越えて来たのです。
その「母」の労苦を、我々は絶対に無駄にしてはならぬ。」

「我が家も亡き母の愚直な信心にて現在があります。尊き創価の母に感謝あるのみです。」

説教オヤジさん、正勝さん、拙文にわざわざのレス、誠に有難うございます。
まさしくその通りと考えます。

『ただ「絶対に幸せになれるんだ」との思い一つ』――まさに!
全国みなそうでしょうが、関西の母などはみな、まさにそうでした。
「この信心やったら幸せになれるでぇ!」
たったこの一言、確信に満ち、「救わずにおくものか」という同志の大慈悲に満ちた、たったこの一言に触れて、
それを信じて始めたのです。
そしてそれを云ってくれた方々はみな、池田先生から激励され、先んじて絶対幸福への道を歩み始めていたのです。

何故私が「学会内叛逆者」「邪義捏造者」を叩き続けるのか?――健気に、地道に闘い続けるその母達を軽んじ、
舐め切り、あろうことか大迷惑まで掛けておきながら何一つ反省もなく、自己弁護と己の装飾に必死となり、
先生の指導を歪曲して、まだ確信なき、あるいは苦難の中で動揺するような方が万が一にも邪師の言葉に
なお揺れるようなことがないようにと思うからです。

ただ蓮祖に、3代に歓んで頂けるよう、現実の広宣流布を、ただ地道に一歩一歩進めてまいる所存です。

639河内平野:2009/05/07(木) 11:53:21
やまいぬ。さん、こんにちは いつもご苦労様です。
功徳の体験を読ませて頂いて、感動もし、
また、私も自分の両親のことを思い出しました。

私の母も脳梗塞で倒れ、その3ヵ月後、父が末期癌であることが判明。
両親を引き取り、足掛け5年。介護をして参りました。

私の両親も関西の無名のいち戦士でした。

>何故私が「学会内叛逆者」「邪義捏造者」を叩き続けるのか?
>――健気に、地道に闘い続けるその母達を軽んじ、舐め切り、
>あろうことか大迷惑まで掛けておきながら何一つ反省もなく、
>自己弁護と己の装飾に必死となり、先生の指導を歪曲して、
>まだ確信なき、あるいは苦難の中で動揺するような方が万が一にも
>邪師の言葉になお揺れるようなことがないようにと思うからです。

まったく、同感です。

父は、亡くなる前日まで、杖をついて一歩一歩、持てる力を振り絞るように
歩きながら家庭訪問を止めませんでした。 まさに、死ぬまで家庭訪問の鬼でした。
翌日、病院の一室で朝日を浴びながら、霊山へ旅立ちました。
目立たぬ、庶民のいち風景です。

しかし、杖を持って部員さんの家に向かう父のうしろ姿は
私にとっては「師弟共戦」の一幅の名画に映りました。

その間、母は私たち家族に、介護する家族の大変さ、辛さ、苦しさ
を体に叩き込め ! といわんばかりに私たちを訓練し(笑)、

今後、その介護者家族の人たちを激励していくんだよ。
これがあなたたちに教える、おかあちゃんの最後の訓練だよ。
と、いわんばかりの劇を演じ、父が亡くなってから一年後・・・
安らかに、次の生へと母も旅立ちました。
これも目立たぬ、無名の庶民のいち風景です。

こんな目立たぬ無名の庶民たちが、先生とともに
地道に築き上げてきた錦州城が、今の創価学会です。

その偉大な学会が推進している数々の学会活動は、一体なんのためにあるのか ?
誰のためにあるのか ?  それをわかるには、地道な学会活動に徹するしかないと思います。

それをしていない、まして54年から退転している沖浦などが
今頃になって、ネットで学会云々するなど百万年早い。。まずは、学会基本の活動から
開始するべきだろう。。

私もさらに、今より「無名の父母」たちが地道に築いてきた学会を守れる、
人材になるため、日々精進をして参ります。

640粛々坊:2009/05/07(木) 14:19:56
>>635
正勝様、こんにちわ。今後も大いに健筆を揮ってください。

641やまいぬ。:2009/05/07(木) 22:30:28

お知らせを一つ。

『やまいぬ。(仮名。本文は当然実名) 様

 こんにちは、富士宮市_福祉企画○○(役職名)の ○○○○(お名前)です。
 日頃、富士宮市政へのご理解ご協力ありがとうございます。
 当課へのメールありがとうございました。いただいたメールの件について以
下のとおり、回答させていただきます。

富士宮市と大石寺では、今月末に海外の方を招いて開催される集会の件につき
ましては、新型インフルエンザ発生当時から、情報交換をしておりました。
 本日、大石寺から、新型インフルエンザ感染予防のため、行事の開催を延期
し、開催時期については今後の新型インフルエンザの動向を見て決定するとい
う回答をいただきましたので、報告させていただきます。

 また、貴重なご意見ご要望をお寄せください。 

■担当:保健福祉部 福祉企画課 ○○(役職名) ○○○○(お名前)』

さあて、今月あるという大石寺の会合の行方を見守ってやりたいと思います。(>_<)(^o^)v

642粛々坊:2009/05/08(金) 00:03:58
>>641
さすがです…。脱帽 <(_ _)>

645やまいぬ。:2009/05/16(土) 21:55:00

座談会から戻りました。
昨夜、参加を約してくださった、新たに越されてきた方も約束通り御参加くださいました。

一言活動報告で、新聞啓蒙や家庭訪問、父の罹病とあっという間の回復等を報告すると、それまで
皆さんの支援活動の報告で盛り上がっていたものがさらに大盛り上がり、次いでその流れのまま
今日初参加の方を御紹介すると、もう皆さん大喜びしてくださいました。

支援活動の闘いは、下手をするとまだ思い通りに闘えていない方などが、「俺、出来てないしなぁ・・・」と
疎外感を抱いてしまう恐れもゼロではありません。
が、支援の闘いのたびにきっちりと丁寧に、「これはどこまでも信心の闘いであり、師の理想、先生の
思われる広宣流布の闘いそのものである」ことを、信心の歓び、体験や功徳とともに語ることで、
「よし、信心の闘いならば俺もやってみよう!」と一気に波動します。

体験や功徳に何故因果が必要なのか? 先生の仰せ通り闘えば、このように苦難を乗り越えられる、
御書に仰せの通り闘えば、必ずや広宣流布が一歩拓けるということを伝える必要があるからです。
そしてその先頭に誰かが立てば、「よし、自分も!」と必ずや後に続く方が現れます。これが更なる
大功徳を生みます。故に先生は、徹底的に戸田先生との師弟を語り、教えてくださる。
故に先生は、「同志と共に、師匠と共に、前へ、前へ、勇気の一歩を踏み出していくことだ」と仰せになる。

対して沖浦如き学会活動から逃亡し続ける邪師が、自分を大きく見せようと必死で「功徳」「功徳」と
並べても、師の仰せ通り闘ったという因果無き故に、例えばネットで連日書き殴るニセ功徳などを
会合で万一話したとすれば、「はぁん。だから・・・?」で終わってしまう。(^o^) 誰にも波動せず、誰も
先生との師弟に生きようなどとも思わない。師との因果無き故です。

先生に期待されての弟子の闘い。今日よりまた、闘って断固勝ちます!(^^)

646粛々坊:2009/05/18(月) 13:51:52
>>645
>支援活動の闘いは、下手をするとまだ思い通りに闘えていない方などが、「俺、出来てないしなぁ・・・」と
疎外感を抱いてしまう恐れもゼロではありません。

そうですね。「話下手」のかたや、初めての支援活動に挑戦するかたなどは二の足を踏んでしまう方もいるかと思います。

>が、支援の闘いのたびにきっちりと丁寧に、「これはどこまでも信心の闘いであり、師の理想、先生の
思われる広宣流布の闘いそのものである」ことを、信心の歓び、体験や功徳とともに語ることで、
「よし、信心の闘いならば俺もやってみよう!」と一気に波動します。

自分がはじめて、支援活動に挑戦したころのことを思い出します。20歳になって先輩の男子部から激励され最初の支援依頼。
ドキドキしました(笑)。でお願いしたのがアパートの隣人のおばあちゃんでした。
快く引き受けてくださり、何よりも最初の壁を突破でき、「歓喜の生命」で喜び勇んで、座談会・○活で発表しました。

紛れも無く後押ししてくれたのは先輩・同志の激励です。それで勇気の一歩を踏み出すことが出来ました。
功徳はもちろんあとからついてきました(笑)。

沖裏某の功徳話にはもう飽きましたね(笑)。師弟共戦だから功徳もあるのです。誰も騙されてはいけないと思います。

648怖くて名乗れません<m(__)m>:2010/11/10(水) 12:19:24
キチガイのくまへ

始まります。
来年五月。

スーパー地区部長・清


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