したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

運営以外議論・雑談スレ

13名無しさん:2012/03/03(土) 01:48:02 ID:YO2uqkWA0
>>11
>合理的な理由がないのに疑心暗鬼になるのは「懐疑主義」といいません。

厳密にはたしかにそうです。そして市民全員が徹底して批判的合理主義的な判断のもとに生活を送っているわけでもない。

>「理解できないから不安だ」といえば合理的な理由なく他人に不利益をかけることが許される。

正統なリスク評価であるはずの農産物の購入拒否によって、現状ではまさに
「合理的な理由なく他人に不利益をかけることが許され」ています。
あまり難癖をつけるのは自分でも望まないのですが、私の言う「懐疑主義」を
「障害者差別」「俺様理論」「被害妄想」「陰謀論」とあなたが必死に言い換えるとき、
そこには「科学的判断と政治的判断(の対立)」、あるいは「黒を白と言いくるめられること」という意識」という解釈のように、
二項対立的に認識が構成されているという思い込み、もしくは願望が透けて見えます。私が一貫して問題にしているのは例えば
http://togetter.com/li/266432
ここで述べられているように立ち往生してしまった人びとの現状なんです。

>>12
>がれき受け入れを拒否する人と、野菜の購入を拒否するだけの人とに
どのような差異があると考えるか

いや、私が尋ねたのは、農産物購入拒否と瓦礫受け入れ拒否の判断形成の構造の相違であって、
政治経済的効果の相違ではないんですが、まあいいです。後者に合わせて考えてみましょう。
瓦礫受け入れは民主主義的プロセスを経て審理され、農産物購入は基本的に各消費者の自由です。
この違いを考慮しても、過半数の人間が拒否すればいずれにしても被災者は不利益を被ると思いませんか。
リスクを考慮しての、無知からくる懐疑主義的判断を仮に「差別」として、結果的にはいずれも「差別」になり、
もし差別が容認され得ないのであれば購入拒否もまた容認されないはずです。

したがって、私の倫理観に照らせば外国人入国拒否は批判できないことになりそうです。
しかしこの無知から発生する差別が社会的に容認されるべきか否かの問題はまだ別であって、
私としては法の記すところと憲法の理念に従って行政や司法が適宜介入されるべきと考えます。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板