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優しい衛兵と冷たい王女のようです 番外編 『暁の綾蝶』

41 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 13:51:37 ID:VABT4D4M0
「母さんみたいに、守る場合だけじゃ無い。あいつらを頼る場合も同じだ。
 俺たちと違うルールに従っているあいつらと付き合うには、こつがいるんだ。
 俺たちよりも力があり、命令も聞いてくれるあいつらに、俺たちはいつだって従ってしまう。
 依存していてはだめだ。俺たちには俺たちのルールがあり、規範があり、秩序がある。
 それを無視すれば、価値観は揺らぎ、バランスは崩れ、後には怠惰が待っている」

「そんなのは言いがかりだ」

 クーの声に力がこもった。見下ろした先、モララーはまだ前を見続けている。

「怠惰になるなど誰が決めた。どうしてお前にそんなことがわかる。私は一緒にいたいからオオカミと一緒にいたんだ。
 村を離れ、森で生き延びていたんだ。人を殺したことは確かに悪かっただろう。だけれども、私は彼とともに生きてきたつもりだ」

42 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 13:52:36 ID:VABT4D4M0
「嘘だ」と、モララー。

「なに?」

「でなきゃ回りが見えていないただの馬鹿だ」

「……何が言いたい」

「お前、森の中で生き延びたと言ったよな。じゃあその間、どうやって食べ物を調達したんだ。
 獣でも魚でも、何でもいいから捕まえないと食えないだろ」

 クーは言い返そうとしたが、先にモララーの視線が飛んできて、何も言えなくなった。

43 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 13:53:36 ID:VABT4D4M0
「狼の魔人が捕まえていたんだろう」

 モララーが指摘する。
 クーは多少言いよどみ、それから伏し目がちに答えた。

「私には、爪も牙も無い。餌をとることなどできない」

「本当にそうか?」

 モララーは立ち上がった。クーよりも高い位置から、相貌がのぞいている。クーの息を止めるのに十分な威圧感があった。

「持ち物は勝手に調べされてもらった。危険物でももってもらっちゃこまるからな。
 で、その中にナイフを見つけた。お前のナイフだろう、あれだって立派な武器となる。鹿だっていくらでも捕まえられる」

「そのナイフはただの護身用だ。餌を捕まえたり裁いたりすることはできない」

44 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 13:54:36 ID:VABT4D4M0
「やってみたのかよ」

「……いや。でも」

「言い訳なんか聞いたってしかたない」

 モララーがぴしゃりと音のたちそうな物言いをする。

「捕まえる意思なんてなかったんだ。はじめから、長々と旅することだってイメージなんかできちゃいなかった」

「…………」

45 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 13:55:36 ID:VABT4D4M0
「なあ、クー。お前どうしてムネーメの村を逃げたたんだ」

「逃げてなどいない」

「嘘だ」

「嘘じゃない!」

 今度はクーがしゃがみこむ。

「嘘じゃない、私は、逃げてなど」

 耳をふさぎ、目を閉じ、息を潜めた。
 何も聞きたくなかった。自分に降りかかるあらゆる評価を避けたかった。

46 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 13:56:36 ID:VABT4D4M0
 それでもモララーの声は届いてきた。

「俺はお前を責めたいわけじゃないんだ」

 もしもここで、施設に泊まっていることをやり玉にあげられたら、ますます黙っていただろう、とクーは思った。
 荷物などとっととまとめてまた森へと入るのだ。今度は生きていけるかわからない。ナイフ一本で生きられる世界ではないだろう。
 モララーの言葉が、自分を責めないばかりに、気づいてしまった。
 なるべくなら、行きたくない。そう思っている自分が確かにいることに。

「私は……」

 気づいてしまったら、思考が止まらなかった。

47 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 13:57:38 ID:VABT4D4M0
 自分が逃げている理由を構築していたものがいくつかあった。
 魔人が置かれている環境への哀れみ、傷ついた魔人の保護、村人との対面、ドクオへの反省。それらすべてがはがれ墜ちていく。
 誰かに対する気負いを失っていくと、やがて最後にたどり着くのは、ひたすらに自分についてのことだけだ。

 誰とも打ち解けず、何も話さず、一人で遠くに佇む自分。

「あんなふうに、生きていたくはなかったんだ」

 呟くように、クーは答えた。
 風に頬を撫でられて、そこの一筋がひやりとした。
 自分が泣いていることに、クーは今頃になって気づいた。

48 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 13:59:28 ID:VABT4D4M0
 モララーが短く息を吐いた。

「感情が昂ぶっているうちは、ナイフだろうと、剣だろうと、何を使っても上手く斬れやしない」

 モララーはクーに冷たい視線をぶつけると、そのままそっぽを向いて施設へと草原を下り始めた。
 足は止まろうとしない。刻一刻と彼の姿が遠ざかっていく。

 クーの視界が滲んだ。

 何もできない自分のことを惨めに思うことはこれまでにだって少なからずあった。だけど、これほどまでに胸を打ったのは初めての経験だった。
 普段奥底にしまってある感情を引っ張り出して、表にあふれさせるなど、およそ自分らしくないと思っていた。
 顔が崩れ、目が潤み、嗚咽が漏れていく。その繰り返しが、今のクーにはとてつも辛かった。

「モララー!」

 叫び声が木霊となった。
 振り返るモララーのいぶかしげな表情を見て、クーの迷いは消えた。

49 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:00:26 ID:VABT4D4M0
 草原を蹴り、駆けだしていく。武器は何も無い。拳だけを握りしめてモララーへと飛びかかる。
 とたんに、身をかわされた。クーの拳が宙を泳ぎ、足を払われて転がりこむ。
 口の中で草と土の味がした。無機質で、不味くて、しょっぱい。
 それらをすべて、否応なく噛み締める。

 地面を弾いて身体を浮かせる。辛うじて届いたモララーの足首を無理矢理握りしめた。
 「あ」とモララーがこぼす。

 思いっきり強く足を引き、モララーの身体を地面にたたき込む。間髪入れずにその上に乗る。暴れるモララーを無理矢理押さえつけた。
 肩を握り、足を組んだ。抵抗されて転がり込んで、何度も天地が逆転する。
 引き離されそうなときもあった。罵りの言葉も聞こえてきた。それでも、モララーの襟を握りしめる手は離したくなかった。

50 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:02:28 ID:VABT4D4M0
 彼の上になったところで強引に動きを止めた。足がほつれて自由となる。時間は無い。間髪入れずにクーは叫んだ。

「私を強くしろ」

 叫んだ直後、蹴られると思い、クーは身をこわばらせた。
 ところが、予想に反してモララーはおとなしかった。抵抗せずに、クーを見てくれた。
 そこには嫌悪も、軽蔑も、何もかもが呆然とした様子に取って代わられていた。

 落ち着きを取り戻したクーは、呼吸を整え、もう一度口にした。

「私を強くしてくれ、モララー。私が、自分で生きられるように」

 涙はとうに乾いていた。

51 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:03:47 ID:VABT4D4M0
 それから、鍛錬の日々が始まった。

 クーはモララーから剣の指南を受けた。
 剣を握り、構え、攻め、受け流す。
 一連の絶え間ない連関を意識する術を得るのに、クーの持ち前のセンスは向いていた。

 月日が流れるごとに身体のしなやかさを極めたクーは、そのうちモララーとも張り合えるようになった。
 鍛錬の年数分、モララーの方がまだ数段上手ではあったものの、組み手で見事に勝利を収めることも次第に現れつつあった。

 やがてモララーはクーを本気で相手取るようになった。
 クーの勝率は再びゼロに迫り、剣をはじき飛ばされる回数も増えた。
 しかしその強烈なカウンターは、モララーにも余裕が無くなっていることの証左でもあった。
 クーはめげなかった。およそくよくよするという感情と無縁だった彼女は、鬼気迫る表情でモララーに剣を振るい続けた。

52 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:04:28 ID:VABT4D4M0
 クーは孤児院で、他の子どもたちとともに過ごした。
 保母さんとモララーを含めた数名のスタッフで維持されていた孤児院で、クーは匿われる側であり、同時に子どもたちをあやすお手伝いにもなっていた。
 遊技場に入ると駆け寄ってくる子どもたちに付き合うことは、鍛錬が終わったばかりの身体には応えたが、気を晴らすのにちょうどよかった。

 「姉」と、いつの間にか子どもたちがクーのことを呼ぶようになっていた。
 モララーは「兄」で、だからクーとモララーは兄弟。鍛錬場でやっているのは兄姉喧嘩、そう思われているらしかった。

「お姉ちゃん、次は勝てそう?」

 よく話してくれたのは、孤児院に来たばかりの頃に病室にいた女の子だった。
 ボリュームたっぷりに膨らんだ髪型をした、浅黒い肌の女の子で、自分の指をよく舐める癖があった。
 引っ込み思案で、なかなか他の子どもとも話していないようであり、その姿がどことなく自分を思わせて、クーは積極的にその子と会話してあげていた。

53 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:05:13 ID:VABT4D4M0
「頑張るよ」

 クーは微笑んでそう答えた。
 すると、女の子がやけに顔を明るくさせる。

「最近、お姉ちゃんよく笑うようになった」

 え、とクーは思わず返す。

「そう?」

 女の子はこくりと頷く。

「笑った方がいい顔だよ」

 まるで口説かれているみたいだ、クーは思わず、小さく噴き出してしまった。
 このままではばつがわるいから、きょとんとする女の子の頭を撫でてあげる。

54 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:05:56 ID:VABT4D4M0
 穏やかな時間だった。
 こんな平穏を味わうのはいつぶりだろう。
 感傷に浸っていたクーに、唐突に女の子が声かけた。

「お兄ちゃんも笑えば良いのにね」

「モララー?」と、クーは首をかしげる。「あいつはいつも笑っているじゃ無いか」

 比喩でも誇張でもなく、モララーは常に笑っていた。
 朗らかなときもあれば、嘲りのときもある。締まりがないとも言えるほど、口元が常に緩んでいた。
 そんな印象を持っている者だから、女の子が何を指摘しているのかいまいちぴんと来なかった。

55 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:06:39 ID:VABT4D4M0
 女の子は首を横に振る。

「笑ってるけど、あれは違うの」

 詳しい説明を待っていたが、女の子は何も言ってくれなかった。
 女の子自身、なんと言って良いのかわからないみたいだった。
 結局そのまま、食事に呼ばれ、クーから離れた。

「笑ってないのか」

 一人残されたクーは、笑いの消えたモララーの顔を思い浮かべようとしたが、どうしても上手くいかないでいた。

56 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:07:25 ID:VABT4D4M0
 冬が過ぎ、草花が生い茂り、二度目の夏が盛りとなった頃、クーはモララーの剣をたたき落とすことにとうとう成功した。
 それとほぼ時を同じくして、ラスティア城からの使者がスィオネの街を訪れた。
 尋ね人は、モララーだ。

「街の治安維持に関する貴兄の活躍は我が国の衛兵士官方々も聞き及んでいる。
たびかさなる殊勲を評価し、また今後益々の活躍を期待するにつけ、貴兄を衛兵見習いとして招待する」

 鍛錬の時は終わりを迎えようとしていた。

 モララーは祝われた。衛兵見習いとなることは、遠出であり、また王様のお膝元につけるという意味でめでたいこととされていた。

 孤児院とその関係者たち総出での宴会が連日のように催された。
 とはいえ、もとより懐に余裕の無い人々の集まり。ちり紙で作った花を巻き、手料理を振る舞えばそれは立派な宴会だった。
 彼らはみな、楽しむことに飢えていたようだった。

57 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:08:13 ID:VABT4D4M0
「行ってしまうのか」

 答えが分かりきっていても、クーは訊いた。
 鍛錬が十分だとはまったく思っていなかった。
 それに、モララーとの組み手があるからこそ孤児院に住み着いていた。彼がいなくなるとなれば、また根無し草とならなくてはならない。

 子どもたちや、モララーの母は、クーに優しい言葉を投げかけてくれた。
 表情の乏しい彼女の心情を慮り、残っていてもいいんだよ、と言ってくれさえもした。
 ありがたく思いながらも、クーは首を横に振った。

 悲しいことは悲しいのだ。
 だけれども、自分で生きていくことを決めた身として、いつまでも人を頼り続けるわけにはいかなかった。
 それでも迷いの残滓はまだクーの胸中に燻っている。だから、モララーへの問いかけとなった。

58 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:09:02 ID:VABT4D4M0
「何なら俺と一緒に城下町に来いよ。そしたらまた鍛錬できる」

 その言葉をモララーから聞いたとき、嫌とは明確に言い切れなかった。思わず顔がほころびそうになり、慌てて止めた。
 モララーは笑っていた。
 口元に締まりの無いモララーが何を思っているのか、さっぱりわからなかったし、わかろうとしたところで自分が恥をかくだけだと思えて、そっと答えを保留にした。

 モララーに話されて以来、城下町に行く自分を何度か想像した。
 夢にまで出てきたこともあった。

「参ったものだ」

 布団を跳ね上げて、呟き、頭を掻きむしる。邪魔だとわかりつつ意地でも切らなかった艶やかな黒髪が汗ばんだ指に絡みついた。

 モララーほどではないにしろ、剣の技術が並以上であるという自覚はあった。
 もしも自分が城下町で暮らしたら、そこで道場か何か、この技術を駆使して生きていけるのではないか。
 そうすれば週に一度くらいモララーとあって稽古をつけることもできるのでは。

59 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:09:56 ID:VABT4D4M0
「何を考えているんだ、私は」

 と、布団に潜りながらぼやいた。
 自立すると決めたばかりの心の中に、モララーを潜ませる余地などどこにもないのに。

 それに、自分は何か大切なことを忘れている。
 そんな一抹の不安が胸によぎることもまた事実。

 その不安が現実化したのは、モララーの門出の前日だ。

 街の警備隊からの速報が入った。

スィオネの街の牢獄から脱走した者がいたとの知らせである。

60 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:10:39 ID:VABT4D4M0
「オオカミさんが?」

 警備隊からの知らせを聞き、驚き呟いたクーは、このときモララーと鍛錬をしていた。
 一年前にクーと旅をしていたあのオオカミの魔人は、他の数名の魔人とともに六国から忽然と姿を消していたという。

「モララーさん、あんたも危ないですよ」

 警備隊が口添えをする。

「あの魔人はあんたが捕まえた魔人だ。一年間牢獄の中で暮らしていた、恨みは募るほどあるだろうよ。
 それに、他の魔人の脱獄まで支援している。どいつもこいつもあんたの手柄になった連中だ。裏を返せばみんなあんたを恨んでいる。
 明日は旅立ちだろうに。我々が匿うから、これから隊庁舎の方へ来てもらえないだろうか」

「そんなことをすれば、魔人は街の人を襲うだろうよ」

 鍛錬用の木刀を脇に差し、モララーは警備隊に向き合った。

61 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:11:35 ID:VABT4D4M0
「狙いがついているのならばむしろ好都合だ。俺を街道の中央にたたせろ。そうすればあいつらみんな見えやすいところに集まってくれる」

 警備隊はあんぐりと口を開いた。

「どうしてそんな無茶をするんだ。おとなしく逃げておけば無用な怪我をしなくてすむんだぞ」

「別にいいんだよ、怪我ぐらい。あんたら警備隊が支援してくれれば、最悪深手を負うことはあっても、よもや死ぬことはあるまいさ。
 それに、こういうときのために今まで鍛えていたんだぜ? ここで逃げるなんて、それこそありえねえよ」

 口を釣り上げ笑うモララーの、澄んだ瞳を、クーは黙って見つめていた。

 警備隊が渋々といった表情のまま帰っていった。

62 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:12:22 ID:VABT4D4M0
 閑散とした鍛錬場で、クーは静かに口を動かした。

「お前、昔孤児院に魔人がきたときのことを思い出しているな」

 クーの鋭い指摘の声が、鍛錬場の出口へ向かうモララーの動きをはたと止めた。

「魔人が貴様を恨んでいるのと同じように、貴様も魔人を恨んでいるんだ。そうだろう」

 モララーは振り向きもせずにけらっと笑った。

「それが、どうだっていうんだ」

 クーは顔をしかめる。彼の笑い方が、このときばかりは到底信頼できるものと思えなかった。

63 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:13:12 ID:VABT4D4M0
「感情で剣を振るな、そう言ったのは貴様だったろう。憂さ晴らしに魔人を殺せば倒せるものも倒せなくなる」

「随分と殊勝なことを言うようになったもんだ。だが、いずれにしろ街の人は守らねばならないだろう。いったいどうすればいい」

「私が助ける」

「正気かよ」

 モララーはようやくクーを振り向き、大袈裟なほどに肩をすくめた。

「お前こそ何言ってるんだ。逃げたのはお前と一緒に旅をしていた魔人だぜ。そんな奴を対峙すれば、お前だってまともに剣なんか振れないだろうよ」

「しかし私は、お前を放ってなどいられない」

「知らねえよ」

 モララーの声には明らかに苛立ちが混じっていた。

64 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:14:02 ID:VABT4D4M0
「お前は来るな。足手纏いになるくらいなら、ここでおとなしく待っていろ」

 クーは黙って聞いていた。剣は携えていたものの、その切っ先は決して持ち上げず、脇に携えたままだ。

 モララーのことを睨む。目を泳がせているモララーの頬に、汗が流れ落ちるのまでよく見えた。

「貴様、街道で待ち伏せする気などないのだろう。前からも後ろからも襲われうる場所など、不向きだ」

 クーは一歩前に出る。

「警備隊にまで嘘をついて、そんなことをしてまで、自分の姿を他の人に見られたくないのか。そ
 の普段通りのふざけた笑みをかき消して、感情に――怒りや恨みに身を任せ、剣を振るう醜悪な自分を」

65 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:14:51 ID:VABT4D4M0
「クー!」

 モララーの叫び声がすぐそばで聞こえた。モララーはもう目と鼻の先にいた。

 彼の顔からは、いかなる笑いも見いだせ得なかった。
 クーにしてみれば初めて見る彼の表情であり、またその笑みの奥底に潜んでいることを予感していた寂寞だった。

「お前は来るな」

 クーは睨むことを止めなかった。もう一歩モララーに詰め寄り、その腕を掴もうとした。
 と、そこへモララーが口を開く。

66 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:15:33 ID:VABT4D4M0
「お前だけは、来ないでくれ」

「なっ!」

 クーの腕は袖をかすめた。驚いているうちに、モララーが遠ざかった。
 彼はすぐに出口へと駆けていった。

 クーは無意識のうちに目を見開き、頬に手を当てていた。

「なんてことを言うんだ、貴様は」

 その場に立ち尽くしたクーの頭の中を、モララーの一言がぐるぐると回っていた。

67 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:16:22 ID:VABT4D4M0
 モララーは逃げ続けた。警備隊から、クーから、自分の知り合いから、すべての目をかいくぐり、夕方過ぎにようやく街道へと躍り出た。
 そこから歩いて、街の北の出口に向かう。もうすでに人通りは少なく、黄昏時を過ぎていることもあって視界も不鮮明だ。
 魔人はおおむね夜の視力に自信がある。もしも自分を襲うならば、夜だろう、とモララーは踏んでいた。

 街道は明るいので襲撃を予測しやすい。しかし、クーが指摘したように、待ち伏せには不向きだ。
 モララーは別の選択肢として、出入り口付近の広場を目指した。
 昼間こそ栄えるその一角は、住居が少ないので人もあまり通らない。魔人からしてみれば、塀を乗り越えてすぐのところにある。
 怒りに駆られているのであれば、その軌道を読むことはたやすいと思われた。

 モララーは魔人を一人で迎え撃つ気になっていた。
 無謀な挑戦をするのではない。警備隊から漏れ聞こえた話によれば、逃げた魔人は狼の魔人を含めて三人ほど。
 それだけの人数なら、動きさえ読めれば、あとは剣を振るだけで仕留められるだろう。
 塀を越えてくることさえわかっていれば、薄曇りでぼんやりとしか届かない月明かりの元でさえ、十二分に対処できる。

68 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:17:13 ID:VABT4D4M0
 モララーは自分を鼓舞し、剣の柄を握りしめた。ルビーの宝石を埋め込んだ、マルティアにあるという実の家宝の剣だ。
 自分の故郷がマルティアにあるという話は母から聞かされた。自分の本当の母親が孤児院で亡くなった話も同時に聞かされた。
 モララーは泣いたりしなかった。彼にとって、物心つく前に亡くなった母は知らない人であり、本当の母は孤児院の保母さんでしかなかったからだ。

 この感想を率直に母に話したら、彼女は目を抑えて泣き崩れた。
 幼かったモララーは、狼狽えながら、もう二度とこの話を母に振るのは予想と心に誓った。

 モララーにとっての居場所はスィオネの街の孤児院であり、故郷と呼べる場所はそこ以外にありえず、母と言えばそこで働く保母さん以外にいなかった。

 その母が泣くところを、モララーはもう一度だけ見たとがある。孤児院が魔人に襲撃されたときのことだ。
 孤児院にいた魔人たちが全員エウロパの森へと連行され、孤児院は一気にがらんどうとなった。
 広すぎる遊戯場の中央に立ち尽くしていた母は、上を見上げていた。

「上手くいかないものだね」

 言葉尻が震えていた。平常を保とうと話していることはモララーにもよくわかった。だから、何も指摘しないでおいてあげた。

69 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:18:02 ID:VABT4D4M0
 魔人が格別悪い人ばかりでないことをモララーはよく知っていた。
 孤児院にいた魔人と一緒に遊んだり騒いだりしていたので、その記憶は確かにある。
 しかし同時に、孤児院を襲った魔人たちのこともモララーの記憶に強く焼き付いている。

 彼らが自分たちの居場所を蹂躙していく様は、忘れたくても忘れられない。
 魔人が本気になれば人間の積み上げたものを壊してしまうことくらい造作もないのだ。

 人間と魔人は本質的に別の生き物だ。
 だから、関わりはあくまでも峻別されなくてはいけない。
 人間を害するような魔人は、必ず罰しなければならない。

 モララーが抱いたこの価値観は、今をもってしても変わることなく生きている。

70 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:18:52 ID:VABT4D4M0
 街の入り口には警備隊が何人かいた。彼らとて無能ではない。魔人が来る場所と考えれば塀からの進入は当たり前のルートだ。
 モララーは居酒屋の脇道に置かれた酒樽の奥に身を隠して様子を伺った。
 警備隊が両手で数えきれるほどの人数しかいない。他の出入り口もあるから、そちらの警備についているのだろう。

 北の出入り口に張り込んでいるのは、以前エウロパから使者が来たときにつかったルートだったからだ。
 エウロパの森はスィオネの街の北西にあるから、その過程で北の入り口を使ったのだろうと察しがつく。
 今回は筆頭が狼であり、彼らの潜めそうな場所は北と南の森しかない。
 もしも彼らが自分を襲った後にエウロパへと向かうと想定すれば、北の森が一番スムーズだ。ここまで推測して、モララーは北の入り口にヤマを張った。

 もちろん他の場所から侵入したとの情報があれば速やかにそちらへ向かう心づもりでいた。

 そして幸いなことに、その心配は杞憂に終わった。

71 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:19:55 ID:VABT4D4M0
 まず異変に気づいたのは警備隊の一人だ。塀の頂上をめがけて指を差し、わめいている。

「来たぞ」

 その声を聞いたとき、ようやくモララーも相手の姿をとらえられた。
 塀の上に上ったところに、赤い目を光らせた何者かがたっている。魔人の誰かなのだろう。

 その赤い目の両脇にまた別の光が現れて、警備兵たちが騒然となる。二人増えた。
 脱獄したのは三人だから、数の上では問題がないはずだ。それなのにおびえているとは、警備兵はよほど魔人とあたることをいやがっていたに違いなかった。

 歩み出ようとしたモララーの動きが、止まる。

72 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:20:45 ID:VABT4D4M0
「あれ」

 目の光が、さらに増えていた。
 四人目、五人目。目をこらせば六人目がいるようにも見える。

 警備兵が悲鳴を上げた。

「撤退だ」

 早計すぎる気もするが、警備兵たちが一目散に逃げていく。

 モララーは堂々と表に出て、広場から塀を見上げた。
 赤い目はすでに十人を数えている。

「森で仲間を呼んだのか」

73 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:21:26 ID:VABT4D4M0
 言うと同時に、モララーの心臓が跳ねた。
 剣を握る手に血が通っているのがわかる。
 モララーは少しだけ目を伏せ、口元を大きく釣り上げた。

「そっか、仲間か」

 あいた口が、思い切りよく、噛み締められる。
 一挙に抜いた剣は、月光を照らして銀と赤にきらめいた。

「知らねえよ」

 モララーの雄叫びは、塀の上縁に並んだ十数名の赤い光をどよめかせた。

74 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:22:19 ID:VABT4D4M0
 戦いの最中、モララーの剣はよどみなく振るわれ続けた。
 魔人が全員降りてきて、モララーを囲んでからも、その勢いは衰えなかった。薄明かりのもとで景色を把握する術を心得ていた。
 魔人のにおいや足音を見分ける音も知り尽くしていた。

 迷いのない太刀筋は、すべて今まで学んだことをよりどころにしていた。
 魔人たちが怯んでいるのがモララーにはわかっていた。集団でかかれば勝てると思っていたことが見て取れる。
 そのおびえが、モララーには愉快で、同時に腹立たしかった。

 半月を描き続ける刀身が、何人もの魔人を切り裂いていく。鮮血がほとばしり、モララーにも降りかかる。
 血液の一滴が眼球を濡らし、思わずモララーは目を瞑った。
 その瞬間を逃さず、魔人の一人が鋭い爪を突き立ててくる。一方のモララーは、身を翻してこれを交わした。
 あっけにとられた、という意味での唸りが聞こえる。

 勢いにのったモララーの剣が、その魔人の喉元へと突き刺さる。噴き出す赤を、拭った片目で見やった。
 広場には、他にもすでに倒れ臥した者たちがいる。
 魔人たちが、モララーから距離を置いた。数メートル離れた位置から、姿勢を傾けて吠え声を浴びせかける。
 恨み、恐怖、怒り、あらゆる感情がない交ぜになった、もの悲しく、荒々しい声。

75 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:23:05 ID:VABT4D4M0
 モララーはすべて聞いていた。
 何もかもを聞いた上で、昔のことを思い出した。
 使者が孤児院をやってきたとき、泣き叫んでいた子どもの魔人たちのことを。
 あのときの彼らも、まったく似たような声を出していたことを。

 モララーは息を吸い込み、それから思いっきり強く、吠えた。
 その場のどの魔人よりも大きく猛々しい吠え声に、場の空気が一掃される。
 モララーは剣を構え、魔人の集団へと距離を詰めた。
 「ぎいっ」と短い声がする。魔人の一人が、またひとつ命を落とした。

 こいつらは敵だ。だから、斬らなければならない。
 モララーは再び身をかがめ、魔人たちの様子をうかがった。

76 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:24:09 ID:VABT4D4M0
 そこで、ふと異変に気づいた。
 魔人たちが、武器である爪を下ろしている。

 戦意喪失したのだろうか。
 そう考えた矢先、一陣の風が耳をついた。

 草を踏み分ける音。
 モララーは咄嗟に身を翻し、剣を構えた。

 爪がすぐ目の前まで伸びてくる。
 魔人が背後から襲ってきた。気づいたところで、指の股に挟まった刀身はなかなか抜けない。
 焦っているうちに、相手の姿が見えた。

「お前、クーの」

77 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:24:53 ID:VABT4D4M0
 オオカミさん、と彼女が呼んでいた魔人が、モララーを見て牙をむき出しにしている。
 突き出た大きな口が開き、モララーに咆哮する。唾液が数滴顔に飛びかかる。

 剣を動かそうとするも、やはり逃れられない。
 指ががっちりと刀身を押さえつけている。運の悪いことをした。

 オオカミは顔を引っ込めた。もう片方の腕が、持ち上がり、爪を月光のもとに晒す。
 薄汚れた白い輝きが、モララーの方へと向く。

「させるかっ」

78 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:25:46 ID:VABT4D4M0
 モララーは短く吐き、手を離して身を引いた。
 オオカミの爪が空を切り、広場の芝生の頭を撫でる。
 モララーは腰を低くして、転がるのを防いだ。

 剣はいまだ、オオカミの手に刺さっている。
 低い唸りをともなって、オオカミはその剣の先に触れようとした。

「折るな!」

 モララーが絶叫する。

「それに手を出すな。俺を殺したいなら、剣は放って俺だけを襲え」

79 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:26:38 ID:VABT4D4M0
 モララーの睨みつけた先で、オオカミが呆然と立ち尽くす。
 刀身に伸びていた爪が、ゆっくりと動き、柄を握る。
 血の噴き出す音がした。魔人の手から、剣が離れ、傷口から鮮血が零れる。

 モララーの剣は、オオカミの背後に投げ捨てられた。地面に落ち、からんと音を立ててそのまま横たわる。

 モララーはため息を吐いた。

「ありがとよ」

 そう言って、構えを変える。

80 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:27:26 ID:VABT4D4M0
 剣を失ったにしろ、できることがないわけでもない。
 二足歩行をする魔人の重心は人間と似通っている。力ではかなわなくとも、柔術で対抗することはできる。

 理論ではイメージできていた。
 が、実践するとなることにつき、モララーの冷や汗は止まらなかった。

 逃げてもいいのだ。このまま逃げても、誰も俺を責めないだろう。
 でも、それでは、あのとき孤児院で泣いていた母に、魔人の子どもたちに、何の顔向けもできない。

 何のために強くなったのか、わからないじゃないか。

 モララーは拳を握りしめた。

81 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:28:17 ID:VABT4D4M0
 対するオオカミは、身を低くして、手を上と下に構えている。
 爪はすべてモララーに向いている。

 かいくぐれる量じゃない。剣を取り戻さない限り、勝ち目など無い。
 モララーは息を吸い込み、敵の爪に神経を集中させる。
 動きを読めば、とその一念だけを抱いて。

 と、そのとき。

「えっ」

82 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:29:07 ID:VABT4D4M0
 風の音を聞いた。

 ついさっき似たような音を聞いたような。

 閃きが、おぞましい想像に変わる。
 まさか、他の魔人が?
 身体を反転させる。

 悲鳴が聞こえた。

 何が起こったのか、咄嗟には把握できなかった。
 光景は段階的に認識される。
 月明かりに輝く、自分に向かって伸びた白い爪。
 倒れ込む魔人の一人。やはり自分を狙っていたのだろう。

 そして、その上に覆い被さるように、長い黒髪がはためいている。

83 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:30:05 ID:VABT4D4M0
「無事か、モララー!」

「クー!?」

 聞き覚えのあるその声は、顔を見ない限りとうてい信じられなかった。

「どうしてお前、ここに」

「昼間言ったとおりのことをしたまでだ」

「来るなって言っただろ」

「私は何とも答えちゃいない。聞く前に、貴様がかっこつけて勝手に出て行ったからな」

 クーはそう言い、鼻で笑った。

84 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:30:56 ID:VABT4D4M0
 モララーは唖然とした口をどうにか閉じ、訝しげに彼女を見やる。

「いいのかよ、あいつはお前の」

「わかってる」

 言葉を断ち切って、クーは腰に両手を添える。

「わかってたうえで、来たんだ。それで十分だろう。貴様が何と言おうと、私は貴様を援護する」

 抜き取られたのは、刀身の短い双剣。

「剣を拾いに行け。ここは私が食い止める」

 モララーが言葉をいいかけるのを、無視して、クーは駆けだした。

85 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:31:38 ID:VABT4D4M0
 双剣の切っ先がオオカミへと向かう。
 見たことのある顔、見たことのある身体、見たことのある爪と牙。そのすべてを見据え、剣の構えを調整する。
 オオカミは吠えている。攻撃する腹づもりらしい。

 そうだとも、思いっきりやってくれ。その方が、迷わなくて済む。
 心の中で呟いて、草原を蹴り、跳躍する。

 加速度的に狭まる距離の先、オオカミさんの爪めがけて剣を振るう。
 金属のぶつかりあうような、強く澄んだ音が響く。衝撃を受けた爪にヒビが入るのを確かにクーは見届けた。
 着地して、間合いを取る。双剣の幅を広く取り、オオカミの顔を睨みつける。

「オオカミさん、悪いが私は、貴様を倒す」
 強く地面を蹴りつけて、クーは再び敵へと駆けた。

86 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:32:25 ID:VABT4D4M0
 迷いが無い、などと言えば嘘になる。
 クーだって、できたらもうオオカミには触れたくなかった。
 何もできなかった頃の自分と一緒に、彼との思い出を捨ててしまうつもりでいた。

 その彼がモララーを襲うと知ったとき、クーは呆然とした。
 思い抱いていた迷いが引き合いに出され、その存在感にうちひしがれた。
 それから、自分が何をするべきか決めなければならないことを悟った。
 その結果、今彼女はオオカミに向かい剣を振っている。

 二つの腕をかいくぐり、爪をより分け、その先の身体めがけて白銀の刀身を突き立てている。
 俊敏な動きのオオカミはなかなか捕らえられてくれない。あと一歩のところで身を引かれ、剣は空を切る。二つの剣を振り回したところで状況は好転しない。クーもまた身を引き、体勢を立て直す。

87 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:33:17 ID:VABT4D4M0
 目の前にいるオオカミは、自分を救ってくれたオオカミだ。
 ムネーメの町から逃げ続けていた自分に食料を分け与え、野生の獣から守ってくれた強靱さだ。
 それに立ち向かわなければならない自分は、恩知らずで、薄情者だ。
 だけど、とクーは心で反駁する。

 オオカミにも恩はあるが、モララーにも恩がある。
 孤児院で匿ってもらったのも、鍛錬をつけてくれたのも、自立するきっかけをくれたのも、すべてモララーのおかげだった。
 彼を裏切ることは、どうしてもできはしない。

 そうして自分は板挟みになった。どちらかを向けば、どちらかに背を向けることになる。恩がある限り、自分は何もできなくなる。

 それならば、どうしたら。

88 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:34:05 ID:VABT4D4M0
 クーは連撃を止めた。

 オオカミの足下がよろめくのが見えた。
 太刀筋のいくつかが彼の身体に幾筋かの傷を負わせている。

 自分の攻撃が通っている。

 驚きは、少なからずあった。鍛錬の成果が、目に見える形で現れている。そのことに胸が高鳴り、そして同時に胸が痛んだ。

 だけど、止まってはいられない。
 クーは再び身をかがめる。

89 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:34:56 ID:VABT4D4M0
 双剣という武器は特殊だ。まっすぐに構えるとバランスが悪くなる。
 思い切り振りかざすには、半身になり、上方に弧を描かなければならない。
 攻撃に一手間かかる分、行動は遅くなりがちであり、奇抜ではあるものの、相手が慣れてくるとその目新しさの価値も下がる。

 真価は防御にあると言えた。オオカミが絶え間なく両の手の爪を振りかざしてきても、クーも両の手でそのカバーができる。
 受け流して、攻撃への流れもスムーズに運び出せる。

「守ることさえ覚えたら、足手纏いにはならない」

 そう言って、双剣を勧めてくれたのもモララーだった。

 オオカミの爪をかいくぐり、再び距離を開けた。
 敵の傷が増えている。それを確認し、達成感に、クーの頬は上気した。

90 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:35:46 ID:VABT4D4M0
 と、そのとき、視界の前を何かが流れ落ちた。
 二筋ほどの黒髪。
 思わず自分の横髪に触れる。

「油断はできない、か」

 クーは息を短く吐き、一旦目を閉じ、また開いた。
 鮮明になった視界の先で、オオカミもまた身をかがめている。攻撃をする気が伝わってくる。
 こんなに好戦的だっただろうか。疑問が浮かぶも、確かめる術はない、いやむしろ、今ここにしかない。

 クーは腰を低くする。

「いくぞ」

91 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:36:36 ID:VABT4D4M0
 一言告げた、言葉が聞こえたのか、オオカミもまた吠え声を出す。
 走り出し、回転の勢いで短剣が振り下ろされる。
 オオカミの爪がそれを弾き、クーの顔めがけて突き立てられる。
 クーの片手の剣がそれを防ぎ、身をかがめ、かけ声とともに蹴りを繰り出す。

 オオカミが呻いている。
 と、同時に、違和感があった。

「笑った?」

 顔を向ける前に次の爪が伸びてきていた。
 身体を引き、また距離を置く。

 オオカミの顔は宵闇に紛れ、赤い瞳の輝きだけが辛うじて視認できた。

92 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:37:55 ID:VABT4D4M0
 剣を拾ったモララーに、立て続けに二人の魔人が飛びかかってきていた。
 体勢の整っていなかったモララーは、無理矢理剣を振るい、二人を組み伏せる。

 魔人が狙っているのはモララー、攻撃が集中するのも当然と言えば当然だった。

「くそ、クーのとこ、行かなきゃなのによ」

 信頼していないわけではない。
 だが、相手がクーの知っている魔人であることが、ずっとモララーには気になっていた。

 気持ちが乱れれば剣は乱れる。
 クーは気丈だ。この広場に来たということは覚悟だってできているのだろう。
 でも何が感情の揺れる引き金になるかは誰にだってわからない。

93名も無きAAのようです:2015/07/20(月) 14:38:08 ID:wgEta2/s0
しえん

94 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:38:45 ID:VABT4D4M0
 魔人の牙をかわし、その腹に剣の柄を打ち込んで、振り向いた。
 次の魔人が遠くに見える。そいつが来る前に、ほんのわずかだがクーの様子がうかがえた。
 クーが立ち、オオカミが座り込んでいる。

「やったのか」

 歓喜で手を上げそうになる。
 が、どうも様子がおかしい。

「クー?」

 問いかける間に、もう次の魔人がやってきている。攻撃を躱し、剣を振る。

 クーの姿は見えなくなった。
 モララーの胸がざわつく。
 速くこの場を切り抜けて、助けに言ってやらねえと。
 嫌な予感が、モララーの頬に汗を滴らせた。

95 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:39:39 ID:VABT4D4M0
 クーの剣がオオカミの爪を三本はじき飛ばしたところで、組み手に区切りがついた。
 魔人が尻餅をつき、その顔目がけてクーが剣の切っ先を向けた。

 荒い呼吸に肩を上下させながら、クーはまっすぐオオカミを見下ろした。
 オオカミは自分の腕を確かめている。
 もうそこには爪が無い。武器を無くした彼の腕は、頼りないほどに丸まっていた。
 当惑した表情が、揺れ動き、それからクーを見上げていた。

「貴様の負けだ、オオカミさん」

 クーが静かに宣告した。もしもこれで逆上でもしようものならその隙が付けたが、あいにくオオカミは何もしないで、呆然とクーを見上げていた。

96 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:40:43 ID:VABT4D4M0
 飛ばされた爪のうち、実は一本がオオカミの身体のすぐ後ろにある。
 取ろうとすれば、オオカミに武器が手に入るが、同時にクーに背を向けることになる。
 もしそちらに気が向けば、容赦なく切り捨てる、クーはそのつもりでいた。

 オオカミは、まだうごかない。

 あと10秒経ったら脚の腱を斬ろう。
 そうすれば、死なないまでも、動けなくなる。
 また牢屋に行ってしまえば、もう会わなくて済むだろう。

 クーはそこまで考えて、心のうちでカウントを始めた。

 9秒、8秒、7秒、6秒。

97 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:41:38 ID:VABT4D4M0
 夜の静けさに、遠くでモララーの取っ組み合いの音が聞こえる。
 彼は魔人を倒した私をどう思うだろうか。
 倒せると、思ってなかったかもしれない。
 彼のことだ、私を助けようとしているに違いない。

 5秒、4秒。

 だいたい彼はいつだって私を舐めているのだ。
 自分が教える立場だからっていい気になっている。
 私だって成長しているということを、しっかりその目に焼き付けてもらおう。

 3秒、2秒。

98 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:42:27 ID:VABT4D4M0
 私は強くなったんだ。
 守ってばかりでいた自分から、変わって、もう一人で歩ける。
 旅立つ彼に、そのことを伝えよう。

 驚いてくれ。
 笑ってくれ。
 そうすれば、私もここを出て行ける。

そして私は、私は。

 ――あれ?

 1秒。

99 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:43:31 ID:VABT4D4M0
「君は」

 声がする。

「そんなに強くなったんだね」

 微笑んだオオカミが、身を翻らせた。
 咄嗟のことにクーの反応は遅れた。

 彼の腕が、背後に伸び、地面に落ちてた爪の破片を拾う。
 クーは飛びかかろうと構える。剣をを構え、つきたて、彼の得物をたたき落そうと狙いを定める。

100 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:44:13 ID:VABT4D4M0
 そのとき、今一度オオカミがクーを振り向いた。

 笑っている。

 怖気を感じるクーの前で、オオカミはその顔のまま、爪の破片を彼の喉に突き立てた。

 何かの破裂する音。
 クーの視界が真っ赤に染まる。
 温もりが顔に降りかかり、むせるような生命のにおいが鼻をつき、鉄の味が口を満たした。

 思い出した。
 強烈に思い出してしまった。
 ずっと昔、今と同じように鮮血を浴びたことを。
 そのとき自分が何を考えていたかを。

101 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:45:02 ID:VABT4D4M0
 魔人が人を襲うのは、人のことを知らないからだ。
 だから私は、魔人に人のことを知ってもらおうとした。
 オオカミと一緒に行動し、街を見て、少しずつ慣らしてあげようと。

 そしてゆくゆくは、魔人を守ってあげようと思って。

 振動が喉をこみ上げてきた。

「オオカミさん!」

 咳き込みながら叫んだ先に、もうあのオオカミの顔は無い。

102 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:45:51 ID:VABT4D4M0
 彼は倒れ臥していた。
 首元が血で染まり、止めどなく草原に流れ落ちている。

 クーは彼の横に駆け寄り、その肩を自らに寄せた。

「オオカミさん! なんで、どうして」

 自分の首を、と言おうとして、舌が回らなかった。
 水分が急になくなっていった。
 干上がった下が口腔に張り付いた。

 別の目的ができたからだ。
 クーは誰にでもなく胸中で叫ぶ。

 強くなること、それに、夢中になりすぎていた。
 かつて浴びたのは、一番の親友の血だったのに。
 そんなことまで、忘れるつもりはなかったのに。

103 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:46:42 ID:VABT4D4M0
 毛むくじゃらの顔を引き寄せる。体温がすでに下がりつつある。クーの膝もすぐに赤くなる。

 オオカミは目を覚まさない。口も開かず、穏やかそうな顔のまま、何を言っても動いてくれない。
 もっと引き寄せようとしたら、傷口から血の泡が膨らんだ。皮膚の破れる音がする。織物のようだ。

 寒気がした。喉元にまでこみ上げてくるのを必死で耐えていたら、そのうち視界が滲んだ。
 人がものになっていく姿が、ぼやけて霞む。何も見えない。
 オオカミの存在はもう、腕に当たる冷たく固い体毛にしか認められなくなっていた。

 堪らずに目を閉じたら、オオカミの笑顔が嫌でも浮かんだ。
 戦いの最中に浮かんでいたあの奇妙な屈託のなさは、純粋に楽しんでいるものの瞳だとようやくわかった。

 オオカミは楽しんでいたんだ。戦うことが好きだったんだ。
 もっと早くに、そのことに気づいていてあげたなら。

104 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:47:23 ID:VABT4D4M0
「クー!」

 モララーの声がした。駆けてくる足音がする。
 瞼を開いて、クーは立ち上がった。視線はまだオオカミに向いているから、真下を向いたままになる。

 モララーがそばに立つのがわかった。

「クー、お前……オオカミを」

 モララーが言い終わる前に、クーは首を横に振った。
 自分が倒したわけではない、そう叫ぼうとして、言葉にならなくて、仕方なくうえを見上げた。
 足下の血だまりとうって変わって、雲の蔓延る紺色の空のどこにも赤い色はない。
 体温を感じさせない虚空が果てなく広がるばかりであり、見つめていると、クーの呼吸は次第に落ち着いてきた。

105 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:48:12 ID:VABT4D4M0
「モララー」

 上を見たまま、クーが言う。

「私はもう、魔人を斬りたくない」

 クーの全身は、深い赤の、獣の返り血に染まっていた。

「クー」

 モララーが声をかけるも、それに対する反応はない。
 クーは放心したように、その場に立ちすくんでいた。

 生ぬるい夜風が、充満する血のにおいが、二人を包み、離そうとしなかった。

106 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:49:12 ID:VABT4D4M0
 脱獄した魔人の討伐はこれで終わった。

 モララーはすべての魔人を斬り伏せていた。
 彼らは全員再び牢獄に送られ、自害したオオカミは警備隊に引き取られることとなった。

 クーはモララーの手を引かれて孤児院へと帰った。
 道を歩く途中、二人の間に会話はなく、ただ淡々と夜道を行く足音だけが響いていた。

 翌日、モララーは孤児院のみなに見送られ、ラスティア城下町へと出発した。

 その日の午後に、クーは忽然と姿を消した。
 あの武器の双剣と、わずかばかりの私物以外のすべて残して。


 それから、月日が流れた。

107 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:49:58 ID:VABT4D4M0
 303年9月

「以上の殊勲を理由として、諸君をラスティア城の衛兵見習いとして招き入れるする次第である」

 厳かなかけ声が、ラスティア城衛兵隊の隊長より申し渡される。
 お城の大講堂をお借りしての正式な任命だ。
 他の衛兵たちが出席するだけの式では会ったものの、広い場所まであてがわれているのは、このたび中途採用される人材たちの全員がラスティアの地方都市で独自の殊勲を得た精鋭であり、将来の出世が約束されていたからだ。

 時は国王ショボンの治世。ラスティア城下町には厳格な魔人忌避条例が敷かれていた。
 この条例が緩和されるのにはあと三年の月日を要する。モララーが衛兵となり、デレがモララーを認識するまで、あと二年半。

 ラスティア城下町は、積乱雲を遠くに臨む残暑の青空の下にあった。

108 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:50:43 ID:VABT4D4M0
「暑い……」

 と、式が終わるやいなや真っ先に城から出たものがいた。
 痩せ細った身体に青白い顔。不健康そうな見た目とは裏腹に、元いた牧草地帯では羊を襲う魔人を討伐することを毎日の日課とし、村の産業保護に多大な貢献をしていたという。

「ドクオー」

 街道へ出て早々に、彼にかかる声が一人分。短めのブロンドの髪をぼさぼさに跳ね上げた小柄で華奢な少女を相手に、ドクオは気怠げに手を振り声を返した。

「シュールか、こんなところで何をしているんだ」

109 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:51:42 ID:VABT4D4M0
「ヒートがまた今日も盗賊をやってる」

 シュールが答えると、ドクオは深く重たいため息をついた。

「どうしてそうなるんだ。俺がこっちに来る前に足を洗ってまともな仕事を始めるんじゃなかったのか」

「それはきっと、足を洗えなかったんだと思うな」

 シュールが腰に手を据えて堂々と言う。
 ドクオは今一度ため息を、先ほどよりもさらに深くついた。

110 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:52:31 ID:VABT4D4M0
「面倒ごと起こす前に取っ捕まえるぞ。どっちの方だ」

「言ったってわからんだろう。あたりはつけてるから着いてこい」

「知ってるならお前、止めろよ」

「あっしがヒートを止められるわけないだろ。ドクオだって知っているだろうに」

 先ほどから名前のあがる、このヒートという人物は、ドクオのよく知る友の妹であり、シュールにとっては友達である。
 衛兵見習いとしてドクオが城下町に招聘される数ヶ月前より、仕事探しでラスティア城下町へと引っ越し、もって生まれた足腰と発明力で盗賊まがいの行いを繰り返している変わり者だ。
 下手な評判が着く前に止めたかったドクオだが、どうにもその想いが通じず、今の今まで悪行を繰り返している。

111 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:53:15 ID:VABT4D4M0
「もっと何か別のことに精を出させてやらないとな」

 シュールにつれられて、石畳の上を走りながら、ドクオがぼやいた。

「何かってなんだい」

「さあ。どこかにもっと真っ当な何かがあればいいんだろうけど」

「ふむ……真っ当は嫌いそうだ」

 シュールが次の道を指示しながら口にする。

112 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:54:05 ID:VABT4D4M0
「とりあえず人の下につくようなタイプじゃないな」

「じゃあ自営業」

「仕事もいいが、民間団体という手もある。奉仕活動とか」

「合わないだろう」

「合わないよなあ」

 青果通りを駆け抜けて、重厚な建物の聳える繁華街へと進んでいく。
 ラスティア屈指の石造りの建物が目立つ一角だ。

「こりゃ、骨だな」

 街をゆく人の群れを見ながら、ドクオが顔を引きつらせた。

113 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:54:54 ID:VABT4D4M0
「でもヒートはこういうところ好きだな、絶対」

 シュールはびしっと親指を立てた。
 つまり彼女の言っていた心当たりとは、この繁華街のどこかというのだろう。狭まりそうも無い要件だ。

「もうちょっとどうにかならないのかよ」

「いや、ムリだ。どうせ走りながら盗んでいるんだろう」

「だったらせめて、格好とか」

 ドクオが続きを言おうとしたが、唐突な悲鳴がそれを途切れさせる。
 ドクオとシュールは顔を見合わせた。

「言ってみるぞ」

「合点」

 悲鳴は繁華街の遙か向こう側、石柱の並ぶ図書館付近から上がっていた。

114 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:55:44 ID:VABT4D4M0
「くそう、大声出しやがって」

 ヒートは焦っていた。
 走っても走っても、頭の中で悲鳴が木霊する。

 失敗したなと思ったところはあった。
 手を伸ばすタイミングも悪かったし、緩そうに見えて実はガードが堅い鞄の蓋にも気づいていた。
 でも、あれほど思い切りよく声をあげられるということが一番の誤算だった。

 逃げ出したのは路地の裏。レンガ造りの壁の裏側を駆け、跳び去っていく。
 出口はいくつか見えたが、どれもこれも繁華街から抜けられそうにない。騒ぎが大きいならば人前に姿を出すのは危険だろう。

 さてどうしようかと思案していると、ひとつの出口に人影が見えた。

115 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 14:56:44 ID:VABT4D4M0
「ん?」

 立ち止まって目をこらす。
 逆光になってよく見えないが、何か棒のようなものを持っているように見えた。
 それを手前に掲げ、やや低く腰をかがめる。
 そして、ヒートに向かって走ってきた。

「わ、わわわ、はやっ」

 油断していた。自分の追っ手だという可能性を全く考えていなかったわけではないのに、警戒心が薄くなっていた。
 元来た道を戻り、通らなかった道を折れた。足音が聞こえたら、壁と飛び越え屋上に上った。

116 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:04:40 ID:VABT4D4M0
 いくら素早いとはいえ、特殊な装備でもない限り上れないだろう。
 笑みを浮かべるヒートの顔のそばを、何かがかすめて飛んでいった。

「ん? ボール?」

 なんて言っている間に、今度は足下に何かが飛んでくる。
 どうやら、下から何かが投げ込まれているらしい。
 あっけにとられて眺めていると、ボールが開いて、液が弾け、その場に広がって固まった。

「これまずいやつ!」
 叫ぶとのほとんど同じタイミングで、次々とボールが送られてくる。

「ちょ、ちょっと!」

 慌てて駆け下りる路地裏のひとつ。道の上に人は見えない。

117 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:05:32 ID:VABT4D4M0
「やりい!」

 着地して、それから走り出そうとする。
 が、そこへ首筋に何が触れる。

「ひっ!?」

 急ブレーキを踏んだ。喉のところに光が見えた。銀に煌めいているのは銀。
 もう一歩進んでいたら、とヒートは考えて、一人背中を震わせる。

「お前か、盗賊ってのは」

 ヒートの背後から声がする。暗殺術でも身につけているのか、ヒートはまるで気配を感じなかった。

118 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:06:22 ID:VABT4D4M0
「だ、だれだよ!」

「泥棒に名乗ったって仕方ねえよ」

 剣の柄が握り直され、刀身が脇に、柄がヒートの前にくる。

「さあ、おとなしくしてろよな。衛兵のとこまで連れて行くから」

 男がそう言って、ヒートの腕を掴む。
 抵抗はなかった。観念したのかと思い、力を込める。
 だけど、ヒートはどういうわけか動かなかった。

119 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:07:12 ID:VABT4D4M0
「これ」

 ヒートの視線は、自分の前にある柄に添えられた金属プレートに向いていた。
 カエルが三匹、そこにいる。

「ああ、それは」

 と、男が答えようとするのを遮り、ヒートが呟く。

「『三匹のカエル』?」

「え?」

「ねえ、どうしてこのお話、知ってるの?」

120 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:08:02 ID:VABT4D4M0
 男の腕の中で、ヒートが器用に後ろを振り向いた。
 文字通り目と鼻の先に顔が現われ、男が動揺して数歩引く。
 暑い陽光の下に、彼の身体が露わとなる。栗毛の髪の下で、目を見開いてきょとんとしている。

「どうしてって、なんだよ」

「それ、あたしのお姉ちゃんのお話だもの。お姉ちゃんと会ったの?」

「お、おい詰め寄るなって」

 制止の声も聞かず、ヒートの手が男の襟を掴む。まだ新品そうなプールポアンが引き延ばされていく。

「どこで? いつ? お姉ちゃん生きてるの!?」

「お姉ちゃんったって名前わからんし、お前も知らん! というか離せ、息苦しい!」

121 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:08:52 ID:VABT4D4M0
「あ、ごめん」

 手放すと、男はあっけなくバランスを崩して尻餅をつく。

「急に離すな!」

「言われたとおりしたんだよ」

「融通の利かないやつだな」

 襟元をただして男が呻く。

122 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:09:40 ID:VABT4D4M0
 ヒートは一頻り頭を下げて、すぐに「でさ」と話を始めた。

「あたしの姉、クーって言うんだ。知ってる?」

「クー!?」

 今度は男がヒートに詰め寄り、その肩を思い切り強く掴んだ。「ぎゃーっ」とヒートが叫ぶが、男の力は弱まらない。

「な、なんだよ離せよ衛兵呼ぶぞ!」

「お前、クーを知ってるのか?」

「知ってるもなにも、お姉ちゃんだって言ってるだろ」

123 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:10:31 ID:VABT4D4M0
「妹、いたのかよ」

 男はは一人呟いて、ヒートから手を離し、視線をそらした。
 遠いところを見る視線が空の彼方へと伸びていく。

 ヒートはまだ訝しげに男を見ていた。

「それじゃ、会ったんだね」

「ああ。知ってる」

「それなら教えてよ。お姉ちゃんのこと。ていうか、あんた名前なんなのさ」

「モララー」

 このとき以来、モララーとヒート、そしてドクオやシュールは、長いつきあいとなる。
 酒場『三匹のカエル』を拠点とした、魔人レジスタンスのラスティア城下町支部のメンバーとして。
 もっともこのときのヒートも、モララーも、そんなことはつゆ知らず、二人してひたすらにクーの所在を知りたがっているだけであった。

124 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:11:23 ID:VABT4D4M0

時は更に流れる。


308年12月


 テーベ国、アイトネ山脈、裾野の森。

 炎に包まれたこの場所で、クーは仮面を被っていた。
 向かい合うのは、倒さなければならない相手。

 自分の境遇の不憫さに、クーは笑いたくなっていた。
 何をするにも、どうしてでも、昔の自分が今の自分を縛り付ける。
 皮肉に満ちた運命だ。私は神様とやらに嫌われているに違いない。
 とはいえ、逃げるわけにも行かない。

125 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:12:11 ID:VABT4D4M0
 自分には責任がある。もう、逃げることなど許されない。

 再び双剣を構えようと、腕に力を込めたとき。

「やるじゃねえか」

 相手がおもむろに口を開いた。

 仮面の中で息をのみ、クーは相手の顔を見据える。

 炎に照らされ、赤く揺らめくその顔は、笑っているようだった。

126 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:13:02 ID:VABT4D4M0
「俺だってそれなりに技術はある。だからわかる。お前の技は見事だ。軍隊にも所属せず、独学で身につけたというなら、相当のセンスだ」

 クーは、仮面の奥で目を見開いていた。そんなことを言われるなんて思ってもみなくて、胸多くが熱くなるのを感じた。

 鍛錬をしたのはもうずっと前のことだ。スィオネの街を出発してから、魔人を助けるために奔走した。
 その間ひたすら逃げ、時として戦い、そしてトレーニングも欠かさなかった。遙か昔の鍛錬が、今も習慣としてクーに残っていた。

 その成果が、今、対峙する相手に認められた。

「傭兵にでもなれば、さぞや活躍したことだろう」

 相手はそこで呼吸を置き、「どうだ」と続けた。

「いっそのこと、本当に志願したらどうだ。俺と一緒に戦ってみないか」

127 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:13:51 ID:VABT4D4M0
 呆然、唖然、驚き、そのどれとも違う、どれよりも強い衝撃が、クーにもたらされていた。
 自分は強くなった。鍛錬を続け、剣の技術を磨き、今やこの相手に褒められるまでに成長した。
 あげく、一緒に戦いたいとまで言ってもらえた。

 クーは、ふっと鼻を鳴らした。
 きっと仮面があるから、その真意は相手には伝わらない。

 それでいい。

 この奥にいる私の顔が、こんなに綻んでいるだなんて、彼には知らせなくて良いのだ。

 クーは戦闘態勢を取る。

128 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:14:43 ID:VABT4D4M0
 ふと、頭の中にあのオオカミが思い浮かんだ。
 自分の爪で自らの命を断った魔人。
 彼は自分と戦うことをとても楽しんでいた。

 戦うことが好きだから。

 いや、それはちょっと違うのだ。
 今この場にいて、ようやく気づいた。

 どちらが守られるわけでもなく対等になって立ち向かう。それはたとえ殺しあいだとしても平等な交友関係だ。
 私と対等であることがうれしくて、だからオオカミさんは笑ったのだ。
 ずっと、一人でいたものだから。

129 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:15:41 ID:VABT4D4M0
 クーは飛びかかった。

 覚悟しよう。自分はここで死ぬかもしれない。たとえ私が勝っても、相手が勝っても、周りはすでに火の海なのだ。逃げ切れるわけがない。
 死ぬとわかっているのなら、全力で受けて立とう。
 
 クーの腕が、双剣が、相手に目がけて振り下ろされる。
 ガードされ、金属音が高く響く。
 クーは、自分の頬に何かが伝うのに気づいた。
 
 まだだ。クーは自分に言い聞かせる。まだ、覚悟が足りていない。
 涙など、どこにも流す余地は無いはずなんだ。

130 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:16:57 ID:VABT4D4M0
 また、駆ける。
 相手の目が、はっきり自分の目を捉えた。
 
 この涙が見えてしまっただろうか。
 だとしても、決して何も言わないでくれ。何も察しないでくれ。
 
 頼むから、このまま二人の戦いを、何ものも邪魔しないでくれ。

 刀身の触れ合う音が響き渡る。

 戦いは、あと少しだけ続くことになる。

131 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:20:38 ID:VABT4D4M0
 火炎に包まれた森の空は、次第に明るみを増し、青く白く抜けていく。

 火の粉がいくつも爆ぜ飛んだ。
 いくつもの火の粉が、ひらりひらりと風に舞う。

 いくつも、いくつも。

 数え切れない蝶の大群が、空を埋め尽くして羽ばたくように。

 暁の空はまもなく明ける。

132 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:21:49 ID:VABT4D4M0
優しい衛兵と冷たい王女のようです


       番外編


        『暁の綾蝶』




         完

133 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:26:28 ID:VABT4D4M0
おしまい。

それでは。

134宣伝 ◆MgfCBKfMmo:2015/07/20(月) 15:33:26 ID:VABT4D4M0
( ^ω^)優しい衛兵と冷たい王女のようですζ(゚ー゚*ζ 第一部(投下済み)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/13029/1377054485/

( ^ω^)優しい衛兵と冷たい王女のようですζ(゚ー゚*ζ 第二部(投下済み)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/16305/1391263019/

主なまとめサイトさん
Boon Roman
http://boonmtmt.sakura.ne.jp/matome/sakuhin/tender/

第三部がなかなか投下できなくてすいません。
今後ともよろしくお願いします。
では。

135名も無きAAのようです:2015/07/20(月) 15:34:58 ID:x6jH4JIQ0
乙乙

136名も無きAAのようです:2015/07/20(月) 15:59:19 ID:2/XMdqgQ0
おつ!!
相変わらず面白いークーにもいろいろあったんだな・・・

137名も無きAAのようです:2015/07/20(月) 17:56:26 ID:gWIs9ErkO
貴君には乙という言葉がよく似合う!

138名も無きAAのようです:2015/07/20(月) 18:07:10 ID:vJyFdxyg0
まさかこっちに番外が来るとは……
三部も待ってる。乙。

139名も無きAAのようです:2015/07/23(木) 00:26:55 ID:TtbjQqEI0
来てたんかい今から読む乙

140名も無きAAのようです:2015/09/17(木) 17:29:24 ID:nX5Ltb4w0

モララー色んなところで関わってるなー


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