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やまいぬさん歓迎のスレッド

594やまいぬ。:2009/03/31(火) 14:29:39

以後、これにさらに輪をかけて、凄まじい「仏界湧現」を何度も何度も体験させて頂くのですが――(中には3週間
ほぼ切れ目なく、ずーっと仏界のまんま! というのもあります。(^^; )
すべて共通していることがあります。
己の限界を遥かに超えて、祈りと行動で徹底的に先生に肉薄していったその時にだけ「それは起こる」ということです。
経験上で云えば、例えば何かの悩みがあって、それを解決したいがために唱える題目や祈りの中では、
(それは極く自然なこととしても)「仏界湧現」はありません。

『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』

己一身のことなど平然と鴻毛の軽きに「捨て」、ただ師を求め、師の大理想に生き抜くことだけを「本気で」思い、
上記御聖訓のままに毎日闘われている師の思いを我が思いとして、何年も何年も平然と行動し続ける中で、
埃を落とし磨かれて、御本尊と自身が「一体」である限り、やはりまさしく明鏡となった御本尊に映し出されて
はじめて見えるのではないでしょうか。

そして上記のように「思えないよ」という時には正直に、まず「そのように思える自分にさせてください」と祈ることから
始まるのではないでしょうか。

「仏界湧現」を可能にするもの――端的に、「師弟」、ただ一点です。
これを欠いて「仏界湧現」、「火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如」きことだと私には思えます。

ついでながら私に云わせれば、沖浦が書いた「仏界湧現」体験など全部嘘です。本人はさぞ嬉しかったでしょうし、
そのこと自体は大変結構ですが――本人には可哀想ですが、あれはただの「天界止まり」です。
まして己を大きく見せたいがための、去年から延々と続く因果無き「功徳話」など、幼稚過ぎて話になりません。

ひととして生まれ、会い難き御本尊に巡り会い、仮にも師と同じ団体に籍だけ置きながら――
己の自己顕示欲と肥大し尽くした自意識に邪魔をされて、全く師を舐め切っている老残には、三世永遠に
理解不能な話であり、永遠に見ることのできない“風景”です。(^^)

長くなりました。m(_ _)m


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